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『どんな怪物も今はその身を横たえる』 作者: いぬじに
1.
彼女の名前はミスティア・ローレライ。彼女は夜雀で、妖怪だったので人を食む。夜寝たら朝起きるぐらいの自然さで彼女は人間を、食べる。
彼女は歌が好きだった。意味のない陽気な歌意味ありげな暗い歌。豊富なレパートリーがあったと思う。ほとんど意味がないとは彼女の弁。韻もリズムもメロディもへったくれもなかったけれど、楽しそうに歌っているところを見るのは、まぁ嫌いではなかった。
しかし彼女ミスティア・ローレライの本分は夜雀であり妖怪であったので、人を食べるときの歌が一番綺麗だったと僕は今でも思っている。
彼女は歌で人を惑わす。人を惑わし夜の森に誘い込み皮を裂き開き時に乾かし骨の髄までしゃぶることもあれば一口二口食べて後はほったらかし、文字通り鳥の餌にしてしまうこともあった。彼女がどういう基準でそれを選んでいたのか僕は知らないし興味もなかったけれど、彼女が人を食べるときの歌と表情が好きだったから度々近くでそれを眺めていた。
彼女は歌で人を惑わす。人を鳥目にする。可憐な歌声に引き寄せられて彼女の前に身を晒した人間はまず爪で片目を潰される。歌う彼女、悲鳴を上げる人間。トランペットの高音。フェルマータ。アチェルダントする彼女の歌声。もう片方の目は彼女の能力によって鳥目にされてしまう。痛みに呻き続ける人間。通奏低音。
「歌いなさい。」
彼女はすぐに人間を食べようとしない。
「歌いなさい、さあ。」
「歌いなさい、歌いなさい、さあ。」
「私と、私と、私と。」
彼女はしばらく歌い続ける。呻く人間。痛みをこらえながら、ぼそぼそと歌い出す人間もいる。彼女はそんなことお構いなしに人間の腕に歯を立てる。
高音。悲鳴。トロンボーン。彼女は満足そうに歌い続ける。脚の腱を裂く。高音、高音、悲鳴。彼女の演奏。彼女の指揮。彼女の歌声。歌声。嬌声。彼女の愛、彼女の感謝。
「ありがとう、ありがとう。」
「愛してる。」
彼女はとろけたような目つきで歌い続ける。ソプラノ歌手のように。彼女の爪が人間の皮膚を血で滲ませていく。
「愛してる、愛してる、私はあなたが好き。愛してる。好き、愛してる。大好き。愛してる。愛してる。愛してる。」
「ありがとう。ありがとうありがとう。ありがとう。愛してる。ああ、ありがとう。」
最早悲鳴も呻き声も聞こえてこない。彼女のアカペラ。指を喰いちぎる彼女。アクセントを効かせたホルンのような音が人間の喉元から漏れ出す。
「ねぇ、なんで、私、こんなに、私は、ああ、ねぇ、ねぇ、なんで、どうして、私は、あなたは、私は、ねぇ。」
「ありがとう。」
彼女は声を張り上げる。クライマックスが近い。コーダ。
「愛してる、愛してる、私はあなたが好き。愛してる。好き、愛してる。大好き。愛してる。愛してる。愛してる。」
「ねぇ、なんで、私、こんなに、私は、ああ、ねぇ、ねぇ、なんで、どうして、私は、あなたは、私は、ねぇ。」
「ありがとう。ありがとうありがとう。ありがとう。愛してる。ああ、ああ、ああ、ああ、ありがとう。」
彼女は歌が好きだった。意味のない陽気な歌意味ありげな暗い歌。豊富なレパートリーがあったと思う。ほとんど意味がないとは彼女の弁。
しかし彼女ミスティア・ローレライの本分は夜雀であり妖怪であったので、人を食べるときの歌が一番綺麗だったと僕は今でも思っている。
彼女が楽器を演奏するところを僕は見たことがない。しかし彼女が演奏する姿は、僕の知る限り最も官能的なものの一つだった。
2.
僕と彼女は別段仲が良かったというわけではない。そもそも仲が良いとはどういう状態のことをさすのか、と定義付けしなくてはならないのだが、今はそんなことはどうでもいい。
時たま森の中で会うことがあるぐらいの関係。会釈をすれば会釈してもらえることもあれば、してもらえないこともある。逆もまた然り。彼女が食事をしている最中でも僕から喋りかけたことはないし、彼女が僕に話しかけてきたことはない。客観的に判断できる要素があるとしたらこんなところだろう。
彼女は食事をしたかったのだし、僕はそれを、綺麗だなぁ、と思ったので、見たかった。それだけだ。それ以上どうこうという気持ちはなかった。
それでも、何度も何度も食事の光景を眺められていたからか、流石に不審に思ったのだろう。いや、不審に思ったかどうかは知らないが、僕なら思うというだけの話だ。ともかく、彼女から僕に話しかけてきたことがある。
「何か用……?」
彼女は口の周りにまとわりついた血を拭いながらそう尋ねてきた。歌い疲れたのだろう、眠たそうな目で。
正直なところ、少しだけ興奮した。血塗れの少女が月の微かな明かりに照らされて、ぼろぼろになった人間だかなんだかよくわからなくなってしまったものの上にまたがりながら、眠たそうに「何か用?」なんて、とっても非現実的というか、幻想的じゃないか。
でも僕は、さっきも言ったけど、ただ見ていたかっただけだったんだ。だから言った。「見ていたいだけだよ」って。
彼女は眉をひそめたりしなかったし、笑いもしなかった。ずっと眠そうだった。
「そっか。」
それだけだった。彼女はそれだけ言って、よくわからないものの上から降りてどこかへ行ってしまった。それを見て僕はますます彼女が気に入ったんだ。
3.
彼女は妖怪であり、夜雀であり、少女だった。繁殖期とでもいうのだろうか。そういうものがあったらしい。
彼女は性行というものを知らなかった。男を知らなかった。身体は疼き続け、心は悶え続け、彼女は歌い続けた。彼女にとっては歌うことがセックスそのものだった。
もっともっと高いところへ、もっと、もっと。そう願っていつもより大きな音を出したり、高い音、低い音を出したりした。彼女は満たされることもあったし、満たされないこともあった。
彼女は来る日も来る日も歌い続けた。泣き叫ぶように。
次第に彼女はわからなくなってしまった。自分が泣いているのか、歌っているのか、わからなくなってしまった。
彼女の原罪は歌うことでしか赦されなかった。彼女は歌うことしか知らない。どんなに嬉しいことも、どんなに悲しいことも、歌以外で表現することが出来なかった。
彼女は無知だった。痛ましいほどに。
4.
気に入ったといっても僕のやりたいことは変わらない。ただ彼女が歌いながら人間を食べるところを見たかっただけだ。
だから見てた。ずっと。眺めてた。
彼女を観察しているうちにあることに気がついた。彼女が人を殺すぎりぎりのところで、必ず愛のことばだとか、感謝のことばだとかを投げかけるんだ。
きっとそれも特に意味がないんだと思っていたけど、何度も何度も同じ言葉を繰り返すものだから、一回だけ何か意味があるのかと訊いてみたことがある。そしたら彼女はこう答えた。
「わからないけど、気持ちがいいから。」
要領を得ない回答だな、と思ったけれど、まぁ要は快楽を追求した結果何となくこういう形に洗練されていったのだろうと納得することにした。しかし彼女はこう続けた。
「でもだめ。気持ちよくなれない。はじめはもっと気持ちよかったのに。今はもう、だめ。歌っても歌っても、気持ちよくなれない。どこにも飛べない。私はただ歌いたいのに。」
これは真意をはかりかねた。どういう意味なのかちっともわからなかった。もう少し詳しく訊いてみるかどうか悩んでいるうちに彼女は泣き出し始めた。
「わからない。私は何がしたいんだろう。私は歌いたいだけなのに。自分が何をしたいのかわからない。歌じゃないのかもしれない。私は歌いたいだけのはずなのに。私は何がしたいんだろう。」
僕は焦った。焦ったからかなのか、本当はもっと別の思惑があったのか、出来れば自分では分析したくないけれど、僕はとっさに彼女を抱きしめた。
そしてそれは多分、僕が人生でとった中で最大の下策だったのだと思う。
5.
ミスティア・ローレライの世界は押し広げられた。彼女は新しい世界をもっとよく知るために歩き続けた。
彼女は歌で人を惑わす。人を惑わし夜の森に誘い込む。彼女は人の肉を貪り尽くした。
「愛してる、愛してる、私はあなたが好き。愛してる。好き、愛してる。大好き。愛してる。愛してる。愛してる。」
彼女ミスティア・ローレライの本分は夜雀であり妖怪であった。
「歌いなさい、さあ。」
彼女は妖怪であり、夜雀であり、少女だった。繁殖期とでもいうのだろうか。そういうものがあったらしい。
「ねぇ、なんで、私、こんなに、私は、ああ、ねぇ、ねぇ、なんで、どうして、私は、あなたは、私は、ねぇ。」
愛と肉欲。
誰が誰かわからない闇の中で。
指と指絡め合い。
彼女は知らない男の上で腰を振り続けた。
彼女が楽器を演奏するところを僕は見たことがない。しかし彼女が演奏する姿は、僕の知る限り最も官能的なものの一つだった。
痛みをこらえながら、ぼそぼそと歌い出す人間もいる。彼女はそんなことお構いなしに人間の腕に歯を立てる。
高音。悲鳴。トロンボーン。彼女は満足そうに歌い続ける。脚の腱を裂く。高音、高音、悲鳴。彼女の演奏。彼女の指揮。彼女の歌声。歌声。嬌声。彼女の愛、彼女の感謝。
身体は疼き続け、心は悶え続け、彼女は歌い続けた。彼女にとっては歌うことがセックスそのものだった。
もっともっと高いところへ、もっと、もっと。そう願っていつもより大きな音を出したり、高い音、低い音を出したりした。彼女は満たされることもあったし、満たされないこともあった。
彼女は来る日も来る日も歌い続けた。泣き叫ぶように。
6.
僕はどうにか彼女を落ち着かせようと頭を撫でてやった。彼女は泣き止まなかった。僕の腕の中でずっと泣き続けていた。
きっと錯乱しているのだろうと思った。
僕は彼女の歌にやられてしまったのだろうと。
もう、どうにでもなれと。
僕は彼女にキスをした。唇が触れ合った瞬間にびくんと跳ね上がる身体。とっさに顔を引き離す。彼女は泣き止んでいた。その代わり、信じられないという面持ちで僕を見つめていた。僕はその場から逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。
彼女は、それでも彼女は自分からもう一度僕にキスをした。それから一度はにかんで、もう一度。僕はもう何が何だかわからなくなってしまった。後悔と劣情が頭の中でぐるぐるしていた。
僕はもう後にはひけないと、彼女の身体をまさぐりはじめた。彼女は処女だった。その事実がさらに僕の気持ちを重くさせた。しかし、未だ誰にも触れられたことのない彼女の秘部をなぞる度に、ぴくり、ぴくりと身体を動かすのを見て、我慢することは出来なかった。
僕らはそれから、朝までずっとセックスをした。彼女の喘ぎ声はまるで歌声のようだった。彼女の食事の風景と嫌でも重なりあう。
途中で僕は、きっと彼女に食べられている人間もきっとこんな気持ちだったのだろうと何となく想像した。その想像は、多分、僕の罪悪感から生まれたものだろう。
朝になると僕は、隣で静かに眠っている彼女を残してそそくさとその場を抜け出した。自業自得とはいえ、やりきれない気持ちでいっぱいだった。
7.
とうとう彼女は身ごもった。誰だか知らない人間との子供。
彼女の喜びは取って代わられた。彼女のもう一つの原罪。彼女は歌い続けた。もう一人の彼女のための歌を。
歌うことだけが彼女の生であり、彼女そのものだった。他の理由。彼女が生きなければならない理由。
子守歌を作っていた。彼女は歌い続けた。たった一人の観客。一つ二つ、三つか四つ。すべて数えれば七つ。彼女は子守歌を作った。
彼女は言葉を知らない。だから言葉を紡ぐことをやめた。メロディだけを口ずさんだ。単調なリフレイン。三拍子。微かな転調、三拍子。彼女は始めて観客を手に入れた。彼女の気持ち、想い、三拍子、リフレイン。静かなヴァース。溜めろ、溜めろ、溜めろ、溜めて、ブリッジ、コーラス!彼女は子守歌を歌った。
彼女の原罪は歌うことでしか赦されなかった。彼女のすべてを懸けて歌を。彼女の子供のために。
彼女ミスティア・ローレライは妖怪であり夜雀である。きっと生まれてくる子供はかわいい女の子で妖怪であり夜雀だろう。
「きっとこの子はすぐに喋るわ。そして歌い出すの。」
きっと生まれてくる子供も妖怪であり夜雀だろう。
8.
彼女はその夜もいつものように歌いだした。
僕は彼女の食卓に向かった。謝ろうと思っていた。謝って許されるようなことではない。少しでも嫌な顔をしたら、二度と会わないようにしようと心に決めていた。
彼女は裸のまま歌いながら人間の性を貪っていた。目を潰された人間は為す術もなく地面に転がり、一物を、文字通り、喰われていた。
僕はそれを見て何も言うことが出来なかった。それはとても恐ろしい光景だったし、何より、精液と愛液に肢体を濡らしながら歌う彼女は、今までで一番綺麗に見えた。
「ありがとう。」
僕の姿を認めた彼女は口の周りについた血を舌で舐めながらそう呟いた。僕は取り返しのつかないことをしてしまった。彼女は何をしたかったのか。それを教えてしまった。
「ありがとう。」
もう一度彼女は呟いてこちらに歩み寄ってきた。そして、僕は、後ずさってしまった。彼女は歩みを止めた。そして振り返り、食事の続きを始めた。歌ってはいなかった。彼女は最早食事の際に歌う意味などなかった。
僕はその場から走って逃げ出した。それ以降、彼女とは会っていない。今も。
9.
彼女は歌を歌い続けた。始めて自分のためではなく、誰かのために作った曲。全部で七つの子守歌。
「きっとこの子はすぐに喋るわ。」
「そして歌い出すの。」
あっという間に季節は流れ、彼女は一人の赤ん坊を産んだ。ずっしりと重たい赤ん坊、女の子。
泣き出す赤ん坊。彼女は優しい表情で子守歌を歌った。ずっと想っていたこと。考えていたこと。伝えたいこと。それらすべてを詞にして、彼女は子守歌を歌った。
泣き続ける赤ん坊。彼女は根気強く子守歌を歌い続けた。一つ二つ、三つ四つ。全部で七つの歌を歌い終えた時、赤ん坊は泣き止んだ。
10.
それから僕は引っ越した。
彼女の歌を聴きたくなかった。
しばらくしてから、一度だけ彼女の歌声を聞いたことがある。聞こえてきたんだ。
僕の知らない歌だった。子守歌だと思う。
何故だか知らないけれど、その歌を聞いた時、僕は思いきり泣いた。涙を流し続けた。後悔の念が今更溢れてきた。それでもやっぱり僕は彼女に会おうとしなかった。
11.
「きっとこの子はすぐに喋るわ。そして歌い出すの。」
彼女の予想通り赤ん坊はすぐに言葉を喋り出した。
「おうた、うたって」
彼女は静かに頷いて、目を瞑りながら最後の歌を歌い始めた。何よりも幸せな時。集約されたありとあらゆるこの世の幸福。
歌の流れるその刹那、森の妖怪、けだものたちは。
きっと今この時だけその身を横たえる。
聴いてた音楽
七尾旅人/bilion voices
Date Course Pentagon Royal Garden/Musical From Chaos (Catch 22)
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こっちでは初めまして。いぬじにです。
何かパンクなの書きたいなぁー。Suicideみてぇなやつがいいなぁー。と思ってたらこんな話になっていました。これだとパンクっていうかジャズですね。
まぁでも結局最後に大事なのは愛です。
みすちーって卵生なんじゃないの?まぁいいか。
他に特に書くことはないです。ここまで読んでくださってありがとうございました。
いぬじに
https://twitter.com/inujini_
作品情報
作品集:
2
投稿日時:
2012/01/08 14:49:03
更新日時:
2012/01/08 23:49:03
評価:
7/12
POINT:
790
Rate:
12.54
分類
ミスティア・ローレライ
パート分けとリフレインがまるでこのお話自体が歌のよう
それはともかくシメの台詞が「おう、うたって」に見えたので本格的に訴訟準備
七つの歌を歌った時、七つの大罪を償った時、七滴の涙を流した時、
八日目に幸せがやってくる。
生みの苦しみ、罪の苦しみ。
男も女も、ただ、泣き濡れる。
ミスティアの元を逃げ出した男の心情。怖れ。
そう感じたのは、彼女が人食い妖怪だからではなく、『行為』が彼女の生活に取り込まれてしまったからなのですね。
正直、むらりとしました。
だけど彼女にとっては、目でも舌でも肌でも鼻でも聴くもので、心(シン)に響くもので、つまり世界の総ては音で出来ていた。
それが大いなるナニカに愛された結果なのか、呪われた末路なのかは、わからないけれど。
きっと、彼女の感覚器官は音を聴く為だけにあったのだろう。
だから、その口が歌を謳うことしか知らなかったのは必然で。彼女の体は、頭のてっぺんから爪先まで、どうしようもない位に旋律で満たされていたんだと思う。
役立たずな鳥頭にも、もうちょっと色々、素敵なものを詰め込んでおけば良かったのに。
ばかなやつ。
大好き。
目の前にいぬじにという名の夜雀がいる
彼女は全て紡ぎ出した
僕は後ずさった
それでもなお彼女は迫ってくる
ついに僕の心に牙が突き立った
薄れゆく意識の中で僕は彼女に言ったんだ
「ありがとう」
そして僕は今、僕のお腹の子に子守唄を歌っている