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『お嬢様防衛網』 作者: pnp
今日も定刻通りに起床した、紅魔館のメイド長、十六夜咲夜。
時間を止めながら、早急に主である吸血鬼レミリア・スカーレットを起こしに寝室へと向かう。
時間を止められる故、その移動は一瞬で終わる。
「お嬢様。朝ですよ」
朝の薄暗さに合った控えめで上品な挨拶。
その声に、レミリアが応えるように上体を起こした。
「咲夜……」
「おはようございます」
言いながら咲夜は、寝室のカーテンを開いた。
「まあ。いい天気ですわ」
空は雲に包まれていて薄暗い。
雨は降っていない。
日光と流水が弱点であるレミリアにとっては、『いい天気』と言うのはこの曇りなのだ。
いつもなら日傘も朝食もそっちのけで外へ飛び出すレミリアだが、今日は普段と様子が違う。
いい天気の外を見ても、いまいち表情が晴れない。
主の異変に、咲夜が不思議そうに首を傾げる。
「お嬢様? 嬉しくないのですか?」
「咲夜……とても恥ずかしいのだけど、実は昨晩からどうも体調が優れないのよ」
「え? ご病気ですか?」
「そうみたい。大したことはないと思うけど、今日は一日安静にしていたいわ」
「そうですか……」
失礼しますと一礼し、咲夜はレミリアの額に手を当てる。
吸血鬼と人間の体温が同じなのかは不明だが、人間を基準にしてみると、確かに熱っぽい。
「お熱がありますわ」
「大丈夫よ。気にしないで。……くれぐれも、他言は無しでお願いね」
吸血鬼のプライドに賭けて、病気で安静にしている、なんて事を周囲になるべく知らせたくなかったのだろう。
咲夜もレミリアの気持ちを汲み取り、首を縦に振った。
「一先ず、朝ごはん食べて、それから寝るわ」
「分かりました。では、朝食の用意を」
レミリアがふらふらと歩き、廊下への扉の取っ手に手を掛けようとした。
だが、手は取っ手に触れる事なく、そのまま床へと降りてゆく。
寝室から出る事もできず、レミリアはその場に倒れてしまった。
「お嬢様!?」
時間を止める寸前で、咲夜はそれに気づいた。
レミリアをベッドへ運び、時間を止めて紅魔館の住民たちを叩き起こしに向かった。
「美鈴!!!」
「はぅあ!!?」
蹴破られるかの如くに開いた扉の轟音に、紅魔館の門番である紅美鈴が飛び上がった。
「さ、咲夜さん! もっとまともな起こし方は……」
「お嬢様がご病気で倒れてしまったの! 今から私はパチュリー様を起こして永遠亭に行ってくるから、お嬢様をお願い!」
「お嬢様が!?」
用件だけ伝えると、咲夜はパチュリーの所へと行ってしまったらしく、次の瞬間には開け放たれた扉の向こうには誰もいなくなっていた。
寝巻きからいつもの緑色のチャイナドレスに着替えると、美鈴は自身の最高の速度でレミリアの寝室へと向かった。
寝起きで体が完全に起きておらず、二、三度コケた。
*
「まあ……人間で言う風邪、みたいなものかしら」
永遠亭の薬剤師、八意永琳の診断結果はそれだった。
実際、吸血鬼を診る事などほとんどなかったのだが、レミリア本人の見解と照らし合わせてみても、間違いはなさそうだ。
「きちんと栄養を摂って、薬を飲んで寝ていれば、すぐによくなるわ」
「そうですか……ありがとうございます」
咲夜は何度も頭を下げた。
当のレミリアは、熱と羞恥心で顔を赤くしている。
「……高貴な吸血鬼が風邪でダウンなんて……生き恥だわ……」
「何百年も生きていれば、一度や二度くらい体調不良を起こすわよ」
「うう……」
何億年と生きている永琳の励ましも、効果は薄いようだ。
「それじゃ、無理をなさらないようにね」
永琳が鞄を持って立ち上がった。
「朝からありがとうございました」
「小悪魔、玄関まで送ってあげて」
パチュリーの指示を受け、小悪魔が永琳を先導し、レミリアの寝室を出る。
レミリアはまだ風邪を引いてしまった事がショックらしく、ボーっと天井を眺めている。
主の体調不良は咲夜も初めての事で、相当動揺しているようだった。
不意に、レミリアの手が強く握られた。
視線を向けると、泣きそうな顔の咲夜が、レミリアの手を握り締めていた。
「さ、咲夜?」
「お嬢様、咲夜はここにいますからねっ。よくなってくださいね、必ず」
「い、いや、咲夜? 風邪よ? 風、邪。そんなに大袈裟にならなくたって……」
「いいえっ。お嬢様がご病気なんて、いても立ってもいられません!」
そう言って咲夜は、心の中で様々な最悪の展開を想定し、不備がないかを懸命に模索し始めた。
この調子で看病していると咲夜までおかしくなりそうなので、美鈴が咲夜の肩を叩いた。
「咲夜さん、そこまでがんばりすぎなくても……ほら、永遠亭のお薬の凄まじい効能には定評がありますし」
「そうよ、咲夜。病は気から、と言うけれど、気にしすぎるのもかえって体に毒だわ」
パチュリーもそう言っているのに、咲夜の心配性は止まる事を知らない。
そして次の瞬間、咲夜の表情が凍りついた。
「……そうだわ」
「?」
突然美鈴の胸倉を引っ掴み、前後に何度も揺さぶる。
「今のお嬢様は絶対安静で敵への抵抗の術を持たないのよ!? こんな時にお嬢様に謀反を働く輩が現れたらどうするのよっ!?」
「あだだだだだだ」
「そうよ! どうしようもない! お嬢様が、お嬢様が〜!」
「おおおおおおお落ち着いて咲夜さん。胸が苦しい、苦しいですよ」
「うるさい! ちょっと大きいからっていい気になって!」
「そそそそそそそういう訳じゃなくてですね」
ようやく開放された美鈴。
「考えすぎですよ。お嬢様は吸血鬼なんですよ? 謀反を働くような命知らずはいないと思いますけど」
「だからこそよ! この病気だって事をどうにか嗅ぎ取って、無抵抗のお嬢様を……」
「……」
パチュリーはもう何だか良く分からない瞳で咲夜を眺めていた。
ただ、いつか本で読んだエキサイティングな展開に、少しだけ胸を躍らせていた。
「美鈴! 罠を張るわよ!」
「はい!?」
「これより、紅魔館はお嬢様防衛の為に厳戒態勢に入ります! メイド長の権限でこれをここに宣言します!」
「わ、罠って?」
「あるでしょう! 何だっていいのよ、鳴子でも、ピアノ線でも、落とし穴でも、赤外線なんとかでも!」
「まあ、心得はありますが」
「パチュリー様も、何かありませんか?」
「罠形の魔法は、嫌と言うほどストックがあるけど」
「それですわ! ありったけ用意してください!」
「分かったわ」
「ほら、いくわよ美鈴!」
「あたたたたたた襟首掴まないで咲夜さん」
言われてパッと手を放された。
慣性の法則に則ってゴロゴロと床を転げる美鈴。
あられもない姿で静止した美鈴の横を、パチュリーが歩いて抜き去る。
そして去り際に、
「美鈴、下着丸見え」
「……もー! みんな私を苛めますー!」
「何サボってるの美鈴! 早く来なさい!」
「うう……」
こうして、咲夜監修の元、紅魔館内は罠だらけになってしまった。
普通ならとてつもない時間がかかるが、そこは時間を止める咲夜の能力で補い、
僅か数十分で紅魔館は鼠も逃がさない要塞と化した。
「私とパチュリー様はお嬢様の寝室で待機。ここが最終防衛ラインとなります」
「私はいつも通り、門番ですか」
「今日はお客をあまり入れないでね。見知らぬ輩は容赦なく蹴り殺しなさい」
「……」
*
外見は何も変わらぬ紅魔館。
しかし、内装はと言うとそれはそれは、吸血鬼の館に相応しい地獄が張り巡らされている。
そうと知るのは、紅魔館の住民のみ。
「文々。新聞ですよー」
いつも通り、新聞を配る天狗。
美鈴の所にも新聞が落ちてきた。
「ああ、文さん。ご苦労様」
「美鈴さん、おはようございます。何だか今日は朝が早いようですね」
「ええ。ちょっと」
「あ、そうだ。レミリアさんにこの前の新聞の感想をお尋ねしたいのですけど」
「えっ? あー、今日は止めておいてください」
「? どうして」
「実は……」
美鈴は、レミリアと紅魔館の状態を説明した。
文はへぇ、と感嘆の声を上げた。
「風邪を」
「そうなんです」
「むふふ。いい事を聞いてしまいました」
「お嬢様、とても風邪を引いた事を恥じておられますから……幻想郷で暮らし続けたければ、新聞にするのはやめておいた方がいいですよ」
「そ、そうですか……肝に銘じておきます」
幻想郷最速の射命丸と言えども、レミリアから逃れるのは不可能だろう。
「では、お大事にとお伝え下さい」
「はい」
暫くすると、団体が紅魔館に押し寄せてくるのが確認できた。
「おはよーっ。門番!」
「おはようございます」
氷の妖精、チルノの無駄に元気のいい挨拶。
それに続いて、ミスティア、リグル、ルーミア、大妖精と立て続けに挨拶をする。
あまり強力でない妖怪や妖精同士で気が合うのだろう。この五人が一緒にいるのをよく見かける。
「今日も紅魔館でかくれんぼしたいんだけど?」
「今日は無理です。紅魔館は鉄壁になってます」
「?」
「お嬢様が病気になってしまったので、罠やら何やらが大量にしかけてあるんです。見取り図、見ます?」
美鈴は、配置した罠と罠形魔法の分布図を広げた。
「白い丸が罠。黒い丸が罠形魔法。黒い三角が自動で見回りをする高性能な罠形魔法です」
「おおー。すごーい」
呑気な声を上げるルーミア。
当のチルノは声も出せない状態らしい。
「かくれんぼ、します?」
「……ま、まあ、その気になればこれくらい楽勝だけど、今日は勘弁しておいて上げるわ」
あくまで虚勢を張るチルノだった。
こんな調子で、しばらく美鈴は門番としての責務を果たしていた。
しかし、いつもの癖でうつらうつらとし始め……
ついに眠りこけてしまった。
そんな様子を、紅魔館近くの茂みからじっと観察する人影があった。
「今日はやたらと来客を拒んでたからな……一体、何を隠してやがるんだ?」
魔法使い兼泥棒、霧雨魔理沙。
いつもなら正面を突っ切って泥棒にはいる所だが、いつもと違う美鈴の様子に警戒し、眠るのを待っていたのだ。
「やっぱり眠ったな。じゃ、お邪魔させてもらうぜ」
魔理沙が居眠りする美鈴の横を通り抜けた。
館内が混沌に包まれていて、弾幕ごっこの様なパターン化すら許していない状況だという事を知らない哀れな泥棒猫が一匹、館内へと入っていった。
*
玄関の扉を開けてまず最初に、巨大なエントランスホール。
煌びやかなシャンデリアや高そうな壷なんかが置かれているか、ここの主がその真価に気付いているのかはいささか謎である。
「ん? 今日は咲夜が来ないのか」
いつもなら最初に咲夜が様子を見に客の前に姿を現すのだが、今日は咲夜の姿は無い。
しかし、盗みを働きに来た魔理沙にとってはかなりの好都合だった。
普段の疲れる追いかけっこが省かれた、程度にしか捉えていない。
箒にまたがり、まずは珍しい茶菓子や茶葉でも盗もうと、館内の大きなキッチンへと向かおうと進む。
文に次ぐスピードを持つ魔理沙は、すぐにトップスピードへと運んでいったが……
進んで間もなく、何かに引っかかり、無様に転んだ。
床を滑るように進んで、ようやく静止する。
暫く起き上がる事ができず、その場に突っ伏していた。
「痛てて……な、何なんだよ」
後ろを振り返る。
目を凝らすと、そこには細い細い糸が引いてあった。
それに引っかかったのだろう。
「くそっ。こんなイタズラする奴、誰だよ」
忌々しそうに糸を箒でぶっ叩く。
張っていた糸が大きく緩んだ。
すると、天井からナイフが数本、糸を目掛けて飛んできた。
カツカツカツッ、と言う軽快な音。
地面にナイフが整列して刺さっている。
もしも魔理沙がもう一歩進んでいたら、間違いなくナイフの餌食となっていただろう。
冷や汗が魔理沙の背を伝う。
「え……? え? な、なんだ、これ」
恐る恐る、ナイフに手を触れる。本物の質感。
ナイフを一本引き抜き、刃でゆっくりと自分の指を撫でる。薄皮が切れた。
正真正銘、本物のナイフだった。
暫く信じられない様な目で、手に持ったナイフと地面に刺さっているナイフを見つめる。
そして、玄関の扉へと向かった。
美鈴に文句を言ってやろう、と思ったのだ。
「おい美鈴! これは一体……」
叫びながら、玄関の扉に手を掛けようと手を伸ばした瞬間、
突如魔理沙の頭上に、魔法陣が現れた。
「え……!?」
玄関を開ける事など叶わず、魔理沙は魔法陣の襲撃を受けた。
反射的にそれを避けると、慌てて箒に跨り、エントランスを後にした。
「……ん?」
何か物音がした気がして、美鈴が目を覚ました。
が、すぐに気のせいか、と思考を止めた。
「眠っちゃいました。気を引き締めないと」
*
エントランスでのあの出来事を、魔理沙は思い出していた。
あの糸、基罠には、明らかに殺意が含まれていた。
冗談ではない。あれは、敵を殺す為の罠だろう。
「……私を殺そうとした」
口に出してみて、魔理沙はその妄想を鼻で笑って吹き飛ばした。
そんな筈がない。
確かに今、彼女がやろうとせんとしている事は悪事だが、今までだって殺されそうになったりする事は一度もなかった。
「そうだよ。今までだってこんな事はなかったもんな。今までは。……今まで……は……」
そう。今までは。
今まで、と言う事は、これからはどうなのかは分からない。
もしかしたら、みんな上っ面だけは困っているだけだが、内心ではとてつもない殺意を抱いていたのかもしれない。
不安から思い付いたささやかな罪滅ぼしのつもりで廊下を飛ばすに歩んでいた足が、ふと止まった。
エントランスのある方を振り返る。
「……まさか、な」
こんなの、自分らしくも無い。
そう思って、魔理沙は再び歩み始めた。
次の瞬間。
左右の壁から、魔法陣が現れた。
パチュリーが仕掛けた罠形の魔法だ。
セットした場所を通過した生物に攻撃を仕掛ける仕組みの魔法である。
普段は図書館の防犯に用いているが、図書館で暴れすぎると本が傷つく。
故に、図書館に用いている魔法の威力は相当抑えてあるが、これには何の躊躇も無い。
小さな弾幕が連射される。
「うわああああ!!」
悲鳴を上げて、魔理沙は必死にその弾幕を避ける。
壁に細かな穴を開けながら、弾幕は魔理沙を追って尚も放たれる。
被弾スレスレの所で、魔理沙は床に倒れ込んだ。
愛用の帽子を貫き、弾幕が頭上を駆け抜けていった。
息を荒げ、弾幕が過ぎて行ったのを確認すると、魔理沙はゆっくりと立ち上がった。
帽子にできた穴を見て、体を震わせる。
「本気なのかよ……」
恐ろしくなって、叫んでみた。
「さ、咲夜!!」
返事は無い。
「パチュリー!! 美鈴!! レミリア!!」
やはり返事は無い。
スペルカードを一枚も持ってこなかったのを悔やんだ。
帰るか進むか。魔理沙は迷った。
しかし、進めど戻れど、危険な事に変わりは無い。
「ひとまず、図書館に行こう。きっとパチュリーがいる」
大きく息を吸う。
そして、箒に跨り、最高の速度で廊下を進む。
魔法陣を振り切るにはこれしかない、と言う彼女の考えだった。
狭い廊下をビュンビュンと風を切って進む。
途中、幾つかの魔法陣に見つかってしまったが、放たれる弾全てを避ける事に成功した。
「いける……この調子なら……」
しかし、その慢心が隙を生んだ。
魔法陣から放たれる弾に集中しすぎて、細い線の存在を忘れていた。
あれには物理的作用が働く。
故に、魔法陣の発動条件とは異なり、当たると魔理沙も転んでしまうのだ。
それにまんまと引っかかった。
廊下を横切っていた細い線。それに、また箒を引っ掛けてしまった。
「ああっ!?」
叫んでいる間に、廊下を滑ってしまっていた。
逃げ切れると踏んで、発動させ続けてきた魔法陣。
そのお釣りが一斉に返ってきた。
爆音染みた音に振り返ると、色彩も威力も大雑把な美しさの無い弾幕の嵐。
「うああ……!」
魔理沙は恐怖した。
この弾幕は「ごっこ」ではないからだ。
箒に乗る暇もなく、咄嗟に真横にあった扉に飛び込んだ。
中は、彼女が密かに目指していた台所だった。
しかし、お菓子なんて盗んでいる場合ではなくなっていた。
扉を閉め、荒い呼吸を整えようと努める。
しかし、極度の緊張と、命を狙われていると言う恐怖が、それを許さない。
汗でぐっしょりと濡れたエプロンドレスが肌にくっ付いて気持ちが悪い。
――部屋には、魔法陣は無いのだろうか?
魔理沙の僅かな希望は、即座に打ち砕かれた。
天井で魔法陣が光った。
まるで雨の様な魔法弾が、魔理沙を襲う。
「ひええっ!」
逃れられないと悟り、魔理沙は最寄のテーブルの下に滑り込んだ。
頭上のテーブルがガタガタと音を立てている。
表面が波打つ様に削られてボロボロになってしまった。
テーブルの下なら安全かと思いきや、まるで見透かしていたかの様に魔法陣がテーブルの下に隠されていた。
顔面蒼白になって、魔理沙がテーブルの下から跳び出した。
ボン、となってテーブルが爆ぜた。
ガムシャラに跳んだ魔理沙は受身に失敗し、食器棚に背を打った。
揺れた食器棚から、様々な食器が落ちてくる。
薄い皿、底の深い皿、コップ、グラタン皿、ステーキ皿、フォーク、スプーン、ジョッキ――
「いぃっ! 痛っ!」
幾つかの食器が魔理沙の頭に、肩に、背にぶつかった。
震えながら体を縮めて、手で頭を護りつつ、食器の雪崩れが治まるのを待つ。
暫くすると、頭上からの打撃が止まった。
頭から流血しているらしく、額、眉間、鼻を伝って口に血が入ってきた。
また、手に尖った物が当たったらしく、手の甲から血が出ている。
「く、くそ……っ」
割れた食器で手を切らない様に気をつけながら立ち上がる。
幸い、台所だから水道は近かった。
頭からの流血を手で拭うと、魔理沙は手を洗いに水道に歩み寄る。
「た、確かに私が悪いけど……何もここまでしなくったって……」
泣きそうになるのを懸命に堪えている様な震える声でぶつくさと文句を垂れる魔理沙。
水道に立って傷口を水で流している時、ふと思った。
今、自分はまったく動いていないと言うのに、攻撃を受けていない。
「もしかして、動かない方がいいのか……?」
通過を条件に発動する魔法を多く見た。
それはつまり、通過しなければ発動しない、と言う事になる。
魔理沙がニヤリと笑んだ。
ならば、ここに留まっていればいいのだ。
「簡単な事だったんだな。ははは」
手を洗いながら笑う。少し心に余裕ができた気がした。
――筈だったのだが、現実はそう甘くない。
何せパチュリーは、自動で見回りをする高性能な魔法を放っていたのだ。
そしてこの部屋にも、無色、無臭、無感の見回り魔法がうろついている。
それが、水道の前に立つ魔理沙を感知した。
もしも水道が毎日、咲夜の手によって几帳面に磨かれていなかったら、魔理沙はここで消し炭になっていたかもしれない。
魔理沙の背後で、魔法陣が発動していたのだ。
幾何学的で左右対称の紋章を持つ陣の中心に、光が集約されていく。
その集まった光が、ピカピカの水道に映った。
「……え?」
後ろを振り向くと、一撃の元に敵を殲滅せんとする魔法陣が煌々と輝いている。
魔理沙は目を見開いた。
箒を掴む事もできず、死に物狂いでその場から跳んだ。
直後、爆音と共に極太のレーザー砲が、無人の水道目掛けて放たれた。
「うぎゃああああ!! うああ! うああああ!!!」
ヒステリックな叫び声を上げ、魔理沙は無我夢中で走り去った。
箒を失った為、飛ぶ事はできない。
正確には、飛ぶ事はできるのだが、上手く飛ぶ事ができなくなってしまっているのだ。
彼女は飛ぶ際、箒に跨る癖がある。
癖とは恐ろしいもので、もう魔理沙はそれがないと飛べなくなっていた。
割れた食器を踏み躙り、ボロボロとテーブルを抜け、廊下へ出た。
出た直後、更なる恐怖が魔理沙を襲った。
瞬間転移の魔法である。
これは小悪魔が面白そうだと勝手に放った魔法である。
館のどこかに瞬間移動してしまうと言う、恐怖の魔法。
一見すると大した事の無い魔法だが、地形を把握し切れていない者にとって、これは脅威だ。
一瞬で自分の要る場所が変わってしまうのだから。
魔理沙は慌てて駆け出した直後に、これが発動してしまったのだ。
次の瞬間には、魔理沙は見慣れない場所にいた。
「っ!? え……え!? な、なんだ!? 私は台所から出たんだぞ! どこだよここっ!?」
遂に魔理沙は、自分の居場所すら分からなくなってしまった。
*
巨大な花畑で一人、風見幽香は佇んでいた。
特に誰といなくても、花が近くあればそれでいいのだ。
静かな場所だったが、次第に騒がしくなり始めた。
「わーっ! 花だらけ!」
「すごいねえ。リグル、どうやってこんな所見つけたの?」
「見つけたって言うか、作られてるんだよ、ここ」
「こんな大きな花畑を作れるの?」
「うん。風見幽香って言う妖怪」
言った直後、リグルは背後に気配を感じ、振り返った。
「噂をすれば何とやら」
「噂しなくたって、毎日私はここにいるけどね」
虫にやる為の花の蜜を譲ってもらったりする事がある為、幽香とリグルは親交があった。
しかし、リグルの友人にしてはすさまじい妖気を持っているので、ミスティアは一歩退いてしまった。
が、妖気の割りに、幽香の表情は穏やかだ。
「こんにちは。夜雀さん」
「こ、こんにちは」
「リグル。どうしてこんな所へ?」
「本当は紅魔館を借りる予定だったけど、そこの吸血鬼が病気で入れないって」
「そう」
しばらく、紅魔館のある方を向いた幽香。
そして、意味ありげな笑みを浮かべた。
「お見舞いに行きましょうか」
「え? お見舞い?」
「でも、罠だらけで入れないって門番に言われた」
「大丈夫。入れてもらえないなら、花を渡すだけでいいわ」
ミスティアの助言も、幽香は聞くつもりはないらしい。
一体、何を考えているのか、リグルもよく分からなかった。
実際、幽香自身も、深い意味は持っていなかった。
*
最大の武器にして、防具であった箒を失い、魔理沙はすっかり畏縮してしまっていた。
一歩進む毎に恐怖に苛まれ、ちょっとした物音に敏感に反応するような状態。
静まり返った廊下は、まるで無限に続いているようにも見えた。
幸いにも、瞬間転移で居場所が分からなくなってからは、魔法陣に襲われていない。
「どこだ……ここ、どこだよ……! ちくしょう……」
涙を堪えつつ、ゆっくり慎重に進んで行く。
見慣れない廊下は暫く続いたが、変化があった。
階段があったのだ。しかも、下に続いている。
「……図書館? 違う。こんな所じゃない」
図書館も確かに薄暗い場所にはあるが、地下室などではない。
もと来た道を戻るのも恐ろしかったので、魔理沙は意を決して地下室へと降りてみる事にした。
普段の彼女なら、溢れる好奇心で鼻歌なんか交じえながら降りて行く事だろう。
しかし今はと言うと、涙を堪え潤んだ瞳に、震える唇から漏れる弱弱しい吐息。
活発なイメージはまるで皆無だ。
地下室には、大きな鍵が掛けてある、巨大な扉があった。
扉の向こうには大きな部屋がありそうなイメージだ。
コンコン、と、扉を叩いてみる。
「だ、誰かいるか!?」
返事は無い。
もう少し強めに、再度扉を叩く。
「いたら開けてくれ! 誰かいたら……」
魔理沙の言葉を、破壊音が遮った。
濛々と立ち込める砂煙と埃。
思わず顔を手で覆ってしまった。
晴れて行く煙の中から現れたのは――
「……誰?」
「――!」
魔理沙は言葉を失った。
以前、霧が発生し、夏が訪れなくなった異変の直後、博麗神社の巫女、霊夢に聞いた事があった。
――紅魔館には、主のレミリアの妹がいる。
そいつは、姉ほど強くはないのだけど、間違いなく姉より狂っている、訳の分からない奴だ。
絶対に会わない方がいい。会ってもろくな事がない。
名は、フランドール・スカーレット。
ありとあらゆるものをを破壊する程度の能力を持つ――と。
「あれ? もしかして新しい玩具かしら」
金色の髪。白い肌。彩のいい翼。
「人間は脆いんだったわね。やりすぎないように注意しなきゃ」
物理学的に飛べそうに無い翼が開かれた。
「さあ逃げなさい、人間!」
ゲラゲラと笑うフランドール。
魔理沙は悲鳴すら上げられず、全力で逃げ出した。
箒とスペルカードがあれば、まだ気分が楽だったかもしれない。
しかし、今は何も無い。
完全に吸血鬼の妹の玩具でしかないのだ。
地下室の階段を駆け上る。
下層ではフランドールが「いーち、にーい……」と数を数えているのが聞こえる。
一体、幾つになったら追いかけてくるつもりなのだろうか。
あまりに慌てすぎたせいで、魔理沙が階段に足を引っ掛けた。
角に脛を強打した。
血まで滲んできているが、気にしている場合ではない。
痛みと恐怖で、堪えていた涙が零れてきた。
「助け……たすけて、たすけてぇっ!」
「じゅ〜う!!! 行くわよ人間〜!!」
階段を上りきって少し経って、フランドールの始動が宣言された。
後ろを振り返る事すらできず、魔理沙はひたすら逃げ続ける。
しかし。
次の瞬間、フランドールは魔理沙の真横を飛んでいた。
「な……」
「遅い遅いっ」
進行方向とは逆方向からのフランドールの蹴りが、魔理沙の腹部にヒットした。
力はかなり抑えている。
抑えないと、人間は意図も簡単に壊れてしまうからである。
かなり抑えたにも関わらず、まるで巨木でもぶつけられたかのような凄まじい打撃が、魔理沙を襲った。
吹っ飛ばされてから、立つ事もできない。
「かはぁっ……は、はぎいぃ……」
「あれ? 張り合いないなぁ。もうちょっとがんばりなさいよ」
「や、止めて……お願い……」
魔理沙の懇願の声は届かず、フランドールは魔理沙の髪を掴んで、空中に持ち上げた。
ぶんぶんと、まるで人形でも振り回すかのように魔理沙の体を揺らし、適当な所で手を放した。抵抗すら許されず、壁にぶち当たった。
台所で負った傷など、もはや軽傷でしかなくなっていた。
「ほらほらほら! もっと抗って! 抗って〜!」
起き上がる事もできない魔理沙の襟首を掴んで、フランドールは低空飛行を始めた。
魔理沙は廊下を滑らされている。
「掃除、掃除。ふふっ。きっとお姉様に褒められるわ」
妙な体勢で引き摺られること数分、偶然にも見回り形の魔法が発動した。
「わわっ。何?」
慌てて回避に移行したフランドールが魔理沙を手放した。
魔法がフランドールを狙っている隙に、魔理沙は再び全力で逃げ出した。
相当引き摺られていたらしく、さっきいた場所とは全く別の所に置かれていた。
だが、それは魔理沙が見慣れた場所であった。
「……図書館が、近い……!」
記憶にある道を通り、図書館を目指す。
途中、いくつもの罠に引っかかり、その都度死にそうな目に遭ったが、どうにか生き抜いていた。
図書館に行けば大丈夫、と言う根拠の無い自信が、魔理沙を突き動かしていた。
「もうちょっと、もうちょっとだ……」
フランドールに蹴られた痛みを抱えながら、懸命に先へと進む。
そして、遂に到着した。
ヴワル大図書館。
彼女も訪れる事が多い、超巨大な図書館である。
魔法使いのパチュリー・ノーレッジのいる部屋でもある。
ただし、それは普段の話であるが。
はぁ、はぁと息を荒げ、魔理沙は静かに微笑んでいた。
取っ手に手を掛ける。
その先の絶望に気付ける筈もなく。
カチャン、と言う、いつも通りの金具の音。
ギィギィと重々しい音を響かせながら、巨大な扉が開かれる。
薄暗く、だだっ広い部屋。埃っぽい匂い。そして、充満する古紙の香り。
全てがいつも通りだった。
――そこまでは。
「パチュ……」
友人に助けを求めようと叫びかけたが、声は止まった。
幾重もの魔法陣が、全部魔理沙の方を向いていた。
パチュリーは咲夜の指示で、レミリアの寝室で待機が決定されていた。
久しぶりに図書館を離れる事になるので、図書館の防備も万全にする事にしたのだ。
美鈴が止めるだろうから、まさか魔理沙が入ってくるなんて、思ってもいなかった。
図書館には、パチュリーのとっておきの防犯魔法が組まれている。
どの魔法陣の攻撃も、本棚には掠りもしないようになっていて、かつ入ってきた敵に深手を与えられるよう緻密に計算されている。
台所で出た一撃必殺形でなく、確実なダメージを狙った罠形の魔法。
魔法陣から、細いレーザーが発射された。
「そんな……! いやああああああああ!!」
まさか先に待っているのがこんなものだと思っていなかった魔理沙は、悲鳴を上げて図書館から出ようとした。
だが、重い扉はそう簡単に開いてはくれない。
全体重を掛けて扉を押し、できた僅かな隙間へと滑り込むように逃げ出す。
しかし、遂に魔法陣は魔理沙を捉えた。
一箇所に固まったレーザーが、魔理沙の右腕を射抜いた。
そのレーザーの径は、魔理沙の腕の太さを容易に超えるものであった。
魔理沙の右腕が千切れて飛んだ。
ごとん、と音を立てて落ちる右腕。
それを見てようやく、魔理沙は自分の右腕が千切れたと気付いた。
「あぎゃああああああぁぁぁぁあ!!!」
絶叫が響く。
レーザーは扉を貫通し、尚も魔理沙を狙っている。
気が狂ってしまいそうな激痛を必死に堪え、図書館の入り口から遠ざかる。
落ちた右腕にもう一発レーザーが当たり、巨大な穴が穿たれた。
魔理沙自身は何とか生き延びる事ができた。
壁に凭れ掛かかり、涙と鼻水を垂れ流しながら、痛みに呻く。
「痛い……痛いよぉ……! なんで……! こんな、こんなの、ひどい……!」
右腕を吹っ飛ばされて尚、泣くのを我慢する事など不可能だった。
それでも生き延びようと、魔理沙は立ち上がり、館を出ようと動き出した。
赤い斑点が廊下に続く。
血を止めようにも止めれないから、そのまま出口へ向かう事にした。
図書館からなら、出口の大体の道順は知っている。
途中の罠さえ掻い潜れば、ここからの脱出も可能であろう。
だが、そう容易にはいかないのが、今日の紅魔館なのだ。
「ん〜? 何かいい香り。すごく美味しそう」
心臓が大きく跳ねた。
さっきは運よく逃げ切れたというのに、今度は運悪く遭遇してしまった。
止血しなかった報いであろう。
廊下に落ちた血痕の匂いを嗅ぎ取った吸血鬼の妹が、魔理沙を再び見つけたのだ。
「あ! 人間! ゲーム再開!」
あくまで嬉しそうな声でフランドールが再び魔理沙を追う。
悲鳴にも聞こえない、ただの絶叫を上げながら、魔理沙は逃げる。
しかし、片腕となってしまった為か、上手く速く走る事ができない。
そもそも速く走った所で、吸血鬼に速度で勝ろうなど、人間には到底不可能な芸当なのだが。
「あれ? 腕無いじゃん。どうしたのかな」
追う途中、幾つもの穴の開いた大きな扉の前に人の腕が落ちているのを確認したフラン。
穴の開いた人の腕を拾い、口に運ぶ。
「美味しい!」
目を輝かせた。
「人間って飲み物でしか食べた事なかったけど、こんなに美味しいものなんだ」
あっと言う間に骨までしゃぶり尽くし、骨を捨てて顔を上げる。
緩慢な動きで逃げている人間が、もうご馳走にしか見えない。
――簡単に食い尽くすのは面白くない。どうせなら楽しく美味しい捕食にしてやろう。
フランはそう決め、狩猟を始めた。
帽子が飛ばない様に気をつけながら、とてつもないスピードで魔理沙を追う。
あっと言う間に追いついたフランは、逃げる魔理沙の背中を押した。
前に進む体に足が追いつかず、魔理沙は前のめりに転倒した。
必死に起き上がろうとするが、極限状態の中、左腕だけで体を起こすのは、急に要求される技術としてはあまりに難儀だった。
無様にもがく魔理沙の背に、フランが乗っかった。
「ぐえっ」
「腕が無いね。もしかしてアスレチックで怪我しちゃったの?」
アスレチック、と言うのは、館中に仕掛けられた罠や魔法の数々である。
フランドールにとって、それらはちょっと危ない遊具にしか見えていないようだ。
「やああ! やめて、どいて!!」
「人間のくせに無理するからだよ」
「ごめんなさい!! もうしません、もうしませんからあ!!」
「無視?」
片手と両足をバタつかせてもがく魔理沙。
あまりに人の話を聞かないので、フランドールは呆れたように息をついた。
ふと、失った右腕の断面が目に入った。
フランドールはにんまりと笑うと、伸びて尖った爪を立てて、その断面を突いた。
「あぎぇっ!?」
ビクリと、魔理沙の体が跳ねる。
「あはは! 面白い面白い!」
フランドールは無邪気に、何度も何度も傷口を突く。
彼女にとっては、虫を触って動かしているといった程度の遊戯だが、魔理沙にとっては地獄以外の何でもない。
「やめてっ! 痛い痛い痛いいぃ! やめてえ! やめてえええ!!」
「ほれほれ。もっと泣けー」
「いやあああああああ!!!!!!!」
爪の先が赤く染まっていく。
次第に飽きたフランドールは、魔理沙から降りて距離をとった。
散々弄ばれた魔理沙の右腕の断面は傷が余計に開いてしまったらしく、出血が酷くなってきている。
涙や洟で顔をグシャグシャにし、涎で床を汚しながらも、重みが減ったのを切っ掛けに再び魔理沙が逃げる。
「逃がさないよ」
フランドールが飛び、魔理沙に近づいていく。
抵抗の術を持たない魔理沙は、もはや逃げる以外の選択肢はない。
そのくせ、逃げられる筈がない。
「ぅっく……うぁぁ……もうやだ……もうやだぁ……!」
どう泣いても、謝っても、やめてはくれない。
ゴォッ、と魔理沙の頭上をフランドールが飛びぬける。
反射的に魔理沙はしゃがんでいた。
先で反転してきたフランドールが魔理沙の顔面を鷲掴みにする。
「うぷ……!」
「死なない程度が美味しそうね」
とりあえず殺さずに食う事に決めたフランドールは、魔理沙の後頭部を壁にぶち当てた。
彼女なりに死なない程度に。
「ぐぎぃっ」
「よしよし。生きてる生きてる」
今度は、意識が飛びかけて前のめりに倒れかけた魔理沙の後頭部を掴んだ。
そして、顔から壁へと突っ込ませる。
「あぐぅ!」
この攻撃は立て続けに繰り出された。
歯が折れて地面に転がった。
口内も切り傷だらけ。
鼻が折れてしまったらしく、大量の鼻血が滴り落ちる。
壁に血の跡が残る程に繰り返された攻撃。
「も……やべでぇ……」
「んー? 活きが悪くなった。元気出してやろ」
言った直後、フランドールは魔理沙の目に指を突っ込んだ。
角膜、瞳孔、水晶体を突っ切り、魔理沙の眼球にフランドールの指が侵入してきた。
「うぎゃああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「ほら。活きがよくなった」
ズポッと、眼球から指を抜く。
「目ぇ、私の、私の目ぇ!! 見えない、見えない……!」
「片方だけだよ」
そう言いながらフランドールは、右目から血を流す魔理沙の腹に一発拳を見舞った。
胃液を吐いた魔理沙に、容赦のない追い討ちを掛ける。
さっき散々壁にぶち当てた顔を更に殴る。
もう身を護ることすらしなくなった相手に、最後の一発と蹴りを見舞った。
護身もせず、受身すら取らず、魔理沙は数メートル吹っ飛ばされた。
ゴロゴロと床を転がり、暫くして静止する。
殺してしまったかな、とフランドールが魔理沙に近づいてみる。
「あが……きひぃ……」
「おお」
「たひゅ……たひゅけへ……くらさい………」
「生きてた」
ホッと胸を撫で下ろすフランドール。
さあ食おう、と思った瞬間――
不幸中の幸い、というべきか。
偶然、近くを見回り形の魔方陣が通ったのだ。
それは、生命反応の強いフランドールを優先して感知した。
突然、フランドールの足元が光った。
「えっ……」
光が消える頃には、フランドールは姿を消していた。
瞬間転移の魔方陣だったようだ。
口に溜まった血を吐き捨て、魔理沙はどうにか立ち上がった。
白黒のエプロンドレスの白は、もはや白くなくなっていた。
自身の血で赤いか、這いずり回ったせいで灰色かのどちらかだ。
「にげなきゃ……にげなきゃ……」
うわ言の様に呟きながら、なおも魔理沙はもがいた。
足を引きずる様に歩いていると、階段に差し掛かった。
一段一段、慎重に登っていく。
もう少しで頂上、と言う所で、異変が起きた。
階段の段が突然、全て引っ込んでしまったのだ。
ただの坂道と化した階段。
あまりに突然で、魔理沙は転んだ。
摩擦の少ない材質でできているので、このままだと踊り場へと滑り降りてしまう。
魔理沙は後ろを振り返り、絶句した。
踊り場は消え、真っ暗な落とし穴だけがそこに広がっていたからだ。
「うああ!! いや、いやあ! もういやあ!!」
死に物狂いで手すりに手を伸ばす魔理沙。
どうにか落ちる前に、手すりを掴むことに成功した。
しっかりと手すりを握り、慎重に坂と化した階段を登る。
順調に進んでいく魔理沙だったが、無常にもここにも罠が設置してあった。
手すりの表面に細く小さく、かなり不自然な溝がある。
そこを、鋭利な刃物が瞬く間に通過した。
魔理沙は何が起こったのか、一瞬理解できていなかった。
ただ、手にピリリとした痛みが走ったのだけは理解できた。
次の瞬間には、魔理沙は後ろに倒れていた。
「え……?」
落とし穴に落ちる寸前、手すりを握っていた筈の自身の左手をみた。
親指以外の指が、手の甲、掌ごと、すっかり切り落とされていた。
*
落とし穴の先は、思ったほど深くなかった。
だが、疲労困憊の魔理沙は、足から落ちたにも関わらず、その場に倒れた。
「……どこ……ここ……」
口に出した自分の声が響く、と言う事は、狭い空間なのだろうか。
明かりは天井にある小さなランプ一つ。
チャプン、と水音が聞こえる。
自分が乗っている場所から下を窺うと、そこは深い水で満たされていた。
閉じ込められたのだろうか。
「うう……! 咲夜! パチュリー! もう、もう盗みなんて働かないから! お願い、ここから出して!」
聞こえる筈もない者達に救いを求める魔理沙。
「何だって言う事聞く! 幻想郷から出てけってなら出て行く! だから……」
無意味な懺悔の言葉を、轟音がかき消した。
カタンカタン、と音がしだした。
音の方に目を向けると、巨大な歯車が二つ、回転を始めていた。
絶妙なタイミングで、二つの歯車の歯が噛み合っている。
それだけならよかった。
だが、魔理沙は別の異変を感じていた。
「……傾いてる……?」
自分のいる場所が、歯車へと誘うかのように傾き始めているのだ。
どうやら、歯車と自分の乗る場所は縄で結ばれていて、歯車が回転するとそれが傾く、と言う仕組みらしかった。
即ち、このまま放っておけば魔理沙は、二つの歯車に巻き込まれる、と言う事になる。
それに気付き、魔理沙は失禁した。
「うああああ!!! やだ、やだったらあああああ!! ふざけるな!! ふざけるなああああああああ!!!」
狂ったように叫び、傾きとは逆方向に逃れようとする。
しかし、魔理沙の乗る場所以外に足場なんて無いし、ここから落ちれば水の中。
もう一度この場所に戻ってこられるほど、今の場所は低い位置にない。
飛んで逃れる事は、彼女の精神状態や体力的な問題から、不可能であろう。
傾きは増していく。
歯車から一番遠い位置で、どうにか逃れる方法を考える。
だが、そんなものはなかった。
ズリズリと、魔理沙の体が動かされ始めた。
「助けてええええ!!! もう悪いことしないから! 絶対絶対、絶対絶対に悪いことしないから! もう許して!」
叫び声は、水と虚空に呑まれていくのみ。
次第に、限界がきた。
ほぼ直角に等しくなった時。
魔理沙の体が歯車へと急接近した。
そして、足が歯車の歯に乗った。
間髪いれずにやってきたもう一つの歯車の歯が、それを挟んで粉砕した。
「ぐああああああぁぁぁ!!!!!」
そのまま、歯車は魔理沙の足を引き込んでいく。
ミシミシ、ベキベキと骨が砕け散る音がする。
肉と皮のみの魔理沙を足を潰し切るかのように、更に歯車は足を引き込んでいく。
踵、足首、脛、脹脛、膝、腿――
「あか……かああああ……あああああ……っ」
枯れた唸り声を、搾り出すようにして出す魔理沙。
もう叫ぶ気力も果てかけていた。
だが、次の瞬間、歯車が逆回転を始めた。
骨が完全に砕けて足がフニャフニャになった魔理沙も、元いた場所に戻された。
だが、もう魔理沙は動く事はできない。
足は砕かれ、右腕は無くなり、左手は親指だけ。
使い古されたボロ雑巾よりも酷い有様の魔理沙に、紅魔館の罠は最後に、彼女に叫ぶ気力を与えた。
バチン、金具が外れる音がして、天井のランプが落ちてきた。
それは、魔理沙の腰の位置辺りに落下した。
ガラスに覆われていた発光源が、外界へと飛び出した。
熱を持ったそれは、魔理沙のエプロンドレスにぶつかった。
エプロンドレスが燃え始めた。
「え……!?」
上体だけをどうにか起こし、下半身を見る魔理沙。
自分のお気に入りの服が燃えている――
「ああ……ああああ! やだ、こっちにくるな!! くるな、くるなああ!!」
火は魔理沙の声を聞ける筈もない。
「あづいいい!! あづいよおおお!! やだああああ! しにたくない、しにたくないいいい!!!」
こんな状態で尚、魔理沙は生きたいと願っていた。
白黒のエプロンドレスは、順調に燃やされていく。
上半身にも火が到達した。
魔理沙はもう、叫べなかった。
片方残った目で最後に見えたものがある。
それは、自身を焼く炎に照らされ、鈍く光っていた。
天井に吊るされた、等間隔に並べられた複数の巨大なギロチン。
「(あれ おちてきたら よんとうぶん されちゃうな)」
死に際、おかしな事を考えていた。
「(にんげんやきにく ってわけか ごちそう だな れみりあ めいりん ぱちゅりー さくや ああ さくやは たべないか)」
ギロチンがグラグラと揺れた。
「(そっか いもうとが いたな れみりあ)」
バチン
金具の外れる音。
*
門前に、氷の妖精が再び登場した。
「通しなさい門番!」
「いや、さっきも言いましたけど、今日は……」
言った所で、美鈴はビクリと体を震わせた。
チルノ達の仲良し五人組にはありえない妖気を感じ取ったのである。
慌てて顔を上げると、眩しすぎる笑顔の見知らぬ妖怪が一人。
「どうもこんにちは。風見幽香と言う者だけど、お見舞いに来たから、通してくれる?」
「は、はあ。しかし、今日は中は罠だらけで」
「いいのよ。そんなの」
美鈴の横を幽香が通り抜ける。
「あ、ちょっと! 分かりました! ですから勝手に入らないで!」
慌てて美鈴が幽香を静止させ、玄関をそっと開ける。
罠が発動しないように細心の注意を払っていたのだが――
「お邪魔しまーす!」
「ってこらバカー!」
勇敢なチルノが、美鈴の横を突っ切った。
……何も起こらない。
「あ、あれ?」
「何よ。何も起こらないじゃない」
「おかしいな。そこに立ったら、光輝く七色の光線が周囲三十二方向から十秒間一斉に飛んでくる筈なんですけど」
「……」
顔を真っ青にするチルノ。
「最強レベルの魔法陣ですよ。あなたも運が悪いですね。……でも、どうして何も起こらないんだろ」
不思議に思って美鈴が中へ入ってみると、エントランスはボロボロになっていた。
「え? な、なんでこんなになってんの!?」
「クリアー!」
美鈴の叫びと、新しい人物がエントランスに飛び込んできたのが同時だった。
「い、妹様!?」
「ん? ああ、美鈴」
主の妹が、館内を出回っている。
普段は地下室に閉じ込めているというのに。
「今日の館は一味違うわね! 魔法や罠が一杯で! 全部攻略しちゃったわ!」
「こ、攻略?」
「うん」
「罠を全部解いたんですか!?」
「適当に進んで、発動した罠を避けて遊んでたんだよ。そうやって遊ぶものなんじゃないの?」
「……咲夜さ〜ん!!」
フランドールの言った通り、館中の罠が発動済みになっていた。
美鈴は全速力でレミリアの寝室へと向かった。
客人は、フランドールが相手しながら、レミリアの寝室へと案内されている。
「咲夜さ……」
扉を開けて、美鈴は声を失った。
目を閉じたレミリアの手を握ったまま、咲夜ががっくりとうな垂れているではないか。
「咲夜さん?」
美鈴が呼んでも、咲夜は動かない。
フランドールの案内した客人達が寝室に到着した。
興味津々で中に入ったチルノは、レミリアの横に置いてある紙切れを拾い上げた。
文字が記されている。
「んん? 『いままで ありがとう』だって。何これ」
誰も声を出さない。
美鈴は恐る恐る、咲夜の肩を叩いた。
「咲夜さん!」
「ん? ってああ! しまった、眠ってしまっていたわ!」
「はい?」
「美鈴、何してんの? って何よその団体様は!」
「さ、咲夜さんこそ、寝てたんですか!? 泣いてたんじゃないんですか!?」
「何で泣かなきゃダメなの」
「うるさいわね、あんたたち……」
「お嬢様!? 生きておられたのですね!?」
「何で死ななきゃダメなの」
てっきり、レミリアが最悪の結末を迎え、咲夜が嘆いているものかと思った美鈴は、その場にペタンと腰を下ろした。
「じゃ、じゃあその手紙は何なんです?」
「ああ、これ? その、いつも以上に迷惑を掛けてしまったから、感謝の意を手紙にして渡そうと思ったんだけど」
恥ずかしそうに、レミリアは言いよどみ、ようやく言葉を繋げた。
「……『この調子でこれからも私に尽くせ』って書こうと思ったら、ペンのインクが切れた……」
「……」
呆れて物も言えなくなってしまった美鈴。
これだけの騒ぎにも動じず本を読んでいたパチュリーが、視線を外した。
「妹様。やっぱり、館内を駆け回っていたのはあなただったのね」
「そうだよ」
「何で地下室から出てきたんです」
「だって、知らない奴が扉を叩くから」
「知らない奴? 私は誰も入れていませんけど」
美鈴は首をかしげた。
話についていけないチルノが、面倒くさくなって思い切り話の腰を折った。
「そうよ、私らお見舞いに来たんだってば! ほら、熱冷まし用の氷!」
その場でポンポンと氷を出してみせるチルノ。
「私も花を持ってきたのだけど」
「綺麗でしょ! 幽香に感謝しなさい!」
「どうしてリグル、そんなに自慢げなの?」
「う、うるさいな! ルーミア、何も持ってきてないくせに!」
「じゃあ私はお歌を歌う!」
「じゃあ私も!」
言うとミスティアと大妖精が歌を歌いだした。
一気に騒々しくなった寝室。
咲夜が対応に困っていると、美鈴が横から囁いた。
「見てください、咲夜さん」
「?」
「お嬢様、こんなに沢山の妖怪に慕われているんですよ」
「……」
「こんなお嬢様に謀反を働くような奴はいませんよ。きっと」
見舞いに来た六人を見据える。
要らぬほど氷を出すチルノ。ルーミアに喚き散らすが全然相手にされていないリグル。花を抱いて微笑む幽香。歌を歌っているミスティアと大妖精。
「……それもそうかもね」
「そうですよ」
「皆さん、お見舞いついでに紅茶でも飲まれますか?」
「飲む!」
「わ、私も飲む」
「えー? チルノちゃん、紅茶好きだったっけ?」
「バ、バカね! 大人で最強な私が、紅茶の苦味なんかに負ける訳ないでしょうが!」
ベッドの横の小さなテーブルに花を置く幽香。
ふと、ペンが一本、目に入った。
キャップを抜き、ペン先を指で撫でる。
そして、フフッ、と笑んだ。
「何よ」
レミリアの不機嫌そうな声。
「このペン、インクは切れていないようだけど?」
「……ふんっ」
いつの間にか侵入していた泥棒の亡骸が発見されたのは、
罠の回収作業が始まった、その日の夕方の事だった。
長野県から帰ってきて絵板を見てみると、
なんと卵巡りアフターをイメージして描かれた絵が投稿されていて驚愕。
感激いたしました。絵板の方ではコメントしていませんが、本当に嬉しかったです。ありがとうございました。
絵が苦手で、その悔しさをバネにこうやって妄想を文章化している面もあるもので……
力不足な輩ですが、どうか今後もよろしくお願いします。
+++++++++++
前作を書いてみて、魔理沙って殺され役がピッタリだなあと思いまして書いてみました。
異様に長くなってしまいました。
誤字、脱字、表現のミスなどがあるかもしれません。
コミカルさも大事だよな、と思って和みにも挑戦。
幽香様はほとんどゲストです。自分の好みで登場させました。
ご観覧、ありがとうございました。
pnp
- 作品情報
- 作品集:
- 1
- 投稿日時:
- 2009/03/24 11:11:30
- 更新日時:
- 2009/03/24 20:13:05
- 分類
- 魔理沙
- グロ
- 微まったり
息子が全力全開に!!
いいぞ!!!もっとやれ!!!
ちなみに図書館の名前はヴワル〜ではないです。多分。
ゲストの幽香も良いキャラしてるよ
皆がまったりしてる中、一人だけ悲惨な目に遭う魔理沙
清杉を思い出したよ
この魔理沙は妹様と面識が無かったのが運の尽きだな
魔理沙が此の世の地獄を味わうのを見て和んだり、一粒で二度美味しいですね。
この後、魔理沙が発見されて一気にお葬式ムードってのも良いけど
やっかいな泥棒が一匹減った、めでたしめでたしってなって、魔理沙涙目なのだと妄想
つ「姉をも凌ぐ強さ」
まあそれはそうと面白かった
やっぱ魔理沙は悲惨な目にあうのが可愛いね
みんな心の底はダークってことか・・
危機感が伝わってきました。主に下半身に(なんだって
次回作を期待しています。
アリスと魔理沙は凄惨な目に遭い
醜く命ごいをする姿が似合っている
個人的には面白がっているフランと逃げ惑う魔理沙との対比がすごく面白かったです。
なにはともあれ良作をごちそうさまでした
ある意味で今まで働いてきた悪事のツケを返されたな
パチュリーあたりは喜びそうだ。
活躍できてんのも霊夢と違って弾幕ごっこのおかげで、殺し合いならとっくに死んでるだろうし。
魔理沙はこういう役どころが似合うね。
和んだ和んだ〜
……魔理沙以外がギャグやほのぼの、ハートフルのノリなのにそのせいで一人だけってギャップがたまらん
箒を無くしてただの人間になってからが魔理沙の真骨頂ですね。
※18
本文※含めて、アンチに見えるなら貴方にはここは合わないですよ。