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『上白沢の食卓』 作者: box&変ズ

上白沢の食卓

作品集: 4 投稿日時: 2012/06/23 09:37:49 更新日時: 2012/06/27 19:47:55 評価: 4/5 POINT: 430 Rate: 15.17
※キャラ崩壊にご用心








































「ひゃっ」
 小さな悲鳴を上げて、小柄な体が揺れる。その着物に隠れた華奢な足は僅かにもつれ、重心の制御権は既に彼女から離れていた。見ればわかることではあったが、私は握った左手から来る振動に一瞬で反応する。
 思わず彼女の左腕を引っ張りそうになるが、直ぐにそれを止める。代わりに動かしたのは、体。
素早く、無機質な畳と彼女の間に割り込むと、その身体を赤ん坊を抱くように、受け止めてやった。
 温もりが、伝わる。伝える。

「大丈夫か?阿求」

 どこか奥ゆかしい微笑みを湛えた、黄金色の蜜のようなメロディが、私の口から漏れる。だが、それらの過程は、彼女―――――――人間である阿求には、あまりにも早すぎて。
 阿求は幾度か、不思議そうに瞬きをする。そして何刹那か後に、ようやく音を言葉として理解して、彼女は私の胸の中で、慌てて顔を上げた。

 眼と眼が合う。
 視線が、絡み合う。

 綺麗だ――――
 ごく自然に、私は思う。
 未発達であどけなさを残すが、どこかしっかりとしたものを感じさせる顔。
 限りなく澄み切り透明であるが、確かな生命と儚さを垣間見れる深紅の瞳。

 そして、病的なまでに白い――――いや、白かった、雲のように柔らかで、羞恥と混乱で真っ赤に染まった頬。

 ―――――まるで、人形のようだな。
 しかし、私は心中で呟いた直後にそれを打ち消した。

 何故なら、それらの彼女の美しさを際だたせるのは。
 病と寿命に犯された、常人よりずっと弱々しい吐息。だが、故に儚く、愛しくなる、生命の躍動以外の何物でも無かったのだから。

 阿求の唇が、何か言葉にならぬ音を出す。
 震えるように動くそれは、私のそれと10糎も離れていない。



 ―――――抱き締めたい。

 このまま彼女の唇を奪い、その身体を壊れそうなくらいに抱き締めてやりたい。
 彼女の火照る身体をゆっくりと愛撫しながら、甘く愛しい言葉を囁いてやりたい。
 そして、彼女の全てを、狂おしいほどに犯してやりたい。



 だが、駄目だ。
 私は自分自身に強く言い聞かせる。
 今は、と。


「おい、大丈夫か阿求。顔が真っ赤じゃないか!」

 あくまで自然に、優しく阿求を揺すってやる。
 阿求は消え入りそうな声で、はい、と言ったきり、力無くその場にへたり込んだ。

「・・・・少し、休むか」

 投げられかけた言葉に、小さな首がこくりと頷いた。







「すみませんでした、慧音さん・・・・。」

 私は申し訳なさそうに、いやあ、と相槌をうった。

「それでも、17米も行ったんだ、大したものだよ、阿求。」
「いえ・・・・そんな・・・」

 縁側に座る私の横で、申し訳なさそうに座る阿求。無理に私から目を逸らそうとして、東の空に浮かぶ月に視線をやる様子が、また堪らなく愛おしい。

「私が、ここまでこれたのも、殆ど慧音さんのおかげですよ。」

 庭先に広がる空は既に殆ど黒に塗りたくられて、西の空に浮かぶ、陽光の残滓だけがほのかに感じられる。もはや遠い蝋燭の炎だけが照らす空間の中。

「寿命で体が弱って、布団から出れなくなった私。」

「絶望の鎖に捕らわれた私を救ってくれたのは、慧音さん以外の誰でもありません。」

 阿求の淡く火照った頬。それだけが、幻想色に染まる世界の中で、ただ唯一の確かな現実に感じられる。

「・・・・いや、そんなことは無いさ」

 思わず頭を掻きながら、口を開く。

「私がしたのは、ただの見舞いと応援さ。何より頑張ったのは、他でもない阿求だよ。」

 口を閉じる前に、でも、と付け足す。

「そう言ってくれると嬉しいな。ありがとう。」

 阿求は、何も言わない。ただ、心底嬉しそうに、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 それっきり、沈黙が続く。阿求は空を見て、私は月を見ていた。だが、それはけして重い物ではない。むしろ、そうしてるだけで幸せと言うものが何たるかを感じられた。
 風があれば、彼女の存在を感じて。
 雲があれば、彼女の影を感じて。
 たったそれだけで、溜息が出た。
 彼女もきっと、そうだったに違いない。
 そう思って、もう一度溜息をつくと―――――二つの溜息が、重なる。
 私たちは一瞬顔を見合わせると、笑って、また天を仰いだ。




 しばらくして、時が流れる。
 それが数分だったのか、数時間だったのか、世界が一巡するに等しい月日だったのか。私には皆目見当つかなかったが、とにかく星と月だけが覗く空が、夢の世界の終わりを告げていた。
 非常に名残惜しはくあったが、流石に泊まるわけにもいかない。

「・・・・さて、私はそろそろ帰らせて貰おうか」

 縁側から腰を浮かすと、立ち上がる。

「それじゃあ阿求。また、明日――――――――」

「待って下さい!」

 阿求が、突然叫ぶ。
 普段のおしとやかな彼女からは、とても考えられぬ声量だ。

「私は・・・・」

 その声は、震えてる。その様子もまた、これまでの彼女では考えられない程に。
 だが彼女は確かな声で、続きを口にした。

「明日、私は、あの松ノ木に行きます」

 そう言って阿求が指差したのは、庭先の隅に生えた松ノ木だった。半ばその生命を潰えさせてもなお、それは天を埋めんと葉を伸ばし、根を張りその存在を示している。
 縁側から20米ほど離れたそれに、私たちは願をかけていた。

 また阿求があそこまで歩けたら、また阿求はきっと元気になれる、と。

「慧音さん。」

 今度は、震えて無い。何かを振り切った強い目で、阿求は私に言った。

「もし私があの松ノ木の下にたどり着いたら、私から大事な話があります。」

 一瞬で、理解できた。彼女が、何を言わんとしてるかを。
 そして私もまた、頷いた。
 強く、確かに。

「じゃあ、また明日、月の出る頃に。」

 そう言って、私は阿求に背を向けて、稗田邸の門をくぐった。










 くく。



 ふふふ。


 はははは。



 くくく。はははは。ははははは。
 


 くはははははははははははははははは!


 笑いが止まらない。
 おそらく端から見れば、今の私はさぞかし滑稽であり奇妙であるだろう。まるで狂った撥条絡繰だ。
 だが、頭でわかっていても、体はなかなかどうして言うことを聞かない物であることが世の常だ。賭博中毒者然り。快楽殺人者然り。強姦魔然り。
 ―――――――まあ、私も似たり寄ったりか。
 そう思うと、余計に体が言うことを聞かない。
 だから、もはや仕方無いのだと、開き直ることにした。

 明日は、ご馳走なのだから。

 笑ってしまっても、仕方が無いのだ。










「行くのか?」
「はい。」

 再び、昨日と同じ色の空の下。東の空から満月が見下ろす中で、阿求は僅かな微笑みを湛えながら、頷いた。
 そんな阿求の左手を、いつもの様に握ろうとする。
 だが。
 その手は、音も無く振り払われた。

「助けは、いりません。」
「・・・・・・・・。」

 私は、何も言わなかった。何も言えなかった。ただ、しみじみと思った。
 この娘は、強い、と。

「それでは、参ります。」

 そう言うと、阿求は振り返る事もせず、真っ直ぐに歩み始めた。私はそれを、横合いから眺める。
 阿求の歩みは、遅い。当然と言えば当然なのだ。代々短命かつ病弱な阿礼乙女に生まれ、歴代最長の生を享受しようとしてる彼女は、はっきり言えば寝床から這いより出てること自体が、奇跡に近いことなのだ。
 見ていれば分かる。
 彼女が一歩歩くごとに、十字架を背負って歩くような重労働をしてるということが。
 
 だが。
 私が見惚れた稗田阿求は、確かにそこにいた。

 どれだけ両の足が、鉛の様に重くとも。
 どれだけ五臓六腑が、激痛に苛まれても。
 彼女は、揺るがない。
 その真っ直ぐに見据えた視線も。
 決意を秘めた表情も。
 何一つ変わることなく、彼女は松ノ木までを進んでいく。
 ああ、なんと美しいのだろう。なんと愛おしいのだろう。その肉体は、とうに朽ち果ててるはずなのに。何故その魂は、朽ちることなく輝くのだろう。
 私は、実感する。
 稗田阿求が、愛おしいと。 





 だからこそ、それは、私の中で永遠と成るべきだ、と。





 天を仰げば、既にそれは天上の中に現れていた。
 未だ夕焼けが支配する空の中でさえ、その妖艶な存在感を示しながら。
 黄金の体に、一筋の朱色を混ぜた、満月が――――――

 私はもう一度だけ、阿求の方を見た。
 気付けば、彼女は既に松ノ木まで半分を切っている。
 だが、その歩みは、始め歩き出した時より輪をかけて遅い。
 阿求の白い肌の上に、玉のような汗が浮かぶ。
 しかし。
 彼女は、その汗を拭おうともしない。
 彼女が見るのは、ただ自分の行くべき場所だけだった。
 ひょっとすれば。
 仮に今ここで大火事が、大地震が起きたとしても、あの歩みは止まらないのかもしれない。
 我ながらある種ふざけた考えではあったが、あながち間違ってるとも思えなかった。

 何故なら。

 今ここで私が何をしていようが、彼女は気づかないだろうから。

 そんな、ゴール以外何も映っていない眼差しに、思わず呟く。


「阿求。」

「君の魂は、既に私の舌の上だ。」




 『変化が、始まる』




 どくん。


 突如、胸が波をうつ。


 どくん。


 私の反応を待つことは無く、もう一度波うつ。


 ―――――始まった。

 両腕を、両足を、胴体を、五臓六腑を、脳髄を、魂を。
 強烈な浮遊感が、襲う。
 それは単に、重力を失うだけではない。
 肉、骨、血管、神経、細胞。
 この体を繋ぐ全ての物が、不意に消える。
 全てが、バラバラになる。
 花も、鳥も、風も、そして月でさえも、見えない。感じられない。世界に存在するのは、私だけ――――――――

 しかし。
 恐怖は、無い。
 むしろ、解き放たれたような。
 そして、別の何かに包まれたような―――――――

 気付けば、私は同じ場所に立っていた。
 月光。空。風。阿求。
 永く遠い体験であった筈なのに、全ては何も変わっていない。
 無論、あの永遠を感じられる体験は、私だけが体験した物だ。
 私の中で始まり、私の中で完結したそれは、私にとっては那由他に等しい体験であろうと、この世界にとっては刹那の些事に過ぎないのだ。
 だが、いつ過ぎても、この感覚は飽きない。
 それは、この自我と世界の関係が、例え一個体が死のうとも廻り続ける、世界の法則そのものに近いからなのかもしれない。

 ―――――――正直、『そんな気がする』程度の予測だが。

 と、私はとりとめの無い思考を打ち切った。
 少し経つうちに、阿求は既に、松ノ木まで残り五米まで迫りつつあった。
 無論、阿求の吐息は激しさを増し、汗はとっくに着物に染み入り、あらゆる場所に染みを作り出していた。
 しかし。
 その歩みと眼差しだけはむしろ、始めよりもずっと強くなっていた。

 ――――――食べ頃が、迫ってる。

 私は改めて、自らの変化に視線を投じる。
 濃密、かつ禍々しい程の妖力が、体中を駆け巡っていた。
 早く、世に異変を起こしたいと。
 変わらぬ世界に、一筋の波紋を生みたいと。
 今にも溢れんばかりに、肢体の全てが得体の知れぬ力に満たされていた。

 身にまとっていた服も、妖力の煽りを受けて変化していた。
 濃い空色のワンピースは、薄いグラデイションの掛かったエメラルドグリーンになる。
 服だけではない。
 私の腰の尾てい骨からは、人の身では、到底有り得ない物――――――白くたくましい尻尾が生えて。
 頭頂部からは、天をつくような――――――私は一応、女だが――――――雄々しい二本角。
 今の私は、既に人間ではない。
 月に一度、満月の光を持って現る存在―――――――――ハクタクだった。

 私はいつもながら、この変身に、酔いしれるような恍惚を覚える。
 今の私ならば、何だってできる。
 まるで、世界を手中に収めたような。
 実に晴れやかで、一つ歌でも歌いたいような。
 強烈な、高揚感。
 まさに、最高に『ハイ!』ってやつだ。

 だが、何時までも酔いしれて、浮かれてるわけにもいかない。
 今の私が思う程、世界は私に対し無粋なことに、親切に西洋の紳士的に振る舞うことも無く、ましてや待ってくれなどしないのだ。
 阿求の闘いは、もはや終局を迎えようとしていた。

 残り、三米。

「さて。」

「食事の、時間だ。」

 空は、ようやく濃紺に染まりあげられていた。
 西洋かぶれの吸血鬼のように言うならば、ディナアタイムにはまだ少し早いだろうか。
 だが、そんなことは関係無い。
 世界が私を黙殺するように、私もまた世界の常識を黙殺するのだから。

 私は、流れるような動きで右腕を差し出すように突き出す。
 無論、その対象は言うまでもなく、阿求。
 次に、バラバラに離れていた指に力を込めると、真っ直ぐに、手のひらを広げる。

 そして。
 その指を。

 音もなく。
 静かに。
 力強く。
 ゆっくり、と。
 果てしなく、ゆっくりと閉じていく。

 私は、目を閉じる。
 目蓋の裏に移ったのは、回想。
 美しく、儚い日々。
 そして、その視界の中で、常に中心にいた―――――――


 阿求。




 そして、手のひらが、閉じられる――――――――




 掴んだ。

 確かな感触。
 静止していた歯車が、音を立てて動き出したような感覚が走る。
 私は反射的に、目を見開いていた。
 ついでに、ちらりと阿求の方に目をやる。
 残り、二米。
 だが。
 既に私は、掴めた。
 固く、それでいて優しく握られた拳を、静かに開いてく。

 そして。
 現れたのは、光。
 丸く、そして小さく光る、光。
 その輝きは、あまりにも淡く、儚い。
 仮に私がここで少しでも力を込めてしまえば、一瞬にして霧散してしまいそうな。
 だが、その光の中心。
 白く光る、魂。
 そこだけは、不釣り合いな程に、輝いていた。
 固く、確かに、そして、一途に。


 ――――――――阿求だ。

 その様を見て、私は呟く。

 ――――――――これは、阿求そのものだ。

 見た目は、身体は弱くとも、どこまでも強く、強靭な魂を持った、彼女その物だ。
 、と。

 無論、それはある種の比喩的表現だ。
 しかし、それは間違って無い。
 何故なら。
 私が握ってる、光球。

 それこそ、目の前の彼女、阿求の辿った歴史の、その一端。
 それを具現化したものなのだから。
 ハクタクとしての能力の全てを用い、練り上げ、精魂を込めて形にした、歴史の結晶。
 阿求の思いが。
 想いが。
 信念が。
 あらゆる感情が、濃縮され、入り混じり合い、昇華される、一つの世界。

 おぼろげな光の作る、幻想幻想的なヴェエルの向こうに、阿求の姿が映る。
 残り、1米。
 目前に迫った、終着駅。
 呼吸器も足もボロボロになってもなお、彼女は泣きそうに笑っていた。
 歓喜、興奮、あらゆる感動と名のつく感情が、彼女の表情を作る。

 ――――――――――――嗚呼、美しい。
 何度目にもなるかわからぬ溜息をつく。
 これほど希望に満ち溢れ、未来を信じて疑わぬ表情があるだろうか。
 普通の人間にとっては長い人生を送ってきたが、希望の色が全てを埋める表情は、数えるほどしか無い。
 そして、また、
 これほどの表情を昇華させたことも、数えるほどしか無い。

 私は、右手を口元に持って行き、軽く口づけをする。
 淡く小さな光も、これだけ間近で見れば視界を埋め尽くす。
 あまりの光に、三千世界全てがそれに飲み込まれてるかのように錯覚する。
 だが。

 本当に飲み込まれるのは、私でも、ましてや世界でも無い。


 それ、は―――――――――



「君自身さ、阿求。」

 静かに、呟くと。

 私は、『歴史を食べた。』

 文字通り、具現化された阿求の歴史を、私は一口の下に口に含んだ。



 嗚呼。
 世界が、見える。



 それは、この世のどの味にも当てはまらない。
 敢えて、言葉にするなら。
 口全体に広がるのは、甘味。
 淡白で薄い、一筋だけ黒蜜をたらした、葛餅のような甘さ。
 けして力強い訳でもない。
 派手さも無く。薄味と言うにも淡すぎる、弱々しい味。
 だが、その食感は柔らかく、そして固い。
 矛盾してるわけではなく、本当に言葉の通りなのだ。柔らかく、滑らかな舌触りではあるが、容易に噛み切ることは難しい。
 咀嚼を繰り返す。
 噛んでは、開き、また噛んでは、歯は開かれる。
 永く、遠く続く作業。
 だが。
 噛めば、噛むほど。
 潰せば、潰すほど。
 今までとは桁違いの濃厚な甘味が、脳髄から全身を駆け巡る。
 しかし、その圧倒的な甘さが、淡く染み出いる甘味を蹂躙してしまうことは、無い。
 下地となる味が薄いからこそ、濃い味が存在感を示し、そこに淡い味わいが入り混じるからこそ、どれだけ濃くても飽きを感じさせない。


 もう一度。
 敢えて、言葉にするのなら。

 それは、「阿求」の味。
 弱々しくも、気高い、彼女の味――――――――



 だが。

 メインディッシュは、これからだ。


 ごくん。


 喉が唸り、何かを飲み下す。



 ぱきん。



 何かが、潰えた――――――



「――――――――え」

 これまで一言も発さなかった阿求の小さな唇から、音が漏れる。
 阿求の右腕が、何かを求めるように動く。だが、それは虚空を掴むのみであった。
 細く小さな肉体の重心が、揺れて――――――――


 阿求は、倒れた。

「え・・・?」

 再び、阿求の唇が、短いメロディを発する。
 阿求は、信じられない、と言ったように、二三度瞬きをした。

「うっ、あっ」

 数瞬後に、ようやく阿求は、自分に何が起きたのかを理解し、呻く。
 そして――――――――

「あ、れ?」

 その端正な表情を、一瞬にして凍り付かせた。

「あれ、そんな、どうなって、」

 彼女は、訳の分からぬ呟きを漏らす。
 そうしながらも、彼女のか細い腕には、その倒れ伏した身体を持ち上げんと、全精力をかけた力が込められる。

 だが。

 彼女の、爪先から関節まで、朽ちた夢の跡になってしまった足が、今再び動くことは無い。

 それは、今の壊れそうな―――――いや、すでに壊れつつある―――――阿求よりも、私が一番知っている。

 何故なら、


 私が、たった今食した『歴史』は。
 阿求の、おそらくは今最も大切にしていた『歴史』。
 そう、

 『歩けなくなった稗田阿求が、上白沢慧音の助けを借りて歩けるようになった歴史』なのだから。
 私は、『彼女が歩けるようになる為に特訓した』という『歴史』を無かったことにしたのだ。


「そんな、何で、動いて」

 動いて、お願い。
 阿求の表情は、みるみる青ざめてく。

「何で、どうして、」
 ついさっきまで輝きに満ちていた表情が、魔法のようにくしゃくしゃになっていく。

「動いて、ねえ、うごいで!」

 ついにはその瞳からは雫が垂れ始める。
 それでも阿求は、駄々をこねる子供のように動き続け、叫ぶ。

「あど、少しなのに!」

 ついには、叫ぶことも止め、地に突っ伏して泣き出し始めた。

「慧音さん・・・慧音さん・・何で・・・。」

 まさか、こんな時にまで、名前を呼んでもらえるとは。
 食いがいがある。

 私は、泣き叫ぶ彼女に、声をかけてやった。

「あのさぁ、」

「その慧音ってのは、一体どこにいるんだ?」

 荒々しく。
 まるで、ゴミに話しかけるように。

「だ、誰?」

 阿求は問う。
 当然だ。
 ハクタク化してる上に、まさか私がこんな口調で話すとは夢にも思うまい。

「名無しの、通りすがり、だよ。毎日暇つぶしに、あんたを見てたのさ。」



「でもよぉ」

「あんたはいつだって、一人だったじゃないか」

 ――――――え?
 間の抜けた呟きが、私の鼓膜を心地良く振動させる。

「あ?お前のもやし頭じゃわからないのか?」

「お前が誰かといたことなんて、無かったんだよ」


「違う!」


 鋭く、狂おしい叫びが、辺りに響く。
 ああ、そうとも。確かに本当は違う。私は確かに阿求の元にいた。

 だがな、

 自己の人格ほど不安で、脆いものなど有りはしないんだよ、阿求。


「お前には、誰もいやしない!」

「友人も、家族も、恋人も!」

「『上白沢慧音』、そしてその思い出ってのはなぁ、孤独なお前が作り出したただの『妄想』なんだよ!」

「嘘、だ・・・」

 懸命に、阿求は呟く。

 しかし、
 その表情に浮かぶのは。
 乗り越えようとする強さでは無く。
 否定しようとする意地でも無く。

 恐怖。
 怯え。
 弱さ。


「嘘だ、そんな」


 確かに、『歴史』は美味い。
 誰かが血と汗を練り上げ生きた証しの味は、どんな物にも代え難い。


 だが、


「なら、歩いてみろよ」


 ――――――希望を与えられ、


「散々慧音と練習したんだろ?歩いてみろよ。」


 ――――――それを奪われる。


「どうした、歩かないのか!?どうした!!」


 ――――――その瞬間こそ、あらゆる生命は、


「ほら歩けよ!歩けよ!」


 ――――――絶望を知り、味わい、それと同化することで、


「歩けよぉー!!稗田阿求ーー!!」


 ――――――最も美しい顔をするのだ。

 自我を否定され、
 記憶を否定され、
 秘めた想いすら否定される。

 失敗した粘土細工のような、表情。


 いかに『歴史』が素晴らしくとも、まるで全然、この芸術には程遠い。


「はははははは!そらぁ、走れよぉ!ラン!ラビットラン!はははははははは!!」 


 そろそろ宴も終わりだ。
 反応のなくなってきた愛玩に、用は無い。


 私は背を向けて、稗田家の門をくぐった―――――

 どこまでも響く、高笑いを残して。

















「・・・・・・・で、あるからして、ここの解を――――」

 深緑の黒板に、次々にチョークを走らせる。ただの空間であった場所に文字が生まれ、数字が生まれ、意味が生まれてく。
 だが、その間にも、口を止めてはならない。頭がもつれきった回路のようになるギリギリのラインを、綱渡りしてく。
 嗚呼、まだか。
 口も手もいい加減痛いのに。
 どうせ半分くらいの生徒は、聞いてる振りをするだけで、右から左に流してるだけなのに。
 後ろで落書きしてる奴を殴ってやりたい。喉が枯れて血反吐を吐くようになるまで謝らせながら、肋骨と頭蓋骨が粉微塵に砕けるまで殴り続けてやりたい。
 いや、声は出るようにしておいて、謝罪を続けるように命ずるのも良いかもしれない。手足を押さえつけて目の粗い鋸で右手の親指から順番に切ってやるのだ。
 そして悲鳴で謝罪を止めたら、今度は足を切ってやる。あいつは確か、外で遊ぶのが好きだったな。きっと良い表情が見れるな。
 いや、それだと少し可哀想だ。切り取った足首を顎が外れるまで口に押し込もう。そんで持って段々と輪切りにしては足を足を口の中に詰めて、入らなくなったら腹をかっ裂いて詰め込んでやれば良いんだ。きっと喜ぶぞ、あいつ――――――



 ふう、と私は息をついた。ようやくベルがなったのだ。
 この妄想でもしないとやってられぬ退屈な仕事から、やっと解放される。

「よし、今日の授業はここで終わりだ、きちんと復習しておけよ」

 そう告げた途端に、子供達は堰を切ったように走り始め、お喋りを始めた。

「慧音先生、まって下さい!」

 何人かの生徒が、小走りにかけてくる。手には教科書と、ノートを携えて。

「ん?わからないところがあったのか。どれ、貸してごらん。」

 私は快く頷くと、ノートに目を通して、つい最近使い始めた鉛筆を走らせる。
 外から流れついたのを集めてる小道具屋から二束三文で買った物だが、なるほど、筆よりはよほど便利だ。
 ただ、筆が無いのを言い訳にこの連中から逃げられなくなるのが、難点だったが。

 と、とりとめの無いことを考えてるうちに、問題が解ける。

「よし、出来たぞ」

 ノートを返してやると、一斉に喋り始めた。

「ありがとう、慧音先生!」
「ああ、お前らは最近頑張ってるからな、次のテストは期待してるぞ」

 愛想笑いを浮かべつつ声をかけると、子供達はにこやかに去っていった。


 全く、餓鬼の世話も疲れる物だ。
 あんな問題も出来ない出来損ないの糞餓鬼など、野良妖怪の餌にでもした方がよほど社会に貢献できるだろう。
 私は子供が好きであり、嫌いだ。
 前者に関しては言うまでもない。やはり子供は楽に虐待出来るし、バラすのも簡単だ。しかも、子供には子供にしか出来ない表情がある。
 だが、そんな日常的に子供で遊べる訳も無い。痛めつけられてない、悲鳴をあげてない子供など、ただの騒音公害だ。

 ならば、何故教師などと言う馬鹿げた仕事をやってるのか。
 簡単な話し、食べる為でしかない。
 無論、「歴史」を、だが。

 私のハクタクとしての能力は、けして完全ではない。
 ただ永夜異変の時のように上っ面だけ消すなら問題ない。だが、阿求のように完全に食べてしまうには、一つだけ条件がある。
 それは、私が関わっていること。
私が関わっている歴史で無ければ、完全に消すことは出来ない。

 だからこそ、安定して楽しむ為には、豚や牛を飼っておく必要がある。

 やがて大人になる者たちから得られる信用。
 それでいて、人々からも信用される職業。
 私の趣味が―――――私がそんな間抜けな真似をするわけないが―――――万が一露呈しそうになっても、あの愚民共は口を揃えて言ってくれることだろう。

「慧音先生がそんなことするわけない」

 と。
 所詮、人間も妖怪も二種類しかいない。
 良い表情のできる馬鹿と、ただの屑でしかない。
 現に、私がどれだけ面の皮の下でせせら笑っていようが、誰も気づかない。
 ハクタクとなった私を見ても、それが『上白沢慧音』だとは夢にも思わない。
 誰も私の高尚な趣味を理解することは無い――――――



 軽い衝撃を頭に受けて、私は我に返った。一瞬、何かが襲ってきたのかと身を構える。
 だが、なんのことはない。貴重な木材資源を無意味に食い潰してく、凝り固まった暇人の天狗どもの仕業だった。
 奴らが肥料替わりにそこらに投げてく新聞が、廊下を歩く私の頭に当たったのだ。
 最近は、昨日食べた阿求に全てを費やしてたのだ、めぼしい獲物もいない。
 暇人なのはお互い様か、と私は呟くと、新聞を拾い上げた。





 文々。新聞
 第xxxx季 皐月の五

 『御阿礼の子』稗田阿求 遺体で発見 自ら自殺

 二面 稗田家周辺で目撃された怪しい影 自殺に関与か





 まさか自殺してのけるとは。
 やはり彼女は強い意思を持った、素晴らしい「食材」だった。
 
 『まさか』と言ったのは、自殺する度胸があったことが彼女にあったのが、意外だったからだ。
 別に死んだことについて驚いたのではない。
 第一、私が愛しいと思ったのは『素晴らしい食材』の阿求であり、『ただの少女』の稗田阿求には何の情愛も湧かない。と、言うか、正直どうでもいい。
 それに、一度骨の髄まで食べ尽くした食材に、もはや興味はない。
 きっとつまらない記事をじろじろ見られるより、土に返った方が紙も喜ぶし天狗も喜ぶだろう。
 そうとだけ思うと、私は窓から新聞を放り捨てた。


「慧音!」


 狭苦しい校舎を出ると、比較的小柄な少女が、小走りで駆け寄ってきた。

「む、妹紅じゃないか・・・ってうわっ」

 色素の一切を失った、白い髪の少女―――――藤原妹紅は、そのまま勢いを殺す事無く、私の首元に抱きついてくる。
 突然受け止める二人分の体重に、倒れかかった身体を何とか立て直す。
 
「慧音!もう仕事は終わったんだよな?」
「・・・・・寺子屋の前まで来るな、と言ったろう」

 私の高尚な思考時間を邪魔するな、阿呆め。
 一方的に内心毒づくと、憮然とした表情で妹紅を睨む。

「・・・・・・だって・・・・」

 と、妹紅は、口を開いた。

「・・・・・寂しかったんだよ・・・」

 躊躇いがちに逸らされた、視線。
 無理に強くあろうとする、口調。
 僅かに内へ落ちる、両肩。

 前言撤回だ。よく来たな妹紅。

「まあ、許してやろう」

「妹紅はかわいいからな」

「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」

 
 ちょろいものだ。
 所詮何千と生きていようが、こいつの中身は初々しい小娘なのだ。
 甘い言葉と少し身体を許せば、あっさり堕ちる。
 どれだけ肉体が進化しようが、人間どもの心はけして進化しない。

 
 ――――――だからこそ私は、美しい表情を求めるのだが。


「よし妹紅、今日は岡の方に散歩に行こうか」
「うん!」

 私は首に回された腕を取ろうとした。だが、いくら頑張っても取れない。
 私は、まあ良いか、とぼやくと、そのまま妹紅と歩き始めた。










 歴史の味とは、その密度によって決まる。
 どれだけ、喜んだか。
 どれだけ、怒ったか。
 どれだけ、哀しんだか。
 どれだけ、楽しんだか。
 希望と絶望の数に比例して、歴史もまた輝くのだ。
 血と肉で出来た感情を、糧にして。


 ならば、
 千年。
 いや、五千年。
 違う、もっと。
 万、億、兆。
 永久に等しい年月の感情を食せば、一体それはどんな味になるのだろうか――――――――

 喉が、唸る。
 いや、まだだ。
 まだ時では無い。
 真の味は、極限まで熟成させねば――――――――――
 








「ねえ、慧音」

 人気の無い、森の中。
 妹紅は私の方を向くと、言った。

「・・・本当に、大好きだからね」

 気づけば、唇と唇が触れ合ってた。
 冷たい。
 いや、熱い。
 あまりに突然だったので、思わず突き飛ばしそうになってしまう。
 だが、相変わらず妹紅は、私をけして離そうとはしなかった。
 そして気づけば私もまた、壊れそうなほどに彼女を抱いていた。

 そのうち、息が切れ始めて。
 どちらともなしに、唇が離れる。
 銀の橋が名残惜しげに落ちて、お互いの吐息が鼓膜を震わす。
 堪らなくなった私は。
 彼女の綺麗な曲線の耳に唇を近づけると、そっと呟いた。











「ああ、愛してるよ」



 ―――――――――――まだ見ぬ、君の歴史を――――――






the period
吸引力の変わらないただ一つのやっつけ

慧音はわざわざ歴史を『食べる』とか言っちゃう厨二病さんだね


コメ返信

>>先任曹長様
そもそも胃もたれ等の概念があるのか・・・?

>>3様
自分の歴史を食ったことによって『食ったという事実』がなかったこととなり、
もう一度食いそして無かったことにし続ける無限ループ

>>ギョウヘルインニ様
ありがとうございます。
ちなみに、
上 制作時間 3時間
下 制作時間 10日
評価 上>下
です

何故・・・・
box&変ズ
作品情報
作品集:
4
投稿日時:
2012/06/23 09:37:49
更新日時:
2012/06/27 19:47:55
評価:
4/5
POINT:
430
Rate:
15.17
分類
上白沢慧音
『歴史を食べる程度の能力』
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POINT
0. 30点 匿名評価
1. 100 NutsIn先任曹長 ■2012/06/23 20:55:30
グルメなけーね先生の手間暇をかけた食事のお話、堪能しました。
人々の歴史――経験――を無かったことにしてしまう、否、食べてしまう能力。
ヒトの存在意義、価値を、喰らう化け物。おそろしやおそろしや。

先生の末路は、鉛筆どころかレコーダーのような記録装置の普及により真相が明らかになり、
飼いならした筈の『家畜』達が意外性『まさか』に娯楽を求めて、あること無いこと歴史を捏造して、
飢え死に、或いは食あたりでくたばるか。

或いは、もこたんの重い歴史の食いすぎで腹をパンクさせるか……。
3. 100 名無し ■2012/06/24 20:45:24
これは腹が減ってくる

慧音はとんでもないグルメなんですね。得るためには他者の存在を踏みにじることすら朝飯前なのだなと感じました。あぁ。キャラ崩壊な訳だ。

この慧音の歴史はどんな味がするのかな?最終的には物足りなくなって自分の歴史をも食うのかな?
4. 100 ギョウヘルインニ ■2012/06/24 23:33:22
今回の作品と上の作品を読ませてもらいました。どちちも、とても面白かったです。上の作品はある国王様用のようなので、ある国王様の後に(ある国王様がコメントすること前提なのですが)点数を入れさせて貰います。
5. 100 名無し ■2012/07/14 15:15:23
食事をこれほどまでに美しいと感じた事はない。
だが、先生貴女の愛しい人に向けた思いは通じない。
それが、美食への罪なのよね、一途に馳せる思いを抱いて眠れ。
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