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『桜元に立つ』 作者: ただの屍

桜元に立つ

作品集: 10 投稿日時: 2014/04/11 14:39:21 更新日時: 2014/04/11 23:45:57 評価: 2/3 POINT: 230 Rate: 12.75
 歩くのに特別な意識はいらない。ここまでの妖忌の足取りは一定である。乱れが無いせいで妖忌の動きには人間性を見い出せない。目的があって歩いているようには見えず、夢遊病者か暇人のようである。腰に差してある刀の柄に蝶が止まる。妖忌は蝶に関心が無い。妖忌の両足が交互に前に出る。妖忌は両腕を小さく振りながら歩いている。十歩と歩かぬうちに蝶が飛び去った。蝶はただ止まっていることに耐えられなかった。蛾であっても同じだろう。そしてやはり妖忌は蝶に関心が無かった。恐らく蛾にも関心が無いだろう。
 春陽が暖かい。まだ人間の時間だ。妖忌はいつから歩いているのか忘れてしまっていた。呆けているのではない。重要でないものに意識を割くことが無くなった。百年も千年も生きたのでそういう構造になった。歩いている理由は覚えている。それは忘れようがなかった。日が沈むまでに間に合えばよいし、間に合うはずだった。妖忌は刀の反対に位置する、腰に下げた袋の中身を今更確かめるような真似はしなかった。ただ歩いた。妖忌は息を吸い、吐いた。妖忌の呼吸のリズムは単調であった。歩幅も腕の振り幅も変わりなかった。葉を踏みしめるタイミングさえも規則正しいように思えた。
 ここで問題が生じた。妖忌の目には風景が二重に映り、取り囲む音が割れて聞こえだした。妖忌の体が左に傾いたが転びはしない。妖忌は立ち止まる。このまま歩き続けても同じ場所を回り続けるだけだ。妖忌は度々起こるこの現象が自身に起因することも、対策も知っていた。長く生きすぎたのだと妖忌は思う。一つでありつづけていた半人と半霊の時間がそれぞれ独立を始めてしまった。最初に起きたのはまだ庭師をやっていた頃だ。覚えている。妖忌は時計の秒針を合わせる。妖忌はこうも考える。自分は既に寿命を迎えているのかもしれない。
 妖忌は歩きだす。首を左右に振る。妖忌に与えられたリストの最後の、住所不定の野良妖怪を探す。他の面子から聞いた限りではこの辺りで見つかってもよかった。この時間帯は春眠を貪っているだろうと言うので、妖怪が寝るのに良さそうな場所を探して歩く。妖忌の半人は暗がりに踏み込めと語る。妖忌の半霊は明るみに留まれと囁く。妖忌は内面の意見に全部同調した。妖忌は速度を倍にした。
 鬱蒼とした墓所だった。起伏の激しい地形と木々のおかげで死角が山ほどあった。自分の居場所を見失わないよう妖忌は心の地図を広げる。影の長さから時刻を知る。時間にはまだ余裕がある。妖忌はそれらしき場所を虱潰しに捜索した。辛くはないが楽しくもない。寝息が聞こえた。それは小傘のものだった。寝言が聞こえた。歯軋りが聞こえた。いびきが聞こえた。
 妖忌が小傘を見つけるのに要した時間は想定内といえた。小傘が寝ているのも予想通りだった。小傘は唐傘を抱いている。腰の高さにまで生い茂る雑草に寝転ぶ小傘は棄てられた死体のように映る。こちらの都合で起こしてしまって申し訳ないと妖忌は思う。妖忌は近くの木まで行って腰を下ろした。妖忌は小傘に背を向けている。眼力というものは威圧的なので日常において妖忌は他人を見つめることはしない。妖忌は小傘が自然に寝覚めるのを待つ所存だった。とはいっても期限までに間に合わなければ起こすことになるだろう。できればそうならないように妖忌は願った。
 妖忌は瞑想する。心を無にするのではなく取り留めのないことを考える。妖忌は半人半霊なので食事は二日に三食あればいい。睡眠は二日で八時間。庭師を止めた時期からそのリズムを放棄した。妖忌には一つ前の食事が三日も四日も前に思える。一週間は寝ていない気がする。生活習慣を昔に戻す気は無かった。
 妖忌の周りにあるもの。昨日と変わらなく見える雲。背に感じる幹はごつごつしている。ざらついた地表。掘り返された土。欠けた人骨。自分以外の足跡。鳥の影。素知らぬ顔をした虫。風が吹く。葉が舞う。たんぽぽの種が飛んでいく。微生物の匂い。腹満ちた獣の臭い。呼吸の意味を思い出させてくれる。陽が心地良い。鼓動が活発になる。血液の流れる音がうるさい。これだけ大きな音なのに自分にしか聞こえない。遠くで口笛が鳴っている。風は穏やかだ。天気が荒れる気配は無い。
 待てない者が居た。ぬえである。ぬえは妖忌が小傘を叩き起こして用事を手短に済ませるものだと思っていたのでここでの足止めをもどかしく感じた。我慢ならなかった。ぬえは妖忌の寄りかかる木に止まる正体不明の鳥獣でいることを止めた。ぬえの攻撃性が妖忌の間合いに侵入する。妖忌が警戒心を強める。そこに殺気も混じっているが指向性は無い。ぬえの居場所を掴めないというよりはぬえに積極的でない。ぬえにはそれがありがたい。ぬえは妖忌の気質を誘導し、自分の気質と混ぜて小傘の脳にぶつけた。
 夢で小傘は人間のようなものを驚かせていた。霊夢や魔理沙や早苗といった人格の一部を拡大し混ぜこぜにした合成人間が標的だった。与し易い存在である彼女らは、後ろから忍び寄り俄に大声を出すだけで腰を抜かすほどに驚いてくれるのだった。あまりにも容易かった。見慣れた夢だった。
 小傘はぬえの背後を取った。普段小傘の夢にぬえは登場しないのだが知らん顔でもなし、違和感を覚えるほどでもなかった。見ない分目一杯驚かせてやろうとぬえに肉薄する。かたつむりを踏み砕いても全然ばれない。小傘は手に持った傘を回転させながら声をかけた。「うらめしやー」
 ぬえが振り向いた瞬間、顔から何から妖忌に豹変した。途端に雲行きが怪しくなる。小傘は妖忌を知らなかったが、一目見ただけで彼我に亘る埋めようのない、あまりにも大きな力の差を思い知った。小傘の体に力が入らなくなり倒れる。失神したように見えるがそうではない。小傘の意識は妖忌から逸らせなかった。二人の格差に反して物理的な距離が近すぎた。
 これが夢でないのなら呼吸さえ止まるほどの衝撃を受けているはずなのだが夢であるが故に小傘は無自覚に特権を利用しぎりぎりで耐えている感じだ。小傘の肌に赤い線が走り無数に重なる。小傘の頭に浮かぶのは妖忌の腰に下がっている刀、その剥き身が瞬時に首に、肩に、胸に、腰に飛んで来るイメージ。小傘は死体になる心構えをとった。線上にある痛覚は鋭敏になっていた。
 気づけば小傘は逃げていた。どうやって逃げたのかは小傘自身も知らない。とにかく逃げる。逃げる夢だ。小傘は体を重たく感じる。逃げたいのに脚が上手く動いてくれない。もどかしい。苦しい。一匹の狼が小傘を抜き去った。狼は小傘の両脚をくわえていた。小傘は嘆いた。これでは逃げられるはずがない。小傘は元の場所に戻っていた。脚も無事だった。現実において小傘の肉体はぬえの間合いにある。夢を見ている限りぬえには逆らえない。
 妖忌が口を開いた。その声は小傘には届かない。小傘の耳は斬り落とされていた。痛みを認識する。小傘の絶叫も自身には響かない。出しうる限りの大声を出したように思えたが妖忌、いや、ぬえはたじろぎもしない。ぬえが槍を振ると戦利品のように掲げられていた耳が落ちた。ぬえは槍を構えた。小傘は上を見た。左を見た。右を見た。下を見た。前を見た。状況を好転させる要素はどこにもなかった。妖忌が剣を振りかぶった。小傘は苦痛なく死ねることを願った。もはやそれだけを願った。
 妖忌の周囲が溶けて揺らめいた。草木も天地も光も時間も空間も小傘も芯を失った。その中で妖忌だけがどこまでも膨れ上がり、怪物性を露わにした。もう妖忌とは思えない、目的不明の化物は雲を貫く巨体を有していた。妖忌が困った顔をした。意味不明な一連の行動を見て小傘は理解した。これは夢なのだと。小傘の前世はクレバスだった。本当に小傘の前世がクレバスだったわけではないが夢の中では小傘の前世はクレバスだった。
「気を、確かに」妖忌の重く、ひび割れた声が小傘を現実に引き戻した。妖忌を見た小傘の呼吸が止まった。喉にできた架空の赤線を幻の刃が通り過ぎるのを自覚した。小傘は意識を手放さない。もう一度あの空間に飛ばされるのは避けたかった。小傘は呼吸に挑戦する。呼吸は静かに再開した。場に許されたと理解した。それでも体を起こすことは無理だった。小傘は服従を示すような寝たきりの姿勢から動けなかった。心臓が痛みを訴えだした。
 小傘の反応を見て何やらいたずら者がちょっかいを出しているのだと考えた妖忌は小傘との対話を諦め要件に入ることにした。妖忌は刀とは反対に位置する、腰に下げた袋から一通の手紙を取り出した。妖忌はもしかしたらと、小傘が起き上がり手紙を受け取るのを期待して少し待ったが、やはりその気が無いと分かると手紙を地面に置いた。
「では、確かに」妖忌は踵を返した。来たのと同じ、速く、静かな歩調で小傘の元を去った。どこぞへと失せるのに十秒と経たなかった。小傘はまだ息苦しかった。小傘は妖忌の置き手紙を見た。手紙を読まないというのは許されない雰囲気だった。
 小傘は息を吐き、体を起こした。小傘は手紙を拾い上げた。「御案内 多々良小傘様 西行寺幽々子」差出人の名が小傘を苛立たせた。小傘は溜息をつくと、中身を斜め読みで済ませた。今夜、神霊廟の同窓会を開くから来てくれとのことらしい。小傘は手紙を破いた。小傘は寝転がった。両手を枕にすると、また溜息をついた。眠気など無かった。
「よう」上空から発せられたのは聞き覚えの有るような、全然無いような、人によく似た、それでいて獣じみた声だった。小傘の見つめる一帯の、そのどこか一点にぬえがいるはずだった。異質に歪んだ一帯の中心には正体不明の鳥獣がいたが、それがぬえであるとは限らない。分かっていながら小傘は視線を外せない。
「見ていた。行くぞ」言うなり飛び降りたぬえの偶像を小傘は目で追ってしまう。無意味なことをしていると自分でも思う。小傘は起き上がる。鵺の形をしたものが小傘の肩に乗った。やはりこれは虚体だと小傘は思った。全く重さが感じられなかった。存在感はさっきよりも身近にある。
「白玉楼じゃないよね」小傘は服に付いたごみを払う。その最中さりげなく肩を揺すったがぬえのシンボルは落ちそうにない。
「本人を前にして殺しの相談はな」ぬえは普段通りの声量で言った。
「やっぱり。てかあそこでいいの」小傘はぬえの答えを待たずに歩き出した。ぬえもわざわざ答えたりはしなかった。
 道中、二人は空を飛ぶ魔理沙を見た。今では異変時を除いて外で空を飛ぶには金が要る。巨額というわけでもないが小銭ともいえない。それさえ支払えぬ虫けらは地べたを這いまわるその身に相応しく踏みにじられる。踏み潰してもよい蛆虫を見つけ出すために導入された制度だった。
「殺さないと」
「我が物顔で空飛びやがって」
「調子に乗ってる自機階級と、風神録より前の干上がった古糞共は絶対死なす」
 それから幽香と遭遇した。まだ距離があったので二人は陰口を叩き合った。
「あいつもさ、幽々子のやつと一緒だよ」
「あいつが出てたのなんだっけ、覚えてない」
「わたしも知らない」
「所詮その程度のくせに勘違いして出てきちゃって。哀れだねえ」
 俯き加減の幽香は岡持ちを揺らさないように歩いていた。週六のバイトだった。持て余した力が、枯れず湧き出る不満が腕より先に伝わらないように気を配る日々が続いていた。これまで通り好き勝手生きてもよかったが、今のところは周りに合わせていた。本人次第で、これからも続くと思われた。
「夜道で会ったら殺す」
「そのときは駆けつけるよ」
「おい、手振ってやれ。あいつ友達いないだろうから泣いて喜ぶよ」
「冗談。緑髪のやつとは嘘でも友達にならない」
「口車に乗せて髪を染めさせりゃいいじゃん。髪型もアート志向にさせてさ。服も全く似合わないのを着せたり。変な言葉遣いさせて恥かかせよう」
「面白そうだな」
「やる」
「やらん。やる」
「やらん」
 二人が会議室に到着したとき残りの面子、すなわち響子、芳香、青娥、屠自古、布都、神子、マミゾウが揃っていた。二人は空いている席に位に従って座った。早速会議が始まった。議題は当然、今夜の同窓会についてであった。
「悪いね、待たせちゃって」
「気にすることはない」
「あのさ、手紙の爺が誰なのか分かる」
「ゾンビでーす」
「いえ、知りません。ちょっと黙ってなさい」
「はーい」
「あれ、誰だろう」
「あいつの知り合いじゃないかな」
「聞いたことがありません。雇われという感じでもないですし」
「まー、おっそろしい爺さんじゃったな」
「後つけてたけどバケモンだよ」
「おぬし、勝てるか」
「分からん」
「脅しなのでしょうか。来なかったらあれをけしかけるぞ、という」
「かもな。どう思う」
「そういうことだよな」
「これまでは誘いを無視してきましたからね」
「生意気なんだよ。1ボスのくせして」
「亡霊ってどうやって殺すの」
「簡単だぞ。なにせ元から死んでいるからな」
「ちがーう。死んでいるからこそ二度と死なないのだ」
「はいはい。おぬしは壁でも食っていろ」
「栄養無さそう。食うけど」
「実際厄介じゃろうなあ。種族的でなく個人的に。でも太子どののこと、何か考えがあるんじゃろう」
「確かにありますけど、わたしが仕切ってもよいのですか」
「いいよ」
「時間も無いしね」
「今更な感じもするな」
「太子様」
「では。余興として剣術の演武があるのでそれを利用します」
「そんなのがあるのか」
「ええ。案内に書いてあったはずですが」
「すぐ捨てた」
「わたしも捨てた」
「わたしも」
「はらひも」
「捨てました」
「わたしも」
「われも」
「わしも」
「全く。ほら、これです」
「へー、本当だ」
「楽団も呼んでいるな」
「張り切っとるのう」
「楽団連中も消すの」
「いえ。証人にさせます。事故としての」
「つまりわしが殺るのか。任せろ」
「尻尾が見えたら困ります。ぬえにやってもらいます。演武があるのは分かっているので誤認させるのは容易いでしょう」
「やったあ」
「なら、演武の前にやつを殺しとくのがわしの仕事か。よっしゃ」
「太子様。わたしにお任せください」
「他にはー、いないみたいですね。じゃんけんで決めてください」
「ようし、十番勝負じゃ」
「わたしも含めた残りの皆さんはあいつの話し相手を務めます」
「えー」
「余計な気を回させないためにも重要なんですよ」
「難儀だなあ」
「事故で通しますからね」
「あいつと話すことなど無いのだが」
「向こうが勝手に話すでしょう。桜も咲いたことだし昔話をたっぷりと」
「勝ちました」
「あーあ、わしも待機か」
「はいひはま」
「食べながら喋らない」
「あっ、壁が無くなってる」
「青娥様についていってもいいですか」
「いいでしょう」
「わしもついていく。青娥どの、どうぞよろしく」
「待機です」
「太子どの」
「待機です」
「殺生な」
 妖々夢においては妖夢と幽々子の関係は5ボス6ボスと至って良好、自然なものだった。続く永夜抄では共に自機と早くもバランスが傾いた。花映塚では幽々子はさっぱりで、文花帖でなんとか軌道修正、格ゲーは省いて、神霊廟で崩壊した。
 幽々子の旧友である紫も永夜抄からは霊夢と異変解決なんぞに乗り出したりしてなんだか疎遠になってしまった。自機連中が白玉楼を訪れたのも過去の話で今や賑わいは遥か彼方にある。長い間、幽々子は死んだ時間の中にいた。桜が咲く度、息が詰まり涙が溢れるのだった。
 神霊廟に出られると分かったとき幽々子は泣いた。1ボスであっても生きた流れに関われることが嬉しかった。新しい友人をつくろうと決意した。宴会も、いつもは時間が合わないとのことで一人虚しく豪華な晩餐を迎えたものだが、今度こそ皆が来てくれるとの連絡を受けて幽々子はやはり泣いたのだった。
 妖夢は刀を磨く。己を磨くように、磨く。一点の曇りも無くなるように、磨く。止め時は見つからない。ただ手が動いているだけにならないよう心を砕く。
 刀を手入れしていると心境の変化を自覚する。胸の内を占めていたものが一つまた一つと遠ざかっていく。やがて幽々子のために剣を振るうという思いにぶち当たる。いつもはそこで手を止めてしまう。その土台というべき欲がどうしても消えてくれないからだ。いずれはそれさえも消し去るつもりだ。妖夢の幽々子に対する忠誠心が嘘になりつつあるのではない。その証拠に、宴会の全費用は毎回妖夢が喜んで捻出していた。
 妖夢は常々思う。剣を振るうという意思のみによって剣を振りたいと。心である苦楽から、技である良悪から、体である生死から剣を分かちたいと。そして知りたい。その剣は何を斬るのか。
 妖夢の時計の針はずれていた。妖忌と同じ方向にずれていた。ずれ幅はあまりに小さすぎて他人はおろか自分ですら気づくことは無かった。
 屋敷の外、遠い場所から楽団の演奏が聞こえる。宴会は上手くいっているようだった。演奏の次が演武だった。床の軋む音がした。幽々子のものではないことは明らかだった。幽々子は年老いた屋敷が上げるこの音を忌み嫌っており、わざわざ飛んで移動するのであった。妖夢もこの悲しい音が嫌いだった。妖夢が幽々子よりも稼いでいるとはいっても屋敷を建て替えるほどの収入は無い。神社を何度も建て替える巫女とは人気の度合いが違っていた。自機にも序列が存在した。
 足音はここへと向かっていた。妖夢は刀を収めた。立ち上がり、部屋の入口を体を向けた。そこに表れた青娥は全裸だった。青娥の顔は赤らんでいた。そして笑っていた。その姿は美しかったが浮いていた。妖夢は言葉を失った。青娥が部屋に踏み込むと酒の匂いがした。どうやら酔っているらしかった。
 青娥は妖夢に近づき、抱きつこうと手を伸ばした。妖夢は青娥を払いのけると半歩下がった。妖夢にその気は無かったしそんなことをしている場合でもなかった。青娥が簪を抜くと髪が解けて、より淫靡になった。青娥は微笑み、ストレートにいやらしい言葉を吐いた。
 生じた一瞬の隙のうちに青娥が妖夢を引き倒す。青娥は全身で妖夢の四肢を絡めとった。殺気を萎えさせるために青娥は唾液まみれの舌で妖夢の耳を舐める。青娥が簪を天井に放り投げると屋根裏から芳香が落ちてきた。芳香は慌てず騒がず妖夢の首を折った。鈍い音だった。妖夢は死んだ。
 青娥は妖夢を離すと芳香から服を受け取り、着た。
「やりました」芳香が僅かに前傾する。
 青娥は頭を撫でてやる。「よしよし」
「酒くっさいな」ぬえが部屋に入ってきた。まるで見ていたかのようなタイミングだった。「酔ってんの」
「被っただけで、演技です」
「そっか」ぬえは二刀を持ち去った。「それじゃ」
 芳香は妖夢の頭を掴んだ。「食べてもいい」
「だめ」青娥は半霊を指した。「あれなら食べてもいいわ」
 青娥は簪を拾うと妖夢の頭蓋に穴を空けて手を加えた。食事を終えた芳香を呼ぶ。「ちょっと頭支えてちょうだい」
 芳香は言われた通りにした。「キョンシーにするの」
「ええ」青娥は妖夢の頭部の何箇所かに簪を差し込んだ。
「なんで」
「こいつにあいつを殺させたほうが面白いと思わない」
「それもそうだなー」
「ねえ、動かさないで」
「動いてるのはそっちなんだけど」見ると確かに青娥の手が震えていた。
「いけない、酔っているわ」青娥は手を握りしめた。
 妖夢が起き上がった。
「あ、札、札」青娥は自分の体をまさぐった。「芳香、そいつ、抑えて」
 妖夢は駆け出していた。据わりの悪い首が揺れているが、屋敷の構造を知る妖夢に動きの支障は無かった。
 床の軋む音はあっという間に聞こえなくなった。青娥は妖夢を取り押さえることを諦めた。「もういいわ。わたしのからだを支えて」
 ぬえは立ったまま、膣内に飲み込んだ楼観剣の刀身を抜き差ししていた。普通に考えれば錯覚だ。まず死ぬ。そのように見えるのは自分だけかもしれなかったのでイメージダウンを恐れた神子は演武について聞かれても適当にごまかした。
 神子は聞いた。「どうですか」
「素晴らしいわ」幽々子は酒を飲んだ。幽々子の顔の綻びが眼前の痴態によるものだと判断するのはそれこそ錯覚だがこれこそ幽々子に対する最大の侮辱となる。
 首を踊らせる妖夢が屋敷から出てくるのを見て神子は顔を顰めた。幽々子も同じだった。
「あれはなんですか」神子は状況の判断を幽々子に任せた。
「宴会を聞きつけた浮浪者でしょう」神子は幽々子の怒りを聞いた。
 妖夢がぬえに向かって走ってくる。妖夢とは違う場所から青娥と芳香が、酒を取ってきたという体でこっそりと表れた。神子が目を合わせると若干済まなそうな素振りをした。
「妖夢。斬り捨てなさい」幽々子がそう言うと、いったばかりのぬえは自前の槍を投げた。妖夢の頭部が真っ二つに割れ、その手は空を斬った。ぬえのせいだろうか。太刀筋が見えた。心技体無き純粋な剣だった。次にぬえは白楼剣を抜き、幽々子に投げつけた。ぬえは魂魄の者ではないので威力はそれなりだった。幽々子は避ける間も無かった。それなりに成仏した幽々子はそれなりに未練が残った。幽々子は蕾が落ちるように枯れ果てるよりも花を咲かせて散りたかった。ぬえはぬらついた楼観剣を抜き取り、両手で握り直すと切腹した。血も内臓も飛び出たが致命傷には至らない。皮を裂いただけの擬似切腹だった。
 チャンバラなんてつまらないなー、とぼんやりしていたリリカは姉二人の叫びを受けて我に返った。三つの死体が転がっていた。「なにがあったの」
 メルランが答えた。「なんていうか、いろんな事が起きて、みんな死んだ」
「説明になってないから」ルナサが割り入った。「いい。まず最初、知らんやつ、多分浮浪者がこう、わたし見て、こういう動きしながら、やって来て、妖夢にばっさり斬られた。キチガイだろうね。だって頭の動きこんなんだもん。まともじゃないよ。いかれたクレイジー。それで、妖夢が手滑らせて、刀が幽々子に刺さって、幽々子が死んだ。死んだというか成仏。まあ、死んだよね。で、最後に妖夢が切腹。血ぶしゃー。臓物どばー。あっという間だったよ」
 メルランが頷いた。「わたしが言いたかったのはそれ」
 リリカが言った。「ギャラどうなるんだろうね」
「死んだんだから、わたしたちで勝手に持っていくしかないよね。ちゃんと演奏はしたし」ルナサは酒と食べ物を風呂敷に包んだ。
「それじゃ、取るもの取って、さっさとずらかろう」三人は屋敷へ向かった。
 三姉妹が去った後、残る神霊廟組は二つの死体を囲み、話し合いを始めた。唾をつけておいたのでぬえの傷は治っている。
「聞こえた限りでは妖夢が浮浪者を殺し、幽々子を殺め、自害したらしい」
「乗っかるの」
「乗っかるよ」
「そんなら、頭が割れとるのは不自然じゃのう」
「首だって折れてる」
「芳香に食わせるってのは」
「この子、消化能力が悪いんですよ」
「無印消化不良品。鯨飲馬食は胃もたれのもとー」
「刻んで埋めるか」
「手間だなあ」
「待ってください。それだと、刻んで埋めたのは誰だということになります」
「そこまで調べるでしょうか」
「そこまで考えたほうがいいと思います」
「でもそれなら、捨て置くしかないような」
「見て」
 死体から流れる血はただ一方向にのみ、引力によって三分咲きの西行妖に吸い寄せられていた。さっきまでは一分咲きだったことを彼女らは知っていた。
「これは」
「桜といえば死体、ですからね」
「わたしも相性良さげ」
「ここまでしてくれるんなら、これに任せればいいじゃない」
「手元が狂うたのもこいつのせいかの」
「便利じゃん。いけるいける」
「採用」
 妖夢と幽々子の死体が西行妖の根本に叩きつけられた。妖夢の体の色んなところが色んな方向に曲がった。幽々子の体の色んなところから色んなものが飛び出した。
「このわたしのように立派な死体になれよ」
「あー、気分良いなー」
「みんなそうだよ」
「良いことしたからな」
「飲み直しますか」
「賛成」
 屋台にて。貸し切りとあって、みんな浮かれていた。ちなみにミスティアの屋台は正体不明のクレーマーによってだいぶ昔に潰された。ミスティア自身も惨たらしく殺された。そこそこ賑わった事件だ。
「乾杯」
「あいつら、わたしたちが殺ったって気づいてくれるかな。特にわたし」
「閻魔から真相を聞かされることになるじゃろうな。上手くやったよ」
「酒がすすむー」
「誰か歌えー」
「任せて」
「バックの雷は爆音でいくよ」
「誰か吐けー」
「死人ポンプやりまーす」
「良い夜だ」
「ああ」
「お酌します」
「げげふろむ」
 神子の酒にひとひらの桜が舞い込んだ。神子は辺りを見渡した。ここいらに桜など有るはずがなかった。水を差された思いだった。
 神子は目にかゆみを覚えた。屋台の主はくしゃみをした。睡眠中の普通のゴミクズの鼻が詰まった。紫は鼻水を垂れ流した。それは花粉症の四大症状であった。同時に異変の前兆でもあった。舞い散る桜は花弁というよりも種子であった。西行妖は植物というよりも蝕物であった。
もう四月
ただの屍
作品情報
作品集:
10
投稿日時:
2014/04/11 14:39:21
更新日時:
2014/04/11 23:45:57
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2/3
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12.75
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四月十一日の桜
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1. 100 名無し ■2014/04/14 19:26:20
きれいなものです
2. 100 ギョウヘルインニ ■2014/04/15 22:40:02
妖忌さんさっきご飯食べたばかりですよ。
名前 メール
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