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『怒れる闇の相続人』 作者: pnp
吸血鬼の少女がベッドに身を横たえている。元々この吸血鬼は肉付きのいい身体では無かった。永遠に幼い紅い月と言う二つ名が表す通り、成長が極めて緩慢であると言う特性を考慮すれば、それは仕方の無いことであったから、本人は特に気にしてはいなかった。
しかし、いくら永遠に幼いと言っても、今の彼女はあまりにも痩せ細りすぎている。
先ず、頬がげっそりとこけている。くすんだ瞳を収めている眼窩は潤いが無く、目元には墨でも伸ばしたかのような隈が居座っている。骨と皮だけのような状態の手。その甲は、雨を求めて大口を開けているようにあちこちがパカンパカンと罅割れている荒野を彷彿とさせる。体表には体の内にミミズでも這っているかのように血管が浮き出ている。キルトに隠れていて今は何人たりとも見ることができないが、脚の方も乾燥した竹のような状態になっている。立ち上がるにも補助具が必要な程に細くなっている。
少女はぼんやりと窓を見ている。しかし、彼女の特性上当然なのだが、窓には紅いカーテンが掛けられているため、外の様子を見ることはできない。それでも少女は窓を見ている。それくらいしかやることが無い上に、今や寝返りの一つさえも億劫な体なのだ。
長らく苦しみを味わってなどいたくないから、眠りに就いてしまいたいと思い、懸命に微睡みを求めていた。
その最中、背を向けている方にある扉が、従者の手によって叩かれて、コツコツと快い音を鳴らした。
「お嬢様、失礼します」
従者――十六夜咲夜が入室してきた。
十六夜咲夜の言うお嬢様とは言わずもがな、瀕死の体をベッドに横たえている吸血鬼の少女である。名をレミリア・スカーレットと言う。彼女の根城たるこの『紅魔館』の現在の当主である。
咲夜は銀のトレイに数種の食器を乗せて、レミリアの横たわっているベッドに近づく。レミリアは大儀そうに方向転換をし、従者を見やる。人間年齢に換算すれば、レミリアよりも咲夜の方が遥かに歳を食っているのだが、今のこの状況を考えると、レミリアは自分が老婆か何かの様に思えてしまうのであった。
「食事の時間ですよ」
そう言い、咲夜は持っている銀のトレイを少し持ち上げて見せた。それから、ベッドの傍らに置いた小さな台にトレイを置いて、レミリアを起き上がらせる。
「横になっていたいわ」
レミリアが苦しそうに言った。しかし、いくら瀟洒で完璧なレミリアの従者の任を今まで立派に務めてきた咲夜といえども、この要望には流石に応えることができない。
「食事をするには体を起こさなくてはいけません」
それはそうだと、レミリアは堪忍したようなため息を吐いた。思うように体を動かせないこの闘病生活の中で、食事はレミリアの唯一無二の楽しみであったから、蔑ろにする訳にはいかなかった。食欲などほとんど無に等しいのだが、『食べる』と言う独特の行為を行えることが、今のレミリアにとっては幸せであるのだ。
主を起こすと咲夜は「失礼します」と一言添えて、ベッドの端に腰かけた。それから銀のトレイを自分の腿の上へ置き、トレイの上に乗った料理をレミリアに見せる。
「どれから召し上がられますか?」
妙な赤みを帯びたお粥、見慣れない野菜の入ったサラダ、味が付いているのか疑わしい程透き通ったスープ――怪しげな内容な上に、その量は極めて少量だ。咲夜が知恵を絞って考案し、手間と暇と、時には生命まで賭して集めた材料で作った、渾身の病人食である。
「不思議な料理を作ったものねえ。……毒とか入ってて、安楽死でも狙っているんじゃないでしょうね」
レミリアが至極愉快そうに苦言を漏らす。変化の禁じられた生活の中で、味や見てくれはさておき、様々な珍しい食べ物が食べられることが嬉しく、楽しいのだ。
しかし咲夜はにこりともしなかった。
「とんでもございません。お嬢様の御体のことを考えて作りました」
この従者の主を思う気持ちは本物だ。
月の頭脳と謳われる薬剤師兼医師に「不治の病」と言わせた難病にかかったレミリアの為に、これ程の奉仕を行えるのだから。
レミリア・スカーレットは病に冒されている。いつ、どこで、何が原因で患ったのか、全てが謎であった。ある日急に眩暈を訴え、自室に戻る道すがら気を失った。高い発熱や嘔吐に苛まれ、数日間の生き地獄を味わった。
症状が落ち着いてからは慢性的な倦怠感や虚脱感に襲われ、突発的に発症間際の様な重篤な症状に見舞われた。以降はずっとおとなしく床に伏している。以降、今までの様な快活さは誰にも、一度も見せておらず、紅の悪魔は見る影もなく落ちぶれてしまった。
おまけに治療法も見つからなかった。月の頭脳は唇を噛み、土蜘蛛は首を捻り、毒人形は唸ることしかできなかった。
運命を操ればいいではないかと言う提案に、レミリアは首を横に振った。生死に関わる自然現象に不自然を介入させたくない――とのことであった。
「病気に敗けて命を落とすのなら、所詮私はそれまでの存在だったと言うことよ」
気高いのか、愚かしい程強情なのか――しかし、本人がそうありたいと思っているのだから、他人にはどうしようもない。
咲夜が中心となって、出来る限りの処置は施したが、何一つ実を結ぶことはなく、レミリアはひたすらに衰弱の一途を辿り、そして今に至る。
咲夜が少しずつ、食事をレミリアの口へ運ぶ。滋養を最優先して作られている料理であるので、お世辞にも味が良いとは言えない。現にレミリアは、見慣れない野菜の苦みに顔を顰めたり、赤みがかった粥を口に入れるのを躊躇したり、口に入れた透明なスープの味を探り当てるように宙をぽかんと見やったりしていた。
「お味は如何でしたか?」
食後に咲夜が問うと、
「全然美味しくなかったわ」
舌の表面を支配する不快な味を空気中へ放散させるかのように舌をぺろりと出して、悪びれた様子も無くレミリアは言った。それからにっこりと笑った。自分の体が不味いと感じられていること、そして、死に際の自分に労力を割いてくれていることを、心の底から喜ぶかのように。
その弱々しい微笑みを見るだけで、咲夜は涙が零れそうになる。しかし、病人の前でそんな辛気臭い顔を見せる訳にはいかないからと、慌ててベッドから立ち上がり、
「食器を片づけてきます。すぐにお薬を用意しますから」
トレイの上に載せた空の食器を意味も無くがちゃがちゃ言わせながら言う。背を向ける口実を作ったのである。
「ええ。ありがとう」
レミリアはそう言い、再び静かにベッドへ横になった。
主の私室を出た咲夜は、のろのろと歩きながら厨房へ向かった。空の器に一滴、また一滴と、涙が落ちて行く。
*
「おい。起きろ」
白黒のエプロンドレスを纏った金髪の少女が、紅魔館の門前に立っている妖怪の肩を叩く。
その妖怪は、緑のチャイナドレスを身に纏った、背の高い女性の姿をしている。腕を組み、柵に背を預け、目を瞑って俯いていた。
声を掛けられて、すぐに妖怪は目を開いた。
「起きてますよ」
こう応対すると、金髪の少女は僅かに狼狽えた。てっきり眠っているものとばかり思っていたのである。
普段なら、こんな門番は無視して館内へ突っ込んで行くような無謀さと横暴さを、この金髪の少女は持ち合わせているのだが、館内で起きている一大事を知っている為、今はそんな手荒な真似はできなかった。分別をわきまえているのだ。
「中へは、入れてくれないよな?」
分かり切っていることを確認するような口吻でこう言った少女は、手に持っている花の束を門番に見せる。病人の見舞いへやってきた――と言う意思表示である。
妖怪は花束と少女の顔を交互に見やると、申し訳無さそうに眉を潜め、首を縦に振った。
「飛沫感染を警戒しておくべき……と、八意さんから言われていますから。病死するなら私達だけに留めると言う方策ですので、すみませんが立ち入りはご遠慮願います」
物々しい厳戒態勢。それが、外界の規則に則るのならば成人にも達していないこの少女に、現実感と言う巨大な重石となって圧し掛かり、そこから動けなくしてしまう。
二進も三進もいかなくなった少女は、花束を門番に差し出した。
「これ、渡しておいて貰えるか」
門番はこっくり頷いて、それを受け取る。
「敗けるなよ、病気なんかに。私を病原菌未満に落とし込むなんて、酷いことしてくれるなよ?」
「……伝えておきます。ありがとう」
門番が深々とお辞儀をする。とても妖怪だとは思えない慇懃な態度である。
花束を渡し終えると、少女は即座に箒に跨り、逃げるように去って行った。現実と言う重石を無理矢理突っ撥ねるかのような、機敏で大仰な動作であった。
門番は受け取った花束を、とりあえず水差しにでも差しておかなくてはと思い、紅魔館のロビーへ入った。適当な妖精メイドを捕まえて、枯れないような処置を施すよう指示する。いくら仕事があまりうまくできない妖精のメイドといえども、花を枯らさない方法くらいは知っている。寧ろ、自然と生きる妖精達の方が、そういうことについては詳しいくらいである。
妖精に花束を渡し終えると、門番はまたすぐに門前へ戻って見張りを始める。
先程金髪の少女に説明した通り、今の紅魔館は、謎の病気の感染・拡大を防ぐ為、関係者以外の立ち入りが禁じられているのである。今のところ感染者はレミリア・スカーレットのみであるから、恐らく飛沫感染はしないだろうと言う所見が、永遠亭の意志から出されているが、用心に越したことはないと、しばらくこの厳戒態勢を維持するらしい。
……未知なる病気なのだから何人にも知る由も無いことだが、この病気に飛沫感染の危険性は全く無い。それどころか、感染力も極めて弱い。レミリアがこんな病気に掛かってしまったのは、実に不運なことなのである。
今までは居眠りが多かったりしたこの門番も、こういう事態とだけあってかなり真面目に働いている。彼女が起きている限り、紅魔館へ入ることはほぼ不可能と言っていい。
ほぼ――と言うのだから、何か特殊な手段を使えば入ることが可能ということになる。その極めて変則的な手法で館内へ侵入した者が、既に一人いる。
その者は堂々と正面玄関から入っていった。落ち着きの無い妖精メイド達の間をするするとすり抜けて、廊下ですれ違った沈痛な面持ちの七曜の魔法使いに挨拶をし――相手から返事はこなかった――、泣きながら廊下をとぼとぼと歩いている銀髪の従者を慰めた。
この侵入者の目指している所は、紅魔館の地下室である。
当主の実妹が生活――及び幽閉されている、禁じられた一室だ。
昔は室内外の勝手な出入りさえ許されず、黒鋼と魔法による強固な二重の鍵が設えられていたが、今ではそれらは取り払われている。気の触れた妹君も、時の経過につれて少しだけまともになってくれたのである。
通い慣れた館内である。侵入者は難なく地下室へ続く石質の階段に辿り着いた。一段降りると、靴の底と階がこつんと小気味よい音を響かせる。
階段を降り切った先にある、冷たく大きな鉄製の扉を押し開けて中へ入る。
悪魔の妹――フランドール・スカーレットは、だだっ広い部屋の真ん中にいた。広さの割に調度品が充実していない。簡素なガラストップのテーブルに、冷淡な金属製の椅子。焦げ茶色の本棚には色あせた本がずらりと並ぶ。ベッドだけは妙に高級感があり、部屋の雰囲気と噛み合っていない。――部屋にある家具はこの程度のものだ。
フランドールのいる部屋の真ん中には、縦横五メートルくらいの絨毯が敷いてあり、彼女はそこに寝そべって本を読んでいた。
部屋主が侵入者の入室に気付いたのは、侵入者が自身の傍まで歩み寄ってから十数秒もの時間が経過してからのことであった。その十数秒間、侵入者は本を読むフランドールをじぃっと見下ろしていたのに、見られている本人は気付く素振りさえ見せなかったのだ。
しばらくしてから、フランドールがはっとしたように顔を上げた。
侵入者と目が合うと、相好を崩した。
「あら? こいしじゃない」
「ええ。こんにちは」
侵入者――古明地こいしも相好を崩して応対する。ここへ足を運んだと言うことは、フランドールに会いに来たということなのだが、実際にこうして出会ってみても、こいしの表情にさしたる感動は生まれなかった。
しかし、長年地下室に幽閉され続けてきたフランドールは、話し相手の表情の変化で心情を知る術など持ち合わせていない。持ち合せていた時期もあったが、使わない知識は腐って行くばかりで、とうに腐り果てて消えてしまったのかもしれない。
そもそも、そんな鬱々たる暗黒の歴史など介さなくとも、この古明地こいしと言う地底に住まう偏屈な妖怪の考えていることを知るのは難しい。
元々、こいしは覚妖怪と呼ばれる、人の心を読む力を持った妖怪であったのだが、その能力を持つが故に迫害され、それに耐えかねて心を閉じた。能力は封じられたが、新たに無意識を操ると言う一風変わった能力を得た。そうして彼女は、随分掴みどころの無い、まるで風の様な存在となって、当の本人の記憶にも残らないような極限の気ままさで、この世界を徘徊している。
彼女とフランドールの出会いも、この自由過ぎる徘徊が原因であった。知らぬ間に紅魔館の地下室を訪れていて、意識を取り戻したら目の前にフランドールがいた。数百年もの間地下室に籠らされ続けたらしいこの哀れな少女と話をしている内に意気投合した。姉を持っていると言う共通点も二人を近づけた。
こいしにも姉がいる。名前は古明地さとり。名前や、こいしの生い立ちからも窺い知れる通り、覚妖怪である。こちらの方は今も心を読む能力を保ち続けて生活をしている。
こいしは許可も得ず、絨毯の一角に腰を降ろした。フランドールも無言でそれを了承する。
「何だか上階は悲しみに包まれていたね」
こいしが言うと、フランドールが本から目を離してこいしを見た。
「悲しみ?」
「うん。美鈴さんは怖い顔で門番してたし、パチュリーさんは元気無さそうだったし、咲夜さんは泣いてたし」
こいしが言うと、フランドールは「ああ」と気付いたように呟いて、また読んでいた本に目を戻した。
「お姉様がね。病気なのよ」
「病気?」
「そう。何だか随分重たい病気なんだってさ」
「へぇ。大変だね」
「大変みたいねぇ」
「いつ治るの?」
「治らないってさ」
「え?」
こいしはこう言った切り、二の句が継げなくなった。その隙にフランドールが更に付け加える。
「治せないみたいなの。誰の手にも、どんな薬でも、ね」
他人事の様なフランドールの口調。
「それは本当に大変だね」
こいしの言葉にフランドールは、
「そうね。本当に大変だわ」
本を読みながらの適当な応対。
「悲しくないの?」
その素っ気無い返事の流れが、この問いでぷっつりと切れた。
フランドールがおもむろにこいしを見る。
「悲しくないの、って?」
「え? だから、悲しくないの?」
「どうして悲しまなきゃいけないのよ」
「お姉ちゃんじゃない」
こいしが平然と言う。フランドールはしばらくこいしを睨むように見ていたが、また本に目を戻し、
「全然」
淡々と言った。
「長い間私をこんな所に押し込めておいたような奴に掛ける情なんて無いわ」
「お姉さんなのに」
「関係無いよ。憎い奴は憎いの」
フランドールは吐き捨てるように言った。
こいしは絨毯の上に正座して、本を読むフランドールをぼんやりと見つめていた。その視線が鬱陶しく感じられたのか、フランドールはあからさまに忌々しげな舌打ちを打った。
「それだけ言いに来たの?」
「別に言いたいことなんて最初から持ってた訳じゃないよ」
「そう。じゃあ帰ってくれない? 一人になりたい」
「いつもは私が来ると喜んでくれるのに」
「その時はその時。今日は今日。今はそういう気分なの」
言いながらフランドールは、ギロリとこいしを睨み付ける。覚妖怪は非常に強力な妖怪であるが、吸血鬼も同等に恐ろしい怪物である。こいしは面倒な闘争に発展するのは御免だからと、言われた通りさっさと退散することにした。
無言で立ち上がり、靴を履き、さよならの一言も無しに部屋を出て行った。ずぅん……言う、鉄の扉が閉まる重苦しい音が、薄暗い地下室に響き渡った。
フランドールは一人になった。
つまらなそうに本を投げ捨て、ベッドへ潜り込んだ。
半ば追い出されるように地下室を後にしたこいしは、レミリアに会いに行くことにした。
こいしがフランドールと接触していることは、紅魔館内では既知の事実である。悪魔の妹の数少ない友人として、こいしは館内から歓迎されている。――純粋に身内の友人として、或いは、気の触れた者を制する蓋として。
だから、突然レミリアに会いに行っても、特に変な風には思われない。無意識を操り、自分の存在感を抹消することができる能力についてもちゃんと知らせてあるから、門番が怠慢を咎められることも無い。
しかし、紅魔館は見てくれの割に広い。どこがレミリアの部屋なのか、こいしは未だよく覚えていない。しばらく館内をうろついた後、偶然にも十六夜咲夜の姿を見つけた。従者が今何をしているのかこいしには分からなかったが、とりあえずこの人間に付いて歩けば、その内レミリアの私室へ行ける筈だと、こいしは咲夜の後ろにぴったりとくっ付いて歩いた。
幸運にも咲夜はレミリアの私室へ行こうとしている所であったので、こいしはすぐに目的地へ到達することができた。
恭しい挨拶をしながら咲夜が主の部屋へ入って行く。こいしも、誰にも聞こえはしないが「お邪魔します」と一言添え、中へ入った。
室内へ入ってすぐに能力の展開を止める。こいしは現実と――他者の意識が渦巻く世界とリンクする。
「あら」
先ずレミリアがこいしを見つけ、目を丸くして呟く。何事かと振り返った咲夜も「まあ」と驚嘆の声を上げる。こいしは脱帽して深々と礼をした。
「こんにちは。お邪魔してます」
咲夜が慌てた様子でこいしに歩み寄る。
「駄目よ、こいし。お嬢様は今御病気なの」
「知ってるよ」
あっけらかんとこいしが言う。事の重大性を認識していない態度に、咲夜が少し語気を強める。
「だったら尚更よ。伝染したら大変なんだから、早くここから出て……」
咲夜は言ったが、レミリアがそれを制した。
「まあ、いいじゃない、咲夜」
途切れ途切れの掠れた声。咲夜が振り返る。ここでようやく、こいしは変わり果てた姿のレミリアを注視したのだが、その変貌ぶりに言葉を発することができなかった。
「咲夜だって、私と一緒にいても、病気になっていないでしょ? 大丈夫よ。多分」
やや無責任であるが、この杜撰さもレミリアらしいと言えばレミリアらしい。
こいしとレミリアもそれなりの関係を持っている。元々人懐っこいこいしは、フランドールに飽き足らず、レミリアにまで懐いたのだ。姉とは少し雰囲気の異なるレミリアのことをひどく気に入っている。
レミリアもこいしのことを気に入っていた。奔放な生き方と物怖じしない性格が、レミリアの美徳に近しいものを感じさせるからである。フランドールに会いに来た日は、決まってレミリアの方へも尋ねていた。
「こいし。こっちへいらっしゃい」
骨と皮だけの様な痩せこけた手で、レミリアが手招きする。手招きするその動作は、赤べこ人形の首よりもひ弱で、見ていて手がぽっきり折れて落ちてしまうのではないかと心配になってくる程である。
こいしがレミリアの傍へ駆け寄る。
咲夜はまだ少しだけ納得がいかない様子であったが、主がそれを望んでいるのであれば仕方が無いと、目を瞑った。
近付いたこいしの頭をレミリアが撫でる。力は無く、掌は樹木の表面のようにざらざらとしている。痛ましいレミリアの姿を間近に見て、こいしは動揺してしまった。
「大変な病気なんですね」
やっと出てきた言葉はそれであった。レミリアは微かに頷いた。
「ええ。本当に大変よ。毎日苦しいわ」
レミリアは微笑んで言うが、こいしは笑うことはしなかった。
「どこで私の病気のことを?」
「さっきフランドールに聞いて」
「フランドールに……。そう」
一呼吸置いて、
「私の病気のことについて、何か言ってた? あの子」
レミリアはこう問うた。
こいしはついさっきのフランドールとの会話を回想した。
――どうして悲しまなきゃいけないのよ
「心配してましたよ」
咄嗟にこいしは嘘を吐いた。しかし、この嘘が悪いことだとはこれっぽっちも思っていない。
レミリアは「そう」と、素っ気無く答えただけであった。
これ以上突っ込まれてボロが出ては敵わないからと、こいしは話題を変えた。
「治らないって本当なんですか?」
「どうやら本当みたい」
「元気になれない?」
「そうなるわね」
ほぅ――こいしは動揺の念を小さなため息で表した。
「もう会えないんですか?」
「死ぬまではまだ会えるわよ」
そんな悲しいことを言わないでください――遠巻きに二人のやり取りを眺めている咲夜が、目でそう訴えている。
「今までどうもありがとうね」
まるで別れの挨拶である。
「いいえ。こちらこそ」
気の利いた返事が思い付かないので、こいしはそう言う他無かった。
このレミリアとの面会が、想像以上に大きな精神的なダメージを掛けてきたので、こいしは早々に帰りたくなってしまった。病態のレミリアの生々しさがどうとかでなくて、純粋に一緒にいるのがつらすぎたのである。
「あの、私そろそろ帰ります。あんまりレミリアさんも無理しない方がいいだろうし」
白々しかっただろうか――こいしは自分の軽率さを悔いたが、杞憂であった。こんな惨めな自分に会いに来てくれたこいしに、レミリアはにっこりと微笑みかけた。
「お気遣いありがとう」
こいしは席を立つ。帽子を両手で抱えて一礼し、踵を返す。咲夜にも礼をする。
「玄関まで送ってあげる」
咲夜が言う。往路が分からないこいしが帰路を知る筈が無いので、この好意に甘えざるを得なかった。
玄関まで送って貰うと、こいしは咲夜に礼をした。咲夜も深い礼を返した。
玄関を出ると門番とすれ違ったので、また礼をした。
地底にある地霊殿と言う御殿が、古明地こいしの住まいである。
帰宅してすぐに、妖怪化したペットに出くわした。黒猫である。今は地獄の炎の薪となる死体を探す仕事を担っている。
「あっ、こいし様。おかえりなさい」
暇を持て余していたらしい黒猫は、猫の耳を機敏に動かして言う。
「ただいま」
こいしが返答する。
時は夕刻。主の妹も帰って来たし、時間もいい頃であるからと、黒猫は夕食の準備に取り掛かった。
夕食の準備ができるまで、こいしはずっとレミリアの痛ましい姿を思い返していた。その醜悪な姿を怖いもの見たさで思い出しているのではなく、一友人を失うことについて考えていたのである。
夕食の準備が終わっても、しばらくはその考えが止まらなかった。フランドールの辛辣な言葉と、レミリアの痛ましい姿――それを交互に思い返すと、胃袋がきゅっと縮まるような不快感を覚え、入るものも入らなくなってしまう。
「こいし?」
不意に声を掛けられ、手元に引き寄せていたクラムチャウダー入りの器をぼんやり眺めていたこいしがおもむろに顔を上げる。
姉が――古明地さとりが不思議そうに自分を見つめていた。そして辺りを見れば、食事の席を共にしている黒猫――火焔猫燐と、地獄鴉――霊烏路空もこちらを見やっているではないか。
「どうかしたの?」
さとりが問う。彼女は心を読む能力を保持しているが、心を閉じたこいしの考えていることを読むことはできない。だから、こうして会話をしなければ、こいしの心情を知ることができないのである。
さとり――姉――姉妹――ここから連想されるのはどうしてもあの渦中の紅い悪魔の姉妹。それから思い起こされる、姉妹間の深い亀裂。
一方、自分はこうして姉に大切に思われて生きている。実際に姉が自分のことをどう思っているかは、第三の目を閉じたこいしには知りえない。だが、さとりはこいしを幽閉しようなどとはしなかったし、今も何かと気を使ってくれている。これは姉の思いを体現していると言っても差し支えないだろう――とこいしは考えた。
こいしも姉を憎む要素など一つも持ち合わせていない、実に円満な姉妹関係である。
死に瀕している姉にさえ愛情を抱けないフランドールのことや、自分の恵まれた環境のことを思い、こいしは思わず涙を零してしまった。
こいしを除く三名はぎょっと目を剥き、そして狼狽えた。突然こいしが無言のまま泣き始めたのだから無理もない。
「ちょっと、こいし?」
「どうしたんです? あっ、骨が喉に?」
「いやお空、今日の晩御飯に刺さりそうな骨は無いだろ。……本当にどうしたんです、こいし様?」
狼狽えるさとり。的外れな心配をする空。猫と言う種に恥じぬ機敏な突っ込みを入れる燐。こいしにも涙の理由がうまく説明できなかったが、各々の気遣いが嬉しかったので、
「ううん、心配しないで。ありがとう」
と一言。しかし、それだけでは三人が納得しない。現に、三人は煮え切らない表情でこいしを見つめている。
「今日、紅魔館に行ったの。レミリアさんが大変な病気なんだって」
こいしが訥々と語り始める。さとりは食事をしながら耳を傾ける。燐は「ああ、あの吸血鬼さんとこか」などと合いの手を入れる。空はレミリアとは誰だったかを思い出そうと難しい顔を始めた。
「治らないって言ってた」
こいしが付け加える。
その瞬間、空が思い出したように「ああ」と感嘆の声を上げた。三人の視線が空に向けられる。
「土蜘蛛が様子を見に行ったって聞きました」
燐がそれに続く。
「言ってましたね。土蜘蛛にも何が何やらさっぱり分からなかったとか」
「それは……気の毒なことね」
さとりは一体何と言っていいものか分からず、当たり障りの無いこんな一言に言葉を留めた。
「それで、妹の方にも会ったの」
「フランドールでしたっけ?」
燐が問う。こいしが頷いて応える。空はまた話題となっている人物がどんな者であったかを思い出そうとしているようで、宙に視線を投げ出した。さとりにこれと言った反応はない。
「フランドールは、あんまりお姉さんの病気のことを悪く思っていないみたいで」
これにいち早く反応したのは空である。
「妹なのに? そんなの酷い!」
フランドールがどんな者かは思い出せていないが、実姉の命の危機に冷然とした態度を取ると言うことは、空の中の道徳に反することなのである。一風変わってはいるが、睦まじい姉妹関係を築いているさとりとこいしの近くで生活をしているからこそ、こういう感情が芽生えるのであろう。
燐は無意味にクラムチャウダーをスプーンでゆっくり掻き混ぜながら口を開く。
「だけど、あれでしょう? レミリアはフランドールを随分長い間、地下室に閉じ込めていただのなんだのって。それじゃあ姉に対する恩義や愛情が無くっても仕方ない気がするけどねえ」
やや遠慮がちな口調なのは、空を気遣ってのことであろう。しかし、空は別に気にする様子も無いし、自分の考えを曲げることもしなかった。
「それで? お友達の姉の死に際して、改めて私みたいな姉がいてくれてよかったと感涙を流してくれたの?」
どこか張り詰めた空気を和ませるかのようにさとりがこんな風に茶化してみると、
「うん。それもあるね」
恥ずかしげも無くこいしがこんなことを言うものだから、さとりの方が恥ずかしくなってしまった。紅潮を隠したい一心で熱いお茶を一気に喉へ流し込む。
それもあるんだけどね――と、こいしが言葉を紡ぐ。
「もしもお姉ちゃんが病気で死んだら、私は悲しい。だけど、フランドールはそれが悲しくないって言う。レミリアさんも、妹とは自分の死を悲しまれないような関係しか築けなかったのかなあって思うと、少しかわいそうかなって」
そう言い終えて、こいしは思い出したようにサイコロステーキの一つを口に運んだ。
「どうしてそんなことになってしまったんでしょうね」
空がぽつんと呟く。誰も答えられなかった。フランドールは自分を幽閉した姉を憎んでいるのであろうが、幽閉された理由が分からないのだから、レミリアばかりを責め立てる訳にはいかない。狂いと専らの噂である妹だ。何か複雑な事情があったのかもしれない。
食事中にそんな話をした所為で、その日、こいしの頭の中はスカーレット姉妹のことで埋め尽くされていた。寝付くのも一苦労であったし、寝ている最中にもあの姉妹の夢を見た。
*
目を覚ましたら、枕の周辺が真っ赤に染まっていた。
常人ならば悲鳴の一つや二つでも上げたくなるものであるが、もうレミリア・スカーレットは狼狽えることさえしなくなってしまった。
口の中に充満する嫌な血の香りに顔を歪ませる。他人のち血は好物の一つであるが、自分の血など幾ら舐めても美味いと感じることはできない。
咲夜を呼ぼうと思ったがそれも大儀だから、彼女が来るまで、やや不快であるが大人しく待つことにした。咲夜は入室に際してしっかりノックをしてくれるから、この部屋へやって来る瞬間は分かりやすい。ノックの音が聞こえたら狸寝入りを決め込んで、血のことなど知らなかった振りをすればいい――ささやかな悪戯である。咲夜にとってはいい迷惑であろうが、レミリアにとっては娯楽の一つだ。
カーテンが閉め切られているので、朝か夜かの判断が付かない。時計はあるが、いちいち体を捻らねば見ることができない。そうまでして時間など知りたいと思わなかったので、レミリアはとりあえずもう一眠りしようと目を閉じた。
相変わらず体は猛烈な倦怠感に覆われている。腹に巨大な鉛の玉でも押し付けられているかのような不快感がある。頭もずしりと重たい。頭蓋骨に一切触れずに脳みそだけを握り潰されている最中のような感覚が纏わり付く。
生乾きの血がべっとりと付いた敷布団は想像を絶する寝苦しさである。髪に付いた血は洗い落しづらい。そもそも、この病体を清めると言う行為は、レミリア本人にとっても、それを手伝う者にとってもかなりの重労働である。
レミリアは思わず深いため息を吐いた。先に待つこれらの苦難を思うと、ため息の一つでも吐いておかないと、やっていられなかった。
その瞬間であった。
腹の底から大量の液体がせり上がってくるのを感じた。反射的にレミリアは口をきゅっと噤む。怒涛の勢いでせり上がってくるそれを吐き出さぬように、と。
しかし、その即席の堤防は脆くも決壊する。せり上がってきた血反吐の一端が、上唇と下唇の隙間から強引に口外へ脱した。それに追随するように、流れてきた真紅の汚水が枕元へと飛び出した。
経験したことの無い程の出血であった。口だけでは飽き足らず鼻孔まで用いて、赤黒い血が体外へ脱して行く。呼吸がままならない。
多量の出血は死と直結することくらい、死と言うものとはおよそ無縁のこの吸血鬼も知っている。
窒息と出血――自分がとてつもない速度で冥府に近づいていると言うことを痛感する。
当然のことながら、レミリアは死を経験したことは一度も無いのだが、恐らくこの苦しみは死をも凌駕するものだろうと、急速に薄れて行く意識の中で感じた。
この日二度目の覚醒であった。
霧の中にでもいるかのように視界がぼやけている。目玉だけを動かして周囲を見ると、辛うじて長年連れ添った従者らしき人間の顔が見えた。
「咲夜……?」
問わねばならなかった。視界がぼやけている所為で、一目で傍にいる者が十六夜咲夜であるという確証がレミリアには持てなかったのだ。
果たしてレミリアの憶測は的中した。
名を呼ばれた従者が、咽び泣きながらレミリアの手を握る。冷たく、かさかさした、細すぎる、小さすぎる、まるで生気を感じることができない手を。
「お嬢様、お嬢様」
我慢の限界であった。咲夜は脇目も振らずに泣き喚いた。死の淵より生還したことを喜んでくれているのか、厄介者がまた生き延びたことを悲しんでいるのか、レミリアにはよく分からなかった。顔が――表情が見えないのだから仕方が無い。
「ごめんなさいね」
とりあえず謝罪した。
喜んでいてくれるのなら、心配かけてごめんなさいと。
悲しんでいるのであれば、死ねなくてごめんなさいと。
咲夜は兎に角泣いて、泣いて、泣きじゃくって、驚く程痩せ細ってしまったレミリアの体を抱きしめた。この抱擁で折れてしまいそうなくらい、体は弱り切っている。
従者の腕に抱かれながらレミリアは、きっと咲夜は喜んでくれているんだろうなと解釈し、ゆっくりと腕を持ち上げて咲夜の腰へ回し、微力ながら咲夜を抱きしめ返してみた。
*
その日の朝食の席で、咲夜はレミリアの重篤な状態を館内の関係者に語って聞かせた。病状は毎日報告していた。それ故に、急な症状が悪化は紅魔館の住民に多大な衝撃を与えた。
痛ましいどよめきの中で主の妹たるフランドールは、別に何ともなさそうな顔をして食事を続けていた。
食後、フランドールが咲夜へ歩み寄った。
「お姉様、死ぬの?」
冷然とした表現である。襟首から氷でも入れられたかのように咲夜が一瞬竦み上がった。しかしすぐに面持ちを直し、冷静に答える。
「死なせはしません」
フランドールは「ふぅん」と素っ気無く返事をし、地下室へ戻る道を辿った。
地下室へ帰る道すがら、神妙な面持ちで腕を組み、壁に縋っている俯き加減の美鈴と出くわした。
「どうしたの、美鈴。悩み事?」
飄々とした口吻で声を掛けると、美鈴は驚いたように顔を上げた。それから、万人が見た途端に見破れる程の下手糞な作り笑いを浮かべた。
「いいえ。何でも無いですよ」
直前までの物憂げな表情からしても、今現在の作り笑いからしても、何でも無いなんてことは絶対にあり得ないのは明白であった。
「お姉様のことでしょう?」
得意げにフランドールが言う。
美鈴は心の中を見破られてしまった訳だが、驚く素振りさえ見せず、苦笑いを浮かべて言う。
「ええ。……あんまり気に病み過ぎるのはよくないっていうのは分かっているつもりですけど、やっぱり心配なものは心配でして」
当主が生死の境を彷徨っているような状況で、こんな風に消沈していては余計に雰囲気がげんなりしてしまうではないか――と言う配慮と、素直な憂慮の心が格闘しているのである。
そんな調子な美鈴を、フランドールは一笑に伏した。
「小難しいこと考えてないで、いつも通りに生活してればいいのよ」
当主の妹が発したこの発言を、美鈴は叱咤激励の類と受け止めたようである。少し冷た過ぎる感じがするが、それさえ強がりだと、美鈴は受け取った。――或いはそう思いたかっただけかもしれない。
「そう、ですよね」
俄かに、微かではあるが、美鈴の表情が明るくなる。
湿っぽい空気を払拭してやったわ――フランドールはいくらか気分がよくなった。
ふと進行方向に視線をやってみると、居候のレミリアの友人であるパチュリー・ノーレッジと、その魔女の助手の様な役割を担っている小悪魔が立っていて、フランドールの方を見ていた。二人の瞳は大いなる侮蔑の念が込められていた。姉の死を悲しむ様子がまるで見えないフランドールがどうしようもない下衆のように見えているのであろう。
パチュリーらのこう言った刺々しい視線には慣れていた。彼女らのフランドール嫌悪は、別に今始まったことではないからだ。
「じゃあね、美鈴」
努めて明るい声と表情と動作で門番に別れの挨拶をし、フランドールは美鈴の元を去った。
進行方向に立っているパチュリーらとはどうしてもすれ違わざるを得ない。努めてそちらを見ないようにして、フランドールは足早に二人の横を通り過ぎて行く。
「お前が死ねばいいのに」
小悪魔が呟いたのが聞こえた。いや、聞こえるように言ったのだろう。フランドールは無視した。
地下室がこんなにも愛おしく感じる日が来るとは思わなかった――埃っぽい高級ベッドに横たわりながらフランドールは思った。
上階は今、悲しみと混乱に包まれており、立っているだけで疲労が蓄積してくるような感じがして、どうしようもなく居心地が悪かった。地下室は狭いし退屈だが、そんなしみったれた空間にいるよりはここの方が遥かにましであった。
そんなことをだらだらと考えている内に眠ってしまっていた。
惰眠から目覚めた途端、何者かの視線を感じて横へ目をやった。古明地こいしが立っていた。
「あら。いつからそこに?」
何の気なしにフランドールが問う。
「二十分前くらい」
「ずっとそうしてたの?」
「ううん。うろうろしたり、本を読ませて貰ったりしてた」
「あ、そう」
まさに何の気無し――こいしが何をしていたかなど全く興味は無かった。
フランドールがうんと伸びをしている最中、こいしが問うた。
「レミリアさん、大丈夫なの?」
伸びがぴたりと止まった。起きてすぐに姉の話かと、フランドールは些かうんざりした。
はあ、とため息を一つ吐いた後、
「何だか危ないかもしれないって、咲夜が言ってたよ」
他人事のように言う。
「会いに行かないの? 会えなくなるかもしれないのよ? すぐ上にいるんだから……」
「行かないよ」
フランドールが低い声で呟き、こいしのお節介を阻止した。寝起きで気分が悪いのか、姉の話を聞くのが嫌なのか、こいしには測れなかった。
こいしは敢えて黙った。フランドールの言葉を聞いてみたかったからである。彼女が希望した通り、フランドールは話を始めた。
「前も言ったけど、私をこんな所へ幽閉するあいつに掛ける情けなんて無いの」
「レミリアさんは会いたがってるかもしれないよ?」
「だったら尚更行きたくないわ。むざむざあいつの望みを叶えてやるなんて。今まで私を差し置いて何の不自由も無く生きてきたんだから。最後の望みくらい叶えないで送り出してやりたいわ」
笑いもしないでフランドールはこう言い切ったが、
「不自由なく生きてきた――ってので思い出したけどさ」
突然こんなことを言い出した。その途端、フランドールはにやりと怪しい笑みを浮かべた。
「お姉様が死んだら財産の相続って言うイベントが待ちかまえているのよ」
「財産相続?」
「そう」
ここでフランドールがめ一杯、両腕を横に広げた。この館全体を表すかのように。
「この紅魔館にあるあらゆる価値のある者を、誰かに譲るのよ」
「へえ。すごいねえ」
「そう。すごいのよ」
「それって誰のものになるの? やっぱり妹だから、あなたなの?」
「その可能性が高いって私は思っているわ」
ここまで言うとフランドールは、堪え切れなくなったようにけたけたと下品な笑い声を上げた。お腹を抱えて、ベッドの上で転げ回る。こいしはうんともすんとも言わないで、妹の醜態を眺めている。
「すごいでしょ? 腐る程のお金が私のものになるかもしれないのよ! この館も、宝石も、金貨も銀貨も紙幣も全部! 今まで勝手にこんな黴くさい埃っぽい暗室に閉じ込めてきた私が、たった一人の吸血鬼が死ぬってだけで、大きな館と巨万の富を手に入れるのよ! 毎日馬鹿みたいに真面目に働いてるメイド達って、この事実をどんな風に受け止めるのかしらねえ」
下品な笑いは粗暴さと凶暴さを孕み、ゲラゲラと言う聞くに堪えない笑声に変貌していく。
それでもこいしは眉一つ動かさない。淡々と、取り留めのないことを考えていた。
――フランドールは怒っているんだ。寒々しい闇に隔離され続けてきた彼女は、遂にこの闇から脱する機会を得ようとしている……このことが、嬉しくて仕方が無いんだ。
こいしの心情など知る由も無いフランドールは更にこんなことを言った。
「もしそうなったら、こいし、あなたに何か好きな物買ったげる。友達の証として」
「まあ。本当? それは楽しみだわ」
なるべく喜ぼうとして言葉を選んだのだが、心と演技力が伴っておらず、かなり中途半端で白々しいものとなった。
上気しているフランドールはそんなこと気にもしないで、相変わらず笑っていた。先程のような下賤な笑い声はもう発していないが、それでもおかしさを堪えられないのか、肩を震わせている。
こいしは気分が悪くなったので、無言のまま地下室を後にした。フランドールは去って行くこいしに一瞥くれてやることもなかった。
フランドールに会った後はレミリアの所へ――こいしのお決まりのパターンである。今日も例に漏れず、意図せずしてレミリアの居場所への案内人と化す十六夜咲夜を探して館内を歩き回ろうと決めていた。
その直後で、
「ちょっと、あなた」
声を掛けられた。こいしが振り返る。咲夜がいた。寝不足か、泣き腫らしたのか、その両方か、とにかく目が赤い。
こいしは幸運な偶然に顔を綻ばせた。相手から声を掛けてきたが、向こうの用件などお構い無しで開口する。
「丁度よかった。レミリアさんに会いたいんですけど」
そう言うと、咲夜はこっくり頷いて見せた。
「私もあなたをお嬢様に会わせたかったの」
こいしは目を剥く。
「どうして?」
「お嬢様の要望だから」
案内されたレミリアの部屋は相変わらず暗く、静かであった。部屋主が満足に動けない体なのだから、その様相に変化が無いのは至極当然である。
しかし、隠し切れない程の血の香りと死の陰りが部屋に充満していることを、こいしは敏感に感知し、思わず顔を顰めた。
「お嬢様。古明地こいしをお連れしました」
こいしの背後に立った咲夜が言う。
「こんにちは。お邪魔します」
こいしも律義に挨拶をしたが、前述したような負のオーラに気圧され、入室を躊躇した。しかし、程無くして咲夜に背中を押されて入室した。
「ああ、こいし」
聞き覚えの無いしゃがれ声で名を呼ばれたこいしは、思わず周囲を見回してしまった。咲夜と、自分と、レミリア。この三人以外に、この部屋に誰かがいるのだろうか、と。
しかしすぐに理解できた。あの声はレミリアのものなのだということを。
――どれ程重たい風邪を引いたらこんな声になれるだろうか?
なるべく自分の生活に密着した発想でもって考えてみても、見当もつかなかった。
こいしがベッドに歩み寄る。前にも増してやつれたレミリアが、ベッドに横たわっている。
「こんにちは」
こいしが改めて挨拶をすると、レミリアは端に血を引っ掛けたまま口元を釣り上げた。
直視することさえ難儀な程凄惨たる状態に陥って尚、生物とは笑えるものなのかと、不謹慎ながらこいしは感心してしまった。
こいしも思い出すのも憚れるような陰気な過去を持っていて、その苦難の末に心を閉ざすと言う大それたことをやってのけた。きっとあの頃は、こいしも姉であるさとりも極限の状態まで追い詰められていたのだと思われるのだが、あの時自分がこんな風ににこりとでも笑っていたとは、こいしはどうしても思えなかった。
レミリアがゆっくりと手を伸ばし、こいしの頬に触れる。吸血鬼の手はがさがさしていて、それでいて冷たかった。あまり快くは思えなかったが、不快感を表面に出すのは躊躇われ、こいしは無関心を装った。
「よく来てくれたわ。嬉しい」
苦しげな呼吸をしながらレミリアが言う。
「うん。どういたしまして」
こいしも素直な返事をした。
「どうしても、あなたに会いたかったの」
「さっき咲夜さんから聞きました。ですから、あんまり無理して喋らなくても」
「そう」
レミリアはそこで言葉を区切った。あまり続けざまに言葉を紡ぐことができないようなのである。衰弱が著しいことが窺える。
ほんの二言三言の言葉を交わしただけで、レミリアは激しい運動でもしたかのように呼吸を荒げた。額には玉の様な汗が浮かぶ。
扉の際に立って二人の様子を見ていた咲夜が、主の身を案じて駆け寄ろうとしたが、
「いいわ、咲夜」
レミリアがそれを制した。主の命令には従順だが、流石の咲夜もこれを聞き入れるべきか逡巡したようで、表情に当惑の色が浮かぶ。
レミリアは、ベッドの脇にあるテーブルに置かれた水差しの水を乱暴に飲んで喉を潤した。それでも気分が晴れることはなく、尚も苦しそうに息を吐く。
口の周りを掛け布団で雑に拭うと、
「咲夜。席を外して貰える?」
こんなことを言う。咲夜は目を見開いた。
「し、しかしお嬢様」
身体や病状が心配だから付き添いたい――と言いたかったのだろう。しかしその従順で優しい言葉は、レミリアの鋭い眼光にせき止められた。病に倒れ、大量の血を吐き、その命の灯が気まぐれな風に弄ばれてゆらゆらと頼り無げに揺れている今も尚、レミリアはやはり吸血鬼であった。視力を失いつつある瞳に宿った高貴な輝き。無言と言う名の最大級の圧力――咲夜は、主が人ならざる存在であるということを再認識する。
深く一礼し、咲夜は部屋を出て行った。
咲夜を沈黙せしめた瞳の陽炎があまりにも恐ろしかったもので、こいしはやや不安げに後ろを振り返ってフォローを求めたのだが、咲夜はこいしに何か言葉を掛けることもしないで、部屋を後にしてしまった。
レミリアの私室には、古明地こいしとレミリア・スカーレットの二名だけが残った。
意を決したようにこいしがレミリアの方を向き直す。
「レミリアさん。一体何の用なんですか?」
こいしが問うと、レミリアはゆっくりと起き上がり始めた。
「無理はいけません」
こいしが止めようとしたが、レミリアは聞こうとしない。仕方が無いので、こいしはそれを補助した。
こいしの助けを借りて、レミリアは朽木のような脚を投げ出してベッドに座する。座っている状態を保つことさえ苦しいらしい。
「ありがとう」
状態を起こすのを手伝ってくれたことに礼を言う。
こいしは何も言わずにレミリアの言葉を待った。信頼を置く従者を部屋から追い出して二人きりにしたくらいなのだから、特別な用事があることは明白である。
相手は無理のできない体なのだからと、こいしは急かすことなく、レミリアのタイミングで話が進むのを気ままに待った。
数十秒の間を置いて、レミリアが開口する。
「頼みがあるの」
こいしが無言で頷いて返す。
「とても急なことで申し訳ないと思う。私もまさか、自分がこんな体になるとは、思ってもいなかったものだから」
心を閉じた覚妖怪は再び頷いて話の先を求める。
「このお願いはね、私の悲願なの。責任重大。これが達成されなかったら、私は、死んでも死に切れない」
こいしはやはり頷いて応えた。……が、その動きは前の二回の礼程、はっきりとしたものではなくなっていた。一体何を頼まれるのか想像もつかないが、レミリアの物々しい言葉の数々から、些かの緊張を覚えたのである。
レミリアは一度深呼吸し、何か喋ろうとして口を開いた。しかしそこで言葉を選ぶように固まってしまった。
十数秒経過し、選ばれた言葉が放たれる。
「相続を」
こいしは己の耳を疑った。
「え?」
聞こえていなかったか――そう勘違いしたレミリアは、先程よりもはっきりとした声色で、再び言う。
「相続を、お願いしたいの」
*
十六夜咲夜は廊下で酷くもどかしい時間を過ごしていた。
時間を操る能力を使って、時の流れをこれ以上無いくらい緩慢にし、やるべき仕事を終わらせて、すぐにレミリアの私室の前へ戻った。
昼食の準備に、その後片付け。夕食の準備と片付け。入浴など、必要最低限の行い以外の時間は、ずっとそこらをうろうろして過ごしていた。
中で一体何をしているのか、気にならない訳がない。しかし、退室を命ぜられた部屋の中の様子を覗き見るなどと言う不敬な行いは、咲夜にはどうしてもできなかった。
だからこの悪魔の犬と揶揄された従順過ぎる人間は、レミリアが呼び出すか、こいしが出てくるかするまで、地獄の様な長い『待った』を喰らわされることとなったのだが……。
咲夜にとっての地獄が終わったのは、日にちが変わって明け方になってからのことであった。
主の世話に館内の雑用とやることが立て込んで、疲労困憊であるにも関わらず、眠ることもせずにレミリアとこいしの密談の終焉を待ち続けて、レミリアの私室の入口付近で待機を続けていた咲夜であったが、この時間になって遂にうとうとし始めてしまい、気付いた時には廊下に座り込み、壁に凭れて眠っていた。
ふとした瞬間に目を覚ました。眠りこけてしまっていた自分の愚図さを呪いながら、主の私室の方へ目をやると。
古明地こいしが立っていた。
レミリアの私室の扉の真ん前に立って、絵画が掛けられている訳でも、窓がある訳でもない廊下の壁をぼんやりと見据えている。
「こいし!」
咲夜が声を上げ、彼女に駆け寄る。こいしは首だけ動かして咲夜を見た。
二人の視線が合ったその瞬間、こいしの瞳からつつと透明の雫が零れた。あまりにも透き通っていて、あまりにも美しい、どこか近付きがたい純潔さ――咲夜は思わず駆けた脚を止める。
こいしは体ごと咲夜の方へ向き直ると、
「レミリアさんが死んでしまいました」
そう言って、死した当主の亡骸が横たわる部屋を指差した。
あまりにも素っ気無く、淡々とした口調。咲夜は初め、こいしが何を言っているのかを理解することができなかった。
「死因は病死です。安からにお眠りになりました。表情を見て頂ければ分かると思います。テーブルの脇に遺言書が置いてあります。遺産の相続について書かれていますから、第三者を招いてこの館の関係者全員の前で読んでもらうといいでしょう」
こいしが無感動な口吻で次々と状況を説明していく内に、ようやく咲夜と現実とが繋がりを持ち始めた。そして、信じたくもない現実を着実に認識し始めた。
堤防が決壊したかのように涙が、悲鳴が、悲しみが溢れて来た。直立を支えていた骨と言う骨が軟化したかのように廊下のど真ん中に崩れ落ち、年齢不相応な泣き声を上げる。
こいしが咲夜に歩み寄り、その頭を撫でた。咲夜は滅茶苦茶に泣き喚きながらこいしに抱き付いた。ぽろぽろと控え目な涙を零しながら、こいしは咲夜の頭を撫で続けた。
*
幻想郷全土を騒然とさせた吸血鬼の死から数日後。
実質、この幻想郷を管理していると言っても過言でない博麗の巫女の紹介で、閻魔が紅魔館へやってきた。
遺言開封の日である。第三者に読み上げて貰うといい――と言うこいしの言葉を汲んだものだ。実のところ、こいしがレミリアにそうするように言っておいてくれ、と願われただけのことであったが。
会場となった紅魔館の食堂に多くの者が集結している。
先ず遺言を読み上げる役である閻魔。
続いて、遺言の内容についての不満が爆発して騒動が起きた場合に、それを解決する役を担った博麗の巫女に、守屋神社の風祝。
それから紅魔館の関係者全員。当主の実妹に、従者兼メイドの長。友人である魔法使いとその助手の小さな悪魔。門番の妖怪。そして沢山の妖精メイド。
そういった群から離れた所には、古明地こいしがぽつんと突っ立っている。レミリアが遺言の読み上げには是非参加してくれと言ったのだ――とこいしは言い張った。事実を確認することはできなかったが、生前の二人の関係の良好さは十六夜咲夜を始めとするほとんどの者が証明したので、こいしもその場に立ち会うことになった。
「静粛に」
閻魔が声を張り上げる。小さな身体ながら、よく通る、張りのある声である。瞬く間に食堂はしんと静まり返った。人でない者のあつまりでありながら、妙に畏まった雰囲気は慣れないようで、博麗の巫女が居心地悪そうに小さなため息を吐いた。
「これより、紅魔館当主、レミリア・スカーレット嬢の遺言書を読み上げます」
私情を挟んではいけない――公正中立を重んじる閻魔は、余計な言葉を一切省いて、遺言の封を切った。
妖精メイド達の大多数は、レミリアの遺産などまるで興味が無い。と言うか、完全に自分達が蚊帳の外であることを理解している。閻魔や風祝や巫女も、当然のことながら無関係であることを自負している。
会場におり、且つこの遺言の内容を最も気にしているのは、妹とか、居候の友人、従者と言った主要な人物である。
古明地こいしは遺言の内容をある程度知っている。何故ならあの遺言は、こいしとレミリアが二人きりになったあの時に書かれたものなのだから。
高級で手触りの良い便箋を閻魔が広げ、そこに書いてある文を読み上げる。
「わたくし、紅魔館当主、レミリア・スカーレットの死に際し、残された遍く財産は……」
フランドール・スカーレットがごくりと生唾を飲み込んだ。
「実妹、フランドール・スカーレットに相続する」
これを聞いた瞬間、フランドールは「やった」と小声で囁き、ぐっと拳を握った。もしかしたら姉は自分を差し置いて、従者や友人に遺産をくれてやるのではないかと危惧していたのだ。
反対に、パチュリー・ノーレッジはいたく不服そうである。自分の手に渡らなかったことが気に食わないのではなく、フランドールの手に渡ったことが気に入らなかったのだ。
その後には遺産の内約がつらつらと綴られていた。
そのあまりの規模の大きさに、妖精メイド達はひそひそと耳打ちを打ちあっている。どれくらいのお菓子が買えるんだろうろか、そんなみみっちい例え話で、財産の膨大さを語らい合っている。
これはとんでもない遺産ね――と、巫女が風祝に囁き掛ける。風祝の少女も想像以上の紅魔館の財力に唖然としている。
しかし、フランドールはそんなものには耳も傾けない。何やらいろいろあるようだけれど、とりあえず全部自分のものなんだ――そんな余裕が窺える。
遺産の内容は、先ず紅魔館と言う館そのものから始まる。それから紙幣に硬貨、金や銀などの貴金属、色も大きさも様々な宝石、家具、絵画、骨とう品、館内でのありとあらゆる権限――遍く生命の一生涯に付き纏う『不自由』を尽く取っ払ってしまう要素の数々。それらが閻魔の口から淡々と放たれていた。
……が、不意にそれが途切れた。
不自然な途切れであったから、その場にいた誰もが不審に思い、閻魔の方を見直す。
これまで私情を介入させず、淡々と、そして流暢に遺言書を読み進めていた閻魔であったが、ここへ来てどうしても不可解な一単語を見つけてしまい、言葉に詰まってしまったのだ。
すぐに自分の失態に気付き、
「失礼しました」
と一言添え、
「ええと……“闇”」
確かに閻魔は『闇』言った。
相続する財産の内約を言い連ねて行く最中に飛び出した『闇』と言う単語から感じられる圧倒的な不相応さ。誰もが顔を顰めた。
――闇の相続とは一体何だろう?
「レミリアさんは吸血鬼ですから。闇とはお付き合いが深いではありませんか。きっと私達には理解できない、不思議な何かがあるんですよ」
怪訝な顔をしてあれこれ考察している巫女に、風祝が私見を述べた。
試しに巫女は従者や図書館の魔法使いの表情なんかを窺ってみたが、その者らも随分困惑しているようであった。
しかしフランドールだけは不敵ににやついている。
――あいつは“闇”の意味を理解してるんだ。
そうと分かると、相続内容にある闇と言うものも、別段おかしなものには感じられなくなった。傲慢で高貴な吸血鬼のことだから、紅魔館当主となったお前は夜を支配する身となったのだ――と言ったようなことを、少々洒落を利かせて表現したのだろうと、巫女は解釈した。
一つの謎を残しながらも内約の説明は進んで行き、ようやく閻魔がそれを言い終えた。
おしまいか――と、フランドールが立ち上がろうとした、その瞬間。
「備考」
閻魔がまた新たに言葉を紡いだものだから、フランドールは勢いを空回りさせ、大袈裟にテーブルに伏した。
「何よ、まだ何かあるの?」
フランドールが不機嫌そうに言う。閻魔は無視して遺言書に書かれていることを口にする。
「一、信頼の置ける第三者の目から見て、フランドール・スカーレットが相続に値しない人物であると判断された場合、即座に相続を無効とし、全ての財産は十六夜咲夜を中心として、紅魔館内で不服が出ないよう分け合うこと」
――品行方正にしろってことか。あいつの考えそうなことだわ。
随分とかわいらしい内容であったものだから、フランドールはふんと鼻で笑った。
「二、フランドール・スカーレットへの財産の相続は、全ての財産を相続する準備が整い次第、一斉に行うものとする。相続が完了するまでの期間は、十六夜咲夜を中心として厳重に財産を管理すること」
金や館や家具等々の財産は、全て一度にフランドールの手に渡る――つまり、貴金属は今日、明日は宝石……と言うことができないと言うことである。別にフランドールに不服は無かった。結局自分のものになることに変わりは無いのだから。
……しかし。
「尚、相続の時機は古明地こいしに一任する」
流石にこの一文には度肝を抜かれたようで、
「はあっ!?」
素っ頓狂な声を上げた。
フランドールのみならず、古明地こいしを除く全ての者が、この遺言の内容に驚いた様子である。
妖精メイド達のひそひそ話の声は意図せずして大きくなり、堂内の騒めきはより大きなものになった。
咲夜や美鈴などの主要な人物は流石に場の雰囲気を読み押し黙っていたが、その顔色には困惑の色が窺える。
面倒な方策をとったものねと、博麗の巫女も呆れたように首を横に振る。風祝は黙ったままであるが、改めて人ならざる者の考えていることの理解し難さに困惑している様子である。
妖精メイド達がどよめくのも無理ないことである。古明地こいしは地底の妖怪なのだ。紅魔館とは友好的な関係があると言うだけで、血縁関係は愚か、働いていると言う事実さえ無い。そんな妖怪が、館の当主が遺した財産の相続に絡んでくるなど、誰が予測できるであろうか。レミリアと二人きりになった事実を知っている咲夜でさえ、これは予期していなかったことであった。
相続の時機を任された当人たる古明地こいしはと言うと、別に何を思うことなど何も無いように、壁に背を預けて、少し癖のある髪の毛を弄ったりしていてすまし顔である。
フランドールが憎悪の眼差しをこいしへ向けている最中、閻魔は更に先を続ける。
「三、相続が達成される前に、フランドール・スカーレット、古明地こいしの何れか、若しくは両者が死亡した場合、直ちに前述した相続の規則を無効とし、全ての財産は十六夜咲夜を中心として、紅魔館内で不服が出ないように分け合うこと」
古明地こいしと言う名の二度目の登場――これまた理解し難い取り決めである。
「ちょっと待ちなさいよ!」
堪え切れなくなり、フランドールが机をバンと叩いて椅子から立ち上がった。堂内の視線と言う視線がフランドールへ注がれる。
「どうして地底の覚妖怪がしゃしゃり出てくる訳!」
「静粛にッ!」
金切り声を上げるフランドールを制する意を込め、閻魔が声を張り上げる。閻魔の大声には、吸血鬼をも押し黙らせる凄みがあるらしい。フランドールは言葉に詰まり、憎々しげ舌打ちを打って椅子にどかっと腰を降ろす。ついでに、ざわついていた妖精メイド達も口を閉じた。
蓄積されていく謎。誰もがこの謎について論議したい、若しくはその奇特さについて語らいたいと思っている。しかし、今の雰囲気はそれが許されない。堂内に渦巻くもどかしさで今にも爆発してしまいそうな危うい静寂に包まれた紅魔館の食堂に、随分声のトーンを落とした閻魔の声が響く。
「追伸、以上の記述に疑問を抱くかもしれない。しかし、私レミリア・スカーレットが古明地こいしにゆすられた等と言うことは一切ない。あくまでこれは、私レミリア・スカーレットが考案した相続のルールであり、古明地こいしはその協力者に過ぎず、財産の一部を受け取る権利は一切有していないということを、ここに明記する」
あまりにも衝撃的な項目が続いたお陰で、こんな追伸を読まれた所で、誰かが何か特別なことを思うことはなかった。
「これにて、遺言書の内容は終わりです」
閻魔は丁寧に遺言書を折り畳み、封筒に入れ直した。
「質疑応答の時間を設けます。お答えできる範囲で質問を受け付けますが……何かありますか?」
形式的に閻魔は問うたが、質問は無かった。聞きたいことはあれども、閻魔に聞いた所で解決しないのは明白であったからだ。
質問は無いと判断した閻魔は一礼し、食堂を出て行った。
閻魔が出て行った後、紅魔館の食堂は鼎の湧く様な騒めきに包まれた。その主成分は妖精メイドである。これと言った考えも持たないまま、レミリアが遺した一風変わった遺言書について、実りの無い会話を展開している。
そんなうるさいメイドを掻き分けて、フランドールは古明地こいしの元へ猛然と駆け寄ったのだが、その時にはもうこいしは忽然と姿を消していた。
*
財産の相続のタイミングは古明地こいしに委ねられている。それまで、遺言書に書かれていたあらゆるレミリアの財産は誰のものにもなっていないと言うことになり、書面に従い、咲夜が管理をすることとなった。
レミリアが元気であった頃から、生活費のやりくりなんかは咲夜が行っていたので、つまり今は状況に変化が無いと言うことに等しい。
遺言書を読んだのが昼の話であった。会場となった食堂の後片付けなどを終え、紅魔館の住民が遅めの昼食につく。
咲夜がサンドイッチを作った。緊張や心労、それから遺言書の不可解な点が齎した心のしこりなんかが原因であろう、大して食欲が無かった。故に咲夜の独断で大した量は作られなかった。
作った料理を配膳しておくよう妖精メイドに指示し、咲夜は住民に食事の準備ができたと告げに紅魔館内を巡る。
紅美鈴は私室で椅子に座り、ぼんやりと宙を見やっていた。
咲夜が私室のドアを叩いてみても、「はい」と覇気の無い返答をするだけであった。
咲夜が入室しても、美鈴は顔も合わせようとしないで、ひたすら宙を眺めてばかりいる。
「昼食の準備、できたわよ」
「はあ。今行きます」
紅魔館に住まう者の中では一番健啖な美鈴がこの状況だから、昼食の量を控え目にしておいたのは正解だったかもしれない――と咲夜は思った。
特に話したいと思うことは無かったので、咲夜はすぐに部屋を出て、図書館へ向かった。
図書館はいつ来ても大抵静かである。うるさいのは白黒の魔法使いが来ている時くらいだ。
パチュリー・ノーレッジは普段と変わらない様子で本を読んでいた。元々、表情の変化に乏しく冷静な人物だから、余計にそう見えるだけで、心は大時化のように荒れ狂っているのかもしれない。
「パチュリー様。昼食ができました」
咲夜の声に、
「ええ」
とだけ、物静かな魔女は応答する。本からは目を離さない。いつものことである。
巨大な本棚の後ろから小悪魔がひょっこり顔を出した。
「今日のお昼ご飯、何ですか?」
「サンドイッチ」
「そうですか」
とりあえず、変わらぬ日常を取り戻したい一心での一問だったのであろう。それ以上会話は続かなかった。無理に綻びを繕おうとするから、余計におかしく感じられる。
「ねえ、咲夜」
小悪魔の一問のついでに、とでも言うかのようなタイミングでパチュリーが開口した。
「何でしょう?」
今まさに図書館を立ち去ろうとしていた咲夜がくるりと振り返る。パチュリーは分厚い本を閉じてテーブルに置き、椅子から立ち上がった。特に汚れている訳でもないのに、手持無沙汰にぱっぱと服を叩きながら、
「どうしてレミィは、覚妖怪の妹を相続に絡ませたのか、分かる?」
古明地こいしは度々紅魔館へやってきてはいたが、レミリアとフランドール以外の住人との関わりはそれ程深くなかった。故に、こいしがこれ程にまで深く、紅魔館の遺産の問題に関係してきたことが疑問に思えたのであろう。
ただ、その様子に憤懣や不平の意は無いようである。接する機会が少なかったこいしの台頭が、ひたすら疑問なのである。
しかし、それは咲夜とて同じことである。『悪魔の犬』と誹られる程従順な従者として四六時中レミリアの近くにいた咲夜にも、レミリアの意志が全く読めていないのだ。
「申し訳ありませんが、それは私にも分かりかねます」
欲する回答は得られなかったものの、パチュリーは気を悪くした様子も見せない。
いい機会だからと、咲夜が付け加える。心中に抱かせているとある疑惑を、この魔女にも聞いて貰おうと考えたのだ。
「お嬢様が亡くなった日のお昼、古明地こいしと二人きりになった時間があります。お昼から、お嬢様の死亡が発覚した翌朝までと言う、とても長い時間です」
咲夜がこう切り出すと、パチュリーは興味深げに「ふうん?」と一言。その反応に後押しされ、更に咲夜は言葉を紡ぐ。
「あの遺言書はその時書かれたものだと思うのです。字面からして、健康な時に書いたものでないのは確かですし、そういうものを前もって書いていたということ、私は一切聞かされていませんから。……パチュリー様は何か心当たりはありますか?」
「無いよ」
冷淡な即答。
「ですから、……その、これはあくまでこれは私の憶測ですが」
と咲夜が言った所で、
「あの遺言書は古明地こいしが捏造したものだと思う……ですか?」
背後から声がし、咲夜は言葉を紡ぐのを阻まれた。咲夜が振り返ると、小悪魔がいた。小悪魔は僭越な真似をしたことを詫びるようにおどけた様子で一礼する。咲夜はしかし、笑むことができるような心境では無かったので、神妙な面持ちでこくりと頷いて小悪魔の茶々を肯定した。それからパチュリーの方へ向き直した。
パチュリーも理解を示すように大きく頷いたが、同意までは至っていないようである。
「だけど、あの遺言書の内容だと、覚妖怪の妹にはほとんど利益が無いじゃない。相続までの期日を伸ばせるくらいのもので」
「そうなんです」
「あの遺言書の文は間違いなくレミィの筆跡でしょう」
病気で弱った体で書いた字はぶるぶると震えていたが、レミリアの筆跡に間違いは無かった。
「だけど古明地こいしは、無意識を操ることができるのです。お嬢様は知らない間にこいしに書かされていたと言う可能性が無い訳ではありません」
「そういう工作の機会と信頼が、あの妖怪にはあった。それに加えて一攫千金の欲があったとする。その結果出来上がったのが内容の遺言書? 滅茶苦茶だわ」
パチュリーは軽くため息を吐き、肩をすかす。咲夜もゆっくり頷いて同意を示す。
「その、さっき言われた、お嬢様と古明地こいしが二人きりになった長い時間と言うものの中で何をしていたのかが気になりますね」
小悪魔が言う。
「それをこいし本人に聞いた方がいいかもしれないわね。それで全部が解決しそう」
いろんなことが立て込んで疲れている咲夜は、それ以上の思考を嫌うようにこう結論付けた。パチュリーも小悪魔も頷いて同意を示した。
「無駄話に付き合わせて申し訳無かったわね。昼食なんでしょう?」
「そうでした。すっかり忘れていました」
咲夜は忙しげに図書館を後にした。
館内にてんでんばらばらに行動している妖精メイドに適当に声を掛け、他のメイドを見つけたら昼食の準備ができたと知らせておくようにと告げて行く。
そして、最後に地下室を訪れた。
咲夜は緊張していた。きっとフランドールは、あの遺言書の内容に不満たらたらであると言う確信があったからだ。目と鼻の先にある金銀財宝の類が、自力ではどうしても手に入れられないのだから。おまけにその時機を操るのは赤の他人。その上。彼女の数少ない友人である。
気を立てた主が恐ろしかったように、気を立てた主の妹もまた恐ろしいのである。吸血鬼は暴れると手がつけられなくなってしまう。長らくこんな闇の中に隔離され続けてきた者が怒っている……その恐ろしさは並々ならぬものである。
咲夜は一度深呼吸すると、覚悟を決めて地下室への階段を下り始めた。
こつん、こつんと、革靴の踵が石質の階を叩く音が小気味良く、テンポ良く響く。同じように、僅かに荒いでいる自分の呼吸音も合わさる。長らく火が灯されなくなった燭台の横を通る度、空気の流れが微かに変化してヒュッと耳元で音が立ち、等間隔に並べられたそれの律動が加わった。
そこに、緊張感漲る一つの音楽が誕生していた。
今まで何度も降りてきた階段だ。それの終焉は感覚で分かる。
これからも何度も降りることとなるのだろうか――そんなことをぼんやり考えている内に、階の終わりまで残り三段と言う所まできていた。
大丈夫、相続に不適応と思われるような行動を妹様は絶対しないから――そんなことを自分に言い聞かせる。
最後の一段へ足を置こうとした、その刹那、
絶叫が迸った。
後にも先にも、最愛の主を失った咲夜が、この時以上に驚くことは、恐らくもう無い。
*
遺産相続についての堅苦しい文章の全文を聞き終えたフランドール・スカーレットは、すぐさま古明地こいしへ文句を言いに行こうとしたのだが、既にその姿は無く、渋々食堂を出て、目下自分の私室として宛がわれている地下室に向かった。
地下室に蔓延る不愉快で下劣な暗がりも、地下室へ続く苛々する程長い階段も、無骨で重たいばかりの鉄の扉も、殺風景な私室も、遺言も、古明地こいしも、従者も門番も魔女もその助手もメイドも、とにかく自分の生きる環境を構成する何もかもが気に入らなかった。
入室早々、ベッドに身を横たえた。しかし、腹の底は怒りの炎でふつふつと煮え滾っており、意識を不快な覚醒へと導く。眠れるような状態にはなかった。ベッドの上に大の字になり、暴力的に沸き立つ心が静まるのを待ったが、その時はなかなか訪れない。
そうやって面白くもない天井を眺めていると、不意に視界の横からひょいと少女が顔を覗かせた。あまりにも不意であったから驚きはしたが、いちいち反応してそういった態度を見せるのが癪であったので、フランドールは努めて平静を保ち、
「こんにちは、こいし」
視界に突如現れた少女に挨拶をする。
「ええ。こんにちは」
仰向けに眠っているフランドールの視界に急に顔を出した古明地こいしも挨拶をする。
フランドールがどんな気持ちで過ごしているか。こいしに対してどんな感情を抱いているか。それが悟れぬ程、こいしは愚かではない。曲がりなりにも覚妖怪――いやいや、そんな大層なことを言わずともよい。まともな感性と一定の知性さえ持ち合わせていれば、この悪魔の妹が自分に対し、殺意にまで昇華可能な程の憎悪を抱えていることを察するのは容易である。
そして事実、こいしはフランドールが自分をどんな風に思っているかを知っている。その憶測には寸分の狂いも無い。それでもこいしは、フランドールの元を訪れた。
「あんたさ」
フランドールが寝たまま大儀そうに口を開く。
「私がどんな気持ちか、分かる?」
「うん」
こいしが頷く。
「心の底から私がむかつくんでしょ」
「そう。分かっててよくここに来れたね」
「来ないと遺産相続が円滑に進まないもの」
こいしは淡々と言い返す。そのまま悪びれた様子も、怒れる相続人に臆する様子も見せないでベッドに腰掛けた。上等なシーツの感触を楽しむように、寝具を撫でる。
フランドールがゆっくりと起き上がる。
「どうしてお姉様はあなたを選んだのかしら」
フランドールが問うたが、
「私もそれは聞き出せなかった。教えて貰えなかった」
こいしはシーツを撫でながら言う。
「私に対する嫌がらせかしら?」
「それは無いんじゃない」
「何故?」
「嫌がらせしたいなら、『フランドールには遺産をびた一文渡さない』って遺言書に書けば済む話になるから」
こいしがこう言うと、フランドールはハッと、死した姉を馬鹿にするような短い笑い声を飛ばした。
「そんなこと書かれたら、私は障害物をみんな壊して財産を奪うまでだわ」
「ほらまた、そうやって短絡的な……」
ここまで言って、こいしは口を閉じた。これ以上言わない方がいいと思ったのだ。しかし、別にフランドールが怖かった訳ではない。フランドールはギロリとこいしを睨みつけているが、こいしはそんなもの蚊程にも感じてない。……寧ろ、噛まれたら痒くなる蚊の方がよっぽど厄介かもしれない。
フランドールはこいしが自分を恐れないことに些か疑問を感じていたが、遺言書の内容を思い出してすぐにその答えを弾き出した。
財産相続前にこいしが死んだら、財産は咲夜を中心に紅魔館の住人に分配する。この一文を盾にしているんだわ――。
厄介な遺言書がまたも自分を苦しめる。ほとほと姉は自分を幸せにするのが嫌なのだと、改めて思った。
昔の気の触れた彼女なら激情に任せて大暴れしたことであろうが、フランドールはここで落ち着けるだけの理性を、この長い幽閉生活の中で身に着けていた。それは社会に適応した能力と言うよりは、自分の要求を通す為に最低限必要な行動としてしか捉えていない、ひどく利己的な理由であったが。
暴れるだけでは解決できない。暴れる時は暴れる、黙る時は黙る――暴君が手に入れた厄介な知恵である。
「ねえ、こいし?」
苛立ちを隠しつつ出した甘ったるい科を作った声。なかなかの演技力である。
「何?」
声色の激変さえ物ともしないで、こいしは無防備に、淡々と返事をする。
「前に約束したよね。財産相続できたら好きなもの買ってあげるって」
「うん。したね」
「あれを叶えたくない?」
「叶えたいよ。私、レコードプレイヤーが欲しいんだ。香霖堂に売っているけど、高くてとても手が出せないの」
「じゃあ、それ買ってあげるよ。財産を手に入れたらね」
「嬉しい。ありがとう」
演技する気さえ無いようなこいしの淡泊な口調。心の底からそれを欲しがっているとフランドールには思えないのだが、この際こいしが何を欲しがっているかなどどうでもよかった。
「早く欲しいでしょう、レコードプレイヤー」
「欲しいね」
「だから、ねえ? 早く私に遺産を相続してよ」
これまでほとんど即答で会話を続けてきたこいしが、急に黙ってしまった。フランドールはもどかしげに付け加える。
「遺産相続の時はあなたに一任されている。あなたがやると言わなきゃ、お金が手に入らない」
「だって、相続は全ての財産を相続できる準備が整ってからやることだもの」
「何? 準備ができてないの? 意味が分かんないんだけど。金も宝石も骨董品も、全部この館内にあるじゃない! 準備って何よ? 分かるように説明しなさい」
「闇」
冷たく、そして迅速に、ぽつりと放たれた一言。鍾乳洞から垂れ落ちた水滴が一粒だけ水溜りに落ちたような寂しさ。正体不明の威圧感を覚え、フランドールは押し黙ってしまった。
「闇の相続がまだできない」
フランドールはここでまた一つの難題の存在を思い出して、心中で舌打ちを打った。
あの閻魔の饒舌をも制止してしまった、謎の相続物、闇。
博麗の巫女はフランドールがその意味を理解していると思い込んでいたが、フランドールもその正体を知らないのだ。それに類するものを姉から見せられたことも無いし、姉が当主の座を継承した時にもそのようなもの、それを思わせるものは無かった。
不可解な遺言書の備考欄ばかりに意識が向いていて、すっかり忘れていたが、これも前当主の意向と同じくらい意味不明なものなのだ。
厄介なことが増えたことで、フランドールの憤懣が爆発した。
「だったら! さっさとその闇の相続ってものの準備を終わらせなさいよ! 私は早く財産が欲しいの!」
フランドールの金切り声は、暗い密室によく響いた。
シーツを慈しむように撫でていたこいしが、急にぱっと顔を上げ、フランドールをじっと見据えた。まっすぐ過ぎる瞳。不気味な眼光。生物は体のどこかの機能が停止すると、それを補うように他所が発達すると聞く。世にも奇妙で薄気味悪い『第三の目』を閉じたこいしは、残った二つの目がその不気味さを継承したのかもしれない。まるで蛇に睨まれた蛙のように、フランドールはその黒過ぎる瞳に捉えられて動けなくなってしまった。
「な、何よ」
何とか絞り出した一言。
「早く相続、したい?」
こいしが問う。
「当たり前じゃない」
フランドールは答える。
「そう。――分かった」
『そう』と『分かった』に奇妙な間が空いた。どこか気怠そうな、しかしその間に何かを決心したかのような。
こいしが右手で握り拳を作り、おもむろに自分の頬の高さまで持ち上げた。フランドールは動作の意味が分からず、怪訝な面持ちでそれを見守る。
次の瞬間、呆気にとられているフランドールの胸倉がこいしの左手に引っ掴まれた。そして間髪入れずに堅く握られた右の拳が顔面にめり込まれた。
本物の陽光を知らない地底の民特有の白い腕。
贋物の陽光も知れない吸血鬼が持つ色白な顔。
その二つが、均等に赤色の水玉模様を得た。フランドールの血である。
地下室に絶叫が響き渡った。
*
元主の妹の私室に定められている部屋から絶叫が聞こえてきた瞬間、咲夜は思わず脚を止めてしまった。階段と言う特異な足場を歩んでいたものだから、通常の歩行のように足を床に置くことができず、前のめりに転んだ。
幸い階段を降り切る目前まで来ていたから大事には至らなかった。中腹で転んでいたら、階段を転がり落ちて大怪我をしていたことであろう。
少し膝をすりむいたが、そんなことは気にも留めず、咲夜は地下室に向かって慌てて駆け出した。
「妹様! どうされましたか!」
レミリアは死んだのだから、フランドールが当主となる。いつまでも『妹様』と呼ぶ訳にはいかないな――などとこの頃は考えていたものだが、切羽詰まったこの状況ではそう言う気遣いは失念してしまっていた。
鉄の扉を開けようと手を掛けたが、人間の女性一人の力ではそう易々と開けられる代物ではなかった。
咲夜が巨大な鉄の扉と格闘している間も、部屋の中で突如始まった惨劇は留まることなく進行していた。
不意打ちで顔面へ放たれた古明地こいしの殴打は、フランドールの鼻の骨を易々と砕いた。鼻孔から血が溢れ出て、ついさっきまでこいしが撫でつけていたシーツを真っ赤に汚していく。
完全に混乱してしまったフランドールは、鼻から溢れる血を抑えるべきか、これ以上のベッドの汚れを阻止すべきかなどと言う、至極どうでもいいことへの対応に追われていた。鼻骨はいずれ治るであろうし、シーツの代わりだってある。しかし、命はひとつだ。目の前の少女が自分の命を狙っているかもしれない――そんな突拍子もなく非現実的な可能性への対応策は、フランドールの中に咄嗟には芽生えなかったようである。
出血に構ってばかりいるフランドールの髪をこいしが殴った方の手で引っ掴む。手に付着した返り血の一部が、フランドールの頭頂部に移った。
思い切り腕を引き、フランドールをベッドから引き落とす。顔から地面へ落とされ、傷付いた鼻をまた床に打ち付ける羽目となった。加えて口内が切れてしまったようで、血の味が口内に充満する。血を好む吸血鬼だが、自分の血と言うのは全く美味く感じられないものであるらしい。ただただ不愉快であった。
不愉快に加え、この上なく屈辱的で、どうしようもない憤怒の念が込み上げてきた。財産相続は滞るわ、突然ぶん殴られて鼻は折れるわ――。
「この、妖怪風情が――」
……妖怪風情がこの私に云々。そんな言葉は頭上から降りてきたかわいらしい靴の裏による一撃で阻まれた。中途半端に顔を浮かせていたものだから、またフランドールは顔面を床に突っ込むこととなった。
一発では足らぬと判じたのか、二発、三発と回数が重ねられ、都合八発もフランドールは少女の足に踏みつけられ、床と血生臭い接吻を強要された。
牙が欠けた。右目の視界が覚束ないのは大きく腫れてしまったからであろう。
遺産を貰うに相応しい人格が何がしと言われても、さすがにここまでやられてはフランドールも黙ってはいられない。
獣のような咆哮を上げ、右手に力を込めながら素早く振り返った。……しかし、その視界に、古明地こいしは映っていない。
この右手の力みは、殴打での戦闘を試みようとしたものではなく、フランドールの持つ「ありとあらゆるものを破壊する能力」を用いようとしたものである。彼女は自身の手中に、万物が持つらしい『破壊の目』を浮かび上がらせ、それを破壊することで、何でもかんでも壊せてしまうのである。
勿論彼女は、こいしの破壊の目だって見つけられる。それさえ潰してしまえば、否応なくこいしは破壊され、そして絶命する。
しかしフランドールの手に、目らしきものは見当たらない。殺したいのであればすぐにでも破壊の目を抽出すればいいものを、それをする様子も無い。
フランドールは破壊の目を『取り出せない』のである。
彼女が破壊の目を己が手中に握るには、対象が目に見えている必要がある。つまり、視界の及ばないくらい遠くにいるモノや、何かの陰にいて直視できないモノは破壊の対象外となってしまう。
では、この地下室はフランドールが目標を見失う程の広さがあるのかと言うと、そんなことは無い。また調度品の類も疎らで、殺風景であると言うのは前にも述べた通りだ。それにも拘わらずフランドールは、古明地こいしを視界に捉えることができない。見つけられない。
理由は簡単だ。こいしが無意識を操っているからである。
フランドールはこいしを意識することができないのである。
意識できないと言うことは知覚できないと言うこと。知覚できないのであれば、今のフランドールにとって古明地こいしは存在しないに等しい。
「どこにいるッ! 出て来なさい!」
フランドールが声を張り上げる。
確かに部屋として見ればこの地下室は広々としてはいるが、何者かを見失うような構造では無い。しかし、完全に彼女はこいしを見失っている。
部屋主の雄叫びの残響が消え失せて、部屋には鉄の扉を開けようと苦心する従者の声ばかりが響く。部屋のどこかにいるかもしれない、見えない敵を見つけようと躍起になっているフランドールに、その音はどうしようもなく邪魔なものであった。
咲夜は頻りに室外からフランドールの安否や現状を尋ねていたが、
「うるさいッ!」
フランドールに一喝されて押し黙ってしまった。がちゃがちゃと焦燥感溢れる金属音を鳴らし続けていた鉄の扉も黙った。
さて、こうしてこの地下室は瑕一つ無い静寂に支配され、闃然たる世界と成り果てた。音も無く渦巻く殺意。狂気を孕んでずしりと重たく感じられる空気――フランドールは完全に恐怖している。自分に危害を加える存在が同じ部屋におり、同じ空気を吸っていると言うのに、その気配が感じられないのだ。これ程おかしな状況に立ち会ったことは、フランドールはこれまでただの一度さえ無かった。
不意に、視界の端に古明地こいしが映り込んだ。形容し難い色をした癖のある髪がさららと音を立てる。
フランドールは咄嗟にその一瞬こいしが映った方へ目をやるのだが――やはりそこにこいしはいない。知覚ができない。注視できない。捉えられない。無意識の中でその姿を見つけても、意識して彼女を見ることができない。破壊の目は生まれない。それどころか、拳の一発さえ当てることも叶わない。
そこに立っているというだけで生命力を削られていくような緊張感に蝕まれた空気の中に佇むと言う極限の緊張感。段々と夢と現の境が曖昧になっていき、今自分が立っている世界が現実でないような感覚に陥ってしまう。点在する調度品の輪郭がぐにゃりと曲がる。壁を成す煉瓦の四角い模様がカタカタと音を立てて動きそうに思えてきた。頭がずしりと重くなり、呼吸が荒くなり、耳鳴りまで聞こえ始めた。
認め難い屈辱と耐え難い恐慌。その双方が織り成す極度の緊張の最中、ようやくフランドールは古明地こいしの居場所を突き止めた。背後だ。
こいしの白くしなやかな腕がフランドールの首に絡み付く。左腕の二の腕部分が気道を塞ぐ。その手が突っ撥ねられぬようにと、右腕で手首の辺りを抑え込み、強固な錠とする。
敵の居場所に気付いたと言うより、この絞首のお陰で敵の位置を捕捉することが出来たというだけのことだ。よって、こいしの位置を知る頃にはフランドールはもう完全に動けなくなっており、ただその細い腕に気道を抑えられるばかりである。
これまでの打撃とは比肩できないくらいの速度で意識が遠退いていく。振り解くことは叶わない。こいしはこのような体術に長けている訳ではないが、それはフランドールも同じだ。所詮は素人同士の争い。逃れる術を持たない者同士なら、技を掛けた方が有利なのは明白であろう。
力ずくでいかないなら――と、フランドールは残り滓のような力を掻き集め、右手に“目”を生みだした。古明地こいしの破壊の目である。
これさえ潰すことができれば……と言うフランドールの苦肉の策は達成されなかった。しかし、絞首から逃れると言う当初の目的は達成された。流石の覚妖怪も、破壊の目を潰されては堪らないと、拘束を解き、また他者の意識の及ばない現実の陰へと身を潜めたのである。
拘束から逃れたフランドールは前のめりに倒れ、床に手を付き、少女らしからぬ醜く荒れた呼吸を繰り返し、酸素を体内へ急速に取り込んだ。本当はこんな悠長な真似をしている場合ではないのだが、それが今まで地下室に逼塞し続けてきたフランドールの詰めの甘さと言った所であろう。
目標が知覚できない存在となってしまった為、破壊の目は消えている。それを悔やむこともしないで、フランドールは生き延びられたことをまず喜んだ。
粗方呼吸が整った所で、ようやくフランドールはまだ自分が危機から完全に脱することできていないと言うことに思い至った。大きな音に驚いた猫のように飛び跳ねて周囲を警戒し出した。――彼女には知覚できていないので見える筈が無いのだが、その時の吸血鬼の様子を傍から見ていた古明地こいしは笑いを堪えることができなかった。
「また来るね」
不意に耳元に響く覚妖怪の声。嘲笑の余韻が感じられる。フランドールは即座に振り返り、その勢いを利用して腕を薙いだが、空気をかき回す以外の成果を上げることはなかった。
殺気が消えた。意識できない敵はまだ室内にいるのかもしれないが、ひしひしと伝わって来ていた殺気は消えてしまった。
フランドールは心の底から安堵し、その場にぺたりと座り込む。
同時に、フランドールに叱咤され、室外で間誤付いていた咲夜がようやく部屋へ入ってきた。傷だらけのフランドールを見て、それはそれは驚いた。
「フランドール様、一体何があったのです!」
咲夜が悲鳴にも似た声で問う。次の瞬間には薬が用意されていた。時を止めて取りに行ったものである。
咲夜が応急処置を施す。焦燥と混乱からか、やや手付きが荒っぽく、消毒液がいつもより染みた。
しかし今のフランドールはそんな細やかな痛みに構っていられるような心境では無かった。
――早く相続、したい?
こいしの口ぶりからして、先程の暴虐は遺産相続と何らかの関係があるらしいのだが、フランドールには姉の遺志が、そして古明地こいしの意図が、まるで理解できなかったのである。
怪我の応急処置が済むと、フランドールはまた私室に籠って、ベッドで横になっていた。退屈だからではなく、本当に体が動かせなくなってしまったのである。絶対安静、と言うやつだ。
咲夜が今日一日お供しましょうかと気を利かせたが、フランドールは断った。一人になりたかったのだ。こんな無様な姿を、これから自分の従者となる人間に見せていたくはなかった。
めいめい吸血鬼の館の当主となる者が、華々しさも何も無い地下室に逼塞し、自分の血で汚れたベッドに横になり、急襲による大怪我の痛覚に悶えながら、我が身を護る術を考える――想像してみたら、涙が出てきそうになる程情けなかった。
古明地こいしは「また来る」と言って、風のように去って行った。フランドールはまたあの暴虐を受けなくてはならないのかと思うと、まともに暮らしていける気がしなかった。
こいしが自分を殺す気でいるのならば、今度のように真正面から正々堂々甚振りになど来ず、暗殺でも企ててくるかもしれない。こいしにはその力がある。
しかし、彼女の言葉を信用するのであれば、一体どんな形で関わってくるかはさておき、あの暴力は遺産相続に関わることの一つとなる。こいしはフランドールに遺産を相続させてやると言う意志の中で、あんな酸鼻極まる所業をやってのけたのだ。
相続させようとしているのだから、こいしに殺意はないのかもしれない――フランドールを悩ませる一つの推測である。暗殺を警戒するべきなのか、そうでないのか。
いずれにしても、フランドールがまともな日常を送ることができなくなったことに変わりは無い。
フランドールは私室の変更を咲夜に命令した。直に当主となる身なのだから、もうあんな所には住んでいたくないと言う理由もあった。しかし何よりの理由は、古明地こいしが恐ろしくて堪らないから、あんなひと気の無い密室みたいな所にいたくないと言うものである。
当然のことなのだが、フランドールは今回の一件を紅魔館の住民に話をした。あんなことがあってフランドールは昼食を皆と共にすることができなかったので、事件後紅魔館の住民と初対面したのは夕食になってからのことであった。
紅美鈴はその姿を見た途端、驚きのあまり大きな声を上げた。元々この門番は優しいのである。
フランドールを忌み嫌っている図書館の魔女とその助手さえ、凄惨たる有様のフランドールを見て、驚愕の表情を見せた。憎まれ口の一つさえ叩かなかった。
困惑、驚愕、奇異――多種多様でありながら、その実一つもいい印象の無い眼差しが突き刺さり、フランドールは居心地悪そうに顔を顰めた。
都合の悪そうなことは隠しながら事の顛末を説明したが、解決策など生まれて来なかったし、そもそも誰もこのような事件がなぜ起きたかを理解できていないようであった。遺産相続と暴力がどうしても結び付かない。フランドールが死んでも、こいしには何の取り分も無いのだから。
「より弱い人に遺産を譲渡させて、後から奪おうって腹じゃないですか?」
小悪魔が言った。弱小ながらその知略で人を翻弄する小悪魔らしい発想だ。しかし、これ程フランドールを圧倒しておきながらそんな回りくどい手を使う理由が無い――と言うパチュリーの一言で全てが片付けられてしまった。
それはつまり、古明地こいしはフランドール・スカーレットよりも勝っていると言うことを意味する。こいしはその気になれば、いとも簡単にフランドールを殺すことができてしまうのである。
まるで自分の無能さを突かれたかのようで、フランドールはいい気がしなかったが、認めざるを得ない事実である。
その後もあれこれ話し合いはしたものの、真相に近づくような意見は出て来ず、解決には至らなかった。ただ、フランドールの私室の場所を変えると言う意見だけは実行されることとなり、晴れて彼女の私室は元々レミリアが使っていた大きくて煌びやかな部屋になった。
妖精メイドを総動員し、地下室からフランドールの私物が新しい部屋へ運び込まれていく。
古明地こいしは現実の陰から、その様子を見守っていた。
*
重苦しく垂れ込む暗澹とした分厚い雨雲が、夜の黒色をより深く、強くする。空から降り注いで万物を濡らす大粒の雨。可視の体を持たぬが故に己が存在をより強く知らしめたいかの様にうるさく吹き荒む風。忘れた頃に咆哮を上げて人々の耳朶に、そして瞼に焼き付いては消えて行く雷。
幻想郷は今宵、嵐に見舞われている。レミリアの遺言書が読まれてから六日後のことである。故人の無念を謳っているかのようだと、人里では随分不吉なものに捉えられていた。
新しい部屋に移り住んでから初めての悪天候。フランドールには雨音も風音も雷鳴もうるさく感じられた。地下室ではこれらの音は聞こえなかったから、あまり馴染みの無い音であったのだ。
姉の部屋であった部屋を新たな私室と定めたが、姉の使っていた調度品等は全て入れ違いで地下室に移動した。いずれは相続することになる予定であるが、使う気は全く無かった。あんな女のものは使いたくないから、売ってお金にでもしようかしら――悪びれなくこんなことを言ったところ、従者が随分悲しそうな顔をした。当然の反応なのだが、フランドールは気に食わなかった。
引っ越しの後、古明地こいしが紅魔館を訪問したことは確認できていない。本当に無かったのかどうかは定かでは無いが、ともかくこいしが館内の誰かに会いに来たり、フランドールに理不尽かつ理解不能な暴行を振るうということは起こらなかった。
フランドールの私室の近辺には妖精メイドが数名常駐され、警備に当たっている。こいしを知覚することは極めて困難なのだから事前の対策にはならないのだが、部屋がうるさくなれば誰かを呼んで来る程度の働きはできるだろうと言うフランドールの提案である。
私室の近くに常に誰かがいることになるので、自由度をやや損なう結果となってしまったが、致し方あるまいと堪えた。そもそも、別に私室で秘密裏にやることなど、フランドールには無かった。娯楽用の品が足りていない。レミリアはそう言った類のものを沢山持っているが、フランドールは頑としてそれを使って暇を潰そうとはしなかった。
暇を潰す術が無いし、遺産を相続していないから自由に金を使うこともできない。ねだれば大抵のものは手に入るのであろうが、こいしや相続のこともあるし、今はそれどころではない。
故に、フランドールは至極退屈であった。今までも同じような退屈を味わってきていたのだが、立場や身分の変化に伴ってそれが更に際立ってしまっている。
早く相続さえ完了すれば、こんな気持ちにはならないのに。――脳裏で意地の悪い遺言を残して逝った姉が嗤う。
何処まで行っても姉、姉、姉。彼女とのいい思い出なんてろくすっぽ思い出せないのに、死して尚レミリアと言う存在はフランドールの障害となって立ちはだかる。考えれば考える程苛々した。
退屈から逃れる為に先程からずっと眠ろうとしているのだが、なかなか寝付けない。この眠ろうと努力している時間と言うのは、至極無駄なものである。その無駄さが、余計に苛々を加速させる。
そんな最中、何者かが扉をノックした。
「どうぞ」
フランドールが素っ気無く言う。十六夜咲夜が銀のトレイを持って入ってきた。ティーポットにティーカップ。それから大きめのシフォンケーキにナイフが載せられている。
「こんばんは。よかった、まだ起きていらしたのですね。夜分遅いですが、お茶は如何ですか?」
「……随分変な時間に持ってくるわね」
怪訝な表情を浮かべ、フランドールが上体を起こす。
「夜遊ぶにはこの時間にお菓子を食べるのが一番いいのだと、お嬢様が言っていましたから」
真偽の程は定かではありませんが――咲夜はそう付け足して微笑んだ。
腹が空いていることは特に無かったが、どうせこのままベッドに身を横たえていた所で眠れそうもないからと思い、
「そうね。頂こうかしら」
フランドールはそう言い、ベッドを降りた。
咲夜はトレイをテーブルの上へ置き、菓子を切り分けようとしたのだが、
「ああ、いいよ」
フランドールが制止した。咲夜は首を傾げる。
「自分でやるから。あんたは自分のやるべきこととか、やりたいこととかをやってなさい」
つまり一人にしろ、と言う命令である。
これからフランドールの従者となって働くことになる咲夜としては、フランドールの細かな癖や好みや習慣を知っておきたいと思い、この夜のティータイムを設けたのだが、当の本人が出て行けと命ずるのであれば仕方が無いと、ナイフを置き、そっと一礼して部屋を出て行った。
咲夜が出て行った後、フランドールは大きなシフォンケーキを切り分けもしないでそのまま丸かじりし始めた。随分はしたない食べ方だが、彼女はこう言う豪傑さに憧れを抱いていた。時折紅魔館へ遊びに来てはそれとなく交流していた白黒の魔法使いの影響を受けたものであろう。
流石にお茶だけはティーポットのまま飲む訳にはいかないので、カップに移して飲んだ。
口内を支配するシフォンケーキの甘ったるさ。それを苦めの紅茶で中和し、またケーキを齧り……そんなことを繰り返していた。
ケーキが大体四分の一くらいにまで小さくなった。
一人で食べるにはやや大き過ぎるケーキであった。それもその筈、十六夜咲夜が主となる吸血鬼のことをより深く知る為に、いろんな話をしながら食べようと画策して作ったケーキなのだ。咲夜自身も少しばかり頂く予定であったものなのだから、フランドール一人が食べるには大きいのは当然である。
醜く齧り取られたケーキの残骸を皿に戻し、膨れた腹を摩るフランドール。少し休んで、食べられそうだったらまた食べよう――などと考えながら、ベッドに横たわる。
腹が膨れたお陰か、心地よい眠気に見舞われた。はあ、と深く息を吐き、ゆったりと目を閉じる。
しかし、そんな安息の時は長く続かない。
カチャカチャ――しばらくして、テーブルの上の食器がぶつかり合う音がした。何事かと、半醒半睡の状態でテーブルの方を見やる。しかし流石は吸血鬼の部屋、元々日光が入り込まないよう工夫が凝らしてあって光が取り込めない上に、今宵の嵐は月の光を完全に遮断している。室内は常闇に覆われているから、テーブルの傍にいる人物が誰なのか、知る由も無い。
「咲夜ぁ?」
寝惚けた声でフランドールが問う。目覚めたばかりで本領発揮とまではいかない瞳を凝らしてみた人物は、フランドールの声に反応してこちらを向いたらしかった。
「もう、うるさくしないでよね。せっかく寝てたのに」
フランドールが不機嫌そうに言うと、
「それはごめんなさいね」
咲夜のものでない声がした。
心臓がぎょくんと飛び跳ねた。
慌てて上体を起こし、逃げる体勢を作ったが、何もかもが遅かった。
フランドールの口に小さな手が宛がわれた。手の持ち主はそのまま吸血鬼を押し倒し、ベッドに寝かし直す。勢いはあれども、高級な寝具のお陰で体への痛みは無かった。だが、フランドールに安心は訪れない。
――古明地こいし!
声に出そうと思ったが、フランドールは口を侵入者――古明地こいしに押さえられているものだから、それは叶わなかった。
こいしがにっこりと笑う。暗がりの中故にフランドールにはそれは見えないのだが、
「こんばんは、フランドール・スカーレット」
侵入者が律義に挨拶をしたその声色で、何となく相手が喜んでいることを察することができた。この状況で一体何を喜んでいるのだ――フランドールはただただ、目の前の少女に臆することしかできない。
宛がっていた左手を右頬の方へずらしたこいしは、右手に持っていたシフォンケーキの塊をフランドールの口へ突っ込んだ。シフォンケーキの残量はどう考えても一口で食べ切られるものではないが、こいしは無理矢理それを押し込んでいく。口の中を支配し、喉の奥にまで魔の手を伸ばしてきた菓子は、もはや人を幸せにできるようなものではなくなっている。
菓子を詰め込まれた影響で呼吸もままならないフランドールは、ふうふうと必死に、そして苦しげに空気を取り込んで生命を存続させようとする。
こいしはそのまま仰向けのフランドールの上に乗っかり、手元に置いておいた刃物を手に取った。咲夜がケーキを切り分ける為に準備していたものである。フランドールはそのままケーキに丸ごと齧り付いたから、刃物は新品そのものである。しかしこの暗がりの中には反射させる光が存在しない故に、煌めく素養を秘めた白刃はどこか手持無沙汰である。
こいしは刃物の峰を人差し指でつつとなぞりながら、ふっと微笑んで、こんなことを言った。
「あなたに相続しなくてはならないものがあるの」
フランドールは目を剥く。
「相続しなくてはいけないものって?」
……こう問おうとしたのだが、口に詰め込まれたケーキに阻まれた。唾液腺を総動員してケーキをふやかそうと努めているが、なかなか首尾よく事は進まない。
フランドールは声を発することはできなかったが、それとなくフランドールの抱いている疑問を察したこいしが、彼女の謎の答えを囁いた。
「闇だよ」
フランドールの心臓が妖しく跳ねる。未だに理解できていなかった遺言書の内容だ。納得行かなかった備考欄とは異なり、これは真に理解ができなかった内容である。それが、昨今のフランドールをどうしようもなく不安にしているこの覚妖怪の口から発せられた瞬間の不吉な予感、不穏な空気――それは、吸血鬼の少女に更なる惑いと恐怖を植え付ける。
「なんなの?」
フランドールはケーキを詰め込まれたままの口をもごもごと動かしてやっとこの一言を発した。
レミリアが実妹に相続したいと躍起になっている『闇』とは、一体何なのか。それがフランドールはどうしても知りたかった。それは価値あるものなのか、美しいものなのか、それとも全く無価値なものなのか、ひどく醜いものなのか――。吸血鬼にとって闇は無くてはならないものだが、だからと言って姉の残した闇とやらがいいものであると言う保証はない。現にフランドールはこの『闇』の相続に際し、今までに味わったこともないような苦痛と不幸を強いられているではないか。
効能や真価が判然としないものの相続の為に理不尽かつ理解不能な暴力を強いられるのならば、フランドールとしてはそんなものは相続しない方がマシに思えるのである。
だからフランドールは、こんな状態ながら懸命にこいしに自分の疑問を、言葉足らずながら伝えたのだ。
しかし、生憎外は大嵐。雨や風や雷が各々好き勝手に、鳴らせる音を掻き鳴らしながら騒がしく遊び惚けている。そんな大自然の織り成す喧騒の中では、残念ながらフランドールが懸命に発した一言はこいしの耳まで届かなかったらしい。
「何?」
こいしが顔を顰め、フランドールに耳を近づけたが、フランドールはもう一度その言葉を言うことはできなかった。恐怖と不自由を抑え込んで発した一言であったのだ。二度目は無い。
フランドールからの返事は無かったが、こいしは気にしないで相続を続行する。
「これはあなたのお姉さんに頼まれてやっていること」
そう言いながらこいしは、フランドールの着衣を肌蹴させ、腹部を露わにした。あどけなさの残る、少しやせ形の腹は、見る者をうっとりさせる程白い。肌はきめ細やかで、高級な絹のようになめらかな手触りである。ケーキを貪った為、腹がややぽっこりと膨らんでいるが、それもまた幼さを醸し出していて愛らしい。
こいしはしばらくその腹を優しく撫でていたのだが、こうしてばかりはいられないと、ぶんぶんと頭を振った。
そうやって自身を戒めるや否や、こいしは手に持っていたケーキを切り分ける為のナイフをフランドールの腹へ突き立てた。
純銀製の絢爛なケーキナイフは、銀を苦手とする吸血鬼に想像以上の苦しみを味わわせた。この一風変わった吸血鬼の特性を知らなかったこいしも、想定していなかったこの追加効果に驚いてしまった。まるで焼けた鉄を刺し込んだかのように、刺傷の周辺が醜く爛れ始めたのだから無理もない。ジュウジュウと音を立てているが、肉を焼くと言うより、酸で肉が溶けて行くと言った方が適切な、醜悪な傷が広がって行く。
見ている者にまで不快感を与えるような傷。それを実際に受けているフランドールが、容易くこの激痛を乗り切れる道理は無い。恥も外聞も自尊心も捨てて絶叫したかったが、未だ尚口内に居座っているシフォンケーキの塊がそれを許さない。絶叫はこの菓子に阻まれ、外界へ到達することなく咽喉へと引っ込んでしまう。
何はともあれ苦しんでいるのであれば問題無いと、こいしは“相続”を続行する。臍の下辺りに差したナイフを、ゆっくりと上へ上へとスライドさせていく。
不思議な退魔の力を秘める結果となっているケーキナイフは、溶けかけのバターを切るかのように、フランドールの腹を易々と割いて行く。
別に『腹を裂く』と言う行為に意味はない。これはこいしの突発的な行動である。とにかく彼女は、レミリアがフランドールに相続させたがっている“闇”を無事に渡すことさえできればいいのだ。それさえできれば経過なんてどうでもいいのである。
上へ上へとスライドされた刀身は遂に首元にまで到達した。フランドールの胴を奔る縦長の切り傷から血がどくどくと流れ出て行く。
フランドールはとりあえず助けを求める為に、どうにか声を出そうと苦心していた。廊下には妖精メイド達が、今現在何をしているのかは定かでないが、とにかく数名うろついているのだ。声さえ上げれば異変を察知してくれる。咲夜を呼びに行く程度のことならできる。自力でこいしから逃れることはできないとフランドールは確信しているから、妖精メイドに助けを求めようと苦心しているのである。
声を出すには口の中に居座り、発声を妨害しているシフォンケーキの塊を食い尽さねばならない――フランドールはその真っ最中であった。腹を裂かれているその間も、必死に口をもごもごと動かしてシフォンケーキを食み続けていた。
さて、フランドールの隆起の乏しい胴体に巨大な縦長の切り傷を与えることに成功したこいしは、その上下の末端に横一文字の切り傷を与えた。
それからそのナイフを、フランドールの右手へ突き刺した。フランドールはナイフでベッドと縫い合わせられてしまった。余計に行動が制限され、利き手が封じられた所為で『破壊の目』を潰すこともできなくなってしまった。
両手を空にしたこいしは切り傷に自身の指を入れ込んだ。およそ五百年と言う時を生きてきたフランドールも、自分の体の内側を触られると言うのは初めての経験であったし、この吸血鬼以上に生きているこいしも、他人の体の内側を触ると言うのは初めての体験であった。
ぐっと手に力を込めると、フランドールの胴体が観音開きの要領でがばりと開け放たれた。扉のように美しく円滑な開き方ではないものの、とにかくフランドールの体表が開き、赤々とした中身が露わになった。
「へえ。あなたの中身はこんな風になってるんだ」
昆虫の生態についての説明でも読んでいるみたいなこいしの口調。無論、フランドールはそれどころではない。何せ体を扉のように解放されてしまったのだから。激痛なんて言葉では語弊が生じるような、想像を絶する苦しみを味わっている。
切り傷を付ける段階で内臓が若干傷付けられたらしく、血がせり上がってきた。しかしその腹の底から押し寄せる血も、やはり口内のケーキに阻まれて外へは出られないのであった。
フランドールは死に物狂いでケーキを胃へ送り込む。吐き出し損ねた血液を多分に吸収したケーキの味の不味さと言ったら、形容し難い程不快なものであった。砂糖の甘みと血の苦み。バターの香りと血生臭さ。ふわふわの食感は血液の影響を受けてべちょべちょに崩壊してしまっている。
何一つ親和性を見出せない対極的な要素の数々。無理して仲良くせずにおとなしく完全分離していればいいものを、強引に一緒になってしまったせいで、もはやそれは菓子は愚か、食べ物ですらない、ただ人に不快感を与える為だけに存在する物体となって、フランドールの口の中に居座っている。血の味のケーキであったならば吸血鬼の彼女としてはまだよかったのだが、美味くもない自分の血液がたっぷり染み込んだ甘いシフォンケーキであるものだから、その味の酷さと言ったら、もはや救いようが無い。しかし吐き出そうにも吐き出せないから、フランドールは必死にケーキを胃に送り込んでいる。腹を裂かれながらも、必死に。
怖いもの見たさで人体模型を眺める子どもみたいな目をして、こいしは解放されたフランドールの中身を見やっている。死に瀕するこの幼い吸血鬼を生かす為に忙しく動いている数多の臓物に目を輝かせている。死に近づくに伴ってより輝く生命の神秘性に、こいしは心を奪われている。
こいしは興味本位で心臓を人差し指でそっとつついた。これまで、弾幕勝負の最中に胸が被弾し、心臓に多大な衝撃を感じたことはあれども、直接触れられたことは一度も無かったものだから、フランドールはそんな風にこの重要な臓器に触られて平気なものなのかと恐ろしくなった。しかし、相変わらず文句が言えない。焦燥感に駆られながら口を動かす。小動物を思わせるその仕草は実に愛らしい。――少し目線を下に落としてしまうと、麗しい少女の外観からは想像することもできないような凄惨で血生臭い世界が広げられているが。
「これは心と言っていいのかしら?」
面白そうに心臓をつつきながら、こいしがこんなことを呟いた。
しかし、フランドールにその声は届いていない。それどころではない、こいしとお喋りしている場合ではないのである。
「きっと違うわね。私はこんな気持ち悪いものを閉じたつもりはないもの」
瞼を閉じている青色の第三の瞳を、風に揺られた風鈴のように揺らして見せながら、こいしが言う。
「私ねえ、フランドール」
こいしが一際大きな声で言う。
フランドールにもこの声は聞こえていたが、この頃彼女は口の中のケーキの完食を目前に控えており、こいしの声に反応する気は全く芽生えなかった。
出血の多さと度を過ぎた大怪我の影響で意識が薄れつつあったのだが、ようやく苦痛の終わりが見えてきて、やおら気力が湧いてきた。ここで意識を失ったら二度と目覚められないかもしれない――そんな不安がフランドールの不幸せな食事をより加速させる。
「あなたに闇を相続させなきゃいけないの。レミリアさんとの約束なのよ」
こいしがそう言い切った刹那、文字には起こし難い、野太くて耳障りな咆哮が館内に響き渡った。フランドールが発したものだ。遂に彼女は口の中の血生臭いシフォンケーキを食べ切って、念願の叫び声を上げることに成功したのだ。雨も、風も、雷さえも寄せ付けない圧倒的声量の絶叫であった。こいしも思わず狼狽えてしまった程だ。
異変を察し、廊下にいた妖精メイド達がようやくわらわらと部屋へ入って来た。
「い、妹様? どうされたんですかぁ?」
先頭に立つ妖精メイドがおっかなびっくり声を掛ける。部屋は真っ暗で何も見えない。手燭を掲げても、当人の周囲が薄ぼんやりと照らされるだけで、部屋の中程に置かれたベッドにいるフランドールの身に何が起きたのかを確認することはできない。
しかし、横たわる悪魔の妹の上に乗っかっている覚妖怪の姿は、闇の中からでもおぼろげながら見ることができた。無論、ベッドに座っているのがフランドール以外の者であるというのが分かるだけで、それが何者で、何をしているのかなんてことは何一つ分からなかったが。
しかし、とにかく自分達の見知らぬ誰かが、フランドールの部屋にいると言うことが分かった――それだけで妖精メイド達はたちまち烏合の衆である。恐怖で動けなくなる者、悲鳴を上げる者、より強い者に助けを呼ぼうと提案する者、未だに状況が掴めていない者――想像以上の無能っぷりである。
しかし、メイドのミスはメイドがカバーする――とでも言うかのように、十六夜咲夜が颯爽と現れた。
「フランドール様ッ!」
廊下から咲夜が声の響いた時、妖精メイド達の団結力が再び舞い戻った。一斉に咲夜の方を振り返り、咲夜の通りやすいよう左右に開けた。皆一同に、救世主の登場にほっと胸を撫で下ろしている。
入室早々、咲夜がナイフを一本投擲した。
「痛っ」
真っ黒い空間から少女の声。姿がろくに見えないものだから、宙が声を発したかのようにも錯覚できてしまう。
だが、その声が咲夜も聞き馴染んだ声であったから、すぐにフランドールの部屋に侵入した者が誰なのかを理解した。
「古明地こいし……!」
咲夜の声色は強張っている。先日、フランドールがその者に手痛い暴行を加えられたことが思い起こされたのである。そんな訳で、今や咲夜にとって、古明地こいしとフランドール・スカーレットと言う組み合わせは災いを呼ぶものでしかない。
現にフランドールは先日を遥かに超える重傷を負わされているのだが、暗闇がそれを上手に隠している。
「こんばんは、咲夜さん」
こいしは肩に刺さったナイフを抜き取って床に投げ捨てた後、ベッドを降りて一礼した。フランドールはその場から動くことさえできず、ひゅーひゅーと苦しそうな呼吸をするばかり。その呼吸音で咲夜はフランドールの異変を感じたのだが、こいしへの警戒心から不用意にそちらへ近づくことができない。
「あなた、いつの間にここへ」
「さっきあなた、お菓子を運んできたでしょう? その時よ」
――と言い終えるや否や、咲夜の視界からこいしの姿が掻き消えて、
「こうやって後ろにぴったりくっ付いて、ね?」
背後から声がした。
咲夜は反射的に飛び退いた。着地点はベッドの傍。そこでようやくこのメイドの長は、フランドールに施された暴虐の詳細を目の当たりにし、戦慄した。
フランドール様――と声を上げることもできない。やんちゃだった主は、度々幻想郷の強者に無謀な挑戦をし、よくそれに付き合わされ、ちょっとやそっとでは回復しない傷を見たことはあった。だが、こんなにも不自然に形の整った重傷を見るのはこれが初めてであった。
こいしは邪魔が入っちゃった――などと呟きながら、踵を返して部屋を出ようとしたが、
「そうだ。咲夜さんもいるし、丁度いい」
こう言って足を止めた。
「こんな酷いことをする私が少々憎いかもしれませんが、これは闇の相続ですから、仕方が無いことなんです」
「闇の相続……?」
咲夜が振り返り、鸚鵡返しに問う。
「そう。闇の相続。レミリアさんはどうしても闇を相続させたがっているのです」
「何なのよ」
ベッドの上から今にも死にそうな少女の声。咲夜とこいしの視線が声の主の方へ注がれる。――フランドールである。
「闇って何だと聞いてるのよ! どうして、どうして私が、こんな、目に、あ……」
威勢がよかったのは初めだけで、後は言葉を発する度に死に一歩一歩近づいて行っている感じである。どんどん声は掠れ、小さくなっていく。咲夜は慌てて時を止め、永遠亭へ急いだ。生きているのが不思議なくらいの傷である。咲夜にはどうしようもない。
また部屋は二人きりになった。
「闇って言うのはね」
こいしはそう言い、両腕を横に広げた。
「この夜に蔓延る、吸血鬼が愛する安寧の漆黒――これとはまた違うのよ」
フランドールは自身の生命活動を必死に保ちながら耳を傾ける。死に際にも拘らず、焦りが無かった。焦る気力まで失せているのかもしれない。
「また来るからね」
こいしはそう言うと、無意識を操って姿を消し、騒々しい嵐が吹き荒れる屋外を目指してのんびり館内を歩み始めた。
*
古明地こいしに致命的な傷を負わされたフランドールであったが、月の頭脳と謳われる薬師のお陰で一命を取り留めた。
腹部に与えられた傷は深く、吸血鬼の驚異的な治癒力を持ってしても完治には時間を要した。幸い傷痕は残らないそうである。だが、心には修復が困難な深すぎる傷が刻み込まれてしまった。
こいしに腹を裂かれた一件の後、フランドールはすっかりあの覚妖怪の影に怯えるようになってしまったのである。おまけにその恐るべき妖怪は、館内にいるのか否かさえ判然としないのだから、その心労や恐怖心は一入である。
安静を命じられたこともあって、フランドールはほとんど自室から動かなくなってしまった。扉にはしっかりと内鍵を掛け、念を入れて廊下には見張りのメイドを配置した。ほとんど役に立たないことは、嵐の夜におけるこいしの襲撃によって証明されてしまったのだが、いないよりはましであった。
折角地下室を脱したのに思うように動けない退屈な時間の中で、フランドールはこれまで以上に、遺産の一つである『闇』について考えを巡らせるようになった。
姉が自分に、選定の意図が読めない者に、訳の分からない手法で相続を委託した、実体がつかめない遺産たる闇――。
謎は多くあったが、先ずフランドールはその闇の正体を推察しようと必死であった。
こいしの二度に渡る暴虐は闇の相続の為の行いであるらしいのだ。これ程苦しい思いをしているのだから、さぞや価値のあるものなのだろう――と、フランドールは思いたかったのだが、しかし闇と言う名を持つに相応しい高価な物と言うのが、フランドールにはどうしても想像できなかった。
『この夜に蔓延る、吸血鬼が愛する安寧の漆黒――これとは違うのよ』
こいしの言葉も蘇って来る。フランドールの頭の中に、これ以外に闇など存在しない。
どれだけ考えても埒が明かない――三日も経過した頃には、フランドールは自力での解決に限界を見た。
自力での解決ができないのならば、誰かに聞くしかないとは思ったが、館内を不用意に歩き回りたくなかった。こいしを恐れているのである。今の彼女はこの部屋の唯一無二の入口である扉さえなるべく開きたくない所存なのだ。夜襲を受けた時、古明地こいしは扉を開けた咲夜の後にくっ付いて、この部屋に入って来ていた為である。
しかし、このまま覚妖怪の影に怯えて過ごし、後手に回り続けているのも癪であったので、フランドールは治療後――医師としてはまだ治療中の期間であるが――のリハビリも兼ねて、久しぶりに部屋を出た。
いざという時の盾として使えるように妖精メイド数名を侍らせ、歩く本人がじれったく感じるような速度で長い廊下を歩く。普段は何とも無い廊下が、無限に続いているように思えた。
一番初めに向かったのは門番、紅美鈴の元であった。どこにいるかが一番はっきりとしていて、且つフランドールにとって一番親しみ易いのが、紅美鈴であったからである。
美鈴はやはりと言うべきか、門前で番をしていた。フランドールは日傘を差して外へ出て、美鈴に近寄る。
「美鈴、美鈴」
声を掛けると、美鈴はおやと振り返った。
「妹……フランドール様」
当主の妹として見ていた時の癖はなかなか抜けないものであるらしい。
「お怪我の方は大丈夫なのですか?」
「平気よ。それより、聞きたいことがあるの」
美鈴とは一緒にいて悪い気はしないのだが、生憎空には燦々と輝く太陽がある。フランドールは体質上、あまり外にいたくなかったから、手短に話を終わらせようと努めた。
「あなたもお姉様の遺言書が読み上げられたのを聞いたわね?」
「勿論です」
「遺産の一つに闇って言うのがあったじゃない?」
フランドールがこう言うと、美鈴はああ、と思い出したように声を上げた後、
「ありましたね。闇って一体何なのでしょう?」
こう続けてしまった。フランドールが聞こうとしていた問いへ先走って答えてしまったようなものだ。美鈴も質問口調であった。問うたと言うことは、彼女も闇の正体について知らないのだろう。
フランドールは落胆したが、それを隠しながら、駄目元で問うた。
「闇って何なのか、あなたは分かる?」
「いやあ、私にはさっぱり」
即答であった。フランドールの落胆は増々大きくなる。そんな彼女の心情など知る由も無く、美鈴は的外れな憶測をあれこれ述べていた。それに適当な相槌を返し、フランドールはさっさと館内へ引っ込んだ。忌々しい太陽の光になど、あまり長く照らされていたくはなかった。
さて、一番気兼ねなく話しかけられる美鈴にあっさりと白旗を上げられてしまい、フランドールは唸った。館内で彼女の疑問に答えられそうなのは、残るは十六夜咲夜か、図書館を塒にしている魔女のパチュリー・ノーレッジ、その助手の小悪魔くらいである。妖精メイドなど、百人集めてみても何ら解決する気がしなかった。
パチュリーはレミリアも信頼を置いていた知識人である。本来、この紅魔館で生じた疑問は先ずこの魔女に意見を聞くのが定石であるが、フランドールはそれをしなかった。何故なら、フランドールはこのパチュリー・ノーレッジがとても苦手だからである。
そもそもパチュリーもフランドールを嫌っている。フランドール自身もそのことに容易に気付けてしまうくらい、パチュリーの見せる悪魔の妹への嫌悪感は露骨なものだ。
また、その魔女に連れ添って働く小悪魔も同じような感情を抱いている。こちらもやはり隠す気など無いくらいの侮蔑の念を放っている。
図書館を拠点にしているこの二名のフランドールに対する嫌悪感は館内の誰もが気付いていることであるし、館外の者もちょっとここで生活をしていれば、よほど愚鈍な者か、観察力に欠けている者でない限り、それに気付けることであろう。
その突き刺さるような冷然たる眼差しや、事あるごとに口から零される言葉の毒に、フランドールはいつしか慣れてしまっていたが、できればそういう不快なものは避けて通りたいと言うのが本音である。
しかし、このままでは埒が明かないからと、フランドールは乗り気がしないながら、図書館へ足を運んだ。
図書館の入口である大きな木製の扉を開け、図書館内に足を踏み入れた。今まで全身全霊を持って忌避してきた部屋とだけあって、その香りや、床の踏み心地、扉の軋み具合、紅魔館内にしては高い明度など、いろんなものが新鮮で、思わず周囲を見回したくなったが――。
真正面から冷徹な眼差しが飛ばされたのを感じ、フランドールは思わず足元から目を離せなくなってしまった。
「何の用?」
視線が既に凍傷でも起こせそうなくらい冷やかなものであったから、聞こえてきた魔女の声色も同じように冷然としたものであった。ただ、向こうから声を掛けてくれた――と考えれば、この一声は単なる挨拶として受け止められるかもしれない。目は口ほどに物を言う――言葉と言う理解が容易な形式をとられるよりも、視線と言う不可解なものの方が、フランドールの心を苦しめた。
「お邪魔するよ」
いずれ当主となる者として尊大な振る舞いを――と言う思いが放った一言。反応は無かった。代わりと言わんばかりに、古書が一ページ程捲られ「ぱらり」と音が鳴った。無関心を如実に表現している、実に空しく、哀しい音である。
フランドールはそっと扉を閉め、しかしその場から動き出すことができず、佇んでいた。パチュリーは無視を決め込んで書物に目を落としている。
間誤付いている内に横からも嫌な視線を感じた。小悪魔である。大きな本棚の向こうにいるから姿は見えないが、明らかにフランドールの来訪を嫌がっているオーラを発している。
無言と言う威圧はフランドールの脳裏に退室、退去、撤退――等々、とにかくここから遠ざかるべきだと言う言葉を次々連想させたが、フランドールは頭を振ってそれを突っぱねた。
「聞きたいことがあるの」
いちいち部屋の奥に行くこともないと、フランドールは出入り口の真ん前に突っ立ったまま、目算して二十メートル程前にある横長のテーブルに置いた本を読んでいるパチュリーに向かって声を張り上げた。館内屈指の広大さと静謐さを誇る図書館内に、フランドールの声が響く。
「何?」
パチュリーの返事は簡素で冷血だ。しかも目線は本から離れない。
「お姉様の遺産……闇について聞きたいんだけど」
フランドールがこう言うと、
「そう」
と、またも素っ気無い返事がなされた。小悪魔は全く無反応で、本棚をごそごそとやっている。本を整理している――と見せ掛け、フランドールの言葉に耳を傾けているのである。彼女はフランドールのことが大嫌いだが、レミリアのあの謎めいた遺産については興味津津であったのだ。
「闇って、何だと思う?」
単刀直入にフランドールが問う。
言下にパチュリーがパチンと指を鳴らした。すると、あれよあれよという間に図書館内の照明という照明が消えて行き、あっと言う間に辺りは真っ暗になってしまった。日々の魔法研究の副産物を寄せ集めて作った、粋な照明設備である。
フランドールが呆気にとられて辺りを見回していると、再びフィンガースナップの快音が響き、光が戻ってきた。反射的にフランドールの視線はパチュリーに向かう。パチュリーは相変わらず本に目を落としている。照明を落として尚、本を見続けていたのかもしれない。
「さっきのが闇じゃないの?」
実に簡潔な返答が、無愛想になされた。さっきの――とは言うまでもなく、あの僅かな時間、この図書館内を支配した黒色を指している。
あまりにも態度が冷やかである上に、しっかり解答を出してくれている所から、相手方がとにかくこの吸血鬼を部屋から追い出したいと言う欲求を抱いていることがありありと感じられる。フランドールだってこんな所に長居はしたくない。一秒でも早くこの図書館を去りたかった。だが、まだ彼女の謎は解決できていないから、そうはいかない。
「それが違うらしいの」
おずおずと言う。
「違う?」
やっとパチュリーの目線が本を離れ、フランドールへと向けられた。
「古明地こいしが言ってたの。夜の闇とか、そういうのとは違うって」
この問題について思慮を巡らせているのか、余計なことに時間を割かされているのが気に食わないのか、ただ単に応対中の客人が不愉快なのか――判然としないが、とにかくパチュリーは難しい表情をして黙り込んでしまった。
解けたのなら答えを教えて欲しいし、分からないのであれば分からないなりの推察を聞かせて貰いたくもあり、しかし前述した通りさっさとこの場から去りたい気持ちも存在するフランドールにとって、この内約が明瞭でない沈黙はどうしようもなくもどかしく、居心地の悪い時間であった。
およそ六十秒が経過した所で、ようやくパチュリーが口を開いた。
「ちょっと今すぐ答えは出せないわ」
散々他人を待たせてこれか――フランドールは心の中で毒づく。
「そう……。じゃあ何か分かったら教えて欲しいな」
「ええ。分かったらね」
形式的にパチュリーはそんな返事をしたが、きっと分かったとしても何か報告してくることは無いだろうとフランドールは思った。
「ありがとね」
適当に礼を言いながら、フランドールは逃げるように図書館を後にした。
フランドールが去った後、小悪魔が本棚の裏側から姿を現し、パチュリーの元へ駆け寄った。先程手に入れた知識でパチュリーとあれこれ話がしたい様子である。
「闇って何なのか、あいつも知らなかったんですね」
「そうみたい。……と言うことは、レミィの遺した闇って言うのは、吸血鬼の間でやり取りされる特別なモノって訳じゃないのかしら。家に代々伝えられていくものを表す言葉なら、いくらあの子が出来損ないであったにしても、大まかな予想くらい付きそうなものだし」
「私達も知りえるモノなのでしょうか? ……闇なんて物々しい名前をしていながら、意外と身近でつまんないものかもしれませんね」
強力な魔の力へ憧憬を持ち、レミリアの遺した闇がそういうものを指しているのではないかと考えていたこの小さな悪魔は、どこか興醒めしたようにこう漏らした。
「そうかもね」
パチュリーはそう言った切り、何も喋らなくなった。まだ闇について思慮を巡らせているのか、既に切り替えてしまっているのかは分からない。
小悪魔もあまり主の邪魔をしてはならないと、自分の仕事に戻って行った。こちらも、大して面白いものではないのかもしれないと言う可能性を見出した途端、闇と言う遺産への興味が幾らか失せたようで、さほどそのことについて考えることもなく、業務をこなした。
咲夜はどこにいるのか分からないし、例え館内にいたとしても捕まえるのが非常に難しいので、フランドールは早々に闇について聞いて回るのを止め、自室に帰らねばならなくなった。しかし、ここ数日咲夜と接する機会が多かったフランドールから見ると、咲夜も闇について何か知っている風な態度では無かったので、すんなりと諦めが付いた。
安静を破り、大敵に怯えながらの聞き取り調査は、何の功も奏さなかった。
何だか、やりたいことが何一つ実を結んでいないな――と、フランドールは辟易する。
遺産を相続できればいろんなことが思い通りになる、姉さえいなくなれば自由で快適な生活が訪れると信じていた。それなのにフランドールは、その遺産に命を脅かされ、いるかいないかも分からない妖怪を警戒し、不自由で窮屈な生活を強いられている。
これなら地下室に押し込められている方がましだったかも――こんなことを一瞬考え、自己嫌悪を起こしてしまった。あの憎き姉が死ぬことは、フランドールにとって最上の喜びであり、悲願であった筈なのだ。それを生きていた方がよかったなんて思うことは、彼女としてはやりきれないことなのである。
「本当に闇って何なのかしら」
ぽつんとフランドールが呟いた。
「知りたいですか?」
言下にこんな言葉が聞こえた。
反射的に後ろを振り返る。その形相はまるで鬼である。今この世で“闇”の正体を知る唯一無二の存在――それはフランドールが今最も恐れている者であるからだ。
しかし、独り言の後に聞こえた一声は、その恐るべき存在の声とは違っていた。違ってはいたのだが、フランドールは脊髄反射で、そいつを――古明地こいしを警戒したのであった。
後ろに件の覚妖怪はいなかった。……いるのだが知覚できない状態であるだけなのかもしれない。
フランドールが突然おぞましい形相で振り返ったものだから、後ろをぞろぞろと歩いていた妖精メイド達が驚きと困惑の表情を示した。
「どうしたんですか?」
一番先頭を歩いていた妖精メイドが問う。
「ううん。何でもない」
急速に乾いてカラカラになった喉が何とかその一言を絞り出した。平静を装って再び前を向き直して歩み始める。自然と足が速まる。廊下の長さがとてももどかしい。歩けども歩けども同じような景色が続く。まるで扉の模様を持つ蛇のようだ。もうすぐ自分のものになる館がどうしようもなく憎らしかった。
その最中、
「レミリア様のご遺産は、全部フランドール様のものとなるんですよね?」
妖精メイドの一人が不意にこんな問いを投げかけてきた。
「そうよ」
フランドールは素っ気無く返事をする。遺産が自分のものになることを鼻に掛け、悦に浸り、長々と喋くっていたい気分ではなかったのだ。早く身の安全を確保したかった。絶対的な安全など、古明地こいしに対しては存在しないのかもしれないが。
「この館も、沢山の宝物も、いろんな絵画や骨董品に調度品、珍しい魔法の道具。全部レミリア様が集めたものです。すごいですよね。よくこんなに一杯集められたと思いませんか?」
「ただ単に暇だったんでしょ」
苛立ちが隠見されるフランドールの口調。大嫌いな姉の賞賛の声など、彼女が聞いていて楽しいものではない。おまけにもう姉は死んだ存在なのだ。死して尚、その幻影が脳裏にちらついてくるようで非常に不愉快であったのだ。それに加えて、遺産に関連した陰惨な暴力や深まる謎のこともある。
しかし妖精メイドは更に言葉を紡ぐ。
「時間があったって、そう言ったものの価値を見抜ける力がないといいものは集まりません。威容を示すこの立派な館だって、ただでは手に入らなかったでしょう。あの財産はレミリア様が夜の王に相応しい能力を持っていることを如実に物語って……」
「うるさいんだよ!」
姉の賞賛の言葉を聞かされることに限界を感じたフランドールの一喝が空気を大きく震わせる。喋くっていた妖精メイドはそれ程驚いている様子を見せなかったが、その周囲にいた者達は一様に肩をびくつかせた。
「これ以上あの女の話をするな!」
後ろを振り返ることもしないでピシャリと言い付け、フランドールは更に歩みを速める。護衛を命じられた以上、着いて行かなくてはいけないと、歩幅の狭い妖精達もその歩みに必死に追い付いて歩く。
「ほら、それですよ。それ」
先程喋くっていた妖精メイドの声であった。こいつはまだ喋るのか――フランドールの我慢が限界に達した。どうせ妖精メイドなど腐る程いるし、死んでもどうせ復活するのだから、一人や二人殺してしまっても構わないだろうと、フランドールは即座に後ろを振り返った。
件の妖精メイドと目線が同じ高さでぶつかる。おかしいことである。館内の妖精にこれ程背の高い者などいない。
その所為で思わずフランドールは激情に任せた殴打を放つのに失敗した。
目線の高さの問題は難なく解決した。妖精メイドは抱っこされて持ち上げられていたのだ。
意識できぬ世界に居座り、他人の無意識を操ってその体を支配し、自らの言葉を代弁させていた、古明地こいしに。
一度消えた殴打の衝動は瞬く間にぶり返し、今までになく、これからも出し得ないであろう超高速の拳が繰り出された。その威力の凄まじさは、まるでアスファルトに投げ付けられたトマトのように頭が爆ぜてしまった妖精メイドを見れば一目瞭然であろう。
ただ、後ろにいた古明地こいしには、その拳は届かなかった。
鼻先スレスレの所で止まっている妖精の血に塗れた小さな手にキスを一つくれてやり、首から上の無い妖精メイドの死体をぽんと前に放る。
反射的にフランドールは、その投げられた首無し死体をキャッチしてしまった。
両手が塞がって無防備なフランドールの腹に蹴りが打ち込まれた。偶然にも首無し妖精の骸が盾となり、フランドールを防護した。死した後に胴体まで惨たらしい損壊を被ることとなったが、主が受ける筈であった蹴りの衝撃を大きく緩和する盾となれたことは、一応誉れ高いことと言えるであろう。
メイド妖精と言う盾を介しながらもこいしの蹴りの威力はかなりのもので、フランドールは尻餅をついた。
目の前には肉片や髪や血で首から上が真っ赤に汚れている古明地こいし。飄々としている彼女もこの汚ればかりは耐え難いようで、着ている服の身頃で顔を拭いた。血はそう易々と拭えるものではないので、顔全体にまんべんなく赤が引き伸ばされたようにしか見えないが、本人はそれで満足らしい。服が汚れたことはあまり気にしていない様子で、恐れをなしているフランドールににっこり笑って見せた。
「宣言通り、またお邪魔してるよ」
フランドールは何とか立ち上がると、
「咲夜を呼んで来なさい!」
突然登場した覚妖怪を目前にして呆気にとられている妖精メイド達に命令を下す。フランドールの一言で我に返った妖精達がばたばたとその場を去って行ったが、こいしは追う気配も見せない。
「さっきその子を借りてあなたに言った言葉、聞こえてた?」
その子――と言いながらこいしが指差したのは、頭が無く、体があらぬ方向にひん曲がった状態で床に横たわっている妖精の死骸である。
「言葉?」
「聞こえてなかったのかな。『ほら、それですよ。それ』って」
こいしがこう言った所でようやくフランドールも、そんな言葉が聞こえた気がするという気になった。実際、黙らせた妖精メイドがしつこく喋っていたことが気に食わなくて、その言葉をよく聞いてはいなかったのである。
「あの言葉が何だって言うのよ」
「あなたが今一番知りたがっているであろうことよ」
こいしの顔から笑みが消えた。変化の兆候を感じ取ったフランドールは思わず身構えた。
「闇の正体」
フランドールの注意が古明地こいしから言葉へと移った。
その瞬間的な隙を突いたこいしが、またも意識できない世界へと逃げ込んで、フランドールの背後を取り、そのまま抱きすくめてしまった。
フランドールが抵抗らしい抵抗をするより先にフランドールが耳元でそっと囁いた。
「さっきあなたが感じていたもの。それこそがレミリアさんが遺し、あなたに相続させようとしていた闇の正体なのよ」
そんな言葉が聞こえた次の瞬間、フランドールの頭の中が、まるで生ぬるい空気の塊でも入り込んだかのように重くなり、同時に心地悪い膨張が生じた。キーンと言う耳鳴りのようなもの以外何も聞こえなくなり、体を動かすこともできない。
こいしに無意識を操られているのである。
意識が戻ったのは腹に痛恨の一撃を喰らわされた瞬間であった。完全な治癒の完了していない上に無防備な状態の胴に放たれた、少女らしからぬ力の込められた打突は、治り掛けていた観音開きの傷を開くだけに留まらず、その先にある骨に新たな傷を与え、更なる深奥にある内臓を変形させるのではないかと思える程、胴に深々と突き刺さった。
悲鳴を上げることさえできず、フランドールはその場にがくんと膝を付いた。
高さが丁度いいからと、高さの落ちた顔目掛けて張り手を一発。痛くないなどと言うことは決して無いのだが、これまでの数々の暴力と比べればかわいいものである。
胴への一撃による激痛によって動くことができないフランドールの髪を引っ掴み、こいしが開口する。
「分からない? さっきのだよ。それとも今もあるのかな?」
「さっき? 今って?」
苦しげな呼吸の合間に疑問を添えるフランドール。
「分からないわ……闇って、何なの? ねえ、教え」
最後まで言わせては貰えなかった。こいしが髪を掴んだ手に力を込め、フランドールの顔を床へ叩き付けたからである。
「やっぱり気付けないのね」
こいしの冷然たる声が空気を微震させる。
髪を引っ張ってフランドールの顔を床から引き離す。血と洟の混ざった気色の悪い粘着性を帯びた赤い液体がねっとりとした糸を引く。
「ヒントをあげよう」
フランドールの背中に腰掛けたこいしが言う。
「あなたは死んでいるかもしれなかった」
「え? 私が、死」
復唱の最中にまたも顔面を床に打ち付けられた。舌が歯と床に挟まれ、部分的に切断された。
普通ならば悲鳴の一つでも上がらねばおかしい状態なのだが、今のフランドールは心身ともにその余裕が無かった。
こいしはまた、金の髪を引いて顔を上げさせる。下の断面からどぼどぼと血が溢れ出て、床に落ちて行く。
「しかしあなたはこうして生きている。どうしてでしょう?」
問われても分かるわけ無いじゃない――極度の出血で上手く働かない頭を必死に動かして考えても、フランドールにはよく分からなかった。
思考の最中にまた顔面を床に打ち付けられるかもしれないと言う恐怖心があったが、その時は訪れなかった。代わりに、ぎりぎりと髪をしつこく後ろへ引っ張られ、段々と海老反りの状態に陥って行く。腰が砕けんばかりに痛んだ。もはや考え事などしている場合ではなくなってしまい、フランドールは低く呻くばかり。
こいしが小さく息を吐き、フランドールの後頭部を押す。三度目の床への顔面強打。悲鳴を上げる気力などとうに尽きている。
「出来損ないとは言ったものね。まさかこれ程だなんて」
こいしはゆっくりと立ち上がった。穢れを落とすかのように尻をぱっぱと手で払うと、床と接吻したまま動こうともしないフランドールの襟首を引っ掴んで持ち上げて、その耳元にこんな言葉を囁いた。
「もういいよ。教えてあげる。レミリアさんの闇について、包み隠さず。……おめでとう。遺産相続の日だよ。喜んで」
血塗れのフランドールの口元が、僅かに吊り上がった。
*
無事――と言っていいのか甚だ疑問であるが、とにかくレミリアが実妹に相続させたがっていた全ての遺産の相続の準備が完了した。
役目を終え、こいしが人知れず館を去っている最中、妖精メイドに呼ばれた咲夜がようやく問題の現場に到着した。 そこには頭の無い妖精の骸と、襤褸雑巾の方がまだ丁重な扱いを受けているのではないかと思える程の損傷に見舞われたフランドールが床に転がっているだけであった。
その翌日、古明地こいしが十六夜咲夜の元を訪れた。フランドールの所へは行っていない。行く必要がもう無かったし、別に会いたくもなかったのである。
こいしが面会に来た時、咲夜はフランドールの体を気遣って、薬膳料理を試作している最中であった。
「優しいんですね」
こいしはこう言ってはにかんだ。咲夜は微笑み返す気は起きなかった。新たな主を、彼女が愛した吸血鬼の妹を蟲の息にする妖怪に振り撒く愛想など、無い。
こいしはそんな咲夜の態度のことなど気にしていない様子であった。
「何の用?」
気に食わぬ相手といえども、客人は客人。最低限の応対はしなくてはならない――咲夜は極めて素っ気無い風に問うた。
「お手紙を託っています。レミリアさんから」
料理に専念していた咲夜の手がピタリと止まる。
後ろを振り返ると、こいしが一つの封筒を差し出していた。白い封筒である。未開封であることを証明するようにぴったりと封が糊付けされている。下には『レミリア・スカーレット』の文字。咲夜が見紛うことなどありえない――主の文字である。懐かしさと切なさで涙が溢れそうになったのを、咲夜はぐっと堪えた。
「遺書を書かれた時に頂きました。全ての遺産が相続できるようになったら、あなたに渡して欲しいと頼まれていたものです」
こいしの説明の最中、咲夜はそっとその手紙を受け取った。こいしが手を引く。
「準備が整いました。遺産の相続を開始しますね」
レミリアの遺産の相続を正式に行うべく、咲夜とこいしは、遺書を読み上げた時に紅魔館の食堂にやって来ていた、あの館外の三名――閻魔と巫女と風祝――を引き連れ、フランドールの私室たる地下室へ足を運んだ。
こいしの三度目の襲撃の後、フランドールは部屋の変更を要請した。
地下室に戻して欲しい――あさっての方向へひん曲がった手を伸ばし、千切れそうな脚を引き摺り、鼻と口から夥しい血を吐き出し、前が見えていると思えないくらい腫れた瞼から涙を流しながらの懇願は、咲夜でさえ思い出すことが憚れる程、おぞましい光景であった。
理由を聞いても要領を得ない解答があるばかりであったが、とにかく地下室へ戻りたいとフランドールが熱心に訴えるので、二度目の引っ越しが行われた。そんな訳でフランドールは今、地下室に逼塞している。
地下室に到着すると、こいしが他四名の前に立った。
「さて、閻魔様、博麗の巫女さん、守矢の風祝さん。目の前におわしますのが、この度遺産を相続するフランドール・スカーレット嬢に他ならないのですが――」
このこいしが発する演技染みた快活な声は、この場を支配する雰囲気にはどうもしっくりこない。
地下室は先ずとてつもなく暗い。こいしの持つ手燭の淡い光のお陰で、部屋の隅っこで頭を抱えてガタガタ震えている、顔からつま先までを包帯やらギプスやらで補強したフランドールがどうにか視界に映る程の暗さである。
咲夜はもう見慣れた姿なので今更驚くことはないが、閻魔も巫女も風祝も、この痛ましい吸血鬼の少女の姿を見て、一同に声を失ってしまっている。風祝などそのあまりの陰惨さに恐怖を覚え、隣に突っ立っている巫女の服の袖をぎゅっと掴んでしまっている有様だ。
「この吸血鬼、遺産相続に相応しいと思いますか?」
そう言うことは私の管轄外だわ――そんなことを言いたげな巫女と風祝の瞳が、ほとんど同時に閻魔を捉えた。視線に気付いた閻魔はコホンとわざとらしく咳払いを挟んで、
「あの、フランドールさん」
おずおずと、何を恐れているのか知らぬが、とにかく震えている吸血鬼に声を掛けた。しかし、フランドールは反応しない。見た所、全身に渡って大怪我をしているようだから、声が通りにくいのかと、閻魔が数歩近付いた。その際、床にぶちまけられた食事を踏みつけてしまった。
「ひっ」と口の中で小さな悲鳴を上げ、閻魔が一歩退く。これ以上靴を汚すのは御免だと、結局閻魔は初めとさほど変わらない位置からやや声量を上げて話し掛けた。
「フランドールさん。何かあったのですか?」
何かに怯えている様子だから、できるだけ柔和な声を出したつもりであったが、特にそれが何かに影響を及ぼすようなことはなく、フランドールは相も変わらず震え続けた。
頻りに「ごめんなさい」とか「もう嫌」とか、そんな言葉を繰り返しているのが辛うじて聞こえたが、会話になっていない。
「どうです?」
こいしの声。四名の視線がそちらへ行く。
「相応しいと思いますか?」
閻魔はちらりと巫女と風祝の方を見て意見を求めた。
「ええと、これは私の管轄ではありませんから」
しばらく経って口を開いたのは風祝。
「その通り。私らの仕事は妖怪退治であって、遺産がどうとかって言うのは無関係」
続いて巫女が開口し、こう発言した。
閻魔は顔を顰めて黙り込んでしまった。
「……管轄じゃないけどさ」
重苦しい静寂の中に再び響く巫女の声。
「この子が財産を得たって仕方が無いのは、何となく分かるわ。この状態じゃァね」
言下に全員が、無言のままフランドールを見た。無言ではあったのだが、誰もが博麗の巫女と同じ意見であった。
「いらない」
不意に部屋の隅で震える少女からこんな言葉が発せられた。
「もういらない。いらないから、あいつを私に近づけないで」
フランドール・スカーレットは相続不適応と言う判断が下され、レミリア・スカーレットの遺した財産は、咲夜が中心となって紅魔館内で公平に分配されることとなった。
役目を終えた閻魔ら三名は、金輪際この遺産相続に関わらないと言い残して館を去って行った。吸血鬼なんて謎めいた一族の遺産相続は、謎と猟奇と危険で満ち溢れていて、もう関与したくなかったのであろう。
その翌日、咲夜は遺産の配分方法を思案していたのだが、早々に行き詰ってしまった。
遺産の分配は皆で話し合い、妥協に妥協を重ねて分けていくことにするのが一番公平で感嘆なのだが、一つ問題が残る。
“闇”である。
闇の分配の方法だけがどうしても分からない。そもそも闇とは一体何なのか、咲夜は未だに分かっていない。
頼りになる相談相手三名はもう関わらないと言い切られてしまった。フランドールには何を聞いても、亡き姉の幻影に怯えるばかりで話にならない。古明地こいしはきっと全てを知っているのであろうが、彼女の持つ奇怪な能力故に、能動的に話を持ち掛けるのが非常に困難な妖怪である。
いくら考えても答えは出ないし、いろんなことが立て込んで疲れたからと、咲夜は一度このことを頭の隅に追いやった。
そして、古明地こいしから受け取った、死ぬ際に主が書いた手紙の封を切った。
*
『咲夜へ。
あなたがこの手紙を読んでいると言うことは、古明地こいしが無事に遺産相続の準備を終わらせてくれたと言うことだと信じています。
フランドールは目も当てられない状態となっている? それとも、いくらかまともになっている? もしかしたら、何も変わっていないのかもしれない。それはこいしの手腕に掛かっているけれど、きっとただでは済んでいないと思う。気にしないで欲しい。こいしは悪意があってあんなことをした訳ではないのだから。
闇と言う遺産が一体何なのか、きっと誰もが頭を悩ませていると思う。
しかし、それは何か特別なものでもなく、誰もが持ち得る、ありふれたもの。きっとあなたも持っている。だけど、あなたの闇と私の闇は、また異なるものとなる。これは間違いない。
私達吸血鬼は、確かに闇をこよなく愛する。夜の闇に取り巻かれるのは心地よく思う。
しかし、あの夜の闇でさえ、ここで言う真の闇とは異なる死、また闇としての質においても雲泥の差がある。そして、今回フランドールに相続させる闇と言うのは、その真の闇に他ならない。
真の闇の在り処。それは、心の中。一寸の光さえ届きようの無い心の中に、一つの瑕さえ持たない、純然たる闇が存在する。
木陰は所詮木の葉の影。夜の闇でさえ、所詮は太陽の光が世界に隠されてしまっただけの、所謂世界の影。私達が普段、闇だ何だと有り難がっているあの漆黒は、その実影でしかないのである。
しかし心はどうだろう?
心にはそもそも『光源』が存在しない。
光が無ければ影は生まれない。
光が存在しない――これこそ純粋な闇と呼べるのではないかしら。
私がフランドールにくれてやりたかった闇とは、心に潜む闇のことを指している。
フランドールは出来損ないだった。
一目見て奇形と判別できる翼。乏しい理性。それに加えてあの恐ろしい破壊能力。
生まれてそう経たぬ内に、あの子は殺処分が決定されていた。スカーレット家にそぐわぬ異分子として排除される筈だった。
しかしあの子は生きている。私が生かしてしまったのだ。
妹としてあの子を見て、どうしてもそんな悲しい終焉を迎えたくなかった。
一族の没落も厭わないで私はあの子を護り切った。
このことを、私は何度後悔したことか!
私が甘かったのだ。あんな気の違えた奴でも、いつかはまともになれると、無根拠に信じていた。私が馬鹿だった。私が愚かだった。いつまで経ってもあの子は狂いであり続けた。自我が芽生え始めてからは手の付けようもない。あんな奴の為に私は愛する家族をも犠牲にしてしまったのだ。数百年時を遡れるのなら、私は幼き日の自分を殴り飛ばしてやりたい。
自分の何が悪いのか。自分のどこがおかしいのか――本物の狂いはそれに気付けないみたい。あの子は世界を呪い続けた。おかしいのはあの子只一人なのに。
私の心の中にどんどんあの子への憎悪の念が固まって行った。自分の失態さえその憎悪に吸収されて、どんどん膨らんで行く。
いつかこの念は爆発してしまうのだろうと私も思っていたし、それを抑制する気も無かった。
この心の闇に潜み続けて膨張した堪え難き殺意を、憎悪を、怨念を、憤怒を、あの子に全部ぶちまけて、思い知らせてやるつもりだった。――不幸なのはお前だけじゃないんだ、死ぬ筈だった命の分際で調子に乗るなってことを。
……まさかそれを行う前に、病気なんかに殺されるとは思ってもいなかったけれど。
だから、私はこの闇を、古明地こいしに託した。
純粋無垢で感情希薄。閉鎖的な心に蔓延る闇、その濃密さ――私の心の闇に潜む全てを、こいしに伝えた。
こいしが上手くそれをフランドールに伝達してくれたことでしょう。フランドールは私の心の中に数百年間蔓延り続けた怨憎の闇を知ってくれたことでしょう。だからあなたはこの手紙を読んでいるのだもの。
館内の者にはどうしても頼めなかった。
あなたは従順過ぎた。
美鈴は優し過ぎた。
パチェや小悪魔には負担が大き過ぎた。
フランドールへの、そして愚かだった自分への怒り。これこそが闇の正体。
フランドールはその怒りを知り、どうなってしまうのか、私は分からない。
分からないけれど、どうしても私は、これをあの子へ遺したかった。そうしないと私は死んでも死に切れない。
もしもフランドールがおかしくなったのなら、遺産は好きに分けられる筈。
闇の分配も全部あなたに任せるわ。お好きにどうぞ。
お幸せに。 レミリア・スカーレット 』
*
咲夜は、読み終えた手紙を丁寧に折り畳み、封筒へ戻した。
最愛の主が感じていた後悔。苦悩。憤懣。そう言ったものに気付くことができなかったことが、どうしようもなく悔しかった。
手紙を私室のテーブルに置いて、台所へ戻る。料理の最中であったことを思い出したのだ。
作り掛けの薬膳料理。赤いお粥に、見慣れぬ野菜のサラダに、透き通ったスープ。
その全てを流しへぶちまける。
丁寧に皿を洗い、後片付けを済ませると、大きめの骨切りナイフを数本選定し、エプロンの裏へと忍ばせ、地下室へ向かう。
時間を操らず、のんびりと歩いて進んだ。遺産の分配について考える為である。
――妖精メイドは人数が多いが、館への貢献はそれ程でもないから、そんなに多くなくていい筈だ。パチュリー様は新しい本の購入の為に多く欲しがるかもしれない。美鈴には少々遠慮してもらうシーンが増えてしまうかもしれないが、それなりにがんばっているんだから相応の量はあげなくちゃいけない……。
考えることは山積みだが、ひとつだけ既に決まっていることがある。
“闇”の大部分はフランドールに与える。
そして、残った分は全て私が貰おう。お嬢様の殺意は私が貰おう――というものである。
こんにちはpnpです。ポケモン育成のやる気が死に絶えています。
相続はいらないものまで貰わなくちゃいけないということを知りまして、ささっと書いてみるつもりが結構長くなってしまいました。
妙なテンションで書き進めていたもので、何だか私が私でないような錯覚に陥りました。この気持ちは何なのでしょう。
リョナは難しい。
ご閲覧ありがとうございました。次は百物語でお会いできたらいいなと思います。
++++++++++++++++++++
>1 レミィはフランのこと嫌いだし、こいしはレミィの怒りを受け継いだのでフランは嫌いと言う想定の元書いています。 百物語は、まだ良く分からないんです。
>2 クラムチャウダーについては全然分かりません。ぱっと思い付いた汁物でした。
>3 レミィの手紙は書いてて「何言ってんだこいつ」ってなってて割と不安要素。
>4 フランドールかわいそう
>5 恐れ多いです。
>6 税金について学んでいたら負債の相続と言うのをみてぱっと思い付きました。
>7 確かに、誰もが悪い感じしますねこれは。本来はフランが屑すぎた方がいいのですけど。
>8 口で伝えたのです。(書き忘れてた) 細かに書くより隠した方がいいかなと思ったのですが、隠し過ぎてますね。
>9 良識派こいしってそんなに珍しいんですかね?
>10 依姫さんそんなこと言っていましたっけ……全然知らない。キチガイに何を言っても無駄そうですし。
>11 こいしはいろんな可能性を秘めた女の子なのです。
>12 元いた場所に戻す……母の腹ん中?
>13 こいしはできる子。
>14 前者でもあり後者でもある……感じです。
>15 気にするな! ですませたらss書いてる人として死ぬ。精進いたします。
>16 ありがとうございます。
>17 そういうどろどろした遺産の話にも憧れるんですけどねえ。横溝正史さんは偉大です。実に。
>18 こいしは能力的に話に入り込ませ辛い上に、求聞口授の設定で余計にそのハードルが上がりましたが、ほとんど無視して主役にしました。
>22 こいしはもうフランドールとは関わらないんじゃないかなあとか、そんなことを考えています。
コメントありがとうございました。
pnp
http://ameblo.jp/mochimochi-beibei/
- 作品情報
- 作品集:
- 4
- 投稿日時:
- 2012/07/08 01:03:15
- 更新日時:
- 2012/09/12 19:20:41
- 評価:
- 19/22
- POINT:
- 1860
- Rate:
- 16.39
- 分類
- レミリア・スカーレット
- フランドール・スカーレット
- 十六夜咲夜
- 古明地こいし
- 他
どうしようもないクズフランや、ある程度良識あるこいしなど、ちょっと珍しいキャラ付けながらも違和感なく読めました。こいしは悪意はないって言ったけど、フランのことは嫌いだったんじゃないのかなやっぱり。慕われているお嬢様と嫌われ者のフランド−ルの対極化が、物語に移入する上での良い要素になっていると思います。東方キャラ(レミリア)が死んで悲しいと思えるなんて、これはきっと貴重な感情。
百物語楽しみにしてますよ!
きっとフランちゃんには経験がないからこんな出来損ないみたいになったのだと思います。
物凄くどうでもいいですが、幻想郷でクラムチャウダーってすごくレアじゃないですか?
地底なら尚更。
あと咲夜、てめぇは許さない。
闇とはそうものですか!なるほど!光源がない!それこそが闇!もうなんというか顔が綻びます。意外な闇の正体。それの説明の説得力の強さ。いやー楽しかった!
pnpさんはストーリーテラーっすね。
ただ、今回の場合は、辞退不可というのがありますけれどね。
さとりの能力は、『心』と呼ばれるプログラムの実行結果を瞬時に予測する事。
こいしの能力は、『無意識』と呼ばれる実行開始待ちのプログラムに任意のパラメータを与えて、正常動作させる事。
こいしに『闇』の相続の手伝いをさせたのは正解でしたね。
こいしこそ、純粋にレミリアの代理を務めた絶対中立者です。
この度の話は、文章のそこかしこに真相やら暗喩やらがちりばめてありましたね。
闇の中の宝石の如く輝いていました。光って見えて良かった……。
咲夜さんは生涯をかけて、フランちゃんに遺産の取り分を支払い続けるのでしょうね……。
間引いておけばよかったフランに同情して助けたものの自分の力じゃ救うことも始末することもできずに、地下室に閉じ込めるという消極的な手段で臭いものにフタをすることしかできなかった自業自得の馬鹿レミリア、望まれずに生まれた出来損ないのくせに生きながらえて他人に迷惑をかけるだけの生きる価値なしの屑フラン。2人ともどうしようもないヤツですが、でもやっぱり苦しかったし辛かったのでしょう。
それにしても良識ある(?)こいしちゃんというのは結構レアな気が。スカーレット姉妹に関しては上でボロクソ申しましたが、彼女たちも含め登場キャラの性格はみんな魅力的でした。とても面白かったです。
霊夢たちがもう関わりたくないと言うのもわかる気がします
ひとつ気になったのは、レミリアは憎悪の深さをどうやってこいしに伝えたんでしょうね
良識派のこいしといい、クズみたいなフランといい、なんか珍しいものを見た気がする
陰鬱とした気持ちをどう発散することもできなかった半端者が、死に際に大爆発! という……普段からもっと気軽に感情をぶつけていればこんな事にならなかったのでは……と思いますが、実際なかなかそうはいかないんですよね。現実でも、我慢しまくったあげくブチギレて凶悪犯罪やらかしちゃう人とかいますし……なんて暗い気分なっちゃう実にいやーなお話で素敵でした。
レミィのプッツンを受け継いだ影響か・・・
怒りは行動をアクティブにしますからねぇ。
人と目を合わせなかった子が随分と変わったよ。
まるで魔王のようだw
できるこいしを発掘したレミリアお嬢様も素敵です。
まあフランドールがどうにもできんキチガイでももっとこう、周囲に相談するとか誰かと苦しみを分かち合うとかいろいろあったんじゃないかなあと思いました。しかしそれができない辺りがこのレミリアの美徳だったということなのでしょうか。
闇を託すという行為の意味がよくわからなかったのですが、中盤以降のこいしちゃんはレミリアの憎悪を執行する操り人形状態だったという解釈で良いのでしょうか? それとも義憤にかられただけ? 前者ならとばっちり食らって少々かわいそうですし、後者ならすげぇいい奴ですね。ともかくこのこいしはいい意味で道具っぽくて素敵でした。
従者や友人に慕われ紅魔館をここまで育てたこのレミリアと比べたら、党首にふさわしくないのは間違いないですが。
物語全体に一貫していえることはその回りくどさです。お前はジュ○ル星人かっ!
こいしに頼み延々と陰湿なストーキングと突然の暴力を続けさせたこと、それに修復不可能になってしまった姉妹仲を窺うことは出来るものの、他の方がおっしゃる通り、すぐに始末してしておけばよかったのでは。
じっくり時間をかけて精神をボロボロにしたかったのでしょうかねぇ…やるせない話です
結論なんか付きっこない現実味のある作品でした。
こいしはフランより圧倒的に強い説は諸手を上げて賛同します。フランは潜在能力はトップクラスだけど実戦経験ゼロだと思うの。
個人的にはフランがそんなにクズに見えませんでした。遺産絡みで早く死ねは普通に言いそうだし、495年閉じ込めてる姉恨んでないわけないし。まあそうだよねと共感してしまったというか。遺書見るとフランのせいでスカーレット家が没落したようなこと書いてあるので、そうなるとレミィの肩持ちたくなりますが
どうせならケーキ一緒に食べようとやってきた咲夜さんをレイプするくらいのことしちゃえばよかったんだよフランちゃんうふふ
僕もまた、「pnpさんストーリーテラーだなぁ」という感慨を持たずにはいられませんでした。
個人的にはこいしちゃん絡みのお話って話を展開させるのがすごく難しいと思うのですが、このSSはその点についても見事に描かれていますね。
そして何よりこの咲夜さんは美しい。
こいしは闇を相続したフランとこれからうまくやっていけるよね…?
咲夜さんは紅魔館の、ひいては「犬」かっこいい!
観音開きは好きです。