〜夜の森の巫女〜 霊夢メイン。魔理沙、博麗の巫女(オリジナル)登場。 ある日、人里からの依頼を受け、森に妖怪退治に向かった霊夢。 しかし犯人は妖怪ではなく…熊であった。 獣に退魔の術など通用せず、逆に野性の猛威を受け、霊夢は重傷を負ってしまう。 永遠亭の治療により一命は取り留めるものの、身体に負った傷は深く、自由に空を飛ぶ事すら出来なくなってしまう。 この件により、霊夢にはこれ以上"博麗の巫女"としての役目を続けさせる事はできない…という声が各所から持ち上がった。 『新たな巫女を立てる』…その話が持ち上がるまで、そう時は必要とされなかった。 大結界の守り手にして、幻想郷の異変を解決する巫女をいつまでも不在にしておく訳にはいかない。 それが、幻想郷に住まう人妖の中でも高位に属する者たちの総意であった。 彼らの意向を予見していたかのごとく、妖怪の賢者・八雲紫が既に"巫女"の手配を済ませていた。 聡明な彼女にとっては斯様な事態も想定済みであり、何一つ驚くべき要素はないようだった。 巫女の"調整"については追々時間をかけて術の修練を積ませるのに並行して施術していく必要があるが、 着任に関しては速やかに済ませられるとの事だった。 …そこで話し合われたのが、霊夢への処遇である。 これについては人妖の権力者たちは然したる興味も抱かなかったため、紫が決める事となった。 「彼女は、人間だ。人ならば人里に住むべきだ」 人里を預かる半妖・上白沢慧音は紫から霊夢の話を受けてそう口にした。 しかし霊夢は言った。里に行って何をすればいいの?と。真顔で問うた。 何者にも縛られぬ自由な巫女は、あらゆるものに対して平等に接し、決して興味を示す事がない。 そのため、彼女は人の営みに対しても然したる興味を示していなかった。 物心付いた時より"博麗の巫女"であった彼女にそれ以外の生き方など考える余地も必要もなかったからだ。 それは、博麗の巫女としての在り方が、既に彼女自身の在り方そのものと化していたが故の弊害であった。 人としての生き方とは何か。そう問う霊夢に対し、周囲は「好きに生きればいい」と慰めた。 しかし「好きに生きる」とは何かを解さぬ彼女にその言葉はあまりにも遠かった。 彼女にとってこれまでの生活こそが好きに生きた結果であり、これからも続くものと思っていた。 しかしそれは突然に絶たれた。 もう術も振るえない。空も飛べない。神事も行えない。妖怪も討てない。異変も解決できない。 全てを失って、何をどうやって好きに生きればいいと言うのだ。 これまで人前では見せることのなかった涙すら浮かべて、霊夢は周囲に対しそう嘆いた。 やがて他者への訴えは、出口の見えない自問自答へと変わり、終には生き延びた事を疑問視し始めてしまう。 その霊夢の様子を見かねて、紫と慧音は一計を案じる事にした。 ―――霊夢の歴史を喰らってしまおう。その業深き記憶と諸共に。    そうすれば、彼女を『ただの人間』として里に降ろせるのだ。 決行は、話し合われたその日のうちに決まった。 今宵は満月。慧音にとっては力を振るう絶好の機会であり、またとない好機であった。 途中、霊夢には一切を説明しなかった。「話したところでどうせ忘れる。無駄極まりない」と言う紫。 一見すると冷徹に過ぎる言葉。だがそれも彼女なりの霊夢への配慮なのかもしれない、と慧音は思ったが表には出さなかった。 夜。眠っていた霊夢に対し、処置は速やかに行われ、何事もなく済み、翌朝には"一人の少女"が人里の近くの森で保護された。 そして博麗神社には"事故に遭ったが幸いにして軽傷で済んだ"巫女が戻った。 ……それから時が経ち、平穏な博麗神社に"いつも通り"白黒の魔法使いが飛んできた。 在りし日には霊夢に弾幕ごっこを挑んでは負けていた人間の少女・霧雨魔理沙である。 歴史が喰われた事で神社における霊夢の存在は「無かったことになり」、 その一切の記憶が無くなった魔理沙らは、"新しい"博麗の巫女に対し何の違和感も覚えることなく接している。 かつての霊夢を覚えているのは事に関与した紫と慧音のみ。他は例外なく歴史喰らいの影響を受け、 現・博麗の巫女すら霊夢の存在は知らない。処置はそれほどに徹底していた。 事件以後、霊夢の知己であるアリスやレミリア、早苗らが神社に訪れたが、いずれも巫女の交代に気づいた節も無く、 まるで昔からそうであったかのように今の巫女と自然に付き合っている。 そして、その知己の中でも古い部類に入る魔理沙ですら、巫女の異変には気づいてはいなかった。 彼女も所詮は霊夢を"博麗の巫女として"見ていたに過ぎなかったのだろうか。 自分で勝手に入れてきた茶を飲みながら縁側で彼女らを眺めていた紫は何気なくそう思った。 しかし、それから更に少し経ったある日の事、魔理沙は"いつものように"巫女の元を訪れ、 自分で勝手に棚から引っ張り出した茶菓子を口に運んびながら、こう話した。 「この間、人里の外れでな。面白い人間を見つけたんだ」…と。 周囲とは少し違っていて、偏屈で、何だか一人ぼっちみたいな少女。 でも、話していてとても楽しい気持ちになる。それに、なんだか懐かしいんだ…などと続けた。 巫女はその話を適当に聞き流していた。当然、微塵も興味が無かったからだ。 一方で話を聞いていた紫は、それに対して何も言わなかった。 "少女"は、里の人間とはうまくやれてはいなかった。 慧音や藍から、紫は彼女の話を伝え聞いていた。 記憶を消されても性質までは変わらなかったらしく、人との接し方は何一つ変わらなかったのだ。 誰とでも等しく接し、必要以上に興味は示さずに流す。 森で保護された子、ということで物珍しさからか始めこそ積極的に接していた人里の衆も、 彼女の態度を次第に不審がるようになり、自然と距離を置くようになっていった。 付き合いづらい人間が孤立するのは至極当然の流れである。 やがて少女は自ら人々から距離を置くようになり、里の外れに居を構えるようになった。 そんな彼女に対し、紫たちは一切の接触を行わないよう努めていた。 既に彼女は一人の人間。何者でもない、どこにでもいる少女の一人に過ぎないのだ。 余計な詮索や交流は周囲に更なる猜疑を抱かせかねない。 そう考えたからだった。 しかし今、一人の人間が彼女を見出した。 皮肉にも"かつての少女"と古い付き合いにあった人物が、再び少女と巡り合ったのだ。 やがて魔理沙は少女の事を気に入り、足しげく通うようになっていった。 喰らわれて失われたはずの縁が戻ってきた。それは真に腐れ縁とでも呼べる関係だった。 ここからまた、何かが始まるのだろう。 隙間からこっそり2人の様子を盗み見ながら、紫はそう考えていた。 …そんなある日、夜の森で妖怪が襲われるという事件が囁かれ始めた。 人が…という話であれば(不謹慎ではあるが)おかしなものではない。 妖怪は人を襲うもの。その源流は定かではないが、兎に角そういうものだということになっている。 しかし、妖怪が襲われる。しかも夜の森で、となると話は違ってくる。 『妖怪同士の影の抗争か!はたまた外界からの襲撃者の仕業か!』 天狗はこの話を面白がって取り上げ、ある事ない事をごちゃ混ぜにして紙面を飾りまくった。 被害にあった妖怪たちはいずれも闇討ちされており、襲撃者の姿を捉えた者は皆無だったため、 天狗の出鱈目を否定する証拠もなく、噂は拡大し、やがて紙面を抜け出して泳ぎ、人妖問わず 各方面を飛び交い始めた。 博麗の巫女が動き出すのはそれから数日後の事であった。 そして、白黒の魔法使いもまた、野次馬根性で同道していた。 夜の森。そこは人里からそう遠くなく、魔法の森と呼ばれる更なる深き森とも近い場所であった。 事件の影響で妖怪どころか妖精すら近寄らなくなった仄暗い緑の迷宮。 その動く者なき地にて、妖しげな人物を見つけ出す事は、2人にとってそう難しい話ではなかった。 何かを手に持って闇の中を行く影。明らかに不審である。 それに対し、魔理沙も巫女も臆することなく正面から突っ込んでいった。 「動くな!動くと…動くぜ!」 ミニ八卦炉を構えながら警告する魔理沙。 言っている事が意図せず無茶苦茶なものになったが気にしていなかった。 それに対し、振り向いた人物の顔を見た時、魔理沙の目は大きく見開かれた。 「あら、魔理沙じゃないの…」 まるで町角で普通に出会ったときのようなのん気な、そしてこの場においてはあまりに場違いな調子で、 その人物はゆっくりと微笑んでみせた。 「―――霊夢!?」 魔理沙は驚愕した。それは予想だにしなかった人物だったからだ。 霊夢。人里の外れに住む、変わり者の少女。それがどうして森に…? 彼女は肩と腰が開いた動きやすそうな浅葱色の服に身を包んでいる。 手には退魔符と思しき札と、御幣。その姿はまるで誰かのようであり、何かに似ているように思えた。 ――いや、"かつて"彼女はそうだったではないか。 魔理沙の脳裏にそんな疑問が浮かんで、すぐに霞と消える。 「こんなところで、何をしているんだ!?」 思わず声が上ずる。 「何…って、見れば分かるじゃない。妖怪退治よ」 彼女は笑って答えた。 その瞳に尋常ではない妖しい輝きが宿っているのを博麗の巫女は見て取った。 「退治、って、それは私の仕事よ。それにあんたのはただの通り魔。素人が真似事なんてするもんじゃないわ」 巫女は若干馬鹿にするような口調で言い放つ。 「通り魔?真似事?…いいえ。違うわ。これが私の生業よ」 霊夢の声音は重く、じっとりとした湿り気すら感じさせるほど暗かった。 それは人里で触れ合ってきた魔理沙からすれば考えがたい変貌ぶりであり、同時に信じがたかった。 変わり者の少女だとは思っていたが、今の霊夢の様相は変わり者どころか狂人にすら映る。 何が彼女をそうさせているのか。何故彼女を見て奇妙な既視感を抱くのか。 まるで見当が付かなかった。 そんな魔理沙の困惑を知ってか知らずか、霊夢は更に続ける。 「私は、巫女よ。だから妖怪は倒すし、異変も解決するのよ……」 「異変?」 気になる単語を耳にした博麗の巫女が鸚鵡返しのように単語を口に出す。 「そう、異変よ。私がこうしてここに在る事。それ自体、立派な異変だわ」 呟く彼女の貌は、嗤っていた。己の置かれた境遇を嘲笑っていた。 …そう。彼女は、記憶を取り戻していたのだ。 かつて博麗の巫女として在った彼女の非凡なる才は、喰らわれた己の歴史を自らの手で暴いていた。 あり得ない事実。だがそれは同時に救いようのない悲劇に違いなかった。 例え思い出したとしても、もう彼女にはかつての位置には戻る術はないのだ。 出来る事は、かつてを模倣し、妖怪を襲うことだけ。 人としての生き方に馴染みきれずに窮し、巫女が歪に生き延びている現状を異変であると認識した彼女は、森をさ迷った。 巫女としての姿に縋るように。こうしていれば、いつかこの苦しみも終わりを迎えてくれるだろうと期待しながら。 そんな事情を知る由もない博麗の巫女は「気でも触れたのかしら」などと冷淡に言い放つ。 彼女からすれば霊夢は"面倒を起こした犯人"という認識しかない。 妖怪を襲ったのが人間であった事は意外でも何でもない。 魔理沙と顔見知り…というより神社で話していた子が彼女なのだろうと察しがついたが、 それは本当にどうでもいい事だ。 面倒を起こす奴は人でも妖怪でも妖精でも退治する。 彼女もまた巫女としての役目に忠実であった。意識しているかどうかは別として。 だが、 「それで、そんな事をしているのか―――博麗、霊夢」 魔理沙の言葉に巫女は「えっ」という顔をする。 魔理沙自身も自分の口をついて出た名前に驚いていた。 「…あれっ?」 自らの口を押さえ、一瞬の出来事に理解が及ばず首を傾げて不思議がる。 一方で霊夢は、あえて何も言うことはしなかった。 ただ魔理沙の発した言葉に対して、寂しげに微笑んで、手にした御幣を振りかざし、襲い掛かった。 突然の行動に、混乱していた魔理沙の動きが遅れた。 それに対して博麗の巫女はすぐさま戦闘態勢に移り、2人の間に割って入り、霊夢へと反撃を開始した。 ………戦いは呆気なく、終わった。 元より闇に乗じて妖怪を襲う程度の能力しかない"今の"霊夢では、 今を駆ける博麗の巫女には敵うべくもなかった。 結界は彼女の霊符に打たれて薄氷の如く砕け散り、次いで『夢想封印』の光弾をその身に受け、吹き飛ばされた。 飛ぶ術のない霊夢の身体は吹っ飛んだ勢いに乗って後方の木に激突した。 「霊夢!」 痛ましい光景を目の当たりにし、見かねた魔理沙が倒れた霊夢の傍へと駆け寄る。 相手を無力化したと悟った博麗の巫女もまた、彼女に追従して歩く。 その短い戦いの中で生じた疑問が、堪えきれずに口を付いて出る。 「あなたの結界…あれは間違いなく、博麗の業。どうして?」 言葉に対して、霊夢は弱弱しく笑ってみせた。 「あなたが…考える必要はないわ。異変は…解決された。それでいい、の……」 木にぶつかった衝撃で霊夢はあちこちに傷を負っていた。唇からは血が流れている。 「異変?」 「そう。異変、よ…私たち"博麗の巫女"に………ほかの………いきかた…なん……て…………」 震える唇でそう言葉を紡ぐと、霊夢の瞳がゆっくりと閉じられた。 「! 霊夢!」 魔理沙が、霊夢を抱きかかえる。腕がだらりと力なく垂れ下がった。意識を失ったのだ。 この時、彼女の中では霊夢の記憶がおぼろげながら甦り始めていた。 (そうだ。何故忘れていたのだろう。こいつはかつて―――――いや、今はそれよりも!) そうだ。今はそんなことより、彼女を一刻も早く医者へ連れて行くことが先決だ。 「永遠亭に行くわよ!」 彼女の心を知ってか知らずか、巫女も彼女にしては珍しく急いだ様子で魔理沙を煽った。 霊夢を箒に載せた魔理沙は、巫女のその稀有な叫びに対して速やかな飛翔と加速をもって全力で応えた。 夜の空を、一条のほうき星が行く。その姿を、森の住人のみならず人里の者までが目撃した。 ―――こうして、夜の森で起きていたささやかな異変は解決した。 翌日には『森の襲撃者は博麗の巫女によって退治された!』と天狗の新聞が号外を刷って触れ回った。 『襲撃者の正体は亡霊だった!?』『悲劇!世に翻弄された少女の哀しい妖怪退治!』『夜空を駆ける白黒の流星は彼女なのか!』 …などと、真偽が定かではない見出しが躍った。 その終わり方は(天狗の記事も含め)"これまで通り"なものだったが、それだけに事件に怯えていた妖怪達は安堵した。 博麗の巫女は厄介な存在だが、妖怪だけを襲う正体不明の襲撃者はもっと厄介だ。 共倒れを願わなかったといえば嘘になる。それでも、とにかくこれで訳の分からない事態は終息するはず。 今日からは安心して森で人を襲えるぞ。彼らは口々に話した。 以来、夜の森で妖怪が襲われるという話は聞かなくなった。 それと時を同じくして、人里の外れに住んでいた変わり者の少女が行方知れずになった、 という話も里の人間たちの間で持ち上がった。 だが、ゆっくりと、しかし確実に流れていく時の中で、その些細な話は…すぐに忘れ去られた。 そして殆どの人々が事件を忘却するほど時が経ったある日の光景。 そこには、巫女と魔法使いが、魔法の森の奥にひっそりと佇む家へと通う姿があった―――…… 家には人間の少女が一人で住んでいる。 「よぅ、また来たぜ」 「差し入れ持ってきたわよ、先代」 家に訪れた二人を前にして、その少女は、まんざらでもなさそうな笑みを浮かべてみせた。 〜終〜