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『歌を失った夜雀』 作者: pnp
「ああ、退屈です……」
新聞記者である射命丸文は、幻想郷の空を猛スピードで飛びながら呟いた。
彼女が漏らした“退屈”と言うのは、よく言えば“平和”である。
しかし、新聞を書く身である文からすれば、退屈すぎる―平和すぎる―と言うのも困るものがある。
無論、あっちこっちで多くの死者を出すような戦いとか、全く治療法が無い病気が蔓延するとか、そんな大それた災厄を望んでいる訳ではない。
ただ、新聞を書くには困らない程度に、変わった“何か”が欲しかった。
元々、大して愛読されていない『文々。新聞』だったが、最近は以前に増して愛読者が減った。
あまりにも変わった事がないのもある。
だが最大の原因は、住民の小恥ずかしい失敗談程度の話や、癖や秘密を暴露する話が飽きられてきた事。
主な衰退の原因はこれだ。
その日もいろいろと飛び回ってみたものの、大した成果はなかった。
はあ、と深いため息をつく文。
「……昼ばかり調べてるから悪いんでしょうかねぇ」
いろいろ見つけやすいであろう昼に幻想郷中を飛び回り、夜は徹夜してでも新聞を完成させる。
これが文のライフスタイルであった。
故に、夜の幻想郷と言うのをあまり体験した事がなかった。
「たまには夜に出てみましょうか」
そう決めると文は、山に戻り、眠った。
夜活動する為には、昼からよく眠っておく必要がある。
*
陽の落ちた夜は暗く、いつも通りのスピードではなかなか飛ぶ事ができない。
若干控えめに空を飛び、ネタになりそうなものを探す。
しかし、暗くて周囲がよく見えない。
「うーん……困りましたね。ここは場所を絞って徹底調査する方が効率的ですかね」
そう言うと、文は最寄の森へと降り立った。
妖怪や野生動物が多く住まう森なら、何かあるような気がした。
飛ばずに歩いて、森を散策する。
夜の森は予想以上の暗さであったが、妖怪である彼女が恐れるものなど何も無い。
風が木を揺らす音と、自分の足音ばかりがよく聞こえた。
自然が発する雑音に適当に耳を傾けていると、ふと全く別物の音が聞こえてきた。
足を止め、耳を凝らす。
「歌声……」
自然と文は、その歌声の方へと歩み出していた。
*
木葉が擦れる音の合間に聞こえる歌声。
その声の主と対面する。
声の主は思わぬ獲物にびっくりしているようだった。
「わわっ! 天狗!?」
「ミスティアさん」
木の上から美しい声を出していたのはミスティア・ローレライ。
夜雀と呼ばれる妖怪である。
文は興味深げに話し始めた。
「さっきの歌、あなたが?」
「う、歌? うん」
「あれで人を誘き寄せるんですか?」
「いいや、違う。それとこれとは別の歌」
「へぇ。普通の歌も歌えるんですね」
「一応ね」
普通の歌も歌える。
文はこれに目を付けた。
いいネタを見つけてしまったと、すぐさま『文花帖』とペンを取り出した。
「ちょっと、インタビューに答えてくださいますか!?」
「は、はあ? いんたびゅー?」
*
文が素晴らしい新聞のネタを見つけた次の日の朝。
吸血鬼の住まう紅魔館の門番の頭の上に、『文々。新聞』最新号が落ちてきた。
居眠りしていた門番はビクリと目を覚まし、それを手に取った。
そして空を見上げ、新聞を落とした天狗に手を振った。
「お、おはようございます。ご苦労様ですー」
文は笑みながら手を振って返し、すぐにどこかへ飛んで行ってしまった。
門番、紅美鈴は、寝ぼけたまま新聞を広げた。
「んーっと、えーと、何? ん? 読めない、何語よこれ」
「逆さまよ」
「え? あ? あ、ほんとだ。……咲夜さん!」
「咲夜さん! じゃないわ。朝一から居眠りって何をやってるのよ」
「す、すいません。あはは」
「新聞、久しぶりね。何が書いてある?」
「えーとですね、『歌聖現る』だそうですよ」
「……ミスティア。森の夜雀ね」
「知ってるんですか」
「夜の異変の時に会ったわ」
咲夜は新聞を持ち、再び館内へと戻って行った。
主の起床の時間である。
時間を止め、周囲から見れば一瞬で主であるレミリア・スカーレットの所へ向かう。
ドアをノックする。
「おはようございます、お嬢様。朝ですわ」
その一言でレミリアは目を覚ました。
すぐにカーテンを開けて外をチラリと覗き、ため息をついた。
「天気がよすぎるわ」
「そうですわね。今日は外出は控えましょう」
「つまらないわね……」
欠伸をしながらレミリアが起き上がる。
ふと、咲夜が手に持っているものに目が行った。
「咲夜、それは何?」
「これですか? いつもの新聞ですわ」
「なぁんだ。天狗のね。今日は何が書いてあるの? 私の悪口?」
「いいえ。夜雀の歌が素晴らしい、とか何とか」
「夜雀。月の民の時の、あいつ?」
「ええ」
ふーん、と言った次の瞬間、レミリアが新聞をひったくる。
そして新聞をまじまじと見つめた。
「? 読めない。何語よ、これは」
「お嬢様、逆さまですわ」
「……こうか。寝起きは辛いわね」
「寝起きでも美鈴と同じ失敗をしないでください」
「夜雀ねぇ。あの時は弾幕ごっこに夢中で聞こえなかったけど、そんなにいい声をしてたかしら」
「私も覚えがありませんわ」
「……そうだ! じゃあ歌わせてみましょうか」
「歌わせる?」
「どうせ今日は外出できそうもないし。咲夜、夜雀をここへ呼びなさい。そして歌わせるのよ。私が評価してやるわ」
「かしこまりましたわ。では、朝食にしましょう」
*
昼過ぎに、咲夜に連れてこられた、緊張した面持ちのミスティアが紅魔館のレミリアの私室に案内された。
「久しぶりね、夜雀」
「は、はあ」
「新聞を見たわ。何でも、素晴らしい歌声を持っているとか」
「そ、そうでもない……かなあ?」
「それを確かめるわ。さあ、歌いなさい」
「え? ええ?」
「大丈夫。下手だったとしても殺しはしないから、安心なさい」
「こ、殺しはしないって……」
妙なプレッシャーをかけられ、ミスティアが萎縮した。
隣にいた咲夜がそっと耳打ちする。
「大丈夫です。きっと腕一本とかくらいで許してくれます」
「大丈夫じゃないじゃん!」
「歌わなかったら間違いなく死ぬと思えば、安いものでしょう」
「う、うう……」
ミスティアは意を決した。
「じゃ、じゃあ歌いますよ。下手でも怒らないで下さいね」
「ええ」
深呼吸をしたり、若干の発声練習をしたりして、準備を整える。
いきます、と言う小さな呟きの後、胸に手を当てた。
そして、ミスティアは歌いだした。
*
数十分後。
無傷のミスティアが館から帰っていった。
レミリアはとても上機嫌だった。
「素晴らしかったわ」
「そうですわね」
「咲夜もあれくらい歌えない?」
「残念ながら、私には無理ですわ」
咲夜が苦笑いする。
気分の高揚が収まらないのか、レミリアは足取りも軽く飛び跳ねたりしている。
「出かけましょう、咲夜」
「え?」
「何だかとても気分がいいわ。遊びに行きたい」
「日差しが強いですよ?」
あまりに日差しが強い日は、レミリアは外出を拒む事がある。
日光は日傘で防げるものの、あまり居心地のいいものではないのだろう。
だが、ミスティアの歌はそれを覆してしまった。
相当気に入ってしまったのだろう。
咲夜とレミリアが博麗神社へ行くと、丁度数名の者が集まっていた。
その中に、レミリアがミスティアの歌を聞く切欠となった新聞の製作者も混ざっていた。
「文!」
「ん? ああ、レミリアさん。おはようございます」
「あなたの新聞のお陰で素晴らしい発見ができたわ」
「? と言いますと?」
「夜雀よ。あの声は素晴らしかったわね」
「ややあ。もう聞いたんですか。流行に敏感ですね」
文自身、ここまで早期に聞いた者がいるとは思わず驚いていた。
興味津々で魔理沙が尋ねた。
「どんなだったんだ?」
「表現できないわ。是非、一度聞いてみなさい」
「気になるわね」
霊夢も、アリスも少し興味があるようだった。
文は、うんうんと頷いた。
「吸血鬼も認める歌唱力。これまたネタになりそうです」
*
『文々。新聞』が、ここまで幻想郷の住民に衝撃を与えたのは初めてだった。
空前の『夜雀ブーム』の到来である。
話題になってるものを新聞にすれば、愛読者も増えてくれる。
後は、どれだけこれを引っ張り続ける事ができるか。
それが、新聞記者の腕の見せ所である。
連日、ミスティアは多忙を極めた。
あちこちで「是非、歌って欲しい」と言う以来が殺到した。
特に流行の発端とも言えるレミリアは、毎日のようにミスティアを呼んでいた。
飽きっぽいレミリアがここまで熱中する事も珍しいと、咲夜も驚いた。
しかし、ミスティアは困っていた。
ここまでいろんな者に歌を披露した事はなかったし、こんなに連日、歌い続けた事もない。
毎晩毎晩、疲労困憊の状態で森へと戻ってきた。
だが、文の猛プッシュの効果で、期待されている事も確かだし、住民をがっかりさせるのも嫌だった。
断るに断れない日が続いた。
先も述べたように、疲労すると言う機会がほとんどなかったミスティアは、どれほどの頻度で歌を披露し、
どの程度休めばいいのか、見当もつかなかったのだ。
当然、私生活の自由など、無に等しくなってしまった。
ある晩、森へ戻ると、友人である数名の妖怪や妖精がミスティアを待っていた。
「お疲れ様」
リグルがそう声を掛けると、チルノ、ルーミア、大妖精が手を振った。
ミスティアはなるべく笑顔で手を振り返す。
実際の所、眠いし、喉が痛くてたまらなかった。
「最近大変だね、ミスティア」
「う、うん」
「働いてばっかりじゃあれだしさ、今日は遊ぼうよ!」
チルノが大袈裟に両手を振り、提案する。
「い、今から?」
「うん」
「……その、ごめん。今日、凄く疲れてるから」
視線を地に落とし、ミスティアが頭を下げた。
ルーミアやリグル、それに大妖精は特に気にしていない様子だったが、チルノはあからさまに不機嫌だった。
「やっぱり」と言う言葉が、表情からでも読み取れる。
少しの静寂の後、チルノがため息をつき、宙へ舞った。
「帰ろ」
「チルノちゃん」
大妖精が止めようとしたが、無駄であった。
「いいよ。疲れてるなら、無理しない方がいい。きっと明日もお仕事でしょ?」
「……うん。ごめん」
「あーあ。何だか、ミスティアが遠い存在になっちゃってる気がする」
「チルノちゃん、そう言う言い方は……」
チルノは幼い。
それ故に、自分の感情を意図も簡単に外に出してしまう。
チルノを追って、ルーミアも帰っていった。
大妖精は小さくなっていくチルノと、悲しげに俯くミスティアを見比べ、「おやすみ」と一言告げ、チルノを追った。
リグルはミスティアの肩を叩いた。
「大丈夫?」
「うん」
「無理しない方がいいよ」
「……みんな、楽しみにしてくれてるから」
「天狗が勝手に広めた事でしょ。少しくらい休んだって」
「そう、かな」
「そうだよ」
「うん。じゃあ、明日はお休みしようかな……」
「それがいい。チルノにも言って、明日は遊ぼう」
リグルに諭され、ようやくミスティアは休みをとる事にした。
そんなささやかな休暇を、天狗が許す筈もない事も知らずに。
*
次の日、昨晩決めた通り、ミスティアは休暇をとるつもりでいた。
明日も来る、と言っておいた各地に休む事を知らせる事にした。
一人では不安だろうという事で、リグルも付いて来てくれると言ってくれたお陰で、不安もなかった。
いつもなら紅魔館に行く時間だが、その日はリグルと一緒に森にいた。
そこに、文が猛スピードで突っ込んできた。
「ミスティアさーん」
「? 文?」
「何やってんですか。レミリアさんがお待ちかねなんですが」
偶然、新聞を配っていた時、門番に今日はミスティアが来ていない事を知らされたのだ。
異変を感じ、文が森へ飛んできたと言う訳だ。
「あ、これから、今日は休むって伝えようと……」
「はあ!? 休む!? そんな事が許されると思ってんですか?」
「え?」
文の言葉に、ミスティアが目を見開いた。
「休んじゃダメです。流行ってる内にどんどん出て行かなきゃ」
「でも、私も少しは」
「期待に答えられないんですか? 周囲はみんなあなたを応援していると言うのに、その応援を無視する訳ですか?」
文のめちゃくちゃな言い分に、リグルが口を出す。
「ちょ、ちょっと天狗!」
「? 何でしょう」
「ミスティアだって生き物なんだから、疲れが出るに決まってるでしょ!」
「そんな事は知ってますけど、私だって毎日毎日新聞書いてがんばってるんですよ。疲れてるのはみんなです」
「それはあんたが勝手に休んでないだけの事でしょう! ミスティアは休みたいって言ってるんだから!」
「いえいえ。私だって休みたいですよー。でも、毎日読んでくださる皆さんがいらっしゃるから、こうやって新聞を書いているんです」
ひらひらと手を振り、ニヤつく文。
リグルが一瞬、言葉を失った。
その隙に、文が続ける。
「まあ、休みたいならいいですよ? おサボリムードだーって新聞に書くまでですから」
「サ、サボリ……?」
「報道の仕方。私の感じ方。それは私の自由ですから。私から見ればミスティアさんはどう見たってサボリにしか見えない、と言う訳です」
「……この……!」
リグルが悔しそうに握りこぶしを作る。
しかし、リグルが文に勝てる要素は何一つとしてない。
渦巻く殺意をどこへも向ける事ができない。
「そうやって報道しても構わないってなら、どうぞご自由に。まあ、その後どんな生活を送る事になるかは、私の知った事ではないんですが」
「……」
ほとんど脅迫だった。
もはや文にとってミスティアは、新聞のネタを作る為の道具に過ぎない。
自然と、ミスティアは立ち上がっていた。
信じられないものを見るような目で、リグルがミスティアを見る。
「ミスティア……?」
「やっぱり行かなきゃ」
「ダ、ダメ! ミスティア!」
「行かなきゃ……」
「いい子ですね」
文が微笑んだ。
「急がないと、レミリアさんが怒ってしまいますよ」
ミスティアが飛び去り、次いで文も飛び去っていった。
残されたリグルは、小さくなっていく二人を見つめたまま、呆然と座り込むしかなかった。
結局その日も、何も変わらない一日だった。
各地を回って歌を披露し、帰宅は皆寝静まった深夜。
夜雀は本来、夜行性であるが、そんな生活のリズムなど完全に崩れ去っていた。
「……コホッ……コホッ……あれ……?」
喉の痛みが酷かった。
疲れているだけだろうから、寝れば治るだろうと、ミスティアは痛みを堪えて床に就いた。
次の日の朝、ミスティアは歌を失った。
*
どうやっても、何をしても、声を上手く出す事ができない。
喉を叩いたり、摩ったり、挙句の果てには手を突っ込んで原因を探ろうとしたが、全くの謎だった。
擦れた様な声が、どうにか出せる程度だった。
「な……で? あ……あれ?」
涙が溢れてきた。
歌えないと言うのは、ミスティアにとっては死活問題である。
披露するとか以前に、狩猟ができなくなってしまう。
喉の奥まで手を入れすぎて胃液を戻しながらも、必死にこれの原因を探った。
その最中、文が現れた。
ミスティアがまた“サボらない”よう、迎えに来たのだろう。
しかし、いつもと違う雰囲気に、文は顔をしかめた。
「何してるんです?」
「……こえ……でない……」
「は?」
「こえが……だせない……!」
「……ありゃあ。もしかして歌いすぎて喉が潰れちゃいました?」
文がペシンと頭を叩いた。
その言葉を聞いた途端、ミスティアの頭の中が真っ白になった。
文にしがみ付く。
「どうしよう……!」
「さあ」
「え……」
「何ですかその目は。あなたの喉が潰れたのなんて、私の知った事ではないですよ」
「そんな……だって……あなたが……」
「自己管理の徹底を怠ったあなたの責任でしょう。私に泣き付かれても困ります」
「……!」
「あーあ。つまんない。喉が潰れたって報道で最後かぁ。次の流行を見つけなきゃ」
そう言うと、文は乱暴にミスティアの腕を振り解き、去って行った。
不安だった。
歌を失った。もう歌は歌えない。
これからどうやって生きていけばいいのか。
相談する相手は、いるようで、いなかった。
いつも、リグルのいる場所に、リグルはいなかった。
チルノもあの夜以来会っていない。
大妖精はチルノの味方だろう。
ルーミアは同情はしてくれるかもしれないが、自分の事で手一杯。
歌えないミスティアに、レミリアは何の興味も示さないだろう。
歌を失い、ミスティアは孤独になった。
歌を持たない夜雀に、一体どんな価値があると言うのか。
自分自身で考えてみても一つも見つからないのに、他人から見てそれが見つかる筈もない。
恐ろしくなり、ミスティアは隠れるように一日を過ごした。
*
翌日、ミスティアが歌えなくなった事は、文の手によって幻想郷中に伝えられた。
歌えない夜雀など価値はないし、人間も恐れない。
ミスティアは全く無価値な存在となってしまった。
文々。新聞を見て、ミスティアはそれを確信した。
もう、涙も出ない。
ミスティアは、世界に別れを告げる事にした。
生きていても価値がないなら、死んでしまった方が消費が少なくて建設的だ。
呆然としながら、長く伸びた爪を、喉に突き立てる。
「さよなら。みんな」
爪が喉を貫いた。
妖怪は頑丈である。
その程度では死ねない。
引き抜き、もう一度突き刺す。
それを繰り返す。痛いばかりで全然楽にならない。
ならばと突き刺した後、抜かずに引っ掻いた。
ガリガリと首の肉と皮が裂けていく。
爪の間に肉と皮が詰まっていくのを感じた。
口の中に血の味が充満する。
爪が割れた。破片が喉に刺さっているのが分かる。
ブチン、と、何か太いものを切った気がした。
次の瞬間、噴水の様な血が噴出した。
首からの出血はこんなに高く飛ぶものなのかと感心した後、ミスティアはゆっくりと地面に倒れこんで行く。
新聞が目の前にあった。
最後の力を振り絞り、新聞を握り締める。
「くや……しい……くやしぃ……よぅ……」
僅かに残っていた涙が、ほんの少しだけ血を薄めた。
*
咲夜は、恐る恐るドアをノックした。
「お嬢様、朝ですわ」
ゆっくりと、なるべく音を立てないように私室のドアを開ける。
ギロリとレミリアが、咲夜を睨む。
別に咲夜が悪い事をした訳ではないが、何故か殺意を感じる眼差しを向けられ、咲夜は一瞬身じろいだ。
新聞を持っているのを確認すると、朝の挨拶もなしにレミリアがそれをひったくる。
『高貴な者ほど、挨拶はしっかりするものだ』と、普段から気を使っていた事なのに。
それぐらい、レミリアは不機嫌だった。
そしてレミリアの怒りは、その日の新聞の内容で最高潮に達した。
たかが新聞紙一枚に、自慢の弾幕をぶつける。
新聞紙は、跡形も無く消え去った。私室の床に大きな穴が開いた。
「もう、歌が聞けないじゃない……!」
「残念ですが……」
「……ッ!」
こんなにもレミリアが怒っているのは、自分にも落ち度がある可能性によるものだった。
流行の発端はレミリアだったのだから。
ミスティアを苦しめるつもりはなかった。
純粋に彼女の歌が、歌声が好きだったから、聞いていたかっただけだった。
それなのに、ミスティアは歌を失って自ら死んだ。
歌を失ったのは、歌いすぎによるものだった。
わがままなレミリアが、珍しく責任感を感じている。
咲夜は、しょ気る主を見つめていた。
ふと、レミリアが顔を上げた。
「幽々子に言って、生き返らせては貰えないかしら」
「……さあ、どうでしょう」
「冥界へ行くわよ」
朝食も摂らず、レミリアは日傘を引っ掴んで外へ飛び出した。
冥界で、眠たそうな妖夢と目覚めばっちりの幽々子が迎えた。
「レミリアがこんな所へ来るなんて、珍しい」
「お願いがあるのよ」
「なぁに?」
「ミスティアを生き返らせて欲しいのよ」
「?」
幽々子も妖夢も首をかしげた。
「どういう事でしょう」
「自殺したのよ、あの子。だから……」
「自殺した者は、生き返らせてはいけないのではなかったですが、幽々子様」
妖夢が幽々子を見上げて問うた。
幽々子がうーんと、顎に手を当てる。
「確かにそうだけどねぇ」
「……ダメかしら」
「けど、もう一つ重要な問題があってね」
「何?」
幽々子が幽霊の群を指差した。
「まだ、夜雀は“こっち”に来ていないのよ」
「……と言うと?」
「夜雀の霊魂は、“そっち”側にいる筈なの」
*
夕暮れ時、文が山へ帰ってきた。
夜雀と言う流行を失ったのは痛かったが、夜雀の効果で新聞の人気も上々だった。
その日は、主に風景を写真にとって帰ってきた。
どこぞの妖怪が咲かせた、不自然な花園の写真である。
全て現像し、明日の新聞にでも載せようと思っていた。
しかし―
「ありゃ?」
現像した写真が、何故かどれもこれも上手く撮れていない。
白い靄がかかっていたり、真っ黒く潰れていたりで、ほとんど全てが台無しになっていた。
文は口を尖らせた。
「おっかしいなぁ。光には強いカメラの筈なのに」
故障かと思い、カメラをコンコンと叩いたり、フィルムに異常がないかを確かめてみたが、特に何も分からない。
明日、河童の所へ持っていって調べてもらおうと決めた。
次の日、朝一で河城にとりの元へと行き、カメラの修理を頼んだ。
そういう事が好きなにとりは、すぐに引き受けてくれた。
あっという間にカメラがバラバラになり、その部品一つ一つを調べて行く。
そう時間も掛からず、修理は終わった。
「どうですか?」
「うーん。別に異常は見られなかったけど、一応いろんな部分を拭いたりしてみたよ」
「そうですか……ありがとうございます」
「試しに一枚、撮ってくれる?」
「いいですよ。はい、チーズ」
にとりがドライバーを握ったまま、満面の笑みでピースサインを送る。
「写りがよかったら、さっきの頂戴」
「いいですよ」
「ついでに新聞に載せていいよ。河童の技術が必要ならばいつでもどうぞって」
「それじゃあ新聞じゃなくて広告ですよ」
「同じようなもんだよ」
にとりが工具をしまいながら笑った。
早速帰ってフィルムを現像する。
結果は、やはりダメだった。
満面の笑みの横に、原因不明の白い靄。
「うー……お気に入りだったカメラだけど、もうダメかぁ」
仕方が無いので、別のカメラを仲間の天狗に借りて、文は写真のネタ集めに飛び出した。
昨日の不自然な花園に足を運んだ。
そこに、大きな傘を持った緑色の髪の妖怪と、いつぞやの虫の妖怪がいた。
花に囲まれ、二人で何かを話している。
虫の方は、あまりいい表情をしていない。
傘を持った方は、いつも笑みを絶やさないので、何を考えているのか分かり辛い。
とりあえず、二人を写真に納めた。
カメラのシャッター音に、傘を持った方が気づいた。
文と目が合い、お辞儀をする。
それに気づいて虫の方も文を見たが、すぐに目線を逸らした。
あからさまな嫌悪感が感じられたが、文は何も感じない。
その時、後ろでカサカサと音がなった。
文が振り返る。
何も無い。
風すら無い。
なのに、音はした。
「……誰かいるのですか?」
呟いてみたが、反応はなかった。
首をかしげながら、文はそこを後にした。
博麗神社へ行くと、普段通りの面々がいた。
文を見つけると、魔理沙が手を振った。
「よう、文。大変な事になったな、ミスティア」
「ええ。とても残念です」
残念なのは本意だった。周囲の『残念』とは質が違うが。
「あんたが持ち上げすぎるからじゃないの?」
「そんな、とんでもない」
「あー……結構いい奴だったのにね」
霊夢はため息をつき、お茶をすすった。
そこで、アリスが文の変化に気づいた。
「あら、カメラが変わってる」
「分かりました? 実は、前のが壊れちゃいまして」
「へぇ。おニューなカメラか。どれ、私を撮ってみてくれよ」
魔理沙がせがんだので、仕方なく文は魔理沙を撮る事にした。
「どんなポーズがいいかなー」
いろいろ試した挙句、結局ピースで落ち着いた。
シャッター音がなり、魔理沙が文に近づく。
「可愛く撮れたか?」
「元がよければ何だって絵になりますよ」
「じゃあそれなりの絵にはなってくれそうだ」
魔理沙のこの発言にアリスが反論し、それに魔理沙が反論し……。
二人がわいわいと盛り上がってきた光景を黙って眺めている霊夢。
それと全く同じ瞬間、文は、二人以外の何者かの声を聞いた。
ビクリと体を震わせ、周囲を見回すが、誰もいない。
「れ、霊夢さん」
「何?」
「さっき、何か喋りました?」
「……? 『結構いい奴だった』以降、何も喋ってないけど」
「です、よね」
文は身震いした。
何だか、今日はおかしい。疲れているのだろうか。
その後、適当な場所を回り、写真を撮った後、山へ帰った。
その日写したフィルムを全て現像し、文は唖然とした。
一枚たりとも、まともな物が無い。
白い靄。黒い塗り潰し。真っ赤な感光。
撮った写真全てに、それらのいずれかが写り込んでいた。
「な、何なんですか……!」
写真を全部ゴミ箱へぶち込み、文は床に就いた。
厄日だったと不機嫌になりながら、眠りについた。
*
視界が真っ白。
視界が真っ黒。
視界が真っ赤。
次の瞬間、聞き取れない砂嵐のようなザーザーと言う雑音と共に、視界が白黒赤に点滅する。
木が空から生え、雨が地から昇り、風の音はするのに草木は揺れない。
地面はないのに池がある為、水の塊が宙に浮かんでいる。
魚が空を飛び、鳥が水中を泳ぐ。
時計の針は左回り。そのくせ秒針は通常の倍以上の速度で右回りになっている。
ゴーンゴーンと鐘がなり、時計についた小さなドアから鳥が現れ、鳴いている。いつまでたっても戻る気配がない。
家具は置いてあるのに、屋根も壁も床も無い。
そんな幻想郷のど真ん中に、文は立っていた。
動く事ができない。
暗い道が恐ろしくなった時、早く抜けようと走り出そうとしても、走り出せない。
それと同じ感覚である。
コトコトと音を立てて、時計が動き出した。
壁に掛けるタイプのものであるにも関わらず、どんどん自分に近づいてきている。
先も述べたが、文の周りに壁は無い。時計は宙に浮いている。
カチコチカチコチと狂ったように回る秒針。
鳥はまだ鳴き続けている。
鳥が近い。
鳥が目の前に来た。
可愛い声で鳴いている。
聞いた覚えのある音程だ。
その声が、突如止んだ。
そして、別の声が聞こえた。
「くやしいよぅ」
*
文は、汗まみれだった。
何か、恐ろしい夢を見ていた。
夢の中の、白と黒と赤に見覚えがあった。
恐る恐る、昨日撮った写真をゴミ箱から拾い上げる。
そこに、もう被写体など写っていなかった。
白い靄があったものは真っ白に。
黒い塗り潰しがあったものは真っ黒に。
赤い感光があったものは真っ赤に。
「うあああ!! な、何なの!? 何なのよ!!」
写真を破り捨て、文は自室を飛び出した。
山をすぐに出ようとし、ふと体を止めた。
夢の中で鳴いていた鳥と同じ音程の鼻歌が聞こえた。
その声の主を向きなおす。
「も、椛……!」
「文さん。おはようございます」
「その歌……何……?」
「え? これ、夜雀さんの歌ってたやつです」
「……」
「何だか、妙に心に残っちゃって」
夜雀の歌。
それが、あの悪夢の中で流れていた。
文は震えながら山を飛び去った。
森へ行った。
どうしてかはよく分からないが、謝らねばならない気がした。
が、謝罪すべき相手はとっくに死んでいる。
だが、森へ行った。
森へ行くと、かつてのミスティアの友人達が集まっていた。
「ちゃんと謝っとけばよかった」
「チルノ、あんまり気にしない方がいい。ミスティアも、チルノと遊べない事を気にしてたから」
「……」
「うん。お歌を歌おう。元気出るよ。ミスティアの歌だもん」
ルーミアの提案で、かつてミスティアが愛していた歌を合唱し出した。
森へつくや否や、歌が聞こえた。
文の体の震えが一層強くなる。
「ああ……や、やめて! やめろやめろ!! 歌を止めろ!!」
耳をふさいだ。
しかし、心に刻み込まれたその歌は脳内で自動的に再生される。
歌が消えない。
「うあああああああ!!!! やめろ、やめろったら!!!」
森にいるのも嫌になり、文は狂った様に飛び去った。
*
紅魔館は、相変わらず重苦しい雰囲気だった。
レミリアに元気がない。
それは、紅魔館の住民にとって、何とも不穏なものだった。
「お嬢様、元気を出してください」
「……」
「ミスティアがいなくても、歌はしっかり覚えているんでしょう、レミィ」
「一応ね」
「なら、それを忘れないであげる事が一番よ」
「そうかしら」
「きっと。死者の考えは絶対に理解できないものではあるけど」
「そうだ、お嬢様が歌ってみればいいんですよ」
美鈴の提案。
「わ、私が?」
「レミィの歌声か。聞いた事ないわ」
「歌ってみてはどうですか?」
「……」
レミリアはコホン、と咳払いをした。
見よう見まねでミスティアの真似事をしてみる。
「結構上手いじゃない、レミィ」
パチュリーが感嘆の声を上げる。
「そうかしら? あ、あなた達も歌ってみなさいよ」
恥ずかしそうにレミリアが部下たちに言いつける。
パチュリーが息を吸った。
が、自前の喘息で咳き込んでしまった。
「私は無理みたい。咲夜はどう?」
「え、ええ。いきますわよ。せーの……」
彼女なりにがんばってはみたが、全員首を傾げる歌唱力。
「咲夜はヘタクソね」
「……恥ずかしいですわ」
「じゃ、次は私が」
「美鈴はどうせ下手だからいい」
「ど、どうせって……」
歌う機会すら与えてもらえなかった美鈴。
結局、レミリアが一番歌が上手いらしかった。
少し恥ずかしそうに、何度も聞かせてもらったミスティアの歌を歌う。
その瞬間だった。
「うあああああああ!!! 歌を止めろおおお!!」
突然、窓ガラスが吹き飛んだ。
突然の敵の襲来に、パチュリーは驚いて目を見開くばかり。
咲夜は即座に時間を止め、レミリアを窓際から部屋の隅へと移動させ、日光から遠のかせた。
美鈴は即座に戦闘態勢に入った。
侵入者をよく確認せず、胸倉を引っ掴み、床へと叩き付けた。
そこでようやく侵入者を確認した。
「文!?」
「歌うな歌うな歌うな歌うな!!!」
「な、何言ってんの……」
声の主をレミリアだと分かっていたのか、すぐさまレミリアを睨みつけた。
そして、猛スピードでレミリアへ突っ込んでくる。
美鈴が文の翼を掴んだ。
「何だか知らないけど……!」
そして思い切り引っ張り、渾身の拳を見舞い、窓際に追い詰めた。
文は壊れた窓枠の上に飛び乗った。
が、次の瞬間、下へと落ちていった。
まるで、何かに引っ張られたかのように。
落ちた先にあったもの。
それは、紅魔館をグルリと囲う鉄柵。
文は、それ目掛けて落ちていった。
槍を象った鉄柵の尖端は、落ちてきた文をすんなりと貫いた。
「あぐぇ!!?」
腿、腹、胸、そして、喉。
深緑色の鉄柵は、あっという間に真っ赤になった。
貫かれた腹の部分からは、腸が見え隠れしている。
「あ……ひ……ぐぁあ……」
ヒューヒューと苦しそうな息をする文。
息をする度、喉からの出血にポコポコと気泡が生まれる。
これ程の傷を負いながら、文は生きていた。
妖怪の頑丈さが裏目に出ている瞬間である。
ガクガクと体を痙攣させながら、右手で宙を仰ぐ。
文を見下ろす者がいた。
見覚えのある帽子。見覚えのある翼。
謝らなければならない気がした。
「……ごめ……なさい……」
宙から、彼女を見下す者。
半透明で、先にある太陽が透けて見える。
そいつは、文に何かを言っていた。
声は聞こえないが、口の動きで分かった。
歌を歌っている。
一世を風靡した、歌を。
そいつが霧散した。
その数秒後、文が事切れた。
他のゲームやってたら書きたくなったシリーズ。(今回は『零』。書いてみてほとんど関係なかった事に気づく)
細々と頭に描いている構想をいろいろくっ付けた作品。
以前、投稿を諦めた文苛め作品をベースに、何だか訳の分からない怨念シーンを加えたものになりました。
ちょっと前に書いた百合SSにもキャラクタの関係が似ていたり。
悪夢シーンは、昔聞いた音楽をモチーフにしたもの。
妙に長くなってしまって申し訳ないです。
ご観覧、ありがとうございました。
pnp
- 作品情報
- 作品集:
- 1
- 投稿日時:
- 2009/05/23 15:12:59
- 更新日時:
- 2009/05/24 00:12:59
- 分類
- ミスティア
- 文
いつも楽しく読んでいます
これからも頑張って下さい
次回作も期待させていただきます!!
みすちーんちーん
だが、すばらしい!
いやー、惨い……そして怖い
自殺のシーンや歌に苛まれるシーンは身震いモノだった
最後の最後で成仏出来たみたいだから、
文ちゃんほったらかしでみすちー復活、とか……
無いか、自殺は生き返らせられないって言ってるし
GJ!
GJ
でもどこに行っても、歌が聞こえて頭から離れなかったら、確かに発狂するな…
当然の報いだ。
文はもう少し苦しんでも良かったかも。
文は地獄に堕ちろ
しかし因果応報というにはまだ足りないよなー。
みすちーが夜雀として一番大切な歌を奪われて死んだんだから、
文も翼あたりを奪われて地べたに這いつくばりながら死んでいくべきだった。
あとこの死に方だと美鈴が殺したみたいに思われかねないので大変迷惑。
今回もよい作品をありがとうございました。
妖怪であっても恨みは怖いだろうなあとしみじみ思いました。
ハッ!謝る文・・・
ダークだけど登場人物たちがみんな活き活きしていていいですね。
それを射影機で解決するんですね、分かります
窓ガラスの弁償やらなんやらの請求はどこへいくのやら
だったりして
文がギーグみたいになっててワロタwマスゴミざまぁwww
みすちーが可哀想過ぎる……(;ω;`)ウッ…
そしてレミとかチルとか周りが切ないな…
幻想郷他全ての有象無象よりも、彼女の幸せを願います。