Deprecated: Function get_magic_quotes_gpc() is deprecated in /home/thewaterducts/www/php/waterducts/imta/req/util.php on line 270
『『興味を持つな』』 作者: sako

『興味を持つな』

作品集: 1 投稿日時: 2011/12/28 16:17:17 更新日時: 2011/12/29 01:17:17 評価: 5/13 POINT: 630 Rate: 10.08
 キャリーバッグを引いて街中を歩く。駅前。帰宅ラッシュと重なっているためか人でごった返している。ともすればぶつかりそうになるのを何とかかわしていく。くたびれたサラリーマン。あばずれ女子高生。ホームレス手前の看板持ち。ろくな人間がいない。かく言う俺もろくでもあるような人間ではないが。
 事前に指定された場所…地下鉄の出入り口脇の花壇に辿り着く。花壇、と言っても花なんて生えちゃいない。枯れかけた低木樹が植えられているだけだ。遠目に見ればカラフルな花に見えたものはなんてことはない。ペットボトルやピンクチラシ、空き缶が引っかかっているだけだ。花壇の縁には何人かが腰をかけていた。水商売系の女が一人。赤ら顔の中年が二人。そして、チーマー風のガラの悪い男が一人だった。俺は携帯電話を取り出し先ほど受け取ったメールの内容を再確認する。『赤ジャケ・茶髪』チーマーの風貌と一致する。

 俺はガラガラとキャリーバックを引いていくとチーマーの隣に一人分ほどの距離を開けて花壇に腰を下ろした。チーマとの間にバッグを立てかけて。
 一息ついてからタバコを取り出す。普段、吸っている銘柄と違うので封を切るのに少し手間取る。口に加え100円ライターで火をつけるとえも言えぬ味わいが口の中に広がった。うまいまずいではない。学のない俺ではとても言い表せれない味わい。成る程。こんな微妙な味のタバコなんて余程の物好きか、特別な理由でもなければ誰も吸わないだろう。
 と、隣に座っていたチーマー風の男も俺の行動を見てかタバコを吸い始めた。俺と同じ銘柄。余程の物好きか特別な理由でもない限り誰も吸わなさそうなタバコを。

「今年は阪神は勝ちそうか?」

 不意にチーマー風の男がそんな風に話しかけてきた。多愛のない雑談といった風。俺は少しだけ迷った後、「どうかな」と曖昧に答えた。

「プリウスの方が乗り心地は良いと思うね」

 更にそう続ける。他愛のない、けれど、しっかりと聞けば明らかにおかしい内容の会話。だが、これでいい。
 チーマー風の男はそうか、と頷くと視線を俺がもってきたキャリーバッグの方に向けた。

「これか」「これだ」

 それで俺の仕事は終わりだった。チーマー風の男も同じ事を考えたのか、さっさと不気味な味のする煙草を消して立ち上がろうとした。俺がもってきた、俺がここにもってこいと言われたキャリーバッグの方に手を伸ばしながら。
 と、

「そうだ」

 チーマー風の男がその途中で動きをとめ、上げかけていた腰をまた下ろした。いったい、どうしたというのだろう。

「お前、この中身知ってるか?」

 チーマーは俺の方に顔を向けながらそう尋ねてきた。あり得ない質問に俺の眉は露骨に歪む。

「知らねぇよ」

 知るはずがない。バッグは俺の持ち物ではないし、中身を詰めたのも俺じゃない。

「気にならねぇのか」
「ならないね」

 こいつもその事を十分、知っているはずだ。だというのに執拗にチーマー風の男は俺に尋ねてくる。

「俺はコイツを受け取ってこいって言われただけでコレだけもらう予定だ」

 そう言って指を四本立てるチーマー。俺は五本だった。だが、それがどうしたというのだ。

「あり得ないだろ。こんな簡単な仕事で。ってことはそれだけコイツがヤバイ代物ってことさ。そうするとやっぱ、運ぶ身としては中身が気になるわけじゃん。知ってれば、それなりに中身に気をつかって運ぶこともできるじゃねぇか」

 そういうチーマーだが、言葉の裏には明らかに『好奇心』という文字が見えていた。口から出ている言葉はすべて建前で本音は理由もなく中身を知りたがっているだけだ。

「そうかよ。でも、気にするな。知っても知らなくてもやることは一緒だろ」

 だが、それは就業規則違反だ。黙って、中を見ず、言われた通りに運べ。それが俺たちの仕事だ。

「なんだよつれないな」
「黙れよ。さっさと行けよ」

 僅かに空気が険悪な物となる。睨み合うような形になる俺とチーマー。その今にも口論を始め、終いには殴り合いの喧嘩に発展しそうな雰囲気に水商売風の女が気づいたのか、こちらに視線を向けてきた。凄みを効かし、女を睨み付ける俺。それで水商売風の女はまずった、と言わんばかりに顔を背け立ち上がった。けれど、それで潮時だ。

「……」

 俺は無言のまま立ち上がった。これ以上、チーマー野郎と話をする気になれなかったのだ。俺はやるべき事をやった。後はコイツの仕事だ。それが失敗しようがどうなろうが俺の知った事じゃない。おい、と後ろから強い声がかかるが無視し、俺は雑踏の中にへと足を踏み入れていった。


◆◇◆



 コレで俺の仕事は終わりだ。
 今朝、別の場所で受け取ったキャリーバッグをここに持ってきて、あのチーマー風の男の近くにそれとなく置いて帰る。多分、この後、あのチーマーも俺と同じくあのバッグを何処かに持っていくのだろう。駅前の貸しロッカーの中か、それとも何処かのゴミ捨て場か。そして、置いていったキャリーバッグはまた別の誰かの手に渡り、最終的に届けたかった誰かの元から届けて欲しかった誰かの元へと届けられる。何人もの手を経て。誰一人としてそのルートの全容を知らずに。これが俺が説明できる『仕事』の内容だ。公共の配達機関が利用できない特別な物を、万が一に備えて早々に全容が掴めないよう矢鱈回りくどい手段でもって、法外な、けれど運んでいる物の価値からすれば二束三文のはした金で、運ぶだけの簡単なお仕事。所謂『運び屋』と言われるアンダーグラウンドな仕事だ。

 運び屋、と言っても映画・トランスポーターのような華々しさは実際には微塵もない。俺はこの仕事を三年続けているが毎度、今回のと同じような内容を繰り返していただけだ。警察に職務質問されて物を検められそうになって…なんて、ピンチすら起きない。元より、そうさせないようにしているのだから当たり前の話だ。あくまで一般人の眼にさえ止らないような自然さで全ては行うように指示されている。

 例えば先程のキャリーバッグをチーマー風の男に渡す段取りもそうだ。珍しい、けれど誰でも吸うであろう煙草でお互いを確認し、他愛のない会話、けれど、よく聞けば間違っている内容で最終確認をする。後はチーマー風の男がキャリーバッグを最初から自分の物でしたと言わんばかりに自然に持っていけば万事滞りなく今回の仕事は終わるはず…だった。最後の最後で余計な茶々をあの男が入れなければ。

 この仕事にはさほどルールという物はない。もとから会社でも個人経営でもなく、何処かのヤクザか金持ちだかが部下に命令して更にその子飼いの連中が言われた通りにするだけの内容なのだから。社則もクソもない。それでも絶対に守らなければならないものがいくつかある。言われたこと以外はするな、時間と場所は守れ、荷物は大切に扱え、そして…運ぶ物に興味を持つな、だ。先の三点は別段、どのような仕事にでも当てはまる内容だろうが、最後の一つだけは『運び屋』の仕事独特のものだろう。

 運ぶ物に興味を持つ…それは分らなくもない話だ。仕事の内容のワリにこの仕事は払いがいい。加え、どんな場合でも大抵『中身は見るなよ』と念を押される。中身が何かなんて説明されることは滅多にない。チーマーは『知ってれば、それなりに中身に気をつかって運ぶこともできるじゃねぇか』などと言っていたが寧ろ真逆だ。知らない方が、断然、安全に運べる。下手に知ってしまえば運んでいる物の違法性や価値、危険度に気押され、挙動不審になってしまうかもしれないからだ。例えば、さっき運んだキャリーバッグの中身が爆弾だったとして落ち着いて運ぶ程の図太い神経を持っている奴なんてそうそうにいないだろう。俺も爆弾を運べとはっきり言われて、平常心を保ったまま運ぶ事なんて出来そうにない。そして、平常心の乱れはそのまま挙動不審な動作に繋がる。挙動不審な動きをすれば人目に付く。人目に付くと言うことは警察の眼にも留まる、ということだ。あとはお決まりの職務質問から持ち物検査。言い逃れなんて出来ないだろう。自分はただの運び屋でどこそこからどこそこへ運んでいただけだと弁明したところで聞き入れて貰える訳はない。一から十まで全部ぶちまけたところで俺たちに知らされているのは物が運ばれるルートの一部だけだ。ましてや、ここだけは本物の映画さながらに警察に捕まった運び屋を依頼主達は助けるなんてありえない。働き蟻が一匹潰されたぐらいで女王蟻が動じるはずがないのと一緒だ。かくして前科一犯。そして、もう二度と、運び屋の仕事は任されなくなるだろう。代わりはいくらでもいるのだから。
 また、運ぶ中身が大量の偽札や麻薬、盗み出した高級品だった場合、運び屋が良からぬ事を考えないとは言い切れないだろう。俺も中身を売り払えれば一生遊んで暮らせる大金になると言われれば確かに迷わなくもない。そうでなくてもこんな仕事を任せられる連中なんて社会的に見れば底辺が揃っているのだ。ガラの悪いチーマー、ヤンキー。ヤクザの下っ端。多額の借金を抱えた輩。信頼、とはほど遠い位置に座っている奴らばかりだ。
 
 だからこその『興味を持つな』だ。
 それだけがこの仕事の不文律だ。

◆◇◆



〜♪〜♪〜♪

「っと」

 チーマーにキャリーバッグを渡してから宛てもなく街をぶらついていると不意にポケットの中の携帯電話が振動と共にけたたましい着信音を鳴らし始めた。電話だ。先程、チーマーの風貌を確認するためにつかっていた旧式の物ではなく、俺個人の携帯だ。相手は誰だ、と考えながら取りだす。ヒトミ…俺の彼女の可能性が高い。もう三日程会っていない。そろそろ寂しがっている頃合いだと思う。もしくはT子か。本名は知らないセフレだ。アイツはいつも狙いを済ましたかのように俺が暇な時に会おう、と電話してくる。若しくは一個下のコータか。また、馬かパチンコに負けたんで金を貸してくださいとせびる為に電話してきたのかもしれない。
 と、その内のどれかだと三人予想を立てたが携帯のディスプレイを見て確認した名前はまさかの四人目だった。

「はい、もしもし」

 他の三人なら「何だ」と開口一番に言うところだろう。いや、三人以外にもだ。だけど、この相手だけには礼儀もクソも知らないような俺も敬語を使わざるをえない。

『ケンジか。頼んでおいた仕事は終わったか』

 ケンジとは俺の名だ。そして、

「はい、丁度今終わったところッス、リュウザキさん」

 電話の相手がリュウザキさん。俺の恩人だ。
 リュウザキさんはヤクザで、俺に運び屋の仕事を斡旋してくれる方だ。俺がネンショーを出た頃からの付き合いで、色々と良くしてもらっている。今では肉親よりも信頼する大切な兄貴分だ。
 リュウザキさんの優しいところも怖いところも知っている俺は自然と言葉遣いに加え姿勢までもただしてしまう。元からリュウザキさんは俺の恩人だ。いくら電話口とは言え、不遜な態度はとれない。

『おう、お疲れ。今度も大丈夫だったか』
「はい、そりゃモチロン」

 労いの言葉をかけられ、先程まで心にしこりのように出来ていた怒りが一気になくなってしまった。自然、と顔が綻ぶ。

『そうか。じゃあ、連続で悪いんだがもう一つ、仕事を頼めるか』
「ええ、大丈夫ですよ」
『オイオイ、最後まで話を聞けよ。まだ、俺ァ、仕事の内容についてなにも言ってないぞ』
「俺がリュウザキさんの話を断る訳がないじゃないですか」
『去年のクリスマス、彼女と過ごしたいって俺が持ちかけた仕事を断ったのは何処のドイツだ?』
「ありゃ…ヒトミの奴が泣きついてきたんで…」

 まぁ、いい、とリュウザキさんはそう俺の無駄なのろけ話を断ち切るように口にした。俺の方も別段、言いたかった訳ではないので黙って余計な口を閉じる。

『お前、免許持ってたよな。ちぃとでかい荷をN県まで運んでくれ、って仕事が来たんだ』
「N県ですか…?」

 N県。とっさにその位置が出てこなかった。日本地図を思い出してみる。確か東北の方の県だった筈。関西のここからじゃ丸一日は車を飛ばさなきゃ行けないような場所だ。

『おお、重要な仕事なんだが、流石に一人で行くには遠すぎるからな。もう一人、運転が出来て…しかも、信頼できる奴がいるんだ』

 信頼、その言葉にイントネーションを置くリュウザキさん。これで頷けないはずがなかった。
 その後、俺はリュウザキさんと適当に打ち合わせを済ませて電話を切った。やはり、往復二日程かかる大仕事の様で明日は日の出からの出発だった。

「ふぅ…大仕事だな」

 それは俺が受け取る報酬についてもだった。両手の指どころでは済まない額をリュウザキさんから言われた。流石の俺も心臓がドクドクいっているのが自分でも分った。それだけヤバイ物を運ぶのだろう。いや、緊張の理由はそれだけではない。『信頼できる奴』リュウザキさんにかけられた期待の言葉。それも含めてだ。

「頑張るか」

 柄にもなく気合いを入れてしまう。認められ、信頼され、だからこと回された大仕事だ。柄にもないことをしてしまうのも無理はないだろう。
 と、俺はポケットにもしまわずずっと握りしめていた携帯電話のランプが点滅しているのに気がついた。どうやらまったく気づいていなかったがメールも来ていたようだ。すぐにそれも確認する。メールは三件。それぞれ別の相手。

一件目…
from:ヒトミ
件名:ふぇぇーん寂しいよぉ。゚(゚´Д`゚)゚。
内容:(省略。長々と絵文字つきで要約すれば明日会おうよ、という内容が書かれていた)

二件目…
from:T子
件名:なし
内容:しない?

三件目…
from:コータ
件名:スンマセン
内容…は読む気にもならなかった。

 俺はヒトミには丁寧に急な仕事が入って無理だ、という内容で最後に『愛してる』という一文をつけて返信。T子には簡素にしない、とだけ返した。コータのメールは無視した。あのバカとはそろそろ縁を切った方が良いかもしれないと思ったのだ。


◆◇◆


 翌朝、まだ日も明けぬ時間帯に俺はリュウザキさんに指定された場所にやって来た。港の倉庫街の一角。そこですでにリュウザキさんは荷を乗せた車と一緒に俺を待っていたのだが…

「リュウザキさん、これトラックじゃないですか!」
「ん? ああ、そうだな。俺には軽四には見えないな」

 そうとぼけたようなことを口にするリュウザキさん。彼がもたれ掛かっているのは中型トラックの荷台部分だった。

「俺の免許、オートマナンすけど…」
「4トンなら普通免許で乗れる。ほら、さっさと乗れ。行くぞ」

 へぇぇい、と気のない返事をしてしまう俺。車なんてミニバンぐらいしか運転したことないってのに。

 リュウザキさんが運転席側に、俺が助手席側にまずは座った。適当なところで交替しつつ走ろう、というのが今回のプランだ。いつものように何人かの人間を使ってバケツリレーのように運ぶのではなく最初から最後まで二人ががりとはいえ同じ人間が運ぶのだ。それだけ特殊で信頼のいる人間にしか任せられない荷なのだろう。

「いやいや、駄目だ」

 と、俺はそこまで考えて首を振った。『興味を持つな』それが不文律だ。



 俺の気合いとは裏腹に道中はまったくと言っていい程、問題無いまま進んでいった。心配していたトラックの運転も慣れればどうということはないものだった。あまり飛ばしすぎてリュウザキさんに怒られてしまった程だ。それでも道中は別段、問題は起らず平穏なままに進んでいった。道中は。




「…んぁ」

 トラックの振動で不意に目を覚ました。
 目を開けて真っ先に見たのは…

「え…?」

 闇、だった。
 一瞬、まだ自分は夢の中にいるのかと疑ってしまった。それほどに深い闇がフロントガラス越しに見えたのだ。
 憶えている限り、俺たちは十五時間以上、トラックを途中、給油と休憩を挟みながらも走り続けさせていた。乗り込んだのは日の出前だったが、山間に沈む夕日も道中見ている。その時、運転していたのは俺だった。その後、適当に見つけたファミレスで夕食と休憩を取り、リュウザキさんと運転を交替し、等間隔に並ぶ街灯を見ながら走り始めたのは憶えていたのだが…それがどうしたことだろう。今は街灯一つない真っ暗闇の中をトラックは走っているではないか。

「リュウザキさん…」
「ん、起きたか」

 俺の声に反応する運転席のリュウザキさん。同時にがたん、とまた車が揺れた。かなりの悪路を走っているようだ。リュウザキさんも集中して運転している様子が見て取れた。メーターを見ればそれほどトラックは速度を出していなかったがこの暗闇では体感出来ない。

「スイマセン、寝てました」
「いや、そろそろ起こすつもりだったから大丈夫だ」

 それでも一応、もう一度スイマセン、と謝っておく。次いでここは? と俺はリュウザキさんに問いかけた。
 赤々と輝くライトが照らし出しているのはとても道とは思えない落葉が敷き詰められた場所だった。遠くには立ち並ぶ木々も見える。相当、山の奥深くなのだろう。

「何処ッスかここ?」

 目をパチクリさせながら問いかける。リュウザキさんは僅かに考え込んだ後、「N県と隣のS県の境目ぐらいだ」と答えた。何とも曖昧な、と思ったが俺はすぐにその考えを改めた。こんな山の中、GPSでもなきゃ、自分の正確な位置なんて分りっこない。

「近道かなんかなんですか?」
「いや、依頼主に指定された場所がこの先だ」

 ふぅん、と気のない返事をしてしまう俺。こんな辺鄙な場所を通り抜けなきゃならないなんて、依頼主はとんでもなく田舎にいるのだろう、そう思ったのだ。

 だが…

 トラックは走る。走り続ける。山中を。街灯の明りも届かない暗い山中を。道はまったく舗装されていないのかトラックは酷く揺れた。こんな道なんて日本に存在するのか、と思った。そいつはつまりこんな道を通る人間はいないって事だ。

「………」

 なんとはなしにライトが照らし出す僅かな風景が不意に恐ろしいもののように思えてきてしまった。未踏の地。人が通ったことはない道。通る必要のない道。通らない道。通っては、いけない道。

「…なんてな」

 呟いて無駄な妄想をかき消す。何を馬鹿なことを。ここは日本だぞ。景気は悪いが世界でも一番平和で、大抵の場所で携帯電話が通じ生水が飲めて、きちんとしたトイレがある。国の端から端まで舗装された道路が走っている場所だ。なんだ、人間様が通ってはいけない道って。

「どうした?」
「いえ、別に。何でもないっす」

 俺のつぶやきに反応してしまったのか、リュウザキさんが話しかけてきた。けれどまさか『夜道が怖いんです』なんて返せるはずもなく、俺は曖昧に笑ってごまかした。いや、それ以前に、怖がってなんていない。
 前を見ているのにもつかれたので、頬に肘をついてなんとはなしにドア側の窓から外を眺める。こちらはほとんど闇に包まれていて何も見えない。薄目を凝らして何とか道に沿うよう立ち並んでいる木々が見えるだけだ。

「……」

 それから数分。後方に流れていく木に俺は早々と飽きを抱き始めた。当たり前だ。変わらない風景が延々と、しかも、真っ暗闇の中続いているのだ。電源を消したテレビを見ている気分。退屈なことこの上ない。
 もういいや、と森から視線を逸らそうとする俺。瞬前、

「…ん?」

 その瞳が木々の間を走り抜ける何かを、捕らえた。

「……リュウザキさん」
「なんだ」
「なんか、外に、いましたよ」
「そりゃいるだろ。こんな山ん中なんだからな、鹿とか狸ぐらい」
「いえ…」

 鹿? 狸? どちらも俺は実物を見た記憶はない。けれど、だいたい、大きさはイメージできる。狸は犬と同じぐらいで、鹿ってのは小さな馬ぐらいだろ。だが、今見た影の大きさはそれよりも大きかった。はっきりと確証は持てないが人と同じぐらいの大きさだったように見えた。いや、それ以前に人みたいに立って走る生き物なんて俺は見たことも聞いたこともないぞ。

「………」

 わずかに身体に寒気を覚える。生理的な寒気。悪寒。理性や感情、頭で考えてではなく身体やもっと他の別の部分が忌避するから起こった生理現象。
 いいや、あれは見間違いだ。鹿や狸ならまだしもこんな山の中をトラックと並んで走るような人間がいてたまるか、そう自分にい聞かせる。それでももはやドア側に目を向けていられなくなってしまい、俺は凍えそうな身体を抱くよう腕を組んで真正面を向いた。

「リュウザキさん」
「なんだ?」
「その…まだなんすかね、依頼人のトコは」

 俺が起きてからもうそこそこの時間、トラックは走り続けている。依頼主が待っている集落への近道で山の中を走っているにしてもそろそろ舗装された道路や街灯なんて見えてきてもおかしくないはずだ。だというのに外の風景は変わらず闇に包まれた山中だ。見える物は乱雑に生える木々とその落葉だけで目につく物はなにも、ない。

「依頼主ってどんな奴なんですかね。こんな山ん中住んでるなんて」
「………」
「人間嫌いの金持ちのじいさんか、それともなんか宗教団体の関係者とか、ああ、熊殺しの格闘家とか。まぁ、普通じゃないッスねフツーじゃ」

 知らずの内に口から付いて出る言葉。それに気がつき、しまったと俺が口を紡ぐより先にリュウザキさんが恐ろしい眼光をこちらに向けてきた。

「静かにしろよ。相手がナンだって関係ェないだろ」
「す、スンマセン…」

 しまったと、内省する。普段ならこんな莫迦な真似はしない。『興味を持つな』が不文律なのはよく知っているつもりだ。けれど、この雰囲気…異様な暗さを湛えるこの森の夜気にあてられてしまったのだ。弱い犬程よく吠える、とヤンキー漫画でよく言うがあれだ。畜生。白状しよう。俺はこの場所が恐ろしくてたまらなかった。

 延々と続く闇。見える範囲は僅かにトラックの前方二メートル程度。舗装されていない道を走るトラックは秒針が一周する回数より多くガタン、ゴトンと上下に揺れる。そんな大きな石でも落ちているのか。いや、タイヤが踏みつける一瞬前、落葉に埋もれるように見えた白い塊は…なんだ。しゃれこうべに見えたのは俺の目の錯覚か。落葉の下に埋もれているのは白骨死体か?そんな馬鹿なと自分の妄想を首を振ってかき消そうとするが、強い風が吹き外界に晒される道を埋め尽くす白骨のイメージはぬぐえない。ありえないだろ。だったらここは地獄か黄泉路か。冗談じゃない。ほんの数時間前まで俺はファミレスでステーキハンバーグのセットとビールを呑んで食後に煙草をぷかぷか吹かしていたんだ。その後、ヒトミにおやすみのメールも送った。そんな日常を過ごしていたんだ。それが今じゃなんだ。こんな山道を恐怖に脅えながらありもしない妄想を抱いてビビってる。ありえねぇ。ありえねぇ。

「……まだですかね」
「もうそろそろだ」

 ジッとしていられなくなり、さつき聞いたばかりの質問をまたしてしまった。言葉に苛立ちが混じっているのが自分でもよく分る。リュウザキさんに失礼だ。それでも、苛立たずにはいられなかったのだ。苛立っていなければ俺はぶるって、ションベンを漏らしてしまうかもしれなかったからだ。
 喩えだとか自分を卑下してそう思ったのではない。本心だ。窓の外に広がっている闇に目を懲らす勇気は最早、微塵も残っていなかった。かといって目を逸らし続けているのもまた恐ろしかった。俺は交互に車内と車外に忙しなく目を向けるようになっていた。落ち着かない態度。ダッシュボードを見てはサイドミラーに一瞬だけ目をやり、なにも見えなかったことに安堵しつつなんとはなしにリュウザキさんが握るハンドルに目を向ける。けれどまだ、自分が見えていない位置に何かがいるような気がして流し目で正面を見る。見えるのはライトに照らされた僅かな場所だけ。あとは闇。妄想だと己を叱咤し、目を伏せる。目蓋を閉じる。訪れる暗闇。目を瞑ったのだから当然だ。暗闇。光の届かぬ暗闇。なにも見えない暗闇。何かがいても見えない暗闇。

「……っ」

 閉じた目蓋の裏側に何かがいるような気がして、俺は目を瞑ることにさえ恐怖を覚えた。完全な闇はいらぬ妄想を招きかねない。それならばまだ現実の闇を見ていた方がマシだ。こちらにはまだ車のライトがある。俺は閉じていた目蓋をすぐに開け、そして…

「ウワァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!」

 悲鳴を上げた。

 途端、甲高い音を立て急停車するトラック。落葉を巻き上げ、滑りながら、中に乗っている人間を前のめりにさせる勢いで。

「なっ、なんだァ!」

 リュウザキさんが叫ぶ。俺はそれに答えられない。幾ら息を吸っても酸素は肺まで届かず、心臓は早鐘を打つよう脈打っている。見開いた目には一瞬垣間見た光景が映っている。なんだ、なんだ、なんだ、俺は一体、ナニを見たんだ…ッ!!?

「オイッ! ケンジ!」

 リュウザキさんにこづかれ俺はやっと我を取り戻した。それでも身体はつららでも突っ込まれたように震え、そのくせ背中には脂っこい汗をかいてしまっている。

「あっ、あ、そっ、その…ヒッ、人が…」
「人ォ?」
「そう、そうです。道の端にひ、人が立ってて…それで…」
 コンコン、
「ヒィィィィィィィィィ!!!」

 またも上がる悲鳴。それが自分の喉から出た物だとは俺は最後まで気づかなかった。
 不意に窓ガラスを叩かれ驚いたのだった。叩かれた窓は俺の側だった。そして、俺はリュウザキさんの方を向いている。窓の方は向いていない。振り返れば窓を叩いた奴が何なのか分るだろう。それでも理性と本能が全力で、振り向くなと告げていた。その余りに強い反応に酷い悪心を抱く。身体の震えは止らず、今すぐにでも医者に駆け込みたい気持ちになった。

「ああ、やっぱり…」

 それを僅かに落ち着かせたのはリュウザキさんの声だった。リュウザキさんの声は普段通り、落ち着いたものだった。俺の恐怖と混乱とは裏腹に。だからか、俺が振り返ったのは。振り返って窓を叩いた奴を確認しようと思ったのは。
 果たして、トラックの外にいる奴は…

『こんばんわ』

 小さな唇がそう動くのが見えた。
 へ、と俺はつい呆けた顔をしてしまう。
 あれだけ震え、決して振り返ってはならないと告げられていたのに外に立っていたのはなんてことはない、金髪の女だったからだ。ゾッとするような美人で、顔にあまりにも胡散臭い微笑を張り付けている。けれど、女だ。ただの金髪の女だ。ナンノヘンテツモナイただの女だ。

 こんな暗い山の中、たった一人で道の端に棒立ちに、あまつさえ不意に窓を叩いて俺を驚かせた女に対し、俺はなにも出来ないでいた。吃驚しすぎてそれが尾を引いている。それだけかも知れなかったが、何故か俺の身体はまったく動かなくなってしまっていた。喩えると蛇に睨まれた蛙のように。それが解けたのはいつの間にかトラックから降りたリュウザキさんが女に話しかけていたからだ。その光景を目にして俺は安堵したのだ。『ああ、コイツは話が通じる相手なんだ』と。馬鹿馬鹿しい。金髪だから外国人かも知れなかったが、それでも話さえ通じないなんてことはあり得ないだろう。同じ、ニンゲンなんだから。

「おい、ケンジ。さっさと降りて挨拶しろ」
「う、ウッス、すいません」

 リュウザキさんに怒鳴られ俺はいそいそと扉を開けて車から降りた。

「こんばんわ」
「こ、こんばんわ」

 微笑を湛えぺこりと頭を下げる女。妙に耳に残る甘い薬酒のような声だった。慌てて俺も頭を下げる。この人が今回の仕事の依頼人なのだろうか。こんな所にいるのは俺たちが余りにも遅いので様子を見に来た、という事なのだろうか。けれど、俺の考えは外れだと言わんばかりにもう一度、リュウザキさんが急かすような事を言ってきた。

「それじゃあ、荷はここに降ろしますね。おい、ケンジ、さっさと降ろすぞ」
「え…? ここでですか?」

 聞き返さずにはいられなかった。
 場所は山中。回りには街灯も建物もなく、道さえない。こんな場所に荷物を降ろすなんて有り得ない話だった。あの女がここから先、持っていくという事だろうか。だが、周りを見回しても車やせめて台車のような物はなかった。運んだ物が何かは分らないが、それでも4t車が必要な程、大きな物なのだ。疑問が湧かないはずがない。だが、俺のその疑問は早くしろと急かすリュウザキさんの弁によって消え失せた。『興味を持つな』それはあらゆる事柄についてだ。言われた通りにするしかない。俺はリュウザキさんに続いてトラックの後ろ…荷台側へと回り込んだ。女も荷物の確認にか、付いてくる。

「俺が降ろすから、お前は下で受け取れ。…物はそこに並べればいいですかね」
「ええ、結構ですよ」

 リュウザキさんの言葉の後半は女に対してのものだった。
 トラックの荷台の扉を開け、よっとかけ声一つで中へ入っていくリュウザキさん。程なくしてずるずるとなにかを引きずる音と共にリュウザキさんが戻ってきた。

「重いから気をつけろよ」
「ウス」

 リュウザキさんが荷台の奥から手前まで持ち出してきたのは大きな銀色の袋に包まれた物だった。大きさは二メートルないぐらい。縦長でなにか柔らかい物が入っているようだった。軍手をつけて物の下に腕を通して持ち上げる。

「うっ」

 言われた通りなのだが、思った以上に重かった。六十キロ以上はあるだろう。とてもじゃないがこれを持って長々と歩くのは不可能そうだった。妙に柔らかい袋の中身が重さと合わさり持ちにくさに拍車をかけている。すぐそこに置いて並べればいいというのが幸いだった。

「おら、早くしろ早く」
「ウッス!」

 余計な事を考えている場合ではなかった。俺が一体…いやいや、一体って何だ。自然とコレを一体と数えてしまったが違うだろう。一つだ。これは一つだ。俺が一つを運んでいる間にリュウザキさんは二つも荷台の出入り口の処まで持ってきていた。確かにちんたらやっている余裕はなさそうだ。俺は駆け足でトラックの処まで戻りまた、クソ重い荷を持ち上げて最初に運んだ一体の…一個目の隣にへと降ろした。

「がんばってくださいね」

 その様子を女はやはり胡散臭い微笑を張り付けたまま眺めていた。手伝うようなそぶりは見せない。当たり前か。女の細腕で持てるようなしろもろではなさそうだ。持つなら背負うしかないだろう。この重さと柔らかさは背負ってやっと何とかなるものだ。ああ、と、運びながら俺はこれがなにかににているなと思い始めた。

「あと三人だ」
「ウッス」

 リュウザキさんの言葉も右から左に聞き流しつつ、なんだったかなと頭を捻る。と、こちらを笑いながら見ている女と目があった。底の見えない瞳。ヒトミ。だが、その顔は何処かで見たことがある。ああ、バーでだ。静かなところに呑みに行くとたまにそういう顔をする奴がいる。酔って気分が良くなったのか、じっと相手の顔を見ながら笑みを湛える奴が。

「ああ、そうか」

 酔って、とヒトミが繋がった。そうだ。アレは二年前だったか。俺がヒトミと付き合うきっかけになった時の話だ。あの日はある居酒屋を貸し切ってパーティが開かれた。その席でヒトミの奴は強くもないのに何杯もビールやカクテルを空けてぐでんぐでんに酔っ払ってしまったのだ。運悪く…いや、今となっては運良く泥酔したヒトミを介抱する羽目になったのは隣の席に座っていた俺だった。まともに立つことさえ出来なくなったヒトミを背負って俺は駅まで彼女を送らなければならなかったのだ。もとっともそれはヒトミが俺の服の上にゲロを吐いて、結局、駅ではなく俺の家まで連れて行かなければならないことで終わったが。
 ああ、そうだ。ちょうど今持っているこの袋はあの時抱きかかえたヒトミと同じぐらい重かった。重量の話だけではない。持ちにくさや、手応えなんかも含めて。

「え…?」

 ヒトミと同じような重さと持ちにくさ、手応え。
 意図せず忌避していた考えが頭を過ぎった。頭の悪いことを考えるな。仕事の集中しろと俺の心の何処か冷めた部分が叫ぶ。その声に従って俺は無言で、機械のように、文句もなく身体を動かした。持っていた袋をドサリと先に並べて置いた物の隣に投げ捨て、すぐに踵を返し次の荷物を受け取る。

「コレでラストだ」

 良かった。これで最後らしい。肩で息をしているリュウザキさんから荷物を直接受け取り、俺は最後の一つをこれまで同様、運んだ。そうして、それを地面に降ろそうとした瞬間、

―――ンッッッ!! ン―――ッ!!!?


 腕の中のそれは不意に暴れ始めたのだ。
 ばたばたと、じたばたと。まるで釣り上げられたばかりの魚のように。混乱した俺は思わず、手元を狂わせそれを地面に落としてしまった。コレは地面に落ちた後も尚も暴れ回った。落葉や枯れ木の枝をかき混ぜながら。猿ぐつわでも噛まされているようなぐもった悲鳴を上げながら。

「チッ―――」

 聞こえた舌打ちに振り返った。リュウザキさんがいつの間にかトラックの荷台から降りこちらまで近づいてきていたのだった。

「生きの良いのがいやがったか。面倒くせぇなぁ」

 苛立たしげな声を上げながら俺が落としてしまった荷物…暴れる荷物に近づくリュウザキさん。その足取りには迷いはない。荷物が暴れる理由が分っているのだろう。いや、荷物の中身が分っているのだ、彼は。

「手前ェは死にたいって言ってたんだろォ! それを今更じたばたすんなイ!」

 夜の山に響き渡る怒声。次いでリュウザキさんは暴れる荷物に強烈に足蹴を加えた。それも一度や二度ではない。三度、四度、五度とだ。まるでガキがサッカーボールでも蹴りつけるように力任せに何度も何度もだ。荷物はリュウザキさんの足蹴を受ける度にぐもった悲鳴を上げた。それも上げていられたのは最初の五、六発程だけだった。十を数える頃には暴れるような真似もしなくなり、そうして、

「うぉらぁ!」

 怒声と共に放たれた強烈な一撃の後にはもはや微動だにしなくなっていた。

「スンマセン、こちらの不手際ですわ」
「うふふ、いいのよ。生きが良い方が好みの娘もいるから」

 荒々しく息をつきながらも女に頭を下げるリュウザキさん。彼にとってこれはミスだが、手痛い、という程ではないのだろう。つまり、考えられる範囲。運んできた荷物が暴れるのも。それを蹴りつけて黙らせるのも。その中身が…

「にっ、人間じゃないですかッ!!!」

 人だろうとも。
 思わず俺は叫んでしまった。今日運んできた荷の正体を知って。
 いや、確かに俺は非合法な物を運ぶ『運び屋』として何度も指示通り物を運んできた。その中には拳銃や麻薬、盗品なんて非合法な物もごまんとあっただろう。だが、これはこれはそんな違法性さえも凌駕している。人としてどうだとかいう倫理や道徳、正義、多分、法律よりも上に位置している決まり事に反しているではないか。
 いや、これがただの誘拐や密入国の援助だというのなら俺もまだ納得できていただろう。だが、場所は近くに民家さえないまったくの山の中でしかも受取人は不気味な女だ。まったくもって何一つ、理解できない。いったいこれはどういう仕事なんだ。俺はナニをさせられているんだ。

「おい、ケン…」
「ウワァァァァァ! くっ、来るなぁ!」

 混乱の極みに達した俺はリュウザキさんが差し出してきた手を打ち払って後ずさった。目に映る全てが恐ろしく見えていたのだ。あのネンショから出た当日にラーメンを奢ってくれたリュウザキさんでさえこの山の夜気に毒されとても邪悪な者に見えてしまったのだ。

「なんなんすか! なんなんすか! いったい!?」
「あ? なにもくそもねぇよ。いつも通りの仕事だろ」

 仕事? いつも通りの?
 そんな訳はない。いつもの仕事には確かに危険も緊張もあった。けれど、今回の仕事にはそんな生やさしいものではなかった。恐怖だ。この仕事は恐怖で満ちている。それも生半可な怖ろしさじゃない。腸をつかまれ、そのまま捻られるような…いや、防護服もナシにライオンの檻に餌を起きに行くようなそんな怖ろしさがあった。

「ケンジテメェ…チッ、お前ならちゃんとやると思ったんだけどな。とんだ期待はずれだまったく」

 リュウザキさんが心底、落胆した面持ちでそう吐き捨てた。けれど、混乱と恐怖の極みにある俺の耳には届かない。なんなんだよ、なんなんだよ、と壊れたテープレコーダーのようにうわごとを繰り返す俺の口。まるで、自分自身が喋っているようには思えない。

「ケンジ、いい加減に…」
「来るなァ!!!!」

 恐らくは俺を正気づかせる為に平手打ちでもかまそうとしたのだろう。けれど、リュウザキさんの手が頬に届くより俺の方が早かった。ドン、と俺は近づいてきたリュウザキさんの身体を突き飛ばしていた。うわっ、と間抜けな悲鳴を上げ後ろ向きに倒れるリュウザキさん。太い木の枝でも踏んでしまっていたのだろうか。この暗闇の中では仕方ない。それにもっともっと不幸なことが起ったのだ。

「グェッ!!!?」

 鈍い音と共にリュウザキさんの口からヒキガエルを握り潰したような悲鳴が漏れた。その言葉を皮切りにリュウザキさんは電気ショックを与えられたよう、一度だけ大きく痙攣した後、ぴくりとも動かなくなってしまった。

「リュウザキ…さん」

 自分がリュウザキさんを突き飛ばしたというところまでは理解でき、恐る恐る倒れたまま立ち上がろうとしない彼の傍に近づく俺。声をかけてみたもののリュウザキさんはなにも変事をしてくれなかった。代わりに俺はあるものをみつけた。踝が埋まるぐらい幾重にも降り積もった落葉。そこに流れ込むどろりとした液体を。その色が赤色だと気がついた時、俺は何度目かの悲鳴を上げた。
 そうリュウザキさんが本当に運が悪かったのは、仰向けに倒れた先、落葉に隠れるよう先の尖った岩がその下に埋もれていて、しかも、頂点が運悪く頭の後ろに位置するよう飛び出ていた事だった。

「ウワッ、ヒガ、ウウッ、ギャァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!」

 最早、声にならぬ声、奇声を発し、己の顔を掻きむしる俺。人を運びにいった先で人を殺してしまったのだ。その混乱はどんな理知的な人間にも耐え難いものだろう。発狂し、俺は叫び声を上げたまま逃げ出すよう、トラックの運転席側に走り始めていた。途中、何度も転びそうになりながらもドアを開け、運転席に乗り込む。キーは刺さったままだった。そこから先は身についた動作だ。キーを回し、ギアをロウへ。ブレーキを踏んで、クラッチを加減をつけつつ踏み込みトラックを発車させる。頭はコレだけ混乱しているというのにたった数回乗っただけのミッション車はミスなく動き始めた。そのまま俺はハンドルを切り、トラックをUターンさせた。あとはアクセルを殆ど踏み続けていた。こんな忌まわしい場所からさっさと逃げ出すために。

「ウアァァァァァッ!! ど、どけぇぇぇぇぇぇ!」

 その進行方向にあの女が立ち塞がっていた。いや、偶然、トラックの進行方向に立っていただけだろう。トラックは避けるという選択肢もあったはずだ。けれど、俺は命一杯アクセルを踏み込み、そして





















◆◇◆



「ふぁぁぁぁい…」

 目覚ましではなくドアのチャイムの音で目を覚ました。寝ぼけ眼をこすり、頭を掻きつつベッドから起き上がる。その間にも再三、チャイムは鳴りつづけている。

「今行きますよぉ…」

 カン、と昨日もしこたま呑んだビールの空き缶やウイスキーの空き瓶を蹴り飛ばしつつ玄関へ向かう。この半年で一気に酒量が増えてしまった。仕方のないことだ。呑まないと、眠れないのだ。

「ったく、誰だよ…」

 それでもまだ日中は平常心を保てていた。日の出ている内は。明るい内は。いつからだろう。部屋の電気を消して眠れなくなってしまったのは。
 半年前に引っ越した俺の部屋の窓は全て上から遮光性のフィルムがはってあり、その上から分厚いカーテンが引いてある。外が夜だろうと窓ガラス越しに暗い風景を見なくて済むための措置だ。


 ………あれから半年が経った。
 街に戻れなくなった俺は遠く離れた別の地方都市でマンションを借りて毎日、なけなしの金を稼ぎソレを殆どアルコールにつぎ込みながら日々を過ごしていた。

 逃げ出した後の記憶は殆ど残っていない。適当な場所までトラックを走らせた後、俺はそれを乗り捨て、後はまるで逃亡者の如く、適当に切符が買えるだけの場所まで移動して、一週間ぐらいはネカフェや路上で過ごした。その間のこともあまり記憶にない。恐怖の余り廃人寸前だったからだ。
 それでも何とか我を取り戻し、しっかりと働いて社会的には底辺といえどかろうじて文化的な生活を送れるまでにはなっていた。免許書や携帯電話は早々に捨ててしまったが、身分が確かでない人間でも何とか働ける場所があることを俺は知っていたからだ。
 あの後の事がどうなったのかは調べていない。調べる勇気がどうんもなかったからだ。もしかすると新聞やTVでニュースになっていたのかも知れない。『山中で多数の袋に包まれた遺体発見』なんて。けれど、俺の所まで警察がやってこないところをみるとまだ発見されていないのだろう。袋に包まれた死体と男と女の死体。
 結局、あの女が何のためにあれだけの袋詰めにされた人間をあんな山中に持ってこいと言ったのかは分らない。想像の域を超えている。確かめようにも恐らくあの女は俺が殺してしまった。リュウザキさんと同じく。すべては迷宮入りだ。だが、それでいいと思う。どう考えたって、あんな山の中にあれだけの人間を秘密裏に運ぶ事なんておおよそ社会に公表できるような事ではないだろう。すべては有耶無耶に、終わった事だ。

「ってか、誰だ。こんな時間に…」

 時計を確認するとまだ朝方だった。今日の仕事は昼からでそれまではたっぷりと眠っておきたかったのに。

「なにかようか?」

 シャツとトランクス姿だが構うことなくドアを開ける。そこに立っていたのは何処かでみたようなつなぎを来た女だった。

「宅配です。こちらに判子かサインをお願いします」

 そう言って伝票を差し出してくる宅配員。ハイハイ、と言いつつ伝票を受け取りそれにサインする俺。

「で、荷物は?」

 サインした伝票を返しつつ尋ねる。なにか宅配してもらうようなことはした記憶がないのだが。

「ええ。お荷物は貴方自身ですよ」
「はい?」

 疑問符を浮かべ、宅配員の顔を見る。
 その顔は…いつぞやか見た金髪の女とそっくりそのまま同じだった。

「それでは梱包しますね」
「え?」

 疑問符は虚しく闇に消えた。
 そして俺の身体は一抱え程のダンボール箱に詰め込まれてしまったのだった。



◆◇◆



「よいしょっと」

 トラックの荷台に新たに品名:ケンジと書かれた伝票を張り付けたダンボール箱を乗せる。既に荷台には品名:リュウザキ、品名:ヒトミ、品名:T子と彼に関連していた人の名前が書かれた箱がいくつか積まれていた。

「次は…あの子の実家か。ご両親を詰めないといけないのね」

 そうぼやきつつ金髪の女はトラックの運転席に乗り込み発車させた。
 トラックの車体には<<ボーダー商事>>なる殆どの人が聞いたことも見たこともない社名が記されていた。
 けれど、それを見かけたとてGoogleで調べたり、電話帳を探してみたりしてはいけない。




『興味を持つな』


 それが不文律だからだ。


END
あけましておめでとうごさいます。今年もよろしくお願いします。
sako
http://www.pixiv.net/member.php?id=2347888
作品情報
作品集:
1
投稿日時:
2011/12/28 16:17:17
更新日時:
2011/12/29 01:17:17
評価:
5/13
POINT:
630
Rate:
10.08
分類
幻想郷の食糧事情
ホラー
簡易匿名評価
投稿パスワード
POINT
0. 180点 匿名評価 投稿数: 7
2. 100 NutsIn先任曹長 ■2011/12/29 01:40:29
ずいぶんと気の早い新年の挨拶ですね。今年は後数日で終わりますよ。

神隠しの真実なんてこんなものですよね。配送先が何処かなんて、知りたくもありませんが。
『知らぬが仏』という言葉がありますが、知った途端に『仏』になることもあるんですねぇ。

配送の仕事をしているのはクライアント自らですか? それとも彼女の忠実な部下のほう?
おぉっと!! 『興味を持つな』でしたね。
3. 100 名無し ■2011/12/29 01:48:26
引き込まれる様に全て読んでしまいました。
文章の構築の素晴らしさ、二次創作であまり見れない人と妖怪の恐ろしさを見る事が出来ました。
4. 100 んh ■2011/12/29 02:24:26
ああこういうのいつか書きたかった
昔洒落こわで読んだ、井戸に生きた人間放り込みに行く運び屋の話を思い出しました
8. 100 名無し ■2011/12/29 23:33:04
ヤクザとはいえ舎弟の面倒見が良さそうで仁義ありそうだったのにリュウザキさんカワイソス
こういう幻想郷外事だけれど幻想郷に関係のある話大好きです。
名前には呪が込められているといいますし、ケンジ君もサインや判子を押さなければ或いは助かったんでしょうかね?
ツナギ着たゆかりんを見てみた……やっぱり遠慮しとくんで来ないで下さい。
9. 50 名無し ■2011/12/30 18:29:24
こういう、「軽くつき突き飛ばしただけのつもりだったのに……!!」みたいなシチュって
ぶっちゃけどのくらいの確立でおこりえるんでしょうかね?
あまりにもよくみかけるんでちょい気になりましたわ。
11. フリーレス 名無し ■2011/12/31 21:18:17
↑私は軽く突き飛ばしてすらいないが友人が肘を骨折した事がある。
友人に詰め寄ったら彼が後退りして石に躓いて転び、丁度倒れた右肘のに石が出てたらしくて骨にヒビが入った。
だから軽く突き飛ばしたりしたら、そのつもりが無くても予想外の惨事を招く恐れは決してフィクションの中だけでは無いと思います。
作品に直接関係の無いレス失礼。
名前 メール
評価 パスワード
投稿パスワード
<< 作品集に戻る
作品の編集 コメントの削除
番号 パスワード