Deprecated : Function get_magic_quotes_gpc() is deprecated in /home/thewaterducts/www/php/waterducts/imta/req/util.php on line 270
『こいし「色即是空、空即是色……」 産廃創想話例大祭B』 作者: あぶぶ
レインコートを羽織った少女が魔法の森にある自宅を出たのが二時間ほど前。
森を散策し実験の材料となる植物を採集しているうちに毒々しい茸より白い蓮の花を多く見るようになり、いつしか瘴気の濃い密林を抜けて妖怪の山の麓に来ていることに気づいた。
少女は肩の上に得体の知れない虫を見つけて跳ね除けて悪態をつくが心底ではこの日の収穫に満足していた。
かじかんだ指先に感覚は無く足首はジクジクと痛む。さすがにこれ以上の収穫は断念し、リュックサックに突っ込んである箒を取り出して魔女っ子よろしく「よっ」掛け声をあげて飛び上がった。
真っ直ぐ自宅に向かうつもりが木の上に出たとたん目前に見知った顔が現れ箒から落ちそうになる。
「わあ、何だ!?」
「お久しぶりです。魔理沙さん」
脇に三尺はあろう巨大な刀を帯び、慣れない愛想笑いを浮かべて白狼天狗の犬走椛は雨具も着けずに浮いていた。
どうやら魔理沙が飛び上がってくるのを空中で待っていたらしい彼女が慇懃に頭を下げる。
彼女の上司の文あたりなら胡散臭い笑顔を浮かべて、「どうも」とか言って適当すませるだろうがこの辺に天狗社会の階層性が見て取れた。
「どうしたんだよ。傘も差さずに」
「……すみませんがちょっとお時間いただけませんか?」
家を出る時は畑の土を濡らす程度だった雨足も今は強くあぜ道を小川の様に変えていた。魔理沙のお気に入りのスニーカーも完全に水を吸っている。
椛の表情はうつむきがげんの為と水に濡れた髪が顔に張り付いているのでうかがい知れなかったが、先ほどチラッと見た感じ慢性的な倦怠感と精神的な疲労とが相貌に現れているようだった。
「……まあ、こんな所で話も出来ないだろ。私の家に来いよ。風呂ぐらい入れてやるからさ。」
「すみません。助かります」
並んで飛んでいる最中、椛は考え込むように虚空を眺めていた。魔理沙としても疲労で気を使う余裕も無かったので、結局家に上がって洗濯籠に入れっぱなしになっていたタオルを渡し、ありがとうと言われるまで終始無言だった。
ずぶ濡れの客人を風呂に入れた家主はさほど濡れていなかったのでスカートと上着だけ代え、それから自室にリュックサックを持って行き収穫した暗緑色の植物を机の上に並べた。
「実は文が最近非常に調子が悪いんです」
古箪笥の奥から引っ張り出した白色のワンピースに身を包んだ客人は突然の訪問を何度も謝り、それからまたしばらく黙り、塗装のはげたマグカップに入れたコーヒーを数度口に運んで、持て余した魔理沙が二杯目のコーヒーを自分のカップに注いでいる時、不意に切り出した。
「うん?ああ、そうらしいな」
烏天狗の新聞記者はここ数ヶ月記事を書いていない。
体調を崩したらしいと聞き及んでいたが口ぶりから相当深刻なものだと窺えた。
「まあ思い人が苦しんでるんじゃ椛も辛いよな。」
あまり知られていないが天狗社会は同性愛に寛容だ。二人が出来ているのは魔理沙の他、親しいもの数人しか知らないが。
「どこか身体の特定の場所が悪いわけではないんです。医者は精神的なものだろうと……」
「ふーむ、何か思い悩むことに心当たりがあるのか?」
「分からないんです。聞いても、押し黙るばかりで……つい私のせいなのかとか、いろいろ考えてしまいます」
椛は文と連れ立って出かけてたり自作の薬草スープなどを食べさせたり欲しがっていた本を見つけたりもしたが、その度にいかにも気を使われているのが分かってしまう。
わざとらしい笑顔は文らしく無いとのことだ。
「それで、もしかして魔理沙さんなら文の悩みの種が分かるんじゃないかと」
「あまり期待しないでくれよな。だけど妖怪の精神世界に興味はあるぜ。おっと、もちろん文のことが心配ってのもある。お前も知ってのとおり私の研究ならあいつの悩みの原因だってすぐ分かるだろし力になってやれるぜ」
椛の表情に期待と疑念の色が浮かぶ。これはもう一押しだと魔理沙が自身の実験の進展具合を披露しようとした時、玄関の戸が叩かれた。
魔理沙亭は彼女が集めたガラクタ(マジックアイテムも僅かにある)で殆どごみ屋敷の体を成していたので、テーブルから玄関までの数mをえらく苦労しながら移動した魔理沙が戸を開けると意外な人物が立っていた。
「こんにちは、魔理沙さん」
「妖夢、遅かったな。今客人が来てるんだ。ま、上がってくれよ」
魂魄妖夢。白玉楼で庭師をやっている剣客である。
「お初にお目にかかります。犬走椛といいます。以後お見知りおきを」
椛が椅子から立ち上がり柔軟体操をするかのごとく深々と頭を下げる。
「あ、はい。こちらこそよろしくお願いします。魂魄妖夢です」
後頭部に手をやり同じくらい頭を下げる妖夢を見て、こいつも面倒くさい性格だなと呆れ顔になった魔理沙が二人のプロフィールとずぶ濡れの白狼天狗を招いた経緯を説明した。
「なるほど、椛さんは妖怪の山で哨戒の任に就いているのですね。上司の文さんの身を案じて魔理沙さんに相談に来たと」
「はい、突然の訪問失礼しました。まさか先約があったとは知らず。もしお邪魔でしたら出直しますが」
「そんな、私はたいした用事もないんですよ。それより椛さんの方が立派だし急な相談ですし。でも魔理沙さんを訪ねたのは正解ですよ。いや本当に。あの研究は素晴らしいんです」
椅子にふんぞり返って「まあな」としたり顔の魔理沙からはあまり創造性は感じられない。
いずれにしろ第三者からお墨付きももらった実験について椛はドヤ顔の魔法使いに説明を求めることにした。
「前、魔理沙さんの研究の材料になる植物とかを千里眼で探すのを手伝った時、ちょっと教えてもらったんですけど……人の考えていることが分かる世界に行く方法があるとか」
「うん、まあ簡単に言えば誰かの脳内に侵入してそいつの記憶やイメージを視覚化した世界に行くことが出来るんだぜ」
「はあ、よく分かりませんが凄そうですね」
椛がコテンと倒した頭の上にクエッションマークを浮かばせる。
魔理沙の方は興奮した様子で自身の研究について専門用語を羅列して、数分後ようやく喋り終わったと思ったらうっとりとした様子で自身の研究ノートを撫でて浸っていた。
数倍の大きさになった『?』をクルクルと頭上でまわして助けを求めるように妖夢の顔を見る。
ショートの銀髪を揺らして何度も頷いているがよく見れば呆けた表情で欠伸をしており何も理解していないらしい。
結局実際に体験してみれば分かるだろうという事になり、魔理沙の自室兼研究室に通された椛は怪しげなセミナーに参加させられる気分になっていた。
六畳ほどの部屋にベッドと机、本棚があり板敷きの床は本とこの家の魔女が描いた文字や図形でびっしり埋め尽くされた羊皮が散乱していた。
「座ってくれよ。本の上でも良いからさ」
「え、ですけど」
「ま、本に尻を噛み付かれないように注意してくれよな」
もう六月も半ばに差し掛かりじめじめとした湿気が部屋に充満していた。
妖夢が魔理沙に窓を開けていいかと聞くと、積まれている本を乱暴に隅に追いやりながら「ああ」とだけ答えた。
「良し、準備オーケーだぜ。最低三人集めないといけないんだが、都合良く妖夢が来たからな」
魔理沙は部屋の真ん中に五芒星が描かれた大きな厚紙を引きその上に置いた香炉から不思議な香りがする煙を立ち上らせると、二人にそれぞれ黄色と白色にコーティングされたチョコレートの様な物を数個渡し妖夢にはさらに懐中時計と藍色の小さな巾着袋を渡した。
チョコレートの様な物の表面にはmのマークが書かれている。
「何ですか、これ?」
「うん、これからお前たちの魂を私の精神世界に入れるんだけど、最初にお互い眠らなきゃ駄目なんだぜ。まあ睡眠薬だな。後、魂が抜けやすくなる作用もある」
いきなり凄い事を言うなと思ったが椛も魔理沙との付き合いは短くないので、彼女の魔法実験に対する狂気的な一面は知っていた。
妖夢は諦めているようで「まあ覚悟を決めてください」とか言っている。そんな二人の心内など露知らず、「良し!」と可愛く声を上げた魔法少女は二人に魔方陣の上に座るよう指示した。
「そうそうその位置で……後は私が真ん中に座ってと……あ、香炉を倒さないように注意してくれよ……よしよし、それじゃあさっきの薬を飲んでくれ」
妖夢が白色の薬を飲み込みそれを見届けてから椛は自身が渡された黄色の光沢を放つ薬を飲み込んだ。
・・・
「本当にすごいですね!妖夢さんは前からこの世界に来られていたんですか?」
湖のほとりにある趣のある古城。その城内の広間で椛と妖夢は多くのメイド達に囲まれて豪華な食事を味わっていた。
「ええ、もうすっかり夢の世界にはまってしまって、椛さんもすぐに現実なんてどうでもよくなりますよ」
退廃的な発言に思わず苦笑するがそれよりもテーブルに並べられた料理に夢中だった。
「ほんとに美味しいですね。特にこのサイコロステーキが……むう、肉汁が滴っていて最高です。ああ、ご飯お変わり頂けますか?」
「はい」と静かに返事をして傍らの妖精のメイドが手早く御代わりのライスを用意した。
「ありがとうございます」と椛が言うと「ごゆっくり」と微笑して自身の持ち場に戻っていった。こういう所のマナーなどまるで知らない椛だったが丁寧な対応に感心する。
「あの人たちは自分で考えているんですか?」
「ああ、自我は無いそうですよ。魔理沙さんの夢の中の登場人物ですから」
妖夢は漆塗りの箸で口いっぱいに寿司を頬張っており、先ほどから椛が話しかけてもどこか上の空である。
メイドたちに対してはさらに横柄な態度で「ん」とか「ちょっと」と言って顎で使っている。
椛がサーモンと茸の蒸し焼きを突付いているとホールの奥にある扉が開いて黒いバスローブに身を包んだ魔理沙が歩いてきた。
「どうだ?私の城だぜ。楽しんでくれてるか?」
魔理沙はそう言って仰々しく椅子に座り込んむと傍らにつれていたメイドに酒を持ってくるように頼んだ。
妖夢は料理に夢中になっており魔理沙が入って来た事にも気づいていない。椛が注意すると恥ずかしそうにナイフとフォークを置いた。
「はい、とても……魔理沙さんの夢なのに御本人がいるんですね」
「ま、場合によっちゃあ出てくるぜ」
ふふふ、と自慢げに笑いワイングラスを傾ける。
「しかし本当に現実みたいですね。このお皿なんて細かいところまで細工が施してあって、一流のアンティーク物に見えますよ」
「もちろん私の想像力だけならもっと曖昧な物になるんだぜ。でもこの魔法の凄い所は夢の中にいる者のイメージの力を結集して作られているところだな。その皿は私は見覚えないし、たぶん妖夢か椛の記憶にあるんじゃないか?」
「あ、そういえば白玉楼の戸棚にあった気がします」
「そういう事だぜ。ほら、良く見るとこのホールだって紅魔館の客間じゃないか」
それから暫く三人はそれぞれ料理をパクついて、椛が三皿目のサイコロステーキを平らげてようやく会食は終わった。
「ははは、ずいぶん食べたな」
「ええ、もうこれ以上は米粒一粒も入りませんよ」
「椛さん、ほっぺに何か付いてますよ」
頬を染めて白米を口に含む。
「良しそろそろだな。妖夢、さっき渡した薬持ってるよな」
「はい勿論です」
妖夢がスカートのポケットから巾着袋を取り出し中から白い錠剤を二個手に取った。
「はい、一つは椛さんの分です」
「これは何でしょうか?」
「目が覚めて現実に戻る薬だぜ。私がそろそろ目覚めそうなんだよ。まあまだ大丈夫だと思うが良く見ると妖精メイドたちの動きが悪くなってるだろ」
そういえば食器を片付けているメイドたちの手つきが少し荒っぽい気がする。
「眠りが深くないと理想的な世界が作れないんだな。お前らもメイドに後ろから刺されたくないだろ」
椛は顔を青くしてここで刺されたらどうなるのか訊ねた。
「もし私が自分の夢で死んだら目覚めるだけだな。椛たちは魂が私の精神に入ってる訳だから、ここで死んだらジ、エンド。魂ごと消滅しちまうぜ。冥界にもいけないだろうな」
物騒なことを言う。
「妖夢さんはそれを承知でここに来ているんですか?」
「うん、確かに怖いよ。でもそれを覆すくらい魅力的なんですよ。椛さんもその内分かります……さ、それじゃあ薬を飲んでください。現実に戻りましょう」
・・・
「それじゃあ手筈通りに」
人里に近い街道。黄昏時も過ぎ街灯も珍しい幻想郷の夜道は人間が歩くにはいささか危険である。
しかし妖怪にとっては夜こそが書き入れ時。毎夜この山道に八目鰻の屋台を開くミスティア・ローレライは額に汗を浮かべて客人をさばいていた。
射命丸文は客足が疎らになって来る丑三つ時にたまに顔を出す常連である。
「いらっしゃいませー。あら文さん。今日は一人ですか?」
「いえ、連れと待ち合わせしているんですけど、まだ来てないみたいです」
「あはは」とわざとらしく笑い熱燗と枝豆を注文した。
「ちぇ、しけた面の烏天狗が来た」
「……妹紅さん?」
カウンターの右端にいた人影は竹林に住み着く不老不死の人間だった。
「すみません。顔は生まれつきなもので」
「最近新聞を発行してないみたいだけど」
「今は休職中でして……」
「ねえ文、私はこれでも千年以上生きいる身だから分かるんだ。あんたみたいな顔してるのは相当精神にきてる奴だってね」
「私は大丈夫ですよ」
「そんな作り笑いで取り繕っても駄目だよ。どうせ連れと上手くいってないんでしょ?愚痴位なら聞いてあげるよ?」
「……」
それきり文は黙り込んでしまい妹紅とミスティアが話しかけても俯いて口をつけていないコップを見つめるだけだった。
「すみません、文さん。待ちましたか?」
「……いえ」
暖簾をくぐった椛が文と妹紅の間の席に座った。
「椛……さてと私は帰るかな。女将さん、ありがと」
二人きりになったカウンターで椛が文に最近の仕事の具合などを話して文が気の無い返事を返すという冷え切った時間を過ごしていると、数刻の後ひどく眠いといって文がカウンターに突っ伏したと思ったらそのまま寝息を立てだした。
「すみません。女将さん、お勘定をお願いします」
椛は文を背負って屋台を出た。このまま文を茂みに連れ込み例の装置で心を覗く手筈になっている。
「良く寝てる。さっきの睡眠薬ずいぶん効果が強いのね」
「ふーん、なかなか良い趣味じゃない」
驚いて振り返ると藤原妹紅が咎める様な目つきで歩み寄ってきた。
「なるほどね、如何して文があんな病んだ目をしているのか分かったよ。こんな変態女と付き合ってたら死にたくもなるわ」
「何も知らないくせに……これは文の為にやっているんです。治療の一環ですよ」
「説得力って言葉知ってる?あのね椛、恋人同士でもやって良い事と悪いことがあるのよ。文を置いてきなさい。私が彼女の家まで送るから」
暗闇に妹紅の姿が淡く浮かび上がる。彼女が炎を纏ったからだ。
「ふん、どうせ文の意識が無いのを良いことに悪さをするつもりでしょう?」
椛も脇に刺した刀を見せて威嚇する。
「っ!下種は下種な考えしか出来ないようね」
「こら、二人ともやめろ!」
一触即発の所で魔理沙が木陰から出てきた。
怒り心頭の不死人は輪姦の共犯者か何かを見る目で魔理沙を見ていたが、何とかなだめすかして文に対する治療の一環として眠ってもらった旨を伝える。
「なるほど、一応は文を心配してるようね」
「ああ、椛は決してやましい気持ちで心を覗くつもりじゃないんだぜ。それは保障する」
「ふん」と鼻を鳴らし少し考える素振りを見せた後、妹紅は自分も文の心象世界について行くと言い出した。
「あんた達だけじゃ信用ならないからね」
椛は嫌がったが断るならこの事を文に打ち明けると言うのでしぶしぶ了承した。
四人が山道から外れ漆黒の闇の中を魔理沙が持つランタンの光を頼りに十メートル程進むと、森の少し開けた場所で妖夢が火を焚いて座っていた。
「何よ、まだ仲間がいたの」
「ああ、これで全員だぜ。妖夢、妹紅も文の精神に入るんだが準備はどうなってる?」
「ええ?それはまた突然ですね……準備はオーケーですよ。何時でも文さんの世界に出発できます」
焚き火の脇には三畳ほどありそうな黄ばんだ布が敷いてあり、埋め尽くさんばかりに魔法陣が幾つも描かれていた。
「おや?前見たときと具合が違いますね。図形の数が増えてません?」
「バージョンアップって奴だぜ。ま、発案は私だがパチュリーやアリスのアイデアも入ってるからな。良く分からん部分も多いから詳しくはあいつらに聞いてくれ……不安になったか?」
全員むしろ安心していた。
「どんな所が改良されたんです?私はいつも通り魔方陣を広げて飛ばないように固定しただけですけど」
「うん、それで十分だぜ。パチュリーの話じゃ前より広くてリアルな世界になってるはずだぜ。それからアリスがお互い連絡をとる為のアイテムも用意してくれた」
魔理沙は焚き火の傍らに置いてあるリュックサックから紙袋を取り出し、その中からいかにも女の子らしいマスコット人形を沢山摘み上げた。
それは妖夢や椛、魔理沙の姿を模っており妖夢の人形だけは二種類あった。魔理沙は紐で四種の人形を一括りに纏めた物をいくつか取り出して魔方陣の布の上に並べる。
「可愛いわ。ブードゥー人形みたいね」
「待ってろ。今、妹紅の分も作るから」
紙袋から今度は装飾が施されていない白い布地だけの人形が出てきた。
魔理沙はそれを五つ両手に抱え吐息が当たる位口を近づけると呪文を唱えた。
『あなたは可愛い可愛い役立たずな人形ちゃん。燃やされたくなかったら今こそ腕の見せ所。星座のように取り繕って不細工な姿を見せておくれ。今からあなたは妹紅ちゃん。あなたの唇は妹紅ちゃん。あなたの名前は妹紅ちゃん』
少女の小さい指の中で五つの人形がモコモコと動き、やがて妹紅の姿を模ったマスコット人形が出来上がった。
魔理沙は妹紅人形を先ほどのの束に一つずつ加えると全員に配り、この人形型マジックアイテムの使い方を説明した。
「どうだ、可愛いだろ。アリスの趣味だな。皆人形で遊ぶのをやめろ。説明するから……この人形に口を近づけて何か喋るんだぜ。そうそう、すると喋りかけた人形の原型になった奴が持ってる人形が喋ってくれるんだぜ。あ、喋る人形は話てる奴を模った人形だぜ」
つまり携帯電話のような物だ。
「なるほど便利ですね。広い心象世界で連絡を取り合うのに使うのですね……あーあー。魔理沙さん、聞こえますか」
妖夢が配られた魔理沙人形に話しかけると、魔理沙が持っている妖夢人形が小さな凹みをパクパクさせて彼女の声を発した。
「バッチリ聞こえるぜ。贈り物にも最適だな……それじゃあそろそろ出発するか。妖夢、二種類の薬を予備の分も含めて配ってくれ」
眠りに入るときに使うカラフルな物と目覚める為の白い錠剤が配られた。
薬の使い方と夢の中での注意事項を一通り確認するが途中気がかりな事に気づいた妹紅が口を挟む。
「一寸、まさか全員で行くつもり?寝ている所を妖怪に襲われたらひとたまりも無いじゃない」
「いや、妖夢の半霊に見張りをしてもらう。魂が抜けた身体になら簡単に憑依出来るからな。まあ魔除けの結界も張ったし大丈夫だぜ……あ、現実世界と連絡を取りたい時は白っぽい方の妖夢人形に話しかけてくれ。半霊がスタンバってる筈だから」
文を魔方陣の中心に寝かせる。
一同は焚き火を囲み、一人、また一人、睡眠薬を飲み込んで文の心に入っていった。
・・・
「起きてください、妹紅さん。着きましたよ」
「んん……」
風が妹紅の頬をなでる。目を開けると妖夢の顔とひつじ雲の浮かぶ青空があった。
どうやら自分が膝枕されている事に気づいて気恥ずかしさから慌てて顔を上げる。
蒸し暑くなってきた最近では懐かしい冷涼な風が野原を通り抜けていった。ポツリポツリと広葉樹が生えているだけで、ずっと向こうまで一様な草原が広がっているが薄い霧のせいで地平線までは見通せない。
「ここは……妖怪の山かしら?」
「はい、文さんの記憶が作り上げた精神世界にあるやつですね」
「文の精神世界……」
「主に文さんですけど、私達も空間を作るお手伝いをしているんですよ」
「はあ……」
妹紅は架空世界のリアリティに呆気にとられていたが、すぐに他の二人の姿が見えないことに気づいた。
「ええ、目覚めた時違う場所だって事はよくあるんですけど、ここまで広いと探すのも一苦労ですね」
妖夢は思い出したように手を叩き、腰にぶら下げていたマスコット人形を顔に近づけ話しかけた。
「魔理沙さん、魔理沙さん、応答願います」
少し間をおいて魔理沙人形から返事が返ってきた。
『おお妖夢、魔理沙だぜ。いや参ったな。まさかここまで広いとは……私は椛と同じ場所で目が覚めたんだが妹紅を知らないか?』
「いますよ。ここに」
『そうか良かったぜ。さて、どうするかな。出来れば合流したいんだが時間も限られてるからな』
「ええ、このまま二手に分かれて文さんの分身を探しましょう。その方が効率的ですし」
『分かったぜ。椛も妹紅もそれで良いか?』
全員一致でこのグループで行動することに決まった。
『良し、それじゃあ急ごうぜ。実際の妖怪の山も巨大だが更に大きい山みたいだからな』
お互いの健闘をいのり通信を切る。二人はとりあえず原っぱを歩いてみることにした。
「それにしてもリアルな世界。とりあえず『文の分身』だっけ?それを探せばいいのね」
「私達は魂だけの存在ですけど文さんの場合は彼女の自我の投影された物が存在しているはずです」
「よく分からないけど凄い魔法だわ」
妖夢は「すぐ慣れますよ」と笑った。暫く二人で歩いたが一面の草原以外何も見当たらない。
「ねえ、文が起きたらまずいんじゃなかった?歩き始めてからもう結構経つよ」
「大丈夫でしょう。ここは外より時間が速く流れてますから」
「そ、そう」
「ええ、魔理沙さんが説明してましたよ」
「椛が文をやたら触っていたから気になってさ。あいつ嫌らしい手つきだったよね」
「そうですか?考えすぎでは」
「そうよ!本当に嫌な女だわ。この前は私を文のストーカー呼ばわりしたのよ!」
「ああ……」
椛と妹紅の不仲の原因に察しがつき、ため息を吐いて頭を抱えた。この手の話は聞く方も気力を使う。
「あ、妹紅さん!あれ見てください。どうやら野原もここまでのようです。岩肌がなだらかな感じで下の方に続いています」
ここから下り坂のようだ。下山しようか迷っていると二十メートル程離れた場所に色とりどりの花が咲いているのを見つける。
「あそこは一寸具合が違いますね。何かあるかもしれません」
二人が近づくと草花の陰に隠れていた少女が姿を現した。前髪で顔が半分隠れていたが服装と体型で目星がついた。
「あ、良かった。ようやく見つけました」
「文……」
・・・
魔理沙と椛も文の分身を探して歩き回っていた。彼女らにはあずかり知らぬことだが妖夢達がいるのは妖怪の山の北側であり、こちらは南側となっている。
たまに魔理沙が咲いている植物について解説しながら半刻ほど歩き回ったが何も成果が見つからない。ただ野原に岩肌が目立つようになり傾斜もやや急になってきた。
「どうします。埒が明きませんしいっそ空を飛んで山頂まで行ってみます?」
「空を飛ぶのはあまりお勧めしないな。どの位の広がりがあるか分からんし……もし端まで行ったら目が覚めちまうからな」
「そうなんですか」
「でも山頂は何かありそうだよな。文も高いとこが好きだし、霧が出てきて見渡せないから何か目標物が欲しかったところだ。上に傾斜している方に向かおうか?」
「はい、お任せします」
「おんや、お嬢ちゃんは確か霧雨さんとこの娘さんじゃなかったかの?」
背後から声をかけられ大げさに飛び退いた椛は、空中で抜刀して着地した。
魔理沙も名前を呼ばれて驚き振り返る。見覚えのある顔が顎鬚に手をやり自分の顔を見定めていた。
「あんた、田吾作さんか?」
「ああ、やっぱり魔理沙ちゃんかい。久しぶりじゃのう」
鍬を担いだ初老の男が感嘆した様子で魔理沙の成長を喜んでいた。
「あの、魔理沙さんのお知り合いですか?」
「ん?ああ。間違いなく私の記憶にある男だな。人間の里の田吾作さんだ」
「妖怪の山に人間ですか。哨戒の天狗は何やってるんでしょうね?」
二人は突飛な登場人物にクスクスと笑うが、農夫の風体の男はまるで気にする様子も無く顎鬚をいじっている。
「しっかし偶然ちゃあ面白いもんやなあ。ああ、もしかして魔理沙ちゃんもあの人んとこで働くんかね?」
「あの人?」
「ほれ、なんつったかの……植物に詳しい妖怪さんだがや」
「ん、幽香か?」
農夫の男は「いんや、そんな名前じゃなかったがのう」とぼやき暫く顎を撫でていたが、すぐに思い出すのをあきらめて霧の中に消えていった。
後を追うか迷っていると突然魔理沙のスカートのポケットから妹紅の声が聞こえた。急いで妹紅人形を取り出して返事をする。
「如何した妹紅。何かあったか?」
『うん、文を見つけたんだ。今、妖夢が彼女と喋ってる』
「そうか、良かったぜ。それじゃあ文の心配事やら悩み事やらを聞き出したらまた連絡くれ」
『わかったわ』
人形をポケットにしまい手持ち無沙汰になった魔理沙が大きく欠伸する。
「さてと、これから如何する?」
「もう少し何か探しませんか。あちらにたいした収穫があるか分かりませんし」
「そうだな。しかしこう霧が濃くっちゃなぁ」
やる気の無さそうな面持ちで帽子のつばをいじって遊んでいる。椛の記憶では彼女はもっと好奇心にあふれており、人の迷惑も顧みずに彼方此方連れ回す少女だった気がする。
恐らく一様な心情風景に飽きてきたのだろう。ここに数時間いると感情が鈍磨してくるというか、魔理沙の言うところのアルファ派とかの影響か妙に欠伸がでるのだ。
夢の中で寝たらどうなるのか分からないがとにかく人間を怠惰にさせる空間である。
「お姉さん、もしかして観光?」
「わぁ!?」
二度目ということでさすがに抜刀はしなかったが突然背後から声をかけられた椛が悲鳴を上げた。今度は高く響く幼い感じの声色だった。
振り返ると黒い帽子を被った背の低い女の子が立っていた。
さっきの男は数m離れていたので霧で気づかなかったのだろうと考えたが、この少女は気配も無く突然目と鼻の先に現れたので眠気も吹き飛ぶ登場である。
「こんにちは、魔理沙さん、椛さん。この世界はどうですか?とっても平和で良い所でしょう」
「こいつは古明地こいしって奴さ。地底の嫌われ者の一匹だな」
「ひどー。そんな風に思ってたんですか??」
「魔理沙さん、そんな言い方ないですよ」
「良いんだよ。どうせ本人じゃないんだし、夢の中で何しようが自由だろ」
「夢?魔理沙さんはそんな風に思ってたんですか?とっても浅い理解ですね。まあ良いです。ところで提案なんですけどお二人とも私の農園で働きませんか?お給料も良いですし出勤日もご要望にそえる感じになってますよ」
「ははは、考えとくよ。って言うかお前が農主だったのか……椛はどうだ?」
「いえ、私は哨戒の仕事で手一杯ですので」
「魔理沙さんは何か仕事をしていますか?」
「ああ、霧雨魔法店の店主だぜ!」
「ほほう、そうですか。ではお忙しいんでしょうね」
「いや、忙しくは無いな。気が向いたときしか開店しないし」
「なるほど……実は今収穫期でして、今日だけでも手伝ってくれませんか?もちろん御礼はしますよ」
「へえ、何をくれるんだ?」
「うーん、そーですねー……例えば射命丸文の悩みの種とかどうです?」
椛が耳を立ててこいしに歩み寄った。
「そちらの犬耳さんは興味はあるみたいですね」
「魔理沙さんやりましょう」
「私はパス。何故夢の中でまで泥にまみれて働かなきゃならんのだ」
「文さんの為ですよ!」
「あ、別に汚れることは無いと思いますよ。それに退屈な午後の一時を過ごすにはちょうど良いスパイスになると思います」
「魔理沙さん、やりましょうよ」
「こら、ベタベタ寄り添うな。こいつの言うことを信じるのか?誰の記憶が作り出した物かも分からんのに」
「まあまあ、騙されたと思って」
「魔理沙さん」
「ちっ、まあ物は試しというか……良し、やるよ」
こいしは怪しく笑い、二人について来る様に言うと濃い霧の中を歩き出した。
途中で農具を持った人間にすれ違ったり追い抜かれたりしたが、全員が彼女の農園で働いているらしく慇懃に頭を下げて行く。
こいしが「霧が濃いですね」と言って指を三回ならすと、とたんに濃霧が晴れて三人が歩いているのが巨大な農場を貫く小道だと言うことが分かった。
進行方向の右側で上に傾斜している方面にはりんごの木が道なりに生えており農帽を被った女性が枝を選定している。
左は広大な平野が広がっており、にんじんやエンドウ、サトイモなど様々な農作物を作っているらしい。
農主の説明では数年前までここも雑草が生い茂る荒地だったのだが、実家に出資してもらい人を集めて何とかここまで大きくしたとの事。
三人は道なりに五分ほど歩き、それから道を外れて岩肌を上に登り、十分ほど進んだ岩盤地帯でこいしが「ここです」と言って巨大な縦穴が開いている場所を指差した。
斜面にポッカリ開いた縦穴は直径十メートルはありそうで、淵から下の方を覗き込むが底から立ち上る霧で全く見通せなかった。
「おいおい、トレジャーハンターの真似事でもやれってのか?まあ、農作業よりは面白そうだが」
「ずいぶん深そうですね」
「落ちないように気をつけてくださいね」
こいしは農具ですと言って何処からか取り出した釣竿を魔理沙に差し出す。呆気にとられる二人を他所に、餌もつけずに竿を振って縦穴に糸をたらした。
「ずいぶんシュールな絵ですね」と椛が感嘆していると、すぐに竿に反応があり慣れた手つきで何か吊り上げた。バケツの中を覗き込むと細長くて黒い光沢を放つ湿った物が入っていた。
「何だコリャ?蛭か??」
魔理沙が摘み上げると長い胴体をくねらせて暴れまわる。
「ちょ、良く掴めますね」
「蛭の一種です。けれど噛み付かないので安全です」
こいしは魔理沙にバケツを渡してこれが一杯になるまで吊り上げてくれと頼んだ。
「えっと、私は如何したら」
「椛さんは私について来てください……文さんの秘密に招待してあげます」
「え、良いのですか。魔理沙さんにだけ働かせて」
「ははは、まああの人には秘密です。釣りに夢中になっている隙に行きましょう」
こいしは霧で魔理沙から見えない穴の反対側まで移動すると空を飛んで縦穴の上に浮かび上がる。
椛も彼女の傍まで飛んで行き、心配になった行き先について尋ねた。
「お察しの通り穴の中ですよ」
「やっぱり……なら魔理沙さんと相談しないと」
「やめときましょう。文さんも自分の秘密を大勢に知られたくは無いでしょうし」
椛は暫く逡巡してから穴を降る決意をした。
こいしは微笑んで彼女の勇気を称えると、緊張して汗ばんだ手をとり白い霧の中へ消えて行った。
・・・
「妖夢、あれって……」
「文さんですね。彼女の分身です」
花畑に座っていた文は妖夢達が十メートル程まで近づくと立ち上がって二人を一瞥したが、すぐにまたしゃがみ込んでごそごそと何かやり始めた。
「どうする?私が話しかけようか」
「えっと、いや、私が行きます。妹紅さんはまだこの世界に慣れてないでしょう。彼女が現実世界の文さんと同じだと考えない方がいいです」
妖夢は妹紅に下がっているように言うと、精一杯の努力で作った親しみ易い笑顔を顔に貼り付けて文に声をかけた。
「おや、これは嬉しい偶然ですね?文さんじゃないですか。いい天気ですからね。いやあ、こんな日は散歩に限りますよね。うふふふ」
最後の微笑みは一寸いただけなかったが、どうやら不信感を与えずファーストコンタクトに成功したようだ。破顔した妖夢に多少苦笑したが、のんびりした口調で返事をしてくれた。
「妖夢さん……ええ、風が涼しくて外出にはいい日和ですね」
「おや、今日は花摘みですか?それはなんと言う花でしょうか」
恐らく同じ種類であろう花を脇に置かれた籠に山積みにしていた。
「ああ、精油の材料になるんですよ。それで大量に必要でして……籠一杯取って戻ってもほんの少ししか抽出出来ないんですよ」
ポケットから小瓶を取り出して「こんな香りがするんですよ」と、妖夢の顔に近づけ手で扇いで嗅がせてくれた。
「へえ、不思議な香りですね」
「ふふ、レモンやオレンジに近い匂いだから結構誰でも好きになる筈よ」
この文は随分と女性らしい趣味の持ち主のようだ。
妖夢が文の悩みについてどうやって切り出そうか考えていると、また先ほどの様に座り込んで四枚の花びらを手の平ほどの大きさに広げるオレンジ色の花を摘む作業に戻った。
「二人とも、暇だったら花を摘むのを手伝ってくださる?この花畑は今朝見つけた穴場でね。珍しい花がたくさん咲いてるのよ」
「あ、はい」
「分かったわ……」
機嫌を損ねるわけには行かないので二人で作業に加わる。それぞれ籠を持ってテニスコート位の花畑でオレンジ色の花の採集を始めた。
「あ、ここラベンダーがあるんですね」
「ええ、彼方此方にこういう花の群生地があるの。ラベンダーは割と良く見るわね」
「ふー、私ラベンダーの香りって苦手なのよね」
「ふふふ、私も最初は一寸苦手だったわ。でも最近は慣れてきたわ」
三人仲良く並んでお喋りしながら花摘みをしていたが、用件を思い出した妹紅が小声で妖夢に促した。
「文さん、えっと、実は最近文さんが元気が無いなーって思ってまして……あ、今はとても楽しそうに見えますけど、その、普段私達と接している世界の文さんが何か悩み事を抱えてるんじゃないかと。うーん、私の言ってること分かりますか?」
「分かりますよ。上の世界の私のことですね?確かに悩んでいます」
どうやら、現実世界の文と情報を共有しているらしい。事態の進展に二人はほころんだ顔を見合わせた。
「そうですか!でしたら是非教えていただきたいんです。椛さんがとても心配していて、私達も理由が分かればきっと力になってあげられます」
「それは出来ません」
「っ……理由を聞かせてくれますか」
「勿論あの子……文が悲しむからです。もしあなたが彼女の立場だったら勝手に心を覗かれて喜ぶかしら?」
「それは……」
「そうですね……一番の原因は私自身が知られたくないからです。私もあなた達の世界の文の一部ですから秘密を知られるのは怖いんです」
口ごもる妖夢に代わり、妹紅が口を開く。
「でも現実世界であの子の調子が芳しくないのは知ってるでしょう」
「ええ」
「だからヒントだけでも教えて欲しいわ。言いたくない部分は暈していいから」
文の分身は息を吐いて困ったように相手の顔を見るが、そこに執念に近い色を見つけ多少気圧されたらしい。
「……分かりました。では彼女に判断してもらいましょう」
「彼女?」
「もう一人、あなた達の知らない文を知っていますので。どうぞこの小瓶の香りを嗅いで下さい」
先ほど精油が入っていたビンと同じ形の物を差し出した。妖夢が鼻を近づけるが気に入らなかった様で顔をしかめる。
「あら、あなたは駄目だったわね。じゃあ妹紅さんはどうかしら」
半信半疑で香りを嗅ぐ。
「良い香ね。懐かしい匂いだわ」
「ああ、良かった。気に入ってくれたのね。香は人の記憶を呼び覚ます効果があるのよ。その匂いが気に入ったのなら妹紅さんはその香と結びついた記憶を意識化出来る準備が整っているのですね。文が煩っている思い出と似た経験があるのかもしれないわ」
「まあ伊達に年食っちゃいないわよ」
何故か誇らしそうな妹紅だったが突然仰向けに倒れたと思ったらいびきを立てだした。
「あ、妹紅さん!?」
「そんなに慌てないで。ただ眠っただけです。下の世界の私が見つけてくれるでしょう」
「え?何ですって」
「彼女はここよりもっと下の世界。意識の深層にいったんです」
「行った?妹紅さんはここにいますよ?」
「身体はね。でも魂の無い抜け殻です。心配しなくてもいずれ目を覚ましますよ。それほど強い薬じゃないですから」
文は彼女が目覚めるまで花摘みでもしましょうと言ったが知らない間に人質を取られた様なものだ。
とりあえず妹紅人形に話しかけるがいつまで経っても返事が無い。妖夢はパニックになりそうな頭で今度は魔理沙人形に向かって怒鳴り散らした。
文の分身は涙目で人形に慰められている少女の姿はなかなか可愛いなと思うのだった。
・・・
薄暗い和室で目覚めた妹紅が初めに目にしたのは開かれた障子戸から見える庭と半分ほどかけた月だった。
ぼんやりとした頭で頬の畳の痕を擦っていると部屋の暗がりから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「妹紅、妹紅、起きましたか?全くあの人はいつも面倒ごとを押し付けるのだから」
白い寝巻きに身を包んだ髪の長い女性が妹紅の近くに歩み寄る。月明かりに照らされた顔は眠たげに目を擦る文のものだった。
「あ、文……よね」
「そう見えるならそうなのでしょう」
「髪、長いわね」
眠そうな足取りが右へ左へ揺れる度に艶やかな髪が上品に揺れる。
退屈そうに袖で口元を隠して欠伸する様など、いつも見る文より色っぽかった。
「私の顔に何かついていますか?」
「あ、いや。実はあなたに聞きたいことがあるのよ」
二人は向かい合って座り少し話した。妹紅はここが意識の深層だという認識に至り、それから彼女も他の文と情報を共有しているとのことだ。
「教えて頂戴。彼女はいったい何に悩んでいるの?」
「……少し歩かない?」
文が立ち上がり返事も聞かずに部屋を出た。彼女の声が多少怒気を帯びていたので妹紅はたじろぎ後を追うのが遅れてしまう。
急いで部屋を出て縁側を歩く後姿を追いかけた。すれ違う侍女と思しき女達がわざわざ道を譲っており、この文はかなり身分の高い身の上らしい。
廊下を二三度曲がったところで突然ポケットの中から魔理沙の声が響いた。人形の声は小さいが夜の静寂を壊す位には大きかった。
『妹紅、妹紅、返事しろ!』
「魔理沙、聞こえてる。声を落として」
『ふー、良かったぜ。妖夢の話じゃ眠り姫らしいじゃないか』
「何言ってるのよ」
『ああ、お前は下の世界に行ったらしいな。まったく椛といい勝手な行動を取ってくれるぜ』
「椛がどうしかしたの?」
『あいつも意識の下層に向かったらしい。文の秘密を探るってさ。もしかしたら鉢合わせするかもしれないぜ』
通信を終えると文が振り返って咎めるような目で妹紅を見ていた。
「あなたも私達の秘密を暴きに来たのよね?」
「わ、私は文が前みたいに元気になればそれで良いのよ。別に無理やり暴こうだなんて思ってないわ」
二人の間に沈黙が流れた。文が「ふん」と鼻を鳴らして何も言わずにまた歩き出す。背を向けたまま妹紅に質問した。
「ねえ、一つお願い聞いてもらえないかしら」
「どんな?」
「私達の……文の悩みの種を潰して欲しいの」
「私に出来ることなら」
「……ついて来て」
二人は屋敷の中央を通る廊下を進み、最初に見えた庭とは反対側にある庭園に出た。文が草履を履いて庭に降り奥へ奥へと進んで行く。
妹紅も後を追う。途中、庭から屋敷を眺めるとその大きさと精巧さに驚いた。
「何処まで行くのよ」
「もう少し」
大池に架かった反橋を渡り低い樹木が両側に続く石畳の通路を暫く歩くと、隠れる様に建っている蔵を見つけた。
「この蔵を燃やして欲しいの」
「何がある蔵なの?」
「良いからやって頂戴」
「……分かった」
妹紅が右手を建物に向け炎を操り爆発を起こす。しかし見えない壁に阻まれて傷一つつかなかった。
驚いて続けて数回炎を炸裂させるが同じく阻まれた。
「結界が張ってある」
「もっと強くやって。急がないと音を聞きつけて人がやって来るわ」
今度は全力で炎を放った。金属が砕ける音がして結界が弾け飛び余波で蔵に火がつく。
「これで良かったの?」
「ええ、それじゃあ急いで戻りましょう」
二人が人目を盗んで走り去っていくと、一部始終を藪から覗いていた者が入れ替わりに蔵に駆け寄った。
「まさか向こうから結界を解いてくれるとはね」
「どうしよう。蔵に火が」
「なら急がなきゃ」
椛とこいしは火のついた戸を蹴破り中に入る。既に屋内まで火が回っており壁一面に収納されている巻物が照らし出されていた。
「何を探せばいいの!?」
「彼女の記憶、彼女の秘密、彼女の罪」
ふと、部屋の中央の机の上に鎖と札で封印を施されている小箱を見つけた。椛は刀を振るって器用に鎖だけを断ち切る。
中に入っていた暗緑色の巻物を出して机の上に広げた。
読もうとして目で文章を追うがどういう訳か文字があちらこちらに動き回っており、まるで蟻が紙面を這いまわっているような有様だ。
ひどい眩暈を覚えた椛は目頭を押さえて何とか持ち直そうとしたが、やがて倒れこんで意識を失ってしまった。
・・・
椛は鼻を突く腐った水の匂いで目が覚めた。濡れた顔を上げると世界は三百六十度泥沼が広がっており、日没間近の薄暗い空には低い雲が陰気に浮かんでいる。
「文を探さないと」
目を瞑り千里眼を使った。上空に舞い上がった視覚が偵察衛星のごとく永遠と続くぬかるみを映し出す。
半ばすがるような気持ちで送られてくる視覚情報を確認していると、膝まで泥水に浸かりながら屈んで水面をかき混ぜている人影を見つけた。
「あ……文!」
全裸の女性の姿はいつも寝室で見る豊満な身体そのものだった。
千里眼を解いて映像が送られてきた方向に目を凝らせば微かに動く彼女を視認出来た。
椛は吐き気を催す池から浮かび上がり灰色の空を全速力で飛行した。
妙に身体が重い。息苦しさから深呼吸するがその度にひどい眠気を覚えた。
腰を曲げて水底を探っている文の正面に降り立ち、肩にそっと手を置く。
「文、文、私が分かる?」
「……椛?」
顔を上げた文の相貌に戦慄する。地獄の亡者のそれだった。
「私はあなたを助けたくて」
「……なら一緒に探してくれる?」
「な、何を?」
先ほどから感じていた重だるさが一層強くなった。
「大事だから。探さないといけないの」
「文……!」
椛は文を抱きしめてボロボロと涙を流した。内から内からとめどなく溢れて来る。
妹紅がしたように彼女を苦しめる物は全て無くしてしまえば良いとさえ思った。
「椛さん、椛さん。ああ、ようやく見つけました」
「こ、こいし……さん」
見上げると古明地こいしが地上から少しはなれた所に浮いている。
「文がこんなになってて……この世界は変です。この臭いも。空も。地面も。どうして、何故こんなに苦しいんでしょうか」
「ははは、椛さんは気に入りませんか?美しい世界ですよ。もっと良く自分の身体を見て御覧なさい。苦しさの原因が分かります」
椛が目を落として腕の中の文を見る。
「ひっ!?」
何千という蛭が絡まり人の形をしていた。
「薄っぺらな化け物です。影よりも薄くて、それでも人を見下そうとして沼の中に引き釣り込む化け物。なんて哀れで汚らしいんでしょう」
椛が引き剥がそうとするが絡み合った蛭を触手のように伸ばして彼女の身体を拘束していた。
「た、助けて……!」
「はい、勿論」
こいしがスカートのポケットから小瓶を取り出す。蓋を開けると瓶口から植物の蔦が伸び出てきた。
蔦は無数に枝分かれして蛭の大群を包み込むと椛の身体から引き剥がしながら瓶の中に戻っていく。
狭い口に無理やり押し込まれた蛭のつぶれる音が絶え間なく響いていた。
・・・
「椛、椛!何してるんですか?置いていきますよ」
「ちょ、一寸待ってよ。私は哨戒の仕事で疲れてるんだから」
博麗神社に続く石段を文と椛が駆け上がる。最近文が体重が気になると言い出して普段は飛び越える石階を徒歩で登っている。
「あ、今日は白い下着なんですね」
「……もーみーじー!」
赤面して椛の頭をポカポカと叩く文の右耳には白いイヤリングが光っていた。大切な人の形見だそうだ。
締め切り間際の書き入れ時に長文投稿(ゲス顔)
あぶぶ
作品情報
作品集:
10
投稿日時:
2014/06/10 14:03:16
更新日時:
2014/06/13 19:22:05
評価:
9/11
POINT:
870
Rate:
14.92
分類
産廃創想話例大祭B
文
椛
さて……。
『ダイブ』なんて禁断のお遊びをすると、深層心理で溺れかねませんよ?
イマジナリーフレンドがいなかったらどうなっていた事やら……。
でもまあ、具体的な事は分からないし、分からないほうが良いですけど、とにかく解決したようですね。
胎児は母を想って夢を見る……。
ただそういうものとしておくだけでいいのかな。
現時点で別次元にトリップできる見込みがないのなら、引き返すのが一番ですよね。