幻想郷の某所にひっそりと佇む、幽霊が出るという噂の絶えない幻想郷では特に珍しくもなんともない廃墟となった洋館で、その日プリズムリバー三姉妹ことルナサ、メルラン、リリカの三人は今晩博麗神社で行われる宴会で自分達が(勝手に)行う演奏のリハーサルをしていた。
リハーサルとは言ってもそれほど堅苦しいものではなく、彼女達は基本的にどんな演奏でも結果的にみんなが楽しめればそれでいいタイプなので演目の確認程度のものなのだが。
「ルナ姉ルナ姉」
演奏も佳境に差し掛かった時。ふと演奏の手を止めた銀髪の癖っ毛が特徴的なトランペット担当。次女のメルランが発言した。
「何?」
ルナ姉と呼ばれた金髪の、バイオリン担当である長女ルナサも演奏を止めてやや不機嫌な表情で答える。
ちなみにもう一人のキーボード担当。茶髪の三女リリカはそもそも演奏が止んだ事にすら気付いていないらしく、一人ノリノリで幻想の音を奏でている。
「ルナ姉さ、もしかして調子悪くない?」
「別に悪くないけど…」
普段はふわふわした妹が珍しく真面目な表情だったのでやや気圧されたが、何故そんな事を聞くのか質問の意図がよく分からないルナサはそう答える。
「なんかね。うまく言えないけどルナ姉の音がズレてる気がするのよ。ルナ姉みたいに」
「いや私メルランほどズレてないし。楽器の手入れも怠ってないわよ」
ルナサがそう言うものの、メルランはなにか難しい顔をして納得いかない表情をしている。
「じゃあソロパートの部分やるから聴いててよ」
言うと、ルナサがいつも通りに手足を使わずにバイオリンを演奏する。と、やはりバイオリンはいつも通り鬱蒼とした鬱の音を奏で始める。
「うーん…」
やはり何かズレている。 そんな表情のままメルランが首を傾げた。
いつの間にか演奏を止めて姉の演奏を聴いていたリリカもメルランの隣で首を傾げている始末である。
「え? 何がおかしい?」
いよいよ不安になってきたルナサが二人に聞くが、二人は互いに顔を見合わせて唸るばかりである。
そもそも二人はバイオリンなどいじった事が無いのに加えて、この三姉妹は元々音楽が好きで、ただただ楽しく演奏をして経験だけでそれぞれ上手くなったタイプであり、演奏の基礎基本や知識が無いので的確な指摘が出来ないのだ。
「姉さんさ、手で弾いてみたら?」
提案したのはリリカ。
三姉妹は鬱∞躁∞幻想≠サれぞれの音を奏でる力とは別に手足を使わずに楽器を演奏する程度の能力≠備えているのだがもちろん手で弾く事も出来るし、本人達の演奏技術がそのまま手足を使わずに演奏する能力の技術のベースとなるのでむしろ集中するべき事が増える能力で弾くよりも上手いのである。
「ちょっとやってみる」
ピシッと姿勢を正し、鎖骨あたりに愛用のバイオリンを置くと顎あての部分に顎を乗せ、弓を構える。
手を使って楽器を弾くのは久しぶりだったが、よく覚えているものだとルナサ自身感心した。
そして、ゆっくり演奏を始めると変化はすぐに訪れる。
「(なにこれ……!)」
そう思ったのは演奏しているルナサ自身。
能力で弾いていた時には気付かなかったがバイオリンから奏でられた音は普段聞き慣れた自分の音ではない。少なくともルナサはそう感じた。
自分自身その変化がよく分からないので感想を求めようとメルランとリリカの方を見やると。
顔面蒼白なリリカが奇声を発しながら腐りかけの壁に頭を打ち付けているのを必死にメルランが押さえている所だった。
■
「落ち着いた?」
「だいぶ」
メルランと頭を包帯でグルグル巻きにしたリリカがそう短く言い合う。
あの後すぐにリリカの奇行の原因が自身の鬱≠フ音色のせいだと気付いたルナサがメルランに鬱≠フ反対属性である躁≠フ音を奏でさせた事でリリカは落ち着きを取り戻し大事には至らなかった。
現在はリリカのカビ臭くて薄暗い自室で、また妙な行動をしないようメルランがリリカを見張り、ルナサはキッチンでお茶を淹れているところだった。
「それにしてもおかしいわよねぇ。リリカがルナ姉の音の影響を受けるなんて」
そんな事件の後なのでちょっとした沈黙が苦痛だったらしいメルランがそう切り出すとリリカが「うんうん」と頷いてみせる。
「そうだよね。今までだって私姉さんの音聴いてたけど何もなかったのに。今さらになって」
部屋に舞っている埃でも見ているような。憂鬱にも近いようなボーッとした表情のまま椅子に座ったリリカが呟く。その様子は、平静こそ取り戻したがまだどこか元気がないようにメルランの目には映った。
リリカの言うように生前の記憶はないものの、三姉妹が騒霊になったのは二世紀以上前。
彼女たちが楽器を始めたのは彼女たちを生み出したレイラ・プリズムリバーの没後の事だが、それでも一世紀以上前の話なのだから当然お互いに演奏を聴かせ合った事だってある。しかし、今日の今日までメルランもリリカも躁や鬱などお互いの音のの影響など無かった。
「むしろ今まで何も無いのが不思議だったとか」
「いやまぁ、それも否定は出来ないけどさ。それより今夜の演奏どうする?」
「それは……」
そんな話をしていると三人分のティーセットを片手にルナサがリリカの自室に戻ってくる。
「おまたせ。なんの話?」
「ありがとう。ルナ姉の調子も悪いみたいだし、リリカもこんなだし。今夜どうしようかー って話」
ルナサの問いに対してメルランがそう答えた。
普段からデリカシーの無いメルランだが、こういう暗い話の時はデリカシーの無さが逆にありがたいとルナサもリリカも心底思う。
「メルランもリリカも今日の宴会を楽しみにしてたじゃない。私は待ってるから貴女達だけで行ってきたらどうかしら?」
ルナサが言う。
彼女が待つと言ったのは原因不明とはいえ自分の音に耐性があるであろう妹さえ狂う程の鬱をバラまく訳にはいかない。という理由なのだが気を使われるのも面倒だし、あえて言う必要もないので彼女は口にしない。
リリカとメルランは顔を見合わせて、窓の外の湿気た薄暗い森を見て少し考えた後、了承して二人で行くことにした。
■
それからはリハーサルという気分にもなれず各々楽器の手入れをしたり、吹いてみたり弾いてみたり。特に何事もなく夜を迎え、神社へ出発する時間が訪れる。
「それじゃ、行ってくる」
「お留守番よろしくー」
メルランとリリカが私に向かって言う。
「あ、ちょっと待って。分かってるわよね?」
「わかってるよ。人を襲っちゃダメなんだよね」
「貴女がお姉さんなんだからリリカをよろしくね」
「もう、私ももうそんな年じゃないよー」
「そんじゃ、いってきまーす」
めかし込んだ(つもりらしい)メルランとリリカが元気よく言って洋館を飛び出す。ルナサはその二人の背中に向かって「あまり遅くなっちゃダメよ」と一応、釘を刺すがあまり効果はないだろう。そんな事は分かってるし、遅くなったところで特に咎めるつもりもなかった。
そうして腐りかけの玄関扉がギシギシと不気味な音をたてて閉じると、私は静寂に包まれたカビ臭い洋館で今後について思案する。
「(楽器の調整に、次の宴会で演奏する楽曲の練習、読書。食事作るの面倒くさいしどこかへ食べにいこうかしら。帰ってきたらお風呂に入って、晩酌するのもいいわね)」
そんな事を考えているとなんとなく宴会に行かなくて良かったと思う程度に楽しい気分になってくるのと同時に、今は長女として妹達を叱る立場で関係上から規則正しい生活や整理整頓などしっかりしているがもし自分が独り暮らしすることになったらとんでもなくだらしがない事になりそうだという考えに行き着きひとり苦笑いを浮かべた。
思えば普段自分達はどこへ行くのも一緒で、一人の時間なんてほとんど無い。たまにはこういうのも悪くはないものだ。
私は自分の部屋に戻ると普通のバイオリンにストラディヴァリウスと名付けただけの、愛用のバイオリンの調律をはじめる。
「うーん……やっぱりなんか違うわね……」
弦を緩めては音を出し、弦を締めては音を出しを繰り返していたが。なんとなくしっくり来ないのだ。
湿気や弦についた傷、それに人体から分泌される脂が弦に付着することで音が変わってしまう事は知識として知っているが湿度は高くないし、指先で軽く触れてみても弦の傷も特に見当たらない。脂は、そもそも私は幽霊の身なので物理的には分泌されない。
……一応乾いた布で拭いてみるが。一応ね。
その後一時間ほど粘ったもののどうしても私の頭の中の理想の音と実際に奏でる音が合わないしお腹も好いてきたので、ひとまず武器として使える程度に音を合わせてケースに仕舞うと私は食事を食べに行くことにした。
「火の元、戸締まり、大丈夫ね。それじゃ、いってきます」
癖でつい口に出してしまって一人である事に気づいて赤面し、辺りを見回して誰も聞いていないことを確認するとさっさと家を後にした。
時刻は日没から二時間ほど。ちょうど晩御飯時のピークは過ぎているこの時間ならどの店でも満員で入店を拒否されることはないだろう。
にしても誰も居ない我が家に「いってきます」というのはなかなかに滑稽なものだ。 すっかり日の暮れた雑木林の中を進みながら思った。
私には作詞のセンスなどないが、センスあるものであればこんな取るに足らないようなテーマでも曲が一曲作れるかもしれない。
いやボーカル不在我らがプリズムリバー楽団、略してPLG。歌である必要はないのだから作曲くらいならしてみる価値はあるか。
一度考えだしたら無限に広がる夢のような雲のようなもやもやした妄想を抱え込んだ私は「こんなことをしている場合ではない」という思考に行き着き。
一番最初に発見した飲食店でテキトーに食事を済ませてさっさと帰ることにした。矢先。一軒の赤提灯が見えてくる。
見たところ混んでいないどころか客の一人も居ないようなので晩御飯はここで済ますことにした。
「いらっしゃい。お、アンタは」
暖簾をくぐると、見知った妖怪と対面した。
そうか、この屋台はコイツのだったか。
「こんばんはミスティア」
ミスティア・ローレライ。夜雀の怪であり、歌が得意。
焼き鳥反対運動の一環としてこのような焼きヤツメウナギ屋を始めたという
最近ではどういった経緯で知り合ったかは不明だが神社の山彦と鳥獣伎楽というユニットを組んで好き放題歌っていて、これがなかなか評判らしい。
「こんばんわ。あー……」
「ル ナ サ」
「そう、ルナサ! 覚えてたよ」
「はいはい……」
ちなみにあまり記憶力はよくない。
さすがにある程度仲良くなると顔を忘れられることはないが、名前はよく忘れられる。
「とりあえず人が来てくれて良かったよ。良かった良かった」
「どしたの?」
「なーんか今日お客さんが来なくてさー」
「今日は神社で宴会だからみんなそっちじゃない?」
「嘘!? 今日宴会だったの!?」
もう一度言うがこの妖怪。あまり記憶力がよくない。
このヤツメウナギ屋。妖怪が営業していることが里の頭の固い重鎮には気に喰わないらしく、衛生面がどうのこうの、羽毛がどうのこうの、匂いや煙がどうのこうのと難癖をつけられ何度も申請しているにもかかわらず人里での営業許可が取れないことがあってこの屋台の位置は人里の外れであり。つまり、人間はいつ妖怪に食い殺されてもおかしくない場所にある。
そのため、もともと普通の人間は滅多な事ではこの屋台には来ない。
さらに、今日は博麗神社で大規模な宴会があるので普通の人間も、普通でない人間も、妖怪もそちらへ流れている。実際私のかわいい妹達もそちらへ行っているのだ
こんな日に普通に営業したところで客など来る筈が無いのだ。
「っていうか、油受けに敷いてるその新聞に書いてあるじゃない」
「文字なんか読めないわよ。口で伝えてくれないと」
それもそうだった、そもそも他人の名前だってうろ覚えな鳥頭に文字なんて覚えられるはずない。夜雀に新聞$Vしいことわざだ。だいたい何故ブン屋はコイツに新聞を配達している? 売上か? ……売上か。
売り上げさえ伸びれば相手が読めようが読めまいが、果ては用途に関してもどうでもいいというのは少々問題ある気がするがそれはここで私の考えるような問題でもないので思考を打ち切ることにした。
「まあいいや。お酒は弱めのと、あとウナギを適当に焼いてくれるかしら」
これから創作活動をするのだ。酔っぱらって前後不覚という事態は避けたい。
そう思って注文したのだが。
「それなんだけどさ、ちょーっと私の話を聞いてほしいのよ」
「?」
「夕飯時のラッシュを見越して先に焼いておいた、五人前くらいかな? とりあえず結構な量のウナギがここにあるじゃん?」
「うん」
「これもう少し時間がたったら冷めて不味くなっちゃうし食中毒も怖いし、お客さんには出せないから廃棄しなくちゃならないんだけどなー」
――ああ、大体読めた。
「安くするからこれ食べて? ね? お願い」
ミスティアの懇願を後押しするように炭がパチンと爆ぜ、火の粉が一つ闇の中へ消えた。
「やっぱりか」
今自分の顔を鏡で見たらすごく呆れた顔をしている自信がある。
実際、この量廃棄したら結構な赤字なのだろう。両手を合わせて拝んでくる。
飄々としながらなかなか商売上手なやつめ
「……ひとりじゃ無理よ?」
ため息ひとつわざとらしく吐いてから私が言うと、ミスティアは小さくガッツポーズをしてみせた。
そして割烹着を脱いで酒瓶片手に客席の方に回ってくると私の隣の席に座り
「お付き合いしますとも」
と、一言添えて酌してきた。
■
「ただいまー」
一時間半ほど経ってようやくミスティアから解放された私は案の定妹たちのまだ帰宅していない洋館に帰ってまた一人、癖で誰も居ない家に向かってただいまと言ったがそんなことを気にする余裕がない程度には疲労していた。
何故か?
私は酒はセーブしながら飲んでいたのだが、ミスティアはお構いなしに飲み、食い、また呑み、呑まれ、私に絡みまくり、歌い、演奏を求めて叫び、怒鳴り散らし、歌い、泣き、歌い、歌い、歌い……
挙句、私をほったらかして大いびきをかいて寝るという暴挙の果てに、彼女を自宅に送り届けてここに至っていた。
散々妖力を込めて歌うものだからすっかり夜盲……もとい、鳥目になってしまって帰りに迷ったところを宴会帰りで酔っぱらっていたらしい蛍の妖怪と氷精に襲われてスペルカードで応戦し、帰るのも苦労したものだ。
幸い、ウナギは目に良いらしいから鳥目の方はすぐ治るだろうが。後々文句の一言でも言ってやろう。
あと、アイツとはもうサシで飲まない。絶対に。
そう心に決め、私は軽くシャワーを浴びて汗を流し。水を一杯飲み干すと下着姿のまま自室に籠って作曲を始めた。
――
ゴーンゴーンという古時計の古風な鐘の音が館中に響き渡る。
作曲を始めてから何時間経っただろう。
思いついた音を組み合わせ組み合わせ、繋ぎ合わせ繋ぎ合わせという素人丸出しな拙い作曲を行っていたが、どうしても既存の曲に似てしまい、つまり結論から言うと私には作曲の才能もセンスも無いようで曲の制作は難航どころか難破していた。
小腹も空いたし、喉も乾いたのでキッチンへ向かう事にする。
途中にある古時計に目をやると針はちょうど午前一時を指していた。
神社の飲み会は零時にはお開きになるはずなので意識を保ってさえいればそろそろ帰ってくる頃だろうが、あの子達の事だから帰ってはこないだろう。
ひどく頭が冴えていて寝付けそうにもないし、あまり神社に迷惑をかけると後々巫女がブツブツうるさいので迎えに行ってやるとするか。
ぼんやりとそんなことを考えながらトーストを一枚ほうばり、ミルクを一気に飲み干した私はいつもの黒いジャケットと黒いスカートを身に着け、お気に入りの帽子とバイオリンを持って今日二度目の外出をはじめた。
外に出て飛び立つとやや肌寒さを感じたが、まあ問題はないだろう。
少し飛んでいくとすぐに神社の明かりが私の目に映り安堵した。その時、風切り音と共に後方から不意に弾幕が飛んできたので慌てて躱す。が、完全には躱しきれず確かな質量と熱が左肩と腿を掠めてややひやりとした。
その他の流れ弾の中の一発は私の後方の樹木に当たって爆発し、強烈な光と轟音を辺りに響かせ、数発は地面に当たって砂埃を巻き上げた。
あんなものに当たっていたら霊体の身でも大怪我をしていたところだ。
当たり前だが幽霊も痛いのは苦手なのだ。
「危ないわね。誰よ!」
怒気を込めて闇の中へ叫ぶ。
捕食の為の狩りならともかくスペルカード戦において不意打ちはご法度なのだから私の怒りは至極真っ当である。
「あはははははははは。よく避けたね」
「(誰……?)」
闇の中から現れた少女の事を私は知らなかった。
大きな赤いリボンと真っ黒な服、それに天上に浮かぶ満月をそのまま映したような金色の髪が特徴的なこの少女。私たちのライブの時に見かけたことのあるのだが特に交流は無く、名前も知らない。
酔った勢いで誰かを襲ったらしく既に鋭利な爪は血塗れ、剥き出しの牙とその口周りには髪の毛と思われる緑色の毛。
顔は紅潮していて息も荒く異常に興奮していて今にも襲いかかってきそうなのが見て取れる。 ……説得は無駄か。
逃げてもいいが、私がコイツより速い保証はない。今の興奮状態で加減なんか期待できない、追いつかれて背後から襲われればただでは済まないだろう。やるしかないか。
そう考えた私は応戦するため私はバイオリンを取り出す。
静寂の中。少女の息遣いだけが聞こえる。
私が音を奏でようと弓を構えた次の瞬間。
不穏な空気を感じたらしい少女が地面を蹴って私に接近してくる。
私の目から見ても少女は猛スピードであるのだが、いかんせん最初の立ち位置の時点で私と少女との距離があったので余裕で攻撃態勢に移ることが出来た。
私の射程内に入った瞬間にカウンターで破壊力を持った鬱の音色を叩き込む。
――つもりだったのだが
突如、辺りを劈く「ヤッホー!」という声……とは言い難い爆音のような振動が私と少女を襲い、体を吹き飛ばされる。
幸い私は空中で飛行に移ることでダメージはなかったが少女の方を見ると樹に激しく頭を打ち付けたようで頭を抱えて唸っていた。
「ふふふ……ダメですよう。仏の前に全ての命は平等。殺生は禁止です。ふふふ ふふ」
新たに現れたのは先程のミスティア・ローレライと鳥獣伎楽というコンビを組んでライブ活動をしている山彦の幽谷響子だった。
言っていること自体まともだが、彼女も相当酔って興奮しているのが分かる。
私の存在には気づいていないようで、地面に蹲っている金髪の少女にゆっくり歩み寄ると髪を引っ張って無理矢理持ち上げてそのまま静かに、しかしはっきりと笑顔で「こんばんは」と言った。
当然髪を引っ張られては痛みで挨拶に答えるどころではなく少女は唸るのだが、響子にはそれが気に喰わなかったらしく、やや不機嫌そうな顔になりながらももう一度。今度は離れた場所に居る私にも聞こえるほどの大声で「こんばんは!」と叫ぶ。
「うるさい!」
少女が怒鳴るが早いか、手が早いか。少女の右腕が響子の腹を貫いていた。
妖怪が妖怪を殺そうとしているそのあまりに異常な光景に私は思わず「ヒッ」と短く悲鳴をあげる。
当の響子はというと腹を貫かれ、口からは吐血しているにも関わらず特に気にした様子はなく、一つため息を吐いた後、勢いよく息を吸って。
「挨拶は心のオアシスだ!! 挨拶も出来ないような馬鹿野郎は死んでしまえ!!」
と、先程私達を吹き飛ばした時以上の声量で思い切り怒鳴った。
それは離れていても思わず耳を塞ぐような腹の底に響くような爆音で、あまりの音に気絶した鴉やらコウモリが次々と木々から落ちてきた。
そんな爆音を思い切り浴びせられた少女はというと、体からは力が抜け、白目を剥き出し、目、鼻、両耳から血を垂れ流して口からは赤い泡を吹いて体をガクガクと痙攣させていた。
妖怪とはいえ、もしかしたら脳や臓器に重大な損傷を負ったのかもしれない。
少女に気を取られているとふと視線を感じ、ハッとして視線を響子の方に戻すと。響子と目が合ってしまった。
私と目があった響子はこちらを見てニヤリと笑うと、もう興味が無くなったのか体に少女の腕が刺さった状態のまま右手で持ち上げていた少女を明後日の方向へ放り投げこちらへ向き直った。
ぼっかりと風穴が開いた腹からは血や臓器と思われる物体が垂れ流しになっていて、それでいて不気味な笑顔でこちらを見ている。
そんな恐怖としか言いようのない状況に私が対処できるはずもなく、私は悲鳴をあげるのも忘れて思わず逃げ出した。
一体どうなっている?
――何故こんなことが起きる?
逃げながらもわずかに冷静さを取り戻した私はそのことについて考えた。
基本的には博麗神社主催の宴会の前後は神社内はおろか神社付近や、人里から神社への参拝道での殺しは禁止だ。
これについては言うまでもなく宴会ということで酒好きの一般人や里の重鎮も妖怪との交流という名目で訪れるのでそれに対する配慮と。
あとは妖怪を抑制することで博麗の力、いわゆる博麗という名が持つ妖怪への影響力をアピールする趣旨があり、妖怪側の賢者達の全面的な協力の元に宴会前後の殺生の禁止が幻想郷中の人外に伝えられる。
妖怪ではないにも関わらず私たちのようなどこの勢力にも属していないような騒霊にも通達が来るのだからきっと幻想郷中の人外に伝える≠ニいうのはハッタリではない。
そしてそれを破れば博麗を脅かした大罪人として見せしめも含めて凄惨な仕打ちを受けることとなる。
私の知る限り何人かこの禁を破った妖怪がいるが、そいつらは例外なく不可解な術で妖怪特有の能力を封じられ、死ぬことも許されずに苦痛という苦痛を与えられ、犯され、死にかければ癒されてまた繰り返し。
そうして人間たちが飽きてようやく殺される。死んでからも異常性癖を持った変態の手によって犯されるのだがそれについては語るに及ばないだろう。
ともかく宴会の場で殺しを行うというのは,博麗を貶めるというのは。そういう事なのだ。
とはいえ、頭の悪い妖怪は酒でタガが外れて人間を襲ってしまうこともあるだろう。私の知る禁を破った数名の妖怪というのもそのクチだった。
そう、妖怪が人間を襲うならまだ分かる。それは摂理であり本能なのだから。
だが先程のあれはそんなものではない。宴会の場で、特に火種もなく妖怪同士で殺し合いをしていたのだ。
背後を確認してみると響子は追ってきてはいなかった。
妖怪だから死ぬかどうかは微妙なところだがそれでもあれだけの傷なのだから力尽きて気絶したか回復に専念しているかのどちらかだろうと考えたが、先程の様子を見た限りおとなしくしていてくれるようには見えない。無茶して死ななければいいが……
神社の明かりに向かって木々をすり抜け飛んでいた私はようやく神社が視認出来る位置まで来ていたのだが、神社の様子を見た私は唖然とした。
なんと境内が戦場と化していたのだ。戦場というのは決して比喩ではない。
場を盛り上げるために正当な決闘としてスペルカード戦が行われることはある。しかし現在の状況は弾幕を使わずに人と妖怪。いや、人妖問わずに殺し合っているのだ。
博麗の巫女やその仲間と思われる者たちで事態の収拾にあたっているが成果は芳しくないらしい。個々の能力は高いようだが神社で巫女が安易に客を傷つけるわけにはいかない反面、殺し合っている彼らにはそんなこと関係ないのだから当たり前と言えばそうだ。
博麗サイドで事態の収拾を行っている人妖の中にはメルランとリリカの姿があったので慌てて近寄る。
「メルラン! リリカ!」
私が呼ぶと気付いたメルランがこちらを見る。リリカは私が呼んだのが聞こえなかったらしく妖精相手に応戦している。
見た感じでは二人とも大した怪我をしている風には見えなかったのでひとまず安堵した。
「姉さん!? どうしてここに」
「それは後! これは一体どうなってるの!?」
妹の無事を喜ぶのは後にして。とりあえずは単刀直入に今一番の疑問を聞く。
「分からないよ! こっちが聞きたいくらい」
「うらめしや!」
「うるさいよ!」
襲いかかってくる唐傘の妖怪をトランペットの一吹で吹き飛ばしながらメルランが答えた。
分からないにしても原因あっての結果でありこの無秩序状態には原因があるはずなのだ。
「アアアアアひゃひゃひゃ!!」
思考の中、視界の端で奇声をあげた妖怪を見ると今しがたメルランに吹き飛ばされた唐傘の妖怪。
地面にべったりと寝転がって天に手をかざしたまま狂ったように笑っていた。
立ち上がる様子はないし、見ていても気分がいいものでもないのでさっさと視界から外そうとしたが、その妖怪の次の行動が私の視線を再び奪った。
「グゲッ! ひひひ……」
なんとその妖怪は自ら自分の首筋にバリバリと爪を突き立てはじめたのだ。それも苦悶の表情など浮かべることなく、笑いながら。
首の太い血管を傷つけてしまったようで地面に血だまりを作っているのだが気にも留めていない。
その様子を見て私は完全に引いていたのだが、同時にあることに気づいた。気づいたというより、私は何故こんなことを失念していた。
「ねえリリカ」
赤い服を着た妖精に馬乗りになりながら素手で殴っているリリカに声を掛けるものの夢中になっているようで返事はない。
「リリカ!」
異常を察し、今度は強く呼びながら肩をつかむ。
するとリリカが私にようやく気付いたようでこちらを向いた。
「あ、姉さん。お留守番してたんじゃなかったの? キヒッ。 それより聞いてよ姉さん。こいつったら姉さんに貰った私のお気に入りの帽子をボロボロにしたんだよ? ひどいよねえー……」
リリカを呼んだはずなのに最初に私の目に入ったのはリリカに組み敷かれている妖精だった。
執拗に殴られたようで顔は倍ほどに腫れ上がり、血まみれ。髪も引き抜かれたらしく頭皮ごと持って行かれていた。本人には悪いがその形相は化け物という表現が一番合っているかもしれない。
次に気になったのはここまで殴ったリリカの方だが、リリカの方に目立った外傷はない。
一体何回振るったのか誰の物か分からない歯が刺さり。どれほどの力を込めればそうなるのか拳骨から骨が飛び出てしまっている痛々しい拳を除けば。
「来なさいリリカ! メルランも!」
言って、私はリリカとメルランを引っ張って境内裏の雑木林に飛ぶ。
辺りに誰も居ないことを確認すると私はバイオリンでリリカに向かって鬱の音を奏でる。
すると、リリカは糸が切れたように倒れ、気を失う。
これで疑念が確信に変わった。
「ちょルナ姉!?」
「メルラン正直に答えて。」
私が他の境内の人妖のように錯乱してリリカを攻撃したと思ったのか慌てるメルランを制して私が言う。
「貴女たち……いや、メルランだけでもいい。宴会中に演奏をしなかった?」
「え、したよ? なんか響子さんって山彦がね、何故か相方が来ないから演奏をお願いできないかってお願いしてきて、ステージの上でね。河童の機械で音を大きくしてもらってすごく盛り上がったわ。 それが……」
言いかけてメルランがハッとする。
それから少し考えて、青ざめはじめた。
つまり、そういう事だ。
メルランの音は躁。
躁とは鬱と対をなす状態で、要約すると気分が異常に高揚し、自信に満ち溢れた状態の事だ。
これだけ述べるといい状態のように思えるが、代償として注意力、集中力の散漫や誇大妄想、自己陶酔。そして自己抑制の欠落など、破滅願望にも似た極端な刹那主義を持つようになる。
普段は私の鬱、そしてリリカの幻想の音色と組み合わせ、躁と鬱とのバランスを取りながら聴く者の精神。心を揺さぶる三重奏を奏でるのだが、単体で聞けばただの害でしかない。
ましてやこれはただの躁ではなく意図して引き起こす極めて強いもの。酒とメルランの躁状態による理性欠落状態こそ現在の狂騒の原因なのだ。
私たちはいつでも三人一組のプリズムリバー楽団だった。だからこそ見落としていた。
「……どうしようルナ姉」
「(このままではメルランが罰を受ける。それはまずい。どうすれば……)」
私が思考を始めたところ。パキパキと小枝を踏みにじる音があらぬ方向から響く。
リリカは私の足元で眠っているので間違いなく新手だ。私は音のする方向に体を向けバイオリンを構えた。
私の横ではメルランもトランペットを構えているが先程境内でメルランがトランペットで吹き飛ばした唐傘の妖怪がその場で自害したことを思い出し、私はそれを手で制す。
「誰?」
気配こそ感じるものの、物音の主がなかなか現れないので思わず草むらに向かって問う。
すると草むらの中から大きな紅いマントを羽織った見慣れない人物が現れた。
「敵意はない。まあ、武器を降ろしたまえよ」
見慣れないその人物の事を私は見たことがあった。確か先日の宗教戦争とやらで有名になった道教の仙人だ。
確か名前は豊郷耳とかいったかな。
「話は君たちの欲を通じて大体聞かせてもらったよ。お困りのようだね。 おっと、自己紹介が遅れた私の名前は豊郷耳神子」
「仙人様が私たちに何の用で?」
「話が早くていいね。状況は一刻を争うから単刀直入に用件だけ言おう。取引をしようじゃないか」
「取引……?」
私の経験上こういったタイプの人間の言う取引ほど信用出来ないものはない。
だがこの状況で現れたからには何かあるのだろうし、どのみちこの騒ぎがメルランの仕業だと知ってしまったコイツを野放しにしておくのもマズい。
「そう、取引。 応じたなら対価として上手い事お前たちを助けてやるよ。この騒ぎはそこのトランペットのお嬢さんの能力が一枚噛んでいて、露見するとまずいんだろう?」
「……そちらの要求は?」
「この騒ぎを収めるのに一役買ってもらうのと、君たち三人に私たち道教派に加わってもらいたい」
「どういうこと?」
私たちの会話を聞いていたメルランが口をはさんだ。
「道教派に加わるというのはまあ要するに仲間になれってことだよ。常々思っていたことだが優雅な暮らしにはやはり豊かな音楽は必要だからね。 で、騒ぎを収めるのは考えがある。私の推測が合っていれば簡単な話だ」
神子がそこでいったん言葉を切って私と眠っているリリカを交互に見やる。
「毒を扱うものは必ず解毒薬を持っている。それは自ら扱う毒に侵されてはお話にならないからだ。 ――君か、そこで寝ている彼女のどちらか、もしくは両方ともがこの状況を打破する能力を持っているはずだ。それも、トランペットのお嬢さんのように音による方法でね」
「確かに、私の能力は鬱。メルランの躁と対となる力です」
聞いたところでまともな返答が帰ってくる気はしないのでこの際私たちと初対面であるはずのこの仙人がなぜそれを知っているのかはもういい。
「やはり。ならば君の音で場を鎮めればいい」
「静寂の中ならともかく、狂騒の中で場に音を行きわたらせるというのはそう簡単ではないのですよ?」
「ふふふ。私に考えがあるといったろう? さて、どうする?」
どうするとは交渉の件だろう。
このまま放っておけばメルランのせいだと発覚するのは時間の問題。
こいつらの仲間になっても後々離反するという選択肢もあるし、ここは飲んでおくのが得策か。
そう考え私は「わかりました」とだけ言った。
「あの、私はなにをすれば」
メルランが言う。
「君には特にしてもらうことはないな、むしろ君は身を隠していたほうが良い。 私と君は境内へ向かうぞ」
「……メルランはリリカを永遠亭へお願い」
メルランにこの騒ぎの渦中にいて欲しくないというのは本音だが、同時にリリカはピアニストの命たる手を怪我しているのだ。肉体は元より、精神的な打撃も大きいだろうから誰かに傍にいてやってほしい。
一瞬戸惑った様子を見せたメルランだったが「わかった」というとリリカを抱えて浮かび上がり雑木林の暗闇の中へ消えて行った。
なんだかんだメルランは強い子だからきっと大丈夫だろう。
それを見届けた私達も目的を果たすべく境内へ向かう。
■
境内へ行くと、相変わらず思うように力を振るえない博麗サイドの戦況は悪い。
相手が雑多な妖怪ならばいくらでも叩き伏せることが出来ると思うと恐ろしいものだ。
「それで、私はどこで何をすればいいですか?」
「あれが見えるかい?」
一向に考えとやらを聞かせてくれない神子に対して言うと、境内の一角に設置されている催し物を披露するためのステージを指差した。
本来ならあそこが私たちが演奏を披露する場だったのだが今は屍が転がっているのみだ。
「あれがどうしました?」
「正確には両端にある黒い箱だ。あれは河童が作った音を増幅する機械で、君の妹も催し物の時にあれを使って会場中へ音を響き渡らせていたんだ」
「なるほど、なら私もあれを使えば……」
私たちが駆け寄ると、黒い箱からは「ザ――」という何とも不気味な音がしてやや震えた。
さてここで問題が一つ。私は機械が苦手だ。
それを踏まえて思うのだが、この機械はどう使えばいいのだろうか。
神子に聞こうと思って顔を見たのだが「え? 私使い方までは知らないけどお前も知らないの?」みたいな顔でこっちを見てくる。肝心なとこで役に立たないやつめ。
「え? 私使い方までは知らないけど君も知らないの?」
言った。言いやがった。
分かってたらとっくにやってる。と思いつつもとりあえず平静を装って「はい」と一言。
「仕方がないな」
神子は言うと、手ごろな場所で暴れている河童に対し非常に範囲の広いレーザーを放って焼き払い、戦意を失ったのを確認すると服を引っ張って連れてきた。
「河童よ。この機械はどう使うのだ」
そしてこの一言である。
よくもまあこんな無茶苦茶な人物がこの年まで俗世で生き抜いてきたものだと思う。
「いてて、なんだよ全く。電源は入ってるからそこのマイクに音を吹き込めばいいんだよ」
「マイクとは?」
「そこに転がってる紐が付いた棒だよ!」
精一杯私たちに分かるように話しているようだが態度が悪い。
まあいきなりレーザーで焼かれて連れてこられたのだから言いたいことはなんとなくわかるが。
説明を終えたのを察した神子が河童の脳天に拳骨を叩き込むと、河童は白目をむいて失神した。
「また暴れられると面倒だからね。……後は任せていいかな?」
「ええ、貴女はどこへ?」
「このままでは君の妹が起こした騒ぎを君が解決した≠セけに過ぎない。だからもう一つ手を打つ」
そう言い残して神子はこの場を去って行った。
確かに、このままではメルランが宴会の場で害をなしたという事実は変わらない。
しかし何をするつもりなのだろう。
考えても今はわからないのでとりあえずは私のやるべきことをやろう。
「これに音を吹き込むのよね」
河童がマイクと言っていた棒を手に持つ。
すると黒い箱から「ポヒーー」という大きな音が鳴り、私は慌ててマイクを元の場所に戻した。
そうすると今度は「ガタン」という音が黒い箱から鳴る。
「持ち方が悪かったのかしら」
先程は先端と思われる丸く膨らんだ網の部分を持ったのだが、こんどは細い部分を持ってみる。
今度は大丈夫だ。
恐らくこの網の部分で音を拾うのでふさがると警告されるようになっているんだろう。大した技術だ。
「おっと、感心してる暇じゃなかった。」
バイオリンを浮かべマイクをバイオリンの方に向けると、私は能力を使って手を使わずにバイオリンによる演奏を始めた。
――すると、効果はすぐに現れた。
暴れていた人妖が次々と糸が切れたようにバタバタと倒れだしたのだ。
演奏を始めて二分ほど経つともうほとんど雑音は聞こえなくなり
境内は気を失っている人妖の海と、鳴り響くバイオリンの音色だけになった。
とはいえ私より強い者には私の能力は効かないようで平然と立っている者もいる。
「ちょっとアンタ」
巫女が駆け寄ってきた。まずい。
「これは何? どういう事なの?」
「えっと」
「それは私が説明しよう!」
私と巫女の間に神子が割って入る。巫女の間に神子が割り込むって洒落じゃないからね?一応。
「実はこの騒ぎ、個人的に原因を調べていたのだが。まずこれを見て欲しい」
そう言って神子がマントの中から取り出したのは綺麗に真っ二つに割れた、子供が悪戯で作ったようなキモい表情の仮面だった。
これがなんだというのか。と思ったのだが、巫女は全て察したような顔で「ああ、そういう事か」と呟いた。
白黒の魔法使い、妖怪寺の住職、化け狸、神子の部下らしき道士服の少女と集まってきたのだが、皆一様にこの割れたキモい仮面を見ると納得の表情を浮かべるのである。
「今回の騒ぎは面霊気が宴会の途中、誤ってこの希望の仮面を割ってしまい。希望を失ったことで再び皆の感情のバランスが崩れた事が原因だったのだよ。それから彼女、ルナサに関しては荒ぶる心を抑える能力があるらしいので手伝ってもらったに過ぎない。 失神してしまっているのは恐らく心に負担がかかりすぎたせいだろう」
「して、こころが見当たらんのじゃが。奴はどこに居る?」
化け狸が言った。たしかこの妖怪はマミゾウと言ったかな。
「このことを問い詰めたところ、逆上して襲いかかってきたので粛清しておいたよ。裏の雑木林に転がってるんじゃないかな」
神子が平然と答える。またこの人は無茶を……
「ああ、君はもう帰っていいよ。ありがとう」
私を見て神子が言った。
こころという妖怪には申し訳ないがこの様子ならば私たちに疑いの目が及ぶことはなさそうだ。
礼を言いたかったがここで言うのも不自然だし、リリカの事も気になる。なにより神子の目が「早く立ち去れ」と言いたげだったので会釈を一つしてその場を飛び去った。
■
翌日。私とメルランはいつものカビ臭い自宅で軽く朝食をとっていた。今朝のメニューはトーストと目玉焼きだ。
昨日の事もあってメルランは元気がない。
ちなみにリリカは昨日永遠亭へ連れて行ったところ、緊急に手術を施されそのまま入院したようだ。
「希望の仮面再び失われる。博麗神社大狂乱!=v
話題作りにでもどうかと私は手に持っていた新聞の見出しを読み上げる。それが今日の朝刊の一面だった。
内容を見てみると、まあ大体昨日の出来事が面白おかしく綴られている。
どうやらこころという妖怪は発見された時既に神子によって喉を刺し貫かれていたり両手両足の腱が切られていたり全身を焼かれていたりと半死半生の状態だったらしく、哀れに思った命蓮寺の住職らの強い要望で人間の死人も出たが希望の面の破損は事故ということで今回は厳重注意に留まった。
「ねえ、私大丈夫かな……?」
メルランは不安そうにため息を吐く。
「大丈夫だって言ったでしょう? 新聞にもあなたの名前はないわ」
「ちょっと見せて」
新聞を所望したのでメルランに渡し、私はトーストに手を伸ばし一齧り。
口内に香ばしい香りと素っ気ない味が広がる。あまり新しい品ではないのでややパサついていて、たまらず私はコーヒーに手を伸ばした。
「ん?なんだろこっちの記事」
新聞を開いて二、三面を見たメルランが一言。
私もまだ一面の記事しか読んでいないので中はどんなことが書いてあるのか知らない。
「どんな記事?」
「怪奇!謎の集団大量自殺≠セって」
私が訪ねるとメルランが見出しを読み上げた。
「見せて」
何か引っかかった私はメルランから新聞を受け取ると指に着いたパン屑を払ってその記事を読んだ。
書いてあったことをおおよそまとめると
種族や年齢、それに場所を問わず大量に死体が発見された
文字の読み書きが出来る者は九割方が遺書か、それに準ずるものを残している
妖精は復活してもすぐにまた自害してしまう
とのことだった。
その後は身元を確認できた死者の名前が書き連ねてあり、その中にはミスティアや昨日屋台帰りに襲ってきた蛍の妖怪、リグルなどの名前も載っていて非常に驚いた。
見た限り響子の名前はないので助かったのかなー等と考えていると、最後の一文が私の目を奪った。
これを読んだものは恐らく未曾有の大異変が幻想郷に襲いかかったと思ったかもしれない。龍神様の怒りだと思う者もいるかもしれない。
しかし私は違った。
とはいえ最後の一文が無ければ何も思わなかっただろう。
身元が確認できた人物はミスティア・ローレライを除いていずれも昨晩の宴会に参加した人物のようだ
という一文が無ければ。
――
気が付けば私は家を飛び出し、昨日の騒動で人がごった返している永遠亭へ来ていた。
メルランも後を追ってきて付いてきたようだ。
私達は急いでリリカの病室へ入ると。
リリカは喉に朝食の時に出されたらしいフォークを突き立て自害していた。
それを見た私は膝から崩れ落ちた。
……私のせいだ。
心の底からそう思った。
霊魂の死は輪廻の死。完全な消滅。
リリカの魂は、もう戻ってこない。
――半分は推測なのだが、恐らく集団自殺の全貌はこうだ。
昨晩私が大音量で演奏し、皆の躁と鬱との心のバランスを取ったと思った時。
境内裏では神子がメルランに疑惑が向かないよう、騒ぎの別の原因を作る為にこころという妖怪の持つ希望の仮面を叩き割った。
結果、躁に傾いていた皆の心からは一気に希望が失われ、そこに私は鬱を叩き込んだ。
そうして皆希望を失い、膨大な量の鬱に心蝕まれ自害した。
それを裏付けるかのように昨晩私の演奏を聴いたミスティアが死に、リグルが死に、リリカも死んだ。
目の前ではメルランがリリカに縋り付いて大声で泣いている。
ふと、背後に気配を感じて振り向こうとしたところ背中に何か貼られ、全身から力が抜ける感覚に襲われて私は床に倒れ伏す。
見れば屈強な人間の男が立っていた。
「ルナサ・プリズムリバーだな。来てもらうぞ」
男の一人が私に言って、動けない私を担ぎ上げる。
そうか、宴会で博麗に害を成した者として私は陵辱の果てに殺されるんだな。そう直感的に勘付いた。
「ルナ姉! ルナ姉!! クソ!離せ!!」
私が最後に見た光景は、数名の男に押さえつけられながらこちらに手を伸ばすメルランの姿だった。
メルランに対しては押さえつける以上の事をしないのを見る限り相変わらずメルランには何も疑いも掛かっていないようだ。
昨晩の取引が生きていれば恐らくメルランの身柄は道教の仙人達に預かってもらえる事だろう。
――リリカ。メルラン。ごめんね。
呟くと、私は瞳を閉じた。
でも、この話、ほとんどルナサの想像、というか妄想が多分に含まれているんだよね。
何か他の要因があるかもしれないし、誰かさんの陰謀かもしれないし、単なる不幸な事故かもしれないし……。
でも、鬱と躁の制御役を欠いた幽霊楽団が解散することだけは、確実だね。
が、結局ルナサが責任を負うことになったところを見ると、どうもこれは想像の余地のある話のようですね。
希望からの絶望という上げて落とすのテンプレのようなお話で好みですが、個人的にリリカやミスティアが自殺に至るまでの葛藤や心理状態をもっと描写してほしかったなぁ。と思いました。
誰も悪くないのに、強いて言うならメルランに演奏を頼んだ奴……響子か。
ルナサの妹思いが余計に、私の心を削ってくれました。
欝になった側の描写があるともっと生々しくなるかも
ある種ZUN氏に通ずる所がある
しかしこころ可哀想……
前のお燐の話や小傘の話の方が面白く感じました。
これからも頑張ってください