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『産廃創想話例大祭『封獣日記』』 作者: 智弘
27
そろそろ収穫の時期。
1
立てた枝がまた東に倒れたので、あの大きな人里へ向かった。そこですてきな女の子を見つけた。
私の羽がその女の子を見つけた途端にうるさくなったんだから、その子はまず間違いなくすてきなんだ。
だけどあらためて見ると、その子はどこにでも転がっていそうな感じの子だった。小石のような女の子だ。
そんな子のいったいどこがすてきだと思ったのかぜんぜんわからなくて、私は挑むように女の子を見つめた。
だめ。だめ。やっぱりわからない。
すると、女の子がとつぜんこっちを向いて歯を見せずに笑った。
視線がぶつかり、頭のてっぺんがしびれる感じがして、私はあわてて逃げてしまった。
それからもう、その女の子のことが、ずうっと気になってしかたない。
あの子のことを考えるだけでお腹の下が痛み出し(ぐるぐる、ぎゅーん!)、ぼおっとしているといつの間にか人里へ向かっていたということがしょっちゅうだ。
そして、そんな自分のよくわからない具合のことを考えると、さらに顔はぽぽぽっと燃え上がる。
身体のよくないところに正体不明のタネが間違って入り込んだのか。
そうに決まってる。そうでないとおかしいんだ。
だって、ドキドキがうるさくなるくらいはずかしくって、頭はぐつぐつ煮えてるみたいに熱いのに。
それがちっとも、嫌じゃない。
2
人里に行くと必ずだれかに声をかけられる。
ちょっとした難問にぶつかった人というのは、目ざとく私を見つけると、こっちの姿を都合のいいものにぴたりと当てはめてしまうのだ。
『あら、奇遇ね。ちょっと話さない?』
言うなり、その女性は私を近くの茶屋(醤油のあんかけ団子がおいしい店だった。また行こう)まで引っ張っていった。
彼女のことは聞いたことがある。
十六夜咲夜というメイドで、なんでも吸血鬼に仕えているらしい。
あんな偏食妖怪に付き合えるなんて!
きっと特別に頑丈な身体をしてるんだ。冷たくて黒い水のなかでまるくなったり、木材が吐き出す黒い煙をたっぷり吸ったりしても、平気なんだろうな。
すてきなメイドさんだ。
『また相談したいことがあるのよ。もちろん、デザートのことなんだけれど』
相手の口ぶりから察するに、この日の私は菓子店の娘で、十六夜咲夜とはちょっとした仲間だった。
『お嬢様がね、もっと香りのいいジャムはないのかって。苺もさくらんぼもマーマレードもアプリコットもダメ。もう、ちょっと普段は見られないような、めずらしいものでもないとダメなのかしらね』
そうね、花なんてどう、と私はいっておいた。
『へぇ、いいわね、花のジャム。でも花びらって薄いから何枚も集めなくちゃいけないわ。色の濃い花にしたほうがよさそうね』
彼女はお茶を一息に飲み干した。
別れ際、彼女の湯飲みを覗いて、こっそり砕いて混ぜた正体不明のタネが残っていないのを確認した。
そのあと、通りを歩きながらあのすてきな女の子を探したけれど、見つからなかった。残念。
3
今日も人里へ。
いつも歩いている通りを抜け出して、寺小屋の方に向かった。
寺小屋の周囲は近辺に住む子供たち全員の共有物だ。だから、どこを見ても子供がいる。
こんなにいるんだから、あのすてきな女の子だっているに決まってる!
『やあ、見かけない子だね。きみも新しく通う子かな?』
さあ、探すぞ! と意気込む私の背中に投げかけられた言葉と視線が、頬を少しだけかゆくした。気分も良くなる。
私に話しかけたのは、上から下までやわらかそうな女性だった。周りで遊んでいる子供たちはその女性を先生と呼んだ。
先生は上白沢慧音(先生は地面に指でなぞって、その字を書いた)と名乗った。
『よければ、友達になってほしい子がいるんだ』
そういって先生は、小柄な女の子を連れてきた。
お目当てのすてきな女の子じゃなかったから私はがっかりしたけれど、すぐにその子のことが気に入ってしまった。
なんて愛らしい女の子なんだろう。
陽射しをたっぷり浴びた髪色と、赤黒くて毒々しいドレスの組み合わせがすてき。つめたくて、とがっていて、あったかいものを怖がってる、ガラス玉の目がすてき。なめらかで、さわり心地のよさそうな球体間接がとってもすてき!
笑顔の先生とは正反対の顔をして、女の子はぶっきらぼうにいった。
『……メディスンよ』
メディスンは手を差し出さなかった。
私はよろしくねといって、そのちいさな身体に抱きついた。すると、スズランの甘ったるい香りが私の鼻をくすぐった。
メディスンは悲鳴をあげたが(これは特別に可愛かった。また聞きたい)、彼女の髪をやさしくいじってやると、顔を伏せて、むぅむぅと鳴きだすだけになった。
先生は気分が悪くないかと聞いてきたが、こんなにとろけそうな気分になれるものは、そうそうないんじゃないかと思う。
私は先生がよそ見するのを待った。
それから、しゃぶっていたタネを吐き出して、メディスンの髪の中にそっと埋め込んだ。
4
人里でふたつ、探し物をする。
あのすてきな女の子は今日も見つからない。
着ている服も、髪の色も、そこら中にあるものを使っているのに、どうして見つからないのかほんとうに不思議だ。
でも、もうひとつの方は見つかった。
『ちくしょう、またか!』
人通りのほとんどない里の外れで、おじいさんが真っ赤になって叫んでいた。でも、頭も口のまわりも白いからあんまり怒ってるようには見えない。
森に近いその場所は、土いじりをするのにぴったりで、おじいさんはそこにすてきな花畑を持っていた。
けれどその畑は、ときどき思い出したかのように、ほんの一部が荒らされる。
『妖精どもめ! 俺の苦労をなんだと思ってやがるんだ!』
おじいさんはそういって、ちぎられた花をていねいに片付けていった。
私はおじいさんにそっと近づき、手伝いますといって腰をおろした。
おじいさんはぎょっとして、つぎに怪しむように私を見ていたが、もくもくと仕事を続けていくうちに、そのつめたい視線にぎこちない親しみがこめられるようになった。
すっかり片付けがおわってから、おじいさんはいった。
『助かったよ、嬢ちゃん。たかが数本だからって、周りの奴らはまともに取り合っちゃくれねぇんだ。犬や猫のいたずらとはわけが違うってのによ』
私はおじいさんに、気をつけないといけませんよ、妖精はまたやってきますよ、といって別れた。
その夜、畑にこっそり戻って、花を何本かむしっておいた。
もちろん、靴はちゃんと脱いでから。
5
里の通りで、先生がだれかと話しているのを見つける。
だれかさんは、先生みたいにびっくりするほど美人で、すてきな色合いの服を着ている。
なんて趣味のいいつくりなんだろう。青と赤の二色だけだなんて!
『あの子はどう? ちゃんと上手くやってるでしょう』
『まあ、そうだな。今のところは……』
『まだそんなことを言ってるの?』
二色さんは大げさに驚いてみせる。
先生は息を吸い忘れたような顔をして、口を閉ざした。
『いろいろあったんだから神経質になるのもわかるわ。けれどね、メディが自分の毒の管理をできるようになったのは、私も確認したことなのよ』
『いや、すまない。もちろんわかってるつもりだ。彼女はよくやってるよ。現に体調不良を訴えた生徒は一人もいない』
先生の言葉に、二色さんは微笑んだ。
『なにも心配することはないわ』
『だがやはり、少しばかり時期が悪い』
『それは仕方のないことよ。そもそも、メディをあなたに任せたのも、親のなくした子たちをうちで預かってるからじゃない』
『ああ、その件には感謝している。一人や二人なら私だけでも対処できたのだが……』
先生は頭を横に振り、思わずうなった。
『経緯や背景のよくわからない死体が数件も出れば、場所や時間がばらばらでも一緒くたに考えたくなるものなのかしらね』
『山沿いの沼地や、森の中のあばら家、里の外というだけで思い浮かべるものは大体決まってる』
『そのせいで、子供たちはあの子を避けてるの?』
『それもある。だがなにより、彼女自身が生徒たちと関わろうとしないんだ』
二色さんの歯の隙間からシューと息がもれる。
ちょっと落ち着かないようだった。
『早すぎだとは思わないで。ようやく人間への関心が芽生えたところなのよ。ここで壁を乗り越えてもらわないと、遅かれ早かれその芽も枯れてしまうわ』
『わかってるとも。それにひょっとしたら、もう上手くいってるかもしれない。先日のことなんだが』
二人はまだ話を続けていたけど、私はその場をあとにした。
だって、お腹が空いたんだもの。
6
今日も人里へ。
見慣れた通りに行くと、いつもはない熱気がうずまいていた。
人ごみの中にもぐると、いらっしゃったぞ、とだれかの声。
風の祝子だ。守矢の祝だ。巫女とはいうな、お前にだけ雨が降るぞ。だれかが言った。
雑音の中心には、まるくて可愛らしい肩と、指をしずめたくなる二の腕、そしてなによりも魅力的な緑色の豊かな髪を持つ女性がいた。
私はすぐに目をうばわれた。
なんてすてきな緑色なんだろう。
美しい緑色。地上に愛されたすばらしい色。住む価値のある場所にはたいていあの色がそばにいて、それほど緑は親しみやすい。
私は彼女の髪をじっと見つめ、ついでにどんな顔かと視線をすこしだけ下げた。
目があった。
そう思ったころには、もう彼女はいろんな人とのおしゃべりをはじめていた。
だけど、大丈夫。私と目があったとき、その喉がちょっぴり動いたところは、ちゃんと見ててあげたから。
そのまま通りを抜けて、どんどん歩いていくと、あのすてきな花畑にたどりついた。
ちょうど、おじいさんが花を拾い上げているところだった。
『ああ、嬢ちゃんか。また妖精だ。やられたよ、くそ。あの羽虫ども』
おじいさんはこぶしを握りしめて、やわらかい土がかたどったちいさな裸足を睨みつけた。
わからせてやるんですよ、と私はやさしく微笑んだ。ここに入ったらどうなるか、妖精に思い知らせてやるんですよ、と。
ちょっと驚いたような表情をしてから、おじいさんは感にたえないようにいった。
『……その通りだよ。どうして思いつかなかったんだろう』
おじいさんが罠の準備をはじめたところで、私はさようならと手をふった。
7
空から眺めてみると、人里一帯がはじめて見た場所のように思えた。
ただ見方をちょっと変えるだけで、まったくの別人(あるいは別妖、別精、別霊、別……別物!)がぱっと目の前に現れるのだ。
私が自慢したいところはそこにある。みんながこのことを経験しているはずなのに、それを理解しているのは私くらいなんだから。
これは嘘なんかじゃない、本当のこと。
目の前にいる、とつぜん話しかけてきた妖精がいい例だ。
『ねえ、おねがい。メイド長に怒られちゃうからさ。いいところ、知ってるでしょ? 教えてよ』
その妖精は、前に出会った十六夜咲夜のようなヒラヒラした服を着ていた。
その彼女に花をつむように言われたらしい。花なんてどこにでも転がってるが、多種を大量に、という注文がその妖精を悩ませていた。
『ほかの子も困ってるの。雑草を山盛り持っていった子なんかは、おしおきされたのよ』
ほっぺたをふくらませて、妖精はまくしたてた。
私は、おじいさんの精いっぱいの愛情が咲き誇る、あのすてきな花畑の場所を教えてあげた。
すると、妖精の目はぱっと輝いた。
『さっすが、花の妖精。ほかの子に教えるなんてもったいないくらいのところじゃない。夜にこっそり入れば平気よね?』
でもすぐに行っちゃいけないよ、辺りは暗いはずだから月が大きくなるまで待つんだよ、とつけたした。
妖精はありがとうと叫んで、湖の方に戻っていった。
あっという間にいなくなってしまったので聞こえていなかったと思うけれど、私もきちんとありがとうとお礼をしておいた。
8
お目当てのすてきな女の子は今日も見つからない。
寺小屋から飛び出した子供たちが、どこを目指しているわけでもないのに辺りを走り回ってる。その中のどこにも、あの女の子の姿はない。
もしかしたら、なにかの事情で寺小屋には通っていないのかもしれない。
先生に聞いてみようともしたけれど、なんて聞けばいいかもわからなかった。あの子には本当に目立つところがないんだもの。
だからかわりに、すてきな人形さんに遊んでもらった。
メディスンは隅の方(どこにいればいいのかがわからないからここにした、とでもいうように)にすわって、じっと地面を見つめていた。そして、ときどき頭をあげて、まぶしそうに目を細めた。
私は彼女に近づいていって笑いかけたが、相手はぴくりともしなかった。
『なに?』
メディスンは顔を伏せたまま、いった。
遊ぼうよ、と誘うと、彼女はぴしゃりと言い放った。
『私、なにも知らないもの』
だったら私が教えてあげる、というと、メディスンはようやく顔をあげた。
白いほっぺがこの世のなによりも可愛らしく感じられた。
やり方がわからないのなら教えてあげるよ、遊ぶのはちょっとあとになるけれど、と私は微笑んで、彼女の手をつかんだ。
『あなたって辛抱強いのね。そのくせ、強引だわ』
メディスンはそこで、はじめて微笑んだ。
そこでふと、背中に視線が注がれていることに気付く。これは先生にちがいない。
私はメディスンの手をひいて、そのまま彼女を抱きしめた。
今度も彼女は怒った。だけど、頭をなでる必要はなさそうだった。
私は少しだけ、メディスンを抱きしめたままでいた。
首を傾けなくても、目線を下げるだけでよくわかる。
タネはまだ芽を出していない。
9
どうも待ち伏せされていたみたい。
『こんにちは。ちょっと、いいですか』
寺小屋でメディスンと遊んでから、おじいさんの花畑の様子を見に行こうとしたときのこと。
人気がなくなったところで、とつぜん私は呼び止められた。
振り返ると、あのすてきな緑髪の人が立っていた。
『お姉ちゃんは悪い妖怪を退治するのがお仕事なんです。悪霊があなたを狙ってるからおまじないをしてあげたいだけなんですよ。ね?』
その人は東風谷早苗と名乗り、あなたに話しかけたのはこれこれこういうことです、と聞いてもいないことを早口でまくしたてた。
私が黙ったままでいると、とつぜん東風谷さんは凄まじい力で私の手首を握りしめた。
痛みはほとんど感じなかったが、冷たい水を浴びたようにびっくりしてしまい、自分の手を引っこめようという気も起きなかった。
彼女の拉致がまんまと成功したのは、このときの驚きの恩恵が大きかっただろう。
東風谷さんは道をはずれて林に分け入り、緑がもっと深まるところまで私を引っ張っていった。
草の先がすねをくすぐり、私のほっぺがわずかにあがった。
東風谷さんも真っ赤な唇のはしをあげていた。だけど、その目は笑っておらず、奇妙に光っているように見えた。
『秘密のおまじないだから、だれにも見られないようなところでしかできないんです。じっとしていてください、ね。いいこだから』
そういって、彼女は私のワンピースのすその内側に手をやり、へそが見えるまでまくりあげた。
東風谷さんの目はへびのように大きくなり、私の下着をそのまましばらく、睨み続けた。
口は開いたままで、白い歯が唾液によりにぶい光沢を放っている。
『可愛いお腹ですねぇ。今からここにいる悪い霊を吸ってあげますからね。大丈夫、怖くないですよ』
ヒッ、ヒィッ、ヒッ、と浅く乱れた呼吸を続け、東風谷さんは私のへそに口づけた。
彼女の舌が、へその奥のやわらかい部分を執拗にノックして、十分にふやけるまで舐め回した。
だけど、あまり気持ちよくはなかった。
そのまま好きにさせてみたが、東風谷さんはへたくそな人だったので、すぐに私は飽きてしまった。
帰ろう。
そう考え、私は年相応のかん高い悲鳴をあげた(なかなか上手にできたと思う)。
それまで黙っていた私がとつぜん叫んだものだから、東風谷さんはトカゲみたいな速さで膝立ちのまま五歩下がった。そしてすぐに身をひるがえし、飛んでいってしまった。
10
先日の拉致現場に向かい、そこでしばらく待ってみた。
約束はしてないけれど、案の定、東風谷さんがおそるおそるやってきた。
『あの、ごめんなさい。この前はおっかないこと、しちゃって』
こっちの機嫌をうかがうように、伏し目になりながら、彼女は謝った。
その目は牝牛のように大きくて、おだやかで、やさしいものだった。
これなら話すこともできるだろう。
そう考え、お姉さんのやったことがどんなことか、私知ってるよ、と彼女にささやいた。
途端に東風谷さんの顔は真っ青になった。
溶けかかった氷よりも汗が噴き出て、拳は葉のざわめきのように小刻みに震えていた。
私は相手を落ち着かせるためにまず、だれにもそのことについて話してない、とつげた。
『え? ど、どうして』
知りたいの、と私は両手に胸をあてて言葉をついだ。話してほしいの、お姉さんのことを、と。
最初、東風谷さんは身じろぎもしなかった。
だけど私たちの目がお互いに、言葉よりも豊富な表現の上で語りあい、わかりあい、そうしてひとつの仲間となった。
彼女は自分の趣味の問題について、ぽつぽつと話し始めた。
東風谷さんは女児にこそ興味があるのだという。
女児のあえぐ姿だけが彼女の血を焦がし、女児の華奢な肉体を自由にできる喜びだけが彼女の心をゆするのだ。
『ずっと我慢してきたんです、こっちに引越してきたときも。けど、あなたがあまりに、その……』
我を忘れるほどに、と東風谷さんは申し訳なさそうに頭を下げた。
お友達にはなれないけれど、あなたの味方にはなってあげられるわ。私があなたを助けてあげる。
親しみをこめて、うやうやしくそういうと、彼女はもじもじと身を縮ませた。
11
お昼頃に寺小屋に行き、メディスンをほかの子供たちに紹介した。
彼女たちの間にあったよそよそしい態度は、私が思っていたよりもあっさりとやわらいだ。
もともと、お互いが気になっていたんだろう。溝には好奇心がうめられていて、あとはだれかが慣らしてやるだけだったんだ。
今や、メディスンと子供たちがいっしょに遊ぶ光景は、右手と左手のようにしっくりくる。あちらこちらへ元気よく走り回る様は、両手がお互いを愛撫しあうように見えた。
私は彼女たちに気づかれないよう、そっと帰ろうとした。だけどその途中で、呼び止められた。
先生だ。
元気に笑顔を見せながら大股でこちらに寄ってきて、私の頭をくしゃくしゃとやった。
『もう帰るのか。いや、その前に礼をいわせてくれ。ありがとう。メディスンが彼らの一員になれたのもきみのおかげだよ』
したいことをしただけですよ、ねえ先生、と私はいって、一歩下がった。
私の振舞いに、先生は眉をちっとも動かすことなく、笑みもたやさなかった。
『そういえば、きみの顔はときどきしか見ないんだがね。どうだろう、ここに通ってみるというのは。友達もまず喜ぶだろうし』
先生はメディスンを眺めながらいった。
でも先生、私、すてきなお友達がいろんなところにいっぱいいるの。
そう返答すると、先生は肩を落とした。
素直な人だ。
『結構。まあ、もし気が向いたら私にいってくれ。いつでも歓迎するよ』
そのお誘いには返事をせずに、先生に礼をして別れをつげた。
12
夜、頃合を見て花畑へ向かった。
月はまるく大きくなっていて、跪きたくなる迫力があった。辺りがおそろしく静かなのも、みんなが月におびえているからだろう。
畑に整列している花々も、一様に顔を伏せていた。
だけど、それは月と目をあわせないためじゃない。
彼らの見守る先には、背をまるめながら倒れている妖精の姿があった。
この場所を前に教えてあげた、あのメイド妖精だった。
蹴飛ばして仰向けにさせると、白痴の娘のようにひん曲がった口元が見えた。
そばには、閉じられたトラバサミがあった。
そのおぞましい罠は、妖精のか細い足首の骨を粉砕したにちがいない。妖精の右の脚は、左のものより明らかに短かった。
足首があるべき部分は無理にちぎったみたいにギザギザで、とろとろと粘液のようなものを切り口からゆるやかに流していた。それは血より濃く、涙より重く、どうあっても手放すべきでないものだったんだろう。
妖精は赤いほっぺを湿らせていた。
私はまず、慎重に周囲を見回し、そっと花に近付いて、十五本分の花弁をポケットに入れた。
茎は踏んづけたり、むしったりして、畑の一画を台無しにした。
その後、妖精の死体(妖精の腐敗はびっくりするほど速いけど、この妖精はまだ汚くなかった。もしかしたら死ぬ手前くらいだったのかも)をかついだ。
そして、急いでその場を立ち去った。
13
起きてすぐに、地底に向かった。
お土産用に準備した妖精肉の鮮度は、私の足よりもずっと速い。
渡す相手が黒谷ヤマメでなかったら、自分で食べるか捨てるかを選ばないといけないところだ。
『お、ひさしぶりー。そんなに急いでどうかしたの』
人懐っこい笑みを浮かべた土蜘蛛は、私のすてきなお友達だ。
彼女のすばらしいところは、なんといってもおいしいことだ。顔をおもいきり叩いたときに鼻から垂れる、蜜の刺激的な甘さといったら!
『あら、お土産? 妖精だなんて気がきいてるねぇ、カロリー低めだもの』
ヤマメは浅黒い下唇を真っ赤な舌で覆い隠す。
心がいっぱいになったときに自然と浮かぶ、夢みるような輝きが彼女の目には宿っていた。
私もまた、同じように目をキラキラさせて、彼女を見つめた。
その無言の訴えに、ヤマメは愛情と呆れの混じった息を吐いた。
『また血がほしいの? あんたも好きだねぇ。ちょっと待ってなよ』
ヤマメはまるいお尻を可愛らしく振りながら、奥の方へと消えていった。
待ってる間にふと、天井を見上げると、ばかみたいに大きな桶に入った女の子がいた。
濃い緑色の髪。だれだったかな。名前は前に聞いたような気がするけど、どうも思い出せる気がしなかった。
その子は私のことなど気にせずに、洞穴の明るい方を見ていた。それにならって、私も振り返ると真上から、あっ、と声がした。
私はまた天井を見上げたが、もう桶の子はいなくなっていた。
『やっ、お待たせ』
ヤマメは拳くらいの大きさのガラスビンを持ってきた。ビンには、泥のような液体がたっぷり入ってる。
私は生唾を二度、三度、飲み込んだ。そのとき、半分くらいは自分用に残しておこう、と心に決めた。
ガラスビンを受け取り、じゃあね、といった。
するとヤマメは、またね、といった。
彼女の好かれやすさはこういうところにあるんだろうな。
なんたって、私もまたそのひとりなんだ。
14
今日は寺小屋へ。
メディスンが一人になったのを見計らって、そっと近付き、わっと肩をゆすった。
すると、彼女はまりのように飛び跳ねた。
『ちょっと! なにするのよ! ……あら、あなただったの? もう……』
メディスンは弾けたようにめいっぱい唾を飛ばしたが、私を見ると目をまるくさせて、気難しい女性の顔になった。
私は今にもくすくすと笑いだしそうになった。メディスンは可愛らしいけれど、その魅力は赤ん坊と同じものなのだ。
背伸びする女の子のふらふらとゆれる様は、例外なく美しい。メディスンもまた、その仲間だった。
私は丁度、今の彼女にぴったりのものを持っていたので(たまたま用意していただけなのに! こんなにロマンチックなことはない)、それを手渡した。
『くれるの? すてきね、薔薇みたいな色だわ』
香水だよ、と私はいった。
蜘蛛の血を数十倍に水でうすめると、まさしく彼女のいった通り、熟れた薔薇が溶けたようにしか見えなかった。
耳のところにちょっぴりつけるのよ、と私は彼女の後ろにまわった。
『わあ! いい香り。私、花になったみたい!』
メディスンはありがとう、と熱っぽくいった。
喜んでもらえてよかった。私は胸をなでおろす。
彼女にしか味わいようのない香りがいったいどんなものなのか、私にはさっぱりわからないけれど。
15
十六夜咲夜にばったり出会う。
茶屋で団子をほおばってると、彼女はなんのためらいもなく隣に座ってきた。
私がまじまじと見つめると、ちょっぴり申し訳なさそうに彼女はいった。
『ごめんなさいね。休憩中に。でも、どうしても助けてほしいのよ』
どうやらまた難しい問題に頭を重くさせているようだった。こうなると、いつも困っているように思えてくる。
なんだか急に、この場からいなくなってしまいたくなった。
『花のジャムを作っているところなんだけど……薔薇よりも濃い色の花って仕入れてない? 煮込んでる途中でうすくなっちゃうのよ』
仕事の形を取ることにした。
私はポケットにしのばせておいた、十五本分の花弁と、粉々に砕けた妖精の羽を、手の皿に広げた。
そうして、お好みのものをどうぞ、と十六夜咲夜に差し出した。
彼女は顔をぐぐっと突き出し、視線の雨をおしみなく花々に浴びせた。
その目は一度暗くなった後、急に雷を起こしたかのように輝きを放った(雨のつぎに雷がくるのはよくあることだから、驚きはしなかった)。
そして、片手をそっと出して、彼女は叫んだ。
『これよ。すばらしいじゃない。こんなものがあったなんて、今まで知らなかったわ』
すみませんがそれは仕入れがまだ先でして、と私が水を差すと、十六夜咲夜はすがるような目線を寄こした。
期待に応えるように、ですがあなたがつとめるお屋敷の近くにもありますよ、ええ確か、と私はいった。
十六夜咲夜は私の手をとり、丁寧にお礼をいった。
そして、妖精の羽の残骸を握りしめ、彼女は店をあとにした。
16
おじいさんに会いに行こう。
花畑は遠くから見てもわかるくらいに、その一画が荒らされていた。
ああ、いったいなにがあったんです、と私は呆然とした口調でいった。
しゃがみこんでいたおじいさんはゆっくりと向きなおったが、返事をすることはなく、ぎらぎらした憎悪の目を一度投げかけ、また元の場所に戻した。
私もそこにしゃがみこみ、無残な花々を丁重に片づけようとした。
『いらん』
おじいさんはそうつぶやくばかりだったが、私はそのたびにいえ、いえ、と頑張った。
それなりの時間がかかったが、なんとか花畑はその体裁を取り戻した。
すまない、とおじいさんはそっけなく謝った。お察しします、と私も一言だけいった。
帰り際、おじいさんは私を呼びとめた。
『嬢ちゃん、悪いがしばらくここには近づかないでくれ。危ないからな。罠を増やして、うんと増やして、奴らを残らず殺すんだ。残らず』
とても怖い目つきだったから、私は大人しく首を縦に振った。
怖い。怖い。
あんなにおそろしい目つきはあまり見ない。これ以上怖くなることなんてあるんだろうか、と考える。
おっかないなぁ。楽しみで。
17
里の外れで、今度は待ち合わせをしておいた。
東風谷さんとは逢引きのように、人目をしのんで、こっそり会うことにした。
いけないことをしてる気分になると、なんだかたかぶるらしいから。
『こっちにきてからですね、まず妖精に目がいったんですよ。汚くならないし、成長もしないし、それに中身が見た目通りなんですよ。たまりませんよねぇ』
私は東風谷さんの味方だから、こうして相談を受けることにした。
東風谷さんも、存分にその趣味について話せる相手ができて、多少は落ち着くようになった。
『でも、妖精の羽がですね、駄目だったんです。あの昆虫じみた羽。私、虫とかもうホント苦手で。だからもう、人間しかいないなぁって思っちゃうときがあって……』
よく今まで我慢できたね、と私はおだてるようにいった。
すると東風谷さんは、ふところから小ビン(真っ白で妙に丸い砂利みたいなものが入ってた)を取り出して、私に見せた。
『こっちにくるまえに病院で診てもらったことがあるんですよ。苛々してぜんぶ吐き出しそうになる、とかなんとかごまかしてですけどね』
気持ちのいい晴れた午後や、髪をそっとなでる夜の風が、そのビンには詰まってるらしい。
でも、最近はだんだん良くなってると思うし、そろそろそれを使わなくても大丈夫なんじゃない、と私は期待をこめていった。
『そうですね。いつかはなくなってしまいますし、いつまでもこれに頼っていてはいけませんね』
頑張ってみます、と東風谷さんは胸をはった。
ええ、ええ、私も応援するわ、ちゃんとご褒美も用意してあげる、と私は彼女を後押しした。
18
お昼をすぎた頃、そっと寺小屋を覗きこむ。
生徒は輪になっていて、その中心では眉の濃い男児とメディスンが言い争っていた。
『だから匂いなんてしねえって!』
『嘘つき! こんなに甘い香りがするじゃない!』
『俺だけじゃねえ! みんなだってそういってんだ!』
男児の言葉にメディスンは、キッとその場の全員を睨みつけた。
『あなたたちもなの! 嘘つきは嫌いよ、みんな嫌い!』
男児にはまったく敵意はなかった。どちらかというと、戸惑いや驚きがその周囲を漂っていた。
どうして涙を流さないのか、と不思議に思うくらい、メディスンは顔をくしゃくしゃにさせ、ついには取っ組み合いをはじめた。
何事だ、と怒鳴る先生の声。男児のとぎれとぎれの説明と、それに噛みつくメディスンの怒号。
しばらくしてから先生は、自習、と一言いって、メディスンだけ外に連れ出した。
残された生徒は、ひそひそと意見を交わす。
もう少しだろう、とあたりをつけて、私はそうっと歩きだした。
そして、そのまま里の中をうろうろとまわって、夜になるまで時間をつぶした。
もうだれもが寝静まった頃に、花畑を空から眺める。
遠目からでは見えづらいけど、畑の周りをすきまなく、おぞましい罠がうごめいていた。
私はビンに残ったヤマメの血の半分を上空から振りまき、それからもう半分で喉をうるおした。
夢のような心地が、私の唇に幸福を与えてくれた。
19
湖の赤い館まで飛んでいく。
普段はこんなところまでこないけれど、彼女の様子は見ておきたかった。
『ちょっと待ちなさい、花のくせに!』
『やめて! たすけて! やめてよぉ!』
丁度、中庭らしい場所に十六夜咲夜がいた。
似たような服を着た妖精の羽を、ケーキを前にしたときの手つきで切り分けていた。
『これだけあれば足りるかしら。いや、まだね。もうちょっと』
そのとき、日傘をさした女の子が彼女に近寄った。
あれが彼女の主人だろう。
『咲夜。あなた……で……とを…………たの』
『そんな! なにを仰るのです』
吸血鬼は小声で、ここからでは聞き取れなかった。
十六夜咲夜は丈夫ですてきなメイドさんだから、十分に聞き取れる声量だった。
二人は何度か受け答えをくりかえした。しばらく眺めていると、十六夜咲夜はとつぜん、けいれんを起したように地面に伏した。
吸血鬼は倒れた彼女を前にして、首を振ってしばらく立ちつくした。
20
夕方、普通なら子供たちは少なくなっているはずなのに、その日の寺小屋はむしろ増えていく一方だった。
つりあがった目をした男児がメディスンに殴りかかり、それを先生はなんとか止めようとしていた。
『お前がやったんだろう! あいつと前に喧嘩したもんな! それにほかの奴らまで! 病気にさせるくらいお前らならできるはずさ!』
『私、してない! 絶対にそんなことしてない!』
『うるせえ、黙ってろ! この妖怪が!』
メディスンは乱れた髪もそのままに、その場からすばやく飛び去った。
残された子供や親たちは口々にメディスンについていいあい、先生は唇を動かしたが、なにもいわなかった。
私は彼女の後を追った。
メディスンは里の外れの方にまで逃げていたが、なんとかつかまえ、抱きしめた。
彼女も、火のように激しく私にしがみついた。
『あいつらが! 私じゃないのに! うああ、あいつらがぁ!』
泣きじゃくるメディスンに私は、そっとささやいた。
あなたを愛してくれる人がいるの、その人は絶対にあなたを裏切らないわ、と。
途端に、メディスンは息を飲んだ。
彼女のぽかんと開いた口からはあえぐような声にならない音がこぼれた。だけど、その目はどこまでも暗く、貪欲に光を飲み込もうとしていた。
『……おねがい』
彼女はいった。
21
ヒィ、ヒッ、ヒィィ、ヒッ、と聞き覚えのある呼吸。
いつもの場所で、東風谷さんは苦しそうにうめいていた。
『やっぱり駄目なんですよぉ。たえられないんです、我慢ならないんです、私の手からはなれてるのにどうしてそんなに笑っていられるんです? え? どうして触っちゃいけないんです、愛しちゃいけないんです』
長い舌を突きだして、東風谷さんは叫んだ。
私はメディスンをそっと彼女に差し出した。
これはご褒美よ、どうか受け取って。私が悪かったんだから。私があなたに無理をさせてしまったから、あなたは苦しんでいるのよ。だから、おねがい。私のために。私を助けると思って。
そういうと、彼女は戸惑いながらもメディスンを腕の中にかかえ、しばらく私の顔を眺めた。
そのうち、そうですね、あなたのためですからね、人助けですからね、とぶつぶついいながら、恍惚な表情を浮かべて、メディスンをやさしく抱きしめた。
『もういや、いやなの……』
メディスンはしぼりだすような声でいった。
東風谷さんは開ききった目で、うっとりするようにまたたきかけた。
『私が愛してあげますよ。お人形さん』
メディスンは泣きだしそうな顔で、その言葉を口の中でじっくり溶かすように吟味し、目をつむった。
そして、彼女が目をあけたとき、その顔は今度こそ、つくりもののようになった。
22
やり終えた解放感から、くるりと体を躍らせる。
あのすてきな女の子がそこにいた。
『見てたよ、ずっと』
女の子はにたにたと嫌らしい笑みをたやさなかった。
私は女の子を今、もう一度見てようやく思い知らされた。
この子のことが今となっては、手に取るようにわかるのだ。
『お母さんも、お父さんも、私のことわからないっていうの。おかしいって』
この子の世界は大人の気まぐれで出来ていた。食べたくもないときに食えといわれ、じっとしていられないときに静かにしろといわれる。
『おかしいって、わけが分からないって、いうの。ねえ、ぬえって知ってるでしょ?』
子供のほとんどはそうしたままならないものを、奇妙なしこりとして受け止める。しだいにその異物は体内で大きくなり、いずれは子供を飲み込み、そうして大人は出来上がるんだ。
だけど、ときどき意固地になる奴がいる。
周囲には成長しないといわれ、いつまでもイタズラをくりかえし、しまいには怪物呼ばわりされる、どうしようもない奇形の子が。
私はそうして生まれたんだ。
『私たちだよ。今はあなただけど、私だってぬえになれるのよ。あなた、今回はなかなかいい記録じゃない。前回よりも大分短くできたのね。でも私ならもっと上手にやれるわ。だからつぎは、私にやらせてよ』
ね、いいでしょう、と上目遣いで彼女はいった。
でも、彼女は勘違いをしてる。
私はほっぺを硬くさせて、口元を押さえた。
笑みはどこまでもだらしなく、声はくつくつともれでてしまいそう。
自分のことをぬえだって。笑っちゃう。
ただの思春期の女の子が自分は特別だって妄想して、こんな人気のないところにまでやってくるんだから。
ご馳走が自分からお食べなさいとお辞儀をしているものじゃない。
ああ、ちがいない。
その理解の及ばない意味不明さは、私にとって最高のご馳走だ。
複雑怪奇な人の感情と思考がおりなすハーモニーは、忘れがたい絶妙な味で、なんともいえず美味しいんだ。
23
花畑の土は腐り、花々はすべて枯れはてた。
畑の所有者である老人は、猟銃を森に向かって何十発も発砲し、様子を見にやってきた里の住民にも襲いかかった。
どいつもこいつも妖精だ、弾が足りない、妖精どもめ、と叫び、最後の一発を自分に向けて死んだ。
老人のとつぜんの凶行に、里の人々は驚きを隠せなかっただろう。
十六夜咲夜はとある診療所に収監された。
自分の主人に気狂いだとされ、すっかり精神の均衡を失ったまま、今もベッドにはりついている。
過去に異変解決もしていたらしいが、この調子では当分はそんな真似もできないだろう。
忠臣であったはずの彼女の裏切りに、主人は毎晩苦しむこととなった。
メディスンは東風谷早苗の玩具となった。
愛される幸せにすがる人形は、もう二度と妖怪に戻ることはできないだろう。
東風谷早苗もその愛くるしい人形との遊びに精を出し、あまり人前には出なくなった。
信仰深い彼女のとつぜんの変化に、彼女が崇拝していた神々は戸惑うばかりだ。
寺小屋と永遠亭の関係は悪化の一途をたどった。
教師であり、里の守護者である上白沢慧音は原因不明の病に苦しむ子供たちを自分たちで治すことにし、永遠亭の診断を拒絶した。
事態の中核であるメディスンが行方をくらました影響で、双方の言い分は噛み合わず、里と永遠亭の決裂は目前だろう。
しかし、高度な医療技術を持たない里の未来が明るくないことは容易に想像できる。
里の外で人間の少女が死亡した。
少女は普段から言動が問題視され、家族に疎まれていたため、家を飛び出し、そのまま森に迷ってしまい、獣に食われたのだろうというのが大方の意見だった。
異常な事件が多い中、この少女の死だけはよくある日常の範疇にとどまることとなった。
24
そろそろ収穫の時期。
1
面白い女性を見つけた。
今までにない類の、とびっきりにすてきな女性だ。
その女性は最近目覚めたばかりでなんでも、妖怪と人間の平等をうたっているという。
名を聖白蓮といい
「なにしてるの」
ナズーリンの背筋にとてもつもないしびれが襲った。
心臓はうるさいくらいにわめきだし、頭から血の気がさっとひいた。
「ねえ、ナズ。私の部屋でさ、なにしてるの」
ぬえの声にナズーリンはなにも答えられなかった。
彼女はこのとき、身体の一番やわらかい部分がつぶれて、体内で血がいきおいよく噴き出ている錯覚に襲われていた。
重く、息苦しい沈黙がナズーリンの口蓋に殺到し、その口からは神経のギイギイと鳴りだす音しか出なかった。
なんとか気を落ち着かせようと、ナズーリンは先ほどまで自分がなにをしていたのかを思い出そうとした。
もはや習慣となった自分の主人の宝塔探しをしていると、ぬえの部屋にダウジングの反応があった。奴のイタズラかと部屋に押し入ったが、宝塔はなく、かわりに開かれたひとつの冊子が目に入った。
表紙にはなにも書かれていないが、中にはいろいろと書かれていて、何気なく紙片をめくっているうちに、ナズーリンは読みふけってしまったのだ。
おそるべき彼女の犯行の内容に飲まれ、さらに、おぞましい続きがあるという事実がナズーリンを奇怪な恐怖におとしいれた。
そして、今、凶行を引き起こした犯人が目の前にいる。
「見ちゃった?」
「な……なにを」
普段のナズーリンならば考えもしないごまかしだった。
「だめだめ。勝手によその秘密をのぞいてさぁ。それはないんじゃないの?」
ぬえは、おかしくてたまらないといった口調でいった。
「どうしたの? そんなに震えてさ、ネズミみたい」
くすくす笑う声と、唇からもれるシュウシュウという息が、二人の間を泳いだ。
いつの間にか、二人の距離はほとんどなかった。
ぬえは目をいっぱいに見開いて、縮こまるナズーリンに片手を突きだし、そして
「あっは、信じてやんの! あはははは!」
「はっ、え……え?」
とつぜん、大声で笑い出したぬえにナズーリンは呆然とするばかりだった。
そのまま、ぬえは腹をかかえて笑い続けたが、そのうち事態をようやく把握したナズーリンに手持ちのロッドで殴りかかられた。
「あははははイタァ! はははちょっ、ちょっとははははっ痛いって……プククク」
「きみ、きみという奴は! まったく! 悪質だ! 悪ふざけにもほどがあるぞ! おまけになんだ、この手の込みようは!」
「いや、ごめんごめん。でもさぁ、ナズったら結構信じてたでしょ? 手間かけたかいがあったってもんよね。可愛いわ、あれ」
「うっさい! 忘れろ。すみやかに忘れるんだ。いいな!」
なおも笑い続けるぬえに、ナズーリンは呆れと安堵の混じったため息をついた。
「あ、あと星の宝塔ならここにあるよ」
「なぜ、きみが持ってる」
「いや、これをピンク色に塗りたくって光らせればなんかいい雰囲気になりそうじゃん?」
「ありがたみもなにもなくなるからやめろ! さあ、早くご主人に返しにいくぞ」
「はぁい」
ナズーリンはそういって、部屋を出る。
ぬえはじっと立ちつくしたまま、部屋を出ていくナズーリンの後ろ姿を眺めた。そして、ナズーリンが落とした冊子を開き、さっとひと筆書きたした。
「こら、ぬえ! 早くこい、ご主人の説教が待ってるぞ!」
「はいはーい」
ナズーリンの声に急かされ、ぬえはぱたぱたとその後を追った。
2
-5月21日追記-
評価、コメント、ともにありがとうございます。
以下はコメント返信です。
>>1
少女は目的のうちの一人にすぎませんが、ぬえは味つけを大分変えてみたようです。
趣味を長続きさせるコツは楽しみ方に角度をつけることですから。
>>2
ぬえ好きの一人として、ありがたいお言葉です。
私は精神的に未熟ですのでこうした、孤独な子供もの、のような話とは気があうようです。
>>3
あなたは読者として実に気持ちのいい方ですね。
恐怖と親密になれる話を目指している私としては、とても嬉しい感想をいただけました。
>>5
現実でもこういった他人迷惑な人物は少なからず存在します。
ぬえの性質はもちろん人とは比べ物にはなりませんので、いったいどこまでいけるのかと想像すると胸が熱くなりますね。
>>8
ぬえは能力から悪戯っ子というイメージがあり、幼い容姿も相まって可愛らしく思えます。
そのイメージをこわさないように、かつ妖怪らしく、と意識した結果、この話のぬえが生まれました。
>>11
こいしは畜生かわいい。青娥は外道かわいい。ぬえは害悪かわいい。
少女はなにかしらの可愛らしさを、どこかにしのばせているものですね。
>>12
読み手が、語り手にたいして「あれ、こいつおかしいな」と思うようにして、その気持ち悪さをどんどん加速させる形式にしました。
異常な状況を積み重ねたその結末に、さらなる異常性を感じて下されば幸いです。
>>13
言い当てられましたので白状しますと、まさしくその通りで、当初の予定では異常な執着心を持つ大妖精と無知なチルノの二人を早苗のシーンに組み入れるつもりでした。
ただ、早苗の女児愛には妖精よりも無機質な人形の方が映える、展開と容量の都合、などの事情から取りやめたのです。
>>14
無自覚な犯人よりも厄介なのが、こうした自覚的な愉快犯だと思います。
そしてぬえの凶悪さは、限度がないという一点にあります。
>>15
自分の工夫したところや、こちらの意図、気を配ったところについて言及して下さる感想をいただけることは、なによりも励みになります。
こうした感想をいただけると、この作品を書いてよかったとつよく思う次第です。
>>16
こうした愉快犯のおそろしいところは、その手間すら楽しむことができる点にあります。
そして、日本人が料理の過程を楽しむ性質であるように、日本妖怪のぬえもそうした性格を持ち合わせているとも考えられます。
>>18
知恵をしぼるという表現は、まさしくこのぬえにぴたりと当てはまります。
ぬえはどうも悪女というより、悪童といった方がしっくりきて、手足を振り回すだけで楽しい年頃がとても似つかわしいように思うのです。
-6月2日追記-
以下はコメント返信です。
>>19
ぬえの手際の良さはまさにその一言に尽きるでしょう。
なんの問題や障害もなく、スマートに終わってしまいましたが、経験の差ということでひとつ。
>>20
正体不明のタネでコミュニティを破壊して新しい収穫を始めるのだ!
と、ぬえが言ってました。
>>21
語らなければ話が成り立たず、語りすぎると読者に負担を強いることになります。
その加減というものが未熟な身でして、そういったところは今後の課題として精進していきたいです。
>>22
知らない本なので調べてみたら、19世紀はじめのニューイングランド地方のある家族の暮らしを描いたものらしいですね。
今度、図書館に行って読んでみます。
智弘
作品情報
作品集:
3
投稿日時:
2012/05/07 16:44:15
更新日時:
2012/06/02 20:57:38
評価:
16/24
POINT:
1770
Rate:
14.36
分類
産廃創想話例大祭
ぬえちゃんは害悪かわいい
6/2コメント返信を追記
たった一人を喰らうために…
こんな作品は読んだことがありません。没頭してしまいました。
ぬえ好きとしてこれは背筋が震えるくらいに面白かったです。
自分もこんなの書きたいものです。
陳腐な感想で申し訳ないです。ごちそうさまでした。
みんな勝手に『犯人』をでっちあげ……。
二つの収穫の間のチャプターが抜けていますが、そこには……!?
『物語』は、読者に正体不明の感情を抱かせたら合格。
この作品は、まさに『お宝』ですね。
初めてぬえちゃんの設定を知ったときからメシウマ妖怪だとは思ってたんだが・・・・・・久しく忘れていたぜ。こんなかわいい害悪妖怪だったことをよォォォ。
しかしそんなとことかんけーなく早苗さんは最初から狂っててワラタwトカゲみたいな動きとかまじウケるw
こういうぬえを見てみたかったんだ…
素晴らしかったです、ありがとうございました
彼女自身のつかみ所の無さを現しているようでした。
パズルをひとつひとつ組み上げていくような構成に引きこまれました。
妖精の羽咲夜さんに毟らせて、本体を早苗にあげるのかな、と思ったらメディそっちに組み込むのか。
幼稚っぽくもあり、同時に狂気も垣間見える文章もとてもぬえらしくて、特に擬音の使い方がすごいなと舌を巻きました。
開幕の"27"の意味が後で分かった時や、主コメの"2"も少しぞっとします。正体不明の収穫は、いままでも、これからも―――
行動を取ることが出来るということだ。
そして2!そう、彼女の次の目標は聖白蓮!きっとそうだ!
そして再び彼女は正体不明の恐怖を撒き散らすだろう!
良かったです
まさに歩く厄災。
自分の姿が、相手にとって都合の良い人物に見えることを良いことに、
ティッシュを配るかのごとく、無邪気に悪意をばらまき、里や幻想郷の一大勢力に打撃を与える姿にただただ圧巻。
他者を不幸に陥れることに寸分の躊躇いもなく、むしろ悪戯という認識で知恵をしぼりながらその行為を楽しむ彼女には戦慄します。
日記に記されている感嘆詞一つ一つからも狂気が滲み出ております。
収穫の時期がいい。すごくいい。