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『遥かなる幻想郷』 作者: 海
亡き人の面影運ぶ星の船
行きて帰れぬ海原を行く
◇
その日はいつもと変わらない、真夏の暑い日であった。ここ永遠亭の竹林の中は気温の変動が少なく、真夏でも涼風が通り抜ける絶好の避暑地である。そんな中に構えられている永遠亭の佇まいは、灼熱にあえぐ竹林の外から見るとまさに小規模な常世の国である。
そんな常世とこの世の境目の竹林を三人の女性が歩いている。一人は妖怪兎か、頭に大きめの耳をひょこひょことさせながら歩いている。どうやら彼女がこの集団を先導しているようだ。
「よく道順がわかりますね。私は全く代わり映えのしない竹林でどの方角を向いているかもわかりません。兎には地理を知る能力があるのかしら。」
先導されている二人の一方、豊姫は先頭のレイセンに声をかけた。
「別に月の兎に測位能力はないと思います。ただ、何度も来ているうちに道順を覚えてしまいました。」
「それにしてはまっすぐ歩かないのね。右へ行ったり左へ行ったり。大丈夫なの?」
もう一方の依姫が少し心配そうに尋ねた。
「大丈夫です。この竹林は結界が張ってあるのかもしれませんが、真っ直ぐ進むと迷うような仕掛けになっています。逆に鍵穴のような正しいルートをうねうねと歩いて行く事で、館にたどり着くようになっています。その道順は、地上の兎に聞きました。もうすぐ着くはずですよ。」
レイセンは少し胸を張って答えた。その間に足を竹の根に引っ掛けたが、ぴょんと飛んで転倒を回避した。
「今言うべきではないと思いますけれど、本当に、私たちはこういうことをしでかして良かったのでしょうか。むしろお師匠様に叱られたりしないでしょうか。」
依姫は不安げな表情で豊姫に尋ねた。
「大丈夫よ。事情を話せば、きっとお師匠様もこうすることが正解だと言って下さるわ。それに、単なる当然の道理に導かれただけで私たちは地上に来た訳じゃないわ。私達自らの意志で、危機を知らせるために降りてきたのよ。きっと汲んで下さるわ。」
豊姫はそう言って笑った。
「そうだと良いのですが……」
豊姫の言葉でも、まだ不安が拭えない依姫であった。
「見えてきました。あの館が、八意様の居られる所です。」
竹林が薄くなった先に、館の垣根が見える。間違いなくレイセンは最短のルートで彼女たちを先導できたようだ。
「これが、八意様の地上での館なのね……ありがとう、レイセン。さあ、これで貴方は自由よ。月へ帰っても、私達についてきても良い。貴方の好きなようにしなさい。間違っても私達に気兼ねしないでね。貴方だって、友人や家族がいるでしょう?その人たちを大切にしなさい。」
「豊姫様……すみません、私のために、そのようなお言葉をかけていただいて。……私は、月の兎たちの中に戻ります。大切な人が、いますので……」
そのレイセンの言葉を聞いて、豊姫は優しく笑った。
「良いのよ。貴方は私達のために立派に職務を果たしました。あとは、無事に月まで帰ること。それが私達からの最後の任務です。」
そう言って豊姫はレイセンの頭を撫でた。
「……さあ、ここからは私たちの大仕事ですよ、姉上。まずは最初のステップとして、お師匠様に認められないといけません。」
「大丈夫よ、依姫。ことが事だから、同じ立場ならきっとお師匠様も同じ判断を下すと思うわ。これは私の直感だけどね。じゃあね、レイセン。お勤めご苦労様でした。」
レイセンは何度も振り返って頭を下げながら、豊姫によって開かれたゲートの先に消えていった。
涼しげな佇まいを見せる館を半周し、彼女たちは門を見つけた。その近くでは地上の兎たちが遊んでいる。彼らは突然の来訪者に一瞥をくれただけで、特に気にせず遊びを続けるのだった。
まさか無断で館に侵入するわけにはいかない。豊姫は近くの兎を捕まえて、ある物を手渡した。そしてそれを受け取った兎に、月からの届け物として、永琳に渡して欲しいと伝えた。兎は不思議そうな顔をしていたが、それを持って館の中に入っていった。
「少し古風すぎませんか、姉上。もっと、手紙とか、色々手段はあると思うのですけれど。」
「これで良いのよ。下手な言葉よりも、何が起きたのか、お師匠様にはこういう趣向で知らせた方が早いわ。」
ややあって、入っていった兎が門に戻ってきて、館に入るよう言伝を伝えた。
「……ほらね?」
そんなやりとりの中で依姫は、永琳と豊姫と依姫の三人が揃うと、彼女は姉と師匠の色々と超越した思考に置いてきぼりになり易く、心労が絶えなかったことを遠い記憶で思い出すのだった。
屋敷に玄関から入り、依姫と豊姫は先導の兎に連れられて襖の閉めきられた長い廊下を歩く。靴を脱いで屋敷に上がった瞬間に、懐かしい空気が彼女たちの身体を貫いた。それは、かつて月の都で永琳のつけていた香りだったのかもしれない。それを実感し、二人は同時に心が浮き足立つのを感じていた。
時間にして数分間廊下を歩いた後、ある部屋の前で兎が襖を開けて、中に入るよう促す。彼女たちは黙礼して室内に入った。
中で待っていたのは、懐かしい顔。忘れようとも忘れえぬ顔。一千年の長きに渡り、彼女たちが探していた顔。八意永琳、その人に間違いなかった。
並んで座して彼女と対面する。
「……ご機嫌麗しゅう御座います、お師匠様。綿月豊姫と依姫、参上仕りました。八意XX様にお目にかかれて光栄です。」
「堅苦しい挨拶は良いわ、豊姫。それに私はいまは違う名前で呼ばれているのよ。永琳ってね。だから、あなた達もそう呼んでくれた方が嬉しいわ。」
「では、そうします。八意永琳様。私たちは――」
「ごめんなさい。質問を先に言ってしまうわ。月の都にどんな異常事態が起こったの?」
永琳は手元から、先程豊姫が兎に手渡した品を取り出した。それは、小さな白旗であった。
「お話が早くて助かります、お師匠様。端的に申しますと、現在月の都は滅亡の危機に瀕しています。おそらく、あと1年は保たないでしょう。」
豊姫は淡々と事実を述べる。永琳は沈黙し、話を促した。
「きっかけは、天文台の報告でした。太陽中心核由来のニュートリノ放出が著しく減少していると。詳細な分析を進めた結果、あと数年をかけて太陽は肥大化し、地球は生物の住める環境ではなくなるということです。当然月の都では大騒ぎです。何しろ地球が燃え尽きる前に、月の都に火が着くのですから。現在、工部局すべての力を結集して、大規模移民船が建造されています。」
ここまでを話し、豊姫は言葉を切った。依姫が続きを述べる。
「その船には当然のことながら、地上の生物は乗り込めません。数十光年彼方先の恒星系を目指すそうです。地上を完全に捨てて、おそらくそちらで月の民は完全に浄土の住民となるのでしょう。」
「……では、あなた達は私達に何をして欲しいのかしら。」
少しの沈黙の後、依姫は答えた。
「……申し訳ありません。私たちは、月の都を見限りました。お師匠様や、地上の民を捨ててのうのうと生き永らえることなどできません。それで、私たちはお師匠様に危機を知らせに参ったのです。」
その言葉を受けて、考える間もなく永琳は即答した。
「分かりました。あなた達も月から逃れてきた者として、認めます。ようこそ、幻想郷へ。狭いところだけど、楽しんでいってね。」
そう言って笑い、言葉を続けた。
「でも、残念ね。こうやって私の可愛い弟子たちが集まったのに、この幻想郷も数年の命とはね。こうなったら、私達も移民船を作るしかないわね。そういうことでしょう?」
話の早さが変わらない、永琳の頭脳に感心して豊姫は微笑んだ。
「はい、そういうことです。私たちは、地上の民を連れてこの星を脱出します。そのために、お師匠様のお力をお借りしたいのです。しばらくしたら何人かの賛同する月の民が地上に降りてきます。彼らは技術者ですから、この地上でも遜色ない船が作れるはずです。」
「それでは、地上の妖怪たちにも教えてあげないとね。技術力は及ばないかもしれないけれど、資源の調達や製造には彼らの力が必要だわ。」
そこで言葉を切って、永琳はポツリと言った。
「……二人とも、よくお勤めを果たしました。私の立派な弟子。今までありがとう、豊姫、依姫。これからは、みんな一緒よ。さあ、いらっしゃい。」
永琳はそう言って、腕を広げた。
「お師匠様っ……!」
二人はその胸に飛び込み、熱い抱擁を交わした。それは千年前に置いてきた、懐かしい感情。彼女たちは変わらぬ師匠の愛情に涙した。
「……私たちは、ずっとこの日を待っていましたっ……!」
「お師匠様、お師匠様っ……!」
胸に抱く赤子をあやすかのように永琳は彼女たちの頭を撫で、抱きしめた。実に千年越しの師弟の再会であった。
明くる日、永遠亭では珍しい来客があった。永琳の言伝を優曇華が知らせて、紫と神奈子、霊夢がやって来たのである。
一同を迎え、車座になって危機の概要を依姫が話した。
「――ということで、私たちはこの星から離れなくてはなりません。それには宇宙船を製造し、打ち上げるだけの技術と資源が必要です。このうちロケットの製造技術については、これから月の民の技術者が地上に降りて教授します。資源の採取法、精製法も月の民の技術を余さず教えることになっています。よろしいですか。」
いきなり打ち明けられた、世界の危機。突拍子もない話にも聞こえる地球離脱計画に一同は驚かされ、ある意味現実味のない夢物語を聞くような感覚であった。
「……太陽の寿命が近づいているなんて、外の世界の人間は気づいているのかしらね。私の知る限りでは、そんなものは御伽噺の中だけだと思っていましたわ。」
紫は率直な感想を述べた。
「信じられないのも無理はありません。月の都でも散々議論が尽くされました。しかし、計量的な事実は、太陽の肥大化はあと3年程度で起こり、我々にその対抗策はないということです。それに、もし観測に誤りがあり、脱出が無意味であったならば、また戻ってくれば良いだけのことです。」
依姫の言葉通り、危機ではないのならば戻ってくれば良い。またそのことをわざわざ地上の民に知らせる必要はない。その点においては、この危機は現実味を帯びているのだった。
「いきなりこの星から出ていけと言われてもね。折角この幻想郷に来たというのに。」
神奈子が呟いた。永琳がフォローする。
「外の世界が滅亡の危機になったとき、この幻想郷がどうなるかは不明だわ。もしかしたら、外の世界のあらゆる物が幻想となることによって爆発的に増強されるかもしれない。若しくは同様に滅びるかもしれない。私の予想では、後者だと考えているわ。」
幻想郷は外の世界との依存を完全に断った世界ではない。もし人類が滅びれば、存亡の危機に瀕するだろう。そのことは紫の認識と相違なかった。
霊夢が質問する。
「結局、その別の星に行くのにはどれだけの時間がかかるの?」
「月に最先端科学による、反物質エンジン。これを使えば、およそ数年から数十年ってところかしら。」
「数年から数十年って、簡単に言わないでよ。大分計算尺が怪しいわね。」
豊姫が答え、霊夢がつっこんだ。月の科学に対して紫が感嘆の声を上げる。
「まあ、反物質エンジンとはね。夢物語の中だけだと思っていましたわ。流石は月の科学は最先端ですわね。」
その後、しばらく論議し、結局神奈子が一番先に折れた。
「わかりました。幻想郷の住民にもこの事実を知らせるべきでしょう。その上で、ついていくと言う者だけを乗せれば良いのではないかしら。」
「そうね。中には幻想郷に留まる者もいると思うわ。いや、大半の妖怪はそうなんじゃないかしら。」
紫も同意する。霊夢はそれを受けて、渋々といった感じで告げた。
「じゃあ、神奈子。山の妖怪を使って、このことを報道させて。会う人全員に教えるのは骨が折れるわ。」
「わかったわ。月の技術者との交流をさせるのは、山の河童たちが最適でしょう。私が妖怪の山の民に伝えるわ。」
「ありがとう、神奈子さん。月の民が来るのは、次の満月の夜です。私が紹介しますので、落ち合う場所をあとで教えてください。」
話が通じたことに安堵して、豊姫はそう告げた。
「……ロケットに乗ってまで生き残りたい妖怪が、どれだけ集まるか見ものですわね。」
紫の懸念はおそらく正しい。ほとんどの妖怪は、滅びの日まで地に留まることだろう。
「……まさか、もう一度貴方が地上に降りて下さるとは思いませんでしたわ。」
会談の後、紫は豊姫と共に廊下を歩きながら話している。
「こういう言い方は問題ですが、私達姉妹は師匠と月の民を秤にかけたのよ。その結果、師匠をお助けするべきだと結論したのです。」
豊姫はそう言って立ち止まり、紫の方を振り向いた。
「私達姉妹は地上と月を繋ぐ、月の使者が役目です。月の民がこの星を見捨てるのですから、その役目も終わりです。だから、私たちは好きなように行動しようと思いました。」
紫も立ち止まり、扇を口元に当てた。
「この地上は月の民にとって、浄土ではありません。八意さんがそうであったように、この場に留まるならばおそらくあなた方もこの地の穢れを吸収していくことでしょう。もう、月には戻れませんね。」
「構いません。月の民の移民船は、あと数ヶ月で完成し、この星に別れを告げるでしょう。私達としては故郷を失うことになりますが、師匠と暮らせるのならばそれは何物にも代えがたい幸せです。」
そう言って豊姫は微笑んだ。
「八意さんがそこまで愛されているとは存じませんでしたわ。意外ですね。」
「師匠から学んだ学徒は、月の民にも数多くいます。そのことに恩義を感じる彼らの一部もこの機会に地上に降り、私達と共に宇宙船建造を手伝ってくれることになっています。それほどの方なのですよ、師匠は。」
紫も知らない、永琳の意外な一面であった。実際のところ、永琳は昔から人に何かを教えることが大好きなのである。
数日後の満月の夜、守矢神社にて、早苗は月の民を出迎える準備をしていた。と言っても彼らは仮設の住宅を湖上に建築するらしいため、神社の施設を使わせる必要はない。ただ挨拶をするだけで良いのだ。
また、今夜の来訪は天狗たちにも知らせているので、何人かの烏天狗の報道記者が周辺で慌ただしく撮影の準備をしている。おそらく明日の各紙朝刊には「月の民、来襲!」などと書かれることだろう。まるで映画の一シーンみたい、と早苗は感じていた。
しばらくして。境内の外で待つ神奈子と諏訪子、早苗の頭上に光の輪が上空に映る。いよいよ来たか、と身構える各人の前に、輪に乗る朧げな人影が映り、姿形がはっきりとしていく。その集団の最前には豊姫がおり、光の輪に乗る月の民を地上へ下ろす。その姿に、かぐや姫の伝説そのものね、と早苗は思った。
人数にして十数人程度であろうか。それほど服装に奇異なところはないが、おそらくどの衣服も地上のものとはかけ離れた技術で縫製されているのだろう。光の輪を消し、豊姫が彼らの先鋒として神奈子たちの方へ歩み寄る。
「遅くなりました。彼らが月の技術者です。人数は少ないですが、どなたもエンジニアとしては一流の者です。きっとお役に立てると思いますわ。」
神奈子が笑って答える。
「月の方々の技術なら、この幻想郷を本当の浄土に変えることもできるだろうに、物好きな方たちだね。明日、この地のエンジニアたる河童たちに合わせるから、しっかり技術指導してやって下さい。」
そう言って神奈子は月の民に頭を下げた。
「まあ、素面でご挨拶っていうのも悪いから、現地の食べ物で良ければ宴席を設けようと思うのだが、どうだい?」
諏訪子は尋ねた。
「それは良い考えです。ぜひやりましょう。」
豊姫は微笑み、月の民にも笑いかけた。
「それでは、こちらにいらして下さい。狭い所ですが、どうぞ。」
早苗はそう言って、彼らを神社の方へ案内した。そうやってファーストコンタクトしている間にも、周囲ではフラッシュが炊かれ、報道陣が慌ただしく周辺を走り回っていた。
翌日の新聞、号外の量は未だかつてないほどの分量であった。
「号がーい号がーい!!守矢神社に宇宙人がやってきたよー!!」
天狗の新聞が人里にも投げ込まれる。それを往来で拾った里人は荒唐無稽な未知との遭遇調の記事を面白そうに眺めるのだった。
文も昨晩の記事を書き、早速配達に向かう。数少ない定期購読者のための朝刊と、大衆向けの号外を詰め込んだカバンは普段よりもずっと重い。その重さに息を荒げながら、彼女は新聞を配達した。
最後に博麗神社に寄り、朝刊を届ける。霊夢が境内を掃除しているのを目視して、彼女の側に降りた。
「おはようございます、霊夢さん。昨日の夜の事件は、もう御存知ですか?」
霊夢はうんざりした様子で話した。
「あんた方の号外が10枚以上投げ込まれているからね。嫌でもわかるわよ。守矢神社に宇宙人が降りたんでしょ?」
「話が早い。その通りです。ですが、その宇宙人について、誰だか分かりますか?」
「一応人間の姿はしていたみたいね。」
「ええ。私よりも、霊夢さんのほうが詳しいと思います。ほら、この写真。会ったことがあるでしょう?」
そう言って文は新聞の第一面を表にして霊夢に渡した。
「あら、こいつは知っているわ。月の民ね。そういえば、神奈子が言っていたわね、地上に降りてくるって。意外と早かったのね。」
「おお、それは私も知らない情報です。取材させてもらいますよ。」
「取材も何も……ああ、そうか、まだ話が天狗に行っていないのね。神奈子の怠慢だわ。」
「で、この月の民は何者ですか、何が目的ですか?」
「はあ。結局私が説明しなくちゃいけないの……」
うらめしそうに霊夢は呟いて、文の取材に応じるのだった。
◇
月と地上に迫る危機は、やがて天狗の新聞を通して幻想郷中に知れ渡ることとなった。そして同様に移民用大規模宇宙船の建造計画も、取材に応じた神奈子の口から記者へと語られて、各人は理解した。それでも、その事実によって慌てふためく者は少なかった。幻想郷の住人にとって、定期的に起こる異変の一つであるという認識があったのかもしれない。
宇宙船は妖怪の山、守矢神社そばの湖にて河童の総力を上げて建造が始まった。河童と月の民の技術者らの意見を集約すると、おそらく半年で完成するということだった。材料の採掘・精製・実作業は河童たちが行い、詳細な設計と建造の工程管理は月の民が行った。河童は集団的な作業には向かないことを自覚しており、こういった役回りでも不満を漏らすものはいなかった。それよりも月の最先端技術に触れる喜びのほうが勝っていたためでもある。
建造の成果は逐次新聞によって幻想郷中に知れ渡り、開始から2ヶ月もする頃には、一般の人間たちでもこれらの危機に対応して星間航行をしなくてはならないという認識が生まれていた。もとより幻想郷の人間の数は非常に少ない。そのためロケットの「搭乗権」を争わなくて済むのは幸いであった。
一方で妖怪たちは主に各人が所属するコミュニティによって行くべきかどうかを判断していた。野に生きる独立独歩の妖怪は、乗る者と残る者は半々といったところであった。
その間に幻想郷には、少しばかり変化があった。森が増えてきているのである。それも、野原や里に近いところまで木々が急成長して生い茂り、緑色に染めていった。ある種の異変とも言え、その原因について霊夢は訝しんだ。
「紫。ここ最近の森の増大について、異変だとは思わない?」
僅か数日の間に里の入り口に生えた巨木を前にして、霊夢は紫に聞いた。紫が答える。
「これは、外の世界から来た物ね。あなたは知らないだろうけど、外の世界では急激に砂漠化が進行しているのよ。」
「砂漠化?何それ?」
「気候の変動、伐採などで緑と土壌が失われていくことよ。今回の異変は、世界中で気温が上昇して、元々あった砂漠が侵略していったことが原因ね。この傾向はこれからも続いていくと思うわ。」
「じゃあ、外の世界では自然が失われているということ?でもそれは以前から紫も言っていたレベルのことじゃないの?」
「今回のは度を越しているわね。あまりにも急激な変化で、外の人間も対応ができないのよ。」
紫はそう言ってため息をついた。実のところ、地球環境の温暖化の真の原因には気づいていない者が多い。まさか太陽があと数年で地球を焼き尽くすなどとは考えにも上らないだろう。気づいた時には、この星は地獄絵図となる。そして今の人類にはそれを回避する手段はない。紫は外の世界の人類を見捨てる代わりに、幻想郷の人間は何としても生き残らせようと考えていた。
森の増大に従って、幻想郷では妖精の数が増えていった。外の世界で失われた自然の力が、最後のあがきとして幻想郷でその辣腕を振るったのである。元からいる妖精たちも、その力が増大していった。
「大ちゃん、知ってる?あたい、この前また白黒魔法使いに勝ったんだよ!」
「チルノちゃん、すごいね。最近妖怪との弾幕ごっこでも結構勝ってるって聞いてるよ。憧れちゃうな。」
「すごいでしょ。まあ、あたいクラスになるとそんなこと昼飯前だけどね。」
「あのさ、最近あの光の妖精たちが強くなったって知ってる?なんだか妖精がみんな強くなっているね。」
「あいつらだって、あたいにかかれば手も足も出ないさ。よし、今日はあいつらにあたいの力を見せつけてやろう。」
チルノは得意げに胸を張った。絶好調の彼女の今日の相手は三月精である。
そして湖から離れて、魔法の森の入り口付近で彼女たちに遭遇した。
「見つけた!おい、あんた、えーとなんだっけ、さ、さ、さ……」
「サニーミルクよ!いい加減覚えてよ!」
「そう、サニーだ。最近なんだか調子乗ってるって聞いたわ。妖精として、どちらが上か思い知らせてやるから、勝負よ!」
「サニー、頑張って。応援してるわー。」
「いや、スターも一緒にやればいいのに……」
「公正な審判よ、私は。それじゃ、勝負、始め!」
「おー、やってるな。今日は随分と激しい感じだな。」
「あっ、魔理沙さん。こんにちは。」
チルノとサニーミルクの弾幕ごっこの最中、通りかかった魔理沙が上空を眺めながら話しかけた。
「この前、チルノに負けたって本当ですか?」
「ありゃ、ただの弾切れだ。チルノが最近やたら頑丈になってかかってくるからな。」
魔理沙はそう言って笑った。
「ところでさ、お前たち、新聞は読んでいるか?」
「読んでますよ、ちゃんと。」
ルナチャイルドが答える。
「だったら、もうすぐやってくるっていう幻想郷の危機についても知っているよな。お前たち妖精はどうするんだ?舟に乗るのか?」
魔理沙が質問を投げかける。
「知っています。けど、別にわざわざ他の星へ行きたいとは思いません。最近の幻想郷はすごく妖精にとって住みやすくなりましたし。」
「そりゃそうだが、いずれはその住みやすさも終わるんだぜ?それで良いのか?」
当然の疑問であるが、スターサファイアは笑って答えた。
「だって、妖精は自然とともに生きるのが普通ですから。宇宙にも行ってみたい気持ちは少しはあるけど、帰ってこれないんじゃ遠慮します。もし『一回休み』になっても、それだけですよ。」
「その辺が妖精独特の考え方だよな。まあいい。私は乗るつもりだ。研究の道半ばで倒れるんじゃかなわないからな。」
上空ではチルノとサニーの弾幕ごっこが続いている。それを眺めながら、魔理沙は心の中で彼女たちに別れを告げた。
「――というわけで、居住区宇宙船は月の民により地球の衛星軌道上に作られています。ここまではよろしいですか。」
依姫は連日記者の質問に答えている。中には以前話した内容と重複するものも多いが、これを仕事と割りきって彼女は辛抱強く説明するのだった。
「すると、ここに建造されている宇宙船は何に使われるのですか?」
記者が質問する。
「この宇宙船は、いわゆるロケットです。宇宙空間で推進力を得るために使われます。その燃料は、この湖の水から精製された反物質をエンジンとするものです。最大の速度はおよそ光速の10%程度。数十年先の恒星系を目指します。」
推進ロケットの外周上に居住区ユニットが作られて、回転することにより重力を生み出す。それによって長い船旅でも健康に問題を来さないようにしている。そのユニットは地球の重力の影響下で製造すると、ロケット打ち上げの際に多大な負荷がかかってしまうため、月の民が衛星軌道上で先に作り、後でロケットとドッキングするようになっている。
「その目的地には、この星と同じような環境があるのですか?」
「月の天文台では、地球上の生物が生存可能な恒星系を探してきました。それらは我々の太陽系に近いものでは数十個あります。月の民はその中で、最も『穢れていない』惑星を選びました。我々が目指すのは、逆に最も『穢れている』惑星、すなわち生物の住める環境が整っている惑星です。」
「その惑星には、既に生物がいる可能性はないのですか?」
「あると思います。しかし、いずれにせよ私たちは限られた星々の中から選ばざるをえません。異星の生物が害為すものであるならば、それを滅ぼしてから移民するという手立てもあります。」
目的地の惑星が生存に適しているかどうか、100%の確証はない。その上、到着した先から他の候補惑星に変更することはできない。それでも計画を実行しなければならないのだ。
「まさかまた宇宙旅行をすることになるとはね。長く生きているとこんな運命も起こりうるのね。」
レミリアは紅魔館のバルコニーで満月を眺めながらワインをあおった。
「宇宙旅行は二度目ですね。今度の星は楽しいところだと良いのですけれど。」
後ろに控えていた咲夜はそう洩らした。
「ここが浄土とは言わないけれど、あながち新天地を目指すのは嫌いじゃないよ、私は。」
レミリアはそう言って咲夜の方に振り返った。
「一体誰がついて行くのかしらね。咲夜、知ってる?」
「連日の新聞によると、永遠亭の人たち、妖怪の山の天狗や河童、あとは有象無象の妖怪や寺の人、里の人ですね。」
「地底の連中は行かないのかい?」
「もしかすると、誘われてないのかもしれません。何しろ嫌われ者の集まりですから、あえて連れて行こうとする地上の人は居ないんじゃないですか。」
「薄情な奴らだ。まあ私も興味ないから、その点では同じか。あとは彼岸の住人も行かないのか。いや、行けないのかな?」
「ああ、あと最近復活した仙人たちは行くそうですね。」
「何だか統率の取れない集まりになりそうだね。本当に飛べるのかしらね。」
レミリアの懸念通り、統率のとれた行動などできそうにない集団である。目的地の恒星系までたどり着くのに、何人か犠牲者が出るかもしれないとレミリアは何となく感じていた。
「この満月が見られるのもあと数回なのね。恋しくなるわ、きっと。」
妖怪たちに活力を与える満月の魔力。これを失って旅をして、果たして大丈夫なのだろうか。少し心配なレミリアであった。
「……申し訳ありません、幽々子様。私一人が、出ていく羽目になるとは……。」
白玉楼の一間で、妖夢が幽々子に頭を下げている。
「別に良いのよ。どうせ私は亡霊だし、この星から離れられないだろうから。貴方一人でも名代として、宇宙旅行をして欲しいわ。」
幽々子はそう言って妖夢を慰めた。
「すみません。こうなったからには、私は頑張って生きていきます。お任せ下さい。」
「既に半分死んでるじゃない。」
そうつっこんで幽々子は笑った。
「それにね、私は彼岸の住人で、亡霊なのよ。だから大丈夫なの。」
「どういうことですか?」
「それは、今は秘密。いずれ分かるわ。だから気にしないで旅の準備をしなさい。」
妖夢は主人の言葉が解せず、首をひねった。
◇
河童たちが宇宙船の建造を行なっている一方で、永遠亭では別の機構の作成が行われていた。宇宙船の中央制御ユニットである。こういったシステムの構築は永琳の得意とするところなので、月の技術者と紫の援助を受けつつ着々とシステムを機械の中に実装していった。
「これでとりあえず航行ユニットは完成ね。あとは居住用ユニットができればオーケーかしら。」
和風の館にそぐわない、巨大な鉄の塊の演算装置を前にして永琳と紫が話しあっている。
「私の方もエミュレータがほぼ完成しているわ。あとは細かい仕様を盛り込んでいくだけよ。」
紫が答える。彼女の言うエミュレータとは、言わば幻想郷エミュレータである。居住用ユニットは広いが、どうしても長い間生活するには狭い上に精神的な負担が大きい。そこで、幻想郷の環境を模した仮想空間を構築し、運動などに適宜利用させようと考えているのだ。
「エミュレータの管理者は誰が良いかしら。」
「今のところ私が考えているのは、霊夢、貴方、依姫さん、それと私の4人で良いんじゃないかしら。」
「そうね。そのくらいがきっと最適でしょう。豊姫は流石に負担が大きいからパスさせた方が良いわね。」
豊姫は、この宇宙船でもっとも重要な役目を負っている。要はパイロットである。何故彼女が最適なのかというと、彼女の「山と海をつなげる能力」にある。亜光速で推進するロケットには、僅かな宇宙塵の衝突でも致命的な損傷を与えることになる。それをレーダーで察知し、適宜進路から除去することができる能力が必要なのだ。永琳は彼女の空間移動能力を応用して、それらの露払いを行うことを計画していた。もちろん彼女が不眠不休で行うことはできないので、紫や永琳との交代制で行うこととしている。
「ところで、このシステムに名前をつけようと思うの。どうかしら。」
「貴方のネーミングセンスは聞こえているわ。なんてつけるつもり?」
「『アメノコヤネシステム』よ。相応しいでしょう?」
「まあ、良いわね。確かアメノコヤネ神は言霊の神、すなわちデータの神ね。それなら何となくご利益がありそうだわ。」
「気に入ってくれて嬉しいわ。じゃあ、依姫を呼んでこのシステムにアメノコヤネ神を懇請しましょう。」
紫と永琳が話しているのと同じ日に、輝夜と豊姫が廊下でばったり遭遇していた。彼女たちの仲は、はっきり言ってあまり良くない。豊姫からしたら師匠を地上につれ去った張本人である。
「永琳が最近働きすぎてると思わない?いくら蓬莱人だからといって、無理しすぎてるわ。」
「他に仕事が出来る人がいないのが原因よ。貴方も少しは手伝ったら如何。」
「私は永琳の仕事をしている姿を眺めている方が好きなのよ。それに私が手伝えることなんて何もないわ。」
「……どうやら一千年もの間面倒を見てもらううちに、それが当然であるかのように錯覚したのね。なんでこんな人とお師匠様は地上に隠れたのかしら。」
「それはきっと愛情ってものよ。」
「貴方には言われたくないと思うわ。貴方が蓬莱の薬を服薬した責任を、お師匠様は罪と感じたのよ。罪悪感はないの?」
「ないわね。私と永琳は運命的な鎖で結びついているのよ。外野がとやかく言うものではないわ。」
「お師匠様を縛っているのは、貴方の不甲斐なさでしょう。少しは申し訳ないと思って欲しいものね。」
永琳が何故輝夜と遁走したのか、豊姫には理由はわからない。きっと永琳に聞いても教えてくれないか、あるいはもう忘れているかもしれない。地上に降りて輝夜と話しても、なんでこんな女を匿ったのか、という負の感情が沸き立つのだった。
「太子様、聞きましたか?幻想郷脱出宇宙船の話。」
仙界の庭で散歩している時に、屠自古が神子に質問した。
「ええ、よく聞こえていますよ。私達も是非乗りましょう。折角復活したのに、誰もいなくなっては困りますからね。」
神子はそう言って屠自古の方を振り返った。
「なんだかすごい大所帯らしいですよ。そんなんで統率とれるんですかね。」
「宇宙という過酷な環境に適応しなければ、否が応でも滅ぼされるでしょう。それはもしかしたら同じ乗員から殺されることだってあるでしょうね。」
「布都とか、青娥とか大丈夫かなあ。あいつら絶対面倒事を引き起こすような気がする。」
「まあ、大丈夫でしょう。多分。」
神子の言葉にも、屠自古は不安の雲が拭えないのだった。
「私は亡霊だから、一緒に行けないのが残念でならないわ。」
その屠自古の言葉に、神子は笑って答えた。
「大丈夫です。既に手は打ってあります。一緒に行けますよ。」
「本当ですか、太子様。一体どうやって?」
「今はまだ秘密です。いずれ分かりますよ。」
「――ということです。他に質問はありませんか?」
依姫が命蓮寺で里の人間たちにあらましを説明している。何回かに分けて連日説明しており、かなり彼女は疲弊している。
「……無いようですね。では、今日の講義はここまでにします。次回は3日後ですので、まだ聞いていない人を知っていたら、教えてあげて下さい。お疲れ様でした。」
そう言って講義を締めくくる。その言葉にガヤガヤと人々は立ち上がり、様々な話をしながら本堂の外へ出ていく。それを眺めながら、依姫は残ったお茶を飲み干した。
「お疲れ様でした。連日の講義で大変ですね。」
白蓮が近づき、労いの言葉をかける。
「私は大丈夫です。こうやって指導することには慣れていますから。むしろ、毎回説明の場所を設けて頂いてありがとうございます。」
そう言って依姫は笑った。
「今回の旅路には、私達、寺の者も皆ついて行きます。それで、ちょっと気になることがあるのですが……」
「はい、なんでしょう?」
「……あまりこういう話はしたくないのですが、もし航行中に死者が出た場合、どうすれば良いのでしょう?まさか火葬場まで宇宙船にあるとは思えませんし。やはり海の上と同じく、水葬にするように宇宙葬を行うのでしょうか。」
「……確かに今までそのことを考えていませんでしたね。そうですね、多分そうなると思います。衛生上の面でも、遺体を運び続けるわけにもいきませんし。月の都では、葬儀がなかったために忘れていました。」
「葬儀がないとは、亡くなる方がいなかったのですか?」
「寿命という点ではありませんでしたが、事故や、処刑された者はいました。そういう場合は穢れを払う意味を込めて、再生措置や微粒子に分解したりしていたので、墓というものはありませんでしたね。」
「驚きの浄土ですね……」
白蓮は感嘆の声を上げた。
「でも、確かに死者の問題は結構重要な問題です。一度お師匠様に聞いてみることにします。」
「よろしくお願いしますね。私達も、宇宙葬のやり方を学んでおきます。」
◇
そして最初の会合からきっかり半年後、宇宙船は完成した。その大きさは湖を渡ることができるほどに長く、見た者すべてを驚かせた。
完成までの間の木々の繁茂は大変なものであった。最早幻想郷で森に覆われていないところはほとんど存在せず、人里の街中も往来の邪魔になるほどに木々が侵食していた。それだけ外の世界では急激な温暖化が進んでいるのである。いまや幻想郷は妖精の天下となり、人妖合わせた人数よりも妖精の方がずっと多いような状態であった。
そのような中で、いよいよロケットに乗り込む日がやってきた。
河童たちが苦労してロケットを垂直に持ち上げ、妖怪の山の山頂には天高くそびえるようなロケットが麓からでも視認できた。そして最初の乗員として、妖怪の山の天狗や河童たちが続々と乗り込み、山はもぬけの殻となった。
山の妖怪たちに続いて、麓の人里から人間たちが雪道を縫って妖怪の山を登っていった。雪の降りしきる冬空の下、かつてないほどの登山者の列を麓から見ていた魔理沙は、まるで大量の飛び降り自殺者を見ているような寒気を感じるのだった。
そして最後に麓の妖怪たちが乗り込み、丸一日かけてすべての乗員をロケットは乗せた。ロケットに窓はなく、外の風景を眺めながら幻想郷に別れを告げることはできない。しかしそれでは味気ないと思ったのか、河童が外にカメラを設置しており、飛んでいく風景を内部から観察できるようになっていた。
また、幻想郷の各地には、耐熱性のある遠隔操作可能なカメラが設置されていた。これらは旅立った造り主のもとへ、幻想郷最後の姿を届ける役目を持っていた。
打ち上げに際し、地上の援用員は紫が役を担った。打ち上げ成功後、スキマを使ってロケット内に行くことができるためである。
「――カウントダウン開始。20,19,18,……」
紫はロケットの発射カウントダウンを始めた。いよいよ幻想郷に別れを告げる時が来たのである。
数を数えながら、彼女の胸中には今までの幻想郷の風景が心によぎる。それは、先立つ子供を見送る親のような、やりきれない思いであった。彼女はいつの間にか涙を流していた。
「――12,11,10,9,8……」
妖怪の賢者が夢に描いた理想郷。この夢が今まさに打ち砕かれようとしている。それも他ならぬ自分の手によって。
「――5,4,3,2,1,0。」
ロケットの噴煙が湖の水を津波のように弾き飛ばす。それらは激流となって守矢神社を襲い、幻想郷のどこの土地よりも早く滅びをもたらした。
そして耳を劈く轟音とともに、ロケットは地上を離れ空へと舞い上がった。神社上空で首を上げてそれを眺めていた紫は、眼下に広がる幻想郷の風景を一瞥し、涙を拭ってスキマへと姿を消した。
かくして、幻想郷の住民は、まだ見ぬ広い宇宙へと旅立って行った。
「神社が……ああ……」
早苗が津波に飲み込まれる守矢神社の姿を見て慟哭している。座席には強い重力がかかり身体を支えるのがやっとであるが、彼女はモニターの方へ腕を伸ばした。
「……早苗、危ないぜ。」
隣の席の魔理沙が早苗に注意を促す。もっとも彼女とて、これが幻想郷最後の姿となるという事実に、心をかき乱されていた。
「……さようなら、皆さん。私たちは、必ず旅を成功させますから……」
早苗が別れを告げたのは、外の世界に置いてきた知人や友人たち。彼らがこれから起こるカタストロフィをどうやって受け入れるのか、早苗は考えたくなかった。
「やばいな。意識が遠くなってきたぜ……」
宇宙飛行士として訓練していない普通の人間にとって、この重力は大変厳しいものがある。魔理沙は自分の意識が薄れていくのを感じていた。
「ロケットは居住区ユニットとのドッキングに成功しました。乗員はベルトを外して、規定の位置に並んで下さい。」
船長たる永琳の声がスピーカーから響き渡る。ロケットは問題なく地球の衛星軌道上に乗り、居住用ブロックとのドッキングに成功したようである。
魔理沙はその声に、意識を戻した。
「……眠っていたぜ。早苗、大丈夫か?」
「……はい。私も眠っていたようです。今起きました。行きましょう。」
そう言ってベルトを外して立ち上がろうとしたとき、彼女の身体はふわりと宙に浮いた。
「ああ、これが無重力なのですね。変な感じです。」
魔理沙もベルトを外して宙を漂う。
「魔法で飛べるかな……おっ進んだ。」
魔力で飛ぶように推進力を与えると、魔理沙の身体は前へ進んだ。どうやらこのロケット内でも、魔法は使えるようである。
一般の人間たちは手すりにつかまりながら苦労して通路を進んでいく。その途中に備えられたモニターから、彼らは地球の姿を視認した。皆足を止め、思い思いの感想を述べる。
「……綺麗なもんだな。私たちは、こういう星に住んでいたのか。」
「……そうですね。でも、なんだか悲しいです。もっと宇宙旅行って楽しいものだと思っていました。」
早苗が哀しげな口調で述べる。それは故郷を失った悲しみであろうか。
居住区へと進むうちに、魔理沙は次第に身体が引っ張られていくのを感じていた。これは、円周上を回転する居住区に近づくにつれて遠心力が強くなるためである。このことは地上で説明されていたので、普通の人間は次第に手すりから床に付けられた梯子を降りるようにして進んでいく。魔理沙は肌身離さず持ってきた箒に乗り、身体の向きをだんだん進行方向に平行にしながら飛行し降りていった。
そして居住区の扉に着いた時には、完全に身体が扉と垂直になり、扉を開けて前に進むよりも床を開けて降りていくような感触であった。
「ここが私たちの新たな生活の場か。なんだか落ち着かないな。」
上下左右を金属板に囲まれた、無味乾燥な通路に立ち、魔理沙はそう独りごちた。
「居住区に着いた人は、まず自分の部屋へ向かって下さい。」
頭上のスピーカーから永琳の声がする。魔理沙はてくてくと歩き出した。
水平線のない通路を10分ほど歩き、彼女は自分の新しい部屋へとたどり着いた。ドアを開ける。殺風景な金属の部屋に、机、ベッドなどがある。そして部屋の中央にはガラス状のモニターがあり、外の風景を映していた。
「魔法使いの住む部屋じゃないな。」
ボソッと魔理沙は言い、懐からドアに表札を貼り付けた。こうして「霧雨魔法店」が、地球を離れた宇宙でも開業された。
各部屋のモニターを使って、永琳と依姫が居住区の説明を終えた。部屋の説明、施設内各器具の使い方などである。魔理沙は説明が終わった後、部屋の電話機をとってモニターを何回かタッチして電話した。呼び出し音が長く続いた後、相手が受話器を取った。
「おう、私だ。霊夢、聞こえるか?」
「聞こえてるわよ。どう、そっちの部屋は?」
「特に面白いものはないな。後でロケットの倉庫に行って、地上から持ってきた荷物を取ってくれば少しはそれらしくなるかもしれないが。」
「そうね。まあ私は結構満足しているわ。暇だったら、宇宙船の探検にでも行かない?」
「それは面白そうだな。行こうぜ。えーと、お前の部屋はどこだ?」
魔理沙は話しながら先ほど教えられたようにモニターに触れ、宇宙船のナビゲーション画面を出した。何回かタッチして、船内の地図を表示する。
「地図で言うと、赤い鳥居のマークのところだな。多分青い鳥居マークは早苗か神奈子の方だろう。分かった、そっちに行くぜ。」
そう言って魔理沙は受話器を置いた。ごく簡単なやり取りであったが、魔理沙は天性の適応能力の高さをここでも発揮していた。
「意外とつまらないものなんだな。前のロケットは狭かったけど、広くなっても退屈さは変わらないな。」
魔理沙は霊夢と船内を一周して、感想を述べた。
「そうね。でも仕方ないわ。そういえば、まだ紫の作った装置を見ていなかったわね。最後にそこに行きましょう。」
「なんだ、それ。紫が作ったってだけで胡散臭いな。」
「なんでも、運動不足とストレス解消をする画期的な装置らしいわ。」
霊夢はそう言って、歩き出した。その後を魔理沙が追いかける。
「運動不足解消って言っても、この狭い船の中でどうするんだ?」
「知らないわ。まあ、行けばわかるわよ。」
二人が少し歩いて、その場所にたどり着いた。他の部屋とは違う、大きなドアがある。
「『アメノコヤネシステム』?」
魔理沙はドアに書かれた文字を読む。
「なんだかえらく古風な名前ね。」
霊夢はそのドアを開けて室内に入った。
「ようこそ、霊夢。待っていたわ。」
中では紫が待っていた。室内は巨大な公会堂ほどもあるドーム状の空間で、何やら怪しげな機械仕掛けの座席が多数並んでいる。
「随分広いな。私の部屋をこちらにして欲しかったぜ。」
「それだけこの施設はとても重要なのよ。説明が必要かしら。霊夢には以前話したと思うんだけど。」
「忘れたわ。」
紫は頭を振った。
「はあ。仕方がないわね。はじめから説明するわ。」
「ああ、頼む。」
「ここは、幻想郷を模倣した空間に、利用者の意識を飛ばすシステムなの。使った人の感覚で言うと、『幻想郷に行ける』って感じかしら。」
紫が説明する。
「その空間内では今までの幻想郷と同様の事ができるわ。遊んだり、実験したり、弾幕ごっこだってね。」
「そいつはすごいな。それだけできれば退屈しなさそうだ。」
紫は胸を張る。
「そうでしょう。ストレス解消にはもってこいよ。でも、一応制限があってね、連続して40時間までしか一度に使用できないの。一旦装置を抜けて、すぐに戻っても大丈夫だけどね。」
「どうしてだ?」
「身体が現実とシステム内のどちらに適応しているか曖昧になるのよ。簡単に言うと、戻ってこれなくなるってことね。」
「帰って来れない方が幸せかもしれないな。まあいい。早速使って見ても良いか?」
「ええ、どうぞ。ほら、霊夢も使ってみなさいな。」
「しょうが無いわね。」
言われるままに、魔理沙と霊夢は物々しい座席に座り、紫の指示の下、電極を体に貼り付けた。
「では、動かすわよ。目を閉じて頂戴。」
魔理沙は紫の案内に従って瞳を閉じる。ブウンという機械の音が聞こえて、座席が少し振動したような気がする。そして数秒後、眠りにつくように意識が途切れた。
「……おや?」
魔理沙は博麗神社の境内に立っている。いつから立っていたのか、記憶にない。辺りを見回して、少し離れたところに霊夢の姿を視認する。
「おーい、霊夢。ここがシステムの中なのか?」
霊夢が振り返る。
「あら、魔理沙。私も今来たところよ。多分そうなんじゃないかしら。凄いわね。まるで幻想郷と変わらないわ。」
「本当だな。落ち葉を踏んだ感触なんて、まるっきり本物みたいだ。」
石畳の落葉を魔理沙はくしゃりと踏みつけ、その感触を確かめた。
「飛べるかしら……あ、大丈夫みたいね。」
霊夢はふわりと浮き上がる。
「そうだな。よし、これなら色々できそうだ。じゃあ霊夢、弾幕ごっこでもしてみるか?」
「良いわね。やってみましょう。」
魔理沙は箒に腰掛け、霊夢とともに上空へ飛んでいった。
「うん。全然現実と変わらないな。結構このシステムって良いんじゃないか。」
「そうね。私は気に入ったわ。でもこれ、どうやって戻るのかしら。」
霊夢が疑問を口にする。すると魔理沙が口を開くより早く、眼前にスキマがすうっと開き、紫の声が聞こえた。
「気に入ってくれて嬉しいわ。帰るときはね、瞳を開くようにするのよ。システムに没入した時に目を閉じた反対ね。」
「そんな事言っても、既に目を開けているんだが。」
「これは訓練が必要かしら。心の中で、現実の目を開けって願うようにするのよ。」
紫の説明を理解したのか、霊夢の姿が薄く掻き消える。
「霊夢はできたわね。魔理沙、頑張って。」
「今の説明で解る方がすごいぜ。」
と言いつつ、魔理沙が心の中で現実の目よ開けと願うと、意識がぷつりと途絶えた。
「おはよう、霊夢、魔理沙。どうだったかしら。」
魔理沙は気がつくと元の座席に座っていた。
「うん?戻ってきたのか?」
顔面を覆ったバイザーを外し電極を体から外しながら、魔理沙は答える。
「数分間のトリップだったわね。どうかしら、感想は。」
「そう急かないでよ。」
隣の席では霊夢が立ち上がろうとしている。魔理沙はそれを見て、自分も電極をすべて外して席から立ち上がった。
「結構楽しかったぜ。紫もやるじゃないか。これなら退屈しないだろう。」
「そうね。貴方も結構仕事できるじゃない。」
霊夢と魔理沙が率直な感想を述べる。それに満足したのか、紫は扇を口元に当てて笑った。
「気に入ってくれたようね。いつでも使えるから、今度は他の人を連れて来ても良いわよ。座席には十分余裕があるから、順番待ちにはならないと思うわ。」
「それにしても、あそこまで幻想郷を再現するなんて凄いわね。」
「ひとえに私の愛情かしら。」
「自分で言うなよ。」
そう言って一同は談笑した。
「霊夢。一応貴方もこのシステムの管理者の一人になっているわ。あとで役割を説明するから、一段落したら、またこの部屋に来なさい。」
「勝手に決めないでよ。なんで私がそんな事しなければいけないの。」
「仕事が無いということは大変な不幸よ。特にこんな閉鎖空間の中では。貴方に相応しい仕事を作ってあげたのだから、やりなさい、博麗の巫女。」
諦めがついたのか、渋々霊夢は受け入れた。
「……まあ、良いわ。他に仕事もないし、暇だしね。」
「あ、霊夢さん、魔理沙さん。どこに行っていたんですか。探しましたよ。」
部屋に戻る途中、二人は早苗に出会った。
「船内を探検してきた。面白いものはあまりなかったが、紫が作ったっていうアメノなんとかっていうシステムはかなり遊べそうだぜ。」
「何ですか、それは?」
二人は早苗の質問に答えて、システムの体験を語った。
「確かに面白そうですね。私も後で行って見ることにします。ところで、お腹がすきませんか。」
「そうね。食堂に行きましょうか。」
霊夢が賛同し、三人は食堂へと向かった。
食堂は先程のアメノコヤネシステムと同規模の部屋になっていて、座席が数えきれないほど並んでいた。
「こいつはでかいな。宴会ができそうだ。」
「でも、誰が調理しているのでしょう?」
食堂の片隅には、メニューを選択した者が料理を受け取る窓口のような所があり、ベルトコンベヤに運ばれて料理が出てきている。
「本当だな。誰か働いているのか?」
魔理沙もその光景を見て、疑問に思う。その解答は、彼女たちの背後から聞こえてきた。
「全自動の機械で作っているのですよ。」
三人が振り返ると、そこには依姫がいた。
「月の科学による地上の料理です。栄養バランスなどを考えた食事が提供されるようになっています。私達が目的地に着くまでの間、消費しきれないほどの材料を圧縮して積み込んであるので、枯渇の心配はありません。」
依姫が答える。
「機械による料理か。私は自分や他の人の手料理も食べたいのだけどな。」
「一応調理場も小さいですが各部屋にあります。食材をここで受け取ってそこで料理しても構いませんよ。それもまた倦怠感の解消には良いはずですから。」
「そうか。咲夜が喜ぶぜ。」
魔理沙はそう言って、料理の出てくる場所に並びに歩いて行った。
食事を終えて、魔理沙は一同と別れて自室に戻った。しかし、帰ってきてもすることがない。彼女は今まで体験したことのないほどの退屈感を覚えている。このままでは、自分は食事と睡眠を行うだけの存在になってしまう。そのことを彼女は危惧していた。
(ロケットに戻って、私の荷物を取ってくるかな……)
各人の荷物は圧縮されてロケットに格納されている。魔理沙は魔導書や実験器具、キノコなどを持ち込んでいる。
取りに戻るため、先ほど通った接続通路を飛んでいく。途中で外の様子を映すモニターがあったので、覗いてみると、そこには先程の大きな地球の姿はなかった。もう既にロケットは地球の衛星軌道を脱出して、太陽系外へ向けて航行を始めていた。
(……お別れを言う間もなかったな。)
魔理沙は心の中で黙祷を行った。
◇
宇宙船での暮らしに、各人が慣れるのにはさして時間はかからなかった。月の民の技術を結集して作られた宇宙船は、彼らの享楽追求の深さ故か、不便なことは何一つなかった。人々は思い思いに自分の生活を作り出し、手に職を持つ者は、各人の部屋で商いを始めたりもしていた。
食堂で提供される食事の中には、それこそ人肉や妖怪の好みそうな物もあった。これらは密かに妖怪のリクエストに答える形で提供され、彼らの飢えを癒していた。そのため、この宇宙空間においても妖怪たちの力は衰えなかった。
運動不足解消にはアメノコヤネシステムが利用された。筋電位の変化を捉えて動かす装置は、擬似的に運動したのと同じだけの刺激を肉体に与えるようになっている。口コミを中心に利用者は増えて、出発して1ヶ月経つ頃には乗員で利用していない者はほとんどいなくなっていた。模擬的に幻想郷に帰ることができるのも、人気の理由の一つであった。
出発してから、およそ半年。彼らの航海は滞り無く進み、予定より早く、いよいよ「運命の日」がやってきた。幻想郷最後の日である。現地に残され、あるいは人工衛星として打ち上げられた映像を宇宙へ飛ばすカメラによって、彼らは、かつて住んでいた幻想郷が滅びていくのを目撃した。
それは、まさに地獄絵図であった。
森が燃えている。人がいなくなった幻想郷は最早一面の緑の世界であったが、それらは上質の薪の山と化した。各地で火柱が上がり、それらはやがて火炎旋風となって世界のすべてを焼き尽くした。その姿を耐熱性のカメラは黙々と造り主に届けている。残ることを選んだ妖怪や妖精たちが、炎に焼かれ身悶える姿が多数確認された。
紅魔館そばの湖はすべて干上がり、その湖底を初めて住人たちに晒した。水蒸気は炎の上昇気流によって巨大な積乱雲となり、幻想郷中に雨と雷を降らせた。雨によって炎は衰えることなく、地上を焼く炎の中雷鳴の轟くその光景は古い本に書かれた黙示録の世界そのものであった。
妖怪の山は火山活動を開始し、山頂付近から溶岩が溢れ出てきた。幾度と無く火山は爆発を繰り返し、麓に火砕流と流弾の雨を降らせた。
同様に旧地獄へとつながる洞窟の入口からもマグマが噴出し、ロケットに乗ることを許されなかった地底の住人たちは、残らず消し炭となっただろうと推測された。
そして、紅魔館。地上のカメラが全滅した後、地球の衛星軌道上のカメラによってその姿がかつての住民たちに目撃された。炎の坩堝と化した幻想郷の中で、外壁のレンガは周囲環境の熱によりガラス状に溶けていき、最終的に館のあったところは美しいガラスの池と化した。
これらの破滅を目撃したかつての住人たちは、慟哭し、泣き叫ぶことを憚らなかった。カメラの映像はそれが破壊されるまで続き、彼らはその記録に絶望的な悲鳴を上げた。
「あああ、館が……」
美鈴は紅魔館の住人とともにモニターの前に集まり、その光景に目を釘付けにしていた。
「……。」
レミリアは怒ったような顔で腕を組み、沈黙している。
「……綺麗なものね。」
パチュリーは蔵書のすべてを焼き尽くした炎に怨嗟の視線で睨みつけている。
やがて数分間映像が流れた後、宇宙線によりカメラはその機能を停止して地獄絵図の放送は止まった。モニターに何も映らなくなっても、各人は言葉を容易には発することができない。辛うじて、レミリアが口を開いた。
「……私たちは、生き残った。それがすべてよ。」
レミリアの悲痛な声に、咲夜が同調する。
「そうですわ。私たちは、この危機を乗り越えられた。それを祝う日ともなりました。」
努めて咲夜は明るく言った。
「あとで、あのシステムの所に行ってみようかな。」
フランドールがぽつりと言った。その言葉に美鈴が賛同する。
「ええ、行きましょう。あそこなら、きっと懐かしい幻想郷を体験できると思います。」
「……偽物とわかっていても、今日ばかりは行きたくなるわね。」
レミリアはどうにもアメノコヤネシステムが気に入らない。それは巧妙な模倣品のように思えるのだ。しかしそれでも、今はその精巧な作りに酔っていたい。彼女はそのように考えている。
「……地底の友人たちを、連れて来られなかったのが残念です……」
白蓮が肩を落としている。一応こいしなどを通じて声をかけたのだが、そのままで良いという風に答えられてはどうしようもなかった。
「カメラには写ってなかったけど、地底の住人って熱や炎に強い奴が結構いたから、もしかすると地上に出てきているかもしれない。だから、まだ生き残りがいるかもしれないですよ。」
村紗がそう言って慰めた。確かに地獄の炎の中に住む妖怪たちは、これぐらいの惨状は全く気にならないかもしれない。
「そうですよ。私たちは自分たちでできることをしましょう。」
星も姿勢を正して白蓮の肩に手を置いた。その手を白蓮は取り、顔を上げた。
「……そうですね。生きている私達ができることをしましょう。幸いこの宇宙船にはまだ死者は出ていませんし、せめて残してきた者達の菩提を弔いましょう。」
白蓮はそう言って自らを励ますように頷いた。
この事件以後、アメノコヤネシステムを利用する者が増えた。滅びの映像は、地球を離れて旅する彼らに望郷の念を抱かせたのかもしれない。システムは大変良くできており、まるで元の幻想郷と遜色がないように見えた。紫の説明によると、家の内部などの細かな部分は利用する者の意識をシステムが読み取り、再現しているとのことだった。そのため、今や失われた幻想郷は、この宇宙船内にあると言っても過言ではなかった。
「まさか、ここでお会いできるとは思いませんでした。幽々子様。」
「だから言ったでしょう、大丈夫だって。」
システム内の白玉楼。そこで妖夢は幽々子と再会した。この幽々子の存在は、紫がシステムを構築する際に霊体の者たちに協力してもらった副産物である。もともと肉体的に希薄な存在の亡霊などは、システムにその存在を完全にコピーすることができたのだ。
「私以外にも、あの騒霊たちとかもいるわよ。紫には感謝しないとね。」
「本当ですか。じゃあ、ほとんど元の冥界と変わらないですね。嬉しいです。」
妖夢はそう言って顔を緩ませた。
「貴方がロケットに乗り込む日に、このシステムに私達の存在を写したのよ。だから、今の私は完全に元の私と同じよ。」
「良かったです。これで長い船旅でも孤独にならなくて済みそうです。」
「じゃあ、早速お願いなんだけど、庭の手入れをしてくれないかしら。貴方が今日来るまでに伸び放題になっているから、直しておいてね。」
「了解です。」
そう言って妖夢は庭師の仕事をシステム内でも行うべく、用具を取りに納屋へと向かった。これなら、狭い船の中にいるとは考えなくて済むな、と彼女は考えていた。
◇
にとりはロケット機関部の狭い通路を往復していた。特に異常があるわけではない。ただ、自分たちの作った宇宙船が、問題なく駆動している音を聞くのが好きなのだ。
「3番、4番、異常なし、っと。大した機械だね、こいつは。」
実際に作ったのはにとり達河童の技術者であるが、その設計は月の民のエンジニアの手によるものである。理論を聞いても半信半疑であったが、事実として、この宇宙空間を飛んでいるのだから帽子を脱がざるをえない。その高度な技術を少しでも学ぼうと、にとりは彼らに技術指導をしてもらい、機器のメンテナンスはできるようになっていた。
(そう言えば、この先の部屋には行っていなかったな。)
にとりはロケットの一部の部屋に入ったことはない。何もないし、特に用事もなかったからだ。
(ついでに見ておくか。)
そして彼女は、その鉄の扉を開いた。
(……えっ?)
後日、船内のネットワークを使って初めての訃報が流れた。曰く、機関部の事故によりにとりが亡くなったということだった。船の航行に支障はないとのアナウンスがあったが、漠然とした不安を乗員は抱いた。
にとりの遺体は傷一つないものであった。検死した永琳によると、極度の無酸素状態になったのではないか、と仮説が立てられた。永琳は機関部に近い幾つかの部屋を立入禁止とした。
遺体は霊安室へ運ばれ、初めての宇宙葬が行われた。にとりは別に寺の信徒ではなかったが、葬儀をやることを白蓮が強く主張したため、仏式で法要が行われた。そしてカプセルに入れられた彼女の遺体は、参列する魔理沙や椛、友人の河童たちの前で、光速の10%の速度で宇宙空間に消えていった。
「なんでにとりが死ななきゃならなかったんだ。あいつはそのためにメンテナンスしていたわけじゃないぜ。」
食堂で、霊夢に魔理沙はそう愚痴を零した。
「仕方ないわ。事故は事故よ。ちゃんと葬れたのだけでも良しとしなきゃ。」
「良いことなんてないぜ。だって、あいつの身体にはどこにも傷なんてなかった。今でも死んだことが疑問だ。妖怪っていうのは、もっと頑丈にできているんじゃないのか?」
魔理沙は横たわるにとりの遺体を思い出す。まさに眠っているかのようだった。
「永琳のレクチャーがあったじゃない。確か、幻想郷を離れることで、再生する能力が非常に弱くなっているって。今までは傷ついた妖怪は、幻想郷によって回復していたけど、これからはできなくなるから。多分、そういうことじゃない。」
魔理沙は黙って聞いている。妖怪は力こそ変わっていないが、治癒力は大きく減衰し、一般の人間レベルになっている。幻想郷にいたときは、現実と幻想の間のギャップ、博麗大結界こそが妖怪を生み出す原動力となり、また彼らを再生させる不死の力を与えていた。母星を亡くした今となっては、もう彼らは不死の存在ではない。
「……紫に言われてたんだけど、船内で死者が出た時の取り決め。知ってる?」
「ああ、聞いたぜ。あのシステムの中に、死んだ奴を再現するんだろ。」
「そう。きっと今頃紫がやっていると思うわ。後で『にとりに』会ってきたら?」
「変な気分だ。死んだばかりの奴に、また会うことができるなんてな。」
魔理沙はそう毒づいた。
システム内の妖怪の山の麓、川沿いで魔理沙はにとりに再会した。
「よう、にとり。元気か?」
にとりの側には、もう一人、椛がいた。おそらくシステムに再生されたと聞いてやって来たのだろう。
「こんにちは、魔理沙。相変わらずだね。今椛から聞いたんだけど、私の現実の身体は死んだんだって?」
「なんだよ、どうやって伝えるべきか考えてきたのに。」
魔理沙は少し拍子抜けした。
「黙っているわけにはいかないでしょ、魔理沙。私のほうが先に来たから、話しただけさ。」
椛は親友との再会を喜んでいるのだろう。表情は普段と同じだったが、尻尾が揺れていた。
「変な感じだね。現実で死んだのも私、ここにいるのも私っていうのは。」
「あー、にとり。疑問なんだが、死んだ時の記憶ってあるのか?」
魔理沙は聞きづらそうに質問した。にとりは答える。
「いや、ないよ。って言うより、時差があるっていうのかな。この私のデータは、私が最後にシステムにアクセスした時の情報を元にしているんだ。だから死亡時刻からは10時間ぐらい前の身体だね。」
「そういうことか。保険みたいなものなんだな。」
魔理沙はシステムの仕組みはわからなかったが、何となく察しがついた。
「まあでも、また会えて良かった。将棋の続きをしよう、にとり。」
椛はそう言って笑った。
◇
咲夜はお茶の準備をし、給湯室からレミリアの元に向かった。紅魔館を失ったとはいえ、彼女は今でもレミリアのメイドである。
プライバシーの配慮や揉め事の回避のために、船内で比較的大きな部屋やいくつかの部屋をつないだスペースは、かつての紅魔館や命蓮寺などの集団に提供されている。いまや、このロケットの数部屋が紅魔館の領土なのだ。
トレイを持ってレミリアの部屋のドアをノックする。主人の声を聞いて彼女は室内に入った。
「お茶の時間です。お嬢様。」
「ご苦労、咲夜。やっぱり時間を操作できないと、準備が大変?」
「そんなことありませんわ。慣れたものです。」
ロケットに搭乗する前に咲夜は、永琳に時間操作を行わないよう釘を差されている。永琳の推測によると、亜光速のロケット内で時間を停止した彼女の世界を展開した場合、ロケットから放り出される懸念があるという事だった。
「ロケットに紅茶をたくさん積めて良かったね。味に飽きなくて済むわ。」
「本当ですわ。」
お茶などの粉体に類する物質は、月の技術によって圧縮されて大量に積みこむことができた。水はロケット内で排水から還元されるようになっているが、あまり詳しい説明はない。乗員たちも自らの排泄物から水が作られていることはタブーとしている。
「フランやパチュリーは今日もシステムの中?」
「はい、そのようです。お嬢様もいらしてあげれば、喜ぶと思いますけど。」
「私は偽物のお茶よりも、咲夜が努力して作ったこのお茶のほうが好きなのさ。」
「光栄ですわ。」
わずかに血を混ぜたフレーバーを楽しみながら、レミリアは「午後の」紅茶を口にした。
それが起きたのは、文字通り一瞬のことであった。レミリアが紅茶を飲み終えて、カップを小皿に置いた瞬間、咲夜の体が消えた。
「……えっ?咲夜?」
そして何が起こったのかを、彼女は理解した。
「咲夜、咲夜……嘘でしょう……?」
幻想郷にいたときに何気なく行われてきたこと。それを咲夜は実行してしまったのだ。
「そんなこと……」
カップに紅茶を注ぐ。そのことを行うために、咲夜は時間を止めた。それは今まで意識してやめていたことだが、時間停止の使えない状態でレミリアの世話をするには、時間が足りない。彼女は幻想郷にいた時よりも身体を酷使して、主人に不便をかけさせないようにしていた。今となっては確かめようがないが、その疲れから判断が鈍ったのかもしれない。
「……ロケットを止めなきゃ。咲夜が……」
レミリアは席を立ち、その身体能力の限界を使って部屋を飛び出していった。
「……もう無理よ。彼女の肉体は、既に無くなっているわ。」
「ふざけないで!!今から引き返せば、咲夜はきっと生きている!!」
「ふざけているのはどちらよ?このロケットは、貴方みたいに軽快にターンできないのよ。燃料だって、航行に必要な分と、その予備しかない。ブレーキをかけ、再び加速するのに必要な余剰エネルギーなんてないわ。」
ロケットの操舵室に飛び込んできたレミリアは、咲夜を回収すべくロケットを引き返させろと要求した。当然、船長たる永琳はそのようなことを許すはずもなく、諌めようとしている。
「もう彼女は、死んでいるわ。それは間違いのない事実よ。」
「言わせておけば……!!」
「貴方の好きなように、この部屋を破壊したら、乗員すべての命を危険に晒す。当然彼女の所には行けない。そのことが分かった上で、暴れるのならお好きにどうぞ。」
レミリアは両の拳を握りしめ、直立して震えている。彼女の手から、床上に血の雫がこぼれ落ちた。
「咲夜の精神は、システムの中に再現できるわ。それで我慢できないというなら、行わないけど。」
「ううう……」
レミリアは肩を落とした。その姿を見ていた永琳は、不意に語調を変えた。
「……ねえ、レミリア。もし、貴方が誰にも言わないと誓うのならば、私は貴方に救いの手を差し伸べることができるけど、どうかしら。」
「……いきなり、何よ、それは?」
「皆が知らない、真実の一端を教えてあげるというのよ。それを知れば、貴方の悲しみは幾許か癒えると思うわ。」
「師匠……!ダメです!教えてしまっては!」
コクピットに座る豊姫が叫ぶ。
「操作に集中しなさい、豊姫。あと数時間で目標のダストが来るわ。除去する準備はできているの?」
「大丈夫です。でも、師匠。そのことをこの妖怪に教えたら危険です。」
「何なのよ、何を教えるのを躊躇う?」
「レミリアさんはこう見えて口は堅いから、私が教えても他の人に漏らしたりしないわ。そうよね、レミリアさん?」
「……ええ、黙っているわ。悪魔として、誓ってもいい。」
「師匠、妖怪の言葉に耳を傾けるなど――」
「じゃあ教えてあげるわ。それはね、――」
レミリアが退出し、豊姫は永琳を問い詰めた。
「何で、あの妖怪に教えたのですか。決して口が堅いようには見えませんでしたけど、危険はないのですか。」
「貴方が初めての宇宙塵を外す危険の方が大きいわ。大丈夫よ。」
重要な秘密を漏らしたのに、永琳は何のことはないように笑った。
「……それに、もし彼女が納得ができず、暴れられたら困るわ。」
「でも、それは――」
「それに……彼女が少し可哀想だしね。伴侶を無くすというのは、悲しいことよ。」
言葉と違い、永琳は全くそうは思っていないように見える。その姿に、豊姫は屈服した。
「……師匠がそう言うのなら、大丈夫なんでしょう。」
「そうよ。では、レクチャーの続きをします。席に戻りなさい。」
豊姫は引き下がり、宇宙塵を進路上から取り除く方法の学習を再開した。
レミリアは、霊夢の元へ向かった。彼女の部屋は無人であったので、おそらくシステムの部屋にいると目星をつけて歩いて行った。
「霊夢。話があるのだけれど。」
「永琳からさっき電話があって、大体話は聞いているわ。咲夜が亡くなったのでしょう?」
システムの部屋で霊夢と会い、レミリアは概要を話した。
「――ということよ。咲夜の再生、できるかしら。」
「ちょっと待ってて、今調べるから。」
霊夢は部屋の中央部の端末を操作して、咲夜の最後のシステム利用を調べる。
「最後に咲夜が使ったのは、昨日ね。これで良いかしら。」
「ええ、それでお願いするわ。」
霊夢は何度か画面をタッチし、咲夜の人格をシステムに再現した。
およそ5分後。
「できたわ。これでシステムに行けば、咲夜に会えるわよ。行ってみる?」
「ええ、そうするわ。ありがとう、霊夢。」
そう言ってレミリアは座席に向かった。その後姿に霊夢は声をかける。
「ねえ、レミリア。咲夜が亡くなって、悲しくないの。」
「……悲しかったんだけどね、うまく言えないけど、所詮この世は虚仮ってことかな。永琳の説得で、そういう気分になった。だから、咲夜の死を必要以上に悲しまないで、少し前向きになろうと思ったのさ。」
「よくわからないわね。私は少し、悲しいかもしれないわ。」
「いずれ私の気持ちが、貴方にもわかる日が来るよ。」
そう言ってレミリアは座席に体を埋めた。
「向こうの紅茶はどういう味なんだろう。今私の関心は、その一点だけだね。」
そしてレミリアはシステムに没入していった。
◇
「やめて、殺さないで!!この子たちは、地球最後の生き残りなんだよ!?」
「うるさい!!邪悪な蟲使いめ。我が成敗してくれるわ!!」
リグルの懇願を、布都は聞き入れず指先から炎を走らせた。その目先には、リグルが持ち込んだ虫カゴがある。それらは容易く燃え上がり、灰となった。
「ああああ……」
「ふん、やはり虫の本性を現しおったな。この妖怪変化が。」
地面に膝をつき、リグルは慟哭している。
その姿を見ていた布都は、おもむろに手をリグルの方へ向けた。
「やはり、妖怪などと暮らすことなどできぬ。貴様には、死んでもらうしかないな。」
「私を、殺すつもり……?」
「ああ、そうじゃ。特に虫の妖怪なぞ、相容れぬわ。」
呪文を唱え、布都はリグルに炎を吹きかけた。
「ぎゃああぁぁぁ……!!」
火に飲まれてのたうつリグルの姿を、布都は清々した顔で見ていた。
「……で、貴方はリグルさんを焼き殺したという訳?」
「その通りだ。何度も言っておるではないか。同じ話を繰り返すでない。」
永琳が布都に事情聴取したのは、リグルが殺害されて4時間ほど後のことだった。船内の一室で、彼女の言い分を聞いた永琳はうんざりした様子で語りかけた。
「あのね、布都さん。私達は、もはや共同体なの。誰が欠けても、私達は自らの痛みとして共有しなければいけないの。それは理解できる?」
「知っておるわ。だがな、あのような身の毛もよだつ虫どもを、奴が飼っていたとなっては気味が悪かろうが。だから我は、皆を代行して焼き払ってやったのだ。」
「全然解ってもらえないみたいね。」
永琳はため息をつき、座る脚を組み替えた。
「リグルさんは、システムの中に再生されるのよ。それがどんな因果をもたらすか、あなたは分かっていないようね。」
「ふん。そのような仮初めの存在として生き続けるのがお似合いであろう。」
布都はそう言って息を吐いた。
「……分かったわ。今後は火をつけるときはよく考えてね。」
そう言って、永琳は話を切り上げた。
数日後。船内の通路を歩き、布都は神子のもとへ向かっていた。最近神子はシステム内の屠自古にばかりかまけて、布都を蔑ろにしている。布都はそんな気がしていた。そんな中、今日は神子は自室におり布都を呼びつけたのだ。
(太子様は、この前の我の武功を褒めて下さるかな……)
布都は彼女に誉められることを期待して、浮き足立っていた。
神子の部屋の前に立ち、彼女は深呼吸してドアを開ける。
「太子様、参上しました。」
「ああ、よく来てくれましたね、布都。」
神子はそう言って笑い、布都も声を弾ませた。
「太子様に呼ばれれば、この布都、たとえ火の中水の中でも馳せ参じますぞ。」
それから彼女たちは取り留めのない話に興じた。
そして突然、部屋が真っ暗になった。
「うん?停電でしょうか?」
お互いの顔も見えない闇の中、どこかでシューシューと音がしている。何か、と訝る彼女たちは突然、体の痺れを感じてよろめいた。
「……太子さ、ま……どこです……?」
「布、都……?これ、は、一体……」
訳も分からず、彼女たちは地に伏せた。すると先ほど聞こえていた音は、ドアの方から聞こえてきた。
「こ、れ、は……毒、です……布都……逃げなくては……」
「我に、お任せを……」
暗い部屋ではどこにも動けない。布都は明かりをつけるべく、指先から炎を出した。
その途端。
布都の指先から部屋に爆炎が迸った。部屋の中に吹きこまれていた毒ガスは、可燃性であったのだ。
「が、ぎゃあぁぁ……」
「ううげ、ふ、と……」
暗闇の中で衣服に燃え移った猛火に包まれ、彼女たちはのたうち焼かれていく。何故、身を焼く炎すらも見えないのか。彼女たちは最期までわからなかった。
「どうやら、うまくいったみたいね。」
「私の毒に、こんな使い方があったんだ……」
炎が収まるの待って、室内にミスティアとメディスンが顔を出した。
初めに、ミスティアの力で盲目にする。そしてメディスンが毒を吹き入れて動きを封じる。その後、直接止めをさす予定だったが、まさか炎が燃え広がるとは彼女たちも予想していなかった。
室内には、黒焦げになった布都と神子の死体が転がっていた。
「これで、リグルの仇はとれたかな。ありがとう、メディスン。」
「どういたしまして。私たちのコンビネーションも、意外といけるね。」
メディスンも自分の能力の使い方を学び、少し嬉しそうに答えた。
「あとで、システム内のリグルに報告してくるよ。仇は殺せたよってね。」
ミスティアは、システム内に再生されたリグルの願いによって、彼女の仇を撃ったのだ。
死人に口なし、ではなかった。
「まさか、私が貴方の骸を送ることになるとは思いませんでした……」
船内の霊安室にて、白蓮は包帯に包まれた神子と布都の遺体を前に呟いた。同様に、隣で青娥が涙を流している。
「何か、誰かに恨みを買っていたのですか?……貴方のような聖人が恨まれる筋合いなど、私には見当もつきません……」
青娥も悲しげに呟く。彼女にとっても、突然の訃報であった。
読経を終え、いよいよ遺体を船外に射出する段になって、白蓮の心にも色々と思うところがあったのだろう。彼女は周りの者の目を気にせず、涙を流していた。宗教的ないがみ合いがあったとはいえ、神子は白蓮の修行していた時代には既に聖人であった。そのことが完全に敵としては見做せない、複雑な感情を沸き立たせているのだった。
「白蓮様。青娥さん。……よろしい、ですか?」
機械的な棺に遺体を入れ、里人が彼女に確認する。
「ええ……大丈夫です。お別れを、しましょう。さようなら、豊聡耳様。……三劫の闇の中、六道輪廻の末に、また会える日を。」
神子のカプセルは射出され、続いて布都のカプセルも船外に撃ちだされた。
たとえ彼女たちとの再会が、アメノコヤネシステムにおいて実現されようとも、そのことは考えたくない白蓮であった。
神子の死は人間たちに大きな動揺を与えた。犯人は杳として知れず、霊夢や依姫に調査を依頼する者も多かった。とりわけ命蓮寺に集う妖怪たちは、白蓮の悲しむ姿を見て以来、しきりに霊夢に事件解決を願うのだった。
しかし霊夢も下手人の心当たりはないため、依姫に相談するのだった。
「結局、貴方にもわからないのね。」
「私は地上の妖怪たちの対立は分からないわ。だから、師匠に事件解決の糸口を辿って頂くのが適当かと。」
依姫は船内の妖怪間の関係など分からないので、彼女が永琳に頼るべきと言うのは当然であった。
「永琳に聞くの……私、あまり彼女と付き合いがないから、それが良い方法かわからないわ。」
「船内の揉め事の解決に船長が出てくるのは当然のことよ。きっと。」
そう言って依姫は霊夢を連れて、船長室の永琳の元へ向かった。
「あら、遅かったわね。この前の殺人事件の下手人探しに来たのでしょう?」
永琳は開口一番、二人の聞きたかったことを言ってみせた。
「だから、貴方は苦手なのよ……まあ良いわ。で、誰が犯人なの?」
「結論を急がないで。ちゃんと捜査の過程を踏まえて容疑者を割り出さないとダメよ。」
永琳は霊夢にそう言って笑った。
「師匠は、容疑者の心当たりがあるのですか?」
「きっと私の所に来るだろうと思ってね、優曇華に調査させておいたわ。では、教えましょうか。」
二人は黙って傾聴している。
「優曇華に犯行現場の燃えカスを集めさせたのよ。そして分析させた結果、ある種の可燃性ガスの残留物が見つかったわ。船内に持ち込んでいない種類のね。そして被害者とイザコザを起こしている者がいないか調べたら、被害者の一人、布都さんと言ったわね、彼女は数日前に一人の妖怪を殺しているの。これは私が説教したから間違い無いわ。これらから簡単に導かれる筋は、わかるかしら、依姫?」
依姫は少し考えた後、考察を述べた。
「……その殺された妖怪の親類乃至友人が、毒ガスを用いて殺害した、ということでしょうか。」
「そうね。あと一つ、真実に向かう重要なヒントがあるわね。この宇宙船には、殺された者の精神を再生するシステムがある。もし、システム内でリグルさんが誰かに仇討ちを依頼していたとしたら、どうかしら。調べる筋が見えてこない?」
霊夢は頷いて答えた。
「システム内のリグルをしばき倒せば、真実がわかるってわけね?」
「貴方は本当に暴力的ね。でも、今回ばかりはそれが正解。どうせ殺してもシステムに再生されるのだから、思いっきりやっても大丈夫よ。」
永琳は柄になく物騒なアドバイスを送った。それに依姫はため息をつく。
「師匠まで霊夢みたいなことを言わないで下さい。わかりました。多分それで容疑者の割り出しはできるでしょう。では、犯人が分かった場合、私達が与えるべき罰とは、何でしょう?」
「それはね、――」
メディスンは自室でうたた寝をしていた。人形の体とはいえ、妖怪となった今では何となく眠りたくなる時もある。彼女はベッドサイドに生けてある鈴蘭を見ながら、ウトウトとしていた。
そんな中、彼女の部屋のドアが大きな音を立てて開いた。
「貴方が、メディスン・メランコリーですね?」
あまり見たことのない人物が、自分に問いかけている。メディスンは寝ぼけ眼で返事をした。
「……だれ、あなた。先に名乗るのが筋じゃないの?」
「私は綿月依姫。船長の八意様の命令で動いています。メディスン、貴方は物部布都と豊聡耳神子の殺害に関与していますね?」
直球の問いかけに、嘘をつくことに慣れていないメディスンは動揺した。
「な、なによ。知らないわ、そんな人。」
「貴方が毒を操る事ができるということは聞いています。彼女たちの殺害現場から、船内にない毒の成分が発見されました。貴方以外に、これを発生できる者はいません。このことについて、意見はありますか。」
鋭い口調で依姫はメディスンを問い詰める。メディスンは逃げられないと悟ったのか、不意に笑った。
「……そうね、私は毒人形。毒を出すことなんて、簡単なことよ。だから、もしかしたらそんなこともあるかもね。」
「そうですか。では、貴方を二人の殺害犯と認めてよろしいですか。」
「ええ、そうよ。私は、リグルさんの仇を討つために力を貸したのよ。でも、貴方はそれを誰にも教えられない。……ここで死ぬんだからね!!」
メディスンの叫びと同時に、部屋の中に一瞬で毒ガスが撒かれた。常人が吸い込めば、神経系統に異常を起こして死に至らしめるものである。永琳から彼女の能力を聞いていた依姫はそれを吸い込む前に、唱えた。
「ヤノハハキよ、我を取り巻く毒雲を払い飛ばせ!!」
彼女が唱えたのは箒神の名前である。その途端、室内に散布されていた毒ガスは余さず消し飛ばされた。
「な……」
「覚悟は良いですか。貴方は毒によって動く人形と聞きました。私の刀を刺しても致命傷にはならないでしょう。なので、この方法が相応しい。」
依姫は右手をメディスンの方に向けて、再び神の名を唱える。
「ミズハノメよ、この者の毒をすべて洗い流せ!!」
水神の名により、メディスンの頭上から滝のような水が流れた。そしてその水が流れ切った後、穢れを流し切り、ただの人形と化したメディスンの体が水たまりにドサリと倒れた。
かくして、依姫はメディスンを葬った。
ミスティアは逃げていた。メディスンが討たれたことを人伝に聞いた彼女は、それを執行した者が霊夢だろうとあたりをつけて逃げていた。と言っても、宇宙船の空間には限りがある。従って彼女は円をなす居住スペースで、霊夢の現在地から180度反対側になるように移動すれば会わなくて済む。もっとも正確な位置を知る術のない彼女は、何となく霊夢がいそうな場所には行かないようにするのが精一杯であった。
今、彼女は暗い船内の倉庫部屋に隠れていた。暗闇を住処とする夜雀にとって、本能的に居心地が良い場所を選んだのかもしれない。
(これから、どうしよう。いつまでも逃げていることはできないし、諦めて降参しようかな……)
彼女は暗闇の中で逡巡する。
(いや、だめだ。メディスンを殺すような巫女だもの。私だって殺すに決まっている。……誰か、味方になってくれる人はいないかな。)
巫女との間に立って和解を図れるような人物を彼女は考えていた。
そんな中、倉庫の扉が開かれた。咄嗟に彼女は物陰に隠れる。
入ってきたのは、優曇華とてゐであった。二人がかりで、大きな袋を抱えている。それを倉庫の片隅に置き、彼女たちは部屋を出ていった。
(なんだろう?)
好奇心から、ミスティアはその袋に近づいた。大きさは自分よりも小さい麻袋である。
そっと、袋の口紐を解いた。
「えっ!?」
中に入っていたのは、ただの人形と化したメディスンであった。
「ううっ……!」
人形の瞳が、自分を見ている。何も言わないが故に、彼女は戦慄した。
「ごめんなさい、ごめんなさい……私が、貴方に頼まなければ、こんなことにならなかったのに……ごめんなさい……」
ミスティアは泣きながら、人形に語りかけた。人形は何も語らない。
そこにドアが開き、室内の明かりが灯された。彼女はハッとドアの方へ顔を向ける。そこに立っていたのは、依姫であった。
「貴方が、ミスティア・ローレライですね。リグルさんから聞きました。貴方が、物部さんと豊聡耳さんを殺害したということは、調べがついています。……何か、言い残すことはありますか。」
冷徹な依姫の言葉。その右手には、抜刀された刀が握られている。
「私は……ただ、友達の仇を討とうとしただけなのに……?」
「仇討ちは百歩譲って良しとしても、そこに無関係の豊聡耳さんを巻き込んだのは貴方の罪です。無実の人を傷付けた妖怪は、成敗されるしかありません。……覚悟。」
逃げられない。観念したのか、ミスティアは目を閉じた。
「リグル、ごめんね。私も、そっちに行くから……」
依姫はその言葉を聞き、刀を上段から振り下ろした。
「それで、被害者と加害者両方を再生させるの?訳がわからないわね。」
システムの部屋で、霊夢はそう紫に尋ねた。
「このシステムには、旅の途中で死んだ者すべてを記録しておく必要がある。だから、どちらが危害を加えたかに関わらず、再生させてあげなくてはいけない。前にも説明したでしょう?」
「その先が問題だっていうのよ。システムの中で、殺した奴と殺された奴が出会ったら、どうなるの?また殺し合いをするわけ?」
「それも致し方なしね。もしシステム内で死んだとしても、24時間後にはまた再生されるから問題無いわ。そのうち殺し合いにも飽きてくるでしょうしね。」
「嫌な考え方ね、それは。」
霊夢の懸念はおそらく当たるだろう。少なくとも、いがみ合いの種になることは間違いない。それでも紫は確信を持って答えた。
「大丈夫よ。このシステムの設計には、そのことはちゃんと考えてある。長い目で見れば、丸く治まるはずよ。だから、彼女たちを早く再生させてあげなさい。」
「しょうが無いわね。前から思っていたんだけど、この作業、何で紫は自分でやらないの。私ばっかり。」
「今は霊夢、貴方を教育する課程だからよ。しっかり覚えるまでね。」
それを聞き、渋々霊夢はこの事件の被害者と加害者の双方を再生させる準備を始めた。
◇
船内で弾幕ごっこは御法度である。壁に穴が開くような緊急時にはブロックごとパージできるようになっているとはいえ、彼らが住んでいるのは薄い鉄板一枚先は無限の真空の中なのだ。弾幕を展開した時、それらが壁を貫通するのは至極ありそうな話である。呪術的な祝福を鋼板に与えて魔力に対する剛性を高めてはいたが、妖怪の膂力はそれらを引き裂く可能性はある。そういった意味で、自己の制御ができない者は搭乗できないとされたので、妖怪たちは「我を殺す」ことを余儀なくされた。
では、彼らの間の争いごとを解決するのにはどうすれば良いのか。その答えの一つとして提供されたのがアメノコヤネシステムである。擬似的ではあるが幻想郷に行き、自由に魔力の放出を楽しむこともできる仮想空間は、決闘のためにも用いられた。元々博麗大結界の維持のために巫女を殺すことを止める程度の自制心のある妖怪たちにとって、そのようなルールに従うことは比較的容易に見えた。
フランドールが萃香とスペルカードで遊んだのも、そういった背景からシステムの中でのことであった。
彼女はロケットの発射後早くからこのシステムの面白さ、自由さに気づいており、まさにのめり込むという姿勢であった。姉のレミリアは、システム内で彼女が「夜の」幻想郷の空を飛ぶことを問題視していなかった。たとえ彼女が誰かを傷つけ、破壊したとしても、それは唯の仮想空間での存在が断ち切られるだけである。そうやってシステムに接続されていた者が「殺された」場合、一端システムから強制的に目覚めさせるようになっていた。システム内の死とは、それだけのことである。
しかしこの日は、彼女の機嫌が悪かったのかもしれない。
フランドールは接続されていた座席の一つで目を開いた。システムから現実に戻ってくるときの、特有の重力が定まらない感じが残っている。彼女はそれに構わず、席から電極を外しながら立ち上がった。
端末のある部屋には、何人かの妖怪が座席に埋もれてシステムに没入している。彼らもフランドールと同様に、古き良き幻想郷を楽しんでいるのだろう。
その中で、一人。フランドールは萃香の姿を見つけた。
「よくも、やってくれたわね……」
フランドールは萃香との弾幕ごっこに興じ、いつに無くヒートアップした。その結果、彼女はシステム内で萃香に潰されて命を落としたのである。
萃香はバイザーを着けて、心地よさそうに座席に体を埋めている。その姿を見、システムから弾き飛ばされたフランドールは余計に腹が立った。
「貴方なんて、こうやって見たら隙だらけよ。さっきの、お返しをしてあげるわ。」
室内に彼女の凶行を止める者はいない。彼女は紅剣を出し、その剣先を萃香の心臓に狙いを定めた。
「……死ね。この小鬼め。」
そして剣を萃香めがけて突き刺した。
萃香は刺された瞬間、悲鳴も挙げずに体全体をビクビクと痙攣させた。電極の張り付いた体を陸に上げられた魚のように跳ねさせて、声にならない絶叫を上げているようであった。おそらくシステムの中で、萃香は悲鳴を上げていたのだろう。
時間にして10秒程度悶え、萃香は動かなくなった。その姿を見て、フランドールは笑った。
「はは、いい気味ね。私と貴方じゃ、本当の力量なんてこんなものよ。」
萃香にとって不幸だったのは、相手がシステムにのめり込んでいるフランドールであったことだろう。フランドールはシステムに居る時間が他の誰よりも長かった。そのため、現実の肉体の脆さとシステム内の不死性を混同していたのだ。
かくして、古参の鬼は悪魔の妹によって葬られた。しかしアメノコヤネシステムというイレギュラーな装置は、それで話を締めくくることはしなかった。
白蓮は自室にてモニターの画面を眺めていた。他にすることの無くなった烏天狗たちが、報道者として仕事を見つけたのは船内のビデオ番組であった。彼らはそれなりに環境に適合し、色々な番組を作っては船内の乗員に娯楽を提供していた。
白蓮が見ているのは、その中のニュース番組である。船の航行スケジュールや、船内で起こった事件の報道など、比較的固い番組が続く。そして番組の最後に、白蓮が最も関心を寄せざるをえない時間が来る。訃報連絡である。
「今度は、萃香さんですか……」
この日の訃報はただ一件のみ、萃香のものであった。ご冥福をお祈りしますというナレーターの無感情な声を聞き、白蓮はモニターのスイッチを切った。
「一輪。いますか。」
白蓮は「命蓮寺」の居間に一輪の姿を探した。
「はい、ただいま。何でしょう、姐さん?」
一輪が奥の部屋から出てきた。
「訃報です。伊吹萃香さんが、亡くなったと。葬儀の準備をしましょう。」
「あの鬼がですか?それはちょっと驚きですね。どうやって死ぬことになったのやら。」
「そういうことを言ってはダメですよ。とにかく、霊安室へ向かいましょう。」
「了解です。」
白蓮と一輪は法具の入ったカバンを取り、袈裟姿に着替えるべく自室に戻った。
「なんで萃香ほどの鬼が、こうも簡単に殺られるものかしらね。」
霊安室で、萃香の遺体を前に霊夢は言葉を零した。
「どうやら、殺ったのはフランドールみたいだぜ。どうするんだ、霊夢。」
魔理沙は傍の霊夢に尋ねる。
「どうもしないわ。結局は妖怪同士の潰し合いでしょう。私が出ていくのは、人間に危害が加えられたときよ。」
「本当にお前は残酷だな。まあいい。確かに萃香だって、力比べで負けたってなら、満足するだろう。」
そこにドアを開けて、白蓮たちが入ってきた。
「お待たせしました。この度はご愁傷様です。……伊吹萃香さんを送る葬儀を、始めてもよろしいですか。」
「ええ、どうぞ。参列者は私と魔理沙しかいないけど、勘弁してね。」
「数が少なくても、見送ってくれる友人を持つのは最良のことです。萃香さんも喜ぶと思いますよ。」
葬儀の最後に、カプセルを閉める前に。魔理沙は酒の大瓶を取り出した。
「こいつは地球最後の生き残りの酒だ。無限にある酒の歴史の中で、こいつが最後に生き残ったわけだ。萃香。これを持っていけ。これを飲めば、地球の味を忘れないだろう。」
そう言って魔理沙は、カプセルの中の萃香の遺体に酒瓶を持たせた。
「さようなら、萃香。……あなたのお酒、美味しかったわよ。また、一緒に飲めると良いわね。」
霊夢はそう言い、カプセルの蓋を閉じた。
「――というわけで、殺ってもらいたいんだよ。」
「できないわ、そんなこと。」
システム内の博麗神社で、再生された萃香が紫に仇討ちを依頼している。萃香はシステムにいた時に殺されたため、現実の体の自分が死んだ記憶を引き継いでいる。当然、下手人たるフランドールに殺されたことは明白である。
「だってさ、卑怯じゃない?折角こっちがルールに則って決闘してあげたのにさ。そういう人の気持ちをぶち壊すような奴に、遠慮は要らないと思わない?」
「確かに、フランドールは卑怯だったわね。貴方がシステムにいる時に殺すなんて。でもだからといって、私が貴方の仇討ちをすることはできない。そんなことを続けていたら、恨みの連鎖は永遠に続くことになるわ。できれば、我慢して欲しいのだけど、……無理よね。」
「その通り。紫ができないのだったら、他の奴にお願いすることになるよ。私としては、できれば紫が殺って欲しいけど、ダメだって言うのなら誰か助太刀をしてもらってくれよ。」
「助太刀、ねえ。どちらかと言うと、強要じゃない。他の誰かに恨みを買わせるってことになるわね。」
「紫も顔が広いからさ、そういう奴知らない?死んでもいい鉄砲玉。」
「相手はかの吸血鬼よ。それなりに力量のあるヒットマンじゃないと殺せないわ。でも、そういう人は殺し屋なんてしないだろうしね。」
「それこそ卑怯な手を使わせても良いと思うよ。先に手を出してきたのは向こうなんだし。鬼の弱点を突くような攻撃なら、一撃で息の根を止められないかな。」
萃香が仇討ちにこだわるのは、相手が曲がりなりにも鬼の一種であるからだろう。同じ鬼としてのプライドが、一杯食わされた自分を許せず、また鬼として卑怯な手を使った相手を許せないのだ。紫もそれは理解しているので、萃香の話に呑まれつつあった。
「まあ、それなら幾つか手はあるけど。やはり問題は誰に殺らせるか、よね。有象無象の輩は有限なのよ、このロケットでは。慎重に人選をしないとね。」
「お願いだよ、紫。肉体を失った私ができるのは、こうやって人に頼むことしかないんだ。」
「……分かったわ。今日中に人選を考えとくから、またあとでここに来るわ。」
「ありがとう、紫。」
結局紫は萃香の懇願に折れ、鉄砲玉探しをする羽目になった。
萃香を殺したばかりだというのに、フランドールはシステムに行く事を止めなかった。表向きは彼女と萃香は決闘をして、「不幸な事故」により萃香は死亡したことになっている。姉のレミリアもそのことを咎めることはしなかったので、彼女は大手を振って船内を歩くことができた。
今日もフランドールのアメノコヤネシステムに向かう足は軽やかである。彼女が見ることなく滅びた幻想郷の景色は常に新鮮な驚きを持って彼女を迎え、広大な遊び場を手に入れたフランドールはそれを満喫していた。
(今日はどこに行こうかな。日傘も手に入れたし、一人で人里に遊びに行こうかしら。)
そんなことを考えながら、彼女はシステムの部屋の扉を開いた。
広い室内で空いている端末を選ぶ。システムに入るときの初期位置は座席によって決まっているため、自然といつもの席に向かうことになる。もちろん彼女が選ぶのは勝手知ったる紅魔館への接続シートである。
座席に向かう途中、焦げ跡のある博麗神社行きの席を通ったが、彼女はそれに見向きもしなかった。
席につき、両足と両手の電極カバーを下ろす。システム内の行動は、末端神経細胞の信号を処理して行うため、激しい弾幕ごっこなどを行う際は電極数が多い席を選んだ方が細かな動きができるため有利である。食事や会話などの頭部を使った行動は、頭上から下ろすヘッドマウント型の装置で読み取られる。これも月の科学の結晶と言えよう。
手慣れた操作で彼女は接続を終え、右手にあるスイッチを押した。静かな駆動音の後、閉じた目が開かれるように紅魔館の室内が見え、僅かな落下感の後、その中に彼女は着地した。
目の前には、今やシステムの中でしか会えないメイド長がいる。
「ただいま、咲夜。いつもよく私が来ることがわかるわね。」
「お帰りなさいませ、妹様。大したことじゃありませんわ。妹様がいつも同じくらいの時間帯に来るだけです。」
そう言って咲夜は笑った。
「今日は人里に遊びに行こうと思うんだけど、日傘って用意してくれた?」
「勿論です。幾つかありますから、お選びなさって下さい。」
そうして彼女は外出の支度を始めた。
フランドールがシステムに入ってから、およそ30分後。入り口の扉を開けて、辺りを見回す。室内にいる者全てが接続されており、自分の行動を見咎める者がいないことを確認する。教えられた通り、フランドールの姿を紅魔館行きの座席で発見し、忍び寄る。
バイザーを下ろし、眼前に立つ自分の姿をフランドールは視認できない。それでも尚、彼女は周囲をあらためて見、落ち着かない様子である。時間にして数十秒ほど彼女はそのように躊躇っていたが、やがて意を決したように懐から凶器を取り出す。右手に槌、左手に白木の杭を持つ。それは古典的な吸血鬼に対しての必殺の道具である。それを持ったまま、そろそろと彼女はフランドールの衣服の裾を上げていく。フランドールは自分の胸が露わになっていることに気づかない。それほどシステムの中で楽しんでいるのだろう。
はだけたフランドールの胸を前にして、彼女は深呼吸し、少し震えている左手の杭を握り直す。そしてその先端をフランドールの胸の中央部に当てる。そしてまた一呼吸する。
数秒後、彼女は右手を大きく振りかぶる。そして、左手の杭目掛けて、槌を振り下ろした。
フランドールは人里の甘味屋で団子をほうばっていた。味覚などをどうやってシステムがセンシングしているのかは不明だが、このシステムは食べることをも再現してみせた。彼女はそのような難しい事を考えずに、咲夜の作ったものとは違う、人里の甘味を楽しんでいた。
「〜♪」
口の中で団子を転がしていたとき、胸にチクリと痛みが走った。それは何かが当たった程度の痛みだったので、彼女は気にも留めなかった。しかしそれは、激痛へと変わった。
「ぎっ!?うぎっ……!!」
団子を吐き出し、咄嗟に胸に手をやって視線を向けるが、何も当たっていなかった。しかし痛みは次第に強烈になっていき、胸肉を切り裂くような痛みへと変わった。
「ぎええええ!!!!」
弾幕ごっこで慣れた痛みではない。それは現実に、不死の吸血鬼を葬る激痛だった。そのことに気がついたのか、或いは無意識であったのか、彼女はシステムから瞳を開いて現実へと戻った。
ぼやけた視界に映る、暗殺者の姿。それを見て彼女は呪詛を吐く。
「お前が……!!このっ……!!」
痛みに構わず、体を動かそうとする。しかし動かない。凶器が既に胸の奥まで突き刺さり、その激痛は、吸血鬼の体を破壊へと至らせた。
「うぎいいいぃぃぃ……!!!!」
そしてフランドールの体は、指の末端から白くなり、灰と化していく。最早破壊の目を握って一矢を報いることすらできない。
「嫌だ、死にたくない!!いやだ、いやだあぁぁぁ!!!!」
やがて体幹も灰と崩れ去り、吸血鬼フランドール・スカーレットの体は消滅して衣服だけが残された。そして白木の杭が座席から床へと転がり落ち、コトンと小さな音を立てた。
それを眺めていた、暗殺者はガクガクと震え、くるりと体を反転させて室内から走り去った。
「許せないわ!!」
フランドールが殺されたことを紫から聞いたレミリアは激昂した。
「彼女の遺灰のところには、白木の杭が残されていたわ。おそらく、それで致命傷を与えたのでしょうね。」
紫は彼女の死因を教えた。
「そんな侮辱は、許せない。紫。フランはこの前、鬼の萃香を殺したのよね?きっとその仇討ちだわ。」
「でしょうね。……どうするの?まあ、予想できるけど。」
「当然の報いを、殺した奴に与えてやるわ。でも、誰が殺ったのか……」
先日の被害者たる萃香は既に死亡しているのだから、誰か別の者が殺したのだろう。でも、鬼の交友関係に疎いレミリアには下手人の心当たりは無かった。
「……できれば、恨みの連鎖は避けて欲しいのだけど、無理よね。」
「当たり前よ。決闘で死ぬならまあいい。でも寝込みを襲って、吸血鬼の弱点を攻撃するなどという卑劣漢は許せない。紫。犯人に心当たりはない?」
「……そういうことになると思って聞いてきたわ。システムの部屋で偶然目撃した人ね。彼は暗殺者の顔を見たようね。聞きたい?」
「ええ。」
「条件があるわ。他の誰にも迷惑をかけないこと、被害を及ばさないこと。この約束を守れるならば、教えてあげる。」
「誓うわ。私の手で蹴りを付けて、終わりにする。もしそいつの親族が復仇(またがたき)をするならば、正々堂々と受けて立つわ。それで良いかしら。」
「オーケーよ。その犯人というのはね、――」
「うーん……」
船内時間で明朝。彼女は寝ぼけ眼で起き上がろうとした。しかし、体が動かない。その異変に気づいたのか、大きく目を開けた。
「えっ!?なに、これ……」
「おはよう、殺し屋さん。随分とよく眠っていたわね。ご気分はいかがかしら。」
枕元に誰かが立っている。彼女はレミリアの顔を知っている。
「ひっ……なに、なんなの!?」
四肢が全く動かない。ここに至り、彼女、暗殺者、姫海棠はたては自分の体がテーブルの上に縛り付けられていることに気づいた。
「どうしてかは、わかるわよね。何で今からお前が殺されようとしているのか。その理由を聞かせてやる必要もない。」
「なに、どうして!?私は、言われて無理やりやらされただけなのに!?」
「知っているよ、紫から聞いた。萃香から紫に頼まれ、紫からお前に話が行ったってね。確か、姫海棠とか言ったか。お前の名前は。」
「じゃ、じゃあ、私じゃなくて、紫が悪いってわかるでしょ!?私は、あいつに強要されて……」
「間に何人が入ろうと、最終的に復讐を実行したのはお前だ。だから、私はお前を殺して溜飲を下げることにする。」
はたてはレミリアの怒気を孕んだ声に戦慄した。絶対に、相手には話が通じない。そのことを理解したのだ。
「やめて、殺さないで、お願い、なんでもするから……」
哀願の声は届かないとわかっていても、体の奥底からするすると自然に出てきた。
「言うことはそれだけか。パチュリー、美鈴。始めなさい。」
「了解したわ。まずは前腕からいきましょう。美鈴、準備は良い?」
「できています。こいつが、妹様を……」
「気をつけなさい、美鈴。手元が狂ったら、失敗よ。ゆっくり、刃を入れるのよ。」
「……はい。気をつけます。」
「やだ、やめてよ……お願いだから……」
はたての懇願など、今から刑を執行する二人には届かないようだった。
「パチェ、これからこいつに、何が行われるか教えてあげたら?」
レミリアは手酌で注いだワインのグラスを傾けながら、はたての頭上から話した。
「そうね。はたてとか言ったわね。今から貴方に行わるのは、古式ゆかしい死刑のやり方よ。その手に関しては最先端の、中国のね。『凌遅刑』って言うのよ。簡単に言うと、貴方の肉を少しづつ切り削いでいく刑よ。楽しそうでしょう?」
「ひいいっ……」
パチュリーの残酷な布告にはたては恐怖した。その言葉通り、左手側に立つ美鈴の手には大振りの包丁らしき刃物が握られている。
「や、や、やめて下さい。死んじゃうから、お願い、やめて……」
「お前のように懇願せずにフランドールは殺されただろう?少しは度胸を見せなさい。」
レミリアの声が合図だったのか、美鈴が包丁で左手の前腕部を撫でた。まだ刃は入っていない。撫でただけである。
そして何往復かしたあと、浅い角度で肉に刃が入れられた。
「ぎいっ……!!」
まるでハムを切るように薄く、包丁は表面の肉を削いだ。そして手首のあたりで抜け、美鈴は削いだ肉をはたての腕から剥がした。
「ぎゃああああああ!!!!」
はたての絶叫が室内に響き渡る。彼女たちが居るのは、ロケットの展望室である。ここは周りが宇宙空間の真空で覆われていることもあり、他の部屋に物音が届かない。現在紅魔館の貸し切りである。
「まだ一枚めくっただけなのに、大した悲鳴が出るものね。美鈴、次は右手側も同じ要領でね。」
「ひぎっ……」
左手と同様に、右手前腕部から肉が削がれる。致命傷ではないが、激痛が両腕に走る。
「ぎええええ!!!!」
その悲鳴を肴に、レミリアはグラスを深く傾けた。刑はまだまだ始まったばかりである。
「静かになったわね。もう死んじゃったのかしら。」
「出血量からすると、死ぬまでにはもう少しかかるわね。美鈴、包丁を洗いなさい。」
「了解です。結構、こいつもしぶといですね。」
美鈴はお湯に漬けて包丁の血糊を落とす。
はたては全身が余すところなく真っ赤に染まっている。既に悲鳴を出すのも散発的ではあるが、レミリアが撫でると新鮮な悲鳴を彼女は発した。
「がああああぁぁぁぁ!!!!!」
「お前の血は不味いな。酒に合わない。」
はたての絶叫の中、そう言ってレミリアは口直しにワインを飲んだ。
「死ぬまでに結構掛かるんだね、パチェ。」
「人間でやったら、出血多量よりもショック死することの方が多いらしいわ。こいつは一応妖怪だから、その辺頑丈なのかもね。」
「洗い終わりました。続き、やりますか?」
「ええ、始めましょう。」
まだはたてが死ぬまでには時間がかかるだろう。はたては最早激痛で頭の中が埋め尽くされており、言葉を発することができない。
「なんで、吸血鬼なんかに喧嘩を売ったの、はたて……?」
霊安室で文は包帯に全身を包まれたはたての遺体を前に語りかけた。
展望室ではたてが解体された後、死体は紅魔館の者たちによって霊安室に届けられ、紫にレミリアは終わったことを報告した。その知らせをモニターで見た文は彼女のところへ駆けつけたのである。
霊安室には、読経した白蓮と一輪、そして文以外誰もいなかった。寂しげな葬儀である。
「ごめんね、はたて。貴方の仇は、私はとれない。……代わりに、仕事を頑張るから。」
文は悲しげに呟いた。
数分間、そうやって散発的に語りかけた後、はたてのための読経が終わった。
「……良いですか、文さん?」
一輪が話しかける。
「はい、大丈夫です。……さようなら、はたて。新聞は出せないけど、貴方の仇はペンで討つわ。」
そう言って文は射出されるはたてのカプセルを見送った。
「紅魔館も、寂しくなったわね……」
「ならば、システムに行ってきたらどうかしら。咲夜も妹様もいるわよ。私も時々行っているけど、なかなか愉快な所よ。」
「咲夜がいるとはいえ、あのシステムは気に入らないのよ。紫の趣味の悪さが露呈しているようで。」
紅魔館の部屋の中で、パチュリーとレミリアは広くなった室内を見回した。咲夜も、フランドールももういない。美鈴はフランドールの相手をするべく、システムに向かっていた。
「私はよくできたシステムだと思うけどね。図書館の蔵書まで再現されているのは驚いたわ。月の科学はやはり凄いわね。」
パチュリーがロケットに持ち込めた本は数少ない。その他の本は故郷で薪と化した。それらがシステム内にあると知り、最近彼女はよくシステムに本を読みに行っている。
「あのはたてとか言うカラスも、災難だね。システム内でフランから逃げ回っているのでしょう?」
「らしいわね。まあ自業自得かしら。」
「でもこうやって被害者と加害者両方を再生させるのは、何か考えがあるのかね。私には恨みの応酬にしかならない気がするけど。」
「ルールを公平に作ったら、自然とそうなってしまったのじゃないかしら。」
言葉にはしなかったが、そのシステムの公平性が気に入らないと言いたいレミリアであった。
◇
「システム管理者の仕事と言っても、そんなに詳しくは分からないのですね。」
「それはそうよ。紫に無理矢理やらされているだけだもの。誰かに代わって欲しいわ。」
文は霊夢の部屋でアメノコヤネシステムについてインタビューを行なっていた。相次ぐ殺人事件とそれに伴う復仇の連鎖について、何か手がかりを求めているのだ。文の推理では、死者を再生させるシステムに欠陥があるのではないかと疑っていた。それは死者の怨嗟の声を拾い上げるシステムにも見えたのだ。
「すると、死んだ人の意識を完全に再現する訳ではないと。」
「そうね。最後にその人がシステムを使った時の記憶、データが残っているらしいわ。どうやっているかなんて聞かないでよ。そういう話は紫に聞いて。」
「死んだ人は、自分の現実の肉体が滅ぼされたことを恨むのでしょうか。そういう死者と対話はできますか。」
「知らないわよ。何だったら、自分でシステムに入ってインタビューしてきたら?」
「それは、最後にしておきたいのです。まずは現在生存している人に話を聞いてからということでね。」
メモを取りながら霊夢の話を聞いた文は、しばし考え、手帳を閉じた。
「わかりました。では、紫さんに聞いた方が良いかもしれませんね。」
「最初からそう言っているでしょうが。」
文はシステムの部屋で、暇そうに端末を眺めている紫を発見した。
「こんにちは、紫さん。ちょっとだけお時間を頂いてもよろしいですか?」
「あらこんにちは、新聞屋さん。私に取材なんて珍しいわね。また新聞を発行するのかしら。」
「印刷機が先約で埋まっているので、私に回ってくるのは当分先になりそうですね。それはともかく、今日はこのシステムについて色々と伺いたいことがあって来ました。」
「話すことなんてないと思うけどねえ。概要説明は以前何度もしているから、知っているでしょう?」
「今日の話題は、システムそれ自体ではないのです。どちらかと言うと、その運用方法に関心があります。」
文は紫の机の前に椅子を引っ張ってきて座った。
「今この宇宙船では、物騒な殺人事件が相次いでいます。ご存知ですよね。」
「そうね。私もこの前の事件では片棒を担がされたわ。」
「……その話も聞きたいですが、また今度にします。これらの事件で、共通しているのは、被害者がみんなシステムに再生されていることです。加害者もですが。」
「そのことを聞きたいのね。きっと貴方は、なんで両方を再生させる必要があるのか、を聞きたいのでしょう?」
「その通りです。では、理由をお聞かせ下さい。」
「理由も何も、そういうルールにしたからよ。『船内で死者が出た場合、その者をアメノコヤネシステムに再生させる』ってね。ロケットの中の法律よ、これは。」
「紫さんは、そのルールについて疑問を抱きませんか。そのルールによって、ここまで被害が広がっているという見方ができるかと。」
紫はため息をついた。
「別に再生されているのは事件関係者だけじゃないわ。寿命を迎えたお年寄りだって何人かいるわよ。そういう人たちを捨てないで、目的地の惑星まで一緒に連れて行くというのがルールの趣旨よ。」
「それはまあ、良いです。問題なのは、殺人事件の被害者の意識を再生させていることです。これは変えられないのですか?例えば、殺されたという事実を伏せて再生するとか。」
「それは技術的にできないわね。あくまでシステムが再現できるのはカーボンコピーでしかないから、個々の記憶まで操作できないわ。」
「それでは、システム管理者としても、打つ手はない、と。」
メモを取りながら文はインタビューを進めている。
「大体、個々の殺人事件は、被害者と加害者の諍いごとが原因でしょう。そういう殺し合いを回避するためにこのシステムがあるというのに。周知が足りないのかしら。まさか貴方は、この前惨殺された烏天狗の仇討ちなんてしないわよね。」
「はたてのことは……悔しいですけど、諦めました。誰に強要されたのか分かりませんが、それを聞いたところで紅魔館に喧嘩を売るのは筋違いかもしれないと納得しています。だから、私は報道によって仇討ちをすることにしました。更なる被害者を出さないためにも。」
文ははたてのことに話が及ぶと、少し言い淀みながら言葉を繋いだ。彼女の言いようのない悔しさを汲んだのか、紫は静かに語りかけた。
「そうね。そういう正々堂々とした復讐なら、誰も苦しまずに済むわ。人間ができているわね、貴方は。」
「人間じゃないですよ。」
そこまで話を進めて、文は取材の手を止めた。
「分かりました。また何か聞きたいことがあったら、ここに来ます。その時はよろしくお願いしますね。」
「いつでもどうぞ。取材ご苦労様。頑張ってね。」
そう言って二人は別れた。そして文の退室する後ろ姿を眺めていた紫は、小さな声で呟いた。
「亡き跡の面影をのみ身に添へて、さこそは人の恋しかるらめ……かしらね。」
古き歌を諳んじ、紫は文の行方を思う。
部屋を出たところで、文は椛と鉢合わせした。
「あら、椛。システムに用があるの?」
「にとりと将棋の続きをね。いつも長丁場になるから、何日かに分けてやっているんだ。それが、どうかしたの?」
椛とにとりは、片方が死を迎えてもほとんど変わらない付き合いをしている。元々の幻想郷での関係に最も近いだろう。
「そう。私はあまりシステムを利用していないから分からないけど、何か変わったことはあるかしら。」
「何、もしかして取材?特に変わったことはないな。にとりに会うといつも嬉しそうだよ。向こうでも機械いじりをしているしね。どっちが現実だかわからなくなるね。」
「特に変化はなし、と。死んで再生された、他の人の動向とか知ってる?」
「時々空で派手に喧嘩しているのを見ることがある。それこそ殺し合いだってしているんじゃない?」
肉体を失った恨みを晴らすべく戦闘するのは、至極ありそうな話である。
「確かにそうね。ねえ椛。暇だったら、私の取材を手伝ってくれない?」
「なんで私がそんなことをしなければいけないのさ。って言いたいところだけど、本当に暇だからね。してあげても良いよ。」
「いつになく素直ね。」
「この宇宙船は狭い上に仕事が無い。みんな暇人なのさ。」
「じゃあお願いするわ。システムの中で妙な点、気がついたことを見つけたら教えて頂戴。」
「良いよ。時間はかかるかもしれないけど。」
「問題無いわ。お願いね。」
そう言って二人は互い違いの方向に別れた。
次に文は命蓮寺の部屋に向かった。今まで何人もの遺体を見てきた白蓮に話を聞こうと考えたのである。
部屋に入って星に行き先を聞くと、奥の部屋を案内された。部屋を横切ってドアを開けると、香の匂いが部屋中に立ち込めていた。
白蓮は壁に沿って並んだ位牌に、造花を生けていた。
「こんにちは、白蓮さん。お勤めお疲れ様です。」
文が話しかけると、白蓮は振り返って笑顔を作った。
「こんにちは、文さん。わざわざこの部屋まで来てくれるとは、嬉しいです。」
「ここにある位牌は、みんなロケットの中で亡くなった方ですか?」
「そうです。寿命が来て亡くなった方、事故で亡くなった方、あるいは、事件に巻き込まれて亡くなった方。皆様の位牌がここで供養されています。」
ずらりと並んだ位牌は、数十個はあるだろうか。それぞれに手作りの造花が生けられている。
「このお花は?」
「私達が花を供えたいと思って、人伝に花に詳しい方に聞いたのです。確か、風見幽香さんと言う方に。そうしたら、造花を供えたら良いのではないかと。この宇宙船では、農場はありませんからね。それで、私達寺のみんなで作ってお供えしているのです。」
「綺麗ですね。」
「このくらいしか、今ではできませんから。できれば、個々の部屋に仏壇が欲しいのですけど、そうも言えませんし。なので、皆様の位牌はここに納めているのです。」
一つ一つの位牌には、戒名が書かれている。それは生前の名前からは判断しかねるので、文は白蓮に尋ねた。
「この前亡くなった、私の友人の姫海棠はたてという妖怪の位牌はありますか。」
「こちらですよ。」
彼女は最も奥の、一番新しい位牌へと連れて行かれた。
「これが、はたての……『宮竜院空助揃手信女』……よい戒名を、ありがとうございます。」
そう言って文は傍らに置かれた線香を取り、蝋燭の火を移した。
別に文は仏教徒ではない。文だけではなく、大概の妖怪は死ぬということに無頓着である。だが、はたての位牌を前にして、無礼な態度は取れなかった。
「良いのです。この宇宙船では、私達ができることといったら、このくらいしかありませんから。個人を偲ぶ人に、少しでも慰めになれば幸いです。」
手を合わせた後、文は室内をあらためて見回した。奥に、一際大きな位牌がある。
「あの、大きな位牌は誰ですか?」
「あれは、地球に置いていかれた、地底の友人たちの供養です。忘れていくのは、悲しいですから。」
それを見ながら、文は一つの疑念が浮かんできた。
(なんで、システムに地底の妖怪は再生させないのだろう?)
技術的にはできるような気がする。なのに、地底のことなど紫たちは忘れているかのようである。
(そこまで嫌われているから?)
それは、システムの平等性を謳った紫の発言に矛盾が生じているように見える。記者としての文の直感が、この矛盾は謎を解く手がかりになると言っているようだった。
(これは、うかつに質問しない方が良いわ。このことを念頭に入れて、もう少し調査が必要ね。)
確信を得るまでは、他人には黙っていた方が良い。そのように文は考えていた。
廊下を歩きながら、文はメモを読み返していた。
(疑問点は多いけど、あのシステムに何か隠し事があるような気がする。)
おそらく紫や永琳が説明していない、裏のルールなり規範があるのだと彼女は考えていた。
(やっぱり、死んだ人に直接聞くことをしないとダメかしら。)
しかし、その死者の意識はシステムに再現されたものである。何かしら、システムによって検閲が入っている可能性を否定出来ない。特に紫や永琳はそういうことが好きそうである。
(あとは知人で誰かを亡くした人は……ああ、にとりと魔理沙か。)
文の足は魔理沙の部屋に向かった。
「狭い部屋をよくここまで汚くできるものですね。」
「そいつは褒め言葉だぜ。ここまでするのは苦労したんだ。」
魔理沙の部屋では、彼女が精選して選んだ魔法のキノコを栽培しており、殆どキノコ栽培室といった有様であった。
「何だか空気が淀んでいるような気がするんですけど……」
「空調をキノコに合わせているからな。便利な機械だ。この部屋は私だけの魔法の森だぜ。」
魔理沙の言葉はハッタリでも何でもなく、そのままの意味である。幻想郷の魔法の森は、今この部屋に再生しつつあった。
「他の部屋にキノコの胞子を撒き散らさないで下さいよ。まあいいです。今日来たのは、キノコのことじゃありません。にとりさんのことで伺いたいことがありまして。」
文はメモを取り出し、取材を始めた。魔理沙は怪しげな色の液体の入ったビーカーを振っている。その手を止めずに彼女は答えた。
「にとりのことか。それだったら、システムに行って本人に聞けば良いんじゃないか。」
「ちょっと止事無き事情がありましてね。最近にとりさんに会ったのは何時ですか?」
「確か3日ぐらい前だな。新しいキノコ栽培装置について、設計を頼んでいるんだ。」
「本当にキノコづくしですね……それで、何か変わったところとか、ありませんでしたか。」
「そんなもの無かったぜ。いつものにとりだ。機械いじりが大好きな。何だかシステムに行ってから、その能力が高まっているようにすら思えるぜ。仕事が早いからな。」
「仕事が早くなっている、ですか。そのくらいですか、変化は。」
「そうだな。頼んだものが翌日にはできているような時もある。でも以前からそうだった気もするけどな。」
「ふむ。他には?」
「図面の受け渡しが不便だな。結局自分で覚えて帰るしかない。そのくらいか。」
システムと現実の橋渡しをするインターフェースは自分の感覚しかないので、魔理沙のようにどちらにも行き来する者にとっては不便である。
「うーん、あまり手がかりになりそうにないですねえ。」
メモを取りながら文はため息をついた。
「なんだ、何を調べているんだ?」
「『真実』ですよ。この船を動かしている、あるいは私達を動かしているもの。それに興味があります。」
「相変わらず雲をつかむようなものだな。もっと地に足をついた取材をしないとダメだぜ。」
「空を飛べれば、この鬱屈した気持ちも晴れるのでしょうかねえ。歩いてばかりで疲れました。」
「空を飛びたいんだったら、システムに行ってきたらどうだ?良い運動になるぜ?」
「そうですね。今日の締めくくりににとりさんにも会いたいですし、そうしましょうかね。」
そう言って文は魔理沙の部屋を後にした。
システムに入り、懐かしい妖怪の山を文は飛ぶ。時刻は夕刻、仮初めの太陽が地に落ちようとしている。それを見ながら、文は滝壺のにとりの工房へ向かった。
小さな洞窟を改装して作られた機械だらけの通路を歩く。同じ機械に囲まれた空間とはいえ、ロケットの内部よりこちらの機械はなぜか親しみやすい。それはもしかしたら、人と機械との適切な距離が守られているからかもしれない。そのようなことを考えながら、奥の部屋で文はにとりと椛の姿を見つけた。
「こんにちは、にとりさん、椛。今日も将棋ですか。」
「おや文さん、こんにちは。珍しいね、こちらに来るのは。」
にとりが答える。
「将棋の最中で迷惑でしたか?」
「いいよ。今は椛の手番だから。何か頼みごとでも?」
「いや、ちょっとした質問です。最近の魔理沙さんはどうですか。」
「どう、と言われてもね。いつもと同じだよ。無理難題を吹っかけてくる。」
にとりの言葉により、魔理沙の発言の裏を取る。
「魔理沙さんに聞いたら、仕事が早くなったと言っていました。こちらに来て何か変化はありましたか。」
「好きな機械をまたいじることができて幸せ、かな。時間も山ほどあるしね。」
「そうですか。うーん。困ったこととかありませんか。」
「ロケットで『生きている』人がなかなか来てくれないのが悩みの種かな。暇だしね。」
メモを取っても意味がないので、文はにとりの言葉を耳で覚えた。
「……よし、ここかな。」
パチリと椛が駒を動かす。それを見て、にとりは唸った。
「えー、そっちに行くの?どうしようかな。」
地球の幻想郷にいた時と変わらない二人の姿を見て、文はまた考え込んだ。
(変わりはない、か。)
まだ真実には至っていない。しかし文は着実に、この宇宙船の隠された秘密に近づいていた。
◇
最初の事故の犠牲者にとりが出て以来、宇宙船中央部の一部のエリアは立入禁止となっていた。主に機械室だが、詳しい説明はなされていない。普段人が入るところでもないので、わざわざ犠牲となるために足を踏み入れる者はいない。
しかし旅を続けていくにつれて、一部の者は居住スペースだけの生活空間では飽きが来たのだろう。遠心力の働かない宇宙船中央部のエリアは無重力を体験できる場所となっており、そこで遊ぶ子供たちもいた。永琳はその子らの遊びを禁止せず、むしろ一部の部屋を遊び場として開放していた。空を飛ぶことのできない普通の人間たちにとって、無重力空間はアメノコヤネシステムでも味わえない大変面白い場所であった。
ぬえがそのエリアにいた理由は特にない。命蓮寺は最早犠牲者たちの霊廟になりつつあり、一日中香の匂いが立ち込めていた。なんとなくぬえはその雰囲気が気に入らず、辺りをふらふらしていた。たまたま寺に来ていた子供から中央部の部屋で遊んでいることを聞き、ものは試しに無重力空間を漂っていた。
とは言え、彼女は子供らの輪の中に入ることもできず、一人で通路を彷徨っていた。
そんなある日のことである。
(おや?)
ぬえが見かけたのは、永琳の後ろ姿であった。普段この辺りには来ることがないのに、一人で通路を移動している。それが興味を惹いたのか、ぬえは永琳の後をつけた。
彼女は徘徊するわけではなく、明確な意図を持って進んでいるように見える。そして彼女は、自身が立入禁止としたエリアへと足を踏み入れた。ごく当たり前のように、彼女は進んでいる。そのことがぬえに関心を持たせた。
(まさか、自殺?そんなわけないか。そもそも死なないって話だし。)
蓬莱人の不死性はこの宇宙空間でも健在である。そのことは以前輝夜が妹紅と食堂で喧嘩をしているのを見ていたぬえは知っている。
(永琳は死なないから、危険な所をメンテナンスしているのか?)
そしてある部屋の前で彼女は止まり、ぬえは通路の影に隠れた。
(あの部屋って……確か以前死んだ奴が入った部屋じゃなかったっけ?)
その部屋は、かつてにとりが入って命を落とした部屋であった。永琳は躊躇いなくその扉を開いて、中へと入っていった。
(何があるんだろう。でも、知ったところでどうでも良いか。)
ぬえはわざわざ命を危険に晒すことなく、その場を離れた。
「さっき点検しに行った時、後をつけてくる妖怪がいたわ。」
一般人立入禁止の宇宙船の操縦室にて、永琳は紫と話し合っている。
「迂闊だったわね。誰が見ていたか分かる?」
紫は眉をひそめた。
「あの特徴的な羽が通路に隠れた影から覗いていたわ。多分ぬえさんね。」
「彼女が。ではどうしようかしら。その子が他の人に言いふらす可能性はある?」
「15%。確率はそのくらいかしら。近親者はいないし、仲の良い妖怪も殆どいない。それを考慮するとそんなものね。」
「うーん、不安な確率ね。では放置する?私は危険だと思うけどね。」
「そうね。私も念のため消しておいた方が良いと思うわ。やり方は任せても良いかしら。」
「船長が直々に手を下すわけにはいかないものね。しょうが無い。私がやるしかないわね。」
「ありがとう。お願いするわ。」
永琳との会話の後、紫はアメノコヤネシステムの部屋に戻っていた。ぬえの行方を知るには人の集まるこの場所が手っ取り早いと思ったのである。
来訪する者たちにそれとなく尋ねて、彼女の行方を探る。しかし元々ぬえに親しいものはおらず、情報は寄せられない。それはそれで彼女が誰かに言いふらす恐れが少ないことを意味しているが、やはり時間が経てば経つほど危険性は高まる。その意味で紫は今日中に決着をつけるつもりでいた。
そんな中、部屋の扉を開けて入ってきた者に紫は目をやった。二ツ岩マミゾウである。確か、ぬえの要請で幻想郷に来たと聞いたことがある。それならば彼女の行方を知っている可能性が高い。
「あら、珍しいわね。ここを利用するのは初めてかしら?」
「いや、何回か使っておるぞ。お主がいない時ばかりだったがな。」
そんな言葉を交わして、マミゾウはシートへと向かう。紫は単刀直入に聞くことにした。
「ところで、ぬえさんを知らない?ちょっと聞きたいことがあってね。」
マミゾウが振り返る。
「ぬえ?ああ、奴ならさっき命蓮寺に帰って来たな。その辺にいるのではないか。」
「そう。ありがとう。」
紫は席を立ち、部屋を後にした。
命蓮寺の部屋の近くの通路で、紫はぬえの姿を発見した。こちらに背を向けて歩いている。周りには誰もおらず、願ってもない好機である。
(悪く思わないでね……)
紫は眼前の空間を指でなぞり、スキマを開く。そしてそこから弾幕ごっこで使えない殺傷力のある超高速の光弾を数発、ぬえの隙だらけの背中に発射した。
「ぎえっ!?」
背中から胸に風穴を開けたぬえが倒れる。血溜まりでしばらく痙攣したように動き、やがて止まった。
(これで良し、と。)
紫はぬえの死体に近づいて死んだことを確認すると、背を向けて歩き出した。
そこに、背中側から風が吹く。船内の空調ではありえぬ風である。
(風?)
そして彼女の横を、木の葉が一枚飛んでいった。
(まさか!!)
紫が振り返って見たのは、ぬえの死体ではなかった。
そこには、里の人間の少女が倒れている。
(やられた!!)
彼女の明晰な頭脳は、即座にこの手筋が誰によるものか導き出した。マミゾウとぬえに嵌められたのである。
「……それは危険な情報じゃな。知りたくなかったわい。」
「そう?別に大したことじゃないような気がするけど。」
紫がマミゾウに会う数十分前、命蓮寺の部屋でぬえはマミゾウに先ほどの目撃情報を漏らしていた。
「永琳とか言う奴はよう知らんが、断りもなく自らが立入禁止にしたところへ入るのはおかしい。おそらく何か隠しているものが、その部屋の中にあるのじゃな。」
「じゃあ、以前河童が死んだっていうのも……」
「あくまで予想じゃが、『見てしまった』から殺されたのだろうよ。ぬえも目撃者になってしもうたから、狙われる危険はあるな。」
「どうしよう。この宇宙船じゃ、逃げ場なんてないし……」
「その秘密を知る者はそう多くはいないじゃろう。だから、お主を狙ってくる者も少ないはずじゃ。そいつらを何度か追い払えば、安全になるかもしれん。」
ぬえは頭を抱えている。
「そうは言っても、どうやって追い払うのさ。ああ、見るんじゃなかった。」
「とりあえず相手側の心理としては、目撃情報を漏らされるのを最も嫌がるじゃろうから、狙ってくるとしたらもうすぐかね。とりあえず、まだ儂に漏らしたことは分かっていないだろうから、儂とお主の連携で一杯食わせよう。」
「どうやって?」
マミゾウはニヤリと笑った。
「身代わり作戦じゃ。ぬえに化かした人間を誤認させて、暗殺させる。あとは博麗の巫女にそれを知らせれば、あ奴が刺客を退治してくれるじゃろう。」
無実の人間を平然と囮に使うというマミゾウの提案。
「……まあ、仕方ないか。私は、あんまり人殺しとか好きじゃないけど。」
「そんなことを言う余裕はないぞ。とにかく代わりとなる人間を攫って来なければな。そいつにお主が正体不明の種を植え付け、人間と分からなくする。そして儂の化かしの技でぬえの姿に変える。後はぬえを探している者を儂が探し、そいつに殺らせる。作戦としてはこんな所じゃな。」
マミゾウは年季の入った化け狸らしく、人を騙すのが得意なのである。
「紫……どうして、こんなことをしたの?意味がわからないわ。」
霊夢が尋ねる。死体を引渡し、システムの部屋に紫は戻っていた。
「……貴方がどうしてあの場所に来たのか、教えてくれない?」
紫は逆に霊夢に質問する。
「ぬえが言っていたからよ。紫が向こうで探しているって。そしたら、紫があの子供の側にいた。」
「なるほど。やはり私はぬえ達に嵌められたわけね。」
「『達』って、他に誰かいるの?」
「人を化かす狸。正体をわからなくする鵺。この二人の連携プレーで私はあの子供をぬえと見誤ったわけよ。」
「そう。でも、あなたが人間を殺したことに変わりはないわ。……こういう場合、どうすればいいの。教えて、永琳。」
霊夢は傍らに立つ永琳に助言を求めた。永琳は答える。
「人に害なした妖怪は、本来なら全て巫女によって討伐されるべきね。しかし、紫をこの旅の途中で失うことはあまりにも危険すぎる。だから、紫。貴方はシステムの中に無期限禁錮とするのが妥当ではないかしら。」
紫は頷く。
「自分で言うのも変だけど、それが最適でしょうね。40時間おきに目覚めてシステムと現実の肉体を維持するから、私の力が必要になったらいつでも呼んで頂戴。」
「冬眠するってこと?」
「そうね。何かあったら、システム内で私に言えばいいわ。」
そう言って紫はシートに座った。
「霊夢。あとの管理人、頑張ってね。」
「勝手に人に押し付けておいて、その言い草はないでしょうに。」
霊夢は不満気に毒づいたが、幾分ほっとしているように見える。内心では紫を殺さずに済んだことに安堵しているのだ。
それから数日後のことである。命蓮寺の部屋で、ぬえとマミゾウはお茶を飲んでいた。現在寺にはこの二人だけである。白蓮と一輪は先日亡くなった里の人の葬儀に出かけており、村紗や星はどこかへ出かけている。
二人は特にすることもないが、最近は行動を共にしている。紫を嵌めたことで、新たな刺客が送り込まれることを警戒しているのだ。
しかしここ数日、そのような動きは見られなかった。おそらく直接手を下すことのできる者が、紫ぐらいしかいなかったのだろうとマミゾウは推測していた。実際、永琳は動けないし、依姫や霊夢にも動く動機がない。その点では二人は安全であった。
談笑している中、荒々しく部屋の扉が開けられて何者かが入ってきた。ぬえとマミゾウはそちらに首を向ける。
そこにいたのは、妖獣二人。藍と橙であった。
藍はマミゾウが口をはさむ間もなく、言い放った。
「お前たちが、紫様を嵌めたのだな。覚悟してもらおう。紫様は生きておられるとはいえ、殆ど死んでいるも同然だ。その仇、討たせてもらう。」
厳しい口調で藍は二人をなじる。それにマミゾウは返答した。
「あの妖怪の部下か。わざわざ出てこなければ何もなかったものを。かくなる上は仕方ない、お主を消すしかないな。」
マミゾウも戦闘態勢である。元々この二人は種族的に仲が悪い。ぶつかるのは必然であった。
「そうか。では、いくぞ!!」
藍が空中に跳躍し、弾幕ごっこでは使わない、高速の弾を放つ。マミゾウは机を蹴って飛び出し、彼女がいた所の椅子は光弾によって破壊された。
藍の攻撃と同時に橙が地上を素早い動きで回り込み、ぬえに飛びかかる。ぬえは槍を出してその爪を回避する。
お互い手加減なしの殺し合いが始まった。
時間はそれほどかからなかった。
藍とマミゾウは離れた壁に寄りかかって倒れている。その体には無数の傷口が開き、全身血まみれである。その手は戦闘に用いて長爪が折れている。
ぬえの胸の中心には橙が渾身の力で腕を突き刺し、その橙もぬえの槍が顔面を貫いている。
双方相打ち、四者とも動くことができず、ただ死を待つばかりであった。
そこに、玄関のドアを開けて、叫び声が上がった。
「マミゾウさん!?」
白蓮と一輪が帰ってきたのだ。
白蓮はマミゾウの傍に寄り、介抱する。
「聖か……やられてしもうたわい……ゴホッ!!」
マミゾウが血を吐く。どこから見ても致命傷を負っている。
「そんな、一体何故……」
「……知らんほうがええ……知れば儂らと同じようになる……」
ぬえの傍に行った一輪が戻ってくる。
「……ぬえは、死んでいるわ。化け猫もだけど。」
「そうか。……ようやった、ぬえ……儂も、そっちに行くからの……」
そう言って白蓮に抱かれ、マミゾウの身体から力が抜けた。
白蓮は言葉も出さず、マミゾウの遺体を抱きしめて泣いていた。
ぬえ、マミゾウ、藍に橙。彼らの葬儀が終わった後、霊夢は黙々とシステムの部屋で作業し、彼らを再生させた。
作業が終わり、一息ついたところで部屋に入ってくる者がいた。白蓮である。
「あら、珍しいわね。あなたが使うのは初めて見たわ。」
霊夢が声をかけると、白蓮は微笑んだ。
「マミゾウさんとぬえさんに会いたくなりまして。初七日も終わっていませんが、話をしようかと。」
「ふーん。貴方は、仇討ちとかはしないの?」
霊夢の問いに、白蓮の表情が陰った。
「マミゾウさんの末期の願いですから……誰も恨みません。殺し合いの連鎖は私が食い止めます。」
「そう。流石に人間ができているわね。」
果たして白蓮は本当に黒い心を持たなかったのか。それは誰にも分からなかった。
◇
「本当にこの部屋はジメジメして嫌な感じです。どこか別の場所でお話しませんか。」
「実験の最中なんだがな。そんなに急な用事か?」
魔理沙の部屋に早苗が来ている。小さな皿を八卦炉の火にかけて砂時計をひっくり返し、魔理沙はノートに書き込みながら応対した。
「急ではないですけど、相談したいことがあるんです。まあ動けないならこの部屋でも良いですが。」
「ああ。用件ってのはなんだ?」
ノートの書き込みを終えて、魔理沙が早苗の方を向いた。
「実は、亡くなったぬえさんのことで。彼女が亡くなる前に、私に電話があったんです。」
「ほう。それで。」
「彼女の話によると、この宇宙船中央部の立入禁止にしたエリアに八意さんが入っていくのを見たと。それを見てから、命を狙われているということでした。」
「永琳にも何か用事があったんじゃないか。」
「その入って行った部屋というのが、以前にとりさんが亡くなった部屋なんです。」
「……ほう。」
魔理沙の表情が変わった。
「何で私に電話したのか聞いたら、他に知り合いがいないからだそうでした。」
「その部屋の秘密に近づいて、にとりもぬえも死んだって訳か。」
「多分そうだと思います。どうしましょう。こんな話を聞かされて、私も少し混乱しています。」
早苗は暗い口調で言った。
「……その話を私に持ってくるということは、調べて欲しいと言っているようなものだぜ。」
「そうなんでしょうか。ただ、話さないといけない気がしたんです。」
魔理沙は八卦炉の火を止めた。
「よし。霧雨魔法店の復活だ。手始めに道具を集めよう。今から香霖のところへ行くぞ。」
「森近さんにですか。言って大丈夫でしょうか。」
「あいつなら大丈夫だ。あと、アリスのところにも行く。早苗、アリスを香霖の部屋に連れてきてくれ。私は先に行って物色している。」
魔理沙は席を立ち、出かける支度を始めた。
「アリスさんに、何故ですか。」
「あいつの人形に用があるんだ。昔使ったんだよ。」
そう言って魔理沙は笑った。
「随分大雑把な作戦ね。危険じゃないの?」
「人を地底に放り込んだ時のほうがよっぽど危険だったと思うぞ。多分大丈夫だ。」
霖之助の部屋「香霖堂」で魔理沙、アリス、早苗は作戦を練っている。
「私が飛び込む係だ。遠隔操作できるアリスの人形を使って、早苗たちに逐次連絡を入れる。何かあったら、すぐに引き返す。単純だが、確実な作戦だ。私の身の安全以外はな。」
魔理沙は机の上の自給式ガスマスクを手に取った。少女の手には余る大きさである。
「香霖。もう少し軽いのはないのか?」
「用意できたのはそれだけだよ。他のタイプでは酸欠には対応できないだろうから。もっとも話を聞いた感触としては、多分その部屋は無酸素雰囲気ではないと思うけどね。」
「にとりの死因は別にあるってことか?」
「僕はそう思う。止められないと解ってはいるが、魔理沙。危険だと感じたらすぐに逃げるんだ。」
「それは私の得意分野だ。」
魔理沙は傍らの箒を持って笑った。
「本当に、大丈夫でしょうか。」
早苗はいまだ不安そうである。
「やるしかないって時があるんだよ。人間には。」
「まさに勇者か狂人ね。」
アリスはため息をついた。
「聞こえるか、早苗?」
「感度良好です。どうぞ。」
宇宙船中央部の通路にて、無重力空間をふわふわと漂いながら魔理沙は早苗に連絡を入れた。既にマスクを付け、箒に腰掛けて準備万端である。
「これから立入禁止エリアに入る。周囲には誰もいない。」
「気をつけて下さい。」
「よし。出発だ。」
魔理沙は魔力で箒に推進力を与え、通路を進んでいく。別段変わったところのない、金属製の空間が続いている。
廊下を通り抜け、機械室と書かれたプレートのあるドアの前まで進んだ。
「これから機械室に入る。確かにとりはこの中で最後に作業をしていた筈だ。行くぞ。」
人形に語りかけ、魔理沙は扉を開いた。ゴクリと唾液を飲み込む。
扉の先にあったのは、梯子であった。階下の機械室に続いているのだろう。無重力の中、魔理沙は箒を縦にして、ゆっくりと先へ進んでいった。
梯子の終点には、無機質な巨大な機械が並んだ部屋が広がっていた。
「一面の機械だ。聞こえるか?」
「はい、よく聞こえます。何か目立つものや変わったものはありませんか。」
「私が見ても鉄の塊にしか見えないな。先へ進んでみよう。」
魔理沙は得体の知れない機械を横目に通路を進んでいった。
通路を周り、再び梯子の下へたどり着いた。
「元の場所に戻ってきた。どうやらロケットの外周に通路があるんだな。途中に幾つか部屋があった。おそらくにとりはこの中のどれかに入って、命を落としたんだろう。」
「そうですか。どうしますか。」
「部屋を調べるしかないだろう。危険だが、ここまで来たらやるしかない。」
「気をつけて下さい。」
魔理沙は通路を進み、最初の部屋に来た。
「文字盤があるな。エンジン室とある。ここは入らないほうが良い気がする。」
機械に疎い魔理沙にとっては、最も苦手とするものである。
さらに進む。
「ここは、うん?なんだこれ?」
「どうしましたか?」
「アメノコヤネシステムって書いてある。どういうことだ。こいつは紫や霊夢がいる部屋の名前じゃないのか?」
「怪しいですね。」
「よし、ここを開けよう。いくぜ。」
魔理沙は金属製の扉に触れ、横にスライドさせた。
中に見えたものは――
「なんだ、これは……?」
「何がありましたか。」
早苗の声に思考を戻す。
「鳥居だ。部屋の全面に、真っ赤な鳥居が、たくさんある……ゴホッ!!」
「魔理沙さん!!」
「魔理沙!!どうしたの!!」
香霖堂にて、見守る三人の前の人形を通じ、魔理沙のか細い声が聞こえる。
「息が……で、ひ、な……」
「魔理沙さん!!」
「魔理沙!!魔理沙!!」
「魔理沙、しっかりしろ!!」
人形から魔理沙の声が聞こえない。再び呼びかけようとした時、人形の口から機械的なノイズ音が入った。
「これは……!!」
「アリスさん、どうしたんですか!?」
「人形とのコネクションが、切れたわ。それに今の音は、魔理沙の人形が、破壊された音よ。」
「ええ!?それって、どういうことですか!?」
「誰かが、魔理沙を攻撃した……?いや違う。壊したのは、魔理沙自身だわ……!!」
「ええ!?」
「魔理沙が、そうか、きっと私達に手が及ばないように証拠を隠滅したんだわ……」
「そんな……」
「魔理沙……」
三人に沈黙が流れる。人形からの音が途絶えたといっても、彼らが魔理沙を助けに行く事はできない。そんなことをしたら、魔理沙の最後の意地が無駄になってしまう。
「……誰が、魔理沙の訃報を持ってくるか。状況からして、おそらくそいつが犯人だ。」
霖之助がうなだれたまま言葉を出した。
烏天狗のニュースによると、魔理沙の遺体を発見したのは永琳ということだった。機器のメンテナンスのために部屋に入った際に発見したということであったが、そのことを聞き、早苗、アリス、霖之助は黒幕として永琳が裏で糸を引いていることの証左と理解した。
魔理沙の葬儀には多くの人妖が集まった。
「貴方らしい最後だったわね、魔理沙。残された本は、返してもらうわ。本棚がないのが残念だけど。」
パチュリーが魔理沙の納められた棺に向かって呟く。
「ありがとう、魔理沙……」
アリスは棺のカプセルにしがみつき、泣いている。
「ごめんなさい、魔理沙さん……」
早苗が顔を手で覆い、泣いている。
「なんであんな馬鹿なことをしたのよ……?」
霊夢が少し怒ったような口調で語りかける。アリスらはその理由を知っているが、教えることはできない。知れば霊夢も巻き込むことになる。
各人各様、魔理沙の死を悼んでいた。
「箒は貰っておくよ、魔理沙。何時か誰かが、再びこれに乗る日が来るかもしれない。」
霖之助はそう言って魔理沙の箒を握りしめた。
皆、システムに魔理沙は再生されることは理解している。しかし現実の肉体を持つ魔理沙はここで終わりなのだ。それ故に彼らは彼女の死を悼み、魔理沙の面影を心に刻もうとしている。
そして、各人の思いを詰め込んだカプセルは真空の彼方へと消えて行った。
◇
魔理沙が亡くなって以来、早苗は部屋に引き篭もるようになった。自分が魔理沙に相談したことがきっかけで、彼女は命を落としたと考えており、その自責の念が早苗を苛んでいる。
この思いを誰に打ち明けられようか。アリスと霖之助は同じ秘密を共有しているが、彼らと共に何をすることもできない。他の二人が何を考えているのかわからなかったが、早苗自身は魔理沙の死の真相を突き止めようとは考えられなかった。
早苗は今日も食事を食堂で摂って自室に戻り、ベッドの上で眠ったかのように倒れている。
それから数時間が経った頃、部屋のドアがノックされた。
「……どうぞ。」
ドアが開けられて来訪者が顔を出す。神奈子であった。
「早苗が落ち込んでいると聞いてね。まあ、無理もないとは思うけど、少し話を聞くぐらいならできるかと思ったのでお邪魔したよ。」
神奈子はいつもの調子で早苗に語りかけた。
「……魔理沙さんを亡くして、とても心が空虚な感じなんです。悲しいとかじゃなくて、複雑なことを何も考えられないというか。この気持ちは、いつになったら晴れるのでしょう。」
早苗はベッドにゆっくりとした動きで起き上がり、サイドに腰掛けた。神奈子を見上げる体勢であるが、早苗は俯いていた。
「神社があれば、毎日神事をして気が紛れたかもしれないね。八意氏に言っとくべきだったね。宇宙船にも神社がほしいって。」
「そうですね……」
早苗は心ここにあらずと言った風情で答えた。神奈子はそんな様子を見て、心配そうに語りかける。
「ねえ、早苗。何か、相談したいことがあるんじゃないか。早苗の様子を見ていると、何か言い出せない秘密を抱えているように見える。魔理沙の死に関係しているものでね。私で良ければ、相談に乗るよ。」
早苗はその言葉に少し瞳に光を取り戻し、答えた。
「……そうですね。八坂様なら私のやり場のない気持ちを解ってくれるかもしれません。……実は、魔理沙さんが死んだのは、私のせいなんです。」
神奈子は黙って話の先を促した。
「この前亡くなった、ぬえさんって妖怪から死の直前に私に連絡があったんです。立入禁止エリアに入っていく人を見て、命を狙われているって。それを魔理沙さんに話したら、その秘密を暴こうという話になってしまって。それで、魔理沙さんがそのエリアに入っていったんです。……そして亡くなりました。」
水を切った堰のように、早苗は一息にその秘密を神奈子に話した。意外にも神奈子はそれに動揺せず、静かに言葉を出した。
「早苗。お前が知っているのは、それだけかい?」
「はい。色々調査の準備はしましたが、秘密の話というのはそれだけです。」
早苗がアリスと霖之助の協力を得ていたことを話さなかったのは、無意識に隠しておくべきという本能が働いたのかもしれない。
「そうか。……仕方がないな。早苗、最後にアメノコヤネシステムを利用したのはいつだい?」
「昨日ですが……それが何か?」
神奈子はベッドサイドの早苗の傍に近寄り、彼女を見下ろした。早苗は天井の明かりが逆光になり、陰った神奈子の表情を伺えない。
「それなら、それほど時差もなくて都合が良い、か。」
神奈子は早苗に言うではなくつぶやくと、早苗の両肩に両手を乗せた。
「八坂様……一体……?」
「悪く思わないでおくれ。こうすることに、なっているんだ。」
そして、その両手を早苗の首に巻きつけ、締めた。
「かほっ……!!ひ、はっ……!!」
早苗は喉元を締める両手をどけようと喉に手をやるが、神奈子の両手は蛇のように早苗の喉元に巻き付き、離れない。
「済まないね。早苗。私だってこんなことしたくないんだけど、許しておくれ。まあ、システムの中の早苗は、このことを知る由もないが。」
ギリギリと早苗の喉を締め、神奈子は静かに話す。
早苗はガリガリと神奈子の手を引っかき、やがてそれは神奈子の手から皮を剥いて血を滴らせた。
時間にして、およそ1分ほど悶え、早苗は動かなくなった。彼女の口は泡を吹き、その両手がだらりと垂れる。
「本当にごめんよ、早苗。そんなに苦しくなかっただろう?」
そう言って神奈子は早苗の背後から両腕を首から肩に回し、てこの原理で早苗の首を「引き抜いた」。
ビール瓶の王冠を外すようにして早苗の首が90度回り、静かな部屋にゴキリという音が響いた。
「早苗は『眠った』かい?」
数分後、ドアを開けて諏訪子が入ってきた。早苗の身体はベッドに横にされている。首が回ったままでは不気味だったのか、神奈子は一応首を真っ直ぐな状態にしていた。
「ああ。手間がかからなかったよ。」
神奈子はそう言って振り返った。その両手は早苗の断末魔の悶絶で引っかき傷だらけである。
「早苗には可哀想なことをしたね。私だったら、早苗を手に掛けることなんてできないな。」
諏訪子は早苗の死体をみて呟いた。神奈子も沈鬱な呟きを漏らす。
「……破れない約束とはいえ、ひどいことをする神様がいたものだ。祟られてもしょうが無いね。」
「早苗は、どこまで秘密を知っていたのだろう。今となっては確かめようもないけどね。」
「言わなかったけど、おそらく協力した者がいるのだろう。それを探さなくてはならない。」
「……そこまで私達がしなくても、良いんじゃない?」
諏訪子は瞳に力を入れて神奈子を見つめた。
「……そうだね。あとは船長の監督責任だろう。」
◇
アリスは魔導書を手に、廊下を歩く。時刻は地球で言うなら深夜である。船内は完全に静まり返り、アリス自身のコツコツという足音が壁に反響している。
彼女は電話で呼び出しを受けたのだ。相手は綿月依姫。普段全く関わりのない人物だが、船長こと永琳の命令で聞きたいことがあるという。それを聞き、アリスは展望室で落ち合うと答えた。
相手のことは人伝に聞いている。以前霊夢や魔理沙、レミリアを相手に大太刀周りを演じ、完膚なきまでに叩きのめしたと。相当の戦闘能力を持つ相手であろう。アリスはそれなりの準備をして、彼女の元へ向かっていた。
呼び出された理由ははっきりしている。魔理沙のことを聞きたいのだろう。そして、秘密に近づいたアリスを始末するために一人呼び出したのだろう。そう認識していた。
アリスに直接の恨みはないが、彼女は魔理沙の仇討ちのつもりで自分を奮い立たせて歩いていた。
展望室の前の廊下に着く。此処から先の通路は宇宙船から外の景色を眺められるようになっている。星々が光っているが、最早アリスの知る星座はどこにもない。一人でこの通路を歩くと、大宇宙に一人で立つような孤独を感じる。そんなことを考えながらアリスは進んでいった。
扉の前に立つ。深呼吸して、どうするかを考える。一応不意打ちをしてくるのを警戒して、彼女は金属の扉を開いた。
展望室の中央の人物がアリスを見ている。その人物はアリスに語りかけた。
「こんばんは。アリス・マーガトロイドさんですね。私が綿月依姫です。よろしくお願いします。」
「どうも。眠っていたのを叩き起こされた理由をお聞かせ願えるかしら。」
アリスは飾り気のない言葉を返す。
「挨拶も抜きに実行するのは失礼かと思いました。アリスさん。単刀直入に用件のみを話します。貴方は、魔理沙さんが亡くなる前に、何かを聞きましたか。」
アリスはふうと息を吐き、答えた。
「教えて上げるわけにはいかないわね。」
「魔理沙さんの近くに、貴方のものと思しき人形の燃えカスが残っていました。それについては。」
「……何も言う必要はないわ。」
「そうですか。船長こと八意永琳から命令を受けています。話さない場合には、殺さなくてはならないと。」
「でしょうね。」
穏やかに二人は会話し、その間に緊張が走る。
「では。」
依姫がアリスの元へ飛び出し、抜き身の太刀を右手に具現化させる。そのまま一閃、アリスを払った。
ガキンと金属音を立ててその剣が止まる。アリスは依姫と同様に、人形を呼びだし、人形の両手剣で刀の一撃を受け止めていた。
「淑女とは程遠いわねっ……!」
剣を受けたまま、横にアリスは飛び、その跡を追うように人形を召喚する。
(人形使い。師匠に聞いた通りね。)
依姫は永琳から、アリスについてその能力を聞いている。彼女の師匠の出した結論は、力押しで本体を叩けということであった。と言うのも、以前のメディスンやレミリアのような妖怪と違い、明確な弱点がアリスにはないからである。加えて、依姫が呼び出せる神の力は、神話に基づく能力である。アリスにとって幸運なことに、人形を無効化する霊力の神話を持つ神などいないのだ。従って人形の物量に押し切られる前に、本体を大火力で攻撃する。それが永琳の出した解答であった。
「アメノミカゲよ、我が剣を研ぎ澄ませ!!」
刀神の名を唱え、剣に霊力を与える。そして鍔迫り合いをしている人形に力を加えると、パキッと音を立ててその両手剣ごと人形を切り裂いた。
その間にアリスは十分な距離を取り、人形を展開している。
死闘が始まった。
人形から打ち出されるレーザーを依姫は掻い潜る。一条抜けた先にはさらに人形が配置され、光弾を放つ。それを剣で弾き飛ばし、さらに一歩踏み込み人形を両断する。その一挙動の間に、アリスはさらに人形を召喚する。当初の思惑と違い、アリスの元に依姫が剣先を近づけるのは困難である。
(全体をなぎ払い、人形召喚の隙を突く。)
依姫は頭の中を走査し、最適な神の名を探し当てる。
「アマツヒコネよ、我に風を統べる力を与えよ!!」
龍神の名を唱え、依姫の周囲に風の結界が張られる。アリスが一見したところ、特に変わりは無いように見える。それでも彼女は神の名を警戒し、幾つかの人形をアリスの身を守らせる防御側に回した。
(今の神の名は何だったの?攻撃でも、防御でもない。)
ただ黙々と人形を切り払い、依姫は進んでいく。アリスの目には見えないが、依姫の周囲には取り巻くようにそよ風が吹いている。
そして数秒後、依姫は別の神の名を唱える。
「アメノミハシラの風よ!!我が前にその力を顕せ!!」
龍神の名を先に唱えたのは、この神の力を制御するためであった。台風に顕されるこの神は、依姫をその目として周囲に真空の断層を作り出し、室内に暴風を巻き起こす。出鱈目な風に人形たちは体を引き裂かれ、アリスも風によって体を依姫の前に吸い込まれて運ばれる。
「このっ……!!!」
人形を呼び出すその刹那の隙を依姫は逃さなかった。追い風の加護を受けて、アリスを目掛け神速の突きを繰り出す。
そしてその剣先は、アリスの心臓を捉えた。
その瞬間、風に抗おうとしていたすべての人形の動きが止まる。
「ごはっ!!!!」
血塊を口から吐き出し、アリスの体が力をなくし重力に従う。依姫は刀をそのまま地面に流し、アリスから抜き取った。
(これで終わり、ね。)
血溜まりの中に倒れているアリスの死体を見て、依姫は剣を拭う。
アリスを背後に、その場所から離れようと一歩を踏み出した時。
依姫は背中に殺気を感じた。
(!?)
振り返ると、死体はそのままである。ただアリスの魔導書がパラパラとめくれている。
(気のせい、かしら……?)
そう思ったとき、魔導書が光を放ち始めた。
「これは……!?」
依姫が剣を青眼に構えるその前に、魔導書が宙に浮く。そして、死んだはずのアリスが地面に手をついて体を起こし始める。
「一体、何が!?」
そしてアリスの死体は立ち上がり、依姫の方に振り向いた。
その顔は、死の苦痛に歪められたままである。
「アンデッド?でも、こいつは……」
そしてアリスの体が、依姫の方に高速で跳ねた。咄嗟に剣で受け止める。右手を切り裂いて、下腕の骨に当たるが、彼女の突進は止まらない。依姫は危険を感じ、刀をアリスの手から抜いて距離を取ろうと後ろに跳ねる。その後をアリスの死体が追従してくる。
それは死を賭したアリスの魔法であった。あらかじめアリスは、自らが死んだ時に、相手も道連れにできるよう自分の体を人形に見立てた行動プログラムを魔導書に書いていた。そしてそれはアリスの死後発動し、殺した者を仕留めるまで止まらない。
いまや死体人形と化したアリスは、依姫を引き裂くべくその体を限界を超えた力で動かしていた。
それを何となく察したのか、依姫は落ち着きを取り戻す。
(ならば、動かなくなるまで切り刻む!!)
そしてアリスの四肢を切断すべく踏み込み、体を大きく右前方に飛び込ませる。それと同時にアリスの腿を全力で切り払い、彼女のバランスを崩す。骨ごと左足を切断されたアリスは地面に倒れる。しかしその動きは止まらなかった。両腕を這うようにして依姫に接近しようとする。依姫はそれを察知し、彼女の及ばない空中に飛び、そこに伸ばされた右腕を切断する。
それでも尚、アリスは動きを止めない。残された左腕と右足で肉体を尺取虫のように動かし、まだ接近する。
(これでも……!!)
依姫は下段に大きく二度切り返し、左腕と右足を切断する。これでアリスは動けない。さらに念を入れようと、首を切断すべく近づいた。
その時であった。
地面にうつ伏せになっていたアリスの体が胴の捻りで反転し、顔が正面を向く。そして、ただ一言、告げた。
「『リターンイナニメトネス』。」
「!?」
アリスの体が赤い光を放つ。
その光の正体に気づかなかった。何故、執拗にアリスの死体は依姫に接近を試みていたのか。それは、ただ一枚のスペルを確実に食らわすためであった。手や足など、いや、頭でさえも必要ない。呪文を発動させる喉と肺があればよい。
アリスは爆発した。
「やはり見に来て良かったわ、依姫。宇宙船ごと爆破されたら、後々支障をきたすしね。」
「え……お師匠様?」
依姫は永琳に抱かれていた。辺りは噴煙が巻き起こり、爆発の威力を物語っている。
「人形遣いが、自分の体を人形にすることはよくあることよ。まだまだ実戦経験が足りないわね。」
永琳は、アリスと依姫の戦闘を部屋の外から見守り、アリスが爆発する寸前に部屋に踏み込んで依姫をバリアで守ったのだ。
「……やられました。まさか地上の妖怪に、こんな力があったなんて……」
「貴方は性能では、遥かに勝っていた。でも計略で負けたのよ。危なかったわね。」
永琳はそう言って、部屋に目をやる。咄嗟のバリアで部屋の外壁を破壊されることは防げたが、内部には何も残っていなかった。
「もしかしたら、アリスはこうなることを望んでいたのかもね。最後の爆発の魔力に全てを賭けて。なかなかやるじゃない、あの子。」
「申し訳ありません。助けて頂くとは。」
「まあ私も、貴方がちょっと心配だったのよ。結果オーライよ。」
そう言って永琳は笑った。依姫は一歩間違えばやられていたという状況に、己の未熟さを痛感するのだった。
早苗は首を吊って魔理沙の後追い自殺をしたことになっていた。
アリスは、展望室でなんらかの魔術に失敗して爆発したこととして処理された。
「もう嫌だわ……この作業は。」
霊夢は一人、システムで彼女たちを再生させてため息をついた。魔理沙、早苗、アリスと親しい者を立て続けに失い、今や紫もシステムの中である。この時になって、霊夢は初めて一人ぼっちになることの恐怖を味わっていた。
「私もシステムの中で眠っていようかしら……」
シートに座っている紫の方に視線をやる。システムの中には、懐かしい幻想郷の姿のすべてがある。しかしそれは、現実ではない。リアリスティックな霊夢は、心のどこかで、システムと現実に明確な断絶があると考えていた。
◇
「駄目です、青娥様……私には、妻がおります故……」
「ふふふ、今更そんなことを言っても、説得力がありませんわ。ほら、こんなに硬くなって。まあ、可愛い。」
里の人間の部屋で、彼女、霍青娥は男をたらしこんでいた。別にどうということはない。ただ暇だったので、面貌の良い男を捕まえて、遊んでいるだけなのだ。
「ほら、こういう風にすると……むぐっ……」
「ああ、駄目です、それは、出てしまいます……」
青娥が男の一物を着物の裾から露わにし、既に血流が流れて硬くなっているそれを咥えた。ちゅぱちゅぱとわざと音を立てるようにして、舌先で男の物の先端を弄ぶ。仮性包茎気味だった男のやや赤みのかかったそれは、彼の妻でもキスされたことはなく、未知の快感に男は抗えなかった。
怒張した肉棒が一瞬膨れ、青娥の口内に白濁した精液を流し込む。青娥はそれをゴクリと飲み干し、残渣まで搾り取ろうと舌をその先端に巻きつける。
「はあ、駄目です、青娥様、耐えられません……!」
その男の声に、青娥は口から一物を取り出して口元を拭い、男に微笑みかけた。
「そんなに駄目だとばかり仰らないでくださいな。では、続きをしましょうね。さあ、私のここを、遊んでくださいまし。」
そう言って青娥は下着を下ろし、スカートを捲り上げる。露わになった彼女の下半身に、男は生唾を飲み込む。
「ほら、私に恥をかかせないで下さい。もうこんなになっているのですよ。」
彼女が指先で粘膜の出口をなぞり、指を話すと細い粘液の線が後を引く。それを見ていた男は、彼女の腰に手をやると、ベッドに彼女を押し倒した。
「ふふ、そうですよ。さあ、私に喜びを下さい。」
男は彼女の声に導かれるようにして、再び張りを取り戻したその一物を彼女の秘所の入り口に当てる。
「こんなこと、許されません。妻に知られたら……」
「あら、ここまで来てそのようなことを仰るのですか?もう何度もしているではないですか。何を躊躇いますの?」
男が青娥を事に及ぶのは初めてではない。もう何度も、彼女を抱いている。
従って、火の付けられたその欲望を鎮めることなどできようもなかった。
男との情事が終わり、青娥は清々とした顔で衣服を着る。
「……こんなことを続けていたら、いつか妻にバレてしまいます。」
「あら、そんなことを仰るのですか。私と奥様、どちらと遊ぶのが楽しいのか、よく考えて下さい。一時の契でも、私は貴方の妻になった気分ですのよ。」
青娥はそう言って男に笑いかける。
彼女にとって、この男は数ある遊び相手の一人に過ぎない。そのことは男には当然の秘密である。
青娥は宮古芳香を地球に捨ててきた。閉じられた船内の中で、他にすることもない彼女はそうやって相手を取っ替え引っ替え毎日遊んでいた。
そうして情事の匂いが立ち込める男の部屋のドアを開けたとき。
青娥は腹に衝撃を受けた。何が起こったのか、確認する暇もなく、誰に殺られたのかを彼女は理解した。男の妻が、部屋の前に待ち伏せしていたのである。そしてその顔が、彼女のすぐ傍にまで接近していた。
「あら……これは……」
腹部の違和感は、やがて激痛へと変わった。刺されたのだ、と分かったときには、青娥はよろめいて通路の壁に倒れこんだ。
「よくも、この人を弄んでくれたわね。仙人だか何だか知らないけど許せないわ。」
男の妻が憎々しげに呟く。その声を青娥は聞いていない。
「こんなところで、嫌ですわ……!!私は、まだ死にたくない!!」
幻想郷を離れ、現実の肉体を持った仙人の身体の強さは人間と変わらない。男の妻に滅多刺しにされ、やがて流れ出る血の中に、彼女は意識を失い倒れた。
青娥の葬儀には何故か多くの里の男たちが鉢合わせした。彼らは皆青娥の遊び相手たちである。気まずい沈黙が霊安室に流れ、多くの人に見守られながら青娥の棺は宇宙空間に旅立って行った。
霊夢のいるアメノコヤネシステムの部屋に、依姫は呼び出されていた。
「この前紫に聞いたんだけど、貴方もこのシステムの管理人になっているらしいわね。少し仕事を代わって貰えないかしら。」
霊夢が恨めしそうに毒づく。
「操作方法など、全く教えられていませんから。師匠も別に私がしなくても良いと仰っているわ。」
依姫が答える。そして愚痴を零した。
「でも何だか、私は公安の真似事ばかりをしている気がします。他にする人がいないので、しょうが無いけどね。」
「一応働いているってわけ。でも、このシステムへ再生する一連の流れが、私はパターン化しているような気がするのよ。」
「と言うのは?」
「誰かが犯罪を犯す、それを誰かが成敗する、殺された奴の恨みを晴らす、時々あなたが決着をつける。そして最後に、私が死んだ奴全員をシステムに再生させる。出来すぎていると思わない?」
霊夢の疑問ももっともである。
「その疑問には、私が答えるわ。」
部屋の扉の方から声がかけられた。二人は揃ってそちらを向く。そこにいたのは、永琳であった。
「タイミングが良いわね。部屋の扉の後ろで待機していたのかしら?」
「ノーコメント。」
そう言って近づいてくる。机を挟んで、霊夢と向き合った。
「このシステムの運用についてだけど、概ね当初の予想通りの成績をあげているわ。問題は生じていないというのが、私の認識ね。」
「そうかしら?行き当たりばったりで動いているような気がするけど。」
霊夢が視線をやった先には、シートに埋もれた紫の姿がある。
「ただの幻想郷シミュレーターではないのよ、これは。このシステムを利用することで、各人が惑星移民についての能力を研鑽することができる。」
「それは初めて聞いたわ。でも死んじゃった奴が多すぎない?」
「それも目論見通り、と言ったら失礼かしらね。計算に入っているわ。」
永琳は微笑みながら言葉を続ける。殺し合いを是とする永琳の発言に霊夢は眉を顰める。
「もっとも、妖怪たちの殺し合いが凄惨になる度合いについては、私の管轄外だけどね。」
「それが一番の問題でしょうが。色んな里の人が事件の度に私に相談してくるのよ。この場所は安全か、どこが危険かってね。船長として、乗っている人の不安解消はしてくれないの。」
霊夢の不満ももっともである。凄惨な事件の起こる度に、彼女は里の人達の相談役になっている。永琳は顎に手を置き、少し考えて答えた。
「一応アナウンスはしているわよ。船の航行状況とかはね。ただ、個々の事件にまで私が出ていくのは不自然ね。だから依姫。あなたが霊夢のサポートをしてあげなさい。人里で講演を何度もしているから、貴方のことを知らない人はいないでしょう。」
突然話を振られた依姫は驚く。
「私がですか?でもどうやって不安を払拭すれば良いのでしょう。」
「支障のない程度に、事件のあらましを話してあげなさい。そうすれば自分に火の粉が降りかからないと分かった人たちは安心するでしょう。あとで船内ニュースで依姫が御悩み相談を始めたことを伝えさせるわ。」
「そういうことは、慣れていないのですけど……」
「何事も経験よ。まあ貴方なら、すぐに出来るようになるわよ。」
そう言って永琳は笑った。
この会話を、文と椛は盗み聞きしていた。二人はシステムのシートに座り、バイザーを下ろしているが、接続はされていなかった。
通路で部屋に向かう依姫の姿を見て、後をつけて座ったのだ。彼女たちの顔は見えないが声はよく聞き取れる。
(システムに問題は生じていないという認識。本当に正しいのかしら。)
文は暗い視界の中で考える。
(では、永琳は多数の死者が出ることを予想していた。その上で、殺し合いを止めることもなく、自分も手下を使って積極的に介入してきたと。)
依姫が永琳の命令で幾人もの妖怪を成敗していることは文の独自調査で明らかになっていた。最近では霖之助に、魔理沙たちの調査の顛末を教えてもらった。そのことは文の情報の中では極秘事項となっている。迂闊には話せないし、報道できない。
(このシステムは、殺すことを目的としている?うーん、違うな。やり方が回りくどすぎる。)
殺し合いをさせるには、ひどく遠回りなシステムである。もっと敵愾心を煽るような方法を採用しなかった理由があるはずだ。
(それにしても、霊夢も随分管理者然としてきたわね。紫の教育の賜物かしら。)
霊夢の立ち位置は、幻想郷にいたときと変わらない。システム運用サイドでも住民サイドでもなく、中立を保つ。彼女の性分なのかもしれなかった。
(今まであまり利用して来なかったけど、これからはシステムの中の住人にもインタビューをして情報を集める必要があるわね。)
文はそう結論づけ、永琳と依姫が退出したことを確認して右手のシステム起動スイッチを押した。
地球時間で午後2時頃、パチュリーは「最後の」本を読み終わった。彼女が持ち込んだ荷物はほとんどすべて本であったが、それでもかつての紅魔館の図書館には遠く及ばない。その少ない本を読み続け、とうとう読み尽くしたのである。
それは外の世界で書かれた、取るに足らない怪奇小説であった。パチュリーが何故、この本を最後の一冊にしたのかは彼女自身でも分からなかった。メッセージ性のない娯楽小説である。これを彼女の傍で見つけた者は首を傾げるだろう。それはパチュリーなりに残される者たちへ、悲しまないようにと言う遺言かも知れなかった。
彼女はかねてから考えていたように、自室で薬の準備を始める。この薬は幻想郷を離れる前に、こうなることを予想して作っていたものである。
(あのシステムのバックアップはとれた。もう十分ね。)
パチュリーは何のためらいもなく、その毒薬を飲み込んだ。
彼女の死体を発見したのは美鈴であった。お茶の時間に来ないパチュリーが気になって彼女の部屋を訪ねたのである。
「パチュリー様!!」
美鈴がベッドに横たわるパチュリーに駆け寄る。彼女は既に事切れていた。手には一冊の本がある。
「何故ですか、パチュリー様……」
眠ったようにも見える、パチュリーの死体を見ながら美鈴は涙の流れるままに嘆いた。
「パチェは、眠ったのかしら?」
そこに、レミリアが入ってきた。美鈴は振り返り、泣き顔をレミリアに向ける。
「亡くなっています……毒を飲んだみたいです。」
レミリアは驚くこともなく、パチュリーの枕元へ立った。
「……パチェ。私には、貴方の気持ちが分かる。貴方は、より多くの本が読める所、システムの中に行きたかったのよね。現実の肉体を持った貴方と別れるのは寂しくなるけど、それが事故ではなく、事件の被害者でもないならば、私は貴方の遺志を無碍にはしないわ。システムの中の紅魔館で、また咲夜の淹れてくれたお茶を飲んで語らいましょう。……今まで、私の退屈に付き合ってくれて、ありがとう、パチェ。」
そう言ってレミリアはパチュリーの傍の一冊の本を手に取った。
「後で、読ませてもらうわ。」
「私の知る限り、自殺した人はあまりいないわよ、ここでは。」
パチュリーの葬儀が終わり、レミリアと美鈴はシステムの部屋で霊夢にパチュリーの再生を依頼している。依頼をされた霊夢の機嫌はあまり良くない。
「さっきニュースで流れていたわ。自殺者現るって。私は模倣犯が出てくるんじゃないかと思っているの。」
霊夢はそう言ってため息をついた。
「いよいよ私の紅魔館も、仮想空間に出来上がりつつあるね。これからは私もシステムの利用が増えるだろう。」
「あんなに毛嫌いしていたあなたがねえ。……まあ、気持ちは分かるわ。」
「取り敢えず、美鈴。先にシステム内のパチュリーに報告してきて。」
「お嬢様は、行かないのですか?」
「私は、この本を読んでからにする。思えばパチェとは長い付き合いだけど、どういう本が好きなのか、私は無関心だった。だからシステムに行く前に、少し彼女の理解を深めようと思ったのさ。」
レミリアは右手の本を振った。
「では、お先に。」
美鈴がシートに向かい、レミリアは自室に戻るべく振り返った。その背中に霊夢が声を掛ける。
「前から思っていたんだけど、レミリア。あなた、少し変よ。咲夜の時もそうだったけど、仲間の死に、淡白すぎる。今までのあなただったら、もっと感情を爆発させている気がする。……何か、隠していることがあるんじゃない?」
振り返らずにレミリアは答えた。
「……悲しい気持ちは、幻想郷に置いてきたらしい。いや、眠り続けていると言うのが正しいかな。」
「答えになっていないわよ。」
その霊夢の声には答えず、レミリアは退出した。
「どんな本なのかしらね……」
自室にて彼女は、今や宇宙に一冊のみとなった初版本を開く。
そして、閃光の速度の船の中に、インスマウスの湿った空気が漂い始めた。
大部屋をもらっている各勢力の中で、現在紅魔館は最も閑散としているが、それに比べれば命蓮寺は人員の数が多かった。そこに住まう者達だけでなく、葬儀を行うことにより、位牌堂を備えた人妖問わない霊廟のような役目を持ちつつあり、里の人間や山の妖怪達も集う憩いの場ともなっていた。山の妖怪たちは、出発した当初は身内だけで固まって行動していたが、次第に個人個人で勝手に振る舞うようになってきていた。元々彼らを縛り付けていたのは上下関係という法律であったが、故郷を亡くした今となってはそれらは裏付ける力は存在せず、風化しつつあった。
命蓮寺で出家した妖怪は今日も地球にいた時と同じような修行を行なっている。様々な宗教の中で、仏教は場所という檻に囚われない普遍性を持っており、この狭い宇宙船の中ですらも修行を行える環境を生み出すことに成功していた。
一輪は朝起きだして身支度をし、白蓮を呼びに彼女の部屋に向かう。大抵は既に広間に来ていることが多いが、道すがら彼女の部屋を通るので呼びかけることにしていた。
ドアをコンコンとノックする。
「姐さん、起きておられますか。」
ほとんど形式的な行動であったが、返事がないのを確認し、一輪は広間へ足を進めた。
広間には先に星が来ていた。
「あら、一輪。聖はどうされたのですか?」
どうやら白蓮はまだ来ていないようであった。
「珍しいわね。さっきノックして不在だと思ったんだけど。まさか、寝坊なんてするわけないのに。」
一輪も不思議そうに返す。
「では、お迎えに行きましょうか。聖がいないと行を始められませんし。」
星はそう言って一輪を連れて白蓮の部屋に向かった。
再び星がドアをノックする。
「聖、聖。おられますか。」
返事がない。念のためドアノブを回すと、鍵はかかっておらずくるりと回転した。
そのままドアを開ける。一間の部屋のベッドの中に聖を発見する。
「聖、朝ですよ――」
そう言って、星は絶句する。
「姐さん!?」
後から入ってきた一輪も口を手で塞ぎ、驚きの声をあげる。
白蓮は、老婆の姿に変わっていた。その布団が動いていないのに気づき、星が駆け寄る。
「そんな……!?聖、聖……!!」
白蓮は息を引き取っていた。事態を飲み込み、一輪の目に涙があふれる。
「そうか……姐さんの、身体強化の魔法が切れてしまったのだわ……それを、姐さんは騙し騙し今まで過ごしてきたのだわ。」
「そんな、そんなことって、聖だけ、どうして……」
星も泣きながら一輪に問いかける。一輪も涙を流しながら、しかし声だけは冷静さを保ち、答えた。
「姐さんは、今で言うところの正式な魔法使いじゃない。私は詳しくは聞いてないけど、老衰を魔法の力で止めていたことは知っている。捨食・捨虫の法を、行なっていなかったのかもしれない。歳を重ねるごとに、若返りの魔法をかけて。それが、この宇宙船で何らかの原因で切れてしまったのかも……」
「そんな……聖、私を置いて行かないで下さい……」
星は慟哭する。一輪の見立てはおそらく正しいだろう。聖が生まれた時代、西洋で言うところの魔法はそれほど多く日本に入ってきていなかった。聖は千年余り封印されていたため、進歩し体系化された魔術を体得していなかった。
皺枯れた老婆となった白蓮の死体に星と一輪は泣きすがる。
「どうしてですか、聖……私は、貴方がいなければ……」
「姐さん、すみません……気づくことができなくて……」
白蓮を送る葬儀は一輪と星が執り行った。それは涙を流しながらの読経であったが、見咎める者はいなかった。参列する者達は里の人、寺に集っていた妖怪たちなどである。各人とも悲しみに包まれ、彼女の棺を埋める様々な造花を捧げた。
カプセルの蓋を閉じる直前、星が語りかける。
「ありがとうございます、聖。かつての私は野に生きる、本能に突き動かされるだけの妖獣に過ぎませんでした。その私に、法を教え、毘沙門天の弟子とされ、幾人もの人々の心を救う道を説いて下さったこと、私は生涯忘れません。私は、貴方の遺志を継ぎ、寺を守り、人々を守っていきます。聖。しばしの別れです。もし叶うならば、天上にて同じ蓮の花の上にて再会できる日を待ち望みます。いつまでも、私はこの気持ちを忘れません。ありがとう、ございます――」
そう言って星は聖の棺のカプセルの蓋を閉めた。そして、白蓮の遺体は一筋の光となって無限の宇宙へと飛び出していった。
白蓮の葬儀から十日余り経った日のこと。初七日が終わり、位牌堂で星は朝の供養をしていた。この日は寺の休日にあたり、日課の修行はない。白蓮の死後、彼女の死を悼む人達は今でも絶えることはない。しかし、やがて人々はここへ向かう足が遠くなるのは必然であろう。それは生きる人間にとって、そうでなくてはならないのだ。いつまでも弔いを行うことはできない。心で亡き者に決別できるという意味での、四十九日なのだろうと星は解釈していた。
星は位牌堂から出て、お茶を淹れる。誰か呼ぼうと考えていたとき、部屋のドアが慌ただしく開けられた。
「星さん!!来て下さい!!」
大声を出したのは響子であった。
「響子さん、どうしたのですか。」
「一輪さんが、村紗さんが、ええと、とにかく来て下さい!!」
言葉にならない響子の声。それを聞き、星の心に不穏な影がよぎる。
「まさか……!」
一輪の部屋で、二人は倒れていた。
「これは……!!一輪、村紗!!しっかり!!」
星が駆け寄る。抱き起こそうとするが、彼女らの体はずるりと重力に従って垂れた。既に二人共死んでいる。そのことは明白であった。
「響子さん、誰かを呼んで下さい。二人を医務室に連れて行きます。」
「だれかー!!!来ーてーくーだーさーいー!!!」
響子の大声が通路に響き渡る。その声は居住区を半周した最遠の部屋にまで届いた。
「――死亡しているわ。一酸化炭素中毒ね。」
船長室に隣接した医務室にて、二人の容態を診た永琳はそう告げた。星が問いかける。
「そんな、じゃあ、二人は……」
「状況からして、自殺ね。響子さん、部屋に入ったとき、あなたはどうしたの?」
「私は、二人が倒れていた部屋に入ったら、ものすごく暑かったので、エアコンのスイッチを入れたんです。」
「危なかったわね。それは正しい行動だったわ。貴方も中毒している危険があった。」
星が二人の遺体を前に嘆く。
「なんで、こんなことを……死んでしまったら、ダメなのに……」
それに永琳が答える。
「もしかしたら、彼女達はシステムに再生されることを望んでいたのかも知れないわね。慕っていた白蓮さんがシステムに再生されたから、そちらに移ろうと考えたのかも。」
「そんなことで……」
今や星はただ一人、寺を切り盛りしなくてはならない。一輪や村紗の助けがなくては、果たしてできるだろうか。
一輪と村紗をシステムに再生させた霊夢は、烏天狗のニュース番組に出ていた。珍しく霊夢の方から依頼したのである。
カメラの前で、慣れないメッセージを霊夢は送った。
「これを見ている人。できれば見ていない人にも教えて欲しい。これからは、自殺した奴はシステムに再生させないから。そんなことは不毛だわ。周りで死にたがっている奴を見かけたらそう言って頂戴。以上。」
憮然とした面持ちで霊夢は語った。
「霊夢が人々にメッセージを発信するなんて珍しいですね。」
船長室でテレビを見ていた依姫は永琳にそう告げた。
「ただ単に面倒事が増えるのを嫌がっているだけのようにも見えるけどね。でも、それは問題無いわ。そんな人はいないだろうけど、これからもし自殺した人が出てきたら、依姫。貴方がシステムに再生させなさい。」
「私がですか。勝手にそんなことをして良いのでしょうか。」
「貴方もアメノコヤネシステムの管理人になっているのよ。あとで方法を教えるから、それに従えば簡単に再生できるわ。システムには、全ての死者を記録しておかなければならない。そのことはよく解っているでしょう。」
「そうですけど……」
依姫は永琳らの企みを知っている。しかしそれに賛同しているわけではなかった。
◇
システム内の幻想郷の天気はどんよりとした曇りであり、陽の光が差さない時間帯に、フランドールは日傘もなしに空を飛んでいた。彼女の表情からはある種の期待が見て取れ、目的地に向かって確信を持って進んでいるようである。
フランドールが向かっているのは、妖怪の山である。まだ死亡した天狗などが少ないこともあり、システムの外からの来訪者を除けば山の住民は少ない。それ故に哨戒天狗に排除されることもなく、彼女はほとんど無人の妖怪の山を散策できる。
九天の滝を越え、天狗たちの住処へと向かう。山の木々に隠れるように所々に古風な家が建っており、家主の帰還を待っているように見える。フランドールはそれらを一瞥して通り過ぎ、目的地の家へと翼を羽ばたかせた。
彼女が目指していたのは、姫海棠はたての家であった。家の前につき、耳を澄ませて中の様子を伺う。吸血鬼の聴力は優れているが、特に物音は聞こえない。それを確認し、彼女は家の扉を開けて中に侵入する。
家の中は失われた幻想郷のはたての家がそうであったように雑然としている。居間を通りぬけ、フランドールははたての寝室に向かう。
寝室にも誰もいなかったが、彼女は懐から咲夜から貰った懐中時計を取り出し、時刻を確認する。時刻は午前11時29分を指していた。
10分ほどそこで彼女は静かに佇んでいる。一体何を考えているのか、無表情なその顔から伺うことは難しい。
やがて、部屋の中央部に光を放つ物体が現れる。フランドールはそれを見て時計をしまい、身構える。その光体から姿を現したのは、家主こと姫海棠はたてであった。その顔を見て、フランドールは嬉々として話しかける。
「おはよう、はたてちゃん。また会えて嬉しいわ。」
フランドールのその声を聞き、はたては悲鳴を上げる。
「ひいっ……!!またなの!?もうやめて、お願いだから……」
はたての悲鳴を聞き、フランドールは満足そうに頷く。
「覚えていてくれたのね。じゃあ、今日も頑張って殺してあげるから、精々抵抗してね。」
はたてに殺されたことをフランドールはシステム再生直後は知らなかったが、システムに来たレミリアによって自分の仇がはたてであることを知り、復讐をしようと考えているのだ。
「謝るから……本当に、悪いと思っているから……」
「そんなこと、どうでもいいよ。じゃあ、10秒数えるから、逃げてね。いーち、にーい――」
フランドールは顔を両手で覆い、かくれんぼをするように後ろを向いた。それを見てはたては危機を思い出し、彼女の脇を抜けて全速力で家から飛び出した。
これはフランドールとの命がけの鬼ごっこなのである。はたてはこうやって再生される度に、フランドールに追われている。システムが死亡したはたてを彼女の家に再生させるのは、死亡してからきっかり24時間後である。それを知ったフランドールは、彼女を殺した時間を覚えておき、次の日もはたてで遊ぶのだ。
はたては妖怪の山を飛び出し、幻想郷の空を駆ける。烏天狗たる彼女は足が速い。そのことはこの鬼ごっこにとってとても有利に働く。どこかフランドールの来ない所に逃げ隠れすれば、いつかは相手は飽きるだろう。しかし、事はそう簡単には進まない。フランドールも吸血鬼として、速さには自信があるし、フランドールが紅魔館に戻り、パチュリーに探索魔法を使ってもらえば居場所は簡単にバレる。そのため、どこか一つの場所にずっと隠れているわけにはいかない。そしてその移動中の時に、フランドールに見つかる危険性は高くなる。もし見つかって捕まったら、あとは猫が鼠を甚振るように殺される。
はたては自分の不幸な境遇を嘆かずにはいられなかった。
魔法の森の瘴気を抜け、ガラクタの積まれた中に建つ洋館を訪れる者がいた。
「魔理沙、いるかしら?」
魔理沙の家のドアをノックして入ってきたのは、霊夢である。魔理沙は部屋の奥の方から姿を見せず声だけをかける。
「おお、珍しいな。何か私に用か?」
「別に何かあるわけじゃないんだけど。折角システムに来たから、魔理沙の様子を見に来たのよ。」
そう言って霊夢は相変わらず散らかった魔理沙の部屋を踏み越えて彼女の元へ向かう。
「あなたがいなくなってから、部屋のキノコが伸び放題に増えているのよ。誰も管理する方法なんて知らないし、このままだとあなたの部屋はキノコに埋め尽くされるわよ。」
魔理沙の顔を見て霊夢は言う。
「良いんじゃないか?他に使い道なんてないだろう。キノコを私だと思って可愛がってくれ。」
「冗談言わないでよ。」
そう言って霊夢は部屋の中から椅子を見つけ座った。魔理沙は机に向かい、キノコから抽出したと思しき液体の入ったビーカーを幾つか並べて、ノートに何かしら書き込んでいる。
「何やってるの?」
「キノコの同定だ。私が覚えているキノコの成分と、このシステムの中に生えているキノコが果たして同じものなのか、ということを調べている。見た目は一緒だが、魔法の成分は異なるかもしれない。」
「地味な作業ね。」
「ああ、地味だぜ。でも大事なことだ。これをしなくちゃ、魔法はできない。」
そう言って魔理沙は紙に書いたグラフを眺めた。
「時間かかる?」
「多分な。」
「じゃあ、お茶を淹れてくるわ。」
そう言って霊夢は勝手知ったる魔理沙の家の台所に向かった。
一面の鈴蘭の中で、青娥はメディスンと話していた。
「――そう。悪い仙人がいたものね。成敗して正解だったわ。メディスンちゃん。」
「そうなのよ。私の力を使えば、どんな毒だって作れる。死んで生き返ったばかりのゾンビみたいな奴に負けるわけがないわ。」
メディスンは得意げに胸を張る。その頭を青娥は撫でた。
「あとはこのシステムに、貴方を倒した依姫って言う人が来れば仕返しできるわね。私達でそいつを倒す作戦を考えましょうか。」
青娥の手は少し爛れたが、肉体修復の術を軽く吹きかけて元に戻した。このシステムの中でも幻想郷を離れたことによる肉体の脆弱さは健在であるが、それがわかっていれば対応策はいくらでもある。
「どういう手で私は負けたのかしら?知ってる?」
「残念だけど、聞いていないわ。でも、相手の能力は噂で聞いたことがある。神の力を自在に操るってね。」
「結構強敵ね。どんな作戦がいいんだろう。」
「相手は無敵ではないわ。どこかに綻びがある筈よ。ああ、本当に貴方は素敵だわ。毒を操る人形なんて、素晴らしい。」
青娥はそう言って、ほうとため息をついた。
芳香を捨てた彼女の新しい玩具は、メディスンになりそうである。
命蓮寺の庭を聖はリグルと話しながら歩いていた。
「確かに、貴方は危険な状態にありますね。復仇が、このシステムの中でも行われるかもしれません。」
「そうなんです。もうお互い死んだんだし、ここでやめて欲しいんですけど……」
そう言ってリグルはため息をついた。彼女が懸念しているのは、布都のことである。システムの外の誰かから聞いたのか、布都は自分と神子を殺したのはリグルの手先による者であることを知っている。布都は犯行に及んだミスティアやメディスンを恨んでもいるが、当然リグルのことも見かけ次第また焼き殺してやろうと考えていた。リグルはそれを人伝に聞き、弱い妖怪を守るという聖のもとに逃げ込んだのだ。
「寺に入るということは、出家するということです。貴方には、その覚悟はありますか。」
聖は穏やかに問いかける。
「はい。身寄りのない私のような妖怪を守ってくれるのは、あなたの寺しかありません。そのためなら、修行にだって耐えて見せます。」
リグルのその言葉を聞き、聖は微笑んだ。
「そうですか。では、あなたもこの寺の一員として、出家したということにしましょう。あとで受戒しますから、身支度を整えて本堂に来て下さい。」
「はい、ありがとうございます。ああ、良かった。これで助かったんだ。」
リグルはそう言って安堵の声を上げた。
こうやって白蓮は、恨みの連鎖に巻き込まれた力のない妖怪たちを庇護し、寺の一門として迎え入れていた。白蓮は幻想郷にいたときと変わりなく、妖怪たちに縋られることを受け入れていた。もっとも、寺の一門の妖怪の中には、積極的に布都ら仙人と諍いごとを起こすような連中もいた。もしそれがエスカレートして殺し合いになっても、システムで自然に治癒される。その意味では紫の目論見通り、ストレス解消になっているのかも知れなかった。
「ねえ紫。貴方は外で仕事をしなくて良いの?」
システム内のマヨイガにて、幽々子と妖夢が訪ねてきている。紫はコタツに足をつっこんだまま、答えた。
「ちゃんと仕事ができるように、霊夢に教育したわ。船に余程の緊急事態が起こらない限り、私はここで惰眠を貪っていても問題ないでしょう。」
そう言って彼女はコタツの上のみかんに手を伸ばした。
「そんなに生きづらいところなのかしら、宇宙船というのは。こちらに来る人も日増しに増えてきている気がするわ。」
幽々子はそう言って、庭の木々に目をやった。これらの木々も、すべて作り物とは到底考えられないほどのリアリティである。
「バスタブ曲線よ。」
紫は答える。
「お風呂が何か関係あるの?」
「機械やシステムの故障の起こる件数で、時間軸を横に、件数を縦に取ったグラフのこと。風呂の底のように、期間の始まりと終わりに近いところで故障が頻発するのよ。この場合、故障っていうのは現実での死亡と考えて良いわ。
一つ目は初期死亡期。比較的早い時期に、設計・製造上の欠点、使用環境との不適合などによって起こる死亡。
二つ目は偶発死亡期。初期死亡期間を過ぎ摩耗死亡期間に至る以前の時期に、偶発的に起こる死亡。
三つ目は摩耗死亡期。疲労摩耗老化現象などによって時間とともに死亡率が大きくなる死亡。
この3パターンあるわ。今は3期ぐらいじゃないかしら。」
長々とした紫の解説に、妖夢は唸り、考えた。
「そうすると、これからはまた死亡者が増えていく時期なのでしょうか。」
「その可能性が高いわね。色々なことに疲弊したり、体力の限界が来た人が死んでいく。そのような時期ね。」
「難しいことはわからないけど、要は旅も終盤に近いってことかしら。」
幽々子の答えに、剥いたみかんの半分を紫は差し出した。
「ご明察。もう少しで旅も終わるんじゃないかしら。はい、ご褒美。」
魔理沙の研究が一段落し、部屋でお茶を飲む霊夢と魔理沙の所に文がやってきた。
「ここに来るなんて珍しいわね。また何か新聞を作るつもり?」
霊夢の問いかけに文は答える。
「色々調べています。それで、気になったことがありまして、魔理沙さんに用があるのです。」
「私か。何の用だね。」
お茶を啜りながら魔理沙は尋ねる。
「大したことじゃないのですが、質問に答えて下さい。完全にこちら側の存在になって、変わったことはありますか。」
「変わったことねえ。そりゃ環境が全く異なるから、数えていたらキリがないぜ。」
「最近のにとりさんはどうですか。」
「そうだな、何も幻想郷と変わりはしないが、最近はにとりも仕事が遅くなったな。私が無理難題を押し付けているせいもあるが。」
その言葉に、文は確信を持って頷いた。
「にとりさんの仕事が遅くなった。なるほど。それではさらにお聞きしますが、私と魔理沙さんが会ったのは、前回いつですか。」
「変な質問だな。確か5日ぐらい前だったと思うぞ。」
その答えに、文はしてやったりというような笑顔を見せた。
「わかりました。取材はそれだけです。ありがとうございました。」
そう言って文は踵を返し退出しようとする。
「今ので何が分かるの、文。」
霊夢の質問に文は答える。
「システムの外に出たら、教えてあげますよ。」
その言葉を残し、文は姿がぼんやりと掻き消えた。システムとの接続を切ったのだ。
「一体なんだってんだ。」
「さあね。もう少しお茶飲んでからお暇するわ。」
「で、あなたが見つけた新事実ってのは何なのかしら。」
システムの部屋に戻り、霊夢は文に問いただした。
「私の仮説ですが、システム内に流れる時間と、現実の時間が異なります。現実の私達から見て、システム内の人は時間が早く流れているように見えます。」
「どういうこと、それ。よくわからないわ。」
「仮にこちらで1日が経ったとしましょう。その間に、システム内では5日が過ぎているのです。何故なら、魔理沙さんに前回会ったのはこちらの時間で昨日ですから。」
「へえ。どうしてそんなことがわかったの?」
「椛ににとりさんを観察させたのです。生きていた頃の魔理沙さんが言っていたように、仕事が早くなったかどうか。結論としては、彼女は特にスピードが上がっているとは考えられないということでした。でも魔理沙さんはにとりさんの仕事が早いと言っていた。この矛盾が謎を解く鍵です。」
一気にまくし立て、文は得意げに胸を張る。
「なんでそんなことになっているのかしら。私には見当もつかないわ。」
「まだ真実へは至っていません。ですが、このことは重要なヒントになる筈です。どうです、霊夢さんも私に協力しませんか。」
文はそう言って笑った。
◇
船内の時刻は午後8時。システムは24時間いつでも稼働しているが、この時間になると多くの利用者は戻ってきて、覚束ない足取りで部屋に戻っていく。それを見てから、霊夢はいつも食堂に向かうのだった。
この日はまだ数名がシステムに接続されていた。おそらく夜の幻想郷を楽しんでいるのだろう。そう考えて霊夢は部屋を後にした。
明くる日。いつものように朝方システムの扉を開ける。既に数名が利用しているようである。それを横目にして管理者の席に座る。そこでは各利用者が誰で、どれだけの時間利用しているかが端末で分かるようになっていた。霊夢はぼんやりとした朝の頭で、利用者リストを見ている。その視線が、ある項目で止まった。危険を知らせる赤色の表示が二つある。一体何が、と思いその利用者を見てみると、どうやら制限時間をオーバーしているようである。
40時間の制限時間。それはシステム開始当初から定められたリミットであり、これを超えると帰って来れなくなる。霊夢は慌ててその者の名前を見た。神奈子と諏訪子であった。
彼女たちが、故意によるものか偶然かは分からないが、システムから帰って来れなくなっている。もし強制的に端子を外した場合、廃人になると紫に説明されている。霊夢は頭を抱えた。
(多分、偶然……じゃないわよね。ほとんど自殺みたいなものだわ。)
おそらく霊夢の直感は正しいだろう。神奈子と諏訪子はシステム内に没入し、現実の身体を捨てたのだ。
(まあ、良い方法かもね。葬儀をしなくていいし。でもこれは皆に告知しないほうが良いわね。)
そう考えて、霊夢は他の者には周知しないことにした。
時を同じくして、紅魔館の部屋で。レミリアは美鈴と食後のお茶を楽しんでいた。
「咲夜とは違うけど、あなたのフレーバーも結構美味しいわ。大陸風の味って感じね。」
「恐縮です。まあお茶の葉は中国が原産ですから、似ているところもあるかも知れません。」
そしてふと、レミリアは美鈴に問いかけた。
「ねえ美鈴。もし貴方は、今まで死んだ人が蘇るのだったら、どうしたい?」
レミリアにしては一風変わった問いだった。彼女はあまり後ろのことを振り返ったりはしない。後悔をしている姿を美鈴は見たことがない。それを分かったのか、美鈴は腕を組んで目を閉じ、しばし熟考の後答えた。
「それは嬉しいですよ。また咲夜さんや妹様、パチュリー様、魔理沙さんたちに会えるなんて。でも蘇るってことは、再び死の恐怖に怯えるってことです。壊れた物を直したら、いつかまた壊れるんじゃないかと思ってしまいます。だから、私は故人の復活を望んだりはしません。」
その返答が気に入ったのか、レミリアは身体を美鈴の方に乗り出して言った。
「そうね。『死ぬことを忘れるな』じゃないけども、それが正しい認識だわ。だから美鈴。貴方に、大事なことを教えてあげる。それはね――」
神奈子と諏訪子がシステムに眠りについた日の夕方、システムをレミリアと美鈴は訪れていた。そして霊夢に期せずして同じ事を願い出るのだった。
「霊夢。私と美鈴は、システムに40時間以上滞在するつもりなの。だから目が覚めないでいても慌てないでね。」
「ちょっと、何言ってるのよ。そんなことをしたら、神奈子みたいに、あっ……」
うっかり洩らした言葉に、レミリアは笑った。
「なんだ、先客がいるんじゃない。じゃあ問題ないでしょう。私と美鈴がシステムの中の紅魔館に行けば、かつてのメンバーが全員揃うことになるわ。素晴らしいことよ。」
「そういうことよりも、もっと……ああ、言葉にするのが難しいわね!!死んじゃうってことよ、それは。あなたは自殺なんてしないと思っていたのに。」
それを聞き、レミリアはいつになく真面目な言葉で語った。
「最後になるから、霊夢にだけは教えるよ。このシステムの秘密を。それを知れば、貴方はすべてのことに納得がいく。私たちの自殺行為を止める気がなくなる。それを、教えよう。」
「一体なんだってのよ、その秘密ってのは……」
「『最後から二番目の真実』ってところかな。――」
レミリアたちの寝顔を見、霊夢はシステムの部屋を後にした。管理者としての仕事は残っているが、永琳に問わねばならないことがある。彼女はおそらく船長室か操縦室にいるだろうと思い、霊夢は歩き出した。
◇
私は取材したノートをまとめ、考察を記入し終えた。この宇宙船と、居住空間、そしてアメノコヤネシステムという存在について。特にシステムについては未だ不明な点が多いが、これを永琳に聞くわけには行かないだろう。おそらく魔理沙たちの二の舞になることは明白である。人に苦痛を与えてまで守りたい秘密なのだろう。
今日も私は、システム内に取材に行こうとその部屋を目指して廊下を歩いていた。別に飛んで行く事もできるが、ノートを見ながら考え事をしている時の癖で、一歩一歩歩きながら思索に耽る。そのため、廊下を向こうから歩いてくる人影にぶつかる直前まで気づかなかった。
「危ないわね。本を読みながら歩くなんて。」
「あや、霊夢さんでしたか。システムの仕事はどうしたのですか?まだ夕方ですよ。」
「これからちょっと永琳に問い詰めなくちゃならないことができてね。何だったら一緒に来ても良いわよ。」
霊夢が永琳のところに行くと言う。これは千載一遇の好機だ。
「ええ、ご一緒させてもらえますか。私も聞きたいことがあるかも知れません。」
おそらく霊夢は何かシステムの秘密を知ったのだろう。記者としての私の直感がそう告げていた。
霊夢と黙ってロケット中央部への通路を飛ぶ。後方に引っ張られる力が次第に無くなっていき、無重力となる。空を飛ぶのとはまた違う、独特の感触。はっきり言って私にはあまり心地良いものではない。
ロケット本体に着き、通路を上がる。この先にロケットの操縦室がある。霊夢の話では、居住区の船長室には永琳がいなかったそうだから、この先にいるに違いない。普段は立入禁止だが、霊夢と一緒ならば許される気がする。我らの博麗の巫女は、そんな巫女なのだ。
いくつもの曲がり角をくぐり抜け、操縦室の前の扉に着く。霊夢は些かの躊躇いもなくドアを開けた。
中では永琳と依姫が話していたようだった。二人が私達の方を怪訝な目線で見る。その視線を受け流し霊夢が発声する。
「永琳。あなた達の企みをさっき知ったわ。よくも騙してくれたわね。」
きつい口調で霊夢は問いかける。永琳は表情を動かさず、答えた。
「企みってねえ。誰から聞いたのかしら。」
「レミリアよ。彼女がシステムに『自殺する』前に教えてくれた。いや、その言い方もおかしいわね。」
「どういうことですか、霊夢さん?自殺したってのは。」
「レミリアと美鈴が、システムに制限時間を超えて入っていたいと言うのよ。問いただしたら、すべて教えてくれた。このアメノコヤネシステムとかいうもののからくりをね。」
「新聞屋さんには新事実ばかりじゃないかしら。でもこの部屋に二人で来たってことは、貴方も何か調べているのよね。」
永琳が私に問いかける。仕方がない、私の調査の事実を話そう。
「隠しても仕方ありませんね。私の調査では、この宇宙船にあるアメノコヤネシステムはただの幻想郷シミュレーターではありません。これは、眠っている乗組員の『本来の』意識を飛ばすものです。」
永琳も霊夢も黙っている。それを肯定と私は捉え、話を続ける。
「きっかけは、魔理沙さんの発言でした。死んだにとりさんの仕事がシステム内と外では速さが異なって感じられるということ。そして一日前にシステムに来たはずの私が、システム内の彼女の感覚では五日になっていたこと。このことは、システムの中と外で時間の流れ方が違うということを示しています。初めは、システムの中が早く時間が流れていると思っていました。しかし、真実は逆なのです。外の私たちの方が時間が遅く流れているのです。」
一気に言い、反応を見る。永琳は続けるように私に沈黙を送る。
「何故なら、地球にいた時、私達が太陽の爆発は『数年先』と聞いていました。しかし、実際に私達が体験した幻想郷最後の日は、それから一年後のことです。つまり、今話している私達の意識は、実際にロケットの外で流れている時間、システムの中の時間よりも遅いということになります。つまり、システムの中こそが『現実』に近いということです。」
「……正解ね。よく調べたものだわ。」
永琳はそう言って笑顔を私に向ける。ここで一気に勝負を決めないと、私は彼女に呑まれる。そう考え、発言を続ける。
「そして魔理沙さんはもう一つ重要なヒントを残してくれました。彼女が死んだ部屋にあった、無数の鳥居。最初それを聞いた時、何かの冗談か願掛けかと思いました。しかし魔理沙さんが死んだのは事実。それは絶対に見せたくないシステムの秘密があるということです。……それは、こうやって『生きている』私達が、実は唯の意識に過ぎないということです。」
霊夢も沈黙している。おそらくレミリアからも同じようなことを聞いたのだろう。
「祀られる神とは、それぞれの人格や意識とも言えます。無数の鳥居とは、おそらく乗組員各人を祀っているのではないですか、永琳さん。」
ここで質問を投げる。きっと答えてくれるだろう。
「……ご明察。よくここまで調べられたわ。貴方の調査能力と推理能力は人並み外れているわね。……では、真犯人から、残りの真実を教えてあげましょう。」
「師匠……良いのですか?」
今まで黙っていた依姫が不安げに声をかける。
「ここまで言われたら、話すしかないでしょう。それに私は教えたくてしょうが無いのよ。」
そう言って永琳は笑った。そして真実を口にする。
「そもそも、このアメノコヤネシステムとは、ただの幻想郷シミュレーターではない。幻想郷を模した環境を仮想空間に作り、各人がそこで数十年に及ぶ旅路を過ごすもの。そして、この宇宙船には、居住区というものは機構からして存在していない。システム中枢部はこのロケットにあり、ロケット発射時に時間停止状態で保存された各人の肉体から意識のみを動かし、活動させるもの。今話している私たちも、システムの中に構築された意識に過ぎない。」
永琳の解説は続く。
「狭義のアメノコヤネシステムとは、その意識を動かす幻想郷エミュレータ。それに最初から全部の人員を入れても良い。しかし、私と紫は、あることを恐れたの。何かわかるかしら。」
永琳の質問に霊夢がうんざりした口調で返す。
「あなたと問答するつもりはないわ。さっさと教えて頂戴。」
「依姫、分かる?ヒントは、そうねえ、十五少年漂流記とか、いや、蝿の王が適当かしら。」
依姫は腕を組んでしばらく考え、答えた。
「……生き残った者たちの対立、内輪揉めですか。」
「良くできました。その通り。私たちは数少ない地球の生き残りなのよ。これから別の星に移住しようとするときに、到着したところで反目しあっていたら地球の火は消えてしまう。それを私と紫は恐れたの。だから、移住への予備試験として、システムを使ってその対立構造を消すことを目論んだのよ。」
「どうやってですか。」
私の言葉に、興が乗った永琳は続ける。
「長い時間をかけて、反目する感情を消す。そのために、対立構造を浮き彫りにし、システム内で殺し合いをさせる。そのことによって、各人が誰とうまくいかないか、あるいは誰と仲良く出来るかを明白にする。そしてシステム内の死は、あくまでも形式的なものだから、次第に人々は殺し合いに飽きてくる。その時になって、移住を行えば、数少ない生き残りの間で殺しあう事もなく新たな星に根付くことができる。それがこのシステムの目的よ。」
「……そのために、居住区というストレスの溜まりやすい空間を模したのですか。」
「その通り。」
「しかし、何故その居住区と幻想郷で時間の流れ方が異なるのですか?」
私の質問に永琳は答える。
「居住区のシステムは難しくてね。そちらのシステムを動かすのは旅の行程で散発的に行なっているの。この依姫の身体に負担がかかるしね。」
依姫は黙っている。彼女も知っているのだろう。
「貴方が聞いた無数の鳥居とは、乗組員各人を神として祭り上げた社なのよ。そしてその神とは各人の人格、意識。それを依姫の能力を使って、システムに顕現させている。つまり、アメノコヤネシステムとは、依姫による神降ろしを媒介に実現するものと言えるわね。」
私の知らない事実が詳らかに明らかにされていく。私はメモを取ることもできず、真実の潮流に飲まれていく。
「幻想郷エミュレータの方は紫の努力でほとんど独立して動けるけど、依姫の方の居住区はそうではないの。各人の自由意志が介在するから。だから、貴方たちは私の所に来た。もしこれが幻想郷エミュレータ内であったなら、そういう意識は検閲されて浮かばないようになっている筈よ。」
「意識の検閲。いかにも紫が好きそうなことね。」
霊夢はそう吐き捨てた。
「彼女を責めないで。『幻想郷』の方は現状かなり上手く機能しているのだから。事実として、幻想郷の中の住人は殺し合いをすることを無意識のうちに避けようとし始めている。この調子なら移民は成功するわ。」
「今、無意識で思い出したのですが、システムになぜ地底の住人や妖精がいないか分かりました。実際の肉体が、ロケットに存在しないからなんですね。」
「その通りよ。あくまでもこれはシステムに肉体から読み取った意識を動かしているもの。実際にいない人は、動かしようがないのよ。」
そこまでを言い、永琳は発言を止めた。これですべて真実を話したということだろう。
私は慌ててメモを取り始め、霊夢は憮然とした感じで言った。
「……そこまで話しといて、私たちをどうするつもり。今までは、そうやって秘密に触れてきた者を消してきたのでしょう。愚かな私達も消すつもりかしら。」
一瞬室内に緊張が走る。永琳はため息のような息を吐き、告げた。
「そんなことはしないわ。だって貴方達はこのことを誰にも言わないでしょうし。ねえ、新聞屋さん?」
その問いかけは、私の意志を強制するものだろう。私は仕方なく答えた。
「今更発表しても、遅きに失するということですね。ええ、私も誰にも言いません。真実に辿りつけたという誇りだけを頂いていきます。」
「賢明な判断ね。質問は以上かしら?」
「……ええ、ないわ。じゃあね。」
「……失礼します、永琳さん。」
私たちはそう言って部屋を後にした。
居住区に戻っても、これから何を考えていけば良いのだろう。ここにあるものは、すべてが現実ではないのだ。私の書くノートでさえ、現実の物ではない。これで何を報道しようというのだろう。私はシステムに入眠したという、レミリアたちを羨ましく思った。
◇
本体のロケットのレーダー室に沈黙が流れる。特製の耳当てをした、鈴仙が目を閉じて耳を澄ませている。それを見守るのは、てゐと豊姫である。
やがて鈴仙は耳当てを外して報告した。
「聞こえました。同胞の声が。みんな、到着先の惑星で元気にやっているようです。」
「それは良かったわ。」
彼女達が聞いていたのは、先に旅立った月の民の移住先惑星の声である。レーダーで増幅された鈴仙の能力によって、何光年も離れた惑星の声が届いたのだ。
豊姫が嬉しそうに言う。
「でも、私達も負けられないわね。月の民の名代として、移民を成功させないと。」
「そうですね。着く惑星が生存に適していれば良いのですが……」
「大丈夫よ。何しろ師匠が選んだ惑星だもの。きっとうまくいくわ。」
そこに扉を開けて、永琳が入ってきた。
「輝夜はまた寝たわ。どうやらシステムの中で、また妹紅と遊んでいるみたい。」
「師匠は輝夜に甘すぎです。何か仕事を与えるべきだったのでは。」
「あの子が出来る仕事って、特に思いつかないのよね。でも、乗組員の時間を止めているのは輝夜の力よ。それだけでも十分役目を果たしているわ。」
輝夜はその能力によって須臾を操り、ロケットの乗組員の時間を停止させている。コールドスリープとは違う、完璧な保存法である。
「依姫はどうですか。疲れているんじゃないかしら。」
「まだシステム内で管理を続けているわね。あの子は責任感が強いから。」
依姫が居るのは、システム内で無数の鳥居があった部屋である。そこは彼女専用のいわば本殿であり、システム内の人員がそこに触れた時自動的に抹殺するようになっている。それによって魔理沙とにとりは仮の命を落としたのだ。
「豊姫、あなたも少し仮眠を取ったほうが良いのじゃないかしら。最近貴方あまり眠っていないでしょう。」
「大丈夫です。山と海をつなげる。地球と目的の星をつなげるのがパイロットたる私の役目です。ダストも最近多いですし。」
「偉いわね。でも、しばらくは私が代わるから貴方も休みなさい。」
「分かりました。お言葉に甘えて、少し眠ります。」
「そうね。優曇華、てゐ。貴方達も眠ったほうが良いわ。まだ後数光年あるしね。」
「はい、分かりました。」
鈴仙が返事をする。
「おやすみなさい。良い夢が見られると良いわね。」
永琳は弟子たちにそう言って微笑んだ。
好きなキャラクターを好きなように動かせて満足です。
色々と溜まってきたので、頭の中でよっちゃんをいじめる作業に戻ります。
読んで頂きありがとうございました。SF好きの血が年末に騒ぎ出して書いたものです。
元ネタの話とは全然違うものに化けてしまいましたが、これも産廃の風というものでしょう。
以下、コメント返信です。たくさんのコメントをありがとうございました。
1.NutsIn先任曹長さん
どうもありがとうございます。もし星間航行をせざるを得ないとなれば、お決まりの仲間割れを防ぐ方法を賢者さんは考えるんじゃないかと思ったのが着想です。
ミステリーじゃないのでそんなに気は使わなかったつもりですが、自分の決めた設定にやや振り回された感じがします。伏線とは難しい。
一応永遠亭と月のメンバーを活躍させようという目論見はありましたが、一つの事件を書き終えるごとに次の事件が連鎖的に思い浮かびました。やはり偉大なキャラクターですね。今回割りを食ったのは輝夜かな、と思います。そのうち彼女にもリベンジしたいです。
2.名無しさん
コロニーごと宇宙旅行というのはSFの古典ですね。元ネタの「遥かなる地球の歌」はクラークの隠れた超傑作SFなので、ぜひ。
SFよ流行れ―。
3.名前無さん
殺し合いのミスリードは少し狙いました。予想が外れたのを私はほくそ笑んでいます(失礼)。
皆殺し系宇宙旅行といったら、私はやはり楳図かずおの「14歳」ですね。
4.名無しさん
SFを動かすのは科学の力ですが、そこは幻想郷なのでマジカルな各人の能力で宇宙船を動かしました。SFっぽさを感じていただければ嬉しいです。
無限ループを書くと、そこからの脱却を書かねばならないように私は思います。それがとても難しいんじゃないかな、と。
5.汁馬さん
この後にpnpさんの長編が来ることが分かっていたので、前座を勝手に拝命致しました。
キャラクターを殺すために、なるべく仲間の力を使うようにしました。それもまたシステムで見定めようとしているものですので。
6.紅のカリスマさん
最初は変化球の皆殺し系で全滅させるつもりでしたが、書いてるうちに違和感を覚えて変えました。多分、そんなわけないでしょという永琳と紫の高笑いが聞こえたのかもしれません。
皆殺し系のお話もいつか書いてみたいです。折角ここにいるからには。
8.名無しさん
永琳はこのお話では悪役ですが、根は親切な人なんでしょう。このお話にも裏があって、実は真実は違うかも、などと考えると自分でも訳分からなくなります。
まあでもSFの話の終わり方は、大体こんな感じの不親切設計ですね(暴言)。
1/22追記
10.名無しさん
ありがとうございました。
11.名無しさん
ハードSFは大好きです。創世記機械とか。
12.名無しさん
長いと思わなかった(むしろ短編のつもり)ので、もっと長い話にもチャレンジしたいところです。
13.んhさん
エピソードの長さは難しい問題ですね。元ネタが短編を膨らませて長編も書いたという話なので、いつか私も長編にするかもしれません。
はたてちゃんはいつかフランドールとお友達になれるでしょう。多分。
14.名無しさん
私も仕事の暇な時間に書いていることが多いです。ネタは眠る直前に降りてくることが多いです。
海
https://twitter.com/OceanoftheMOON
- 作品情報
- 作品集:
- 6
- 投稿日時:
- 2013/01/08 13:23:25
- 更新日時:
- 2013/01/22 22:43:32
- 評価:
- 13/16
- POINT:
- 1340
- Rate:
- 16.06
- 分類
- SFっぽいもの
- 登場人物たくさん
- 露骨なキャラ贔屓
- A.C.クラーク追悼
- 1/15コメント返信
- 1/22コメント返信
嘘に嘘を重ねて現実に適応させるとは……。
いかにも策士の方々が考えそうなことですね。
問題があるから、キャラ達のチート能力をホイホイ使うわけにはいかなかったのですね。
問題は時間に解決させる、と。そりゃ、須臾を永遠に拡張すれば時間は使い放題。
キャラ選別も理由があったか。伏線だらけだけど、回り道をしなければ目的地には辿り着けませんからね。
素敵な幻想のひと時を、どうも有り難うございました。
陰謀という名のテラリウム。
「星をみるひと」を思い出したのは俺だけではないだろう。
素晴らしすぎて何点をつけていいのか分からない。
疑心暗鬼から殺し合いが始まって、最後宇宙船が潰れてみんな死ぬのかと思ったけどそんなことはなかった。
いやーSFだねー。
途中、殺し合いの多さにどうなってしまうのかと思いましたがそれもまた伏線だったとは…
段々と殺し合いが増えてきて最終的には全滅ENDかと思いきや、まさかそういうことだったとは…。
永琳を宇宙に放り出して南無三ENDだと思ったのに……そうなるのかー
最近読んだSFはあれが一番だなぁ・・・
後ハルヒ
旅行が終わるまでに、はたてに生存フラグは立つのだろうか
すごいよ、これ…
続きが気になって一気に読んでしまいました。
いちばん不憫なのははたてちゃんでしょうか…
野暮ですが、最終的に皆がどうなったのか、ちゃんと移住できて平和にやれているのかがとても気になります