互いの幸せを願ったから

注意、このお話は東方projectの二次創作です。
　　　オリ設定が存在します。





毘沙門天の代理寅丸星と毘沙門天の遣いナズーリン。
幻想郷には様々な主従が存在するが、彼女達の仲が良い事は周知の事実だ。
それもその筈、彼女達はお互いに思念伝達(テレパシー)が出来るのだ。

“星に呼ばれた際には寺に居る”というナズーリンの記事。
それを見れば疑問に思う者もいるだろう。
いつ？ どこで？ 誰が？ どうやって？ 手段は？ 急ぎの用件だった場合は？
書状や動物による伝達が一つ考えられる。
しかし、ナズーリンという少女は宝探しが趣味だ。
一つの場所に留まらない彼女にその様な伝達手段を使う意味が無い。

疑問からそういった憶測が生まれた。
疑問に思った場合は本人に聞いてみるのが一番だ。
寅丸星に聞いた所、あっさりと教えてくれた。
憶測は正しかったようだ。

〜〜〜〜〜

命蓮寺の本尊にして聖白蓮に次ぐ高位の僧、そして毘沙門天の代理。
寅丸星はいつもの威厳を示す服装を今日は着ていなかった。
炎を模した冠、赤のワンピース状の上着、背負っている羽衣、寅柄の腰巻。
薄布の半襦袢や白衣といえる服装に襷を掛け、袖を汚さない様にしている。
室内着の非常に楽な服装だ。

財宝神である毘沙門天、その代理がお札に文字を書き、住職の聖が魔力を封入する。
これ程、効果が期待できそうな縁起の良い物も、そうそうお目に掛かれないだろう。
その為、今日も彼女は書き物に追われている。
期限までの余裕はあり、日々の進行状況も順調そのものであるが、心には何か釈然としないものがあった。
その正体はすぐに解る。 いつも傍にいる人物が居ないからだ。
人によっては特定の人物が傍に居るだけで力が増す者もいるだろう。
星はそういった類の人物であった。 すぐにいつも通り思念を送る。

[ナズーリン、ナズーリン、聞こえますか？]

返事はすぐに来る。 今まで喧嘩中であろうと一度だって来なかった事はない。
恋する女学生の様に期待して返事を待った。
所が数十秒、数分と時間が経っても返事が来る気配がない。
仲間内に感情的な彼女でも、怒りより先に疑問が浮かび上がる。

｢何か用事の途中なのでしょうか？｣

無理矢理自分に言い聞かせる様に呟いた。
返事が無いのであれば、手を止めている暇は無い。
少し休憩を取った後に作業に戻って行く。
だが、作業は目に見えて遅くなり、お札の書き間違いも増えていく。

｢あっ……少しですが余裕もあるし今日はこれ位にしておきましょう｣

今まで一度も返事が無い事は無かった。
その事が妙に気になる。 先程自分に言い聞かせた様に用事の最中であると淡い期待をしてみた。
だが、もしかしたら二度と返って来ないのではないかという、最悪の答えが頭にちらつき振り払う事が出来ない。

思い返せば彼女には迷惑をかけてばかりであった。
今回の事もそうだと思いこむ。 いくら主人であろうとも唐突に何度も呼び出せば嫌に決まっている。
一度沈んだ気分は早々に晴れる事はなく、日中は何となく気分が悪いままであった。



夜

辺りは暗闇に覆われている。 星の寝室も同じく暗い。
外には朧げながら月が出ている。 その為、障子越しに僅かながら外の様子が見て取れた。
相も変わらず、虫の音色が響いている。
千年近く生きていても季節の移り変わりは否応なしに実感させられるのだ。
虫の音色は夏のそれから秋に変わっていた。

昼の事もあり、彼女に眠気は無く、起きたままの頭は同じ事を考えていた。
無言で自身に都合の良い事を言い聞かせても、最後に弾き出す解はやはり同じである。

｢私が迷惑ばかりかけていたから？｣

薄手の布団を頭から被り、無理矢理にでも眠ろうとした。

その時、部屋に近づく足音が聞こえ始める。
他者に迷惑をかけない様に足音を極力消そうとしていた。
耳を畳に付けていた為に、体重の軽い者が歩いていると、すぐに感じた。

自分に都合の良い考えが沸き起こる。
自分の大好きな部下が、いや、いなくなった愛しの従者が戻って来た。
その考えを止める事は出来なかった。

足音はやや早足で一歩、また一歩と近づいて来る。
障子越しに姿が映る。姿は彼女の考えた通りの人物であった。
丸い耳に長い尻尾。 歩く度に胸元のペンデュラムが跳ねていた。
ゴトと膝の着く音がする。 動かない様は一呼吸置いていると見受けられる。

｢ご主人様、夜分遅くにすみません。 入ります｣
｢……ど、どうぞ｣

内側から、戸に掛ける手が止まった様に見えた。 夜遅くに起きていたので驚いたのであろう。
先程と同じく一呼吸の間があり、その後に戸が開かれた。
現れた者は彼女の思い描いた通りの人物ナズーリンであった。
月明かりの逆光の中、赤い虹彩だけが浮かんでいる。

昼に自分を見捨てたと思った愛しの従者が帰って来てくれた事に星の目に涙が浮かぶ。
その様子に気付いたか気付かずか、上半身を起こした彼女の脇に座ると、バツが悪そうな表情をした。

｢その……昼は返事も出来ず、すみませんでし……おわっ｣
｢いえ、戻って来てくれて、ありがとうナズーリン｣

何故、礼を言われたのか理解が出来ないナズーリンであったが、急に気恥ずかしくなり軽く頬を掻く。

星は星で抱きついたまま浮かべた涙をこぼしていた。
離したくは無かった。 離せば今度こそ何処かへ行ってしまうのでは、と感じた。
その悪い考えも、次の言葉にかき消された。
まるで、考えている事が理解されている様であった。

｢ご主人様、唐突で悪いが明後日の朝まで泊めてくれないか？｣

言葉を聞き、抱き締めていた体を離す。 潤んだ目のままで真っ直ぐに目を合わせた。
明らかな泣き顔であるが、薄暗い事が幸いしている。

｢ほ、本当ですか？ 泊まっていってくれるのですか？｣
｢ああ、最近探し物が多くて疲れてな……気晴らしに寺の手伝いでもしようと思ってね｣
｢で、では、疲れているでしょうし背中でも流しましょうか？｣
｢ご主人様、そんなに畏まらないでくれ、返事をしなかった事は本当にすまなく思っている｣

そうは言いながらも、ナズーリンは星の指に指を絡めていく。
言葉とは裏腹に一緒に風呂に入りたい様だ。手を引くと何の抵抗も無く、立ち上がる。
お互いが誘い誘うままに風呂場に到着し、互いが互いに衣服を脱がしていく。
その日はそれ以上の事は無い。 ナズーリンが疲れていると思った星の気遣いだ。

風呂場でお互いに体を流し合った二人は、同じ寝床で横になっていた。
見ている先は同じ天井。 隣り合わせの布団の境には互いの手が重ねられている。

｢ナズーリン｣
｢何だ？｣
｢貴女が傍に居るだけで、落ち着きます｣
｢そうか……昼は申し訳なかった｣
｢でも、貴女は私の元に戻ってくれた。 これ以上嬉しい事はないです｣

星の声が僅かに震えていた。 如何に嬉しかったか姿が見えずとも聞き取れた。
ナズーリンは謝らなかった。 ここ迄で何度口にしたか思い出せない。
彼女は重ねていた手を握った。 愛しの星の手を握った。

｢私はもう、この手を離さない｣
｢私もです。 お休みなさい｣
｢ああ……｣

〜〜〜〜〜

次の日の朝は、二人そろって起きるのが遅かった。
星は安心から、ナズーリンは疲れていたからであろう。
遅いと言っても、日の出の時間だ。 朝食の時間に起きた訳だから一般人よりも余程早い。

起きるのが普段ならば更に遅い者も居る。
誰が遅くて誰が早いかなど、今更誰が気にしようか。

｢おいおい、二人とも漸くの起床か？｣

遅い者筆頭のぬえは偶々早く起きて食卓に来ていた。
その為、この時とばかりに自分より遅い者を茶化していた。

｢こりゃ、ぬえ。 普段、お主が一番遅い癖に何を言うとるか｣

ははは、と軽く笑いながら食卓に着く二人を余所にマミゾウはぬえに突っかかっていた。
彼女も茶化された為、その事が何となく気に入らないのだ。
そうこうしながらも、自由な雰囲気の朝食は続いていた。
楽しげな雰囲気は全員が揃っているからこそであった。

聖を筆頭に一輪、村紗、雲山、ぬえ、小傘、響子、マミゾウ、こころ、こいし。そして星とナズーリン。

それぞれが笑い合い、話し合い、静かな雰囲気である寺には似つかわしくなかった。
だが、皆の表情に緊張はなく、楽しげな表情を見て誰が止めようと思うか。
内輪の食事会の中、聖はナズーリンの姿を見て不可思議さを感じる。
皆とは対称的に真剣な顔でナズーリンを見据え、目を離す事は少なかった。

食事が終わり、各々が席を離れていく。
当然、星とナズーリンも部屋へ戻ろうとしていた。

｢星｣

聖に呼び止められた星は振り向き、いつも通りに挨拶をした。
すぐに何かしら話されると思っていたが、何か歯切れが悪い。
人払いをしたいのかと、星とナズーリンは同時に考えついた。

｢ナズーリン。 先に部屋へ戻って下さい｣
｢ご主人様。 先に部屋へ戻ります｣

同時に言われた言葉に次いでナズーリンが歩いていく。
板張りの廊下が小さく音を上げた。 軽いであろう彼女が何歩か歩き、角を曲がって姿が見えなくなる。
その段になり、漸く聖が口を開けた。

｢どうしたんですか？ 聖らしくないですよ？｣
｢星、教えて下さい。 あの子はナズーリンですよね？｣

星は聖が何を言っているのか理解が出来なかった。
誰がどう見ようとも、あの姿を間違える筈がないからだ。
だが、聖の悲痛とも憤怒ともとれる表情は、冗談を言っているとは到底思えなかった。
ただ、純粋に問うていたのだ。

｢ええ、あれは私の部下にして、毘沙門天の遣いのナズーリンです｣
｢そうですか……｣

聖は息を吐いて、肩の力を抜いた。
敵だと認識していた者が敵でないと分かり、緊張がほぐれたようだ。

｢一体何を感じたのか教えてくれませんか？｣
｢あの子の感じが、何となく禍々しく感じました。 ハッキリとした事は解りません。 しかし、多くの感情が黒く入り乱れている感じがします｣

聖の言葉に、まったく動じる事は無かった。
彼女の知っているナズーリンは最悪の結果になるまで逃げださない事はない。
本物であろうと偽物であろうと、星は最も信頼する者が豹変するとは思えなかった。

｢聖、忠告ありがとうございます。 ですが、問題はないでしょう｣
｢そうですか……何も無いと良いのですが……｣

心配する聖を余所に星は愛しのナズーリンの居る部屋に揚揚と戻って行った。

〜〜〜〜〜

先に部屋に戻るよう言われたナズーリンは星の部屋に戻っていた。
朝の爽やかな空気を感じ、日の出から少し経ったとはいえ、強い日差しは彼女の眠気を飛ばさせた。
冷たい廊下に足を着く度に冷たさを感じるが、それも部屋までの辛抱だと我慢する事にした。

｢下履きを履いておけば良かったな｣

と、その時である。 彼女の頭に見た事も無い体験が思い起こされた。
一瞬の映像がコマ送りの様に思い起こされる。
最初は数十秒間隔、その感覚も段々と短くなっていった。

心拍は早くなり、頭痛もする。 吐き気も堪えていた。
頭を抱え、朦朧とし始めた意識の中で何とか部屋まで辿り着く。
障子を閉める余裕も無く、部屋に転がり込むと隅に座り込んだ。

既に思い起こされる映像もコマ送りではなく、動画になっている。
恐怖からか奥歯は噛み合わずガチガチと鳴り、体は寒気を堪える様にガタガタと震えていた。

｢何だこれは？ 私はこんな体験をした事が無いぞ。 うう、気持ち悪い｣

言葉に出したのは、理解の及ばない事であったからと同時に我が身に蛮行が及んだ事を認めたくなかったからだ。
勿論、記憶にない事を認めろと言うのが、そもそも無理な話だ。
耳の奥に脈音を聞き、それに合わせて彼女の脳が内側から叩かれている様であった。

〜〜〜〜〜

何だここは？ 一体私は何をされた？
ん？ 動けない。 固縛されているのか。
誰か来た。 すまないが、これを外してくれないか？
勿論、それに対する見返りは支払おう財宝ならいくらでも……。
おい、何とか言ったらどうだ？

待て、その注射器で何をする気だ？ やめろ、やめろ、やめ……痛っ。
消毒位しろよ、バイキンが入ったらどうす……かっ、はっ。
か、体が熱い……頭も目も何もかも、何をした。

電動工具……あ、あ、あ……。
や、やめて、下さい。 あ、足を切ら……ぎゃぁあああああっ！！！
いいい、ひゃぁぁぁぁぁぁああああ！！！
気持ち良い！！ やめ、やめないで……きゃああああああああ！！！

はぁ、はぁ、はぁ。 い、痛くないってどういう事だ。
くっ、余韻が……。 血も出てない。

もうやめろ。 気が狂う。 気持ち良すぎて、気が……ひゃぁぁぁぁあああ！！！
あああああああああああ、ひゃうううううううううう！！！
んあああああ。

し、刺激だけに過敏に反応しているのか？
駄目だ、気持ち良すぎて、おかしくになりそうだ。
いつまで意識を保てられるか……まさか、さっきの注射か。
理性と意識を保ったままにする薬なのか？
だから、血もあまり出ていないし、私もこんな状態で考えたりする事が出来るのか？

痛、点滴？ まさか、さっきの薬か？
止めろ！ 額に鋸を当て、当て……ぎゃああああああああああああああああ！！！
あひぃ、あへぇ、どうしてぇ、私がこんな目ぇにぃ？
それがぁ、私の脳みそぉ？ 何で脳が無いのに見えるのぉ？
何で脳が無いのに気持ち良いのぉ？
何で空っぽの頭に何か入れているのぉ？

ああ、もう何にも考えたくないよぉ……。

ワタシハ、ナニカ、サレテシマッタ、ヨウダ……。

〜〜〜〜〜

｢あれは誰だ？ いや分からない。 でも、否応無しにおぼろげに解ってしまう｣

断片化している記憶がパズルの様に当てはめられていく。
それが、本当の記憶かどうかの判断もつかなかった。
作業は勝手に進められ、止める事も出来なかった。

｢髪は桃か青か銀か……。 肌は白か……。 装飾は簪か包帯か赤と青の帽子か目か……｣

今まで見た記憶と思い起こされる映像が重ねられていく。
どれもこれも心当たりがあり過ぎた。
一皮むけば、狂気と暴力が露わになる人物ばかり。
だが、襲われる理由が無い。 それに襲う利点も分からない。

｢あ、分かった。 思い出した。 そうだ、そうだ……｣

頭痛が止み、吐き気も止まった。
目はあらぬ方角を向き、首は座っていないかの如く後ろに傾いた。

｢髪は金、肌は白、特徴的な装飾は寅柄の腰巻だぁ……｣

その時、聖との会話を終えた星が部屋に戻って来た。
入るなり、様子のおかしいナズーリンを見て、驚くよりも先に心配した。

｢ナズーリン。 一体どうしたのです？｣
｢金の髪にぃ、白い肌ぁ、寅柄の髪の毛ぇ〜。 ご主人様がそうだったのかぁ｣

気が違っているからか、特徴を間違えながらも体を跳ね上げる。
蹲っていた姿勢からの跳躍で星に襲い掛かった。
咄嗟の事に迎え撃てない星の首筋に噛みつき、そのまま首を半分以上噛み千切った。
そのまま、数歩後ろに跳び下がると。 今し方口に含んだ肉を楽しげに咀嚼し始める。

｢ん〜、ん〜。 血と肉の味だぁ。 ご主人様の血肉の味だぁ〜｣

一噛み、二噛みと咀嚼し、自身の言った言葉を反芻していた。
ご主人様、ご主人様と言う内に、彼女の中で何かが引っかかった。

｢……ご主人様？ ご主人様！ う、ウゲェ！！！｣

正気を取り戻し、目の位置が戻ったナズーリンは口に含んだ肉を吐き出した。
吐瀉し出て来た物は血と肉と大量の胃液。
胃液の色は腐った肉の色。 臭いも酸味を含まずに腐乱臭を上げていた。

｢げほっ、げほ、げほっ。 ご主人様｣
[ナズーリン。 一体何があったのですか？]

首筋を噛み千切られ、気道も切断された喉は、星の声を出せなくしていた。
襲われ、出血し、今尚手を当てての止血の効果なく血を垂れ流しながらも、言葉は至極冷静であった。

｢あ、ああ、私はご主人様に何という事を……｣
[答えて下さい。 何をされたのです？]

言葉を出せずとも、二人の間には思念による会話が可能であった。
その事がナズーリンの本物である証となってしまう。
星は淡い期待を持っていた。 今この場所で会話が通じなければ本物は何処かに生きている可能性があるという事を。

｢ご主人様。 おそらくだが、私は何処かに誘拐され、そこで私が私で無くなる処置をされたと思う｣
[……そうですか。 ですが、貴女が正気を取り戻して良かった]
｢良い事なんてない！ 私はこの口でご主人様に……ご主人様に……｣

星の顔はナズーリンが無事であるという安心感から笑みさえ浮かべていた。
何かを悟った様な、ある種の諦観とも取れる笑顔だ。

｢……私を殺して下さい｣
[え？]

星の顔は鳩が豆鉄砲でも喰らったような表情になる。
まったく予想していなかった事であった。

[何を言っているのですか？ 正気を取り戻したのでは無かったのですか？]
｢一時的だ。 今、話しているこの時でさえ、ご主人様を襲えと、私の本能が言っているんだ｣
[そ、そんな……いえ、何か、何か手がある筈です]

上着は既に真っ赤に染まっている。 失血死をしてもおかしくない程の多量の出血だ。
それなのに心配するのは、愛しの従者の事ばかり。
流れた血は足元に血溜を作り始めていた。

｢ご主人様。 貴女が必死に守って来た仲間を私の手で殺させるのか？｣
｢その手が見つかるのは誰が殺された後なんだ？｣
｢聖が私を殺せるのか？ 一輪が私を殺せるか？ 船長は？ 小傘はどうだ？ 私を積極的に殺せるのは、ぬえ位じゃないのか？｣
[そ、そんな……]

星の目に涙が浮かぶ。 ナズーリンの目からは涙が流れた。
二人して結論が決まってしまった。
星の案は願望に基づいた説得であった。
その事は彼女も理解していた。 自らの手で、また仲間の手でも彼女に手を掛けたくは無かったのだ。

[ごめんなさい……]
｢ご主人様が気に病む事は無い。 寧ろ謝らなければいけないのは私だ｣
[……ごめんなさい]
｢貴女が主人で本当に、本当に良かった｣
[うわあああああああああああああああああああああ！！！ ごめんなさあああああああああああい！！！]

首に手を当てている反対の腕が大きく隆起した。
腕を斜めに振り上げると、目つきを鋭くした。
体の震えも止まり、浮かんでいた涙も振り払った。

ドガッ！！！

[ありがとう……ご主人様……]

〜〜〜〜〜

星の放った一撃はナズーリンのこめかみに多大な衝撃を与えた。
即死だった。
真横にかかる衝撃を首は受け止める事が出来ずに一瞬にして砕け、千切れ、部屋の中を飛んだ。

ゴトンッ……ゴロゴロ……。

頭を失った胴体は、その場に倒れた。
動かない筈の手はあらかじめ決まっていたかの様に星の足に触れられる。

[あっ……]

ナズーリンが昨日言った事を忘れていない様に感じた。
決意を汚さぬ様に止めていた涙も溢れ出して止める事は出来ない。
だが、星に残された仕事は終わっていなかった。

ギチギチギチギチギチ。

部屋の隅に転がったナズーリンの首から、虫を思わせる脚が生え始めたのだ。
切断されたのであろう、額から横に一周する様に醜悪で不気味な形に。

既に絶命している為、舌は口から伸び目はあらぬ方向を向いたままだ。
愛しの従者の死を汚す行為に、星は飛びかかる。
最早、ナズーリンの首は異形に乗っ取られた敵にしか見えなかった。

[ナズーリンから離れろ！]

星は脚のいくつかを掴むと、引きずりだそうと乱暴に引っ張った。
この首の元の持ち主が持ち主だけに、心を乱して事に及んでしまう。

ガボンと音が鳴ると、頭蓋骨の頭頂部ごと異形が引き剥がされた。
それを地面に叩き付けると、本物の虫の如くピクピクと体が震えた。

[くそっ！ くそっ！ よくもナズーリンをこんな目に遭わせたな！]

首から止血の手が離れる。
ナズーリンの首を置くと、手の平から血が流れる程の力で拳を握り、憎き異形を滅多打ちにした。
グチャゲチャと気味の悪い音がしようとも、怒りは治まらなかった。

数秒で異形は動きを止め、原型が確認できない程にバラバラに殴り殺された。

〜〜〜〜〜

星のする事は終わった。
異形に体を乗っ取られたナズーリンを殺し。
愛しの従者を乗っ取った異形を殺した。

部屋の畳には多量の血溜を作り、障子には多数の血痕が飛び散っていた。
更には臓物を思い起こされる様な肉塊も散乱し、腐乱臭も漂わせていた。

この異常事態だ、すぐに寺の仲間が駆けつけるであろう。

しかし、星の顔色は段々と血の気を失い、立っている事も困難であった。
膝を着くと、半分以上噛み千切られた首から空気が荒々しく漏れる。

[あ、がぁ、あ……苦しい。 助けて誰か助けて]

苦しそうに首に両手を当てても、血は流れを止めず、流出する空気を止める事は出来なかった。
強く当てすぎた手は爪を立たせ、苦しさから首にはいくつもの引っ掻き傷が出来ていく。
苦しさから逃れる方法は無いが、それでも助けを求め片手は虚空に突き出されていた。

[助けて、死にたくない、誰か、誰か、助けて、助けてナズーリン……]

意識が朦朧とし目も霞む、動けない中で必死に探した手は何かを掴む。
そのまま、星はナズーリンの後を追う様に息を引き取った。

部屋に残ったのは首の無いナズーリンの死体と、その死体の手を握った星の死体だけであった。