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『もう届かない』 作者: 名前がありません号
ぴちゃり。
ぴちゃり。
ぴちゃり。
水の音がする。
彼女にとって、それは決して聞き慣れない音ではない。
彼女が屋敷を歩き回っている時に聞く音。
雨が上がった後の、わずかな水滴が零れ落ちた時に響く音。
しかしそんな音はこの地下室から響く事は決してない。
ここは閉鎖され、隔離された世界だ。この館が水の下にでも沈まない限り、あり得ない。
そして沈んでいる頃にはここも水で満たされ、彼女は灰になっているだろう。
しかしこの部屋と外を隔離する大扉からは水の一滴も入っては来ない。
ではどこから音が響いているのか。
彼女は音のなる場所を探し始める。普段何気なく見ている地下室。
そこに響く水の音。この退屈な世界において、たったそれだけの事でも、
彼女には大いに好奇心をそそられるものであったのは言うまでもないだろう。
だからこそ、彼女は―――フランドールは気づかなかったのだろう。
その水の出所と、その水の意味について。
そしてフランドールはついに見つけた。
水の音の響く場所。それはとても小さな、しかし覗き込んでも底が決して見える事のない黒い世界。
「んー、こんな所壊したかなぁ」
フランドールは部屋に出来た小さな穴をのぞき込みながら、そう一人呟く。
普通ならば出てこない言葉であろうが、彼女の能力と彼女の精神上にとって部屋の幾つかが壊れる事も、ヒビが入る事も、さして不思議な事ではない。
そのたびに修繕をする咲夜に小言を言われ、同じく修繕を手伝う美鈴にはまた遊びに来ますね、なんて言ってくれたりする。
パチュリーはため息をつきながら、部屋で私が暴れてもいいように強固な結界を張っていく。
お姉様―――あいつはいつも部屋には来ない。
部屋の手前まで来るけど、決して部屋の中には入ってこない。
一度だけ咲夜やパチュリー、美鈴を連れずにあいつがやってきたことがある。
でもあいつは結局、大扉の前で立っているだけで、決して大扉を開ける事は無かった。
何の言葉も発することなく、ただ立っているだけ。
大扉の先の気配は分かっても、今あいつがどう思っているのか、どんな顔をしているのかは、
この分厚い大扉に遮られて分からない。
開けてやろうと思ったことが一度だけあった。でもその前にアイツが大扉の前から離れてしまった。
だからそれ以来、扉を開けようとは思わなくなった。
ぴちゃり、ぴちゃり。
ぴちゃり、ぴちゃり。
水の落ちる音が少し早くなったような気がした。
穴の底には水がたまっているのかもしれないが、穴が深すぎて何も見えない。
光をも吸い込むような黒い空間が見えるばかりで、その先に何があるのかさえ見えない。
「まぁ、いいか。特に害はないみたいだし……」
そう思ってフランドールは特に気にすることは無かった。
どの道、暇を持て余す身の上なのだ。穴から何か出てくれば、それはそれで面白いだろう。
いざと言うときはこの手で“壊して”しまえばいい。たったそれだけの事なのだから。
ただ、穴の事は咲夜達には黙っておくことにした。
またお小言を言われるのは、ごめんだから。
数日後。
少しだけ穴が広がったような気がする。
以前は指ぐらいしか入らない大きさだったものが、腕ぐらいなら入りそうなほど。
試しに腕を穴へと伸ばしてみる。
何かに掴まれてしまうのではとドキドキしながら、穴へと手を伸ばしたが、そんなサプライズは起きなかった。
少しがっかりしながらも、手を穴から戻し、もう一度覗き込む。
相変わらずあきれるほどに、黒い空間が広がっている。どこが境目で、どこが底なのかすら分からない。
この部屋を照らす蝋燭の淡い光など、容易に吸い込んでしまうその黒に、
フランドールは何処か惹かれ始めている事に、この時は気づいてはいなかった。
1週間後。
咲夜が地下室の掃除にやってくる。この時は私も掃除に同伴している。
それは私も掃除の手伝いをする、と提案したからだ。
あの穴の事を知られると、色々とお小言を言われると思ったからだ。
こんなことで退屈しのぎを潰されるのはかなわない。
掃除を始める前、咲夜はしばし考えた後で承諾した。
多分、私が何か隠し事をしている事を察したのかもしれない。
咲夜はとても勘が鋭い。メイド長だからなのか、本人の性質なのかは定かじゃないけど。
でも決して口にはしない。そしてあいつにも私が何かを隠している事について言わないと思う。
確信があった。咲夜は基本的に荒事を好まない。特に館内では。
何かあればその処理をするのが自分である事を理解しているから。
彼女が荒事を進んで行う時はあいつについての事ぐらいだろう。
あいつに関わらない部類の話なら、たとえ自分に降りかかるモノですらどうでもいいと考えている。
以前に咲夜は、自分を冷たいナイフと言っていた。
道具は痛みを感じない。感情を持たない。ただ切って、突き刺すだけ。折れてしまったら捨てられるだけ。
咲夜は恐ろしいほど冷たい。それは普段の態度ではなく、彼女の芯の部分において。
見せる感情の全てに、ひんやりとした感覚が残る。
私は咲夜が本気で怒った所も、泣いてる所も、笑ってる所すら見たことがない。
いっそ咲夜のように自分をモノとして認識してしまえば。
くだらない事で悩んだり、苦しんだりせずに済むのかもしれない。
この窮屈で退屈な小さな私の世界の中に転がる、ただのモノとして居れば。
ただそれだけで。
あいつの事を考えなくて済むかもしれないのに。
でも私はモノになれない。
咲夜の言うような、冷たいナイフにはなれない。
自分の中の黒く蠢く感情が、私がモノになる事を拒んでくる。
ふと我に返り、掃除を続ける。
自分の部屋を掃除するのは機会は少ないが、ないわけではない。
この退屈と窮屈の極みのこの部屋では、掃除でさえ貴重な退屈しのぎになる。
だからなのか、何処をどのように掃除すればいいかはなんとなく分かる。
何処に塵がたまって、何処から掃除していけばいいか、そういうのは身体が自然と覚えた。
魔理沙の部屋はこれ以上に散らかって汚いという話を聞いた。
行ってあげられるなら、掃除に行ってあげたいな。
掃除が終わると、咲夜は「お疲れ様でした」と告げた。
「お疲れ様」と返すと、ふと耳元に囁かれた。
―――後でお菓子と紅茶をお持ちしますね。
あいつには勿体無いぐらいのメイド。
それをほぼ独占しているあいつが、とても羨ましくて。とても、妬ましい。
穴を隠すように積んでいた本の一つが、黒い穴の底に吸い込まれるように落ちた事に、
その時の私は気が付いていなかった。
ぴちゃり。ぴちゃり。
ぽちゃん。
最近、部屋が湿っているような感じがする。穴から湿気が登ってきてるんだろうか。
中からは水の音がするが、相変わらず水の波紋の一つも見えない。
不快な感覚を感じながらも、適当な人形で蓋をしておく。
しかしパチュリーには気づかれるかもしれない。今日はパチュリーと勉強をする日だ。
この日がある事を忘れていたわけではないけども、
この穴の存在を隠す方法を八方手を尽くして考えたものの、何も思いつかなかった。
穴は相変わらず存在しているし、消えるわけでもなく、広がるわけでもなく。
穴を壊せばいいと最初は思っていたのだが、この穴をどのように壊せばいいのか思いつかなかった。
そもそも穴は壊れた・壊した過程で出来るモノだ。
ならば、それ以上壊せば穴が無用に広がるだけだ。それでは逆効果である。
壊し方は幾らも知っているが、穴の塞ぎ方は専門外であった。
ともあれ穴を隠す事にした。気づかれたらその時だ。
パチュリーが扉の前でノックをする。私は普段、ノックしなくてもいいと咲夜やパチュリーに伝えてある。
それでもパチュリーがノックをするのは、この大扉のせいだ。
単純な術的強化のみならず、物理的にも強固な素材を使ったせいでパチュリーの力では開けられないのだ。
その為、扉をノックするのは決まってパチュリーだ。「開けてくれ」という事である。
私が取っ手を掴み、大扉を開く。
扉はゆっくりとだが開いていく。ノックする前に術式は解いていたらしい。
ゆっくりと開いていく扉の先にはやはりパチュリーが居た。
相変わらず不健康そうな顔をしている。こんな姿でも魔術師としては一流である。
そんな彼女が教えてくれるのは、所謂外に出るために必要な知識等々である。
パチュリーの事は嫌いではないけれど、そうした勉強を教えてくれるのは、
あいつが提案した事というのは個人的に気に食わないところだった。
パチュリーにとって私はただの友人の妹でしかないのかしら。
一度だけそれとなく聞いたことがあるけども、結局適当にはぐらかされて終わった。
それ以来パチュリーにそのことは聞いていない。
パチュリーは部屋に入っても穴の事に気づいた様子はなかった。
ただ少し居心地は悪そうではあった。もっともそれはいつもの事だけれど。
本を読み聞かせられ、それを反復するという作業はこの場においても退屈な物だった。
あいつはきっと勘違いをしている。私は別に外に出たいわけじゃない。
でもあいつには分からない。私とあいつの間にはあの大扉のように分厚い壁がある。
私からその壁を登ろうとも、壊そうとも思わない。あいつもまたそうしない。
だから私とあいつはずっとこのまま。このまま、ずっと、あの分厚い壁に隔てられたまま。
ぴちゃり。
ぴちゃり。
ぴちゃ―――――。
――――――。
パチュリーとの勉強を終えて、パチュリーは図書館に戻っていった。
私はといえばベッドに腰かけて、足をぶらぶらさせている。
パチュリーが居なくなってから、水の音が聞こえなくなった。
耳を澄ませても、適当に千切れた人形の手を投げ入れても、何の音も発しなくなっていた。
穴への興味も失せてしまえば、一瞬だ。
出来た穴の事など忘れ、いつも通りの日々が過ぎたある日の事。
あいつが、また扉の前に居た。見たわけじゃない。気配がしているだけ。
扉ごしにはどこか落ち着かないような気配を感じた。そわそわしているような、そんな感じ。
でも決して声は掛けない。そんな事に意味なんてないし、つまらないと知っているから。
「フラン―――」
すると、あいつから声を掛けてきた。
「覚えてる? 昔の事……」
私は何も言わない。何も返さない。
ただ昔の記憶を思い出せば、嫌な事しか浮かばない。あいつは何がしたいんだ。
「その、私も少しおぼろげなんだけどね? もう一度あの頃みたいに―――」
あの頃? 私をこの部屋に閉じ込めて、ずっと部屋に入ってこなかったくせに。
私を見れば、嫌な顔ばかりしていたくせに。
あぁ、思い出しただけでなんだか胸の奥がズキズキしてくる。
「今日、何の日か覚えてる? 今日は―――」
あぁ、そうだ。思い出した。
今日は―――。
「お姉さまが、私を閉じ込めた日よね」
「え……」
「お姉さまは私が嫌いなんだから、もうここに来なくたっていいのよ?
あ、それだとお姉さまが悪い人だと思われるのが嫌だから?
そんなの気にしなくていいのに。皆、本当は私が嫌いなんでしょ?
皆、お姉さまが好きだものね? 私の事なんかこれっぽっちも見てはくれないものね!」
「待って、フラン! 今日は―――」
「あぁ、もう五月蠅い! もう来ないでよ!」
言いたい事を全て言い切ると、なんだかすっきりした気分になった。
胸のずきずきも無くなり、あいつはこの日から二度と私の部屋には来なくなった。
それと同時に、咲夜もパチュリーも美鈴も、誰もこの部屋の扉の前にすら来なくなっていた。
ほら、やっぱり。あいつに命令されてやってきてたんだ。
全てあいつが仕組んでたことなんだと気づいて、私はベッドで眠る。
寝るぐらいしか、もうこの部屋でする事はないんだから。
ぴちゃり。
耳に微かに聞こえた水の音が、眠る寸前に聞いた音だった。
寝苦しさを覚えて目覚めると、周りは真っ暗だった。
黒が眼前の全てを支配している。辛うじて自分の身体が見えるだけ。それ以外は殆ど真っ黒な世界。
そして時折聞こえる、水の音にフランはここが穴の中の世界である事に気づいた。
周りを見回しても何もない。ひび割れた壁も、自分の部屋と外を隔てる大扉も、ぼろぼろの人形も、たくさんあった本も、さっきまで寝ていたはずのベッドさえない。
ただ水の音だけが響いている。
右も左も分からない世界をただ歩く。広いのか狭いのかも分からないほどの空間をただただ。
水の音を道しるべにして歩いていると、一冊の本が落ちていた。
その本は良く見れば古い絵本で、少し埃を被っていた。
埃を払い本を開くと、喧嘩をしてしまった姉妹が仲直りをしていくお話だった。
内容は今読んでみるとあまり面白い物ではなかったけれど、フランには妙に懐かしい気持ちになる本だった。
お姉様と一緒に何度も読んだかな、なんでそんなに読み続けたのか分からなかったけど。
お姉様は優しかった。いつだって、私の事を考えていてくれた。
お姉様は厳しかった。いつだって、私の為を思ってくれてた。
お姉様は強かった。いつだって、私の前では涙なんて見せなかった。
お姉様は―――。
気づけばフランの瞳からは大粒の涙が零れ落ちていた。
ぽたぽたと、絵本に落ちる涙の跡。
お姉様はずっと私と見てくれていた。気にかけてくれていた。ずっと愛してくれていた。
私はお姉様を見なかった。お姉様に気づかなかった。お姉様を愛さなかった。
私はお姉様が憎いわけじゃない。私はお姉様が嫌いなんじゃない。私はお姉様を愛したかった。
でも咲夜も、美鈴も、パチュリーも、皆お姉様のそばにいて、私だけが取り残されたような気がして。
お姉様もこの部屋に来なくなって、皆が楽しそうにしているのを気配だけで感じて。
あの扉を開けて、外に出て、私もあの輪の中に入りたかった。それだけなのに。
でも私の力は、何でも壊してしまうから。
お姉様の大事な物を壊したら、お姉様が悲しむから。
だから、ここから出るわけにはいかなくて。
でもみんなの事がうらやましくて。
だからお姉様を憎めば、恨めば、狂ってしまえば。
お姉様の気を引けるかなって。
お姉様が私の部屋に来てくれるかなって。
たった、それだけの事だったのに。
でも憎んで、恨んで、狂っているうちに、お姉様を本当に憎んで、恨んで。
どんどん自分の中に黒くて汚い感情が溢れ出してきて。
こんなはずじゃなかったのに。
そうして絵本の最後のページ。
そこには二人で落書きをした絵と「だいじなだいじなわたしのいもうと フラン」って文字が書いてあって。
もっと早く思い出したかった。もっと早く気づきたかった。もっと早く素直になりたかった。
お姉様が来たあの日は、私の―――。
でも、きっと手遅れなんだ。
能力も飛ぶ事も出来ない。できたとしても、出口が分からない。
もう水の音も響かない。
ただただ闇ばかりが広がっていて、一筋の光も見えない。
いつか自分の身体も心も、この真っ暗な闇の中に溶け込んで、無くなってしまうんだ。
そう思うと、ただただ怖くて、泣いて、泣き続けて。
聞こえないのが分かっているのに、必死にお姉様に助けを求めて。
大事な大事な絵本をずっと抱きしめたまま、ただ闇の中で、私は震えていた。
そうして時間の経過も分からなくなってしまった私は。
ごめんなさい―――。
って、記憶の中のお姉様に呟いて。
私の意識は闇に消えて行った。
明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします
意味の分からない文で申し訳なく思います
とりあえず今年こそは色々書きたいと思います
名前がありません号
作品情報
作品集:
6
投稿日時:
2013/01/02 19:07:45
更新日時:
2013/01/03 04:07:45
評価:
6/6
POINT:
600
Rate:
17.86
殻を破って外に飛び出すという意味の他に、全てを吸い込む闇という意味もあるようですね。
水音、堕ちた本、人形の残骸……。
無限の時間の果てに、記憶の残滓を抱いて消えたのは、彼女の心の穴、か――。