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『たしかめたい 上』 作者: タダヨシ
紅魔館のメイドである十六夜咲夜は掃除をしている。
調理場、寝室、お嬢様の部屋、妖精メイド達の部屋、そしてその他の数え切れなくて複雑な部屋。あと掃除してないのは……
「窓だけね」
咲夜は時間を眠らせ、まだ掃除のされていない窓へと向かう。
幻想郷の秒針が一目盛りを刻む前に彼女は窓の前に立った。
手には水が入ったブリキのバケツと雑巾が握られている。
早速彼女は白い手で雑巾を水に浸けて絞り、その雑巾で窓を拭く。
この過程を繰り返し繰り返し。面倒臭く、退屈な作業だ。
しかし咲夜は時間を止めて仕事をしようとはしなかった。
ここは紅魔館でも数少ない日の光が当たる場所である。窓を拭いていると時折、きらきらとした光が目を射す。
その度にこのメイドは空の太陽を見つめ、思った。
やはりこの光は良いものだ。
太陽の笑顔を受けながらゆっくりと窓拭きをする。
吸血鬼の従者である咲夜だったが、空に浮かぶあたたかい光の珠を見ると自分が人間であることを自覚するのであった。
咲夜は陽の香りを味わう。だが手に持つ雑巾は丁寧かつ確実に硝子をなぞる。
この従者が通った後の硝子窓は日光に負けない位に輝いた。
全ての窓を拭き終わった彼女は雑巾をバケツの中に入れる。
「さて掃除は終わったし、ほかの用事は」
咲夜は振り返った。
彼女の背後には妖精メイド達がよろよろと歩いている。
洗濯物を抱えたり、自分の体に合わない掃除用具を持って一生懸命に歩いている姿は微笑ましいものだった。
しかし、どうしたものか。
咲夜が通ろうとしている廊下を妖精メイド達が塞いでいる。
これでは次の用事に移れないではないか。
吸血鬼の従者は困った。しかし一瞬の後、従者は考えを変えた。
たまには通り過ぎるのを待ってみるのも良いかも知れない。
彼女は妖精メイド達の背中を見ている。
自分の半分程の妖精が一生懸命に仕事をしている様は、咲夜に妖精メイド達を愛らしく思わせるのには十分だった。
「邪魔! どいて!」
突然怒鳴りつける声。一体誰が?
妖精メイド達はその声にびくりと体を強張らせ、振り返った。
「すいません、メイド長!」
私?
咲夜は驚いた目で妖精メイド達を見た。
「違っ、あの声は私じゃ……」
彼女が言い終わる前に妖精メイド達はゼンマイの玩具の様にぎこちなく、危機を察知した小鳥の様に迅速に逃げていった。
私じゃないのに。
咲夜は悲しそうな目で妖精メイドが逃げた後を見た。
床には落ちてぐちゃぐちゃになった洗濯物とモップが落ちている。
咲夜は洗濯物とモップを拾った。
何故か喉が痛い。
メイド長は頭を傾げた。だがその疑問も膨大な仕事の前には一瞬にして押し潰された。
紅茶を切らしていた。買わないと。
彼女は紅魔館の外へと向かった。
この出来事が起こるのに幻想郷の分針は実に四分の一回転しか動いていなかった。
この悪魔の館を出る為には必ず門を通る。それはメイド長も例外ではない。
この門には守護者がいる。何時如何なる状況でも紅魔館への侵入者は許さない。
はずなのだけれど。
紅魔館の頑強なレンガ造りの門には紅い髪の娘がもたれて眠っている。
洋風で統一された紅魔館には珍しく東洋の服を着ている。
この門にもたれて眠っている娘が紅魔館の守護者――紅美鈴である。
「まったくこの子ったら……」
だらしない子供を心配する保護者の如く咲夜は美鈴を見つめた。
起こさないと。
そう思ったメイド長は紅い髪のかかる細く、それでいてしっかりした肩を揺すりながら言った。
「ほら、美鈴起きなさ」
ごしゃっ
鈍い音がする。咲夜は音のする方へ目を向けた。
美鈴の腹に片足が置かれている。いや、正確に言うと蹴られていた。
誰がこんな酷い事を。
咲夜は美鈴を蹴った足の根元に怒りの籠った視線を寄せた。
女物の靴、白い脚、スカート。
そして……エプロンドレス?
足は咲夜の体から伸びていた。
「ちがうっ! 私じゃない!」
メイド長は誰にでも掛ける訳でもなく言葉を放った。
彼女が状況を理解できないでいる間に美鈴の体がもぞもぞと動き出した。
それに気付いた咲夜は咄嗟に美鈴の腹の足を退かした。
紅い髪の娘は眠りに縫い付けられた瞼ををふわふわさせながら言った。
「はれっ、咲夜さん? 外出ですか?」
眠りから引き上げられたばかりの声を聞いたメイド長は慌てて答えた。
「そっ、そう。紅茶を切らしたから人間の里で買っていこうと思うの」
美鈴は一瞬夢の海を漂う様な顔をした後、しゃきっとした顔に変わった。
「そうですか。いってらっしゃい。咲夜さん」
門の守護者は外出者の安全を祈る様に微笑んだ。
「ええ、行ってくるわ。美鈴」
反対に咲夜は凍った炎の様な表情で返事をした。
メイド長はそのまま足早に美鈴から離れていった。
何故、私は美鈴を蹴ってしまったのか?
咲夜は鉛を飲み込んだ様な不安を抱えながら歩いた。
ふと、彼女は門番に向かって振り向いた。
美鈴はこちらに気付き、また微笑んだ。
紅い髪の娘が流す心温かな微笑みと腹にしっかりと刻まれた靴跡が見える。
ごめんなさい、美鈴。
美鈴の微笑みと靴跡は完璧なメイド長を傷つけるのには十分過ぎた。
この出来事が起こるのに実に幻想郷の分針は五目盛りも進んだ。
仕事、しごと、シゴト。
仕事をしなければ。
嫌な事を忘れるには仕事が一番だ。
咲夜は人間の里を歩いている。
いつもは挨拶をしながら里の中を通るのだが、今日は人とは話をしたくなかったので時間に休んでもらい、早めに通った。
秒針すらも動かさずに彼女は目的地である行きつけの雑貨店の前に立っていた。
メイド長は止めていた時間を解き、店へ入っていった。
雑貨店の中はありとあらゆる日用品、道具、食料が積み上げてあった。
所々積み上げられている品物は効率の悪い置き方をして店の中を狭くしていたが、咲夜はそこに人間らしい温かさを感じていて好きだった。
「あっ、咲夜ちゃんじゃない!」
メイド服を見た店員がこちらに近づいてくる。
「こんにちは」
咲夜は愛想のよい笑顔を浮かべて挨拶をした。
「今日は何? 蝋燭? それとも新しい食器?」
この少女は最近雑貨店で働き始めたばかりだ。仕事の手付きはおぼつかないが、笑顔は絶やさない可愛い子だ。
「紅茶よ」
「それじゃあダージリン? それともアールグレイ?」
「両方とも頼むわ」
「わかったよ、両方だね」
そう言うと彼女は店の隅にちょいちょいと歩き、棚の商品を持ってきた。
その両手はそれぞれ銘柄の違う『お得用』と書かれた紅茶の袋を掴んでいた。
「これでいいかな?」
「わかってるわね」
咲夜は少女の理解の良さに微笑んだ。
「この前来た時も蝋燭を沢山買っていったからね」
彼女はお得用の紅茶を紙袋に入れているが、その目はメイドに向いていた。
「でもこんなにうちの商品買っていくなんて咲夜ちゃんが働いている紅魔館って大家族なのね」
咲夜は一瞬呼吸を止め、肺の中の空気を勢い良く吹き出した。
「あー! いきなり笑うなんて酷い!」
「ふふっ、ごめんなさい。合ってるんだけど呼び方が可笑しくって」
悪魔の館のメイド長は突如出た呼気の弁解をしたが、それでもしばらくは肺から出る小刻みな気体は治まらなかった。
「それでその紅茶の代金は?」
「えーっとね、お得用を二つだから……」
この代金だったら多分あの紙幣で足りるしお釣りも出ない。
そう思い咲夜は懐から財布を取ろうとして自分の胸元を見る。
何をしているの?
すらりと輝く月色の線。
咲夜の右手は銀のナイフを握っていた。その切っ先は店員の少女に磁石のように向かっている。
その月色の刃物は今にも目の前の店員に突撃しそうな震えを帯びていた。
やめて! 離して!
メイドは一生懸命に念じたが右手からナイフが離れる事は無い。
「咲夜ちゃん。代金は? もしかして足りない?」
その声にはっとして咲夜は急いで空いている左手で財布を取り、片手で財布を開け、中から紙幣を引き出した。
「はい、これで丁度よ」
店員は一瞬の間に戸惑ったが、すぐに笑顔を作り
「毎度ありがとうございます!」
と言った。咲夜は代金支払いの動作を完璧にこなしたが、頭の中は動揺にガタガタと揺さぶられていた。
メイドは帰ろうとして体を後ろに向けようとした。しかし雑貨店の少女はまだこちらを見ている。
「ねぇ、咲夜ちゃん?」
店員の突然の問い掛けに、咲夜は刃物を首筋に当てられた様な心境になった。
「な、何?」
咲夜は努めて冷静に答えた。だがその額には汗が浮かび、喉は渇いていた。
少女は口の両端を吊り上げて優しく穏やかな顔になった。
「仕事が忙しくなかったらここでちょっと立ち話でも」
「ごめんなさい!」
紅魔館のメイドは急いで雑貨店から出て行った。
「おかしいなぁ、今日の咲夜ちゃん。いつもだったらちょっと話していくのに……」
その場に残された少女は寂しそうに咲夜の走る背中を見た。
なんなのだろう。わからない。
コワイ。
こわい。
怖い。
咲夜はただ怯えていた。
吸血鬼も妖怪も幽霊にも動じない彼女だったが今日の妙な出来事には得体の知れない嫌悪感を持つのみであった。
どんな化け物でも脅威でも死すらも怖くは無い。
自分に立ち向かってくるのであれば。
だがさっきもその前もそのまた前も一体何なのだ。
自分は一体何をしようとしていたのだ?
その問いを投げ掛けたが誰も答えてはくれなかった。
咲夜は走っていた。動揺して時間を止める事も忘れていた。
いつもは完璧なメイドとして身のこなしは優雅で軽やかにする事に努めているのだが、今日は子供の弄る操り人形の如く乱暴で重々しかった。
何をしようとしていたのか?
自分はどうなるのか?
自分の周りの人々は私をどう思うのか?
本来は完璧なメイドは解けない難題に心を蝕まれていた。
彼女が走れば走る程、彼女が振り切ろうとすればする程その悩みは分裂していった。
もう……だめ。
体が倒れそうになる、心に大きな亀裂が走っている。
生まれ出た苦悩に押し潰されそうになったその時だった。
よかった。帰ってきた。
レンガの門と紅色の館が見えた。咲夜は安堵の息を吐き、心から思った。
今日は疲れているのだ、自分の部屋で少し休めば大丈夫だろう。
そう思った彼女の中には疑念の種子が残っていたが、そのままでは自分が持たないと悟ったのか今までの出来事を忘れるように努めた。
門の前に紅い髪の女が立っている。
心も体も限界に近い咲夜だったが美鈴を見るといつものメイド長の顔をして
「ただいま、美鈴」
と言った。それに対して門番は元気良く返した。
「おかえりなさい! 咲夜さん」
ごく普通の門番とメイド長のやり取りだった。しかし咲夜はこの事にひどく感動した。
完璧なメイド長の姿をして門を通り抜けると彼女は早歩きで自分の部屋に向かった。
木の根の様に広がる紅魔館の紅い廊下を歩いていく。幻想郷でも滅多に無い大きな屋敷で自分もその主もそれを誇りとしていたが、流石に今日のこの状態では紅魔館の広さが疎ましく思えた。
廊下の角にメイド長の部屋が見える。
やっと、やっと休める。
そう思い咲夜はドアの金属製の取っ手に手を乗せた。ひんやりと心地が良かった。
ドアノブを回し、ドアを開く。がちゃりという音と蝶番が擦れて起こる振動が彼女を休息へと誘った。部屋に入り、振り返ってドアを閉めた、いや正確に言うと閉めようとした時だろうか。
半分開いたドアの隙間から外の風景が見える。
赤い河を思わせる廊下には一人の少女が立っていた。
背中からは紅色の羽を生やし、メイドとは違った華やかなドレスを着ていた。
誰かを探している様だった。咲夜は屋敷の主に助力をしたかったのだが、今の自分の状態を思い出し、邪魔になってしまうだろうと思い、探し物の手伝いをする事を諦めた。
すみません、お嬢様。
心の中で呟いた咲夜はドアを完全に閉めようとした。しかし、ドアは閉まらない。
不思議に思いながらドアノブを引くが、それでもドアは動かない。
それどころか彼女の体は部屋の外に立っていた。
レミリアはこちらに小さな背中と大きな羽を向けて歩いている。だが、何かが変だ。
背中を見せて歩いているのにも関わらず、自分の方へと近づいてくる。
その流れは顕微鏡の倍率レンズを取り換える様にゆっくり、しかし一気に迫ってきた。
レミリアと自分の距離が随分と詰められた時、咲夜は己の異変に気付いた。
脚を無駄なく前進へと使っている。
わたし、走ってる?
使っている体の感覚が少しずつ分かってきた。腕にも力を入れている。
その手には白銀の光が握られていた。
まさか。
お願い、本当にやめて!
やめて、誰か止めて!
その願いも空しくメイドの腕は紅魔館の主に振り上げられた。
いつもは侵入者や障害となる者に突き立てる銀のナイフは自分の主に使用された。
レミリアの右腕に赤い線が走る、その線はみるみる内に太くなり、主人の体から離れて自由になった。今やこの吸血鬼の右腕は自分の体にも地面にも属していない。
子供が投げ出した小枝のような物が空中をくるくると踊っているが、それには白い皮膚とわずかな肉と赤が混ざった骨、そして何よりもしなやかな五本の指があった。
レミリアの欠けた腕から赤い霧が漏れて、勢い良く暴れた。
その飛び散り方は花火を思わせるもので弧を描き、丁寧に掃除された窓や壁、絨毯、そして咲夜に大小の芸術的な斑点を付けた。
どしゃり。
さっきまでレミリアの腕だった物が絨毯に重い音を立てて落ちた。
「あ、あぁ……」
メイドはただ意味も無く声を出して立ち尽くすのみであった。
咲夜は自分のした事を理解できなかった。いや、理解したくなかった。
レミリアが自分の体の異常に気付いて振り返った。
自分は従者でありながら主人に刃を向け、あろうことか腕を切り飛ばしてしまった。
メイドは自分に対して執行されるありとあらゆる処罰を想像した。
それはどんな化け物じみた処罰よりも酷いものだった。
しかし咲夜にとって一番辛かったのは自分が最も愛し、忠誠を誓い、守りたい主を己の手で傷を付けてしまったことだった。
幼い紅魔館の主は地面に落ちた自分の腕を見た。
「あら、これは」
レミリアは紅い廊下に飛び散った自分の一部を足元から舐める様に見回し、その視線が咲夜の顔の所で止まった。
深紅の炎が宿った硝子の眼で自分の腕を切り落とした犯人を見た。
「ねぇ、咲夜」
メイドは覚悟をし、どんな処罰も受ける覚悟だった。
「汚れがひどいわ。掃除をしておいて」
「はい?」
咲夜は己の従者から出た言葉に耳を疑った。てっきり処罰の名目だと思っていたから。
命令を下したレミリアはそのままメイド長に背を向け、立ち去ろうとした。
「待って、待って下さいお嬢様!」
咲夜は珍しく乱れた声を出した。自分の無礼に対する扱いがあまりにも軽すぎる。
「なに? あぁ、コレの事ね」
レミリアが絨毯の上に落ちた物体を見つめると、たちまちそれは小さな蝙蝠となって彼女の体に群がった。
紅い蝙蝠が完全に消え失せるとそこには新しく組み直された右腕があった。
レミリアはまた背を向けて立ち去ろうとした。
「あの、私は……」
咲夜はまだこの状態に納得できないでいた。
「まだ何かあるの?」
「ですから私がですね」
「あなたが何か悪い事でもしたって言うの?」
レミリアはさっきの出来事をまるでちょっとした日常の様に扱った。
主の余りにも軽い態度に咲夜は言葉を失った。
「じゃあね咲夜。私、パチュリーに用があるから」
そう言ってレミリアは咲夜をその場に置いて歩き出した。
咲夜はただその背中を見つめていた。
「あっ、そうね」
レミリアはわざとらしく声を上げて振り向いた。
「ねえ、咲夜。ちょっと私の部屋に来てくれない?」
やっと罰が下る。
咲夜は主に対する忠誠心と愛から自分は必ず罰せられなければならないと思っていた。
「いいですよ。お嬢様」
完璧な従者は主への完璧な忠誠と完璧な愛を示す為に喜んでレミリアの後へ付いて行った。
タダヨシ
- 作品情報
- 作品集:
- 1
- 投稿日時:
- 2009/04/15 12:19:40
- 更新日時:
- 2009/05/05 20:16:14
- 分類
- 咲夜
- キャラ色々
- レミリア
- グロ