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『第二十二夜〜第三十夜』 作者: ただの屍

第二十二夜〜第三十夜

作品集: 12 投稿日時: 2015/09/22 12:00:54 更新日時: 2015/09/22 21:00:54 評価: 1/2 POINT: 110 Rate: 9.00
 第二十二夜。
 妖怪の山。大きな地鳴りが起こった。山に生きる者は間髪を入れず山棟梁禅天魔の言葉を思い出す。天狗は禅天魔のおわす山巓へと、河童を含む妖怪らは守矢神社へと飛行する。目通り叶わぬ鳥獣は我先に下山し、里に親しむ小さき神々も山の怒りから身を遠ざける。弾幕ごっこでは見ない規模の大爆発と共に火山雷が発生した。全速力を出していた者らは、限界を超えて速度を一段階上げた。
 禅天魔の予言通り、山が噴火したのだ。
 黒煙が月を蓋する。火口から山の熱き血潮たるマグマが噴き出す。核弾サイズの岩が灰雲を裂いて降る。
 道すがら、はたては大声を上げ、赤黒く浮かぶ峰を撮っていた。「すげー。マジすげーわ。はー、神話レア」
「はたて」いつの間にか文がそばにいた。「はしゃぎ過ぎ。みっともない。アホ丸出し。低脳ぎりぎり。グルコース不足。コモンセンスの欠如。台風で騒ぐ餓鬼以下。外灯に吸い寄せられる羽虫未満」文は落ち着き払った様子で、暗雲立ち込める空を撮影した。
 文が行った苛烈な罵倒は烏天狗同士における一種の挨拶で、これだけ言われて何も言い返せないようでは烏天狗の名が廃る。「ババアになると感動が薄くなるからね。わたしは若いから新鮮なんだよ」
「薄いのはあんたの新聞でしょ」
「おい」花果子念報を持ちだされ、はたてはムキになった。「誰の新聞がバーコードハゲの桂木だって」
 文は相好を崩した。「ほんと若いね。真に受けちゃってさ」
 はたてはもう少し言ってやりたかったが、笑い返すことでやりとりを終わらせた。
 二人は並んで飛んでいく。空振が鼓膜に響いた。
「あ」はたては下方を撮る。「蟹が死んでる」
「沢のだね。河童、大丈夫かな」
 はたては歌い出す。「かっぱ、かっぱ、かーっぱ。かっぱの哀しみ、籠のなかー」
 二人の横を椛が物凄い速度で通り過ぎていった。二人は顔を見合わせた。
「急ぐか」文が速度を上げた。
「おう」はたても速度を上げる。
「どこまでついてこれるかな」文はだんだん加速していく。
「逆に追い越してやる」
「百年早い」
 二人はすぐに椛を追い抜き、はたては九合目で文に振り切られた。「結構頑張ったじゃん」文はまだまだ加速していく。「お先にー」ドップラー効果で文の声が低く聞こえる。
「くそう」文に無理やり追いつこうとして注意力が散漫になったところに、大玉サイズの岩が飛んできてはたての側頭部に直撃した。
 頭が割れて脳の一部が吹き飛び、焦げもしたが、妖怪、しかも天狗ともなればこの程度で死にはしない。「流石にいてー」はたては自身の割れた頭蓋を撮った後、上着を脱いで頭に巻いた。「自分のペースで行かなきゃだね」
 噴火現場である十合目は相応に熱かった。加えて煙い。山頂から、坐禅を組んだ天狗らが一列の螺旋を連ねつつ下っている。禅天魔を筆頭に、高位の天狗が天辺を占めている。上流に属する天狗は山奥に引き篭もり、滅多に降りてこない。はたては初めて直に見る禅天魔の御姿に心を奪われた。火口から吹き上がる蒸気に禅天魔の髪が舞い乱れ、赤熱の光に尊顔が照らされる。誰と見比べても、禅天魔の佇まいが一番美しかった。
「はたてさん、どうしたんですか」背後から椛が声を掛けてきた。
 はたては振り向いた。「ああ、ちょっと、ぼーっとしてた」
 椛は首を傾げた。「いや、半裸の理由を訊いたんですが」
「これね」はたては照れた。「ちょっと油断して岩に頭ぶつけてさ。情けない。天狗の恥晒しだよ」
「どんまい」頂を囲う山颪の傘によって、火山弾や灰は天狗の輪の外側へ追いやられている。椛はぼこぼこに歪んだ盾で火の粉を払った。
「行こうか」「ええ」二人は最後尾に並び、坐禅を組んだ。
 はたてが自我を鎮めると、禅天魔の分霊が降りて来た。禅天魔の意識体がはたての肩に触れ、あるべき心構えを導いた。禅天魔の教示に従うと、はたての心頭は滅却され焦熱は無に帰す。
 禅天魔が去ると、御山の意思が雪崩れ込んできた。はたてははたてでなく御山として、その荒ぶる気性を解しにかかった。
 金張りの守矢御殿では、神々の奇跡が着実に信者を増やしていた。金鉱からせしめた幾多の黄金が生み出す絢爛な輝きは神性を感じさせるのに大いに役立っていた。
 六方を囲う強固な結界は避難者を弾幕から守り、硫黄の霧や火山灰を濾過する。結界の内側は押し寄せてきた河童及び他の妖怪でごった返していた。外側では道半ばで力尽きた犬が死んでいた。鹿が死んでいた。熊が死んでいた。妖怪が死んでいた。神奈子は屋根の上から不信心者の哀れな末路を見下ろし、ほくそ笑んだ。
 飛んできた大岩が結界にぶつかり、泥団子のようにへしゃげた。
 早苗は声掛けをしながら結界内の見回りを行っている。「先祖を敬うように守矢を敬いなさい」早苗の威光が人海を割る。「あなたがたには選択の自由があります。守矢からの永遠の幸福を授かることも、悪魔からの束縛と死を受け入れることも自由です。神の王国への道を望むのなら敬虔な気持ちで祈りなさい。常に目を覚まし、絶えず祈りなさい。あなたがたは守矢の命じられたことを進んで行いなさい。守矢が命じることには、それを成し遂げられるよう守矢によって道が備えられています。あなたがたは守矢の恵みによって救われます。あなたがたは守矢のことを話し、守矢のことを喜び、守矢のことを知りなさい。わたしがこれらのことを語るのはあなたがたに真実の知恵を得させるためです。あなたがたが自分自身の思い、言葉、行いに注意を払わず、守矢の戒めを守らないとしたら、例外なく滅びるでしょう。罪を捨てなさい。悪事は決して幸福を生じません。覚えていてください。あなたがたは滅びてはなりません。あなたがたが与えられると信じて、守矢に求める正当なものは何でも与えられます。わたしや守矢の神が完全であるように、あなたがたも完全になることをわたしは望んでいます。守矢という堅固な岩の上に基を築きなさい。そうすれば悪魔の颶風や狂飆があなたがたを地に引きずり落とすことはありません」
 早苗の熱意とは遠い所で、粘波は早苗に背を向け、にとりと話していた。
「ねえ、融合炉、止めた」粘波は訊いた。
「止めた止めた」にとりは胸元の鍵を鳴らした。
「つまんないの。折角さあ、爆発事故を起こせるチャンスなのに。人間死にまくるよ」粘波は笑顔で言ってのけた。
「人間は盟友なんですけど」
「今ならまだ間に合うよ。爆発させてこない。嫌なら鍵貸してよ。自分一人で行くから」
「話聞けよ」にとりは粘波の頭を叩いた。
「あー、殴ったな」
「殴るよ、そりゃ」
 そばに居た年若い河童が口を挟む。「わたしの鍵、貸そうか」
「サンキュー」粘波は掌を差し出した。
 にとりは二人の手を叩いた。「貸すな、借りるな。お前らちったあ頭冷やせよ。馬鹿やるなら自分一人で完結させとけ。他人を巻き込むなってんだ」
 布教作戦遂行中だった早苗は諏訪子からの念波を受け取り、御殿に帰投する。
 居間では諏訪子が手足を広げて寝転がっていた。裏方である諏訪子は信仰が薄く、神奈子よりもへたるのが早い。結界の維持は神奈子に任せ、早々に休んでいた。
 早苗は敬礼する。「現人神、東風谷早苗。布教活動より帰投しました」
「ご苦労であった」諏訪子は足で返事した。「早速、次の任務を与える」
 早苗は気をつけの姿勢を取る。
「よっこらせーの」諏訪子は上体を起こす。「今からさ、里に全画面サイズの火山弾落とすから手伝ってよ」諏訪子は早苗の瞳の奥に潜む歓喜を認めた。
「とうとう」早苗は口角を吊り上げる。「とうとう、天狗の磐座に手を出すのですね」
「人聞きの悪い」諏訪子は自身の髪をくしゃくしゃにした。「天狗の素晴らしい自然観を里に広めてやるだけさ。きっと気に入るだろう」顔色は伺えないが、髪に隠された諏訪子の表情は笑っているに違いなかった。
「そうでしたか」早苗は月目を作って笑った。「それでしたら、善は急げです」
 諏訪子は立ち上がり、帽子を被った。「どえらい量の火山灰やガスが降り注ぐだろうけど、それはまあ、しょうがないことだろうね」

 第二十三夜。
 夢の国。電飾に彩られた華々しい大路を、人間大の鼠や犬やアヒル等が二足で練り歩いていた。花火が空にぽんぽんと景気良く打ち上がり、人畜無害にデフォルメされた獣らは明るくテンポの良い曲に合わせて歌ったり踊ったりしていた。魔理沙の頭上を、郷じゃ見ないタイプの極めてファンシーな妖精が飛び回っている。鼠が魔理沙に微笑みかける。魔理沙は無性に嬉しくなり、手を振って彼らに声援を送りさえした。過ぎゆく行進の最後尾にはドレミーが居た。ドレミーはええじゃないかと騒ぎ立てながら列を離れ、魔理沙の下にやってきた。「どうもどうも魔理沙さんどうも」
「さあさあさあ」ドレミーは諸手を挙げてハイタッチを求めたが、魔理沙は無視した。
 魔理沙はドレミーを睨めつけた。「誰だ、おまえ」
 ドレミーは寂しげに両手を引っ込めた。「ご存じない。まあ、無理からぬ話ですね」ドレミーはお辞儀する。「わたくしはドレミー・スイートと申します。どうぞ、お見知りおきを」
 賑やかしが去った通りに立つ二人を、寿命を迎えた電飾がチカチカと頼りなく照らす。タンブルウィードが花火の玉殻を巻き込みながら転がっている。「さっきと同じ場所とは思えないな」
「ここも経営が苦しいんですよ」
「で、ここはどこだ」
「夢の国、ドレミーランドにございます。西方にはドレミーシーもございます。合わせてご利用くださいませ」
 魔理沙はわざとらしく溜息を吐いた。「訊き方が悪かった。郷のどこら辺だ」魔理沙は慌てて言葉を継ぎ足した。「郷だよな、ここ」
「いいえ。先程も申しました通り、夢の世界にございます。夢の国一丁目がドレミーランドで、二丁目がドレミーシーになります」通りの両脇から草がぼうぼうと生え、縄手道へと変貌した。「悲しいお知らせですが、悪しき夢がすぐそこまで迫っております。瞬き一つ為さらぬよう」
 なんかムカつく。殺しておこう。魔理沙は八卦炉を取り出す右腕の慣れた動きに違和を感じた。普段の違和感が一片も無かった。この場合の普段というのは長い年月に根ざした無意識下における行動を裏付けるのに適宜な普段ではなく、アリスの歪んだ妄執に係る全く馴染まぬ不都合に由来する紛い物の普段だった。
 ドレミーはせせら笑った。「右腕が生身だ、だけで済むことをなんだってそう、やたらめったらこねくり回すんですか。暇なのか。ああ、アホなのか」
 魔理沙は今更ながら舌の本来の滑らかさに気がついた。あまりに自然だったのでそれと意識しなければ分からなかった。そしてはたと思いついた。
「処女膜は大事ですよねー」ドレミーはけらけら笑う。「アリスのお手製じゃないのが、ちゃーんと付いているはずですよ」
 魔理沙は顔を赤らめながら、一つの考えに至った。「この身体で郷に帰れるか。帰れるよな。帰してくれ」
「笑える」ドレミーは指を差して嘲笑する。「寝言言ってんじゃねー」
「お願い。そこを何とか」魔理沙はドレミーに縋った。「お願いだ」
「無理無理。助けてやる義理が無いもの」ドレミーは魔理沙を突き放した。「それに夢は夢。現は現。柵を取り払っちゃいけない」
「お願いです。せめて聞いてください」魔理沙は再び縋った。「アリスという魔女が、わたしを人形に作り変えようとしている。始めは右腕、次に舌、更にはわたしの誇りを己の好ましいものへと差し替えていった。わたしの形骸を組み換え、魂の領域を侵犯している」
「被害妄想だ」ドレミーは魔理沙を再び突き放した。「わたしはアリスを知っていますが、あなたが言うような病んだ女ではありません。1/1サイズの有機体人形を愛でたりはしないし、爆発もしない。あなたを思って、親切心から行動しているのですよ。それをあなたは。恥を知りなさい」
「絶対嘘だ」魔理沙は大声で言い切った。「だったらなんで、あんなイボみたいな関節がわんさかあるんだよ。皮膚病みたいで気持ち悪いから別のにしてくれって再三頼んだんだぞ」
「ほんっと、わがままですね。ああ言えばこう言う。それぐらいは我慢の範疇でしょう。それともかたわが良かったですか」
「極論だ。ましな見た目にしてくれって頼みは、極々普通だろ。こちとら年端もいかぬ少女だぜ」
「それもそうか」ドレミーは論調を翻した。「そこまで言うのなら、こちらだって黙っていられません。普通の腕にしてあげましょう。何、簡単なことです。あなたの悪夢を食い尽くせば、腕、ひいてはアリスに対する謂れ無き悪評被害は払われ、再審査の末、正当な評価が下されるでしょう」ドレミーの右手のぶよぶよが肥大し始めた。
 魔理沙はぶち切れた。「てめえ。やっぱアリスじゃねえか。ぶっ殺してやる」魔理沙は八卦炉を構え、直ちに破壊光線を発射したつもりだったが、何も起きていなかった。ドレミーのどこもかしこも蒸発してなぞいなかった。
「夢の中で身体が思うように動かない。ままあることです」ドレミーは正面から堂々と魔理沙に近づいていった。
 魔理沙は後ろに飛んでドレミーから離れたつもりだったが、少しも動いていなかった。必死になって足を動かしているはずなのに、不快感が募るばかりだった。
「車のブレーキが利かない夢は、小便する夢と同じぐらいに怖いものです」ドレミーは魔理沙の肩に両手を置いた。「まあ、あなたの場合は箒が暴走する夢かな」
 魔理沙の顔は引きつっており、四肢は金縛りにあったかのように固まっていた。魔理沙はたまらず尿を漏らした。
 ドレミーは喉を鳴らして笑い、舌なめずりした。「おやすみなさい」
「うわあ」魔理沙は飛び起きた。「夢か」魔理沙は呟いた。何か恐ろしい夢を見た気がする。心臓がばくばくいっていた。魔理沙は顔の汗を右手で拭い、違和を感じた。「なんだよこれ、あっちいなおい」魔理沙は手袋を脱ぎ捨てた。「あー、そっか。まだあいつら殺してないから変な夢見るんだ。ミスティアと糞モヒカン、どっちから殺そっか」魔理沙は身体を横たえた。「でも今の身体じゃパワーが足りねえな。しゃあねえ、アリスに改造してもらうか。いや、にとりもありだな」魔理沙は改造案を練りながら眠りについた。

 第二十四夜。
 迷いの竹林。影狼を追いかけるフランを、美鈴は後ろから見守っている。フランは力を振り巻き、影狼のそばの四、五本の竹を粉々にする。狙いが外れたのではなく、手を抜いて遊んでいる。フランは影狼を舐め切っているが、両耳から血を流す影狼は死に物狂いだ。その不公平がたまらなく楽しい。フランの白肌は紅潮していた。
 一瞬にして、世界から全ての色と音が失われた。フランと美鈴は足を止め、全方向に身構える。月影が再び地上に届いたとき、影狼は目の前から消えており、代わりに鈴仙が立っていた。
「あ、うっちゃんだ」フランは頭を下げた。「こんばんは」
 美鈴は鈴仙の額に貼られた札の文字を読み取り、現在の鈴仙の境遇を悟った。「お嬢様」美鈴はフランをかばうように飛び出しつつ、四本のクナイを素早く投げつけた。クナイは正中線に次々と命中し、鈴仙は仰向けに倒れた。
 フランは美鈴の慌てぶりに困惑した。「美鈴、一体どうした」
 美鈴は早口で説明する。「あれはキョンシーです。どこ産だったっけ、確か、そうだ。神霊廟。鈴仙さんは邪仙どもの傀儡に堕した。情け無用。死あるのみ」
「じゃあ壊す」フランが美鈴をどけて前に出ようとした。
「なりません。彼女の瞳術は危険過ぎる」美鈴は鈴仙に向かって飛び、その顔面に踵を落とす。「わたしが仕留める」
 鈴仙は両腕を十字に組んで防御する。振り落とされた踵が両腕を砕く。美鈴は再び足を上げる。「死いい」美鈴は全身に万の力を込めた。「ねえええ」
 生ぬるい風が吹き、鈴仙の額の札がめくれ上がる。風は、眉間に空いた穴の底から吹いていた。美鈴はその空洞を見た。見てしまった。それが虚ろなる眼窩、第三の瞳とも知らずに。美鈴は背筋にぞっとするものを感じた。
 鈴仙の眉間から太歳星君の影が盛大に噴き出した。影はあっという間に美鈴を飲み込み、一つの形を成す。竹林をも突き抜ける、見る目叶わぬ大鯰がフランの前にでんと現れた。
「こら、美鈴を吐き出せ」フランは大鯰の目を手の内に取り込もうとするが、目が指の間からこぼれ落ちてしまう。「何これ、ぬるぬるしてる。滑る、すっごい滑るよ」何度やっても結果は同じだった。
「わはは。くすぐったいのう」大鯰はフランを舐め切っていた。
「それなら」フランの右翼が血霧を経て、レーヴァテインへと姿を変える。左翼の宝石めいた物質が七色に煌めいた。「これで壊す」
 大鯰がその身を僅かに動かしただけで、大地が揺れ、フランは転んだ。大鯰の髭がぴくぴく動いた。「無様じゃな」
 続く大鯰の突進を、フランは無理やり飛び上がって回避した。
「その図体じゃ飛べないだろう」フランは月を背に、レーヴァテインを天にかざす。
「舐めてもらっては困るな」大鯰は勢い良くジャンプしてフランに衝突し、五体を爆砕した。
「わしにかかればこんなものじゃな」大鯰は上機嫌で竹林を薙ぎ倒しながら闇に消え入った。
 フランの肉体は再生を始めていたが、鈴仙はフランの生死には目もくれず、レーヴァテインを口で拾い上げると口の端から涎を垂らしながら大鯰の後を追っていった。

 第二十五夜。
 妖怪の山。さとりはこいしに宛てた手紙を書いている。
 こいし、その死神は怪しいひとではありません。おねえちゃんが保証します。だからそのひとの言う事を信用してください。分かったら、手紙は一旦しまって、死神の話を聞いてください。
 多分、今、こいしは死神に言われた通り、亡者がはびこる旧地獄にさよならを告げて山に向かおうとしているはずです。でも、手紙を読みながら飛ぶのは危ないし迷惑なので読み終えてからにしてちょうだい。それに山のどこに行けばいいのかも見当がつかないはずです。広大無辺の深山を闇雲に飛んでもおねえちゃんは見つからないと思います。まあ、文に訊けば分かるかもしれませんが。
 文は烏天狗の新聞記者です。天狗と聞いてちょっとは興味湧いた? おねえちゃん、天狗の知り合いができたんですよ。それも含めて今から経緯を説明します。
 三日前に山が噴火したのは流石に知っているでしょうが、それが地底にどういう影響を及ぼしたかというと、それはもう、とんでもないことになりました。
 あの日、大量の魂魄が一斉に流れこんできました。山の妖怪や動物とあとなんか、人間のも交じっていました。なんか火山ガスとか流弾で人里にも被害が出たそうです。膨大な死者の物量に為す術もなく、地獄に実効支配されてしまいました。
 その日のうちに閻魔の代理がやって来ました。土地だけ寄越せなんて言われたら徹底抗戦でしたが、地上と交わした不戦の約定を解くように計らうと言われたのでそれならまあってことで、名残惜しや、口惜しや、だけど向こうの事情もあるってんで、次の日には会談を開いて八雲紫を含む地上連合と話をつけて地底から出て行くことに決まりました。地底代表はおねえちゃんじゃないですよ? 勇儀さんが行きました。古妖怪や神どもの心中に興味はありましたけど、おねえちゃんが出ると勝手に話がややこしくなりますからね。遊べるだけの時間があれば良かったんですが、残念です。
 それで、昨日。よっしゃー地上の糞人間どもをぶっ殺そうぜーってお空が言って、お燐もひゃっほーって張り切って、おねえちゃんも負けじと頑張りました。積もり積もった恨みはこんなものでは済まされないけど、少しは気が晴れました。
 お空が十七人、お燐が七人、おねえちゃんが十三人、ペットらが合わせて三十三人殺したあたりで、冷たい風が吹いてきて、疲れてきたね、そうだね、ちょっと休憩しようかってなりました。おねえちゃんらが死体に腰掛けて涼んでいるところに、射命丸文という名の烏天狗がやって来ました。どうやらこの天狗が風を吹かせておねえちゃんらの頭を冷やしたみたいです。確かに、久々の殺しでかなり興奮していたので良い判断だったと思います。おねえちゃんは吠え立てるペットらを鎮めました。
「こんばんは、さとりさん。わたしは射命丸文と申します。顔を合わせるのはこれが初めてですね」文はそう言って頭を深く下げました。
 おねえちゃんは文の声に聞き覚えがありました。「ああ、あのボール。あなたが中に入っていたのね」ボールというのは霊夢が持っている、立体化された陰陽魚のことです。
「うーん」文は苦笑しました。「まあ、そんな感じですね」文の認識によると、あれは肉声通信装置らしいです。そんな面白いものが地上にはあるんですね。しかも、文はこいしにもボールの状態で会ったことがあるみたいですよ。覚えてるかしら?
「山から迎えに来ましたって言ったら、来るでしょう。どうせ食う寝る処に住む処も無いでしょうし」
 ありがたい話ですが、ありがたすぎて勘繰ってしまいます。「わたしが何者かを知ってて、そういうことを言うんですか」おねえちゃんは探りを入れました。
 文は自ら心を開きました。「察してくれると助かります。口にしたくないこともありますので」
 天狗の余裕でしょうか? こんなことは滅多に無いので、おねえちゃんは余裕面をしつつも、文の心におっかなびっくり触れました。
「地底の妖怪を地上に放り出して、はいおしまい、じゃなくて各勢力が地底民を受け入れるみたいね」おねえちゃんは文が迎えに来た理由をみんなに聞かせました。
「さとり様。それ、地底を出る前に勇儀さんが言ってましたよ」お燐が言いました。勇儀、つまりは鬼の名に文の心が瞬間的に反応しましたがおねえちゃんは知らないふりをしました。
 それはそうと、お燐の言ったことは全然記憶にありませんでした。「え、本当。お空は覚えてる」
「全く覚えてないです」お空は即答しました。「復唱します。全く覚えてないです」
 それなんですよねー、との文の声無き主張におねえちゃんは耳を傾けました。どうやら鬼に絶対に戻ってきてほしくないというのが天狗の総意なのだけれど、会談時、禅天魔は円満第一を心がけ、鬼は二度と来るななどという宣言は控え、その旨をやんわりと角を立てず遠回しに伝えるに留めたみたいです。大方の天狗は鬼がその妙味を理解しているかどうか心配しているみたいですね。
 文の陰言は続きます。建前と嘘偽りだと、誤解無きよう本音で語り合おう等と鬼は言うけれど、それは戦争に他ならない。鬼はそれでいいのかもしらんがわたしらはそうじゃない。鬼は外。さとりさん、これ口外しちゃ駄目ですよ、と言われましたが、手紙なのでセーフだと思います。
 そんなこんなで文と知り合いになって、山に居着くことになりました。今、おねえちゃんらは宿舎の514号室(しゃれてるでしょう?)に住んでいます。文にせっかくだから新聞か何か書いてみたらどうかと誘われたので、随筆的なものでも書いてみようと思います。題名は「第三見地」にしようかと思うのですがこいし的にはどうでしょう?
 あと、こいしだけに言っておきますけど、山の噴火に地底界が関わってそうなんですよね。何週間か前、地底界からの火気を地上に逃したんだけど、それが、ね? 噴火の周期的にはおかしくないタイミングなんですが、やや早いそうです。地底が原因だとしても、いずれ来るものを早めただけだから、ね? 悪くはないですよね? 悪くはないけど、知れたら面倒になりそうなので誰にも言っちゃ駄目ですよ。勿論、書くのも駄目ですからね。というわけで読み終えたらこの手紙は必ず、必ず処分してください。よしなに。

 第二十六夜。
 妖怪の山。椛は久方ぶりに宿舎に戻ってきた。ここ数日は山の復旧、難民の受け入れ等で働き詰めだった。夜通しの作業が続いてもてんで疲れちゃいないが、上司に休んでおけと言われたので従った。
 椛は山の揺れで散らかった自室を片付けた後、将棋盤に駒を並べ始めた。現在にとりと対局中であり、その棋譜は寸分違わず記憶されている。数分掛けて並べ終え、実際に駒を動かして今後の展開を検討する。
 数時間後。椛は頭をかきむしった。「これは、負けだな」椛は駒を箱に入れ、盤上に被せる。箱を引き上げ、駒の山を四方から見渡し、しっかりと積まれていることを確認する。なんてことのない将棋崩しだが、普段椛が指すのは大将棋だから駒数は百を越えており結構な迫力がある。
 椛は右手と左手の勝負を始めた。椛は右手の人差し指でひょいひょいと駒を取り、三手目でしくじった。取った駒を右側に寄せ、左手の人差し指を伸ばし、どの駒を取るべきか思案した。
 廊下をしずしずと歩く者がいた。椛は部屋を出て、その透明な者に声をかける。「おう、にとり。入ってけ」
 椛は彼女を招き入れ、盤の向こうに座らせた。「将棋崩し」椛は手番を促した。「さあ」
 彼女はしばらくじっとしていたが、やがて駒を取った。椛はその駒を取り上げ、山の上に積んだ。「見えてるんだよなあ。ずるは無し。指一本、指の腹だけ」
 二人は手番を進めていく。そしてある局面、椛の失敗が相手にハイリスク・ハイリターンのチャンスを与えた。
 まず彼女はこぼれ落ちた駒を拾い、次に不安定に積まれた駒の土台に指をかけた。思い切って引き寄せるが駒が盤の傷に引っかかり、駒が崩れた。
 椛は目を見開いた。「あらら」椛の目算によれば、次の手番で過半数を取ってしまえる。そしてそうなった。
「勝ちー」椛は牙を剥き出しにして笑った。「あれは手痛いミスだったな。おまえらしくもない」
「ちょっと待ってて」椛は席を立ち、一切れの燻製肉を手にし戻ってきた。椛は肉を優しく投げ渡した。「ほい」
 肉が浮き上がり、指先ほどの欠片が噛み千切られ、飲み込まれた。椛はそれを見届けた。
「人間。人肉は美味いか」椛は言い終えるい否や剣を拾い、眼前の透明人間、菫子の喉元を突く。
 観念動力により剣が空中で静止した。「こんなものか」力んだ椛の腕の筋肉が盛り上がり、血管が浮かび上がる。「こんなものか」
 椛は観念動力ごと剣を押し込み、すんでのところで切っ先を止めた。菫子は取り乱すこともなく、暗い笑みを浮かべては人肉をかじった。
「ひょろひょろのメガネのくせに肝が据わっているな」椛は剣を収めた。「読心か」
 菫子は透明化を解いた。「そんな便利なものじゃない。未来が予知できるだけさ」
「それは面白い」椛は右腕を鞭のようにしならせる。その動きは人間の反射速度を遥かに超えていたが、鋭い爪は菫子の喉ではなく、食いさしの人肉を八つ裂きにした。「なるほど」椛は落ちた肉を拾い、振り返る。「読んでから動いてはいなさそうだな」
 菫子は椛の背後にテレポートしていた。菫子は一目で分かる愛想笑いを浮かべた。「あのう、一つ、いいですか」
「どうぞ。一つと言わず、二つと言わず」椛は肉を食べた。「見たいものは見れた。もう怖くない」
「ではでは」菫子は懐から取り出したオカルトボールをずらずらと並べた。「今回ご紹介する商品はこのオカルトボール。なんと七つ集めると何でも願いが叶うのです」
 椛は身を乗り出した。「ええー。本当ですかー」
「本当です。覚りは開けるわ、身体は大きくなるわ、大異変は起こるわ、死ねるわで、何でもござれ。ニャルト、オカルト、ゲシュタルト。この機会にぜひ、お見逃しなく」
「それは凄いですね。でもお高いんでしょう」
「いえいえ、今なら十万円ぽっきりでお買い求めいただけます」
「おおー」椛は拍手した。
「しかも今回に限り、オカルトボールをもう二つ付けちゃいます。それでお値段据え置きです」
「ということは、たった十万円で七つのオカルトボールの内の三つが手に入るわけですね」
「そうなんです。大々々サービス。これは凄いでしょう」
「これはすぐにでも買わないといけませんね」
「勿論、金利手数料は秘封倶楽部が負担いたします」
「うーん」椛は目を落とした。「うまい話ですけど。手持ち、無いんで。どうにも」
「それじゃあ、仕方ないですね」菫子はオカルトボールを手早くしまいこんだ。「他に買ってくれそうなとこってありますかね。恥ずかしい話ですが、土地鑑が無いもんで」
 真っ先に思いついたのは烏天狗だが、面倒事になった場合に自分が持ち込んだと知れると非常に困る。「里に行くといい。空も飛べるはずだろ。あっちに降りたとこに見えるから」
「ありがとう」菫子はマントの片端をつまんで放り上げ、全身を隠した。「親切なあなたにはボールを一つあげましょう。ではさらば」菫子はオカルトボールを一つ残してテレポートした。
 椛は寝転がり、オカルトボールの上にふくらはぎを乗せ、脚を前後左右に動かしてマッサージした。「あー、良い感じ。もう一個欲しいな」
 透明な者が部屋に入ってきた。椛はオカルトボールを足の裏に移動させた。「おう、にとり」
「ちーっす」にとりは迷彩を解除し、椛のそばに腰掛けた。「何それ」
 椛はオカルトボールをにとりの方へ蹴転がした。「さっき、思春期こじらせた変人が来てさ。そいつから貰った」
「何それ」
「超能力者と会った、と言っても所詮は人間、恐るるに足らんかったが。そいつ外界人なんだけどな、人肉食いやがった。吐き気をこらえながら涼しい顔してな。笑いそうになったよ」椛は上体を起こした。「肉、食う」
「食う」にとりは背中のリュックを下ろし、中からアームの付いたキューブを取り出した。「かっぱ、かっぱ、かーっぱ。かっぱの哀しみ、籠のなかー」
 河童に言わせれば、人肉食は礼儀であり、愛情表現だった。盟友をほっぽって蛆の寝床にしたり、汚物のごとく土に埋めて人目から隠したり、水に沈めて魚の餌にしたり、炎に投げ入れ灰になるまで全身を切細裂くといった仕打ちはあまりに惨い、といった主張には椛も同意見だった。
 椛は立ち上がり、燻製肉を取ってきた。椛は肉を投げ渡す。「ほい」
「そいつ、友達いない系」にとりは将棋盤を引き寄せた。
「ああ。それに多分、処女」
「レズかもな」にとりは駒をキューブの投入口に放り込み、スイッチを押した。それから両手を合わせ、肉を食べた。キューブはアームを駆使し、自動で駒を盤上に並べ始めた。
「へえ」椛はしきりに感心した。「棋譜の再現もできるようになったんだな」
 にとりは自身の二の腕をぽんぽんと叩いた。「なったぜえ。苦労したぜえ」

 第二十七夜。
 太陽の畑。幽香は庭に水を撒くために外に出た。
 幽香は井戸に立ち寄り、滑車の縄に手をかける。
 いつものリズムと馬鹿力で以って、幽香はただの一引きで鶴瓶を引っ張り上げた。
 幽香が鶴瓶の手馴れぬ重さを不審に思ったその一瞬、鶴瓶からキスメが飛び出し、水礫が幽香の両目に打ちつける。
 幽香は縄から手を離し、迎撃を試みたが、もはや全ての動作が間に合わなかった。血錆びた鎌が幽香の首を刎ねた。
 キスメは幽香の髪を鷲掴み、井戸の底に落ちていく。
 鶴瓶が水面を打った。幽香が口を濯ぐ時間よりも短い、僅か一分足らずの出来事だった。

 第二十八夜。
 香霖堂。針妙丸は店棚に並べられたお椀の数々を眺めている。
 花柄も無地も、磁器も陶器も見てみるが、一番気に入っているのは木製漆器だ。軽く、水に強いのが良い。
 それだけではない。「またこの蒔絵が良いんだよ。菊が。なあ店主。聞いてるか」
 霖之助は返事をしない。誰かが声を発しているのは分かる。霖之助は夢中にあった。霖之助はぬえから借り受けた三叉槍の尖端を亀頭に擦りつけている。亀頭から血が出ても手を止めないどころか一層激しく前後させる。「あー、うん。良い。良い。こりゃあ、良い」
 針妙丸はある機械を指差した。「店主。これは何だ」
 霖之助は腕の動きを止め、下半身に力を込めた。「それは、あー。うん。それは、あー」霖之助の表情が歪んだ。「うっ」
「それは」針妙丸はきょとんとした顔で訊き返す。
 霖之助は凛とした面持ちを取り戻し、ペニスをしまった。「それはミキサーだよ。トータルブレンダー、カシナートといった異名でも呼ばれているようだね」
「ミキサー」針妙丸は首を傾げた。
「容器の中に刃が見えるだろう。容器に物を入れ、ミキサーに動力を通じると中の凶刃が猛烈に回転し、どんなものでも粉砕してしまうというわけだ」
「危ない危ない。うっかり入ってしまうところだった」
「何故入る」
「器の良し悪しは入ってみないと分からないじゃないか」
 霖之助はペニスを扱いていた手で顎を撫でた。「そんなものか」
 針妙丸はミキサーの刃を見つめた。「しかし、この刃を取り出したら武器になりそうだな。わたしの剣よりも強そうだ」
「強そうも何も、それはとてつもない代物で、実際、それが斬れないものはチャック・ノリスだけだそうだ」
 針妙丸は霖之助を見た。「それは何だ。物か。人か。それとも魔か」
「残念ながら分からないのだが、もしそれが生き物の名前なのだとしたら、鬼も天人も、神をも超える常識外れの存在であることは確かだ」
「はえー」針妙丸は目を丸くした。「じゃあ、チャック・ノリスなら霊夢もワンパン」
「ワンパンで即死」霖之助は即答した。
「夢想封印があっても」
「ワンパンで夢想封印をゴミクズにして、ツーパンでグロ死」
「やべー、こえー」
「ワンパン耐えるだけでも大したもんだよ。流石は霊夢」
 針妙丸はミキサーを一瞥した。「わたしはチャック・ノリスじゃないからな。絶対に近づかんとこう」針妙丸は霖之助に向き直る。「ところで店主。折り入って頼みがあるのだが、今夜、宿を貸してはもらえないだろうか。最近は辻斬りの噂を聞く」
「物騒なことだ」霖之助はペニスを扱いていた指でお椀を差し、くるくると円を描いた。「分かった。寝床はそれで良いだろう」
「良い。ありがとう」針妙丸は漆塗りのお椀に飛び入った。「やはり最高だ。職人技だよ」針妙丸はお椀の蓋を少しずらして被せた。
「起きたら、勝手に出て行ってくれていいから」霖之助はペニスを扱いていた手で灯りを落とし、店の奥へ歩いて行った。「おやすみ」
「うん」針妙丸はあくび一つして、落ちていった。無限の広がりを持つ夢の世界にではなく、お椀の底に生じた次元の狭間へと。
 真っ逆さまに落っこちた針妙丸を蜘蛛の巣が抱き止めた。ヤマメは獲物を八眼で見つめ、六臂、その三十指から出した糸を触手のように操って針妙丸の身体を弄る。キスメは三挺の鎌でお手玉をしながらげらげら笑っていた。
 そこは神霊廟の一室だった。地底人の移住計画を受けて、ヤマメとキスメは神子に食客として招かれていた。
 ヤマメの糸が針妙丸の懐中に隠された打ち出の小槌を探し当て、引き抜いた。「キスメ」ヤマメは打ち出の小槌をキスメに向かって放り投げ、キスメのお手玉の数を四つに増やした。
「馬鹿」針妙丸は唾を飛ばして絶叫した。「馬鹿馬鹿馬鹿。落とすなよ。絶対落とすなよ。鎌にもぶつけるなよ」
「問題なーい」ヤマメは首を振った。「キスメはプロのジャグラーだから。そうだ、もっと多くても大丈夫なところを見せて、お嬢さんを安心させてやりなー」
「あいよ」キスメは鎌を二挺増やした。「まだまだいけるよ」
「あわわ」針妙丸は自身の状況も忘れてキスメを見ていたが、いきなり叫んだ。「正邪」
 全員が部屋の入口に顔を向け、腕を組んだ正邪を見た。キスメは手元も見ずにお手玉を続ける。
「呼ばれたからには入るよ」正邪は部屋に入り、背を壁に預けた。正邪はキスメを見て言った。「落としなよ。その方が笑える。絶対笑える。百挺増やそう」
「正邪。見てないで助けてくれ。こいつらに捕まったんだ」
 馬鹿者。正邪はそう怒鳴り返したかった。天邪鬼といえども、限りなく薄いだけで情けは存在する。いつもの気まぐれだとは思うものの、今はその儚い感情を大事にしたい気分だった。殺さずに済むなら殺さずに済ませたかった。だが助けろと言われたからには、見捨てるしかなかった。見ていたくはなかったが、見ているしかなかった。笑いたくはなかったが、笑うしかなかった。
「正邪。助けて。こいつらなんか簡単にやっつけられるだろう」針妙丸はなおも縋った。
「あー、確かに。正邪強いから、言われたら止めるしかないなー」ヤマメは振り向いた。
「取るものは取った。命まで取る道理も無い」キスメは鎌を一挺増やした。「どうするよ。あんたが決めていい」
「くっ」正邪は針妙丸を睨みつけ、声を絞り出した。「殺せ」

 第二十九夜。
 無名の丘。芳香は人魂を追いかけている。行く手の右方には一本の大木が生えており、根元には桶が転がっていた。
 人魂が大木の辺りでそれとなく減速した。芳香は人魂との距離が狭まっていることに気が付き、ここぞとばかりに飛びかかった。
 人魂が芳香の腕をすっと避けた。芳香の着地に合わせ、桶が躍りかかってきた。
「ん、キスメか」芳香は桶を優しく払いのける。
 それは囮で、芳香は背後から斬られた。「おっ」芳香は振り向く。またもや背に太刀を浴びる。芳香が踵を返した直後、背中に斬撃を受ける。「おおっ」
 芳香は未だ狼藉者を視界に捉えることはできていないが、その太刀筋は身に覚えがあった。「妖夢う」
 芳香の推理は正しかった。夜道の襲撃者、妖夢は樵が斧で木を切り倒すように、芳香の背面を集中的に斬りつけていた。だが芳香の堅甲なる身体は木とは比ぶべくもなかった。三度も四度も斬りつけておいて、皮膚を刻むのがやっとだった。
 両者の目が合った。妖夢はたまらず笑みをこぼした。それでこそ斬りがいがある。妖夢は低く構えた。「斬って斬れないものは無し」
 妖夢は飛び出し、吼えた。「きえええええ」弧の軌道で芳香の背後に回り、そのまま流れるように横回転して捨て身でぶった斬る。筋肉の硬い手応えが返ったが、強引に振り抜く。「しゃあっ」帽子を残し、吹っ飛んだ芳香が砂利道を滑っていく。
 芳香は難なく起き上がった。襤褸になった衣服は、地肌を秘匿する役目を果たしていない。「こんなもんかあ。これで本気かあ。だとしたら、がっかりだな」
 芳香は自身の首の骨を折った。「確かに妖夢の動きについていけなかったけどさ」そして両方の手首と肘、肩の骨を折り、鎖鎌のように振り回す。「目は、目は追いつてんだよな」
 妖夢は二刀を天に突き上げる。「はあああああ」刀身がオーラを纏い、長く、鋭く、分厚く、重くなる。
 妖夢は二刀を構える。「二重」半霊に形を与え、分身とする。「苦輪」片方は前宙、片方は駆けだして突貫する。
 芳香は首を振り、真横に九十度曲げる。「かああ」芳香は口を大きく開いた。
 すれ違いざまの刹那、天地の刀が芳香を襲う。芳香は折れた両腕を地上の妖夢の二刀の腹に向かって叩きつけ、絡め取った。同時に首を真後ろに捻じ曲げ、空中の妖夢の一刀を歯で白羽取る。残りの一刀が背を裂くが、筋肉を収縮させ、骨を断たれる前に食い止めた。
 飛んでいた妖夢は二刀を手放し、適切な体勢で着地する。地上の妖夢は刀を抜き取ろうとするも、しかと巻き付いた腕、握られた指を外さねばならず、手間取っている。
 芳香は歯で奪い取った刀を噛み砕いて飲み込んだ。「ああ、この味は霊魂だな。上等」
「んべえ」芳香の継ぎ接ぎだらけの舌が腰元まで伸びる。芳香は背に刺さった刀を舌でつかみ取り頭上に持ち上げ、一息で飲み干した。
 妖夢は半霊を手元に呼び戻し、二人がかりで芳香の指を外す。
 芳香が半霊の右肩にかぶりつき、引き千切った。
「糞が」ようやく芳香の全ての指が外れた。妖夢は刀を抜き取った勢いのまま後方に転がる。
 妖夢は素早く立ち上がり、二刀を構えようとしたが、右腕が上がらなかった。半霊の損傷は大きかった。
「やむなし」妖夢は芳香から距離を取り、殺しの間合いから外れる。芳香から逃げるのは手負いの身でも容易い。「わたしの負けです」妖夢は二刀を収めた。
「もう終わりか。大したことないなあ」芳香は首と両腕を振り、正位置に戻した。
「確かに。闇討ちしておいてこの様とは情けない。完全敗北と言っても差し支えない。だが失敗なくして成功無し。故に明日のわたしは今日のわたしよりも強い」
「それは楽しみだ」
「お仲間にもよろしく言っておいてください」
「誰に、何をだ」芳香はとぼけた。
「キョンシーどもに、白玉楼の魂魄妖夢が月に代わって貴様らを仕置くとな」
 夜風が吹き、芳香の首がふらついた。「月にとな。何でそんなことしてるのか繋がりが見えないが、きっと事情があるんだろうなあ」
 妖夢は自身の額を指した。「キョンシーなら分かると思うけどさあ、時々、主に命令されるわけですよ。理由も説明されずにさ。しかも大抵いきなり」
「そっか。どこも同じなんだなあ」
「嫌ってわけじゃあないんですけど、愚痴りたくなるときもあります」妖夢は人差し指を口に当てた。「一応、内緒ですからね、これ」
「大丈夫。死人に口なし」二人は笑った。
「それじゃ、また会いましょう」妖夢は左手を振り、撤退する。「次は殺しますからね」
「ばいにゃらー」芳香は妖夢が見えなくなるまで、折れた両腕を振りつづけた。

 第三十夜。
 マヨヒガ。今宵を以って月の満ち欠けは一つ巡り、新しい月を迎える。
 紫と四季が囲碁を打っている。映姫は黒石を打った。「地底界の件は本当に助かりました」
「良いってことよ。情けは人の為ならず。狭い世の中、持ちつ持たれつで成り立っているから。ところで」紫は白石を打った。「無断で郷の亡者を月の地獄に異動させてるわよね。説明が欲しいわ」
「当然、輸出については全部把握しているんですよね。隠し立てしたつもりはありませんし」映姫は黒石を打った。「でしたら、どうして何も言ってこなかったんですか。その不問を了承と捉えたのですが」
 紫は手を止めた。「へカーティアが関わってるんじゃあ、言えるものも言えないわ」
 映姫は訝しんだ。「あなたが尻込みするような相手が存在するとは思えませんが」
 紫は首を振る。「一対一ならそのつもりだけど、国背負ってるから」
「ああ、それは」映姫は頭を下げた。「すみません。軽率でした」
「でもまあ、わたしの見立てじゃ大した問題じゃないのよ。別にへカーティアや純弧の恨み辛みに同調しているわけではなくて、あくまでドライに、増えすぎた亡者を処分しているだけなのでしょう」紫は白石を打った。
「ええ。使える奴は兵士に、役立たずは肉団子に生まれ変わって」映姫は黒石を打った。「で、あれ、どうなりました。キョンシー」
「とりあえず幽々子に丸投げして、幽々子が妖夢に投げた結果、辻斬りが出没した。まあまあ順調みたいよ」紫は白石を打った。「でも死者の管理に困ってるくせに、別口で死者を増やさせるのはどうしてかしら」
「それとこれとは話が別で、死者が現世をうろつき回るのは我慢ならない。その横行は不正で、不義で、不自然で、誠に、全くもって、甚だ不愉快である」映姫は黒石を打った。「わたしの目の黒いうちは不死なる生命など存在させない。許さない。生きとし生ける者には死を鮮明に記憶して頂く」
「何はともあれ」紫は白石を打った。「郷が平穏無事であれば他に何も望まないわ。栄枯盛衰も一時の偏り、甘んじて受け入れる」
「それで今月はいかがでしたか」映姫は黒石を打った。
「今月も」紫は白石を打った。「恙無し」
 第二十五夜、偽。
 全くの余談になりますが、度し難いと巷で噂の稀神サグメの力について、おねえちゃんなりの考察をば少々。おほん。あれはですね、観察者効果的なものだと思います。観察者効果というのは、観察するという行為が観察される現象に与える変化のことです。例えば、電子を見ようとすると光子との相互作用によって電子の軌道が変化します。ということは他の直接的でない観測手段も電子に影響を与えることになりますね。また、実際の観察が行われず電子が観測可能な位置に入っただけでもその位置が変化してしまいます。どうです?
 前提を踏まえて考えると、サグメの物言いは運命が回れ右せざるを得ない程度には重いのでしょう。
 よって導き出される結論。サグメは重い女に違いありません。口は禍の元、何が重いとまでは言いませんが。
 おねえちゃんは実物に会ったことないんで、まるきり知らないんですけど、絶対そうだと思います。
ただの屍
作品情報
作品集:
12
投稿日時:
2015/09/22 12:00:54
更新日時:
2015/09/22 21:00:54
評価:
1/2
POINT:
110
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0. 30点 匿名評価
2. 80 名無し ■2015/10/02 02:38:56
続け、千一夜まで。
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