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『産廃SSこんぺ「橙インザ電子レンジ」』 作者: あぶぶ
実際、幻想郷の科学は遅れている。
しかし、河童や妖怪の山の神は光学迷彩や常温核融合などの超科学的な御業を確立しており、ある方面では外界を遥かに凌ぐのも確かだ。
幻想郷の創始者たる八雲紫が住むマヨヒガにも文明の進歩と共に利便性の高い家電製品が流れ込み、歴史を感じさせる茅葺屋根の家屋も中身はすっかりリフォームされて、古きを尊ぶ紫などは工事を率先して行った藍に対して密かな不満を募らせていた。
先週も藍が電子レンジなる箱を台所に運び入れて、老朽化している木の床を軋ませた。
一メートルはありそう電化製品に紫が苦言を呈すると、発注していた河童が注文どうりに作らなかった為に、何処かのレストランの厨房にありそうな巨大な代物が届いたらしい。
そんなマヨヒガで紫はちゃぶ台に半身を預け、頬杖をついて様変わりした居間を見渡しため息をつく。
自室の窓から外を見れば、六月の梅雨がススキの茎を伝って滴り落ち、橙が軒下でつまらなそうに曇り空を見上げている。
ちゃぶ台の上に重ねている手のひらに視線を落として人型に切り取られた和紙に向かって話しかけると、式札が振動によって音を発し、藍からの返事を伝えてくれた。
「ええ、結界の修復はあらかた終わりました。半時程でそちらに戻れるでしょうね」
「分かったわ。ご馳走を用意をして待っているからね」
「ありがとうございます。しかし今回の亀裂は予想以上に大きかったですね。博麗大結界がここまで不安定な状態になったのは初めてでしょう?」
藍は紫と二言三言言葉を交わすと通信を切り、結界の修繕作業に戻った。
彼女は今、魔法の森の一角で宙に手をかざしている。
そこは空間の歪みの為、本来は木の幹のあるはずの場所に人里の寺小屋が浮かんで見えた。
紫の命で藍が初めて訪れた時、ここら一帯があらぬ場所の風景を映していたのを、三日かけて一本の亀裂を残すまでに修復したのだ。
今は妖力を注ぐだけで割れた空間は元通りになるが、一箇所に多くの空間が織り込まれているのを、多次元的な計算式を紫と二人がかりで解く徹夜作業の末、どうにか元の場所に戻したのだ。
大仕事に終わりが見えて安堵した藍は、マヨヒガの主と式を思い出した。
「ああ、早く帰って二人に会いたい」
橙は私がいない間、良い子にしているだろうか?我がままを言って紫様を困らせていなければいいが。
と言うより、主は主で心配な所がある。彼女の式になって数千年になるが、家事をしているところを見た事が無い。
本当に一度も、何かの気まぐれで炊事場に立つ事すらなかった。
さっきご馳走を用意していると言っていたが、まさか御自分で作るのではないだろう。
隙間からひょいっと取り出しそうな予感がする。
「でも、もしかしたら……」
この大仕事の労いに紫様の手料理が食べられるかもしれない。
どんな味付けだろうか。いや、そもそも食べられる物が出てくれば良いが。
一抹の不安を覚えながら、それでも口元が綻ぶのを止められなかった。
「ん?」
白昼夢の様な空想から藍を呼び戻したのは手のひらに感じた微かな違和感だった。
さっきより空間の亀裂も大きく見える。藍の獣耳は自身の心臓がドクンと大きく鳴るのを聞いた。
慌てて作業ミスが無いか調べなおす。もし基本的な部分で数式に間違いがあれば今までの仕事が水の泡になる。
だが事態は彼女が考えているよりも遥かに深刻だった。
亀裂は見る見るうちに大きくなり、やがて藍の周りは空や地中や人里や水中を写したスナッフ写真の展示室に変わった。
紫にテレパシーを飛ばそうとした時、爆音と共に空を切り裂くような亀裂が藍の目の前に現れると、彼女の身体は数十メートル吹き飛んで、意識も同じ位の勢いで飛んで行った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「うぅ、萃香、萃香ー!」
霊夢は博麗神社の境内にうずくまり、先ほどまで軒先で一緒に茶を啜っていた友人の名を呼んだ。
耳鳴りに額を押さえながら立ち上がって、吹き飛ばされる直前までいた縁側に視線を向ける。
大量の土煙が視界を遮っていた。
昼下がりに遊びに来た萃香と茶菓子を食べながら談笑している時、空に閃光が走ったと思ったら、次の瞬間、おそらく社の裏の林で爆発が起こったのだ。
霊夢は防御用の護符で事なきを得たが、視野の端に飛び散った材木をもろに腹に受けている萃香が見えた。
「れ……こっちに……すけて……霊夢……!」
「萃香!?」
うめき声が霊夢が落下した位置より更に進んだ場所から聞こえる。
痛む身体を引きずり声がした場所に急ぐが、すぐにつんざく様な悲鳴が響いた。
やはり何者かの攻撃だったか……一瞬ひるんだが、気を持ち直し、攻撃用の札を構えて煙の中を進む。
する筈の無い水音と、土煙だと思っていた靄はどうやら濃い霧だという事実が水棲の魔物の存在を伝えてきた。
萃香の妖気を感じる場所に飛び立ち、同時に霊気を前方に放出して濃霧を払い襲撃者の姿を捉えた。
「ヒッ!?」
鱗で覆われた淡黄色の皮膚が目の前にあった。
捕食者を前にしたときに感じる人間の原始的な部分が彼女をすくませると、呼吸する事も忘れてその巨躯を見上げる事しか出来なかった。
恐ろしく巨大な鰐が視界を横切っていく。
実際には円を描くように歩いていたのだが、右から左へ流れていく胴体が余りに巨大な為、一点を見つめていた霊夢にはそう見えたらしい。
自身の二倍程ありそうな後ろ足が目前を通り過ぎた所で、ようやく相手が爬虫類に似た化け物だと認識する。
同時に萃香の事を思い出し、恐る恐る浮かび上がって上空から彼女を探した。
妖怪かそれ以外の何かかは分からないが、この怪物がいる場所は不自然に沈み込み、液体がそこから湧き出ている。
環境を作り変える程の力を持つ魔物。知性があるのか、何故ここに現れたのか、様々な疑問が浮かぶのは冷静さを取り戻してきたからだろう。
だが巨大なアゴにくわえられて、頭と右腕だけを覗かせている友人の姿を目にすると、年頃の少女があげる様な悲鳴を上げた。
数秒後、博麗神社に巨大な水しぶきが上がった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
博麗大結界の致命的な損傷は紫も無論察知し、彼女の式がテレパシーを送ろうとした時には既に隙間を開いて彼女の回収に向かっていた。
後一歩のところで間に合わず、次元の歪みによる大エネルギーで吹き飛ばされてしまっていたのだが。
今は紫の腕の中で意識を取り戻して、うめき声を上げながら申し訳無さそうに謝っている。
「分かったから、もう喋らないで……傷に触るわ」
「でも、結界が……」
「大丈夫よ」
藍を地面に横たえると、立ち上がり、爆発を起した空間の裂け目に近づく。
それは幻想郷の空を断絶して走り、あるところでは輝き、またあるところでは夜のように暗い。
外界と幻想郷は薄壁一枚隔てて、隣り合っている。
万有引力、質量保存、相対性理論などなど、外界で通じる理論はここには存在しない。
知らないのではなく無いのだ。妖怪や妖精、神がいて、それらが歩いているのが幻想郷の常識。
そして今、亀裂によって外界で当たり前とされている事柄が侵入している。
「……」
紫は空に手を伸ばし、何やら呪文を呟く。
みるみる内に亀裂は閉じて、一分も立たないうちに元通りの曇り空に戻った。
「すみません。どうやら私はとんだ役立たずだったようですね」
「安心しないで。ただの応急処置よ。それに貴方も自分で張った結界ならこの程度出来るでしょう?」
「無理ですよ。買い被りです」
藍は目に見えてうな垂れていた。
「紫様、気になることが……」
「何?」
「先ほどの爆発の時、何かが亀裂の向こうで動くのが見えました。何者かが幻想郷に侵入したかもしれません。それに……」
藍は言葉を切り後ろを振り返る。獣耳もそちらに向けた。
「紫様、博麗神社で何かあったようです。爆音と大量の水が地面に落ちる音がします」
「そう。貴方はここにいなさい」
「でも」
「あら、私が心配なの?」
「……分かりました」
紫が博麗神社の上空につながる隙間を開くと、風が通るように消えてしまった。
藍は隙間妖怪でなければ、決してあのように潜れない事を知っている。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
博霊神社は壊滅状態だった。
先ほどまで立ち込めていた霧が消え去り、廃墟となった境内が顕わになる。
「酷いわね……霊夢は無事かしら」
石畳に降り立った紫が周囲の気配を探ると、神社の西にある林に覚えのある霊気を感じた。
数メートル四方をごっそり抉り取られた地面はクレーターの様で、周囲に重なっている材木を乗り越えた先に両膝を突いた霊夢を見つける。
唖然としている彼女の肩をそっと叩くと、茫然自失といった感じで紫の方に向きなおした。
「萃香が……」
「え?」
「萃香が、食べられちゃった」
搾り出すようにそう言うと。頭を地面に押し当てて声を上げて泣き出した。
「霊夢、如何いう事?萃香と一緒にいたの?」
「あ、ああ……萃香、萃香が食べられた。死んでしまった……!!」
紫はまず妖怪の仕業だと考えた。しかし妖気の残り香は萃香のものしか感じられない。
その代わり妙な圧迫感と、生き物の住む水辺の臭いがした。
「落ち着いて、深呼吸しなさい。私はここを襲った妖怪を探さなければいけない。どんな姿だったのか教えて頂戴」
「妖怪?違う。ああ、ううっ……!あれは妖怪なんかじゃなかった。紫、絶対に止めないと。きっと、もっと被害が出るわ!」
「妖怪じゃない?」
「あれは、この世のものじゃないわ、この世にいてはいけない物だわ……!」
紫はここに至って初めて狼狽した。
自分が完璧に管理している世界に入り込んだ異物。
未知の病原体に身体を犯されている気分。
「ううっ、萃香、萃香!絶対仇を討ってあげるから……!!」
「霊夢、そうね。これは解決しなければいけない異変だわ。でも落ち着きなさい。私に襲撃者の容姿を教えるのよ。準備が必要だわ。協力しなければ。そして、準備万端整えれば私達に出来ない事は無い筈でしょう?」
飛び立とうとする霊夢を押し止めて説明させる。要領を得ない言葉だったがおおよその推論は立てられた。
幻想郷には生息していない為、直接彼女の口から名前は出なかったが巨大な爬虫類の外観は大よそ鰐に似たものだろう。
萃香を襲った後、水柱を上げて地中に消えたらしい。紫は自身の隙間に似た空間を独自に展開しているのだと当たりをつけた。
「如何するの?異空間に潜んでいるんじゃ手が出せないじゃない」
「やりようは色々とあるわ。むしろ化物鰐(とりあえずそう名づけた)がどういった存在かが問題ね」
「まるで分からないの?」
「いえ、予想は付くわ。おそらく国外からやって来た神でしょうね。北欧か、もしかしたら東南アジアの何処かかも……本来は幻想郷に通さない類ね……ここの住人と共存出来ないでしょうから」
「そ、そうだわ。何故結界に破損があったの?あんなに大きな亀裂始めてみたわ」
「……調査中よ」
紫はそれだけ言うと、それじゃあ行きましょうかと言って宙に舞い上がった。
霊夢は何か言いたそうに口をモゴモゴさせたが、すぐに復習の炎を両目に灯すと二人並んで崩落した神社の上空に浮かび上がる。
「霊夢、何か感じる?」
目標の位置を探知出来るかと言う意味だ。霊夢は紫を一瞥すると、目を瞑り、幻想郷中に意識を集中させる。
暫くすると目を瞑ったまま手を上げて、人差し指で方角を示した。
「そっち?」
「うん……たぶん」
人里があるわね……
「じゃあ二手に分かれて探しましょう。見つけたらすぐ私に連絡してね。前に渡した連絡用の式札は持ってる?」
「ええ。必ずするわ」
霊夢が飛び去ると紫は心配そうに後ろ姿を見て、それから足元に隙間を開いた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
起伏が激しい幻想郷の中では割かし平坦な土地に人里はある。
前時代的な木造建築が道なりに並んでおり、飯屋や雑貨店、銭湯などに着物姿の人々が出入りしている様子は、さながら江戸の城下町の様である。
「うん。それじゃあ鮎を二尾と醤油を一升貰おうかな」
「毎度あり」
魚屋の主人に料金を支払い、魚の包みと一升瓶を受け取り、上白沢慧音は人里の外れにある自宅へと歩を進める。
行きかう人々と同様、彼女も唐傘を差して水溜りを避けながら帰路に着く。
雨天ではあるが、夏を目前に控えて日が長くなった平日の午後に家に篭っている者ばかりでは無い。仕事帰りに居酒屋の暖簾を潜る中年や、夕飯の支度に追われる主婦達が世話しなく慧音の横を通り過ぎる。
寺小屋で教鞭をとる彼女も先ほど生徒達を見送り、今は町の喧騒を行く大勢の中の一人である。
ふと、見慣れない顔が急ぐ彼女の足取りを止めた。
大きな傘をフラフラと揺らして、猫耳の式神が辺りに視線を走らせながら歩いて来る。
「やあ、こんにちわ。君は確か八雲さんの所の式神だったね。」
「あ、慧音さん……ねえ、藍さま達知らない?」
「いや、見ないね。ご主人様はお家を開けているのかい?」
「……お仕事だって言ってた。結界が壊れてるんだって」
そう言って視線を足元に落とす。しゅんとした彼女を励まそうと言葉を捜すが、結界の事などまるで分からない。
しばしの沈黙の後、彼女を家に誘った。確か式は水が苦手だったし、良い教師ならこうするだろうと思ったからだ。
「でも藍様を探さないと」
「そうかい?なら私も一緒に探してあげよう。荷物を置いてくるから一寸待ってなさい」
慧音は損得を無視した善行を心掛けている。
ただボランティア精神も行き過ぎると相手の負担になる事は余り理解していない。
「え、でも……」
「遠慮しなくてもいいよ。なーに、同じ妖獣じゃないか。困った時はお互い様だろ」
そう言うと、パタパタと走り去っていく。橙は八百屋の軒下で曇り空を見上げて如何しようかとため息をついた。
慧音とは人里で何度か会って顔見知りだった。だが、それだけだ。こうまで気を遣われると逆に心苦しい。
軒先から滴り落ちる水滴が売り物のキュウリに当たって彼女の膝に雫を飛ばす。
マヨヒガで藍の帰りを待っていたのにいつの間にか紫の姿まで消えていた。おそらく結界の修復が思うように進んでいないのだろう。
自分が役に立つとは思えないが藍の顔を見て安心したかった。つまりは寂しくなったのだ。
水滴が規則的なリズムを刻んでいるのを目で追っていると、落下した雫が起す水溜りの波紋が、リズムに沿わない時があるのに気付いた。
「?」
橙があらゆる物事には原因と結果があるという藍の言葉を思い出して、因果関係について思考を巡らしていると、不意に地面が大きく振動した。
彼女の疑問は思わぬ形で解決した訳だ。すぐに地震は地響きを伴う巨大なものに変わった。
八百屋の柱に捕まって暫しの恐怖をやり過ごそうとするが、揺れはやがて大通りを割り、彼女の足元を隆起させる。
しかも亀裂から凄まじい勢いで水が湧き出した。
橙は悲鳴を上げて飛び上がろうとしたが、粘土質の土が足を絡め捕り、逆に前のめりに倒れこんでしまった。
「ゲホッ、ゲホッ!うう、何これぇ……!?藍さま、藍さまぁ!!」
隆起した地面が今度は突然沈み込む。大量の水が流れ込み、沈下した場所で腰を抜かしている橙に容赦なく襲い掛かった。
「きゃあああ!助けて!!藍さま!誰かああああ!!」
建物の残骸が水没から免れようとする彼女の周りに押し寄せて、すっかり取り囲んでしまう。
橙はパニックを起して叫び散らすが、周りの人間は途方にくれて死に逝く少女を見下ろすだけだ。
ふと、見物人の一人が出来たばかりの泉に土色の鱗が蠢いているのを見つける。
その巨体は小さな泉にはとても収まりそうに無かったが、触れた場所を凸レンズに映る風景のように凹ませて水中を泳ぐように進んでいた。
円を描きながら徐々に池の中心に近づくと、足掻いている橙も怪物の存在に気付き震え上がる。
「きゃあ!!?」
橙の身体が突然上に引っ張られた。顔を上げると紫が隙間を開いて彼女の両脇に手を回して持ち上げようとしている。
すぐに泥から足が抜けて、抱きかかえる形で救助されると、見物人達から拍手が起こった。
彼女のいた場所が巨大なアゴに砕かれたのはその直後だ。
野次馬は平和な日常をぶち壊したモンスターが地中に消えると、金縛りが解けた様に悲鳴を上げて散り散りになった。
「ううっ、紫さまぁ……」
紫が橙を抱えたまま地に降りる。慧音が驚愕の様相で走りよって来た。
「こ、これは……何事ですか?」
「橙を頼むわね。私はあれを始末しなければならないから」
「?……あれ?」
隙間を空ける紫を呼び止める。
「ちょ、一寸待ってくれ!この子、調子がおかしいぞ。呼吸が苦しげだし体温も低いし……」
「知ってるでしょ。式は水が苦手なのよ。出来れば身体を拭いてあげてね。」
慧音の不安を他所に、もう話す事は無いといった感じで隙間の中に消えてしまった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「くそっ!くそっ!!やっぱり人里だわ。こんな森に現れる筈無いじゃない!」
悪態をつく霊夢は珍しく勘を外したようだ。
怪物が地面に潜る時に上げる水柱を人里に見定め、魔法の森の上空で方向転換した。
「うっ、グスッ、萃香」
袖で涙を拭って速度を上げる。萃香が目の前で喰われているのに何も出来なかった。
骨が砕ける音が頭に響く。恐怖を忘れる為に更に激昂して、手中の封魔針を握り締めた。
人里の西にある小集落の上空で速度を落とし、茅葺屋根を目下に望みながら怪物の気配を探る事に集中する。
地下に巨大な存在を感じる。凄いスピードだ……偶に地上付近に上ってくるのは獲物を探す為だろうか?
「……来る」
東に向かって飛ぶ。案の定、進行方向の約百メートル先で水柱が上がった。
到着した霊夢が見たのは倒壊した民家と、巨躯をうねらせて村人を襲う魔物の背中だった。
口元から覗く噛み砕かれる人間がえらく小さく見えるので、まだまだ満腹には程遠い筈だ。
霊夢は反撃されない高度を保ち、封魔針を数本放った。
「良しっ!」
全ての針が命中し唸り声を上げる標的。霊夢は畳み掛けようと護符で身を守りつつ接近するが、直ぐに地中に潜ってしまった。
再び索敵に入る。目標の大きさを考えると致命傷とはいかない筈だ。
数分後、今度は先ほどの集落の近くに浮上してくる気配を感じ取り、そちらに急行する。
「しまった……!」
霊夢が着いた時には水柱を上げながら地下に戻っていく鰐の尾だけが見えた。
家屋が沈下した地面の底でバラバラになっている。
「霊夢、苦戦してるみたいね」
神出鬼没の妖怪が背後に浮いていた。
「丁度いいところに来たわね。紫、罠を張るわよ。あいつの出現場所に先回りしましょう」
「作戦は?」
「私が動きを止めるから、紫は逃げられる前にしとめて頂戴。方法は任せるわ」
「了解。出現位置が特定できたら隙間で直行しましょう」
「勿論そのつもりよ」
霊夢が再び索敵を開始する。暫く黙って目を瞑っていたがやがて北西の方角を指差した。
「あっちね。やはり人里の中。距離にして百二十メートル」
「西の大通りか。分かったわ。今隙間を開くわね」
まず霊夢が、続いて紫が隙間を潜る。いつの間にか雨は上がり、沈みかけた太陽が、それでも白色の光を地上に落としていた。
「ああ、確かに感じるわ。異教の神が発する不愉快な空気。凄まじい力が浮き上がってくる」
霊夢は札を五枚取り出し、空中を旋回しながら等間隔に屋根や柱、路上に貼り付けた。
同時に通行人や買い物客に向かって大声で叫ぶ。
「お前達!今すぐここから離れなさい!!怪物が地面から這い出てくるわよ!」
霊夢が博麗の巫女だという事は有名なので、通りにいた数人は急いで退散した。
しかし、建物の中には声が届かないらしく全員の非難は難しい。
「霊夢!隙間で拾える限りの人間は回収しておくわ!!貴方は化物鰐の動きを止める事だけに集中しなさい!」
人通りの無くなった大通りが隆起し、次に急激に沈み込む。凹みの中心から水が湧き上がってあっという間に小型の池ができた。
雲が晴れ、池の水が光を反射させてチカチカと光る。鰐の鼻先がゆっくりと浮かび上がってきた。
霊夢は路地に降りて、鰐が全身を現すのをじっと待つ。巨大な頭部を一目見たところで恐怖と、それ以上の怒りが全身を支配した。
前足を穴の縁にかけ、淡黄色の鱗に覆われた胴体が大気に触れる。
霊夢が先ほど貼り付けた札に霊力を送り、鰐の後ろ足が地面を踏みしめたところで一気に力を解放すると、御札を五つの頂点にして化物鰐を囲むように五芒星を描く結界が完成した。
チリチリと空気を焼く光の線は斥力により内部の存在を中心部に強力に釘付けにする。
「成功よ!紫!!」
霊夢が全力で霊気を放出し、それは青白いオーラとなって彼女の身体から立ち上るのが見えた。
紫の姿は見えなかったが五芒星の真上にパックリと隙間が開き、閃光が一閃。
目標に命中すると肉を焼き切り、胴を突き破って地面で炸裂した。
土煙が引いた時に現れたのは、水が流れ込んでいるクレーターと風穴を開けた化物鰐の躯だった。
呼吸荒く膝を突く霊夢に紫が歩み寄る。
「やったわね」
「うっ……ひぐっ」
紫が町の様子を見てくると言って飛び去ると、しゃくり上げる霊夢だけが残された。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
人里の寂れた民宿で、慧音は一室を借り切り高熱でうなされる橙の看病をしていた。
とりあえず身体を拭いて着替えさせ、解熱剤を飲ませてある。
頭に濡れた布を宛がおうとしたが、そもそも水が原因で苦しんでいるのだから本末転倒に思えた。
何も出来ない歯がゆさに、いっそ永遠亭に医者を呼びに行こうかと考えていると、九尾を生やした妖怪が顔面蒼白で部屋に飛び込んできた。
「ああ!橙!橙!大丈夫か!?」
「はあ、はあ……藍、さま」
覗き込む藍の顔を一瞬見るが、直ぐ苦悶の表情を浮かべて目を閉じてしまった。
「慧音……!橙は大丈夫か!?如何してこんな……」
彼女を紫から預かった事と、人里が巨大な何かに襲撃された事を伝える。
藍は橙の手を握り締めて話を聞いていたが、最後は突っ伏して何やら呟きだした。
「ううっううう……すまない。みんな、私のせいだ……!」
「慧音さん?こんなに苦しんでいるのは、やはり水に濡れたせいでしょうか?」
「そんな筈は……それ位で体調を崩すはず無いのに……分からない。紫様だ。紫様を探さないと!」
発作を起したように立ち上がり、慧音の制止を振り切り部屋を飛び出してしまった。
藍が民宿を出ると、人の流れが通りを一方向に流れていた。流れに習い、人を掻き分け、角を一つ曲がったところに廃墟があった。
通りに沿って並んでいたであろう民家が数件、完全に倒壊していたのだ。
泣き叫ぶ声が聞こえる。
野次馬の会話によると十人以上喰われたらしい。
「藍?」
背後から声を掛けらる。紫かと思って振り向いたが霊夢が生気の無い瞳で立っていた。
「れ、霊夢、現れた怪物は貴方が倒してくれたのかい?」
霊夢は藍の言葉など何処吹く風と言った感じで焦点の合わない目を泳がせている。
「……紫、知らない?」
ハッとして、当たりを見回す。そうだ、紫様を探さないと!
「いや、知らないんだ。紫様を探さなければいけなかった。どうやら化物は退治したようだし、紫様なら直ぐに橙の様子を見に来てくれる筈なんだが……」
「まさか逃げたんじゃないでしょうね?」
「逃げる?紫様が何から逃げるんだ?」
「決まってるじゃない。幻想郷にあんな化物を通したんだから、落とし前を付けなきゃいけないじゃない。」
「な……!?」
とうとうと述べる霊夢に唖然とし、遅れて主を愚弄された事に対する怒りがやって来た。
「何を言っている!博麗大結界の管理はお前の仕事でもあるだろう!
それに、それに今回の事は私の責任なんだ!私が結界の修復を誤ってしまったから……!」
「だから紫様は悪くない!」……と言う言葉が発せられる事は無かった。
藍の頬が音を立ててなり、鋭い痛みに思わず手で覆った。
指の間から見える霊夢の表情にさほど変化は無かったが、藍を見据える瞳は恐ろしく冷く、残酷な光を帯びていた。
「そう、全部貴方が悪かったのね。それじゃあ、さっさと地獄に堕ちて頂戴」
それから大声で民衆に聞こえるように彼女を罵った。
「このゴミ!!あんたの責任なのに!!何を人事のような事を言っている!謝れ!!萃香に!死んだ人達に謝れ!!」
藍はただ木の様に突っ立って、理不尽に思える霊夢の罵声を受けていた。
萃香?そうか、彼女に何かあったのだろう。大怪我を負ったのか、それとも命に関わる大事があったのかもしれない。
責任を感じているのだろう。だから私に当たっているのだ。自分が何を言ってるのか分かっていないのだ。
「死ね」
「え?」
群集から小石が飛んできて藍の足元に落ちた。
「死ね!死ね!」
二個目の狙いは正確で彼女の額に当たった。
「死ね!化物!死ね!!」
次々に飛んでくる小石やゴミは悉く藍に向けられていた。
霊夢もまだ何か叫んでいたが、藍には酷い耳鳴りで何の音も聞こえない。
唯一、不自然に早くなった自身の呼吸音だけが頭に響いている。
その後の事は一切覚えていない。
世界の全てが自分を呪っていると思った。
だから橙を連れて逃げ出したのだろう。
いつの間にかマヨヒガにいた。
右の拳に痣があった。
誰か殴り倒したのかもしれない。
相手が人間なら死んでいるだろう。
橙を抱きかかえてマヨヒガの中を走り回る。
大声を出して主を呼ぶが、しんと静まり返った屋敷は藍をますます混乱させた。
「紫様、助けてください!!橙が、橙が死にそうなんです!!!」
静寂。橙の苦しそうな息づかい。霊夢のゴミを見る目。罵声。罵声。罵声。
腕の中の少女は恐ろしく冷たい。
「ああ、冷たい。死んでしまう。橙、すまない。私のせいで橙が死んでしまう」
台所の壁にもたれ掛かり橙を後ろから抱きしめて、ブツブツとうわ言の様に謝罪を繰り返す。
荒波に揺られる小船のように視界の揺れる。耳鳴りが死神の声に聞こえる。
もしかしたら本当に来ていたのかもしれない。
狡猾に藍の思考に入り込み、彼女を操り人形のように操って、橙を連れ去る為に。
「橙、待ってろ。直ぐに暖めてやるから」
藍は母親が子供を風呂に入れる様な自然さで橙を巨大な電子レンジに詰め込んだ。
窓の横に並んでいるボタンを操作すると、やがて作動中を知らせる低い機会音が鳴り響く。
藍は小窓から、薄暗い電子レンジの中で橙が温まるのを不安そうに見つめていた。
「?」
様子がおかしい。
何故橙の皮膚が泡立って、ピンク色の筋が見えるのだろう?
何故そんなに苦しそうに叫んでいるのだろう?
何故眼球が飛び出しそうなほど目を見開いているのだろう?
私はナゼチェンヲデンシレンジ二イレテシマッタノダロウ?
ナニモワカラナイナニモナニモナニモナニモ……
ボン!
アアトウトウハジケテシマッタ。
チェンガデンシレンジノシミニナッテシマッタ。
キョウハチェンヲタベルコトニシヨウ。
ワタシノダイスキナチェンハドンナニオイシイノダロウカ……
本当に大勢の方が参加されましたね。
おお!七百点とは!?過去最高の点数ですww
次からは匿名で投稿しようかな・・・
コメ返しです
1さんへ
自分でも書いててうわぁ・・・ってなりました。
本当は橙が苦しみもがく様を詳細に表現したかったんですけど、レンジに生き物を入れた事が無かったので断念しました。
ああ、リアリティ・・・
2さんへ
橙は星になったのです。理不尽でしょうか?でも確かに・・・良い事すれば良い事が起こるべきですよねぇ。
3さんへ
さいですかw私は執念という言葉とは対極の人間だと思っていましたが・・・
何処が笑えましたか?「萃香が、食べられちゃった」位ですかね?
4さんへ
なんなんでしょうね?何故鰐が?自分でも良く分かりません。
これを前フリといって良いのか。意味不明と言うべきか・・・
5さんへ
最初は紫が橙をチンする予定だったんですよ。尺の都合とのたのたした執筆のせいで藍様には壊れてもらいました。
6さんへ
いやいや、むしろどう表現したら良いのか最後まで分からず仕舞いで・・・結局このザマですw
7さんへ
実は紫の勘違いで本当はこいしちゃんが悪い物を食べたのかもしれません。ワニワニの実か何かを・・・
9さんへ
「リアルって何だよー!!」
シュールリアリズムの作家は人間関係に疲れているのでは?
むしろ周りが疲れるのか??
10さんへ
あー確かにそうかもしれませんね。私としては村人にもっと感情を出させていれば、その後の藍への投石が自然になったと思います。
最後まで読んでくれた人達に感謝を・・・
あぶぶ
作品情報
作品集:
5
投稿日時:
2012/11/25 12:22:05
更新日時:
2012/12/17 18:39:33
評価:
9/11
POINT:
700
Rate:
12.08
分類
産廃SSこんぺ
酷い、悲しい、無情だ……。
藍しゃま、バグッちゃったのか……。
最後の方の展開が少々急で紫の行方など分からないまま終わってしまった部分もありますが、この理不尽さは嫌いではありません
前振りに力入り過ぎです
侵入してきた巨大ワニの描写が好き。
ちょっと心構えができてしまったかな、という感じがします。ここは霊夢を出さずに
一般人に避難されるだけにとどめておいたほうが、ラストのなんじゃそりゃー感が際立ったかと。
でも現時点でもすごい爆笑できるお話で楽しかったです!!