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『牙の先』 作者: ただの屍
気温は四十度を越し、観測史上六十年ぶりとのこと。日付は冬のはずだが日差しは強く南半球にいるみたいだ。どう考えたって異変。仕事をする気になったのは正午を過ぎてからで、その前にふた月ぶりの風呂に入る。
文は烏天狗用の集合住宅に住んでおり風呂は共用である。烏天狗は風呂嫌いだからよくて月に一度か二度しか風呂に入らない。それも湯を数回浴びて終わるのがほとんどだから滞在時間は着替えを含めても三分に満たない。一応作ってみた浴槽は一度も使われておらず蜘蛛の巣が張り巡らされている。
どうせ誰もいないだろう。風呂場の滞在時間を一秒でも減らすため歩きながら服を脱ぐ。既に全裸になっていたので到着と同時に汗で重たい布の塊を籠に投げ込むと着替えを適当に置いて浴室に入る。
水桶に溜められた水は異常気象に温められている。乾いた桶を拾って湯を二回浴びる。かなり汗をかいたのでもう二回浴びるつもりだったが急に面倒になって三回で出る。もはや仕事に行く気も無くなっている。風呂なんか入らなければよかった。
適当に体を拭く。風で水滴を飛ばすこともできるが風呂に力を使うのは生理的に嫌だ。
服を着ているとき胸に毛が一本生えているのを見つけやたら目立つように思えたから深く考えずに毛を抜く。
二分の滞在時間を経て、戸は無く暖簾だけの入り口をくぐって自室に入るといつでも仮眠を取れるように広げっぱなしにしてある布団に仰向けに倒れこむ。今日のためだけにわざわざ倉庫から出してきた扇風機を足でつける。
意識を空にして休息に取り組む。丸一日働いたときのように疲れている。風呂のせいだけではない。背中には汗をかきはじめている。うつ伏せになり、仰向けになる。
痛痒感が入眠を邪魔する。毛を抜いた部分だ。服の上から掻いても埒が明かないので中に手を入れる。
指が毛を摘む。さっき抜いたはず。長い。太い。抜かなかったっけ。抜いた。抜か。はず。抜。ぬー。ー。……。 。睡魔は文を自陣に引きずり込んだ。
一体何事か、二本目三本目の胸毛が生えても文は起きず、やがて真っ黒な毛に覆い尽くされても寝入っている。文の顔に黒い点がぽつぽつと浮かび上がっては線となる。顔を這い回る幾多もの毛先は昆虫の大群のうぞめきを思わせる。文は唇を舐める。烏の性質の色濃い烏天狗にとって昆虫は寝ても覚めても餌だ。とうとう腕部と脚部を除いた全部の肌が毛に隠れる。
目覚め、毛羽立った体を見て夢を疑うが時間の経過と共に現実感が増す。仕方なく起き上がろうとするが腕が動かない。力が入らない。痺れているのはではない。金縛りとも違う。ということはやつではない。文は呪われ慣れている。
腕が徐々に縮んで体の中に潜る。感覚を探れば腕は血流に乗って背中へと移動し、羽と一体になる。腹筋を使って起き上がり羽を広げる。力強く細やかに動かせるのが嬉しくて何度も羽ばたくと埃が舞う。咳をすると前歯が落ちる。前歯に限らず、歯根が歯肉から離れているらしく歯茎の隙間に風がしみる。歯が溶け、歯茎が溶け、顎が溶ける。唇が膨れて前方に伸び、つられて引っ張られた鼻が潰れて鼻でなくなる。続いて脚の皮膚が硬みを帯びだしたとき、何が起こるのかを悟る。これだけのことに不思議と心が荒立たなかったのは苦痛を伴う呪いなどではなく抑圧からの解放であると無意識に確信していたからかもしれない。
「カァー」隣の部屋から聞こえる声ははたてのものだ。返す声が出口を求める。文の喉が烏の喉になる。「カァー」
身長体重毛唇脚内臓脳骨格肌血が体長体重羽毛嘴後肢内臓鳥頭骨格鳥肌血になる。未練がましく纏わりつく大げさで無機能的な衣服から抜け出る。
はたてが飛んできて、足で掴んでいた携帯電話を床に放りだし着地した。
「カアカア」はたてが器用に携帯電話を開き、ボタンを踏み鳴らしたり撫でたりした。「カアーッ」はたてが部屋を飛び回った。「カア。カア。カア。カア」
物陰から飛び出した蜘蛛を食べる。「ガアガア」苦いが故に美味い。はたてがホバリングした。幻想郷の烏はちょっと特別なのである。
無性に仕事がしたくなってくる。「カア、カアー」言うが早いか窓から飛び出る。
狼が文を見ていた。それは椛で、首だけで挨拶をした。いつもの様に挨拶ができなくてすまないとでも言いたげな顔付きだった。いつもの様な口を叩くつもりはなく目だけで返事してから紅魔館へ体を向けるとわざとらしく大きく羽ばたく。
文々。新聞にレミリアの正体という連載記事がある。レミリアがコウモリの妖怪であるという噂の真偽を確かめるというのが建前であるが実際はそれをネタに、あるいはどこまでネタとは無関係にターゲットを馬鹿にできるかという挑戦、あるいは紅魔館に対する挑戦状である。記事は評判が良く、厄介極まるものであった。レミリアを自殺させるのが現在の文の目標であり読者の期待である。
異変についてはたてがこいしかもと言っていたけど、ここまで大それたことできるはずがない。いつものように新手だろう。異変ならば放っておく。記事にもしない。異変に介入できるのは自機だけであり今は自機権を持っていない。はたてもだ。もう自機にはなりたくない。
自機だったときの記憶が浮かび上がってしまう。地獄だった。はたても言っていた。はたての手首の傷はあれだけの間に何倍にも増えた。自機になったせいではたては死にかけ、椛との関係は壊れ尽くした。住処を集合住宅に移させたことではたての命は助かったが、椛はもう望むべくもない。
視線を現在に戻すと地獄烏が見える。出自は違えど同族であり仲間である。「カァ」空を呼ぶ。
「カー」空が大きく右にそれた。空を追いかけ電線に止まる。
「カァ、カー、カアカア」同感だ。どれだけ妖怪の力に頼っていたことか。
「カア、カアカァカア」赤い球体の無い空に当然の疑問をぶつける。
「カアーカアー。カァ、カアカア、カーカー。ガアガア、カッカッカッカッ。ガーガー」責ある者は慣れない飛翔に疲れるだけでは済まされない。地獄の混乱の有り様が目に浮かぶ。
「カッ。カアカア」空が示した場所を見ると雀が楽しげな鳴き声をあげて飛んでいた。
「ガーガー」ああいう脳みそ無さそうなやつを見るとぶち殺してやりたくなるのが天狗であり烏であり妖怪であり人間でありつまり。
「カ」空も同意見のようだ。
早速飛んでいき、文が雀の行く手を遮る。「ガー」
「チッ」雀の言葉は全然分からないが怯えた動きがわくわくさせてくれる。
雀が文を避けて先に進もうとしたが断じて許さない。雀が仕方なく元来た空を戻ろうとしたが空が空を塞いでいた。
「わあ」雀が雀と思えないような悲鳴をあげた。すかさず空が雀の頭と胴体を足で掴んでひねり殺した。着地し、雀を分けて食べる。小骨が多くてうざったい。分けるのも面倒になって噛み砕いて食う。幻想郷の烏ならではである。
「カー」食事が終わると別れる雰囲気になり、自然に挨拶を交わす。「カッカッ」空が山に飛んでいった。
飛翔を再開する。それから特に面白いこともなく紅魔館に着くと現在時刻を野生の勘によって確認する。
紅魔館を見渡すと昨日割ったガラスや動物の死体を貼り付けた壁やそれらに書き込まれた呪言、破滅をもたらす悪魔を呼ぶ儀式などが全て元通りになっている。
呼び鈴を鳴らすようにガラスを割りはじめる。何故このようなことをするのかといえば烏天狗の格は引き起こした事件の数と質とで決まるからである。
悪魔への供物とするため近くの動物を殺して敷地に並べる。次に呼ぶ悪魔は生き土、生き水、生き光にこだわった菜園を営んでいる。ご馳走になった事があるが人並みに美味く、記事にもした。
視界の端に妖精メイドを捉える。鈍臭い動きだ。「何やってるんですかあ」鈍臭い声だ。遊んでやる。
すっとろい手の動きを軽々とすり抜け、眼球をほじくり返し踏みつぶす。「カカカッ」遊びで両目を潰す気はない。叫び声を上げ逃げ帰る妖精メイドを見送り、木陰で休む。
汗も引いた頃、文が割った二階の窓から狸が飛び出し、見事に着地したかと思えば素早く茂みに潜んだ。只者ではない。狸。マミゾウだと面白い。
狸の前に飛んでいって自己紹介をする。「カァカァ」
狸が疑いの空気を向けたが、辺りを見渡してから小さな声で返事をした。「キュウ」
何を言っているのか全く分からない。周波数とかが違うのだろう。「カアー」一応そう言って、木陰に戻る。地面に文字を書いて意思疎通をする手もあったが面倒事に違いない。
しばらく狸を観察するが動きが無いので飽きてくる。太陽が隠れるのを見計らって屋根に上がる。
美鈴を探すといつもの姿でいつものように門番をしていた。美鈴は妖怪のはずだが内に野生を潜めていないからとかなんとかあったりするのか。だとするとここはつまらない。魔女は絶対違うし人の姿をしてるだけの悪魔は悪魔。吸血鬼は怪物であって妖怪じゃない。本当にコウモリだったら最高なんだけど。残るは気持ち悪い人間。代わり映え無しか。
狸だけが頼りだ。さっさと何かしでかせと念じながら見守っていると、応えるように起き上がり身を強張らせた。狸の緊張の先を探ると強くて速い何かが紅魔館に向かっていた。壁にもたれかかった美鈴が何かに気づいた気配はない。気にも留めていないだけか。
記者の勘が告げるこれから起こるであろう何かをしかと見届けるために門の近くの電線に移動する。この電線というのは普段は撮影や飛翔、弾幕ごっこの邪魔ばかりするろくでもない奴だと思っていたが、この身になってみるとここまで便利な奴はなかなかいない。
前触れもなく時が止まった。場所からして咲夜の仕業に違いないが文の時は止まっていない。力を使い分けたのか。それとも異変で。もしや。今の文は時計に従うことなく時間を知ることできる。そして虫や獣とは違い、時間の呼び方を知っている。いやどうなんだこれ。時間があれば咲夜に聞いてみたい。
狸を見る。狸の時も止まっておらず、そわそわしていた。探しているのは文のほうかもしれないが隠れなければならないような状況なのは間違いない。
狸が立ったり伏せたり、行ったり来たりした。どうやら時が止まっているうちに門から出ようか悩んでいるようだ。
森から虎が現れた。やはりあいつか。美鈴は動かない。虎が一段と速さを増した。
狸が構えた。虎に合わせるか。いつの間にか時が戻っていた。美鈴からすれば読みを超えて虎が近づいたはずであるが動揺など微塵も感じられない。
虎が百歩の間合いに踏み込むと美鈴が構えを取り、威圧感が迫ってきた。電線が揺れた気がした。美鈴との間には安全な距離を確保しているはずだがその距離が心もとなく感じる。ここから逃げだしたい気持ちを使命感と好奇心でねじ伏せる。虎の動きが衰えることはない。覚悟しているのだろう。
時が止まった。美鈴は構えたまま動かない。動けない振りに思える。果たして時を止められた者から刺すような殺気が今なお放たれるのか。
狸が門めがけて走りだした。美鈴は動かない。
虎との距離が五十歩、十歩と縮まった。美鈴は動かない。
遂に三歩。美鈴は動かない。後ずさってしまわぬよう電線を強く踏みしめる。
時が動き出した。
美鈴の瞳の色が失せた。目の動きから考えを読み取らせない為だろう。美鈴が虎を睨みつけると空気が震えた。空中に気を通じたのだ。気が飛んできた。狸にも飛んだだろう。今度は確かに電線が揺れ、近くを飛んでいた蛍が地に落ちた。美鈴が虎に呼吸を合わせた。
美鈴が弾幕を放つも虎咆にかき消され、その攻防に巻き込まれた蛍が数限りなくばらばらになった。虎が飛びかかり左右の爪で切り裂きにかかった。美鈴が息を吐き、爪を両腕で受けた。爪は皮膚より先を通らない。美鈴が虎の両腕を取った。虎が口を開くと中から鼠が飛び出し美鈴の顔面に張り付いた。虎鼠が牙を剥いた。
一瞬、美鈴の動きが僅かに鈍った。どちらから対処するべきか考えたに違いない。文なら迷わず逃げの一手だが門番となるとそうはいかないのだろう。
鼠が美鈴の右目を潰して潜り込んだが虎に仕掛けた巴投げを止めさせるには至らない。虎が受け身の体勢を取るのを見た美鈴が気で投げの軌道を曲げて壁に横から叩きつけた。鼠の尻尾が美鈴の目の中に消えた。虎はもう戦えないだろう。美鈴に掴まれていた両腕には計十本の紅の縦縞が刻まれていた。美鈴が右手の獣肉を拭うと眼窩に指を突っ込んだ。鼠の尻尾を摘んで引き抜こうとしたが抵抗を受け、尻尾が千切れた。美鈴が指を入れなおした。
ようやく狸が到着した。美鈴が鼠を諦め狸を相手取り、毟ったボタンを左右の親指で次々に弾き飛ばしたが狙いは正確さに欠けていた。指弾は全て避けられ狸の速さを落とすことすらなかった。続いて放った、切れが衰えたといえ人間を真っ二つにできる蹴り二発、手刀も狸に躱され、首に牙を突き立てられた。反撃として首を折りにいくものと思われたが美鈴は動かない。美鈴の隻眼は色づいていた。鼠が美鈴の耳から出てきて狸が血肉を吐き捨てると美鈴は首の噛み痕を曝した。
これだけやっても妖怪は再生する。どうするのだろう。このまま逃げれば足がつく。かといって堂々と紅魔館の門番を殺せるか。
それは向こうに任せて、この事件の記事について考える。美鈴がやられたのは全面的に咲夜のせいにするとして見出しは何が良いか。「咲夜、スパイ容疑」「美鈴、引責辞任」「紅魔館粉飾決算疑惑」「死ね! レミリア」等々。
呼吸を回復した虎がよろよろと起き上がり美鈴に近づいた。虎が美鈴の頭を起こし、こめかみに爪を深々と突き刺した。爪を頭部と水平に一周させ頭蓋骨ごと切開すると伏せ、頭を支えた。脳と頭蓋骨の隙間に鼠が入り潜る。鼠の動きに合わせて脳がうぞめいた。狸が脳を揉んだり皺を増やしたり減らしたり千切ったりくっつけたり唾を吐きかけたり中指を突き立てたり手を合わせたりした。死者を弄んでいるようにしか見えないが記憶改竄術とかなのだろうか。
鼠が左脳と右脳の間から出てきてくしゃみをした。つられたのか虎もくしゃみをした。虎が支えていた手を離してしまい、脳が頭部からこぼれ落ちた。三人が驚きの声をあげた。
脳が地面に接触する寸前に一時停止した。三人が慌てて脳を元に戻し、嘆息した。鼠が笑うと虎が萎縮した。
時が動くと狸が美鈴の血で両手を洗う。脳の形を整え切開した頭部を元通りにすると、外骨格であるZUN帽で完全に固定した。
鼠と狸が虎の背に乗ると虎がゆっくりと歩きだした。途中、虎が振り返って文を見たが何事も起こらなかった。虎が静かに森に消えた。
美鈴のおさげを毟り取り紅魔館の窓まで飛ぶ。妖精メイドが通りがかるのを見計らっておさげを放り出し、屋根に上がる。
毛繕いをする。あの三人は星、ナズーリン、マミゾウで間違いないとしてマミゾウはここで一体何をしていたのだろう。潜入活動だとつまらない。誰かを殺して成り代わっていたりはしないだろうか。フランドールが死んでいないかな。どうせあれは表に出られないから何を書いても本人は困らない。困るのはレミリアだけだ。
紅魔館から出てきた四人の妖精メイドが悪魔の儀式や見慣れぬ足跡、潰れた眼球を見て固まった。その奥にはまだ新しい死の気配が漂う。
「カアー。カアー。カアー」不安を煽るのはお手の物だ。妖精メイドごときなら五分、十分、本気になればいくらでも、釘付けにできる。
意を決した妖精メイドが四人固まって歩き出し、門で死体のような美鈴を見つけるとZUN帽が落ちないように気を配りながら運び出した。
嗅覚を研ぎ澄まし急いでゴキブリを捕獲し、美鈴に落とす。ゴキブリは美鈴の顔に落ちた後、妖精メイドに飛びかかった。四人が一つの金切り声を上げた。同時に妖精メイドの手々から美鈴が滑り落ちた。
美鈴が地面に接触する寸前に時が止まった。玄関の扉が開いたので慌てて屋根に戻り、体を静止させる。
咲夜が現れ、散々たる現場を確認した後美鈴を背負った。上空を見渡した咲夜と目があう。血走った目には殺意が露骨に表れていたが瞬き一つせずやり過ごす。所詮は人間、本気も死ぬ気も妖怪には通じない。咲夜がゴキブリを握りつぶし粉にしてから時を動かすと妖精メイドを睨みつけ怒鳴り、平手を二発ずつ食らわせ玄関へ歩き出した。涙を堪えた妖精メイドがばらけて咲夜に続いた。誰もいなくなってから声を上げて笑う。
それからしばらくしてパチュリーが現れ、悪魔を呼ぶ儀式を丁寧に中断させた。
この辺で見切りをつけ、山へ飛ぶ。体が元に戻ったらすぐに制作に取り掛かれるようにしたい。今の調子なら間違いなく傑作が書ける。
山まであとわずかというところで寒気を感じる。羽ばたくたびに羽毛が抜け落ち、禿げた部分からは腕が見える。冷たい風に鳥肌が立つ。ああ、異変が解決したのだ。
全身から羽毛が抜けていく。見慣れた体を取り戻すのは嬉しくもあったが裸であることに気がついて慌てる。
急ぐ文に反逆するかのように腹痛が発生し、更には張りだすと妊婦と見まごうばかりに大きくなる。雀だ。あれは妖怪で、腹の中で元に戻っているのだ。ということは空も向こうで爆竹蛙になっているのだろうか。哀れ守矢神社。
肉の千切れる感覚がする。骨と爪が肉を裂くと膨張する肉が裂け目を強引に通過し亀裂が広がる。死ぬほどに痛い。さっき馬鹿にした美鈴と同じ境遇に陥ることがどうでもよくなるくらいに痛い。なにせ死ぬほどに痛い。
骨が外気に晒される。それは文の骨でも雀の小骨でもある。どす黒い血が腹を伝う。骨肉には黒斑がびっしりと浮かび上がっている。汚染血液による脳への害を嫌い瞬時に首を刎ね手に持つ。死ぬほど痛いがどうにか耐える。腹から漏れた肉の湯気すら黒ずんでいる。腹を親として黒斑が子を散らすように全身に広がる。中途半端に消化されて黒く濁ったどろどろの眼球が恨みがましい視線を向けながら落ちる。ぶつ切りの下半身が重力に抗いきれなくなるが地面に到達する前に空中分解してしまい骨さえも残らない。黒斑の増殖が上半身で激しく続く。胸の膨らみが無くなって窪む。元は何かだった何かが流れる。首から粘度の高いヘドロのようなものが吹き出る。飛翔限界が近い。
感覚がつながっていたらという恐怖をさっきの目の持ち主がぶち壊す。クソミスティア・クソローレライ。文がクソクソを憎む理由。この問題は単純なだけに恐ろしく根が深い。
金玉眼球の残飯顔の糞出入口の肥溜め声の黴肌の腋腐れの下衆臭の性病福袋の一寸茶筒の無駄小骨が。クソが何か悪いもの食った。違う。クソ食ったせいだ。寝床漁りの靴底舐めの汚泥食いの小便飲みの精液啜りの尻穴吸いの獣姦狂いの淫水被りの垢纏いが。ああああああ。あの、あの、脳に膿の湧いた腐脳腑膿不能の畜生が。あああああああああああ。
いつまでも首を持っていたら意味が無い。首を山に投げると反動で腕が折れる。排水口生まれのどぶ育ちの便所住まいのマンホール潜みの最下水の掬いようのない混じりっけなしの分離不可能の無分別の処理限界の産業廃棄物のゴミクズに対する怒りが底なしに湧いてくる。ああああああああああああああああ。
回る視界。「首。受け取れ」厳格なる山を見る。どこまでも黒い羽毛を見る。風化する右腕を見る。文が起こしたのではない風の音を耳にする。首から抜けていく生命の匂いを嗅ぎとる。何となく人生を振り返る。生涯全障害の脳空洞の白痴餓鬼の蛆床の母糞への罵倒が思い浮かぶ。首の疼きは止まらない。だんだん気が遠くなる。
椛は飛んでくる文の首を千里眼で察知していたし声も聞いたが飛んできた首を受け止めるよう義務付ける規則は無かったので無視した。しかし落ちた首は山の戒律に従い運ばなければならない。その仕事をこなせば白狼天狗としての格は一つ上がるはずだった。
文の首をいざ目の前にすると椛の胸の内に文の首をかち割りたいという殺意が浮かんだ。椛がその殺意をどうにか抑えこむと次に文の首を踏み潰したいという欲求が現れた。椛がその欲求をなんとか封じこむと次に文の首を狼の餌にしてやりたいという衝動が生じた。椛がその衝動をやっとのことで消し去ると次に文の首を鉢にして盆栽を育てたいという願望が生まれた。椛がその願望を実現ぎりぎりで雲散させると次に文の首を盃に生まれ変わらせるというアイデアを閃いた。椛がそのアイデアを実行直前で霧消させると次に文の首を見なかったことするという策を思いついた。
余談だがこの異変で霧雨魔理沙が死んだ。死因は不明。彼女の訃報はどの新聞にも載らず、悲しみの涙を流す者は誰もいなかった。
ただ屍姦マニアの山さん(88)だけが「全く惜しくない人を失くした」と腰を振りながら愉悦の涙を流した。
ただの屍
- 作品情報
- 作品集:
- 8
- 投稿日時:
- 2013/09/19 11:49:47
- 更新日時:
- 2013/09/19 20:49:47
- 評価:
- 5/5
- POINT:
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- 分類
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その渦中にいた報道関係者の物語、堪能いたしました。
何かが起き、見た物は語る口を持たず、結局何も見なかった事にされた。
普通の魔法使いは、不可逆的に、ゴミクズに成り果てたか……。