「どうした、霊夢? もう終わりか?」 満身創痍で泥に塗れた巫女の眼には、既に一片の戦意すら残っていない。 もう霊夢には反撃の手段など残されていないし、魔理沙の弾幕を攻略する糸口すら掴めていないようだ。 巫女としてのプライドさえなければ、とっくにこの場から逃げ出しているだろう。 「なんだよ、巫女の癖にだらしが無いな。妖夢や早苗よりかは楽しめると思ったのに」 「くっ・・・」 形の整った、涼しげな眉が僅かに吊上がる。 魔理沙にとって、それは極めて爽快だった。 今の霊夢の気持ちは手に取る様に分かる。 一体、これまでどれだけの数の敗北を彼女の前に積み重ねてきたことか。 その暗澹たる、重く澱んだ記憶を掘り起こすほどに、気持ちは高く上り詰めていく。 今や二人の立場はまるで逆になったのだ。 魔理沙はそれこそ小唄でも歌いだしたい気分になった。 「そらよっ! こっちから行くぞ!」 「ちょっ・・・うわぁぁぁぁぁ」 魔理沙が無数の弾幕を張った。 霊夢は満足に動かない身体で必死に避ける。 それにしても、鈍い。 まるで牛でも相手にしているかのようだ。 かつては彼女のことが宙を舞う木の葉の様に思えたことなど、とても信じられない。 ここまで鈍いと逆に外す方が難しい。 最初の頃はそれでもギリギリのところを狙っていたが、今では完全に見当外れな方向に撃っている。 その方が楽だし、露骨に手加減してやった方が霊夢にとっても屈辱だろう。 それでいて、外れると分かっている弾幕から必死に逃げる彼女の姿が、魔理沙には酷く滑稽だった。 「はぁ・・・はぁ・・・はぁっ・・・」 「ははは、やっぱり凄いな、霊夢は。今のを避けきるなんて」 一発もに命中していないことに安心してから、魔理沙は嫌味を言った。 口惜しげに俯く様がなんとも愉快だ。 しかし、少々やりすぎた感はある。 長年蓄積した鬱憤はあるものの、実力の半分も出せない相手に何時までもしゅう執着してもしょうがない。 もう十分過ぎるほど力関係はハッキリしているのだから。 それよりもっと、強い獲物がいいだろう。 例えばあの吸血鬼、妖怪、天人、鬼・・・ 若干予想していたより強くなりすぎたとは言え、奴らならもう少し本気を出せそうだ。 そうだ。奴らになら手加減してやることも無い。 本気で痛めつけたあと、たっぷり時間をかけて殺してやる。 どいつもこいつも自分が一番だと信じて疑わない連中だ。 たかが人間に負けて死ぬなど、さぞ屈辱だろう。 魔理沙の脳裏に、幻想郷の全てが己に平伏す情景が浮かんだ。 「・・・分かった・・・わよ」 「ん? どうした霊夢? 今度はそっちの番か? いいぜ、何処からでもかかって来い 「私の、グスッ負け・・・よ。グスッ・・・あなたには敵わない・・・」 「霊夢・・・?」 「ちくしょう・・・グスッ・・・ちくしょうっっ・・・」 霊夢の瞳から大粒の涙が零れた。 ついに心が折れた瞬間である。 魔理沙の中で、それは数日前の自分の姿と重なった。 凡そ自分が組める最強のスペルを編み出し、あらゆる事態をシミュレーションして臨んだ一戦。 何ヶ月も前から秘かに準備していた。 例え1%でも、勝つ確率が上がるならどんなことでもやった。 恥も外聞もかなぐり捨て、ライバル魔女達に教えを乞うた。 しかし結局は霊夢との途方も無い実力差を思い知っただけだった。 自分の全てを否定された気になった。 いや、自分で自分を否定せずにはいられない。 今まで山頂だと思っていた地点は、実はほんの麓に過ぎなかったのだ。 本当の頂は遥かに高く、厚い雲に覆われ姿形も見えない。 その夜、師から決して手を出してはいけないと言われていた『禁呪』に手を出した。 「そうか。私の勝ちってことで、いいんだな?」 「グス・・・いいわよ。まいった、降参よ・・・」 魔理沙自身、禁呪がこれほど強力なものだとは思っても見なかった。 良くて精精、互角。 霊夢を少しでも見返すことさえ出来ればいいと思った。 あわよくば勝つことが出来れば。それだけで良かった筈だ。 それで終わる、筈だったのだが。 「分かった、それじゃ・・・・・・早速、2回戦と行くか」 「えっ・・・!?」 「霊夢には随分負け越してるからな。ここらで一気に借りを返させて貰うぜ」 「まっ、待って・・・! いやぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!」 親友の涙が魔理沙の被虐心を突き動かす。 心の中にどす黒く沈殿した汚泥が掻き揚げられる様だ。 これも禁呪の影響だろうか? そうに違いない、と魔理沙は思った。 本当の自分は親友にこんな酷いことをする筈は無い。 全ては禁呪のせいだ。 いや、霊夢のせいかも知れない。 霊夢が触れてはいけないものに触れたんだ。 私はもう、霊夢の親友の霧雨魔理沙ではない。 あんな弱くて、惨めで、情けない人間はもう居ないんだ。 嫉妬、傲慢、裏切り。 魔理沙は渦を巻いた自分の心に飲み込まれて行くのを感じた。 どこまでも落ちて行く様で、とても安らかな気持ちになった。 〜数ヵ月後〜 だらだらと居座っていた夏も漸く重い腰を上げ、幻想郷に本格的な秋が来た。 山々は燃える様な紅葉に包まれる。 渓谷を吹き抜け湿気を帯びた風が肌に当たる。 秋の山は少し寒いが、実に心地が良い。 そこに2人の少女が居た。 絶景の中にありながら、何処か浮かない顔をしている。 「この山の紅葉は幻想郷一だって聞いたけど、本当にそうかもね」 「・・・・・・・・・」 「私は今日はここに来れて良かったと思うけど、あなたもそうかしら?」 「・・・・・・・・・ぅ、うん」 「・・・そう、良かった」 僅かに顎を引き、何とか搾り出すような返事をする。 それが車椅子の上の彼女に出来る、精一杯の意思表示であった。 「でも魔理沙、そろそろ薬の時間よ」 「あ、ああ」 霊夢が一本の注射器を袖から取り出し、魔理沙の首筋に打った。 病室に籠もりきりの魔理沙を案じ無理を言って外に連れ出した霊夢であったが、それでもこの薬だけは手放せなかった。 定期的に打たなければ魔理沙の命は一日と持たない。 それも最近は投与する量も頻度も増えてきた。 もしこの薬が効かなくなったら、もう後はない。 薬師からはそう言われていた。 あまりに大きすぎる代償だった。 禁呪は瞬く間に魔理沙の身体を侵食し破壊していった。 数日も掛からぬ内に、少女は動かぬ蝋人形と化した。 首から下の、ほぼ全身が麻痺したのである。 傍から見ればいい気味だ。 魔理沙の短い絶頂期にこっぴどく打ちのめされた者達は、そんな彼女を大いに笑った。 幻想郷一の馬鹿者だと嘲り、中傷し、蔑んだ。 そんな魔理沙を笑って許したのも霊夢一人であったし、愚かな彼女の結末に本気で涙を流したのも霊夢しかいなかった。 博麗霊夢は、霧雨魔理沙の親友である。 「・・・ど・・・して・・・どう・・・して・・・」 「魔理沙?」 「私って・・・馬鹿だよな」 「・・・そうね」 「私はどうして・・あんなことしたんだろう?  私には友達がいて・・・  勝てなくても思う存分弾幕ごっこが出来て・・・  勝手気ままに空を飛び回って・・・  それだけで・・・本当にそれだけで良かった・・・幸せだった筈なのに・・・  どうして・・・どうして・・・?」 「・・・・・・」 「私、あの頃に戻りたいよ・・・  またやり直せればいいのに・・・  戻りたい・・・戻りたいよ・・・」 「・・・・・・・・・」 霊夢は空を見た。 秋の空は遥かに高く、大きい。 その中を自由に飛び回る親友の姿を見た。 そんな気がする。