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『パンがなければ泥水を啜ればいいじゃない』 作者: かいゆ
犬走椛は飢えていた。
時刻はまだ朝日も上がりかけの早朝だが、今日は哨戒の早番という大事な仕事がある。山を見張って、侵入者がいれば追い返し、太刀打ちできない相手であれば速やかに上司に報告し、妖怪の山の平和を守らなければならない。面倒であろうとも、それが白狼天狗の使命であり、役割である。 面倒ごとと等価、とはいかずともそれなりのレートで給料が支払われ、それによって生活ができるのだから、誠実に奉公をせねばなるまい。
生活。
ぐきゅるるる、と椛の腹が盛大に鳴る。
畢竟、彼女は飢えていた 。家には一粒の米もない。先週までは茶碗一杯分ほどの砂糖があったが3日前に夕食として食らってしまった。 気候はまだ寒く、木の芽や木の実は山に住む動物たちによって食べ尽くされていて、食物連鎖だ、と称してそれらを狩るための体力を使う気すら起きなかった。そしてここ数日重なりまくった天狗の宴会やら白狼天狗だけの親睦を深めるという名目だが実質ただの飲み会やらで財布の中もすっからかんときている。 最近幻想郷にやってきた化け狸が命蓮寺近くで金貸しをやっているらしいが、そんな胡散臭いものに頼るのは椛の性に合わなかった。
故に、犬走椛は飢えていた。
まだ給料日まで7日もあるというのに。 仮病を使い休暇を頂いて、その間水だけで過ごすということも考えたが、同僚がお節介にも見舞いにきての寒々しい状態を見られたら、と思うと卑怯にもなりきれぬまま、椛は糞真面目に生きていた。
ごごごごごご、と腹の虫が断末魔を絶叫する。内臓越しに腹筋と背筋がくっつくのではないかと杞憂する。このままでは筋肉が全てエネルギーに分解されてしまいそうだった。
「あぁ〜……」
目の前が揺れる。頭がよく回らない。腹が痛い。これできちんと仕事ができるのだろうか。たとえ千里先まで見通す程度の能力を持っていたとしても、集中できなければ視界に映った不審者を捉えられないのではないか。しかし集中などこのコンディションでできるものかできるわけがない。昨夜水をがぶ飲みしたが、腹は膨れても栄養がないから身体は不満の声をこうして上げている。小虫目当てに土でも食らうか、それとも適当な木の皮でも剥いで噛んでしゃぶって空腹を騙くらかそうかと考えながらふらふらと持ち場に向かう。
ふと、鼻腔が肉の臭いを感じ取った。
懐から、支給されている河童製の時計を取り出し時刻を確認する。まだ交代には余裕がある。行ってぱくりとこなせば十二分に間に合うだろう。
「うさぎか何かかなぁ……」
半開きになったかさかさに渇いた唇の間から唾液がだらりと垂れるのも構わずに、椛は臭いの許へと急いだ。
肉は、確かにあった。種類は魚と鶏であった。
だがしかし、椛が思っていたのと違う形で存在していた。
「生ゴミ……」
そういえば今日は燃えるゴミの日だった。ゴミが出るような生活を送っていなかったから忘れかけていた。どこかの家で飲み会でもやっていたのだろう。食い散らかされた焼き魚やら唐揚げやら焼き飯やら漬物やらが麻袋に詰め込まれている。 しかし家主のそれ以前のゴミも一緒くたに詰め込まれていて、全体的に饐えた臭いが立ち上ってくる。
「うぇえ〜……」
異臭に横隔膜が痙攣する。吐き気を催すが、空っぽの腹は何も出したくないらしく、胃液すらこみ上げない。臭い、汚い、気持ち悪い。しかし上の方はゴミを出すぎりぎりに入れられたように見える。椛は腹が減っている。これを食べれば、少しは 飢えを誤魔化せるだろう。しかしこんな、野良犬のようなことをしては、天狗のプライドは殺されてしまう。
それでも食べたい。食べなければ飢餓で狂ってしまいそうだった。食べたい食べちゃ駄目食べたい食べちゃ駄目なんで食べちゃいけないの汚いから上の方だけ掬って食べれば大丈夫だよ捨てたばかりみたいだもの寧ろゴミを減らす結果になるんだからこれはいいことなんだそうだ食べよう食べてしまおう誰かに見られてしまう前に。
箸をつけられずに捨てられたらしい唐揚げを恐る恐るつまみ上げ、口に放り込んだ。腐臭が染み込んだ衣は臭く、冷め切った鳥肉と混ざり合って汚物の食感を口内で演出する。それでも、椛の舌はそれを美味しい、と認識した。
「美味しいよう……」
一度外れた自制は止まらない。半分ほど食べ散らかされた川魚の焼いたのと卵焼きを一緒くたに鷲掴みにして骨ごと噛み砕いて飲み込む。ばらばらになったポテトサラダを掬い取って咀嚼する。焼き飯に何かゴミが付いていた気がするが気にせずにおにぎりにしてむしゃぶりつく。デザート代わりに土のついた白菜の芯を噛みながら、解いた袋の口を結び直し、汚れてしまった手は懐紙で拭った。それにも美味しさの破片が残っている気がして白菜と一緒に口に入れかけ、椛ははっとして手を止めた。
自分は一体何をしていた。
「あ……ああ……」
がっついていた。恥も外聞もなく、畜生とは明確に違う妖怪としての誇りも捨てて、誰が捨てたかも知らない生ゴミを、ご馳走でも食べるかのように貪り食らっていた。
「私……違う……ただ、お腹空いて……」
しかし自分の行いは消えることはない。吐いてしまえば少しは罪悪感と後悔が消えたかもしれない。しかし椛の肉体は生存本能のままに、胃の中に注がれた汚物を栄養として凄まじい勢いで消化し、吸収していた。
「私……違う……」
譫言のように繰り返しながら、椛は時計を取り出す。針が示す時刻を見てはっと我に返り、持ち場へと急いだ。舌の上に生ゴミの風味を残したまま。
翌日は非番だったので、無駄なエネルギーを使わないように寝て過ごすことにした。よく眠れたのは、久方ぶりに腹が満たされたからだ。それがたとえ生ゴミであろうとも、味がある料理を食べたのは事実だった。
「唐揚げ、美味しかったなぁ」
舌の上に、昨日の味が生々しく蘇る。普通なら触りもしない、食べかけで捨てられた残飯だったが、 飢餓という最高の調味料で至上の糧となってくれた。
くきゅる、と腹の虫が鳴いた。ここ数日の絶食で胃は確実に小さくなっただろうけれど、最終的に腹が減ることには代わりはない。
「……」
息を吐き、水瓶まで這いずって柄杓で水をがぶがぶと飲む。生ぬるい温度が胃袋を無理やり満たしていく。無味無臭な食事。なんの充足感も幸福感も存在しない。生きる為に必須であるはずの水が、本来食べるためのものではない生ゴミよりも、ありがたみが劣っている。その事実に椛は愕然とした。手から柄杓が滑り落ちて三和土にカラカラと音を立てて転がる。
また、腹が鳴った。どんなに苦肉の策を弄しても、嘘がつけない肉体は栄養を欲しがる、熱量を欲しがる。
「ぐぁ……」
食べたい。生ゴミを食べたい。食欲に支配された椛の脳髄はたやすく理性からプライドを剥いで捨てた。寝返りを打って視線を動かす。窓の外はまだ明るい。燃えるゴミの日は明日だが、運がよければ深夜にも、マナー違反の誰かが既に一足早くゴミを捨てていてくれるかもしれない。
寝よう、と意を決して椛は空腹に耐えながら瞼をぎゅっと閉じた。今の内に寝て、日付が変わる頃に起きよう。
ぷつりと意識の糸を離す寸前、椛が脳裏に描いたのはご馳走の山ではなく、ゴミ捨て場を漁る自分の惨めな姿だった。
交代制の仕事をしているからか、それとも自分の個性なのか、起きようと思った時間に起きられるという特技が、今日はひときわありがたかった。のそりと身体をひきずりながら起き上がると、椛は枕元に置いていた時計に視線を落とす。午前2時、草木も眠る丑三つ時。ゴミ捨ての時間は7時から8時までと決まっている。しかしルールを守らない不届きものは存在する。朝起きれないとか、夜勤だからという理由で、前夜の内にゴミを捨ててしまうのだ。不届きものが捨てられないように、収集所に鍵をつけてしまえばいいのに、と真面目な椛は以前憤ったことがあったが、今はその緩さがありがたかった。部屋着の上に黒いコートを羽織り、椛は家を飛び出した。能力を使って、哨戒している同僚の動きを探り、逃亡者さながらにゴミ捨て場へと近付き、袋をあける。
異臭が鼻につき、椛は咄嗟に後ずさりした。
「ッ!」
息を止め、袋をそっと倒して中身を漁る。
ゴミ捨ての時間を守らない天狗は、ゴミ捨て自体もルーズらしい。何日、否何週間溜め込んだのか、 適当に突っ込まれた様々なゴミは広げれば広げるほど臭い、閉じ込められていた小蝿が飛び出して行った。
「うぅ……」
慣れたはずだったのに、経験を超える酷さに胃液がこみ上げる。どうにか小蝿がはりついたリンゴの皮を拾い上げることに成功した。ゴミの主は皮剥きが苦手らしく、稲田姫様に叱られそうなほど分厚く剥いてしまっている。蛆がわいていないだけマシか、と開き直り、小蝿を払ってもしゃもしゃと皮を咀嚼する。それなりに水分が残っていたので、割といける。変色したベーコンは、食べる前にこれは使えないと捨てたのだろう塊で残っていて、もったいないなぁと思いながらむしゃぶりつく。肉の塊を食べられた僥倖に、椛の顔は思わず緩む。
「こんなもんかなぁ……うぅ汚い汚い」
頬に張り付いた小蝿を潰して捨てて、椛は何事もなかったかのように袋を整える。散らかしては余計な騒ぎになってしまう。
「さて、帰ろう帰ろう」
お腹壊さないといいな、とだけ考え、椛はその場を後にした。貧すれば鈍するとはよく言ったもので、椛はとうにゴミを漁ることにも食べることにも抵抗がなくなっていた。
生ゴミと水だけでどうにか生き延び、給料日という名の天国が訪れた。
「……ふう」
渡された、「犬走椛殿」と書かれた封筒の中身を覗きこみ、椛は安堵の息を吐く。頼まれて数回夜勤を代わったお陰で普段の月よりも少し多く給金を頂けた。有り難い、これで調味料を多めに買おう。あとは米と肉と野菜。
「もーみじ! さん!」
やけに馴れ馴れしい不快な声が、背中を勢いよく叩いた。とってつけたようなさん付けも、不快でしかない。
「なんですか、文さん」
「あやや冷たい。折角のお給料日ですから、ミスティアさんの所にでも行きませんか?奢りますよ」
どうせ碌なことを考えていないのだろう。吐き捨ててやりたかったが相手はクズだろうと白狼天狗よりもよっぽど位の高い烏天狗。誘いを無碍にできる立場でもない。それに、粗食もとい生ゴミ食ばかりの日々に別れを告げた給料日に、此奴からただ飯を食べられるというのも悪くはない。
「そう仰るのでしたら、ご馳走になります」
給料日の夜ともあって、ミスティアの屋台は普段以上に繁盛していた。屋台だけでは座りきれず、何脚かテーブルを出して、彼女と仲の良い妖怪も手伝いに来ている。
空いていた、屋台から離れたテーブルに腰を落ち着けると、割烹着姿のリグルが小走りに近づいて来た。お通しの白菜の漬物と、黒塗りの箸が並べられる。
「いらっしゃいませ!ご注文はお決まりですか?」
「雀酒と、店主のおまかせ盛りをふたり分。椛さんは食べたいものありますか?」
「ええと、じゃあ蒲焼きを……」
「じゃあそれもふたつ」
「かしこまりました!」
「それにしてもリグルさん、割烹着似合いますね」
文のお世辞に、リグルは自分の顔をお盆で隠した。頭の触角がふるふると震えている。
「わ、私はエプロンのがいいって言ったんですけど、みすちーがお揃いにしようって言って……」
「お揃いで可愛いですよぉ」
照れ笑いを浮かべながら、リグルは屋台へと歩いていく。途中で別のテーブルから声をかけられ、注文を受けていた。きちんと覚えていられるのだろうかと他人事ながら心配になったが、なるほどきちんとメモをとっている。
「ん、美味しい」
持ち上げ終われば興味は失せるのか、文は漬物を箸でつまんで口に放る。椛もつられて白菜を食み、噛むのを止めた。椛はこの味を知っている。
「どうかしました?」
「いえ。美味しい、ですね」
確か最初の日に食べた生ゴミと同じ味だった。妖怪の山にこの屋台が来ることはないから、たまたま同じ店で買ったのだろう。それにしたって、ひどい偶然があったものだ。
「それで、私になんの用ですか?」
「むむう、段取りが下手ですねあなた。まぁいいわ、さっさと済ませましょう」
文がポケットから取り出した写真を、椛にだけ見えるように掲げた。
四つん這いになってゴミを漁る椛、リンゴに張り付いた小蝿を払う椛、幸せそうな表情で変色したベーコンを齧る椛。能力を使って周囲の気配を探っていたつもりだったが、食欲に負けて注意力が散漫になっていたらしい。
「……!」
「いやービックリしました。いやしくも天狗が夜更けにこんな醜態!これは大した不祥事ですよ天狗の名に傷がつきます。あ、ネガも持ってきたんですが見ますか?」
「ネガって、なんでわざわざ」
「お待たせしたのかー。雀酒と蒲焼きですよ」
やはり割烹着姿のルーミアが、酒とほかほかに焼けた蒲焼を持ってきた。文は素早く写真を隠す。ミスティアが試行錯誤と研究を重ねて作り出したという特製のタレが焦げる匂いが食欲を誘うが、今の椛はそれどころではなかった。
「ありがとうございます。ちょっとお聞きしたいんですがよろしいです?」
「なんだ?」
「もしお腹空いて死にそうな時に、誰かの食べ残しが捨ててあるのを見つけたら、どうします?」
「んー、霊夢に怒られそうだけど人間を襲うかなー。食べ残しはお腹壊しそうだもの」
「ふむふむなるほど?」
「心理テストか何かかー?」
「企業秘密です。お仕事中すいませんでした」
「構わないのだー」
くるりと背を向けたルーミアが屋台へ戻って行くのを見届け、文はくすりと笑う。
「……お腹壊しそう、ですって。あんな低級妖怪すらしないことをやってのけるなんて、犬畜生は違いますねぇ」
くいくい、とテーブルの上で文は手のひらを差し出し、下品に手招きする。
「口止め料、ですか?」
「察しが良くて助かります。いやーカメラの改造お願いしたら凄い額請求されちゃいましてねぇ」
「……」
下衆が、と内心で毒づきながら、椛は給料が全額入った封筒を文に差し出した。幻想郷最速の天狗は手早く中身を確認すると、ぴっと紙幣を数枚引き抜いた代わりに写真とネガを入れると椛へと突き返した。
中に残った額を見て、椛は愕然とした。こんなに取られてしまっては、来月まで持つわけがない。
「文さん……いくらなんでも!」
「えぇ〜?素敵な記事のタネを握りつぶしてあげるんですから、安いものじゃないですか?」
「う……分割で払いますから、少し返して下さい。これだけじゃ生活できませんよ……」
「生活ぅ?」
文がけらけらと笑う。心底嘲笑っている声色に、椛は怒りよりも先に恐怖を覚えた。この下衆のブン屋が何を考えてるのか分からない。
「家賃や燃料代や親睦会費や宴会代、諸々の費用分は残してありますよ?私が差し引いたのは、あなたが要らないだろう食費です」
「食費、って……」
「椛さんは秘密のレストランをお持ちですからねぇ」
あぁ、ここは私が奢ってあげますから、心配しないで下さいね。椛の金を自分の財布に仕舞いながら、文は楽しそうにまた笑う。咽喉を食い破ってやりたい衝動に駆られながら、椛は酒を呷ってから蒲焼に箸をつけた。
蒲焼は美味しいけれど冷めてしまっていて、生ゴミのような味がした。
作品情報
作品集:
3
投稿日時:
2012/03/21 12:50:02
更新日時:
2012/03/21 21:50:02
評価:
9/12
POINT:
910
Rate:
15.58
分類
椛
悪食
面白かったです。真面目な椛の愚直さがいいですね。
野良犬は、たまには新鮮な『カシワ』が食いたくなったんじゃないですか?
生ゴミが貯まるのは、貴方が料理好きか、食材を無駄にするかじゃないですか。
やましいことなど考えてはいない。本当だ。
面白かったです。これから一ヶ月生ゴミ喰って生きんのかな?
しかし、文は酷い奴だ、餓える椛に施すどころかユスリをするなんて。
さて、どうしてくれようか? 食べるか犯すか拷問するか……。
sako氏の「或いは幻想郷を滅ぼすはたてフォルダ」を読んで感動したのになぁ……。