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『奇形の子、サニーミルク』 作者: 智弘
その日、目覚めたサニーミルクの右手の指は、六本に増えていた。
「……むぅ」
サニーはうなった。それから、目をクシクシとこすって、自分の右手を寝ぼけ眼でじぃっと眺めた。
小指の左隣には、昨日までなかった指がしっかりと根付いている。その指を実際に動かしてみると、彼女の意思どおりにゆっくりと折れ曲がる。その様子は、新しい住人が引越しのあいさつをしているように見えた。
「よろしくね」
サニーはほんのり赤いほっぺをゆるませ、ふにゃりと笑った。そして、ふたたびベッドに横たわり、夢の続きを見始めた。
次に彼女が起きたのは、それから日が少し昇った頃のことだった。
寝床からもぞもぞと抜け出て、部屋の窓を開け放つ。朝の清々しい風に乗って、太陽のやさしい香りがサニーの鼻先をくすぐった。
たっぷりの陽光を浴びて、彼女の意識はのんびりと息を吹き返す。目はまるく、大きく開かれ、きらきらと輝きを放った。その瞳がなんの前触れもなく、彼女の右手に注目する。
いち、に、さん、し、ご……………………ろく?
一瞬、辺りがシンと静まり返る。そして、穏やかな朝の時間に――
「夢じゃなかったのっ!?」
サニーの悲鳴が響き渡った。
「生えた? 指が?」
ルナチャイルドは新聞を広げたまま、視線だけをサニーに向けた。その目は明らかに、寝ぼけてるんじゃないの? と言っているかのように冷めていた。
サニーはルナから新聞を奪い取ると、代わりに自分の右手を突き出した。
「ほら、見てよこれ!」
「うわっ、ほんとだ。なにこれ、本物? わ、わ、今動いた」
「動かしたのよ、指だもの」
口をぽかんと開けるルナに、六本目の指は何度もお辞儀をしてみせた。
そんな二人のもとに、スターサファイアが三人分の朝食を持ってやってくる。
「私の茸の盆栽にも、今朝新しい子が生えたのよ。おそろいね、サニー」
「茸といっしょにしないでよ」
「きっと同じよ。水をあげれば、もっと大きくなるんじゃない?」
「大きくなっても邪魔なだけでしょ」
「いや、水で育つわけないって」
スターが提案して、サニーが決めつけ、ルナが正す。そんないつものやり取りをしながら、三人は食事をはじめた。
「それで、どうするの?」
熱いスープにふぅふぅと息を吹きかけていたスターがたずねる。
目玉焼きに手をつけようとしていたサニーは、重々しくうなずいた。
「そうね。今日はシンプルにお塩でいただくわ」
「誰が目玉焼きになにをかけるかなんて聞いたのよ」
「え、なに、じゃあなんの話?」
「サニーったら。その指のこと以外でなにか話すことなんてあったかしら」
「あるじゃない」
サニーが答える前に、ルナが口を出した。
新聞を指差しながら彼女は言う。
「最近はいろんなことが起きたり、起きる予定だったりしてるわ」
「なにかあったっけ?」
「うーんと、有名な羊の妖怪が出たとか」
ルナの言葉に、サニーは手をたたいた。
「知ってる知ってる。それってメリーさんのことでしょ」
「なあに、それ」
「知らないの、スター? どこからともなく現れて、今あなたの後ろにいるのって話しかけてくる怖い羊なのよ」
サニーの言葉を受けてルナとスターは頭上に、白くて丸っこい、足が四本生えた毛のかたまりを作り出した。
むくむくした羊は、目が黒い点で描かれ、やけに愛らしい表情をさせながら、よちよちと相手の背中をのぼろうとしている。やわらかくてあたたかい毛の体が押しつけられ、相手はすっかり包みこまれる。そして、めえめえという鳴き声をさせながらときどき低い声で、いますよ、います、今後ろにいますよ、とささやくのだ。
二人は眉根をよせて、しばらく黙りこんだ。そのうち、絞り出すような音がその口から転がり出る。
「……怖いのかな、それ」
「……怖くはない、わね」
「怖いに決まってるでしょ」
サニーは胸を張って、言い切った。
「でも、サニーなら力を使えば見つからないし、私はすぐに逃げられるし、ルナだったら声を聞こえないようにできるから、出会っても問題ないわね」
「いや、それだと私だけ手遅れじゃない……というか、新聞に書いてあった羊って、そのメリーさんとやらじゃないし」
「あれ、違うの?」
「ちょっと違う。メリーじゃなくて、ドリーって言うらしいよ」
「なによそれ、ぜんぜん知らない。どこで有名だっていうの」
苛立ちを隠すことなく、サニーは羽を震わせた。
そんな彼女を落ち着かせるように、スターが答える。
「妖精以外のところでじゃないかしら」
「それなら有名とは言えないわね」
「あら、どうして?」
「だって妖精は数が多いじゃない。それ以外は少ない。つまり、私たちの知らないことは少数派ってことよ」
「……いや、なんか違う気がする」
胡散臭そうなルナの視線が、サニーの得意げな顔に突き刺さる。
サニーはまったく気にもせず、ほかには? とたずねた。
「んー、ほかには……日食っていうのが近いうちにあるとか」
サニーとスターは同時に互いの顔を見た。そして、視線がぶつかったところで察する。二人とも日食について知らなかった。
ルナはその様子を見て、口を開く。
「日食っていうのは、お昼でも夜みたいに真っ暗になる天気のことだって」
「それって雨とは違うの?」
「うん。雲一つない晴れの日でもとつぜん太陽が隠れちゃうらしいよ。短い間だけ」
「晴れなのに日の光が隠れるの? やだなぁ、それ」
いかにも落胆したといった声音を、サニーがこぼす。
スターはまだ不思議そうな顔をしている。
「でも、なにが太陽を隠すのかしら」
「そこは私もよく知らないけど……龍神様が臨時視察でもするんじゃないの」
「はあ。日が隠れるだなんて、話を聞いてたらだんだん憂鬱になってきたわ」
テーブルに上半身をあずけるようにして、サニーはぐてっと倒れこむ。食器はわきによけていたので、問題はなかった。
スターは自分の分の食器を片付けながら、大丈夫? と声をかける。
「一回休みの後なんだから、無理は禁物よ」
顔をあげたサニーは、意外そうな調子でこたえた。
「私、一回休んだんだ」
「覚えてないの?」
食器を持って席を立ったスターを引き継ぐように、ルナがたずねた。
「ええと、ああうん、確かあの氷精と決闘してるときに」
「そうそう、思い出した? サニーったら、当たり所が悪くてぽっくりと」
「ぱっくりと?」
「ぽっくりと! や、やめてよ、その傷口がくぱって開いたみたいな音。聞いてるだけで痛くなりそう」
「ごめんごめん」
顔の前で両手を合わせるサニーに、ルナはため息を吐いた。
「まったくもう。一回休みのサニーを誰がここまで運んだと思ってるのよ」
「重かった?」
「ちょっとね。太ったんじゃない?」
「気のせいよ」
「木の精?」
「光の精!」
言って、サニーは勢いよく立ち上がった。
話しているうちに、なんだかじっとしていられなくなる。先ほどまで彼女の胸のうちにあった気だるさは、湧き出した活力によって体外へとすっかり押し出された。
放っておけば今すぐにでも外へと飛んでいきそうな様子に、ルナは落ち着いて指摘する。
「食事中は席を立たない」
「わかってるわ。ごはんを食べたらすぐ出発しましょ」
「え、どこに?」
まるでわからないといったその声に、サニーは残った食事を片付ける手をとめる。
そして、にこやかに笑った。
「どこか! 知らないところへ。探検ってそういうものでしょ」
言うだけ言うと、ふたたび口をまるく開いて、皿の上にあるものを次々と片付ける。ほっぺをいっぱいに膨らませながらの忙しない食べ方だ。
そんな彼女を見て、ルナはたしなめるように言う。
「探検は逃げないんだから、もっとゆっくり食べないと」
「……………………グ、グ、グ」
「ちょっと! ちょっと、サニー!」
サニーの顔は苦痛に青ざめ、羽は力なく垂れさがっている。呼びかけにも返事をすることはなかった。できなかった。ただ、バタバタと手足を振るい、くぐもった声をもらすだけである。
ルナはあわてて飲み物を探した。しかし、テーブルにある水差しはすでに空っぽだ。
「スター! お水持ってきて!」
もがくサニーの背中をピシャリピシャリとたたきながら、ルナが叫んだ。
その声が部屋中に放たれたのとほとんど同時に、スターが白いマグカップを持って、のんびりとした足取りでやってきた。
「ん、なにかあったの?」
「それ、それをこっちに!」
ルナはさっと飛び出て、スターの手からカップを奪い取った。そして、すぐさまサニーのもとへ舞い戻り、その口元にたっぷりと中身を注ごうとマグカップを傾ける。
事態をようやく理解したスターは、とっさに声をあげた。
「ダメよ、ルナ!」
「え?」
「それ、珈琲」
声にならない悲鳴が、サニーの口からほとばしった。
彼女は一瞬飛び上がると、そのまま浮き上がることなく床に背中を打ちつけた。それでも、口中を焼きつける珈琲の熱からは逃げられなかった。そのため彼女の体は、意思の了解を得ないまま、火傷の痛みをなぐさめようとした。そのちいさな体が、床に打ちつけられた勢いのまま転がり出す。それは風に流される木の葉のようなすさまじい速さで、放っておけば地平もまたいでしまうだろうと思えるほどだった。
しかし、この場は彼女たちの住居であり、その広さにも限りがあった。間もなくサニーは、壁に頭をしたたかに打ちつけた。
サニーの視界に、夜の暗がりがおとずれる。まぶたをぱちりと開いても、光はどこにもなかった。次第に、思考が奇妙な浮遊感を持ち始める。手足はすっと溶けていき、そのまま空気の中を泳いでいくのがわかる。
眠ってもいいのだと、彼女は思った。
その日、目覚めたサニーミルクの右手の指は、十二本に増えていた。
「ひっ!」
サニーは恐怖に顔をひきつらせた。
体は仕掛けバネのように飛び跳ね、驚きに満ちたまるい目がその異常な右手を映し出した。
手はミルク色で、血と乳がたっぷりとつまっているように程よく肥えていた。それはどの指にも言えることで、親指から小指まではもちろん、その隣に連なる七本の肉の突起も例外ではなかった。新しい住人たちはどれも小指ほどの長さで、爪はつやつやとした健康的な輝きを放っている。
ただ、先住民と違い、彼らは密集して生きていた。指と指の間にはわずかばかりの隙間もなく、力いっぱいに手を開いても、背比べをしているかのように並んで立ってみせた。
そのため、それらの指を動かしてみると、ほかのものも動いてしまう。元からある指が一つの突出部であるのに対し、新しい七本の指はまるで一つの群れのようだった。一本でも動かせば、ほかの指もまたもぞもぞとうごめき、持ち主とは別のところに意思があるのではないかと思えてしまうのだ。
サニーはくしゃりと顔をゆがめ、自分の右手に対する生理的な嫌悪を露わにした。その指の動きが、大きな石の裏にびっしりとはりついている虫どもを彼女に思い起こさせた。
「もう、なんなの。なんなのよ、これぇ……」
サニーはなんとか気分をまぎらわそうと、思ったことをそのまま声に出した。だが、口にすればその分、自分を取り囲む事態の不快さを思い知ることになる。
彼女の視界はだんだん頼りなくなっていった。鼻が燃えるように熱くなり、なにかが体のやわらかい部分からせり上がってくるのを感じた。
いけない、と彼女は思った。深く息を吸い、それから長い時間をかけてお腹の中にあるよくないものを追い出すように、ゆっくりと息を吐いた。少しだけ気持ちがやわらいだ。
「……ルナ、スター、もう起きてるかな」
サニーは部屋の扉を見つめ、次に自分の右手に視線を落とした。身じろぎもせず、増えた指をにらみつける。
こんなものを見たら、きっと二人とも……。そこまで考えて、サニーは頭を振った。
唇をうすく引き結ぶと、彼女は部屋の中を見回した。そして、ベッドのシーツに目をつけると、それを右手にぐるぐると巻きつける。大きな毛玉のような白いかたまりが出来上がった。
右手は使えないけど仕方ない、と一人うなずいた。
それから、サニーは扉に手をかける。そんなはずはないのに、ひどく重く感じられた。
「サニー! 大丈夫なの?」
「体はどう、頭は? もう痛くない?」
おそるおそる部屋を出たサニーを迎えたのは、ルナとスターの不安げな声だった。二人のその表情には確かな気遣いや、心をくすぐる雰囲気のようなものがあった。
サニーはそれを見て取って、自分の体に張っていた力が抜けていくのを感じた。
「うん。なんとかね。でも、指がまた増えたの」
ルナとスターは、サニーのシーツが巻かれた右手を見て、目を見開いた。
スターが口元に手をそえて、たずねる。
「指が? 痛くはないの?」
「痛くない、けど……ちょっと、増えた指が多くて、その、見た目が気持ち悪いのよ」
きまりが悪そうにサニーは言った。
ぎこちない笑みを浮かべる彼女に、ルナとスターは一言二言返すだけにした。
「ねえ、ちょっと遅くなったけど、朝ごはんにしようよ」
ルナは普段より明るい調子で言った。
そうね、そうしましょう、とサニーとスターは続くように言った。
ルナとサニーは、テーブルの上を片付け始める。しかし、サニーは左手しか使えないので、ほとんど役には立たなかった。ごめんね、とサニーが謝ると、いいよいいよ、とルナはおだやかな声を返した。
スターは二人が席についてしばらくしてから、朝食を持ってきた。
「遅かったね。ごはんの準備はできてたんじゃないの?」
「おむすびを作っていたの」
ルナの何気ない疑問に、スターは得意げに答える。それから、サニーの方を向いて、可愛らしくウインクした。
「これなら左手でも食べられるでしょ」
サニーは嬉しさと気恥ずかしさで、顔が赤くなっていくのを自覚した。
か細い声でありがと、とサニーはつぶやく。その言葉に、スターは楽しげに、どうぞ召し上がれ、と返してみせた。
そして、三人はすっかり食事を終えると、サニーの指についてあらためて話し合った。
「とにかく原因を見つけるべきね」
ルナがいかにもむずかしい顔をして、話を切り出した。
サニーとスターも口を開く。
「でも、原因がわかっても私たちでなんとかできるかはわからないわ」
「そうねぇ。そもそも原因の見当がまるでつかないわけだし」
「だったら、誰かに相談してみる? 魔理沙さんとか、アリスさんとか」
「それはダメ!」
とつぜん、サニーは声を荒げた。
スターは目をまるくさせ、ルナは肩をびくりと震わせる。
「だ、だって、こんなの誰にも見せたくないし……」
「……まあ、サニーがそう言うなら」
「それに、またイタズラかって思われるかもしれないしね」
三人は同時にうーん、とうなった。
そのとき、あっ、という声がした。口にしたのはサニーだった。
「原因がわからないのはひとまず置いて、先にこの指を治すのはどうかな」
「治すって……どうやって?」
ルナがたずねた。
「一回休みになって、この体をやり直せばいいのよ」
サニーの言葉に、二人は胸のうちをいきなり小突かれたような気分になった。
ルナはぽかんと口を開けて、喋ることを忘れてしまっている。スターは冷静をよそおって、なんとか自分の考えを口にした。
「だめよ、そんなの。自殺するってことでしょ?」
「仕方ないのよ」
「そもそもサニーは、一回休みになって指が増えちゃったのよ。昨日も一回休みになって、さらに増えた。これ以上、指を生やすつもりかしら」
「だって、だって、我慢できないの」
サニーは顔を伏せた。
「これ以上、あの気持ち悪いのが右手にくっついてるって、考えるだけで嫌なのよ。左手は普通だから、余計にそう思っちゃうの」
「サニー……」
「前の一回休みは上手くいかなかっただけかもしれない。今回は、もしかしたら治るかもしれない。ううん、きっと元に戻るわ」
決してサニーの声は大きくない。しかし、その悲痛な言葉は、ルナとスターの耳にいつまでも響いているかのように残り続けた。それは、叫びとはまったく違うやり方でありながら、二人の記憶に深い跡を刻んだのだった。
三人はしばらく押し黙った。
その沈黙を破り、でも、とルナは声を硬くさせながら言った。
「どうやって、一回休みになるの?」
聞かれたサニーは、スターを見やった。
「鈴蘭、あるでしょ?」
「え、ああ、前にイタズラに使えるかもって大量に採ってきたやつのこと? それなら家の裏に置いたままだけど」
「鈴蘭を枕元に敷き詰めてからじっと横たわっていれば、眠るように果てるのよ」
サニーはそう言うと、席を立つ。そして、外にある鈴蘭の入った麻袋を両腕で抱えて持ってくると、そのまま自分の部屋へと歩いていった。
彼女が部屋に入る前に、残された二人はすがるように近づいた。だが、決して触れることはなかった。止めてしまえば、それは彼女の決心を邪魔することと同じだった。
今この場で出来る、せめてものなぐさめは言葉しかない。先にそのことに気づいたのは、スターだった。
「私たちも出来ることをやってみる。ルナといっしょに調べてみるわね」
遅れて、ルナもまた気付く。
「きっと次の一回休みの後には治ってるよ。こっちのことは任せて」
サニーは二人のやさしさを背に受けても、振り返ることはなかった。だが、そのちいさな肩は小刻みに震えていた。扉が閉まる前に、ありがと、と一言残し、彼女は部屋に閉じこもった。
一人になったサニーは、右手に巻かれた白いシーツを取り外した。もしかしたらという楽観的な予想も、十二本の指の前にひれ伏した。ため息が出る。
彼女は右手をあまり見ないようにしながら、枕のまわりに鈴蘭をたっぷりと敷いた。すぐにベッドに入り、目を閉じる。部屋の外からは、あの館の図書館、新聞、忍びこんで、といった二人の話し声がかすかに聞こえた。
サニーは耳をすませながら、ゆっくりと呼吸を繰り返す。次第に、上下するちいさな胸のゆれ幅は狭まっていき、ついにはぴくりとも動かなくなった。鈴蘭の毒が、彼女の体を縦横無尽に駆けめぐる。
そしてサニーは、夢の狭間で息絶えた。
その日、目覚めたサニーミルクの右手の指は――
「……………………ある」
五本に戻っていた。
「ちゃんと五本ある……戻ってる! 戻ったわ!」
サニーは思わず、歓喜の声をあげた。愉快で仕方ないといった笑みを浮かべ、彼女はベッドから飛び起きる。輝ける日のようなきらめきが、その目には宿っていた。
「うん?」
しかし、突如としてその陽光に黒々とした陰りが差し掛かった。身を起こした彼女は、なにか薄ら寒い感覚に襲われる。
体が異様に重いのだ。
なにも背負ってないはずだというのに、まるで誰かがのしかかっているかのように息苦しさが付きまとった。それに、ひどい臭いがする。土の上でゆっくりとしぼんでいく果実や、熟れすぎた花が身にまとう、甘ったるい腐敗臭が部屋中に広がっていた。サニーは辺りをぐるりと見渡すが、部屋のどこにも臭いの元らしいものはなかった。
そのとき、ぐしゅ、と水気のある音がサニーの耳に届いた。
背後。それもすぐそばに、なにかがいる。自分の知らない、何者かが。
サニーは首周りに、どっと冷や汗が湧き出るのを自覚する。髪の毛穴がいっせいに広がったかのように、無性に頭がかゆくなった。
彼女は両手をゆっくりと握り締め、ちいさな拳をつくった。
ちゃんと右手は元に戻ったんだ。大丈夫。もう大丈夫。サニーは、自分にたっぷりと言い聞かせた。
覚悟を決め、彼女は自分の背中に目を向ける。
「……あ、あ、あ」
サニーの皮膚があわ立った。
そこには、羽があったのだ。しかし、見慣れた自分の羽ではない。透き通るような軽やかさと、自然の曲線美をあらわした、あのすばらしい妖精の羽はどこにもなかった。
サニーの背中にある羽は、どす黒く変色し、端からぐずぐずと崩れ落ちながらもそれが羽だとわかる程度に図々しく形を保ち、鼻を突くような刺激臭を放っていた。
「ぁ、や……うぅ、やぁ、いやぁ……」
サニーは我知らず、嗚咽をもらした。
羽にしみのように広がる黒いかびのようなものは、背の大部分にまで侵食していた。付け根の一帯の肌は腐り果てていて、黒く変色した皮膚の残骸がところどころに引っかかっている。その腐った皮の合間から、ゼラチンのように崩れかけた赤黒い肉がむき出しにされていた。
痛みはほとんどなかったが、サニーはすっかり打ちのめされた。あのきれいな羽が、ずっと背負ってきた自分の羽が、完全に汚されたのだ。
部屋の外に出ようという気は当然、起きなかった。時間は太陽がまだのぼっている頃で、いつもの二人ならもう食事を始めていることだろう。だが、食器の触れ合う音や話し声はおろか、ぱたぱたと歩き回る気配さえなかった。
きっと、とサニーは思いつく。このおそろしい事態を引き起こした張本人を懸命に探してまわっているのだ。
ルナもスターも頑張っている。自分だけ怠けるわけにはいかないじゃないか。そこまで考えると、サニーは自分の体の奥底から得体の知れない熱っぽさが込みあがるのを知った。
そうだ。まだ、まだ治ってないだけ。今度こそ、次こそ絶対に戻ってみせる。次こそ。
彼女はふたたび枕元に鈴蘭を敷き直す。
そして、ベッドに横たわった。シーツを汚さないために、うつ伏せになって、目を閉じる。
枕に顔がずぶずぶと埋まっていく。いつもより、少しだけ寝苦しかった。けれど、枕からは太陽の香りがした。今となってはそれだけが救いだった。
サニーは日の光を間近に感じながら、夢見る死に向かっていった。
その日、目覚めたサニーミルクの体に、異常は残っていなかった。
「今度こそ、治ったの……?」
彼女はベッドから起き上がると、すぐに自分の全身をくまなく調べた。手も、足も、背中も、羽も以前のような健康的な状態になっている。おかしな臭いもないし、音もしない。念入りに何度も何度も見てみるが、結果は変わらず、体は健全そのものだった。
瞬間、サニーは姿勢を崩し、床にぺたりと座り込んだ。緊張と恐怖に縛られていた体が、今ようやく解放されたのだ。
視界はきらきらと輝きはじめ、涙がほっぺの上を走り抜ける。
「う、あぁ、やっ、と……やっと元に……」
鼻を鳴らして、サニーは目元をぬぐった。それでも視界は頼りない。仕方ないな、と気力を取り戻した彼女は、ふたたび両手で涙を拾う。
「ん、あれ?」
しかし、いくらぬぐっても視界は涙でいっぱいだった。
ふと、額がやたらと湿っていることに気づく。サニーはすっかり安堵しながらも、おかしいな、と軽い気持ちでいぶかしんだ。
そして、その手が額に触れたとき、サニーは自分の置かれている立場を理解した。
「目が、え、これ……目がここにも二つ、え、え、え?」
両手の指が、サニーの顔に殺到した。
指がなでると、目は本来の位置にありながら、額にも二つ備わっていることがわかる。眉があるべきところに、その余分な目が取って代わっていた。
四つの目は水分を放出した後で、その長いまつ毛がしっとりと濡れそぼっている。
「なんで! どうしてまだおかしいの! 治ったのに、元通りになれたのに!」
サニーの恐慌は成長円熟し、玉のような涙を実らせた。その苦悶の果実は赤いほっぺを転がり、なだらかなあごの先で少しばかりとどまると、それから床に吸い込まれていった。
涙の実りは、実に豊かだった。なおも顔をまさぐるサニーの指は、額にある二つの目の間に鼻があることを知ってしまったのだから。
彼女はあわてて、顔の中央に手をそっとかざす。しかし、なんの抵抗もなかった。あるべき鼻がなくなっていた。
サニーは、ヒッ、ヒィッ、ヒッ、ヒィッ、と歯を噛みしめてうなった。そのとき、とつぜん彼女の瞳にまたもや絶望の色が漂った。
現実にある惨たらしさにおびえる手が、そっと唇をなぞる。小ぶりの下唇に人差し指を押し当てると、そのまま右側にス、ス、ス、と撫でていく。
ゆっくりと。途切れることを祈るように。
しかし、人差し指はなぞり続ける。止まらない。見つからないのだ。
いよいよ、サニーは唇を薄くさせて、歯ぐきを外気にさらし出した。指がようやく唇の端をとらえる。ほとんど耳元にまで伸びた裂け目は、威嚇する犬の様相をなしていた。
「うそよ……こんなの、間違いよ……」
サニーにもその光景は想像できたのだろう。だが、心のどこかでは欠片ほどでも信じられないという気持ちもあったに違いない。
彼女はふらふらと弱々しい足腰を叱咤して、なんとか立ち上がると、部屋の窓へと歩み寄った。そして、窓ガラスをそっと覗き込む。
そこには、四つの目を持ち、額の中央に鼻を据え付け、左の耳元から反対側にまでゆるやかな弧を描いた、真っ赤な口唇のある彼女の顔が、外から差す日の光にまぎれて、ぼんやりと映し出されていた。
ぱぁん、と。
なにかの爆ぜるようなイメージがサニーの脳裏をよぎった。
それは、ちいさな彼女の体の中で息づいていた、波のように引いては押し寄せる不安や、奇形になる恐怖、どうしてこんな目にという不条理への怒り、冷たく暗い死に対する漠然とした親近感、その他あらゆる精神の均衡を担っていたものがいっぺんに消えうせたという実感であり、サニーの精神をかたどっていた器のひび割れる音である。
今や彼女の心は、とろとろとした水晶のような液体を静かに垂れ流すばかりだった。
「……いやっ! もう、もう! いやぁ!」
髪を躍らせながら、サニーは絶叫する。
その足はベッドから離れ、鈴蘭の詰まった麻袋を踏みしめ、部屋の扉へと向かっていた。
これまでの事態は、あまりにサニーを恐れさせ、苦しめ、薄暗い孤独へと追いやった。今の彼女には、なぐさめが必要だった。悲しみに泣き明かした後には喉がかわくように、血を流した後には気が遠くなるように、正気を失いかけている彼女が仲間と笑い合っていた以前の日常に飢えを感じるのは当然のことだった。
ルナに大丈夫だよ、と言ってほしい。スターにきっと治るわ、となぐさめてもらいたい。
サニーの頭は、もう二人のことでいっぱいだった。自分がどういった状態かということなど、頭の外へとすっかり押し退けてしまっている。
そのためにサニーは部屋から出たとき、まったく理解できなかった。ちょうど扉の前で様子をうかがっていたルナとスターの第一声が、先ほど彼女自身が発したものと同じ種類の叫びであることなど、夢にも思わなかったのだ。
「嫌っ! え、うそ、これ……!」
「きゃあ! なに、なに、なに、なんなの!」
二人は純然な恐怖の色を帯びた声を、サニーに突きつけた。
しかし、サニーにはそれが声ではなく、ただの音としか思えなかったのである。彼女は返事をすることもなく、そのまま二人に歩み寄る。
このときルナは、我を忘れてしまった。頭は目前の脅威にくらくらしていた。彼女はサニーのことを確かに慮っていたが、吹きすさぶ恐慌の風にさらされたその心は、一時だけおそろしい寒さに屈してしまったのだ。
ルナは身震いしながら、おぞましさを抑えきれずに思わず言った。言ってしまった。
「こ、こないでっ!」
その瞬間、サニーはすべてを了解した。
同時に、ルナは自分の言った言葉が、友情や親愛をどれほど裏切るものであるかに気づく。彼女は悔恨の情に流されながら、すぐにサニーに話しかける。
「ちがうの、サニー! おねがい! 聞いて!」
そのルナの願いは、叶わなかった。
サニーはさっと身をひるがえすと、部屋の窓を開け放ち、そこからすさまじい速さで飛び去っていった。
痺れたようなうつろなルナの頭に、どうしようもない後悔の念がうずまく。
どうして自分はあんなことを言ってしまったんだろう。一番怖いのは、辛いのは、サニー自身じゃない!
ルナは手が真っ白になるほどに拳を握り締める。伏せた顔からは、ぽたりぽたりと滴が落ちた。
そんな彼女を見て、ずっと口を両手で押さえていたスターが、か細い声でぽつりと言った。
「ルナが言わなかったら……私が言ってた」
二人は床を見つめながら、唇を噛みしめた。血が滲むほど、強く強く噛みしめた。
ルナとスターはそうしてしばらくの間、立ち尽くした。
「ねえ、スター」
ルナが唐突に話しかけてきたので、スターはさっと顔をあげた。
目が合った。ルナは疲れたような暗い目つきをしていた。だが、そこには確かに、月のようなひっそりとした青白い輝きが存在していた。
なに、とスターは聞き返す。
「私、サニーに会いたい」
「えぇ」
「ちゃんと会って、謝りたい」
「えぇ」
「それからサニーをおかしくした原因はこうだって教えて、安心させてあげたいの」
「……えぇ! そうね、私もよ!」
スターはいつもなら出さないような大声で言った。
その力強い声音に、ルナはどこか勇気付けられる。体の震えはもう止まっていた。
ルナの様子を眺めて、スターはさっぱりとした調子で言う。
「今、サニーを追いかけても解決にはならないわ。お互いのために、一日くらいは時間を置いた方がいいと思うの」
「うん」
「その間になんとしても原因を見つけましょう。私たちで、サニーを元通りにしてあげるのよ」
「そうしたら……許してくれるかな」
「きっとね」
二人は言い合い、どこからか借りてきた本や新聞の山で埋もれたテーブルに向かった。
その足取りに迷いはなかった。
意気込んではみたものの、ルナとスターの調査は依然として答えを見つけられずにいた。
二人は日が沈んでも黙々と、本や新聞の記述にサニーを救うためのヒントがないか探すのだが、これだと思うものは一つもなかった。そうして、へとへとの体と重い目蓋を濃い珈琲の苦みでなだめながら、夜をまたぎ、気づけば日がのぼろうとする頃になっていた。
珈琲を飲もうとしたルナは、カップを手に取りのぞきこむ。陶器製の白い肌が見えたので、仕方なく元の位置に置いた。
「スター。今、何時?」
「……外見ればわかるでしょ。朝よ、朝」
スターは開いた書物に顔を押し付けながら、おそろしく低い声で答えた。それはルナも同様で、二人の疲労はいよいよ限界にまで達していた。
サニーは今頃、どうしてるだろう。解決の手段がいまだ見つからない現状から、ルナは知らずサニーのことを考えていた。朝なら、日の光がサニーを少しでも元気づければいいのにな。
ルナは何気なく、窓から外の天気を眺めた。
「あれ、朝……?」
「どうしたの、ルナ」
机ではない方を見ていたルナに気づいて、スターがたずねた。
「いや、なんか外、変じゃない?」
「うん? そういえば妙に暗いわね」
「曇ってるのかな」
「でも、さっきまで晴れていたと思ったけど」
スターの言葉通り、窓からは陽光がたっぷりと注がれていたはずだった。しかし、その陽光がとつぜん途切れたように暗くなる。雲もあまり見当たらず、風もあまりないため、急に太陽が隠れるというのもおかしな話だった。
二人は窓から空の様子をのぞこうとする。
スターは目をまるくさせた。
「太陽が黒いわ!」
遅れてルナがそっと目を向けると、チカチカとした光線が降り注ぐ中で、太陽が黒く輝いていた。驚いているスターと違い、彼女はこの空模様に覚えがあった。
「スター、これは日食よ」
「日食って……前に言ってたあの?」
「そうよ。新聞に書いてあったやつ。そっか、今日だったのね」
目が痛みを訴えたので、ルナは視線を部屋へと戻し、ふたたび席につく。痛みをやわらげるために、彼女は目蓋を閉ざした。太陽の光線は目蓋の裏で火花のように爆ぜ、なにも見えていないはずの視界が赤々と燃える。
そのときだった。とつぜん、ルナは自分の意識が頭上へと浮きだすのを自覚した。そして、遠い高みからすべてを見下ろしているような奇妙な感覚に襲われる。そこでふわふわと漂っていると、脳裏にたった今起きた事態と不幸なサニーの姿がよぎった。
瞬間、ルナの視界は真っ白に染まり、目を開けると難解な文章に立ち向かうスターがいた。
「……そうよ、日食よ」
ルナはささやくように言った。
なに、とスターが調べ物の手を止めて聞く。
「サニーは日食のせいでおかしくなったのよ」
「どういうこと?」
スターが聞き返すが、ルナは少しの間、黙り込んだ。
口元に手をそえて、ぶつぶつと何事かつぶやく。やがて、少し早口になり、生き返ったようにまた話し始めた。
「自然が維持されていれば私たちは再生する。その自然が普段とは違う状態になったら、やっぱり影響を受けるんじゃないかと思うの」
「じゃあ、サニーの指が増えたり、顔が、その、おかしなことになったのは、日食が近付いていたからなの?」
スターの問いに、ルナは首を縦に振った。
「多分、一回休みの時期が悪かったのね。日食の間でも一回休みで再生しなければ、きっといつもと変わらない姿でいられたのよ」
「体を元通りにするために一回休みでリセットしたのに、逆にそれが原因でどんどんおかしくなっていったのね」
「多分。最初に指が増えたときにもあのままにしておけば良かったんじゃないかな……象徴としている自然が異常になっているんだから、やり直せばやり直すほど、その変化に引っぱられることになると思う」
それじゃあ、とスターは机に身を乗り出した。
「今、日食が終わったんだからサニーはもう治るってこと?」
その言葉にルナは、はっとする。
そうだ。こんなところでぐずぐずしている暇はない。ついに原因がわかったんだ。解決法が見つかったんだ。サニーにすぐに知らせてあげないと。
ルナは家の扉に向かいながら、スターに言った。
「早く、迎えに行かないと!」
二人は転げるようにして外に出た。
太陽は黒く欠けているところがあるものの、本来の白い輝きをほとんど取り戻していた。
「スター!」
「わかってるわ」
ルナが呼びかけたときには、もうスターは自分の能力を発動させていた。
スターはこっちよ、とサニーがいるであろう方向へ飛んでいく。
ルナはなにも出来ない自分に歯がゆさを感じながらも、見失わないようにスターの背中を追った。
「いた!」
スターの声に、ルナは飛行速度をあげた。
木々に囲まれた草むらの中に、サニーはごろんと転がっていた。その体は草に阻まれ、よく見えずにいた。
二人は急停止して、地面に降りた。そして、寝そべるサニーにゆっくりと歩み寄る。二人の目つきはしっかりとサニーを捉えていて、唇はきっと横に結ばれている。
三人そろっての三月精だ、という決意をスターは胸に抱いていた。今度は逃げない、仲間なんだから、とルナは力強い足取りで前へと進んだ。
そして、サニーは二人の近づく音に気付いたのか、むっくり起き上がると口を開いた。
「アーアー」
舌足らずな声だった。
ルナとスターは、そこでサニーの姿をはっきりと見ることが出来た。
サニーの頭部は二つに分かれていた。どちらもサニーと同じ顔、同じ髪、そして同じような夢見る表情を浮かべていた。しかし、その顔はルナとスターの知るものとはあまりに重ならない。
目は太陽のようだった。まるく、大きく、一つだけで陽光の注ぐようにどこかおだやかな視線を向ける。鼻は前とは違って、元の位置に戻っている。口も同じだが、形は笑みというにはあまりに歪んでいた。白痴のようにひん曲がり、てらてらと輝くよだれをこぼしている。
サニーの二つの頭は単眼であることをのぞいて、首、肩、腕まで二人分が用意されているが、脇腹のところで一つになっていた。そして、そこから下の部分もすべて一つに結合している。二本の細い足は、真っ白な一本の尾のようになっていて、まるで人魚のような姿だった。
そんなサニーを見つめていたルナは、倒れこむように彼女に覆いかぶさった。
「サニー! ごめんなさい!」
そう言って、ルナはサニーを強く抱きしめた。
「私……あのとき、怖かったの、あなたが怖かった……。でも、今は違うの! あなたはサニーミルク。欠かすことの出来ない大切な仲間よ!」
「アー? アウーアー」
笑いかけるサニーに、スターはそっと寄り添った。そして、サニーの後頭部をそっと撫でる。
すると、スターの手に生温かい真っ赤な粘液が付着する。彼女が周囲を見渡すと、こげ茶色の太い幹にべっとりと血痕が残っていた。
スターはそこから視線をそらすと、ふたたびサニーの髪を撫で続けた。
「また一回休みになったのね、サニー。でも、もう大丈夫よ。あなたはこれから良くなっていくわ。太陽が元に戻ったし、私たちが治るまでちゃんと面倒を見てあげるもの」
言って、スターはいとおしむ手つきで撫でていく。髪から耳へ、耳からほっぺ、それからやわらかい唇にもやさしく触れた。
くすぐったそうにサニーは身じろぐ。
サニーの体にルナがかぶさり、そんな二人を傍らのスターが見守る。
その光景は、太陽が月に体を重ね、その様子を無数の星が眺めるという、日食そのものだった。
「サニー、ご飯の時間よ」
「アーアー」
ルナは寝転がるサニーをゆっくりと抱き寄せ、専用のイスに座らせる。
そして、やわらかく飲み込みやすい食事を手ずから食べさせた。
「ああ、ほら。口元が汚れてるわよ」
「ンー! アーアーアー」
「はい、きれいになった」
「上手になったわね、食べさせるの」
そこにやってきたスターが、楽しそうに言った。
ルナは得意げな顔を返す。
「スターには負けてられないからね」
「あら、まだまだじゃない?」
「そんなことないわ。これからもっと、もっと、上手になるもの」
「期待してるわ」
くすくすと笑みをこぼすようにして、スターは言った。
「ちゃんと二人で育てるって決めたものね」
「うん。日食から大分経ったし、少しずつだけど戻ってきてる」
ルナはそう言って、視線を落とした。サニーの結合していた足は、今や分かれて二本に戻っていた。
日食の直後、サニーを見つけ出し、家に戻ったルナとスターは、サニーの今後について話し合った。
鈴蘭が麻袋にまだ残っていたので、その毒を使って一回休みにすればすぐにサニーは元通りになるはずだった。しかし、ルナもスターも、この案を思いつきはしたものの口に出すことはなかった。
家族同然のサニーを、自分たちが傷つけてしまったサニーを、仕方ないと言って手にかけることなど出来るはずがない。
二人の考えはこうして一致し、自然と自分たちで育てることになったのである。一回休みでやり直さなくても、自然の影響を日々受けている妖精は、長い時間をかければまさしく自然そのもののように正常な状態によみがえる。それまでは二人でお世話をしていこう、と。
こうして、ルナとスターはサニーの母となったのだった。
サニーの成長は順調で、毎日笑ったり泣いたり、ころころと表情を変えながら楽しそうにしている。
その様子を眺めていることが、ルナとスターのなによりの喜びだった。
「アーウーウー」
「はいはい。まだ食べたいのね」
「たくさん食べてね、サニー」
「アーアー」
「はい、あーん」
ルナとスターはやさしげに微笑む。
サニーも負けないくらいの笑顔を浮かべる。その笑みは温かく、彼女たちを心地よく照らす。
まるで太陽のような笑顔だった。
サニー、わが生命のひかり、わが血のもと。わが翼、わが魂。
-10月26日追記-
評価、コメントともにありがとうございます。
以下はコメント返信です。
>>2
言われて気付きました。意識してなかったんですが、まさしく当てはまりますね。四つの目とか痴呆とか毒の滴る手(羽)とか。殺戮への飢えとかも入れると面白かったかもしれません。
>>3
その通りです。死亡ループものですが、蓬莱人と違って、妖精は変化がないというわけではありませんからね。
>実は他の二人も、姿こそ変化は無かったけど、心が影響を受けていたりして。
よ、よくわかりましたね、私もそう考えていたんですよ……(震え声)
>>4
ご満足いただけたようでなによりですよ。私も、三月精の魅力に気づくことができて良かったです。サニーちゃんの笑顔はサンシャイン可愛い。
>>5
奇形との落差を出すために、とにかく可愛らしくという考えのもとで書きました。意図した反応があって、うれしいです。
>>6
書いているうちに三月精たちの挙動の一つ一つが(自分で書いたくせに)心を打つようになり、自然とハッピーエンドになりました。三月精の愛らしさがこの話を作り上げたといってもいいですね。
>>7
登場人物たちが懸命に努力した末のハッピーエンドというものは、じつに気持ちのいいものですよ。
シャム双生児は有名ですから、是非とも使ってみたかったのです。
>>8
妖精は自然を象った存在。そして私たちは生きている限り、自然を愛せずにはいられません。
-11月17日追記-
評価、コメントともにありがとうございます。どちらも励みになっております。
以下はコメント返信です。
>>10
いわゆる『いい話』を今まで書いたことがなかったのですが、今回の話では自然とできました。
妖精の自然的な愛らしさが私に作用したからに違いありません。
>>14
森で言葉にならない声を喚きながら一人放置される奇形サニー、という場面で終わらせるのもありかとは思ったのですが……どうも私は半端者のようで。
>>15
三月精の和気あいあいとした仲良しムードを出すために三人のおしゃべりは必須でしたが、会話の書き分けが想像以上に難しかったです。彼女たちは口調がほとんど似ているので、地の文で細かに補足しないと誰がどのセリフを言ったのかがわからなくなってしまいます。
今回の話でもできるだけその点については気を付けたつもりなのですが、まだまだ精進が必要ですね……。
智弘
- 作品情報
- 作品集:
- 5
- 投稿日時:
- 2012/10/24 13:50:40
- 更新日時:
- 2012/11/17 12:34:40
- 評価:
- 11/16
- POINT:
- 1250
- Rate:
- 15.00
- 分類
- 奇形
- サニーミルク
- ルナチャイルド
- スターサファイア
ともあれ、三月精の大勝利。イイハナシダナー 某氏が大喜びしそうだ
実は他の二人も、姿こそ変化は無かったけど、心が影響を受けていたりして。
だから天体ショーが終わりに近づくと、至極当たり前の事を、仲間を思いやる気持ちを取り戻したとか。
ええ話や……(ホロリ)。
100点じゃ足りない。素晴らしい作品を、ありがとうございました。
三月精をこんなにもかわいいと思ったのははじめてかも
泣きたくなるくらい美しい話でした。
双頭単眼って鼻が頭頂にないってすごい事例だな
言葉回しが素敵でした
妖精ってこんなに綺麗な生き物だったんですね。
奇形のサニーかわいい
最後の希望ある展開に安堵しました。
この作品のように、「一番描きたかったシーンはこれだ! この文章だ!」という部分がわかる小説は読了感が素晴らしいですね。ありがとうございました。