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『『産廃創想話例大祭C』獣に戻りて後…』 作者: まいん
注意、このお話は東方projectの二次創作です。
オリ設定等が存在します。
人の住む地に近い山。 山に登りて眼下を見やれば、人の営みを身近に感じられる。
山頂には寺があり、嘗ては人も妖も関係なく歓迎したと言われている。
今では参道は荒れ果て、獣道が少しあるばかりである。
もっとも、危険な山奥に進んで参拝に行く者は居る筈もない。
山には猛獣が居る。 山賊や人の世から追放された輩が居る。 更には、妖怪が巣食うとも言われている。
だが、実態はそうでは無い。 噂、あくまで噂であるが、虎が出るそうだ。
人の世では戦が始まった。 虎如きで何を恐れるか……そう言う者が居るかもしれない。
だが、少なくとも麓の町人は口々に言う。 虎が出るから山に近づいてはならないと……。
町人は誰も近づかない。 山に登る為の僅かな跡が残っているだけ。
獣道だけが残り、人ならざる者以外の立ち入りを禁ずると、禍々しい雰囲気を拵えている。
そんな場所から一息に駆け上がる少女の姿があった。
見張りも獣も不逞の輩さえ気が付かず、頂上の荒れ果てた寺に向かって行く。
まるでその様は、相手の意識の隙でも探し当てて進んでいる様であった。
山頂の荒れ寺。 以前は、それなりに栄えていた寺だと誰かが言っていた。
だが、今では門は荒れ果てて、いつ倒壊してもおかしくなかった。
表面の木板は剥がれて垂れ落ち、整備されない事を嘆いている様である。
地面は荒れ、草木は伸び放題。 石畳なぞ地面を良く見て観察しなければ判らない程である。
草を踏み締め、草を掻き分け、草や葉擦れの音が小さく響く。
少女の姿は、長い間の隠遁生活の為か服に綻びが生じ、裾に穴が空いていた。
いや、もしかしたら、この裾は元々こういう意匠であったのかもしれない。
麓で荒れ寺と言われるだけの事はある。
先に言った門も相当のものであったが、拝殿等も人が住んでいるとはお世辞にも言い難かった。
屋根は不規則に瓦が欠け、塗り固められていた壁も所々剥がれ、軒下には主の居ない蜘蛛の巣が張っている。
本尊である筈の毘沙門天王像にも威はあれど、蜘蛛の巣一つ清掃出来ない事が荒れているからと、その一言で言い表されてしまう。
外見がこの通りであるから、ここも荒れ始めて相当の時間が経っている筈だ。
その証拠に虫の姿は数あれど、鳥や小動物が住んでいる気配が無い。
いつ倒壊してもおかしくない雰囲気が醸し出されていた。
その中でも人の手が入っているからか、寺のある部屋だけは小綺麗であった。
その部屋には、一人の少女とも青年とも判らない中性的な人が横になって苦しんでいた。
便宜的に……その少女は、金の髪に所々黒い縁取りがあり、赤い上衣に橙の下衣、腰には虎柄の腰巻を巻いていた。
その姿、遠目で見れば虎と間違え、その姿、まさに毘沙門天の化身と言わざるを得ない。
「ぐぐぐ……」
少女……名を寅丸星と言う。
正体は下賤な虎妖怪。 それがどういう訳か、この寺の毘沙門天の代理に祀り上げられた。
妖怪の正体を隠し、性別さえも隠し、更には本来その身に滾るであろう獣性さえも隠して生活をしていた。
だが、悲劇は突如として襲いかかった。 それは、数十年前の事。
この寺の住職であった聖命蓮が暗殺され、更にその数年後に命蓮の姉である聖白蓮が地獄に封印された。
星にとって与えられた役目は寺の存続、そして信仰の確保である。
聖姉弟がどうなろうと彼女には、差して興味の無い事であった。
別れを悲しんだ事もあったが、大して取り乱す事は無かった。
そう、彼女は自分の与えられた役目に対して非常に優秀であったのだ。
しかし、それは解決手段の無い泥沼に足を踏み入れていたと気付いていたからであって、彼女は襲い来る災厄の訪れを予感していた。
ある事象……つまり聖姉弟の事があったから、結果が来訪する。
そんな当たり前の事に白蓮が封印された後に気が付いてしまった。
そもそも白蓮封印の際、最初に疑われたのが年齢を取らない事であった。
いくら人の世が二世代三世代で変わるからと言って、前の世代の人間が残っていないとは言い切れない。
何世代にも渡って、若く優しく美しい住職が健在であれば疑わない方がどうかしている。
世のすべてを巻き込んだ戦の前日である。 不穏な空気は、世に様々な不幸を呼び込んだ。
先じて勝ち、後に戦う。 世に名の響いた長者や著名人が次々と亡くなった。
それが妖怪の仕業だと人々が考えつくのは想像に難くない。
そうして、白蓮は側近の妖怪等と共に封印と言う憂き目に遭う事となった。
寺は存続する事になったが、信徒等は解散させられ、実質的に廃仏と変わりはない。
先に世代が変われば……と申したが、寅丸星は妖怪である。
その姿は変わる事は無い。 だから、寺が解散させられた時に悟っていた。
姿の変わらない自分が、何世代経ってから信仰を得ようと町に出ても、以前の白蓮の様に妖怪の疑いをかけられる事を。
これが、彼女の予感の正体であり、そして来訪した結果……。
彼女は信仰を失った。
今の姿。 人間を模した姿は、人が想像した毘沙門天の偶像に過ぎない。
その彼女が人間の信仰を失って何になる。 何が出来る。 何をすればいい。
本来の獣の姿とは別に、戒律によって理性を得た。
信仰によって獣性を性欲を抑える事が出来た。 だが、今の彼女には何も無い。
妖怪とは、人間に印象を付けさせて恐怖や存在を植え付ける事で、自己の存在を確立するのである。
それが人間との関わりを断ち、元より妖怪としての身分を隠していた為に、彼女の体には相応の代償が降りかかっていた。
即ち体が消滅する為に襲い来る痛み。
その痛みたるや、死から遠のいた現代の人間からは想像もつかない痛みである。
神木の繊維を編んだ荒縄の戒めか、それとも鋼鉄の縛鎖の硬い締め付けか、体が内部から破裂しそうに痛みなるか……。
いずれにしても耐え難い痛みである事は明白だ。
目を瞑って、脂汗を浮かべ、体中に汗を掻いていた。
自らの体を抱き締め、奥歯を砕いてしまうのではと思う程食いしばり、痛みに耐えている。
そこに鼻に触れる香り、スッと体の痛みが緩和されていく。
頭に聞こえていた金属音の様な一種類の音が引いていき、耳に聞こえてくるのは別の足音。
「来客だと言うのに寝ているんじゃない」
その少女は随分と遠慮なく話しかけていた。 不機嫌ではない。 元々遠慮なく他人を軽んじて話す人物なのだ。
それは、彼女の後ろにいる神が影響している。
その神の名は毘沙門天。
その神、直属の遣いが彼女である。 そう、本来この寺に祀られている神から直接派遣された存在なのである。
そうであるが為に彼女は横柄な態度を他人に取り、他人を見下し、更には自分に好意を持つ者を盾にして生きてきた。
彼女の名前はナズーリン。 見た目は見て判る通り鼠の妖怪である。
丸い大きな灰色の耳、長く細い灰色の尻尾、髪色は灰色、目は赤。
「今、食事を用意してやる」
彼女は町や山から食事を調達して来ていた。
無遠慮な言葉ではあるが、一応、星の事を主人や本尊としては見ている様である。
星は星で、横たえていた体を起こし、座り直している。
先まで体や頭を支配していた激痛は和らぎ、人並みの生活を送れる程に回復していた。
「こんな世の中だ。 大したものは用意できなかったがな」
これは自分自身への皮肉なのかもしれない。 少なくとも星には、そう聞こえた。
二人で手を合わせて目を瞑った。 同じく二人で、いただきますと小さく言い合った。
だが、星は一口二口、口を付けただけで箸を置いてしまう。
「ごめんなさいナズーリン。 余り食欲が無くて……」
「最近はずっとそうだな。 体が優れないなら、良い医者を探そうか?」
その言葉に小さく頭を振った。
「そうか……」
医者を探して何になる。 それはナズーリンの方が良く分かっていた。
今は大戦の世。 おいそれと医者など見つかる筈もない。
「ありがとうナズーリン」
自分を気遣ってくれているナズーリンに感謝を述べた星。 だが、同時に自分の身体に嫌気が差していた。
本当ならば、この感謝は頭で感じなければいけない事である。
今の星は、臍の下、下腹の奥、丹田と呼ばれる場所の付近で、大きく反応をしていたからだ。
〜
元々、星は虎の妖怪であった。
それが人間の体を手に入れて、妖獣上がりの神仏と成り上がった。
獣の時には獣性と本能に任せて好き勝手生きていれば良かった。
だが、人の世で生きるには、余りに強すぎる力は不必要に他ならなかった。
なにより、彼女の記憶にその時の記憶は無い。
彼女が神と成り、信仰をその身に受け始めると、教えられた事と共に理性が生まれ始める。
信仰によって理性が生まれ、戒律によって理性が強化されていった。
それが、今では信仰を失った。 頭に響く猛獣の咆哮。 嘗て心の奥底に仕舞い込んだ筈の獣性の声であった。
その獣性が、心の奥底にある鋼鉄の檻を叩いていた。
ガンガンと頭を激痛が叩く度に、胸の心音と同じ速度で胸痛という形で叩いていた。
「ぐぐぐ……」
胸を掴み、体を抱き締め、丸めている。 ナズーリンの居ない時はいつもこうであった。
食事が喉を通らなくなったのも、この獣性の所為である。
体が頭が血肉を欲した。
彼女には戒律がある。 聖が封印された後も変わらずに守り続けていた。
酒を呑む事もあるが、生臭を食さずに暮らしていた。
それが今では喉を通らず、無理に呑み込もうとすれば吐瀉嘔吐してしまう。
勿論、部下であるナズーリンもこの事は知っている。
日に日に痩せ細っていけば、誰でも気付く事ではあるが……。
少量の食事、少量の水。 これが今の彼女の食事である。
ナズーリンが居れば、それなりに寺の業務にかかる事も出来よう。
しかし、今は世が乱れた状態だ。
ナズーリンは自分の能力を使って食べられる物を何とか探す事で手一杯。 一日の殆どを外で過ごしている。
そんな状態であるから、星は日がな一日、自分に襲い来る激痛と戦う他ないのだ。
目を瞑り痛み耐える中、星の脳裏にある事が浮かんだ。
鋼鉄の檻に閉じ込められた大虎が、猛り狂って檻を打ち壊そうとしていた。
正気を失った金色の瞳が星自身を睨む。 目の前で見ていても、それを止める手立てを持ち合わせていない。
ところが、突如として彼女を荒縄が襲う。 両手足に戒めがされ、更に鋼鉄の鎖が体に脚に巻き付いた。
逃げようとも弱った体では、どうする事も出来ず、身を捩じらせても効果は無い。
ただ、巻きつく鎖にされるがまま拘束されてしまう。
目の前の大虎がニタリと笑った様に見えた。 鋼鉄で出来た筈の檻が歪み崩れて……。
「……うあああ!」
「……随分うなされていたが、大丈夫か?」
大丈夫な筈がない。 だが、自分を驚かしたから皮肉で言った。 ナズーリンの心臓の鼓動は未だ高鳴ったままである。
ゆらりゆっくりと立ち上がる星。 言葉を発さず目線は髪に隠されていた。
「なんだ? 怒ったの……」
肩口を掴んだ星は、そのままナズーリンを畳の上に押し倒した。
馬乗りになって見下す姿。 牙を剥き妖しく笑いを浮かべていた。
その姿は傾国の美女そのもの。 いや、国々の美女を誘惑していく西洋の悪魔の様でもある。
ナズーリンは魅了されている訳でも無い。
逆鱗に触れてしまった。 と思ったが、どうも様子がおかしいと雰囲気を感じた。
だが、これから何をされるのか、その恐ろしさだけが彼女の頭を支配していた。
「な、何をするんだ……」
精一杯の虚勢である。 本人も驚く程に声が上ずっていた。
これでは、自分が動揺していると主張する様なものである。
先に押し倒された時、力の差は歴然で、抵抗しようとも抵抗にならない事は痛い程解ってしまった。
星の光る眼が体のすべてを見透かしている様で恥ずかしさと悔しさから目に涙が浮かんでいた。
「ぐるるる……」
星の唸り声。 押し倒した状態で片腕を掴んでいた。
品定めをする様に体中を見る、まるで体中を嘗め回している様である。
空いた手で腋から腰に手をなぞらせる。
「ひっ……」
目を細めて流す。 口は先の敵意をむき出しにする笑みではない悪い笑みに変わっていた。
柔らかな尻の上、腰を撫でていた手を離し、胸に手を当てた。
「や、やめてくれ……」
揉むとか弄るとかそう言ったものでは無い。
ただ心音を聞かれている。 性的に虐げられるより余程の辱めを受けている様であった。
手探りでナズーリンの積み上げた虚実の鎧を一枚一枚剥がされ、本来の弱い部分を見られようとしていた。
抱き締められて、胸を付けられる。 心音と心音の交換。
思ってもいない人に、むりやり好きな様にされ抵抗も無駄。
未だ服一枚脱いでいないのに、ナズーリンは苦しくて仕方が無かった。
このままの状態であれば、遅かれ早かれ星に犯されてしまう。
飢えた虎が、このまま最後までいかない筈もない。
体を起こして今度は両手を掴む。 段々と口と口が近づいて行った。
ナズーリンは覚悟を決めた。 いずれ終わると思って目を瞑った。
しかし、朧げであった星の意識が覚醒した。
我が身に宿り好き勝手していた獣性を封じ込め始めた。
「……ぐぐぐ……ナズーリン……ごめんなさい……」
星の声であった。 僅かな時間しか経っていないが、数刻ぶりに聞く懐かしさがあった。
未だ静まらぬ鼓動、ナズーリンは先までのしおらしさをひた隠し、澄ました顔で言いやった。
「それなら退いてくれないか?」
「あ……ごめんなさい」
ナズーリンの上から退く星。 安堵の溜息を吐いたのはナズーリンである。
変わらない日常。 二人だけの、ふたりぼっちの日常に戻るだけ、少なくともナズーリンはそう思っていた。
彼女は気付かない。 気付いたのは星だけであった。 二人しかいないのだから、他に知る者は居ない。
星の下腹部に雄の性器が生えていた。 胸はあるが、男の身体つきに近づいている様であった。
〜〜
星は横になっていた。 飲まず食わずで体に力が入らない。
然れども雄である下腹の魔羅は屋根を突き破り天にも達するのでは、と思う程に屹立していた。
ナズーリンを襲いかけて、それ程の時間は経っていない。
襲われそうになったが、星の元からナズーリンが離れる事はなかった。 あれから、ナズーリンを襲いそうになった事はない。
だが、日に日に目に見える程、体が衰弱していった。 唇や皮膚は乾き、即身仏にでもなるのかと問いたくなる程である。
食事は摂ろうとしたが、相変わらずである。 口に含めば吐瀉嘔吐してしまう。
揚句の果てには、水さえも受け付けなくなってしまった。
今までは、少量であれば食べられた。 少なくとも水だけは飲む事が出来た。
だが、すべての食物を身体が受け付けなくなってしまった。
目に見えて衰弱し、やせ細ったのは無理もない。
「ああう……」
呻きながら体を起こした。 息は切れ、絶え絶えな状態である。
外が騒がしかった。 微かに臭いがした。
いつもの様に体の激痛が和らぐ事はない。 余計に酷くなった。 死を賜りたくなる程、痛んだ。
心臓がこれからの事を訴える。 ドクンと一際大きくなる。
命の危機か、魔羅の怒張は言葉に変え難い。 外からは見えないが褌の中は液体で多大に濡れていた。
幽鬼の様に脚が勝手に歩を進め、外の騒ぎに向かって歩んで行った。
〜〜〜
「はぁはぁ……くそっ!」
息を切らせて走る者。 数は数えきれない。
先頭を走るのは鼠の少女。 後を走るのは戦人。 山の斜面に沿って上へ上へと走って行った。
血の気の多い戦人。 戦場から逃げて来たか、それとも主人を失ったのか……。
いずれにしても、久しく女の味から遠ざかっていたのは間違いない。
こんな山の中、町人でも近づかない場所に好き好んで入って来るのは、身にやましい事があるからに他ならない。
男と女。 しかし少女は妖怪である。 そう易々と捕まる事は無い。
麓付近から頂上まで、まったく捕まらず荒れ寺まで逃げ帰った。
だが、問題は主人が助けてくれるか? と言った所だ。
狡猾なナズーリンの事である。 もしかしたら主人を贄にして自分だけが助かろうとしたのかもしれない。
そんな事を考えていたかどうかは不明である。
しかし、荒れ寺であった事が彼女にとっても不幸なのであった。
「おらぁ!」
裂けた壁。 外と繋がりを隔てる意味を失っていた。
そこから入って来た男に不意を突かれる。
「うあっ!」
長槍で足を叩かれ、その場に倒されてしまう。
女に飢えている男達。 追いつくなり、逃げられていた事に腹を立てた一人がすかさず馬乗りになって顔を殴り始めた。
「ちっ! 手こずらせやがって! この糞アマが!」
妖怪と言っても、所詮は鼠の妖怪。 成人の男性に比べても力は知れている。
何より、無抵抗に殴られ続けているのが、その証拠である。
「痛い! 痛い! あああああ! やめてくれ!」
「ちっ! おい、手前ら。 手を押さえつけろ!」
怒声を聞いて他の男が驚き言う通りに腕を押さえつける。
今まで馬乗りで殴り続けていた男は、小刀を抜いてナズーリンの服を股から胸元までゆっくりと切り裂いていく。
「ひっ……」
「暴れるなよ? 手が滑ったらどうなるか解るだろうな?」
刀の峰が時折肌に当たる。 その冷たさは命を奪う能力を想像させた。
身体が竦み、震えと共に恐怖が身体を支配し、一切の行動を取らせてくれない。
刀を放る男。 見た目が妖怪であろうと、抵抗一つ出来ぬ事に好き勝手出来ると踏んだのだろう。
手に唾を吐くと、ナズーリンの股に乱暴に塗りたくっていく。
「痛い……痛い……乱暴はしないでくれ」
「これからもっと痛い目に遭って貰うんだ。 そんな事じゃ、この先どうなるか楽しみだ」
ナズーリンの顔から血の気が引いて行く。
荒れ寺の中、もう少しで主人に助けを求められる距離まで迫りながら、助けを呼ぶ事も逃げる事も叶わなくなった。
貞操や誇りを守る気持ちは彼女の頭にはない。 小心者である彼女が自らの舌を噛む勇気など持ち合わせていない。
「怯えちゃって可哀想だな! おい!」
男が腕を振り上げる。 それだけでナズーリンは目を瞑って顔を背け怯えてしまう。
手で顔を守りたいが押さえつけられた今の状況では、それも叶わなかった。
「ぐえっ!」
「へへへ、安心しろよ。 俺達は貴族様みたいに寛容な心を持っている。 大人しく待っていれば良いんだよ」
顔に痣を作らされ、鼻から血を流し、口元は殴られた時に切ってしまった。
正中線に沿って服は切り離され、両腕も両足も押さえつけられている。
他人に見せた事の無い、無毛の秘裂さえ薄汚い男共に晒されている。
ナズーリンは静かに抵抗を諦めると、目を瞑って蛮行が早く終わる事を祈った。
「……ナズーリン?」
寺の縁側には幽鬼の様に佇む星が居た。 頬はこけ、目の周りは窪んでいる。
声は小さく、生気もほとんど無い。 最初に気が付いたのは男の一人。
これからナズーリンを輪姦しようとしていた所に邪魔が入ったので酷く不機嫌である。
「何だ手前は!」
腰から抜いた刀。 刃渡り二尺、峰は厚く、刀身に残る傷が戦を切り抜けてきた証でもあった。
一方の星は何ら気にする事もなく。 ユラユラと縁側から地面に降り立つ。
しかし、力の入らぬこの状態。 降り立つ時に体勢を崩して地面に転んでしまう。
笑う男達。 刀を抜いた男は飛びかかると、土埃だらけになりながらも立ち上がった星に向かって刃を振るった。
ズバン!
袈裟に放たれた狂刃は、星の肩口から腰元まで一直線に切り裂いた。
浅い斬撃。 しかし、それでも深い傷を負わせ、血を流させた事に変わりはない。
「あ……ああ……」
濃い血の臭い。 男達から臭った薄い血とは違うものであった。
止め処なく流れる血液が自身から香って来る。 意識を手放しそうな状態を何とか耐える。
しかし、自らの傷付近を触り、確かに自分から流れていると知ってしまい、情けない声をあげてしまう。
「へへへ……おい見て見ろよ。 こいつも女だぜ?」
袈裟切りによって、上の衣は斜めに切り口が出来、そこから乳房が見えていた。
獲物が増えた事に喜ぶ男達。
誰も助けは来ない。
こんな荒れ寺には二人の妖怪以外居る筈もない。
失血からか星の意識が飛ぶ。 以前に意識の奥底で見た光景が広がっていた。
鋼鉄の檻は最早無く、神木の繊維の戒めを受けているのは星だけである。
鋼鉄の鎖に締め上げられて身動きの出来ない星を見下げるのは、戒めの無い大虎である。
大虎が咆哮を上げた。 今まで鋼鉄の檻に閉じ込めて護ってくれた事を感謝していた。
獣があげる筈の無い笑顔を……気味が悪いまでの攻撃衝動が星に向けられていた。
星を更に戒めが襲う。 荒縄に囚われ、鎖に縛り付けられ締め上げられていった。
大虎も星である事には変わりない。
人間の姿をしているのが毘沙門天の代理として理性を司る星。
大虎の姿をしているのは野性と獣性を備えた獣時代の星。
信仰を失い、戒律さえ守れぬ程に衰弱した星が理性によって野性と獣性を抑える事は出来なくなっていた。
そして、今の状況。 命の危機さえ訪れていた。 フラフラと男達の前に躍り出たのは偶然では無い。
微かに感じた血の臭いが、彼女に獣性を取り戻させた。
そして、自分の大量の血が猛り狂う獣性をその身に戻させたのだ。
「グルルルルルル……ガオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
星を切り付け、強姦しようと男は飛びかかっていた。
そのまま押し倒して支配と征服の満足感と女体を蹂躙強姦する快楽に身を寄せようとしていたのだ。
「ぶえっ? ……ぎゃああああああああああああああああ!!!」
虎の咆哮から数瞬。 鼻を噛み切られたのは星に覆いかぶさった男である。
誰にも奪われまいと鋭い視線で咀嚼していた。 傷付き、先まで半死人と見紛うばかりの星が噛み千切った鼻を咀嚼していたのだ。
鼻を噛み切られた男は、鼻があった場所の傷口を押さえ、背中を見せ仲間に無様に助けを求めて這い蹲っていた。
「ガオオオオオオオオオオ!!!」
同じく咆哮が上がると、虎の如く飛びかかったのは星である。
男の腰に乗りかかる重圧。細い見た目とは裏腹に飛び乗っただけで腰骨を踏み砕いていった。
まるで、百貫はあろうかと言う巨大な虎が圧し掛かった様である。
「ぐぶえ……ぶぶぶぶぶ……」
突如の豹変。 襲い来る激痛に男は泡を吹いて気を失った。
しかし、男はすぐさま意識を取り戻す。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああ!!!」
星が鋭く伸びた牙で首に噛みついたのだ。
食い込んだ牙は容易に抜ける事は無く、また人間の体を彼が海老ぞりの形で捩じ上げてしまえば、野盗程度の男にはどうしようもなかった。
ほんの数秒。 しかし、何人かの男は知らず知らずの内に冷や汗を掻いていた。
殺された男が余りにもな状態であったからだ。
ナズーリンを押さえ付けている男も輪姦しようと褌から汚いものを取り出している男も皆が皆、その状態で止まっていた。
「……手前! 何しやがる!」
刀を手に取り啖呵を切る男。 ナズーリンをいの一番に犯そうとしていた男だ。
袋は縮み上がり。 ブラブラと振っているが、竿も委縮してしまっている。
だが、度胸は失われていない。 星の事を一刀両断にしてやる気概だけは残っていた。
「グヲオオオオオ!!! ガウオオオオオオ!!!」
そんな男の言葉を無視した星は、今し方仕留めた獲物を見つめて唸っていた。
そして……男だった肉に噛みついた。
噛みつき盛り上がった肉がブチブチと音を立てて星に噛み切られていく。
口を真っ赤に染め、元より赤い上衣を更に赤く染め、大きく開いた胸元さえも深紅に染めていた。
満たされる飢えと乾き、久方ぶりの食事に顔は破顔して満面の笑みに変わっていた。
「手前!」
仲間を食べる星に逆上した男は、背中に向けて唐竹割を敢行した。
一閃。 しかし、やはり浅い。 先の壮絶な光景を見せ付けられた事によって一歩だけ踏み込みが浅かった。
しかし、それでも先の袈裟切りと同じく星に血を流させた。
背骨の脇、血が背から腰に伝わり、ボタボタと垂れ落ちた血は地面に吸い込まれていった。
仲間を襲った宿敵にして、自身の欲望を阻害する害敵。 それを二度も切り付け素人目に見ても多大な出血を伴う傷を負わせた。
これ以上の抵抗はあろう筈もないと判断した男は、刀を下げてナズーリンを再び襲おうと目を向けた。
だが、それは悪手であった。
飢えた虎の食事を邪魔し、手負いの虎の前に躍り出る。 更に命を落としていない猛獣から目を背ける。
これを悪手と言わずして何というのか。
食事を中断させられて怒髪天を突かんばかりの状態。
「ガオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
まるで山が噴火したかの衝撃であった。
麓にも聞こえただろう。 木々が揺れた。 地面が揺れた。
山に木霊していた獣や虫のいななきがパタリと止んだ。
しかし、星にとっては都合が良かった。 少なくとも今の人格である獣性には、これ以上ない好機。
飢えも乾きも、目の前にいる人間達が満たしてくれるからだ。
「ギャアアアアアアアア!!!」
星はただ移動しただけだ。 移動して噛みついただけだ。
それが周りの人間には、消えた後に腕が飛んだと見えた。
刀を構え対峙していた男の腕が飛んだ。 その場に尻餅を着いて自分の腕を見やる男を見下ろしていた。
ただ腕を広げて立っていた。 星に降り注いだ真っ赤な雨は数十年の渇きを確実に癒していた。
「……!!!」
今度は声にならない音であった。 星が逃がさない様に足を踏み砕いたのだ。
逃げられないから、後で仕留めて食べればいい。
他に横取りする者が居ないと解ったから、先に逃げるかもしれない人間を仕留めるつもりなのだ。
「ひっ! ひいいいぃぃぃ……」
一人が恐怖に駆られ、ナズーリンの腕を離して逃げ始めた。
恐怖は伝播し、踏み止まって星と戦おうなどという者は一人も居ない。
蜘蛛の子を散らす様に、荒れ寺から逃げ帰ろうとしていた。
だが、先の星の戦いを見ていながら、それは甘い考えであると言わざるをえない。
金色に光る線だけが遅れて動く。 その光が追いつくと、その場には無残な泣き声が響くだけだ。
悲鳴が上がる。 虎の噂を耳にしながら、甘く考えた男達の断末魔だ。
寺から逃げ果せる者は一人も居ないだろう。
命乞いがあった。 煩かったのだろう。 他の者よりも早く殺された。
舌を文字通り抜かれ、声を出さない様に気道を噛み貫かれ、静脈に噛みつき圧迫されながらジワジワと殺されていった。
既に脚を砕かれている男達。 誰も腕等部位を失っていない者は居なかった。
食べた、食べた、食べた。 数年、数十年に渡る飢えを渇きを星は満たしていく。
最早、動く者は居ない。 あっという間の出来事であった。
その時になって、漸くナズーリンは目を開けた。
「ご、ご主人様?」
彼女は野盗達から憂き目に遭わされずに済んだ。
それも星のおかげである。 助かったと安堵した。
自分の事を主人が守ってくれたと素直に感謝した。
「え?」
だが、星に助けた気持ちはこれっぽっちも無かった。
ナズーリンに、のそりと乗りそのまま肩を押さえつけた。
獣性に乗っ取られた星が次に求めたのは……。
「ひっ……ま、まさか……いぎぃぃ!!!」
次に求めたのは雌であった。
袈裟に空竹に切られた星は未だ血を流している。 衣服も破れ、体が外に露出している。
だが、彼の体に乳房が無い。 先に切り落とされた。 違う。
星は、毘沙門天の代理である。 皆は、星を見て男神だと思い込んでいた。
体が雄化していた。 長年、性別を隠して過ごしていた事による反動である。
彼の体は雄になってしまったのだ。
「あああああ……やめろ! 動くな! 痛い! あがあああああ!!!」
虎の陰茎には棘がある。 星も同じであった。
それが動く度に内部を傷つける。 それが何度も続いた。
まるで内臓の中を刃物か鋭利なもので掻きまわされて、引きずり出そうとされている様であった。
「ガフッ……」
「ま、まさか……やめっ……うぁぁ……」
今までに感じた事のない未知の快感。 それ故に星が達するのは非常に早かった。
意味を知っているかは不明だが、彼の獣性は少なくともこの行為については本能的に解っている筈だ。
ナズーリンの膣内で律動する虎の陰茎。
「はぁはぁ……う、え? 終わりじゃないのか? い、いだい……終わりだろ? 終わってくれよ」
虎の交尾は非常に多いと言われている。 今の星は雄化により性欲が暴走した状態に近かった。
勃起は治まらず、硬度も変わっていない。
先と変わらず、ナズーリンの胎内を傷つけて快楽を貪っている。
「ガウッ!」
「ぐあああ!!!」
虎の雄は交尾の際、雌を逃がさない様に首に噛みつく。
そう、鋭く尖った牙でナズーリンに噛みついたのだ。 それも深々と。
死に至る程の事ではない。 しかし星の咬筋力では、いつ噛み千切られるか分かったものでは無い。
ナズーリンの目から涙が零れた。 それは死に近づいた事による恐怖と痛みによる逃避の両方の涙であった。
向かい合ったままで星はナズーリンの奥深くまで自分の陰茎を押し込んでいる。
首に噛みついたままなのは変わらない。 人間体故に抱き締めた手に力が入る。
「んん……あああ!!!」
暴れれば、首に突き刺さっている牙がどうなるか分かったものではない。
しかし、自分の背中に突き立てられた鋭い爪に声を我慢出来る筈もなかった。
無数の爪が体に食い込み、抱き締める力と共に外に逃れた力が肉を浅く引き裂いていた。
「いたい……いたい……いたい……」
身震いした星が数度目の精を放出した。 牙が離れ、手を離し、爪が背中から抜けた。
しかし、未だ下は結合したままである。
激しくはない。 それでも動きは止まらなかった。
ナズーリンは、先と同じ状態を望んではいない。
痛みはあれど、命を相手に掴まれている状態に立たされたくなかった。
「ガフッ」
「あああああ! くそ! くそおおおお!!!」
ナズーリンの不安を察知したか。 星が再び首に噛みついた。
逃げられると思ったからであろう。 精を放出しながらも腰を振る事を止めたりしなくなっていた。
空に闇の帳が降り、そして朝の訪れを感じても星の一方的な営みは終わる事は無かった。
いつ終わるとも解らぬ事に終わる事を祈りたかったに違いない。
「はぁ……はぁ……痛い……早く終わってくれ……」
星の性欲が衰えたのは、昼になってからである。 精を放出した数は百を超えた。
ナズーリンの体は星によって噛まれ引っ掻かれ爪を喰い込ませられた。 深い傷が何通りも無数に刻まれる。
そして、虎の陰茎に好きにされてしまったが故に陰唇は見るも無残な傷を負ってしまった。
生娘であったかの様に朱が止め処なく流れ続け、星によって注がれた白濁も止まる事を知らずに外へと流れ出ていった。
星は、三苦に苦しんでいた。
妖怪として正体を隠さなければいけない苦しみ。 痛み。
女性として性別を隠さなければいけない苦しみ。 男体化。
獣として獣性を抑えなければいけない苦しみ。 獣化。
それもこれも、聖白蓮が封印されて信仰を失ったが為に発現した苦しみであった。
身を刻まれる痛みが続いた。 それでもナズーリンは逃げようと思わなかった。
逃げられる筈が無かった。 ここの寺を離れて彼女が生きながらえられる筈が無いからだ。
〜〜〜〜
世は、弱肉強食の世。
子が親を殺し、親が子を殺す。 誰も彼もが襲い襲われ、血で血を洗う世の中。
王が貴族が武士が農民が商人が工匠が……。
世が乱れれば道徳は廃れ、栄辱を知らぬ人は悪行へと身を染める。
賊へと身を落とした人は、正道によって作られた町から離れていく。
ある者は木々の茂る森林へ、ある者は岸壁に隠れ家を造って潜み、またある者は、山々に伏せた。
木々の深い山、大虎や妖怪の噂の立った曰く付きの山なぞ格好の隠れ場であろう。
体を巡る痛みの電撃。 先日味わった満足感に星は飢えていた。
最早、我慢の必要は無い。 己が求めるままに貪り続けよう。
身体を鎮める草葉など要らない。 求める物は身体を滾らせる血肉のみ。
頭に思い起こされる血の巡る感覚。 開いた口から知らず知らずの内に唾液が垂れる。
軽く震えたのは恍惚を思い起こし、すぐさま同じ気分に浸れる為に武者震いをしたのであろう。
辺りに彼の臭いが漂う。 嬉しさから軽く失禁したのだ。
「グルル……ガウウ……」
人語を話せぬ程、獣性に身を落としている。
一時、死の縁まで落ち切った理性は、金属の鎖にて縛られているのと同じである。
皮肉にも、白蓮を地獄に……他者を封印した事が自分自身に返って来ているようであった。
全身を支配する獣性が血を求めた。
血が肉が、血肉が、肉が肉が肉を身体が求めた。 血が血が飢えを渇きを満たしてくれる。
草葉、野菜、木の実、根菜、長い間に食べ続けた食物は体が受け付けなくなってしまった。
今、食べられるのは戒め禁じられていた血肉だけ。
水さえも受け付けない体が、血肉を求めて殺生を働き、人間を喰らって生き延びる事に何の疑問を持とうか。
元より疑問を持つ理性は、今では意識の奥底に追いやられている。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
人間とは愚かな生き物である。
禁じられれば興味を示し、禁じられているものに自ら飛び込んでいく。
それが大変危険であるが故に禁じられていると解っていても、好奇心から飛び込んでいく。
昔から麓の町では、誰もが噂し合っていた。
山では虎が出る。 人喰いの大きな虎が出ると。
入った者は誰も生きて出て来ないと口々に言っていた。
その噂に乗る愚か者は後を絶たなかった。
腕自慢の野武士。 流れの武者。 その後の見返りに期待して名を上げようとする者。
人が近寄らない山ともなれば、そこに好んで立ち入る者もいる。
罪に身を寄せる者。 野盗。 山賊。 身を隠す者。 追放された武士、貴族。
そして、知る。 知るには遅すぎた。 遅すぎた代償は余りに大きかった。
金の矢が暗い木々の間を滑空する。 斜面と平行して真っ直ぐに人に向かって行った。
一度風を受ければ、その鋭き矢が放射線状に広がる。 その姿は百獣王のたてがみの様であった。
身の丈5尺と少し。 金の髪は金虎の美しさ。 髪に混じる黒い縁取りは虎を思い起こさせる。
体の色は透き通る様な白。 例えるならば白虎である。 身に着けている衣服は当の昔に切られ朽ち果てた。
今では、虎柄の腰巻だけを巻いている。
鋭く尖った牙と爪。 細く鋭い目線は獲物を仕留め、その血肉を喰らう事しか考えていない。
それとも、体に走る痛みに堪えかねて暴れ狂っているのか……。
その優男の見た目の者が虎の如き咆哮と共に山へ入って来た者達に襲いかかっていた。
最初の一撃。 どれ程の跳躍があったのか想像もつかない遠方から突如飛来した。
咆哮を聞き、辺りに走った衝撃を聞いて漸く気付く。
衝撃を受けた男の頭が三割ほど抉られ、もんどりうって地面に倒れていた。
砕けた脳が辺りに散らばり、脳漿と共に水溜りを地面に広げた。 何とも言い難い臓物の臭いが漂う。
面を食らう一同を余所に、飛来した者。 星はズゾゾと音を立てて脳をすすった。
「……ひっ!」
誰が言ったか……息を飲む悲鳴が小さく上がった。
すぐに飲み干し、次なる獲物を求めたのは星。 立ち上がると同時にした跳躍は、一番手近な男の耳を頬ごと抉る。
一呼吸の遅れの後、悲鳴が山林に響き渡る。
顔を覆って逃げる男。 星は血の臭いでいずれ仕留める気でいた為、更に別の獲物に襲いかかった。
ほんの数分の出来事であった。 足を切断し、倒れた男の胸骨を踏み砕き、脇腹を叩き抉り、逃げていた者さえ鎖骨ごと肩を噛み砕かれた。
新しい獲物に星は、嬉々として口に咥え、両手で持ち、住処である寺へ戻って行った。
真っ白な肌は、朱に染まっていたが、星は至極満足であった。
しかし、獲物である人間は生きている。
荒れた山道を引き摺られ、牙が深々と体に食い込んで平気でいられる筈がない。
抵抗をした為に口に咥えられた男は、星に噛まれて牙が食い込み意識を失った。
引き摺られた男達は地獄であった。 荒れた地面に皮膚は破れ、ヤスリの上を引かれていく様であった。
顔の表面も剥がれ、血が地面を濡らしていく。 肉さえもこそぎ落とされていった。
黙って連れて行かれる訳には……そう思う事自体無駄だった。 抵抗は無駄な程、圧倒的な力の差を見せ付けられている。
「ぎゃあああああああああああああああ!!!」
一人が寺に着く前に食い殺された。 それも生きたまま星の胃袋に納められていく。
腹を食い破られ、腸を引き摺りだされ、便臭をものともせず内臓を喰い尽くされていった。
そして、残ったのは骨と肉。 悲鳴を聞こうとも、他の者は朦朧とした意識で逃げられる気さえしなかった。
彼の気分によって、明日の……数分先の事さえ、どうなるか分からなかった。
漆喰は剥がれ、中の骨組みは崩れ、壁としての機能を失った外壁。 その角に星の獲物は積み上げられていた。
蝿がたかり蛆が湧く。 近づけば臭気から涙が浮かび、鼻水を垂らすだろう。
自身の意思とは関係なく吐瀉嘔吐する事は間違いない酷さだ。
そこで星は、遠慮も躊躇もせず、その場にある元人間の肉塊に齧り付いた。
服を身に纏っていない体に血と元肉であった腐った体液に塗れさせ、ただ一心不乱にむしゃぶりついた。
骨に残った肉さえヤスリ状の舌で綺麗にこそぎ落とし、腐って垂れる肉液を満足げに啜っていた。
自分の周りを飛び交う蝿を意にも止めず、湧いた蛆ごと食べ続けた。
腹が膨れていく。 血肉以外を受け付けなくなった体が見る見る回復している様である。
やがて満足したのか、膨れた腹を撫でて、のそりと立ち上がった。
食欲を満たした彼が次にする事と言えば何か分かるだろう。
ボロ布を一枚羽織っているだけのナズーリンは、毘沙門天王像のある堂で初めて自分の為に祈っていた。
ボロ布の下は、目を覆いたくなる程の傷痕が全身を覆っている。 それも全て星によって刻まれた。
彼女は主人である毘沙門天を恨んだ事はあった。 こんな僻地に飛ばした事を恨んだ事はあった。
いつまでたっても、自分の手を煩わせる人の良い主人を疎ましく感じる事はあった。
だが、祈っていた。 自分の為。 結果、主人の為。
彼女に近づく足音。 堂に迫る足音。
気が付き振り向く彼女は、見ただけで恐れ慄き静かに祈っていた姿を崩してしまう。
「うぅ……うあぁ……」
「ガウッ!」
食欲を満たした星は、いつも通りにナズーリンに襲いかかった。
それもこれも性欲を満たす為である。
腰巻から覗く男の象徴はいつもと同じくそびえ立ち、体を貫かんと主張していた。
何年、何十年と責められ続け、体はそれを見るだけで痛みを訴える様になってしまった。
激しく取り乱し、後ずさりして逃げようとしても、その姿が星の欲動を止める事は無い。
「いやだあああああああああ!!!」
板張りの床に倒されたナズーリンは、これまたいつもと同じく首筋に牙を立てられた。
骨は折れていない。 肉が噛み千切られる事も無い。
それでも丸一日以上続く痛みの連鎖を耐えたいとは思わない。
恐怖からの失禁さえも、星の性的衝動を増幅する効果しかないのであった。
だが、今日は一つ違った事があった。 ほんの小さな……ほんの小さな変化であった。
星の陰茎から棘が消えていたのであった。
〜〜〜〜〜
山に入ってはならない。 虎が出るから入ってはいけない。 山に入った者は二度と出て来ない。
その噂は、山の麓の町では子供でさえ知っている当たり前のことであった。
場所が変われば、内容も変わる。 伝言していけば内容が変わってしまう事と同じだ。
商業で賑わう、遠方の町。 そんな噂を聞いた男が居た。 商業で賑わうからには、商人としての考えが働くものなのだろう。
彼は、過去に毘沙門天を祀った寺がそこにあったと知った。 そこに居る虎の話。
感性が頭に合図を告げる。 金の匂いのする話だと。
毘沙門天は財宝神である。 その僕は虎である。 財宝神の僕が護る物と言えば……あとは、何を企んだか想像できよう。
国中が戦の最中、立ち入った者の誰もが帰って来ない、木々が鬱蒼と茂った山。
それだけでも実情を知らぬ者は怪しく思う。 拍車をかけたのは辿り着くまでに歪んだ情報。
一攫千金の匂いを感じた男は投資をして、財宝を手に入れようと山を目指した。
結果から言えば財宝などどこにも無かった。 そこに居たのはボロに身を包んだ妖怪鼠の少女が一人。
首から覗く傷を見るなり、傷物で捕えて見世物にしようとも投資額を回収する事など出来る筈もないと理解した。
寺に入った時に見た死体の山。 男は、人肉を喰らって生き延びる餓鬼の如き畜生と軽蔑した。
「畜生めが……首を刎ねろ」
舌打ちをして悪態を吐いた男は、噂を信じた自分を呪った。
死にたくないと懇願するナズーリンを無視して、首を領主に献上した方が余程得をすると勘定しかしていなかった。
縄を首に掛け、杭を地面に打ち込んでナズーリンの首を晒す。 何度も何度も牙に噛まれた醜い痕が露出させられる。
日に照らされた刀が、光を反射して辺りをギラリと照らした。
その時、突如としてその刀が折れた。 祟りか何かと動揺する一同の元に星が現れていた。
「ガオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
この咆哮は威嚇ではない。 剥き出しになった敵意は、威を放ち、衝撃と共に辺りを小さく揺らした。
地面を蹴り人間の目では追えない速度で、自らの物を奪った輩に復讐する筈であった。
しかし、違和感と共に脚が止まった。 地面を蹴る筈の足が痛みを訴えたのだ。
身体中を巡っていた電撃とは違うズキズキとした痛みが脚から頭に昇っていた。
顔を向けた先、脚には矢が刺さっている。
顔を上げる星を囲んで弓を引く男達、各々が一斉に矢を放った。
しかし、そこは獣性に支配された星である。 当たって危険な物に自ら当たりに行く筈がない。
何より、その程度の速度であれば、目で追う事さえ出来る。
体に迫り来るものは払い、翻す事でかわせるものは避け、目の前の目障りな男共を皆殺しにする予定であった。
「うわっ!」
縄に固定されたナズーリンに流れ矢が迫る。 身動きの出来ない状況で避ける事など叶わぬ事であった。
その前に星が躍り出て、その身で矢を受ける事となった。
「ガウッ!」
その隙を逃さなかったのか、再び一斉に放たれた矢が襲いかかる。
避ける事は出来ない。 避けてしまえばナズーリンが矢ぶすまにされてしまう事は解りきっていた。
払えるものは同じく払った。 しかし、届かない範囲に無情にも矢が刺さっていく。
「ガォォ……」
接近出来ない事に苛立ち、その身に痛みが増えていく事が癇に障った。
だが、好機はすぐにやって来た。 一斉に矢を放てば、矢を番う時が同時に到来する。
星は、ここの誰よりも、矢よりも早く動く事が出来るのだ。 その様な好機を見逃す筈が無い。
ほんの一瞬、脚に刺さっていた矢が数本、急激に力を加えられた為に折れ、矢羽などが地面に落ちる。
瞬間! 矢を番って放とうとした男達の首が宙を飛んだ。
一瞬の死なぞ溜まりに溜まった鬱憤を晴らすには足りない。
残った男を見据えた。 自らの物を、自らの女を奪おうとした者に対して、ありえない程の憤りを感じていた。
楽に殺しはしない。 獣性が持っていない筈の憎しみの黒い炎がとぐろを巻いていた。
ダーン!!!
突如、星の脇腹が炸裂した。 男の手元から煙が上がっている。 蘭製の手中式火縄短銃が火を噴いたのだ。
何が起こったか信じられなかった。 脇腹に触れた手が確かな温かみを帯び、眼前に運んだ手が確かな出血を伝えた。
男が神通力か超能力でも用いたのでは、と理解不能な超常現象に頭が混乱をきたした。
それでも、立ち止まってはならない。 星が死ねば、彼女はどうなってしまうか。
自分の大切な女がどうなってしまうのか。
捨て身の一撃。 ここで死が決まっても彼女が生きられるのならば。 と全力で突進を敢行した。
男が次の銃を懐から取り出した瞬間、星の突進を受けて全身の骨がバラバラとなった。
およそ百貫はある虎に突進されたかの様であった。
仕留めた獲物は自分の血肉に変える。 星は、獣性に支配される様になってから、その約束事を破った事がない。
だが、今日は食べる事は無かった。
正体の判らない力で我が身を、これ程まで傷つけた事に憤っていた。
そして、自分の物を手荒に扱って、更に亡き者にしようとした事を憎んでいた。
寺の脇にある急斜面まで足を持って引き摺り、その場から投げ落とした。
ゴロンゴロンと骨の砕ける音と共に斜面を転がって行く。
流石の星も血を流し過ぎた。 体に数多の矢を受け、貫通しているものさえある。
のみならず、火薬によって射出された弾丸に脇腹を抉られた。
ナズーリンの戒めを引き千切ると傍に倒れて意識を失う。 大いびきを掻いてそのまま眠り始めるのであった。
〜〜〜〜〜〜
星の意識の奥底。 暗闇の牢獄に理性である星が囚われている。
両手首、両足首に荒縄を縛り付けられ、首から下は鋼鉄の鎖によって雁字搦めに縛り上げられている。
これは、彼女の持つ想像が具現化したもの。 その目は常に自分が行っている蛮行から目を背けられなかった。
その戒めが少しだけ緩んだ。 それは、野性や獣性であるもう一人の自分が休む時だけ起こる事である。
「ガウ、ガウ、ガウ……」
獣の様に後ろから犯している星。 その前で押さえつけられているのはナズーリン。
虎の様に棘が付いた陰茎は無くなったものの、獣性が静まった訳では無い。
時折、興奮からか背中に爪を突き立てる事がしばしばあり、その度に痛みに耐える呻き声や小さな悲鳴が上がる。
どの様な拷問に遭えば、この様な惨状を目の当たりに出来るだろうか……。
ナズーリンの背中は鞭に打たれ肉が裂けたとか重度の火傷の為に皮膚が変形したと同じ酷い有様であった。
星の爪が食い込み引き裂かれ、それが何度も何度も。 皮膚は引っ掻き傷に沿って再生していく。
その上からまた爪に引き裂かれていく。 同じ、何十年も何百年も繰り返された。
首回りも同じである。 牙が何度も何度も突き刺さり、二点の刺し傷がそこかしこに散見された。
この姿を見て人間は何と形容できようか。
「ガフッ♪」
今日も何百回と注いだ。 相手の意思など関係ない。
精も根も尽き果てて、泥の様に眠るだけ。
寝床などなく、今し方まで致していた傍で大の字に寝転がると、大いびきをかき始めた。
衣服を失った星。 衣服らしい衣服と言えば、腰に巻かれた虎柄の腰巻だけ。
ナズーリンの体液と自らの精液に塗れた陰茎を隠しもせずに眠っていた。
漸く終わった。
ナズーリンは自身の境遇がいつまで続くか、いつまで苦しみ続けなければいけないかを考えて涙を流した。
声は出さない。 星が音に気が付いて目を覚ませば、また同じ事を繰り返すと解っているからだ。
しかし、今日は、いつもと状況が違った。
突如、星が立ち上がると、外に向かって走り始めた。
部屋を出て、縁側から転がり落ちる。 地面に倒れた痛みなど気にせずに堂から這って離れると……。
「ううう……おげえええ……うげろおおおおおお……」
音だけで何が起こったか解る。 ナズーリンは痛む身体を引き摺りながら、音を頼りに星の後を追った。
そこで見たのは、先まで自分の身体を貪って満足していた星の惨めな姿であった。
「おごおお……げろおおおおおお……げえええええええ!!!」
止まる事のない吐瀉嘔吐の音。 今まで食べた人の肉がすべて吐き出されているのではないかと思う程であった。
辺りに撒き散らされる臭いは、外壁の角から漂う人肉の腐臭に比べれば大した事はない。
それでも響く不快な音と共に、星の付近まで至ったナズーリンは言葉を漏らした。
「醜いものだな……」
今まで何百年と好き勝手痛めつけてくれた事に皮肉の一言でも言いたかったのだろう。
口から出た言葉は、何百年と経っていた事を思わせない毒を吐き出した。
まるで、時間が経っていると思わせない様であった。
「げぼぉぉぉぉぉぉ!!!」
腹の中の内容物が出なくなった。 今までの星であれば、そのまま気が狂った様にのた打ち回っただろう。
苛立ちから、新たな獲物を求め襲いに跳び立っただろう。 だが、今日は違った。
盛大に吐瀉嘔吐した為に体は相当に消耗していた。 よたよたと歩いた先は、いつもの餌場である。
カツカツと勢い無く、肉を口に含み始めた。
「むぅぅ……おげえええええええええ!!!」
身体が反射反応を起こした。 過去に彼女が守っていた戒律の為に拒否反応を示したのだ。
口に含んだ肉以外、出るものは無い。 ただ、空っぽの胃から胃液だけが逆流していた。
それでも、吐き気が治まると再び餌場に力無く戻って行く。
「うをぉぉ……おげ……んおおおお!!!」
三度襲い来る吐き気。 今度は口を押えて無理矢理飲み込んだ。
目からは、痛みと苦しみから涙が止め処なく流れていた。
それでも、血肉を死肉を腐肉を食べ続ける事を止めなかった。
「折角、人喰いの卑しい獣に戻れたのに、君は実に憐れだ……」
言葉に嘘は無かった。 身体がこんな状態になるまでに痛めつけ好き勝手してくれた星の事を恨んでいた。
当然だろう。 拷問以上の責苦を何百年。 いくら寿命が長い妖怪であっても考えたくも無い事だ。
だが、出た言葉や思いとは別に、確かに言葉から嘘は読み取れなかった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!」
星は羽毛の如き軽さでナズーリンに飛びかかった。
逆上した訳ではない。 ただ、己に流れる痛みに耐え切れないだけであった。
妖怪としての自身を隠していた為に、自らの存在が消えてしまう様な痛み。
性別を隠していた為に、変異してしまった性別が性欲を狂わせる。
そして、元々が人喰いの虎であると言うのに、自らに流れる獣性を封じ込めていた為に、死の淵に立たされた肉体は獣性の本能のままに行動をした。
星に組み敷かれてもナズーリンは表情を変えなかった。
ただ、人形の様に無抵抗であった。
いまだ膣口からは、先まで注がれていた星の精液が溢れている。
今の星は、理性が身体を支配していた。
未だ戒律を破ってまで生きながらえた罪に涙は止まらなかった。
組み敷いたナズーリンに涙がポタポタと落ちていく。
唇は震え、それでも耐える事が出来ず、遂に理性を持ちながらナズーリンの体に侵入していった。
「ううっ……ああっ!」
星の体が反れ艶やかな声で叫ぶ。 挿れたと同時に達してしまった。 それでも腰だけは止まらない。
体だけが、獣性や本能に操られている様であった。
ナズーリンと交わっている時だけは、痛みが無かった。 目の前にいる華奢な少女が彼女の存在を見つめていたからだ。
性欲が満たされている為に、体は止まる事を知らない。
生殖活動は本能である獣性の暴走を止めた。
生きる為に、ただ死にたくないが為に自らの意思でナズーリンを犯した。
死を恐れる事は生物が行う事である。 誰が彼女を咎める事が出来ようか。
それからも星は獣性と理性、交互に変わりながら生き続けた。
獣性であれば荒々しい野性に身を任せて、山に侵入する人間を片っ端から襲い、喰らった。
理性であれば獣性が仕留めた元人間の肉を吐き気を堪えながら喰らった。
そして、ナズーリンを犯し続けた。
泣き呻き、死にたくないが為に、痛みを忘れたいが為に。
言葉があれば謝罪しただろう。 後悔を口にしただろう。 やめられるのであればやめただろう。
だが、星は止める事が出来なかった。 何十年もその生活が続いた。
ナズーリンは星に憐憫の情が湧いていた。
戒律を守って死に近づいた星に……戒律を破って生きながらえた星に……確かな情が湧いてしまったのだ。
「私は、ナズーリンの事を……こんな長い期間……」
数百年ぶりの言葉。 喉の奥底から絞り出していた。
だが、そこで言葉は止まった。 食を失えば死に近づく。
死に近づけば理性は力を失う。 理性が力を失えば……獣性の帰還である。
再び意識を獣性に奪われた星は、大咆哮と共に山林に消えて行った。
遠くから人間の悲鳴が聞こえると、その場から食事にありつく音だけが響き渡っていた。
そうして、狩って来た人間をいつもの餌場に放り投げる。
先の食事では足りなかったのか、再び食事を始めた。
腐臭漂う肉を貪り、地面に広がる腐液さえ地面に這い蹲って舐めていた。
「君は憐れだよ……本当に……」
何が起こったか、ナズーリンはにわかには信じられなかった。
恋人の奇跡とかそう言った、易くつまらないものではない。
だが、僅かではあるが星が意識を取り戻し、言葉を紡ぐ時間が生まれたのであった。
〜〜〜〜〜〜〜
輝かしいばかりの満月。 まるで黄金の貨幣の様に地を照らしていた。
この輝きは、吉かそれとも凶の兆しか。
夜の帳の降りる中、その日の星は大木の上に居た。 虎の様に座りただ満月を見上げている。
そよ風に靡く黄金の髪は、月明かりを受けて煌びやかに輝きを放っている。
腰まで伸びた金毛は全身を覆い、黄金の衣を纏った虎にしか見えなかった。
その姿は、灯り場にて近くで良く見なければ黄金の虎に見間違えても仕方が無い程である。
「ガオオオオオオオオオオオオオン!!!」
寺と言わず、彼女の住んでいる山全域に響く特大の遠吠え。
妖怪の自分が居なかった時期を思い出させない様に自分の存在を誇示していた。
それは、居なかった期間を埋め、更に恐怖等を上乗せするには充分過ぎる効果があっただろう。
昔の大虎が山に居た状態が戻ってしまったかの様であった。
闇に紛れる妖怪は、嘗ての人喰い妖怪を思い出し身震いした。
僧侶を食べた妖怪は格が上がる。 それも極上の僧侶が二人も居た山だ。
その山に於いて、最も人格のある”まとも”な虎が居た。 それが、嘗ての人喰い妖怪。
二人の僧侶を喰らう為に訪れた妖怪が、太刀打ち出来なかった大虎だ。
虎の咆哮を聞いた妖怪が動物が昆虫が……植物さえも恐怖する。
大昔に刻み付けられた記憶が、心の底から恐れさせたのだ。
麓の町に住む少女は、運悪く山に迷い込んでしまった。
野盗から逃げたのか、それとも薬草でも採りに来たのか。
いずれにせよこのままであれば、妖怪か猛獣かに襲われてしまう事は必至である。
そんな彼女の元に星が現れた。
本来であれば、妖怪や猛獣に出会うよりも恐ろしい事に他ならない。
十中八九、無事に帰る事は出来ないだろう。 それでも、今宵の少女は運が良かった。
今の星は、腹が減っていないのだ。 痛みが電光の様に身体中を巡っていないのだ。
木の上から見下ろす形で、少女を見つめている。
月明りが木や枝の間から射す中、暗闇にあった顔からは二つの黄金の虹彩が光を放っていた。
佇む姿は猛禽か猛獣か、いずれに見えてもこの世から隔絶された身の毛もよだつ物の怪である事には変わりない。
少女が言葉を失うのも仕方のない事。 腰まで伸びた金毛は黄金の衣にしか見えない。
この暗い森の中では見通しも効かず、恐怖した山の吐く荒い息も相まって、たなびく金毛が実際に見えるよりも数倍の体躯に見せていただろう。
金毛と同じく輝く黄金の瞳は、この世とは一線を画す美しさが見て取れた。
「ガアア!!!」
小さく、それでも自己の存在を隠すつもりのない唸りは、突然小さな咆哮に変わった。
竦んでいた少女が押し出されたとばかりに、後ずさりする。
恐怖に駆られ、体を翻すと力無く駆けていく。 猛獣に対する対応としては最悪と言わざるを得ない。
しかし、彼女を襲う者は誰も居ない。
近くに妖怪が居る事は解る。 猛獣の鳴声が近くに聞こえる。
葉擦れの音も草擦れの音も、生物が居る事はすべて否応なしに解ってしまう音であった。
それでも、彼女に襲い来る事は誰もいなかった。
付かず離れず虎が後を追っていたからだ。 そう、酷く妖怪は恐れていたのだ。
嘗てこの山を支配していた大虎の存在を酷く恐れていたのだ。
そうして少女は無事に山から下りる事が出来た。 すべて、星のおかげであった。
〜〜〜〜〜〜〜〜
長い夢を見ていた様であった。 夢であればどんなに幸せであったか。
耳の奥で虎の鳴声が聞こえる。 聞いた事がある。 最早、聞きなれた声であった。
反射的に飛び起きた。 目の前に広がっている光景は、彼女が見続けた光景そのものであった。
寺の床には古く黒くなった血の跡が何度も往復しており、壁にも血飛沫が飛び散って変色していた。
すぐ近くには、ナズーリンが寝転んでいる。 彼女が過去に愛を告げたナズーリンが寝転んでいた。
「……もうするのか?」
その言葉は日常的な言い方であった。 その異常性に思わず耳を疑いたくなる。
その間にも目の前でナズーリンはボロ布を脱いでいった。
覆いたかったのは目。 だが、期待とは別の形で目を覆い隠したかった。
身体の全面は切り刻まれた傷痕が幾重にも重なっており、小ぶりな乳房も傷によって形が歪んでいた。
背中も同じく切られ裂かれ抉られ突かれ、どんな拷問に遭ってもこれだけの状況に陥る事はない酷い状態。
誰がこんな事を。 そこまで思って、喉で止まった。
記憶はずっと残っている。 自分が……寅丸星がやったと確かに記憶に残っている。
「しないのか? ほら、こうすればやりやすいだろ?」
四つん這いになって、尻を突き出して上半身を下げた。
突き出され晒された女性器も無残な状態であった。
茨の様なもので散々弄り倒された様に傷痕が残り、本来ならば一本の筋だけが見える筈の場所にポッカリと穴が空いていた。
肉が付き発達した尻肉と太腿、華奢な少女の体には不釣り合いである。
いかに自分が彼女を虐めていたか見せ付けられた様であった。
「ナズーリン……ごめんなさい……」
「は?」
突然の謝罪に戸惑うナズーリン。 座り直して見上げると、そこに見えた星は涙で顔をクシャクシャにしていた。
息も乱れる程にその場に泣き崩れると、ごめんなさい、ごめんなさいと泣きながら呟いていた。
きょとんと状況を見守るナズーリン。 それは、記憶の奥底にある、昔の星の姿であった。
「私……ナズーリンにずっと酷い事を……許して下さい……死を賭して謝りますから……」
「ふざけるな!」
星の真心がナズーリンの癇に障った。
今まで好きなだけ彼女の体を虐めていたのに、都合が悪くなれば命を捨てると言う。
身勝手な事、極まりない。 残された者の事も考えず、これでは獣性の星と変わりがない。
そして、星の言葉にナズーリンの存在さえ感じなかった事が最大の要因であった。
「軽々しく死ぬとか言うんじゃない! 君が今日まで生にしがみついたのは、死にたくなかったからだろ!」
余りの怒り様に面を食らったのは星である。 わんわん泣きじゃくっていた様相は治まり、零れていた涙も止まった。
真っ赤に染まった目と顔で、じっとナズーリンの顔を見つめて言葉を聞いていた。
「この体を見て見ろ! ずっと、ずーっと私を君が変えていったんだ。 君の色に無理矢理染められたんだ」
怒り心頭であったナズーリンの顔が静まっていく。
怒りは治まり、いつもの、星と仲良く暮らしていた頃の仏頂面に戻っていく。
「だから、責任を取れ。 私の事を大切だと言うのなら、誠心誠意、私を守るんだ」
「……はい」
虎に命を助けられた少女は、あの後、大戦と野盗の襲来で瓦礫と化した町に小さな堂を作った。
命を救ってくれた金虎に感謝を示し、神として祀ったのである。
それから数か月、不思議な事が起こった。 青白く発光した毘沙門天の化身が、その堂付近に現れたそうだ。
星は、まったく関与していない。 ただ、人の沢山死んだ時代である。
また、町は復興の途中であった。 不思議な噂が起こるのも無理の無い事である。
ただ、きっかけを作ったのは、ナズーリンが星に対して祈った事、星が少女を救った事であった。
信仰を再び得た星は、理性を取り戻す事が出来たのである。
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あれから、星が獣性に支配される事は無くなった。
ボロとは言え、星もナズーリンも服を着る習慣を取り戻した。
食事も肉のみで生きる必要は無くなった。 ただ、時折血の臭いを感じては獣性に戻る事も無くはない。
それよりも、件の発光した毘沙門天の化身の噂で、禁足地であった山に人が入って行った。
入り口から山頂の寺まで、一直線に参道が整備された。
数百年を共に過ごしていた星とナズーリンにとっては、その期間はあっという間であった。
荒れた寺や門、壁は修復され、長年喰らい続けた死体の山も綺麗に片付けられた。
その変化は目まぐるしかった。
それよりも、その期間で判明した事があった。
星とナズーリンは現世から完全に隔絶された存在となっていた。
言うなれば、人に忘れ去られた存在である。
人々は、毘沙門天の名を知って、更に信仰をしているが、神だけを求める世は既に終わりを告げていた。
「なぁ、私達はここに留まるべきなのだろうかなぁ?」
ナズーリンのぼやきを軽く聞き流し、はいはいと返す星。
星に向き直して、赤子の様に這って近づき同じ質問をした。
「神が必要とされない地に留まる必要はあるのか?」
「……」
そのやり取りはもう数えきれない程していた。
のらりくらり、星は答えを出しかねていた。
自分が愛したナズーリンと二人きり、誰にも邪魔されないのであれば、この地に留まるのも悪くないのかもと思っていたからだ。
星は体に数えきれない傷を負っている。 刀傷、槍の刺し傷、鉄砲に抉られた痕、矢傷。
ナズーリンも体に多くの傷が残っている。切られた痕、刺された痕、噛み痕に抉り痕、裂かれた痕もある。
「ご主人様、今日も優しくして下さい……」
急にしおらしくなったナズーリンが星に身体を寄せる。
星の気持ちを察したか、それとも自身を守り続けてくれた証が気分を和らげたか。
優しく額に口を付けると、星自身が歪めた体を労わる様に優しく肩を抱き寄せるのであった。
星は自分の深層心理に沈んでいった。 偶然、寝ている間に見た夢であったのかもしれない。
降り立った場所は、嘗て自分が封印されていた暗闇の世界であった。
そこに居たのは黒い大虎。 以前の様に鋼鉄の檻に入れられている訳でも無く、その場に佇んでいた。
すると、その虎が人間に姿を変える。 その姿、例えるなら黒虎。 寅丸星と瓜二つの姿であった。
「なんだ? 今度は俺を殺しにでも来たのか?」
この黒虎こそ獣性が具現化した姿であった。 気分悪く理性である星に好戦的な態度を取る。
理性は、物怖じもせず用件を伝えた。
「今日は、お礼を言いに来ました。 数百年間、ナズーリンを守ってくれてありがとう」
獣性は、目を丸くして驚いた。 完全に機先を制された状態であった。
戦意が著しく低下してしまい、悪口にも満たない文句を垂れた。
「馬鹿じゃねえの? あいつは俺の女だ。 誰が何を言おうが俺の好きにしただけだ」
「では、何故……私を虜にしただけで殺さなかったのです? 」
「それは……お前が俺を閉じ込めていたから……けっ! お人よしが!」
「それはお互い様です。 私も貴女もいえ、二人で私なのですから」
悪態を吐き、目を逸らして、その場にドカッと座る獣性に理性は笑顔を見せた。
まるで長い時を過ごした戦友同士の様である。
手を差し伸べる理性に獣性は、その手を握るのであった。
二人分の命を今まで守り続け、理性が染めるべきでない生きる為に汚れ続ける事。
今の今まで実行してくれた事に並々ならぬ感謝を感じていたのである。
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星が獣性を表に出さなくなって、長い時が経過した。
人が神を必要としない時代。 それでも以前の様になる事はなかった。
時折、激昂しナズーリンと喧嘩をする事はあっても、二人は概ね良い関係を維持したまま過ごしていた。
不意に風が寺を吹き抜ける。
首に残った噛み痕が疼き、痛みとも言えぬ不思議な感覚が身体を抜けた。
身を震わせるナズーリン。 星は黙って身体を抱き寄せた。
冬は終わり、暖かな季節がやって来る。
今日も明日も明後日も、その先も、何も変わらない変化の無い平和な日常が続く筈であった。
風に流れて訪れる匂い。 まるで、千年も前に馴染み過ぎた懐かしき匂いが香っていた。
山の下には二人の人影。 お互い肩を抱き合い、怪我でもしているのか足を引き摺っていた。
整備された参道を登り、休み休みで山頂の寺に向かっていた。
最早、殆ど覚えていない。 記憶を頼りに登って行った。
時折、参拝客が通り過ぎようと、誰も二人の存在に気が付いていなかった。
「ご主人様、もし……もしだが、君が再び戦火に身を落とす事になったらどうする?」
「……大丈夫です。 二度と昔の様にナズーリンを襲う事はありません」
「いや、そういう意味では無くてだな……」
「私の元に何かが訪れるのでしょうか?」
やはり、この人には及ばない。 ナズーリンは心の奥底でそう感じた。
ここに向かっている者が誰かは、判らない。 だが、自分の主人が目的である事は解りきっていた。
突然の来客。 ボロボロの衣服をまとった僧と水兵。
顔に残る傷や服のから覗く傷痕が、苦難を味わっていたと言っていた。
お互いが肩を抱き支え合って訪れた。
その声は、星を寅丸星を、獣では無い寅丸星の名を呼んでいた。
「貴女達は……」
来客に気付き、慌てて走り寄る星。
ナズーリンは、その背中を見送った。
仲間を見捨て、すべてを失った星は獣に戻る事となった。
その後に今まで積み上げたものを、更にすべて失った。
獣に戻りて後、星は傍に居た大切な存在から、きっかけを受け取った。
些細なきっかけと共に、再び信仰を得た星は大切なものを再び手に入れた。
そして、今度は星が失ったものを取り戻しに行く番である。
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ここから先の物語は、私よりも、これを読んでいる皆様の方が詳しいと思いますので割愛させて頂きます。
作品情報
作品集:
12
投稿日時:
2015/06/12 19:06:02
更新日時:
2015/06/13 04:07:01
評価:
9/10
POINT:
900
Rate:
16.82
分類
産廃創想話例大祭C
星
ナズーリン
ふたりぼっちの千年間
過去話
悪の星
獣の星
三苦に苦しむ星
気付いたらのめり込んでしました。まいんさんの書く二人のイメージを作る際に参考にさせていただきます。
あと男神として信仰されてたから生えるという理由付とかも。
ちょっとした信仰のきっかけとなった名も知らぬ少女に乾杯。
哀れな二人の行く先に光がありますように
少女助けたところの星は、がっつり読みたかったかも
星を見る目が変わったお話でした。
ただ、付き従った者を護る為に。歪んだ形ではありますが。
致命傷を負ったときにリブートされたようですね。
彼女を歪ませたのも正道に戻したのも、ヒトの思いでしたね……。
拝読していて、少々重苦しく感じました。