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『産廃10KB 「さびいろ・とうめい・りびんぐでっど」』 作者: ちゃま
古明地こいしは目を覚ます。薬が抜けきっていないからか、頭が重い。そのくせ鎮痛作用は切れているらしく、体中が鈍く、あるいは鋭く痛んだ。夢を見ていた気がするし、そうでなかった気もする。夢の残滓など残っていようはずもなく、目を閉じても瞼の裏に映るのは暗闇ばかりだった。
眠気を堪えて薄目を開ければ、いつもと変わらぬ無骨な石壁。重く冷たい金属製の枷が、そこに取り残されることを恐れるかのように、腕と足に巻き付いていた。
ぴちゃり、と、泥水色に煮詰めた薬を垂らしたような水音が部屋の中にこだまする。どこかから出血しているのだろう。まったくもう、止血くらいしてくれたっていいのに。軽くため息を付けば、首に繋がれた鎖が、じゃらりと音を立ててそれに返事をした。
軽く手足を動かして、自分の身体がどこにも逃げられぬよう繋がれているのを確かめると、こいしは安心して眠りに落ちる。
今度は夢を見たかどうかを考える必要もないほどに深く、眠れそうだった。
さビイロ・とウメイ・りビングデッド
サトリ妖怪は夢を見ない。或いは、古明地さとりは夢を見ない。
これまでの経験から古明地さとりはそう結論をつけているが、世界にサトリ妖怪は一人しかいないので、どちらが正しいかは誰にも分からない。
妹は、夢を見ているのかもしれない。訊ねれば答えてくれるだろうか。柔らかな銀の髪をそっと払いのけ、こいしの額に触れる。白く冷たい姉の指先に、妹の体温が、水に垂らされた絵の具のようにゆっくりと移ってゆく。
軽く爪を立てて、うっすらと残る赤い線をなぞる。額から瞼を通り、頬まで引かれた刃の痕は、間近で見なければ分からないほどにまで消えかけていた。
古明地さとりは瞳を閉じる。
−−サトリ妖怪は、夢を見るのかしら?
ぽつり、心のなかで呟いた疑問は、誰にも拾われることなく、暗闇に吸い込まれていった。
結局のところ、古明地こいしは古明地さとりでも、サトリ妖怪でもないのだ。
目を開けて真っ先に飛び込んできたのが桃色の癖っ毛だったので、古明地こいしは機嫌が良かった。
そのまま視線を下に向ければ、年中汗の滲むことがない額。長い睫毛。藤色の眠たげな瞳。形の整った鼻。生気の感じられない白い頬。薔薇のように赤い唇。絞めればすぐに潰れてしまいそうな首。晴れた空のような水色のブラウス。折れてしまいそうな細い腕。呼気さえも切り刻んでしまえそうなほどに鋭く尖ったナイフ。
「おはよう、おねえちゃん」
妹が言う。
「おはよう。よく眠れた?」
姉が言う。
「とっても」
「それならよかった。今日は激しくできるわね」
「いつもより激しく、の間違いでしょ」
「口答えするなんて、いけない子」
何かを喋ろうとしたこいしの口に、舌をねじ込んで黙らせる。姉の味を堪能する暇もなく流し込まれた苦い液体を、こいしはえづきを堪えて飲み下した。
「これ、飲み薬じゃないと思うんだけど」
「10倍に濃縮してあるんだから、大丈夫でしょう」
「そういう問題じゃ」
「静脈注射の方がお好みかしら?」
「だから、そういう問題じゃないってば」
古明地こいしは薬に強い。あれやこれやと試されているうちに、耐性が付いたらしい。禁断症状に苦しむ姿が見られなくなり、さとりは始めのうちこそ悲しんだが、3日と経たぬ間により強力なドラッグを合成しては妹に打つことを楽しむようになった。そこからはいたちごっこだ。体中の液体が全部依存性薬物に入れ替わっているのではないかと、至福の表情で血液を啜る姉を見るたびにこいしは思うのだった。
がちゃり。じゃらり。重々しい音を立てて、枷と鎖が地面に落ちる。自由になった手足の感覚を取り戻すように伸びをすれば、ゆるりと揺れる銀の髪に、こきりと小気味のいい音を立てて骨が鳴った。
枷の外れた手首に刻まれた幾筋もの線は、姉の施した所有の証。消えてしまってはいないかと、両の手首を何度も撫ぜる。
「調子はどうかしら?」
「いいわけないじゃない」
あんなもの飲まされて。妹の不平を軽く流して、ブラウスのボタンに手をかける。
いやん。色っぽくつぶやいてみれば、姉のジト目に睨まれた。ちょっとくらいお遊びに付き合ってくれてもいいじゃない。軽口は喉の奥に留めて、大人しくされるがままにする。
服を脱がせば、柔らかな白肌をキャンバスにして、青痣。付けられて間もない爪あと。消えかけの、火傷の痕。形を成した愛情が、こいしの身体を鮮やかに染める。赤色青色紫色。直線曲線丸四角。幼子の落書きのように、意味を持たない−−或いはは本人にしかわからない−−幾何学模様がいくつもいくつも描かれている。
さとりはそれらの一つ一つを確かめるように、指先で撫でては口付けを落とす。ひびの入った硝子細工を扱うかのように、慎重に。
触れられる度に走る痛みを、快楽を、妹は愛おしそうに受け入れる。治りかけた傷口が再び熱を帯び、じくじくとその存在を主張する。額からつま先まで、余すところなく丁寧になぞる姉の姿は、何かの儀式を始める準備をしているようにも見えた。
「くすぐったくはなかったかしら?」
「平気だけど痛かったよ、お姉ちゃん」
「ならよかった」
全身を愛撫し終えると、さとりはこいしを抱きしめた。ふわりと、綿を抱くように。
身体を離さぬままに、爪の先をこいしの背中に食い込ませる。肩口に噛み付けば、熱い吐息がさとりの首筋を掠めた。
「私に牙があれば、このまま皮膚を食い破れるのに」
「吸血鬼に頼んでみれば、牙くらいはくれるんじゃない?」
「考えておこうかしら」
そのままベッドに押し倒し、右手に握ったナイフの先端でこいしに触れると、ちくりと刺す痛みにぴくりと身じろぎ。鋭い刃が肉を切り開き進む感触を楽しむように、ゆっくりと体重をかけて、脇腹に突き立てる。痛みに歪む妹の顔を、姉の瞳が、瞬きの一つも逃すことなく見つめる。一秒が、脳内を伝わる電気信号を片端から追ってゆけるほどに引き伸ばされる。紫色の瞳には若草色が、碧色の瞳には菫色が、虹彩の全てを覆うように映っていた。
しばらくこいしの表情を堪能してから刃を引き抜けば、鮮やかな紅色の血液が、どろりと溢れだす。それが極上の酒であるかのように、零すことなくさとりは舐め取る。舌に広がる妹の味が、細胞の隙間を埋め身体中に行き渡ってゆく感覚に、抑えこまれていた姉の欲望がうねりを上げる。
「こいし」
「お姉ちゃん」
ひとつ、呟くだけで、何もかもが、伝わった。
ふたつ。みっつ。よっつ。消えかけた痕を上書きして。他の傷を押しのけて。こいしの肌に、赤い線が刻まれる。口から漏れる妹の声が姉の鼓膜を震わせる。溢れ出る血液が姉の味蕾を刺激する。うっすらと浮かぶ静脈は、豊富な源泉の在り処を示す。こいしの身体から発せられる全部が、さとりを誘惑し、さらなる痛みを強請る。
加速度的に増幅する嗜虐心を。脳味噌の全てを支配されそうなほどの愛情を。顕示し、満たし、消えぬように残すために、悦楽の表情を浮かべ、切りつけ、傷つけ、痕を残す。染み込んだ妹の血液に呼応して、身体中が熱く昂ぶる。衣服に付いた赤い染みさえもが、さとりを衝き動かしていた。
姉から与えられる痛みと快楽と、傷痕と。それら全ての刻印を、一欠片も余すことなく、五体で、受け入れる。全身の傷口から体内に、姉が侵入してくるような錯覚が、こいしの神経を溶かす。藤色の瞳に自分の姿が写っている喜びに、身を震わせる。
跳ねる四肢。焼き焦げる肉。引き裂かれる皮膚。散る血飛沫。骨の砕ける音。何の邪魔も入らない閉じた世界で、ふたりきり。ただ同胞のことだけを想い、あらゆる感覚を費やして、本能の赴くままに、愛し、愛される。
日の光も月明かりも届かない場所で、それでもお互いのことは、太陽の下にいるときよりも、はっきりと見えていた。
サトリ妖怪は夢を見ない。或いは、古明地さとりは夢を見ない。
どちらが正しいか、分かる日は来るのだろうか。世界中でたった一人のサトリ妖怪は考える。
じゃらり。すやすやと眠る妹が身体を動かせば、鎖の擦れる音がした。
妹は、夢を見ているのだろうか。白い指先で頬に触れれば、妹の温もりが指先を伝って体内に流れ込む。
頬を押す力を強めて、付けられたばかりの赤い線をなぞる。出血が治まったばかりの刃の痕は、ほかと比べてほんの少しだけ温かい気がした。
−−サトリ妖怪は、夢を見るのかしら?
ぽつり、呟いた疑問は、誰の耳にも届くことなく、虚空に消えていった。
血塗れの部屋を片付けるときのもの寂しい感覚には、いつになっても慣れない。
古明地さとりは一つため息をつくと、床に垂れる血液が乾いてしまわぬうちに拭き取ることにした。
実際のところ、古明地こいしは何者なのか。今日も答えは、見つからなかった。
古明地こいしは目を覚ます。くるり、あたりを見渡しても、姉の姿は見えない。珍しく目覚めがよく、見ていた夢の内容まで鮮明に思い出せた。フル・カラーの夢。自分と、姉と。登場人物は二人だけ。目を閉じれば、その細部までが網膜に浮かんだ。
きしり、身じろぎをすればベッドが軋む。夢の余韻を楽しむように、そっと目を閉じ、静寂に身を委ねる。
くすり、楽しそうに微笑むと、こいしは安心して眠りに落ちた。
今度は夢も見ないほどに深く、眠れそうだった。
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ちゃま
作品情報
作品集:
6
投稿日時:
2013/02/25 03:26:30
更新日時:
2013/02/25 12:26:30
評価:
15/17
POINT:
1270
Rate:
14.39
分類
産廃10kb
古明地さとり
古明地こいし
中毒と耐性のいたちごっこして、まともな生活なんて送れる訳がない。
虚構と感じた現実の中で夢を見れるかと呟くさとりが滑稽に見えました。
あと、姉妹愛が素晴らしかったです。
いつまでも続く、滅びへの逃避行。
しらないうちに、安らかな眠りへと……。
この愛し方、愛され方は美しい
素敵なさとこい。でもどこか歪んでしまうのも、古明地の宿命なんですね。りびんぐでっどの、よびごえ…
古明地終いの関係はこいしがさとりから多少虐待じみた愛を受けているというシチュで、産廃らしく安定感のある退廃感が味わえました。
正に凄絶、でも美しい。
人より丈夫なら、人より強く愛しても大丈夫。その分、心が弱いのかも知れませんね。