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『第八夜〜第十五夜』 作者: ただの屍
第八夜。
迷いの竹林。野兎が妹紅の喉笛を食い破る。妹紅は自宅付近で兎の群れと戦っていた。
妹紅はその兎を鷲掴みにし、背骨を折る。他の兎が妹紅の手足に食らいつく。足元の兎を踏み殺し、手元の兎を捻り殺す。まだまだいる。
肩に爪を立てた兎の口を両手で掴み、顎を引き裂く。尻をかじっていた兎の耳を掴んで引き剥がし地面に力いっぱい叩きつける。左手の人差し指を噛み千切った兎の両目を潰し、脳をほじくり出す。
惨殺を繰り返しても兎は萎縮しない。紅く輝くその目は鮮血を求めている。妹紅は戦法を変える。
妹紅はそばに生えている青竹を下段蹴り、上段足刀蹴りで切断する。出来た竹槍を火で炙って硬くし、構える。手の皮が焼け爛れる。「来い」喉から血が吹き出す。痛みは怒りに変わる。
兎が四方から飛びかかる。妹紅は素早く後退する。背中が切り裂かれた。妹紅は目の前の兎を竹槍で払い殺す。突き殺す。竹槍の穂先が割れた。背中の兎を竹槍で叩き殺した後、竹槍の先端を手刀で切り落とす。
落葉に身を潜めた兎、竹から飛び降りた兎が上下同時に攻めてくる。妹紅は飛び上がって竹に掴まり、降ってくる兎を竹槍で殴り殺す。
殺し損ねた一匹が竹槍を渡ってきて妹紅の頭皮を削ぎ落とした。竹を登ってきた兎が妹紅の足のアキレス腱を噛み切った。妹紅は自分の右目ごと、脛ごと、兎を突き殺す。妹紅は竹槍を振り回し、中空に詰まった血肉と目玉を除く。
血で手が滑った。落ちた妹紅を兎が覆い尽くす。あっという間にはらわたが引きずり出される。全ての指を落とされ、首を刎ねられた。
妹紅の心臓が爆発した。兎は吹き飛ばされて竹に叩きつけられ死んだ。あるいは身体の一部が吹き飛んだ。そうでなければ灰燼に帰した。妹紅が立ち上がる。夜風が胸の空洞を吹き抜け、悪夢のような音がした。
妹紅は一回転し、遠巻きに見ている兎に炎を振りまく。火だるまになった兎が逃げ去り、襲ってくるものはいなくなった。
妹紅は落葉を寄せ集めて再生の火を焚き、散らばった身体のパーツといくつかの兎の死体を抱えて投身する。スクラップから金属を精錬するように、屑肉や骨片が熔融し、妹紅という枠に流し込まれる。こうして妹紅は復活を遂げた。
妹紅は仰向けに寝転がる。落葉がちくちくする。全裸だからだ。妹紅は嘆息する。これは一体何だったのか。どうして兎に襲われたんだろ。輝夜。確かにわけわからないやつだけどここまでわけわからないやつだとは思えない。永琳。うーん、どうだろ。鈴仙。なんで。てゐ。いたずらにしても兎を死なすかな。全然わからない。
ぱちぱちと物の焼ける音がした。火事。そう思った妹紅が飛び出した先で見たものは焼け落ちる自分の家だった。崩れた壁の内側に無数の兎が伏していた。家はもう手遅れだった。
「だからどういうことなのよ」裸一貫となった妹紅は声を限りに叫んだ。
第九夜。
命蓮寺。ひとり誦経する一輪の下に一匹の薄汚い鼠がやって来て膝に乗った。鼠の左耳は欠けており、尻尾は先の方が裂けて二叉に分かれていた。
一輪は膝を揺らし、それでも鼠が逃げないので手で払う。鼠は一輪の膝にしがみついて耐えた。鼠が鳴く。
一輪は暗誦を止めた。この鼠、何かある。鼠を掌に移し、一輪は立ち上がる。
書庫に着いた一輪は鼠を机に下ろし、ナズーリンのしたためた鼠会話巻物を開く。鼠が鳴く。
鼠の発音は綺麗だった。その為一輪は悩むことなく単語の意味を解したが、組み上がった事実は信じ難いものだった。
無縁塚にて星が萃香と名乗る鬼のキョンシーに殺された。ナズーリンが屠自古に殺された。布都もいた。
「他には」と一輪は鼠語で言った。
「無い」と鼠は言った。
「その言伝、雲居一輪がしかと聞き届けた」と一輪は言った。
鼠が眠るように倒れた。
「もし」思わず一輪は人語で呼びかけ、手を当てる。鼠は事切れていた。鼠の痛々しい風貌を改めて目にした一輪は黙祷を捧げた。
一輪は鼠の亡骸を墓地に埋め、手を合わせて霊魂を弔う。「安らかにあれ」手の内に残る鼠の温もりが両手に広がり、血流に乗って体内を循環していった。
一輪は白蓮を訪ねた。白蓮は写経に勤めていた。動きには淀みがなく、絶えず流れつづけていた。筆が紙を擦る音も相まって川のせせらぎを思わせた。美しい。一輪は目を細めた。
一輪は膝をつく。「聖様」
白蓮は手を止め、一輪の方へ向き直る。「なんでしょう」
「ナズーリンの使いが言うには、星とナズーリンが神霊廟の輩に殺されたそうです。連中は鬼をキョンシーとして従えていたとも」
「守矢だけでなく神霊廟までとは」白蓮は嘆いた。「繰り返し自衛の勧告を行います」
「はい」
「明日、二人の骸を探しに行きましょう。供養が行われているとは思えません。屍は彼女らの枷となっていることでしょう」
「はい」
「思うこともあるでしょうが仇討ちはなりません」白蓮は戒める。「生者の起こした欲が死者の欲に結ばる。仇討ちを起こさば二人は恨みを残して死んだも同じ。死出の景色は暗いものとなる」
「はい」その返事には鼠一匹分の熱がこもっていた。
第十夜。
無名の丘。妖精売りの兄妹が鈴蘭畑を歩いている。妖精売りは妖精を見つけ、捕まえ、下卑た大人に売り飛ばす。その先は知ったこっちゃない。
妖精は人間の子供でも捕まえられる程度の雑魚だが、余程のことをしでかしたのでもない限り大人が妖精を捕まえたりすれば白い目で見られる。それ故に妖精売りがいた。
「いた」そう言って女は立ち止まり、真言を発した。女の両目が白く光る。瞳孔が閉じ、光点が一本の鈴蘭に向けられる。「ここだ」妖精のねぐらは普通人には見えない。女には見えた。
男は左右に針を構える。「起こせ」
光が紫色に変わる。鈴蘭から立ちのぼる霊気が妖精の体を成すか成さないかのところで男は針を投げた。女の目から光が消える。
妖精と男の目が合った。妖精は笑い、飛んできた針を掴みとった。男は二本目の針を殺す気で投げた。女が飛び出した。
妖精は針を避け、女の回し蹴りに合わせ、握った針を突く。妖精の突きが空振った。
初動の回し蹴りはフェイントだった。女は軸足を変え、殺す気で蹴りあげる。鈴蘭の花びらが舞う。
フェイントが成功したにも関わらず本命の前蹴りを躱された。続く貫手も手刀も裏拳も空を切る。男の投げた針が鈴蘭のひとひらを貫いた。
「ばーか。まぬけー」妖精は舌を出して嘲笑い、逃げ出した。
男はその背に針を投げようとして、止めた。二人は針の回収を始める。
「針一本盗まれたな」女が言った。
「そんなことは問題じゃない。逃げられたせいで仕事がやりにくくなるかもしれんがそれも大して問題じゃない。あいつ、妙に強くなかったか。端からこっちに気づいていた」
「たまに妖怪並みのがいるだろ。それに当たったんじゃねえの」女の目が光る。
「嫌な予感がする」
「出たよ、心配性。でも兄貴がそういうこと言うときって一応それっぽい理由があるんだよな」
「なんかショックだな。ま、いいや。妖精って個と全で成長するだろ。なんだか全っぽいなあ。山神様の機嫌が良いって話を里でよく聞く」
「何言ってんだ。ちゃんと喋れ」女の目から出た光が針に反射してきらめいた。
「時間と経験の積み重ねが個、母胎である自然の繁栄が全。一匹見ただけじゃまだ分からんけど、今夜一匹も捕まえられないようなら廃業だな」
「ふうん。で、もしそうだったらどうすんだ。火付けて回るか」女は針を拾った。
「どうにもならん。火だって自然だしな。神じゃないんだから自然をどうこうしようなんて考えるだけ無駄だ。神が悪のために動いてくれるとも思えん」男は針を拾った。
「妖怪売りってどうよ」
「馬鹿女郎。死に急ぐな」
「冗談だよ。ほい」女は男に針を渡した。
男は自分のものと合わせて懐に収めた。「おまえが言うと冗談に聞こえないんだよ」
女はにっこり笑った。「冗談じゃねえってんなら、今から妖怪探すか。え」
「分かった分かった、冗談冗談」
妖精売りの兄妹は妖精を探して歩きだした。
第十一夜。
無縁塚。フランは小傘の右目を撫でる。軽く触れているつもりでも小傘の目はべっこんべっこんへこむ。
「なんで目の色が違うんだろー。不思議だなー」
小傘はどうすることもできない。四肢はもぎとられている。喉も潰れている。瞼さえ引き千切られている。それでも妖怪だから生きている。
小傘の口がぱくぱくと動いた。
「めーりーん。何て言ってるの」
「この目は病気だから直してほしいと言っています」美鈴は唐傘お化けを手にしている。
「えー。わたしにできるかな」
「お嬢様ならできます」
「ならやってみよっと」
小傘の口が動いた。
「これは何て」
「お嬢様にエールを送っています。勿論わたしも応援しています」
小傘の首が横に振れた。美鈴は唐傘お化けを締めあげて呼吸を止めてやった。小傘の顔が引きつる。わかったところで離してやる。
「でもどうしたらいいのか分からない。美鈴。どうしよう」
「目の中に詰まってる紅いのを外に出してみてはいかがでしょう」
「さすが美鈴」フランは小傘の右目に指を突き刺した。血が溢れる。「あは。やったね」
小傘は目をひん剥き、大口を開ける。出ぬ声の代わりに舌を突き出し、左目からは涙を流した。
二人は何者かの気配を感じ、同時に動く。フランは小傘の頭を両手で挟み潰し、美鈴は唐傘お化けをへし折った。
鈴仙が真っ直ぐに歩いてくる。「お嬢様、わたしの後ろに」
鈴仙・優曇華院・イナバ。聞いたことがある。永遠亭の薬売り。正確無比の射撃技術を持ち、紅なる瞳は狂気を世に表すとか。お嬢様との相性は最悪。わたしがやらねば。視線を合わすのが禁忌となると手足から動きを読み取らなければならない。厳しいものがある。
二十メートル。美鈴の間合いの一歩外で鈴仙は立ち止まった。
鈴仙はお辞儀をする。「こんばんは。鈴仙・優曇華院・イナバです。守矢神社からやって来ました」姿勢を正した鈴仙はブレザーを開き、内側に縫い付けられたお守りを見せる。この一連の挨拶は相手の信仰心を見極めるために守矢が定めた規則だった。挨拶を返さない相手は同教徒であっても殺してよいことになっている。
奇跡あらたかな緑色のお守りを見た美鈴はほっとした表情でお辞儀をする。「こんばんは。鈴仙・優曇華院・イナバさん。紅美鈴です」美鈴は二人分のお守りを取り出して見せる。フランもお辞儀をした。「こんばんは。フランドール・スカーレットです」
「フランドール・スカーレットって、あの、可愛すぎるせいで今まで外に出してもらえなかったってやつ」世間ではそういうことになっている。
「社会勉強中なの」フランはウインクした。
「あれ、凄かったね。新聞一面丸々どーん。これがわたしの妹です。最初見たとき気が狂ったんじゃないかと、ていうか今でも」
二人の波長が短くなる。フランは鈴仙を睨む。美鈴は鈴仙に駆け寄り、耳打ちする。「フランドールお嬢様はレミリアお嬢様のことをお慕いしていらっしゃるので刺激を与える言葉はお控えください。特に、気が狂っているなんて物言いは絶対絶対厳禁です」
「あー」鈴仙はフランに向かって弁明する。「馬鹿にしたんじゃないの。羨ましかったのよ。わたしの師匠はわたしのこと叱ってばっかであんな風に自慢したりしないから。素晴らしいお姉様だと思うわ」
フランは笑顔を取り戻した。鈴仙は美鈴に小声で謝る。「ごめんなさいね」
「ご理解頂きありがとうございます」美鈴は言った。
鈴仙は携帯救急箱を懐から出した。「ところでお二方。良く効く薬はいらんかね。お詫びの気持ちを込めて特別に安くしとくよ」
「ほっときゃ治るし」
「頑丈なのが取り柄なので薬いらずで済んでますね」
「そりゃそうだよねえ」鈴仙は救急箱をしまい、開いた右手を天に掲げた。スポットライトが鈴仙を照らす。
美鈴もフランも思わず空を見上げる。大きな満月が見えるが今夜が満月であるはずがない。波の音が木霊し、磯の香りが湧き立つ。
鈴仙は優雅に礼をする。「幻覚にお悩みの際はぜひ永遠亭へお越しください。それではさようなら」照明が落ち、鈴仙は姿を消した。
「さっきの月は偽物、だよね。あのへんてこな音と臭いも」フランが尋ねた。空は暗雲に覆われており、一条の月光を通す隙間すら無い。もはやどこを見渡しても闇があるばかりである。雨の気配が漂っていた。
「そうです。彼女の双眸は世の理を冒涜するのです」美鈴は折り畳み傘を開き、フランをその中に招き入れた。「お嬢様、今日はもう帰りましょう」
雨が降りはじめた。二人は家路を急ぐ。
第十二夜。
香霖堂。神子が入店する。他に客はいない。雨夜だったが神子は一滴たりとも濡れていなかった。
「店はもう閉めたよ」奥から出てきた霖之助が言った。「本日終業の四文字が読めなかったのかい」
神子はお辞儀をする。「お初にお目にかかります。森近霖之助殿。わたしは豊聡耳神子と申す者でございます」
「ああそう、こんばんは。名前は色々見かけたよ。それで、他人のルールを無視してまで足を運んできてくれたきみの用事は何だい」
「良い話、あるいは儲け話を持ってきました」
「へえ」霖之助は興味無さそうに答えた。
神子には分かる。霖之助は腹の底では話を聞きたがっている。こちらの無礼をなじる態度は、優位に立っておきたいという商売人の習性にすぎない。
霖之助は無価値なものなど存在しないと信じているからどんな話でもとりあえず聞いてみるし、どんな物でも手にとってみる。
「ですが他人には聞かれたくないのではありませんか。天叢雲剣の名は」
「少し興味が湧いてきたよ」霖之助の顔付きが険しくなった。
「では詳しい話はわたくしどもの領分で」神子が開いた扉の先は香霖堂の外ではなく神霊廟に繋がっていた。
「また勝手な真似を。客が入ってこられなくなるじゃないか」
「すみません。どうか一分だけ時間をください。一分で元に戻します。もう二度としませんから」
「一分か」霖之助は十秒、悩むふりをした。「よし、行こう」霖之助は天叢雲剣を携え、二人して神霊廟に渡った。
通路のような場所に出た。「あまり驚かれないんですね。ご自分で空間移動ができるのですか」
「初体験ではないだけだよ」
神子が壁に手を当てると亀裂が走り、人が通れるくらいの隙間ができた。「では中へ」
「どこまで行くんだい」
「この先が目的地ですが、気が変わったというのなら元の場所にお送りしましょう。咎めたりはしません」
「ちょっと聞いてみただけさ」
「そうでしたか」霖之助は神子についていく。
十歩ほど進むと畳と龍の掛軸と神棚のある、薄暗く小ぢんまりとした部屋に出た。隙間が閉じ、壁に取り囲まれる。
神棚の手前に並べられている品々を見た霖之助は興奮した。「これらは本物、ってぼくは馬鹿か。本物に決まっている。手にとっても」
「ええ。どうぞ」
霖之助は七星剣を手にする。本物。至宝に触れた喜びで頬が緩む。嬉しすぎる。踊りだしたい。走り回りたい。泣き叫びたい。切腹したい。切りつけたい。
「落ち着きなさい」神子は七星剣を取り上げた。「あなたは錯乱しています」
「落ち着いている」霖之助は凛とした面持ちで答える。「取り乱したりなんかしていない」
「傍目から見て感情が豊かすぎるのです。道具を愛するなとは言いませんが、弁えてください」
「きみの言い分は理解した。では」霖之助はネクロノミコン写本を手に取る。霖之助は射精した。それでもなお陰茎は痛いくらいに反り返っている。「ふう」霖之助は表紙に口付ける。霖之助は脱糞した。
「理解できていません」神子はネクロノミコン写本を奪い、霖之助を部屋の外に連れだした。「部屋を穢すのは勘弁していただきたい」
霖之助は残念がった。「あれで駄目なら何もできない。しょうがない。控えよう」
神子は先に歩きだした。「戻る前に湯浴みを。ついてきてください」
それから後、二人は部屋に戻った。霖之助は宝塔を指差して尋ねる。「この宝塔が何故ここに。寅丸星の持ち物だったと記憶している」
「落ちていたものを拾ったのですが、あのひとの物だったのですね。会ったら返しておきましょう」
「彼女、どうもうっかり屋らしいよ。で、この玉の枝は」
「因幡てゐから一日十万で借り受けました」
「それは安い」
「ええ」
「でも大丈夫かい。無断じゃないのかな。本人の性格は知らないが、了承したとは思えない」
「さあ。そこまではわたしの与り知るところではありませんので」
霖之助は腰に差した天叢雲剣に手を当てた。「それで意向は。想像はつくが」
「わたしの目的は郷の民に救いをもたらすことです。そのために神宝の御力が必要なのです」神子は頭を下げる。「天叢雲剣をお貸しください。要求があるのなら何でもいたします」
「神にでもなるつもりかい」
「必要とあらば神にでも、悪魔にでも」
「承知した」深刻な事態に陥っても霊夢が何とかしてくれるだろう。「天叢雲剣を貸そう。だが目を離したくはない。貸す間はぼくもここへ来て、共に研鑽する。見返りはそれで十分だ」おそらくはまたとない好機。是が非でも天叢雲剣の神髄に触れたい。
「ではそのように」神子は四枚組の札を手渡した。「これが神霊廟に通ずる鍵です。強要はしませんので、あなたの都合でお越しください。使い方の説明は、要りませんね」
「ああ。それじゃあ」
霖之助は天叢雲剣を神棚の手前に置いた。神子は祝詞を奏上する。霖之助は真心から祈る。
天叢雲剣が鞘走り、二人は威光の前に平伏した。天上に足る存在であればこそ天下取りの力を扱える。掛軸に描かれているのは神なる龍、龍なる神である。霖之助は勃起していた。
第十三夜。
金鉱。天然の洞窟は起伏し、曲がりくねり、尖り、窪み、広くなったり狭くなったり、分かれたり閉じたりしていて、どこも一様に暗い。仕事に精を出す男たちを遠目に見守る妹紅は松明を咥え、脚絆と手甲を巻き直す。
あれから竹林を出た妹紅は慧音の家に居候している。人里に住むなら他人の仕事の手伝いでもしろ、要は馴染めと慧音に言われ、妹紅は用心棒を請け負っている。素性を明かしても、先生の紹介ならということで誰からも信頼を置かれたし、実力も申し分なかった。
始めのうちは妹紅を知らぬ外道や妖怪どもの安易な襲撃もあったが、なくなった。
ふと全ての灯りが消える。男たちがどよめく。「今、火を付けるわ」妹紅は松明を再点火しようとして気づいた。炎はそこにある。熱がある。盲いたのか。鳥目の妖怪がいると聞いたことが。違う。あれに出会うと歌しか聞こえないとかなんとか。
「わぎゃあああ」「うばああ」男たちの叫び声。「妖怪だあ」
声のする方へ早足で進む。「あれえええええ」「妹紅さあん」
「しっ」「はう」男たちは一人、また一人と動けなくなっていく。
右腕に爪の感触があって、肘から先が切り落とされた。左手に食いつかれる。棘々しい歯は人間のものではない。
妹紅は左手を引き寄せ、妖怪の頭と思しき場所へ頭突きをかます。確かな応えがあったが、妖怪が歯を食いしばったせいで左手を失った。
逃げないし、逃がさない。妹紅は右肩から突進し、妖怪を壁に抑えつけた。左腕を喉奥まで突っ込む。「存分に食らえ」熱き血潮を注ぐ。妖怪の喉に穴が空き、炎が吹き出した。
妖怪が獣のような悲鳴を上げ、暴れる。背や顔面を裂かれたが妹紅は動じない。妖怪の尻に火がついた。
妖術が解け、視界が開く。妹紅の見知らぬ妖怪だった。
妹紅は距離を取る。「もう死んでいいよ」妹紅の前蹴りが妖怪の土手っ腹を貫通した。穴から漏れた炎が妖怪の全身に回る。妹紅は妖怪と男たちとの間に立ち、盾となる。
妖怪が妹紅に近づいたが攻撃のためではなく、立っていられないからだった。命の燃え尽きた妖怪は倒れた。
妹紅は振り返る。無傷と言えるのは妹紅だけだった。妖怪の攻撃を受けなかった者も暗闇の中、妖怪から逃げようとして地形から傷を負っていた。重傷者はもとより軽傷者でさえ痛みに顔を歪めている。見たくはなかったが死者も出ていた。
第十四夜。
屋台。ミスティアの焼く鰻は人間も妖怪も分け隔てなく呼び寄せる。
魔理沙がやって来た。客席は左からぬえ、マミゾウ、人間の男と並んでいて右端が空いている。
安堵した。もしその男が右端に座っていたなら魔理沙は「すまないがちょっと寄ってくれ」と言うか、回れ右をしていただろう。
魔理沙は右腕に由来する劣等感を抱いており、普段から長袖の外套と手袋を身に着け、右腕を他人の目から遠ざける位置取りを心がけていた。
しばらく前、魔理沙は不幸な事故に遭った。アリスのおかげで一命を取り留めたが、右腕を丸ごと切除するはめになった。その際に用意された義手が球体関節であり、魔理沙がどんなに嫌だと言ってもアリスはこれじゃないと駄目だと突っぱねた。折れざるを得なかった。
義手に通っている魔法繊維は魔理沙の神経と繋がっており、リハビリの結果、魔術の要領で生身のごとく動かすことができるようになった。だが義手の出来の良さ、言わば話のうまさが魔理沙に拭いきれぬ不信感を抱かせた。なんでこんな代物を都合よく用意できるんだ。人間サイズっていうかわたしにぴったりなんだよ、これ。今にして思えばアリスのあの目付きは異常だった。わたしは人間だからまともだけどアリスは魔女だから頭がおかしい。そのうち義手がわたしの神経を乗っ取るというのはあながち間違った考えでもないと思う。
「へいらっしゃい。何にしましょう」
「ひつまぶし、酒」魔理沙は言った。
「あいよ」酒が出される。
鰻が焼きあがるまで、魔理沙はお新香をつまみながら酒を飲んで待つ。人間、辛くなったら酒に限る。
ぬえはうなぎパイを、マミゾウはうなぎボーンを、男は鰻丼を肴にしそれぞれがそれぞれの目的で酒を飲んでいた。
「国に帰ろうと思っとる」マミゾウはうなぎボーンを奥歯で噛み砕いた。
「どうして」ぬえが聞いた。
「居辛くなったからのう。どこも空気が殺伐としてていかん。寺でも一輪がやたら気張っとるし、そのくせ理由を教える気はなし。郷や寺の問題にわしなんぞが関わるのは違うということじゃろうな。然もありなん。これまで通り隠居でもするわいな。狐の面も見なくて済むしのう。どうじゃ、わしと来んか」
「んー」ぬえは酒を一口飲んだ。「でもさ。そこでも余所者なんだよね、結局」
「辛い思いはさせんぞ」
「心遣いは嬉しいけど、そんなんでどうにかなることじゃないからね。ここの方が長いし、この空気も嫌いじゃない。まだ居るよ」
「そうか」マミゾウは酒を飲み干し、追加を頼む。「朝まで飲もうではないか」
「これからも酒の相手をしてくれるよね」
「勿論じゃ。いつでも声を掛けてくれ」二人は杯を交わした。
男は懐中で右手の動きを確かめた後、魔理沙の外套を捲り、ドレスの左ポケットに手を差し入れる。男は銭の擦れる微かな音から財布の位置を割り出していた。変な女だな、と男は思った。財布は左にあるのに右ばっか気にしている。もっと凄いもんでも抱えてるのかね。まあ、欲張るのはやめよう。
男は財布の金を贋金とそっくり入れ替え、元の場所に戻した。男はミスティアに告げる。「勘定よろしく」
勘定を終えた男は悠々と席を立つ。「ごちそうさん。うまかったよ」
「まいど」
第十五夜。
金鉱。妹紅は金鉱の入り口に二つの影を見た。後方の男たちに知らせる。「二人、誰かがいるわ」緊張が走った。
早苗と鈴仙だった。妹紅たちは一塊になって二人と向き合った。
早苗はお辞儀をする。「こんばんは。守矢神社の風祝、東風谷早苗と申します」
鈴仙も続く。「こんばんは。鈴仙・優曇華院・イナバです。守矢神社の信者やってます」早苗がいるのでお守りの提示は省略された。
妹紅が挨拶を返そうとすると早苗が誰も居ないはずの右側に顔を向けた。「いつも言っていますよね。挨拶ができないのなら」
「わかってるよ」慌てた声がして、にとりが姿を現した。帽子を目深にかぶって顔を隠している。「こんばんは。河城にとりです。仲良くしてください。よろしくお願いします」
「そんなに恥ずかしいなら来なきゃいいのに」鈴仙が言った。
「こんなにいるとは思わなかった」
「藤原妹紅が代表してご挨拶申し上げます」妹紅はすっかり鉱夫たちのリーダーになっていた。妹紅たちは頭を下げる。「こんばんは。東風谷早苗さん。鈴仙・優曇華院・イナバさん。河城にとりさん」妹紅は目を光らせる。「ご用件はなんでしょう」
早苗は男たちに向かって言う。「長くなるので、人夫の皆さんは仕事に取り掛かっていいですよ。この二人を護衛につけますので」
妹紅たちは戸惑い、顔を見合わせた。
早苗は笑顔を作った。「我々は守矢ですよ。安心を約束します」
妹紅は男たちを見渡し、早苗へ向き直る。「分かった。その言葉を違えないでよ」
早苗と妹紅だけがその場に残された。
「今夜の月は本当に美しい」早苗はおどけた。
「なんなら月見でもしましょうか」
「おや。先程とは違って余裕が感じられますね」
「彼らに手を出さないと約束してくれたから気が楽になった。あなたがた三人に襲ってこられたら守りきれない」
俄に夜風が吹く。
「先日、うちのルーミアを殺したそうですね」
「ルーミア。誰よそれ」
早苗は両手を後ろに回し、握りしめる。「ここであなたがたを襲って返り討ちに遭ったと聞きましたが」
「あれね。向こうがいきなり仕掛けてきたのよ。悪いことをしたとは思っていない」
早苗は歯を食いしばる。育ちの悪い糞阿魔が。挨拶できないようなやつは殺されて当然だ。勧誘員も送り込んだことだし、早苗としては妹紅にお礼を言って帰りたい。とは言え守矢としてはこれを機に金鉱を抑えておきたい。
早苗の平然を装う素振りを見て、妹紅はルーミアとやらを殺した自分に憤っているのだと受け取った。
「とにかく、借りは返します」早苗は九字を切る。雑念が消える。感覚が研ぎ澄まされて、戦闘意欲が湧いてくる。
妹紅も構える。降りかかる火の粉は払わねばならない。「教えておくけど、わたしは不死身。死にたくても死ねないのよ」
元より殺すつもりは無い。格付けできれば十分だ。「なら奇跡を祈りなさい。死ぬには良い夜だから」早苗の両袖から触手のようなものが飛び出て妹紅の両腕に絡みついた。蛙の舌だった。
舌が妹紅を引き寄せる。妹紅は焼き切ろうとしたが、舌が妖力を吸い上げており強火にはならなかった。舌を蹴るが切断できず弾かれた。粘液が糸を引いた。
早苗は広げた両掌を突き出す。力が集束する。
来る。妹紅は力を奪われることを覚悟のうえで業火を起こして舌を焼滅し、早苗のビームを避けた。
「熱くないんですか」「熱いよ」二人は無駄口を叩きあった。
早苗が飛び上がり、空中に静止する。見れば早苗は巨大な白蛇の頭部に立っていた。蛙と同じく、呼び降ろした神霊である。
上空に佇むはたては撮った写真をとりあえず保存し、カメラを構える。文を見習い外に出てみて面白そうな被写体を見つけたまでは良かったが、満足いく写真は中々撮れない。直撮りは難しいなあ。数撃ちゃ当たるだろってのが駄目なのかな。もっとこう、一撮入魂というか。深く集中してやってみよう。
白蛇が妹紅に向かって這いずる。神使である白蛇は幻想郷のありとあらゆる人々に縁起物として崇められていたが、妹紅にとってその巨蛇はまさに災厄の象徴だった。
滅殺せんとする突撃を妹紅は避けた。白蛇は木々を藁のごとく薙ぎ払い、戻ってくる。早苗はビームで妹紅を牽制する。
とぐろの内に誘導されている。妹紅は地面を一焼し、飛翔した。
はたてはシャッターを切る。妹紅がカメラの枠から飛び出た。ふざけんな妹紅こら。てめえ殺すぞこら。トップ飾らせろこら。
火の海に煎られた白蛇の表皮が濁り、割れる。脱いだ蛇皮を横たえると炎は鎮まった。白蛇は鎌首をもたげ、二人は空中で差し向かう。妹紅が炎弾を撃つ。
空に飛び上がるだけでも、大地を駆けまわるより力が要る。早苗は妹紅から発散される力を糧に、極太ビームを放つ。炎弾を消し去り、そのまま妹紅に向かって払う。妹紅はビームに視線を合わせた。
げこ。白蛇の顎が膨らんだ。白蛇の口から大蝦蟇の舌が伸び、妹紅を捕らえた。死角からの攻撃に、気づけば妹紅は蛇に呑まるる蛙の胃の中へと丸呑みにされていた。
白蛇の目がひび割れ、霊煙が噴き出す。早苗は白蛇から飛び降りる。大爆発が起きて白蛇の霊体が雲散し、大蝦蟇も霧消した。衝撃波を防御しきれず、早苗は腕に裂傷を負った。早苗は傷口を舐める。楽しくなってきた。これで終わりじゃないんでしょう、不死身の人間さん。
不死鳥が夜霧に揺らめいて現れる。妹紅は肉体を空に消し去り、魂だけの存在となった。
妹紅の底知れぬ力を前にして早苗は笑う。ただ死なないだけの、頑丈なだけの人間ではなかった。早苗は風起こす緑凰を生み出して騎乗し、紅焔纏う鳳と差し向かう。早苗は大幣に霊気の刃を宿す。「いざ」
妹紅が大きく羽ばたき、肺を焦がす疾風が早苗に吹きつける。早苗は大幣を前方にかざす。猛炎が左右に割れ、開かる道を進む。
妹紅が吼えた。隙間が狭まり、灼流が早苗の身体すれすれを通る。荒れた空、二人は眼差しを切り結ぶ。早苗の髪が燃え上がる。早苗は両神の御名を呼んだ。
これより先は塵の海。緑凰が旋風を起こし、か細く脆い橋が渡される。「やあ」早苗は叫び、押し入って妹紅を袈裟懸けに切りつける。
妹紅が翼で打つと緑凰は四散した。橋が落ちた。「せい」早苗は持てる力をぶっ放し、逆袈裟に切り裂いた。
ここはしくじれない。はたては使い慣れた念写で撮影した。神懸かったタイミングだった。早苗の攻撃を受けて燻る鳳凰が蘇るまでの一瞬、露わになっていた妹紅の魂がはたてのカメラに吸い取られ、画像データに変換された。
はたては撮った写真を見る。鳳凰は写っていない。「嘘でしょ」はたては大きくため息をついた。鳳凰が散り散りになる瞬間がはたての考えるベストショットだった。間違いなく最高のインパクトだし、きっと守矢が大喜びして謝礼をくれる。
「はあーあ」はたてが写真を保存しようとすると、空き容量が不足していますとのメッセージが出た。忌々しい。「くそったれが」はたては憎しみを込めて写真を削除した。
星がひとつ消えた。今夜は満月だった。
人里。月に一度のこの夜、慧音は妹紅の死を白沢として、羅列された歴史の中の一文として知った。
信じられなかった。妹紅が死ぬなんて考えたこともなかった。別れを告げるのは自分のほうだとばかり思っていた。
妹紅は輪廻を外れているが故に来世で相見えることもない。
月が雲に隠れた。
第十三夜、偽。
命の燃え尽きた妖怪が倒れた。妹紅は振り返る。傷を負っていたのは妹紅だけで、その姿はぼろぼろだった。
男たちはみな俯き、黙っている。
「どうしたの」妹紅が言うと、一番手前にいた男が上着を脱いで何も言わず妹紅に差し出した。
「あっ」妹紅が自分の身体を見るとおっぱいもまんこも丸見えだった。顔から火が出るほど恥ずかしかった。
ただの屍
- 作品情報
- 作品集:
- 12
- 投稿日時:
- 2015/03/27 15:18:33
- 更新日時:
- 2015/07/27 19:31:24
- 評価:
- 1/2
- POINT:
- 100
- Rate:
- 8.33
- 分類
- 修羅