※このSSには独自の設定やキャラの崩壊、グロテスクな表現が含まれています。そういった展開が苦手な方はご注意ください。 ※34スレ723『いざ倒れ逝くその時まで』の続きです。 幻想郷に突如、襲いかかった三幻想の脅威。 サリエル、矜羯羅、そして幻月。 強大な力を持つ三幻想に、戦いを挑むのは無謀だと魔界からやって来たエリス達は伝える。 その言葉に半信半疑だった里の人間達だったが、三幻想の一柱である幻月の配下の襲撃を受け避難を決意した。 命蓮寺やチルノ達の協力を受け、幻想郷からの脱出に成功する里の人間達。 その一方で、エリス達は不穏な動きを見えるのだった。 エリス達の思惑通りに、魔界へと飛び立っていく聖輦船。 その姿は山道を走る霊夢達からも、はっきりと見えていた。 「どうやら里のエリス達が何かしたようね」 そう呟くパチュリーに、霊夢は訝しげな表情で問い掛ける。 「大丈夫なの? 魔界は連中の縄張りよ。人質に取られたら厄介だわ」 そんな霊夢にパチュリーは、真剣な眼差しで問い掛けに応えた。 「………分からない。でもこれで幻月は、簡単には里の人を襲えなくなった。人質でも皆殺しにされないだけマシよ」 霊夢はパチュリーの言葉に納得する。 もしエリス達が里の人間を殺すつもりなら、態々魔界に連れて行く必要がない。 恐らく何か別の目的で、里の人間達を魔界に誘導した。 ならば今は後回しでいいだろう。 そう考え霊夢は、里に向かって飛び続ける。 そして前を向いたまま、パチュリーに静かに呟いた。 「幻月は………幻想郷を壊して、何がしたいのかしら」 「………幻想郷を壊すという事は、外の世界に幻想の力を解き放つという事。  本来なら濃度が薄まった幻想の力により、殆どの幻想存在は力を失うわ。  でも三幻想ほど強大な力を持った存在なら、薄まった幻想の力でも十分戦える。  つまり外の世界で自由に暴れられる事になるんだけど……それでどうするつもりなのかは……」 「………………」 「例えどんな目的だったとしても、その為に多くの幻想存在が犠牲になるわ。なんとしても止めなくちゃ。  まずは幻想郷中の妖怪を集め、それからもう一度地獄に行きましょ。  誰か一人でも矜羯羅に辿り着けば、助けを求める事が出来る」 「………矜羯羅は何故、動かないの? 菊理が動いているのに、上司は高みの見物って訳?」 「………………それが『善』だからよ」 「…………………」 霊夢はその何やら意味深な言葉に、黙りこくってしまう。 しかし先を急ぐ霊夢に、のんびり考え込んでいる時間はない。 今は兎に角里へ急ごうと気持ちを切り替えたその時、突如向けられる強い殺気。 その気配に霊夢達は立ち止まり、殺気の主へと身構えた。 「誰?」 山道の茂みから感じる気配に、霊夢は慎重に問い掛ける。 すると木々の間から、姿を現す二人組の妖怪。 だがその妖怪達の姿はどす黒い粘液に全身を包まれていて、とても正体を確認出来るような状態じゃなかった。 「何なの、こいつら」 「………まずいわねぇ……幻月の手の者よ」 「え!?」 そんな妖怪達を見て、パチュリーは確信を持った様子で呟く。 その言葉に疑問を浮かべる霊夢に、パチュリーは妖怪達の正体を説明するべく口を開いた。 「あの黒い液体は、幻月の操る邪気よ。恐らく邪気で作った妖怪………じゃない!  邪気の中に妖怪がいる! あれは邪気に取り憑かれた妖怪よ!」 しかし邪気の中の妖怪の気配に気付き、パチュリーは大声を張り上げる。 霊夢はそんなパチュリーに、驚愕の表情を浮かべて振り返った。 「どういう事!?」 「………幻月は邪気で他者を操る事も出来るわ。あの妖怪達はその邪気に取り込まれ、支配されてしまったのよ」 「じゃあ……」 「……でも倒すしかないわ。ああなってしまっては、私達にはどうする事も出来ない。  ただ一つだけ気を付けてほしい事があるの。絶対にあの妖怪達に触らないで。触れれば私達も、邪気に呑まれてしまうわ」 「………くっ!」 パチュリーの言葉に、霊夢は歯を食い縛る。 触ってはいけないのなら、祓い棒を使った接近戦は出来ない。 攻撃は飛び道具中心になるが、はたしてあの液状の邪気に通用するのだろうか。 そんな考えを巡らす霊夢にお構いなしに、妖怪達は三人へと勢いよく向かっていく。 「…来る!」 「いい!? 絶対に触っちゃダメよ!」 その攻撃を霊夢達は、それぞれ別方向に別れてかわした。 だが二人組の妖怪も別々に行動し、距離を取ろうとする霊夢達を追い掛ける。 妖怪達はそれぞれ長身の鎌を持った妖怪が霊夢に、小柄の翼の生えた妖怪がパチュリー達に襲いかかって行った。 「ちっ! 逃げられたか……」 魔界へと飛んで行った聖輦船を見て、夢美は墜落した可能性空間移動船の上で舌打ちをする。 破られる筈のなかった必殺技が、突如現れた妖怪により見事に回避された。 所詮は科学の欠片もない里の人間と、力の弱い妖怪だけの船。 そう高を括っていた夢美のプライドは、まんまと脱出を許してしまった事でズタズタに引き裂かれていた。 「何さ、口程にもない」 そこへ追い打ちをかけるように、不敵な笑みを浮かべて魅魔が現れる。 その小馬鹿にした態度に、夢美は魅魔をキッと睨み付けた。 「あんた、ずっと見てるだけだったくせに…」 「おっと私に当たるのはお門違いだよ。全部あんたの力不足のせいだろ?」 「……ちっ!」 「あ! 御主人様ー!」 更に魅魔に次いで、可能性空間移動船の乗組員達もやって来る。 彼女達は夢美の前に立つと、言い辛そうに言葉を紡ぎ出した。 「あ、あの……それで報酬の方は…」 「はぁ!? 失敗したんだから、そんな物ある訳ないでしょ!?」 「そ、そんな! あたいなんてイビルアイΣを、おじゃんにしてまで戦ったのにぃ!」 「文句は勝ってから言いなさい!」 「ええー! 最新鋭の戦車強化パーツはー!?」 「外の世界の力もないのか!?」 「高度文明の知識は!?」 「逮捕ー!」 「私の新築…」 「だぁー! 五月蝿い五月蝿ーい! あんた達が弱いのが、いけないのよ!」 夢美の言葉に、不満そうな表情を浮かべる乗組員達。 するとそこへ二人組の少女が日食に変わっていく空と共に、奇妙な歌を口ずさみながら歩いてやって来た。 「テロロンテロロンテロロンテロロンキロキキロロロロロロロロロズチャチャズチャズチャズチャチャズチャズチャ  ズチャチャズチャズチャズチャチャズチャズチャ♪ テロロテロロロテロテロロットテロロッテテロテロテテ〜♪  テロロテロロロテロテロロットテロロッテテロテテロテ〜♪ フイイフフイフイフイイイフイイフイフイイイフイイフイ♪  フイイイフイイイフイイイフイイイフ〜イ♪ チャンチャチャチャチャチャンチャンチャンチャン  チャチャチャチャチャチャチャチャチャラララララララ♪ チャラララチャララチャラララチャラ  チャラララチャラララチャラララチャラララチャララララララチャラララララララチャララチャララチャララララララ  チャララチャララチャラララチャラララチャラララチャッチャラン♪」 「トイコンテンポラリー?」 「…………正解。でも何故、邪魔した。折角、のってきたところだったのに。ド〜ロ〜ロ〜のノウ〜ズ〜イ〜……」 「きりのいいところで止めたじゃない……。それより人間よ」 「あら、本当! ちょっと、そこの人間! さっき船が飛んでったけど、もしかして人間達は逃げちゃったのかしら?」 「そうよ、悪い!? …………って貴方誰?」 「ほら、夢月が遅いからよ。分かってんのか? あぁ?」 「ごめんなさい、姉さん」 「よしよし、素直なのはいい事よ。偉い子偉い子」 そう言ってその少女、幻月は夢月の頭を撫でる。 そのまま夢美達の方を向くと、ふとある人物を見てぴしりと固まった。 「…………?」 その人物とは戦車技師の里香。 幻月は里香をじっと見たままぴくりとも動かない。 何かあったのかと、夢美達は様子を窺う。 ところが突然幻月は、一瞬で里香の目の前まで移動する。そして、 「キェェェェェェアァァァァァァ!!」 「!!」 里香の口の中に右手を突っ込み、腕を振り上げ上顎を引き千切った。 「…………里…香……?」 噴水のように鮮血を噴き出し、里香の体は頭部を失った事でその場に崩れ落ちる。 一方で里香の上顎は、振り上げられた幻月の手に掴まれ空高く掲げ上げられていた。 その引き千切られた上顎からは、夥しい量の血液と脳髄が流れ出す。 それはやがて、びちゃびちゃと音を立てて地面を真っ赤に染めあげた。 しかし幻月はそんな物には興味を示さず、掴んだ上顎を左手に持ち替える。 その時、頭を振った事で目玉が飛び出したがそれも気にしない。 幻月が興味を示しているのは、右手に僅かに残った脳髄。 ねっとりとしたそれを自らの口に放り込むと、幻月はくちゃくちゃと咀嚼し始めた。 「…………ううっ!」 その凄惨な光景に思わず口を押さえる夢美達。 外の世界では勿論、幻想郷でも滅多に見ない惨い光景だ。無理もない。 だが幻月は不満そうな顔をすると、口の中の脳髄をペッと吹き出す。 「……………違う。『アイツ』がこんな簡単に死ぬ筈がない。……そもそも『アイツ』が此処にいる訳ないか。  人違いね。紛らわしい頭しやがって………」 幻月はそう呟くと、手に持った里香の頭部を思いっきり地面に叩きつけた。 そのまま足で踏み砕き、頭蓋をグリグリと踏み躙る。 そして殆ど原形を留めない程にぐちゃぐちゃにすると、夢美達の方を向きにっこりと微笑みかけた。 「こんにちは、人間。私は幻月、こっちは夢月よ。仲良くしましょ」 血で真っ赤に染まった手を差し出し、幻月は穏やかに笑いかける。 それは純粋で無垢な少女の笑顔のように見えた。 しかしあんな光景を見た後で、笑い返せる者などいない。 夢美達が恐怖で動けずにいると、突然斬撃が走り幻月の手を斬り落とした。 「…………あら?」 「貴様………よくも里香を!」 その斬撃の主は妖刀を扱える人間、明羅だ。 彼女は怒りに燃える瞳で、幻月を睨み付ける。 当たり前だ。仲間が殺されたのだ。黙っていられる筈がない。 恐怖が勝っていた夢美達も、明羅の姿に勇気付けられ身構える。 それに幻月は気味の悪い笑みを浮かべて、もう一本の手を使いスペルカードを取り出した。 「幻想郷の人間は、血の気が多くて困るわ! ゆっくりお話も出来やしない!」 「でも姉さん、楽しそうね」 「キッヒヒヒッ! 私は遊ぶのも大好きよ! 雷魚『ザ・ハイエロファント』!」 そして幻月はスペルカードを発動させる。 途端に溢れ出した邪気から現れたのは、つばの広い帽子を被った夢幻妖怪。 その夢幻妖怪は鱗の生えた腕を振り、周囲に電撃を飛ばし始めた。 「くっ……」 電撃は電流を帯びた球体となって、辺り一帯に襲いかかる。 さすがに刀では電撃は防げない。 明羅は安全を優先し、電撃の射程距離から一旦離れた。 だが夢幻妖怪は指を空に向けて、電撃を一気に放出する。 すると電撃は雷となり、明羅目掛けて落ちて来た。 「うぐああぁぁ!」 雷撃に全身を貫かれ、崩れ落ちそうになる明羅。 しかし彼女は刀を杖にして、倒れそうになった体を必死に支える。 だが明羅の体力は、すでに立っているのもやっとの状態だ。 次の攻撃を喰らえば、もう起き上がる事は出来ない。 しかし幻月は無情にも、新たなスペルカードを手に取って更に追撃を叩き込む。 「虚狼『ザ・チャリオッツ』!」 次に現れたのは長い髪を後ろで縛り、手に大剣と盾を持った夢幻妖怪。 彼女は勢いよく明羅に駆け寄ると、大剣を振り斬りかかって来た。 「ぐっ!」 必死に刀を構え、明羅は斬撃を受け止めようとする。 だが雷撃を受け満身創痍の明羅に、体力は殆ど残されていない。 あっさり刀を叩き落とされてしまうと、無防備になったところを盾で殴り付けられてしまった。 「があっ!」 明羅は攻撃の衝撃に踏み止まれず、その場で仰向けに倒れてしまう。 そこへ夢幻妖怪は大剣を逆さまに持ち、力いっぱい明羅の腹へと突き刺して来た。 「ぐっ…がああぁぁぁ!!」 凄まじい激痛に、明羅は血を吐き悶え苦しむ。 次々と噴き出す冷や汗を気にする事無く、手足をバタバタ動かし痛みから逃れようとしていた。 しかしそんな明羅を無視して、夢幻妖怪は幻月の方へ振り返る。 それに幻月はサインで応えると、夢幻妖怪は大剣を少しづつ動かし始めた。 「があ、ああアあアアぁァァぁあアああアァぁぁァ!!」 途端にぐちゃぐちゃと音を立てて、大剣は明羅の傷口を抉る。 内臓を引っ掻き回されるその苦痛に、明羅は目をぐるぐる回し叫び声を上げた。 もう放っておいても死ぬ状態にも拘わらず、尚も続く拷問に近い攻撃。 その様子を幻月は、にこにこ笑って見つめている。 「いいわ、いいわよ〜。もっと、もっと苦しめ…」 そこへ一発の銃弾が飛んで来ると、幻月の頭を綺麗に撃ち抜いた。 辺りに幻月の脳髄が飛び散り、本人もぐったりと倒れ動かなくなる。 同時に明羅を襲っていた夢幻妖怪も、スペルカードに戻り幻月の許へと帰っていった。 銃弾をスナイパーライフルで撃ち出した主、理香子はそんな幻月を見て一言呟く。 「私を甘くみるなよ」 「理香子ー!」 すると理香子に駆け寄って来るちゆり達、他の乗組員。 彼女達は頭を撃ち抜かれ完全に動かなくなった幻月を見ると、ぼそぼそと思い思いに呟き始めた。 「一体何者だったのかしら」 「知りません」 「何者であろうと、私達に襲いかかって来たのは事実よ。倒さない理由はないわ」 「……………にしてもあいつは何なんだ?」 そう言うちゆりの視線の先には、無表情で夢月が立ち続けている。 相方がやられたというにも拘わらず、仇を討とうとも慌てようともしない。 まるで人形のように微動だにせず、ただそこにじっと立ち続けていた。 「へぇ〜、やるじゃない」 そんな夢月を見ていたちゆり達に、突如かけられるその言葉。 ちゆり達はその声の主に心当たりがあった。 だがありえない。ある筈がない。 確かに今の一撃で死んだ筈。 しかしならば今の声は誰だと言うのだろうか。 そう思いつつ、ちゆり達は慌てて声の方へ振り返った。 「今のは効いたわよ」 そこにいたのは、ちゆり達の想像通りの相手。 何食わぬ顔で笑う幻月だった。 銃弾は確実に頭を撃ち抜いた筈。頭にもしっかり穴が開いている。 だがとてもダメージを負っているようには見えない様子で、幻月は里香の死体に足を突っ込んで遊んでいた。 「そんな馬鹿なっ!」 「確かに撃ち抜いた筈なのに!」 「ああ、あれの事?」 幻月は笑顔のまま、地面に飛び散った自分の肉片を指差す。 途端に肉片は邪気へと変わり、幻月の頭の穴に吸い込まれ元通りとなった。 それはダメージを回復したというより、最初から効いていなかったという様子。 その光景は、まさに化物といった感じだった。 「不死身!?」 「死なない…という表現は適切じゃないわね。夢月もそう思うでしょ?」 「姉さんがそう言うなら、そうに違いないわ」 「どうなってるのよ……」 自分達の世界の常識ではありえない状況に、訳が分からず茫然とする夢美。 それは幻想郷でも同じ事。頭を撃たれて無傷な妖怪など、今まで見た事がない。 しかし幻月は、そんな彼女達の許へゆっくりと近付いて行く。 すると突然カナと小兎姫が飛び出し、幻月に弾幕攻撃を仕掛け出す。 躊躇していたら殺される。 幻月と敵対している全員が、すでに余裕など残していなかった。 「行け!」 「逮捕ー!」 無数の流星弾幕と花火弾幕が幻月へと襲いかかる。 だが幻月は炎に焼かれようと爆発で吹き飛ばされようと、すぐに残骸が邪気へと変わり再生してしまう。 そして幻月は反撃に移ろうと、右腕をポケットに突っ込む。 しかし手を斬り落とされていた事を思い出すと、左手でスペルカードを掴み発動させた。 「嫉蛇『ザ・ハングドマン』! 怨蜘『ザ・デビル』!」 「なっ!」 「2枚同時発動!?」 幻月が発動させたスペルカードは、なんと二枚。 そのスペルカードから解き放たれた邪気は、それぞれ別々に形を成し始める。 片方は髪が長く下半身が蛇の夢幻妖怪となり、勢いよくカナへ。 もう片方は耳が尖っている下半身が蜘蛛の夢幻妖怪となり、小兎姫へ襲いかかっていった。 「!!」 カナ目掛けて蛇行しながら、向かって来る蛇の夢幻妖怪。 それにカナは咄嗟に撥を手に取り、突進から身を守ろうとした。 だが蛇の夢幻妖怪はカナの目の前で曲がり、尾を振って攻撃して来る。 その一撃はカナの脇腹に決まり、そのまま吹き飛ばし可能性空間移動船に叩き付けてしまった。 「うぎっ!」 「か、カナ〜」 更に注意の逸れた小兎姫に、蜘蛛の夢幻妖怪は結晶を飛ばす。 小兎姫を背後から狙い、真っ直ぐ飛んでいく5つの結晶が作る花。 「がっ!?」 それは小兎姫の背中を捉えると、深々と突き刺さり仰け反らせた。 一方で幻月は近くの岩に腰かけて、その様子を見届けている。 「さ〜て、貴方は芸がないみたいだけど〜」 そう言うと突然、幻月は左腕を思いっきり振って何かを掴んだ。 その手を開くと握られていたのは、小さなスナイパーライフルの銃弾。 それは再び死角から狙撃した、理香子の放った弾丸だった。 「もう同じ手は通用しませ〜ん。ざ〜んね〜んで〜した〜」 幻月は理香子の方を向くと、銃弾を落とし舌を出して笑う。 その様子に理香子は舌打ちをすると、スナイパーライフルを持ち移動し始めた。 「ふ〜ん、次はどうするつもりなのかしら」 その頃、カナは蛇の夢幻妖怪相手に苦戦を強いられている。 何せ相手は高速で動き回り、こちらの流星弾幕を簡単にかわしてしまう。 どんなにドラムを叩き弾幕を放っても、その間をすり抜け続ける蛇の夢幻妖怪。 なかなか当たらないこちらの攻撃に、カナは徐々に苛立ち始めていた。 「このっ!」 撥を軽快に操り、カナは更に大量の弾幕を降らす。 しかし蛇の夢幻妖怪は、俊敏に動き攻撃をかわし続ける。 ならばとカナはどんどん演奏を激しくして、弾幕密度を高めていく。 だが攻撃に集中しすぎた為に、大きな隙が生まれてしまった。 「!! しまっ…」 その隙に一気に距離を詰め、蛇の夢幻妖怪は尾でカナを薙ぎ払う。 無防備な状態に叩き込まれた一撃に、カナは堪らず地面に倒れ込んでしまった。 すると蛇の夢幻妖怪はスペルカードに戻り、幻月に回収されていく。 代わりに放たれた新たなスペルカードが、力無く倒れるカナに襲いかかって来た。 「讐氷『デス』!」 今度の夢幻妖怪は、小柄で背中に氷のような羽をつけている。 しかし溢れんばかりの妖力を放っており、何処か法力のような神々しさも醸し出していた。 その氷の夢幻妖怪は、ダメージから回復しきれていないカナに冷凍光線を放つ。 途端にカナの体は、凍り付き始めてしまった。 「……ああ………そん…な………」 徐々に動かなくなっていく体に、カナは絶望の表情を浮かべる。 やがてカナの全身は完全に凍り付き、ぴくりとも動かなくなってしまった。 すでに決着はついている。だが氷の夢幻妖怪は追撃の手を緩めない。 彼女は自分の頭上に氷を作り出し、どんどん妖力を込めて大きくしていった。 そのまま出来上がった巨大な氷塊を、カナに投げ付ける氷の夢幻妖怪。 その一撃は凍り付いていたカナの体を、粉々に砕いてしまった。 たくさんの氷の粒となり、地面に散らばるカナの残骸。 霊体である彼女の体は彼女の死により消滅し、跡には巨大な氷塊だけが残っていた。 「うぅ……ごほっ! げほげほっ!」 同時刻戦闘中の小兎姫も、蜘蛛の夢幻妖怪により窮地に追い込まれている。 どうやら先程の結晶攻撃には、毒に近いものが含まれていたらしい。 意識が朦朧とし、最早まともに立っている事さえ出来ない。 しかし蜘蛛の夢幻妖怪は、情け容赦なく結晶を放ち攻撃して来ていた。 もうこれ以上戦っても勝利は望めない。 全身傷だらけになり心が折れた小兎姫は、必死に地面を這い蹲り逃げ出そうとした。 「……はぁ……はぁ……ごほごほっ!」 「うん、いい感じに絶望に満ちた顔よ。じゃあ、終わらせましょうか。憑蝶『テンパランス』!」 その姿に満足した幻月は、別のスペルカードを取り出し発動させる。 現れたのは、つばの広い帽子と長髪が特徴の夢幻妖怪だった。 彼女は扇子を手に持つと、一斉に死蝶を解き放つ。 死蝶は小兎姫の行く先に群がると、徐々に取り囲み逃げ場を奪っていった。 「こ、来ないで……」 自分の周りを飛ぶ死蝶の姿に、小兎姫は錯乱状態に陥る。 そこへ上空から小兎姫に迫る夢幻妖怪。 彼女は下側が尖った岩に乗り、小兎姫に向かって一気に落ちて来ていた。 あんな物に突っ込まれたら、例え鉄骨だろうと圧し折れてしまう。 慌てて逃げ出そうにも、周囲を取り囲むのは死蝶の群れ。 死蝶に触れば死ぬ。逃げ場所はおろか、隠れる場所すらありはしない。 小兎姫は涙を目に浮かべて、必死に打ち揚げ筒を盾にする。 だがそんな物で防げる筈がない。 夢幻妖怪は勢いよく落ちて来ると、岩で胴体をぐちゃぐちゃに潰し小兎姫を真っ二つにしてしまった。 「うぐぅっ! …………あぁぁ……痛いよぉ……」 上半身と下半身がバラバラになりつつも、まだ僅かに小兎姫は生きている。 そうは言ってもただ即死しなかっただけで、もう永くは持たないのは誰が見ても明らかだった。 そんな小兎姫の様子を見ると、死蝶は一斉に飛び去っていく。 それはまるで死が確定した者には、自分達の出る幕はないと言わんばかりだった。 しかし小兎姫にとっては、それはあまりにも惨い仕打ち。 何故なら死蝶は逃れられない死を告げたと同時に、彼女から安楽死という最期の選択肢を奪っていったのだ。 今の小兎姫は結晶に含まれていた病原体の作用により、意識を失う事もなく激痛に苦しみ続けている。 せめて死蝶がいれば、自分から死ぬ事も出来た。 だが死蝶がいなくなってしまえば、残っているのは苦しいだけの数秒の命のみ。 本来なら気を失いそうな痛みの中でも、彼女の意識は覚醒し激痛の信号を送り続けている。 「痛い…痛いよ……痛い痛い苦しい痛い苦しい苦しイ痛い苦シい苦しい痛イ痛い痛イ苦シイ痛イ苦シイ苦シイ…」 その苦痛は千切れた腹部から、血を出し切り失血死する瞬間まで続いた。 夢美達の目の前で、次々殺されていく乗組員達。 それらの元凶である幻月は、にっこりと笑って夢美達の方を見た。 「さて、これで残るは貴方達さ〜んに〜ん」 そして楽しそうにそう言って、理香子とちゆりと夢美を指差す。 「…と一人だったもの」 最後ににやりと笑って、先程から傍観している魅魔の方を見た。 「次は誰が私を楽しませてくれるのかしら? 私は誰からでも構わないわよ? どうせ全員殺すんだしねぇ!  魔儡『ザ・マジシャン』!」 次いで解き放たれた夢幻妖怪は、まだ幼い少女の姿をしている。 しかし凄まじい魔力を放っており、魔導書と思われる物を開くと何やら魔法を発動させてきた。 「!!」 途端に揺れ出す地面。 揺れに耐えかねその場に膝を突く夢美達を余所に、どんどん強く大きくなっていく。 やがて大地がブロック状に切り取られ、空中に浮かび上がり始める。 そのブロック状の地面は、夢美達目掛けて次々に降り注いで来た。 「うわっ! あ、危なっ! うぎゃー!」 巨大なブロック状の地面は、自身の重みを活かして夢美達に襲いかかる。 ブロック状の地面が大地に落ちる度に、巻き起こる振動と砂埃。 その中を押し潰されないように、夢美達は散り散りに逃げる。 だが攻撃はそれだけでは治まらない。 夢美達の後ろを、武器を持った人形のようなものが追い掛けて来たのだ。 「うわぁー! ヤバいって!」 ただでさえ上からの攻撃に気を付けなければいけないのに、更に追手までいたのではもう逃げ切れない。 万事休すかと思ったその時、空中に浮かんでいたブロック状の地面がすべて落ち切った。 反撃するチャンスは今しかない。 そう判断した理香子は、スナイパーライフルを地面に固定した。 そのまま向かって来る人形のようなものに照準を合わせる。 「………喰らえ!」 同時に引き金を引き弾丸を撃ち込み、人形のようなものを粉砕した。 どうやら人形のようなものの耐久性は、さほど高くないらしい。 これなら全部スナイパーライフルで壊せる。 「この調子で残りも…」 「理香子! 後ろ!」 ところがそこへ声を張り上げるちゆり。 「………えっ」 その声に理香子が何事かと振り返ると、そこには巨大な蟹のような夢幻妖怪が立っていた。 「……………なっ」 「厄蟹『ザ・スター』」 その蟹の夢幻妖怪には、腹の所に人型の何かがめり込んでいる。 それはまるで帆船の船首像のようにぶら下がっており、下半身と腕が夢幻妖怪の体内に取り込まれていた。 しかし理香子には、そんな事を気にしている余裕はない。 何せ今まさに夢幻妖怪は鋏を振り上げ、理香子を叩き潰そうとしているのだから。 「くっ! こんな……こんな力に、この私がぁっ!」 「理香子ぉー!」 慌てて逃げ出そうとする理香子だったが、もう間に合わない。 振り下ろされた鋏は理香子をグシャリと押し潰し、その命の炎を消し飛ばした。 やがて鋏がゆっくりと持ち上げられると、そこにはミンチ状になった肉塊が広がっている。 それは持ち上げられた鋏にもねっとりとへばり付いており、粘着力が尽きるとミンチの山の中にびちゃりと落ちて行った。 「………こんな………事って……」 圧倒的な力の前に、成す術なく死んでいった乗組員達。 そのあまりにも凄惨な光景に、最早ちゆりは逃げる事だけを考えていた。 どうすればこの化物から逃げ切れる。 どうすれば生きて自分達の世界に帰れる。 もうちゆりには、戦う意志は残っていなかった。 「……ふざけるなあああぁぁぁぁ!!」 だが夢美は違う。 怒りの形相で、キッと幻月を睨み付けている。 いつもなら憧れる幻想の力も、敵として明確に殺しに来ているなら話は別。 その瞳に宿るのは明確な戦闘意思。 夢美は自分の計画の邪魔をされ、腸が煮えくり返っていた。 「いきなり現れて早口でぺちゃくちゃと……挙句の果てに私の協力者を殺した!? はっきり言って不愉快だわ!  私の邪魔をする者! 私を馬鹿にする者! 全員纏めて私の力の前に、ひれ伏すがいいわ!」 そう言って夢美は装置を動かし、聖輦船を襲ったあのビットを飛ばす。 それも一個ではない。合計5つものビットが、一斉に十字架を作り始める。 途端に夢美の周囲に浮かび出す、強大なエネルギーを放つ5つの十字架。 それらは夢美が手を幻月に向けると、一斉に幻月の方へ矛先を向け始めた。 「反物質十字弾……グォレンダァ!」 そしてその言葉と共に、幻月目掛けて真っ直ぐ飛んで行く。 凄まじいエネルギーを放ちながら、向かっていく5つの十字架弾幕。 しかし幻月はにやりと笑い、余裕の表情を浮かべ出した。 「そんな雀蜂みたいな、おっかない顔して〜。……でもさすがにこれは夢幻妖怪じゃ無理かな〜?」 すると幻月は、自分の口に手を突っ込む。 そこへ飛んで来る十字架弾幕。 さすがにあの体勢では、どうする事も出来まい。 そう考える夢美だったが幻月が手を引き抜いた瞬間、5つの十字架は一瞬で消し飛んでしまった。 「……………えっ」 一体何が起こったのだろう。 まさかあの攻撃が破られたとでも言うのだろうか。 そんな筈がない。 あれに触れればどんな物質でも消滅する。 何をしようが打ち消せる筈がない。 ならば何が起こった。 自分の想像外の出来事に、思考が追い付かない夢美。 だが消し飛んだ十字架の裏から現れた幻月の姿が、夢美に現実を突き付けた。 「…………あ、ありえない……」 幻月の左手に握られていたのは、闇のように真っ黒な鞭。 それは空中を龍のように舞い、十字架の中から出て来たビットの周りを飛ぶ。 あんな鞭で、あの弾幕を打ち消したとでも言うのか。 夢美は敵の攻撃の正体を確める為、再び十字架を作り出し幻月に向かって飛ばした。 「手加減は一度目だけ。二度目は当てるわよ」 その攻撃に幻月は、鞭を振って対抗する。 今度は見逃すまいと夢美は、攻撃をじっと見つめていた。 そして放たれる鞭の一撃。 それは十字架をすり抜けて、核であるビットすら貫通し破壊する。 夢美は、その自分が知り得る知識外の光景に茫然とした。 辛うじて分かるのは、あれが普通の物質じゃないという事。 少なくても自分達のいた世界の宇宙には存在しない物質。 しかし弾幕や魔法でもない。 もっと不可解で異質な何かである。 だがその答えを出すには、あまりにも時間が足りない。 そのまま鞭は考え続ける夢美の左腕に当たり、その異質な力で腕をもぎ取っていった。 「……………ぎ、ぎやあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」 途端に夢美は凄まじい悲鳴を上げる。 それは腕に走る激痛の為。 しかしこれは鞭に打ち付けられた痛みではない。 原因は分からない。ただ無い筈の左手が、万力で押し潰されるように痛むのだ。 腕の痛みだけでも気を失いそうなのに、更に手も指も激痛を放つ。 確かこれは幻肢痛という症状の筈。 だが頭で理解したところで、どうにかなるものでもない。 夢美は必死に痛みに耐えながら、幻月に立ち向かおうとした。 「!!」 しかしそこに叩き付けられる鞭の一撃。 その攻撃は夢美から、更に右脚を奪っていく。 同時に再び起こる幻肢痛。 その時、夢美は気が付いた。 こいつは狙って幻肢痛を引き起こしているという事に。 「あああ………」 原理は分からない。恐らくは何らかの魔法の力によるものだろう。 魔法となれば説明は付くが、この状況が絶望的な事に変わりはなかった。 もう左腕と右脚の激痛で、夢美にこれ以上戦う意志は残されていない。 だが幻月は更に鞭を叩き付け、夢美の右腕と左脚まで奪っていった。 「ああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」 「御主人様!」 四肢をすべて奪われてしまい、夢美は断末魔のような悲鳴を上げる。 それにちゆりは、慌てて駆け寄っていく。 すると夢美は涙でぐちゃぐちゃの顔で振り返り、血走った目を見開いてちゆりに向かって叫んだ。 「ち、ちゆり! 殺して! 私を殺シテ! 早ク!」 「………御主人様……」 すでに夢美の精神は、絶望と激痛で限界を迎えている。 その死を哀願する姿に、ちゆりの心も絶望に染まりつつあった。 必死に動き回り、少しでも失血死が近付くように夢美は足掻き続ける。 しかし傷口は邪気で塞がっており、血は殆ど流れていない。 それに気付かぬ程弱り切った夢美に向かって、幻月は理香子の残骸を鞭で掻き混ぜながら呟いた。 「人間はいつもそうよ。こいつを使うと決まって同じ反応をする。……………つまらないわ」 そう言って鞭を邪気に戻し、口の中に流し込む幻月。 鞭がなくなった事で空いた手を使い、理香子の残骸を拾い上げる。 だが夢美とちゆりは、そんな幻月の行動にも反応しない。 最早、二人は完全に戦意を失ってしまっていた。 出来る事なら、もう降参して楽になりたい。 だが幻月は理香子の残骸を握り潰すと、そんな二人に無慈悲に迫っていった。 「貴方の御主人様は死にたがってるみたいよ。ねぇ、どうする? 殺してあげる? それとも助けようとする?  貴方自身はどうする? 必死に命乞いする? 泣き喚きながら逃げ出す? 恐怖のあまり、おもらしする?  ヒッヒャヒャヒャヒャッ! もっと、もっといろんな表情を私に見せて! 薬兎『ワンド』!」 更に幻月は新しい夢幻妖怪を呼び出し、二人の前に立ち塞がらせる。 それは筋骨隆々の逞しい肉体とは裏腹に、頭には可愛らしいウサ耳のついた奇妙な夢幻妖怪だ。 そのウサ耳夢幻妖怪は、二人に向かって槌を振り下ろそうとして来る。 しかしすでに正気を失いつつあった夢美は、その槌へ芋虫のように這って自分から向かっていった。 「フフ……フフフ……」 「ご、御主人様ぁ!」 必死に夢美に呼び掛けるちゆりだったが、彼女にはもうどうする事も出来ない。 そこへ無情にも振り下ろされる槌。 その一撃は夢美の頭を叩き潰し、ぐちゃぐちゃになった脳髄や肉片を辺りに飛び散らせた。 「……………………………」 飛び散った脳髄は、近くにいたちゆりの許にも飛んで来る。 下を見れば、夢美だったものの残骸が転がっている。 赤く何処までも赤い赤が、目の前に広がる。 夢美が好きだった赤が一面に。 「…………ふ、ふふふ。あははははは! そうだ! 全部夢だったんだ! 最初から幻想郷なんてなかったんだよ!  御主人様の研究は間違ってたんだ! 学会の言う通り、この世には科学で証明出来ないものなんてないんだ!  なんだ、簡単な話じゃないか。全部夢さ! 夢だから御主人様の思った通りの存在がいたんだ!  やっぱり妖怪なんて魔法使いなんて神様なんていなかったんだよ! アっはハハはは!」 目の前で起こった出来事を受け入れられず、ちゆりは現実逃避してしまう。 だが現実から目を逸らしたところで、幻月からは逃げられない。 ちゆりの前にそっと立つと、幻月はスペルカードを手ににやりと笑った。 「早く目が覚めないかなぁ。御主人様の朝食を用意しなくちゃいけないのに」 「そんなに会いたいなら、お望み通り会わせてあげるわ。学人『ザ・ハイプリスティス』!」 無情にも唱えられたスペルカード宣言と同時に、姿を現す夢幻妖怪。 それはマントをつけロケットエンジンを背負った、とても見覚えのある夢幻妖怪だった。 しかし夢幻妖怪は光る剣を手に、ちゆりに向かって飛んで行く。 「今日の朝食はクロックムッシュがいい…………」 そして光る剣を振るい、ちゆりを頭から真っ二つに斬り裂いてしまった。 ちゆりは内容物を飛び散らせ、左右に分かれて倒れてしまう。 断面を空の日食に向け、呆気なく絶命するちゆり。 それを幻月は見届けると、魅魔の方へにやりと笑って振り返った。 「もう残ったのは、あんただけよ」 「………それで追い詰めたつもりか? あんな連中と一緒にされちゃ困るよ!」 だが魅魔は臆する事無く、幻月を強い殺気を込めて睨み付ける。 明らかな敵意に幻月は気味の悪い笑みを浮かべると、おどけた口調で魅魔に話しかけた。 「どうしてそんな怖い顔するのかしら〜? 私、何か悪い事しったのっかな〜?」 「ふざけやがって……私の所有物に手を出した奴は、皆私の敵だ!」 「それってあの魔法使いの事? たっぷり苦しめてからいただいたから、とっても美味しかったわよ〜」 「魔理沙も幻想郷も私の所有物さ! 私のものに手を出した事、あの世で後悔しな!」 そう言うと魅魔は、一気に幻月へ襲いかかる。 「そんなに大切なものだったんなら、首輪はめて名前彫って暗い地下牢にでも放り込んでおきなさい!  欲蝿『ホイール・オブ・フォーチュン』!」 それに対抗するべく、幻月は新たなスペルカードを発動させた。 今回出て来たのは、6本腕と羽を持つ巨大な夢幻妖怪。 その夢幻妖怪は、大口を開け魅魔目掛けて熱線を放とうとする。 「遅いんだよ!」 しかし魅魔は夢幻妖怪の眼前まで飛び上がると、月牙金産を振り頭から真っ二つに斬り裂いてやった。 「!!」 だが崩れ落ちる夢幻妖怪の魔力に、魅魔は奇妙な懐かしさを感じる。 それは本来なら、もういない筈の人間。 確かに殺された筈だが、今の魔力は確かにあの人間のものだった。 「まさか……」 しかしその事に気を取られ過ぎて、魅魔はすぐ傍まで迫っていた幻月の気配を読み損ねる。 「傲梟『ジャッジメント』!」 「!!」 そしてそれが、魅魔の生涯最大の失態となった。 「ぐがあぁ!!」 「口先だけの奴って嫌よねぇ〜」 長い髪を風になびかせ、夢幻妖怪は十字架のような大剣を魅魔の胸に深々と突き刺さす。 そのまま勢いよく大剣を振ると、魅魔の体を斬り裂いた。 倒された事で祟り神としての力を失い、魅魔の体は消滅し代わりに魂だけが残る。 それを幻月は乱暴に掴むと、口の中に放り込み咀嚼し始めた。 「…………うん、いまいちね」 くちゃくちゃと音を立てた後、ごくりと魂を呑み込む幻月。 「私の腹の中で、弟子と一緒に永遠に苦しみ続けなさい」 そう言うと斬り落とされた自分の右手を拾い、夢月へと手渡した。 「ちゃんとくっつけてよ。いろいろと不便なんだから」 「斬ったり貼ったり斬ったり貼ったり……姉さんの後始末は大変ね」 そんな幻月に夢月は溜め息を吐きながらも、鋏を取り出し幻月の右手を貼り合わせて行く。 やがて完全に右手が繋がると、大地に転がる死屍累々を尻目に里へ向けて歩き出した。 暫く歩くと幻月と夢月の前に、壊れた里の門が見えて来る。 遂に幻月達は里へと辿り着いたのだ。 だがすでに人間は脱出済み。 里の中は蛻の殻の筈だが、何故か蒼い光が里中に広がっていた。 「あ〜らら、丁度退屈なタイミングで着いちゃったわね」 その光景に幻月は、悪戯っぽい笑みをして呟く。 そんな幻月達の上空を、旋回する一人の悪魔。 彼女は一気に滑空し降りて来ると、幻月達の前に羽搏きながら着地した。 その悪魔、エリスは幻月達を見ると不快そうな表情を浮かべる。 そのまま中指を突き立てると、幻月達をキッと睨み付けた。 「ふぁきゅー! 此処から先はロックなライヴステージ! あんた達アンチは入場禁止だよ!」 「つれないわねぇ。折角楽しみにしてたのに」 「ライヴをぶち壊す事がか?」 「ちょっと違う。私がやりたいのは、サリエルをぶち壊す事」 「やらせる訳ないだろ」 「許可なんて必要ないわ。邪魔するなら、あんたを叩き潰せばいいだけの話だもの!」 そう言って幻月は数枚のスペルカードを宙に投げる。 同時にスペルカードに向かって魔力を放ち、夢幻妖怪を一斉に解放した。 「屍猫『ストレングス』! 騎雀『ジ・エンペラー』! 護獣『カップ』! 拒童『ザ・ハーミット』! 華鰐『ザ・タワー』!」 途端に次々と姿を現す夢幻妖怪達。 一体は猫の耳と尾を持ち、所々肉が抉れている姿。 一体はヒポグリフのような怪物に跨る、ウサ耳の妖怪の姿。 一体は二人組に分かれ、片方は高身長で鳥のような翼に猫のような脚の姿。 片方は小柄で蝙蝠のような翼に、山羊のような角と悪魔のような尾を持つ姿。 一体はこれまた蝙蝠のような羽に、6本の腕に道路標識のような物を持った姿。 そして最後の一体は巨大な鰐のような腕をした、4枚の羽を生やした妖怪の姿となった。 「あんたは夢月に似てるところがあるからねぇ、いろいろとやり辛いのよ。だから代わりに、こいつらに相手させるわ。  所詮は雑魚の集まりだけど、これだけいれば少しは戦い甲斐があるでしょ?」 「私と夢月が似てる? 何処が? 私のソウルはロックだけど、あんた等のソウルは壊れたオルゴールみたいな不協和音。  とても似てる要素なんて、あるとは思えないけどね」 「イッヒヒッ! 分からないだろうなぁ! サリエルの狗になった、あんたにはねぇ!」 「なっ!」 幻月の挑発に、反論しようとするエリス。 しかし猫の夢幻妖怪が上げた鳴き声によって、エリスの言葉は掻き消された。 その唐突な声に、エリスは猫の夢幻妖怪を警戒する。 そんなエリスの背後から、突如飛んで来る一本のナイフ。 エリスはその気配に気付き、ナイフをかわしながら攻撃の主の正体を確認した。 「!!」 だがそこにいたのは体に大量の喰い破られた穴を持つ人間と、噛み砕かれぐちゃぐちゃになった体を引き摺る人間。 どう見ても生きた人間の姿ではなかった。 しかもその二人に、エリスは見覚えがある。 二人は里に奇襲をかけた、幻月の配下のなれの果てだったのだ。 「…………ロックじゃない…」 その姿にエリスは、訝しげな表情を浮かべる。 そこへ更に増援が現れ、エリスへと襲いかかって来た。 増援達は口から上がなかったり、内臓が飛び出していたりと死んでいるようにしか見えない姿をしている。 そこからエリスは、猫の夢幻妖怪が死体を操る力を持っていると推理した。 「…………………………」 エリス一人に、大勢で襲いかかる屍の群れ。 しかしそんな屍達の攻撃も、エリスは華麗にかわし切る。 同時にステッキを取り出すと、次々と襲い来る屍達に身構えた。 「………!!」 ところが突然、何者かに脚を押さえられる。 何事かとエリスが下を見ると、そこには下半身のない屍が脚をがっちりと掴んでいた。 その隙に一斉に襲いかかる屍達。 だがエリスはステッキに魔力を送り、マイクスタンドのように変化させて声を張り上げた。 「てめぇら…全然ロックじゃねえ!!」 同時にぶんぶんと振り回したステッキにより、屍達は散り散りに吹き飛ばされる。 その間にエリスは脚を掴んでいる屍を、ステッキで何度も殴り引き剥がした。 しかし屍達は尚も立ち上がり、エリスに向かって来る。 するとエリスはステッキを元の長さに戻し、思いっきり空高く放り投げた。 空中で月明かりに照らされながら、くるくると回るステッキ。 それはやがて失速し、ゆっくりエリスの許へと戻って来る。 「ああ、いいよ。そんなに知りたいなら教えてやるさ」 そう言って、落ちて来たステッキを両手で受け止めるエリス。 それは宙を舞っている間に、星を模ったギターへと変化していた。 「ロックなソウルって奴をなぁ!」 そしてエリスは、ステッキが変化したギターを軽快に掻き鳴らす。 途端に辺りに広がっていくロックな旋律。 やがて旋律は音波となり、音波は弾幕へと変わっていく。 ギターにより奏でられた音そのものが、エリスの弾幕として解き放たれていったのだった。 「折角、私がワンマンライヴ開いてんだ。存分に楽しんでいけよおぉぉぉ!!」 音という広範囲に及ぶ弾幕に、屍達は逃げる間もなく粉々に消し飛ぶ。 更に続くエリスの演奏が、辺り一帯を滅茶苦茶に破壊し尽くしていった。 銀に煌くピックが弦を弾く度に、木々は倒れ土は抉れ凄まじい衝撃が大気を揺らす。 それはまるで自分のステージを作り上げるかのように、エリスの周りを円形に削り取っていった。 だが夢幻妖怪達は、音波弾幕を打ち消しながら進んで来る。 それにエリスはどんどんギターを掻き鳴らし、密度をより高くした音波弾幕で対抗した。 「もっと熱く! もっと激しく! あいつのソウルを呼び覚ます程にロケンロー!」 真っ赤な瞳を輝かせて、より強くより多く音波弾幕を放出させる。 長い髪を揺らし放たれた大量の攻撃は、夢幻妖怪達に反撃する隙を与えず押し返していった。 しかしこれ以上暴れさせるものかと、ヒポグリフの夢幻妖怪は咆哮を上げる。 途端に視界が真っ暗になるエリス。 だがそれでも構う事無く、ギターを掻き鳴らし弾幕を放ち続けた。 「夜間の路地裏の暗さ、嘗めんなよ!」 止まらないエリスの弾幕のライヴステージ。 その攻撃に防ぎ切れなくなった猫の夢幻妖怪が被弾し、一瞬で消し飛んでいった。 飛び散った邪気はスペルカードに戻ると、幻月の許へと戻っていく。 更にヒポグリフの夢幻妖怪も、音波弾幕の嵐に撃ち落とされていった。 すると同時に能力の効果も消え、エリスの視界は回復していく。 それに調子付きエリスは牙をチラつかせながら、どんどん演奏を激しくしていった。 しかしただ自由に騒がせてくれる程、幻月は甘い相手ではない。 「ヒャッハー! ロケ………………ッ!?」 突然ぴたりと止まってしまう音。 それはギターだけではなく、声すらも出なくなってしまっていた。 どうしたものかと慌て出すエリス。 こうなったのには、何か原因がある筈だ。 そう考えキョロキョロ周囲を見渡すと、そこには6本腕の夢幻妖怪が地面に深々と標識を立てている。 その標識に描かれていたのは、騒音禁止のマーク。 エリスはすぐにその標識が、音が出なくなった原因だと察した。 「…………ッ! ……………………ッ!」 音が出せない事には、音波弾幕は使えない。 標識を狙うなら打ち消され易い通常弾よりも、接近戦の方が得策だろう。 エリスはそう考え、急いで標識を壊そうと6本腕の夢幻妖怪に向かって行く。 そんなエリスに、二人組の夢幻妖怪が襲いかかって来た。 エリスはギターを振り回し、二人組の夢幻妖怪に対抗する。 だが二人組の夢幻妖怪は攻撃をかわし、左右から斬撃を仕掛け挟み撃ちにした。 「………ッ!!」 鎌と爪に斬り刻まれ、鮮血を撒き散らすエリス。 更に上からは鰐の夢幻妖怪が、腕を大きく振り攻撃を放とうとして来た。 この状況であんな一撃を喰らえば、一巻の終わりだ。 エリスはそう思い決死の覚悟で、鰐の夢幻妖怪の懐に入り爪で胸を貫いた。 「……!!」 途端に噴き出す大量の邪気。 エリスは溢れ出した、その邪気を浴びてしまう。 しかしエリスは怯む事無く、鰐の夢幻妖怪の心臓にあたる部位を引き摺り出す。 そして心臓を握り潰すと思いっきり蹴り飛ばし、標識にぶつけて叩き折った。 標識が折れた事で、エリスを縛っていた沈黙状態は解かれる。 同時に鰐の夢幻妖怪も、スペルカードへと戻っていく。 だが代わりにエリスは全身に、どす黒い邪気を被ってしまっていた。 「……はぁ……はぁ……はぁ…………」 邪気はエリスの体に粘り付きながら、徐々に傷口へと近付いて行く。 そのまま体内に入り込み、体を乗っ取ろうとして来た。 ところが邪気がエリスの血液に触れた途端、頬のタトゥーが光り輝く。 すると一瞬で浄化され、邪気は次々に消滅していった。 「………はぁ……私のロックを……止めたいなら……幻想郷を埋め尽くすだけの邪気を用意して来な!」 そう言ってエリスは幻月を指差す。 その破れた服の隙間からは、全身に刻まれたタトゥーを覗かせていた。 「……どうしてそんな、くだらない事したのかしらねぇ」 「こいつは私が二度と悪に染まらない為に、激痛に耐えて入れた決意の証!  あんたの邪気なんかで、私を染める事は出来やしないさ!」 「それはお互い様。あんたの全身の体液を流し込んだ浴槽に浸かったところで、私を浄化する事は出来ないわ。  でも本当に残念よ。邪気を受け入れて狂ってしまえば、私の配下として最高の快楽を味わえたのに」 「誰かのいいなりになるなんざロックじゃない! ましてやあんたの部下なんて、死んでもお断りだね!」 「じゃあ死んでみる〜?」 幻月の言葉と同時に、二人組の夢幻妖怪がエリスに襲いかかる。 それに反応してエリスはギターを弾き、音波弾幕を放ち反撃した。 しかし二人組の夢幻妖怪は小柄な方が盾になり翼で弾幕を防ぎ切ると、大柄な方が鎌を投げエリスを斬り付ける。 更にその隙に6本腕の夢幻妖怪が標識を投げ、エリスを後ろから串刺しにした。 「……が……ああ……」 腹を貫かれて、エリスはぐったりとその場に崩れ落ちる。 それを見て幻月は、夢幻妖怪達をスペルカードに戻し回収した。 すると標識も一緒に消えた事で、空洞となったエリスの腹から大量の血液が流れ出す。 その血は周囲の邪気を浄化しつつ、どんどん辺りを赤く染め上げていった。 「そこで見てなさい。あんたの大切な者達が、無様に死ぬところをね! ヒヒャヒャヒャヒャヒャッ!」 それだけ言って、幻月は夢月を連れて里へと入っていく。 「………………………………待て………行かせて…堪るか………」 その後ろでエリスは傷口を押さえながら、幻月を止めようと必死に手を伸ばしていた。 幻月と夢月は、ゴーストタウンと化した里の中を歩いて行く。 当然、中には人っ子一人いない。 だが里中に刻まれた魔法陣が蒼く輝き、まるでイルミネーションでもされているかのようだった。 「さ〜て、夢月。私はサリエルが出て来たところを同時に、ぶち殺してやるのが面白そうだと思うんだけど」 「姉さんがそう言うなら、そうに違いないわ」 「つまんない回答ね。ちったあ気ぃ利かせた事でも言ってみろや!」 そんな事を言いながら、幻月は気味の悪い笑みを浮かべて魔法陣を見る。 「そこまでよ!」 ところがそこへ響いて来る何者かの声。 同時に空に無数の隙間が開き、妖怪が次々に飛び出して来た。 やがて里の上空には大量の妖怪が集まり出し、里を歩く幻月達に大勢で殺気を向ける。 その様子に興味を示し、幻月は空中の妖怪達を目指して飛んで行った。 それに夢月も後を追い掛けて、里上空へと飛び上がっていく。 するとそこには幻想郷の錚々たる面々が顔を連ねていた。 「よくも私の幻想郷で暴れ回ってくれたわね」 「妖夢に手を出しておいて、ごめんなさいじゃ済まさないわよ」 境目に潜む妖怪、八雲 紫。 華胥の亡霊、西行寺 幽々子。 「幸い太陽は隠れている。咲夜の仇、取らせてもらうぞ」 紅い悪魔、レミリア・スカーレット。 レミリアの妹、フランドール・スカーレット。 紅魔館の門番、紅 美鈴。 「早苗に手を出すとは、余程私等と喧嘩がしたいらしいな」 妖怪の山の神、八坂 神奈子。 守矢神社の土着神、洩矢 諏訪子。 天魔と、その配下の天狗と河童数百人。 「こんな時だし、手を貸してあげてもいいわよ?」 天界に住む天人くずれ、比那名居 天子。 龍神の伝言者、永江 衣玖。 月の永遠のお姫様、蓬莱山 輝夜。 蓬莱の薬屋、八意 永琳。 「火事と喧嘩は地獄の華ってね!」 旧都に住む山の四天王の一人、星熊 勇儀。 同じく山の四天王の一人、伊吹 萃香。 その鬼二人に連れられて来た、旧都の鬼達数十人。 灼熱地獄跡の火車、火焔猫 燐。 核炎の地獄鴉、霊烏路 空。 古明地 さとりの妹、古明地 こいし。 幻想郷中の様々な妖怪が、この地に集まって来ていた。 「あ〜らら、随分と大勢でまぁ」 「貴方が噂の三幻想の一人ね。強大な力を秘めているようだけど……果たしてこれだけの戦力相手に何処までやれるかしら?」 紫は自信に満ちた表情で、そう挑発的な言葉を呟く。 相手は幻想郷創設時に噂になった、強大な悪魔だ。 確かに強敵ではあるが、あの頃の幻想郷と今では戦力が違う。 全力を出せるよう、式の八雲 藍に弱い妖怪は地底に避難させている。 万全は期した。抜かりはない。 そんな自信からか、紫は強気に出ていた。 一方で幻月は、その言葉に耳を傾けず天狗達をじっと見ている。 そして大きな溜め息を吐くと、夢月に鴉天狗達の方をツンツンと指差し合図を送った。 「汚物みたいな天狗がうじゃうじゃと……不快極まりないわ。夢月、代わりにそこらへんの全部片付けといて」 『!!』 「分かったわ、姉さん」 そう言って夢月は、妖怪達に向かって戦闘態勢を取る。 それに周りの妖怪達は、明らかに不機嫌そうな顔をした。 これだけの妖怪を相手に、一人で挑もうなど完全に嘗め切っている。 しかもあんな簡単な理由でともなれば、不快な事極まりない。 幻月と夢月の態度に、苛立ちを見せる妖怪達。 すると突然そんな二人を取り囲むように、死蝶の大群が飛び始めた。 「あまり……嘗めない方がいいわよ。今日の私は機嫌が悪いの」 死蝶を放ったのは、白玉楼に住む亡霊である幽々子。 彼女はいつものおっとりした雰囲気は何処へやら、明確な殺意を持って幻月達を睨み付ける。 その表情は、とても普段の幽々子からは想像出来ないものだった。 しかし幻月は、それを見てにやりと笑う。 まさかこの状況でも、まだ余裕があると言うのだろうか。 そう考え警戒する妖怪達を余所に、幻月はいきなり手を伸ばす。 そしてなんと死蝶を掴むと、そのまま素手で握り潰してしまった。 「えっ!?」 「そんな馬鹿なっ!」 「…………………」 あまりにも予想外な行動に、茫然とする幻想郷の妖怪達。 そもそも死蝶に触れれば、人間も妖怪も関係なく死ぬ。 それを握り潰すなど、まずありえない光景だ。 だが幻月は周りの反応などお構いなしに死蝶を口に放り込むと、ぱりぱりと音を立てて食べ始める。 やがてべーっと舌を出すと、不快そうに夢月の方へと振り返った。 「不味い」 「天ぷらにして食べるべきだったわね、姉さん」 「今度、油がある時に飛んでたらそうするわ」 「…………おかしいじゃない!」 それに紫は、堪らず抗議の声を上げる。 死蝶に触って無事な者など、いる訳がないのだ。 絶対何か種がある筈なのだが、口に放り込んだのは説明しようがない。 仮に魔法で直接触らないようにしていたとしても、噛み砕くのは不可能だ。 ならば一体どうやってと、紫は考え込む。 その様子を何を言ってるんだこいつはという表情で、幻月と夢月は眺めていた。 しかしどんなに考えても、死蝶を素手で触る方法は浮かんで来ない。 遂に紫は、抗議の矛先を幽々子へと向け始める。 「ちょっと! 幽々子あんた手ぇ抜いたの!?」 「そんな訳ないじゃない! 珍しく本気だったわよ!」 「じゃあどうして死蝶で死なないのよ!」 「死ぬ訳ないでしょ〜?」 『!!』 そんな二人に幻月は、ケロっとした声で応えを出した。 「私達、夢幻の存在に幻想の能力は通用しない。あんた達が例え永遠を操れようが死を操れようが  あらゆるものを破壊出来ようが、私達にそんなものは効かないのよ。残念でした〜♪」 「……は、はったりよ!」 だが紫は、幻月の話を信じようとしない。 もしそれが本当なら、境界を操る自身の力も通用しない事になる。 そんな事がある訳ない。自分に開けない境界など、ありはしないのだ。 紫はそれを証明するべく、境界を開き内側から殺そうとする。ところが 「!!」 紫によって開かれた、幻月と夢月の生と死の境界。 そこに存在していたのは、無数に蠢く邪気の集合体だった。 「何よ、これ……」 幻月と夢月の内側には、大量の邪気が溢れているだけで何もない。 境界を弄って殺そうにも、その境界すら存在しないのだ。 例え邪気の奥に本体があろうとも、邪気が濃過ぎてそこまで能力では入り込めない。 無理に突っ込もうとすれば、逆にこちらが邪気に蝕まれてしまうだろう。 幻月と夢月には特殊能力の類は一切通用しない。 その真相は邪気という、実体のない体の為。 禍々しい気そのものである幻月と夢月に、死も時間操作も精神攻撃も効く筈がない。 通常の弾幕や物理攻撃で、邪気をすべて取り払うしか二人を倒す方法はないのだ。 「…………ただでさえ厄介なのに……こんな事が……」 いくら三幻想と云えど、境界を操れば勝てない相手などいる筈がない。 そう考えて勝負を挑んだ紫の思惑は、脆くも呆気なく崩れ去る。 しかしこちらの戦力は、幻想郷屈指の実力者を集めた最強の布陣。 能力が通用しなかったところで十分な戦力であるという自負が、紫を後押しし前進させた。 「貴方が強いのは分かってるわ。でもこっちも実力者揃いかつ、この人数! 計算上、力を上回るだけの数があるわ!  ちょっとばかり強いからって調子に乗ってると、後で吠え面掻く事になるわよ!」 「うわ〜この狸、小者臭〜い。夢月、他の雑魚はよろしくね。私、こいつ虐めたくなった」 「分かったわ」 それに心底楽しそうに、気味の悪い笑みを浮かべてはしゃぐ幻月。 そんな彼女の言葉を受けて、夢月は二つ返事で他の妖怪達に向かって行った。 その夢月の前に立ち塞がるのは、幻想郷の名立たる実力者達。 彼女達は自分達を甘く見た事を後悔させるべく、夢月に次々と襲いかかっていった。 「お嬢様の手を煩わせるまでもありません!」 一方からは美鈴が 「大天才の作った素晴らしい新薬の、被験者第一号にしてあげるわ!」 また一方からは永琳が 「はん! 身の程知らずが! 神に逆らうと、どうなるか教えてやる!」 別の方からは神奈子が 「威勢がいいのは大歓迎だが、一体この人数相手にどうする気だい!?」 更に別の方からは勇儀が向かって来る。 四方から迫る、強大な力を持った幻想存在達。 だが夢月は落ち着いた様子で、両手から邪気を噴き出させた。 邪気は噴き出した勢いで細長く伸びていき、徐々に纏まり形を成していく。 やがて二本の巨大な鋏の形になると、夢月は両手を邪気に変え鋏に合う大きさにして握った。 「斬ったり貼ったり斬ったり貼ったり……姉さんの願いを叶えるのは、本当に大変ね」 そう言って夢月は、襲いかかる幻想存在達に身構える。 徐々に迫って来る四つの攻撃。 それがあと一歩でぶつかるところまで来ると、夢月は鋏を開き一気に四人の攻撃をかわし切った。 そのまま安全圏に入ったところで、そっと鋏を閉じる夢月。 そのがら空きとなった背中を四人が狙おうとしたその時、 『な、なんじゃこりゃあああぁぁぁぁ!?』 四人は自らに起きた異変に気付き、叫び声を上げた。 突然響き渡った大声に、他の妖怪達も一斉に四人を見る。 それは誰が見ても異常だと気付く程の、凄まじい光景だった。 「……ああぁ……お、お嬢様………」 美鈴は鼻があるべき場所に、勇儀の角が生えている。 更に右腕は肩から先がなくなり、代わりに御柱が肩から出ていた。 「こ、これは……こんな症例……見た事が……」 永琳は両腕の代わりに、肩からは脚が生えている。 その上、額には目玉が一つ余分に付いていた。 「……こんな事が………ま、まやかしだ!」 神奈子は右目の部分から、人の腕が生えている。 しかも両脚がなくなっており、何故か御柱が脚になっていた。 「………一体、何がどうなって……」 勇儀は額と左胸から、腕が一本づつ生えている。 尚且つ自分自身の両腕も、左右逆にくっつけられていた。 「………………………………」 そのおぞましい光景に、周りの妖怪達は口を閉ざす。 夢月が何かしたのは間違いない。 しかしどういう能力なのか読めず、効果もあまりにも異常すぎる。 それは攻撃を見ていた妖怪達の心に、得体の知れない恐怖を植え付けるには十分だった。 一方で能力を受けた当人達は、怖がってばかりもいられない。 こんな体では戦闘はおろか、日常生活にも支障をきたす。 四人は夢月に向かって、大声を張り上げ抗議し始めた。 「な、何をしたの! 今すぐ元に戻しなさい!」 「…………斬ったり……貼ったり……」 「ふざけるな!」 「ふざけてなんかいない。私は貴方達の体を斬り取って、代わりに他のものを貼り付けただけ。  姉さんは相手を絶望させて殺すのが大好きだから、私は生かさず殺さず抵抗出来なくさせるだけの戦い方が得意なの。  今までも姉さんを楽しませる為に、いろいろやって来た。だからいちいち、元がどうだったかなんて覚えちゃいないわ。  そもそも貴方達も何処まで把握してる? 見た目では分かり辛くても、他の誰かになってる部分もあるかもしれないわよ?  例えばそっちの星の帽子の子の肋骨を、二本だけ注連縄の神様と入れ替えたのは気付いてる?  あと赤と青の服の人の大腸も、一部斬り取って誰かと交換したんだけど………誰だったかしら」 「なっ……」 「ああ、いい事を思い付いたわ」 そう言うと夢月は鋏を開き、四人にゆっくりと近付いて来る。 その表情は今までの無表情が嘘のように、裂けそうな程口元を吊り上げていた。 「もっとバラバラにしてみましょう。バラしてバラして、いろいろくっつけてみましょう。  他の妖怪達も皆バラバラにして、気の向くままに繋ぎ合せてみましょう。  きっと元より素晴らしい体が、出来上がると思うわよ…………フフフフフ」 夢月が里の上空で、大立ち回りをしているその遥か下方。 里の畑道を、エリスは腹を押さえて必死に歩き続けている。 あろう事か幻月達に、里への侵入を許してしまった。 このままでは計画が台無しになってしまう。 幻月達を追い掛けて、傷口を強引に塞いで歩くエリス。 「…………………早く……サリエル様を…」 「待たれよ」 だがそんなエリスの前に、陰陽師のような格好をした男性が立ち塞がった。 「地獄の者として貴公を行かせる訳にはいかぬ。この場で私の妖術に敗れ去るがいい」 そう言って男はエリスに身構える。 しかしエリスはにやりと笑うと、その男に向かって消え入りそうな声で言葉を紡いだ。 「最高のタイミングじゃないか。今までずっと、この時を待っていたんだろ? 神玉」 重傷を負っている事など臭わせない態度で、エリスは男に不敵な笑みを浮かべる。 だがその言葉を聞くや否や、男は肩を振るわせクククと笑い出した。 途端に男の姿が変わり、真っ赤なスカートの女性へと変化する。 その姿はまさにエリスの部下として動いていた女、神玉そのもの。 神玉はエリスを指差すと、見下した態度で口を開き出した。 「マジヤバくない!? あたしの変身に気付いたの、先輩が初めてだし〜!」 「馬鹿にすんなよ。騙すのは私の十八番さ。私だけじゃない。あんたの本性ぐらい、皆気付いてるよ」 「ふ〜ん。でもこの状況でマジどうするつもり? あたし先輩の事、フルボッコしちゃうッスよ?」 「こんぐらいの怪我、なんてこたぁないさ。かかって来な! 返り討ちにしてやるよ!」 「………何それ、マジムカつく〜」 すると再び神玉は変身し始める。 やがて現した神玉の姿は、巨大な陰陽玉のような形をしていた。 今の姿の神玉からは、凄まじい霊力が感じられる。 エリスはステッキを手に身構え、慎重に神玉の様子を窺った。 「我を返り討ちにする? 片腹痛い。そのような怪我で、我とどう戦うつもりだ。滑稽な奴め。  貴様等の配下となり従っていたのも、すべては貴様等を取り込む機会を窺っていたが為。  まずは貴様を取り込み、次は菊理を取り込んでやろう。我の糧となりその力、有効活用させてもらうぞ!」 そう言うと神玉は、四本の触手をエリスに伸ばす。 それを飛んでかわそうとするエリスだったが、すでにエリスが受けたダメージは戦えるレベルを越えていた。 痛みと出血で思うように飛べず、エリスはふらふらと地面に降り立つ。 そんなエリスを神玉はあっさり捕まると、触手を四肢に絡み付かせ思いっきり地面に叩き付けた。 「うぐっ! ……………あぐっ!」 更に神玉は何度もエリスを振り上げては、勢いよく叩き付ける。 エリスも必死に何かしてはいるものの、その攻撃からは逃れられずにいた。 次第に全身痣だらけになり、血塗れになるエリス。 それでも神玉の攻撃は、無慈悲にも続けられた。 「………………………………」 最早悲鳴を上げる事もなく、エリスはされるがままにやられている。 もう抵抗する力など、残されてはいないだろう。 そう判断した神玉は女性型に変化すると、横たわるエリスに近付いて行く。 そして無抵抗なエリスの腹を、思いっきり蹴り上げた。 「!!」 「どう? 思い知っちゃったかな〜? …………マジあんたさぁ、偉そうなんだよね〜。  悪魔のくせに、ずっとサリエルの傍キープしちゃってさぁ。マジウザすぎ。あんたがいるせいで、サリエル喰えないし。  でもあんたの能力、便利だし? その分あたしに取り込まれてから、尽くしてもらおうかな〜みたいな!」 そのまま神玉は、ぐったりとするエリスの腹を蹴り続ける。 神玉の蹴りが当たる度に、エリスの腹の穴からは鮮血が飛び散っていった。 いとも容易く行われるそのえげつない行為。 すでに体力も限界に近かったエリスは、次第に何の反応もしなくなっていった。 その様子を見て神玉は、悪戯っぽく笑う。 「ん? もしかして死んじゃった〜? マジ弱すぎ〜。ま、いっか。じゃあ早速その能力、いただこうかな〜?」 そう言って神玉は、エリスの頭へと手を伸ばし出した。 エリスは力無く横たわったまま、動こうともしない。 最早は勝敗は決した。自分の完全なる勝利だ。 「こんなリボンとか髪飾りとかしてさぁ、ダサいっつ〜の! あっははは!」 ところが神玉の手がエリスの頭に触れそうになったその瞬間、 「!!」 突然神玉はぴたりと動きを止めた。 違う。止まったのではない。 止められたのだ。 辺り一帯に張り巡らされた、無数の弦によって。 「な、何!?」 「………触んじゃねえ……」 動揺する神玉に、エリスは威圧するような声を発し起き上がる。 そしてふらふらとしながらも弦の一ヶ所に手をかけると、逆の手で花の髪飾りを掴み神玉をギロリと睨み付けた。 それはエリスが相手を殺す時にやる、ギターの弦を使った独自の処刑スタイル。 自身の能力により気付かれずに、一瞬で弦を張り巡らし拘束する技だ。 神玉は今までこの技に、多くの者が葬られて来たのを見ている。 故にすぐ、この状況が詰みだと察した。 「そんな………まだこんな余裕を残してたなんて……」 「こいつは私にロックを教えてくれた、大切な人に貰った物だ。あんたみたいな下劣な妖怪が触れていいもんじゃない!  ましてやこいつを馬鹿にするってのは、私の…あいつのロックを馬鹿にしたも同然! 覚悟はいいか、神玉!」 「ま、待って! まさかマジになっちゃってんの? じょ、冗談に決まってるじゃない……」 「笑えないジョークだな。それに私の下に就いて、何も学習しなかったのか? 私は一度敵と判断した相手に容赦しない」 「お、お願い……マジで反省してるッスから……」 「神玉、私はサリエル様みたいに優しくないんだよ。私にはあんたを殺さない理由がない。覚悟を決めな。  あんたに足りないものは、それは情熱思想信念技術決意華麗さカリスマ性! そして何よりも! ロックが足りない!」 その言葉と同時に、ピックで弦を弾くエリス。 途端に弦は震え出し、神玉を一気に締め上げていく。 それは神玉の体に深く食い込むと、一瞬にしてバラバラに引き裂いていった。 無数の肉片と化し地面に転がる神玉の骸を背に、エリスはぼそりと独り言を呟く。 「………ふざけやがって……こっちは化物相手に一戦やった後なんだよ? 余裕なんか………ある訳ないじゃん」 するとエリスは、その場にぐったりと倒れてしまった。 度重なるダメージで、すでにエリスの体は限界に近付いている。 これ以上の無茶は、本当に命に関わりかねない。 しかしエリスは、それでも立ち上がる。 己の信念を貫く為に、大切な者の願いの為に。 「…………頼むよ。私にあんたのロックを弾かせてくれ。まだ………倒れる訳にはいかないんだ……」 里上空で繰り広げられる戦いは、里を目指す霊夢達の目にも留まっていた。 「あれは…………紫!?」 幻月達と戦う無数の妖怪の気配。 それは霊夢達がよく見知った者達の気配だった。 だが幻月の発する力は、それらを遥かに凌駕している。 とてもじゃないが、紫達が勝てるとは思えない。 そこへパチュリーをおぶった小悪魔が、走って霊夢の近くを通り抜けていく。 「まずいですね……。このままじゃ全員殺される……」 小悪魔はすれ違い様にそう呟き、襲いかかる弾幕をかわす。 「そうは言っても、こいつらをどうにかしないと!」 霊夢はそれに応えつつ、飛んで来た鎌を弾き返した。 三人に襲いかかる邪気に覆われた妖怪は予想以上に強力で、霊夢達は苦戦を強いられている。 ただでさえ強敵なのに邪気に触れてはいけない為、常に距離を取りつつ戦わなくてはいけない。 しかも遠距離攻撃は邪気のせいで効き目が弱く、霊夢達はなかなかダメージを与えられずにいる。 里で戦いが始まり急いでいる時に、この相手は非常に厄介だ。 あまりにも悪い戦況に、霊夢も苛立ちを感じ始める。 その苛立ちは小悪魔に不満としてぶちまけられた。 「ちょっと! 幻月の事調べてたなら、何か対策法とか用意してなかったの!?」 すると小悪魔は霊夢に向かって、大声を張り上げる。 「今やってますよ! あと少し待ってください!」 見れば小悪魔におぶさるパチュリーは、頻りに口を動かし何かを呟いていた。 恐らくは上級魔法の詠唱。この状況を打破する為の必殺奥義。 霊夢はパチュリーのその行動を見て、直感的にそう感じ取った。 やがてぴたりと詠唱を止めると、パチュリーは小悪魔に合図を送る。 途端にパチュリーを降ろし、後ろに下がる小悪魔。 そして霊夢に手招きをすると、急いでパチュリーから距離を取り始めた。 「……………」 もしや広範囲に及ぶ強力な魔法で、一気に勝負をつけるつもりなのだろうか。 あの手招きは、此処にいると危険だという意味なのかもしれない。 小悪魔の行動の意図を察して、霊夢は指示通りにパチュリーから離れる。 その後ろから襲いかかる二人組の妖怪。 しかしパチュリーは二人組の妖怪の前に立ちはだかると、魔力を一気に解き放った。 途端に地面に浮かび上がる巨大な魔法陣。 同時にパチュリーが両手を掲げると、小さな太陽のような物が空中に出現した。 「力を…解き放て!『ロイヤルフレア』!」 パチュリーの攻撃宣言を受け小型太陽は拡散し、周囲に熱線をばら撒き始める。 そのまま二人組の妖怪を巻き込んで、辺り一帯を燃やし始めた。 膨大な熱線の嵐は、二人組の妖怪に取り憑く邪気を焼き払う。 だが邪気はすぐに再生し、再び二人組の妖怪に纏わりつく。 それを見るとパチュリーは更に魔力を注ぎ込み、どんどんその熱線を強大なものにしていった。 「ロイヤル…ロイヤルロイヤルロイヤルロイヤルロイヤルロイヤルロイヤルロイヤル…フレアァァーッ!」 目の前が真っ白になるほどの、凄まじい光の大暴走。 それは再生しようとする邪気を、本体の妖怪ごと焼き尽くした。 やがて熱線が治まったのを確認すると、霊夢と小悪魔は茂みから出て来る。 しかしやって来た二人が見たパチュリーの表情は、絶望に染まり青褪めていた。 「ど、どうしたの? 勝ったじゃない。殺しちゃったのはアレだけど、止むを得ない状況だったし…」 「……そうじゃないの。………詠唱に夢中で気付かなかったけど、里でレミィ達と幻月が戦ってるわ。時期に皆、殺される。  もう手遅れよ。今更行っても死にに行くだけ。……逃げましょう。何処か遠くへ…そうよ。地獄まで逃げれば何とか……」 そう言って霊夢の手を引き、パチュリーは道を引き返そうとする。 だがその手を振り払い、霊夢は背を向けたままのパチュリーに声を張り上げた。 「待ちなさいよ! 皆が戦ってるのよ!? 私達だけ逃げる訳にはいかないでしょ! 親友を見捨てて平気なの!?」 いくら敵わない相手だとしても、今も戦っている仲間を放っておく事は出来ない。 せめて逃げるなら逃げるで、紫達を止めなくては。 そうでなければ紫達は、無駄死にする事になってしまう。 そんな考えから足を止める霊夢に、パチュリーはゆっくりと振り返る。 その瞳には溢れんばかりの涙が、今にも零れ出しそうなほどに溜められていた。 「平気な訳ないでしょ!? でもねぇ! 此処で貴方が死んだら、幻想郷も外の世界もおしまいなのよ!  私だってレミィを助けに行きたい! でもその為に、すべてを犠牲にする事は出来ないのよ!」 するとパチュリーは霊夢の手を強く握り、地獄を目指して歩き出す。 パチュリーだって辛い中、幻想郷の為に頑張っている。 その想いと先程の悲しそうなパチュリーの目を見た後では、とても霊夢にはパチュリーの手を払い除ける事は出来なかった。 里で繰り広げられる戦いを見ていたのは、何も霊夢達だけではない。 「しかし困ったものよ。まさかこんなにも、あっさり死んでしまうとは……情けない」 地獄からずっと戦況を見ていた菊理は、敗北した部下二人の有様に嘆いていた。 「妾を狙っていた者共が、この程度の実力とはのう。妾も嘗められたものじゃ」 本来なら今頃サリエルの計画を阻止し、幻月を倒せていた筈。 なのに部下二人が弱いばかりに、サリエルの思惑通りに人間を誘導させられたどころか 幻月まで現れ妖怪という遊び道具を与えてしまった。 このままでは人間を、全滅させる事にもなりかねない。 斯くなる上は、自ら直接魔界に乗り込むべきか。 しかし地獄の者が無闇に動くのは、出来れば避けたい事でもある。 そんな事を考えながら、菊理は大きな溜め息を吐く。 そこへ刀を腰に差し、赤い着物を身に纏った者がやって来た。 「菊理よ」 「は、はひっ!?」 「…………どうやら私も動かねばならぬようだ」 里上空で鋏を手に暴れ回る夢月。 日食の放つ僅かな光が、その鋏を鈍く輝かせる。 そんな戦う夢月を見て楽しそうに笑いながら、幻月は茫然とする紫に話しかけた。 「どう? 私の妹は。貴方ご自慢の実力者達が、傷一つ付けられずにいるわよ」 「……嘘でしょ……」 幻想郷最強の布陣が、夢月を前に次々と戦闘不能に陥っていく。 あまりにも一方的な展開。 それもこれだけの人数を集めて尚だ。 しかも相手は二番手。まだ幻月は動いてすらいない。 だがそれでも未だ、まともにダメージすら負わせられずにいる。 これ程までに三幻想と幻想郷の者達の間には、巨大な壁があるというのか。 その圧倒的実力差に、紫の表情は徐々に絶望に染まりつつあった。 「紫!」 そこへ駆け付ける幽々子と、その弾幕である死蝶。 幽々子は死蝶を幻月に向けて、一斉に解き放つ。 同時に自身は幻月から、紫を守るように立ち塞がった。 「紫を殺らせはしないわよ」 「………幽々子……」 妖怪の賢者である紫が死ぬという事は、この悪魔に幻想郷の妖怪達が負けた事を意味する。 そうなれば幻想郷は、幻月の思うがまま。 それだけは何としても、避けなくてはならない。 それに紫は幽々子にとって、大切な親友でもある。 物理攻撃には強い自分が、何としても守らなければ。 そんな想いから幽々子は幻月の前に、両手を広げて立ち塞がったのだった。 しかし幻月は死蝶を手でしっしっと払い、全く攻撃として見ていない。 実際被弾してもその部分が邪気になるだけで、すぐに元に戻り再生してしまっていた。 「…………化物ね」 「妖怪が言うな。それにあんた達が弱過ぎるのよ。とりあえず片方は消しちゃってもいいわよね?」 「えっ?」 「鳥は嫌いだけど……私の言う通りに動くなら例外よ! 炎鴉『ザ・ムーン』!」 更に幻月は反撃と言わんばかりに、スペルカードを発動させる。 途端に金属のような羽を広げ、右腕に銃の取り付けられた夢幻妖怪が姿を現した。 夢幻妖怪は幽々子に照準を合わせると、弾幕を放ちその体を撃ち抜く。 それに幽々子が怯むと、続けて二発三発と撃ち込んでいった。 「ぐっ………あうっ!」 「幽々子!」 「……大丈夫よ。………私は亡霊だから……こんなものは……」 確かに亡霊である幽々子は、撃ち抜かれたダメージで消滅する事はないだろう。 だが直接的なダメージは効かなくても、精神面はそうもいかない。 口では強がっていても夢幻妖怪の弾幕に含まれた邪気の力が、幽々子の精神を少しづつ削り取っていった。 このまま耐え続けたら、幽々子の心が壊れてしまう。 それが分かっているからこそ、紫は必死に幽々子に止めるよう説得し出した。 「何してるの! 貴方このまま受け続けたら…」 「私の事はいいから! 紫は早く次の手を考えて! そうじゃなきゃ全員お陀仏よ!」 「……うぅ……」 「う〜ん、つまんないわね」 しかし幻月は退屈そうに、その光景を見つめる。 そして新しいスペルカードを手に取ると、発動させ夢幻妖怪を呼び出した。 「あいつ、殺しなさい。究師『ザ・サン』」 すると弓を手に持った夢幻妖怪が現れ、空に向かって矢を放つ。 その矢は空高く飛んで行き見えなくなると、無数の矢となって降り注いで来た。 紫達に襲いかかる、数百はありそうな矢の雨。 それを幽々子は、紫を庇うようにして全身で受け止めた。 「幽々子!」 紫の叫びも虚しく、幽々子の体中には次々と矢が突き刺さっていく。 そのうち数本は幽々子の体を貫通し、鏃を紫の目の前に飛び出させていた。 やがて矢の雨は止み、夢幻妖怪も姿を消す。 だが満身創痍の幽々子の瞳には、すでに光は灯っていなかった。 「……………幽々子? ねぇ幽々子! 返事をしなさいよ、幽々子!」 紫の言葉にも反応せず、ぐったりと力無く浮かぶ幽々子。 全身に突き刺さった矢から流れ出す邪気が、彼女の精神を破壊してしまったのだ。 その体は最早、亡霊としての実体を保つ事も出来ず魂へと姿を変える。 そこへ幻月は飛んで来ると、幽々子の魂を掴み上げ丸呑みにしてしまった。 「…………あぁぁ……」 「やっぱり不味いわね。油があったらよかったんだけど」 目の前で喰われた最愛の友人。 そのショックに紫は茫然と立ち尽くす。 何故こんな事になってしまったのだろう。 自分は幻想郷を守る為に、脅威と勇敢に戦おうとしたのに。 選択は間違っていない筈なのに、どうしてこんな事に。 しかし幻月はそんな紫の表情を見て、とても嬉しそうな笑みを浮かべる。 そのまま紫に顔を近付けると、薄気味悪い笑顔で言葉を紡ぎ出した。 「久しぶりね、八雲 紫」 「!! な、何を言ってるの!? 私は貴方なんて…」 「イッヒヒッ! 知らないのも無理はない。私が会ったのは、別の平行世界のあんただから」 「………何の……事……?」 「あの時はありがとう。私の思い通りに動いてくれて。無様に死んでいくあんた達の様は、じっくり見させてもらったわ。  でも夢幻世界の中で長年の間人の様を見続けて来た私に、ただの戦争じゃもう物足りない。  もっと凄惨な殺し合いを! 大戦争を! 一心不乱の大戦争を!  幻想郷中が血と屍に溢れかえるような大戦争が起きればいいのよ! ヒヒヒ……もう何度、想像した事かしら!  空中高く放り上げられたあんた達が、追撃弾幕でバラバラになった時なんか心が躍るわ!  悲鳴を上げて燃え盛る家から飛び出して来た人間を、片っ端から薙ぎ倒した時も胸がすくような気持ちだった!  パニックに陥った人間が、既に息絶えた妖怪を何度も何度も刺突している様なんか感動すら覚える!  泣き叫ぶ人間達が、敵司令官の振り下ろした掌と共に撃ち出される弾幕にバタバタと薙ぎ倒されるのも最高よ!  哀れな人間達が雑多な武器で……健気にも立ち上がって来たのをぉぉ! ああああ圧倒的な力でえぇぇぇぇ!  ふふふふん粉砕ししした時はあぁぁぁ! ぜっぜぜヒヒャヒャヒャヒャッ! あああああ! ああアアああアあ!  ……………………………………………………ふぅ……絶頂すら覚えたわ」 「……な、何なのよ……貴方……」 「ヒャッハハハッ! 平行世界はいいわ! 様々な可能性を持ったあんた達を、思う存分殺す事が出来る!  ある時は低級妖怪共を凶暴化させ、ある時は死んだ妖怪をゾンビ化させる!  私が直接手を下さなくても、殺す方法なんていくらでもあるのよ! ………………でもこの世界の幽香には失望したわ。  別の平行世界には私の力を受け入れ、強大な力を手に入れた幽香もいるって言うのに。  まぁその結果元の人格は完全に壊れて、他者を傷付ける事でしか満たされない戦闘狂になるんだけどね〜。  でもよっぽど、そうなった方が幸せだったと思うわよ? そこまでいくと、もう私との契約の事なんて忘れちゃうし。  純粋に自分の意思で、殺戮を楽しんでると思い込んでる。本当は私の操り人形に成り下がったとも知らずにね。  何も知らずに幸せに破滅するか、すべてを知って絶望して破滅するか。はたしてどっちが幸せだったと思う? ねぇ、幽香」 そう言って幻月は、大木と成り果てた幽香を見る。 そして紫の方へ振り返ると、日食のような怪しげな瞳を光らせて話しかけた。 「さて……夢月も頑張ってるし、そろそろ私もちょっとだけ力出しちゃおっかな〜。だって私の戦争は此処では終わらない。  まず魔界に逃げた人間達を嬲り殺して、次は外の世界よ! 幻想郷をぶち壊して外の世界で戦争を起こすの!  そして私は理想郷を創り出す! 私達が幸せになれる、素晴らしい理想郷をねぇ!  幻想郷という微温湯に浸かり切ったあんた達には、この理想の素晴らしさは分からないでしょうけど!」 空の日食をバックに、幻月は両手を大きく広げる。 その姿を見て訝しげな表情をする紫。 それを見ると幻月は、気味の悪い笑みを浮かべて自らの理想を語り出した。 「私の理想郷は人間だけの王国。あんた達、妖怪の居場所はない。私はその世界の頂点に君臨し続ける。  すべての人間は、私の為に存在するの。私が殺したいと思った時に死に、生きる限り私の為に働き続ける。  とっても幸せな理想郷よ。朝は人間が惨たらしく殺される、断末魔の叫びで目を覚ます。  朝ご飯は、その殺された人間よ。家族の前で貴方の大切な家族は私の為に死にましたって、見せ付けながら食べるの。  午前中は人間が拷問に苦しむ様を見て、のんびり寛ぐわ。もし気に入らない奴がいたら、見せしめに嬲り殺してあげる。  お昼は飢えに苦しむ人間達の前で、美味しそうな御馳走を頬張るの。  我慢出来ずに飛び出して来た人間は、私がミンチに変えて人間達にプレゼントしてあげるわ。美味しいお肉ですよってね。  午後は必死に醜く生きようと努力する人間達を見に、ドライブに出掛けるわ。  そんで一生懸命食べ物を作ろうと畑を耕す人間の目の前で、畑を滅茶苦茶にしてやるの。  特に食べられるようになる直前がいいわ。あともうちょっとってところで、全部台無しにしてやるのよ。  帰ったら夕ご飯ね。小さい子供が食べたいわ。親の前でまだ善悪の区別もつかないような、幼子を食い殺してあげるの。  でもこんな事ずっとしてたら、人間が足りなくなっちゃいそうね。……………そうだわ!  私の国では子供をいっぱい作らないと、攫われちゃうってルールを作りましょ!  そんで攫った人間を目覚まし代わりに殺したり、ご飯にしたり拷問したりするの!  これなら人間はいなくならないわ。いっぱい殺しても次々に産まれて来る。キヒヒッ! 素晴らしいわ!  それじゃあ、お城も造りましょ! 殺した人間の骨を、夢月に繋ぎ合わさせて立派なお城を造るの!  私の部屋には人間の剥製を飾りましょ! 絶望に満ちた顔で死んだ人間の死相を、いつでも見られるようにしておくのよ!  でもきっと私に逆らおうとする人間も現れるわ。そういう人間は私が直々に公開処刑するの!  それも1日や2日じゃ終わらせない。徹底的に苦しめて、じわりじわりと何日もかけて殺すのよ!  きっと最期にはこう叫ぶわ。ああ、お願いします幻月様! どうか私めを早く殺して下さい! ………てさ。  で〜も……イッヒヒヒッ! まだダメよ! もっともっと傷め付けて、もう叫ぶ気力もなくなるぐらい苦しめるの!  それを見ていた人間達はどう思うかしら? 私に怯えて跪く? 崇拝して忠誠を誓う? それとも憎しみを募らせる?  ヒヒヒヒャヒャヒャヒャッ! ど、どれでもいいわ! 恐怖に震える人間の頭を踏み、そのままじわじわ踏み砕くのもいい!  私を神と崇める連中を、神の気まぐれとしてぶち殺すのもいい!  クーデターを引き起こし私を殺そうとした人間を、完膚なきまでに叩き潰し嬲り殺すのも最高よ!  あんたに理解出来る!? この素晴らしい理想郷が! すべての人間が私の為に生き死ぬ、最高に幸せな理想郷がよぉ!  イヒヒッ! ヒ、ヒヒャヒャヒャヒャヒャアッ! あああああぁぁ……想像するだけで気持ちいい……。  もっと、もっとよ。もっと私を気持ち良くして! ヒャアァーハハハハハハァーッ!」 それはあまりにも異常で狂気染みた理想。 その幻月の理想論に紫は歯を食い縛り、強い殺意と嫌悪の眼差しを向ける。 この悪魔を野放しには出来ない。 これはもう幻想郷だけの問題ではなくなっている。 そう考え紫は取り出した標識を手に、幻月へと真っ直ぐ向かって行った。 「そんな事させるもんですか!」 「それは幻想郷を壊されたくないから? それとも外の世界に大切な人がいるから?」 「えっ」 だが思いもよらぬ幻月の言葉に、紫はぴたりと止まってしまう。 まさかこの悪魔は、何もかも知っているというのだろうか。 言い知れない恐怖を抱く紫に、幻月は首をカクカクと玩具のように動かし始める。 そしてグキリと折れてるとしか思えない程首を曲げると、甲高いキンキン声で喋り出した。 「オ気ノ毒デスガ、再ビ歩ケルヨウニナルノハ不可能カト……」 「!!」 その言葉に紫は目を見開く。 同時に背中をじっとりと嫌な汗が流れ出した。 何故なら幻月が言おうとしている事は 「運ガ悪カッタト思ッテ諦メルシカ……」 「………やめなさい……」 紫にとって 「貴方ガ気ニ病ム必要ハナイワ。アレハ事故ダッタノ……」 「……やめなさいよ……」 もっとも思い出したくない… 「イイノヨ、メリー。受ケ入レタカラ。奇跡ヤ魔法デモ起コラナイ限リ、モウ…」 「やめろおおぉぉぉぉおおおおおおぉぉぉぉぉ!!」 途端に大声を張り上げる紫。 その額には冷や汗がどっと噴き出しており、呼吸は荒く目は血走っていた。 紫は充血した眼をギロリと向けて、幻月を睨み付ける。 普通の人間だったら、逃げ出すか腰を抜かす恐ろしい形相。 それを笑いながら眺めている幻月に、紫はヒステリックな叫び声を上げた。 「何なのよ………あんた、一体何者なのよおぉぉ!」 「キヒヒッ! 夢よ。タダノ夢。それをあんたが恐れるのは、あんたにとっては『悪夢』だから」 「あ、悪夢…!?」 幻月の言葉に、紫は思わず聞き返す。 そんな紫に幻月は突然無表情になって、もの凄い早口で淡々と喋り出した。 「ダメね。やっぱり何も分かっちゃいない。でも説明するとすればそうねぇ、例えるなら私はパジャマ姿で坂を下っているす  れ違う人間はどれもこれも生きているのか死んでいるのか分からないような顔をした者ばかりでも私は坂を下り続けていた  かぜも冷たくなってくると私は大きな公園に着くそこには大道芸人達が死んだ魚のような目をして滑稽なショーを開いてる  わそれを見る人間達も死んだような顔でただただそのショーを見続けているそんな時私に向かって暴言を吐く輩がいたすが  たは見えないけど声のする方向は分かる私は声の主を殺してやろうと手に持ったコップを割り階段を駆け下り血塗れの手を  しきりに振って声の主を探そうとしたすると目についたのは高台に次々と登っていく男達の姿わたしはこの男達が一体なに  をしているのか気になり列に並んで見る事にした徐々に頂上が見えて来て私の番が近付いて来るするとこの男達は頂上から  飛び降りている事に気が付いた私はそれを見てこの男達は力が欲しくてこんな事をしているんだなと悟ったその様子を黒い  目と髪の女が手首をぐるぐる回しながら観察している私は時間も遅くなったので洞窟に入り家に帰る事にした私が坂を上っ  て家に着くと私の妹も丁度帰って来たところだった私は嫌な予感がして家に入るのは止めた方がいいと言うでも妹は変な事  を言わないでと言って家に入っていってしまった仕方がないので私も自転車を手に中に入っていくすると真っ暗な部屋の中  ネットに繋がれたパソコンからの光だけに照らされた誰だか分からない少女がいたパソコンには血のように真っ赤な目をし  ガリガリに痩せてて病的に白い肌をして顔中に黒い斑点があるポリゴンが表示されているその少女は私達の姿を確認するや  いなや手に持った包丁を振りかぶり私の妹を…」 「五月蝿い黙れ!」 その幻月の話を、紫は大声で叫び遮る。 話の内容は、さっぱり分からない。 ただ話を聞いていると、とても気分が悪くなってくるのだ。 普段の紫なら、こんな事でいちいち取り乱したりはしないだろう。 しかし今の紫には、冷静に対処出来るだけの余裕はなかった。 最早、完全に幻月の手の上で踊らされている。 荒い呼吸を繰り返す紫を見て、幻月はショーでも見ているかのように笑う。 紫はその表情に苛立ち、我武者羅に幻月へと向かって行った。 だがそれは最悪の手。 得体の知れない相手に対して、無謀な特攻が自殺行為なのは言うまでもない。 しかし今の紫は、完全に冷静さを失っている。 幻月は手に取ったスペルカードを発動させ、そんな紫の攻撃を待ち構えた。 「渇雄『ジャスティス』!」 現れた夢幻妖怪は、向かって来た紫の一撃を鎌で受け止める。 そのままツインテールを揺らしながら鎌を振り、紫を弾き飛ばしてしまった。 更に無防備になった紫に、鎌を両手で持って構える。 途端に鎌からレーザーが放出され、追撃を紫に叩き込んだ。 「うぎああぁぁ!」 レーザーは凄まじい威力を誇り、紫に一撃で瀕死の重傷を負わせる。 最早、戦う力も気力も失い里へ落下していく紫。 だが幻月は更に痛めつけようと、魔力を手に集め落ちて行く紫に襲いかかろうとした。 「姉さん」 ところがそこへ夢月が声をかけ、幻月の攻撃を中断させる。 それに幻月は頬を膨らませて、不満そうに振り返った。 「何よ、折角いいところだったのに! 空気読めよ、クソビッチ! …て何、何回も殺されてるのよ」 「…………こっちは終わったわ」 そう言って夢月は後ろを流し目で見る。 そこには無数の妖怪が滅茶苦茶にくっついた、異様な塊が浮かんでいた。 その正体は夢月の能力により全身滅茶苦茶に繋げられた、かつての幻想郷の精鋭達。 もう以前のような戦闘能力はなく、ただ不気味に蠢いているだけだった。 しかし幻月は強大な魔力の熱線を放って、その塊を消し飛ばす。 そのまま熱線は博麗大結界にぶつかり、結界に大きな穴を開けた。 傷付いた事で博麗大結界は、自身の修復能力で穴を塞ぎ始める。 それに構う事無く幻月は夢月の方を見て、はっきりとした口調で声を出した。 「0点。可愛くない」 「仕方ないわ。素体が可愛くないもの」 「それもそうね」 そんな事を言いながら、幻月と夢月は日食の下で立ち尽くす。 するとそこへ6枚の翼を持つ女性が、里から飛び上がり幻月達の前に立ちはだかった。 「幻月! 貴方の野望もこれまでです!」 それは三幻想の一人、サリエル。 里の人間達に幻想郷からの避難を呼び掛けた、魔界に住む天使だ。 彼女は6枚の純白の翼を美しく羽搏かせ、真っ赤な瞳で幻月を睨み付ける。 だがそんなサリエルを見ると、幻月は退屈そうに口を開いた。 「で、あんた何がしたいの? 死にに来たの? さっき負けたばっかりだってのに」 その言葉にサリエルは、苦笑いを浮かべる。 同時にゆっくりと剥がされる頬のシップ。 そこには星型の真っ赤なタトゥーが刻まれていた。 途端にサリエルの翼から、無数に抜け落ちる漆黒の羽根。 それは空中を華麗に舞いながら、サリエルを覆い隠すように飛び始める。 やがて内側からの魔力により羽根が一斉に飛び散ると、そこにいたサリエルはエリスへと姿を変えていた。 これこそがエリスの持つ特殊能力。 一度見たものになら、何にでも化けられる能力だ。 この能力を使い、エリスはサリエルとして里に潜伏していた。 しかし幻月はボロボロのエリスを見ると、眉間にしわを寄せ始める。 「やっぱりあんたは騙せないか」 「当たり前でしょ? ところでどうしたの、その痣。私、そこまでやった覚えはないんだけど」 「気にすんなよ。どうせあんたは、お構いなしに襲って来るだろ?」 「私が甚振ってやろうと思ってた相手を、他の奴にやられたのが気にいらないのよ。  それに今のあんたは簡単に死んじゃいそうで、あんまりやる気が起きないわ」 そう言うと幻月は欠伸をし出した。 どうやらすでに幻月は、エリスには興味がないらしい。 それにエリスはにやりと笑うと、ステッキをマイクに変え大声を張り上げた。 「そいつはよかった! こっちも時間稼ぎがしたくてねぇ! でもそれも、もう必要ない!  長らく待たせたね、観客諸君! これからはロックなライヴが始まる! さぁ呼ぼう! 最高にロックなアーティストを!」 エリスはその言葉と同時に、元気よくマイクを振り上げる。 途端に空に広がっていた日食は、一気に蒼い月の夜空へと変わり出した。 すると里に描かれていた魔法陣が、月の光に応えるように蒼く強く輝き始める。 幻月はそれを見ると、熱線を放とうと里に向かって右手を開いた。 その手は突如伸びて来た弦によって、動きを無理矢理止めさせられる。 「やらせないって言っただろ。そこで大人しく見てな」 弦を放った主は、勿論エリスだ。 彼女が幻月の動きを封じた一瞬の間に、里の魔法陣は凄まじい閃光を放ち出す。 その光は空に向かって伸びて行き、里の中央に光の柱を作り上げた。 「さぁ出番だ! あんたのロックなソウル、響かせてくれよ! サリエル様ぁ!」 光の柱は徐々に細くなっていき、やがて弾け飛び消滅する。 その弾け飛んだ光の中から、美しい女性が姿を現した。 まるで女神のようなその女性、サリエルは瞑っていた瞳をゆっくりと開く。 その瞳は月のように透き通った、美しくも慎ましい蒼い瞳。 サリエルはそんな蒼い瞳で、じっと幻月を切なげな表情で見つめた。 「………もう、何年ぶりでしょうか」 「いちいち覚えてないわ」 三幻想のうちの二人の対面。 幻想郷の規模を超越する強者同士の出会い。 それは周囲の空気を凄まじい霊力と魔力によって、そこにいるだけで痛みを伴う程に張り詰めさせた。 だがそんな空気の中を物ともせず、夢月は鋏を手にサリエルへと向かって行く。 しかし夢月の前に突如エリスが、ステッキをマイクスタンドにして立ちはだかった。 「無粋な事すんじゃねえよ!」 同時にエリスはステッキを振り、夢月を思いっきり吹き飛ばす。 夢月は攻撃そのものは鋏で防いだものの、攻撃の勢いにより魔法の森へと落ちていった。 エリスはそれを見るとサリエルに向かって、親指を立てて無事を祈る。 それにサリエルがコクリと頷くと、エリスは夢月を追って森の中へと飛んで行った。 残されたサリエルと幻月は、お互いに見合ったまま動かない。 そこには実力者同士だという事以外にも、別の特別な理由があった。 やがてこの状況に飽き飽きしたのか、大きく溜め息を吐く幻月。 すると彼女は血走った目をギョロリと見開き、闇のような瞳でサリエルを見ながら言葉を紡ぎ出した。 「それにしても……里の人間を逃がすなんて、随分酷い事してくれるじゃない。私の楽しみなのよ? 知ってるでしょ?  知らない筈ないわよね? 知ってるでしょ? 知ってるでしょ? 知ってる筈よ? 知らない筈ないわよね?  私の楽しみなのよ? 知ってる筈よ? 知ってるでしょ? 知らない筈ないわよね? 知ってる筈よ?」 「………貴方にこれ以上、罪を犯してほしくなかったのです。  里の人達とエリスには無理を言いましたが、それでも貴方にもう人を殺めてほしくなかった」 「罪? 私がいつ悪い事をしたって言うの? 人を殺める? それの何が悪いの?  問題点を指摘するならまず問題点が問題である証拠を提示し問題点が問題であり修正するべき問題である定義を問だ…」 「お願いです! ………………魔界に帰って来てください。そして共に罪を償うのです」 「だから私は罪なんか犯してないって言ってるでしょ? それになんで、あんたが償うのよ。訳分かんない。  分かんない。分かんあんい? わんあかんい? かんあいわんあひ? キッヒヒヒヒッ!」 頭を掻き毟りながら呟く幻月の壊れた言葉に、サリエルはそっと悲しそうに目を瞑る。 その瞳から真っ赤な涙が零れ落ちると、サリエルは瞳を開き幻月に向かってこう叫んだ。 「私が償うのはあの日、貴方を助けられなかった……間違った道を進む貴方を止められなかった罪です!  共に帰りましょう! そして罪を償って、また一緒に暮らすのです!  私の最愛の娘、ザラキエル!!」 一方で魔法の森へ飛び立ったエリスは、夢月と死闘を繰り広げている。 閉じた鋏を振りかざし襲い来る夢月を相手に、エリスはギターに変化させたステッキで音波弾幕を放って応戦していた。 鋏が振られれば木が薙ぎ倒され、ギターが弾かれれば大地が削り取られる。 お互い小細工を使っているような余裕はない。 一瞬の隙が命取りになる。 その凄まじい攻防に、魔法の森は徐々に姿を変えていった。 そんな中で夢月は、感じていた疑問をエリスにぶつける。 「何故サリエルに従うの? 誰かのいいなりになるのは、嫌いだと言っていた筈よ」 「私がいつサリエル様のいいなりになった! 私は誰にも支配されない! いつだってロックなんだよ!  サリエル様はロックな御方だ! 私はそのソウルに惚れて、ファンになっただけさ!  ファンだったら悲しむとこなんか見たくないだろ!? だから私はサリエル様の側近になった!  泣き虫なサリエル様を泣かせない為に、あの御方にいつまでもロックでいてもらう為に!  サリエル様が誰かを裁く事に涙するなら、代わりに私がそいつを殺す!  私が返り血を浴びる事でサリエル様が自分を責めなくて済むなら、何百人だって元仲間だって殺してみせる!  忠誠じゃない! 私はただのファンとして、私があの御方のロックを聴いていたいっていう私個人の欲で  あの御方と共に戦ってる! 私は誰の命令にも従わないさ! 私は私のロックの為に生きている!  ただ惚れた相手のロックを全力で守るのは、私のロックを貫く事でもあるんだよ!」 それにエリスは音波弾幕を放ちながら、自分なりの答えを叩き付けた。 飛んで来る大量の音波弾幕を、華麗にかわし続ける夢月。 その夢月が振り回す鋏を、すんでのところでかわすエリス。 激しい戦いは見る者を圧巻させるが、風は夢月に吹いている。 無理もない。すでにエリスは全身ボロボロで、本当はすぐに治療しなければ危険な状態なのだ。 「ぐっ……が…あ……」 もうこれ以上の戦闘は無謀に近い。 動き回ったが為に塞いだ腹の穴からも血を流し、エリスはその場に膝を突いてしまう。 最早、視界も歪み立っている事すらままならない。 だがそれでもエリスは、必死に夢月へと向かって行こうとした。 何が彼女をそうさせるのかは分からない。 しかし夢月にも、譲れない目的があるのだ。 夢月はゆっくりエリスに近付いていき、頭目掛けて無慈悲に鋏を振りかぶる。 もうこれまでか。そうエリスが諦めた次の瞬間、突然夢月は背後に向かって鋏を振り下ろした。 「………………」 一体何が起こったと言うのか。 今のタイミングで攻撃を外すなんてありえない。 ならば何故、態々外したのか。 そんな茫然とするエリスの視界に、粉々になった人形が映り込んだ。 人形は戦闘用にしては、やたら綺麗に愛らしく作られている。 その人形を作った人物に、エリスは心当たりがあった。 「………まさか……」 「五月蝿いわね。折角、最期の一時を楽しんでいたのに」 それは魔界の神にもっとも愛された娘。 大勢いる魔界人の姉妹の末っ子。 七色の人形遣い、アリス・マーガトロイド。 彼女は一言そう呟くと、エリスの様子を見て慌てて駆け寄っていった。 「!! 大丈夫!? エリス姉さん、怪我してるじゃない!」 「このぐらい平気さ。…………それより、まだ私を姉と呼んでくれるんだね」 「当たり前じゃない! エリス姉さんには、あんなに世話になったのに……」 「…………ははは、アリスだけだよ。私を姉と慕ってくれるのは」 「………ねぇ、こんな事したって何にもならないわ。どうせ幻月には敵う筈ない。せめて魔界に戻って少しでも…」 「らしくないじゃないか。力に屈するなんてロックじゃないよ。………それともアリスのロックは死んじまったのかい?」 「!!」 「……アンコール、聞いてくれないかな。アリスの……最高なロックを、もう一度聴きたいんだ……。頼むよ……」 「………………………」 エリスの思わぬ言葉に、アリスは驚き口を閉ざす。 そのままアリスはじっとしたまま、黙りこくってしまった。 その様子にエリスは苦笑いを浮かべると、ギターを杖代わりに立ち上がる。 「いや、いいんだ。無理を言って悪かったよ。やっぱり…」 「やるわ」 「……えっ」 ところがアリスは夢月の方へ振り返ると、真っ黒なグリモワールを取り出した。 グリモワールには錠ががっちりとかけられており、簡単には開けないようになっている。 その錠にアリスは魔力で作った鍵を差し込むと、振り向かずにエリスに話しかけた。 「その代わりお願いがあるの。魔法を使ってる最中の私を、絶対にエリス姉さん以外に見せないで」 「…………分かった。約束する」 「………悪魔の約束は絶対よ」 それだけ言うと、アリスは鍵を回す。 ガチャリという音を立てて、あっさりと外れる錠。 その瞬間、凄まじい量の魔力がアリスから放出され始めた。 それは普段のアリスからは、想像も出来ない程の膨大な魔力。 同時に真っ黒なグリモワールは、煌びやかな装飾の杖へと変わる。 それをアリスは空中で掴むと、夢月に杖を向け強い意志を持って身構えた。 「………まさか魔界に、こんな隠し玉があったなんて………姉さんに知らせるべきかしら」 「逃がさないわよ。私のこの能力は本来、秘密にしておくべきものなの」 そこへ飛び込んで来るエリス。 彼女は二人の間に立つと、漆黒の羽根を飛ばしアリス共々夢月から見えなくなる。 エリスはその羽根に包まれながら、誰にも聞こえないようにそっと静かに呟き出した。 「ほら、感じるかい? 最高にロックなソウルを持った奴は、まだこの世界にいるんだよ。  もう私には、あんたを生で見る事は出来ない。自分の体を通してでしか、あんたの演奏を聴く事は出来ない。  でもあんたのソウルが私の中にある限り、あんたのロックは私が死なせない。  だから……あと少しでいい。あと少し、私にアリスのロックを守る力を貸してくれ」 やがて羽根が一斉に飛び散ると、エリスは劇場のステージのような姿へと変身している。 そのステージはカーテンが閉められていて 中にいる筈のアリスは、瞳と杖の放つ光が僅かに隙間から覗かせる程度にしか見る事が出来なかった。 だが内側のアリスからは、マジックミラーのように外の様子が見えている。 そのアリスから見えるのは外の景色だけではなく、ボロボロの舞台裏の姿もはっきりと見えていた。 「エリス姉さん…………」 それはエリスの生命力が弱まり、舞台裏まで変身しきれていない証拠。 このまま変身し続ければ、エリスの命が危ない。 そう感じて止めようとするアリスに、エリスはスピーカーを通じて話しかけた。 『気にするな! 私は自分の意思で、こうして戦っている!  私の為を思うなら、余計な事は考えず最高のロックを奏でてくれ!』 「…………限界だと感じたら、すぐに変身を解いてよ!」 『OK! 最高のライヴ、期待してるよ!』 悪魔の約束は絶対、自分でも言った魔族のルールだ。 こうなったら何を言っても、今更やめる事はしないだろう。 そう考えアリスは、エリスの言葉を信じ杖を構える。 そして強大な魔力を放出させると、杖の先の宝玉を美しく輝かせ始めた。 「私にもポリシーがあるわ。戦いは常に知的に行わなくてはならない。力で圧倒する戦い方なんて、もっての外。  いつ如何なる時も相手より少しだけ上の力で、人形を華麗に操りギリギリの勝負を優雅に演出する。  それが私の戦いにおけるポリシー。でも貴方と戦うには、人形では力不足。だから奥の手を使わせてもらうわ。  貴方より少しだけ上の力、具体的に言えば幻想郷最強クラスの秘奥義。今まで封印して来た七色魔法。  これで貴方の相手をするわ。でもそれには此処は戦い辛い」 途端にアリスの周囲、数十m程の大地が宙に浮かび上がる。 そのまま三人を乗せて上がっていくと、ある高さでくるりとひっくり返り天地逆さまの戦場となった。 逆さまの戦場に立つ三人からは、上に幻想郷が広がり戦場の下に空があるように見える。 また戦場の床はいつの間にか市松模様のタイルに変わっており、その規則的な並びはある物を連想させた。 「……………なるほど。貴方にとって知的かつ優雅に戦える戦場……」 「チェス盤よ」 チェスはアリスが得意とするゲーム。 そして大勢の人形兵を操る、人形遣いの象徴といえるゲームでもあった。 更に空間が隔離されているので、周りの被害を気にしないで戦える。 まさにアリスが全力で戦う為の特設戦場という訳だ。 そんな盤上のアリス側のキングのマスには、エリスのステージが占拠している。 そのステージの中にいるのはアリス。この戦いにおけるキングだ。 しかしチェスをするのならば、駒がなくては話にならない。 するとアリスはカーテンから杖を持った手だけを出し、杖の宝玉を紫色に輝かせた。 「本当は、この能力は一生使うつもりはなかった。  この力が必要な状況が今までなかったし、何より…………七色魔法は少しばかり野蛮で醜い」 途端にステージのカーテンの下から、一斉に伸びる4本の鎖。 それは幻想郷から切り取られたこの空間の壁に向かうと、空間を突き抜け何処かへと伸びていく。 やがて4本の鎖は完全に伸び切ったのか、ぴたりと動きを止めると一気に巻き戻り始めた。 もの凄い勢いで戻って来た鎖は、空間の壁から抜け空中に解き放たれる。 その鎖を掴みながら、5人の魔界人が現れ床に降り立った。 「アリスが私達を呼ぶなんて……余程、質の悪い悪魔を相手にしていると見たわ」 一つ目の鎖に掴まって来たのは、真紅のメイド服を身に纏った女性。名は夢子。 「試合に呼ばれちゃ出ない訳にいかないわ!」 二つ目の鎖と共に現れたのは、ピンクの髪を結んだ女性。名はサラ。 「あらあら、今日は幻想郷への日帰り旅行かしら?」 三つ目の鎖に腰かけていたのは、にこやかな笑顔でセーラー服を着こなす女性。名はルイズ。 「此処は魔界じゃない。なら全力出して燃えても、いいのよね!?」 「……………………」 四つ目の鎖で二人同時にやって来たのは、黒い服の女性と白い服の女性。名はそれぞれユキとマイ。 アリスが呼び出したのは、5人の凄腕魔界人達。 彼女達はアリスの気配を感じステージの方へ振り返ると、それぞれ思い思いに口を開いた。 「アリスに呼ばれたのはいいんだけど……なんであんたがいるのよ」 『五月蝿い! アリスのライヴを見ていいのは私だけ! あんた達は場外から、僅かに聞こえる音色で満足しな!』 「…………感じ悪いわねぇ」 「エリス姉さんも夢子姉さんも、今は喧嘩してる場合じゃないでしょ?」 『……ごめんなさい』 「それで態々あんなに嫌っていた七色魔法を使ったって事は、相当なピンチと判断してもいいのよね?」 「相手はあの夢月よ。普段の私の戦闘力じゃ、一撃で殺されてしまう。……………でも戦うわ。  あの悪魔は魔界が創り出してしまった災厄。私達、魔界の者が逃げる訳にはいかないもの」 「うおおおおお! 燃えて来たぁぁぁ!」 「……………………」 「兎に角、力を貸して。チェスは兵がいないと、成り立たないの」 「お姉ちゃん達に任せなさい! アリスは絶対に守り切ってみせるわ!」 「お願い、姉さん達。せめて夢月だけでも倒さないと、幻想郷の皆に顔向け出来ないわ。魔界の落とし前、つけるわよ」 その言葉に5人は、誇らしげに夢月に身構える。 アリスに頼まれたら、断る理由なんてありはしない。 可愛い妹の頼み事、叶えてやらない訳にはいかないと5人はやる気になっていた。 だが夢月は相変わらずの無表情で、魔界人達の様子を眺めている。 アリスは強力な魔法を使えるようだが、肉体面は外見相応の力しかない。 一撃喰らわせられれば、この戦いに決着をつける事が出来る。 そう判断すると夢月は鋏を手にチェス盤の上を疾走し、一気にアリスのいるステージへと駆け寄っていった。 「チェスはキングを取られたら終わり。貴方を殺せばすべてが終わる」 「そういうルールでしょ!」 そんな夢月の前に、サラが立ち塞がる。 サラは足下に魔法陣を展開すると、無数の岩を作り出した。 その岩を自分の手に集め出すと、巨大なグローブのようにして手に纏わせる。 そして手を勢いよく振り上げ、夢月を押し潰そうと振りかざして来た。 「いきなりキングが取れると思わない事ね!」 岩で出来た巨大なグローブは、それだけでかなりの重量を持つ。 しかしサラは軽々と手を動かし、思いっきり振り降ろして襲いかかっていった。 それを夢月は後ろに跳んで、射程外に下がってかわしきる。 その眼前で巨大なグローブが床を叩くと、風圧で夢月の髪や服を激しくなびかせた。 「キーパーだけだと思ったら大間違いよ!」 更に床を叩いた衝撃で砕けた岩のグローブを、サラは球体状に集め出す。 途端に出来あがる巨大なボール。 それを勢いよく蹴り飛ばし、夢月目掛けてもの凄い速度で転がした。 「…………!」 不用意に近付き過ぎたのが仇となった夢月。 この距離ではボールを、かわしきる事は出来ない。 そのまま巨大なボールに撥ね飛ばされ、夢月の四肢は無残に折れ曲がる。 そして無抵抗のまま宙を舞い、地面にぐちゃりと音を立てて落ちた。 だが夢月は邪気へと姿を変えると、体を再構成し復活する。 全身が邪気で出来ている幻月と夢月は、通常致命傷になる攻撃でも邪気があれば再生出来るのだ。 故に一撃必殺の攻撃も、邪気に余裕があれば怖くない。 有限とはいえ、何度倒しても立ち上がって来るその姿はまさに化物だった。 そうは言っても再生直後は神経が完全ではなく、動き出すまでに数秒の時間がかかる。 そこへ空間の壁にぶつかって、跳ね返って来たボールが迫って来た。 「!! ……………………」 そのままボールの下敷きになり、夢月は再びぐちゃぐちゃになる。 サラはそのボールを足で止めると、思いっきり蹴り上げ一緒に飛び上がった。 しかし夢月は再び再生し、数秒遅れて攻撃を止めようと飛び上がる。 下方からサラに迫る、夢月自身とその鋏。 そこへサラはボールをヘディングで飛ばし、夢月に向かってボールを叩き付けた。 ボールは夢月を押し潰し、勢いよく床に落ち四散させる。 「イエス! ハットトリック!」 その衝撃で舞い上がった砂埃に混ざって、サラは高らかに声を上げた。 そこへにっこりと笑いながら、ルイズが歩いてやって来る。 「サラ、脛毛剃り残してる」 「えっ!?」 ルイズがそう伝えると、サラは驚いてアリス達の許へ戻っていった。 「えっ、何処!? ちゃんと剃ったのに……」 「嘘よ」 「………へ?」 そんなサラに代わって、ルイズが夢月の前に立つ。 ルイズは張り付いたような笑顔のまま、復活した夢月に笑いかけた。 「貴方が噂に名高い、夢幻の悪魔ね。こんにちは」 「……貴方達、私に勝てるつもり? さっきは油断したけど、今度はそうはいかないわよ」 「……………なんか偉そうね。気に食わないわ」 するとルイズはうっすらと目を開き、夢月に冷たい眼差しを向ける。 同時に背後に無数の魔法陣を発動させ、自身の武器を呼び出した。 それは大量の紙飛行機、魔法陣から次々に飛び出しその場に浮かび上がる。 その紙飛行機の編隊を自身の周りに並べると、ルイズはにやりと口元を吊り上げた。 「旅行は好きかしら?」 途端にもの凄いスピードで、夢月に襲いかかる紙飛行機。 宙を舞い風を斬り裂き、まるでジェット機のように飛んで行く。 それに夢月は鋏を手にし、飛んで来る紙飛行機を次々撃ち落とす。 だがすべてを撃ち落とすのは無謀に近く、落とし損ねた紙飛行機が夢月の体を掠め傷付けていった。 「…………鬱陶しい」 その攻撃に表情を変えずに、夢月はぼそりと不快感を口にする。 これ以上、こんな相手に付き合ってはいられない。 夢月は二つのうち左手の鋏を、ルイズに向かって思いっきり投げ飛ばした。 「あらあら」 しかしルイズは高く飛び上がって、夢月の攻撃をかわす。 目標を失い床に深々と突き刺さる鋏を余所に、帽子を押さえゆっくりと落ちて行くルイズ。 そこへ飛んで来た大きな紙飛行機に飛び乗ると、紙飛行機から折り紙のミサイルを撃ち出し始めた。 見た目こそふざけているが、ミサイルは着弾すると本物同様爆発を起こす。 その爆撃の海を走り抜け、夢月はアリスに向かって行った。 「あら」 「行かせないわよ」 そう言ってアリスを目指す夢月の前に、夢子が立ち塞がる。 彼女が空中に魔法陣を展開すると、大量の剣が魔法陣から飛び出した。 その剣は一斉に落ちていき、床に突き刺さり立てられる。 それはまるで十字架の並べられた、墓場のような光景を作り出していた。 そのうちの一本を引き抜くと、夢子は向かって来る夢月に身構える。 徐々に狭まる二人の距離。 やがて至近距離まで夢月が近付くと、夢子は持っていた剣をレイピアに変化させる。 そして夢月を突き刺すべく、思いっきり突きを繰り出した。 「!!」 その唐突に変わった武器の射程に、夢月は慌てて鋏を盾に受け止める。 先程までの無表情は何処へやら、夢月の表情には明らかに焦りの色が見えた。 その隙に夢子は、もう片方の手で別の剣を引き抜く。 同時にレイピアを手放すと、剣はサーベルへと変わり出した。 夢子はそのサーベルを、夢月に向かって振り下ろす。 それを後ろに跳んでかわそうとするも、斬撃は夢月の腕を掠め斬りつけていった。 「……………………」 距離を取った夢月の腕からは、真っ黒な邪気が少しづつ流れ出している。 それまで自在に操っていたものと違って、ポタポタと普通の血液のように流れる邪気。 その傷は今までのダメージと違い、回復する様子は見せなかった。 だが夢子はそんな事は気にせず、サーベルを床に刺し新たな剣を手に取る。 すると今度はバルディッシュになり、夢子は長いリーチを活かして夢月に襲いかかっていった。 それに夢月は防御を固めて待ち構える。 ところがその一撃は非常に重く、鋏で守っていた夢月を思いっきり吹っ飛ばした。 「ぐっ…………」 夢子の一撃で宙を飛び、自分側の陣地へと落ちていく夢月。 彼女は鋏を邪気に戻すと、受け身を取って華麗に着地し立ち上がった。 そこへマイが翼を広げて飛んで来る。 マイは夢月に追撃をかけようと、両手を開き魔法陣を展開した。 「…………死ね」 その宣言と同時に魔法陣から放たれ、夢月の両隣りを走る冷凍光線。 それは一瞬で、巨大な氷の壁を作り出した。 氷の壁は数十mはあろうかという高さで、完全に夢月の逃げ道を奪う。 そんな夢月にマイは大量の氷弾幕を撃ち出し、回避行動を取らせず一方的に攻めようとした。 「……………………」 しかし夢月は無言で鋏を取り出すと、両手の鋏を振り回し氷弾幕を防ぎ切る。 それを見たマイは、弾幕を放ちながら後退し始めた。 途端にグラグラと揺れ始め、夢月に向かって動き出す氷の壁。 そのまま左右から挟み込むと、壁と壁で夢月をグシャリと押し潰す。 更に止めと言わんばかりに氷の壁は崩壊すると、氷の瓦礫と化し夢月を埋もれさせた。 「…………ってこれで死んでくれれば、苦労はしないのよね」 これ以上の追撃は無意味。 そう判断したマイは、氷の山を背にアリス達の許へ帰っていった。 その後ろでは氷の隙間から溢れ出した邪気が、夢月へと姿を変えつつある。 そんな後退していくマイとは対照的に、夢月に向かって行くユキ。 「どうしてそこでやめるのよ! そこで!」 彼女はすれ違い様にマイにそう言うと、拳に炎を纏わせて夢月に突き出した。 途端に拳から放たれる、凄まじい熱を帯びた火炎弾。 それは床に落ちるとバウンドし、ピョンピョン跳ねながら夢月に襲いかかる。 だが夢月は鋏を振り回し、火炎弾をすべて打ち消した。 しかしユキは更に拳を振り、次々と火炎弾を撃ち出し続ける。 その瞳には、とても強い熱意が込められていた。 「ダメダメダメダメーッ! 諦めたら絶対にダメ!」 絶対に諦めない不屈の意志。 それがユキに力を与え、とめどなく無尽蔵に火炎弾を放たせる。 だが夢月が鋏で攻撃を打ち消す為、攻撃は一向に通らない。 するとユキは空中に飛び上がり、上から火炎弾を飛ばし始めた。 上空から降り注ぐ火炎弾は、まるで流星のように夢月に襲いかかる。 しかしそれでも捌き続ける夢月に、ユキは魔法陣を発動させた。 途端にユキの全身から炎が噴き出し、彼女自身を火炎弾へと変える。 「周りの事、思いなさいよ! 応援してるアリス達の事、思ってみなさいって!  アリスだって魔力使いながら、夢月を倒そうって頑張ってんのよ!  ずっと攻撃し続けなさい! 諦めなければ絶対に勝てる! だからこそ!」 そしてユキは炎を纏ったまま走り出した。 全速力で夢月に向かって、真っ直ぐ止まる事無く突き進む。 その姿はまるで、燃え盛る炎の龍が襲いかかっていくかのようだった。 「ネバーギブアァァァーップ!」 そのまま夢月に突っ込み、自身の炎で焼き尽くすユキ。 轟々と燃える炎に包まれて、夢月の体は燃え尽きていった。 だがそれでも夢月は邪気となり、再生し元の姿に戻る。 それを見たアリスに、エリスはそっと話しかけた。 『司令官アリス、気付いてるかい』 「ええ、夢月は夢子姉さんの攻撃だけは再生出来ていない」 『そうさ、あいつらは刃物による攻撃に弱い。それが奴等の弱点だからね』 「……………という事は当然、向こうも夢子姉さんを警戒して来るわよねぇ……」 『さあ、どうする? 私はアリスの指揮通りに掻き鳴らすよ』 「…………邪気をすべて消し飛ばす、というのはどうかしら?」 『でも相手の邪気がどれだけあるかも分からない』 「倒せるなら何でもいいわ。夢子姉さんを主軸にするのは、攻撃が読まれ易く逆に隙を突かれかねない。  それより誰で攻めて来るか分からなくして、可能なら夢子姉さんに攻撃してもらう。  この方がダメージを与えやすい筈よ。多人数である事を活かさなくちゃ」 『さすがはアリス。じゃあそれで…』 「うぎゃああ!」 『!!』 そこへ聞こえて来るユキの悲鳴。 慌ててアリスが振り向くと、そこには夢月に鋏で貫かれたユキの姿があった。 夢月の鋏はユキの心臓を貫いており、最早助からないのは目に見えている。 しかしアリスはそれを見るや否や、杖の宝玉を青く光らせ始めた。 同時にカーテンの中で、禍々しく変化するアリスの姿。 体中が徐々に腐敗し、蒼く変色し腐臭を放ち出す。 それこそアリスが嫌った、七色魔法の持つ醜さだった。 「………まずは一人」 一方で夢月はもう動かないユキを投げ捨て、他の魔界人達へと向かって行く。 ただでさえ何度も復活する相手に更に一人やられた事で、魔界人達の士気は下がって来ていた。 高い再生能力に、一瞬の隙を的確に突いて来る俊敏性。 はたしてこんな化物に勝てるのだろうか。 だがそんな魔界人達の目に、アリスの放つ青い光が飛び込んで来る。 すると突然、何処からともなく巻き起こった炎が夢月に襲いかかって来た。 「!!」 予想外の攻撃に、夢月は反応出来ずにその炎を喰らう。 そのまま焼かれ崩れ落ちる夢月の後ろに立っていたのは、先程やられた筈のユキだった。 「…………やるじゃん、あんた」 「アリスのおかげよ。アリスが頑張ってくれてるから、私もこうして熱くなれるのよ!」 「……………いや、今のは蘇生魔ほ…」 「もっと! 熱くなれよおおおおおおおおおおおお!!」 「……………………」 「それにしても、まさか本当にこんな事が出来てしまうなんて……」 そう言うと夢子は、アリスのいるステージを見る。 すべては七色魔法の一つ、蘇生魔法の力。 肉体がある程度残っていれば、何度でも蘇らせられる魔界の最上級魔法の一つだ。 しかしアリスが凄いのは蘇生魔法だけの話ではない。 夢子達、魔界人を呼び出したあの召喚術。あれも最上級魔法の一つ。 本来なら最上級魔法など、一種習得するだけで精一杯。 ましてや一発撃てば忽ち魔力が尽き、二発目どころか他の魔法も撃てなくなるのが普通というもの。 アリスの凄いところ、それは七種の最上級魔法を七色魔法として自由に扱える事なのだ。 そのメカニズムとは魔法を発動させる時、よりその魔法に順応し発動しやすい体質へと変化する能力。 神綺が授けたこの能力により、あらゆる系統の魔法に適した体に自動的に変化し 結果、七種もの最上級魔法を自在に操る事が出来るのだ。 だが本人は変化した姿が醜いと言って、滅多な事では使いたがらない。 しかし一度アリスがやる気になれば、高い魔力の才能もあって無敵の陣営へとなるのだ。 相手も不死身に近い化物だが、こちらもアリスの蘇生魔法で余程の高火力技でない限りは死なない。 強大なサポート兼司令官の存在に、回復し高まっていく魔界人達の士気。 その様子に夢月は無表情のまま、鋏を開き次の手を繰り出した。 「殺せないなら無力化させるまで……」 そのまま一気に、魔界人達に突っ込んでいく夢月。 そして魔界人達に十分近付くと、鋏の能力を発動させて来た。 「……斬ったり……貼ったり……!」 それは里上空での戦いで使った、夢月のもっとも厄介な能力。 一度この能力の効果を受けてしまえば、まともな戦闘は出来なくなる。 だがアリスは、それに対しても杖を出して対抗し出した。 今度は宝玉を水色に輝かせて。 「!!」 すると夢月の鋏は一瞬で消し飛び、能力も発動されない。 これにはポーカーフェイスを気取っていた夢月も、目を見開き驚愕の表情を浮かべた。 決まれば自分自身にすら元に戻せない、一撃必殺に近い能力。 それがアリスの魔法によって、呆気なく破られたのだ。 信じられないといった顔で、夢月はアリスの方へ振り返る。 そこには相変わらず瞳と杖の宝玉だけを輝かせるアリスの姿が、ステージの暗闇の中に存在していた。 「まさか………浄化魔法まで使えるなんて」 「…………私じゃ幻月には敵わない。どうせ戦っても無駄なら、無様に足掻く必要もない。そう思ってた。  でもエリス姉さんは戦ってる。なのに幻想郷に住んでる私が諦めてたら、仕方ないじゃない!  せめて貴方だけは倒させてもらうわ。例え何の意味もなくても、私なりにやれる事をやってみる!  でもこれは私の我儘。我儘の為に、姉さん達に守ってもらってる。その為に姉さん達が死ぬなんてあっちゃいけない。  姉さん達は私が死なせちゃいけない! だから私が戦場に立ち続ける限り、誰も死なせないし狂わせないわ!」 「………………駒がどうにもならないなら、キングを討てばいいだけよ」 エリスがアリスと出会っていた丁度その頃、里の上空ではサリエルと幻月が向かい合っている。 強大な存在同士の対面、周囲には凄まじいプレッシャーが広がっていく。 その中でサリエルは、真剣な表情で幻月を見つめる。 しかし幻月はくだらないといった雰囲気で、サリエルを眺めていた。 「だ〜か〜ら〜、ザラキエルは死んだの。あんた、娘離れしなさい。気持チ悪イ」 「何と言われても引き下がりません。私は貴方を止めなくてはいけないのです。  貴方にこれ以上、罪を犯させる訳にはいきません」 その言葉に幻月は深く大きな溜め息を吐く。 同時に目を細めて、サリエルをじっと睨み付けた。 「分かんない奴ねぇ、今更遅すぎるのよ。ザラキエルは、とっくの昔に死んじゃったの。  そのあとに生まれたのが私と夢月。私に肩入れしたって、ザラキエルは戻って来ないわよ」 「…………貴方を助けられなかった事は、今でも後悔しています。あの日、もっと早く見つけてあげられれば………。  ですが私は、貴方を止めなくてはいけません。貴方は………二つに裂けてしまったザラキエルの心なんですから」 「そうよ。確かに私は元ザラキエル。半分の心の半人前よ。でもそれが何だって言うの?  今の私は幻月よ。あんたの守りたかったザラキエルじゃない。ましてや魔界の住人ですらないの。  あんたの言う罪を私が犯していたとしても、あんたにどうこう言われる筋合いはないわ」 「…………貴方は私の中では、今もザラキエルです。例え邪気に呑まれ正気を失っていても、大切な私の娘なんですよ。  罪は償えるのです。一からやり直す事は出来るのです。ですから一緒に罪を償い、もう一度…」 「それは偽善よ。あんたは私を救おうとする事で、私の犠牲になった者達を蔑ろにしてる。  大衆はあんたをどう思う? 私を悪だと言うのなら、それを守ろうとするあんたも悪。  結局あんたは自分勝手な理想で、魔界すべてを振り回してるだけなのよ」 「…………そうかも知れません。ですが最初は分かり合えなくても、時間をかければきっと………。  悪魔として私と敵対していたエリスだって、最後には私の理想に賛同してくれました。  偽善も貫き通せば立派な正義になるって………ロックだって、あの子は言ってくれました!  私は…………誰もが手を取り合える世界が来ると信じています。だから! 例え偽善だとしても!  すべてを…貴方を救いたいのです! ザラキエル!」 「出来もしない事を軽々しくとまぁ………あんたは何も分かっちゃいない。分かり合う事なんか出来やしない。  それでも自分の理想を貫きたいなら…ヒヒヒヒャヒャヒャッ! 殺し合うしかないわねぇ!」 すると幻月は、にやりと薄気味悪い笑みを浮かべて爪を尖らせる。 「もう茶番に付き合う必要はないでしょ? じゃあ始めましょ! 私はあんたを殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて  殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくて殺したくてウズウズしてるのよ!」 そしてサリエルへと一瞬で近付き、とんでもない速度で斬りかかって来た。 喉元を狙う幻月の爪、それをサリエルは杖を手に取り受け止める。 しかしそんなサリエルの瞳からは、血の涙が流れていた。 「………また……皆で楽しく笑い合う事は出来ないのですか?」 幻月の攻撃からは、狂気しか伝わって来ない。 もう彼女の中にザラキエルは存在しないのだろうか。 正気を取り戻す事は出来ないのだろうか。 そう感じ心を痛め、そっと涙を流すサリエル。 幻月はそんな彼女に、目にも留まらぬスピードで攻撃し続けた。 最早常人には、何回斬り付けたかすら分からない程の神速。 だがサリエルは涙を振り払い、それらの攻撃を素早く杖を振り回して防ぎ切った。 「………………ザラキエル……」 「あんた、好きよねぇ。なんなら相手してもらおっか? 愛しのザラキエルちゃんに。夢蠍『ザ・ワールド』!」 「ッ!!」 そう言うと幻月は、最後のスペルカードを発動させる。 途端に溢れ出す邪気により、姿を現す夢幻妖怪。 その姿はリボンで髪をポニーテールに縛っており、背中には6枚の翼をはためかせていた。 サリエルはそんな夢幻妖怪の姿を見て、驚き口を押さえ涙を流す。 しかし夢幻妖怪は邪気を放出すると、次々と別の夢幻妖怪を呼び出していった。 やがて27体の夢幻妖怪が、サリエルの前に姿を現す。 それらは幻月が合図を送ると、一斉にサリエルへと襲いかかっていった。 「………戦うしか……ないのですね」 邪気による攻撃は、サリエルとて致命傷になってしまう。 攻撃しなければ、こちらがやられる。 サリエルは断腸の思いで、杖を振り弾幕を撃ち出した。 その弾幕は無数のレーザーとして、サリエルの周囲から放出される。 今までのどんな妖怪のレーザーより、圧倒的に速く多いサリエルのレーザー弾幕。 それは6枚羽の夢幻妖怪に呼び出された、27体の夢幻妖怪すべてを粉砕し一瞬で全滅させた。 ところが一部のレーザーは、夢幻妖怪を貫通し幻月にも向かっていく。 それを見てサリエルは、咄嗟に叫び声を上げた。 「ざ、ザラキエル!」 だが幻月には、特殊能力は通用しない。 サリエルの方へ歯を見せて笑いかけると、幻月はデコピンでレーザーを弾き飛ばした。 弾かれたレーザーは、紅魔館や妖怪の山へと着弾する。 途端に被弾地周辺は吹き飛び、跡には土しか残っていないクレーターが出来上がった。 「………また……私達の争いに無関係な犠牲者が……」 その光景に涙を流すサリエル。 それを見て幻月は、にやりと笑って首をグキリと傾けた。 同時に自分が出した6枚羽の夢幻妖怪を、スペルカードへと戻し回収する。 そして首を元の位置に戻すと、サリエルに向かって口を開いた。 「やっぱりあんたには、こんな手加減弾幕じゃ通用しないわよね〜! あんたもそう思うでしょ? ………あっそう。  それにしても随分、長い間パソコンを弄っているわね。他にする事はないの?」 すると幻月は、自らの邪気を放出し始める。 途端に彼女の背後には、どす黒い闇のような邪気の塊が出来上がった。 それは幾つもの塊に分裂すると、様々な玩具へと変化し宙に浮かび始める。 幻月はその玩具を手に取り、サリエルに見せびらかすように突き付けた。 「さあ、遊びましょ! 何で遊ぶ!? 私はどれでもいいわよ! これがいい!? それともこっちにする!?  まずはこれがいいか! じゃあ遊ぶ玩具も決まった事だし、早速楽しい楽しい殺し合いを始めしょ!」 その言葉と同時に、幻月はサリエルに殴りかかる。 サリエルは杖でその一撃を防ぐも、衝撃で里へと叩き落とされてしまった。 そこへ幻月は手に持ったダイスを投げ付ける。 それを見てサリエルは、慌てて飛び立ち幻月の攻撃をかわしきった。 しかしダイスは地面に落ちると、巨大化していきサリエルよりも大きくなる。 途端に高く飛び上がり、サリエルを押し潰そうとして来た。 サリエルはすぐにその場を離れ、ダイスの一撃を飛んでかわす。 だがダイスはピョンピョンと跳ね回り、畑を滅茶苦茶にしながらサリエルを追い掛けて来た。 必死に畑道を飛び続け、サリエルはダイスから逃げ回る。 するとダイスは突然ぴたりと止まり、コトコトと音を立て始めた。 それにサリエルは何をしようとしているのかと、慎重に様子を窺う。 ところが突然箱が開くと、あっという間にサリエルの目の前に化物の頭が飛び出して来た。 突如至近距離に現れた、鉄で出来た緑の頭の化物。 その唐突な動きに、サリエルは驚き固まってしまう。 そこへ化物の右目から放たれる真っ赤なレーザー。 それはサリエルの頭に命中し、粉々に吹き飛ばしてしまった。 「あら〜? もう1ミス〜? あんまり弱いとつ〜ま〜ん〜な〜い〜。  せめて1000匹の鼠を潰して遊ぶのよりは、丈夫でいてもらわらわらわらわわわわわわわわヒャハハハハハッ!」 それを見て、里に降りて来て笑う幻月。つられて化物もケタケタと笑う。 「五月蝿え! アヒルみたいな声、出すんじゃねえ!」 しかし幻月に怒られると、化物は寂しそうにダイスに戻る。 そのまま徐々に小さくなっていき、幻月の許へと帰っていった。 一方で頭を吹き飛ばされたサリエルの体には、頭があった場所に光が集まっている。 やがて光が弾けると、サリエルの頭は元通り再生していた。 死を司り輪廻転生を操る天使、サリエル。 彼女には死という概念が、存在しないのだ。 故に不死。誰にも彼女に止めを刺す事は出来ない。 だが幻月は自分の右目に指を突っ込み、グチャグチャと音を立てながら気味の悪い笑みを浮かべていた。 「やっぱり死なないわね。まぁ、分かってますよ。分かってますから。貴方のせいで酷い目に遭った事、全部分かってます」 「…………何故ですか。こんな争いをしても、誰も救われないというのに」 「私は楽しい」 そう言うと幻月は、今度は数体の不気味な人形を取り出す。 「ほら、可愛いでしょ? あんた達も、あの腐った卵を頭から被った偽善者と遊んでやりな」 そして辺りにばら撒くと、人形達は勝手に動き出しサリエルの方へ近寄って来た。 カタカタと不気味な音を立てて、じわじわ迫り来るオレンジと紫の人形達。 一本足で器用に立ち、くるくる回ってやって来る。 それにサリエルは言いようのない不安を感じ、弾幕を放って人形達を撃ち倒す事にした。 「人の形をした物を壊すのは気が引けますが………止むを得ません」 途端にサリエルの周りから、大量のレーザー弾幕が放出される。 レーザーは素早く人形を撃ち抜くと、次々にその動きを止めていった。 弾幕が飛び交う度に、壊れた人形の数はどんどん増えていく。 それが一定量を越えると、幻月は人形の残骸を魔力で集め出した。 一ヶ所に集まった壊れた人形達は、少しづつ一つに合わさっていく。 サリエルが人形を倒す度に、徐々に完成に近付く人形で出来た巨大な人形。 それはやがて完成すると、不気味な金髪の少女の人形となり動き始める。 その巨大人形は二つに結んだ髪を揺らしながら、サリエル目掛けて弾幕を撃ち出して来た。 「なっ……」 弾幕は速くはないものの、巨大で尚且つ禍々しい力を放っている。 このままでは直撃は避けられない。 そう考え慌てて回避しようとするサリエルを、まだ動いてる人形達が左右から現れ動きを封じ出した。 「や、やめなさい!」 くるくると回りながら取り囲む人形達を、必死に杖で払うサリエル。 しかし人形達はとめどなく現れて、こちらの回避行動を邪魔して来た。 いくら死なないとは言え、苦痛を感じない訳ではない。 ましてやどんな効果を持った攻撃かも、分からない現状。 下手に喰らう訳にはいかないと、サリエルはレーザーで人形を吹き飛ばす。 そして慌てて弾幕の軌道から逃げると、サリエルは間一髪の所で弾幕をかわしきった。 「………はぁ……はぁ…………ッ!」 だが人形との戦闘で消耗しているサリエルに、巨大人形は更に追い打ちをかける。 瞳を不気味に輝かせる巨大人形。 途端にサリエルは、頭の中を掻き混ぜられるような凄まじい嫌悪感に襲われた。 「うぐ、あ……う……ひぐっ…うええええええええぇぇぇぇぇ……」 目の前がぐにゃぐにゃになり、思考が働くなる。 そのあまりの不快感に、サリエルは思わず嘔吐してしまう。 それでも何とか対抗しようと、必死に巨大人形に杖を構える。 しかし精神攻撃で錯乱していたサリエルは、レーザーを暴発させ自らの腕を吹き飛ばしてしまった。 「うぎゅ……ああああぁぁぁ!」 「キヒヒヒャヒャッ! おっかし〜! 自滅してるじゃない! ヒャハハハハッ!」 そのダメージも、すぐに回復するサリエル。 だが幻月はそれに構う事無く、次々と攻撃を仕掛けていった。 何を隠そう幻月はサリエルが死なない事を分かった上で、玩具を使って攻撃している。 本当は直接邪気で呑み込めば、簡単に決着を付ける事も出来る。しかし幻月はそれをしない。 何故なら幻月はサリエルを嬲り殺し、その苦しむ様を見て楽しんでいるからだ。 死なないので邪気さえ送り込まなければ、いくらでも嬲り殺せる。 人間にやればすぐ死んでしまうような攻撃も、サリエル相手なら手加減なしに思いっきりやれる。 まさに幻月からすれば、サリエルは格好の玩具。 「さぁ、次は何をして遊ぶ?」 最早それは戦いと言えるものでは、なくなっていた。 霊夢を守る為に、パチュリーと小悪魔は地獄を目指す。 すでに勝負を挑んだ幻想郷の住人達は全滅している。 幻月が霊夢に狙いを定めるのも、時間の問題だ。 霊夢が殺されれば、幻想郷は本当に終わる。 何としても逃げ切らなければと、パチュリーは焦っていた。 「でも地獄に行ってどうするの!?」 「菊理に匿ってもらう! 土下座してでも謝って必死に頼み込むのよ! 余計なプライドは捨てなさい! 相手は化物よ!」 「それでも断られたら!?」 「その時は詰みよ!」 もう幻想郷に安全な場所などない。 何処に隠れようとも、幻月は殺しに来るだろう。 こうなってしまった以上、最優先は霊夢を守る事。 その為には唯一幻月を倒せる、矜羯羅の懐に逃げ込むしかなかった。 「本当は犠牲が出る前に矜羯羅に動いてもらいたかったけど、そうしてくれるなら最初から苦労はしな……ッ!!」 その時、突然目の前に開く隙間。 隙間は霊夢達を、亜空間へ引き摺り込もうとして来る。 それを何とか回避しようと、隙間から逃げ出そうとする霊夢達。 だが隙間の吸引力は凄まじく、霊夢達は隙間の中に吸い込まれてしまった。 そのまま霊夢達は無数の目玉が見つめる、真っ赤な空間に投げ出される。 そんな彼女達の目の前に、ある妖怪が姿を現した。 「ゆ、紫! 貴方、生きて………」 それは里での戦いで、幻月に敗れた筈の紫。 あの戦場で運よく生き延びて、此処まで助けに来てくれたのだろうか。 そう思い霊夢達は、一瞬表情が緩む。 しかしそんな都合のいい展開が、起こる筈がないという事実に気が付いた。 確かに目の前にいる妖怪は紫に見える。 だがこいつは紫じゃない。 紫の見た目をした別の誰か。 そう、この霊力は昔感じた事のある… 「神玉!」 「まさか我が手負いの相手に敗れようとは。だがこの程度では我は滅びぬ。他の妖怪を取り込み、何度でも蘇るのだ!」 目の前の紫の正体、それは神玉だった。 里で何があったのかは、霊夢達には分からない。 しかしどうやら神玉が紫を取り込み、その体を乗っ取っているようだ。 里で出会った時は友好的だったが、今の神玉からは明らかな殺気を感じる。 それは捕食者が被食者に向ける、狙いを定めた獲物に放たれる殺気。 どういう心変わりかは知らないが、今の神玉は明確にこちらを狙って来ていた。 すると紫の腹が異様に膨れ出し、そこから四本の触手が生え始める。 その腹からは、神玉の本体と思われる気配が感じ取れた。 だが気配はどうも弱々しく、殆ど力が残ってないように感じられる。 先程の神玉の言葉も合わせると里で一度倒されており、紫の体を使い復活しようとしているのではと霊夢は考えた。 「我が完全に復活するには、まだ力が足らん。貴様等を取り込み、復活の為の生贄とさせてもらうぞ!」 どうやら霊夢の推理は当たっているようだ。 だからと言って、何か貰える訳ではない。 それどころか神玉は触手を伸ばし、霊夢達に襲いかかって来た。 霊夢達は慌てて触手をかわそうとする。 しかし此処は紫の能力内の隙間の亜空間。 方向感覚が掴み辛く自由に飛べずにいる間に、触手は素早く伸びて来て霊夢達を捕まえてしまった。 「ぐっ……こんな………」 「抵抗は無意味だ。大人しく我の一部となるがいい」 なんとか触手を振り解こうとする霊夢達だったが、触手は霊夢達の全身に絡み付きぐるぐる巻きにしてしまう。 これではさすがの霊夢達も、弾幕を放つ事も術を使う事も出来ない。 そのまま触手を引き寄せ、霊夢達を取り込もうとする神玉。 ところが小悪魔の姿を見ると、神玉は紫の顔でにやりと笑った。 「そうか貴様、悪魔か! 丁度いい! 悪魔の力には、手古摺らされたばかりだ! 手始めに貴様から取り込んでやろう!」 『!!』 そう言うと神玉は、小悪魔を捕まえた触手を一気に引き寄せる。 このままでは小悪魔が、神玉に喰われてしまう。 その様子にパチュリーは、悲鳴に近い叫び声を上げた。 「こ、小悪魔あああぁぁぁぁー!」 「…………パチュリー様」 だが小悪魔は決意を固めた真剣な眼差しで、パチュリーをじっと見つめる。 それを見てパチュリーは、はっとした表情を浮かべた。 「……小悪魔………貴方まさか……ダメよ! そんな事!」 パチュリーは小悪魔がやろうとしている事に気付き、慌てて止めようとする。 しかし触手で動きを封じられてる今、パチュリーにはどうする事も出来なかった。 そうしているうちにも、神玉は小悪魔を引き摺り寄せる。 やがて小悪魔が紫の腹に触れると、ずぶずぶとめり込み腹の中に吸い込まれていってしまった。 パチュリーはがっくりと肩を降ろし泣き崩れる。 ところが神玉は訝しげな表情を浮かべ出した。 「…………何だ、この力は。悪魔とは思えん程、弱い。拍子抜けだ…」 その瞬間、突如紫の腹の中で起こる爆発。 それは腹に穴を開け、辺りに鮮血を飛び散らせた。 「があっ! な、何が…………あの悪魔……自爆したな!」 小悪魔の眼差しの真意。 それは取り込んだところで魔力を爆発させ、神玉の本体を狙う作戦だった。 取り込んでしまえば小悪魔を、触手で拘束する意味がなくなる。 その完全に吸収されるまでの間に攻撃魔法を発動させれば、内側から本体を攻撃出来るという訳だ。 だが当然、自爆した本人である小悪魔は助からない。 それでもパチュリーを守りたいと、固めた決意の表れがあの眼差しだった。 「………くっ! 猪口才な!」 しかし神玉に大ダメージは与えられたものの、触手を放すにはあと一歩足らない。 これでは小悪魔の死が、無駄死にになってしまう。 せめてあと一発、当てられれば。 そんな霊夢達の想いも虚しく、神玉は身動き出来ない霊夢達を更に強く締め上げて来た。 「……ぐっ………ぁぁ……」 「二度も同じ手は効かんぞ! まずはこの場で息の根を止め、それからゆっくり取り込んでくれる!」 触手の力は凄まじく、ミシミシと全身の骨が悲鳴を上げる。 このまま此処で殺されてしまうのだろうか。 打開策のない状況に、霊夢達も諦めを感じ始める。 その時、境界の壁を突き破り丸い何かが亜空間に飛び込んで来た。 「なっ!」 「あ、あれは!」 その何かは高速回転しながら、神玉に突っ込み一撃を喰らわす。 先程のダメージもあって、大きく怯む神玉。 途端に触手の締め付ける力は弱くなり、その隙に霊夢達は触手を引き千切り自由となった。 霊夢達を助けた謎の物体。それは霊夢の前でぴたりと止まる。 そしてその緑色の甲羅から頭を出すと、霊夢に向かって話しかけた。 「お助け致しますぞ、御主人様!」 「玄爺!」 それはかつて霊夢が飛行術を身に付けていなかった頃、捕まえて足代わりに使っていた玄爺だった。 当時の霊夢は随分と、玄爺を扱き使っていた覚えがある。 それでも未だ慕っており、こうして助けに来てくれた事に霊夢は驚いていた。 「もうとっくに隠居してたと思ったのに……」 「何やら懐かしい気が多く感じられましたので、この玄爺めもじっとしては居れぬと参上仕りました」 「………でも助かったわ。ありがとう」 「礼は及びませぬ」 「お、おのれ亀めがっ!」 そこへ玄爺の攻撃のダメージから回復した神玉が起き上がって来る。 神玉は大量の弾幕を放って、霊夢達に襲いかかって来た。 すると玄爺は霊夢達の、一歩前へと飛び出て来る。 同時に頭を引っ込め高速回転すると、神玉の弾幕をすべて弾き飛ばした。 「な、何!?」 「さぁ、御主人様。今のうちに脱出しましょう」 予想外の展開に唖然とする神玉を余所に、玄爺は霊夢達を上に乗せると勢いよく飛ぶ。 「小悪魔、ごめんななななななぁ!?」 「ちょ、速っ!」 「儂の全速力は、この程度ではございませぬぞ!」 そのまま亜空間の彼方へと飛び去っていった。 残された神玉は、歯を食い縛り霊夢達の飛んで行った方向を睨み付ける。 「………我から逃げられると思うなよ!」 そして境界を開き中に入ると、霊夢達の近くに瞬間移動して来た。 「!!」 「この空間を操る力は、すでに我の物! 貴様等に逃げ場などないわ!」 突然現れた神玉に、霊夢達は驚愕の表情を浮かべる。 すでに境界を操る能力を、完全に自分のものにしているのか。 そう驚きながらも飛び続ける霊夢達に、神玉は攻撃を仕掛けて来た。 「御主人様!」 「任せなさい!」 霊夢達を乗せて飛んでいる玄爺は、戦う事が出来ない。 代わりに霊夢が結界を使い、巧みに攻撃を防ぎ切る。 「霊夢退いて!」 「!!」 「『サイレントセレナ』!」 そこに声をかけ、魔法を発動させるパチュリー。 霊夢が咄嗟に身を屈めると、その頭の上を光の矢が飛んで行った。 「ぐああっ!」 矢は神玉の両腕を貫き、そのまま境界を操る能力を封印する。 これでもう境界を移動し、追い掛ける事は出来なくなった。 あとは今この状況を、どうにかすればいいだけ。 パチュリーはそんな事を考えながら、詠唱を始め神玉に追い打ちをかけた。 「『エメラルドメガロポリス』!」 途端に出現する巨大な宝石の柱。 それは高速で飛ぶ神玉の目の前に現れ、道を塞ぎ出した。 突然、至近距離で飛び出した柱に慌て始める神玉。 だがこれをこの距離でかわし切るのは容易ではない。 そのまま曲がり切れず神玉が柱に直撃すると、同時に柱は崩壊し始める。 やがて完全に瓦礫と化した柱の残骸に呑み込まれ、神玉は亜空間の中に消えていった。 その様子を見て、ほっと一息吐く霊夢達。 しかし新たな問題が、霊夢達に降りかかって来た。 「で、此処からどうやって出るの」 「…………しまったわ。追って来れないように、能力を封じたのが仇になったわね……」 「それなら儂にお任せを」 だがその問題に、玄爺が自信に満ちた声を上げる。 そして頭と手足を引っ込めると… 「えっ………てぎゃあああああああぁぁぁぁぁぁ!」 高速で飛びながら、ぐるぐると回転し始めた。 その状況に悲鳴を上げる霊夢とパチュリー。 そんな二人とは対照的に、玄爺は久しぶりの活躍にノリノリで回っていた。 「行きますぞ、御主人様!」 「ままま待ってえれれれれれれれれれれれれ」 玄爺はそう言うと高速回転しながら、亜空間の壁へとぶつかっていく。 すると境界の壁を突き破り、幻想郷の空へと飛び出していった。 同時に玄爺が開けた空間の穴は、すぐに塞がり始める。 もう神玉も追って来れないだろう。 それに幻想郷に戻って来れた事も合わさって、玄爺とパチュリーは胸を撫で下ろす。 「ふう、これで一安心ですな」 「………………あんたねぇ………うっぷ」 しかし約一名、それどころではない者もいた。 「だ、ダメよ霊夢! 貴方、ゲロ巫女とは呼ばれたくないでしょ!?」 「…………そんな事言われ……ううっ」 「御主人様!?」 「大丈夫よ。落ち着いて落ち着いて………て亀! あんた前!」 「ん? ………あ」 更に追い打ちをかけるように霊夢達の前に現れた、何故か逆さまに浮かび上がる浮島。 どうやら境界を突き破り出て来た場所が、悪かったらしい。 今更曲がっても、もう回避は不可能だ。 第一、急旋回などすれば霊夢が別の意味で危ない。 何も出来ないまま直線していく玄爺。 やがて浮島に思いっきり、激突してしまう。 そのまま二人と一匹は、空中に投げ出され落下していく。 その視界には、白い巨人の姿が映り込んでいた。 霊夢達が見た白い巨人。 その正体は幻月が新たに出した、マシュマロから創り出した巨人だった。 巨人は高速で飛び回るサリエル目掛けて、泡を吐き出して攻撃する。 それを華麗にかわしながら、サリエルは巨人の周りをぐるぐると飛び続けた。 やがてサリエルは、巨人の眼前へと到達する。 「…………成仏なさい」 そしてそう呟くと、無数のレーザーを放ち巨人を攻撃し始めた。 レーザーは巨人の頭部に直撃し、何度も爆発を巻き起こす。 途端に巨人は爆散して、ドロドロの液体を辺りにぶちまけた。 「あう!」 その液体は、近くにいたサリエルにも襲いかかる。 べっとりとした液体に纏わりつかれ、サリエルは機動力を著しく奪われてしまった。 そこへ突如出現する弾幕の壁。 周囲を取り囲むその壁は、サリエルの前に一本の道を作り出す。 やがて一本道の向こうから、何やら聞こえて来る唸り声。 襲撃の予感にサリエルはじっと身構える。 だが現れた声の主は幻想郷でも魔界でも見た事無いような、とんでもない怪物だった。 「なっ……」 ピンクの体に裂けた巨大な口。 頭にひよこを乗せ、紫の羽を羽搏かせながら向かって来る。 その体から放たれる気は、完全なる無。 理性はおろか本能さえ、全く感じ取れなかった。 「あああ……」 大顎を大きく開き、サリエルに近付いて来る怪物。 びっしりと生えた牙が、徐々に迫って来る。 しかしサリエルにとって恐ろしいのは、見た目ではない。 それは心がないのに襲って来る、理解出来ない存在故。 その異質な存在にサリエルは戦慄を覚え、慌ててレーザーを放出し出した。 「!!」 ところが怪物はレーザーを受けても、全くの無傷で怯みもしない。 あらゆる者を殺し、成仏させる弾幕が何故。 だがそんな考えを嘲笑うかのように、怪物はどんどんサリエルとの距離を狭めて来る。 攻撃が効かないのなら逃げるしかない。 サリエルは慌てて後方に飛び立とうとした。 ところが先程の液体が、逃げようとするサリエルの動きを鈍らせる。 液体でべとべとになった翼は、思うように動かない。 そうしている間にも、怪物の牙は迫っていく。 最早、逃げ切るのは不可能。 絶望を感じ始めたサリエルに、怪物は容赦なくその牙を突き刺した。 「ああアあアアああアああアアあアあアアぁぁァぁァァ!」 バリバリと骨を噛み砕き、サリエルの血液を撒き散らす怪物。 その口から噛み千切られた肉片が零れ出し、遥か下の里へと落ちていった。 ぐちゃぐちゃのミンチ状となったサリエルは、その生命活動を止める。 すると怪物は小さな電動の玩具へと変わり、幻月の手の中に戻っていった。 怪物が消えた事で空中に投げ出され、里に落ちぐちゃりと飛び散るサリエルの残骸。 そこへ光が集まると、再びサリエルは復活した。 「………………あああああ……」 しかし肉体面は再生出来ても、精神面の衰弱は激しい。 これ以上こんな戦いを続ければ、サリエルの精神は限界を迎えてしまう。 だが幻月は、その様すら楽しんでいる。 そして今度は黒いぬいぐるみを取り出すと、サリエルの目の前に投げ幻月自身は姿を消してしまった。 「ヒヒャヒャヒャヒャッ! あんたが何処まで逃げ切れるか、じっくり見物させてお出口は右側となっております。  以上で本日の講義は閉まるドアに番号をお確かめの上暗証番号を入力してください。ピー」 何処からともなく聞こえて来たその言葉と同時に、黒いぬいぐるみは巨大化し始める。 それはサリエルよりも大きくなると、にやりと歯を見せて笑い出した。 そのままズルズルと体を引き摺りながら、ぬいぐるみはサリエルに迫り来る。 動きこそ鈍重だが、半開きのドロリと垂れた目が何処となく不気味なぬいぐるみ。 その姿を見てサリエルは得体の知れない恐怖に駆り立てられ、必死に杖を構えレーザーを放ち始めた。 「じょ、成仏なさい!」 放たれたレーザーは、綺麗にぬいぐるみを撃ち抜く。 途端にぬいぐるみはバラバラに飛び散る。 ところが飛び散った黒い綿は小さなぬいぐるみへと変化して、更にそれぞれ巨大化し増殖してしまった。 「……そ、そんな………」 数だけが増え、サリエルに襲い来るぬいぐるみ達。 次に残忍な殺され方をすれば、もう精神が持つかどうか分からない。 何をして来るのかは分からないが、用心するに越した事はないだろう。 そう考えサリエルは、ぬいぐるみから逃げ出す事にした。 「!!」 しかし逃げ込もうとした倒壊した家屋の裏から、新たなぬいぐるみが現れる。 それも一体や二体じゃない。 夥しい量のぬいぐるみが、家屋の陰から次々と飛び出して来る。 「…………………………」 最早、言葉も出ない。 まるで黄金色に輝く稲穂のように、辺り一帯を埋め尽くす黒一色。 そのすべてが幻月の放った、不気味なぬいぐるみなのだ。 前を見ても黒。 後ろを見ても黒。 左も右も黒。 上すらも黒。 逃げ場なんて何処にもない。 明らかに人数配分を間違えた鬼ごっこ。 完全に詰み。そう感じたサリエルの翼を、ぬいぐるみの一体がぎゅっと掴んだ。 「………ぁぁ……」 その手から伸びる黒い毛のような何か。 それは徐々にサリエルの翼に纏わり付き、黒で覆い尽くしていく。 途端に一瞬で黒に支配される翼。 すると今度は、体へと伸び始めた。 体中を這い回られる嫌悪感。 得体の知れない何かに侵食される恐怖。 それらに負け、サリエルは杖を使い自分自身を吹き飛ばした。 「…………はぁ……はぁ……」 三度再生し、里の中に姿を現すサリエル。 だが顔を上げたサリエルの目の前にいたのは、鼻の突き出た真っ白な顔だった。 もう訳も分からずに、サリエルはその顔に微笑みかける。 それに応えるように顔の主は極彩色の目を光らせ、牙の生えた口を開いてサリエルの頭を食い千切った。 再び頭を失い、サリエルは力無く崩れ落ちる。 しかし顔の主は追撃と言わんばかりに、頭の赤と水色の羽を揺らしサリエルの体に齧り付いた。 そのまま咀嚼音を立て、サリエルを喰い尽くす白い顔の主。 やがて完全にサリエルの体を食べ切ると、真っ黒な蛇のような体をうねらせて空へと飛んで行く。 その先にいた幻月は、やって来た白い顔の主の頭を撫でてやった。 「よしよし、あんた達よくやったわ。ところでモニターの前の人間さん。そう、そこの貴方よ。  チョットデイイカラ貴方、後ロ振リ向イテミナサイヨ。理由? 見レバ分カルワ」 幻月の言葉と共に白い顔の主は、車両玩具へと姿を変え幻月の許へ戻る。 同時にぬいぐるみ達も一つに集まり、元の大きさに戻って回収された。 玩具達をポケットに入れると、幻月はにやりと笑って遥か下の里を見下ろす。 そこにはやつれた表情で立ち上がる、サリエルの姿があった。 「さ〜て、あと何回殺ったら心臓はあんたはあんた? あんた誰? 壊れるかしら? 脳髄は話しかけた外の世界に  アメリカシロヒトリです。それまでたっぷり花冠でも作って私と同じリボンをした子がいたわ。お前がやったんだな?」 そう言って里に降りると、幻月は人の形をした粘土を飛ばす。 もう精神的に追い詰められていたサリエルは、その直撃を受けて倒れてしまった。 だが当然、幻月の攻撃がこれで終わる筈がない。 粘土は地面に落ちると、ゾンビのような姿となって起き上がる。 ゾンビ達はそのまま少しづつ、地面に倒れるサリエルへと迫っていった。 「あああああ!」 その光景に慌てて飛び起き、サリエルはゾンビ達から逃げようとする。 しかしゾンビ達の反対側にいるのは、他でもない幻月。 そしてその行動こそが、幻月の思惑通りのものだったのだ。 「!!」 幻月に近付いたサリエルの足を、何者かの手ががっちりと掴む。 それは幻月周辺の地中に潜んでいた、緑の髪のゾンビの手だった。 「ひ、ヒィッ!」 目に涙を浮かべて、サリエルはその手を振り払おうとする。 だがゾンビの力は思いの外強く、どんなにもがいても放してくれない。 そうしている間にも、少しづつ近寄って来るゾンビ達。 サリエルは恐怖から闇雲に杖を振り回し、ゾンビ達に抵抗しようとした。 「来ないで! 来ないでください!」 するとゾンビ達は、ぴたりと動きを止める。 その様子に願いが通じたのかと、一瞬サリエルは油断してしまう。 しかしそんな事は、当然ながらありえない。 油断したサリエルの肩を、突然ぽんと叩く何者か。 それに驚きサリエルが振り返ってみると、そこには幻月がにっこりと笑って飛んでいた。 幻月はサリエルの肩を両手で掴み、動けないように押さえつける。 そのまま大きく口を開くと、大量のゴキブリをサリエルの顔に向かって吐き出した。 「〜ッッ!!」 無数のゴキブリがサリエルの顔に飛びかかり、ぶつかっては飛び去っていく。 そのうちの数匹は、口の中にまで入り込んで来る。 あまりにもえげつない幻月のその攻撃に、サリエルはぐったりとその場にへたり込んでしまった。 もうサリエルの瞳には、戦う意志も抵抗する意志も見られない。 ただ以前の月のような透明感を失い、暗く淀んだ瞳が虚空を見つめていた。 「じゃあ……あんたともバイバイ! そしてさようならね」 そんなサリエルの胸座を掴むと、幻月は右手を邪気に変える。 邪気となった右手はサリエルの頭を掴み、そのまま頭の中へと入っていった。 最早サリエルは頭の中に入り込んだ、異物に反応する事すらしない。 それに幻月は、今まで見せなかったような真剣な表情をしてサリエルに囁く。 その瞳は闇の中で金色に輝きながらも、何処か冷たい眼差しをサリエルに向けていた。 「ねぇ、どうしてこんな事になったか分かる?」 「………………………」 「それはねぇ、あんたが弱かったからよ」 「…………私ガ………弱カッタ………カラ?」 サリエルの中でピシリという音がする。 「そう、あんたが仲間を裁く事から逃げたから」 「……………私ガ…………逃ゲタカラ………」 何度もピシリとなる音。 「あんたは人間に知識を与えた罪で堕天した。でもそれは事実であって真実じゃない」 それは段々大きくなり 「本当は仲間を裁く事に恐れをなしたから。自分の手が血に染まっていく気がして怖くなったから」 頭の中で強く響き 「あんたは優しいんじゃない。怖いだけ。誰かを傷付ける事で自分が赤く染まっていくのが恐ろしいだけ」 サリエルの中に広がっていく。 「だからあんたは偽善者なの。あんたの言う争いのない世界は、自分を守る為のものだから」 やがてガラガラという音を立て始め 「あんたが逃げ出さずに裁きを続けていれば、ザラキエルも死なずに済んだ。  あんたの身勝手で生み出され、苦しんで絶望して死んでいく事もなかった」 最後にガシャンという音を立てると 「ザラキエルを殺したのはあんたよ、サリエル」 「…………私ガ…………殺シタ………?」 「そう、全部あんたのせい。あんたがザラキエルを殺した。あんたがザラキエルを不幸にした。  そして私に殺される多くの人間も、あんたが私を生み出したせい。全部あんたが始まり。全部あんたが元凶。  ほら、あんたが大嫌いな罪がいっぱい。とっくにあんたの体は血塗れ。モウ何処ニモ逃ゲラレナイワヨ、サリエル」 「………………私ガ……私ノセイデ……………嫌アアアアアアアアアァァァァァァアアアアアアアアアアアァァァァァァ!!」 プツンと何かが切れ、すべてが闇に閉ざされた。 「…………………………」 その頃、逆さまの浮島で戦っていた魔界人達は目の前の光景に唖然とする。 「アリス……?」 何が起こっているのか分からない。 いや、厳密に言えば分かってはいる。 だが認識出来ない。 それがあまりにも非常識過ぎたからだ。 「…………………………」 カーテンの隙間から、緑色の光が見えたのが最後。 それから一秒も経たないうちに、夢月の体は細切れになった。 もうその先は何が何だか分からない。 ただ夢月が再生する度に、その体がバラバラになっていくだけだった。 「……………………」 先程、厳密に言えば分かっていると言った通り魔界人達には原因は分かっている。 普通に考えればありえない。 しかし戦場全体に漂うアリスの気配が、それが真実だと伝えていた。 「………………」 速い。 それも圧倒的に。 それも可視出来ぬ程のスピードで アリスは空を飛び回り、夢月に攻撃を繰り出していた。 「……………何よこれ……」 目の前にいるのに、全く見えないとはよく言ったもの。 最早、気配を感じなければ何処にいるのかも分からないような状態だ。 これも七色魔法の一つ。 アリスの言葉を借りるなら、プロモーションという奴だろう。 やがてアリスは杖を赤く光らせて、夢月目掛けて上空から一気に落ちていく。 そのまま真っ赤な残光を引きながら突っ込み、夢月に強力な一撃を叩き込んだ。 途端に衝撃で砂埃が舞い、直撃を喰らった夢月は跡形もなく消し飛ぶ。 そして再び緑の光を放つと、アリスはカーテンをはためかせステージの中へと入っていった。 「…………あ、アリス?」 砂埃が治まった後の床には、攻撃の威力を物語る大量のひびが入っている。 これまで岩を叩き付けられようと、爆撃をされようと傷一つ入らなかった床がだ。 それ程の攻撃を受けても尚、復活しようとする夢月。 するとアリスはオレンジの光を輝かせ、ステージから次々と瞳のないアリスを送り出していった。 その大勢の偽アリス達は、夢月へと真っ直ぐ襲いかかっていく。 そんな偽アリスの軍団が飛び出していったステージの中では 夢月に直接攻撃をした事で邪気を浴びたアリスの体を浄化しつつ、エリスはアリスにだけ聞こえるように静かに話しかけた。 『アリス、こんな時に言う話じゃないかもしれないけど……聞いてもらいたい事があるんだ』 「………………」 一方で外の魔界人達は、偽アリスに加勢するべく魔法を繰り出していく。 「ヘイ! パス!」 サラは巨大な岩のボールを作り出し、偽アリス達に蹴り渡した。 それを偽アリス達は、数人がかりで受け止める。 うち何人かは衝撃で吹っ飛ばされるも、何とか懸命に蹴り返した。 その先にいる別の偽アリス達も同様に蹴り渡し、まるでリレーのようにして運んでいく。 そして夢月の傍までやって来ると、数人の偽アリス達は思いっきりボールを蹴り飛ばした。 だが夢月は飛び上がり、飛んで来るボールを簡単にかわす。 ところが飛んで来たボールの向こう側にいたのはサラ。 彼女はくるりと回ってスカートを翻し、勢いを付けてボールを蹴り上げる。 そのまま空高く打ち上げられたボールは、夢月にぶつかり一気に吹き飛ばした。 「相変わらず汗臭い戦い方ね」 そう言ってルイズは巨大な紙飛行機に乗って現れる。 その紙飛行機の上では、偽アリス達がせっせと折り紙を折っていた。 ルイズが手をそっと夢月に向けると、偽アリス達が折ったその折り紙は飛び立ち始める。 それは千羽にも及ぶ大量の折り鶴の群れとなり、夢月目掛けて飛んで行った。 「殺りなさい」 真っ直ぐ夢月に飛んで行った折り鶴の群れは、サラのボールを砕き再生した夢月に襲いかかる。 その嘴は異様な程に鋭く、夢月を大勢で突き刺し殺そうとして来た。 しかし夢月は鋏を振り回し、折り鶴の大軍を撃ち落としていく。 だがやはり数の暴力は凄まじい。 防ぎ切れずに夢月は被弾する。 すると夢月は鋏を投げ飛ばして、折り鶴の操り主であるルイズを狙った。 真っ直ぐ飛んで行く鋏は、咄嗟にかわすルイズの脇腹を掠め取る。 そのまま偽アリス達を貫きながら飛んでいき、空間の壁にぶつかり邪気へと変化した。 夢月の奇襲で傷付いたルイズは、脇腹を押さえながらも魔法陣を展開する。 そして顔をしかめつつ傷口から手を放すと、ルイズの血液は夢月に向かって飛んで行った。 血液は魔法の力を受け、黄色く変色する。 それは夢月の鋏に飛び掛かると、鋏をドロドロに溶かしていった。 溶解液の可能性を考え、夢月は鋏から手を放す。 「焼き尽くせ!」 「………凍て付け」 そこへ左右から迫るユキとマイ。 ユキは脚に炎を纏わせ、思いっきり振り火炎弾を。 マイは羽を氷の刃に変え、一斉に放って攻撃を仕掛けた。 先程鋏を手放した夢月には、盾に使える物はない。 二人の攻撃を防げずに、夢月は炎と氷の直撃を喰らう。 途端に夢月の体は、高熱と冷気でぐちゃぐちゃになっていく。 やがて人の形を失い邪気の塊となると、床に向かって真っ直ぐ落ちて行った。 そんな夢月に止めを刺すべく、夢子はハルバードを手に走っていく。 そのまま床に激突し辺りに邪気を飛び散らせる夢月に向かって、勢いよくハルバードを振り下ろした。 「!!」 だが夢月は間一髪のところで、邪気のまま移動し攻撃をかわす。 同時に人の形へと変化して、鋏を再構成し夢子に身構えた。 やはり斬撃だけは、喰らわないつもりなのだろう。 しかし何度も再生した事で、夢月は邪気を使いすぎ消耗している。 あともう少しで夢月を倒す事が出来る。 そう判断したアリスは、大声を張り上げ魔界人達に指示を出した。 「姉さん達、下がって!」 その言葉と共に、黄色く光り出すアリスの杖。 途端に偽アリス達は一斉に消え、魔界人5人と夢月だけが戦場に残った。 その様子に魔界人達は、急いで避難し始める。 何をするかは分からないが、きっとアリスには何か策があるのだろう。 自分達が此処にいると不都合だと言うのなら、アリスを信じ黙って退くのが姉の務め。 そう考え戦場をアリスに託し、一旦ステージの横に戻って来る魔界人達。 するとアリスは目の前に姉達がいないのを確認して、茶色い毛で覆われた手を出し杖を夢月に突き付けた。 「チェックメイトよ、夢月。これ以上、貴方に幻想郷は壊させない。私の七色魔法、最後の一色で……貴方を倒す!」 アリスの言葉を受け、杖の先には凄まじい魔力が集まっていく。 それは今までの戦いで消費し、この空間に溜まっていた使用後の魔力の残りカス。 本来なら大地に還る筈のその魔力が、杖に集まりアリスの力となる。 そして空間中の魔力が集まるとアリスは魔力を解き放ち、杖の先からとんでもない太さと火力の熱線を撃ち出した。 「!! ……くっ!」 残りカスと侮るなかれ。 一ヶ所に集められたそれは、並の魔力を遥かに凌駕する。 更にこの戦いで消費した魔力の量は、尋常ではない。 それがすべて夢月に向かって放出されているのだ。 直撃すれば如何に夢月であっても、生き残れる可能性は少ない。 夢月は慌てて鋏を構えると、片方を熱線に投げ片方を自身の盾にした。 だが投げた鋏は熱線にぶつかる事無く、周りの気に触れて吹き飛ばされる。 そのまま鋏の盾だけの夢月を、膨大な魔力の熱線が呑み込んでいった。 「がああアアあぁァァぁアアああァァァァぁぁ!!」 熱線は強大な力で、夢月を吹き飛ばしていく。 膨大な魔力によって、徐々に崩壊する夢月の体。 傷口から邪気が溢れ出し再生しようとするが、それすらも消し飛ばしていく。 最早、邪気の再生など何の意味も持たない。 膨大な魔力の熱線は、夢月の生命力を超越している。 その圧倒的な破壊力の前に、夢月は邪気の一滴も残さず消滅していった。 「………………勝った……の?」 やがて熱線は消え、持ち主を失った鋏が床に突き刺さる。 茫然としていた魔界人達は、それを見て一斉に歓喜の声を上げ始めた。 「……勝った。勝ったのよ!」 「凄いわ、アリス。さすがは私の妹ね」 「………私達の妹よ」 「それにしてもよく頑張ったわ! 諦めない心が掴んだ勝利ね!」 「姉さん達のおかげよ。私一人じゃ何も出来なかった」 「謙遜する事無いわ。貴方の実力は私達が一番分かってる。私達を呼び出した事も含めて貴方の力よ、アリス」 「………姉さん達………」 すると突然、アリスを隠していたステージが漆黒の羽根に包まれる。 その漆黒の羽根が一気に飛び散ると、そこにはステージの姿はなく跡形もなく消えてしまっていた。 代わりに羽根の中にいたのは、いつも通りの姿のアリスとぐったりと倒れるエリス。 それにアリスは大急ぎで、エリスの許へと駆け寄っていった。 「エリス姉さん!」 「…………いいライヴだった。やっぱりあんたは最高だよ、アリス」 エリスの体はボロボロで、もうすでに瀕死の状態だ。 早く治療しないと、本当に命が危ない。 アリスは杖をグリモワールに戻し、逆さまの戦場を元の大地に嵌め込む。 そしてエリスを抱きかかえると、慌てて魔界に帰ろうとした。 「………!! アリス危ない!」 「えっ……」 しかしまだ戦いは終わっていなかった。 地面に突き刺さった夢月の鋏が崩れ落ちると、中から白い仮面が飛び出して来る。 その白い仮面は一気にアリスに近寄ると、アリスの顔にぴったりと張り付いてしまった。 「……………ぎゃああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」 「アリス!」 途端に凄まじい悲鳴を上げるアリス。 エリスを地面に落とし、顔を押さえ苦しんでいる。 あの仮面が原因なのは誰が見ても明らかだ。 周りの魔界人達は、その様子に慌てて駆け寄って来た。 「待ってて! 今、外すから!」 そう言ってサラは仮面に手をかけると、思いっきり引き剥がそうとする。 「……………ぐっ! だ、ダメ! 全然取れない!」 だが仮面はアリスの顔に張り付いており、どんなに引っ張っても外す事が出来ない。 「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」 そうしている間にも、アリスは悶え苦しんでいる。 兎に角、何とか仮面を剥がすしかない。 魔界人達は力を合わせて、4人がアリスを押さえつけ残りの1人が仮面を引っ張り出した。 「ぐっ………うっ……………あああああ! ダメよ! 私には無理!」 「無理とか駄目とか簡単に口にしてるんじゃないわよ! 見てなさい! うおりゃああああああああああああぁぁぁぁぁ!!」 「ううあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!」 「ちょ、ちょっと! アリス苦しんでない!?」 「どりゃあああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」 「分かった! 分かったから、ユキはアリス押さえてて!」 しかし一向に仮面は剥がれない。 このままではアリスは消耗し続けてしまう。 どうしたものかと悩む魔界人達。 すると突然、アリスは動かなくなってしまった。 「あ、アリス!? どうしたの!?」 「………………………」 ルイズが呼び掛けるも、アリスは全く反応しない。 まさか何かあったのでは。 魔界人達の脳裏に、嫌な予感が過ぎる。 「まさか……………ユキ……」 「わ、私のせい!?」 「!! アリス!」 ところがアリスは突然、上体を起こし出した。 そのままゆっくりと立ち上がり、アリスは何事もなかったかのように立ち尽くす。 その顔には、それまでぴったりとくっついていた仮面はついていなかった。 「だ、大丈夫!? 何ともない!?」 何もなかったなら、それに越した事はない。 だがあれだけ苦しんでいたのだ。実害は兎も角、精神面では酷く消耗しているだろう。 アリスを心配して傍に寄って来る魔界人達。 ところがアリスはいきなり、そんなサラの腹を思いっきり殴った。 「うぐあっ!?」 予期せぬ不意打ちに防御出来ず、サラは苦しそうに腹を押さえながら後退りする。 確かに今の一撃は、アリスから放たれた。 しかしアリスが姉である魔界人達を、攻撃する理由はない。 ならば一体何故こんな事を。 予想外の出来事に、動揺を隠せずにいる魔界人達。 その中で夢子だけは、じっと訝しげな表情でアリスを睨んでいる。 アリスはそんな魔界人達を見て、にやりと口が裂けそうな程口元を吊り上げた。 「フフ……フフフフフ………」 「あんた……夢月ね」 その様子を見て夢子は、アリスに向かってそう呟く。 夢子の言葉に驚き、魔界人達は一斉に夢子の方へと振り返った。 そして改めて、アリスの姿をまじまじと見る。 そんな魔界人達とは裏腹に、アリスは肩を震わせ笑い出した。 「フフフフフ……フヒヒヒヒ! ウヒャヒャヒャヒャヒャッ! 私が夢月!? 一体何を見て夢月だと思うの!?  この体はアリス! そして今、この体を支配しているのは私! なら私こそがアリスじゃない!  名称とは第三者が物体を指定する際に明確に表現する為の単なる記号の一つに過ぎない!  だからこの体がアリスなら私がアリス! この髪も瞳も唇も指も脚もアリスの全部が私のもの! ウヒャヒャヒャヒャッ!  あああああぁぁ……ね、姉さん! 姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さん姉さんッ!  人間じゃないけど! 魔界人だけど! 姉さんは私をももももっと見てくれるかしらあああぁぁぁ!?  アリスである私を姉さん姉さん姉さんは虐めてゾクゾクしてくれるのかしらららららウシャシャシャシャッ!  もっと冷たく罵ってアリスの白い肌に痣を付けて爪を剥がして髪を引っ張ってもっともっと私をおおおぉぉぉぉ!?」 そう言ってアリスの体を乗っ取った夢月は、アリスの体を弄り回す。 先程までの冷静さは何処へやら、その言動からは狂気が滲み出ていた。 これこそが普段は幻月の陰に隠れて、表面化されなかった夢月自身の狂気。 その姿に夢子は顔を真っ赤にして、夢月に向かって怒鳴り声を上げた。 「アリスの体で下品な事しないで!」 だが夢月はアリスの白い指をぺろりと舐めると、夢子達魔界人に冷たい眼差しを向ける。 「それで貴方達はどうするつもり? 私を攻撃するの? このアリスの体を」 「……………ぐっ!」 その一言に魔界人達は、どうする事も出来なくなってしまった。 夢月を攻撃すればアリスが傷付く。 だからと言って夢月本人だけを攻撃する手段はない。 仮にアリスごと倒してしまったとしても、再び誰かの体を乗っ取って来るだろう。 成す術がない。 魔界人達は手詰まりな状況に、その場に立ち尽くす事しか出来なかった。 「諦めてんじゃないわよ!」 しかしそこで大声を出し、ユキは夢月に向かって走り出す。 彼女はこの絶望的状況の中でも、まだ勝利を諦めていなかった。 きっと何か解決法がある筈。 夢月を倒しアリスを助ける方法が。 そう信じて夢月の背後に回り込むと、ユキはアリスの体を羽交い絞めにした。 「上手くいかない事! 大きな壁が立ち塞がる事! そんな事は生きてれば、何度でもあるわ!  でもそこで頑張れば、絶対必ずチャンスが来る! だから頑張れ! 絶対に諦めるな! 力を合わせて夢月を倒すのよ!」 ユキは大声で魔界人達に語りかけ、励まし共に戦おうとする。 だが夢月はユキに捕まられながらも、両手から邪気を出し鋏へと変化させた。 ところが出て来た鋏は以前の大鋏ではなく、小さな普通の大きさの鋏。 それに夢月は訝しげな表情を浮かべるも、鋏を開くと能力を発動させて来た。 「!!」 途端に目の前から夢月が消える。 突然の出来事に慌て出すユキ。 夢月の能力に瞬間移動能力はなかった筈。 時間操作能力もないし、拘束された状況では使えない筈だ。 ならば何故と思い手を伸ばした時、ユキは異変に気が付いた。 腕が自分の腕じゃない。やけに白く細すぎる。 恐らくこれは夢月の解体能力によって、付け替えられた他人のもの。 それに気付いたユキの耳に、突如マイの悲鳴が飛び込んで来た。 「きゃあ!」 驚いて声の方へ振り返るユキ。 そこにいたのはアリスの体の夢月と、その前に倒れるユキの服を着たマイだった。 いや、違う。あれはマイがユキの服を着てるんじゃない。 それを確認する為に、ユキは恐る恐る背中に手を回す。 するとその手は、自分の背中から生えている羽に触れた。 間違いない。夢月は瞬間移動したんじゃない。 夢月がやった事、それはユキとマイの頭を付け替える事だ。 突然、夢月が消えたのも頭と一緒に意識もマイの体に飛ばされた為。 その隙に状況が呑み込めていないマイを倒して、夢月は拘束から逃れたのだ。 原因は分かった。しかし状況は好ましくない。 アリスの体が乗っ取られた今、付け替えられた体を元に戻す方法がないのだ。 「やっぱり邪気が足りないわ。自由に斬ったり貼ったり出来ない。…………でも…ウヒヒヒヒッ!  貴方達を無力化させるには十分だわ」 夢月はアリスの顔で気味の悪い笑みを浮かべると、片方の鋏を閉じマイの左腕に突き刺す。 「ぎゃああぁ!」 痛みで悲鳴を上げるマイ。 だが夢月は開いた鋏を振って、その怪我した腕をルイズと付け替えた。 「!? ああああああぁぁぁぁぁぁ!」 突如身に覚えのない苦痛に襲われ、ルイズは腕を押さえて泣き叫ぶ。 そんなルイズの様子に、咄嗟にユキは助けに入るべく魔法を放とうとした。 「ちょっと我慢してよ、アリ………………え?」 しかし魔法は発動しない。 予想外の出来事に、ユキは驚愕の表情を浮かべる。 その後も何度も火炎弾を放とうとするが、一向に魔法は発動しない。 堪らずユキは、頭の中に次々浮かぶ疑問を声に出した。 「え? なんで? どうなってるの? なんで魔法が使えないの?」 まさか魔法封じでも使われたのだろうか。 そうは言ってもそんな魔法、使われた形跡など何処にもない。 ましてやそんな事が出来るなら、もっと早い段階で封じていた筈。 訳の分からない状況に、ユキは理解出来ず混乱する。 それを見ていた腕の痛みから解放されたマイは、原因に気付きユキに向かって声を張り上げた。 「ダメよ、ユキ! それ、私の体でしょ!? 私、火炎魔法は使えない!」 「!!」 その言葉にユキは愕然とする。 ユキは火属性魔法を得意とする魔界人で、マイは水属性魔法を得意とする魔界人。 マイの体では水属性魔法を扱うしかないのだが、ユキは水属性魔法の扱い方を知らない。 本来、魔法とは時間をかけて習得するもの。 いきなり使えと言われても、知識だけでなく感覚も重要な魔法を簡単に使う事は出来ないのだ。 さすがのユキも、こればかりはどうしようもない。 力無くその場にへたり込み、ぐったりと俯いてしまった。 「私…私私私…………」 敵の脅威が迫っている中で、突然非力な少女になってしまった絶望感は計り知れない。 その上首から下は他人になってしまい、この状況で勝たなければ元に戻れる保証もないと来た。 すでにユキだけでなく、マイとルイズも精神的に追い込まれている。 これ以上滅茶苦茶にされたら、本当に取り返しのつかない事になりかねない。 何としても夢月の暴挙を食い止めなければ。 まだ無事なサラと夢子は、慌てて夢月を取り押さえようと走り出した。 「斬ったり貼ったり……滅茶苦茶にしてやるのが気持ちいいのに」 しかし夢月は、また鋏を開き能力を使う。 途端にサラと夢子は、思いっきり転び地面に倒れてしまった。 「あ、脚が……」 その原因であるサラのものとなった脚を見て、夢子は歯を食い縛りそう嘆く。 こうなってしまえば、最早まともに戦う事は出来ない。 最早、完全に夢月のペース。もう彼女を止める事は出来ないのだろうか。 そう這い蹲りながら悔しがる夢子達を見て、夢月はにやりと口元を吊り上げた。 「…あんた……何を……」 「決まってるでしょ? 貴方達をもっと滅茶苦茶にしてやるの」 そう言うと夢月は開いた鋏を、空高く放り投げる。 そのままくるくると回りながら飛ぶ夢月の鋏。 すると突然、鋏は凄まじい光を解き放った。 その光に思わず目を瞑る魔界人達。 やがて光が治まり目が開けられるようになった頃には、もうどれが誰だか分からない程に体中付け替えられてしまっていた。 「あぁぁ……わ、私の体が……」 「私の腕は何処行っちゃったの? ねぇ、教えて。私の腕は? 脚は? 胸は? お腹は?」 「返して! 私の体を返してよぉ! うわあああぁぁぁぁ!」 「皆、落ち着いて! 夢月の思惑に嵌ってはダメよ!」 魔界人達はあまりの出来事に、パニックを起こしてしまっている。 これでは最早、戦いどころではない。 兎に角、冷静になってもらわねば。 そう考え他の魔界人達に呼び掛ける夢子だったが、すでに夢子の声は誰にも届いていなかった。 もう自分達に起きた事のショックで、周りの事など目に入っていないのだろう。 ならば物理的にでも、正気に戻ってもらうしかない。 夢子は他の魔界人達に近寄ろうと起き上がったが、そこへ夢月の鋏が首筋に突き付けられた。 「!!」 「大人しくしてなさい。貴方達はあとで姉さんに、たっぷり可愛がってもらうの。姉さんは遊び相手を欲しがってるから。  ……………私で遊んでくれてもいいのに……。兎に角、貴方が死んで仲間に絶望してほしくなければ無闇に動かな……」 ところがそこまで言って、夢月はぴたりと動きを止める。 一体どうしたと言うのだろうか。 夢子が恐る恐る振り返ると、なんとアリスの体中に弦が巻き付いていた。 動くに動けず、鋏を突き付けた体勢のまま固まる夢月。 その弦の使い手に、夢子は心当たりがあった。 「………まさか……」 「…………………」 「…………ギターもなしに、ワンマンライヴか? ロックじゃねえなぁ……」 その言葉と同時に、エリスはボロボロの体を引き摺って姿を現す。 エリスには邪気を浄化するタトゥーが彫られている為、夢月の能力の効果を受けていなかったのだ。 そんなエリスはにやりと笑うと、傷だらけの羽を大きく広げる。 途端に杖代わりにしていたギターを掻き鳴らし、衝撃波で宙に浮かび上がった。 そのまま夢月の上空へと飛び上がり、無数の弦を展開する。 そしてその弦で自分の体を夢月の真上に固定すると、ピックを取り出し弦に近付けた。 「あ、あんた!」 エリスご自慢の殺害方法、その構えに夢子は声を上げる。 相手はアリスの体を乗っ取っている夢月だ。 夢月を殺そうとすると言う事は、アリスを殺すと言う事。 まさか勝利の為なら、アリスを殺してもいいとでも言うのだろうか。 そう思い歯を食い縛り睨む夢子に、エリスはにやりと歯を見せて笑いかけた。 「ここからはギターソロパートだ。……邪魔すんなよ!」 「!! この悪魔ッ!」 このままではアリスが殺される。 夢子はエリスを止めるべく、剣を出し投げ付けようとした。 だが夢子の剣は魔法で作り出す物。 魔法を使えない今の状態では、剣を出す事は出来なかった。 そうしている間に、エリスはピックを弦に当てる。 そのままピックを思いっきり弾き、一気に弦に振動を送った。 「アリスぅ!」 引き締まる弦。 食い込む肉。 斬り裂かれる骨。 飛び散る鮮血。 夢子が想像していた最悪の光景が、目の前に広がっていく。 ただ一つ 一つだけ違ったのは バラバラになったのはエリスだという事だ。 「な、なんで………」 訳が分からず動転する夢子。 どんな理由があるにせよ、文字通り自分で自分の首を絞めるなんて異常だ。 もしかして、すでに正気を失っていたのだろうか。 エリスの行動に思考を巡らす夢子だったが、その答えは思いも寄らない形で飛び出して来た。 「があああああぁぁぁぁぁぁああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」 突然、夢月は大声を上げ苦しみ出す。 その声に驚き振り向いた夢子は、夢月の姿を見てはっとした。 それはエリスの真下にいた事で、血を被り真っ赤に染まったアリスの体。 エリスの死により弦の拘束が解かれ、その場に座り込み両肩を押さえ震えている。 普通の魔界人や妖怪なら、エリスの血を浴びてもなんともない。 しかしタトゥーによって浄化作用を持つようになった血は、悪魔には激痛を伴う猛毒だった。 しかもエリスの血の浄化作用は、邪気を中和し狂わされた妖怪を正気に戻す。 邪気の集合体のような夢月にとっては、数少ない致命傷となる攻撃だった。 「あ、あのコンドル女めッ! 私にハ! 私ニハ姉サンノ夢ヲ叶エルトイウ使命ガアァァァァァ!」 すでにアリスの攻撃で、肉体を失う程に邪気を消耗していた夢月に エリスの命がけの攻撃を、耐え切るだけの邪気は残されていない。 最早、夢月自身が浄化され消滅するのも時間の問題だった。 次第に鋏もドロドロに溶けて消え、夢月自身の動きも小さくなっていく。 やがて力無く腕をだらんと垂らすと、アリスの体は糸が切れた人形のように動かなくなった。 「…………あ、アリス?」 その様子に夢子は、不安そうに話しかける。 他の魔界人達も冷静さを取り戻し、慌てて駆け付けて来た。 アリスは無事なのだろうか。 夢月は完全に倒されたのだろうか。 見た目では分からない状況に、慎重に様子を窺う魔界人達。 するとアリスは、何やら小刻みに震えている。 何かあったのかと魔界人達が心配そうに覗き込むと、アリスは大粒の涙をボロボロ流し泣いていた。 「………誰も………死なせないって言ったのに………」 ぎゅっと握りしめられたアリスの手。 その中には、小さな花の髪飾りが握られていた。 夢月が消えて自由になった時に、咄嗟に掴んだエリスの形見。 それを見たアリスの脳裏を、遺言となってしまった先程のエリスの言葉が過ぎった。 『思えば私は、いつも誰かの真似ばかりしていた。あんだけロックって言ってたのに……さぁ。  そのロックだって、あいつの受け売りなんだ。本当の私は真似しか出来ない、ちっぽけな女さ。  魔界人も人間も、私を汚い物でも見るような目で見る。恨んだりもするけどさ、結局私が空っぽだからなんだろうな。  ………あいつが初めてだったんだ。私を私として見てくれたのは。あいつは私を、何でも出来る凄い奴って言ってくれた。  真似しか出来ない私に、一緒に魔界一のバンドを目指そうって言ってくれた。…………嬉しかったよ。  人に必要とされた事なんてなかったから、もう大泣きしちゃってさ。こいつと一緒に何処までも行こうって。  ………一緒に………魔界一に……なろうって……思ったんだ。……………でもあいつは、くだらない事で死んじまった。  それが凄いショックでさ……あの時は、もう何もかも失った気分になってて……ちょっと壊れてたんだと思う。  もうどうしていいか分からなくなっててさ…………そんで私はあいつの魂を喰ったんだ。  はっきりと思い出せないけど、多分また一人になるのが怖かったんだと思う。で、私は悪魔になった。  魔界の神は家族を蔑む最低の行為だって言ってるけど、悪堕ちってのはそうじゃない。  喰われた魂はさ、喰った奴の中にいつまでも残ってるんだ。それこそ永遠に、そいつが死ぬまで。  だから私の中には、今もあいつの魂がある。…………私の場合は、ちょっと特殊だけどね。  私は誰かの真似ばっかしてるから、自分がちゃんとしてなくてさぁ。気付いたら私の心はあいつになっていた。  特殊だけど、前例がない訳じゃないらしいよ。意志の弱い者が強い者の魂を喰うと、心が染まっちゃう事があるらしい。  あいつとは生前からの付き合いだからそんな事しないけど、場合によっては逆に体を奪われる事もあるんだって。  そういう訳だから今の私は、あいつの生き写しみたいなもんらしいよ。……………まぁ、それでも構いはしないさ。  ………そんで私は悪魔になって、悪魔達の組織に入る事になった。でも私は何より、あいつのロックを聞いてほしくてね。  きっとあいつの魂が、私にそうさせるんだと思う。そんで毎日ストリートライヴやってたけど、お客はからっきしだったよ。  辛かったさ。腹いせに悪さする事もあった。…………そんなある日の事だったんだ。サリエル様に出会ったのは。  サリエル様は悪魔を裁く為に来るんだけどさ、いつも私のライヴを最後まで聴いて行ってくれるんだ。  でも所詮は天使と悪魔、ライヴが終われば戦う事になる。なのにサリエル様は、いつもちゃんと聴いてくれるのさ。  私はサリエル様がお客でいる間は、精一杯あいつのロックを奏でる。でもライヴが終わったら、私は逃げサリエル様は追う。  そんな関係がずっと続いてたんだよ。そしたらある日、サリエル様はとんでもない事を言ったのさ。なんて言ったと思う?  こんなにいい演奏が出来るのに、なんで悪さをするのかだってよ? あの時ばかりは、それ以上ライヴは続けられなかった。  もう……動揺しちゃってさ。あいつの事、思い出しちゃって。私を褒めてくれたあいつの事。  その日からかな。ライヴが終わった後もサリエル様と話しするようになったの。サリエル様はさ、理想を持ってるんだよ。  魔界を魔界人も悪魔も、皆が幸せになれるような場所したいっていうさ。私は無理だと言ったよ。  そもそも魔界人は悪魔を忌み嫌う。罪を償ったところで、悪魔を受け入れる筈がないって。  でもサリエル様は今は無理でもお互いに歩み寄れば、いつか必ずそんな魔界が出来るって言った。それからだよ。  私があの御方に魅せられたのは。サリエル様は何度否定されても、どんな困難が襲いかかっても考え方を変えなかった。  涙を流し泣きじゃくっても、絶対に皆が手を取り合える世界が来るって信じてた。  私は……サリエル様に強い信念を感じたよ。無理だと言われても、絶対に曲げず貫き通す。あいつのロックと一緒だって。  どんなに見向きもされなくても、いつか魔界一になってやるって夢に直走ってたあいつと一緒だって思ったのさ。  だから私は確める事にした。本当に悪魔とも手を取り合えるなら、私が更生したらサリエル様の隣にいれるのかと。  サリエル様は……にっこりと笑って言った。一緒に来てくれるなら大歓迎だって。……………逆に怖くなったよ。  なんで簡単に信用出来るんだって。悪魔だよ? 騙してるだけかも知れないじゃん。それなのにサリエル様は………。  誰かがこの御方を守らなきゃいけない。私はサリエル様に感じたロックを、下衆なんかに潰させちゃいけないと思った。  だから私は全身に………………あれは私の決意の証。私が悪に染まれば、サリエル様の信念を否定する事になる。  それだけはしちゃいけない。だから私は、あの罪の償い方を選んだ。悪魔の身でそんな事すれば危険だって言われたよ。  でも私は自分の決めた事を曲げるつもりはない。もし曲げたら、もう殆ど残ってない『私』がなくなっちまう。  そんで………やってやったさ。私はこいつを全身に入れてやった。私も晴れて魔界人と悪魔、両方の裏切り者って訳だ。  後悔なんてしてない。私は私の意志を貫いた。空っぽな私なりに守りたい者の為に戦うと誓ったんだ。  私は真似しか出来ないけど、それでもロックを貫いてるつもりさ。だからアリスも自分の信念を曲げるな。  あんたもロックな奴だよ。魔界から出て行くなんて……それもあんな恵まれた環境にありながら。  分かってるさ。アリスはそんな環境、望んじゃいないって事ぐらい。でも魔界の常識からすれば考えられない事さ。  捨虫の魔法を使わず、人間のように生き死ぬ事を選んだ。そんな事した魔界人が、今までいただろうか。  ロックだよ、ロック過ぎるよ。私には眩し過ぎるくらいに。魔界の神が好きにもなる筈さ。………だからこそ生きろ。  例えこの先どんな辛い事があっても信念を貫き通せ。アリスが魔界を出てまでしたかった事、成し遂げるまで絶対に死ぬな。  ………私はあいつの分まで、あいつのロックを奏でる。サリエル様の理想の邪魔をする奴を叩きのめす。  自分が惚れた相手の夢を、人生かけて叶えてみせる。そいつが私のロックさ。  だからアリスも自分のロック、貫いて生きろ。そんで死ぬ時は満ち足りた顔で死ね。  あんたは魔界中が惚れるような、最高の魔法使いなんだ。魔界中のファンを悲しませるような死に方しちゃいけない。  アリスがロックを貫くのなら、ファンとして私は全力でサポートするさ。だからロックに生きろよ、アリス』 「ううっ………エリス姉さん………エリス姉さん! うあああああぁぁぁぁぁ!」 サリエルが敗れた事で、幻想郷の空から蒼い月が消える。 代わりに広がった皆既日食が、幻想郷中を闇で覆い尽くしていた。 その闇の中で、空中に放り出されていた筈の霊夢は目を覚ます。 「………あれ? 私は……」 「気が付かれましたか、御主人様!」 そこはたくさんの木々が闇に拍車をかける、薄暗い茂みの中だった。 何があったのか分からず茫然とする霊夢。 その隣では、玄爺が心配そうに見つめている。 どうやらあの後気を失い、玄爺達に助けられたようだ。 霊夢はゆっくりと起き上がり、辺りを見渡し状況を確認する。 だが一緒にいた筈の、パチュリーの姿が見えない。 霊夢は気になり玄爺に問い掛けた。 「パチュリーは?」 「先程あちらに行かれましたが、それっきり」 何か嫌な予感がする。 霊夢はパチュリーを探し、玄爺を連れて茂みの中を進んでいった。 やがて暫く歩くと、茂みの外が見えて来る。 その外との境界近くで、パチュリーは外の方を向いて座っていた。 「………パチュリー?」 霊夢はその様子が気になり話しかけるが、パチュリーは全く反応しない。 どうかしたのだろうか。 心配になり霊夢は、パチュリーの肩をポンと叩いた。 「………………………」 すると手から、ぶるぶるとパチュリーの震える感覚が伝わって来る。 その体は汗でぐっしょりと濡れていて、明らかにいつもの冷静なパチュリーではなかった。 パチュリーの視線の先に何かある。 それもあのパチュリーが、これ程までに恐怖する何かが。 霊夢は不安を感じながらも、恐る恐るその視線の先にあるものを確める。 「…………!!」 それは、こちらに向けられた視線だった。 目の前に広がるのは、倒壊した里の姿。 門や塀は崩れ去り、巨大な奇妙な木が佇んでいる。 その中で、じっとこちらを見つめる二つの目。 見開かれたその瞳は、闇のように真っ黒な円をこちらに向けている。 その円の中で金色の光を放つ輪が、心の中を見通すかのような眼差しを送っていた。 口はまるであどけない少女のように、にっこりと笑いかけている。 しかし手には生気を失った瞳で、虚空を見つめるサリエルが掴まれていた。 その少女こそ、パチュリーの話していた三幻想最凶最悪の魔。 夢幻の悪魔、幻月。 幻想郷を滅ぼそうとしている者だ。 「久しぶりね、霊夢。おいで。そこにいたんじゃ、お話しし辛いわ」 幻月はそう言って手招きする。 拒否権などない。 相手の魔力は規模が違う。 例え幻想郷のあらゆる魔力を集めても、彼女の足下にも及ばないだろう。 逃げようが隠れようが意味などない。 殺そうと思えば、いつでも殺せる。 それだけの実力差が、霊夢達と幻月の間にはあった。 「ほ〜ら、は〜や〜く〜」 目をつけられた以上、もうどうしようもない。 観念して幻月の前に出て行く霊夢達。 それに幻月は嬉しそうに笑い、はしゃぎながら口を開いた。 「さすがは霊夢ね! もし逃げ出したら四肢を引き千切ってやろうと思ってたけど、勘がいいって言うのかしら。  やっぱり私が戦った人間の中で2番目に強いだけあるわ〜! じゃあサリエルも倒したし、今度は貴方と遊ぼっか!」 そう言うと幻月は、人形のように動かないサリエルを突き出す。 そのまま手を放し地面に倒れさせると、口から鞭を取り出し霊夢に向かって笑いかけた。 「キヒャヒャヒャヒャッ! よくここまで生き延びてくれたわ! 貴方は本当に優秀ね!  そんな貴方には特別に、私がたっぷり時間をかけて遊んであげる。そして貴方は絶望する。  私の理想郷実現は! 貴方の死を以って! ついに完遂される事となるのよ! ……………いよいよもって死ぬがよい。  そしてさようなら、霊夢。幻想郷はとっても面白い掃き溜めだったわ!」 「………ここまで……なの?」 最早、圧倒的力の前に諦めかけた霊夢。 「まだよ! まだ私がいる!」 ところがその言葉と共に、パチュリーが幻月の前に立ち塞がった。 パチュリーだって相手の実力は分かっている。 どうあがいても絶望的なまでの実力差は埋まらない。 それでも震える足で必死に立って、泣き出しそうな顔で懸命に幻月を睨み付ける。 今、霊夢を守れるのは自分しかいない。 自分が戦わなければ、幻想郷は滅亡する。 パチュリーは命がけで霊夢を、親友と共に暮らしたこの世界を守る為に幻月に身構えた。 だが幻月はそんなパチュリーを、馬鹿にした態度で嘲り笑う。 「それで? あんた一人で何が出来るって言うの?」 「……霊夢……逃げて……。地獄まで全速力で飛んで!」 「!!」 「時間稼ぎ? 無駄よ。たった一人じゃ数秒も持たな………訂正」 ところが幻月は突然、鞭を振りながら後ろに振り返った。 同時に何処からか飛んで来た何かが、鞭に当たって地面に落ちる。 それはナイフを手に持った、小さな愛らしい人形だった。 その人形を見た霊夢達は、慌てて飛んで来た方向へと振り向く。 こんな人形を武器として使う者など、霊夢達は一人しか知らない。 そう、それは紛れもなく奴だった。 「一人じゃないわ、パチュリー!」 「……7人だったわね」 『あ、アリスッ!』 七色の人形遣い、アリス。 彼女は5人の魔界人を連れ、倒壊した里に姿を現した。 日食の下、家屋の残骸の上に勇敢に立つ彼女達の姿は何処か頼もしくも見える。 しかし相手は幻月。無謀な戦いなのは明白だ。 そんな事はアリスも分かっている。 それでも彼女には退けない理由があった。 「エリス姉さん………私、戦うわ。私は……幻想郷が滅ぶというなら、それを受け入れようと思ってた。  幻月に襲われれば、どうせ誰も助からないって諦めてた。でも……やっぱり私、諦めたくない!  幻想郷に消えてほしくない! 霊夢にもパチュリーにも生きていてほしい! ………だから戦う。  もう絶望したりしない。死ぬ寸前まで足掻いてやる。醜くても無様でも、必死に守りたい者の為に戦ってやる!  例え敵わなくても……せめて霊夢達が逃げる時間を稼ぐ為、信念貫き通して戦って笑って死んでみせるわ!」 アリスはそう言って、そっと自身の髪に付けた花の髪飾りに触る。 もしエリスが来なければ、滅び逝く幻想郷と運命を共にしようと考えていた。 それが自分なりに出した愛する幻想郷への、せめてもの手向け。 だがその考えは間違っていた。 それでは無駄死に以外の何でもない。 幻想郷を守る為に、命がけで戦う。 それこそがエリスが教えてくれた貫くべき自分の『ロック』だった。 結局は無駄死にに終わるかもしれない。 しかしやらずに諦めるより、やるだけやった方が納得して死ねる。 例えそれが1%の望みもないような戦いだったとしても。 そんな想いを胸に、アリスは黒いグリモワールを取り出す。 同時にグリモワールを杖へと変化させると、幻月に向かって突き付けた。 もう迷いなんて感じさせない、強い決意のこもった瞳のアリス。 そんなアリスを守る為に、5人の魔界人達が各々の魔法陣を展開する。 彼女達もまた、アリスと運命を共にする覚悟を決めていた。 「よっしゃー! 最高の試合、魅せてやりましょ!」 「アリスとなら何処までだって、一緒に旅してあげるわ」 「………アリスがいなければ、私達は元の体にも戻れなかった。最期まで付き合うわよ」 「大丈夫! 奇跡を信じろ! 心が負けなければ、何度だって立ち上がれる!」 「……………ごめんなさい、姉さん達。付き合わせてしまって」 「気にする事無いわ。…………一緒に世界の為に戦いましょ、アリス」 それを見て幻月は、気味の悪い笑みを浮かべる。 まだ戦力を残していたと言っても、彼女にとっては新しい玩具にありつけたようなもの。 これからどうやってこいつらを苦しめてやろうかと、歪んだ考えを巡らせる。 幻月はその高ぶる感情から、鞭で地面をビシビシ叩きながら言葉を紡ぎ出した。 「そう! その力で夢月を殺したの! 強大な力のようだけど、私は夢月みたいに弱くないわよ!?  それにエリスも、もういない! はたしてそんな貧弱な7人で、時間稼ぎになるのかしらねぇ!  イッヒヒヒッ! そうは言っても私としては、精一杯足掻いてくれた方が面白いんだけど! じゃあ………死ニナァァ!」 その一言を言い終わった瞬間、一気にアリスに向かって飛びかかる幻月。 それに5人の魔界人達は、慌てて魔法を放とうとした。 だが幻月は思った以上に素速く、攻撃魔法が間に合わない。 このままでは攻撃を喰らう。 咄嗟にアリスは七色魔法を使おうと、杖を構えた次の瞬間 「頭が高いわ、戯け共がっ!」 突然上空から怒鳴り声が響いて来た。 その場にいた全員が驚き、声のする方へと振り向く。 そこには空中に浮かび上がる巨大な門と、菊理の姿があった。 菊理は地上の者達を見下ろしながら、自身の霊力で門を開き始める。 すると開いた門の中から、一人の人影が歩いて来た。 途端に幻想郷中に広がっていく、尋常じゃない量の凄まじい妖力。 それはその人影が門から出て来ると同時に、あっという間に空を黄昏に染めていった。 「頭が高いと言うておろうがっ! この御方をどなたと心得る!」 その妖力の主の姿は、紅白の着物に黒い髪。 額には真っ赤に聳える鋭い角。 手には鞘に収まった刀。 それは霊夢ですら、直接会うのは初めての相手。 「怖れ多くも地獄王、矜羯羅殿にあらせられるぞ!」 地獄の最高管理者、矜羯羅。 三幻想、最後の一人。 その力は視界に映り込んだだけで、竦み上がり動けなくなってしまう程。 まさに地獄を統べるに相応しい、威厳と威圧感を放っていた。 そんな矜羯羅に、菊理は深々と頭を下げながら話しかける。 「……………本当に……よろしいのですか?」 「致し方あるまい。最早、私が動かねば幻想郷が滅ぶ」 「……しかし……あの者は……」 「…………すべてが終わったら、私から話す。お前は戻っていろ」 「………はい」 矜羯羅の言葉を受けて、門の中へ入っていく菊理。 少しづつ閉まっていく門の隙間から、地面に倒れるサリエルを見て彼女はそっと呟いた。 「………サリエルめ、結局お主の企みは何も分からぬままか。………偽善論ばかり口にする、気味の悪い女じゃったのう」 やがて門が完全に閉まると、地獄の門は姿を消す。 残された矜羯羅は里に降り立つと、幻月の方をじっと見た。 その瞳はまるで太陽のように、真っ赤な炎を燃え盛らせている。 他の者なら強大な威圧感で、気を失ってしまいそうな眼差し。 しかし幻月はにやりと歯を見せて笑うと、矜羯羅に向かって口を開いた。 「やっと出て来たわね、矜羯羅! あんたを殺せば、私の邪魔をする者はいなくなる!  そしたらたっぷり時間をかけて、魔界を攻め落とし人間達と遊びましょ! ヒヒャヒャヒャヒャッ!」 「…………………………」 だが矜羯羅は何も喋らない。 ただじっと幻月を見続けている。 それに幻月は不快そうな表情を浮かべて、文句を口にし始めた。 「初対面の相手に何よ」 すると矜羯羅も、ゆっくりと口を開く。 「……………お前は何をしたい」 「………ん?」 その言葉に首を傾げる幻月に、矜羯羅は再び問い掛けた。 「幻想郷を滅ぼし外の世界に行き、世界中を支配して何がしたい」 「何よ。そんなの決まってるでしょ!? 世界中の人間を思う存分嬲り殺すの! 最高でしょ!?」 「…………それがお前の理想か」 「そうよ。悪い?」 「悪い。だがそうでなければ私が出て来た意味がない」 そう言うと矜羯羅は、幻月に鞘に入れたままの刀を向ける。 そして強い気迫を感じさせる瞳で、キッと睨み付けた。 「地獄は罪深き亡者に罰を与える、生けとし生きる者の最期の善。その管理者である私は、常に善で在らねばならぬ。  故に私が罪人以外と、戦う事などあってはならぬ。故に私が悪以外と、刀を交えるなどあってはならぬ。  常に戦うべき敵は悪であり、悪とする覚悟を持って戦う。私が戦うとは、そういう事。一度の誤判も許されぬ。  そしてお前は真の悪であると、地獄の管理者として判断した。それは如何なる理由があれど、許されざる悪行故。  ならば私はお前と戦う。ならば私はお前を斬る。一度戦うと決めたならば、私は一切の躊躇はせぬ。  決してぶれぬ。決して揺るがぬ。それが私が地獄の管理者として、貫き守らねばならぬ善というものだ」 矜羯羅の強い決意のこもった言葉に、霊夢達は息を呑む。 その一言一言からは、凄まじい重みが感じ取れた。 しかし幻月は興味なさげに、羽をパタパタと動かしている。 それを見て矜羯羅は、刀を地面に突き立てた。 途端に強い衝撃波が起こり、辺り一帯の大地にひびを入れる。 そんな事はお構いなしに幻月は翼を広げ、その白い羽を黄昏の光で金色に染め上げた。 「あんたの理屈はどうでもいいわ。私はあんたをぶち殺す。それですべてが終わり、すべてが始まる。  でも一応、敬意は払ってあげるわ。私が倒すべき最後の『敵』として、ね。それでは地獄王、矜羯羅様。  覚悟は………訊くまでもありませんね。こちらはいつでも殺り合う覚悟です。では、まぁ………行きますよ」 その言葉と同時に、幻月は翼を大きく振る。 それにより大量に抜け落ちる白い羽根。 それらは空高く昇っていき、黄昏の光を受けひらひらと優雅に舞う。 ところが突然、一斉に尖った先を地上に向け始めた。 その矛先から感じ取れるのは、強大な魔力による明確な殺意。 そのまま大量の白い羽根は、地面目掛けて一気に急降下して来た。 『!!』 それに慌て出したのが、霊夢達8人と1匹。 このままでは幻月の攻撃に巻き込まれてしまう。 どれ程の威力かは分からないが、あれだけの魔力だ。 見た目は羽根とはいえ、直撃したら一溜まりもないだろう。 兎に角、射程外に逃げないと危ない。 霊夢達は動かないサリエルを担いで走り、最初に隠れていた茂みの中に飛び込んでいった。 その直後に降り注ぐ羽根の雨。 羽根は地面に突き刺さると、土をドロドロに溶かしてしまう。 地面が液状化した事によって、周囲の家屋の残骸は大地に呑み込まれていく。 やがて里にあった殆どの物が大地に沈み、辺りは茶色い湖と化していった。 その無数の白い羽根は、仁王立ちで待ち構えている矜羯羅にも襲いかかって来る。 だが羽根は矜羯羅に近付いた途端に、一瞬で消し飛んでいった。 矜羯羅の体から発せられる凄まじい力に、羽根の魔力と邪気が耐え切れなかったのだ。 まさに圧倒的力が為せる業。 矜羯羅には半端な攻撃は通用しないという事だ。 その様子を茂みから見ていた霊夢達は、ふとある事に気付く。 「……………! ちょっと、幻月は!?」 先程までいた筈の幻月の姿が、里の何処にもないのだ。 里の建造物は大地の液状化により、土の中に沈んでしまった。 隠れる場所など、殆どない筈なのだが。 「上よ!」 そこへ聞こえて来るパチュリーの声。 驚き霊夢が見上げると、眩しく輝く夕陽の中に強大な魔力が集まって来ていた。 あそこに幻月はいる。 しかし同時に感じられる魔力の凄まじさに、霊夢の背筋は凍り付いていった。 「あれは……」 幻月は熱線を放とうとしている。 それも今まで感じたどんな弾幕よりも、遥かに高火力の熱線を。 それに気付いた霊夢だったが、気付くのが一足遅く熱線は放出されてしまう。 途端に羽根の雨の中にいる矜羯羅に、真っ直ぐ向かって行く膨大な魔力。 それに矜羯羅は地面に沈みかけた刀を握ると、鞘から抜かずに熱線目掛けて振り上げた。 その斬撃ですらない一撃は、向かって来た熱線を真っ二つに斬り裂く。 斬れた熱線は矜羯羅を避けるように飛ぶと、地面に直撃し大爆発を巻き起こした。 「くうっ!」 その爆発で発生した爆風は、茂みの中の霊夢達にも襲いかかる。 木々をも飛ばす凄まじい風圧に、堪らず全員吹き飛ばされてしまった。 このままでは散り散りになってしまう。 そう思ったパチュリーは、咄嗟に魔法を発動させる。 「『ジェリーフィッシュプリンセス』!」 途端に空中に現れる巨大な泡。 それは飛んで来た霊夢達を中に入れると、その場に止まり結界兼足場代わりとなった。 「………ありがとう、パチュリー」 「大した事じゃないわ」 体勢を立て直した事で、霊夢達は三幻想同士の戦いに目を向ける。 だがそれは、すでに霊夢達のレベルを遥かに超越したものとなっていた。 「…………えっ?」 地面が液状化し、大木が沈みかけ傾いている里。 巨大なクレーターが出来上がった、紅魔館や妖怪の山。 先程の爆風で、木々が吹き飛んでしまった魔法の森。 幻想郷の至る所で、爆発が発生している。 しかし何処にも、矜羯羅と幻月の姿はない。 凄まじい妖力と魔力は感じるが、二人が何処にいるのか見当もつかないのだ。 ただ立て続けに起こる爆発が、二人が確かに戦っている事を示している。 その爆発も幻想郷のあちこちで、居場所を特定する事は出来ない。 何が何だか分からずにいる霊夢達。 そんな中霊夢がふと隣を見ると、アリスがもの凄いスピードで瞳を動かしていた。 「………えっ、ちょっと何してるの。気持ち悪い」 「……………………やっぱり矜羯羅さんは強いわね」 「…………見えるの?」 「……………………戦況だけなら。大体、幻月が6回ぐらい死んでるわ」 「えっ!?」 これも幻視力の高さ故の能力なのか。 最早いつ攻撃しているのかも何処にいるのかも、霊夢達には分からない。 だがどうやらアリスには、戦っている様子が見えているようだ。 しかもその話では、すでにあの幻月が何回も倒されているらしい。 もう霊夢達には、話に付いて行くのが精一杯だった。 「……………でも幻月は邪気を操るのよね? その心配は…」 「いらないわ。矜羯羅さんは常に善に従って生きている。心に迷いも隙もない。だから邪気は矜羯羅さんを狂わせられな…」 そこへ響いて来る凄まじい爆音。 同時に幻想郷を真っ二つに裂くかのように、大地を吹き飛ばしながら何かが飛んで行く。 それは太陽の畑に聳え建つ夢幻塔にぶつかると、一瞬で粉砕して瓦礫の山へと変えてしまった。 「………今のは……どっちの攻撃?」 「いいえ。幻月が吹っ飛ばされただけよ」 「えっ!?」 アリスの言葉に、霊夢達は驚き振り返る。 最早それは人智を越えた攻防。 そこには人間の常識など通用しない。 最強クラスの幻想存在同士の死闘。 もう人間の理解が及ぶ領域の戦いではなかった。 一方で地上で戦いを続ける矜羯羅は、瓦礫の中に埋もれた幻月の許へやって来る。 「…………………………」 ただ何も言わずに、瓦礫の山を見続ける矜羯羅。 すると徐々に大量の邪気が染み出して来る。 そのまま瓦礫の上へと集まっていくと、邪気は幻月の姿へと変化していった。 何度も倒されながらも、尚再生して来る幻月。 しかし戦況は矜羯羅の圧倒的優勢だ。 それ故かどうかは分からないが、幻月は血走った目を小刻みに震わせ口から舌を出し涎を垂らしている。 そして気味の悪い笑みを浮かべると、凄まじい咆哮を上げ出した。 「ギヒャヒャヒャヒャヒャガアアアアアアアァァァァァァァアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァ!!」 途端に幻月は、一瞬でその場から消えてしまう。 同時に地面から、次々と現れる謎の妖怪達。 その妖怪達はローブを身に纏い、手にランタンと包丁を持って少しづつ矜羯羅に近付いて来た。 「…………………………」 四方八方を囲まれて逃げ場も隠れ場所もない状況。 そこへ謎の妖怪達は、次々と飛びかかって来た。 だが矜羯羅は冷静に近付いて来た妖怪から、鞘に入れた刀で消し飛ばす。 しかし謎の妖怪達は止めどなく現れて、倒しても倒しても次の妖怪が出て来てしまう。 これでは切りがない。 そう判断した矜羯羅は、足を振り上げ地面を踏み鳴らした。 途端に太陽の畑で起こる凄まじい地割れ。 その割れた大地の底には、巨大な地獄の釜が姿を覗かせている。 それは無限に現れる妖怪達を、すべてその釜の中へと呑み込んでいった。 「…………………………」 同時にもの凄い勢いで、手を動かす矜羯羅。 速過ぎるその動きは、まるで腕が何本もあるかのようにさえ見える。 それは高速で飛んで来ている、幻月の攻撃を防いでいるが為。 常人には見えない程速いその攻撃を、矜羯羅は一発も喰らわずに防ぎ切った。 失敗に終わった事で、見えて来る幻月の放った攻撃の正体。 それは目玉や臓器など、バラバラにした人の中身のようなものだった。 その内臓や肉塊は、一気に空中に集まり幻月を形作る。 すると幻月は膨大な魔力を口の中に集め、咆哮として撃ち出して来た。 「ゴギャギガヒャギギャグゲギヒャギャアァ!!」 咆哮は何重にも重なった、白と黒の音波壁となり周囲に広がっていく。 その音波壁の中心にいる幻月の姿は、外からは色彩が消え白黒に見えた。 また幻月の周りには、フィルムノイズが入った古びた村のような景色が広がっている。 それはある種、幻想的な光景だった。 一方で音波壁に触れたものは、木も土も空気さえも消滅してしまう。 本来なら、まず逃げる事を考えるであろう高エネルギーの攻撃。 だが矜羯羅はとんでもない速度で腕を動かし、その音波壁をすべて叩き割っていった。 更に咆哮を撃ち出した直後で、動けずにいる幻月に飛び掛かる。 そのまま右手で首を掴むと、矜羯羅は幻月を思いっきり地面に叩き付けた。 同時に袖から手枷を取り出すと、幻月の両腕を拘束する。 途端に狂気に満ちていた表情が一変、突然幻月は怯えた表情をして泣き叫び出した。 「嫌アァ! 放シテ! ナンデ!? ナンデコンナ事スルノ!? アンナニ私達、仲良クシテタノニィ!  此処カラ出シテ! オ家ニ帰シテヨォ! ………モウ嫌アァ………帰リタイ……帰リタイヨォ……」 そう言って幻月は、腕を必死に何かから遠ざけようとする。 ところが一定の距離までで止まり、それ以上は何かに押さえ付けられているかのように動かなかった。 しかし手枷を繋ぐ鎖は、幻月の腕同士を繋いでいるだけで何処にも繋がっていない。 ましてや矜羯羅が何かしているという訳でもなかった。 手枷も普通の物。誰も何もしていない。 それなのに幻月は、その場から動き出せずにいた。 「……………………………………」 矜羯羅はすべて知っている。 何故、幻月が悪魔となったのか。 何故、幻月が人間を狙うのか。 だがそれでも矜羯羅は、幻月を悪とした。 如何なる事情があったとしても、幻月がやった事は悪であるからだ。 矜羯羅は、そっと腰に差した刀を鞘から引き抜き掲げる。 その刀身は夕陽を受けて、美しく輝いていた。 「私が刀を抜くという事は、お前を悪として斬る覚悟の証。最期の善たる地獄の管理者として、一人の存在を悪とする証。  せめてもの慈悲として、この一太刀で終わらせる。今度こそ消えるがいい。魔界で生れし、哀れな天使よ」 矜羯羅はその言葉と共に、掲げた刀を振り下ろす。 そう、ただ振り下ろしただけ。 妖力を放った訳ではない。 しかしその強すぎる力は 幻月を真っ二つに斬り裂き 後ろの瓦礫の山を斬り 大地を斬り 山を斬り 博麗大結界さえも斬り それでも止まらぬ矜羯羅の力は 外の世界にまで及び、凄まじい地割れを引き起こした。 「…………なんでよぉ……」 刀による攻撃には、邪気の自己再生能力は機能しない。 幻月の体は真っ二つに斬り裂かれたまま、徐々に崩壊していく。 「………なんで死んでくれないのよぉ……」 最早、幻月にはどうしようもない。 ただ少しづつ消滅していくのを、待つ事しか出来なかった。 「……あんたさえ殺せば、私の理想は誰にも邪魔出来なくなるのに……」 それでも幻月は、矜羯羅に手を伸ばす。 その指も邪気となって溶け出し、次々に消滅していく。 もう永くは持たない。 そんな事は誰が見ても明らかだったが、幻月は尚必死に手を伸ばし続けた。 「私の理想郷は、とっても幸せなの。だって…………私達は愛し合っているのだから。  人間達は私を襲い殺した。お互いに愛し合っていた私を。だから私も同じように、殺戮と絶望をもってこの愛を返すの。  だって人間達は私に、この素晴らしい感情を与えてくれたじゃない。あの日、私が感じた絶望の先の快楽を。  今度は私が返す番。人間にいっぱい絶望してもらって、私と同じ快楽を味わってもらうの。そしたら皆、幸せでしょ?  そして私は………人間にもっと愛してもらう。憎しみと恐怖で、いつも私の事を想っていてもらう。  私はそんな人間達を殺す。惨たらしく残虐にいっぱい殺す。それが…………あの日、人間に教えられた私達の愛の形。  愛し………合うのよ。………私達の美しく快楽に満ちた愛を………世界中の絶望で育むの………。  だから………こんなところで終わる訳にはいかない。………私達が………愛し合う………理想郷を………創……る………」 やがて幻月の体は、完全に消滅する。 黄昏の中を抜ける風に黒髪を揺らしながら立つ矜羯羅の前で、魂すら残さずに消えて行った。 それを見届けると、矜羯羅は空中の泡へと振り返る。 遥か彼方で数名の人間や魔界人を乗せ、ふわふわ浮かぶ魔力の泡。 矜羯羅は、その泡に向かって大声で語りかけた。 それは幻想郷に現れてから、初めて矜羯羅が見せた感情。 強い憤りを感じさせる、怒気を孕んだ声だった。 「人間よ! あの悪魔はお前達、人間の欲が生み出した者だ! もう二度と、あのような者を生み出さぬと誓えるか!?  もう二度と欲の為に、あのような犠牲を作らぬと誓えるか!? それが出来ぬのなら、再び同じ事が起こるであろう!  その時こそ私は、人間を悪とし助けはせぬ! よく肝に銘じておくがいい!」 それだけ言うと、矜羯羅は地獄の門を作り出し中に入っていく。 その門が閉じられ消滅すると、空を覆っていた黄昏は本物の黄昏へと変わっていった。 すると矜羯羅に斬られた博麗大結界も、少しづつ再生し修復されていく。 戦いは終わった。まるで空がそう言っているかのようだった。 それらを見ていた霊夢達を乗せた泡は、パチュリーによってゆっくりと降りていく。 そのまま地上付近まで降りて来ると、次々に泡から飛び出していく霊夢達。 同時にアリス達魔界人の手により、魔界への入口が開かれた。 空間の穴の向こうに見える魔界の光景に、魔界人達は安堵の表情を浮かべる。 だが心が壊れてしまったサリエルの事を思い出し、はっとし俯き出した。 戦いの犠牲となった者は、もう帰って来ない。 それは人間も妖怪も悪魔であっても同じ。 この戦いで失ったものはとても多く、すべてを語る事は誰にも出来なかった。 夢子がサリエルをおぶると、足早に魔界へと帰っていく魔界人達。 その後ろを付いて行くパチュリーと玄爺は、じっとしている霊夢に振り返り話しかけた。 「行きましょ、霊夢。私達は生きている。幻想郷は滅んでいない。  魔界に避難した人間や妖怪と一緒に、もう一度幻想郷を建て直しましょ。  それをきっと……………紫やレミィも、あの子も望んでいると思うわ」 「どうかされましたか? 御主人様」 「………………………結局、私は何も出来なかった。博麗の巫女、失格よ。矜羯羅が来てくれなかったら  今頃どうなっていたか………。でも………どうして矜羯羅は………」 霊夢は矜羯羅の言葉を真剣に考えている。 人間の欲が幻月を生み出したのなら、今回の異変の元凶は人間にあるのかもしれない。 もしそうなら、何故矜羯羅はあんな事を言ったのだろうか。 異変の元凶が人間にあるのなら、次と言わずに今回見捨てる事も出来た筈。 幻月を倒す事が目的なら、態々警告をする必要もない。 もし警告する理由があるとするなら、それは矜羯羅が人間に期待しているという事なのではないだろうか。 異変の元凶であり、悪である筈の人間に。 「………矜羯羅は……人間の味方だったのかしら」 「それは違うわ」 そこへ魔界に帰った筈のアリスが戻って来る。 アリスは確信を持った眼差しで、霊夢の疑問に答えを出した。 「三幻想は誰の味方でもない。自分の信念の為に、目指すべき理想の為に戦ったのよ。  私達に出来るのは、その理想に近付く事だけ。三幻想と同じ目標、理想を抱く事だけなの。  だから矜羯羅さんは人間の味方ではない。矜羯羅さんの理想、善が統べる世界に相応しい者の味方なのよ。  矜羯羅さんは多分霊夢、貴方に善を感じたんだわ」 「………私……?」 「はっきり言って貴方は、矜羯羅さんのような善とは程遠い。決して真面目ではないし、間違えたりもする。  でも貴方も矜羯羅さんも、自分の進むべき善に向かって生きているわ。  貴方は博麗の巫女として異変を解決する為、戦う。矜羯羅さんは地獄の管理者として、地獄の善に仇名す者と戦う。  矜羯羅さん程完璧ではないけれど、貴方も根底にあるのは同じ思想。悪と戦い善を貫こうとしている。  巫女として育つうちに無自覚のまま、そうあるべきだと教え込まされたのかもしれない。  でも貴方はその与えられた善を受け入れ戦っている。そんな貴方だから矜羯羅さんは助けに来てくれたのよ。  貴方の道は間違っていない。貴方は立派な博麗の巫女よ。少なくても私はそう思う。  だってそうでなければ矜羯羅さんが、態々幻想郷を救う理由がないもの。  幻月を外の世界に出し人間達に反省させた方が、矜羯羅さんからすれば有意義な筈。  そうしなかったのは幻想郷の人間に、貴方に善を見出したからじゃないのかしら」 そう言うとアリスは、魔界に戻っていく。 それに続くようにパチュリーも魔界の入口の前に立つと、霊夢に背を向けたまま呟いた。 「もし貴方が自分の欲しか考えないような女だったら、矜羯羅はきっと助けになんか来てくれなかったと思う。  貴方は横暴なところもあるけれど、それが幻想郷の為を思っての行動だって事は皆知ってるのよ」 そのままパチュリーは魔界へと入っていく。 仲間達に励まされる霊夢。 その足下に玄爺が寄って来ると、そっと前へ進むように促した。 「御主人様、今度は幻想郷復興の為に頑張る時です! 儂もささやかながら手助けさせてもらいますぞ!」 そうだ。今は悩んでいる場合ではない。 この出来事を自分が伝えていかなければならないのだ。 幻想郷を建て直し、里の人間達にも教え広める。 新しい幻想郷が、いつまでも平和な世界である為に。 もう二度とこんな惨劇を繰り返さない為に。 昔々ある所に、とても可愛らしい天使の女の子がいました。 天使の女の子は人間達に酷い事をされ、いろんなものを失ってしまいました。 翼を毟られ四枚の羽を失い 包丁で斬られ命を失い 絶望の中で自分を失い 人間の悪意に触れ正気を失い それでも尚 人間を愛する気持ちだけは、いつまでも失わなかったそうです。 おしまい