そうだ。霧雨魔理沙ほど不幸な奴なんていない。 −珍しく"香霖堂"が訪ねて来たかと思えば無言で茶の間に上がり込み、濁酒の一升瓶を開けだした  突然過ぎて何があったのかと事情も聞けぬ  呆気に取られている私に向けて"香霖堂"が顎を突き出す  続いて視線が彼の目の前、卓袱台を挟んで向かい側に落ちる  何が何やら分からぬ内に私まで呑まされる羽目になった− そりゃあ運の悪い奴なんて巷に掃いて捨てるほどいるさ。 例えばうちの婆さんなんかもそれだ。 徹頭徹尾、金に困った人生だったし、生涯の伴侶なる人など終ぞ現れなかった。 その癖やたらと子沢山で、おまけにそれは問題児揃いと来たものだ。 本当に気の休まる暇も無い人生だったと思う。 ついていないといえば、霧雨の旦那だってそうだ。 どこがって・・・結婚のことだよ。 3人目の夫人、魔理沙の母親が亡くなってからこっち十数年間、旦那は正に仕事一筋だった。 子持ちと言っても、まだ爺ってほどの歳じゃなかった。 あの鼻筋通った顔で、妻もいない。おまけに財産家だ。 もう少し色気を出せばもう一度くらいはモテてもおかしくは無かったのに、余程懲りてしまったんだね。 だから魔理沙は知らないんだんだよ。母親も、父親も。 旦那の不幸は、そっくりそのまま魔理沙の不幸だ。 それで、魔理沙はどこがどういう風に不幸なのかって? 何というか、もう救いようが無いんだ。 あまりに数珠繋ぎに不幸が重なって、何をやっても裏目に出る。 どこをどう、捏ね繰り回しても要領良く幸せになれることなんて出来そうもない。 もしかしたら、うちの婆さんなんかも似たようなものだったかも知れないが、幸福を掴むのが下手な奴と言うのはいるものだ。 僕の知る限り、一番下手なのが魔理沙さ。 どんな努力、修行、自己研鑽を図っても、または感情の赴くままに生きようとも、最後に残るのは恥だけだ。 去年の話だよ。 魔理沙が新しい商売を始めたいと言い出した。 バロメッツの苗を数十ほど仕入れて、秋には出荷したいと。 動かないから羊を飼うよりは楽だし、いざとなったら肉を売るという選択肢もある。 珍しく魔理沙が商売っ気を出したということで、僕も少しは協力してやった。 まずは最初の資金繰りはどうすればいいのかとか教えたり、知り合いのやっている製糸工場を紹介してやったりね。 ・・・ああ、そうだよ。 確かに僕には商売人を名乗る資格なんてない。 店も殆ど趣味でやっている様なものだ。手本になるなんて思っちゃいない。 それでも僕だって、旦那の下で鍛えられて来たんだ。 魔理沙の他の知り合い、巫女やら魔女なんかと比べたらずっとマシだ。 で、それでだ。 一月も持たないと思っていた魔理沙の商売だけど、僕の予想に反してかなり真剣だったらしい。 魔理沙の相談から3週間ほどした頃かな? 気になって見てみたら彼女の家の前にそれは見事な綿畑、いや、牧場かな? が出来ていたんだ。 聞くところによると、魔法の研究もせずにずっと牧場の世話をしていたらしい。 「魔法使いは一時休業中」だとさえ言っていた。 まさか、と僕は思った。 魔理沙が三度の飯より魔法の研究が好きなのは昔から知っていたし、家を飛び出した後でもそれは変わらなかった。 『霧雨魔法店』だって旦那への当て付けで開いたようなもので、およそ彼女が本気で商売をするなど考えられなかった。 だけど魔理沙の家に入った時、それは本当なんだと分かった。 相変わらず酷く散らかった部屋だったけど、散らかっている物が違う。 机の上にあった本は農学や治水の専門書、一代で財を成した豪農の自伝など、全て彼女の商売に関わるものだ。 ここをこう水を引いてとか、肥料は何を使うとか、そういったメモ書きがノートに隙間無く書き込まれていた。 それまで家中を埋め尽くしていた魔道書や魔法アイテムの類は大半が倉庫で眠っていたらしい。 部屋の隅には鍬だの鋤だの、魔理沙は今まで触れたことさえ無いような農具が転がっていた。 そこで僕は気が付いたんだ。部屋も魔理沙も土臭い。 「慣れないことをするのは大変だな」と彼女が言った。 その顔は鼻の先まで泥塗れさ。 ・・・それで、商売は上手くいったのかって? まあ、聞きなよ。 最初は上手く行ってたと思うよ。 努力の甲斐あってと言うべきか、バロメッツ達はどれもすくすくと育っていった。 夏も終わる頃には一斉に実を付けた。 その下を通ればまるで雲に向けて柱が立ち並んでいる様だった。 とても素人の仕事とは思えない、見事なものだった。 魔理沙には散々自慢されたよ。 僕なんかよりよっぽど才能があるってね。 ところが、だ。 あれはちょうど収穫の1週間前だったかな。 あの日は日曜日で、魔理沙は次の日曜に収穫だと言っていたから間違いない。 かなり大きな台風が来たんだ。 ちょうどそんな季節だったからね。 大きな綿毛に重い体、その割りに細い幹。 バロメッツにとっては風は天敵さ。 魔理沙もそれなりに対策はしていたらしい。 でも農業をやる以上、自然の力には抗える訳がないだろう。 バロメッツ達は見事なまでに全滅、せっかく実った綿毛も泥に塗れて売り物にはならなかった。 それでもまだ、魔理沙は懲りなかった。 バロメッツの、毛の方じゃない。肉を売った金でまた苗を買ったのさ。 またやり直しだと彼女は言ってたよ。 まぁ、それも山の麓に大きな綿花畑が出来るまでだったけどね。 ほら、河童達の作った奴だ。 おまけに近代的な製糸工場付きだった。 お陰で幻想郷の糸の価格は見る見る内に下落。 元手のかかるバロメッツ農家は採算の取れない仕事になった。 結局、膨らみ続ける借金に耐え切れず霧雨牧場は破綻さ。 魔理沙は「やっぱり私は魔法使いの方が性に合う」と言って魔法の研究に戻ったよ。 もう商売っ気を出すことは二度とないだろうね。 寂しいことだけど。 そうだ、こんなこともあった。 ある日、魔理沙が人を助けたらしい。 夜空を散歩代わりに飛んでいると、下から叫び声が聞こえた。 見ると、一組の若い男女が木っ端妖怪に襲われていた、と。 深夜もいいとこだったし、人里離れた森の中だ。 どうにも怪しい連中だとは思ったが、まさか放っては置けない。 不意打ち気味に魔砲を撃って雑魚妖怪を追い払ったらしい。 助かった男女は魔理沙に礼を告げると慌てて何処かへ走り去った。 問題はその後だ。 魔理沙の足元に財布が落ちていた。 ラメの入った高級品だ。 女物だ。あの娘が走った弾みで落っことしたんだろう。 謝礼代わりに貰ってもいいが、黙って懐に入れてしまうのも気が引ける。 そもそも財布は立派だが、中身は大して立派でもない。 散々悩んだ挙句、翌日魔理沙は娘に返してやることにした。 勿論、上手くすれば財布の中よりもっと多くの謝礼金が貰えることを期待して。 とは言っても、一体何処に返せばいいのやら。 娘の走っていった方角から、どの里にいるかは凡その検討が付いたが、どの家の娘なのかは皆目分からない。 ただ、服装からしてそれなりに裕福な家の者だということは分かった。 仕方が無いので魔理沙は里中を片端から尋ねて廻ることにした。 例えば雑貨屋に行き、主人に財布を見せる。 これの持ち主を知りませんか、と。 知らない、となれば、それならこれこれこういう娘を知りませんか、と 顔ならともかく、人の財布を一々覚えている奴がいたら、そいつは根っからの商売人だとは思うが。 そうやって目ぼしい店を廻って一刻ほどだ。 ある呉服屋で、魔理沙は偶然その娘と鉢合わせした。 これはちょうどいいと魔理沙は喜んだ。 でも、娘は何だか酷く困った顔をしたらしい。 少し変だなと思いつつも、魔理沙は懐から例の財布を出した。 すると、娘はいきなり、こう叫んだ。 泥棒っ! 私の言っていた泥棒はこいつですっ! って 魔理沙は瞬く間に取り押さえられた。 そうして見事に無実の罪で捕まった訳だが、僅か半日程の尋問で釈放された。 どうやらあの娘が庇ってくれたらしい。 金に困ってやったことなのだろう、許してやって下さい、と。 何と心の広い娘であろう、と周りの大人達は感心したそうだ。 でも当然ながら魔理沙は納得出来ない。 そもそも財布なんかを盗んだ覚えは無い。 それどころか、自分はその娘の命の恩人なのだ。 感謝されることはあっても、泥棒扱いされる謂れは無い。 とは言え、そんなことを訴えても魔理沙の言い分なんか誰も聞いてはくれないであろうことは分かっていた。 捨て台詞を吐いて家に逃げ帰った。 後から噂で聞いた話だが、その娘、見た目に反して実は相当な不良らしい。 親の前では純真無垢を装ってはいるが、その実、夜毎密かに家を抜け出して遊び回っているだとか。 同じような悪い娘達とつるんで、面白ければ万引き、薬も何でもありだ。 遊ぶ金欲しさに親の財布から抜くのも日常茶飯事らしい。 魔理沙と違って器用なタイプの不良娘さ。 その上、魔理沙なんかより遥かに性質が悪い あの夜だって任侠紛いの男と密会していたんだ。 そしたら、妖怪と出くわしたって訳さ。 幸いなことに魔理沙に助けては貰ったが、その後が困ったものだ。 いい子の我が娘が真夜中に血相変えて帰ってきたんだから、そりゃ両親も驚くさ。 取り敢えず命は助かったものの、良い言い訳が思い付かない。 嘘泣きで少しは何とか稼げるが、それだって何時までも持つものではない。 寝付けないので散歩をしていたと言っては見たが、泣いて帰ったことへの説明が付かない。 いっそ、幽霊でも見たと言おうか? 妖怪だから似たようなものだ。 とは言え、野生の幽霊が人里をうろついているとなれば里は上を下への大騒ぎだ。 だったらもっと里に普通にいそうなのがいい。 そうだ、強盗だ。強盗にしよう。 そう考えた。 でもそいつは一つ忘れていた。 幽霊は財布なんか拾っても返しに来ない。 しかし泥棒の場合は返しに来ない、とも限らない。 その翌日、呉服屋で魔理沙の姿を見た時は幽霊や妖怪なんかに遭うよりもっと恐ろしい気分だったろうな。 正直に言えばいいものを、嘘を嘘で誤魔化すからそういう目に遭う。 ・・・魔理沙がね。 まあ馬鹿馬鹿しい話だが、魔理沙を庇ったと言うのも後ろめたさがあってこそなんだろう。 そうだ、君の言う通りだ。 確かに魔理沙の自業自得である部分もある。 胡散臭い格好や性格に言動で、実際に家出娘という胡散臭い奴だ。 その上、謝礼目当ての下心があったんだからいよいよ言い訳は出来ない。 でも、魔理沙が家出娘なのは元はと言えば旦那が原因だ。 別に旦那が悪いとか言う訳では無いが、魔理沙が家を飛び出したのは父娘関係の縺れが原因だって、今更疑う余地も無いだろう。 その縺れの原因になった、魔理沙の性格だって全て旦那の影響さ。 厄介なところばかり父親に似て、性格の残りの部分は父親への反発で作られたんだ。 だから魔理沙が不幸なのは自業自得なんだが、直しようが無い自業自得さ。 旦那の娘として生まれた以上、もうそれはどうしようもない。 さっきも言った通り、旦那の不幸はそのまま魔理沙の不幸だ。 ああ、そうだ。 もう一つ、似たような話があった。 本当に今の話と変わり映えのしない話なんだが、これは是非聞いて欲しい。 今年の春先だった。 うちの店に男が一人、やって来た。 年齢は50半ば頃で、血の気の無い、臓の一つでも患っている様な顔だった。 妙に痩せていて、前の開いた着物から胸元に肋骨が浮き出ているのが見えた。 その癖、下腹は立派に膨らんでいるのが不思議な男だ。 遠めには長身に見えたが、近くで見れば実に背が低い。 酷い猫背のせいで余計にそう見える。 半開きの口に欠けた前歯の、何とも間の抜けた顔だったが、目だけははち切れんばかりに見開いている。 頭は殆ど禿げ上がっていたが、残った髪の毛は伸び放題で、肩までかかりそうだった。 この男の風貌は伝承に出てくる、餓鬼の姿を想像してくれれば分かりやすい。 そんな男がうちに何しに来たと思う? そいつは僕の目の前に髪飾りを一つ置いて、買ってくれと言ってきた。 選りに選って髪飾りだ。時計や指輪じゃない。 今言ったように、そいつは殆ど禿げ上がってるんだぜ? 似合うとか、女物とか、そういう問題じゃない。 おまけに、その髪飾りは相当な上物だ。 漆塗りに金箔の細工までされてあった。 僕が不審に思うと、男もそれを察したのだろう。 聞いてもいないことを勝手に話し出した。 曰く、男は元々は名家の出で、これは死んだ母親の形見らしい。 お前の花嫁にと託されたが、男の代で家は没落。乞食同然まで墜ちた身では嫁など取れる訳が無い。 それでも今日まで大事に取っておいたが、生活の為、ついに手放すことになった。 男は精一杯同情を誘う声でそう言ったが、信じろという方がどうかしている。 うちは買い取りはやっていないと誤魔化したが、男は簡単には食い下がらなかった。 こういうものは里の質屋の方が高く買ってくれるとも言ったが、「買ってくれ」の一点張りだった。 どうせこんな辺鄙な場所の、こんな偏屈な主人がやっている店なら足が付かないとでも思ったのだろう。 それでも僕が断ると、ならば半額でいい、いや三分の一でも構わないと言い出した。 大事な親の形見が、まるでバナナの叩き売りだ。 やがて最初と比べて桁が2つ減ったあたりで僕が折れた。 別に安さに負けた訳じゃない。 男の、肌に纏わり付くような粘着質な視線が不快でしょうがなかっただけさ。 彼は引っ手繰る様にして金を受け取ると、捨て台詞を吐いて店を出て行った。 そうして破格の値段で手に入れた最高級品の髪飾りだけど、暫くは店の隅で埃を被っていた。 本当の価値はどうであれ、あんなやり取りで買った以上は僕にとっては安物だ。 それにはした金とは言え、あの男に金を渡したこと自体が実に勿体無くて仕方が無かった。 そんな訳で僕はそれをかなり粗末に扱っていた。いっそ捨ててしまおうかとさえ思った。 その時本当に捨ててしまえば良かった。 それから暫く経った頃、魔理沙がうちにやって来た。 どうせ身に付けることは無いとは思ったが、あいつも一応は女の子だということで譲ってやることにした。 全く僕は愚かな事をしたと、実に後悔している。 魔理沙はこんなものに興味なんか無いだろうと、高をくくっていたんだ。 しかし実際はそうでは無かった。 あの時の魔理沙の喜び様喜は今でもはっきりと覚えている。 髪飾りを見るや軽い悲鳴を上げ、ぴょんと小さく飛び上がって、顔を真っ赤にしながらそれを受け取った。 一応、これまでの経緯を説明してはみたものの、魔理沙は興奮しすぎて僕の話を聞いていなかった。 何度も礼を言った後、魔理沙は店を飛び出したんだ。 その後のことは説明しなくても分かるだろう? 魔理沙は僕が絶対にありえないと思っていたことをした。 あの髪飾りを付けて、毎日そこら中を飛び回っていた。 そして事もあろうに、それを自慢していたらしい。 結果、人生二度目の誤認逮捕だ。 こっちは自業自得なんかじゃない。 完全に僕の責任だ。 しかも今度は、心の広い不良娘なんていない。 一振り羅刹、二つ目閻魔、三つ目は法華堂大自在天と言ってね。 これはなめし皮の鞭で叩かれる痛みの事を言ってるんだ。 まず、一振り目で羅刹も泣く。 二振りすれば閻魔も泣く。 三つ目は洒落だよ。 本当に羅刹だの閻魔だのを鞭で叩いた日には、泣くよりもっと恐ろしい目に遭うだろうけど。 まあ一振りだろうが二振りだろうが、どうせ年端も行かない少女に耐えられるものじゃない。 鞭で叩かれる時というのは、容赦なく上半身裸にされて、無理矢理背中を向けさせられる。 もう、その時点で背中が熱い。 背後の執行人の視線が肌を焼くように感じるらしい。 すると突然、パンッって風船が破裂するような音が響くんだ。 この音で鼓膜が破れてしまった人も、実際いるんだよ。 次に、背中が燃え出す。 これは比喩ではなくて、本当に熱いんだ。 焼けた火箸を押し付けられたのだと、勘違いをする事も多い。 それから、息が出来なくなる。 息を吸おうと思っても、筋肉が言うことを聞いてくれないらしいね。 僕らはこうして無意識のうちに呼吸をしているが、どうすれば酸素を肺に送り込むことが出来るのか? 叩かれた瞬間ってのは、それを忘れてしまうらしい。 息を吸えと頭に念じても、身体の方は勝手に息を吐き続けるんだ。 肺も随分強情ではあるが、やがてこれではいかんと考えるようだね。 本当に窒息しかけると突然、ダムが決壊したかのように大量の空気を吸い込む。 今度は腹が破裂するんじゃないかってくらい、再現なく息を吸う。 そこで一瞬だけほっとするんだが、次の瞬間、またパンッって音がするんだ。 そうした意味では魔理沙は幸運だよ。 鞭の下手な奴は適当に叩いて罪人を窒息死させてしまう。 それが10回ほど続いたらしい。 本人は100回とか、3日通して叩かれたとか思ったらしいけど。 まあ、そう思うのも無理は無いよ。 背中の肉が爆ぜ、ミートパイのようになっていたと、初夜の時困ると言っていた。 あいつも結構、マセてるだろう? −"香霖堂"はそう言って笑って見せた  それにしても、今夜の彼はよく呑む、喋る  付き合わされた私も些か呑みすぎのようで、最早視線も覚束ぬ  彼の話も聞こえているような、いないような  "香霖堂"は誰かに話が出来ればいいようなので、特に問題は無い様ではあるが− それで、先月だ。旦那の葬式の時だよ。 旦那の遺族、魔理沙の姉らと共に僕は来客の対応に追われていた。 流石は旦那と言うべきか、里中の商人や政治家達が集まっていた。 中には旦那と殆ど面識の無い奴もいたんだが、これも付き合いという奴だろう。 総じてそうした連中は、実に面倒臭そうに旦那の旅立ちの式に立ち会っていた。 本当に、居心地が悪かった。 いや、葬式と言うものは元々居心地が悪いものなんだろうが、僕はそこが自分の知らない場所の様に思えて仕方が無かった。 右を見ても左を見ても知らない者ばかり。 僕が旦那の元を離れてそうも時間は経っていないと言うのに、従業員の面子は様変わりしていた。 次々と現れる見知らぬ奴らが旦那の長女、つまり魔理沙の姉に挨拶をする。 この長女と言うのは、魔理沙とあまり年は離れてないが相当なしっかり者でね、 魔理沙にとっては母親の様な存在だった。 いつも旦那から大目玉を食らっていた魔理沙だったが、そんな時必ず魔理沙を慰めていたのが彼女だ。 父娘の間に決定的な溝が出来た頃も最後まで仲直りを願っていたのも彼女なら、魔理沙が家出した時に一番悲しんでいたのも彼女だ。 最近は店の切り盛りも殆ど彼女がやっていたらしいから、宛ら若女将と言ったところか。 旦那とは商売だけの縁だった者からすれば、葬式には彼女に挨拶をしに来ていた様なものだ。 ああ、何々屋の誰々さん、何処何処亭のご隠居様と、魔理沙の姉は彼らの顔を一々覚えていたらしい。 次期店主として、僕の知らない付き合いも出来ていたのだろう。 でも、そこから先は全て同じだ。 この度は大変お気の毒にだの、故人には生前誠にお世話になりましただの。 顔も名前も違う癖して、連中の言葉は全て一緒だ。 どうせ紋切り型の挨拶しかしないのなら、来るのは一人でいい。 その方が、覚える顔も名前も一つでいい。 本当に痛ましいと思うなら、何故そうしないのか? 絶え間なく奴らと挨拶していたせいで、旦那の長女は早速疲れ始めていた。 何だか、彼女まで何やら他人の様な気がしてきた。 何処も彼処も他人ばかりだ。 子供の様に戸惑う僕を置いて、やがて葬式は始まった。 想像以上に何も無い葬式だった。 当然、笑う者など誰もいないが、声を上げて泣くような者もいない。 皆、一様に神妙な面持ちをしていたが感情の起伏が全く無い。 楽しそうには見えないが悲しげな表情とも少し違う。 静かなことはいいとして、こうも得体の知れない連中に囲まれて、果たして旦那は無事に旅立つことが出来るのか、それが少し心配だった。 お陰で、僕まで少し変になる。 旦那の事を思い出せばいいのか、ただただここでじっとしているべきなのか? よくよく考えてみると、そこで寝ている人は実は旦那ではないのかも知れない。 僕は間違えて、誰か全く見知らぬ人の葬式に出てしまったのではないかと、そんな気さえした。 どうもこの儀式は現実感を奪い取るから良くない。 でも、ついに僕自身が誰だったかも忘れ始めた頃、突然とてつもない轟音が響き渡ったんだ。 それまで不気味なほど静かだったからね。坊主のお経なんて、全く耳に入っていなかったし。 一同、大パニックだ。この式が始まって、やっと感情の様なものが生まれた。 次に現れたのがそう、霧雨魔理沙さ。 僕の良く知っている、いつもの黒いロングスカート、白いエプロン、やはり黒の山高帽。 色だけは黒と白だけど、やはり葬式に出るような格好じゃない。 喪服達はみんな、面を食らっていたよ。 旦那の葬式の事、僕は魔理沙に言ってない。 大方、風の噂に聞いて、急いで駆けつけて来たんだろう。 そうでなければ縁を切った父親の葬式なんかに来るものか。 前もって知っていたなら、悩みはすれど絶対に来なかった。 父親が死んだと知った、その一瞬の感情の昂りこそが彼女がそこに来た理由だ。 で、その後、どうなったと思う? 魔理沙は力尽きた様に膝を着き、わんわんと泣き出した。 まるで5歳くらいの子供さ。 誰も彼もみんな、唖然としていた。 当然だよ。折角しめやかに行われていた儀式だ。 なのにこんな非常識な事をされたんじゃ迷惑だ。 何処の誰かは知らないが、ここはそんな風に大声を出す場所じゃない、と。 次第に、魔理沙に向けて冷たい視線が向けられ始めた。 それでも、元々そんなのに気が付く魔理沙じゃない。 非常識なのは生まれつきさ。 そうして遂に言ってしまった訳だ。 「お父さん、ごめん、ごめん」って。 大きく、どよめき立った。 その昔勘当された、霧雨の不良娘の噂は有名だったからね。 そこで魔理沙の正体に気が付いた奴も多かったんじゃないかな? おい、ひょっとしてあいつは・・・って声がそこかしこから聞こえ始めてきたんだ。 そこで我慢が限界に達したんだろう。 旦那の長女が立ち上がり、泣きじゃくる魔理沙の首根っこを捕まえて退出してしまった。 −ここまで言って"香霖堂"は黙り込んだ  先程から私は殆ど何も言っていないので、必然的に静寂が我々を包む  時刻は深夜を回っていたので余計に静かだ  とはいえ、苦虫を噛み潰したような"香霖堂"の顔だけ見たところで酒は進まぬ  このままでは埒が明かぬと堪忍したのか、彼は酒を一杯飲み乾すと、遂に話の続きを始めた  それにしても、随分不味そうに酒を呑む− 僕は何だか心配になって、こっそり二人の後を付けたんだ。 魔理沙はそのまま、寺の裏手に連れ込まれた。 そこで魔理沙の姉が言った。 今更、お前が何しに来た? お父さんが身体を壊してから、残った家族だけでどれだけ苦労したと思うのか? 家を飛び出して勝手気ままに暮らしているお前に、店を守る大変さが分かるのか? それを今になって、家族面してのこのこ出てこられても迷惑だ。 もう、お前の帰ってくる家はない。 こんな風な事を。 流石の魔理沙も、ようやく自分のした事に気が付いたらしい。 魔理沙の顔は、一瞬酷く青ざめて、それから見る見る内に高潮していった。 その時、彼女が抱いたのは悲しみや怒りじゃない。 「恥」だ。気が狂いそうな程の「恥」の感情が魔理沙の心を押し潰した。 そんな顔をしていた。 重圧に耐え切れなくなったのだろう。 魔理沙は急いで箒に跨って、何処かにすっ飛んで行ってしまった。 来た時に乗っていた奴じゃない。たまたま掃除をしていた坊主から掻っ攫った奴だ。 非常識に加えて泥棒の余罪まで付いてしまったが、1秒でもそこにいたくないと言う気持ちは僕にも分かる。 僕は何だか馬鹿馬鹿しくなって、そのまま寺を抜け出した。 きっと顰蹙は買っただろうが、それでも僕は構わない。 代わりにその夜、旦那を想って酒を飲んだ。 旦那はきっと、それで許してくれるだろう。 −そろそろ眠くなってきた  彼の話がひと段落付いたら、あと二言三言喋ったら眠らせて貰うとしよう  それにしても、随分酒を飲んだし後味の悪い話も散々聞いた  きっと明日には地獄のような二日酔いが待っているだろう− 霊夢に聞いたんだが、葬式の後、魔理沙は神社に来ていない。 紅魔館にも来ていないと、メイドが言っていた。 二人とも大して気にしてない様だったが。 だから今日、魔理沙の家に行ったんだ。 勿論、遠くから様子を見るだけのつもりだった。 僕もあの場にいたからね、悪戯に彼女を刺激したくは無かった。 そうしたら、彼女がいない。家ごとね。 自殺とかはしていないと思うよ。そんな度胸も無いからね。 ただ、手紙が残されていたんだ。森の更に奥の方へ行くのだと。 あの森は唯でさえ人外魔境だが、その最奥部はもう、あの世みたいなものさ。 人妖問わず一度足を踏み入れたが最後、二度と出ては来れない。 その代わり、永遠に誰も訪れることが無い。 誰にも会わないから、もう理不尽に虐められる事も無い。 勝つ事も負ける事も無い。 これ以上恥をかく事も無い。 思う存分魔法の研究が出来て、その結果が拙いものだったとしてもそれを笑う者なんかいやしない。 それはきっと、魔理沙にとっては幸せだ。 どうだい? 下手だろう? 幸せ掴むのに、ここまで難儀する奴もそういない。 霧雨魔理沙ほど不幸な奴はいない。 −眠りに落ちていく私の意識に一人の魔女の姿が滑り込んで来た  外界と一切の繋がりを絶った、皺くちゃに枯れ果てた森の魔女だ  "香霖堂"があんなことを言うからだ  お陰で夢に見てしまったじゃないか− −魔女が、私に向かって微笑んだ  微笑んだと言っても喜んでいる様には見えないし、かと言って悲しそうでもない  むしろ顔など最初から付いていないようにも思える  これはきっと、魔女にとっては幸せなのだろう  私は少し、悲しいと思った−