はたては人を食わない。
大概は食えたモンじゃない不味い肉がほとんどだけど、きちんと品定めすればそれなりに美味な肉にもありつける。
私は今日、気分が良かった。刺身醤油にさっとわさびを混ぜ入れて、ひと切れそこに浸し込む。
一切れ、人切れ。
刺身なんていつぶりか。
「こんなに美味しいのに」
「シュミ悪い」
「そうかしら。妖怪として至極真っ当だと思うけど」
「自分と似たような姿してるのなんか、食べられないよ」
「人間が妖怪に似たのか、妖怪が人間に似たのか。きっと後者よ? その意味で妖怪は敗北してるの」
「そーゆー難しい話いいから。なんていうか、やぁなの」
「ふぅん。折角持ってきてあげたのに」
「文が良いツマミが手に入ったっていうからお酒出してきたのに、つまんない」
さっきから彼女はカフェオレを飲んでいた。はたてはお酒に弱い。天狗にしては珍しく。
私は焼酎片手に刺身をつまんでいる。目の前でカフェオレを飲まれながら煽るお酒は、美味しいんだけど楽しみきれない。酔いたい気分でもないし、酔える量でもないけれど、雰囲気は大事にしたい性分なのだ。
彼女との酒の席はこれだから難しい。
「生で食べられる程のものなんて、そう手に入らないのよ? 最近の人間は雑食だから」
「あぁそう。あ、それを手に入れる為に苦心した云々。っていう話は聞きたくないからね」
「ちぇ」
彼女がベジタリアンである事は知っていたけれど、それにしたってこれほど邪険にされるとは思わなんだ。
折角だからと好意で持ってきてやったのに。
「人間なんて、犬にでも食わせりゃいいのよ」
まったくもって不快げに、心底うんざりした様子ではたては言った。
なんだ食った事があるのか。私は言う。
「ないけど。昔に……うーん。これ、あんまり言いたくない事なんだけど……」
「何それ、俄然興味が湧いてきた」
「あんたならそう言うと思ったから、この話続けたくなかったのよぅ」
「自分から言った癖に」
「ネタを持ってきたのは文でしょう」
「お、巧い事言うね」
「別にそういうつもりで言ったんじゃないし」
「ねぇ、ねぇ。話の続き、してよ。記事にしたりしないから」
「……むー。しょうがない、食べないとか言ってシラけさせちゃったから、悪いし、話してあげるわ。仕方なくだからね!」
「へいへい、ありがたやありがたや」
彼女は溜息ひとつ吐いてから、観念したように話し始めた。
◆
私ね、昔はお肉大好きだったのよ。子どもの時。
子どもって、そういうの好きな年頃でしょう? それに、なんにだって好奇心旺盛な時期じゃない。
私、友達とつるんでいろんなもの捕りに行ったりしたわ。兎とか、鹿とか。スッポンだって捕って食べた事あるもの。味なんかどうでもいいの。わいわい騒ぎながら楽しむものだもの。
ある日ね、私たちの誰かが、人間を捕ろうって言い始めたの。みんな、そんなに大きいの捕った事なかったから、やる気満々でね。私もよ。でも怒られるのは怖いから、夜遅くに人里から抜け出た間抜けな人間を捕って食おうって事になったのよ。それなら怒られないだろうって。
その日から、夜は交代でいろんな箇所を見張る事にしたの。でもやっぱり、そんな間抜けなやつなんてそうそういるもんじゃないし。何日かやって、みんな飽きちゃったの。
今日で終わりにしようって、みんな呆れ顔の、そんな夜だった。
いたのよ。そんな間抜けが。
夜遅くにそろそろと、一人の女が人里から出て行ったわ。私たち手を叩いて喜んで、莫迦なやつだ、さぁ捕って食っちまおう、ってテンションも最高潮よ。
で、誰が最初に行こうか、じゃんけんになった。負けたやつが、その女を襲うの。ここに来て、全員ビビっちゃったわけ。だってそうよね、その頃の私たちは子どもで、兎とか鹿しか襲った事ないんだもの。
それで、私が負けちゃった。正直すんごく怖かったけど、同時にわくわくもしたし。強がって「いってくる」って笑って女の方に飛んでいった。
「あらお姉さん、こんな夜更けにどこ行くの?」
私、にこにこして言ったわ。心臓がどきどきして、手汗をスカートで拭きながら。
でもね。
その女、私を見て笑ったのよ。私より深くね。
「あぁ、妖怪だ。それも天狗様だなんて」
気持ち悪かった。
だっておかしいじゃない。私は襲おうとしてるのよ。子どもって言っても天狗よ。怖がられた事はあっても、笑顔で迎えられる経験なんてある筈ない。
よく見たらその女、胸に何かを抱えてるの。人間の赤子だったわ。
それからその女、なんて言ったと思う?
「この子を差し上げます、どうぞお受け取り下さいませ」
ですって。
何それ、って私は聞いたわ。その時もう、全然笑顔なんかじゃなかった。手汗もすっかり引いたわ。
とにかく気味が悪かった。厭な予感が、すっごくしたわ。
「私ではこの子を食わせてやれんのです。私さえ生きるに必死、この子をどうして育ててやれましょう。心苦しいですが、ここに置いてゆくつもりでございました。しかし天狗様の贄となるなら、私もいくらか心が軽くなります。薄汚い話ですが、私は貴方の所為にできますもの。あぁ、このご縁になんとお礼申し上げたらよいか」
やめろ、って大声で叫んだわ。無意識だった。
今だったら「あぁ、そういう事情もあるかもね」くらいで済ませられるけど、兎とか鹿捕って喜んでたガキんちょが、そんな事言われて普通でいられる筈ないじゃない。
私をそんな事に使わないでって叫んだの。そんなのいらない、って泣きそうになってた。
私のそんな姿見て、ちょっと落胆した感じだったけど、その女は自分の足元にそっと赤子を置いたの。
ほぎゃあ、ほぎゃあ。
赤子は泣いてた。まだ生きてるのよ。誰にも望まれてないのに。
女は去って行ったわ。私はなんにもできずに立ち尽くしてただけ。赤子がまだ泣いてる。
女の影がすっかり見えなくなってから、友達がみんな寄ってきてね。どうする、って私に聞くの。
どうするもこうするも、ないでしょ。
私たち利用されたのよ。莫迦にされたも同然よ。こんな荷物、どうするのよ。これ食えって言うの?
やだなぁ、こんなの食べたくないなぁ、ってみんな顔をつき合わせて言ってた。私だって厭よ。
だんだん口論になったわ。
そもそもおまえが人間を襲おうなんて言うから。なんだよ、みんな乗り気だったじゃんか。昨日でやめておけば良かったんだ。
ほぎゃあ、ほぎゃあ。
赤子はまだ泣いてる。
うるさい。なんで生きてるんだ、おまえ。母親にも捨てられた癖に。ほぎゃあ。誰が生きて良いと言った。ほぎゃ、あ。誰の許しがあって。ぎ、ぁ。
「うるさいッ!」
◆
カフェオレはすっかりなくなっていた。
語気を強める彼女に、まぁまぁと言いながらなし崩しで自分のお猪口を渡した。
「へぇ。じゃあ、それがはたてが初めて殺した人間だったわけだ」
「そうよ。西瓜みたいに叩き割ってやったわ。ふん」
「だから食べたくないの?」
「あんな下賤なもの、食べる気しないわ」
「そっかぁ」
焼酎があとほんの少しだけ残っている。刺身は、まだまだ充分にあった。
「じゃあ、残りは犬に食わせるとしようかね」
風の便りに、椛を呼んだ。しばらくすれば来るだろう。
「あぁごめん、気ぃ悪くした?」
「ううん。もっと良いのが食べたくなった」
そうして、はたての手を捕った。
はたての呆れ顔。私は笑顔。
――がりっ。
ほんと、似ても焼いても食えん御仁だ、文って。
はたて、偏食は良くない。
しかし赤子の肉を喰わずに捨てるとはもったいない。ご馳走なのに
興味が尽きません。