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『緑髪緑眼ミメティック少女』 作者: すな
東風谷早苗の髪の毛は、生まれつきゆるく波打った緑色をしていた。
それだけではなくうぐいす色の瞳でもあったので、進学するごとに三者面談を設けられ、書類を提出させられたものだ。「この瞳はカラーコンタクトなどではありませんし、頭髪は染めても巻いてもいません、生まれつきのものです。親が証明します」。そのたび好き好んで緑なんて奇抜な色に染めるわけがないと早苗は思ったのだけれど、とにかく色が色だったので、出産直後の写真まで確認された。校長先生や学年主任の前で色素に関わる遺伝子がどうこうという話を親がしていたけれど、多分本当ではない。
――だって私の髪は緑色で、瞳はうぐいす色ではないか。
小学校に上がる直前の3月、親が慣れた様子で説明している横で、目の前の低いテーブルを見つめながらそう思ったことを、早苗は未だに覚えている。職員室の応接スペースに置かれるテーブルはみなお客様用らしく似たような飾り彫りなどされていたが、あれは何か決まりでもあるのだろうか。小中高とお馴染みになった入学直前の面談は、いずれも草花をモチーフにしているらしい曲線を視線でなぞっている間に話はまとまっていた。
時々日本人でもライトブルーとかグレーの瞳や、早苗のようなうぐいす色の瞳の人はいるという。そういう人達は大抵色素が薄いらしい。でも髪の毛がはっきりとした緑で、瞳がうぐいす色だなんて例は調べても出てこなかった。肌は白かったが、自分が色素が薄いのかどうかも早苗にはよく分からない。それどころか、どうやら髪が生まれつき緑だというのは“ありえない”ことらしい。そういう訳で、科学で説明のつかないことがあるのを早苗は幼いころからよく知っていた。
当然入学してから暫くは、物珍しさから早苗のいる教室に見物に来る生徒が絶えなかったし、一部の男子のからかいの的にもなっていたが、その分庇ってくれる女子と仲良くしていたので早苗はあまり気に留めていなかった。女子生徒と教員は皆早苗の味方だった。まず担任からクラス全員に早苗の容姿のことについて説明があり、それが全校に広まるのにさほど時間はかからなかった。けれども未だに少しだけ、早苗は男の子が苦手である。
中学に上がってからはすっかり揶揄する者はいなくなった。進学したとはいえ、小学校のメンバーがそっくりそのまま持ち上がっただけだったので、髪や瞳に対する偏見なんかも心配する必要がなかった。
今思えば早苗にとって、田舎で育てたというのは僥倖であったかもしれない。“守矢神社の子である”という前置き――大昔と比べて信仰は大幅に減ってはいたものの、その神威は現代まで伝えられていたので――も有効であったし、コミュニティの狭さゆえにそのうち皆が顔見知りになるので、最初は驚かれてもそれなりに埋没することが出来たのだった。
都会ならばきっといつまでも好奇の目に晒され続けていたであろうことは、この頃には容易に想像がついた。人は多いけれど最大多数の枠から大きく外れることは許されない場所だから。多少奇抜な服装をしているだけであんなに報道されるようなところでは、早苗の髪も目も、不思議とそれらがしっくりきてしまう顔や身体の造形も、何もかもが目立ちすぎる。
そういうわけで、早苗は至極平穏に中学校での3年間を過ごした。たまに告白されたりと青春らしい出来事もあったけれども、男子への若干の苦手意識は残ったままだった。
進学先は、何とはなしに女子校にした。決める頃になると苦手意識も薄れてはいたけれど、からかわれた経験がうっすら尾を引いているのかもしれなかった。偏差値にも無理がなく、そこそこのブランド力があり、毎年同じ中学の女子の何割かが受けているところだ。中3になって、ここに進学しようと思うんだけど、と告げた時、両親は心なしかほっとした顔をしたようだった。やっぱり私が巫女になるからなのかなあ、と何となく考えた。
「気に障ったら申し訳ないんだけど――――その髪、地毛なの?」
高校で、彼女に出会った。
早苗が進学しようと決めた学校を、毎年のように同じ中学の何割かの女子も受け、そのうちの何割かは落ちた。早苗は受かった方に数えられていた。同じ制服を着る事になった同級生のうち、早苗が仲良くしていた子とはクラスが別になった。同じクラスにも同じ中学だった子はいたが、特別仲が良くも悪くもない微妙な間柄だった。
入学式のすぐ後、教室に移動してから。目に付いた子を適当につかまえて、談笑する時間。親しくなれそうかどうか、互いに探りながら――時には品定めめいた視線を送りながら、当たり障りのない話題を持ち寄って教室のそこかしこで笑い合う。皆が春特有のぎこちなくも浮ついた雰囲気を帯びていた。
早苗も例に漏れず、隣の席の子をつかまえて話そうとしていたところだった。
さあこの子は本が好きそうかなと思って視線を合わせた途端、「その髪は地毛なの」と隣の子から訊いてきたので、早苗は思わず噴き出してしまうところだった。お互い目を付け合っていた偶然と、あまりにも遠慮のない言葉のせいである。同時に近くで談笑していたグループのいくらかが、聞き耳を立てたのが分かった。それはそうだろう。早苗と面識のない人は大体こういう反応をするのだ。気になるけれど触れてはいけないような気がして、遠巻きに様子を見ているあの感じ。それは仕方ないし、普通である。たとえば目の覚めるような水色の髪の毛にオッドアイの人物を見かけたとして、早苗だってそうする。
それにしたってなかなかストレートに訊くなあ。内心面白がりながら、早苗は言葉を返す。
「うん、生まれつき。多分このあと先生から説明があると思う」
「へえ! 目もよく見ると――うぐいす色をしているのね」
早苗が思っていたのと同じ色の表現をして、彼女は驚いたような喜んだような、不思議な表情で笑った。
ヘーゼルグリーンでもオリーブでもなく、うぐいす色。
たったそれだけで早苗は彼女のことがすっかり気に入ってしまった。
二人は直ぐに、お互いに一番の友達と言っていいほど親しくなった。
一緒に歩いて下校する道すがら、早苗はこっそり彼女を見ることがあった。
早苗は彼女の外見を見るたび嬉しくなるのだ。ぱっと見た時の全体のバランスがよかった。顔立ちもまあまあ整っている方だと思う。ハーフアップに結い上げた黒くて真っ直ぐな髪は、風が吹くたび背中でさらさらと微かに音を立てていたし、日本人らしい奥二重は長くてやっぱり黒いまつ毛に彩られていた。暗い茶色の瞳といい、早苗とは大違い。彼女を構成するものすべて、何もかもがどこにでもいる少女のそれだった。
彼女がセーラー服によく合わせていたのは革の学生鞄。早苗はポリエステル地に校章が大きく入ったスクールバッグ。校章が小さくワンポイントとして入った紺のソックスは校則で決まっていたし、中学と違って生活指導の先生が厳しかったから、スカート丈は全校生徒が膝にかかる長さだったけれども、それだけが彼女とお揃いで嬉しかった。周囲が口々に「ウチの制服はダサい」等と不平を言ったが、早苗にとっては何でもなかった。
信仰の減少を理由に幻想郷への移住を説明されたのは、それから1年と半年近く経ってからだ。
その時早苗は理系のクラスに所属していて、次の日は所謂「当てられる日」なので数Uの宿題を早く終わらせてしまおうと取りかかっていた頃だった。
さっきまでにらめっこしていた数式が頭の中でぐるぐる回る。それと一緒に信仰とか幻想とか早苗は風祝だから八坂さま洩矢さまと一緒にとか、そういう言葉が混ざり始めて、一気に訳が分からなくなってしまった。
混乱の中でぼんやりと彼女の顔が思い浮かんだが、早苗は大人しく言われた通り頷いていた。守矢の風祝なのだからそうせざるを得ないだろうと、迷う余地もない事だった。あのセーラー服ももうじき着られなくなるのだな、と思うと、無性に悲しかった。
「――――私、春休みに引っ越すんだ」
3学期ももうすぐ終わる2月の末の頃。
下校するため彼女と一緒に廊下を歩いている時に、告げた。
彼女はぽかんとした顔をして、少し間を空けて、そっか、と呟いた。
「どこに行くの?」――幻想の境界の向こう側へ。
「電話とか、メールとか、届くかな」――電波があの境界を超えるのは、多分無理じゃないかな。
ほぼ全ての問いに対して早苗は現実的な嘘を吐いたので、一通り答え終わった頃には早苗は留学も兼ねて単身外国に行き、場合によっては今後も生活の基盤をそちらへ置く予定だという事になっていた。寂しいな、という彼女の呟きにだけは、そうだね、と素直に返した。
素直に返したその口の真上、伏し目がちにちらりと彼女を見た早苗の瞳は何色であっただろう。
彼女を構成するすべての何もかもがどこにでもいる少女のそれで、黒くてまっすぐな髪も奥二重も長くて黒いまつ毛も暗い茶色の瞳も、何もかもがそこらじゅうに普遍的に散らばっているパーツだらけで、でもそれらを全て兼ね備えている少女は目の前にいるこの子だけだった。丸く可愛らしくとがった鼻の先がほんのりと赤く染まっていた。早苗と同じように伏せられた瞳がゆらゆら揺れている。涙で潤んでいる。充血している。泣きかけているのだ。早苗が離れて行ってしまうことを悲しく思って、泣きかけているのだ。
「やだ、泣かないでよ」
「…………だって」
声が震えている。鞄を持つ手にぎゅうと力がこもっている。唇はきゅっと閉じられ二の句を継げないでいるし、まつ毛は伏せられて静かに涙を耐えているようだった。程無くしてほろりと一粒だけ涙が落ちるまで、早苗は彼女から目が離せないでいた。慰めるように背中を軽く撫でてやるとまたほろほろと涙が零れ、静かに頬を伝っていったのが見えた。
ああ、同じようにしんみりとした風を装いながら舐めるように少女を見つめ観察している早苗の瞳は、果たして何色であっただろう。
その日から折りに触れて、早苗は彼女が静かに泣くところを思い出していた。朝起きた時顔を洗う時歯磨きを終えて口から水を吐き出す時朝食の時昼食の時本を読んでいてふとページを捲る手が止まった時夕食の時テレビを消した時風呂で頭を洗っている時夜寝る前特有のぼんやりとした感覚でいる時。幾日にも渡って何度反芻しても衰えることのない輝きが、確かにそこにはあった。
“引っ越し”の日も近付いた春のこと、早苗はとうとう我慢が出来なくなった。それはひどく曖昧で輪郭のぼやけた衝動であったが。
何をするかもよく決めないまま、適当なメールを打って彼女を呼び出した。確か、会えなくなる前に最後に遊びにでも行こうよ、とかいう内容だったと早苗は記憶している。11時に駅で待ち合わせでどうかな、という一節だけはよく覚えていた。了解の返事は直ぐに来た。
時間ぴったりに駅へ行くと、彼女は携帯をいじりながら早苗を待っていた。黒くて真っ直ぐな髪は今日もハーフアップだった。相変わらず奥二重は黒いまつ毛に彩られていたけれど、休日だからかマスカラを付けていた。早苗に会いにくるので少し粧してきたのだ。よく見れば肌に薄く粉もはたいてある。高校生には珍しく少々背伸びした程度の控えめな化粧をし、淡い花柄の春らしいワンピースにカーディガンを着ている。早苗達くらいの歳の頃の女の子に人気があるショップの新作だ。早苗も同じものに目を付けていて、似たようなコーディネートを考えていた。そこまで観察して、ああ本当に、と思った早苗に、彼女はいつものように「おはよう」と声をかけた。
電車に乗って、県内ではそこそこ栄えている場所まで出た。ランチとかプリクラとか買い物とか、そういった下らないことで時間を潰して、二人は遊んで回った。早苗にとってはこの後のことが本題なのであって、本当ならこの過程をすっ飛ばしてもよかったのだけれど、彼女が本当に楽しそうにしているので何も言わないまま一緒にいた。
あっという間に時間は過ぎて、二人が地元の駅に帰り着くころには辺りは暗くなっていた。
休日なので人気もない。田舎なので電車の本数も少ないため、もう少し早い時間が帰宅のピークなのを二人とも知っていた。
「えーっと、早苗も自転車だよね?何処らへんに停めたの?」
改札を出て、鞄をごそごそやりながら自転車置き場に向かおうとする彼女の腕を、早苗は引っ張って人気のないところへ連れて行った。衝動自体は曖昧ながら、唯一これだけはやろうと決めていた事だった。え、なに、と混乱した様子の声がする。早る気持ちに自然と歩幅が大きくなる。ホームの影、駐輪場からも離れていて、この時間では少し離れたところから顔を視認するのは難しい程度に明かりも少なく、余程の何かがなければ暇なカップルでさえ寄り付きもしないような、おあつらえ向きの場所を目指して。
歩いた勢いを利用して、ゴミ袋を扱うように壁に向かって彼女を放り投げる。ばす、と背中がぶつかる音がして、一緒に小さく「痛ッ」と声がした。
あらためて彼女と相対する。もしかしたら、正面から向かい合うのは食事以外では初めてかもしれなかった。
彼女の怯えた態度に構わず、ねぶり回すように粘着質な視線を注いだ。人気のないところに連れ込んだはいいものの、これから何をしようかなあという思索も兼ねていた。これまでのどの視線よりもっと露骨に、彼女への溢れ出る感情を包み隠さず、観察する。視姦と言ってもよかった。彼女が居心地悪そうに身じろぎするたび、ハーフアップの黒髪がさらりと消えそうな音を立てて流れを変える。淡いピンク系でまとめられた、水彩のような花柄のシンプルなワンピース。少し厚手のライトグレーのカーディガン。そのボタンも可愛らしい花の形の細工がしてあって、彼女らしい趣味だった。買ったばかりの服に袖を通し、精一杯の慣れない化粧をして、普段より少し長く濃くなったまつ毛をチェックしたあと、きっと彼女は満足げに微笑んだのだろう。暗い茶色の瞳は今そんな微笑みなど影も形もなく、ただただ早苗の凌辱的な視線に対して怯えるばかりだったが。
早苗の中でひとつの考えがぐるぐる渦を巻き始める。
肩の辺りにまっすぐ落ちている黒い髪の毛を掬って、感触を確かめる。早苗がわずかに指を動かすたび、さら、とかしょり、とか音がした。綺麗な黒髪。早苗は心からそう思う。名残を惜しむようにつつと、梳かすように指を滑らせる。大した抵抗もないまま離れた房はするりと早苗の手から逃げて、元の場所に戻る。そういうことを二、三度繰り返す。
どうしたのさなえ、と彼女が呟く。とても笑えていない半笑い。唇の端が微かに震えている。どうしたかったのか早苗自身にも分からないので無言を貫いていたら、彼女は勝手に一層怯えを強くしたようだった。
無遠慮に顔を撫でる。彼女のすべすべの頬をさらりと撫でるとき若干のひっかかりを感じて、早苗はやっと自分の手のひらが汗ばんでいることに気が付いた。じっとりと熱い感触はさぞかし不快なことだろう。そのまま上に手を動かし、前髪に隠れ気味の眉をそっと触った。びく、と身体が動き、彼女が反射的に目をつぶる。髪の毛と同じ色の眉。一緒に親指の付け根の辺りで瞼を柔らかく撫でる。時々マスカラのせいで固いまつ毛に触れて、そのたびぴくぴくと瞼が痙攣した。目を触られているのは怖いのだろう。別に潰そうとかそういう事は考えていなかったので早苗にとっては心外だった。ちょっとした仕返しのつもりで指の腹ではなく爪で触る。
「ひっ」
小さく、本当に小さく、引き攣った声がした。半笑いさえ消えている。だから別に怪我させようとかそういうつもりじゃないのだけど、と早苗は心の中で溜め息をつく。口に出していないので彼女の反応は仕方ないと言えば仕方ないのだが。それにしたってどうしてこんなに怯えているのだ?分からなかった。それが早苗には可笑しくてたまらない。
頬に手のひらを添えたまま、親指を大きく動かして目の周りを一撫でする。手汗が彼女の頬にはたかれた白粉やチークを薄くこそげていく。くっ、くっ、と手に引っ掛かりを感じる度に、彼女がぴくぴくと身体を震わせる。特に抵抗するでもなく、すっかり怯えてしまっていてこの訳の分からない状況が過ぎるのを待っている。この子私じゃなくて男の人に同じような事されてても逃げないのかな、と早苗は考える。男の人相手ならきっと貞操の危機とかあるだろうから、もっと泣いたり叫んだり必死に抵抗したのかな、とも。彼女の抵抗が薄いのが、早苗への信頼によるものなのか、それともひとえに混乱しているからなのか、はたまた信頼が裏返って恐怖に転じているのか。早苗にはどうでもよかった。何かしてやりたいとは思ったものの、別に何か言いたいわけでも、したいわけでもない。だからひたすら無言を貫き通してそういう下らないことをぼんやり思う。
この子私に男の人みたいなことされるとか思ってないのかな。思ってないんだろうなあ。女子校なんだし同性愛者の子だって共学よりいると思うんだけどなあ。私そういう趣味ないけど。よかったね、折角綺麗に仕上げたマスカラぼろぼろにならなくて。粉やチークならまだ塗り直しがきくもんね。
そのうち、彼女の身体全体が細かく震え出した。寒いのだろうか。怖いのだろうか。手のひらにじっとりとした熱を持つ早苗には分からない。
ちくちくしたマスカラの手触りを味わいながら、早苗の中でひとつの考えがぐるぐる渦を巻いている。彼女のまつ毛は真っ黒いから市販のマスカラが塗れる。早苗の緑のまつ毛では、クリアマスカラが限度だった。ちょっと高価なカラーマスカラも試してみたことはあるけれど、緑のまつ毛が強調されると何だか質の悪いパーティグッズみたいな見た目ですぐに落としたのだ。チークだって緑の髪の毛の邪魔にならないような色を探さなければならない。この子みたいにまあるく色づいた流行りの頬にもし難い。眉を描くのは緑かカーキのアイシャドウだ。
彼女の瞼を優しくこねまわしながら、早苗の中ではひとつの考えがぐるぐるぐるぐる渦を巻いている。あの日、皆が浮ついていた春のあの日、一番最初に彼女に抱いた感情は好奇心だったろうか?或いは恋愛にも似た友情の芽生えだったろうか?ともすれば野暮ったいスカート丈が嬉しかったのは、彼女とお揃いだからだった?本当に?
淡いピンク系でまとめられた、水彩のような花柄のシンプルなワンピース。早苗もいいなと思った服だった。同じ形に同じ柄で色違いも何種類かあったけれど、早苗の一番の好みはこれだった。けれども早苗にはこのピンクが似合わない。髪と調和を取ろうと思うと、もっとくすんで落ち着いた色合いでなくてはいけなかった。そんな色は流行りではないから、なかなか早苗が入るような店では見かけない。葛藤はあったけれど、早苗は一番自分に似合うであろう紺色のワンピースを買った。
早苗が彼女を気に入っていたのは、今早苗がべたべたと触りまくっている彼女の色んなパーツの全てが普通の女の子だったからだ。
これからの人生、何も知らない人間からは遠目に見られているだけでよかったのだ。多少の噂は仕方ないと思っていたのだ。その中でも早苗と積極的に関わろうとしてくれる人とだけ関係が作れればそれでよかった。いつのまにかそうやってふるいにかける事を、自然と覚えていた。早苗は盲目で純粋な幼子などではない。自分が如何に目立つ存在か、早い時期から嫌というほど自覚があった。
だから。だからあのスカートだって、セーラー服だって、嬉しかったのだ。小学校のように私服ではなく、ご近所さんだらけの中学のように校則が緩くもなく、皆が絵に描いたような“標準”の中に納まっていたから。いつも隣にいた彼女は真っ直ぐな黒髪で暗い茶色の瞳の何処にでもいる普通の女の子で、その彼女と同じ格好である早苗も標準の範囲に入っているのだと、ひょっとして髪や目の色など大した問題ではないのではないか、だってこんなにも彼女達と早苗は同じ格好をしているではないかと、安心出来た。埋没しているような気分になれた。実際はそんなもので誤魔化せないほど緑の髪もうぐいす色の目も目立っていたけれど、それでも。
この頭髪は染めても巻いてもいません。瞳だって生まれつきのものです。親が証明します。産湯に浸かっている時の写真だってあるんです。誰かに証明されなければ、証明して貰わなければ皆に埋没することすらも許されない。生来から全てが無条件で認められていた貴女には分からない。それまでの迂遠な好奇心とか怖がるような視線とかそういった、幼い頃から常に早苗を取り巻いていたものたちではなく。何処にでもいる普通の女の子から、あの日早苗は生まれて初めてはっきりと突きつけられたのだ。「気に障ったら申し訳ないんだけど、その髪、地毛なの?」――――そうだよ地毛だよ髪の毛もまつ毛も瞳も眉も下の毛も全部何もかもが全部全部!!!
「いた、い」
がたんがたんがたんがたんがたん――――
上りの電車が、早苗達のすぐ横を通り過ぎて行く。
彼女のか細い声がする。
「いたいよ、さなえ」
いつの間にか早苗は、親指で彼女の眼球を圧迫していたのだった。丁度眼球とそれが嵌っている骨の間の辺りに、爪まで立てて。
彼女の目からぽろりと涙が落ちる。痛みによるものか、恐怖によるものか、それとも。早苗には分からない。分からない。
「やめて、お願い……何か、したなら、謝るから……」
どうして謝るのだ?
早苗は思う。どうしてこの子は私に向かって謝っているのだ?彼女は何も悪くなかった。生まれつき黒髪で暗い茶色の瞳に黒くて長いまつ毛の、何処にでもいる普通の女の子で、それを当然の事だと思って享受してきただけの話だ。だって黒髪で暗い茶色の瞳に黒くて長いまつ毛の女の子なんてそこら中に腐るほど存在している。日本人女性のステロタイプと言っていい、当たり前だ。異端なのは明らかに緑髪緑眼の早苗の方で、だから悪いのはきっと早苗だった。彼女に早苗の気持ちは一生分からない。察する事さえきっと出来ない。
――だって私の髪は緑色で、瞳はうぐいす色ではないか。
それは早苗にとっては生まれついてのもので、当然でなくても享受せざるを得ないもので、まず彼女らとは前提から違うのだ。彼女には、彼女らには、早苗の気持ちは一生分からない。その証拠に彼女が何を思って泣いているのか、早苗にだってちっとも分からないではないか。
なんだ。
そう思ったので、早苗は無言のまま彼女を残して立ち去ることにした。たったそれだけで彼女に対する執着が無くなっていたのが驚く程分かった。
孕んでいた熱も急激に冷め、先程までの引っ掛かりが嘘のように、早苗の手がするりと離れる。途端に彼女は圧迫された目を片手で押さえて、へなへなとその場に座り込んだ。気の抜けたような、安堵しているのに自失している表情を見て早苗は、変質者に会わないといいけど、とだけ思った。それはもう執着からではなく、ただ同じ女としての同情に過ぎなかった。
そのまま彼女とも高校や中学の友人とも連絡を取らないまま“引っ越し”の日になり、早苗は逃げるように越した。
あの日二人で撮った、日付と互いの名前とか「ずっとトモダチ」とかそういう他愛もないことばかり書かれたプリクラは、実家の机の隅に残してきた。
幻想郷に越して来てからは、また人間関係は一からやり直しだった。けれども奇抜な髪や目の色をしていたのは早苗だけではなかったから、面談も書類も嘘の説明も必要なかった。目の覚めるような水色の髪の毛にオッドアイの子を見かけても、誰もそこに注目することなく、ひたすら人間か妖怪かの大雑把な分類にこそ重きを置かれる場所だった。本当の意味で埋没することを、許された場所だった。
ここに来てからはあの日のように不安定になることもなく、そこそこ上手くやれている、と思う。
商売敵のような、同じ巫女としての仲間意識もあるような、不思議な間柄の友人も出来た。
「早くにごめんなさい。早苗はいるかしら」
ある早朝にいきなり霊夢が尋ねてきて、早苗は少し慌てた。寝坊というより、普通なら人の家を訪問する時間帯ではない。約束した覚えもないのでどうも急な用事のようだったが、まだ起き抜けで顔も洗っていなかった。霊夢には玄関に入って待っていてもらうよう声をかけ、早苗は洗面所に走る。
また随分と急だなあ、あの仙人さま絡みで何か変な話でも持ってきたのかしら。朝食は霊夢さんのも準備した方がいいかな。4人でご飯か。人数が多くなるのはいいかも。学校でのお昼の時間を思い出す。
そんなことを考えながら顔を洗ってふと鏡を見たとき、早苗は自分の瞳がはっきりとした緑色になっていることに気が付いた。
まるでパーティーグッズのカラーコンタクトのような、目の覚めるような緑。黄味がかった柔らかさなどすっかり消え去ってしまっていた。
――私の瞳はうぐいす色だったと思ったのだけど――少なくとも幻想郷に来た頃まではそうだったはず――
はたはたと生え際やこめかみから雫が落ちるのも構わないまま、静止して考える。
鏡の向こうから、髪の毛と同じ鮮やかさをたたえて爛爛とした瞳が、じっと早苗を捉えていた。
「お待たせしました、また随分と急ですね?」
「うーん、流石にちょっと非常識だったかしら。悪いわね」
簡単に身支度を整えてから戻ると、霊夢は玄関先に腰掛けて待っていた。
「いいえ、でももうちょっと遅く来てくれたら霊夢さんの分の朝食の支度も出来ていました」
「それは惜しい事をしたわ」
「話ついでにもうちょっと待っててくれれば支度もできますけど」
「それは嬉しい事ね。お言葉に甘えちゃおうかしら」
宴会も兼ねて夕飯を一緒にというのはよくあるけれども、神奈子と諏訪子以外の人物と朝食を一緒にというのはなかなかない。誰かが連れて帰れないレベルまで泥酔した者が出ないと。お二人にはちょっとしたサプライズになってしまうが、すぐに普段より少し賑やかな朝食が始まるだろう。
人並みに料理は出来ますけど、あんまり期待しないで下さいね。
そう言おうとして、早苗はふと霊夢の顔に目を留める。
幻想の境界を超えてから久しい。もう、あの可憐だった顔も思い出せなくなってきている。
それでも。
長い黒髪に、暗い茶色の瞳。奥二重に黒くて長いまつ毛。
顔の造形は違えど、霊夢は似ている、と思う。
「何よ、私の顔なんかじっと見たって何にもなりゃしないわよ」
「……いいえ、向こうのことを思い出します」
「へえ?」
「向こうは霊夢さんみたいな外見の子ばかりでしたよ」
「そうなの? まあこっちも人間は私みたいな髪の色が多いわね。魔理沙や咲夜みたいなのもいるけど」
とてもどうでもよさそうに、霊夢が言った。そうなのだ、ここではそんなことは些末な事だ。金も銀も水色も紺色も赤も、緑も。そこらじゅうでそんな色彩を見かけるのだから。
彼女がうぐいす色だと言った瞳も、今はもう変わってしまった。きっともう、この緑の瞳は戻らない。あのうぐいす色には戻らないのだ。早苗は何故かそう確信していた。
ゆるく波打った緑の髪も、瞳の色の変化だって、この幻想郷ではすっかり埋没している。
おそらくもうあちらに帰りたいとは思わない。早苗は漠然と予感していた。親に会いにいくことはあるとは思うが、それだけだ。妖怪や幽霊や神様や、そういった魑魅魍魎がうごめく此処こそ、早苗にふさわしい場所なのかもしれないとよく思う。でなければ、幻想のこちら側がこんなにも居心地がいい筈がない。果たしてそれが光明なのか諦観なのか早苗には分からない。
けれども一つだけならば、早苗にも分かることがある。
早苗はとうとう少女にはなれなかったのだ。あの子みたいな、どこにでもいる少女には。
早苗さんの青春グラフィティでした
風神録と神霊廟の早苗さん立ち絵の色を拾ってみると、髪は同じなのに瞳は明らかに色が違ったのでその辺も織り込みつつ
頻繁に早苗早苗打ってるもんだから時々穴絵ってミスタイプしちゃう
前回投稿した文章へのコメント・評価等有難うございました
すな
作品情報
作品集:
4
投稿日時:
2012/07/11 09:41:42
更新日時:
2012/07/11 18:41:42
評価:
6/9
POINT:
630
Rate:
16.38
分類
早苗
女子高生
幻想入り前
女の友情って…
mimetic
とりあえず百点
中でも、緑髪緑眼の少女など、その際たるものだろう。
得体の知れないグリーンアイド・モンスター。
誰に嫉妬しているのか? 外見普通の最強少女か。それとも、手に入らない『普通』にか……。
全然野暮じゃない
黒に染めない早苗の虚栄心が好き
幻想郷の普通の少女であった。
少女と早苗の二人がな〜んか良かった。
読後に思ったのは、早苗と仲が良かった女の子はじゃあどうすれば良かったの?ということです。
もしよろしければそこら辺のところをコメントか何かで教えてもらえないでしょうか?
構成や話の展開はとてもよかったです。惹きこまれました。
すみません、気付くのが遅くなってしまいました。
まずはお褒めの言葉有難うございます。とても嬉しいです。
書いた本人から見ても非常にぼんやりとした話なので、そういう感想を持たれるのはごもっともだと思います。
伝えたいというより、書きたかったのは早苗の回顧録です。
また、幼い頃から抱いてきた自身の容姿に対しての不満・鬱憤を不意に自覚し、それが増幅され、発露し、「自分のコンプレックスなど最早些末な事である」という認識に落ち着くまでの顛末でもあります。
高校生までだと、学校での勉強・部活・友達付き合い・恋愛・塾・親くらいで自分を取り巻く世界の説明がついてしまうでしょうか。
作中の描写は多少触れる程度だったり、曖昧だったり、「何となく」「分からない」で片付けられていることが多いのですが、早苗の特殊な容姿の自覚・“普通の少女”への羨望と執着・“普通の少女”になりきれないという事実の3つだけははっきりさせています。
狭いものですが、幻想郷に来るまでの早苗にとってはそれらが世界の全てでした。というつもりでした。
幻想入りしてからは多少視界も広がったようで、人名や交友関係が窺える描写を少しだけ入れてあります。
「どうすれば」というのが「どうすれば女の子は早苗から不満をぶつけられずに友達のままでいられたのか?」ということであれば、正直どうしようもなかったと思います…。
矛先が向くのを回避するだけなら、他の普通の女の子達のように最初から関わらないでおくことです。
初対面時の「地毛なの?」は、早苗の不満が彼女に向かうきっかけになったと同時に、二人が特別仲良くなったきっかけでもあるので、両立は難しいかな。
彼女は悪くないのです。早苗が色々特別だっただけで。非常に理不尽なことに早苗もそれを自覚しています。でもやっぱり不満をぶつけてしまうのですが。
長くなってしまいました。
色々ずれた事を書いたかもしれませんが、疑問に答えられたでしょうか。