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『姫の戯れV』 作者: んh
鬼人正邪は暗い穴の底にいた。体の痛みは増すばかり。背中や腕は大きく擦りむけ、足首はみるみる腫れてきた。かといって助けは呼べない。じっと耐えるのみだ。
踏んだり蹴ったりとはこのことだなと、彼女は舌打ちした。途中までは完璧だった。小人族をたぶらかし、打ち出の小槌の魔力で下克上を果たす――何もかも上手くいったと思っていた。小槌が放出した魔力を回収するまでは。
魔力の消失は事態を一変させた。配下に収めた弱小妖怪や人間は皆正気に戻り、残ったといえば自我を得た付喪神くらい。誰一人味方はいなかった。正邪は結局、巫女の討伐を恐れ身を隠すより他なかったのだ。
だがいくら焦っていたとはいえ、ここ迷いの竹林については熟知していたはずだ。妖怪兎が至る所に罠を張り巡らせてることも。それがこのざまである。無様でならなかった。
満月が綺麗な夜だった。正邪のいる穴底にも月の光は降り注ぐ。月は妖怪たちに力を与えてくれる。しばらくすれば妖力も回復し、動けるようになるだろう。
だから正邪は月が嫌いだった。遙か頭上から分け隔てなく慈悲を振りまく――天邪鬼としてこれ以上いけ好かぬ存在もない。
「あら、誰かいるの?」
女の声だ。助けを乞いたくても、天邪鬼のプライドがそれを許さない。うつむく正邪。上からの手は、そんな彼女の心情などお構いなしに伸びてくる。
「ごめんなさいね、またうちのイナバが……ほら、捕まって――」
頭のところまで来た救いの手を、正邪は思い切り引っ張ってやった。声を上げる間もなく穴底へ転がり落ちてくる救いの手。正邪は憐れな新客に向かって、
「へへっ、ざまぁみろ。私なんざ助けようとするからだよ、ばーか!」
と舌を突き出してやった。女は最初何が起こったかと目を白黒させていたが、正邪の言葉に状況を理解したらしい。突如大声を上げて笑い始めた。それはそれは楽しそうに。あまりの笑いぷりに正邪は口をつぐんでしまう。
「ふふっ、貴女面白いわね、こんなことされたの初めてよ」
やけに髪の長い女だった。身なりは惨めの一言、服はほとんど焼け焦げ原型をとどめていない。なのに、正邪は歯を剥き出しにして笑う女から目を離せずにいた。それはあまりにもまばゆく、完璧なまでの美しさをまとった少女だったからである。
*
「姫様、お帰りなさいませ」
門をくぐると、妖怪兎たちが次々と声をかけてくる。無論それは正邪にではなく、目の前を歩く女に向けられたものだ。ひどい格好をしていたくせに、どうやら支配者側に属する存在だったらしい。正邪は誘いを振り切れなかったことを早くも後悔していた。
「おかえりなさ……ってまた派手にやらかしましたねぇ姫様。今お師匠様が湯浴みの支度してます」
と言いながら出迎えに現れた妖怪兎は、正邪にも見覚えがあった。名は確か因幡てゐ。この竹林に住まう兎を統べるリーダーと聞いたことがある。つまり彼女も支配者層の妖怪だ。そんなてゐに対し、女は「ありがと、イナバ」と優雅に返す。
「……姫様、どうしたんですかい、その妖怪」
主人を迎え入れたところで、てゐはようやく正邪の存在に気づいたらしい。訝しげに一瞥される。歓迎されぬのは承知の上としても、腹の立つ対応であることには変わりなかった。
「ああこの子?」髪の長い女は快活に答えた。「帰り際落とし穴にはまってたのを見つけたの。せっかくだから手当でもしてあげようと思ってね。どうせ貴女たちがしかけた罠なんでしょ?」
「そう言いましてもねぇ……天邪鬼なんざ助けたって何にもいいことありませんよ」
「そう? 結構面白いわよこの子」
「ちっ、黙って聞いてりゃ好き放題言いやがって……」
と、正邪は無意識に吐き捨てていた。自分を飛び越えて交わされる支配者どもの会話に、どうにも我慢ならなかったのだ。きょとんとするてゐと女。正邪は今までの鬱憤をぶつけるかのようにまくしたてた。
「何が助けてあげるだ、けっ。貴様ら支配者層のせいで我らが今までどれだけ悲惨な目にあってきたか、想像できるのか? ただ強者に踏みにじられるだけの弱者の気持ちが!? はっ、どうせ気に留めたことすらないだろうなぁ。だからそんな甘っちょいことが言えるんだ。
いいか、私はな、お前らみたいなのがだいっ嫌いなんだよ。ぺっ、誰が情けなんざ受けるか。いいかよおく覚えとけ。下克上だ。必ずこんな世界ひっくり返してやる。強者が力に任せて作った今の幻想郷などな!!」
一転、沈黙が三者を包んだ。てゐは聞く価値すらないと思ったのか、見向きもしない。それは正しい反応だろう。今の正邪が何を言おうと、負け惜しみにすらならない。だがどうしようもなくムカムカしたのも事実だった。更に当たり散らそうとした、その時――
「ねぇイナバ、手当が済んだらその子を客間に通してあげて?」
やけに明るい声がそれを遮った。正邪が振り返ると、そこには満月のような笑みを浮かべた姫がいた。
「今のお話、もっと聞いてみたいの。だから、いいでしょ」
甘えるような口ぶり。てゐはしばし間を置いてから「構いませんけど……」と言葉を濁した。女はにっこり微笑むと、弾むような足取りで屋敷の奥へと入っていった。
状況が理解できずにいた正邪は、そのままてゐに引っぱられ、別方向へと連れて行かれる。荒っぽいやり方にまた文句を垂れるも、兎はこちらを見ようともしない。ただ一言、「余計なことを言ったもんだよ」という呟きが、かろうじて聞こえただけだった。
*
治療を受けた正邪が通されたのは、たいそう広々とした客間であった。この屋敷――永遠亭というそうだ――は、どうやら外目で見るよりずっと広い造りらしい。
布団より柔らかな座布団の上で待つよう言われた正邪は、気後れする心を必死に奮い立たせながら、姫の到着を待った。ここで下手に出ては舐められるだけ、それは天邪鬼として好まざるところであった。
「ごめんなさいね」
さほど待たせるでもなく、湯浴みを終えた女が戻ってきた。身なりは先程のボロ雑巾とは一変、絢爛華麗な衣装が、持ち主の美しさを一層引き立てていた。
横には従者が一人いた。背の高い、鋭利な面立ちをした銀髪の女であった。正邪のような存在をしても、ひと目で相当の実力者であることが分かるくらい、その居ずまいからは才気というものが迸っていた。
「改めまして、ようこそ永遠亭へ。私は蓬莱山輝夜、こっちは八意永琳よ」
と、姫は簡潔に自己紹介をすませた。同じように名乗った正邪は、ことさら居丈高に口を切る。
「それで、私をこんなところに連れてきて何のつもりだ?」
「何のって、さっきのお話が面白かったからもっと聞いてみたいと思っただけよ。下克上、でしたっけ?」
「ふふん、そういうことか」正邪は腕を組むと、ふんぞり返りながら続けた。「まあお前らみたいな、のうのうとこの地で生きる人間風情にはピンとこない話だろうからな。いいだろう、この幻想郷で我らのような妖怪がいかなる屈辱に晒され続けてきたか、教えてやろう」
そして彼女はお決まりの法螺話を始めた。たとえ不釣り合いな場所に置かれても、いったん舌を動かせば後はいくらでも嘘が出てくるのが天邪鬼というものだ。さんざん誇張した屈辱の物語が佳境に入った頃には、正邪はすっかりいつもの調子を取り戻していた。
「――と、まあこういうわけだ。お前らもこんな場所で妖怪兎を引き従えて暮らしているご身分だ。どうせ自分たちは支配者側だと思っているのだろう。
だがな、幻想郷の人間など、所詮妖怪を生き長らえさせるためだけにいる存在、言ってしまえば飼育小屋の豚と変わらないのさ。私の目指す弱者が物を言える幻想郷が実現すれば、被支配者である人間どもにとってもより生きやすい世界になるだろう」
気づけばお喋りに熱中していたようだ。説教がましく言葉を結んだ正邪は、どうだと言わんばかりに相手へ視線を送った。
「素晴らしいわ」
輝夜の返答は、惜しみない拍手だった。感極まったようにまくし立てる。
「恥ずかしながらね、私、屋敷で人目を忍ぶように生きてきたものだから、幻想郷のことよく知らなかったのだけど……今の説明で合点がいったわ。いえね、実は私達も前に妖怪からひどい屈辱を浴びせられたことがあったの。正に貴女が言った通り」
と、輝夜は横の永琳に目配せする。間を置かず正邪の方へ向き直り、
「貴女の目指す下克上、本当に立派な志だと思う。もし宜しければ私も仲間に加えて下さらないかしら。お手伝いできることがあれば何でもするわ」
と相好を崩した。うっとりするような笑顔だった。
降って湧いた申し出に、正邪は眉をひそめた。違うだろうと思ったのだ。普通こういう話を聞けば、疑うのが自然だ。こいつは何を言っているのだ、気が狂っているではないか、それとも騙そうとしているのか――と。
実際、正邪は相手のそういう反応を見るのが大好きだった。不信の情を向けられることほど、天邪鬼の心を満たすものはないのである。
なのに輝夜は逆だった。正邪の話を手放しで賞賛し、あまつさえ協力したいと言い出す始末。それは驚きというより、不快でさえあった。
そんな天邪鬼の不機嫌を、輝夜は敏に感じ取ったらしい。申し訳なさそうな様子で、「信じてもらえないかしら?」と問うてきた。そしてむくれ面の正邪に、しずしずと近づくと、
「でも仕方ないわよね。貴女にとって私は、所詮土地と勢力を持つ支配者側の人間。何を言おうと不審に思われるのは当然のこと」
「いや……そうじゃなくてだな」
「ああそうだ、じゃあこうしない?」輝夜はぽんと手を合わせると、無邪気に顔を寄せ、「私達の立場を入れ替えてみるの。貴女がこの永遠亭の主で、私は下僕。ちょっとした『下克上』の予行演習みたいなものよ。どう? 悪い話じゃないでしょ。私も本気で仲間になりたいんだって証明できるしね」
と言って、いきなり頭を畳につけた。「お願い致します正邪様」と、恭しく付け足しながら。
正邪はすっかり途方に暮れてしまう。この輝夜という女が一体をしたいのか、さっぱり分からなかったのだ。改めて相手をまじまじと見つめる。自分に傅き、下僕になりたいと願い出る絶世の美少女がそこにいた。
正邪の胸が自然と高ぶる。美しいものが、完璧なものが自分に平伏している――悪くないなと思った。それは天邪鬼にとって、この上なく魅力的な光景に映ったのだ。
*
正邪が永遠亭の主となってから、一週間が経った。
最初はあった違和感も、日が経つにつれ自然と薄らいでいった。暮らしぶりも悪くない。衣食住に困らない生活を送るのは、彼女にとって得難い機会だった。かつては幻想郷の最底辺で、その日食うものに汲々とする毎日を送っていたのだから。
かと言って、彼女の心が満ち足りていたかといえば、そうでもなかったのだが。
「おい、酒がないぞ輝夜」
「申し訳ございません正邪様、ただちに」
今日も正邪は奥まった当主の部屋で横柄に寛いでいた。身にまとっているのは輝夜の着物。その輝夜といえば、粗末な女中服をまとい、いそいそと主人の命を果たしに駆けていった。服の交換は主の交替を分かりやすく示すためと、輝夜自ら発案したものだった。
一人きりになった正邪は、肘掛けにもたれながら大きく息を吐いた。お下がりの召し物はぶかぶかで、どうにも着慣れない。
「正邪様、酒をお持ち致しました」
「ちっ……遅いぞ、使えんやつめ」
輝夜は「申し訳ございません」とまた頭を下げた。正邪は徳利とお猪口の乗った盆をむしるように奪うと、さっそく酒に口をつける。
「……おい、何だこれは?」
「如何致しましたでしょうか?」
「どうかもこうかもあるか! このクソが!!」
罵るが早いか、正邪は輝夜に向かってお猪口を投げつけた。残っていた酒が頭にかかり、沙紗のように滑らかな黒髪を伝う。
お猪口が飛んできた瞬間こそ身をよじった輝夜であったが、すぐさま平伏し謝罪の言葉を連呼しだした。正邪は憤然と立ち上がると、ぶかぶかの着物を引きずりながら輝夜に迫る。
「燗が温いと言ってるだろう! 何度言ったら分かるんだ貴様は!」
「申し訳ございません、直ちに入れなおして――」
「それはもう聞き飽きたんだよ、この役立たずが!」
と、正邪は輝夜の頭を踏みつけた。そのままぐりぐりと押し潰す。足裏を伝う髪はやはりきめ細かく、踏んでいるだけで心地よかった。
「本当に貴様は何をやらせても使い物にならんなぁ、ええ?」と、正邪は足の指で輝夜の顎をつまみ上げた。「そこらの妖精の方がまだマシな仕事をするぞ。どうした、もうお得意のごめんなさいは終わりか? 謝るだけなら猿でもできるんだよ。他にできることはないのか、ああ!?」
何度も口汚く罵る。頭を蹴る。なのに輝夜は一切抵抗しない。ひたすら自分の至らなさを詫び、正邪に許しを乞う。だがそれは根本的に間違っているのだ。なぜなら輝夜の仕事は万事に卒がなく、不満を抱く余地など皆無だったのだから。
意味もなく喚き散らしながら、次第に正邪は何故自分はこんなことをしているのだろうという思いに駆られるようになった。
最初は違った。所詮はごっこ遊び、ちょっとからかったり理不尽な命令を与えたりして、遊んでいただけだった。ただ輝夜が余りにも従順なので、だんだんとエスカレートしていった結果が、この状況なのだ。
「本当に……申し訳ございません」
怒るのに疲れた正邪が足を下ろすのに合わせて、輝夜はゆっくりと面を上げた。額を擦り傷で真っ赤に染めながら、その表情には一片の迷いも見られない。
「正邪様のお役に立つことが出来ず、本当にお詫びの言葉すら浮かびません……どうか、お願いします。わたくしめにもう一度挽回の機会を下さいませ。必ずや正邪様のご期待に応えられるようになってみせます。ですから、どうかご慈悲を……」
「黙れっ、黙れ黙れ!!」
正邪は輝夜の顔を思いきり蹴りあげた。華奢な体が部屋の隅まではじけ飛ぶ。長い黒髪がそんな少女を覆い包むように畳に広がった。正邪の心に一瞬、罪悪感めいたものが広がる。
身を起こした輝夜は、すぐさま正邪に向かって誠意を見せようとした。曇りない、完璧な美貌と所作でもって。正邪の胸に過ぎった罪悪感がたちまち憤激に塗りつぶされていく。
「脱げ」
吐き捨てるように、天邪鬼はただ一言命じた。輝夜はためらわない。すっくと立ち上がると、言われるまま服を脱ぎだす。
粗末な衣装がするりと畳の上へ。ずいぶん殴られたはずなのに、彼女の体には青痣一つなかった。ただただ白い、光る肌があるのみであった。
乳房の膨らみはまだ浅く、腰もさほどくびれてはいない。だがその未成熟な、少女と女の端境にある体は、ある種どんな女体よりも危うく、妖艶さに満ちていた。
輝夜はそのまま、主の前に立った。前を隠すでもなく堂々と。白い肌と黒い髪が、完璧な調和でもって正邪の前に迫る。天邪鬼は歯ぎしりした。
「股を開け」
やはり輝夜は躊躇を見せない。立ったまま、がに股に足を広げる。
「そのまま踊れ。腰をくねらせて、盛ってみせろ」
輝夜は腰を動かす。命ぜられるまま、上下、左右にみっともなく。無毛の恥丘が正邪の眼前に迫った。汚れを知らぬ、無垢な縦筋がそこにはあった。醜態を晒しながらもなお、輝夜の表情に屈辱の色は窺えない。正邪は目一杯の下卑た笑みで立ち向かおうとする。対峙はしばし無音のまま続いた。
「……次はどうすれば宜しいでしょうか」
黙りこくってしまった主を気遣ってか、輝夜はおずおずと尋ねた。正邪はようやく自分が目を反らしていたことに気づいた。
「……もういい。部屋を片付けておけ」
返事を待たず、正邪は自室から飛び出す。今は輝夜と顔を合わせていたくなかった。外の風でも浴びようと縁側まで来ると、背後から舌打ちが飛ぶ。
「邪魔よ」
声の主は、そのまま正邪にわざとぶつかるように廊下をすれちがった。小柄な天邪鬼はたたらを踏む。無礼極まる仕打ちに正邪は相手を睨み返す。
永遠亭の主役の交替に不満を漏らす妖怪兎はまだたくさんいた。その代表格と言えるのが彼女、鈴仙とかいう兎だ。どうやら荷物を運んでいたらしい。
その鈴仙は、新たな主の睥睨にも冷えた眼差しを送るのみ。いい機会だと、正邪は黒い笑みを浮かべる。いかにもプライドが高くていじめがいのありそうなこの兎に、彼女は早くから狙いをつけていたのである。
「何だその態度は。私は永遠亭の主だぞ? 身の程を弁えろ」
「はっ、くっだらない」
鈴仙はさっと踵を返した。相手にするのも時間の無駄ということか。正邪は「待て!」と相手の腕をつかむ。鈴仙は「触んな!」と腕を振りほどく。またも尻餅をつく正邪。いよいよつかみ合いかとなったところで、「はいはい待った待った」の声がかかった。
「何やってんの鈴仙。早く行かないとまたお師匠様が怒るよ」
「あ、ああそうね……」
てゐであった。鈴仙の肩をぐいと押さえた彼女は、そのままくるりと後ろに向かせると、ポンポンと背中を叩いて先へ進むよう促した。鈴仙も同僚の言葉に落ち着きを取り戻したのか、おとなしくその場を立ち去っていく。無論、新しい主には一つの言葉もなく。
取り残された正邪は、行き場を無くした憤りを晴らさんと、てゐを睨みつけた。睨まれた方は飄々としたもの。「こりゃすみませんでした"正邪様"」と、形だけ頭を下げた。
「ふん。そんなんで私を騙せると思ってるのか。バレバレなんだよ」
正邪もすかさずやり返す。鈴仙やてゐの前では自分らしくいられるなと、ふと気づいた。
「騙すなんて、別にそんなつもりはないんだけどねぇ」てゐの顔には、憐れむような冷笑が浮かんでいた。「私ゃただお前さんのことが可哀想でならなくてさ」
「可哀想だと? 何をふざけた――」
「あら、まだ気づいてなかったかい?」てゐはくくっと嘲笑った。「ま、じきに分かるさ。"あれ"がとんでもないバケモノだってことに。もっとも、気づいた頃にはもう遅いだろうがね」
そう言い残し、てゐはぴょんぴょんと廊下を駆けていった。
*
服を脱がせたあの日以降、輝夜に対する正邪の要求は完全に一線を越えてしまった。裸にするだけではまだ足りぬと、次の夜には自慰をさせ、あくる夜は徳利を性器や肛門に突き立て、それでも嫌がらぬのならばと自分の小便を飲ませ、ついにはそこらで捕まえてきた妖獣と交じらせもした。
もっとも、当の正邪がその営みを楽しんでいた訳ではない。むしろごく普通の性癖しか持ち合わせていない彼女にとって、行為が過激さを増せば増すほど、それは不快な時間でしかなかった。
要するに彼女が望んだのはもっと単純なやり取りだったのだ。理不尽な要求に困り果て、「やめて」と嫌がる相手の顔――それだけなのである。なのに輝夜は「正邪様のおっしゃることならば」と言わんばかりに、あらゆる命をつつがなくこなしてしまうのだ。
加えて正邪が許せなかったのは、どれだけの辱めを受けようと輝夜がその美しさを崩さなかったことだろう。彼女は決して穢れなかった。それが無性に正邪を苛立たせた。なんだか命じている自分の方が馬鹿にされている気分がしたのだ。
どうにかしてこの女を泣かせてやろう、そんなことできませんと言わせてやろうと、ムキになっていたのである。
「じゃあそれを食え」
今日もそんな無益な狂宴が続いていた。輝夜は四つん這いのまま、今しがた自分の尻からひり出した塊に舌を這わせる。
無論正邪にスカトロジーの気はない。だから部屋に充満する臭いは、ただただ酒を不味くする要素でしかなかった。輝夜は顔色一つ変えず自分の糞を口に含み、咀嚼していく。主に見えやすいようにと頬にかかる髪を持ち上げるしぐさは、うっとりするほどの気品を感じさせた。
「……もういい」
半分ほど食ったところで、見ていられなくなった正邪が告げた。輝夜は不思議そうに顔をもたげると、正座し次の命令を待った。向けられた眼差しには一点の曇りもなく、主に対する嫌悪感など微塵も窺えない。正邪は忌々しげに髪をかきむしり、酒を一息に煽った。
「――どいて下さい師匠、もう我慢なりません!!」
と、やにわに怒号が響いた。何事かと正邪が尋ねる間もなく、襖が跳ね開けられる。姿を見せたのは鈴仙だった。
「姫様、もういい加減に目を覚まして下さい!! なんでこんな奴なんかの言うことを!」
と、一瞬正邪の方を睨みつけた鈴仙は、羽織っていたブレザーを全裸の輝夜に被せた。掛けられた方は困惑したような表情を浮かべながら、
「イナバ、落ち着きなさい。正邪様に失礼でしょう?」
「まだそんなこと言って、本当にどうしちゃったんです姫様? 師匠だって見て見ぬふりだし……こんな、こんな酷いことさせられてるのに」
と、口にするのも憚られたのか、畳に残った食いかけの糞を見た鈴仙は、続けて正邪の方を向き、
「あんたが何をどうやったのかは知らないけど、絶対に許さない。ぶっ殺してやる!!」
あらん限りの憎悪を迸らせる。敵意に満ちた鈴仙の眼は、久しぶりに正邪の心をたぎらせた。同じように顔を歪ませると、
「ははっ! そうか、そんなに私が嫌いか? いいぞ。そうだ、それでいいんだ。それが見たかったんだよ! おい輝夜、こいつの服を剥け、お前がやったのと同じことをこいつにさせてやる!!」
「かしこまりました正邪様」
「いやっ、やめて下さい姫様、お願い正気に戻ってっ」
「ひゃははっ、そうだそうだ! もっと嫌がれ、抵抗しろ、泣き叫べ! 輝夜、足を押さえておくんだ!!」
輝夜は言われるまま鈴仙の足をつかみ、強引に股を開かせた。耳をつんざかんばかりに鳴り響く鈴仙の悲鳴と罵倒は、正邪の飢えをますます癒していく。
「死ねッ!! 必ず八つ裂きにしてやる! やめろ触るなッ! 私は月の兎だぞ、貴様みたいな下賎な妖怪なんぞが触っていい存在じゃないんだ! やめろぉッ!!」
「きひゃひゃっ、黙れ黙れ! 月だろうとなんだろうと知ったことか、お前は私の奴隷なんだよ! ほぉら、ケツの穴まで全部丸見えだそぉ? ひぁはっ、せっかくだからお前にも何かぶちこんでやろう。何がいい? 徳利か、一升瓶か? それとも拳か? そうだっ、さっきこいつがひり出した糞を塗ったくって――」
「やめぇろぉっ!!」
むちゃくちゃに振り乱していた足か何かが、顎に当たったらしい。馬鹿笑いだけ残し、正邪は部屋の隅までふっとばされる。輝夜は「大丈夫ですか」と主を目で追う。その隙に部屋から逃げ出そうとする鈴仙。正邪はそっくり返ったまま、金切り声で叫んだ。
「輝夜ぁッ、奴だ! 奴を――」
ひゅっと、風切り音が響いた。引き続いて水が噴き上がる音。鈴仙は、その時何が起こったのか分からなかったに違いない。呆気にとられたまま、音の出処に手を当てる。鮮血を撒き散らす自分の首へと。
「ぇ……な……」
それが今際の言葉であった。ふらふらと、血だまりに倒れこむ鈴仙。理由すら分からぬまま、彼女はあっさりと死んだ。自分を殺した輝夜の方を最期まで見つめながら。
だが、事態についていけなかったのは正邪も同じ。事切れる鈴仙の前にして、彼女は呆然と立ちすくむばかり。あふれ出た血が、足元まで流れてくる。「ひっ!」と思わず尻餅をついた。正邪は妖怪でありながら血の類が苦手であった。
ぴくぴくと痙攣を続ける死体。およそ正視に耐えず、正邪は目をそらす。視線の先には輝夜がいた。
「大変失礼を致しました。まさか正邪様のお顔を蹴るとは。全て私の指導の甘さ故にございます」
主の視線に気づいた輝夜は、粛々と頭を下げた。正邪はろれつの回らぬまま、
「ちが、そうじゃ、そうじゃないだろ? なっ、なんで殺しちゃうんだよ……私はただ――」
「主へのあのような蛮行、到底許されるものではありません。我らの悲願である下克上の実現には、同志に対ししっかりとした規律を示しておくことも必要です。これで反抗的な兎もおとなしくなりましょう。全ては正邪様の崇高なる理想を実現するためにございます」
「やめろっ!」叫ぶ正邪はもはや涙声だった。「違う……違うんだ、そういうんじゃないんだよ……私が欲しいのは――」
「ご要望がおありでしたら、何卒遠慮なく仰って下さい。私は正邪様の望むことであれば――」
「だからそうじゃないって言ってるだろ!!」
正邪の悲鳴。それでも輝夜の表情は変わらない。薄い、淑やかな笑み。主人の全てを受け入れるという意思表示。正邪の忍耐は限界に達しようとしていた。
「私はただ、嫌われたいんだよ……そう、もっと簡単なのでいいんだ。みんなに嫌がられたいだけ、困らせてやりたいだけ……違うんだよ……違う、お前みたいなのじゃないんだ……お前じゃ……」
止まらなかった。小柄な体を震わせ、頭を抱えてうずくまる姿に、主の威厳は微塵もない。そんな正邪を、輝夜は澄んだ瞳で見つめていた。さながら寄り添うように。この期に及んでも感情を露にすることなく。
正邪はさっぱり訳がわからなかった。これはただの「ごっこ遊び」だったはずだ。命を賭ける要素など一切なかったはずなのだ。だが鈴仙は殺された。虫けらのように。
「大変申し訳ございませんでした。私は正邪様のお考えを誤解していたようです。どうかお許し下さい」
平板な口ぶりで、輝夜はお決まりの謝罪を述べた。正邪の胸に吹き溜まっていた感情が、たちまち一点に収束する。目の前の女からは、もうおぞましさしか覚えなかった。
「もういい……お前の顔なんか二度と見たくない」
と、弱り切った口調で言い残した正邪は、ぶかぶかの着物を引きずりながら寝室へと逃げこんでいった。
*
正邪は布団の中で目を覚ました。
最悪の寝覚めだった。体はまったく動いてくれない。どうにか掛け布団をまくって、体を起こす。まだ朝日が昇ったばかりらしい。
眠った、という感覚はなかった。まどろみに入る度、鈴仙の首筋から鮮血が噴き上がる光景が瞼の裏に浮かぶのだ。そして「正邪様」という輝夜の優しい声が頭に響くのだ。その都度布団から跳ね起きてしまう。まともに眠れる訳がなかった。
終わりない煩悶の末、彼女は「自分は悪くない」という結論にたどり着いた。鈴仙を殺したのは輝夜、断じて自分が命じた訳ではない。全てはあの気違い女のせいであって、自分に一切の非はない――そんなふうに考えたのである。
「大丈夫、私のせいじゃない……私はなんにも悪くない……」
呪文のように呟きながら、正邪は着替えを始める。今は一刻でも早く、この永遠亭からおさらばしたかった。ぶかぶかの着物を脱ぎ捨て、元の服を身にまとう。あらかじめ宝物庫からくすねておいた金目の物を懐に突っ込むと、そそくさと襖を開けた。
「お、もうお目覚めで」
ぎくりと肩を震わす正邪。なんと間の悪いことか、廊下にはてゐがいた。
「おやまあその格好は……どうしたんですかい?」
ニヤリと笑うてゐ。小馬鹿にした態度に腹は立ったが、構っている暇もない。正邪は舌打ちだけ垂れて廊下を進む。妖怪兎は薄笑いを浮かべながら後に付いてきた。
廊下に二人の足音だけが響く。元より広く静かな屋敷であったが、今日はそれが顕著だった。生命感がまったくないのだ。正邪は歩を進めるごと不安に苛まれた。もうここから抜け出せないのではないか――そんな予感がよぎったのである。
角を曲がる。そこにはあの部屋がある。鈴仙が死んだあの宴会場が。一瞬足がすくんだ正邪に、てゐは「死体は片付けといたよ」と軽く告げた。顔をしかめる天邪鬼。まるでゴミの掃除をしておいたとでも言わんばかりの口ぶりだった。
「薄情者め……」
「そうかい?」てゐの物言いが変わることはない。「ま、確かにあの子とはなんだかんだで仲良くしてたからね。悲しくないわけじゃない。でももう無駄だよ。知り合いの死を悼むなんてさ」
気づけば玄関は目前だった。幸い輝夜はおろか、てゐ以外の誰とも出くわすことはなかった。正邪はてゐの方を振り向くと、圧し曲がった愛想笑いを作り、
「じゃ、じゃあ私はちょっと出かけてくるからさ……連中にはよろしく言っといてくれよ」
くすねておいた宝物の一つをてゐに握らせた。ぎゅっと手を握り、「分かるだろ?」と念押しする。てゐも賄賂とは予想外だったのだろう。しばしきょとんと正邪を見ていたが、やがてくすりと一つ笑い、
「逃げたきゃ逃げるがいいさ。お好きにどうぞ、"正邪様"」
と、宝物を懐へ収めた。にっと頷く正邪。一目散に駆けていく。この玄関をくぐれば、何もかも終わりだ。もう輝夜の顔を見ることもない。前と同じ生活が待っている――正邪は戸を開け、外へと飛び出た。
「え……?」
歓喜の一歩から一転、足が止まる正邪。焦がれていた風景は、そこになかった。鬱蒼と茂る竹林も、彼女が疎んだ幻想郷も。代わりにあったのは一面の焦土と、夥しい数の兎たち、そして鈍く輝く兵器の一団であった。
「正邪様ではございませんか」
茫然自失の天邪鬼を、あの恭しい声が叩き起こした。途端に身をすくませる正邪。振り返った先には、珠のように微笑む輝夜が立っていた。
「こんなにお早い時間にお目覚めとは……失礼致しました、もう少ししてからお迎えに参ろうと思っていたのですが」
「ぁ、こ……な……」
「ああ、これですか?」顔を引きつらせる正邪に、輝夜はにっこりと答えた。「お見苦しいところを見せてしまい申し訳ございません。何とか朝のうちに支度を全て整えておきたかったのですが。永琳、首尾はどうなっているのかしら?」
「大体は終わっているのだけど……あの子はまだ?」
「依姫ならもうじき戻ってきますわ。ほら、噂をすれば」
永琳と会話していたのは、正邪の見知らぬ女だった。大きな帽子を手で抑え、上空を指さす。そこには腰に刀を差した、別の女がいた。これもまた、正邪には見覚えのない女である。どうやら誰かを捕まえに行っていたらしい。手には縄で縛られた妖怪の姿があった。
「お帰り。貴女にしては時間がかかったじゃない」
「申し訳ありません八意様、どうにも逃げ足が速いもので……少々手こずってしまいました」
と、戻ってきた女は気恥ずかしそうに俯いた。大きな帽子の女は「あらあら」と笑っている。それだけ見ればのどかな光景だ。足元に転がる傷だらけの妖怪を除けば。
「一体どういうつもりよ……!」
と、転がされていた妖怪が忌々しげに吐き捨てた。あまりの剣幕に思わず肩をびくつかせる正邪。その一喝のみで、妖怪としての格の差を思い知るには十分であった。
「うーん」帽子の女は半笑いで答える。「悪いけど私もよく知らないのよ。八意様から急に来てほしいって言われただけで」
「私は姫に頼まれたの」
役所仕事のようなやり取りだった。責任の所在は次々と丸投げされ、一同は自然と輝夜を注視した。だが当の彼女はその視線には応えない。代わりに向かったのは主の前。そう、場違いに立ち尽くしていた天邪鬼の前だった。
「皆様、改めてご紹介致します」輝夜は一同に向かって高らかに宣言する。「こちらにおわす方こそ鬼人正邪様。新しく生まれ変わる幻想郷を統べる王にございます。此度の件は全て正邪様の崇高なる理想を実現せんがために行ったこと」
そして正邪は場の中央へと案内される。もはや逃げ出すこともできなかった。そんな考えなどたやすく打ち砕くほどの凄みが、場を覆っていた。
「紹介致しますね」と、輝夜は正邪に優しく語りかける。「この二人は綿月豊姫と綿月依姫。月の高官です。永琳の書状を受け、正邪様のために月の軍隊を連れ馳せ参じて下さったんですの」
輝夜の紹介に合わせて、帽子の女――豊姫は「どうも」と正邪に笑顔を振りまいた。もう一方の依姫は一瞥すらくれなかったけれど。
「つ、月……?」
「ええ。実は私、元々月の民なのです。この永琳もそうでして、この綿月姉妹は彼女の元教え子なのです。なので流罪となった今でも、この二人には多少顔が利きましてね」
途方もない話を続ける輝夜の横で、正邪は鈴仙のことを思い出していた。そういえばあの兎、自分のことを「月の兎」と言っていた。無論ああいう状況だ、真面目に受け取ってはいなかった。だが、あれは嘘ではなかったのだ。それ以外に、眼の前に広がる光景を説明する方法がなかった。
正邪はそろそろと顔を動かす。目で輝夜に問いかける。輝夜はおもむろに傅き、「正邪様」と物々しく口を切った。
「私は、愚かでした。全てを主君のために捧げたつもりでありながら、その主君であらせられる正邪様のお考えを何一つ理解していなかったのですから。
昨夜は悩みました。あれほど辛く、長い夜はありませんでした。一体どうすればいいのか……しかし結局たどり着いたのは一つしかありませんでした。正邪様のため、何でもいい、自分にできることをしようと」
輝夜はいったん話を切ると、立ち上がり、変わり果てた幻想郷に向かって誇らしげに手を広げてみせた。
「正邪様仰ってましたよね、自分はただ皆を困らせてやりたいのだと。ご覧下さい。そしてどうかお受け取り下さいませ。この混沌に満ちた世界こそが、私が正邪様に対して示しうる、精一杯の誠意でございます」
「そんな、そんなことのためにこれだけのことをしたっていうの!?」
絶叫は足元から。縛られ転がされていたあの妖怪だった。顔をもたげ、輝夜をぐいと睨みつける。その強烈な眼光に、正邪は「ひぃっ!」と輝夜の袖に身を隠してしまった。
「お前らもそうだ」と、妖怪は豊姫たちにも怒りをぶつける。「なんでこんな下らないことで降りてくるんだ。おかしいだろう、そんな簡単に――」
「別に、簡単な司法取引をしたまでですわ」
と、豊姫は笑いながら師に目配せした。永琳は目配せを受けて説明を引き継ぐ。
「今の月の上層部は臆病者ばかりだからね。幻想郷の現体制の崩壊と、月面戦争首謀者の首を餌にすれば、月の軍隊を引っ張ってくるくらい造作もないこと。あいつらともう関わりたくなかったから、やりたくなかったんだけどね。まあ、姫がどうしてもって言うから」
「月夜見様も喜んで出撃を許可してくださいましたわ。お二人の処遇に関しましても、制圧した地上の監督をして頂くという形をとれば、月としても大義名分が立ちますしね。お二人を処刑することはそもそも出来ないのですから」
と、扇子の裏で笑う豊姫。彼女たちの会話に、無論正邪がついていけるはずもない。袖にしがみついたまま、呆然とやり取りを見ていた彼女を、また輝夜の声が揺り起こす。
「さあ正邪様、こちらをご覧下さいませ」と、顎で差した先にいたのはあの哀れな妖怪。「八雲紫です。生け捕りにさせました。正邪様の目指す下克上を知らしめるため、これ以上ない贄と考えまして」
輝夜の発した「八雲紫」という単語に、正邪はようやくこの妖怪の正体を知った。名前だけは聞いたことがあったのだ。この幻想郷に結界を張り巡らした、境界の妖怪の名だけは。
とは言え顔を合わせるのは初めて。もちろん倒してやろうと思ったこと一度たりとてない。正邪の掲げた「下克上」とは、所詮その程度の話だったのである。
輝夜がとうとうと喋る間も、紫はこの世のものとは思えぬ形相で月の民たちを睨みつけていた。その迫力に、正邪は下を向いて震えるだけ。どうしてこんな場違いな所に自分がいなければならないのか――さっきから頭に浮かぶのはそればかりだった。
「その目は何かしら?」輝夜は紫を見下ろした。「さ、早く詫びなさい。土下座して謝るの。私は今まで弱者の方々に思いを馳せることなく、数々の無礼を働いてきました。今後は幻想郷の全ての権限を正邪様に譲渡し、自分たちは甘んじて奴隷となります、ってね」
「ふざ、けるな……こんなこと、龍神様が許すわけが」
「龍神というのは、これかしら」
と、不意に割って入ったのは依姫。手にあった物を放り投げる。首だけとなった、龍の亡骸を。切断面から吹き出す血に、正邪はまた「ひぃっ!」と無様な声を上げる。
「ここに下りて来る途中ちょろちょろうるさかったから、殺しちゃった」と、扇子の裏で笑ったのは豊姫。
「大した手間ではありませんでしたけどね」依姫は淡々と説明するだけ。「一応この地の最高神と聞いていましたから、こちらも名うての軍神を1000ほど下ろして迎え撃ったのですが、ものの五分とかかりませんでした。少々過大評価していたようです」
最後の希望を踏みにじられた時、全ての力が抜け落ちてしまうのは大妖怪とて変わらないらしい。龍神の生首を前に、紫はあまりに惨めであった。よろよろと両手をつき、それでも体を支えきれなかったのか、肘をついて、額までも地につけた。
小刻みに体を戦慄かせながら、しばし絶望に打ち震えていたかつての幻想郷の守護者は、やがて顔を上げ、月の民に向かって絞りだすように言った。
「お願い……私はどうなってもいい……だから、この世界だけには手を出さないで……お願ぃ……」
「私に言われても困るわ」輝夜は首をすくめた。「これは正邪様のご指示のもとに行ったことなのだから。慈悲を乞いたいのならこの方に直接してみることね」
ここに至っても、輝夜は決して己の立ち位置を変えようとしない。それが建前にもなっていないのは、正邪自身とっくに理解しているのに。
紫も当然分かっていただろう。だが彼女にはもはや保つべき体面も外聞もなかった。再び頭を地面に擦り付ける、歯をカチカチと打ち鳴らす音が、正邪の耳にまで届いた。
「どうか、どうかお願いします正邪様……今まで私は、貴女がたに対し数々の非礼を働いてきました。その責は全て私が負います。だから、だからどうかこの世界を壊さないで下さい……」
絞りだすような謝罪だった。その時正邪は、この八雲紫という妖怪が、幻想郷に対してどれだけ深い思いを抱いているかを知った。自分の「下克上」とは比較にならぬ覚悟がそこにあることを。
「でもねぇ、こんな言葉くらいじゃ到底許すことなんか出来ませんよねぇ、正邪様」
そして、そんな紫の思いに一片の価値も見出さない女が、正邪の隣にはいた。輝夜は軽く合図を送る。すぐさま一匹の化猫が連れて来られた。彼女もまた正邪と同じく、この凄惨な空気に押しつぶされそうな顔をしていた。
「正邪様」輝夜は笑顔で化猫の紹介を始めた。「この憐れな猫ちゃんは、八雲紫の式神の式神です。この女は式と称しては無力な獣や妖怪を道具としてこき使い続けてきました。許されないことでしょう?」
震える式神――橙に、豊姫が近づく。そして持っていた銃を握らせた。
「さ、これであの女を撃っちゃいましょう」
「そっ、そんな……紫様に、そんなことできま――」
「でも貴女や、貴女のご主人様はこの女から散々ひどい目に合わされてきたんでしょ? 貴女なんか名字すらもらえなかったじゃない。いいのよ、もういいの。なんにも気にしなくていい。今までの恨みを晴らしちゃいましょう?」
豊姫はあくまで優しく誘惑する。それでも橙は主人を裏切ろうとはしなかった。しくしくと泣き腫らしながら、できません、恨みなんかありませんと子供のように駄々をこねるだけ。
「正邪様、今日は暑いですわね」
と、唐突に脈絡のないことを呟いたのは輝夜。懐から扇子を取り出し、見せつけるように開く。ずっと式の式を泣きそうな顔で見つめていた紫が、その扇子を見た瞬間、
「やめてっ!!」
血相を変えて叫んだ。正邪も橙も、彼女が突然見せた動揺が理解できない。輝夜は扇子を手の中で弄びながら、
「正邪様、仰いで差し上げますね」
「やめてお願いっ おね……橙、早く撃ちなさいッ!!」
「ぇ、そ、紫さ――」
「早く、早く撃ってッ!! お願い早――」
音はなかった。正邪にとってただ風が頬をそよいだだけだった。呆然と横を見る紫。他の月の民も同じ方向を見ていた。人里があった方角だった。正邪も遅れて首を回す。そして彼女も見た。その方角に存在した物全てが、チリとなって消えていくところを。
「ぁ……ぁ、ぁ……ああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁッ!!!」
紫の慟哭。化猫も自責の念に駆られたのか、同じように泣きだした。「紫様ごめんなさい」と壊れたように繰り返しながら。正邪はへなへなとその場に崩れ落ちる。そんな主の隣で、輝夜は変わらず笑っていた。
「如何でしたか正邪様。この扇子、あらゆるものを素粒子レベルにまで分解できるのです。月の兵器の一つですわ。ただご安心を。人間はたいして死んでいないはずです。殺しは正邪様の意に背くことですものね」
「さ、橙ちゃんも泣かないで?」
猫を慰める、豊姫の甘い囁き。一方の橙は銃を持っているのさえやっと。どうにか構えようとするも、指が震えて引き金に入らない。
「橙、撃ちなさい……早く撃つのよ」
「ひっぐ……できなぃ……できません……やだぁ……」
「撃つの、撃ちなさい、早くやって」
「無理……そんな、もうやらぁ……」
「早く撃てって言ってるのが分からないのッ!! 撃つのっ、殺すのよ!!」
「橙ちゃん、そんなにこの女を撃つのが嫌だ?」豊姫はわんわん泣く橙の耳元に囁きかけた。「だったら橙ちゃんのご主人様を撃ってみましょうか」
「ひっ、やら、ダメ、藍様は」
「私たちはどっちでも構わないの。貴女が決めて。どっちを撃ちたい?」
駆け引きは続いた。一方から殺せ殺せと言われ、もう一方からは甘い毒を注ぎ込まれる橙。無慈悲な選択を迫られ続ける。えずき、涙は止まらなかった。正邪はもう見ていられなかった。これから起きるであろう出来事を見届ける覚悟も強さも、彼女にはなかったのである。
うずくまり、耳を塞いで目をつむった。そして目を覚ました時と同じ言葉を口の中で唱え続けた。「私は悪くない、私は悪くないんだ」と。
だが、どれだけ目を背けようと現実は目の前で動いている。どれだけしっかり耳を塞ごうと声は聞こえてくる。
紫は橙を口汚く罵り始めた。「この無能め」「役立たず」「藍とは大違いだ」「だから嫌だったんだ」と。そうやって少しでも撃ちやすくしてあげようとしたのだろう。罪悪感を残さないようにと。
それでも橙は撃てない。いや、もしかしたらそんな紫の心持ちが分かるからこそ撃てなかったのかもしれない。
長いやり取りだった。紫も次第に声が出なくなっていた。静かになったことで、正邪は馬鹿げた期待をした。これまでのことは全部夢で、今自分は目覚めかけているのではないかと。そろそろと目を開ける。と、正にその時、
「ぅ、ぅ、うわあぁぁぁぁぁぁぁっッ!!」
唐突だった。咆哮と軽い発砲音。そして銃が滑り落ちる音が続いた。また悲鳴をあげる正邪。咄嗟に逃げようとしたが、腰が抜けて動けなかった。
「ごめ、ごめんなさいぃぃ……ゆかりさまぁぁ……」
崩れ落ちる橙。正邪は見る。見たくないのに目蓋が下りなかった。紫は生きていた。腹に小さな穴が開いただけ。「どうして?」と言わんばかりの顔で月の民たちを仰ぎ見ている。
「それ、人間たちが使ってる銃よ。貴女なら大した痛みもないでしょ?」
答えたのは豊姫だった。続いて輝夜、紫の前へと迫り、身をかがめて顔を寄せる。ひどく愉しそうな様子であった。
「さっきも言ったでしょう? 正邪様はね、人が死ぬところを見るのがお好きではないの。だから殺さないでおいてあげる。貴女には最後まで見せてあげるわ。何よりも愛した幻想郷がズタズタにされていくところを、余すところなく全てね」
有無を言わさず引っ立てられていく紫。輝夜は踵を返し、「さ、戻りましょうか正邪様」と主に微笑みかける。
正邪はようやく気づいた。彼女の穏やかな笑みは、主人の全てを受け入れるという意思表示ではなかったのだと。輝夜は正邪など見ていなかった。いや、それもおそらくは正確な言い方ではないだろう。彼女は最初から何も見ていなかった。あの澄んだ瞳が意味していたのは、目に映るもの全てに対する根本的な無関心だったのである。
*
その後も正邪は永遠亭の、いや幻想郷の支配者として君臨し続けた。
輝夜の言っていた通り、月の民は幻想郷の妖怪たちをほとんど殺さぬままにしておいたらしい。彼らを生かしておいたのは、理想を完遂させるためだった。毎夜のように各勢力を連れ出しては、正邪の前で「下克上」の実演をさせたのである。
ある日は吸血鬼を的にして、メイドたちにナイフ投げ大会をやらせた。丸腰の天魔と武器を持たせた大天狗で殺し合いをさせ、生き残った方がより強い武器を持った鴉天狗と、以下鼻高天狗、山伏天狗、白狼天狗、河童と、順番に戦わせていく祭もあった。寺の尼公の肉を少しづつそぎ落とし、弟子の妖怪たちに喰わせる催しもあれば、妖精や雑魚妖怪をかき集め、「巫女に復讐する会」と称して博麗の巫女を原型が留めなくなるまで殴らせる遊びをやったりもした。
反応も様々だった。橙のように泣いて拒む者もいれば、主への忠心を捨てずに自ら死を選ぶ者、逆に進んで上に謀反を立てる者も。だが、見ている正邪にとっては全てどうでもいいことだった。彼女はちゃんと分かっていた。これが結局「より強い者が、弱い者に対して強い者を倒すことを強制する」催しであり、下克上でもなんでもないことを。
見たくないものを毎日見せられる生活を続けるうち、正邪は心を閉ざすようになった。そうすることで自己を守ろうとしたのだ。それでも尚、打ち消せない感情があった。輝夜に対する恐怖心だ。それはむしろ膨らむ一方だった。
最初正邪は、輝夜は幻想郷の妖怪たちを憎んでいるのだと思っていた。彼らに対する怨みを晴らすために、自分を人形として利用しているのだと。
だが曲りなりに輝夜のそばで過ごすうち、その考えは間違いであったと気づいた。この女は誰も憎んでいなかった。それどころかいくつかの勢力とは友好的な関係を築いてさえもいた。
にもかかわらず輝夜が幻想郷を潰したのは、他でもない、正邪のためであった。全てはあの下らない遊び、「下克上ごっこ」のためだけ。分不相応な責任を負わされ、その重みに耐えきれず壊れていく主に、甲斐甲斐しくつき従う健気な従者――そんな役になりきる遊びがしたかっただけなのだ。
そのことに気づいた時、正邪は芯から震えた。いつだかてゐが呟いた、「バケモノ」という言葉の意味がようやく分かったのである。
正邪が目を覚ましたのは、まだ日が明けるかどうかという時分であった。最近はずっとこんな生活だ。食欲がないから腹も減らないし、ろくに寝つけない。そもそも今昼なのか夜なのか、自分が起きているのか眠っているのか、それすらあやふやなのだ。
亡霊のように起き上がる。幸いまだ輝夜は顔を見せていない。束の間、心の休まる時間だ。安堵の息を漏らすと、涙が止めどなく溢れてきた。
「おやおや、もうお目覚めですかい」
襖の開く音。正邪はびくりと全身を震わす。てゐはそんな天邪鬼に苦笑を漏らすと、「おはようございます"正邪様"」と頭を下げた。
妖怪兎の皮肉にも、正邪に言い返す気力はない。ぼんやりと相手を一度見て、また下を向く。てゐは笑いながら、
「情けないねぇ。もうどうにもなりやしないんだ。早いとこ受け入れちまえばいいのにさ。いっそあの姫様と一緒に愉しんでみたらどうだい? お前さんが望んでた世界と、見ようによっちゃそう変わんないだろ」
「ちがっ、違うぅ……私は何も知らなっ、関係ない! 私のせいじゃない、私が悪いんじゃない……私じゃない……」
頭を抱えながら、いつものように呻く正邪。てゐは嘆息しながら主の寝間着を脱がし、着物に着替えさせる。
「そういや昔誰かがこんなことを言ってたね。世界が変わってほしくないと一番思っているのは、その世界に文句垂れるのを生業としてる三流の革命家だって。正にお前さんにピッタリの言葉だ。他人から嫌われるのが存在理由。だから自分を嫌ってくれる"まとも"な世界がないと生きていられない。そう、敵に依存しなきゃ自我を保つことさえできやしない。いやはや、哀れだねぇ」
「殺して……くれ」
てゐは正邪の髪を梳き始めた。鏡に映った天邪鬼は涙をポロポロ流している。
「お願い……もう、無理だよ……死なせて……お願い、殺して……殺してよぉ……」
と、てゐにすがりつく正邪。最近口から出るのは「死なせて」の言葉ばかり。一種の発作だ。だからてゐもまともには取り合おうとはしない。
だが今日の正邪はしつこかった。理由はない。言うならばただの気まぐれ。明確な理由に基づいた理性的な振る舞いなど、彼女にはもう不可能であった。
すすり泣きながら、正邪は「殺して」と繰り返す。終いには暴れ出す始末。てゐもいよいよ匙を投げたらしい。しがみつく天邪鬼を乱暴に振りほどくと、
「そんなに死にたきゃ自分で死にな」
と、懐に潜めてあった小刀を放った。硬い音を立てて、畳に転がる銀の刃。てゐが去り、部屋には刀と天邪鬼だけが残される。
見つめ合う。とても綺麗だった。キラキラしていて、よく切れそうだ。首に刺せば、あっという間に終わるだろう。この苦しみから解放されるだろう。正邪は震える手で掴み、首筋に刃を当てる。だがそれ以上は進まない。いくら押し込もうとしても、まるで逆方向から引っぱられているかのように刀は動いてくれないのだ。
呼吸だけが荒くなる。興奮し過ぎたのか、頭がくらくらする。汗が首筋から滴り、切っ先を伝う。それでも正邪は幕を下ろせなかった。よろよろと、刀を置く。もう一度、落ち着いて、覚悟を決めて――そう自分に言い聞かせながら。
「失礼致します正邪様」
襖越しに突然の呼びかけ。正邪はようやく時間をかけ過ぎたことに気づいた。咄嗟に脇差しを枕元へ隠すと、ひっくり返った声で返事する。たちまち襖が開き、あの澄んだ笑顔が現れた。
「おはようございます」
輝夜は晴ればれと告げた。音も立てず、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった正邪の前に平伏す。天邪鬼の全身が、また否応もなく震え出す。
「お食事の支度が整いましたので、すぐにお持ち致します。今宵の宴には、地底にいた覚妖怪と、そのペットを招く予定になっております。どのような趣向に致しましょうか?」
嬉々として「下克上」の案を口にし始める輝夜。そんなものは見たくないと、正邪は言いたかった。でも出来なかった。それくらい輝夜が恐かった。
正邪は悔いる。なぜあんな話に乗ってしまったのだろう。こんなバケモノの暇潰しに付き合ってしまったのだろうと。
そして怒る。そもそも全部この女が悪いのだと。こいつがあの時落とし穴の底にいた自分を見つけなければ、自分なんかを助けようとしなければ、手当なんかしなければこんなことにはならなかった。自分の法螺話を聞きたいなんて言い出さなければ、こんな目には合わなかった。なのに、なのに……そうだ、全てこいつが悪いのだ――
そこまで思い至れば、後は体が勝手に動いた。
「如何ですか正邪様、この中でお気に召した催しは――」
「貴様のせいだァッッ!!」
次の瞬間には、刃は輝夜の首深くまで突き刺さっていた。それでも足りぬと、正邪は忌まわしい女に向かって刃物を振るい続ける。
「貴様だッ、貴様がッ、貴様さえいなきゃ、全部貴様が悪いんだッッ!! 貴様のせいでッ、貴様が、貴様がァッ、死ねぇッ、死ねッ、死ね死ねしねッ、しねぇぇぇぇッッ!!」
めった刺しであった。正邪がかろうじて我を取り戻した頃には、ろくに原型をとどめていない肉塊と、真っ赤に染まった部屋が広がっているだけ。地獄でももう少しましな風景だろうと思えた。正邪はそれこそ本物の鬼のような形相で、血みどろの刃を自分の喉元に向ける。
「フゥーッ、フゥーッ、フゥーッ、フゥーッ、フゥーッ、フゥーッ、フゥーッ、フゥーッ」
目を血走らせ、刃物を持つ手に力を込める。それでも、やはり動かない。どうしても死に切れない。当然であった。これまでずっと「自分は悪くない、悪いのは全部輝夜だ」と言い聞かせることで自己を保ってきたのだ。その輝夜が死んだ今、正邪には自殺する理由などなかった。
刀が零れ落ちる。突っ伏し、むせび泣く。おうおうと、獣のような声を上げて。
「正邪様、大丈夫ですか」
聞こえるはずのない声だった。聞こえてはならないはずの声だった。正邪は信じようとした。おかしいのは自分だと。今のは幻聴に過ぎないのだと。顔を上げる。透明な笑顔が立っていた。
「そう言えばまだお伝えしてませんでした。私、不死身なのです。決して死ぬことも老いることもありません。ですから、いつまでも、いつまでも正邪様のおそばにお仕えできますの」
「ぁ、ぁっ……ぃ……ぃゃ……」
正邪は後ずさる。体がまともに動かない。血池を芋虫のように這いずるだけ。
「私を殺したかったのであれば、遠慮無く仰って下さればよかったのに。あらゆる死に様をご覧に入れてみせましょう。次はどんな殺し方がいいですか。何でも仰って下さい。正邪様のためであれば、私はどんなことでも致します」
輝夜がゆっくりと近づいてくる。正邪は転がっていた刀にすがりついた。もはやためらいはなかった。喉仏を貫き、一気に心臓まで引き下ろす。真の恐怖から逃れるために。
*
死とはなんと呆気ないものだろうか――死の淵に意識を沈ませながら、正邪はそんなことを考えていた。
本当に一瞬であった。今までの苦しみ、恐怖と比べればほんの些細なこと。一体何をだらだらと迷っていたのかと、彼女は自分の愚かさを笑いたくなった。
もちろんこれで終わりとはいかない。閻魔様の裁きが待っている。これだけのことをしでかしたのだ。きっと重い罰が下るに違いない。だとしても、輝夜と永遠を過ごすくらいなら無間地獄に堕ちた方がずっとましだと、正邪は思えた。
鈍い感覚が溶けていく。意識に少しずつ光が差していく。彼岸に着いたのか、それとも三途の川か。何でも良かった。ようやくこれで解放されるのだから――
「――正邪様、正邪様」
聞こえたのは、あの声だった。
「如何ですか、お具合は?」
真白い天井。薬品の匂い。ベッド。そして透明な笑顔。そこは地獄であった。
「驚きましたわ。突然自害なさるものだから。でもご安心下さい。うちの永琳にかかれば、あの程度の傷を治すのは容易いこと。たとえ髪の毛一本しか残っていなくとも、正邪様を元通りにできますわ」
正邪はようやく理解した。逃げ場など初めからなかったのだと。自分はこの下僕が飽きるまで、遊びに付き合わなければならないのだと。
輝夜は傅き、愉しそうに言った。
「さあ正邪様、どうぞなんなりとご命令を」
凝りもせず第3弾でした。
もっと早く書くつもりだったのですが、雷鼓ちゃんが強すぎたり咲夜Bが弱すぎたり体験版の時に思いついた影狼×輝夜にしようか迷ったり咲夜Bのボムが弱すぎたりクッキーババアに捕まったり咲夜Bが弱すぎたりしたので遅くなりました。
11/26コメント及び評価ありがとうございました
>曹長さん
「芋粥」ってどんな話だっけと一瞬思ってしまった無学さ
正邪慣れるといいですね。頑張れ小物
>2さん
相変わらずと言ってくださると嬉しいです
>5さん
そう言って頂けて光栄です
正邪はいじめられる素質を持ってそうなので、もっと増えて欲しいですね
>6さん
姫様は何度書いても迫れないなあと思います。
こうなった時の紫くらい、想像して楽しい子はいませんよね
んh
http://twitter.com/sakamata53
- 作品情報
- 作品集:
- 8
- 投稿日時:
- 2013/09/26 10:17:36
- 更新日時:
- 2013/11/26 00:58:02
- 評価:
- 5/7
- POINT:
- 560
- Rate:
- 14.63
- 分類
- 正邪
- 輝夜
- てゐ
- 11/26コメント返し
今回は、古典『芋粥』をグゥレイテストにしたようなお話ですねぇ♪
願いの叶った正邪は、目出度く幻想郷の支配者(地獄の虜囚・姫様の玩具)となったのでした☆
正邪ちゃんいじめはいいものだ
同じお話のゆかりん・霊夢視点も読んでみたいです
ゆかりんの心を折るくだりにゾクゾクしました
たまに見返したくなるぐらい好き