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『産廃創想話例大祭『迷道惑う少女なる獣』』 作者: 鯨

産廃創想話例大祭『迷道惑う少女なる獣』

作品集: 3 投稿日時: 2012/05/05 14:57:40 更新日時: 2012/05/07 00:32:30 評価: 9/12 POINT: 750 Rate: 11.92
『産廃創想話例大祭』参加作品





南米のジャングルよりも騒がしく、満天の星空よりも煌びやかで、海底のヘドロよりも醜い街がそこにあった。
何十色のネオンの光は五百年の地底暮らしに慣れた目には毒に他ならなくて、太陽よりも眩いその夜は炎に引き寄せられる蛾のように彼女を炙っていく。


コンクリートの灰はまるで時の流れというものを感じさせない無機質の色。母の手に撫でられた様子も父の手に引かれた様子も彼にはない。黒い染みの跡は無理を重ねて生まれた打撲痕で、細かいヒビは終わり予感させる不吉な符丁。自然の岩は削られ石になりそして砂となり世界を巡るだろう。だがこの灰色の胎児は無数の人に踏みつけられて、いつの日か何の感慨も無くその生を終える。その顔に深いシワが刻まれることはなく、その身が愛を伝えることもなく、遺伝病のように死んで行く。その後に建つのはきっと素晴らしい高層ビルだ。彼より遥かに高く豪奢な現代っ子だ。人々は自らの技術の粋を集めて作り上げたその塔をさぞかしありがたみ、惜しげもなく足を運ぶことだろう。そして数十年後には、またあっさりと壊してしまうのだ。輪廻の輪にすら入られぬ製造=破壊の一本道。作業のように生まれ、作業のように彼は消えて行く。


世界を支配するサルどもは鼻の下を伸ばして彼女を見る。
せめて全身の毛が残っていればいい。そうすれば卑猥なその顔を少しは覆い隠してくれるのに。


ショーウィンドに映った自らの姿を彼女は見る。白薔薇に墨を流したようなその姿はサルもヒトも隔てなく欲情させる。流し目の一つでもくれてやればさぞかし喜ぶであろう。そして、きっとその姿すら彼らの中に一晩と中に残りはしない。彼らにとってみれば美しさも若さもただの符号に過ぎず、幾多の情報溢れる社会には個性など望むべくも無い。ただ形の整った石ころが転がっていた。それだけのこと。その石ころを拾って愛でることなどしはしない。それが喋って食らう石ころならなおさらだ。
ガラスに映る無数の生首。合成樹脂のスパゲッティ。見せ付けるようにガラス張りの部屋の中で雄と雌は前戯をくり返す。


早足に雑踏を抜け、薄暗い路地へと滑り込む。
そこは街の光に焼かれた影に他無からなかった。電飾を散りばめた大通りとは相反し、薄暗い細道には月明かり以外の光はない。卑猥な公告チラシが張られ、一歩歩けば靴裏に得体も知れぬクズの感触が広がる。地を這う自分の影が深くなる。蟲の死骸と吐瀉物とヒトの脂の匂い。表の煌びやかさに匹敵するほどの腐臭と醜悪さ。
酸いも甘いも舐めた故の美しさなどない。ただ醜さを否定し上辺の美しさを求めた結果がこれだ。化粧を塗りたくれば塗りたくるほど、毛穴の一つ一つに毒は擦り込まれ肌は悲鳴を上げる。路地に転がる浮浪者の目は絶望で塗りつぶされていた。彼女の姿を視界に捉えているはずなのにその表情には何の変化も生まれない。死なないから生きる。彼らにとって命とはその程度のものなのかもしれない。浮浪者の腰を跨ぎ彼女はその奥の奥、月明かりすら飲み込む闇へと向かう。


背中に感じる通りの光すら薄くかき消え闇も光も区別がつかなくなった頃、彼女の目の前にふと小さな庵が現われた。
地震どころかトラックが隣を通過しただけで倒壊しそうな年期の入った佇まい。だがそこには外にはない“重み”がある。何十、何百という暦を経て磨かれたその姿を“ボロ屋”と言い切るにはあまりに惜しい。ただの中古品をアンティークと呼ばせるほどの精錬された風格がそこにはある。この街に似使わない“本物”が目の前にある。


「お嬢ちゃん。ここは君のような子が来るところじゃあない」


店の側に立っていた男が口を開く。着流しを着た軟派な優男という風体だがその片手には白木の長物が握られており、挨拶無しに敷居を跨ごうものなら即座に一閃、胴と首を泣き別れにされるに間違いない。
糸のような片目が開かれ、彼女の瞳に月明かりを反射させる。


「たぁ〜まにおめえさんみたいのが迷い込んでくる。昔に比べてむしろそういう奴は増えているくらいだ。怪異なんざ何でもかんでも解明しちまう時代だってのに、どういう訳か人ってのは余計に道に迷っちまうらしいな」


だが――、そう男は続けようとしていた。
それを先んじ、彼女は今宵初めて口を開く。


「そうね。人は畏れを取り除くために四苦八苦するくせに、いざ畏れがなくなれば自分を保てなくなる。こうなると畏れこそが“人”が“人”足るための物に見えてくる。そんな心と心の隙間にこそ“私”は滑り込む」


予想外に落ち着いた返答に男は眉を寄せた。
その様子に彼女は嘆息する。この世界は綻びのように弱っていく。恐らくはそれなりの手練れであるはずであろう彼にさえ、自分の本当の姿は見えていないのだ。


「おめえさんは……」


瞬間、男には彼女の姿が何十倍にも膨れ上がったように見えた。
クマの如き闇色の姿。赤い瞳は死んだ魚のように無感情で、ただ目の前の“エサ”を捕食せんと見つめてくる。
男は飛び上がり白木の柄に手を伸ばす。全身に生温かい息を吹きかけられる感覚に、心臓の動脈が張り裂けそうだ。やられる前にやる。痺れる指先で鯉口をほんの少し開いたとき、ふいに背後の小屋から声がかかった。


「やーれやれ。あっさり幻影に飲み込まれるとは修業が足りんのう又三郎」


落ち葉の溜まった古池を思わせる深遠な声。その響きにようやく男も身を包む恐怖を自覚する。生唾を一呑み。


「あ、姐さん?」
「さっさとその物騒な物を収めんか。可哀想に。毛を逆立てて怯えておるぞ」
「え?」


その言葉に目を丸くし改めて野獣を見れば、それは霧のように姿を霧散させていった。後に残ったのは男に威嚇をしながら後ずさる小さな黒猫だった。


「あんまり苛めんでおくれ。これでも数少ない儂の同胞なのじゃぞ?」
「ならしっかり鍛えておきなさいよ。マミゾウ」


一人目を剥く男は震える声で彼女を見つめる。
その姿は先程と些かも変わっていない。白磁のような肌。全ての光を否定する黒い髪。しかし、なぜだろう。その色にアヤカシを感じるのは。


「あ、姐さん……まさかこの人は」
「ああ」


男よりもむしろ彼女に伝えるように“声”の響きは弾んでいた。


「封獣ぬえ。儂の旧知じゃよ」





□   □   □





通された部屋はまるで噺家の離れのようだった。
黒茶色に磨かれた板張り床。部屋の中央には囲炉裏があり、それだけが部屋の唯一の光源だった。囲炉裏の炎に炙られ鉄製のやかんは口から湯気を上げている。掛軸には明朗な筆記体で『狸が人に化かされる』と書かれている。そしてその奥には膝置きに片手を預けたマミゾウの姿があった。


「よく来たの。何年振りじゃ?」
「さあ。あんまり覚えていないわ。あっちじゃ暦なんてあんまり意味がないし」


ぬえと呼ばれる彼女はそっけなく返答し、白い湯気を立てる湯飲みをじっと見つめている。
マミゾウは頬杖をつき、愉快そうに目と口を線にする。


「ほんに幻想郷とはこちらとは真逆じゃな。暦に意味がないのはこちらでも同じこそ。見よこの街を。目まぐるしい変化の日々はこの街を十年で十度生まれ変わらせたかのようじゃ。人は一秒一分を惜しみ欲望の腕を伸ばし、物は朽ちることすら許されず破壊され燃やされる。これでは妖怪になる暇すらあるまいて」
「能書きはいいわよ。マミゾウ。私がここに来たのは」
「わかっておるさ。じゃが、儂に頼み事をするということがどういうことか知らぬお主ではあるまい?」
「……覚悟の上よ」
「ふふっ。切実じゃのお。この二ッ岩マミゾウ。金も手も貸すが、貸した金は地獄の果てまで取り立てるというに。そこまでか」


湯飲みを手に取り、一口、マミゾウは緑の水面に浮かぶ自らの顔を見る。丸い池に浮かぶのは瑞々しい肌をした老婆の顔。


「儂は覚えておるぞ。一年と十九日前じゃ。あの日もお主はこうして儂の庵にやって来た」
「……それは」
「相も変わらずお主は美しかった。透き通るような肌と極上の墨のような髪を天雨に濡らしておった。そして張りつめた表情で儂にこう言ったな。私を――」
「マミゾウ」


怒気を含んだ声にマミゾウは言葉を止めた。
かかか。
マミゾウが嗤う。


「怒るな怒るな。短気は損気じゃぞ?」
「なら、怒らせるようなこと言わなければいいじゃない」
「そうじゃな。うむ。その通りじゃ」


ぐい、とマミゾウは湯飲みを一煽りした。
瞬きを一つ、その間にぬえは押し倒されていた。


「んんっ!?」


柔らかな感触が顔に触れ、苦い味と共に生温かい液体が喉を走る。胃に届くとそれはポッと燃え広がった。
強く押えられた両手を何とか振り解き、ぬえは庵の壁まで後ずさる。
暴れた拍子に歯で切ったのか、床から起き上がるマミゾウの口は小さく切れていた。そのから流れる血を指で撫で取り一舐め、笑らえない笑みを浮かべる。


「な、なんでこんな」
「何度こうして肌を合わせたろうかの?」
「っ!」


その言葉にぬえの全身は石のように固くなってしまう。
獲物を狙う猫のように四つん這いのマミゾウが迫って来る。


「お主が忘れようと儂は覚えておるぞ。この千年でお主と肌を合わせたその日々を。一目一手一息さえも忘れてはおらぬ。初めてのあの日から、お互いの純潔を奪い合った日も、すべて」
「や、やめて、やめなさい!」
「肌を隣り合わせて互いの体温を分け合った。泥のようになるまで体液を混ぜ合わせ、花も頬を染めるような言葉をかけ合った。ぬえから積極的に求めて来た時もあれば、儂がぬえを求めた時もあったの。尻を使おうとした時は大変じゃったな。儂が挿れたら『いたいいたい』とお主が泣き喚き出したんじゃ。最後には漏らしてしまう始末で、掃除にも手間がかかったのお。そして――」
「マミゾウ!」


それは怒声というよりも悲鳴に近かった。ぬえの顔は真っ赤を通り越して真っ青で、髪を掻き毟るようにしながら耳を押える。
そんなぬえを見てマミゾウは心底嬉しそうに口の端を歪めた。
そっと耳に口を近づける。
ぬえの鼻に香る、何度も嗅いだマミゾウの香り。


「儂もな、怒っておるのじゃぞ?」


ピアノでも奏でるようにマミゾウの指先がぬえの腹に触れる。その指はカエルを捕食する蛇の腹。それは段々と速度を落とし、腹、ヘソ、わき腹、そして胸へと登っていく。


「幾度となく身体を合わせた。愛の言葉も舌が擦り切れるほど囁いた。儂のそれは本心じゃった。けれどお主にとって、儂はただの代用品に過ぎなかった」
「ち、ちが。そんなつもりは」
「聖白蓮」
「っ!」


目を見開くぬえの頬に遂にマミゾウの指先が届く。


「どうしたんじゃ? まるで借りてきた猫のような顔をして」
「マ、マミゾウ……あの人は」
「知っておる。知っておるさ。お主の本当の気持ちが儂のもとにないことくらいな。これでも千年の付き合いじゃ。だからこそ儂は悲しくやるせの無い怒りを感じている。聖白蓮。良い御仁じゃ。危うくはあるが、だからこそ古臭い我らよりは何かを成し遂げられるかもしれん。そんな白蓮がお主には眩しいのじゃろう。眩すぎるのじゃろう。近づけば醜いその姿を照らされそうで、離れれば寄る辺も道も失いそうで、愛しているのにそれを伝えられない。素直になろうとすればするほど捻くれる。ほんにお主は愛おしい」
「やめてよ……もう……」


消え入りそうなぬえの声。マミゾウは稚児をあやすようにその頭にあごをつける。
そして頭蓋骨に響かせるよう、一言。


「代金は前払いの約束じゃ」





□   □   □





煌々と蝋燭が燃える部屋の中にぬえは居た。
畳敷きの床に敷かれた布団の上にその裸体を晒して、マミゾウの“それ”を受け入れる。
むせかえるような熱い空気。
蝋燭の灯が升目の障子に二人の影を浮かび上がらせる。
それはさながら、逢引する恋人の姿だった。


「っ……っぅぅぅっ!」
「ぬえ。動くな。手元が狂う」


マミゾウが手にした銀の棒を背中に押し付けるたび、ぬえは噛み締めた木の棒の間から唸り声を上げる。敷布団は汗でぐっしょりと濡れており、その端を握り締めながらぬえは「ふーっふーっ」と蒸気のような息を吐く。
玉のような汗の流れる背に再び棒が押し付けられる。溜まらず雷に撃たれたようにぬえは全身を強張らせる。
シュッシュッシュッシュッシュッ。
秋の虫の音のような音と共に銀の先がぬえの背を微動する。


「っぃっ! っ! っふぅ!!」
「まだ十分の一も進んでおらんぞ。ほれ、がんばれがんばれ」


手ぬぐいではみ出た墨を拭き取りながら、マミゾウはぽんぽんとぬえの肩を叩く。
一方、ぬえはまともに返答する余裕すらない。生皮を剥がされながら脊髄に針を刺し入れられるような痛みは妖怪である彼女であっても耐え難いものだった。
すでに施術を始めて一時間。
休みなく続けられる作業はぬえの体力を確実に削り取っていた。


「つらいか? 声を上げてもいいんじゃぞ?」


黒髪を振り乱しぬえはその言葉を否定する。
炎で焙られた蛇のように身をのたくらせそうになろうとも、奥歯と両手に力を込めてそれを抑え込む。


「本当に強情な奴じゃ」


鈴を転がすように言いながら、マミゾウは再び針をぬえの背に触れ刺した。
手首には緊張で強張る背の肉の感触。それを打ち壊すようにマミゾウは笑みを一つ、右手を進ませた。


「〜〜〜〜っ!!」
「ぬえ。儂は今、お主を感じておるぞ。お主の痛み。お主の恐れ。お主の迷い。お主の願い。全てがこの棒を通して伝わってくる」


ぎっ。
軽く棒をひねればぬえはくぐもった鳴き声を上げる。
棒が引き抜かれる。うっすらとぬえの体液に煌めくその切っ先を見つめ、マミゾウはほぅと息を吐く。


「皮膚にはおおよそ三つの構造ある。一番上の表皮。その下の真皮。そして皮下組織じゃ表皮は三週間から一カ月で新しい表皮が生まれ、古い表皮は垢やふけとなって剥がれ落ちる。浅い傷が三週間ほどで治るのはそのせいじゃ。例えここに色素が付着したとしても、一か月も放置しておれば完全に消えてしまう」


棒の先を手拭いで拭き取り、マミゾウは再びそれをぬえへと近づける。


「しかし、表皮の下にある真皮が傷つけられた場合はそうはいかん。黒子などと一緒でな。垢すりで擦ろうと、時が経とうと消えはしない。粗悪な彫師ならば真皮まで針を届かすことができず消せることもあるが、生憎と墨入れは得意な方でな」
「ぐっ!!」


躊躇なく突き入れられた痛みに目を見開く。
その痛みがぬえの意識を鮮明にさせる。


「こうして真皮の奥の奥に墨を入れられればそれは取り返しのつかない痕となる。取り除こうと思うなら肉ごと削ぐしかあるまいて。古来より彫り物は刑罰の一種として存在していた。罪を犯した者の証拠として格好の目印じゃったからのお。とある地方では罪を犯すたび額に『一』『ナ』『大』『犬』と順に彫り込み、五度目には死刑にされたらしい。最後が『犬』とはなかなか洒落が利いとるとは思わんか。のう?」


答えなど求めていないのだろう。マミゾウはぬえのリアクションを待つことなく棒を動かし始める。
ようやく尾は完成しつつある。なかなかに生意気な面構えを画けた。


「しかし、一方で刺青にはファション的な意味合いもある。相手を威嚇するための装飾じゃな。これも古来より続いており、この国でも縄文・弥生時代にはすでにあったらしい。この辺はどうなんじゃ? そちらの神様から聞いておらんか? まあよいか。墨を入れるのはこの通り激痛を伴う。それを耐え抜いた者はそれだけの実力者と認められたということじゃ。故に成人儀礼として掘り込みを入れる場所をあるそうな」


棒を置きマミゾウはぬえの身体を拭いてやる。痛みから噴き出した汗はあっという間に白い布を湿らせる。人肌とは思えぬ熱さ。天上に湯が沸いているとすればちょうどこのくらいの温度なのかもしれない。
一通り拭き終えマミゾウは立ち上がり、未だ激しい吐息を漏らすぬえを見下ろす。

徐々にぬえの背に広がる墨の黒。これからどれほど生きられるか知らないが、それでもこれ以上の力作はいつくも生み出せないだろう。
シミ一つないぬえの肌はまさに前人未到の雪原。その細胞の一つ一つを墨で塗りつぶしていく。この腕の一挙一動がぬえの身体を支配していく。この手が走るたびに浮かび上がってゆくその図面。それはまさに二人が揃ってこそ完成する奇跡の結晶だった。


「刺青には他にも意味合いもある。それは性的装飾じゃ」
「……っ」


ほんの少しだけぬえの肩が震えた気がする。
それは痛みによるものか、恐怖によるものか。それとも。


「性的パートナーへの服従や所有関係を示すための証明。他の男に対して征服を明示するための刻印。その命尽きるまで寄り添うことの決意のシルシ」


マミゾウはその身をぬえへと覆いかぶせた。その首筋に頭を置き、息を混ぜ合うほどの距離に頬を近づける。
ぬえの匂い、ぬえの熱さ、ぬえの鼓動が伝わってくる。
これは肌と肌の接触ではない。性交以上の交わり。快感を貪るだけの獣じみた行為ではない。精神を絡め合わせ、時の果てまで続く絆を今、互いに刻んでいる。
唇が首筋に触れるギリギリの所で、マミゾウはぬえにささやいた。


「なあぬえよ。この刺青はいったいどれなんじゃろうな?」





□   □   □





後に神霊廟騒動と言われる異変において、幻想郷には新たな住人が増えた。多くは古代に封印されていた神霊たちであったが、その中に外の世界から来た妖怪が居た。
二ッ岩マミゾウ。
佐渡狸軍団の大頭目である。強大な力を持つ大妖怪である彼女の移住は幻想郷中に緊張を走らせたが、今のところ取り立てて問題が起こってはいなかった。むしろその柔らかい物腰と気風の良さから徐々に幻想郷住民からの信頼を集めているという。今では命蓮寺に住まい、先の住民たちとも仲良く暮らしている。


「しかし、ここまで裏目を引くとはのお。いやあ、ぬえの奴がますます可愛く見えるわい」


大きなしましま尻尾を揺らしながら、口元を弛めてマミゾウは笑う。
ぬえに頼まれやって来た幻想郷。だがマミゾウが何をするまでもなくあっさりと異変は解決してしまった。マミゾウからしてみれば完全に無駄足だった訳だがその顔に不満の色はない。


「又三郎たちには悪いことをしたのお。じゃが、しばらくはここに居付かせてもらうぞ」


一人ごちマミゾウは地上を見下ろす。
そこ居るのは二人の少女。一人は命蓮寺の住職聖白蓮。もう一人はぬえだ。
何やら言い争いをしているのか、ぬえは何か一方的に喚き散らした後、白蓮の制止も聞かずどこかへと飛び去ってしまった。どうにもこういうやり取りは日常茶飯事らしく、ぬえと白蓮のそんなやりとりをマミゾウはたった数日の間で何度も目撃していた。
マミゾウは苦笑し、白蓮のもとへと飛び降りる。
困ったように眉を寄せていた白蓮はマミゾウの登場にぱっと顔を上げる。


「どうしたんじゃ? 聖よ」
「ああマミゾウさん。いえ、なんでも」
「見ておったぞ。まーたぬえが何かしでかんたんじゃろ?」
「……実はあの子をまた叱りつけてしまって。村紗の背中に虫を入れたって。あ、それは化けさせた紙くずだったんですけど、どうしてそんなことをするのか本当にわかんなくて、その、つい強い言葉を」


バツの悪そうに口をもごもごとさせる白蓮に、ははーんとマミゾウは腕を組む。


「ふむ。もしやその時、村紗はお前さんと話しておらんかったか?」
「え? なんでわかるんですか?」
「簡単じゃよ。要するにぬえはお前さんに構ってもらいたかったのじゃ。だからお前さんと仲良くする村紗に腹を立てて悪戯したという寸法じゃよ」
「まあ、あの子ったらそんなことであんなことを?」


そんなことと来たか。
マミゾウは心内の笑いを抑え切れない。何とかそれを表情に出さずにすんだのは奇跡だった。


「でも私には妖怪を救うという使命があります。ぬえばかりに構っていることは……」
「そうじゃな。じゃが時々でいい。本当にぬえの事を思って相手をして欲しい。あやつは寂しがりやで意地っ張りじゃ。素直に言うことなんぞ聞かんじゃろうが、それでも悪い奴ではないんじゃ」
「それはもちろんです。ぬえも私たちの大切な仲間ですから」


朗々と語る白蓮の顔には一切の迷いはない。
少しばかりひねくれてしまった妖怪を救わんとする決意がそこにはある。
もちろんマミゾウはぬえが本当に望んでいる物が『私たち』でも『仲間』でもないことを知っている。
知っているからこそ、それを伝えはしない。


「まあどの道、どうしようもないじゃろうがの」
「え? 何か言いました?」
「んにゃ、ただの独り言じゃ」
「そう、ですか。ではぬえが戻ってきたら教えてくださいね」
「あい、わかった」
「はぁ。ぬえももっと素直になってくれていいのに」


最後の言葉はただの独白だったのだろう、白蓮はマミゾウの返答を待つことなく命蓮寺へと戻っていく。その背中を見送りながら、マミゾウは腰の酒瓶の蓋を開けた。


「素直になんてなれる訳がなかろうて」


あの日、ぬえの背には見事な刺青が掘り込まれた。
頭は猿、手足は虎、胴は狸、尾は蛇。伝承に伝わる鵺のその醜い姿が白花のようなぬえの背にはある。
とはいえここは幻想郷。外の世界では困難な刺青を消す手段もないことはない。マミゾウの見立てでは永遠亭という場所にいる医師ならば十分消せると踏んでいる。最悪、背中の肉を削ぎとってしまうという荒療治もある。人間なら死ぬかもしれないがぬえほどの妖怪ならば回復は十分に可能だろう。だがぬえは決してそれを消せないという確信がマミゾウにはあった。


“あれ”はぬえの影だ。


平安の街でただ恐ろしい姿と言うだけならば人々は他にいくらでも他の妖怪を想像する余地があった。鬼も天狗も十分な知名度を持っていたし、無数の怪談話も人々の間で語られていた。それにも関わらず人々があの姿を見たということは、あれはぬえの中にあったということだ。


ツギハギのような身体。恐ろしい動物を寄せ集めて何とか妖怪としての面目を保つそのあり方。そして醜さの中に美しさを、美しさの中に醜さを隠す生き様。
ぬえはその一つ一つを背の痛みと共に思い出すことになる。
それを消すこともできず、ひたすら隠して生きる。
そして、そんな自分に耐え難い羞恥と悔悟を抱えてしまうのだ。
白蓮との仲を裂くなどということをマミゾウはしない。むしろ二人が熱い愛に燃え上がって欲しいとさえ思う。
だがそれは他ならぬ、ぬえが決してさせはしない。
白蓮に受け入れられるはずがないと頑なに信じているから。
醜い自分を晒したくない。こんな自分は白蓮には相応しくない。
そう思いながら、それでも離れられない。
何かしてやりたい。そう思えば思うほど相手に迷惑をかけてしまう。
思いを伝えたい。そう思えば思うほど相手を傷つけてしまう。
滑稽と言えば、あまりに滑稽なその姿。だからこそ麗しいとマミゾウは思う。


ココロの葛藤の中でぬえは苦しみ、悩み、そして再び自分を頼るだろう。
他に寄る辺は無い。醜い姿を受け入れてくれるのは自分だけだと知っているから。
背に真実を宿したあの夜に、それが嫌と言うほどわかってしまったから。


「聖なる白い蓮に心を封じた獣は届かぬ思いを馳せる、か。嗚呼、なんと残酷な物語じゃろうか」


マミゾウが酒瓶に口を付けようとしたその時、


「マミゾウ。ちょっといい?」


ぬえが姿を現した。顔を蒼白に染めた様子は、用件が白蓮のことであることを雄弁に語っていた。
マミゾウはそれはそれは素敵な笑顔を作った。千人の男を魅了してまだ足りない。天女のようでいて悪魔のような笑みを。


「ああもちろんじゃよ。ぬえ」


舌の上に寒露な甘みを感じながら、マミゾウはぬえのもとへと向かう。
今宵の酒は極上の美酒になることだろう。













―終―
たまみたぞうとたぬたえはたおたとなのたかんたけい
作品情報
作品集:
3
投稿日時:
2012/05/05 14:57:40
更新日時:
2012/05/07 00:32:30
評価:
9/12
POINT:
750
Rate:
11.92
分類
産廃創想話例大祭
封獣ぬえ
二ッ岩マミゾウ
簡易匿名評価
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0. 90点 匿名評価 投稿数: 3
1. 40 名無し ■2012/05/06 00:21:55
良作! でも刺激が少ない。
2. 50 名無し ■2012/05/06 02:26:19
地の文が……
3. 70 NutsIn先任曹長 ■2012/05/06 11:30:32
助っ人を頼みに行って、完成したのか。
確固とした関係が。

頼みの綱に、
飲みのツマミにされている。
5. 80 名無し ■2012/05/06 22:04:27
娑婆にない重苦しい雰囲気に愛にも手段を選ばない。
いいなぁ、こういうマミゾウさん。
8. 80 んh ■2012/05/09 21:55:51
 やったついに悪いマミゾウさんがきた!
 単なる極悪人じゃなくて侠気が感じられるヤクザっぽい感じがとても好みです。だからこそ刺青というテーマととてもマッチしていて。

 冒頭、後半の雰囲気とも合ってるし文も好みなんですが、場面の行為者が説明されぬまま結構続くのでSSとしては少し重たいかなと。あと何箇所か休憩地点があればと思ってしまいました。ほんの些細な会話文とか、誰なのかのごく簡単なヒントとか。
9. 90 山蜥蜴 ■2012/05/10 00:10:08
腕力に頼らない暴力! 拒否すれば出来るのに……出来ない! エロい!
今まで幻想郷には、紅魔館や守谷神社、永遠亭に地霊殿、命蓮寺 等々…数々の組織が登場し、どれも二次創作などでヤクザめいた悪の組織にされた事数知れず。
しかし! ついにリアルヤクザなマミゾウさんが登場したのだ!
いえ、冗談抜きで、金貸しヤクザな面を前面に出したマミゾウさん以外と見かけなくて、おばあちゃん面ばかり持ち上げられてる様な気がしてましたので、痺れました。
何と言うか、マミゾウさんは年季入ってて、エッゲツない事を一番平気でやりそうな気がします。殺し屋一のヤクザ(あそこまで狂ってないにしても)みたいに。
ぬえちゃんはどうも背伸びして一人で問題解決しようとして泥沼に突っ込む家出娘臭がして、苛めたくなりますねぇ。細身の白い背中ぷつぷつ刺したい……。

もう他の方が仰られていますが、冒頭文がゴツ過ぎるといいますか……格好は良いですし、変転する物の代表、って事なのは分かりますが……
10. 100 木質 ■2012/05/15 22:59:22
まるで決意表明のような刺青。彫っている時のぬえからひたすらにエロスを感じます。
マミゾウとのアブノーマルな関係が、彼女が持つ上品な卑猥さをより際立たせております。
文章から、ぬえの体つき、ボディラインが克明に想像できて、更に読み深めていくと、その肌に触れているような気分になり大変心地好かったです。

冒頭にある、ぬえの目に映る街の風景。それを描写する独特の表現も素敵です。
11. 70 名無し ■2012/05/23 21:01:28
大阪市の市長は刺青をしている職員は昇進させない方針だそうですよ。
やることがオーバーなんだよなぁ。
最初の場面描写が最初はまどろっこしい気がしたけど、改めて読んでみると雰囲気があって良いですね。
マミゾウさんってドS?
12. 80 アレスタ海軍中尉 ■2012/05/30 21:14:18
ぬえの初アナルに【興味があります】

最後の例えが美しい…
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