「ねえ、魔理沙を見なかった?」 ある、よく晴れた日のこと。 日当たりの良い博麗神社の縁側で、緑茶を飲んでいた少女―― 楽園の素敵な巫女、博麗霊夢のもとに、 大図書館に住まう知識と日陰の少女、パチュリー・ノーレッジが訪れていた。 「今日も探しているのね。  ……残念ながら、いつもと同じ答え。  最近ずっと、ここには来てないし、見かけてもいないわよ」 お茶を出そうと立ち上がる彼女を制して、パチュリーは続ける。 「ねえ……あなたは、友人を心配しないの?  というか、他人に興味がないの?」 何事にも縛られない自由な巫女。 博麗の巫女たる霊夢の性質や役割を理解しているパチュリーは、 それを咎めるつもりはないようだが、やはり疑問を抱くらしい。 「私は、そんなに冷たい人間に見えるのかしらね。  ……心配するときはするし、他人に興味を持てないなんて事も無いわ。  ただ、今回は心配しなくてもいいような……というか、探さないであげた方が良い気がしてるのよ」 「……何か知ってるの?」 「何も。……ただの、“巫女の勘”よ。  まあ、信じるか信じないかは自由だけど、あなたも……探さないほうが幸せでいられるんじゃない?」 「それも“巫女の勘”なのかしら」 「まあ、そんなところよ。  ……言っておくけど、魔理沙が何をしているかまではわからないから。  あなたのところの吸血鬼お嬢様にでも視てもらったら?」 「……レミィができるのは“その人物の運命を視る”こと。  “今現在の行動を視る”ことはできないの。  運命を視てもらったけど、『今は分かれ道に居るから、よくわからない』と言われたわ。  運命操作でも干渉できそうにない、とも。  まあ、ハッタリ半分って言うところもあるから……運命操作には期待できそうにないわね」 「あら、案外不便なのね。  それはそうと……あなたも今、運命の岐路に居るんじゃない?」 「選ぶ道なんて決まっているわ。私は魔理沙を探す」 「そう、それじゃあ気をつけて」 ええ、とだけ応えて、パチュリーはふわりと空気に乗った。 虚弱体質で、基本的には外出を好まない彼女を動かしているのは、 普通の魔法使い、霧雨魔理沙を探し、見つけ出したいという思いである。 その、強い思いの元となっているのは――彼女が魔理沙に抱く恋心だった。 「家は相変わらずの留守。霊夢はやっぱり何も知らない。  地霊殿、守矢神社、迷いの竹林、永遠亭、地獄、天界、太陽の畑、冥界。  どこも何度だって尋ねた、どこも駄目。河童も妖精たちも何も知らない。  ……ブン屋も何も見てないなんて……一体、どこに……」 自身が知る場所はすべて訪ねて回ったが、魔理沙の居所は依然つかめなかった。 こうなればもう、あとは幻想郷中を飛び回るしかない。 今まで彼女が尋ねた者たちは、霊夢以外、そのうち帰ってくるだろう、なんて楽観視して、笑っていた。 ――協力者が増えれば、魔理沙を見つけ出せるかもしれないのに。 ――もし、魔理沙がどこかに囚われていた時、救出が容易になるかもしれないのに。 そんな思いからくる、僅かな苛立ちに任せて思わず歯噛みをして、パチュリーは今日も空を飛ぶ。 「今日もパチェは白黒探し? これで、3週間ずっとじゃない」 独特の空気が充満する、光の届かぬ紅魔館地下の大図書館のテーブルで。 つい先刻、愛しい従者が運んできてくれた紅茶を飲みながら、 永遠に紅い幼き月、レミリア・スカーレットは、半ばあきれた様子で呟く。 「ええ。……無理をなさらないように、と申しているのですが……」 パチュリーと同じくらい不安げな表情を浮かべて、 大図書館の司書兼パチュリーの従者、小悪魔が応える。 4口目の紅茶を喉へ運んでから、レミリアは苦笑を浮かべて言った。 「パチェったら、わざわざ白黒が欲しがりそうな本をピックアップして、  見つけやすいところに出しておくんだから。  それから、結果のわかりきった弾幕ごっこ。  パチェは毎日楽しそうで、嬉しそうで、たまに悩んで、なのに白黒は鈍感で。  ……挙句の果てに、あんなに心配させるんだから。本当に罪な泥棒ね、魔理沙は」 思わず苦笑する小悪魔。 「あなたも、心配のあまり身体を壊す、なんてことのないようにね。  ……あなたも私の家族みたいなものなんだから。  あなたまで倒れたら、私も魔理沙を見つけ出して、  頭突きでもかまさなくちゃ、気が収まらなくなりそうだもの」 「お気づかいありがとうございます、お嬢様」 ぺこりと頭を下げる小悪魔に、レミリアも優しい微笑みを返す。 大図書館の天井につるされたランプの光が、 1か月ほど前から減ることのなくなった魔導書の山を、静かに照らし出していた。 幻想郷の人里に住まう人間たちは、妖怪を恐れる。 幻想郷の管理人たる妖怪の賢者、八雲紫と、 寺子屋の教師を務める上白沢慧音によって保護されるこの場所だが、 妖怪に襲われることはゼロというわけではないのだ。 そんな人里の隅にたたずむ民家の扉を、一人の青年が開けた。 ここは、彼の家である。 「ただいま、魔理沙」 「お帰り」 青年を出迎える白黒魔女――そう、彼女こそ、 パチュリー・ノーレッジが必死になって探している、普通の魔法使い、霧雨魔理沙だ。 ――マジックアイテムや箒を奪われ、魔法を行使することのできないこの状況を考えれば、 今の彼女は、普通の魔法使いではなく、ただの白黒少女に過ぎないだろう。 彼女の首には鉄製の首輪が付けられており、鎖によってこの部屋の隅に繋がれている。 ふわふわとしたベッドに寝かされた彼女の手足には、錠がかけられていた。 しかし、お気に入りの白黒エプロンドレスはそのままだ。 此処へ来た当初は異質さを感じた鎖の音にも、彼女は、もうとっくに慣れている。 「遅くなってごめんよ、今日も和食でいいかい?」 言いながら、青年は慣れた手つきで魔理沙の拘束を解く。 ただし、首輪と鎖はそのままだ。 魔理沙を、この家から逃がさないためであろうことが、容易に推測できる。 「うん」 「わかった、今から作るよ」 青年は魔理沙のために洋風の家具を購入し、新たな洋室を腕の良い大工に造らせた。 魔理沙はそこから、青年が資産家であるらしいことを理解した。 仕事で成功を収めたとのことらしいが、魔理沙はそれ以上のことを何も知らない。 数十分後、作り終えた食事を運んできた青年に、魔理沙は尋ねる。 「お前は私のこと、本当に好きなのか」 「ああ。どんなに嫌われても、この想いだけは変わらないよ」 食事が、目の前のテーブルに置かれる。 どちらからともなく箸を持ち、二人きりの夕食が始まった。 「嫌いじゃない、ただ、不思議なだけだ」 「僕はきっと、歪んでる」 「そうかもしれないな。……いや、最初はけっこう怖かったよ、その……  やらしいことされるんじゃないか、とか勝手に勘違いして……」 言いながら顔を赤く染める魔理沙に、青年は優しく微笑みかけた。 「僕は、そういうことに興味がない。あったとしても、君を汚したくはない」 「……そっか」 箸を進める。しばしの沈黙。 「鎖で繋がなくたって、私は逃げたりしないぜ」 「……ごめん」 「謝らなくてもいいよ、でも、それを信じられたら、お前はもう少し楽になれるかもしれないな」 「そうだね」 この青年もまた、パチュリーと同じように、魔理沙を愛していたらしい。 ただそれは、少しばかり歪んでいたのかもしれない。 それでも魔理沙は、青年の愛を拒もうとはしなかった。 青年が魔理沙に危害を加えたことは、いままで一度たりともない。 故に、魔理沙は今、彼を恐れないし、嫌悪するわけでもない。 ただ、恋愛感情があるのかどうか――これは本当に微妙なところで、 魔理沙自身さえも、わからなかった。 自由を奪われることに対する抵抗も、もうほとんどない。 大空を飛びまわりたいと思わなくなった訳ではないが、今の自分が不幸だとも思わなかった。 だが、幸せかと問われれば、彼女はやはり首を傾けるのだろう。 「ごちそう様。今日も美味しかったぜ」 「ああ、ありがとう」 30分ほどして、二人は夕食を終えた。 食事の後は、この部屋のすぐ隣にある浴室でシャワーを浴びる。 首輪に取り付けられた鎖は、調節すればかなりの長さになるため、不便はない。 魔理沙の後に、青年もシャワーを浴びて、それから夜の語らいを楽しんだのちに、同じベッドで一緒に眠る。 それは、もはや日常と化していた。 長い金髪に絡む泡を洗い流しながら、魔理沙は、ぼんやりと考える。 ――お茶の時間が大好きな、馬鹿みたいに強い博麗の巫女。 ――一見我儘な子どもに見えるけれど、本当はわりと思慮深い吸血鬼のお嬢様。 ――無愛想なようで、本当は優しい、虚弱体質が心配な紅魔館の知識人。 ――時折寂しげな様子を見せる、可愛らしくて親切な人形遣い。 「みんな、元気かな……ひょっとしたら、私のこと、心配してるかもな……」 なんとも形容しがたい罪悪感が、彼女の胸を締め付ける。 それを、この泡と一緒に洗い流してしまえるような人間なら、魔理沙はもう少し楽だったかもしれない。 けれど、そんなことは当然不可能で。 湯の温かさにたしかな心地良さを感じながら、彼女は切なげなため息を吐くのだった。 「一体、どこにいるの……魔理沙……  何としてでも、あの虚弱体質魔女より先に、私が見つけ出さなくちゃ……!」 あくる日の朝。 天候は、相変わらずの晴れ。 さんさんと降り注ぐ暖かい日光の下を、一人の少女が飛び回っていた。 パチュリーと同じように、3週間前から魔理沙を探し続けている、七色の人形遣い、アリス・マーガトロイド。 さりげなくパチュリーに敵対心を燃やす彼女もまた、霧雨魔理沙に想いを寄せる者の一人である。 「……博麗神社、地霊殿、守矢神社、迷いの竹林、永遠亭、地獄、天界、太陽の畑、冥界。  何度も廻ったけど、みんな心当たりないようだし……探す気もなさそうね」 その方が好都合だ、と、彼女は心の中で付け足す。 ――魔理沙を探しているのが私ひとりなら、魔理沙は私を愛してくれるようになるかもしれない。 ――私が魔理沙の窮地を救えば、魔理沙は私だけを見てくれるかもしれない。 淡い期待と不安を胸に、アリスは今日も空を飛ぶ。 「いっそのこと、紫魔女を潰してしまえればいいのだけど。  吸血鬼を相手にするのは、流石に面倒だものね」 自嘲的な笑みを浮かべるアリスは、ふとあることに気付いた。 幻想郷の人里は、まだ調査していない。 ちょうど人里の近くに飛んで来ていたのは、彼女にとってタイミングが良かった。 飛行速度を上げて、彼女は真っ直ぐ人里を目指すことにした。 「……パチュリーの判断、正解だったみたいね」 縁側に腰掛け、お茶の時間を楽しんでいた霊夢は、ふいに顔を上げて呟いた。 なにそれ、と、横で胡坐をかいていた小鬼が尋ねる。 ――小さな百鬼夜行、伊吹萃香。 可愛い顔をして常時酔っぱらいと言うこの怪力鬼は、 強さこそかなりのものだが、勘の鈍さもかなりのものらしい。 「魔理沙を探す、その判断。……これも勘だけど」 酒で喉を潤して、赤ら顔のままに萃香は言葉を返す。 「ふうん、じゃあ私も探そうかねぇ」 「あ、その方がいいかもしれない。  ……今後訪れる結末とは違ったものになりそうだけど、  あなたの“探す”行動によって訪れる結末の方が、平和かもしれない」 「変わっちゃうの? それじゃあ、やめとく」 「鬼って言うのは、正直者でひねくれ者ね」 「私は捻くれてないよ。  ……ただね、平和に終わったように見えても、実は悲劇を先延ばしにしただけ、ってこともあるからさ」 「成る程ね。ま、ご自由に」 どこか達観したような表情で、2人は澄み切った青空を仰ぐのだった。 「あら、虹がかかったわ」 大図書館で読書をしていたレミリアが、唐突にそんなことを口にした。 雨なんて降っていましたっけ、と言いながら怪訝な顔をする小悪魔。 「空じゃないわ。とてもとても不吉な、狂った七色の虹がかかったの」 「……魔理沙の、運命のお話ですか?」 こんなときのレミリアは、決まってどこか得意げな表情を浮かべている。 しかし、今回ばかりはそういう訳にもいかないらしい。 彼女は浮かない顔をして、小悪魔に答えを返す。 「ええ、そうよ。……私が動けない訳じゃないけど……  もしかすると、これが最善の選択かもしれないわね……」 「お嬢様なら、動かずとも、その能力を用いれば済むのでは?」 「無理よ、七色の強い思念が、私の介入を疎み、私の能力をはじくのよ。  その思念の持ち主は、私が介入しようとしていることに気づいてないけどね」 はぁ、と大げさにため息をつくレミリアを見つめながら、 小悪魔は困り顔を浮かべて、本の整理を再開した。