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『産廃創想話例大祭『夜鷹心中』』 作者: んh
産廃創想話例大祭参加作品です。
産廃創想話例大祭については同作品集のbox氏作:「『産廃創想話例大祭』の告知かもしれない(http://thewaterducts.sakura.ne.jp/php/waterducts/imta/?mode=read&key=1333932282&log=3 )」を御覧ください。
もう、子の刻はとうに過ぎていた頃でございました。
深々と闇に落ちた夜道を、男が一人。齢(よわい)二十もいかぬ手代(てだい)、人柄よさげで口重く、どこか良いとこの坊といった風俗をして、頼りなさげにきょろきょろと、闇夜に浮かぶは仔細顔。
橋を抜け、裏手へ潜ります。並ぶは粗末な屋体ばかり、その一つに行き着いた男、斯様な時間に行き交う人もなかろうに、またも後ろへ横へかぶりを振り振り。やっとそろりと戸叩き一声。
「お晩です。あっしにございます」
答えも待たず戸を引くと、中はどうやら飯屋のようで。とはいえ今は夜分過ぎ、飯屋が開いてるわけがなく、中は真っ暗、竈(かまど)の火は落ち、うすら寒くもありました。
「ああ、お前様ですか。おいでなさんし」
けれど女房、客は待たせぬとばかり姿見せます。なりは若く、長めの髪を腰まで編んで、南蛮人やら韃靼(だったん)人やらの血でも混ざったふうの尖った顔立ち。これがまた浮世離れして、闇に浮かぶ姿の艶なること、とても貧乏飯屋の女房とは思えず、斯く言う男も散々見慣れておろうに、しばし見とれてしまった次第で。
「如何なさいした? お前様」
と女房の声で目覚めた男、懐をまさぐりますと、銭をぱらぱら卓へと散らし、ぼそりと。
「"かぐや"にお障りはございますか?」
女房は黙ったまま、撒かれた文銭数えますと、しめて30、これ丁度と頷きます。
「今宵は誰もお出でになっとりゃございません。ささ、外は冷えましょう。おしげりなんし」
と案内(あない)するは店の奥。隅の棚ずらすと先には隠し扉、男はくぐり、急な梯子そろそろと。狭く暗い上り路は、何やら冥府にでも続いているようで。
隘路の果て先、屋根裏には行灯のぼぅっとした揺らめきがありました。
「おいでなさんし」
と甘ったるい響き、朽ちた梯子もその時ばかりは喚くのを止めたよう。男、月影も射さぬ暗がりを、行灯目指し這い寄る姿、さながら蛾を思わせます。
ようやく梯子昇り切り、会釈交えて、声の方までぎぃぎぃと、床の軋みは打って変わってけたたましく。
座るは女、闇にぬぅと浮き上がり、莞爾(にっこり)と客を迎えます。
見た目は十二、三ほど。背丈ほどもあろうかという御髪(みぐし)、黒に青みをほんのり纏い、虱布団へ気まま遊ばせ、枕に肘つき虚ろに身を投げ、咥えた煙管(きせる)からは紫煙、たゆたう白はうっすら甘く、女を艶かしく囲いながら、闇にふつりと溶けて消え。
其の色香に酔うたか、闇に足を取られたか、男、覚束ぬ足取りで褥(しとね)へ。ようやく辿り着きますと、行儀よく正座、あとはむっつりという有様。毎度ながらの振舞いと言え憎からず思えたか、女、頬緩め、
「如何なさいした?」
「……いや、話すも情けないこと」男はただ俯くばかり。「花魁詞(おいらんことば)というのが、どうも耳に慣れんでして……」
「夜鷹(よたか)女が『ありんす』など、滑稽と思いんすか?」
「そんなことぁございやせん。よう似合っとりますよ」
一つ煙管を吸いますと、ぽんと火皿の上に載せ、初心(うぶ)な耳へと煙吹きかけ、
「では、これで如何でしょうか?」
「お美しゅう声に変わりがなければ」
女ははにかみ、男の胸に身寄せます。まったく不思議な女、昔は吉原にでもいたのやも、と思うは男。
初会(はつかい)こそ年季が明けたどころか、まだ突き出し間もない女に見えけれど、身のこなしとくれば浮世絵で見た太夫(たゆう)そのもの、芸事をやらせれば筝(そう)に笙(しょう)、茶や書にも通じ、竹取源氏なら空で唱える。歌詠みがこれまた逸品でありまして、あたかも平安の歌仙が取り憑いたような歌を囀りまする。
安い娼(よね)を買うがせいぜい、遊里通いなどまだ家賃が高いといった無手客(むてきゃく)の男でありましたが、たとい吉原一の花魁であっても、この"かぐや"に勝てよう傾城(けいせい)がいるとはゆめゆめ思えぬのでありました。
斯様に器量良し、見立て良しの女が、夜鷹まがいの安銭で春をひさいでいるとなれば、如何なる故かと誰しも気になろうもの。ところが知れているのは"かぐや"という源氏名がせいぜい、他は如何なる素性も謎のままとくれば、その不可思議さ相俟って客集まるのも道理と言えましょうか。
其れでなくともやれ松平だやれ水野だと、お上が岡場所をこれでもかと取り潰しなさった為に、今では斯様な遊び場、表立っては開けぬこととなりました江戸の世で、うらぶれた飯屋の屋根裏の中、咎人の如く蟄居する別嬪の女郎は、好き者連中の間では密かに知られた話となっておりました。
じっと、法事の客かなんぞのように押し固まったままの間夫(まぶ)、もう幾度も遊んだ仲というのに、粋人を装う風もなく畏まる姿、女はふふとささめき笑います。
この純な手代が色の道を知ったのも、半可通(はんかつう)の奉公仲間に連れ立たれた末でございましたが、今やすっかり馴染みの顔、斯うして足繁く通っては、寝ても醒めてもかぐやかぐやと、恋に患う日夜を過ごしておりました。
火皿へ置いた煙管取り、軽く一服した女、男へ差し出し一言。
「お上がりなんせんかえ?」
一つ間置いて、男は手伸ばし、
「では、かたじけない」
紅が付いた煙管を咥え、吸うやたちまち噎せる男。ぷっと吹き出したは女、嫌いなら嫌いと言えば良かろうにと、男の肩口ちょいと抓(つね)り、煙管取り上げ火皿へ戻し、身を伸ばしてお猪口と徳利を摘みますと、崩れた織物からちょろりと覗くは脛(はぎ)、たまらず吸い寄せられてしまうのは男の性でありましょう。
かぐやはつれなく身を逃がし、客へ酒を注ぎました。男は出されるがまま一口。またひどい安酒で。
「そう固くなりなさるな。まだ夜は永く続きましょう?」
「……焦ってなどおりゃせんです」
「おやまぁ、頼もしいこと」
強張る膝へ、かぐやは手を添えます。ぴりりと突っ張る男の上を、気ままに跳ね這う、細指の舞い姿。
「ぬしぁ、なかなか遊んでくださりませんね」
と女の吐息。男は面を上げ、
「遊ばせてくれぬのはかぐや、そなたでありゃしやせんか?」
盃開けて、ぐっと覗きこんできます。野暮な眼差しに、くすぐる指も止まろうというもの、きゅいとまた意地悪く膝頭を抓りますと、
「はてさて、またおかしなことを申しんす」とはぐらかします。
「楼廓(ろうかく)の客には4ついると何時だか聞いたことがごぜえやす。一番の上客は遊ばせる客。遊ぶ客、遊ばぬ客と続いて、女らが一等扱いに困るってぇんが遊ばせぬ客と。さすればあんたはさしずめ遊ばせぬ遊女ってぇところでしょうよ」
「とんだ見立て違いでござんしょう。わっちら女郎の勤めは、客の望む女に身を代え、惚れさすことざんす。そう思いなっしゃるのは、ぬしのせいでありんすよ」
くすくすとささめき笑い。かぐやはまた思わせぶりに、廓詞(くるわことば)で告げました。男はふふと、下手な愛想。
「淫らに舞えと仰っしゃらば、如何様にも致しんす。愛せと仰っしゃらば、言われたままに心燃やしんす。一夜の間、銭の縁が続く間は、お好きなように扱いなんしな」
杯を放ると、かぐやはやおら男へしな垂れかかります。
朽葉色の羽織を肩から外し、露わとなるは白の肌。これがまた妖艶な白で、なかなかに名状し難きところがございまして。健やかな赤みがあるわけでもなく、かといっておしろいを塗ったくった紛い物の白でもない、透けるような瑞々しさも、肺病みによくある気味悪い青もない。ただただ、ひたすらに白いんで。
女を胸に置きながら、しかし男は触れようとしませぬ。それでなくとも飛び切りの上玉、脱がす為着た召し物など残らず毟り、煎餅布団に押し倒し、唇を、柔肌を、思うがままに貪るのがまこと男の道理でしょうに、このなまっちろい優男と来た日には、相も変わらず白肌を肴に安酒を傾けるだけにございます。
「まこと、好きなようにしても構わぬと?」
やっとこれだけ。行灯に照らされるのはひどく思いつめた顔つきにございました。毎度ながら垢抜けぬ面と笑えたか、かぐやはそろりと立ちますと、自ずから召し物を外します。すとんと落ちる朽葉色。
「嘘は吐きませぬ。ご随意に」
肉付(ししつ)きはいまだ童女(わらわめ)のようなれど、その姿、斯様に身を窶した売り女のそれとは思えず、むしろ貴さすら匂わせるほど。
うっすら青みを帯びた仄明かり、白の肌からぬるりと漏れますと、煤けた蝋燭の灯もこれは勝てぬとひれ伏すばかり。生まれながらに流れる血潮が、紫煙と土埃にまみれた汚き屋根裏を浄化せん為、肌の下から光っているように思われました。
「ならば身請けは?」
かぐやはきょとんと、男はあくまで神妙な面持ちで。遊女は声出し笑うや、
「またそれですかい。戯れはよしてくんなまし」と。男はめげず、
「金はなんとでも致しやす。今奉公しておる店から持ち逃げしても構いゃしやせぬ。おめぇさんと暮らせるんなら、蛇の道の一本や二本――」
「遊びの熱ぁほとほどでなけりゃなりません。ぬしぁまだお若くいらっしゃる。こんな女に本気で惚れても身を滅ぼすだけ、どうかご自愛の程を」
「身を落とすなど承知の上、こちとら江戸を抜ける覚悟とて――」
猶も何某か続けようとする男を、かぐやはそっと覆います。熱に浮かれた唇塞いで、つまらぬ言葉を吐く舌を絡めとりました。
ぴちゃりくちゃりと、捏ね回し、溶かし、蕩けさせ、一夜の仲にあっていいのは情の炎、屋根裏の売り女なんぞに情けは要らぬと。
すぅっと、ひんやりとした唇が離れました。名残惜しげな銀糸が、舌と舌とをトロリと跨いで。
「わっちは、もう死んだ身なんす。生きちゃいないも同然なんでござんすよ」
ぼそりとかぐや。ふつと笑みが漏れました。男はゾッとします。余りに深い笑みであったから。
「……やはり、梅毒か何かを患っておいでで?」
と、腹を括ったそぶりの男、そっと手を取り、諸手で摩ります。これがまたひどく冷たい手で、本当に生きていないのではと思うほど。
男の一途が零した言葉に、かぐやは目を伏せ、しみじみと聞き入っておりました。
「わっちにも昔、ぬしのように言い寄ってきた男が幾人もおりんした」
と、かぐやは問いを逸らします。たちまち持ち上がる純な優顔。手甲に残る男の熱を感じつつ、かぐやは続きへ。
「皆、袖にしてしまいんしたがね。どれも禍(わざわい)に苦しみ、死んだ者もおったと聞いとりんす。まあ、業の深いことざんすよ」
触れた男の肩がぶるりと震えました。それが道理と女、元より住まう世の違う者同士、ならば押し倒して、この須臾の夜だけ繋がればよし。襟を掴んで脱がしに掛かりますと、懐からぼとりと滑るは、白い刃をきらりと光らせる小刀。男の体がまた戦慄きます。
「――かぐや、あっしと心中しては下さりませぬか」
色に媚びた顔をしていたかぐやも、これにはしばし戸惑ったよう、目をまん丸と見開きながら、告げられた口説(くぜち)の意味をあれこれと巡らせておりました。
見れば男は真っ青、もとより白い面からいっそう赤みを消して、唇をわなわなと震わせておる様子。打って変わって紅が差したのは女郎の頬。さながら男の熱を吸い取ったかのように、白かった肌がみるみる染まっていきます。
「心中と、申されましたか? 心中と?」
かぐやはたいそう奮っておいででした。口の端をきりりと持ち上げ、しばし言葉が出てこぬ顔でにんまりしていたかと思いますと、突然大きな声でケラケラと笑い出すではありませんか。歯をむき出しに笑うかぐやなど、男は初めて見るもので、すっかり仰天してしまった次第。
そんな間夫の首を掻きし抱き、腹の底から響く声で耳元へ、
「本気で、本心からそう仰っしゃりますかい?」
「もし、かぐやがまこと余命幾許もないならば、あっしも現世(うつしよ)に未練なんざありやしません。惚れた女も救えぬこの身、ならばいっそ一緒に死んで義理でも立てねば、男が廃るというもの」
ぼんやりと聞き入っておりましたかぐや、一度身を離し枕屏風へ。しばしゴソゴソと、何某かを探していたかと思いますと、戻ってきた手には剃刀、柄に藤を巻いただけの、持ち主に似合わぬ厳つい品、纏う光は男の抜き身に負けぬ鋭さを湛えておりました。
「わっちも、ずっと夢見ておったのでござんす。こんな女に死んでくれと言ってくださる物好きがおりゃせんかとね」
刃くるりと掌で遊ばせ、輝夜は男の胸へ身預けます。薄い剃刀、無骨な小刀、双の白刃が寄り添い冷えた音を立てました。
「もう……飽き飽きしておったんすよ。斯くも狭き穢き廓の中、牢に繋がれ命削り、身を売り情売り安銭拾い続けても、この先おかしきことがあろうはずもなかんせん。ならばいっそ添い遂げてくれる相手でもおらんせんか、と」
「もしや、おめえさん他にも心中立てを?」
「さあ、覚えとりゃござんせん」かぶりを振るかぐや。「わっちなんぞに付き合ってくれる酔狂が、果たしておったかおるまいか。まあ居らっしゃりゃせんでしょう」
「あっしゃ、かぐやを裏切ったりはいたしやせん。誓って言いやしょう」
きっぱりというは男。女、慰みの言に溜息吐いて、
「も一つ、ずっと案じておったことがありんして」
伏し目を上げました。瞳に入ったのは男の眼差し、これがまた真剣で、女も勤めを忘れてしまいそうになるほど。繊弱(ひわず)男は唾(つばき)飲み、「と、申しますと?」と一言。かぐやは御髪撫で上げ、思わせぶりに、
「ぬしぁ、どう思いますかいね? 怖いんすよ。心中なんかで、わっちの業が晴れるんかと」
「どうか怯えなさるな」男の声は、どこか切羽詰まっておりまして「想い人が契りを交わして命を絶てば、必ずや来世で結ばれると、これ世の理なり」
「存じておりんす。されどしょせんは悲しき夜鷹女、もはや人とも呼べぬ身。そんな者に来世などあろうものか、たとい契りを交わしても、わっちだけ輪廻の輪から外されて、もうおまいさんとは居られんでなかろうか、ふと夢現から目覚めてみれば、在るのはこの身だけ、また一人きりに逆戻りとなりんかえ、とね」
「――萩の白露 起き伏しつらき 色と香の 繁りて深き床のうち 今朝の別れに袖濡らす」
(遊女というのは、寝ても覚めても辛きもので。どれだけ夜は深く愛し合っても、朝になれば客との別れに涙するのです。)
唐突男の口から飛び出してきたのは、うろ覚えの唄の一節。またひどう不慣れな調子だったものですから、女は目をぱちくりさせて、
「何だんすか?」
「ああ、『蓬莱』という、長唄でございます」
と返すは男。この間夫には珍しい話の種でした。自ずから遊びの話をするなど、滅多にない雛男でありましたから。
「いや何の、たいした話じゃごぜえやせん。ただ、遊廓を蓬莱山とかいう、不老不死の仙人が暮らす山、遥か東にあるその地に見立て、一夜の夢を謡うものでして。其れをふと思い起こしただけのことです」
己を奮い立てんとする言葉にも聞こえました。女はじっと耳を立てるのみ。
「されどあっしにとっちゃあ見立てでも何でもございやせんで、ただそれだけを申し伝えておきたかったんで。かぐや、おめえさんと一緒にいられるってんなら、そこが冥土だろうと黄泉だろうと、あっしにゃ蓬莱の国と同じことでありましょう。ですからどうかそう案じなさるな。必ずや、二人手を取り蓬莱山へと参られましょうよ」
女郎に手回し、ぐいと抱き寄せます。不器用な御仁の、精一杯の洒落文句、ますます愛おしく思えたか、かぐやも赤子のように抱きつきました。
「不老不死の地、にございんすか」
「左様で」
「……ふふっ、憎いお方」
やけに伸びやかな笑い声に聞こえました。胸に伝わる高鳴りも、男には恐れゆえの空元気と映ったのでしょう。落ち着かせんと、頬寄せます。
「おまいさんは覚えていて下さりますかい」と懐の内で訊くは女。「たとい蓬莱山を越えようと、わっちのこと、ちゃんと覚えていて下さりますかい?」
「訊くも野暮、言うも野暮ってもんでごぜぇます」すがる女の髪撫で、男も告げます。「かぐやこそ、あっしのこと忘れねえで下さいよ」
「……ええ、約束いたしんしょう。たとい何度生き返ったとしても、決しておまいさんのことぁ忘れやせんでありんすよ」
かぐやはふふと、幸せそうに忍び笑いました。きつく絡めた腕(かいな)を緩め、男の胸に乗ったまま、頬をぴたりと鳩尾に添わせます。心の臓から漏れる音、間も無く消えよう音に聞き惚れるように。
「ええ、承知しんした。方様からこうも深く慕われて、無碍にするなど女の道が立ちませぬ。思い残すことなどありんせん。死んでこの身の業が晴れるのならば、喜んでご一緒しんしょうよ」
そろり伸ばした細腕、転がっていた小刀を取りますと、馬乗りになったかぐや、刃に唇這わせます。男の頭上できらりと光る、その白光の禍々しきこと。
何やら突然女の中身が入れ替わりでもしたような、そんな違和感を男は覚えました。久方ぶりに胸から起き上がった顔は、もう見事なほど愉しそうに見えたのです。
女に押されるがまま、男は褥に転がされますと、馬乗りとなったかぐや、
「ではこういたしんしょう――」活き活きと語ります。「わっちがこの業物で先に腹を裂きんす。ですからどうか事切れるまで、おまいさんに愛してもらいたいんでござんす。繋がっていたいんすよ。惚れた男の胸ん中で死ねるんなら、わっちぁ怖いもんなんざ何もありゃしやせん。こっちが事切れたのを見たら、おまいさんも後追って下さいましな。この剃刀で。お頼み申しんして宜しいざんすか?」
女郎は剃刀を男に握らせました。やけに卒のない身捌きに、しばし戸惑ったふうの男。しかし滑らかな手はずも語り口も、女の矜持が故と合点したのでしょう、剃刀しっかと握り、女の目見て、
「……合点いたしやした」と返すと、女は目を伏せ、
「申し訳の立たぬことでありんす。臆病女に惚れたんが運の尽きと思ってくんなましな」
「何を言うかい、持ちかけたのはこちら。それしきのことは至極当然の定め」
気丈に言い放つ男、接吻を交わすと、かぐやは股座の一物を手慣れた様子で取り出します。ふんどしから飛び出たそれは見事にそそり立っておりました。白く冷えた指が熱く腫れ上がった鎌首を這い上がりますと、女はやおら跨ります。迎える方もすっかり熱に中てられたのか、しとどに濡れそぼっておりました。
「よう目に焼き付けておいておくんましな、方様」かぐやは既に荒い息で。「これが程なくして死ぬ女の、最後の乱れ姿でありんすよ……っ!」
そのまま怒張を女陰へ。ぴちりと閉じた女の秘門は処女(おぼこ)のようで、とても安女郎のそれとは思えませぬ。
それが赤く膨らんだ肉茎をぞぶりぞぶりと、飲むに合わせてはぁはぁと、喉から漏れる牝の吐息。そのなよやかなこと、男もたまらず我忘れ、華奢な女の腰掴み、力の限り突き上げたいとも思いました。されど体は動かぬ、幻術か金縛りにでもあったかのように。ただ神経を刺すのは、普段の倍ほど大きくなった陰部の熱と、そこから伝わる女の柔らかさだけでして。
およそ挿りきるとは思えぬほどの肉塊を、かぐやはがっしと肉壺に詰めました。それだけでもはや腹破れそうなほど、一つ深く息を吐きますと、肉棒に浮き上がった血管の一筋一筋まで味わうように、腰をずりずりくねらせます。
情けない声を漏らす男の手をしっかと取って、かぐやは昂ぶりを隠せぬ声で言いました。
「ん、ふぅ……さ、ぁ……いよいよ、裂きんすよ」
逆手で刀を持ち、男の手を被せ、逃がさぬよう上からもう片の手を巻き付け。真っ白いわき腹に、銀の刃先がきらりと迫り、そのまま躊躇いなくずぶり。男の掌にやわやわとした手ごたえが伝わりますと、腹に生温かい汁が広がりました。
「〜〜〜〜っ!!」
唇をぎゅっと噛みしめ、額から脂汗垂らしつつ、しかしかぐやは満ち足りた顔をしておりました。すっかり竦み上がってしまったのは男、腹いっぱいにぶち撒けられた血は、寒気がするほど温かく、男と女の股の間へ滑り込み、腰振る度ぬちゃぬちゃと。
いっそう滑りを増した陰裂の締め付けに気を遣りそうになりつつも、頭のもう片方はぶるぶると竦みあがってしまうばかり。そんな男の心持を見透かして、かぐやは繋いだ手を離さぬまま、業物をするりと手放しました。固い白刃が腹に落ち、また慄いたのは男の方。
「んはっ……はぁ……ふぅ……さ、お触りなんし。どうぞぉ、んん゛ぅっ、お好きに……混ぜんさい。こん中も、はぁー……ふぅー、ぅ゛ぅ……ぜぇんぶ方様のもんで、ふぐぅっ、ございんすよ……」
ぱっくり割れた腹に、ずぶずぶと繋いだ手を押し込みます。この女とち狂ったかと男、しかし女郎に手離すそぶり無く。破瓜なぞ比べようも無き痛みに身を捩り、血と涎を口から垂らし、痛みと悦びのあわいに悶えながら、漏れる艶声は腹弄られるのがたまらぬとでも言いたげで。いっそう熱の篭った腹の中、臓腸(はらわた)はぶよぶよ、逃がすものかと指にねちねち絡みつき、混ぜるどころか動かすことさえ叶いませぬと、すっかり怯んだ男の手。
「これがぁ……はぁん、はぁっ、腸(わた)にぃ、ございます、る、ょ……如何ですか……ぁっ、んふぅん!」
ほんに気が触れたに違いないと、男は思いました。髪振り乱しながら、かぐやは膣と臓物で、男の節を二本がっしり咥え込み、思うが侭に躰動かします。
「そしっ、てぇ、こちらっ があぁ!! はぁ……はぁ……膀胱、そして、んあぁ! その奥にある膨らみが子宮ぅ、んっ、こぶぅ、くろぉ……♥ そう、おまいさんに、今ぁ、かわ、ぃがってぇ……もらってるぅぅ、女の……要にぃ……あひぃん! ございますよ……ぅっ」
促されるまま、中指の先が触れた肉塊、こりりと固い撫で心地は、手首に纏わりつく腸とは明らかに異なるもの。女が陰道を締め上げる度にくいくいと縮み、出し挿れする度にきゅっきゅと伸び上がり、焼けた鉄塊のごとき熱を孕ませ、悦楽に悶えながら、精を注がれるのを今か今かと待ちわびておりまする。
と、どうでしょう、男からたちまちにして恐れが失せていくではありませんか。残ったのは煩悩にまみれた色欲ばかり、この指の先に覚えた、健気で愛おしい子袋に、思いっきり己が精をぶちまけたいと、ただそれだけでありました。
「はァ、ふうゥ……はあ゛ぁッ!! はッはッはァふぅっ、ふぅっ、はあ゛っ! う゛ぉッ、はァ、ふッ、はッはッはッんんはァ゛!!」
「あはっ、あはははっ! あっ、ああん♥ 如何なされましたお前さむひぃ゛ッ♥ いヒィ、んぁ、あッあッあッあひィん♥ そんな獣のような目をしへぇん♥ ひぁあん、い゛ひッ、気でも狂いましたか!? あはははっ」
「ぁはあ゛っ……出すぅ、出してぇ、んぐぅ、んぶぅ、んっ、はっんぉ、じらすないっ、出させろおぉッ!!」
いっそう硬さを増す剛直の熱を、肉襞もはっきりと感じ取ったのでありましょう、かぐやはあえて締め付けを緩め、男をじらします。それこそ檻から解かれた犬畜生かなんぞのように、女を犯さんと四肢もがく男を巧みに御しつつ、女郎は嬌娜(きょうだ)に船漕ぎ続けます。延々生殺しにされて、しかし陰茎はとうに耐える心を失っておりました。とどめとばかりにぷっくり膨らむ亀頭を、女もしかと心得ます。
「あ゛だぁ、はァはァはァ゛っッ! 出すぞぉっ、ふぶっ、ああ゛……い゛ぐぞおおォ、受け取れ、かぐやぁっ、うけとれえぇっッ!!」
「あはぁっ、お出しにぃッ! ひぃぁあぁん、なりますのね♥ んんぅッ、はぁっ、どうぞぉ、全部ぅ、んひぃっ♥ ありったけ、くださいましぃぃっッ♥」
下の腰が噴き上がり、上の腰が浮き。子宮を愛撫する指は、しかと一切の仔細を感じておりました。鈴口から噴き出した熱い塊が、子袋にこれでもかと打ち込まれ、奥壁を幾度も叩き、じわりと浸み込んでいく様を。本当に自分が出しているのかと、疑ってしまうほどの長い吐精、肉管の蠢きと歩を合わせるように、ひくりひくりと戦慄く子宮は、最後の一匹さえも余さず精虫を迎え入れようという心遣いに他なりません。
そう、男は女の情の深さというものを知ったのです。
精液を溺れるほど注がれ、飲み切れなかった分を陰門から溢れさせているにもかかわらず、猶止むことなく男の色を、情を受けんと懸命に身を震わせる女の慈悲を。
これでもかと精を吐いたというのに、男の物は収まりがつきませぬ。それどころかいっとう大きく屹立する始末。嗚呼もっと女の奥を愛でたいと、女の芯に包まれたいと。
男に跨ったまま、苛烈な吐精に惚けていたかぐやを褥へ力づく捻じ伏せますと、上に被さり狂ったように腰を打ち付け出す次第で。これがあのまなっちろい繊弱男かと、彼を知る人なら皆驚いてしまう豹変ぶり。
「お゛ォう゛っ! はァはァはァ……あはぁ、ぉぶぅ、ふお゛っふっ、はァ゛はァ゛はァ゛あ゛っッ!!」
「あひっ、いひぃ、 ひっあッおッひっひィん♥ あひぇ、ひぐぅ……ぃいにょぉ♥……もっひょ……ォオ゛ッいひぃぃっっ♥」
それはもはや獣、いや獣は斯様なまぐわいは致さぬか。男が腰を打ち下ろす度、女の腹穴からは血と腸が飛び、跳ね、舞う、何度出したか白い精塊は、怒張した肉塊が持ち上がる度ぬちゃりと這い出て、押し込まれる度ぶびゅりと噴き出す。蜜壺を抉り込むごとに宙を踊る朱の液と白の液、低い咆哮を上げながら身を打ち付け合う二つの肉はもはや悪鬼か化生(けしょう)の類、およそ生ける者の所業ではありませぬ。
玩具(おもちゃ)よろしく嬲られるかぐや、圧し掛かる男の首にするりと腕絡め、顔寄せ、貪るような接吻。舌は蛇のごとく縺れ絡み、息と息が溶け混ざり、口いっぱいに広がったのは鉄の味。それに重なるは牡と牝の臭い。
「あひェえ……♥ ん゛おぉッ! くびぃ、あぶぅ……首をぉ、んぃ゛ おひめへぇ……んぎぃっ、くだひゃぃ……」
と言ってかぐや、男の諸手を己の首に巻かせます。ぎゅっと、稽古のごとく、己が首絞めさせ、
「ほらぁ♥ こ、するとぉ、あがぁっ! あっあっ、もっとぅ……んんぅっ……具合よぅなりましゅよぉ♥ だからぁ、ぎぴぃッ!! もっひょ……かは、愛ひてぇん……♥」
「ああ゛っ、好きだぁ……あはぁっ、愛してるぞぉ、かぐや、好きだあぁ!!」
細首に重みを掛けますと、確かに女が言った通り、女芯がきゅっと締まります。かぐやもまた目をまん丸く開いて、舌突き出しながら、血泡吹かせて惚けているよう。男の心が爆ぜました。嗚呼何と美しいかと、かの龍顔をいっそう溶かし、歪め、壊してみたい、浮かぶ貌を遍く己が眼(まなこ)に収めたいと。
「だすぞぉ……かぐやぁ、愛してるぅっ!」
「ぁ、かハァ、ぃ……ひぇ、ぇ゛……ぃっ、ぃ゛ひ……」
有らん限りの力を込めて、首を絞ります。手に伝わる仄かな拍がいっとう心を湧き立たせます。骨がぎちぎちと軋む音、しなやかな少女の肢体が弓のように持ちあがったかと思いますと、ごきゅりと鈍い音が響きました。
「ん゛オお゛ォッ!!」
「ぃぐおェ゛ッ♥♥」
*
果てさて、男が気を戻した頃、既に空は白みかけておりました。
夜っぴて腰を振り続けては、女の膣へ精を吐き出していたのでありましょう。既に出るものなかろうに、肉の昂ぶりははたと抑えられなかったのか、とうの昔に骸となった想い人にむしゃぶりつき、胸を裂き、腹抉り、臓物の一つ一つに至るまで余すことなく愛でていたのでありましょう。
男の手には持参の業物がしっかと握られておりました。銀刃は血脂ですっかりくすみ、ぬらぬらとした輝きを照らすばかり。手と柄は血糊で貼っ付き、もはや手指と変わらず、切っ先まで心が通うているように思えました。刃の冷たさ、纏う汁の生温さ、その心地悪きこと。
そろそろと目線を下へ。深いまぐわいから醒めた褥に、愛しい女は居りませんでした。そう、今のかぐやは荷車に轢かれた蛙と同じ、喉から股までぱっくり開き、白い肌などもう見えず、全身血みどろ、残った白といえば男が撒いた迸(とばし)りのみ、面影辿るのも難儀といった有様で。
男はようやく思い出します。自分は心中せんが為に此処へはせ参じたのだと。
愛する女の血を吸いに吸った抜き身を、忌物かなんぞのように振り捨て、替わりに取ったは剃刀、長いこと隅に転がされていたかぐやの形見でございます。
頼りなさ気な薄刃を掴み、そろそろと首元へ。熱に魘されていた身体もとうに冷え、男の臓腸に込み上げてきたのは、ぞわぞわとしたうすら寒さと、かの懐かしき恐れの念ばかりでありました。生への執着、死からの逃避。
手はぶるぶると、まるで己の物で無いかのよう。何度も勢いに任せて首を裂こうと致しますが、何度やっても同じ事、剃刀はちぃとも言う事聞いてはくれず、切れるといえば薄皮がせいぜい。垂れる血雫など、散々浴びた返り血の前にはその在り処さえ認められません。
剃刀ごときが何故(なにゆえ)斯くも重いのか、ままならぬのか、焦れば焦るほど男は手の重みが増していくように感ぜられました。
「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……」
知らずと漏れたのは念仏、言った道理も判らぬまま、荒息ともどもひたすらに吐き続ける、さながら女の腹に蒔いた種と同じ数だけ唱えにゃならぬという決まり事でもあるかのように。
男は逃げとうなりました。すっかり萎びた一物仕舞い、血雨に躰降られたままで、この屋根裏から飛び出して、ひたすら駆けて、行き先存ぜぬ、ただただ遠く、此処でなければ何処でもよしと。
腰が持ち上がりかけます。すっと目線が落ちました。下には女、好いた女郎のなれの果て、舌を突き出し、だらしなく口開けたまま、でろりと濁ったまなこをてんでばらばらの方へ向け、しかしこちらをキッと睨んでおりました。
男はたちまち身じろぎします。骸が嗤っているように思われました。愚図な男の心に吹いた臆病風をケタケタと、いつまでも、死んだ後もとこしえに嘲笑っているかのようで。
同時に男は気づきます。目の前にあったのはもはや骸とも呼べぬ、もう幾度死んだか判らぬ、しっちゃかめっちゃかになった惨たらしい肉の塊でした。あらゆる臓物を四方八方撒き散らし、元の形を留めているといえば顔がせいぜい、見世物や読み物にあった清らかで純心に満ちた"心中沙汰"など、そこには一切ありませぬ。ひたすら不埒に爛れ切った肉宴の跡だけ、命を、想い人を冒涜する狂祭の滓だけにございまして。
男の手にたちまち神経が通います。手には剃刀、女の形見、持ってはならぬと放りますと、急いで先捨てた小刀を掴み上げます。未だ震えは止まぬまま、しかし今度の刃はぴたと首に吸い付きました。
一つ大きく息吐きます。自分が斯くもげにおぞましき行いをしたことを、男は未だ信じることができずにおりました。昨夜のことはなべて夢の夜の出来事、幻か何かのように感じられてならなかったのです。
ただ一つ、きっぱりと覚えていたのは指先に残る温もり、愛しいかぐやの子袋が己の精をちゅうちゅうと吸い上げる、あの甲斐甲斐しさだけ。
そう、男はあれをもう一度感じたかったのでありましょう。事切れたかぐやの腹に、あの一途さが残っておらぬかと、腹裂き胸裂き、残らず臓物撫で回し、必死に索(もと)め続けたのでありましょう。女の全てを手に入れんが為。
血の味を、ふと男の舌は覚えました。
昨夜、かぐやと血反吐を酌み交わしながら接吻したことを思い出しました。
腹をまさぐり、ぬらぬらとした腸を撫でたことも思い出しました。
首を絞め、今際の締め付けを堪能しながら腰を戦慄かせたことを思い出しました。
死んだ女の身を千々に刻み、詰め物をぶちぶちと千切り出し、むしゃぶり、血を啜りながら、熱の失せた骸に精をぶち撒け続けたことを思い出しました。
何故か涙が零れていることに、男は気づきます。ぼとぼとと、頬伝い垂れる滴、流れる清水は返り血洗い、顔を拭って血池に落ちる、されど朱を薄めるには余りに足りず、どこへ溶けたか行方も知れず。ただただ残るは、嗚咽のみ。
畢竟無間地獄をくぐろうと、己が来世でかぐやと結ばれるに値しないと、男は思えました。
自分は心中すら出来ぬ鬼畜に身を堕したのだと、しかと心得たのです。だから自然と腹も決まりました。
「……南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀……ぁあ南無阿弥だぁぶぅっ!」
諸手で白刃を目一杯押し込みますと、さっと緋雨が降りました。
*
「――もう朝よ」
その声で遊女は寝返りを打ちました。梯子をそろり昇ってきたのは先の遣り手女房、名を八意永琳様と申します。
「……ん、おはよう」
甘い声で、お返事になります。朝のまどろみの中、冷たくなった男の骸と仲睦まじく添い寝しながら、首に走った躊躇い傷を愛おしそうに撫でておいででした。
「また、随分と派手に愉しんだものね」と優しく告げるは永琳様。
「ええ、最近の"心中ごっこ"の中じゃ、一番良かったかもね」
血池の溜まった褥から身を起しになられました傾城、これでもかつては月の姫君であそばされたそうで、切っても焼いても死なぬ躯とのこと。見目麗しい御髪は血糊で固まり、床にべたりと貼り付いておりました。
斯くも貴き御髪を仔細なさげにばりりと引き剥がしますと、真白い身体をううんと伸ばします。瑕一つ見られぬ、それはそれは神々しき御姿であらせられました。
永琳様は君の横に転がっていた骸を取り上げます。首筋には傷口がぱっくりと、黒々した淵を覗かせておりました。
「今日のはちゃんと自害したのね」
「ええ、そうみたい。久しぶりに永琳の手を煩わせずに済んだわ」
「ここのところ怖じ気づいて逃げ出す輩が多かったからね」
と歓談しつつ黒ずんだ手を取りました永琳様、やっとこを使って器用に爪を剥いでいきます。
「はい」
「ありがと、永琳」
しずしずと受け取った姫君、やおら取り出しまするは錦の巾着袋、幽玄な文様を纏ったこれまた美しい品でございます。袋開いて男の爪をぽとり。袋いっぱいに詰まった爪とぶつかって、ちゃりりと軽やかな音が響きました。ずしりと重みのある巾着袋を満足げに振った君、きゅっと袋口を閉めませば、もうどの爪が誰の爪かなど見分けはつきますまい。
「心中の契りを立てるんならせめて爪剥ぎくらいしなきゃねぇ。風情に欠けるもの。言ってくれれば、放爪(ほうそう)でも指切りでもしてあげたのに。20本だって、40本だって」
物言わぬ一夜の夫へ、懇ろに囁きかけますと、姫君、すっくと立ち上がりになられました。
「行水でもしてくるわ。片付け宜しく」
「あまり時間がないから急いでね」
とお答えなされたのは永琳様。君ははてと振り返ります。
「どうやら奉行所の同心に気取られたみたいでね。もう女郎屋稼業は店じまい、日が高くなる前には江戸を経ちましょう」
「あら、いいじゃない。打ち首獄門って一度やってみたかったのよ私」
ころころと笑い遊ばせる姫君。永琳様は苦笑いを浮かべながら、骸を鉈で小分けにし始めました。
「なんでも信濃の方にあるらしいの。私達が隠れ住むのにぴったりな"蓬莱の国"が」
「へぇ、蓬莱?」
姫君も興をそそられたのか、同じ言葉で訊き返しました。永琳様の説くところによりますと、滅び朽ちた者共が結界の中、閉ざされた郷でひっそり暮らしているそうで、そこなら月の追手も届くまいとか云々。
君も其処なら暫しは暇を潰せようと、笑みを浮かべて賛意を表しました。これで夜鷹紛いのお戯れも、幕引きと相成りましょう。
最後の客が細切れになっていく様を見ながら、姫君は思い出したように仰っしゃられました。
「ねぇ永琳、そういえば私ってまだ地上での氏名(うじな)決めて無かったわよね?」
「入り用が無かったからね。それが?」
「じゃあ『蓬莱山』にしましょう。『蓬莱山輝夜』――どう?」
最近今までの自分と違うことやろうとして滑ってる感が強いですねヒィん読了ありがとうございます。
本文に出てきた「夜鷹」というのは江戸時代の立ちんぼ、要するに最下層の売春婦です。夜道に立って、通る男に声掛け、持参のゴザを裏道に敷いて青姦して稼いでたそうで。
値段は下は20文から上は100文、今で言うと300円から3000円くらい? ただしだいたいが厚化粧のババア(性病罹患率100%)らしいですが。それが今の錦糸町とスカイツリーの間辺りにいっぱい住んでたとのこと。
又聞きした話だと梅毒で鼻が欠けまともに歩けなくなった夜鷹が、廃屋で股開いてたらしいので、そうなるともう公衆便女そのまんまという。江戸時代いいですね
あと、「岡場所」ってのは幕府未公認の売春街だそうです。品川とかがメッカ。非公認といっても安値でヤレるってんで大流行、吉原は大ピンチに陥ったとか。ただインポ老中松平定信と水野忠邦によって夜鷹ともども壊滅させられました。すぐ復活したそうですが。
飛田新地とか、今は亡き黄金町とかの饐えた感じが好きです。
5/23 コメント+評価ありがとうございました。
>1さん
どうもありがとうございます。(実は時代小説ほとんど読んでないとか言えない……)
東方SS的に浮世離れした話なので、最後くらいはいつものノリで、と思いまして
>2さん
夜鷹蕎麦はそれが語源とか何とか言いますね。今ワンコインってあんですかね? 大塚とかも2000以下は知らないな。
輝夜は幻想郷一娼婦が似合うと思います。肉奴隷でも援交ヤリマンビッチでもなくて、娼婦。
>3さん
好事家で蒐集家らしいので。たぶん今も蔵のどっかにあるはず。しまった場所覚えてないんでしょうけど
>NutsIn先任曹長さん
最後くらいはいつもの感じにしないと、書いてる方も何書いてるのか判らずすっきりしないという、妙な気持ちになりました。ああ、何とか東方になったぞ! みたいな。
永遠と須臾は本当に面白くて、書く度に考えさせられます。
>7さん
やっぱり最初なんじゃこりゃ?ってなりますよね。セックスっていざ始まっちゃうともうチンコとマンコの話になっちゃうので、個人的にはエロい前戯が一番素敵だと思うのですが、エロい前戯って難しいです。
男は前のヤマメちゃんのがあんまりにヘタレだったので、今回こうしました。
>8さん
語りはそう言って頂けて嬉しいです。最初「けり」とか「たり」とか古典文法でやろうとしたら案の定再現できず、苦し紛れの丁寧語でした。
やっぱり最初重いですね……うーん難しい
>山蜥蜴さん
輝夜と言ったら悪女オブ悪女だ! みたいな思いがありまして。男を破滅させるファム・ファタールに一番萌えるのですが、輝夜は仰るとおり「絶対に破滅できないから、相手を道連れ破滅させ放題」なのが素っ晴らしいですよね。
廓言葉は私も嵌っておりまして、いつか「吉原が幻想入り」みたいなのやりたいとか思いつつ、どうやったらいいか思いつきません。
>穀潰しさん
ありがとうございます。艶は、出たなら何よりです。色香のある文章書きてえなこんちきしょうと常々思ってたので。
一応「姫の戯れ」の番外編みたいなノリで書きました。暇潰してる輝夜って可愛いですよね。
>紅魚群さん
産廃感が足りない、確かにそうですね……最初のアイデア出しの時、男をもう一人出すって案がありました。この手代の主人みたいな感じで、小判ばらまいて永琳輝夜と3Pする好色絶倫エロオヤジ、みたいな奴(当然自害しないで逃げる)。ただ上手く話として纏められなかったのと、この文体でこれ以上の長さ書くのは個人的に無理そうだったのでポシャりました。そういうネチョネチョちゅっちゅ感があればよかったのかなと今更思います。東方要素はもう最初からいいや読んでくれたみんなゴメン! 的開き直りがありましたスミマセン
男が怖気づきかける部分は書いてて一番面白かったところだったので、コメント頂けて嬉しいです。こういう弱さ・醜さが私が一番書きたいものなのかなと思ったりもします。輝夜がそういった惨めな人間らしさを根こそぎ無視する超越性を設定上備えているのも、またいいですよね。霊夢と魔理沙の対比なんかもおんなじ臭いがして、とても東方らしいテーマだと考えてます。
私も時代小説って殆ど知らないので、これでいいのかサッパリだったりしますから、どうぞお気になさらず(書くにあたって今さら近松門左衛門と井原西鶴にわかで仕込んだという有様)
>木質さん
どうもありがとうございます。輝夜は死んでる時が一番可愛いですよね。
輝夜の一回分の命は果たして高いのか安いのか、とたまに考えます。死の価値は明らかに一般人より低そうなのに、出自のせいで遥かに高貴な命に見えるのが、輝夜の嫌らしく、また魅力的なところなのかな、とか何とか。そんなことを考えさせられる時点で彼女には嘲笑われているような気もしますし。
文章は、上手くいったのかな……取りあえず五・七調をひたすら頭で反復しながら書いたんですが、なかなか上手くいかず悶絶しております。
>あぶぶさん
リアリティという言葉を今の今まで忘れてましたごめんなさい。開腹はかなり生存時間長いらしいし、輝夜はどうせ切り慣れてるから騎乗位くらい余裕だべ、とか適当に考えてましたね。
確かに逡巡すると、遊郭のやり取り感が増したかもしれませんね。風俗嬢の言うことは全部ウソという鉄則守るならば。
>あまぎさん
コメントありがとうございます。前半部は趣味丸出しで書いていたのでお褒めいただき光栄です。
>途端に下品になっていて、気分的にやや醒めてしまいました。
そうか、そっちの意見もありますね。
確か書く前に念頭に置いてたこととして、「男と女の趣きのある情事だったはずなのに、気付いたらオスとメスの生殖活動になってた」みたいな落差を書きたいと考えてた記憶があります。心中してるのに子孫を残そうとする男の滑稽さ、哀れさを書けたらいいな、と。まあ出来上がった品にそんな目論見の匂いは残ってないので、何言ってんだよという感じですが。
だから突然下品モードに一変するのもそのテーマをどう出すかの残滓なんだと思います。それがちゃんと表現できてないので唐突感があるのでしょうね。参考になりました。
エロパートはもともと苦手でして、特に嬌声とか悲鳴はホントどうしていいか判んなくて毎度書く度に恥ずかしくて死にそうになるのですが、精進します。ありがとうございます。
>アレスタ海軍中尉さん
やっぱりこの文章はないですよね。私も他人様がこんな文書いてたらブラバしますw
もともとは1年くらい前に書こうとした、殴りあいながら橋の上でセックスする勇パル用の文章だったんですが、まだ勇パルは書けてないという。
何か心に残ったのなら幸いです。
>pnpさん
ありがとうございます。
グルグルした感じにしたかったので、そう言って頂けて嬉しいです。
>☆さん
ありがとうございます。産廃は懐あるなと今回改めて思いました。
風流な人間のやりとりと動物的なヒトのぶつかり合いみたいなの表現出来ればとは思ったんですが、難しいところですね。
書き手自身が浅学故、およそ古文と言えない、中途半端な代物なので(技量的にもそうですが、ホントにそれっぽくすると書き手含め読めないので)、なんとなくフィーリングで読んでもらえれば十分かと思います。どっちかというと、書いてる時は大正時代のノリを意識してました。
匿名評価5名の方ありがとうございます。イベントは終了しましたが評価頂ければ必ず確認します。
んh
https://twitter.com/sakamata53
作品情報
作品集:
3
投稿日時:
2012/05/04 08:12:08
更新日時:
2012/06/01 22:29:01
評価:
15/20
POINT:
1570
Rate:
15.19
分類
産廃創想話例大祭
オリキャラ
黒船来航の10年くらい前、東京スカイツリーから500m南の辺り
#9829;
6/1コメント返し
最後の所は夢から覚めたという表現がピッタリだと思えました。
今で言うワンコイン売春か
ところで俺も輝夜と売春プレイしたいよぅ
やはり輝夜
刹那の劣情。
永遠の愛。
永遠と須臾の姫様のお戯れ。
オチで口調がガラッと、皆が知っているものに変わって、肩の力が抜けた自分がいました。
滑り落ちるように読み進んでしまいました。
ちゃんと自害なさった男に好感を持ちました。絶対に逃げると予想していましたのに。
語りもがっちりはまっていて、とても楽しめた。
心中物で、死ぬと約束して男だけ死なせるならただの悪女だけれど、実際問題一度『死んでいる』から嘘は吐いていない。ただ、死んだ後生き返るだけ。
死んだ男側の認識は死んだ時点でプッツリだから、男も騙されたとは知らないで済んで可哀想じゃない。知らぬが仏ならぬ、ホトケは知れぬ。
「ちゃんと約束が守られる」話って好きです。その約束が額面通りか、は勿論別として。
嘘吐き悪女じゃ小悪党でいいとこ止まりだけれど、「死など何程の事も無い」とばかりに腹をかっ捌いて死んで見せると大人(?)の余裕が漂うというか、素敵です。
ホロにやられてから廓言葉は個人的なウィークポイントなので追加ダメージ受けました。語りの様な字の文も良い雰囲気だぁ……嗚呼
するする読める『艶の有る文章』というものを堪能させていだきました。
血と臓物で彩られた汚く、綺麗な約束事。
暇を持て余したお姫様の戯れ事。
どろどろしているのにとても気持ちよく読みきれました。
ただ、私は時代物の小説などはほとんど読んだことが無いのでそういった面での評価はさっぱりわかりませんが、東方要素が薄いようには感じました。せっかくの産廃なんだし、もっとちゅっちゅしてもいいんじゃよ?まあ、女郎をテーマにしたこの話で、それは難しいかもしれませんが…
私では到底書けぬ、臨場感溢れたその文章力には平服するばかりです。
弄ぶべき暇潰し相手であっても、その対価として自身の命をきっかり支払う輝夜は天使か、はたまた悪魔か。
でも一つ言わせてもらうと、腹切られてよがってるのはリアリティが無かったかも。
自分が言い出した事とは言え、輝夜がその後ちょっと逡巡するシーンがあると親近感が沸くと思うんだ。
とくに、
>生まれながらに流れる血潮が、紫煙と土埃にまみれた汚き屋根裏を浄化せん為、肌の下から光っているように思われました。
この一文。この一文に目を通した瞬間、ああこりゃ100点以外にはないなと確信したものです。
とはいえ無論、輝夜の痴態もすばらしい。腹切り直後の描写などは、あまりの生々しさに、私まで熱い臓物に触れている気分になりました。
少し気になったのは、後半(のセックス)ですね。
それまでは非常に上品だった二人の語り口が、途端に下品になっていて、気分的にやや醒めてしまいました。特に手代に関してはもう幾ばくか、声ではなく、描写で猛っている様子を表現すべきなのではないかと思いました。
産廃でこういうことを言うのはナンセンスだとは分かっているのですが、このお話ではぜひ、上品なエロさ・グロさで最後まで貫いて欲しかったなと思った次第です。
なにか「美しさ」を見た気がします
古風故に物珍しい文体に、能力の低い私はなかなか感情移入するのに時間が掛かったのですが、
飛び込んでみれば美しいもので…いい夢見させて頂きました。
上品な文体であるからこそ、下品な喘ぎが目に付いた…というのは確かにあります。
でもまぁ、そのへんは好みかな。
東方の中でも屈指のおしとやかさを誇る輝夜の、お姫様らしからぬ乱れっぷり、
また古き良き日本の雅な文体とはかけ離れた獣じみた喘ぎ。実にそそるものがあります。
もっと自分に解読能力があれば、この作品を一層楽しめたはず。古文を勉強してからもう一度読みに来たい、
そう思わせてくれる作品でありました。満点!お美事にござりまする!