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『二重思考の殺人』 作者: 嘯

二重思考の殺人

作品集: 8 投稿日時: 2013/09/22 14:30:39 更新日時: 2013/09/22 23:30:39 評価: 3/3 POINT: 300 Rate: 16.25
 男がいる。
 年齢は50代、身長は172cm、体重は58kg、痩せぎすで神経質に歩幅を35cmずつ刻んでいる。
 髪は短く、髭は丁寧に剃られている。この年齢でそのような格好をしていられるということは身近に気を遣ってくれる相手がいるということ、つまりは妻帯者だ。
 服こそありふれた紺地の着流しだけれど、靴が違う。
 縫い方は雑把だが私にはわかる。靴紐の結び方が外から来た人間に特有のものだ。外来人。
 瞼は厚ぼったく睡眠不足がうかがえる。
 肌の荒れ具合はそれ以外にもストレスがあることの証拠。いや、睡眠不足の原因がそのストレス?
 体重のかけ方からして袂に入れてある物をやたらと大事にしている。
 財布だろう。しかし、重さがあるようにも大きさがあるようにも見えない。紙のお金が流通しにくいこの辺りで、薄くて軽い財布を大事にする理由なんてのは基本的にあるはずがない。
 ならば大事にする理由は“心”に由来するものだ。
 もう少し踏み込んで“見る”。



 財布の中には写真が入っている。家族のものだ。問題なのは「こっちの」家族じゃないってこと。
 男は外来人で、この程度の年なら結婚して当たり前、子供もある程度の年で当たり前。その妻子を残して幻想郷に迷い込んだが、たまたま地上と交流のない旧地獄に出たのが運の尽き、博麗の巫女に送り返してもらうツテも見つけられずに永住することと相成った。
 男が最初に頼った女は情が深いが気が多い、おまけに尻が極楽鳥の羽より軽いとくれば、行く当てもなくずるずるべったに転がり込んだ男と言えどもしばらくして後悔が募ることだろう。
 最初の一年は何もなかった。
 何もなかったというのは男の主観で、記憶を覗く限りでは上手く尻尾をつかませなかったってところだろう。
 次の一年で大っぴらに女は出かけはじめ、次の一年で別の男と“自分の”家で会い始めた。そうだ、自分の家だ。“男の”家じゃない。
 ヒモをやっていようと、気持ちってものがないわけじゃない。女を抱くたびに元の妻が浮かんだが、それはそれ、これはこれ。
 女は自分のものだっていう気持ちと、自分が口出しできるようなことじゃないという気持ち。子供を愛する気持ち/元の世界に帰りたい気持ち/こちらで暮らしていくしかないという気持ち/何だかんだで女を頼らなければ生きていけないと自覚する気持ち/結局は女をどうしようもなく愛している気持ち/何故俺を捨てたという気持ち/本当は捨てずに気が向いた時だけ寝室に呼びつけられる/売笑婦になった気分/惨めさ/気持ちいい/セックス/気持ちいい。気持ちいい!/駄目だ/俺は/そんなんじゃない/オマンコを舐めさせてもらえる/認めない/嘘/正当化の必要性/死ねばいいのに/俺が?/違う/殺せばいい/別の男を/俺だけのものに/違う/また別の男を捕まえるだけ/女/“俺だけのもの”にする/正当化/“俺のもの”を取り返すだけ/俺のオマンコ/好きなだけ舐められる/違う!/俺はそんなんじゃない!/こっちでは/幻想郷では指紋を取る技術もない/DNA鑑定も/物取りの犯行に見せかけるだけ/ついでの殺し/そう、ついで/あの女、小金を溜め込んでるのは知ってるんだ/俺がしばらく遊んで暮らせるほどの/オマンコ/ついで!/違う!/誰にもバレない。

 まず、逢引する予定の男に偽の手紙を持たせる。すり替えるのは簡単だ、一緒に暮らしてるんだから。筆跡を真似るのだってな。
 女は会うはずだった時間と場所に男がいないから仕方なく帰ってくる。家に。“俺たちの”家に! 
 その前に家を散らかしておく必要がある。箪笥を全部ひっくり返しておく。文机の中身も全部だ。
 金は天井裏から床下へ移し替える(別の男がその隠し場所を知っている/俺がそのことを知らないとでも思ったか/“俺の”金だ!)。
 で、女を監視できる居酒屋で時間をつぶす。アリバイ工作だ。こっちの奴らはそんな言葉も知るまい。女が帰るころになると俺は近道をして飛んで帰る。女より先に。
 戸の陰で俺/私はじっと待つ。
 返り血を浴びてもいいように全裸だ。
 乳首が痛いくらいに勃っている。

 戸が開いた瞬間、女に猿轡を噛ませて中に引き込む。手早く、しかし音を立てて隣人の気を引かないように戸を閉める。かんぬきをかける余裕はない。
 土間の段差に肉がぶつかる重い音がしたが、気にせず引きずる。
 囲炉裏端に女の身体を投げ出すが、逃げることまでは許さない。髪をつかんでこっちを向かせる。
 うるんだ瞳/恐怖/困惑/そうだ、俺/私を見ろ!
 元々この辺りで殺すことに決めていたので、手の届く範囲に匕首が置いてある、はずだったが、自分で思ったより少し遠くにあった。
 仕方がないので重心を気持ちちょい右に動かすと、恐ろしい敏捷さで女は抵抗を始めた。
 前腕の内側と鎖骨の辺りにひっかき傷ができる。
 けれど、痛みはスパイスだ。これから起こる残酷の調味料。

 子宮を取り出している途中、さすがに匕首が鉄棒と変わりなく感じられてきたので、台所に包丁を取りに行くことにした。
 ふと、包丁を手にしたまま脇にあった水瓶を覗いてみた。
 そこに映った“私”は嗤っていた。
「な、これ」
 声のした方を見ると、かんぬきをかけていなかったせいで“男”が入ってきたところだった。
 馬鹿な“私”、馬鹿な“男”。
 面倒になる前に男の喉を「たまたま」手にしていた包丁で切り裂いた。



 女を殺した後には元々血やにおいを洗い落とすつもりだったので、ちょうどよく沸いた風呂に入りながら私は後悔する。
 またやってしまった。
 人の心は深淵に似ている。それを覗くということは深淵に“私”を覗きこまれるということだ。
 私たち、さとりは誰よりもそのことを知っている。そのはずなのに。
 姉と違って私は“読む”ことより“見る”ことに長けている。
 姉曰く、「共感性に優れているが、客観性に欠ける」とのことだ。「カウンセラーになってはいけない」とも。
 私もそう思う。姉は一歩引いて心のにおいを嗅ぐことができるが、私はとりあえず口にしてしまうということなのだろう。
 つまりは強い他人の思考に引っ張られて行動がついて行ってしまうことがあるのだ。
 同じように見て聞いて感じるように心に触れると、自他の境界を容易く見失ってしまう。
 風呂から上がって服を着ようとすると、腕と首の辺りにちくりと刺すような痛みが走った。
 女につけられた傷だ。これをつけられたのは“私”であり、“男”だ。同じ心を持って同じように感じていたはずなのだから。
 さて、のんびりもしていられない。誰に見られていないとも限らないのだから。

   *

 程よく古ぼけた洋館には私の靴音がよく響く。
 肉球によって実際の音が殺されてはいるが、私にとっては彼女の心がうるさくすら聞こえる。
「お燐、お姉ちゃんはどこ?」
「自室です。また殺しましたね」
 背後に姿勢よく座る黒猫が言葉を発した。わざわざ音に出さなくても聞こえるのにそうするのは、私がそれを望んでいるから。よく出来た子だと褒めてあげたいが、今抱きしめるわけにもいかない。
「何でわかったの?」
 馬鹿馬鹿しい答え合わせ。でも、私にはこれが必要なのだ。自分の“線”を見失わないために。
「血のにおいがします」
「お風呂に入ったのだけれど」
「“あなたの”血のにおいです」
「あら、そういえば怪我をしていたのね」
 返事はなかった。
 お燐の心が遠ざかっていくのが、主の抜け出たベッドが急速に熱を失うかのように感覚された。

「お姉ちゃん、ただいま」
「あなたに何度も“読み方”を教えるこっちの身にもなりなさい」
「今日はね、散歩していたら綺麗な鉱石を見つけたのよ。赤く透き通ってるの!」
「“転写(トレース)”というか、“乗っ取られ(ジャック)”というか…何にしろ厄介なことだわ」
「持って帰ろうとしたんだけど、そろそろ部屋に置き場がなくなってきたから我慢したのよね…偉いでしょ?」
「取り出した内蔵は、ああ、元の位置に戻してきたのね。賢明だわ、本当に」
「でも、疑似太陽の光はあんまり好きじゃないな。お花が咲くようになったのは嬉しいけど、石の色が鈍って見えるもの」
「その男も馬鹿よね、逢引相手の男が家の方に押しかけてくるかもしれないってことを考えたら、絶対にかんぬきはかけてしかるべきだったのに。ああ、お茶っ葉はそっちじゃないわ。何回言っても覚えないのね」
「それでね、鉱石の表面に現れる曼荼羅は、夢の肝臓を開いて飛び出すカエルの大仏なのよ!」
「匕首が遠く感じられたのは“心”が男のものだったせいで“身体”の自己認識にズレが生じたせいね。本来ならそこで気付いて殺すのを中止してもよかったはずよ。反省しなさい」
「破れたふすまから卵を割る猩々は、ナナフシを集めては木星へと逃がす賽の目を呑んだ貴婦人の落花生と半熟卵のスピーカーであることは中道を往く女衒にも似てるでしょう? だから、饅頭を首に供える百合の球根はハニカム構造を溶かしては誘う印刷技術の革命なのよ! これは防火水槽に沈む羅針盤を抱いて踊る胎児の概念を照らすビキニに繋がるわ! 螺旋階段! 石焼き芋!」
「怪我の手当はちゃんとしときなさいね。ばい菌が入ったら大変なんだから」
「…お姉ちゃん、私の話聞く気ないでしょ」
「聞いてるわよ。聞いてるからお説教してるの」
 さとり同士の会話なんてこんなものだ。本当だったら音声化する必要もない、最適化された意志疎通。
 私に言わせれば、食事をしないで点滴で生きているようなものだけどね。

   *

 しばらくして、私は読心能力の一切を捨てる。
 姉は私が何故そんなことをしたのかがわからなくて、そしていつでも何を考えているのかがわからなくなってとても困っている。
 悪いとは思うけれど、そんな風に心配してくれる姉の姿を見るのは嬉しい。
 それに、昔はできなかった会話ができる。
 どんなにそれが素敵なことか、姉に伝えるにはもっともっとの言葉が必要になるだろう。
作品情報
作品集:
8
投稿日時:
2013/09/22 14:30:39
更新日時:
2013/09/22 23:30:39
評価:
3/3
POINT:
300
Rate:
16.25
分類
こいし
さとり
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POINT
1. 100 NutsIn先任曹長 ■2013/09/23 00:15:21
猟奇殺人鬼の思考/嗜好。
考えは『誰か』の物。好みは『自分』の物。
楽しい楽しい鬼ごっこ。
貴方の『鬼』を上手に真似っこ。
上手に演じても、あなたは褒めてくれない。
ちょっと残念。

ごっこ遊びをやめた私は大人になった。
心ではなく、会話での意思疎通。
気軽さと理解力が欠如したのが欠点。
2. 100 ギョウヘルインニ ■2013/09/23 20:37:57
50過ぎてお盛んな男
若いころはもっと凄かったんだろうな。
3. 100 名無し ■2013/09/23 23:52:35
三月のこいしちゃん
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