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『それではここで紅魔郷時代のVTRをご覧ください』 作者: nogiku
十六夜咲夜は空前絶後の窮地に立たされていた。
「あっ、咲夜さんまた出ましたよー。いやぁこの時はスカートも超ミニだったんですよね、はあ可愛いなぁ……」
隣に座る美鈴が、暢気に咲夜の横腹を突いて知らせた。
わざわざ知らせてくれなくたって、見れば分かる。
ただ、今の彼女の精神状態はどう考えてもそれどころではなかった。
前髪で隠れている額が変な汗でべしょべしょになっているのを、それと分からないように拭うと、咲夜は細く顰められた目を恐る恐る正面に向ける。
鬼が出るか蛇が出るか。
ただひとつ確信できるのは、どう転んでも碌でもないものしか出ないだろうという諦めに近いものだった。
大画面のスクリーンに映されているのは、今から凡そ七・八年近く前の映像。時期としては紅霧異変の直前。
それも直前の直前である。
カメラマン兼レポーター役の小悪魔の流暢な台詞が、もう居ない彼女の楽しげな声が、スクリーンの横に据え付けられたスピーカーで拡散される。
『さてさて、レミリアお嬢様が霧を発生させるまで残り一時間を切ったという訳ですが……咲夜さん!今の心境はいかがですか!』
まずい。この流れ、また来る。
居たたまれなくなりさっと視線を下向けるものの、耳は忠実に役目を果たしてしまった。
『ふふ……愚問ね。私たちメイドはお嬢様の狗。お嬢様のお考えとあらば私は紅魔のメイドの長として何処までも付いていくわ。それだけよ』
『はーい、コメントありがとうございますぅ!それでは、考えられる障害として博麗の巫女の襲来が予想される訳ですが、そちらの件に関しては……』
『お嬢様に刃向かう者はそれだけで罪だわ。博麗の巫女だろうが何人であろうと、私がその首を落として今宵の盃にするつもり。お嬢様もお喜びになるでしょう』
被害は予想より小さかった。
いや、先程までが酷すぎたのである。
博麗霊夢は耐えた。
皿の乗ったテーブルがギリギリギリと軋む音が聞こえたが、それだけで済んだことは今となっては幸いだ。
ただ、今の咲夜はそれにも身を震わせて、頭を抱え俯く。
あっあっあっあっあ。
あー。あー。あー。聞こえない。もう何も聞いてない。
咲夜は白目を剥いて軽く意識を飛ばすことで、続く会話を聞き流した。
首の後ろが汗でべたべたになっている。
繊細なレースの施されたハレの衣装が肌に張り付いて、嫌悪感しか感じない程。
ストレスで片方の瞼が痙攣し始めた。
更に体の末端が冷たくなり、それとは逆に頭の中は熱でも上がってきたように熱く、控えめに見ても直にぶっ倒れそうな形相である。
怯えるように、それでも縋るように隣の席の美鈴を見れば、しかし彼女は親が子供の成長を見守るかの如くアルカイックな笑みを浮かべていた。
「あの頃の咲夜さんは思想が悪魔よりも悪魔めいていましたからねぇ……本当にお嬢様の教育の賜物です……」
咲夜はおもいきり引きつった。
どうして。なぜ肯定的な感触なのかを一時間かけて問い詰めたい。
普段被っている人民帽の緑色の部分がすっかりナイフの針山になるまで問い詰めたい。
けれど今、真の意味で針のむしろになっているのは他でもない咲夜本人だった。
事前にこの映像の中身が分かっていたならば、確実にその再生ボタンが押される前に時を止め、あの忌まわしい装置を持って脱走していただろう。
二度と再生が出来ない程度まで記憶媒体を粉々に破壊し、湖の底に沈めて、数百年は何人たりとも手出し出来ないようにしているところだ。
それが出来ない理由がこの空間にあった。
本日、十六夜咲夜は紅美鈴と結婚式を挙げた。
霊夢や魔理沙、妖夢、早苗といった人間の友人たちも数多く訪れ、その各々が少なくない祝儀を持参していた。
これまでの異変を通して知り合った妖怪たちも訪れた。
遠くは幻想郷の端の妖怪の山から。近くは竹林の永遠亭から。
人間と妖怪という物珍しい組み合わせであることからか、その総数は事前に見積もっていた客数を遥かに超えた。
どこで嗅ぎ付けたのか、野良妖怪や一部の妖精までもが豪勢な食事の乗ったテーブルを転々としていた。
本音はパーティの酒と食事目当てだったのだろう。
少し離れたところではツインテールに市松柄スカートの見覚えない烏天狗が、沈鬱な面持ちで二人の姿を携帯カメラで逐一撮影しているのが伺えた。
その写真は明日の新聞に載せるつもりなのだろうか。
ただ、もう、その一面の記事内容が、咲夜にはだいたいの想像が付いてしまう。
少なくとも、決しておめでたく、晴れ晴れしい雰囲気のそれではないと言うことが。
そう、式の催し物の一環としてこの映像が始まったのである。
集まった客人全員の前で。
もう、どれだけ逃げたくても逃げられない。
(このおめでたい日に、それも新婦にこの仕打ち……ねぇ……そんなの、サプライズにも程度があるでしょ……なんで……どうして私、こんな目に……?)
後悔しても全てが遅く、次から次へ湧き上がる苦渋が顔に滲み出ていたらしい。隣に座る細身のドレスを着た美鈴が何事か勘違いして咲夜の手を握ってきた。
だが哀しいかな、その優しさは今の咲夜には何ら励みを与えるものではなかった。
それどころか、咲夜を決してこの場から逃がすまいとする意志の表れにすら感じられる。
招待客が幾らか減った結婚式会場。
最早この場の誰にも再生を妨げることは出来ない。
数年の時を経て表舞台に登場した秘蔵映像は、文字通り機械的に納められたその全てを吐き出していく。
〜それではここで初出の貴重映像、新郎新婦の紅霧異変時代をご覧ください〜
『いやあ、私って弾幕ごっこはあんまり得意じゃないでしょう?だから正直博麗の巫女には来て貰っちゃ困りますね〜。なんせ向こうはスペルカードルールの始祖ですよ?そんなもん勝てるはずありませんって。まあいざという時は覚悟を決めてやりますけど!』
画面の中の美鈴は快活に笑いながら、わざとらしく力こぶを作って見せた。
―――やる気ねえぞ、門番!
客席から魔理沙のヤジが飛び、どっと場が温まる。
二人の結婚式は、至極順調にプログラムをこなしていた。
当主レミリア・スカーレットの長々とした挨拶から始まり、誓いの言葉、指輪の交換を終えて、頬を染め恥ずかしさを堪えながらの誓いのキス。
そして乾杯の音頭。
親しい友人たちと歓談しながら、この日の為に用意された豪華な食事に舌鼓を打つ。
隣には愛する女性。多くの知り合いに祝いの言葉をかけられ、幸せな気分で飲むお酒はまた格別に美味しい。
咲夜はまさにこの瞬間、人生の絶頂期を迎えていた。
そんな甘ったるい空気の中で満を持して登場したのが、これまた古めかしい巨大スクリーン。
なんと、紅霧異変の日の紅魔館が、映像で記録されているのだと言う。
当然のことながら、本日の主役である咲夜と美鈴の若かりし頃の姿も収められているらしい。
この度幻想郷初公開、当主であるレミリアすら見たことのない貴重な映像が、大々的に上映される運びとなったのだ。
種族上長命である美鈴は、まるでその頃をごく最近の出来事のように覚えていた。あぁあの時か〜と直ぐに察しがついた様子で笑っていたが、咲夜は当時まだ十と半分程度の年月しか生きていない。人間の尺度から見れば、随分昔の話だ。
「あの頃の自分なんて全然覚えてないわ……いつの間に撮影されてたかすら記憶にないもの」
「私は覚えていますよ。昨日のように思い出せますねぇ。……咲夜さんはあの頃からとっても可愛かったですよ?」
「え、いや、その、あ、あんた何言ってんの!?」
そんな惚気話も、この場においてはご愛敬である。
―――そして、
―――全てを狂わすON/OFFスイッチが、
―――小道具係の手によって、
―――押し込まれた。
序盤は、何事もなく過ぎていった。
巷によくあるホームビデオと同じく、少しにぎやかで、少し慌ただしい紅魔館の様子がありありと繰り広げられる。
ただ何といってもホームビデオと決定的に違う部分は、これが紅霧異変が始まる直前の映像であるということ。
主軸に据えられているのは必然的に敵襲の備えに関するものであったり、防衛への意気込みが多い。
先ほどの美鈴の映像もそれに当たる。
また、カメラは主要人物は勿論のことながら、紅魔館周囲を漂う毛玉や妖精メイドたちにも向けられていた。
軌跡を乱すことなく二列での急降下を交えた突撃練習を行う毛玉たちの姿に、客席からは驚き交じりの歓声が湧いた。
一部の妖精メイドたちは何を思ってかロビーの飾り付けに励んでいる姿が映っていた。メイド当人たちによる恥ずかしさから来る悲鳴と、好意的な苦笑が一体となって混じり合う。
ここまでは良かった。
咲夜は微笑ましげにスクリーンを見つめ、美鈴もうんうんと当時の思い出を懐かしむ。
極普通のお宝映像として、誰しもが純粋に出し物を楽しんでいた。
そう。上映が始まった時は咲夜本人すらも忘れていたのだ。
あの頃の若い自分がどう振る舞い、どうしていたのかを。
館の外で撮影していたシーンから場面が切り替わり、カメラは館内へと移動する。
淑やかに微笑んでいたはずの咲夜の表情筋が『それ』を目にした瞬間、ぴきりと固まった。
スクリーンに映し出された部屋は現在の咲夜もよく知る場所である。
机の位置。ずっと使い続けているティーポット。窓の内側で風に揺られるカーテンの柄。
それから床一面を埋め尽くすように並べられた、大量のナイフ。
要素を組み立てれば、なんてことはない。今も暮らしている自室に間違いなかった。
ただ、一面に敷き詰められた銀色がぎらぎらと輝いている。今の咲夜が思わず目を疑う異常な光景だった。
若き日の咲夜本人は当然のようにそこに座っていた。
無数のナイフをひとつひとつ砥いでいる姿をカメラは捉える。
瀟洒という言葉が音を立ててどこかに吹っ飛んでいったような、そんな睨むような鋭い目線で、昔の咲夜は此方を睨み付けた。
「えっ。……私、こんなだった……?」
「そうですよ?思い返せばあの頃は、今と比べて少しやんちゃな感じでしたっけね」
「……やんちゃ、なの……これ?」
咲夜の疑問は置いてけぼりのまま、再生は進む。
『……なにか?』
『咲夜さんお疲れ様ですぅ。ところでー、今これは何をされているんでしょうか?』
レポーター役の小悪魔は営業スマイルを十二分に発揮して、言葉の端々からハートが飛び散るような甘ったるい話し方で、昔の咲夜に問いかけた。
『戦闘になった時の為に備えてるの。なまくらが紛れていたら、まずいから』
『ふむふむ、咲夜さんは有事の際にはそんなにも沢山のナイフが必要になると見立てているのですか。そうですねぇ、敵が大軍でやって来なければ良いのですが……』
『そうね、それに敵は必ずしも外からやって来るだけじゃないかもしれないしね』
『えっえっ?それはどう言う事です?』
その爆弾は、招待客も当事者も誰もそうと気付かずに音も無く忍び寄り、盛大に弾けた。
一本のナイフを丁寧に研ぎ終えた昔の咲夜は、それを能力で拡張した空間にしまい込むと、次の一本を手に取り、照明の光に晒した。刃こぼれが無いかどうかをチェックしているらしい。
こうして床に置かれた全てのナイフを研ぎ直すつもりであるようだった。
『どういうって、そのまんまよ。あってはならない事だけれど、腰抜けが逃げ出す可能性は捨て切れないわね。或いは、恐慌状態による同士討ち。弾幕を扱う私たちだもの、精神の乱れは照準の乱れに直結するわ。無駄な被害を出す前に“一回休み”にしてあげるのが慈悲ってものでしょ』
『あははは、マジですかぁ〜。咲夜さんもなかなか残酷なことを仰りますねぇ!』
『一度戦闘で逃げ出すような奴なんて、どうせその後も何度でも同じ事をやるわ。思考に逃げの選択肢が出来てしまうもの。悪循環の繰り返しって言うのよね、そういうの。それなら最初から居ない方が良いのよ。周りの士気にも影響するから』
「何、それ……」
そう呟いたのは果たして誰だったのだろうか。
スクリーンを見ていた現実の咲夜が、今度こそ固まった。
立食会場の一角で、周囲より一際高く伸びていた見覚えのあるウサ耳が、べきっと音を立ててへたった。
配膳に精を出す妖精メイドたちの動きが停止した。
「め、メイド長……私たちだって妖精なりに頑張ってたのに、そんな風に……」
「私たち妖精って、使い捨ての武器か何かと同じ扱いだったの?そんなに……信用なかったんですか……?」
「わ、わ、私だって、わた、わたしも好きで月から逃げ出したんじゃないのにっ……も、もう逃げないって決めたのにそれも無駄だって言うのっ?居な、居ない方がっ!」
「ひょっとしてあの時の遊撃隊の新人だった黒髪の子、てっきり巫女か魔法使いの流れ弾に撃ち落とされたんだと思ってたけど、もしかして……」
「そんな……嘘……でも本当にメイド長が……?」
(え?ちょっと待って!嘘も何もそんな真似一度だってしたことないわよ!あんなのただの子供のハッタリに決まってんでしょ!?口に出す事で逆に自分を戒めてたって言うか……つうか私だって異変の時足ガクガクでビビりまくってたわよ!他人の様子なんて眼中に入ってすら無かったわ!?)
表立って叫ぶことも出来ず内心でひたすら否定する咲夜だったが、残念ながら会場に悟り妖怪は招いていない。
会場に居合わせた妖精メイドたちは給仕の職務も忘れ、それどころではないとばかりに部屋の角に寄り集まり、咲夜へと怯えた視線を向ける。
「違うのあれは私は、私が、わたし、もう逃げないって、うぐ、ああぁぁぁ許して許して許して許してやめてごめんなさいごめんなさい許して……ぐぇ」
己のタブー中のタブーを抉り返された鈴仙は、うわごとのように謝罪の言葉を繰り返していたが、やがて感極まったように口元に手を当てた。
指の隙間から胃液と未消化の食事が混じった汚液がぶぢゅぶぢゅと洩れ出して腕を伝い、絨毯の敷かれた床に凄まじい臭気を発する吐瀉物の山ができていく。
周囲の因幡たちがざわめきながら後ずさった。
問題の映像は止まる事無く、無慈悲にスクリーン上に展開されていった。
何処がツボに入ったのか愉快に笑う小悪魔と、対照的にまったく平然とした様子の昔の咲夜の会話はまだ続く。
『そぉですかぁ。じゃあ私も気合入れて頑張らなきゃいけませんねっ。パチュリー様に呆れられてしまっちゃあ、とんでもないですからねー』
『ふふ、期待してるわよ、小悪魔。でも貴女の本業は図書館の防衛なのだから、それは忘れないでね』
『勿論ですよぉ!不肖小悪魔、全身全霊で図書館の防衛に励ませていただきますって!』
小悪魔がドンと胸を張るジェスチャーでも取ったのか、一瞬映像がブレた。それも直ぐに収まる。
昔の咲夜は作業を続けながら、小悪魔の方へ言葉だけを投げかけつつ、また次のナイフを手に。
次の爆弾は、これもまた視聴者に一切の身構える隙すら与えずに連鎖した。
『あとはパチュリー様の暴走にも注意していて欲しいの。あのひとが本気で戦うと、修繕費がバカにならないくらい嵩むから。特に火符や日符なんて出そうとする気配が見えたら、アレ、撒いちゃっていいわよ』
『おっほ!いいんですねっ!春のうちに集めに集めたスギ花粉、本当にパチュリー様のお顔にぶっかけちゃっていいんですねっ!?』
『許可するわ。桁のおかしい魔導書代にはかえられないもの。吸入器と薬剤はあらかじめ用意しておくから』
『ハッハァー!盛り上がってきましたよぉぉぉ!』
顔色が真っ青になった鈴仙はてゐに付き添われ、会場をのろのろと後にしていた。
道筋を付けるように、ポタポタと吐瀉物の残りが床に落ちていく。通り道の比較的近くで立ち見をしていた招待客たちは、眉をひそめてその場から離れた。
その一方、離れた位置で腰掛けていたパチュリーは、続きの会話を耳に入れた途端ビクリと肩を震わせ、開いていた本を力強く閉じた。
話し声でにわかに騒がしくなっていた周囲の招待客が、その叩きつけるような音で一気に静まり返った。
「……な、何なのよそれ!そんな話聞いてなかった……そもそも侵入者には持ち得る限りの全力を投入しろって、そう私に言ったのは咲夜じゃないの!?……道理であの後寝込んだはずよ……そう、アレのせいなのね!!」
当然、この展開に最も動揺したのはパチュリーの側に控えていた小悪魔である。
小悪魔もまた刹那的に生きる種族。
確かに当時、面白おかしくそう言ったやり取りはした。
だが、敢えて言わせてもらうならそれは、……そう、既に時効ではないだろうか。
そもそもあの反応でさえ、主人であるパチュリーとの信頼関係有りきのものだった。
いくら小悪魔と言えども、信頼関係の一切結べていない相手にあんなふざけた言動など取れるはずがない。
だがそんな希望も、小悪魔本人の独り善がりなそれでしかなかった。
パチュリーは一切小悪魔を友人として見ていない。役に立ち、使い勝手が良く、自分に忠実な下僕であるか否かだけが重要なのである。
指先に魔力を宿したパチュリーは、中空に複雑な陣形を描いていった。
それを見て内容を理解した小悪魔が、目を見開いて制止の悲鳴を上げる。
しかしその手は止まらない。一気に描き切った。
「えっ、待っ、パチュリー様!?その魔法陣は駄目っ!!……あ、嘘嘘嘘うそ、わたっ、し……!?」
「……残念だけど召喚し直しね。ああ全く残念。貴女がそこまでふざけた奴だったなんて。主人に害を為すなんて下僕の意味が無いじゃない。記憶を全て初期化が妥当かしら。次会う時はもう少し従順な性格に矯正しないと……」
「お゛おおおおっ……ぱちゅ、り、さまッ……わだじ、ぎっ、消えだぐ、……まだ、……ア゛ア゛アァァ……!」
「だからまた喚ぶって言ってるじゃない。次のは今のあんたとは似ても似つかない人格になってるでしょうけど」
「あああああが、っぶ、ア、……ッ、ィィィiiiiiaaa……」
脳をかき回されるような形容し難い感覚に、涙と鼻水と涎を垂れ流しながらなりふり構わず地を這い回る小悪魔。
見苦しいその姿は糸の様に細くなり、無作為に束ねられ、魔界へのゲートと化した魔法陣に吸い込まれていった。
(うそ、うそ、嘘……小悪魔……ああどうして、そんなつもり、私……少しも無かったのに……だってまだ子供だったのよ!どこまでが駄目でどこまでが大丈夫かなんて、ちっとも考え無しの……!)
咲夜は両手で目を覆った。
全てを受け入れたくない。
子供の悪意無き悪戯だと言えばそれまで。しかし、現に小悪魔は消失してしまった。
こんな筈じゃなかった、そんなつもりは無かった、まだ消えたくないと何度も何度も訴えながら。
だが自らの世界に閉じ籠りかけた咲夜を強制的に現実へと引き戻したのは、隣から腕を掴んだ大きな手だった。
「咲夜さん。大丈夫ですか?」
「これのなにが、どこが、一体大丈夫だって言えるの……美鈴……?」
自分の同僚であり、恋人だった。
そして今日からは伴侶として共に歩む事を決めた妖怪。
紅美鈴は、まるで何も問題など無いと言わんばかりに、まだ式は終わっていないとばかりに首を傾げて囁いた。
「今日は私たち二人のハレの日なんですよ?」
「だから、」
「それなら尚更主役の咲夜さんは笑ってないと。いいじゃないですか。他の人がどうなったって。これも余興のひとつだと思えば良いんですよ」
「なっ!……な、にを……言って……」
ほら、笑えてきたでしょう?と、咲夜に笑いかける美鈴の表情に、何ら含む感情はない。
いつもと何処も変わらない、花がほころんだような美鈴の笑顔が、咲夜には途轍もなく恐ろしく感じられた。
映像はやがて、再び妖精メイドたちがコミカルに館内を駆け回る様子を映し出していたが、既にそれを楽しく視聴できる様な肝の据わった者は会場には居なかった。
設えられた特別席、その最上段で咲夜と共に座る美鈴だけが、スクリーンを見ては時折ころころと笑っている。
時系列はここで冒頭に戻る。
映し出される映像は既に夕刻間近。間も無くレミリアは幻想郷全域に紅色の霧を撒き散らすだろう。
そうすれば、瞬く間に巫女と魔法使いが飛んで来る。
二人の異変解決人が館に接近すれば、あとは混戦。
如何にうまく立ち回ろうとも、カメラは現場に近寄ることすらかなわない。
カメラマン役を務めた小悪魔も、図書館に戻って迎撃に備える必要がある。
咲夜は不謹慎ながらも、これ以上酷いシーンはおそらく無いだろうという儚い希望を抱いていた。
そうでなければ、自分は一体今日という日が終われば、どうなってしまうのだろうか?
現在の小悪魔が消失したその後も、合間に挟み込まれた咲夜の登場場面では、毎度ピンポイントで的確に招待客の感情を逆撫でしていった。
ある場面では、咲夜は中庭の花壇を掘り返し、あちこちに遠隔操作が可能な爆薬を仕掛けていた。
可憐に咲き誇っていた花々は無残に引き千切られ、あちこちにゴミのように捨てられていた。
大丈夫よ、花はこれから埋め直すから。そうじゃなきゃ折角爆弾を仕掛ける意味も無いもの。少しでも花に目を奪われる程度の情緒が敵に有ればいいけどね。
昔の咲夜はそう告げて、宣言通り花を元の位置に植え戻していった。
やがて爆発四散する運命を控えた瀕死の花たちを。
幽香はご丁寧にテーブルの上の料理を全てブチ撒け、乱暴な足取りで会場を後にした。
ある場面では、上空を飛び交い今まさに山へと帰還しようとしている鴉の大群を、ナイフで片っ端から撃ち落としていた。
こんなのが飛んでちゃ邪魔だから。こいつらのせいで敵の接近に気付けなかったなんて事があれば、お嬢様に申し訳が立たないでしょ。
投げられたナイフは、堕ちてきた無数の鴉たちの首から頭部にかけての急所を見事に刺し貫いていた。鋭い刃物でこじ開けられた鴉の頭部からは、小さな桃色と灰色の中身が溢れている。
それを見た文はぐっと呻き声を上げて口元を手で覆い、大急ぎで扉を開けて駆け出した。
彼女がそのまま会場に戻る事はなかった。
ある場面では。ある場面では。ある場面では……。
……いやに咲夜の登場シーンが多い事に気付いた者は、冷静さを欠いた会場内には誰もいない。
静謐さの中に異常な空気が充満する会場。
一体これは、このままどうなってしまうというのか。
下劣な好奇心に支配され、スクリーンを食い入るように見つめる招待客は少なからずいた。
咲夜の登場はまだか。次は誰がどうなるのだ。
次の被害者を求め、新鮮な娯楽に心を躍らせる。
ただ、これ以上見てはいけない、これを不特定多数に見せてはいけないと感じた正常な者もまた、僅かながらいた。
他でも無いレミリア・スカーレットもその一人である。
レミリアは会場の隅に紅白の幕で隠されていた非常階段を上り、映像投射機の置かれた小部屋に駆け込んだ。
機械の操作など一切分からないままに、ボタンというボタンをざっと見回す。
左側に一際大きなスイッチがあった。
それは緑色のランプを真下に点し、いかにもON/OFFの切替を行うそれだと確信したレミリアは、それをぐいと押し込む。
……押し込もうとした、その筈だった。
スピーカーから大音量のサイレン音が響いた。
なんの事は無い。
紅魔館に籍を置く者であれば誰もがそれを知っている。
緊急警報。
即ち、敵襲を報せるもの。
気付けばスクリーン一面はぼんやりとした紅色に染まっており、それは当時のレミリアがついに霧を発生させたことを如実に示していた。
ついに巫女と魔法使いの襲撃が始まったのである。
「な、なんで止まらないのよ!どうしてこいつ、引っ込んでくれないの!おかしいわよ!」
レミリアの指先はしっかりと電源ボタンにかけられていた。明らかに場の異常を感じている。
力一杯押し込もうとしても、それは出来ない。まるで自分が脱力してしまったかのように、腕が、指先がカクカクと震えていた。
埒があかないと判断したレミリアは会場一帯を見渡せる小窓から、身を乗り出して様子を伺う。
スクリーンは先ほどまでの落ち着いた光景から一変し、がたがたと上下左右に視界を揺らしながら廊下を駆けていた。不快感を誘発させるサイレンの音が、スピーカーからはまだ続いている。
カメラマンたる小悪魔が配置に着こうと、図書館までの道のりを走っているのだろう。録画を止めぬままに。
やがて映像は図書館に繋がる扉を開け、本棚の隙間を縫って司書室へ。
机の上に乱暴に置かれ、ぱちん、と軽い音が聞こえると同時、スクリーンはまっさらな純白色に戻った。
スピーカーもまたその瞬間、役目は果たしたと言わんばかりに何の音も拾うことを止めた。
長々と続いた映像がついに停止させられたのである。
「お、終わったの……?」
思わず口から安堵の声が漏れ出たレミリア。
特別席に座る咲夜もまた、それと同刻。こうべを垂れたままの姿で、力無くずるずると椅子から崩れかけた。
客席からはやや不満げな声、それと同程度のざわめきが反響して淀んだ活気を取り戻す。
「何だったのよ、一体……いや、それどころじゃない」
いち早く復帰したレミリアは小部屋から駆け出し、階段を下るのももどかしく、自らの脚を用いて壇上に跳んだ。
今自分が優先すべきことは、他にある。
今の映像は何だったのか、あれはまごうことなき事実なのかを問うべく新郎新婦の席に押しかけようと企む来客たちを、満身創痍の身の咲夜から護る必要があった。
「ちょっとアンタ、あれってマジでやった事なの?ああ良いわよ、私が出会った時はもっと落ち着いた感じに見えたけれど、アンタは人間だからそんな時期もあったのかもしれない。ただ……幽香さんが心配だから落ち着かせてくる。あの様子は少しまずいから……行くわね。ごめん」
虫の王にして頂点、現状において風見幽香と最も親睦の深い妖怪であるリグルはそう矢継ぎ早に告げると、申し訳なさげな表情を咲夜に向け、会場から飛び出していった。
「……年月の流れってアレよね、残酷よね。私もまあ引きこもりだし、気持ち、分からなくもないけれど……正直な話、明日の文の新聞……見ない方が良いと思うよ。私はこの件は伏せて真面目に書くけど……弱小新聞だから、多分文の新聞記事、打ち消せるようなものにはならないかな……」
取って付けたように結婚おめでとう、との一言を残して、姫海棠はたてもまた気分のすぐれない顔のまま会場を後にする。
「違うの……わたし……こんなこと……そんなつもりじゃ……」
「じゃあ果たしてどういうつもりだったのかしらね。今この場で釈明して下さる、メイド長?」
「……ぅぁ……」
「言っとくけどね、私の喘息って貴女が思ってるほど軽いものじゃないの。薬飲んどきゃ治るでしょなんてふざけた気持ちで遊ばれちゃ迷惑なのよ。わからない?」
「パチュリー様……わたし、幼少の身とは言えとんでもない事を……申し訳ありませんでした……どうかお許しください……!」
「あんたのこと、それなりに仕事も出来るし使える人間だと思ってたけど、認識を改めるわ。……とんだ糞ガキね。はぁ馬鹿らしいわ、何が悲しくて魔女がヒトに人道を説かなきゃいけないのかしら。そう思わない?メイド長」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「……思考停止できて楽そうね。羨ましいわぁ、こっちはこれから再召喚に大忙し……ま、今から覚悟しておくわ。どうせそのうち子供が出来るのでしょう?親に似ないと良いわね。やだやだ、うちにクズ二匹なんて受け入れたくなんてないもの」
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
眼を濁らせて壊れたように謝罪を繰り返す咲夜に、追い打ちの罵声を浴びせようとしたパチュリーは、見かねた美鈴の制止によって漸く停止させられた。
しかし、それすらも今のこの空間では新たな火種のもととしかならない。
「パチュリー様、そこらで止めませんか。もう充分に気はお済みになったでしょう」
「美鈴。あんたは部外者じゃない。私と咲夜の問題に口を挟まれる謂れは無いと思うのだけど?」
「そっちこそ口に出して言わなきゃ分かりませんかねえ。……単なる居候風情が馬鹿みたいにでかい口を叩くなって言ってるんですよ。昔そういう出来事があったから今がどうしたと言うのです。過ぎた話を延々と繰り返して、自分で自分を見苦しいと思いませんか?」
「はっ、まさか門番風情に啖呵を切られるとは思わなかったわ。ナントカは盲目って聞くけれど、これって本当なのね。滑稽滑稽、お似合いの夫婦で本当おめでたいわよ、頭の中までね」
「残念ですね、捨食捨虫の法を成し得たというのに更年期の精神疾患までは抑え切れなかったようで。やっぱり元人間の魔女は全てが中途半端、人に説教するより先にロクでもない使い魔しか召喚出来なかった自分を恥じたら如何ですか。ねえ、居候さん?」
「ふうん、下級妖怪如きが大層なこと仰るのね。安易なレッテル貼りに論点の摺り替え。喋れば喋るほどお里が知れるから、もう口を開かない方が良いのではなくて?」
「そういった発想が一番に浮かぶってのが既に卑しいんですよ。未だカースト制度がその身に染み付いておられるのでしょう?そろそろ懐かしの貧民街にお戻りになられては?」
「……お前えええッ!!」
「ちょっと、パチェ!美鈴ッ!?そっちまで喧嘩しないでよ、……ああもうっ!!」
レミリアは少し離れた位置で、激情に駆られた妖精メイドたちを相手取っている。
下卑た好奇心で咲夜のもとに押しかけようとした不遜な招待客らは粗方追い返していた。しかしここで、美鈴とパチュリーの仲間割れという事態が発生するなどとは、運命を視る彼女にすら読めなかった。
今、レミリアの背後にある特別席……咲夜の座る場所に向けて突撃しようとしているのは、これもまた紅魔館を構成する一員である妖精メイドの群れ。
上司である咲夜に心から忠誠を誓っていた者たちほど、裏切られたのだという感情が強いのだろう。
死んでも生き返るという妖精の特性を活かし、彼女たちは今、文字通りの鉄砲玉と化していた。
「どうしてですか!?私たちっ、この館に迎えられてからずっと、お嬢様に、紅魔館に一生懸命忠誠を尽くしてきたのに!!」
「死なないからって簡単に殺すの!?じゃあ私たちの存在って何!?巫女が来ても何が来ても裏切るなんてこと、考えたことさえ無かった!!」
「でもメイド長はそうじゃなかったんですね……私たちを都合の良い使い捨ての道具だと!いつでも館を裏切るような危険分子だと!表向きはどうあれ腹の中ではそう思っていた!!」
「何処まで私たちを馬鹿にすれば気が済むのよっ!そこまで言われて変わらずあんたたちに仕えていけると思ってるの!?無理に決まってるでしょ!!」
「そこまで言うならお望み通り裏切ってやるわよ!とっとと私たちを殺してみろっ!!殺せぇえ!!」
妖精メイドたちは皆、途轍もない怒りと悲しみで顔をぐしゃぐしゃに歪めながら、しかし決死の思いで圧倒的力量の差が存在する吸血鬼へ飛び掛かる。
対するレミリアにも彼女たちの鬼気迫るその表情がよく見えていた。彼女たちの気持ちは痛い程に伝わっている。
けれどここで一匹でも見逃せば、怒り狂った妖精は無抵抗の咲夜を攻撃するだろう。
だから、レミリアは自分を騙した。
「……そうじゃない。そうじゃないのに、ああ……逃げることしか出来ない私を恨んでくれていい。私は強くない。卑怯だと罵っていい……でも……」
手の中に顕現させた紅色の槍を構え、ただの一振り。
致死性の威力を持った弾幕が視界いっぱいに広がり、自らの身ひとつで突撃してきた妖精メイドたちは、全身を砕かれて即死した。
紅い絨毯に血肉と内臓のかけらが飛び散り、辺りをおぞましい色彩へと染める。
「貴女たちが本当に良い子だったこと、私は知っている。覚えている。ずっと覚えているから……ごめんなさい」
一方、物見遊山で会場を訪れた客たちは突然始まった惨劇の舞台を前に狼狽えていた。
「何?一体何なのよこれは?ああもう優曇華の様子も心配だし因幡たちも怯えきってるし、ここは私達も一旦離脱した方が良いのかしら、ねえ永琳?」
「姫様、私は流れ弾を受けた人妖の手当てに参ります。招待客のおおよそは弾幕勝負の手練れですが、見た所、人里からの参加者も少なく有りません。畏れながら医療に携わる者として彼らを置いて立ち去ることは出来かねます」
永遠亭より馳せ参じた蓬莱山輝夜一行は、乱闘の場と化した結婚式会場から撤退するか否かの判断を未だ決めかねていた。
「え?いやでも永琳待って。それを言うなら立場上は永遠亭のトップである私がすたこら逃げるってのも、ちょっとマズくない?」
「そ、それは……」
言い淀む八意永琳の台詞に重なるように、離れた位置から爆音と悲鳴が上がる。再び発生した幾つもの流れ弾が、永琳の危惧していた人里陣営の席に着弾したのだ。
業務の関係上、度々人里を利用していた咲夜の知人である人間たちが、恐慌の怒声と悲鳴を上げる。
参加者の中には商店街に軒を連ねる店舗の主人や、その子供たちが混じっていた。幼い少女が左肩から先を吹き飛ばされ、ガクガクと痙攣しながら自らの血で塗れた床の上でのたうち回る。その保護者である中年の男性が、娘の体を押さえつけながら悲痛な咆哮を上げていた。
最早躊躇っている余裕はない。
永琳は私物の鞄を抱え、親子の元へと駆けた。
「姫様!因幡たちを逃がして下さい!私は残ります!」
流れ弾を何発も横腹に喰らいながら、永琳は人間たちの留まる席へと走っていく。
冷静に見渡せば最初に攻撃を食らった少女だけではなく、その周囲にいた不幸な人間たちも何人か地に伏している。被害はどう見積もっても最悪と言えた。腕をもぎ取られた少女はそれでもまだ息があるだけ幸いで、替えの効かない頭部に弾を食らった者は首から上にピンクと真紅と灰の花を咲かせて、絨毯の紅色と同化しつつある。
そして、何よりこのクナイ弾は、何処からともなく飛んできた単なる流れ弾では無かった。明らかに人間サイドを、しかも非力な者を狙った殺意ある凶弾だ。
輝夜は視線を凝らし、凶弾を撒き散らす殺戮者の姿を見た。
緑色の髪を頭のサイドに片方垂らし、透明な羽を背中から生やすその少女。幼さを感じさせる目元は涙で濡れ、震える唇は上下の前歯で固く噛み締められ閉じられている。
大妖精と呼称される名も無きその妖精は、レミリアによる妖精メイドの大量殺戮を目の当たりにした。
自然の中に暮らす彼女と館で暮らす彼女たち、接点は確かに少なかった。
しかし、双方ともに妖精だ。
密かに同種族である故の親近感や、他者に必要とされるその生き方に羨望を抱いた時もあった。
だからこそ、主人のレミリアに塵のように振り払われ、無様に弾け飛んだ彼女ら妖精メイドたちの末路を見、大妖精の生来持つ慈愛の心もまたその瞬間に消失した。
やはり妖精は報われない。妖精が妖精である、ただそれだけで私達は屑の如き扱いを受ける!
激昂した大妖精は、恐怖と憎悪、二つの極大なる感情を破裂させ、全く無関係の人間を無差別殺害するに至った。
「ぃ、ゃ……大ちゃん……やめて……やめて、嫌嫌嫌ぁ……ダメだよ大ちゃんお願いしますお願いします……それは本当にだめっ!やめてぇっ!!」
細い腰にしがみつき、怯え掠れた声で叫ぶ氷精の頭を無情に押し退ける。
目を見開き絶叫するチルノは他ならぬ親友の手で強引に引き離され、呻きながらその場に崩折れた。
その隙を縫って大妖精の背後に無数のクナイ弾が錬成される。
それらが発射されんとした瞬間、彼女の右眼を高速で飛翔した一本の枝が撃ち抜いた。
蓬莱の玉の枝、その輝きを忠実に模造したちゃちな小枝は大妖精の右眼窩を正確に貫き、眼球をくしゃくしゃに破壊したついでに頭蓋内部に収まる小さな脳を引っ掻き回して、後頭部から先端を突き抜けさせた所で肉と骨の摩擦抵抗に敗北し、停止。
大妖精は数秒前まで眼球の存在した穴から血と体液を撒き散らしながら、背後へと倒れた。同時に能力で発現させたクナイも塵となって消え去る。
ある意味で不死に近い存在である妖精と言えども脳を破壊されては、生き延びる術はない。即死だった。
「ぁ、あ、あ、……あぁああああっ!嫌っ嫌っ嫌アアアアアアアアア!かかかかかかかか!いぎゃああああっあっああああっ!!」
親友の後頭部から枝が生える光景を至近距離で目の当たりにし、発狂したチルノの奇声が会場に反響した。
完全なる不老不死の姫、蓬莱山輝夜は、それを見届けると自分に為すべきことは成したとばかりに因幡たちへと振り返る。
怯える因幡たちは、何ら言葉を発しない輝夜の様子に更に背筋を凍らせて、ひとかたまりに寄り集まる。その姿はまるで巨大な白い毛玉の様だった。
疵ひとつ無い陶器のような艶やかな肌、整ったその顔に浮かぶのは能面のそれに近い無表情。硝子玉の瞳には名も無き妖精に対する侮蔑がありありと現れていた。
毛玉がぷるぷると大きく震えだす。
輝夜は、ちょっとだけ焦ったような素振りを見せて、それから自分の様子に怯えているのだと理解し、安心させるようにふわりと破顔した。
隙間なくみっちりと固まる因幡たちに指示を飛ばす。
「よし!後は永琳の仕事ね!残された私達の任務は、永琳の手間を増やさない為にここからとっとと離脱する事!途中でイナバとてゐを回収出来れば尚良し!私が殿で弾除けしてあげるから、ここから一目散に撤退よー!」
向こう見ずな撤退では無い。一応の成果を挙げてからの退却である。
ひとつの巨大な毛玉と蓬莱人は、無駄のない動きで開け放たれた扉から一気に走り去っていった。
それを見た力の弱い妖怪や無傷の一般人らも、弾かれたように硬直状態から解き放たれ、扉に殺到する。
これ以上一刻でも長くこの場に留まる理由など、彼らの中からは消え失せている。
最早自らが何の目的で紅魔館を訪れたのかすら、強烈に上書きされた記憶で無惨に塗り潰されていた。
そして、未だ壇上では、身内ばかりで構成された醜い修羅場が繰り広げられている。
「離せッ、離せ!!何故あいつを庇うのっ、レミィ!?」
「パチェ!落ち着いてよ!自分が興奮し過ぎて見境がなくなってるって、どうして気付かないの!?」
「うるさい、うるさいうるさいわよ!!どいつもこいつも!人を虚仮にして!ゲホッゲホッ、この糞忌々しい喘息が!馬鹿にしやがって!ゲホッうっぐえっっ!」
「ごめんなさい……ごめんなさい……ぐすっ……うぅ……パチュリー様ごめんなさい小悪魔ごめんなさいわたし、わたしのせいだごめんなさいごめんなさい……」
「ああ、可哀想な咲夜さん。咲夜さん。私が側についていますから泣かないで。何も貴女が気に病む事なんて無いのに。そうですよ、十年近くも前の出来事なのですから、それを今更引き合いに出す方が可笑しいのです。ねえ過去に囚われ続けてやまないパチュリー様?聞いてますか?忠実な下僕を自ら殺めた愉快なパチュリー様?」
「ああああ、ああああああああッ!!殺すっ!!殺してやるううっ!!」
「だから美鈴ッ、あんたも一々焚きつけるような物言いを止めなさいって言ってるのよッ!!」
隙あらば攻撃魔法を詠唱しようとするパチュリーを必死に押さえつけ、ニヤニヤと笑みさえ浮かべる美鈴を怒鳴り、肝心の咲夜に掛ける言葉が見当たらないレミリア。
咲夜の目からはぼろぼろと涙が溢れ、唇は延々と謝罪の言葉を紡ぐ。可愛らしく施された化粧などとうに流れ落ち、その顔色は今にも倒れそうな程に青白い。
友人の元に駆け付けた霊夢と魔理沙も、この三竦みにどう割り込めば良いものか分かりかねていた。
「何なんだよ……何で、咲夜、あんなに幸せそうだったのに……素敵な式だなって心から思ってたのに……どうしてこんな事になっちまったんだよ……」
俯き、悲痛に顔を歪める魔理沙の服の端を引く霊夢。
霊夢もまた視線を落とし、口を真一文字に結んでいた。しかし彼女の怖れるものは、目の前で繰り広げられるこの悲劇ではない。もっと別の、やがて訪れる災厄の脅威に身を震わせていた。
「魔理沙、魔理沙……これは、なんと言うか途轍もなく良くない感じがするの。このままだと、収まらない。あらゆるものが、収まるべきところに収まらず、弾けるわ」
「なに?何の話をしてるんだよ、霊夢?」
「不味いのよ。咲夜の様子も心配だけど、今は退かないと不味い。くそ……魔理沙、後で怒られてあげる。咲夜……許して」
「だから具体的にものを言ーーー!!」
魔理沙の言葉は最後まで発せられなかった。霊夢が魔理沙の身体を引っ掴み、亜空穴で会場より遠く離脱した為だ。
「……え、霊夢、魔理沙?……ッ、どういう事……」
周囲の現状の把握すらままならないレミリアが、それでも辛うじて向けた視線の先。霊夢と魔理沙が空間転移で露と消えるその瞬間を、図らずも彼女は捉えていた。
長年の親友である二人に一先ず心神喪失の咲夜を預ける算段でいたのが、いとも容易く崩れ去った。レミリアは口の中で小さく舌打ちする。
だが、霊夢が予測した通り、理不尽な災厄はゆらゆらと覚束ない足取りにて、紅魔館幹部の陣取る壇上付近にまで接近していた。
その姿を見たレミリアと美鈴、両者の表情が引き攣る。
レミリアは二人の突然の退却の理由を理解した。
彼女たちは決して、終わりの見えぬこの不毛な口撃の応酬に呆れ果てて帰って行った訳では無い。
ただ。自らに危険が及ぶことを悟り、一旦退いたのだと。
「おい見ろよ、勇儀ィ……糞共が糞阿呆面晒して、私らに糞みたいな視線向けてくれちゃってんだけどぉ……」
「ハハハ。そりゃあ愉快だな。ああ全く愉快だな萃香。二次会の肴が決まったじゃあないか。興の削がれた宴会だったが、次は愉しめそうで何よりだねぇ、ああ愉快になってきた!」
足枷手枷の鎖を賑やかに打ち鳴らし、並び立ったのは二体の鬼。伊吹萃香と星熊勇儀だった。
二体の災厄は笑みの形に持ち上げた桃色の唇から酒臭い吐息を洩らし、何が楽しいのか赤い顔を見合わせ笑っている。
一方は地上から、もう一方は暗く深い地の底より宴会の匂いを嗅ぎ取り、遥々凱旋した者どもである。
そんな明るく楽しい宴会の場を常に求める愉快な鬼が、結婚式場と聞いてうきうきと参上してみれば、会場は血反吐と罵声が飛び交い、哀しみと憎悪に鬱々と沈む異様な空間。
極上の酒に趣向を凝らした料理の品々。それら一切の味を愉しむことすら適わなかった鬼は、不味くなった酒の供養の為にも、せめてひと暴れして最後に華を咲かせてくれようと考える。
それが、現在のこの状況だった。
「あのねえ、あたしらねぇ、この糞みたいな糞演出のお陰で、すっかり口が不味くなっちまってさあ……なに、ちょっぴり、口直しさせて欲しいんだわ……」
萃香が傾き左右に揺れる身体で、それでも身軽に壇上へと飛び上がる。危うげなステップでレミリアに急接近。さほど身丈の変わらない吸血鬼の飾られた襟元を掴むと軽々しくその身体を細腕で持ち上げた。
「があっ……!?」
「えー……確かお前が当主だよな?とりあえずお前に原因あるな?殴っときゃ良いな?よし決定左から行くぞ歯ァ食い縛ってろよぉ!」
「な、んッッッ!!!!!」
宣言通り、左方向からの鉄拳がレミリアの頬に突き刺さった。力任せに放った拳は不気味な破壊音と共に気持ち良く振り抜かれ、血反吐と歯の数本が周囲に散る。
腑抜けようとも吸血鬼の生命力は強靭であり、片頬が歪に凹んでも尚レミリアの目は開かれたままだった。
或いはその暴力をも自らの贖罪の一環と捉えたのかもしれない。
レミリアは一切の抵抗を行わず、甘んじて萃香の拳を受け入れ続けていた。
一方で勇儀は何を思ったか床に腰を据え、持参した一升瓶に直接口付けて酒を呷っている。
その肉の潰れる音、骨の砕ける音に耳を傾け、勇儀はただ暴力を肴として、楽しげに唇を舐めていた。
「悲劇だねえ。ああ悲劇だね。
何たってこいつは誰一人として悪気があった訳じゃあない。あったのは大勢のちょっとした稚気と大きな誤算だ。それが最悪の形で絡まっちまって、最悪の結果を招こうとしている。結局のところだぁれも悪くないのさ。まあ冗長な舞台は常々観客を飽きさせるもんだがね。
私らはそんな糞ったれた芝居の幕を力任せに引き下ろす親切な酔っ払いの観客だよ。多少強引だがそこはご愛嬌としとくれ」
「は?あんた何?横から出て来て長々くっちゃべってんじゃないわよ!?私はねこいつらに……!!」
「まあ文句は脚本に言いな。後でね」
勇儀の言葉に唾を飛ばしながら振り向いたパチュリーの頭部へ、空になった一升瓶が勢い良く振り下ろされた。
痩せた枯れ木のような薄いパチュリーの身体が吹き飛ぶ。魔女は白目を剥き鼻水を垂らしたままの間の抜けた表情で頭から接地し、均等に並べられた椅子と机を巻き込んで停止。
粉々になった瓶の残骸を乱暴に放り、勇儀は無傷で壇上に残る二人を見た。
がくがくと震えて自らの体を掻き抱く咲夜から視線をずらし、悠然と腰掛けたままの美鈴をゆっくりと睨めつける。
動と静、二体の異なる視線が交錯する。
「つまり何だ、あんたがね、気持ち悪いって話だよ。嘘を嘘で上塗りして演技ですべて覆い隠して素知らぬ顔。反吐が出そうだね」
「さあ、あなたが何を仰っているのか私には理解できかねますが」
「は、余程“こちら向き”の女が厚かましく居座ってるもんだ。天下の地上も腐っちまったなあ?」
「……御用はお済みになりました?」
怯えを隠し、平然を装う美鈴が冷たい声で告げる。
対する勇儀は一切侮蔑を隠さない表情で吐き捨てた。
「ああ済んださ。全くくだらないねぇ……おい萃香!行くぞ!」
「んー」
鮮血に染まる拳を構え、既に意識の有無が定かではないレミリアの体を片手で掲げていた萃香は、興が冷め切ったような表情でその腕を振り払う。
塵のように打ち捨てられた吸血鬼は、力無く肺に残った息を吐き出し、くたりと目を閉じた。
既に出口へと歩を進めていた勇儀の隣まで、萃香は跳ねるようにして追い付く。
「バカくさ。反撃のひとつもしないんだよ、こいつ。力比べにもなりゃしないっつーの、酔いも覚めた」
「何処かの誰かよりマシさ。立派なものだよ。背負わなくてもいい責任を負ったんだ、文句ひとつ言わずね」
「何だぁそれ?」
「もう終わった話だ。一先ず三次会といこうか。あんな小洒落た酒より、次はぐうっと強い奴をいきたいねぇ」
「お!そりゃいいや!」
鬼二体の興味はすっかり場の惨状から逸れていた。
場違いに楽しげな高低ふたつの笑い声は、ご丁寧に閉じられた扉に遮られ、断絶する。
残されたのは大いなる絶望だった。
回避不可能の天災が猛威を振るったかのように、豪華に飾り付けられた会場は見る影も無く荒れ果て、物言わぬ死体と血肉に群がる蝿、僅かなる生存者とこの場の元主役たちが無意味に呼吸を繰り返すばかり。
咲夜は目を閉じ、五感をシャットアウトし、ただ自責の念に駆られ自らの体を痕が残るほどに強く抱いていた。
爪が食い込んだ剥き出しの腕は薄っすらと紅が滲み、鮮血がついと流れて白のウエディングドレスに彩りを添えた。
唇は忙しなく震え、声になりかけの吐息が時折漏れる。
「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして」
横たわる現実は彼女の理解の範疇を超えていた。
人生の絶頂から底の底の底へ。心無い過去の自分の行いに喉元を絞められ、気の置けない友人の消滅に自らの踏み締めるべき立ち場所を喪い、知人と部下からの激しい罵倒に咲夜の心はこれ以上無く揺さぶられて、その精神は今まさに崩壊しかかっていた。
しかし唯一、咲夜の崩壊をつなぎとめるものがある。
今まで以上に強固な絆で結ばれ、共に歩む道を選んだ恋人……今も直ぐ隣に座っているであろう、心から愛する女性が。
青ざめた咲夜の様子の変化を見守り、過去の残虐なる自分の行いを気にも留めず、
友人の消滅に笑みを浮かべ
魔女を嬉々として罵倒し
今も隣に座っているはずが何ら行動を起こさない
彼女が。
「めい……りん……?」
咲夜は薄っすらと目を開き、彼女の座る隣を見る。
紅美鈴は優雅に足を組みその場に腰掛けていた。
普段の業務の合間に時折見せた、どこまでも続く晴れ晴れとした青空を見通さんとするような顔で、会場の中二階の細い通路の中心の奥まった小部屋のシンプルな机に置かれた投写機の内部の複雑な機構の奥の奥に収められた忌まわしきビデオテープの黒い殻の内側に鎮座するフィルム一枚一枚が齎す紅い霧に覆われた運命の日の紅い館の呪われた思い出を思い返す様に、目を細めて、感慨に耽っていた。
「…………美鈴」
「……あぁ、咲夜さん?」
「…………美鈴」
「咲夜さん。いつまでも一緒にいましょうね」
「…………美鈴?」
「今も昔も、ずっと咲夜さんを愛していました。愛しています。物事の一方だけを見てすべてを知った気になる、そんな愚かな過ちは起こさない。私は確信しました。これからもずっと、変わらず貴女を愛していけると」
「…………美鈴?」
「美鈴?」
それから僅かに時が流れて、博麗霊夢は霧雨魔理沙を伴い、改めて謝罪と祝いの言葉を告げに紅魔館を訪れる。
門番は居らず、霊夢は無言で閂をこじ開けた。
廊下を歩いて一目散にレミリア・スカーレットの元へ向かう。
館内に妖精メイドの姿はほぼ見当たらない。
勤勉かつ有能で明確に館への忠誠を誓った者は、先の件で塵と消え果て、残ったのは白痴のように喚き立てるメイド服を着用しただけの只の餓鬼だけだった。
霊夢の隣を歩く魔理沙が怯えたように周囲をきょろきょろ見回していた。
霊夢もまた、口に出さずとも空気の変化を感じ取っている。それは単に治安がどうとか、活気がどうとかいう内容のそれではない。
もっと根源に近いものが、変質してしまっているような感じを受けたのである。
「悪い事は言わないから、帰って。あの子のために、何も見ないで。何も聴かないで。あの子が守ろうとした『十六夜咲夜』を壊さないでいてあげて」
顔の半分を包帯で覆い隠したレミリア・スカーレットは、平坦な声でそれだけを簡潔に告げた。
霊夢は何も言わず、無表情で踵を返した。
レミリアも霊夢のその挙動を見、深い溜息を吐く。
どうせお得意の勘とやらで咲夜の居場所の見当は付いているのだろう。言うだけ無駄とはこの事だった。
だが、衝撃を和らげるだけの緩衝材にはなったと思いたい。水色の短髪を掻き毟り、また溜息。
魔理沙がオドオドとした様子で、霊夢とレミリアの対照的な二人を見やり、早口で疑問を投げた。
「なあ、あのさ、パチュリーは元気……戻ったか?」
機嫌を伺うように恐る恐る発せられた質問に、レミリアは今度こそ悲痛さを多分に含んだ声色で返答した。
「同じ事を言う。
魔理沙、行くな。見るな。パチェは正気を喪った。今のあの子は躊躇いなく貴女を殺す」
「……そう、か……そっか……ああ……」
魔理沙は帽子を深く被り、項垂れる。ああ、ああ、と、悔恨の呻きが際限無く漏れた。
行き場をなくしたあらゆる言葉の代わりに。
何の足しにもならない慰めの代わりに。
レミリアの引き攣った唇がきゅっと締まり、遂に隠してきた思いの丈が、その隙間から外へと吐き出された。
「ねえ魔理沙。魔理沙は咲夜の友人よね?お願い、貴女だけでも見ないでいてあげて。あの子の今の様子はきっと貴女にショックをもたらす。だから……お願いよ……強くて優しくて、そして誰よりも気高かったあの子を……今の魔理沙が思い出せるあの咲夜を……っく、ひぐっ、ずっと、守っていてよ……ねえっ……!」
「……ごめんな、霊夢は行っちまったんだ。私も行かなきゃならない。約束、片方だけ守るよ。お前の言った通りに私らと咲夜は親友だ。だからこそ、きっと想像が当たってようが何だろうが……行かないと駄目なんだ」
「ううっ、うあっ、……ぅぅう……」
手で顔を覆って嗚咽するレミリアから無理矢理に顔を背け、来た道を引き返す魔理沙。
廊下の遥か向こうを歩む霊夢と再び合流し、並んで廊下の端の階段を下へと降りていく。
途中、二人は廊下でフランドール・スカーレットとすれ違った。
可愛らしく唇を持ち上げ、猫のような笑みを浮かべて片手を振られる。
「やあやあ魔理沙、あと霊夢も。ご無沙汰だねぇ」
「久し振りね引きこもり。で、何故出歩いてるの?」
「分かってるくせに質問するー」
歩みを止めその場で凛と立つ霊夢を上目遣いで見上げ、微笑んだまま顔を近づけて、頬と頬が重なる寸前。
にかりと嗤ってフランドールは囁いた。
「マトモになったのさぁ」
「相対的に、を付け忘れてるんじゃない」
「うっさい、分かってるくせに言わせんなってー」
非難するように霊夢の肩を軽く叩き、フランドールは虹色の羽を広げてくるっと一回転。
そのまま後退して距離を取る。
「ホントホント。正気度ランク上がりまくりでヤバいんだって。今じゃ私がお姉様に次いで第二位よ、信じられないね!」
「幻想郷規模で、あと、キチガイランクで測ってから出直せば?」
「あは、ぶっちぎりで栄えある紅魔館が第一位よね!さっすがー!」
「……」
「……」
一切の皮肉が効かない相手とのやり取りだった。
霊夢と魔理沙はあたかも示し合わせたかのように、同時に頭を抱える。
黄色い声をあげてくるくると何度も回転するフランドールだったが、やがて眩暈でも起こしたのか、危なげに少しよろめいてから足を止めた。
それから、限度が壊れた気狂いの笑みを引っ込めて深妙な表情を作り、眉を顰める。
「そんなワケでして、この先に行くのは余りお勧めしないよ。割と真面目に」
「知ってるわ。それでも行くのよ」
「今。美鈴と咲夜がどうなってるか知ってる?」
「これからそれを確認するの」
「そっかー知らないよねー知ってたらそんな涼しい顔してられないよねー教えたげようかー?」
「うるさい。自分の目で見たものしか信用出来ない」
「あらそう」
目まぐるしく表情を浮かべては引っ込め、そして作り変えるフランドール。
その全てがぴしゃりと放たれた霊夢の言葉で消失する。
姉のレミリアと同じく、何の感情の起伏も感じられない顔になって。無表情で、呟いた。
「私の知らないひとたちだわ。お姉様もあんな物、後生大事に抱えてなくたっていいのにね」
「な、」
「もーやだやだ!私の部屋が台無しよ台無し!あんな動物園知らねー!豚共の世話なんてやってられっかバーカ!!あっははははは!!死んじまえよ!!あんな奴ら死ねっ!!クソッ!!」
「おいっ、フランドール!?」
魔理沙が引き止めようとするが、続ける言葉が浮かばずに、走り出したフランドールの小さな体を取り逃がしてしまう。
伸ばされた手は廊下の果てに向けられたまま、何も掴むことは叶わなかった。
霊夢は大きく息を吐き、頭を振る。
狂人と称されるフランドールとの対話以上に霊夢の精神力を大きく削っていたのは、殊の外彼女が話の通じる比較的まとも寄りな人格を形成しつつあること、それに伴い、彼女の語った言葉が現実味を帯びてきたことにあった。
「……魔理沙、あんた帰っても良いわよ。あいつの話の限りじゃ、想像以上に碌なもんじゃない……」
「……抜かせ、この目で見たものしか信じないんだろ。私だってそうだ。そのつもりで来た……」
フランドールがいつの間にか床に投げ捨てていった鍵を拾い上げ、霊夢と魔理沙は地下室への道を進む。
何処からともなく、低く獣染みた唸り声がする。
魔理沙はエプロンの裾をぐっと握り締め、俯いたまま早足で歩いていく。
霊夢は歩きざま、視線を横に向けた。
魔術的な結界で固く閉ざされた大図書館の扉の向こうから、呻き声とも唸り声とも呪詛とも捉えられるような声がする。
ブゥンと何かが作動する重々しい音。
その後、理性と知性を感じられる女性の声がひとつ。
唸り声が金切り声に変わり、そして第三者の女性の狼狽するような声。
それらは喚き声と悲鳴の二重奏に移り変わる。
その身に狂気を宿したパチュリーが延々と小悪魔を召喚し、その度に拒絶され、破壊し、また召喚しているのだと二人には予測できてしまった。
たとえ身に染み付いた動作で悪魔を召喚し得たとしても、肝心の主従契約が成されないのでは全てが無意味。
長年の関係もリセットされていて赤の他人に等しい。
捨食、捨虫の法を完成させているパチュリーは、その魔力の供給が果てるまで休むことなくひたすら、ただひたすらに小悪魔を生みだし、同じ回数だけ小悪魔を棄てるのだろう。
何も言わぬままの二人は更に地下へ地下へ、確実に足を進めていく。
やがて霊夢はフランドールがこの地下室を『動物園』と評した理由を目の当たりにした。
そして、それが如何に正確な表現であったかを、今更ながらに実感した。
レミリアとの約束を交わした魔理沙は、霊夢の計らいによって一旦扉の向こう側で待ち、三人のやり取りを聞き心が固まってから出て行く段取りであった。
結果としてそれは、全くの最適解だったと言える。
「あっ!あっ!ひいっ!んやあっ!ああっ!」
「はっ、はあっ、ほら、見て咲夜さんっ、霊夢が来てますよっ?覚えてます?あの小憎たらしい博麗の巫女がっ、咲夜さんを見ていますよっ?」
「んんっ、あ、はあっ、あ、あーっ、あぁぁぁっ、めいりんっ、めいりんっ!いっあっ、ああーっ、あー!」
「ふふ、ふふふふ、霊夢さん、咲夜さんは貴女の事なんて覚えてないですって。オトモダチだったのにね!ああ全く残念です……ねえっ!」
「いっ!?あっ、あっあっあっあああぁぁ……!」
「あはは、他人に見られて絶頂しちゃいましたか。いよいよ淫乱染みて来たようで何よりです……んっ」
びくびくと全身を痙攣させたまま横たわる咲夜の股から、粘着質な音を立てて陰茎が引き抜かれる。
それは何ら萎れる事無くいきり立ち、呆然と立ち尽くす霊夢に見せつけるように軽く振られた。
荒い息を吐く咲夜の頬に口付けを落とし、疲れ果てた体を優しく寝台に寝かせた美鈴は、檻の向こうから真っ直ぐに霊夢を見据える。
「で、霊夢さん。何か御用ですかね?こっちはお呼びじゃないんですけど」
「……あんた……何をして……」
「何と言われてもまあ、ご覧の通りとしか」
何ら悪びれる素振りもなく、紅美鈴は言ってのけた。
二人はフランドールの部屋に備え付けられた檻の奥、その寝台の上で交わっていた。
霊夢の奥歯が音を立てて強く噛み締められる。
自分の親友を陵辱にも等しいかたちで弄ばれているという怒りで、こうしなければ霊夢は目の前の人外を針の山に変えかねなかったからだ。
それを遂行できない理由もまた、目の前にある。
「これがね、私たちにとって一番なんですよ」
「言ってる意味が分からない……」
「分かりませんか?全くご覧の通りだって言うのに、おかしいなあ……っと」
「ぅ、ああっ、ぁ……」
「咲夜っ!」
「咲夜さんには私だけが。私には、咲夜さんだけ居ればいいんです。それで完成してるんです」
「ひっ、あぅっ、あっ、あ」
「止めてよ!もう止めさせろっ、門番っ!」
「いいえ止めません、これが咲夜さんの望みですから。そしてあなた達はどうせ言葉で言っても分からないでしょうから」
美鈴は脱力した咲夜の体を背後から持ち上げると、今度は咲夜の両脚に手を掛け、霊夢の方へと開かせた。
霊夢の直ぐ目の前に、咲夜の成熟した女性の部分が大きくつまびらかにされる。
そして、喘ぐようにはくはく開閉するそこへ腰を落とすかたちで陰茎が差し込まれ、再びの抽送が始まった。
呆然とする霊夢を尻目に、幾度と無く繰り返した行為をなぞるようにして、二人は交じり合う。
咲夜の熱っぽく、また、知性が感じられない嬌声が地下室に反響する。
「ひやぁっ、あぁんっ、あっ、あ、いっ、ああー!」
「止めて、止めて、もう見せるなっ、止めろっ!どうしてこんな真似をするのよ!?」
「だから言ってるでしょう」
「あっ、ひっ、あ、……んんっ、やぁぁあっ!!」
「!?」
咲夜の腰が一際大きく震えると同時、またも美鈴の陰茎は勢いよく引き抜かれた。ぽっかりと開いた女陰が目の前で何度も収縮し、濁った白色の飛沫が柵の向こうから霊夢の足元まで滴った。
無意識のうちに霊夢は後ずさる。
「私たちには、もうお互いしか要らないんです。霊夢さん?そこに隠れている魔理沙さんもお引き取り下さい。そろそろ他人の視線も煩わしいんで」
「いい加減にしなさいよ……あんた一人の都合で咲夜をっ、咲夜の人生をめちゃくちゃにしてっ!」
「はい?私が?何を?」
「とぼけるなっ!どうせあんたがあの映像も!何もかもを!仕組んだんでしょうが!」
「へえ、何か証拠でも有って言ってるんですか?」
「…………っく」
具体的な証拠を示す段になると、途端に霊夢は何も言えなくなってしまった。
「憶測でひとを説教するの、やめて貰えませんかね。とても不愉快です。だいたい、そういった類の心無い言葉で咲夜さんはこうなってしまったんですよ?
……可哀想に……もうこの人は私がついていないと日常生活すら送れない。とても不便ですし、悲惨なことです。けれど私はこうして彼女と共にいる。それは私が心から咲夜さんを愛しているからこそなし得るのです。
あなた達にはそれが出来ますか?日がな一日生活を共にし、人間らしい生を過ごさせるために常に側で介助をして、それこそ自分の全てを投げ打ってでも尽くしてゆく……そんな信念を一生貫く覚悟が?」
美鈴は虚ろな目で宙を見つめる咲夜の頭を愛おしげに撫で、その体を抱き締める。
霊夢とて、妖怪退治で生計を立てるエキスパートだ。真っ向から立ち向かったとしても、長命たる妖怪の美鈴を半刻のうちに屠る事が可能であり、実際に彼女の手の中には退魔針が握られていた。
だが、その後は?
美鈴の問いが心に突き刺さっている。
先の件で幻想郷の有力な妖怪たちに見限られた咲夜を引き取り、自宅に住まわせ、飯を作り、介護をして、それがどちらか片方が生きている間、一生涯続く。
うら若い人間の少女である霊夢と魔理沙に、それらを耐え切れる自信はなかった。
だからこそ殺せない。
霊夢にとっては全く信用ならないこの赤髪の妖怪だが、こと咲夜の扱いに関しては信じてもいいだろう。
だからこそ、咲夜の生命線を文字通り握るこの女を、自らの一存ひとつで殺すことは出来ない。
紅美鈴を殺すことは、そのまま自らの親友である十六夜咲夜をも殺すことに直結するのだから。
「…………」
「賢明ですね。また会いに来てあげて下さい。私たちはいつまでも此処にいますから。……咲夜さんもきっと喜ぶでしょう」
「れ、霊夢?おい霊夢っ!?」
「……魔理沙、帰りましょう。……帰るのよ」
どの口で言うのだと、霊夢は喉の奥で罵声を飲み込み、その場から踵を返して地下室を後にした。
扉の向こう側で憔悴した表情のまま座り込んでいた魔理沙の襟元を引っ張り上げ、強引に続かせる。
魔理沙が何事か納得出来ないように声をあげていたが、霊夢はそれら全ての文句を流した。
納得できないのは霊夢自身もそうだった。言いたい文句も、本来は掛けてあげたかった言葉も、山ほどある。
けれど、それを言う資格は自分たちには無い。
あの有様を目の当たりにして、何も、言えなかったのだ。
「ふ……あははは。くくくく……」
一人と一匹が残された部屋で、静寂を破るように発された美鈴の掠れた笑声が反響する。
『どうしてこうなったのだ。こんな結末は望んでいなかった。』
『ついにこうなったのだ。私はこの結末を待ち侘びていた。』
相反するふたつの感情をない交ぜにしたような、不思議な感覚に美鈴は浸っていた。どちらも彼女の本心に間違いなく、だからこそ美鈴はただ笑った。
さいころの転がる先を見つめ続け、その出目に反論する思いはない。
何故ならどちらに転がったところで紅美鈴が十六夜咲夜と共に生き続ける運命に違いは無いからだ。
どちらでもよかったのだ。
美鈴はひとしきり乾いた笑い声を上げ、それから思い出したように咲夜の唇を奪った。
「ん、むっ……んくぅ、っふ……」
満足いくまで咲夜の口腔を堪能し、長い接吻を終えた美鈴は、机の上に置かれた食事を摂るべく、立ち上がる。
フランドールの手によって運ばれてきたトレイの上には、スープとサラダと主食がごっちゃにぶち撒けられ混ぜ合わせたような残飯紛いの料理が載っていた。
美鈴は素知らぬ顔でそれを掬い、咲夜の口元に運ぶ。
それでも、食事を律儀に届けてくれる妹君には頭が下がる思いだ。
生きる為に必要な栄養価が摂れれば、他に何の問題があるだろうか?
「う……あーぅっ、んーっ!」
咲夜は嫌々をするようにむずがる。美鈴はそれを優しく宥め、時間をかけて食べさせていった。
美鈴は何も喋らない。
精神が崩壊した咲夜に、果たして未だ言語を理解するだけの知性が残されているかは不明だった。
それでも、その可能性が微にでも残されているとするなら、今後続くだろう霊夢たちの声かけを足掛かりに咲夜の心が復帰する恐れがあるのならば、いっそ長い時間をかけて言葉など忘れさせてしまえば良いのだ。
そうして、食事を与え、体で触れ合い温もりを分かち、ただ自らに尽くす目の前のわたしを真に信用出来る、愛すべき存在なのだと思ってくれれば良いなぁと美鈴は思いながら、まどろむように目を閉じた。
前作の評価・コメントありがとうございました。
フランちゃん書いてる時が一番楽しかったです。
nogiku
作品情報
作品集:
12
投稿日時:
2015/09/25 11:23:41
更新日時:
2015/09/25 20:23:41
評価:
7/10
POINT:
780
Rate:
14.64
分類
十六夜咲夜
紅美鈴
人間新婦が耐えられないほどの、妖怪新郎の重い想い……。
博麗の巫女にも『悪魔の証明』や事後処理は不可能……。
この結末『だけ』を望んだ結果がこれだったのか……。
お二人さん、末永く、お幸せに……♪
フランちゃんだけ被害を受けなかったから、『相対的』にマトモになったのネ☆
それでも一人勝ちしちゃうあたりきっちりしてる
ふと、最新に立ち返り、本作を読ませて頂きました。
全体的に古き良き産廃を感じる本作ですが、
フランちゃんの会話が新鮮かつキレッキレでいいですね
白痴になった咲夜さんが可愛くて勃起してしまいました。
全てを諦めつつ粛々と責任を果たすレミリアも格好良かったです。
混乱の中、惨劇の拡大阻止に一役買う輝夜とモコモコ因幡たちにも萌えました。