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『嘘つきアリスの嘘つき世界』 作者: 藍田
アリスは、生まれてはじめて、友達といえるひとと出会いました。
私も魔法使いなんだよ、と、そのひとはとても気安く話をかけてくれました。アリスがそっけない態度を取っても、おもしろそうにやってきてくれました。
アリスの家には、魔法によって世界の法則をねじまげて誕生した奇妙なけものたちがたくさん住んでいました。頭部の無い、猫のような鳴き声をあげる犬や、肺病患者のような声で内容を囁く人皮装丁本や、蟹が支配する異次元の世界へとつながっている、巨大なかたつむりの壁紙などで埋め尽くされていたのです。
何よりアリスが愛していたのが、人形たちです。彼女たちは、まるで生きているように笑い、歌い、踊ることができました。そして、まるで他人のように、アリスと会話ができました。
アリスは、人間だったころからこういった奇妙なものたちと暮らしていました。アリスは人形のように整った顔や美しいからだを持っていましたから、その姿に惹かれた男たちによく声をかけられました。君のことなら何でも受け入れるよ。そんな言葉をかけていた男たちは、これらアリスが愛するものたちをみると、みんな悲鳴をあげながら、逃げてしまいました。そしてみんな、二度とアリスの前に姿を現すことはありませんでした。
ぜんぶ嘘だったのだ、とアリスは思いました。それまでかけてくれた優しい言葉は、全部嘘だったのだと。
アリスは、そんな世界が嫌いでした。最後には自分を裏切る嘘ばっかりの世界が、大嫌いだったのです。
魔法使いになり、幻想郷にやってくると、アリスは愛する人形たちと、森のなかに住むことにしました。
そうして、アリスはずっとずっと、ひとりで生きてきたのです。
彼女は、アリスの奇妙なけものたちを見ても素直に驚き、「お前はすごいやつだなあ」と褒めてくれました。アリスの作った人形たちを、かわいいなあ、と言ってくれました。
アリスは、わざと拒絶するような態度をし続けていました。今までのように、こちらから近づくと壊れてしまう気がして、怖かったからです。でも、心のなかでは、彼女に夢中でした。
アリスは人間をやめたときから食事を摂る必要がありませんでしたが、彼女がおいしいと言ってくれた紅茶とクッキーを毎日用意しながら、来てくれるのを心待ちにしていました。彼女はやってくると、アリスはいつもクッキーばかり食べてるんだな、と笑いました。
そんなにひとりで食ったら太るぞ。私も手伝ってやるよ。
……勝手に食べればいいじゃない。
気安く言葉を返せるよろこびを顔に出さないようにしながら、アリスは紅茶をテーブルに置きます。悪いなあ、とティカップに伸びる彼女の指先を、アリスは見つめていました。
なんてしろくてほそくて、きれいな指なんだろう。
アリスは、彼女が帰ったあとも、ずっとあの指のことを考えていました。
*******
彼女が来ない日々が続いたとき、アリスは彼女の姿を思い返しながら一日を過ごすようになりました。金色の髪をかきあげる仕草。ティカップをつかむ指先。椅子に座るときの、エプロンドレスのお尻のあたりをちょっと手で直す仕草。クッキーを食べるとき、手を口の下に添えてちょっとお嬢様っぽく食べるその姿。おいしいなあ、と笑ってくれるその笑顔。そんななにげない仕草を、まるで映画を再生するように、昼も夜も何度も繰り返し思い出していたのです。
やがて我慢できなくなったアリスは、人形で、彼女の指を再現してみました。いつも彼女をじっくりと観察しているだけあって、さすがによくできていました。
アリスはその手を使って、自分の頬を撫でたり、胸を触ってみたりしました。それは、おもったよりも、きもちのいいことでした。
アリスは、彼女の等身大の人形もほしくなりました。
でも、アリスは彼女のことを、よく知りません。前に家の住所は聞いたのですが、それ以外、何も知らなかったのです。
彼女の家に来ても、アリスはとても声をかける勇気はありませんでした。仕方なく、彼女に気付かれぬようにその後ろをついていきますと、実にいろんな場所に行っていることがわかりました。吸血鬼の館に遊びに行ったと思ったら、次の日は湖で、妖精たちと魚を釣ってました。アリスは、そんな彼女の生き生きとした姿をみるのが、たのしくなりました。いけないことだと思いましたが、魔術で声を届ける小さな人形を飛ばして、彼女の声を聞くようになりました。かろやかでよく響く彼女の声を聞くだけで、アリスはうれしくなりました。
やがてわかりました。いろんな場所に行く彼女が、いちばんよく通うところ。
博麗神社です。
アリスは、今夜も、神社の境内の草むらにひそみながら、人形を通じて彼女たちの会話を聞いています。いや、人形を使うまでもなく、会話は聞こえました。
……ずいぶんだらしない格好してんな。
だって、急に暑くなってきたんだもの。いいじゃない。どうせ魔理沙くらいしか来ないんだから。
巫女がそんなんだから、この神社が廃れるんじゃないのか。
ふたりの会話は、とても気安いもので、アリスは、聞いているだけで気後れしてしまいました。その濃密な空間は、彼女が体験したことのないものでした。
わたしも、魔理沙とあんなふうになれれば、とてもたのしいだろうな。と、ぼんやりと思いました。
それから三時間ほどして、彼女は帰っていきました。
アリスも帰ろうと思っていましたが、見送っていた巫女が、しばらく立ったまま、玄関をなかなか閉めようとしません。
……ねえ。そこにいるんでしょ?
突然巫女がそうつぶやいたとおもうと、アリスは首をつかまれました。
巫女は、アリスを後ろ手にして神社の中に連れ込むと、乱暴に押し倒しました。
畳の上に投げ出されたアリスが立ち上がる前に、巫女がのしかかってきて、首のあたりを掴んで抑えつけます。
巫女は、サラシを巻いてませんでした。前かがみになったために、だらんとゆるんだ服の胸元から、薄い乳房と、桜色の乳首がくっきりとみえました。
荒い息づかいが、アリスの耳に届いてきました。
あなた、見てくれはきれいだけど、へんたいなんだね。
なぜか、うれしそうな声でした。
本当の自分に嘘をついて、生きている顔よ。
……違う。
草むらのなかにどれだけいたの? ほら、こんなところも蚊に刺されて、まるでお灸でもすえたみたい。
……違う。わたしは、ただ。
魔理沙が好きだけど自分からは話しかけられないから、こうやって何時間もじっと草むらにひそみながらひとの会話を盗み聞きしていた、って? それがへんたいじゃなくてなんだっていうの?
……。
魔理沙は気持ち悪がるよ。ああみえて、結構繊細だからさ。繊細というか、お嬢様というのかな。まっとうな世界で生きてきたから、そこからはみ出した悪意とか欲望とかは、理解できないんだよね。だから、あなたみたいな異常者は、絶対に、理解できないよ。
……言わないで。お願いだから。
巫女は、うふふ、と笑いました。
今までお人形みたいに生きているか死んでるかわかんなかったのに、そこははっきり言うんだ。おかしいね。
……。
いいわ。魔理沙には、言わないからさ。
……ほんとうに?
うん。だって、言うんだったらとっくに言ってるじゃない。
なんで言わないのか、ってわかる?
私も、あなたとおなじ、へんたいだからだよ。
……同じ?
そうよ。私も、本当の自分を偽って生きているの。博麗の巫女として、魔理沙といっしょに異変を解決する私は、本当の私じゃないの。
アリスの頬のそばに、巫女が顔を近づけてきました。その顔は、うっすらとほほ笑んでいました。
異変なんて博麗の巫女の力があればあっという間に解決できるんだよ。だから、私が考えているのは異変のことじゃなくて、いっしょに飛んでいる魔理沙のことばっかりなんだ。魔理沙が見る世界はきらきらしていて、その裏にあるどろどろしたものはね、魔理沙には映らないの。だから、私がふざけたふりして魔理沙のびんかんなところにわざとさわったり、私が道中でこそこそと自分をなぐさめてたり、わざとドロワを履いてなかったりすることとかなんて、気づいているのに気づいていないの。きっと、友達だとおもっていた人間がへんたいだって認めることが怖いんだろうね。きらきらした世界が壊れるのが怖いんだろうね。今だってそう。私がサラシを巻いてないことにちょっとどぎまぎしちゃってて、でも、そのことに触れようとはしないの。私のちくび、ちらちら見てるくせにさ。これでスカートの中まで見えたら、どんな顔をするのかな。
かわいいでしょ。私、そんな魔理沙が好きなの。あなたも、そんなところが好きなんじゃないの?
アリスは、しばらくしてから、
……魔理沙は、わたしに、声をかけてくれたから。
と、言いました。
巫女は笑みを消しました。しばらくして、へんたいのくせに、純粋なんだね。と、つぶやきました。
きっと、純粋すぎて、歪んじゃったんだね。こんなにきれいなのにね。かわいそうだね。
巫女は、ほんとうに、あわれむような視線をアリスに向けていました。
それから、ふふ、と、ほほ笑むと、
それよりさ。あなたは人形作りがうまいんだってね。じゃあ、魔理沙の人形も作っているよね。
あはは、言わなくてもいいよ。あなたみたいなへんたいが、作らないわけないものね。
でもさ、追いかけたって背中とかしか見えないでしょ? もっと、すみからすみまで、見たいと思わない?
巫女は、意味をつかめないでいるアリスの首に手をまわして、自分のほうに引き寄せました。もともと近かったふたりの顔は、頬がふれあうほどに並びました。
ちょっとサービスして、あなたにすてきなもの、見せてあげる。
巫女は、真っ赤なリボンを取り出して、アリスの顔の横の空間に、結びつけました。リボンは浮いたまま、何も無い空間に結ばれます。もうひとつ、同じリボンをその真下の空間に結ぶと、リボンとリボンの間の空間を両手で掴みました。空間は左右にぱっくりと開き、渦巻くマーブル状の液体に眼球がぷかぷか浮かぶ空間があらわれました。
絶対に動いちゃだめよ、と、告げると、巫女は、その油まみれの海のような空間にアリスの顔を、その右半分くらいまで突っ込みました。
最初、アリスは、右目に映っている光景が何なのか、わかりませんでした。
でも、しばらくして、それが、はだかの足だということに気付きました。
誰かが、下着だけの姿で、両足をぶらぶらさせながら、椅子に座っているのです。
自分の顔の右半分は、誰かの机の下に出現したということを、アリスはようやく理解しました。
足の主と思われる鼻歌が、右耳に聞こえてきました。アリスがよく声でした。かろやかな音色にのって、両足がぶらぶらと揺れています。
魔理沙、もう帰ってお風呂入ったんだ。相変わらず早いね。
アリスの横へ、顔の上半分をにゅっと突っ込んできた巫女が、うれしそうに言いました。
魔理沙ってさ、いつもお風呂入ったあと、しばらく下着のままで、椅子に座って本を読むのよ。勉強熱心なのよ。
ねえ、魔理沙って、足、太いよね。そのうちわかるけど、からだも、けっこう寸胴。下着だって色気も何もない白だしね。ああ強がってるけど、ほんと、お子様なのよ。
でも、きれいよね。まぶしいくらい、きれいだよね。
そんなきれいな魔理沙のからだを、私みたいなうすよごれたへんたいがさ、いつも見ているんだよ。なんだかこうふんしない?
アリスの耳に、巫女の言っていることは、ほとんど入ってきていませんでした。右目に映る彼女の肢体に、すべてを奪われていました。
巫女は、そんなアリスをはじめは楽しそうに見ていましたが、だんだん笑みを消していきました。
……ねえ。そんなに魔理沙のからだがみれて、うれしいの。
アリスは、うれしい、と言いました。
すると、巫女は、いら立つように顔をゆがめました。
なんだかよくわからないけど、むかつく。
あ、そうだ、と、霊夢はうれしそうに声を高くしました。
きっと、あなたみたいなへんたいがただでみていられるから、むかつくんだ。
巫女はスキマから顔を外すと、楽しそうに、もうひとつ、空間にリボンを結びはじめました。そうしてリボンの間の空間のスキマを開くと、くらげのような、ゲル状の物体が床に落ちました。それは、しばらくすると、うめき声をあげながら、ゆっくりとのたうちまわっています。そのたびに、半透明の皮膚から透ける内臓が、うごめいていました。
……そいつね。昔人間だったんだけど、暗い海の底に沈められてね、そんな姿になってしまったのよ。今じゃ、まわりに液体が無いと死んでしまうの。自分を苦しめたものがないと、生きられないからだになってしまったのよ。だから、今、とても苦しいのよ。かわいそうでしょ。せっかく戻ってきたのに、人間とは触れられないなんて。
だからね。たまにかわいそうだから、遊んであげてたの。でも、いつのまにかおっきくなっちゃって、遊べなくなっちゃったんだ。
巫女は、うれしそうに、アリスの耳元でささやきました。
からだってさ、液体で満たされているのよ。知ってる?
ひとつ、お願いがあるの、とアリスはすぐに応えました。
巫女は、それを意外におもったのでしょう、ぽかん、とした表情を浮かべています。
両目で、魔理沙を見ていたいの。両耳で、魔理沙の声を聞いていたいの。だから、顔を、ぜんぶこのスキマに入れてほしいの。何をされても、私は声をあげないし、大丈夫だから。
巫女の目が、しだいに、怒気をはらんでいきます。
あれが全部、あなたのなかにはいるとおもっているの?
わかっている。でもわたし、きっとかわいそうなその子を好きになれるから。
巫女は、一瞬気圧されたような表情を浮かべました。
アリスは、そんな巫女をみて、少しだけ、ほほ笑みました。
……あなたって、ほんとうは、やさしいんだね。
アリスは、頬に強い衝撃を受けました。
巫女は、頬を張った手を震わせながら、
……ふざけないでよ! ほんとうに、ころされたいの。
……別に、ふざけてない。私は、ほんとうに大丈夫だから。だから、心配しないで。
そう言ってアリスは、服を脱ぎはじめました。
巫女は、ぎょっ、としたようですが、アリスのからだがあらわになると、だんだんその目は、落ち着きを取り戻していきました。
それって、自分でやったの?
アリスは、うなずきました。
ふうん。ほんとうに、くるっているんだね。おっぱいもおっきくて、腰なんかもきゅっと細くて、とてもきれいなのにね。
うん。わたしは、くるっているの。
わかった。じゃあ、なにをされてもいいんだね。
……やっぱりあなた、優しいのね。
は?
だって、わたしのからだをみても、きもちわるがらない。
巫女は、ひどく暗い目をしました。
あなたって、ほんとうに、すくわれないよね。
そうだね。
いつか破滅するよ。いや、もう、しているのかな。
そうだね。
くらげの怪物は、液体を求めて、アリスに近づいていきました。
巫女が呼び出した怪物は、液体を求めてアリスのなかに侵入してきました。アリスのおなかはにんしんしたように膨らみ、広がりきったお腹のまっしろな皮膚には、くっきりと血管が浮かび上がりました。普段広がるはずもない部分をこじ開けられたために、骨がきしみ、筋肉が千切れる音が、アリスの耳の奥に直接響いてきました。また、いつもは排泄するための部分から、何かが逆流してくる異様な感覚がしたかとおもうと、すぐにおなか全体に石膏が詰まり、それを鈍器でかち割られるような激痛が、おぞましい吐き気とともにやってきました。たちまちアリスの全身は熱病にかかったかのように汗がふきだし、おなかのあたりはまるで別の生き物のようによじれ、痙攣しました。
アリスは、明かりを消した彼女の部屋を見守り続けていました。
ねえ、その風船みたいなおなか、ほんとに破裂しちゃうよ、ほんとにだめになっちゃうよ、という巫女の声は、アリスには聞こえませんでした。アリスの耳は、彼女の穏やかな寝息だけを聞いていました。
きっと、巫女がリボンを外してスキマを閉じるのが少し遅れていたら、ほんとうに、アリスのおなかは弾け飛んでいたでしょう。
もしかすると、裂けてもそのままだったかもしれませんが。
ねえ。生きているの?
巫女の声に、アリスは反応できません。横たわったまま、全身をびっしょりと汗に濡らし、がくがくと震えていました。
……魔法使いってさ、世界の理をねじまげちゃうんでしょ。だから、食べなくても眠らなくてもいいし、からだもけっこうめちゃくちゃされても死なないんだよね。……ばかだね。かわいそうだね。
それからしばらく沈黙したあと、
ねえ。なんで、魔理沙の名前をつぶやいてたの? もしかして、魔理沙に抱かれている妄想にでもひたっていたの?
アリスが、かすかにうなづきました。
巫女は、一瞬、焦がれるような、すがりつくような目で、アリスを見つめていました。
でもすぐにそれを打ち消すように鼻を鳴らすと、畳に転がるアリスに唾を吐き捨てました。
これで、魔理沙の人形も完成するんでしょ。お人形さんごっこで満足するのが、あなたにとっても一番いいやりかたよ。穢れたものがキラキラしたものに近づくと、溶けてしまうんだから。
頬にかかった巫女の唾が垂れ落ちるのを感じながら、アリスは、魔理沙に溶かされる妄想をしていました。それは、とてもきもちのいい妄想でした。
*******
アリスは、そのときあまさず観察した彼女の姿を完璧に再現した人形を作りました。古い樫の木を、豚の血にひたした綿でくるみ、死刑囚たちの皮をなめして作った肌で包み込んでからだを作ります。おなかにはたくさんの人形を詰め込んで、胸には金平糖とスパイスをふりかけました。ビー玉で作った目と死者の歯で作った口を頭部にくっつけると、魔法をかけて理をねじまげました。たちまち人形は、生きている人間そっくりのみずみずしさを得ました。彼女がいつも着ている魔法使いっぽい黒のエプロンドレスを着せると、ほんとうに瓜二つになりました。
彼女が来ない日には、アリスは人形と話をするようになりました。人形は、アリスの意思のとおりにしゃべり、動きます。
わたしのこと、好き?
好きだよ。
わたしって、あたまがおかしいってみんなから言われるの。それでも、いいの?
いいよ。
わたしのからだって、傷だらけだよ。ぜんぶじぶんでやったの。きもちわるくない?
きもちわるくないよ。
わたしの胸って、へんにおおきくて、きもちわるいよね。
そんなことないよ。
……じゃあ、さわって。
うん。
ね、ねえ、もっと。もっと強く。にぎって。にぎりつぶしちゃって。
わかった。
ああ、いたい。ほんとうにいたい。でも、うれしいよ、魔理沙。
私もうれしいよ、アリス。
ま、魔理沙のせいで、わたしのおっぱい、こんなになっちゃった。こ、こんどは、ち、ちくびも、かんで。おもいきり、かんで。
うん。
はぁっ……ま、魔理沙、ち、血がでちゃったよ。す、吸って。なめて、わたしのおっぱい、なおして。
わかった。
わ、わたしのきたないところ、すごいことになっちゃってる。ま、魔理沙の手で、きたないもの、ぜんぶかきだして。きれいにして。
うん。
っ……だ、だめ、ゆ、指じゃ、どんどんきたないものが出てきちゃうよ。う、腕ごといれて、奥からかきださないと、きれいになれないよ。
いれるよ。
ぃっ……ま、魔理沙、魔理沙、ごめんね、こんなきたなくて、へんたいで、魔理沙、まりさあっ……。
そうやって、毎日、アリスはお人形遊びをして過ごしました。
それは、今まで体験したことのないほど、とてもたのしくて、きもちのいい時間でしたが、それが終わり、もとの、虫の鳴き声や、風が窓を叩く音だけが響く世界に戻ると、耐えきれないほどの孤独をかんじるようになりました。
今までのように、代わりの人形があれば、満足できるとおもったのに。
ほんとうの彼女の感触を、気持ちを、知りたくなってきてしまったのです。
アリスは気付きました。いや、気付いておりました。世界だけでなく、自分自身も嘘をついていたのだと。
人形で満足するなんて嘘だ。ほんとうは、友達が欲しかったのだと。
ほんとうの魔理沙は、どんな感触なんだろう。
きっと、もっと、気持ちいいんだろうな。
あたたかいかな。それとも、つめたいのかな。
やわらかいかな。それとも、ちょっとかたいのかな。
触りたいな。触ってほしいな。握りたいな。握ってほしいな。
魔理沙だったら、嘘をつかないでいてくれるかな。
ほんとうの友達になってくれるかな。
これからも、ずっといっしょにいてくれるかな。
*******
その日は、久しぶりに彼女がやってきました。アリスはうれしさを何とか噛み殺しながら、彼女を迎えました。
玄関に立つ彼女は、いつもと違い、神妙な顔つきをしていました。
その目を見て、アリスは嫌なものを思い出しました。
……久しぶりだな。元気だったか?
……なにも変わらないけど。
彼女は、ようやく、にやり、といつものように笑いました。
相変わらずそっけないやつだな。安心したよ。
……どういうこと?
いやな。私の友達がさ、変なことを言うんだ。
アリスは、ざわめく心を必死に抑えつけていました。
……変なことって?
いや、本当に変なことなんだけどさ、と、彼女は苦笑します。
でも、やっぱりどう考えても、お前がそんなことしているはずないもんな。誰に吹き込まれたのか知らないけど、あいつらしくないよな。アリスが私の人形を、だなんて……。
……よくわからないわ。
悪いな。こっちの話だよ……ただ、お前がこうやって家に引きこもっているのもよくないと思うんだ。おかしな噂が流れるのも、それで誤解されているんじゃないかって。
今度、お花見をするんだよ。今、私の友達の神社の桜は満開で、とてもきれいなんだ。だからアリスも行こうぜ。
アリスは花見なんてしたことはありません。でも、彼女と一緒に桜を見れるなら、それは、とっても楽しいだろうな、と思いました。
でも、わかっていました。自分は参加できないことを。あの神社には、近づいてはならないことを。
……やめておくわ。こうみえて、忙しいの。
どうしてだよ、と、彼女は言いました。
いい天気なのにずっとこんな部屋にいるなんてもったいないじゃないか。たまにはぱーっとするのも楽しいぜ。行こうぜ。ほら。
そのとき。彼女の手が伸びてきて、アリスの手を掴みました。
春の陽気のせいか、湿っていて、やわらかくて、少し、ひんやりしていました。
アリスが望んでいたものは、あっけなく叶えられたのです。
魔理沙の手って、乾いている人形と全然違うんだな。
手を伸ばせば届くくらい、こんなに近かったんだな。
そう。がんばって、少しだけ、手を、伸ばすだけで。魔理沙は。
なにぼーっとしているんだよ。ほら。
手をつかんだまま、不思議そうな顔でこちらに振り向いている彼女を見て、アリスのなかで抑えつけていた感情が、一気にふきだしてきました。
もしかすると、人形に慣れてしまったせい、かもしれません。
人形は、自分の意思のとおりに動いてくれるから。ぜったいに裏切らないから。
それは、不幸な誤解でした。
……魔理沙。ごめんなさい。わたし、あなたに、嘘をついていたの。
きょとん、とする彼女に、アリスは言いました。
私、あなたのこと、好きなの。ほんとうに、好きなの。
魔理沙は、まじまじとアリスの顔を眺めたあと、おかしそうにふきだしました。
なにいきなり妙な冗談を言ってるんだよ。
……ほんとうはね、ずっと一緒にいてほしかったの。いつでもこの家に来て、わたしの出した紅茶を飲んでほしかったの。でも、魔理沙は忙しいから、なかなかわたしのところに来てくれないのもわかっていた。我慢しようとしたけど、我慢できなかったの。それで、それで……作ってしまったの。ごめんね。
ねえ、それでも、わたしの友達でいてくれるかな。ずっとずっと、一緒にいてくれるかな。こうやって、わたしの家に来て、わたしの出した紅茶を飲んでくれるかな。ねえ、魔理沙。
彼女は、何を言っているのか、すぐに理解できないようでした。
それから、ようやく何もかもを理解した彼女の顔は。
アリスが、何度も、何度も見た表情を浮かべていました。
みんなが自分から離れていったときの。
ばけものをみるような目を。
得体が知れないものに怯える目を。
彼女の手が、はらり、とアリスから離れました。
アリスは、自分が、ひどいあやまちを犯したことに気付きました。
なりふりかまわず、無理やり笑い顔を作りました。
え、ええと。びっくりしたかな? 今言ったことは、うそだよ。
目じりからこぼれ落ちる涙を、止めることができませんでした。
ぜんぶ、うそっこなの。ほんとうだよ。ほんとうに、うそなんだよ。ねえ。
一歩踏み出そうとすると、アリスから目を離さないまま、彼女は後ずさりします。
ほんとに、うそなんだよ。魔理沙。しんじて。ねえ。
アリスが近づこうとしたとき、彼女は短く悲鳴をあげると、慌ててうしろのドアから外に逃げていきました。
アリスは、いつものように彼女の人形を呼び出しました。
ねえ、わたしのこと、好き?
うん。好きだよ。
わたしがへんたいで、頭がおかしくても、はなれないでいてくれる?
うん。
ねえ。あなたって、魔理沙なの?
そうだよ。私は、魔理沙だよ。
……嘘だよね。それ。
アリスは、呪術用の五寸釘を握りしめていました。
人形の胸に、一気に突き立てて、縦に切り裂きました。裂かれたおなかからあかぐろい綿とともにいろんな人形が飛び出してきて、どちゃり、と床に落ちました。
アリスは人形の胸にできた裂け目に腕を突っ込むと、金平糖を掴みました。それは、どくどくと脈打っています。
ほら、あなたは人形じゃないの。砂糖と玩具でできた、つくりものじゃないの。
金平糖をにぎりつぶすと、魔法が解けた人形は、たちまちもとのぼろくずに戻り、崩れ落ちました。アリスの目の前には、豚の血を吸った綿と、血で汚れた人形と、つぎはぎだらけの死体の皮が、ただ、積みあがっていました。
それを眺めているうち。音ひとつない静寂が、ひたひたと、アリスのなかにしみ込んでいきました。
アリスは、喉の奥からせりあがってくるものをこらえきれず、嘔吐しました。口から黄色い胃液を吐き出しながら、アリスの目からぼろぼろと涙があふれていきました。
震える手で、再び五寸釘をつかみました。
*******
がちゃり、と、扉が開く音がしました。
暗闇に慣れたまぶたに薄い光を感じました。ちゃぶ、と、濡れた足音が聞こえてきます。
ちょっと、こんなところにこぼさないでよ。と、声がして、頬に、何かぬめりけを帯びたものがべちゃり、とひっつきました。
それ、あなたの内臓でしょ。ちゃんとしまっておきなよ。
……でも、ほんと、ひどいにおい。血のにおいってさ、どうしてこんなに気分が悪くなるのかな。
アリスが、ぼんやりと目を開けると、薄暗い部屋のなかで、誰かが立っているのがわかりました。
……でも、こんな状態になればなるほどきれいになるんだね。魔法使いって。
ぼんやりしていて姿はよくみえませんでしたが、その声は、博麗の巫女でした。
美しい死体なんて世の中にあるわけないと思っていたけど。ほんと、この世のものじゃないくらい、きれいね。全身ざくざくに刺されて、おなかとかざっくり切れちゃってて、はらわたもでろって出ちゃってるのにさ。
……このまま死んだら、ほんとうにきれいになるんだろうね。きっと、この世でいちばん美しい死体になるんだろうね。
魔法使いって、絶望を糧にして強くなるって、ほんとうなんだね。みんなと手をつないでいるたのしい未来とかさ、そういうのをぜんぶ捨てるかわりに、悪魔から世界を反転させる「ねじ」を得るんでしょ? 悪魔は絶望が大好きだからね。だから、絶望すればするほど、生きるための魔力が研ぎ澄まされるのね。だから魔法使いって、キラキラしちゃだめだし、キラキラしたものにふれちゃだめなんだよ。かわいそうだね。
でも、へんたいのくせに、見とれるくらいきれいなのは、むかつく。このまま死んだら、もっときれいになるだなんて、むかつくな。
だから、あなたは死なせないんだ。
あはは。放っておいて、って、目ね。
でも、しょうがないのよ。魔理沙のためでもあるんだからさ。
ふふ、その目。魔理沙の名前を出したら、すぐに反応するのね。まるで、犬みたい。
やっぱり魔理沙、その場の勢いで生まれたどうでもいい正義感だけでさ、なんにも考えずにあなたに踏み込んじゃったんだね。でさ、あなたみたいなへんたいが本当に存在するだなんて理解できなくて、逃げちゃったんだよね。そういう中途半端な優しさこそが一番たちが悪いってわかってないんだ。
魔理沙、怖がっちゃってさ。私が、もしかして自殺を図るって教えちゃったら、ほんとにうろたえちゃってさ。そんなことないだろ、とか笑いながら、内心とても不安になっているのがみえみえなの。魔法使いはそう簡単に自殺できないって言っているのにね。ほんとうに、砂糖菓子みたいに甘くて、壊れやすくて、中身がすかすかで、かわいいんだ。
だから、私が、あなたを助けちゃうんだ。そうすれば、魔理沙が私に感謝してくれるからね。うらやましいでしょ。
……でも、ほんとにきれいだよね。むかつくくらいに。
ほんとにむかつくよ。
ほんとに……ほんとに。
アリスの頭上で立っていた巫女は、暗闇のなかでごそごそしながら、しばらく荒い息づかいをあげていました。
しばらくして。ん、と、押し殺した声をあげました。
鼻で荒い息を吸い込みながら、もう一度。ほんと、むかつく、と、かすれた声で、吐き捨てました。
*******
起きなさい。まだ、生きているんでしょ。
朦朧とした意識のなかで目覚めると、アリスは、まぶしい光を浴びました。頭上には、ライトが彼女を照らしています。思わず手で光を遮ろうとして、うまく動かないことに気付きました。両手に綿の手袋のようなものをつけられ、ベッドにヒモでくくりつけられているのです。両足もベッドにくくりつけられており、口にゴムのようなものを噛まされています。消毒液のにおいが、鼻をつきます。
ベッドの隣には台があって、その上には、銀色に輝く刃物や、鏝のようなものや、薬品の入った瓶が並んでいます。
そして頭上から、白い防護服を着た、狐のお面を被ったひとがふたり、アリスを見下ろしていました。ひとりは、お面の後ろから銀髪が流れ、ひとりは、長い兎の耳が伸びています。
……師匠、目を覚ましました。
……わかっている。
銀髪は、ふふ、と笑みをもらしました。
何もかも覚えていないようだから、教えてあげる。ここは病院よ。
あなた、魔法使いよね。穢れが染るから、こんな格好をさせてもらうわ。医学というのはね、奇跡というものとは相容れないものだからね。仮に「手術が奇跡的に成功した」、と言っても、それはただ、データに揺れが見られるなか、可能性の低いとされた手術が成功したことであって、ゼロが成功した、ということは、起こりようがないものなの。
起こりえないものが起こるのは、とても恐ろしいことよ。それは当然、逆もあり得るってことだからね。生死を司る医学にとってはね。最も嫌悪すべき存在ということを、理解していただけたかしら?
その目は、「私は理解している」と訴えたいのね。
でしょうね。その傷、自分でやったんでしょ? 古い傷痕もたくさんあったからね。なのに、精神病院の通院歴も確認できなかったからね。
病院に行くつもりはなかった、と言いたいのね。
あなた、ずっと死にたかったんでしょ?
別に珍しいことじゃない。元人間の魔法使いによくある、心の病気。魔法使いになって、食べることや眠ることや働くことなどの義務が何も無くなってしまったことから己の存在に不安をおぼえて。痛みや苦しみを受けることでしか、自分が生きていることを実感できなくなる、ってやつ。
笑っちゃうわ。魔法使いって、己の存在すべてを捧げるような何かを持つひとがなるべきなの。存在すべてを賭けて知識そのものになろうとしている紅魔館の魔女みたいにね。それが無い人間が魔法使いになるとね、いずれ、この病気に罹るわ。身を切っても削ってもそう簡単に死なないけどね。心はだんだん壊れていって、最後には発狂する。簡単に奇跡が起こせる力を持とうと思い上がった人間どもの末路ね。強大な力を手に入れても、心は「こわれもの」のままのくせにね。
人間は人間らしく生きて死ぬべきなのに。その道から外れたやつは。勝手に死ねばいいの。
だけど、今回は、あなたを治療してほしい、っていう依頼主がいてね。だから、仕方なく治療するってわけ。
あなたも不本意でしょうが、これから手術を受けてもらうわ。
アリスは、腹部に焼けるような痛みをかんじて、うめきました。ゴムに噛まされているためか、くぐもった声になりました。まるで豚みたいな声だな、と思いました。これから屠られる豚だと。
……ここね。腹部から胸部にかけて一文字にある創傷、これが内臓まで到達しているの。そのせいで小腸の一部が千切れて欠損しちゃってるわ。でも、けっこう放置されているはずなのに、腐敗もしておらず、きれいなピンク色なのは、さすが魔法使いさまね。敗血症の心配もないから、単に外科手術だけで済むわ。ただ、破れた小腸から中身がこぼれて臓器を汚れているから、これは洗浄しないとね。そのあと、傷ついた臓腑を縫ってお腹のなかにしまい、外皮を縫って傷をふさげばおしまい。お裁縫みたいな簡単な手術よ。
わかったかしら。じゃあ、そろそろ始めるからね。ちょっと痛むけど、我慢してね。
……師匠? 麻酔は、しないのですか?
……魔法使いはね、世を反転させるのよ。だから、常であれば生を失わせるほどの絶望こそが、生命力となるの。ねじを強く巻けば巻くほど反動となって強い力が得られる理屈ってわけ。まあ、巻きすぎれば、心が壊れてしまうけどね。
……え?
あなた、私の話を聞いてないの? なんのために拘束したのかもあわせて、ちょっとは考えなさい。
優曇華だって、野戦病院で体験したことがあるでしょう? 患者が簡単に死なないだけ、もっと楽ちんよ。ただ、なまじっか腐敗もしていないから神経が生きているんで、痛みがちょっとひどいかもね。でも、ちゃんと抑えつければ大丈夫よ。
……。
それにね。まちがってしまった子に、ちょっとした罰も、与えたいのよ。
医師は、術部周辺を消毒、開腹鉤、と短く言いました。
兎耳は、首をかすかに振り、諦めたように、台に並んだ器具のひとつを取り出しました。金属の乾いた音がして、先端にへらがついた金属製のはさみに似た器具が、兎耳の手から医者に渡されました。続いて兎耳は台の上のガラス瓶を開けて、なかにピンセットでつまんだ綿を入れて液体に浸しました。取り出すと、兎耳はアリスの引き裂かれた腹部へと、その丸い綿を近づけていきました。
ありすも、死にたいの?
うん。
じゃあ、死のうよ。わたしといっしょに、死のうよ。
うん。
そう言われたからわたしは飛び降りたんだ。
あの子は飛び降りなかった。死にきれなかったわたしに、あの子は二度と話しかけてこなかった。教室に戻ってきたわたしを、ただ、怯えるような目で見ていた。近づこうとも、しなかったよ。あんなきちがいと私は関係ない、ってまわりに言いたかったんだとおもう。
わたしみたいになっちゃおしまいだって、おもったんだろうね。あの子も、卒業するころには、ちゃんと勉強して、いい大学に行ったんだよ。いまごろきっと結婚して、どこかでしあわせになっているんだろうな。
親は、学校の先生と看護師だったんだ。いつも忙しくて、わたしは、たいていひとりでごはんを食べていた。
でも、嫌じゃなかったよ。だって、ひとりで遊ぶことって、楽しかったから。
逆に、親といっしょのときのほうが、つらかったんだ。ふたりとも、まともなひとたちだから。頭のおかしいわたしに、とても苦労していたみたい。病院にも、塾にもたくさん通わされたしね。
でも、学校から飛び降りたくらいから、もう諦めていたみたい。奇跡的に助かったわたしを、薄くて安っぽいガラス製品みたいに扱っていた。ちょっと落としたら、すぐに割れてしまうって思っていたのかな? ほんとは、学校から飛び降りても割れないくらいなのにね。
それくらいからかな。ほんとにひとりぼっちになったんだな、っておもったのは。
死にたかったのは、そんな世界から逃げたかったから。
魔術を学んだのは、魔界の怪物なら、わたしを好きになってくれるかもしれない、と思ったから。
異形のばけものたちなら、わたしの友達になってくれるかもしれない、と思ったから。
人形なら、嘘を吐かないと思ったから。
魔法使いになってこの幻想郷にやってきたのも、自分の居場所があるかもしれないって、そう思ったから。
ほんとはさ、友達が欲しかっただけなんだよ。
人間を捨てたのって、それだけだったんだ。
そしたら、死ねなくなっちゃった。
あはは、ばかみたいだよね。
けだものじみた悲鳴を聞いて、アリスは覚醒しました。
豚のようなその悲鳴が自分の悲鳴だとは、すぐに理解できませんでした。
アリスは激痛に失神し、そのつかの間に、夢のような、走馬灯のようなものを見ていたのでした。
銀髪の医師は、消毒が終わったあと、開腹鉤を傷口にはめ込んで腹が開いた状態に固定し、腸を鉗子で止めると、臓器を生理食塩水で洗浄しながら傷がついた外皮や腸管のじゃまっけな部分をハサミやメスで切除し、縫合していきます。皮膚の部分には当然痛覚がありますので、消毒や食塩水で拭われたり、メスが走ったり、縫われたりすれば、すさまじい痛みが走りました。しかしアリスがどんなに暴れようとしても、助手の兎耳がアリスのからだをしっかり抑えつけていましたので、手元を誤ることはありません。銀髪の医師は、鼻歌混じりで手術を続けます。
アリスは絶望しました。
焼き鏝で焼かれるようなすさまじい痛みに失禁しながら、みじめに悲鳴をあげているのにもかかわらず。
自分が、まるで死ねないことにです。
お医者さんの言うとおりだよね。
わたしは、まちがっちゃったんだ。
魔法使いになんて、友達がほしいだなんて理由で、なるもんじゃなかったんだ。
いや、まちがっているのは、はじめっからかな。
わたし、生まれなければよかったんだよね。
ねえ、そうでしょ、魔理沙。
そうすれば、魔理沙と出会うこともなかったし、魔理沙を怖がらせたりすることもなかったし、魔理沙を不安がらせることもなかったんだ。
ごめんね。ほんとうに、ごめんね。
*******
手術は成功しました。でも、アリスは拘束されたままでした。拘束を解いてひとりにしたときに、無理やり自分の手で再び自分の腹を開こうとしたからです。
依頼主がいるのでアリスを追い出すわけにもいかない銀髪の医者は、怒って見習いの兎耳たちに、手術の練習台として、アリスを使うことにしました。腕や腿や腹など、いろんな部分を切開して縫合する練習に使ったのです。見習いでしたので、時折失敗し、臓器の一部を損傷することもありました。銀髪医者が開腹し、臓器の説明をすることもありました。やはり、麻酔は使いませんでした。
アリスは絶叫と失神を繰り返しました。からだのあちこちに包帯を巻かれ、拘束しなくてもひとりでベッドから立ち上がることすら困難な状態になりました。
しかし、奇妙なことに、アリスのからだは、異様な美しさを増していくのです。肌は傷跡まみれにもかかわらず少しも張りは失わず、つややかでした。毎日のように見習い術師たちに臓腑が露出するほど肉体のあちこちを深く切り刻まれ、大量の血を失っているはずにもかかわらず、そのはちきれんばかりの乳房や肢体は、あでやかさを増していくのでした。
見習い兎耳たちは、血しぶきと悲鳴が響く部屋で異常な生体実験を続け、疲弊していくうちに、だんだんと、正気と狂気の境界が、わからなくなっていきました。臆病な兎耳たちは、この狂的な体験によって、正気を削られていったのです。絶望を糧として常軌を超えた美しさを保つアリスの肉体が、さらに理性をむしばんでいきました。
そして。小規模な切開手術を予定していたことから優曇華も銀髪の医者も手術に立ち会わなかった日に、それは起こりました。
拘束されたままのアリスを、兎耳たちが、いっせいになぶりものにしたのです。
もともと兎族は性欲の強い種族です。また、繁殖能力に長けており、雌雄どちらの特性も持ち得ていました。
医者らが駆け付けたときには、アリスは数匹の兎耳たちにのしかかられていました。
足首を拘束され、ぐったりと開かれた股ぐらには、たくさんの吐き出された精があふれかえっていました。同様に精液で満たされている口のまわりには白く濁った泡がこびりつき、彼女は死にかけた犬のように弱い呼吸を断続的に繰り返していました。腹部のあちこちが乱暴に切開されており、血みどろになっていました。ぱっくり開いた皮膚から露出した臓腑には、血に混じって、白濁した液体がどろりとこびりついていました。
優曇華は、あまりの惨状に、しばらく言葉を失っていました。
……ど、どうして。こんな、ひどいことをする子たちじゃないのに。
やっと声を吐き出した優曇華に、銀髪の医師はそっけなく言いました。
……心が穢されたのね。でも、まさかこんなに早いとは思わなかったけど。
銀髪の医師は、血と白濁液にまみれたアリスに近づくと、彼女の脇腹あたりからはみ出している腸を掴んで、思い切り引っ張りました。ぶぼり、とつかみ出された腸とともに、膿のような白濁の液体がどろどろとこぼれだしました。
再び絶句した優曇華に、医者は言いました。
これが魔法使いなのよ。穢れをまき散らす厄介なやつら。
この子たち……穢れてしまったのですか。
ええ。もうだめね。
……だめって。師匠。私の力なら、戻せるかもしれません。
無理よ。兎たちは弱いから、一度心が壊れたら、おしまいだもの。
……そんな。
医者は、白目をむいて痙攣しているアリスの上に、腸を放り捨てました。びちゃり、と腸はアリスの顔面に落ち、こびりついていた白濁液が顔を伝い落ちました。
……せめて、壊れてしまったあの子たちの望みを、最後まで叶えてもらうわ。
そう言うと、銀髪の医者は、優曇華を連れて、そのまま部屋を後にしました。
そして、外から鍵をかけました。
部屋に残されたくるった兎耳たちは、ふたたび拘束されたままのアリスに近づいていきます。
……はやく、心がだめになってくれないかな。
そうすれば。何も見えず。何も聞こえず。何もできず。何も考えない。ただ、そこに置いてあるだけの人形みたいになれるんだろうな。
そうすれば、つらいとかくるしいとか、なにもなくなるのにな。
そうすれば、魔理沙も抱いてくれるかな。……
*******
部屋が再び開いたのは、兎耳の最後のひとりが死んで、しばらくたってからでした。
……まだ、目が反応するんだ。
防護服に身を固めた優曇華は、狐のお面ごしにアリスを眺めていました。
……私は、あなたを恨んじゃいない。むしろ、同情する。こんな状態でも、まだ生きているなんて。
アリスは、ぼんやりと優曇華を見つめたまま、何も反応もしませんでした。
……さすがに心は崩れてきているようね。当然よね。待つべきひとも、守るべきものもないたったひとりでこんな生き地獄、正気のままだなんて、悲惨すぎるもの。
強烈な腐敗臭がたちこめている部屋には、たくさんの異様に肥大化したハエが、わんわんと羽音を立てていました。狐面で防護した優曇華たちは、飛び交うハエを手で払いながら、アリスのまわりに転がっている死体を担架に載せていきます。兎耳たちは、食べることも寝ることも忘れ、くるったようにアリスを犯しつづけ、みんな死んでしまったのでした。すっかり黒く変色した死体はどろどろに溶けていて、なかにはすり減って、ぺちゃんこになっているものもありました。それらを移動台の上にどんどん積み重ねていき、まとめてシーツでくるんで、ひもで縛って運んでいきました。
アリスも拘束を外され、ベッドを替えられました。どろどろになったシーツがからだに張り付いたまま乾燥していて、なかなか取れませんでした。
そのまま洗浄室に連れていかれて、精液や血でどろどろによごれたからだを洗浄されました。開腹された傷痕にホースを突っ込まれて生理食塩水で洗浄され、体内にたまった大量の腐った精液やうごめく蛆を排出されました。あちこちからはみ出していた内臓もこびりついた精を丁寧にぬぐわれ、体内に収められました。それから、縫合手術を受けました。
アリスはその間、やはり、何の反応もしませんでした。
アリスのからだは無数の縫合跡だらけになり、まるでパッチワークキルトのようでした。しかしそんな傷跡も、悲惨な扱いすらも、アリスの美しさを損ねることはありませんでした。清潔な寝具に着替えると、見た目にはすっかり、もとどおりのアリスの姿がありました。ただ、その目は光が消え失せており、半開きになったままの口にも、意思がまるで通っていませんでした。優曇華の押す車椅子に載せられている間も、首がぐらあんぐらあんと揺れていました。
アリスは銀髪の医者の前まで連れてこられました。
医者は、アリスを眺めながら、ふふ、と笑いました。
まるで健康な死体ってところね。正気は、残っているのかしら。
かすかには。と、優曇華が言いました。
壊れたくなかったひとがあっけなく壊れて死に、壊れたいひとがしぶとく壊れずに生き続ける。世界って、ほんと不可解よね。そう思わない?
……とても、残酷だと思います。
だから、たまにご褒美が必要なのよ。
……もう、赦してやっても、いいのでは。
優曇華は、やさしいのね。でも、だめ。それが、こいつの選択した道だもの。
……わかりました。
優曇華は、アリスの顔をのぞきこみ、その目を直視させました。
アリスの、何も映しださなくなった心が、現実へとチャンネルをあわせて、再び目の前の視界を認識するようになりました。
自分が生きていることを理解したことは、アリスに、果てのない絶望を生みました。
……なんでわたし、まだ、しなないの?
はやく。しなないかな。しなないかな。しなないかな。しなないかな。
しにたい。しにたい。しにたい。しにたい。……
あなたのしたいことは、すぐにわかるわ。
銀髪の医者が、薄い笑みを浮かべながら、
でも、ちょっと待ちなさい。今からあなたに、お客さんが来るのよ。そのひとに会ってからでも、遅くないでしょ?
……お客さん?
アリスには、自分を訪ねてくるひとなんて、まったく見当がつきませんでした。
医者たちと入れ替わりに部屋へ入ってきたひとを見て、アリスは驚きました。
……魔理沙?
帽子を脱いだ彼女は、少し、怯えるような目をして、立っていました。
アリスの心には、うれしさより前に、困惑がひろがりました。彼女が来るはずがない、と思っていたのです。
……だから、もしかすると、これは夢か幻かもしれない。やっぱりわたしの心は壊れていて、きれいなものだけを見せてくれるようになったのかもしれない。
でも、現実じゃないなら。やっと心が壊れてくれたのなら。せっかくだから、楽しまないとな。
……来てくれたんだね。うれしいな。
しばらくアリスを見つめていた彼女は、ゆっくりと口を開きました。
……ああ。元気だったか。ずいぶん、顔色が悪いみたいだけど。それに、全身包帯まみれでさ。まるでミイラ女だ。
うん。わたしね、自分で自分を切ったの。死のうとおもったの。でも死ねなくてさ、死ねなかったからみんなに迷惑かけちゃって。
わたしのまわりのひと、みんな死んじゃったの。わたしのせいでくるって死んじゃったの。なのにわたし、まだ生きているの。おかしいよね。どうしてなんだろうね。
彼女は、しばらく沈黙していました。
その沈黙に、アリスは、なんだか魔理沙っぽくないな、と思いました。
彼女は、うん、と、うなづきました。
……霊夢から聞いたよ。……そんなにショックだったのか。
ううん。痛いのが、好きなだけ。
アリスは、小さく笑いました。
だから、ここでもたくさん切ってもらっちゃった。魔理沙も、切りたければ切っていいし、殴っても蹴ってもいいよ。わたしのこと、きもちわるいっておもっているんでしょ?
……そんなこと、言わないほうがいい。
なんで? ほんとのことなんだよ。わたしは、あたまのおかしい、へんたいなんだから。
アリス、次にそういうこと言うと、本当に嫌いになるぜ。
……え?
……私はさ、誰かをそこまで好きになったこともないし、好かれたこともなかったんだ。だから、びっくりしちゃったんだよ。ただ、それだけなんだよ。でも、アリスをひどく傷つけてしまったみたいでさ。ごめんな。
アリスは、混乱しました。
なんで魔理沙が、わたしに謝っているのだろう? わたしのことが嫌いなはずの魔理沙が、まるでわたしを嫌ってないように言うのだろう?
いや、整合性が取れないから、やっぱりこれは、夢なんだな。都合の良すぎる夢なんだ。
……アリス、大丈夫か? ぼーっとしてて。まだ、調子が悪いのか。
ううん。なんでもないの。なにかその……わたし、夢なのに、おかしなことを考えているの。
おい、何を言ってるんだよ。夢ってなんだよ。大丈夫か、アリス。
だって、これは夢なのに。
夢じゃない。これは、現実じゃないか。ほら。
彼女は、アリスの手を取ると、両手で握りしめました。
そのあたたかさに、ぬくもりに、アリスは、動転しました。言葉が詰まって、しばらく、何も言えませんでした。
な、わかっただろ。
そう言って、彼女は笑いました。
……じゃあ。ほんとに、魔理沙は、わたしを、嫌いじゃないの?
そうさ。
本当に? ほんとうに? わたしのこと、まだ、嫌いじゃないの?
そうって言ってるだろ。
わたしのこと、きもちわるくないの?
あまりひつこいと、嫌いになるぜ。
アリスは、ぼろぼろ泣き出してしまいました。
お、おい。どうしたんだよ。
なんでもないよ。なんでも。ごめんね。おかしいよね。こんなので、泣くなんて。
あはは、アリスは相変わらず、おもしろいやつだなあ。
アリスは彼女といっしょに退院しました。肉体は頑丈な魔法使いですから、心の問題だけだったのです。
アリスは彼女といっしょに家に戻り、そこで、彼女と別れました。
彼女は、またなあ、と言って、手を振ってくれました。アリスも、恥ずかしかったのですが、手を振りました。
アリスは、とてもしあわせでした。
彼女は、それっきり、二度とアリスの家を訪れませんでした。
*******
アリスが夜ベッドで眠ろうとすると、どろどろとした黒いものがのしかかってくるようになりました。
……わたしを拘束しようとする銀髪の医者がやってくる。腹を引き裂き、はらわたを抉りだそうとする。ドアが開いて、わたしを解体しながら犯そうとする兎耳たちがやってくる。おおきなハエが飛んでいる。たちまち腐った彼女たちのにおいが鼻をつく。うじまみれの腐った兎耳たちがわたしを責める。おまえのせいでくるって死んだ。おまえはどうして生きている。おまえもくるえ。くるえ。くるって死んでしまえ。そう叫びながらわたしを犯す。……
それらのまぼろしは、やがて、昼夜問わずやってくるようになりました。心臓の動悸がはやまり、呼吸ができなくなります。アリスは床でうずくまりながら、発作がやむのを待つしかありませんでした。
……魔理沙。どうして魔理沙は来てくれないのだろう。魔理沙がいれば、耐えられるとおもうのに。
魔理沙。魔理沙だけは、違うよね。わたしに、うそはつかないよね。たまたま忙しくて来れないだけだよね。またって言ってくれたよね。そうだよね。
せっかく魔理沙がいてくれるのに。わたしに笑ってくれたのに。
このままでは、もう、耐えられない。
アリスは、こんなことをしても何にもならないことは承知していました。
でも、今、彼女と少しでもつながるための方法は、これしか思いつかなかったのです。
アリスは村に行きました。彼女は、やはり家にいませんでした。
彼女がいる場所は、もうわかっていました。
あの巫女のいる、神社。
奇妙な出会いをした、どこか、アリス自身と同じようなゆがみかたをした巫女。
けっして相容れないけど、傷をなめあうようなあの巫女のやさしさを、アリスは今でもおぼえていました。それは、憎しみとも愛情ともつかない、とても奇妙な感情でした。
あのときと同じく、境内の薄暗い草むらのなかで虫たちとともに這いつくばりながら、アリスは神社のなかに耳をひそめました。
彼女は、やはり、そこにいました。
……そういえば、あいつは、どうしているかな?
ふたりは、巫女が作った夕食の出来についてたわいもない言い合いをしていましたが、突然、巫女が、そうつぶやきました。
……アリスのことか?
彼女が返すと、巫女は、くすくすと笑います。
あいつ、私が言ったとおりの反応だったんでしょ? おかしいわね。
ふざけるなよ。悟られないように、必死だったんだからな。
でも、うまくいったんだよね。あいつ、泣いていたんでしょ。私、魔理沙がそこまでうまくやるとは思わなかったな。
……あまり蒸し返すなよ。
まあ、それだけあいつのことなんて、どうでもいいって思ってた、ってことだよね。
しつこいと、本当に、怒るぞ。
あはは、ごめんね。でも、そういうところ、魔理沙は、やっぱり魔理沙なんだな。ちょっと、安心しちゃった。
……どういう意味だよ。霊夢お前、今日、ずいぶん突っかかるよな。さっき豚汁にケチをつけられたの、根に持っているのかよ。
……根に持っているのはさ。せっかく私のアイデアのおかげでピンチを切り抜けられたのに、なんだか私ばっか悪者みたいに魔理沙が思っているとこ。
そ、そんなこと。
ううん、ぜったい魔理沙、心の奥では、「なんてひどいことを考えつくんだ」って思っている。私は全部わかるんだ。魔理沙だって知ってるでしょ? 私の勘の良さって。でも、勘違いしないで。私は、別に魔理沙を責めるつもりはないんだ。魔理沙は、そうであってほしいの。きたないものはきたないって言えるままでいてほしいの。
……すまない。霊夢のおかげだものな。病院から連絡があったとき、ほんとうにどうしたらいいのかわからなかったんだ。あのまま、何も考えずに行ったら、とんでもないことになってたかもしれない。
……よくあることなの。いつ何をするかわからない厄介者を体よくおっぱらうために、「友達が関わってくれることとなったので」という逃げ道を作って退院とすることなんて。魔理沙のことだから、ただ行ったらいまごろ医者に言いくるめられて、アリスの身元引受人とかにさせられるところだったのよ。そうしたら、あいつが何かやらかすたびに呼ばれることになってしまうからね。
……それだけははっきり断ったからな。アリスとは何の関係も無いって。でも、それでも退院させちまうなんて、やっぱり最初っから退院させる気だったんだな。ひどい医者だよ。
……魔法使いは穢れているからね。病院でも、きっとトラブルを起こしたんじゃないかな。だから、長居はさせたくなかったんだとおもう。でも、アリスには、ほかに、友達なんて、どこにもいなかったから。関わってくれるひとがいなかったから。だから、押し付ける人間を探していたんだろうね。
……でもさ、アリスって。ほんとうに、ひとりなんだな。私みたいに、たまに会うくらいの、大して親しくもないやつがわざわざ呼ばれるなんてな。
……魔理沙は誰とでも仲良くなれるから理解できないかもしれないけどさ。世界には、ほんとうに、ひとりぼっちのひとって、存在するの。別にひとりが好きなわけじゃない。タイミングが悪かったり、社会になじめなかったりとかしてさ、いつの間にか周りに誰もいなくなってしまうってこと、よくあるのよ。誰にも気づかれないまま死んじゃうから、目につかないだけ。アリスも、その類なの。
かわいそう、と思った? 魔理沙は、やさしいから、思っちゃうかもね。
でもね、だからこそ、怖いのよ。あなたにとってアリスは大多数のひとりでしかないけど、アリスにとってはね、世界であなただけしかいないの。だから、ちょっと仲良くなっただけで魔理沙の人形を作ったりするくらい、どっぷりになるの。あなたを失うことは、世界中から他人のいっさいを失うことだから、魔理沙に嫌われたと思っただけで、おかしなくらいに動揺してしまうの。そうして最後には、必死になってしがみついてくるわ。しがみつこうとしているのが、本当に細く脆い糸なのを知らずにね。細い糸はあっけなく切れて、奈落に落ちるだけなのにね。
魔理沙、震えているの? 大丈夫よ。私がついているから。どうしたの?
……ごめん。私、霊夢に言われたことを、忘れてしまっていて。
あはは。正直に言いなよ。忘れたんじゃなくて、行けなかったんでしょ?
……うん。
わかっているから、安心して。そろそろ一度行ったほうがいいかな、と思っていたよ。
……やっぱり行かないと、だめなのか?
そろそろアリスが、どうして魔理沙が来ないのかって疑心暗鬼になっているころかな。そのうち勝手に追い詰められて、心が自壊して、奈落に落ちると知りながら、おかしなことをしはじめるかもね。例えば、魔理沙の後をつけるとかさ。
……嘘だろ?
近いうちに行ったほうがいいよ。早ければ、明日にでもね。前に話したとおり、そのときに、忙しいからしばらく行けない、って言って。あいつが待っている間に、魔理沙の代わりにあいつの気を惹くような子を見つけたげるからさ。
……あのアリスに、友達を紹介する、っていうのか?
引き取ってくれるひとがいないと、いつまでもジョーカーは魔理沙の手から離れないよ。
……。
あはは、魔理沙、ドン引きしてる。冗談だよ。あいつに友達を紹介することになったら、とりあえず、私があいつの友達になるからさ。
……え? 霊夢が?
……私が友達になろうって言うだなんて、柄じゃないかな。
いや。ちょっと待てよ。霊夢がなる必要は無いじゃないか。だって、あいつの怖さは霊夢が一番わかっているじゃないか。
だから私なんだよ。大丈夫、私ならあいつと、きっと、うまくやれるからさ。友達にだって、なれるよ。きっと。
……確かに霊夢はそういうの、うまいけどな。でも、いいよ。すぐに行くよ。明日には行く。だから、霊夢は行かなくていいよ。霊夢が、私の代わりになるなんて、やめてくれよ。霊夢に何かあったら、そんなの嫌だよ。
わかった、わかったから。そんなに顔を近づけなくていいから。
ご、ごめん。
でも、ひとりで大丈夫?
……なんとかなるさ。
さすがに一緒には行けないけど、この陰陽玉、念のために持ってって。何かあったら、これを使って私を呼んで。スキマを使ってすぐに行くから。
……ありがとう。
……ずいぶん素直じゃない。魔理沙らしくないよ。
……最近本当に思うんだ。霊夢がいなくちゃ、ほんと、私はだめなんだな、って。今までだってそう。結局私は、最後には霊夢に助けられていたんだ。
……弱音なんて、ほんと、らしくないよ。
……霊夢にだったら、なんでも見せられるから。
……あっそ。
……今日、泊まってもいいかな。
あはは。後をつけられてるかも、って思って、怖くなっちゃった?
……なんでもいいよ。
沈黙が、流れました。
……な、なあ霊夢。その……暑いかもしれないけど、神社のなかでもさ、サラシは、巻いたほうがいいよ。脇とかから、みえちゃってるよ。
……魔理沙が来るときだけだよ。魔理沙になら、別にいいかな、って。
……そうなんだ。よかった。霊夢の、ほかのひとも見てるんだって思うと、いやだから。
……別に、たいしたものじゃないから。
……私さ、いつも、どきどきしてたんだ。へ、へんたいみたいだけど、いつもそこばっかり見ちゃってたんだ。きれいだなあ、って見とれていたんだ。
……ただの、ぺたんこの胸だよ。
……霊夢って、唇も、きれいだよな。
……急に。どうしたの。
……さっき、近づいてみたときに、すごくきれいだなって。
しばらく、沈黙が流れました。
……気の迷いだよ。魔理沙は今、ちょっと心が揺れているからさ。私みたいなのも、きれいにみえちゃうんだ。
そうじゃない。私は、ずっと。
気の迷いだよ。ぜんぶ、気の迷いなんだよ。
じゃあ、私には見せていいっていうのは、なんでなんだよ。……いや、それとも、霊夢からみたら私なんて、別に何をみせてもどうってことのない、どうでもいいもんだった、ってことなのか?
違う。魔理沙のことは好きよ。ずっと前から、ずっと、大好きだったよ。
じゃあ、なんだって言うんだよ! 私だって霊夢のことが。
やめて。それ以上は、やめて。魔理沙は、私なんて女に、迷わされちゃだめなの。こんな女のなんかに、たぶらかされないでいてほしいの。
じゃ、じゃあ、そんなかっこうするなよ! ほら、こんなにいつも痛そうなくらいたててて、やらしいくせに!
きゃあっ、と声がして、何かが倒れる音がしました。
ご、ごめん、霊……。
再び、沈黙が流れました。
……ごめんね。私も、へんたいなの。
……びしゃびしゃになってるよ。
……いつもね。むきだしのおしりとかあそことか、魔理沙に見えちゃったらどうしようと、ひとりですごくこうふんしてたの。ごめんね。
……いつも、そうだったの?
……うん。
……霊夢のここ、きれいだね。
やめてよ。まりさ。なにするの。そんなきたないところ。やだ。やだって。やだあっ……。
……びっくりした。霊夢って、すごくびんかんなんだ。
……やめて。まりさ、ほんとうにやめて。
やらしいのは、霊夢じゃないか。さわっただけでおしっこもらしちゃうくせにさ。ほら、ここだって。すごい立ってるよ。
んっ……ま、魔理沙、ゆるして。わたしは、まりさに、そんなことしてほしくっ……。
霊夢の、すごい、びくびくしてるよ。
はあっ……や……やめ……てっ……。
霊夢。すごく、かわいい。
っ……や……。
すきだよ、霊夢。
魔理沙も、うそつきだったんだね。
*******
次の日、アリスの家を尋ねた彼女は、アリスの姿をみて、少し驚いたようでした。
……顔色がひどいぞ、アリス。それにどうしたんだよ、その腕。あれからずっと包帯巻いているのか?
治りが悪いのよ。それより、久しぶりね。あがって。
彼女は、少し、ためらっているようでした。
どうしたの?
いや……調子悪いのなら、また今度にするよ。
ううん。大丈夫。顔色がよくないのは、最近あまり外に出てないだけだから。
彼女は、不安げな目を隠せぬまま、また、ひきこもっているのかよ。と、笑いました。
そう。だから、ちょっと最近さびしかったんだ。魔理沙が来てくれて、うれしい。あがってよ。
じゃ、じゃあ、お邪魔するかな。
足を引きずりながらアリスが紅茶を持ってくると、椅子に座っている彼女は、明らかに緊張していました。顔は表情が消えて、テーブルの真ん中にあるクッキーが盛られた木の皿のあたりを、うわの空で眺めていました。
クッキー、食べたいなら食べていいよ。
アリスがそう言うと、彼女はびっくりして目を見開きながら、あわてて振り向きました。
あ、いや。そうじゃないんだけどさ。
アリスは彼女の対面に座ります。
テーブルごしにアリスと向き合った彼女は、一息置いてから、言いました。
実は、今日は話があってね。
ずいぶん真剣な顔ね。何かあったの。
ああ、いやね。たいしたことじゃないんだけどさ。
彼女は、無理に笑顔を作ると、
実は、最近いろいろと忙しくてな。これからもしばらく、こちらにも顔を出せなくなりそうなんだよ。今日はたまたま暇ができたんで、寄ってみたんだ。
そうなんだ。魔法の研究?
そんなかんじだな。内緒だけどね。
じゃあ、しょうがないよね。
彼女は、少し意外そうな表情を浮かべていましたが、すぐに安心したようです、こわばっていた顔をゆるませると、
さっきから気になってるんだけどさ。アリス、その服、何かこぼしたろ。染みになっているぜ。
アリスの服は、おなかのあたりからべっとりと赤く染みていました。
ほんとうだ。ミートソーススパゲティを作っていたの。こぼしちゃったみたい。
片手でそんなもの作るからだよ。
ふふ、そうね。食べる? けっこうたくさん作りすぎちゃったの。
彼女は、真顔になりました。
……いや、別に、今はお腹いっぱいだから、いいよ。
遠慮しないで。けっこう自信作なのよ。ちょっと待っててね。
アリスはこれ以上染みが広がらないよう気をつけながら立ち上がると、台所に向かいます。
かまどには、二つの鍋があります。ひとつの鍋のなかにはすでにお湯が張ってあります。魔法を使って火をつけると、あっという間に沸騰しました。そのなかでスパゲティを入れると、すぐに茹であがりました。
もうひとつの鍋には、たくさんのひき肉が入ったミートソースが入っています。やはり魔法で火をつけると、すぐに香ばしいにおいがしました。
片腕だけで盛り付けるのに少し手間取りましたが、一皿ずつ、ひとつを彼女のテーブル、ひとつをその向かいの自分のテーブルに置きました。そうしているうちに服の染みはみるみる広がっていきましたが、彼女はお皿のほうを注視していたため、気付かなかったようです。
けっこう、にんにくのにおいがするな。
入れすぎちゃったかな。
にんにくのにおいをさせてたら、ゲンメツされるぜ。
ずっとひとりだから、あまり気にしなくてね。でも、おいしいのよ。
そう言って、アリスはフォークをお皿まで突き刺して、スパゲティをくるくると巻きつけると、口に入れました。にんにくが、肉やたまねぎの味を完全に隠してしまっていましたが、肉自体も、そんなに臭いはついていないようでした。
……何も食べていないものな。消化器官だって、きっと食べられる。ただ、スパゲティにはあわないからな。やっぱり皮と肉の部分で正解だった。
でも、不思議なかんじだな。これを食べたら、わたしはどこにいくのだろう。
アリスはそこで、すべてがもう、どうでもいいことに気づき、ごくり、とミートソーススパゲティを喉に落としました。
……確かに入れすぎたかも。魔理沙も確かめてみてよ。
アリスは、彼女が自分の口元に視線を向けていることに気付いていました。
彼女は、スパゲティの上に盛られているミートソースの端っこのあたりにフォークを埋めて、控えめにスパゲティをかきだして巻き付けます。ほんの二、三本ほどの赤いソースが染みたスパゲティを、おずおずと、口に運びました。もくもく、と咀嚼したあと、のみこみました。
うーん……確かににんにくがきいているけど、うまいな。
信じてなかったのね。わたしのクッキー、いつもおいしかったでしょ。
いや、そうだったけどな。
アリスも、彼女が紅茶に口をつけて飲み込むのを、喉のあたりを凝視して確認していました。
ほんとうにおいしかったのでしょう。彼女はスパゲティを食べ続けます。すると、アリスを不思議な多幸感が包み込みました。
それからしばらくは、魔法の研究の話など、ひさしぶりに以前と同じような話をしました。彼女も、伝えなければならないことがすんなり終わったので気楽な気分でしたし、アリスが落ち着いているので安心していたのでしょう。
スパゲティも食べ終わり、彼女が紅茶のお代わりも何度かしたころ、突然、アリスの目の前が真っ黒になりました。
アリスが気を失いかけたことに気付くと、揺れる視界が床を映し出します。崩れ落ちかけたからだを、アリスは椅子の背もたれに手をまわし、必死に支えました。ロングスカートの裾からみえる両足のすねに赤い血の線がいくつもできていることにも気付いていましたし、ブーツのなかもべちゃべちゃ濡れていることに気付いてました。これで歩くとがぽがぽ鳴ってしまうから、もうそろそろ限界かもしれないな、と思いました。
……どうした? ふらふらしているぞ。やっぱり、調子が悪いんじゃないか。
……だいじょうぶ。もうすこしだから。もうすこしで。もうすこしで。すべて……。
なんだって?
……なんでもないわ。それより魔理沙。さっき、わたし、ずっと外出してなかった、って言ったよね。どうしてだと思う?
……また、魔法の研究をしていたのか。
そうよ。わたしね、昨日ついに、意思を持つ人形を作ることに成功したの。紹介するわ。
台所の向こうから、肉片のようなものが、這いずってきました。できそこないの粘土細工のようなそれは、からだ全体を揺らしながら、胴体から伸びた突起物のような手足を使って、よちよちとやってきます。まるで、できそこないのぜんまい仕掛けのおもちゃのようでした。
見てくれがよくないけど、間違いなく生きているわ。ほら上海、魔理沙に挨拶して。
彼女は、上海と呼ばれたそれが、自分のほうに近づいてくるのを、怯えた目で見ています。
い、いいよ。わかったから。
そう? じゃあ上海、話したとおりにして。
上海と呼ばれた肉粘土は、ひとつ、うめき声をあげると、ずるずると手足を引きずりながら、そのまま彼女の横を通り過ぎていき、その後ろにあるドアにたどり着くと、ドアと壁の隙間にからだをめりこませ、びっちりと塞ぎました。
その様子を呆然と見やる彼女に、アリスは微笑みます。
もうすこししたら、魔理沙の分身も作れるようになるかもね。ふふ。
……冗談は、やめろよ。……で、でも、もし本当なら、すごいな。神様みたいに、生き物を創りだすことに成功したようなものじゃないか……。
そうよ、と、アリスはにっこりと笑います。
絶望のなかでは、ひとは、なにもできなくなるものよ。でも、魔法使いはね。世の理をねじまげてしまうから。だから、絶望すればするほど、強くなるの。
……だからね。底無しの絶望のなかにいれば。こんな神様みたいな力も得ることができるの。
彼女は、怪訝そうに眉をひそめました。
……何を、言ってるんだよ。
……わたしが外出しなかったのはね。魔理沙がいつ来るかわからないから。だから、一歩も外に出なかったの。退院してからもう、二か月くらい経ったかな。こういうとき、魔法使いって便利ね。何も食べなくていいし。眠る必要すらないから。なんにもしなくても、生きていられるから。
……あれから、ずっと、わたしを、待っていた、のか。
あはは。ドン引きしているね。
……わたしはただ、好きなだけだったの。友達になりたかっただけなの。誰よりも、何よりも、真剣だっただけなの。でも、おかしいよね。いつも真剣になればなるほど、みんなわたしから離れていくの。どうして? ねえ、どうしてなの? ひとりぼっちをさびしいと思うことが、そんなに罪なの? 友達が欲しいって思うことが、許されないの? 好きなひとを好きって言ってはいけないの? ねえ、教えてよ。
彼女は、あわてて立ち上がりました。その拍子に、フォークがテーブルから落ちて、床を鳴らしました。
あはは、安心して。わたし、もう、そんなに動けないから。証拠を見せようか?
アリスは、おどけて自分の服をつかみます。
この下をみせたら、きっと魔理沙は気持ち悪くなるよ。
彼女は、生唾を飲みこみました。
……その赤い染みって。まさか。
……そう。ぜんぶ、じぶんでやったの。じぶんできりきざんだの。もちろん痛いよ。痛いんだけど、やっちゃった。あはは、くるっているよね。
……アリス。お前は、病気なんだ。まだ、治っていないんだ。
病院の先生は、魔法使いに特有の病気だって言ってたよ。でもきっと違う。わたしは、もとから、あたまがおかしいんだよ。魔理沙だってそう思うでしょ?
お前は病気なんだ。今すぐ病院に行くんだ。病院でゆっくりして、病気が治ったら。私がヒマになったら。また来るから。
それって、嘘だよね。魔理沙、絶対に二度と来こないよね。そんなことくらい、いくらなんでも、わたしだってわかるよ。
……そんなこと。そんなこと。ない。
魔理沙は嘘をつかないで。お願いだから。いいの。わたしはもう、魔理沙の気持ちはわかっている。だから、これ以上嘘をつくのは、もうやめて。わたしが好きな魔理沙のままでいて。お願いだから、きたなくならないで。
声を張り上げたためか、アリスは咳き込みました。せりあがってきた血が、口元から吐き出されました。気管に血が詰まったせいか、息をするたびに、ぜいぜいと荒い音が鳴りました。
しばらくして、ようやく落ち着いたアリスは、不安げな目を向ける彼女に、ほほ笑みました。
……でもね。わたし、やっぱり魔理沙には、また来てほしいの。だからね。悪いけど、今飲んだ紅茶にね、ちょっと細工をさせてもらったの。
……細工?
そのなかにはね、微粒子くらいの大量の肉人形が入っているの。例の、意思を持つ人形たちよ。もうあなたのはらわたまで入ったかしらね。わたしが指示すれば、人形たちは、いつでもあなたのはらわたをかじりはじめるわ。
彼女は、大きく見開いた目で、アリスを凝視しています。
……何だと?
でも、安心して。一体一体の力は弱いからね。少しずつ、あなたのからだを削り取っていって、心臓とか、致命的な部分に到達するまでは、きっと死なないから。
……別に、わたしは大したことを何も望んでいるわけじゃないよ。
魔理沙に、いっしょにいてほしいだけ。それだけなの。ほんとだよ。
毎日ってわけじゃない。たまに来てくれれば、それでいいよ。わたしを忘れなければ、それでいいよ。そうしてくれれば、わたし、なんでも魔理沙の言うこと聞くし、魔理沙のためなら、なんでもするよ。ほんとうだよ。殺したいやつは私が殺すし、お金がほしいんだったらからだだって売るよ。そう簡単に死なないから、殴りたいときには殴ってもいいし、魔法の研究の人体実験に使ってもいいよ。わたし、魔理沙といっしょにいるだけで、しあわせなの。
彼女は、しばらく呆然とアリスの顔を見つめていましたが、やがて、
……どうして。私が、そんなことをしなきゃならないんだよ!
その顔に、激しい怒りがにじんでいました。
アリス、おまえは自分で言ったとおり、あたまがおかしいんだ。こんな馬鹿げたをするから、おまえは今でもひとりぼっちなんだよ!
でも、嘘をついて、わたしを追い詰めたのは、魔理沙だよね。
……嘘?
ねえ魔理沙。魔理沙が病院に来てくれたとき、ほんとうにうれしかったんだよ。またな、って言ってくれたときの声は、いまでもずっと鳴り響いているの。手を振ってくれたとき、わたし、しあわせだったんだよ。なのにそれが全部嘘だったんだよね。ねえ。それって、ひどいと思わない?
彼女の瞳が、激しく揺れました。
嘘……嘘じゃない。現に、こうやって来ているじゃないか!
巫女に言われて、仕方なく来たんでしょ? ここに来るのが怖かったから、巫女から陰陽玉を借りているんでしょ? さっきからエプロンのポケットをずっと触っているいるけど、そのなかにあるんじゃないの?
彼女は、愕然とした表情を浮かべました。
……なんで、そんなことまで。……まさか。
そうだよ。わたし、神社の外でね。聞いていたの。虫に刺されながら、じっと境内の草むらにいてさ。だからね。ぜんぶ知ってるんだ。ぜんぶだよ。そう、巫女と、いけないことしたこともさ。ずっとわたし、外で聞いていたよ。
あの巫女、きもちよすぎてもうわけわかんなくなってたんじゃないの。人形なんていらなくても聞こえてくるくらいの声でよがっちゃっててさ。魔理沙も、かわいいばっかり言ってて、おっかしいの。
あはははは、気持ち悪いでしょう?
でも、わかってほしいの。それはぜんぶ、魔理沙が好きだから。ほんとうに、あなたが好きだからなの。だいすきだから、魔理沙の声を聞きたかったの。魔理沙のことをたくさん知りたかったの。別に巫女と抱き合ってもいい。ちゃんと私にほんとのことを言ってくれれば、何をやってもいいの。あなたがまた、ここに来てくれれば、それでいいの。それだけは、信じてほしいの。
だから。
もし魔理沙が。それでもわたしのところに来るのが嫌だったら。いっしょにいるのが嫌ならば。
わたしをころしてよ。
わたしが死ねば、肉人形たちはただの肉に戻るから。
それで、みんな、おしまいだから。
アリスはそう言って、五寸釘を魔理沙のテーブルの前に置きました。
彼女は、置かれた鋭い五寸釘を、怯えた顔でしばらく凝視していました。それから、意を決したように、エプロンドレスのポケットのなかに手を入れると、ポケットから陰陽玉を取り出しました。
霊夢。早く来てくれ。助けてくれ。早く!
そこで彼女は顔をゆがめ、おなかを押えました。わずかに震えている顔に、汗がにじんでいます。
アリスは笑っていました。
ねえ魔理沙。巫女を呼んで、どうするつもりなの? だって、方法はふたつだけ。それも、今すぐ魔理沙ひとりでできることじゃないの。もしかして、わたしが何か隠しているかもしれないのが、怖いの?
アリスは椅子から立ち上がると、服のボタンをはずしました。血に濡れたボタンを片腕ではずすのに時間がかかりましたが、全部はずして、脱ぎました。脱ぐときに、アリスのおなかから、あかぐろいものも一緒にずるりと落ちて、床に散らばりました。
アリスのなめらかな白い肌は、あちこちがそぎ落とされており、骨や内臓が露出していました。豊かな乳房も片方が切り取られて、その胸の部分はじゅくじゅくとした赤い肉の壁となっています。しかしアリスの肉体は輝きを失うどころか、むしろ醜い傷跡と対比となり、畸形的な美しさを放っていました。
アリスの常軌を逸した美しさに、彼女は、恐怖していました。怯えた視線をアリスから離すこともできずに、まるで射すくめられたかえるのように、みじろぎひとつできないでいました。
……一体。どうして、こんな。
アリスは、笑みを絶やさぬまま、言いました。
ミートソーススパゲティ、おいしかった? ミートソースに使ったお肉は特製品なのよ。とっても新鮮ないろんな部位を混ぜ合わせて作ったんだから。
彼女は最初、怪訝な表情を浮かべていましたが。ふいに、何かに気付いたのか。突然目を見開くと。血の気が引いたように青ざめていきました。
その顔は、信じられない戸惑いと、信じたくない不安と、そうであってほしくない祈りと、なぜ、という理不尽に対する怒りがまぜこぜになっていました。
……おい。冗談だよな?
こんな魔理沙の表情、はじめてだな。と、アリスは思いました。
魔理沙とは思えないくらい、とてもみにくい。だけど、とても、いとおしい。
ううん。きっと魔理沙が思っているとおりだよ。
アリスは言いました。
だいじょうぶ、ちゃんときれいに洗ったし、それにわたし、ずっと食事してないから、へんなものも混じっていないよ。
彼女はその場でうずくまると。潰れたひきがえるのような音をさせながら、胃のなかのものをぶちまけました。
ごめんね、魔理沙。と、アリスは言いました。でもいまさらもう、遅いんだよ。わたしの一部はもう魔理沙のなかで消化されているよ。わたしの一部は魔理沙の血肉になるの。
これで魔理沙、わたしたち、ずっといっしょだね。うれしいな。とってもうれしいな。
……でも、と、アリスは思いました。
まだだ。からだだけじゃ足りない。ほんとうに魔理沙がわたしをずっといっしょにしてくれるには。もうひとつ残っているんだ。
そのたったひとつの冴えたやりかたには、わたしはいらない。わたしを苦しめる心なんていらない。
ただ、人形のように。おだやかで。やすらかな。なにもない世界にいればいい。
ようやく吐き気がおさまった彼女は。涙と吐しゃ物でぐちゃぐちゃになった顔を、アリスに向けました。その真っ赤な目は、よわよわしくゆがんでいました。
……なんで。こんなことを。
大好きだからよ。魔理沙、あなたが大好きだから。だから、わたしを食べてほしかったの。
……くるっている。くるっている。
魔理沙、それよりも。早くどうにかしないと、死んじゃうよ。
……しぬ。死んじゃうの、わたし?
そう。でも、わたしといっしょになるか、わたしをころせば、かわりに魔理沙は助かるよ。
彼女は、どんよりと曇った瞳を、テーブルの上の五寸釘に向けました。
その鋭い切っ先に、彼女は、明らかに怯えていました。
……たすけて。れいむ。たすけて。こいつ、あたまがおかしい。このままじゃ、しんじゃう。ころされる。
彼女は、自分の嘔吐物でよごれた陰陽玉にそうつぶやきます。
……魔理沙。巫女を呼んで、巫女にわたしをころさせるの? 自分がたすかりたいから、巫女にころさせるの? そうだね。巫女ならころしてくれると思うよ。だってあの巫女、魔理沙のことが好きだもんね。あんなによがりくるっちゃうくらい好きだもんね。
アリスの言葉に、彼女は、呆けたような、うつろな視線を向けていました。
……ちがう。
なにがどうちがうの?
ちがう。わたし、そんなこと。
ころす勇気がなければ、わたしといっしょにいてくれる?
彼女は、歯をがちがち鳴らしながら、しばらくアリスを見つめていましたが、やがてその顔がくしゃくしゃにゆがむと、瞳から、涙が溢れてきました。
いやだ。いやだ。わたし、しにたくない。わたし、なんにもわるいことしてない。ゆるして。ゆるして。ごめんなさい。
……巫女の言ってたとおりだな。と、アリスは思いました。
砂糖菓子みたいに、甘くて、壊れやすくて、中身がすっかすか。でも、かわいいんだ。
アリスは、テーブルの五寸釘をつかむと、ゆっくりとうずくまっている彼女に近づきます。
彼女は、ひ、と短く悲鳴をあげると、立ち上がろうとして手を床につきました。床にちらばる自分の吐しゃ物に手を滑らせて、倒れこんでしまいました。嘔吐物にまみれた彼女の手から、陰陽玉がこぼれ落ちて、床を転がっていきます。
ひい、と、彼女は鳴きながらあわてて手を伸ばしましたが、陰陽玉は、そのまま床の向こう側まで行ってしまいました。
これでもう、巫女を呼ぶこともできなくなっちゃったね。魔理沙、かわいそうだね。
いや。こないで。こないでよ。
アリスは、座り込んだまま立ち上がることもできない彼女の前まで来ると、座り込んで、手に持つ五寸釘を彼女に差し出しました。
あとは、自分の手で、やるしかないよね。このとおり。わたしはただの死にかけの女だから。簡単だよ。
彼女は。涙まじりの瞳を五寸釘に向けました。片方の手は、やはり痛むのか、自分のおなかを押えています。
やがて。吐しゃ物のこびりついた唇を、ぎり、と噛むと、震える手で、五寸釘を握りました。
アリスを見つめる目が、ぎらぎらと、あやしく輝きました。
うああああああああおおおおっ。
彼女は叫びながら。アリスの顔めがけて釘を振り下ろしました。
釘はアリスの目に深く突き刺さりました。衝撃で、アリスはそのまま倒れこみ、後頭部を床に打ち付けます。仰向けになったアリスの上に彼女はまたがると、五寸釘を引き抜きました。釘には血が混じった粘液とともに、アリスの眼球が刺さっていました。彼女はそれをみると、顔をひきつらせて絶叫しました。片目を失ったアリスは、まりさ、とつぶやきながら、両手を彼女に伸ばします。彼女は悲鳴をあげながら、今度はアリスの胸元に釘を打ちつけました。引き抜くと、アリスのからだからどすくろい血があふれでました。それがはじまりでした。彼女は何度も、何度も刺しました。みるみるうちに、彼女の両腕は、からだは、アリスの返り血を浴びて、真っ赤に染まっていきます。
そんな彼女の姿を、残った片目で見つめながら、あは、と、アリスは笑いました。あははは、と、笑い続けました。真っ赤な視界が、にじんできました。
彼女の悲鳴は、むき出しの感情だけを垂れ流すけだものじみたものになっても、いつまでもやみませんでした。アリスの姿は真っ赤に染まり、誰なのかすら判別できないほどに変わり果ててしまいましたが、彼女の手は止まりません。既に釘が歪んで先端が曲がり、それを握り締める彼女の手の指も折れてしまいましたが、それでも彼女は刺し続けました。彼女の顔は、ひどく醜いものでした。アリスを見やる両目は恐怖にゆがみ。悲鳴を上げ続ける口はだらしなく唾液にまみれ。美しかった金髪は何度も頭を振るためにざんばらにほつれ。
うそっこよ。魔理沙。
突然のアリスのつぶやきに、彼女の手が、止まりました。荒い息を立てながら、彼女は、茫然とアリスを見下ろしています。
……え?
アリスは、小さく微笑みました。その際に、残った目から、涙がひとすじこぼれ落ちて、あかぐろく腫れた頬を伝いました。
入れたのは、ただの弱い下剤。あはは、びっくりした? これで、おあいこだね。
ひとこと、「嘘だよな」って言ってくれたら。「アリスはそんなことしないよな」って言ってくれたら。すぐに止めるつもりだったんだよ。
でも、魔理沙は。最初から、疑いもしなかったよね。
なんどもいったのにね。嘘をつかれたって、巫女と抱き合っていたって、魔理沙のことが、だいすきだって。
魔理沙を傷つけることなんて、わたしにできるわけないのに。
そんなにわたしのこと、こわかったんだね。
そんなにわたしのこと、しんじられなかったんだね。
……まりさならわかってくれるって、さいごまでしんじていたのにな。
でも、いいよ。わたし、まりさのこと、ぜんぶ、ゆるすから。
でも、かわりにさ。
わたしをわすれないでよ。
まりさに、うらぎられて、しんじてもらえなくて、ころされたわたしを。わすれないでよ。
あはは、いつだって、まりさのなかの、どこかにいるからね。
絶叫が、響きました。
まるで心の歯車が外れ、きしみをあげているかのような叫びは、いつまでも、いつまでも、アリスの耳に響いていました。
*******
……アリス、アリス。まだ、生きている?
……あなたに伝えようと、おもってさ。
魔理沙。お医者さんに診てもらったんだけど、もうだめなんだって。魔理沙の弱い心は、ショックに耐えきれなくて、あっけなく壊れちゃったんだ。
あなたが望んだとおり、もう魔理沙の心のなかから、あなたが離れることはずっとないよ。あなたは魔理沙のなかで、ずっと、いっしょに生き続けるの。
……そう。私ね、陰陽玉ごしにぜんぶ会話を聞いてたんだ。別に魔理沙から少しぐらい離れても、会話は聞き取れるくらいの感度はあるの。あはは、あなたと同じことしてたのよ。
……そうだよ。私は、あの日、あなたが神社にいて聞いていたこともぜんぶわかっていたんだ。あなたに、私のせいできたなくなっちゃった魔理沙を見せてやったあと、魔理沙をここに来るように仕向けたんだよ。魔理沙があなたに壊されていくのも聞いていたし、魔理沙の悲鳴や声にならない声を、ずっとずっと聞いていて、完全にだめになるまで見捨てたんだよ。
……別に、魔理沙が嫌いになったわけじゃないよ。あなたもぜんぶ、聞いていたんでしょ? 私、魔理沙にさわられただけでいっちゃうくらい、ばかみたいにこうふんしちゃうんだからさ。
でもさ。とてもつらかったんだよ。やっと自分の願いがかなったのにね。なんでだろう。よくわからない。やっぱり私も、頭がおかしいんだよ。せっかく手に入れたものを、結局自分から壊しちゃうんだ。
……魔理沙の悲鳴を聞きながら、私がなにをしていたと思う? 私、すごくこうふんしちゃってたんだよ。あはは、ほんとうに、救いようのないへんたいだよね。大好きなひとが壊れていく声を聞きながら、助けようともせず、その悲鳴を使ってひとり遊びをしているなんて。ほんとうに、くずだよね。
だから……今の抜け殻になった魔理沙のほうが、私にはぴったりなんだ。そうじゃないと、きっともう、魔理沙と顔をあわせられなかったから。
今の魔理沙。とてもかわいいんだ。まるでこどもになっちゃったんだよ。ひとりでごはんも食べられないし、おトイレも行けないの。いつもぶるぶる震えてて、すぐに抱き付いてくるの。いつもこわがっていてかわいそうだから、気持ちいいことを教えたら、そればっかするようになっちゃった。そんないけない子になっちゃったから、もう、お外にも行けないんだ。だからね。魔理沙がほんとにだめになっちゃうまで、魔理沙とお人形さん遊びをするんだ。
……でも、そんなに長く遊べないかもしれない。紫、私がまともじゃないこと、とっくに気付いているしね。
わたしがまっとうな生活ができてるのは、博麗の巫女っていう肩書があるから。紫が私を捨てたら、もうおしまい。力を失った途端、妖怪たちになぶりものにされるんだ。ほかの人間が守ってくれる? あはは、魔理沙を見捨てたことを紫がみんなに話せば、誰も味方してくれるわけないよ。小娘のくせに生意気だっておもっているやつらもけっこういるしね。きっと、ひどいことたくさんされるよ、私。
でも、いいんだ。博麗の巫女なんて使い捨ての人生だってわかっているし、私はもともと奈落に落ちるべき人間なんだからさ。そこが、本来あるべき場所なんだからさ。
……ねえ。アリス。勝手に手、使っちゃってて、ごめんね。
私もね、アリスのこと、忘れたくないの。でも、どうすればいいのかわからなくて。こんなことでしか、あなたとつながれなくて。
アリスの手、とても冷たくて、きもちいいよ。
……アリス、ほんとに、死んじゃうのかな。そうだよね。アリスはもう、希望はぜんぶかなって、絶望から解放されたんだものね。魔法が解ければもう、最後に残った希望は、それだけだもんね。
……ほんと、むかつくよ。
あっけなく私を置いていこうとしてるアリスにも、こんなことしかできない自分にもさ。
……あのさ。
あのとき言ったこと。けっこう、ほんとうだったんだよ。あなたと友達になるって言ったこと。
ほんとうに、あなたと友達になれるかも、ってね。ちょっと、おもったんだよ。
あたまのおかしい同士、けっこうお似合いなんじゃないのかな、ってね。あはは。
……どうして、こんなようにしかなれないのかな。私たち。
……。
……もう、行かなきゃ。魔理沙をひとりぼっちにしちゃ、かわいそうだからさ。
……。
……じゃあ、またね。
*******
しばらくすると、魔法の森には、見たこともない奇怪な生き物が現れるようになりました。
その場で少しずつ回転しながら己の糞を食べつづける甲虫、ショックを与えると全身がめくれて内臓をまき散らすウサギ、昆虫のような複眼を持つ羽根の無い吸血ハト、細長い八つ足で高速移動する半透明の熊、生物の体内に侵入して巣を作るコオロギの群れなど、この世ならざる特性を持つ生物でした。
紅魔館の魔女が調査した結果、世界の法則をねじまげてしまう魔術的な穢れが起こっていることがわかったため、魔法の森は封鎖されることになりました。
穢れた森は負の空気に満ちており、その空気に引き寄せられるように、いつしか自殺志望者、世捨て人、気狂い、脱獄者などが森にやってくるようになりました。彼らはひっそりと森に入っていき、それから二度と、村に戻ってくることはありませんでした。彼らは鉱石と生物の中間にねじまげられ、意思が溶けたまま、ただ自動的に森を歩いている、という、まことしやかな噂が立ちました。そのうち、魔法の森は更生の余地のない犯罪者を捨てる流刑地となりました。捨てられた犯罪者たちも、やはり二度と村に戻ることはありませんでした。
それからしばらく経ち、博麗の巫女が、この魔法の森に捨てられました。
彼女は博麗の巫女の地位を解かれたあと、あの彼女――霧雨魔理沙を、己の欲望のために狂わせた上で神社で監禁していた罪を問われ、投獄されました。霧雨魔理沙は勘当された身とは言え、生家は豪商の良家です。烈火のごとく怒り狂った霧雨一族は、その権力を使って看守の妖怪や人間たちに、巫女をなぶりものにするよう命じました。巫女は、妖怪たちによっておもしろ半分に右腕を引きちぎられ、右目をついばまれました。人間たちがよってたかっていたずらに犯したため、股はひどく裂け、まともに歩けない状態になりました。
そうして、裁判もそこそこに巫女は重犯罪者とされ、呪われた怪物が巣食う魔法の森の奥深くに捨てられることとなったのです。
それからしばらくして、霧雨魔理沙の姿も消えました。彼女は博麗神社で泣きながら自慰をしているところを発見されると、そのまま精神病院に入院となりましたが、しばらく経った夜、病院のベッドから消えてしまったのです。彼女はひとりではとても生きられぬ状態ですので、警察は総員を挙げての捜索をしましたが、彼女は発見されませんでした。
しかし、彼女の親はそれほど病院を責めず、やむを得ない事故だと、示談で事を収めました。そのため、おかしな魔法にうつつをぬかしたあげく精神が破綻した娘を、名前を汚す存在だと内心疎ましく思っていた一族が病院と共謀して消したのではないか、という噂がたちましたが、時が経つとともに、みなの記憶のなかから、霧雨魔理沙も、博麗の巫女も、消えていったのでした。
*******
幾年かが経ち、人々から彼女たちの話が出ることもなくなったころのことです。
ある行商人の男が、憔悴しきった姿で旅から戻ってきました。くろぐろとしていた髪は白髪混じりとなり、よろよろと力無い足取りや、落ちくぼんだ目など、まるで十も二十も年を取ってしまったかのようでした。
知人たちが、一体旅先で何があったのかを問いただしても、なかなか口を開こうとしませんでした。
しかし、何度目かの説得により、ようやく男は、かすれた声で、語り始めました。
旅先で、あの霧雨魔理沙と出会った、というのです。
遠く西の国にやってきた男は上機嫌でした。市場でとある卸問屋と交渉したところ、持ってきた商品を今後も継続して買い付けることで話がまとまったのです。
その卸問屋は、醜い男でした。異様に肥っており、首などは、何重もの肉が重なっていましたし、腹も自分の下半身が見えないほどにせりだしていました。肉でたるんだ上に、いぼだらけの顔は、まるでがまがえるのようでした。しかしその口調は穏やかで紳士的であり、会話の内容も確かな情報に裏打ちされた信頼に足るものでした。また、ちょっとした雑談のなかにも、多岐に渡る知識や知的さが垣間見えるものでした。
商談が終わったころには、とっぷりと夜が更けていました。男は、異様に醜い風体に明晰な頭脳を持つこの卸問屋に興味を持ち、そのまま飲み屋に誘うことにしました。
卸問屋は居酒屋のちっぽけな丸椅子にこじんまりと座り、汗まみれになりながらその博覧強記ぶりを発揮して、さまざまな話のタネを披露していきます。喉が渇くのか、おそろしい速さでジョッキも空にしていきました。
すっかりいいかんじに酔った帰り路で、卸問屋が小声で耳打ちしました。
ちょっと変わったお店があるのですが、もう一軒、いかがですか。
卸問屋の好色そうな笑みで、男はすぐにぴんときました。
この男が変わった店というのなら。とても変わっているのだろう。そう思い、好奇心を抱いた男はうなづきました。
ここは、とびきり異常な店でしてね、と、卸問屋は階段を下りながら言います。
……もっと刺激的な店はね。いくらでもありますよ。しかしそういった店は見てくれは狂的だが、単に客寄せのための異常さでしかない。所詮は、偽物でしかない。しかし、ここはね。本当に、狂っている。
むきだしの石の階段は異様に狭く、ひとの行き来ができないほどでした。やがて下まで降りると、古い鉄の扉がありました。卸問屋が扉を叩くと、中から、がちゃり、と開く音がして、重い音をきしませながら、扉が開きました。
扉の向こうには、中華風の赤いドレスを着た黒髪の女が立っていました。ドレスの長袖からみえる右手は金属片を継ぎ合せた義手で、杖をついていました。長い黒髪のあいだで冷たく光り輝いているのは左目のみで、右目には赤いリボンをアイパッチのように結んで留めていました。
……どうやら、先客はいないようだね。
主と思われる女は、腕組みしたまま、卸問屋にその鋭い眼光をぶつけると、ふん、と、鼻を鳴らしました。
……まあね。さっきまで、ちょっと大変だったのよ。
……まりさは。元気かね。
唐突に卸問屋が出した名前に。男は、色あせた記憶に埋もれていたひとりの少女の姿を、思い浮かべました。
でもすぐに、そんなことはないか、と打ち消しました。そんなことはない。あの魔理沙のはずがない。
……さっき、お薬を打ったばかりだから。今は落ち着いているよ。
……それはよかった。ちょうどいいタイミングだったようだね。
……入ってよ。
一部屋だけの店内のレンガ壁には、俗に言う性具から、医療器具、ワインボトル、ゴムホースなど、実にさまざまなものが吊るされていました。
そして、部屋の真ん中のベッドに、黒を基調としたエプロンドレスを着た金髪の少女が、足をぶらぶらさせながら座っていました。
少女はこちらを見上げながら、笑っていました。感情の一切見えない、ぼんやりとした笑顔でした。こちらを見ているはずの瞳の焦点はずれて、虚空に結ばれていました。
彼女は、両手に人形を抱いていました。金髪の少女の人形で、髪には赤いリボンが巻かれていました。かなり古い人形なのか、腕が欠け、ボタンの目のひとつがほつれ、からだのあちこちがすり切れていました。
ねえ、わたしをきもちよくさせてくれるの? と、少女は舌ったらずの声で言いました。
そうよ、まりさ。と、女主人は言いました。
まりさ、という名前。そしてその容姿で。男は、ようやく確信したのです。
まりさの姿は、幻想郷にいたころと、あまりにも変わっていませんでした。病的に皮膚が白くなり、瞳から光が消え失せてはいましたが、年齢の刻みの跡は、何もなかったのです。ですので、男はずっと間違いではないか、と思っていたほどでした。
ルールを教えてあげる。女主人はそう言うと、杖をつきながら足を不自由そうに引きずり、ゆっくりとまりさに近づいていきました。
女主人は、期待に満ちた目で見つめているまりさのスカートを、つまんでめくりあげました。
……まりさのここに、気が済むまで何を突っ込んでもいいよ。でも、まりさの上半身はだめ。そっちは、私たちのものだから。ルールはそれだけ。
男は、女主人が「私たちのもの」と言ったことに違和感がありましたが、それどころではありませんでした。
まりさは、下着を穿いていませんでした。
男は、昔の霧雨魔理沙をよく知っていたのです。良家の生まれなのに、魔法使いを目指して飛び回っている霧雨魔理沙は、破天荒なお嬢様といった風情であり、彼らの同年代のなかで憧れの存在だったのです。その美しく愛らしい姿は、みなの自慰対象であったのです。
まりさのあそこは、すでにびしゃびしゃに濡れていました。
男は、異様な昂ぶりを感じながら、ごくり、と唾をのみこみました。
……毛も、生えていないじゃないか。
女主人は、うふふ、と笑いました。
やさしいひとなんだね。でも、大丈夫だよ。そっちのやつの腕だって、まりさはのみこんだんだからね。
男は、信じられませんでした。肥満しきった卸問屋の腕は、男の足ほども太かったのです。
……それに、まりさはね。こうみえて、年は私と同じくらいなのよ。もともとこどもっぽい身体つきだったけど、悪い魔法使いの呪いでね、魔法使いに怯えながら永遠を生きるからだになってしまったようなの。今でもまりさは悪い魔法使いのことを怖がっているわ。きもちいいことしている間以外は、お薬を打ってなんとか我慢しているのだから。だから、なにも気兼ねすることなく、このへんたいをいじめてあげて。それがまりさを救うたったひとつの方法なんだから。
スカートをめくられたまりさは、男の視線を感じてなのか、蕩けたような表情を浮かべていました。
男は、少年だった頃の淡い思い出が、どろどろと塗りたくられていくような気がしました。
そして。ふいに、男の心のなかで、何かが破裂しました。
男は、かがみ込んでまりさの股ぐらの前に顔を近づけると、彼女のお尻をがっちりとつかんで、もうひとつの腕を、まりさの穴のなかへとおもいきり突っ込みました。
あぎいいっ。
まりさの小さな穴はありえないほど広がり、男の拳が一気に入りました。痩せたおなかに、男の拳の形がぼっこりと浮かび上がっています。
男はからみつく肉のあたたかさを感じながら、拳を出し入れしました。
あがっ。いぎっ。あああっ。
まりさは痙攣しながら、断続的におしっこを吹きだしました。男の顔はまりさのおしっこでびしょぬれになりました。アンモニアのなかにむせかえるような女の匂いが混じり、男の鼻孔を刺しました。くるったようによがっているまりさは、両腕で人形を強く抱きしめながら、虚空を見つめていました。その顔は、やはり壊れた笑顔のままでした。
男に、怒りやかなしみが入り混じった感情が押し寄せてきました。
……これは夢だ。こんなばかげたことは。ぜんぶ夢なんだ。
こんな夢は。いっそすべて壊してしまえ。
男は、まりさのなかに突っ込んだ腕を、さらに強く押し込みました。
うげええっ。
腕は肘のあたりまでずっぽりと入ってしまいました。腕が胃まで押しつぶしたのか、まりさは嘔吐しながら失禁しました。
それから男は、卸問屋とふたりでまりさをいじめました。
いろんなものをまりさの穴に入れたあと、彼女の片足を持ち上げて、左右から彼女をはさんで前と後ろの穴を責め立てました。卸問屋のものは太く、その顔と同じく、ニガウリのようにいぼだらけでした。まりさの薄い肉ひだをはさんで、彼女の尻穴から突き入れられた卸問屋のものが激しく動き、その突起部分がまりさの直腸を荒々しくこすりつけているのが、男のものに伝わってきました。まりさの薄い下腹部は、ふたりの男のものでぎちぎちに満たされてしまい、動きにあわせて異様に膨らんでいます。まりさは、限界をはるかに超えたものを二本も突き刺されながら、言葉にならない言葉を叫び、よがりくるっています。
男は、子どもの頃に憧れていた少女を、肥え太ったひきがえるのような醜い男とふたりがかりで犯している、という異様な体験に眩暈がするほど昂ぶっていました。まりさの、ほとんどくるったような嬌声を聞きながら、現実か夢なのかもわからないほど、夢中になって腰を振り続けました。
……まりさ。まりさ。きもちいい?
ふいに声がして、男の意識は、かすかに現実に帰りました。
いつの間にか、あおむけになっているまりさの上半身を、女主人が抱き起していました。まりさの下半身はまだふたりに責められています。まりさは白目を剥き、手をだらんと垂らして、びくびくと痙攣していました。
まりさ。きもちよすぎて、気絶しちゃったんだね。と、女主人は、まりさにやさしく語り掛けています。
……ごめんね。私、まりさをこんな目にあわせて、とてもこうふんしているの。
女主人は、まりさの胸元で抱かれている人形を、やさしく撫でていました。
……ねえ、ありす。まりさに、キスしていいかな?
卸問屋がまりさの尻穴を突くたびに、彼女のからだが震えています。
……うん。もちろん、私たち、いっしょだよ。ずっといっしょだよ。
ごめんね。と、女主人はつぶやくと、だらんとなったまりさを抱き寄せて、その唇に、くちづけました。
女主人は、まりさを見つめるその目から涙を流しながら、とてもしあわせそうに、まりさの唇を吸っていました。
男は、気が狂いそうになりながら、まりさを犯しつづけました。
抱擁を交わしているふたりの胸元にはさまれて、あの金髪の人形が揺れていました。まりさが突かれるたびに、人形のからだも揺れていました。
まるで、三人で抱き合いながら、うれしくてはしゃいでいるように、揺れていたのでした。
作品情報
作品集:
10
投稿日時:
2014/06/14 07:44:31
更新日時:
2014/06/16 23:03:49
評価:
11/13
POINT:
1150
Rate:
16.79
分類
アリス
霊夢
魔理沙
最後は三人とも一緒になれたのかな……
定番ながらも、描写の魅力的なお話でした。体内洗浄のところがなんか好き。
このメルヒェンは、あまりにも、穢れていた……。
でも、最後は、三人のヒロイン達だけのハッピーエンド♪
切り刻まれるほどに美しさを増すアリスの体という逆説的な描写も、全体を貫く歪んだ空気感の中ではとても説得力がありました。
狂言回しの霊夢のいやらしさも素敵で、最後までワクワクしながら読みました。
細長い八つ足で高速移動する半透明の熊さん
挿入される魔術関係の小道具や生物も程よい清涼剤となってました