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『東方葬送夢3』 作者: 変態牧師
永遠亭を後にした霊夢は、ある場所へと向かっていた。
彼女の行き先は、幻想郷のエンジニア集団である、“カッパ”という種族の住む妖怪の山の川だ。
その中でも、“優秀”と呼ばれる技術力を持つ少女――――河城にとりの住処を霊夢は目指していた。
その視線は 既に手がかりのありかを確信している。
射命丸 文を殺害した凶器――――霊夢は、その名を知らなかったが――――ロードローラー。
ビデオに映っていた それ は完全に自動で動いていた。
(あんな道具、誰にでも作れるものじゃない……)
外の世界ならまだしも、幻想郷の中で、あれほどのモノを自前で作れる者など、そういるものではない。
他にも数人、怪しいと目をつけている人物がいるが、その中でもにとりは別格に疑わしかった。
(でも……あんたじゃないわよね……にとり)
無論、霊夢も彼女が犯人であって欲しくはなかった。
やや人見知りが強いけれども、心を許した相手には底抜けに人懐っこくて 愛らしい姿を見せる河童の少女。
そんな彼女が、アレほどの残虐な行為を行うなど、にわかには信じられない。
けれど、どちらにしても、霊夢は にとりに会いに行く必要があった。
彼女が犯人でなくとも、何かを知っている可能性が高いからだ。
それこそ、技術者同士が持つネットワークから犯人の正体がつかめるかもしれない。
実のところ、霊夢は本心では、それを目当てに にとりの家に向かっていた。
「見えてきた……!」
宙を飛ぶ霊夢の目に、大きな河が見えてくる。
いつもと違い、弾幕ごっこをしようと襲い掛かってくる毛玉や妖精の姿はまるで見えない。
この調子で邪魔が入らなければ、あと数分で、霊夢はにとりの住む家に到着するはずだった。
「……あら?」
その時、霊夢の眼に、ある人影が目に入った。
霊夢の真向かいから、少女のような人影がこちらに向かって飛んできている。
異変の邪魔をする者か、と霊夢は身構えるが、程なくして 彼女はその緊張を解いた。
向かってくる少女は、彼女の顔見知りだったからだ。
その少女の年の頃は、10代後半に差し掛かったくらいだろうか。
霊夢より、少しだけ 背が高く、そしてスタイルが良い。
そして、何よりも彼女を特徴づけているのは、彼女が身に纏う――――霊夢のものと似た――――巫女服だった。
ただ、霊夢の巫女服が紅を基調としているのに対し、彼女のそれは青色を基調としていた。
その衣装が、少女のほんのわずか癖毛のある長い緑色の髪と、可愛らしい蛙の髪留めによく似合っている。
「……早苗?」
その少女は、ほんの3〜4ヶ月前に起こった異変の最中、霊夢が出会った外来人。
妖怪の山の頂上にある守矢神社の巫女――――本人曰く、巫女ではなく“風祝”らしいのだが――――東風谷早苗だった。
「霊夢さーん!」
早苗の方も、霊夢の存在に気付いたようだ。
腰のあたりまで伸びる緑の髪を 風に靡かせながら、霊夢に向かってぶんぶん手を振っている。
「こんにちは、霊夢さん」
霊夢も、早苗に促される形で“こんにちは”と口にする。
「ねぇ、早苗……あんたも例の事件、知ってるのよね? 山は、大丈夫なの?」
山の状況を知りたい霊夢は、早苗と軽い挨拶を交わすや否や、さっそく本題に入った。
文のスナッフビデオが幻想郷中にばら撒かれていたならば、早苗も文が死んだことを知っているはずだった。
ましてや、身内が殺されたことで殺気立っている妖怪の山の様子に、そこで暮らしている早苗が気付かないはずがない。
「はい……ビデオの中身は、神奈子様が見ないほうが良いと仰られたから見てないんですけれど……
文さんが亡くなられたことは知りました……」
同じ妖怪の山に住む者同士、交友関係が深かったのだろう。
悲しげに伏せられた、早苗の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「……山に住んでいる皆も、文さんのことで殺気立ってます。見ていて、怖いくらいに……」
「……そう」
早苗が口にする山の様子は、霊夢が永琳から耳にした情報とさして大きな違いはなかった。
だが、それは少なくとも、言葉の上では違いがないということに過ぎない。
霊夢の目は、早苗の体が小刻みに震えていることを見逃さなかった。
つまり、それは普段から天狗たちと交友のある早苗が 彼らを見ていて怯えるほどに、妖怪の山が危険な状態になっているということなのだ。
状況は、刻一刻と危険な状況に進みつつあることを、霊夢は改めて理解した。
と、そこまで考えたその時、霊夢の頭に奇妙な疑問が浮かび上がる。
「ところで、あんたは何処に行くつもりなの?」
霊夢は、この妖怪の川に来る途中まで、早苗を除いて誰一人として出会っていなかった。
そう、以前、山の異変を解決しようと この辺りに訪れた時には、凄まじいという言葉が生ぬるいほどの激しい弾幕の出迎えがあったというのに。
つまり、それは普段から能天気な妖精ですら、殺人鬼に怯えて外出を控えているということ。
尤も、霊夢にとっては邪魔する者達がいないことがありがたかったのだが、
それほどの危機であるのに、早苗は何故此処にいるのだろうと、霊夢は不思議でならなかった。
だが、早苗の瞳に宿る強い光を見た瞬間、霊夢はうっすらとその理由を理解する。
「――――もしかして」
「ええ、たぶん霊夢さんが思っている通りですよ。
この異変の犯人を捕まえるために、にとりさんに話を聞きに良く途中なんです」
一切の迷いもなく、異変解決の意思を口にしながら息巻く早苗に、霊夢は口ごもった。
早苗が異変解決に乗り出しているのは、おそらく彼女の進行する神であり 家族でもある神奈子や諏訪子の差し金ではないのだろう。
これほど残酷な異変の解決を、過保護なまでに早苗を愛している神奈子や諏訪子が許すはずがない。
下手をすれば、殺人鬼に返り討ちにされる可能性すら、決して低くはないのだ。
「霊夢さん、一緒に行きませんか?」
「え?」
「私も、こんな異変は早く終わらせたいたいですし。
2人で力をあわせれば、解決も早いかもしれませんよ?」
霊夢は、即座に突き放すべきだと考えた。
幻想郷に来て間もない少女が、幻想郷を守るために動いてくれることは、霊夢にとって何よりも嬉しかったのだが、今回の異変は明らかに これまでとは違う
。
霊夢は心を鬼にしてでも早苗に行動を慎むよう言わなければならなかった。
全ては、早苗の身の安全のために。
「残念だけど、あんたは 大人しく――――」
そこまで言ったところで、霊夢は口を噤む。
早苗の性格がどんなだったかということに気づいたのだ。
普段から社交的で物腰柔らかだが、少々自信過剰で頑固なところがある彼女をこのまま突き放したら、どうなるか?
おそらく、早苗は一人でも異変解決に乗り出すだろう。
「あ、いや……えーと……」
さして口が上手いわけでもない霊夢は、早苗を上手く思い留らせる 口実を思いつくことが出来ない。
そして、霊夢自身も、早苗の提案通りに 二人で行動したほうが良いのではないか、と考え始めていた。
少なくとも、一人で異変解決に乗り出されるよりは、そちらの方がよほど安全なのだから。
「……そうね、一緒に行きましょう」
もう暫く考えた後で、霊夢はそう答えた。
・
・
・
その部屋の中は、暗かった。
かつて、天狗の少女や人間の魔法使いが殺された場所のように暗く、湿っぽい空気が淀んでいる。
そして、部屋の中央では、一人の少女が床に寝かされており、申し訳程度に灯された照明が、少女の姿を闇に映し出していた。
「う……」
少女の年齢は、見た目だけで語るならば10代半ばを少し過ぎた頃だろうか。
あたかも外敵から自分自身を守るよに身体を丸めて横になりながら、すー、すー、と寝息を立てている。
「ん……ぅ……」
呻き声をあげ、少女が寝返りをうつ。
薄い桃色のスカートが肌蹴て、膝上10cmまで詰められたスカートから、ニーソックスに覆われた肉付きの良い脚が露になる。
けれど、そんな短いスカートであっても、彼女からは下品な厭らしさなど微塵も感じない。
きっと 見る者には、慎ましく清楚な色気を感じさせ、清純という印象を植えつけるはずだ。
「ぅ……」
眠り続ける彼女は、それだけで絵になっていた。
ふっくらとした頬に、薄い唇。そして、形の良い小さな鼻。
寝返りをうつと、さらりとした長いストレートの薄紫の髪が零れる。
そして、その髪の上には、一対の兎の耳が地面の上に垂れていた。
そんな、兎のように 物静かで 儚げな少女は、きっと多くの男の保護欲をかき立てるに違いない。
けれど、そう遠くない未来、幸福な惰眠から覚めた時に彼女は知ることになる。
この場において、彼女を保護する者など、誰一人としていないということを。
彼女こそが、“そいつ”に選ばれた“ゲーム”の“ターゲット”なのだから。
バチンッ!!
「……っ! ひゃぁ……!」
何かのスイッチが入る大きな音が、少女の意識を現実に引き戻す。
そして、そのスイッチと同時に光が暗闇をかき消し、少女の両目を射抜いた。
まどろみの世界に沈んでいた少女にとって、その光は毒以外の何者でもない。
「んぅ……な、朝……?」
幸い、光はそれほど強くはなかったため、それほど間を置かずに少女の目も光に慣れてゆく。
彼女の深紅の瞳に最初に映ったのは、彼女の師や、彼女の仲間である妖怪“イナバ”ではない。
椅子に座ったまま、生命の宿らない視線を少女に向けた、薄気味の悪い人形だった。
落ち窪んだ眼窩に、赤い目を持つその姿は、まさに、悪魔と呼んでも差し支えない禍々しさを孕んでいる。
「……………………え?」
少女は、その人形を知っていた。
そして、知っていたからこそ、言葉を出すことができなかった。
しばらくの間、少女は呆けたように人形を眺め続ける。
続いて、落ち着かなそうに、きょろきょろと周囲を見回した。
その部屋は、ひどく殺風景で、無機質で、奇妙だった。
四方を何枚かの鉄板を並べたような壁で囲まれており、それは所々錆びついてはいるものの、一見しただけで その重厚さと頑丈さが見て取れる。
だが、鈴仙の目を引いたのは、そんな殺風景や無機質な雰囲気ではない。
人形と少女から見た左右の壁に、無数の小さな穴が空いているという奇妙な光景だった。
そして、人形の視線の先――――つまり、少女の背後には、まるで牢獄のような鉄格子の扉があった。
天井には、申し訳程度の光が灯されており、人形を不気味に映し出している。
この状況で、自分が閉じ込められ、どこにも逃げ場はないと想像できない者はいないだろう。
「いっ――――」
自分の置かれている状況を完全に理解するとともに、少女は表情を歪めた。
一瞬で、彼女の双眸が恐怖と絶望の感情を孕み、そして――――
「――――いやああああああああああああああああっ!!!」
その感情が、恐怖と絶望の悲鳴 という形で爆発した。
全身が瘧にかかったかのようにガクガクと震え、少女は立つことさえも出来ない。
その表情は真っ青というよりも蒼白そのものであり、カチカチと、歯の根が合わぬ音が周囲に響きわたる。
「うぷっ……ぐ、うええぇぇ……っ、うぅぐ……!!」
不意に、少女が口元を覆い、その場に嘔吐した。
そう遠くない過去に、少女が食したはずだった人参のサラダと、人参入りのカレーライスが、消化されかかった形で床に散った。
胃が激しく蠕動し、程無くして、少女の胃の中のものは、全てがその場に撒き散らされる。
だが、消化中の食物を全て吐き戻しても、少女の身体は本能のままに、唾液と胃液の交じり合った液体を床に撒き続ける。
「けほっ、ゆ……ゆるして……はぁ、はぁっ……ごめ……な……さ……」
苦味と酸味の利いた己の胃液を必死で飲み込み、少女は誰ともわからぬ相手に詫び始める。
なおも蠕動する胃の不快感はあったが、それすらも少女には気にもならない。
服が、吐瀉物で穢れることすらも、今の少女にとっては瑣末なことに過ぎなかった。
喉に手を添えて、嘔吐の余韻に耐えながら、少女は床に跪いたまま、全身を震わせていた。
「わ、私が悪かったから、どんなことでもするから……だ、だから……命だけは……」
悲鳴にも似た、蚊の鳴くようなか細い声で少女は哀願し続ける。
“ゆるして”、“たすけて”を繰り返し続ける少女の目に映る感情は、この上ない“恐怖”だけだった。
全身を小刻みに震わせながら、涙まで流して許しを請うその姿は、何も知らない者が見れば、“異常”と断定せざるを得ない。
それほど、少女の怯えは激しいものであった。
「やぁ、鈴仙・優曇華院・イナバ……ゲームをしよう」
唐突に、人形が嗄れ声をあげ、喋り始めた。
とたん、鈴仙と呼ばれた少女が、びくっと、身体を竦めた。
その表情が、更に絶望の色を孕む。
「あ……う、うぁ、ぁ……ごめ、なさ……たす、け……いやぁぁ……」
既に、彼女からは 姿の見えぬ存在に詫びる言葉すらもあがらない。
涙がぼろぼろと零れ落ち、鼻水が唇の上を伝う。
立ち上がることはおろか、座ることすらも億劫なほどに全身の震えは止まらない。
呼吸すらも まともに出来ず、ただ短くはっ、はっ、と、喘ぐように呻くことしか出来ない。
「いのち、だけは……たすけて……ころさ、ないでぇ……」
鈴仙が、これほどまでに怯える理由は二つあった。
一つは、彼女の師でもある八意 永琳と一緒に目にしたビデオの中身。
そのビデオには、およそ凄惨というには生温いほどの、残虐非道な光景が映っていた。
ブラウン管のテレビから響く、この世のものとは思えぬほどの苦悶の絶叫と、絶望の呻き声。
意思を持たぬ無機質な凶器によって、画面がじわじわと赤色で塗りつぶされてゆく光景。
そして、気丈だった天狗の少女の 恐怖と苦痛に引きつった絶望の表情。
全身を包む悪寒に耐えながらビデオを見ていた鈴仙も、文がロードローラーに追いつかれ、ひき潰されかかるシーンが、限界だった。
彼女は、その場で胃の中身を全て戻し、呼吸困難を起こしながら意識を喪失した。
けれど、鈴仙が意識を失った後も“それ”は、ビデオの中で 文の断末をずっと眺め続けていたに違いない。
そう――――今、鈴仙の目の前にある薄気味の悪い人形と、まったく同じ形の人形が。
「君は、かつて仲間を見捨て、一人だけ逃げてきたな?」
「うぁ、あ……ああぁっ……」
彼女が怯える もう一つの理由が、過去に鈴仙が犯したはずの“罪”。
今よりも遥かに過去、月世界と地上世界の間で、大きな戦があった。
当時、月世界の住人であった鈴仙が見た光景は、文が殺された光景と同じくらいに今も脳裏に焼きついている。
血を流し、倒れてゆく仲間達。
怒号を上げながら向かってくる、恐ろしい敵。
それら全ての恐怖に耐え切れずに、鈴仙は助けを乞う仲間達さえ見捨てて逃げ出した。
恐怖から必死で逃げて、逃げ続けて、やがて彼女は地上に辿り着き……そして今に至る。
「ごめ……なさ……ゆるして……ゆる、して……うぁ、ぁ……いやぁぁ……」
だからこそ、鈴仙は怯えていた。
霧雨 魔理沙は、手癖が悪い業ゆえに殺された。
射命丸 文は、傲慢である業ゆえに殺された。
鈴仙の師匠も 殺害現場に残されたビデオテープから推理していたが、この殺人鬼は 何かの業を持つ者をターゲットにしているのだ。
そして、鈴仙の持つ業も この殺人鬼に狙われる理由に成り得るのだ。
「臆病であることは、自らをより長い生へと導くだろう。
だが、時には生きるために困難に立ち向かうことも必要だ」
怯える鈴仙など意にも介さず、人形は淡々と語る。
人形が鈴仙の罪状を口にするたびに、彼女の心は 引き裂かれそうなほどの激痛に苛まされていた。
倒れ伏し、瀕死の仲間達の縋りつくような目は今も忘れられず、何度、夢に魘されたかわからない。
「私の“ゲーム”に立ち向かえ。君を生まれ変わらせてやろう」
「……っ……!」
“ゲーム”という言葉に、鈴仙は身を竦める。
霧雨 魔理沙は、そのゲームで硫酸に焼かれて苦しみながら死んだ。
射命丸 文は、そのゲームで絶望に呻きながらロードローラーに潰されて死んだ。
……果たして、自分はどんなゲームで殺されるのか?
「この場で君がするべきことは唯一つ。自らの業を改め、襲い掛かる恐怖に耐えることだ。
立ち向かうことに怯え、逃げ続けたとしても……いずれは逃げ場がなくなるだけに過ぎない」
人形の言葉を耳にするたびに、再度 吐き戻しそうになるほどの不安と恐怖が鈴仙を襲う。
ゲームのルールを聞き漏らすわけには行かず、必死で耳を澄ませながら気力を振り絞ろうとするが、結局は震える体を押しとどめるのが精一杯だった。
「安心しろ、私はお前の“仲間”だ。
共に、恐怖に立ち向かおうじゃないか……生きるために」
人形は、呟くようにそう鈴仙に告げた後、ほんの僅かな間をおいて、その言葉を口にする。
「 … … ゲ ー ム ・ ス タ ー ト 」
「……っ!!」
鈴仙の身体が大きく震えた。
恐怖に取り憑かれた赤い瞳が、彼女の細い首と共に 酷く落ち着かない様子で目まぐるしく動く。
きょろきょろと周囲を見回し、うろちょろと一つの場所に留まることなく逃げ回る。
足を滑らせて転んだかと思えば、這いずり回ってでもその場から逃げようとしていた。
その姿は、全身の毛を逆立たせ、危険を察知しようとする無力な兎のそのものだった。
鈴仙の その行為の理由は、何処から何がくるのかわからない恐怖からだ。
人形は、鈴仙をどう殺すかを説明しておらず、鈴仙は、何が何処から来るのか、どんな風に惨殺されるのかを知り得ない。
“自らの業を改め、襲い掛かる恐怖に耐えること”と、人形は言っていたが、鈴仙には何のことなのかがわからなかった。
あまりにも足りぬ情報が、鈴仙自身を必死で動かし、逃げ惑わせて……そして、彼女が何度目かに無数の穴が空いた壁に近寄った瞬間――――
キィンッ!!
「ひぃっ!」
部屋中に、鋭い金属音が響き、壁に顔を向けていた鈴仙の目の前に、鋭く尖った何かが出現する。
驚き、尻餅をついた鈴仙は、思わず息を呑んだ。
その赤い瞳が、あまりにもおぞましい光景を映し出していたからだ。
そう、壁に空いていた穴という穴から、鋭い針が突き出ている光景を。
鈴仙の全身を、ぞっとするような冷たい汗が包む。
立っている位置が、あと30センチも壁に近かったら、確実に顔が貫かれていただろう。
ギ・ギ・ギ……!!
驚愕覚めやらぬ鈴仙に、更なる絶望が降りかかる。
金属と金属が擦れる嫌な音と、僅かな地鳴りとともに、針の突き出た壁が、鈴仙のほうに近づいているのだ。
振り返ると、反対側の壁にも針が突き出ており、鈴仙のほうへと動いていた。
しかも、壁が動く早さは、あたかも臆病な鈴仙の恐怖を煽るかのように遅く、文を轢き潰したロードローラーと同じか、それ以下の速さだ。
ゆっくりと迫ってくる針壁は、かつて幻想郷の外の世界で“鉄の処女”と名付けられた拷問器具そのものと言えよう。
「ひぃ……いやあああッ!! いやぁあああああぁぁぁああああああああぁぁっ!!」
その光景に、鈴仙の脳裏に文の断末の瞬間が蘇った。
ロードローラーによって体中を絞り上げられ、全身の骨を砕かれて……どれほど、苦しかっただろう。
このままでは、自分自身がその苦痛と恐怖を味わうことになると想像した瞬間、鈴仙は絶叫した。
へたり込んだまま、部屋の中央まで ずりずりと後退るが、それ以上のことが何も出来ない。
「た、たすっ……ごめ、なさ……いやぁ……」
もはや、鈴仙には助けを呼ぶ気概すらも無かった。
ビデオの中でも、文がどれほど大声を出しても救いの手は訪れなかった。
必死で泣き叫ぼうとも、力の限り暴れようとも、決して助からないことが理解できているからこそ、鈴仙は何も出来ないのだ。
今の彼女に出来るのは、うわごとのように、途切れ途切れの命乞いの言葉を繰り返すことだけ。
「ごめ、なさ……ごめ……」
チョロッ……チョロチョロ……
「やぁ……やだぁ……」
鈴仙の太腿から、生暖かい琥珀色の液体が滴る。
顔を涙と鼻水でグショグショに濡らし、スカートと下着を太腿とともに琥珀色の液体でビチャビチャに汚したその姿は、見るに耐えない酷い有様だった。
今の鈴仙には、アンモニアのつんとした悪臭も、汚液を吸った布地の不快感も、失禁の痴態を晒す羞恥などもまるで気にならない。
あるのは、死に対する恐怖という名の、原始的な本能だけだった。
ギ・ギ・ギ・ギ・ギ……
錆び付いた金属が擦れる嫌な音と共に、壁が狭まってくる。
このまま放っておけば、あと3分も経たない内に、鈴仙の全身は串刺しにされるだろう。
だが、当の鈴仙には何一つなす術が無い。
人形がゲームのルールすらも まともに告げなかったため、どうすればゲームをクリアできるのか、どうすれば自分が助かるのかすらもわからない。
否、ルールは口にしていたのかもしれない。
“この部屋ですべきことは、己の業を改め、襲い掛かる恐怖に耐えること”と人形は言っていた。
だが、鈴仙には具体的に何をどうすればよいのかわからないかった。
部屋の中には、椅子に座った薄気味の悪い人形がなおも鈴仙に無機質な視線を向けているだけであり、役に立ちそうな道具など何も無い。
「た、たすけて……姫ぇ……師匠……てゐ……誰かぁ……」
か細い声で必死で仲間達に助けを求めていた鈴仙も、針の先端が彼女から1メートルを切った時点で、頭を抱えたまま、突っ伏し、蹲ってしまった。
もはや、自分自身が絶対に助からないことを悟ってしまったのだろう。
全身をカタカタと震わせ、空ろな瞳のまま、鈴仙は恐る恐る舌を突き出し、その上に歯を軽く立てる。
針に貫かれ、激痛を味わって逝くよりは、まだ こちらのほうが安楽と考えたのだろう。
涙で湿った瞼をゆっくりと閉じ、大きく息を吸い込み……鈴仙は、顎に力を入れようとした。
そのとき――――
ギィィ――――!!
鉄と鉄が擦れる音が、鈴仙の背後に響く。
「…………え?」
振り返った鈴仙の目に、信じられないものが映っていた。
何が起きているのか理解できず、鈴仙は数秒間の間呆けてしまう。
それも、無理は無い。
自ら死を選ぶほどの恐怖を味合わされていた矢先に、決して開かないはずの鉄格子の扉が大きく開いていたのだから。
鉄格子の先は完全な暗闇で、鈴仙にもその奥に何があるかがわからない。
だが、少なくとも 今、彼女がいる針の部屋よりかはマシなはずだった。
ギギギギギ……
「――――ッ!!」
鈴仙の思考が“逃げる”という行動に追いつくのと同時に、大きく開いた扉が 一転して 嫌な金属音を立てて ゆっくりと閉じてゆく。
与えられた希望が、再び奪われようとする光景を目にして、鈴仙は急ぎ、立ち上がろうとした。
「きゃぁっ!!」
ゴキャ……ッ!!
立ち上がろうとして踏ん張った鈴仙の足を、彼女自ら排出した汚水が奪った。
バランスを崩し、派手に転んでしまった拍子に、右膝を強打してしまう。
「っぐあ……! ああ、あぐぅぅ……っ!!」
右足の内側の神経が捻り潰されるような苦痛に、鈴仙は身体の底から搾り出すような呻き声を上げる。
足を滑らせた直後に耳にした音と、収まらない激痛に、彼女は自らの足の骨が折れてしまったことを理解した。
歯を食いしばりながら、何とか起き上がろうとした涙交じりの目に、ゆっくりと閉じてゆく扉が映る。
扉は、大開きの状態から、半分ほどが閉じきっており、完全に閉じるのは、あと数十秒も無いだろう。
そして、鈴仙から扉までは数メートル開いており、足が折れてしまった彼女にとって その距離は絶望的までに遠かった。
「う、うああ……うああああああああ……」
目の前で ゆっくりと希望が奪い取られてゆく光景に、鈴仙は弱々しい呻き声をあげた。
そして、“恐怖に、耐えることだ”という、人形の言葉が、山彦のように幾度も幾度も鈴仙の脳裏に蘇り、繰り返される。
恐怖に耐えていたからこそ、扉が開くというチャンスがあった。
鈴仙の目の端に、唸りをあげて狭まってくる針の壁がちらりと映った。
このままでは扉から脱出することすら叶わず、全身を針で潰されるのを待つだけしかない。
その瞬間、鈴仙の脳裏に、ある光景がフラッシュバックする。
この世のものとは思えぬ、喉を絞り切らすような絶叫。
絞り潰した苺よりも、もっと濃厚に赤い グチャグチャに潰されゆく肉の光景。
そして、恐怖と苦痛に引きつった 絶望の表情。
それは、今の鈴仙と同じく、足を滑らせてロードローラーに両足を奪われ、最後には全身を潰されてしまった文の無残な最期の姿だった。
「う……――――うああああああ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”っっっっ!!」
獣の叫び声のような絶叫と共に、鈴仙は膝をつき、その場に無理やりに立ち上がった。
そのまま、折れていない左足で身体を支え、折れた右足に出来るだけ体重をかけずに早足で一歩一歩踏み出してゆく。
右膝に体重を軽く掛けるだけでも激しい苦痛はあったが、鈴仙は痛みを感じていなかった。
衝動じみた強い執着心が、鈴仙の脳から痛覚を奪い去る。
今の彼女にあるのは ただ“何が何でも生きたい”という生存本能だけだった。
「ぐぅぅっ! はぁ、はぁっ……!」
ドサッ……!
鈴仙の必死の頑張りも、扉のすぐ前までが限界だった。
僅かに大半が閉まりきってしまった扉の傍に倒れこむように崩れ落ちる。
だが、鈴仙は諦めなかった。
閉じようとする扉を必死で掴み、その間に身体を滑り込ませる。
そして、鉄格子の奥に這いずるように自らの身体を押し込んだ。
「はぁ……はぁっ、や、やった……助かっ――――痛っ……!?」
鈴仙が口元に笑みを浮かべた瞬間、彼女の左足首に鋭い苦痛が奔った。
折れたのは右膝の骨であり、苦痛を感じた箇所は折れた部分ではない。
わけもわからず、自らの足に視線を向けた瞬間、鈴仙は目を剥いた。
鈴仙の左足首は、鉄格子の扉によって 万力のような力で挟み込まれていたのだ。
メキッ……メキメキッ……!!
「ひぐぅっ!? 痛ぁっ!! いたいいだぃぃっ!! やめっ、やめ――――」
加えられる力に耐え切れなくなった足の皮膚が裂け、続けて肉が裂け始める。
床には、ポタポタと血の雫が流れ落ち、次第にその量が多くなってゆく。
同時に、足首の骨がミシミシと嫌な音を立てながら軋みはじめた。
ブチッ……!!
「いっ! いぎゃあああああっ!! あぐぅぁああああ”あ”ああ”あ”あ”あ”ッ!!」
程なくして、鈴仙のアキレス腱が断裂した。
腹の奥底から苦痛の絶叫を搾り出しながら、鈴仙は必死で閉じようとする扉を押し戻し 足を引き抜こうとする。
けれど、異常な力で閉じようとする扉の前に、鈴仙の力は、あまりにも か弱かった。
「あ”あ”あ”あ”うぐぅぅ!! う”う”う”ああああああああッ!!!」
ベキャッッ!! ブチィッ……! ガコンッ!!
あまりにもあっけなく、鈴仙の骨が真っ二つに折れる。
身体で最も強固な部分である部分を無くした鈴仙の足は、扉の力に抗う術を全てなくした。
そのまま残った肉や血管もろとも、あっさりと真っ二つにされてしまう。
抉り切られた足の切断面からはドクン、ドクンと赤い液が滴り、床を汚してゆく。
ガチャン……!
扉が完全に閉じるとともに、何か、鍵がかかる金属音が響いた。
「あぅぅ……うぐ……が、ぁ……!」
鈴仙は、身に着けていたネクタイを引きちぎるかのような勢いで解くと、切断されてしまった足首に強く巻き始める。
はっ、はっ、と短く息を切らせ、歯を食いしばって呻きながらも、命に別状は無いことを、他ならぬ彼女自身は理解していた。
普通の人間ならば、出血多量で死に至りかねないが、彼女は妖怪であり、その身体の頑丈さは人間の比ではないのだ。
出血が酷くなければ、足首を切った程度では死ぬことは無い。
「ぐぅ……はぁ、ははっ、や、やった……助かった……ぁ……」
ネクタイを足首に巻きつけ終わると、鈴仙は鉄格子のスキマから手を入れて、扉の外にあった自らの足を掴み取った。
左足を失うという、あまりにも大きな代償はあったが、ともかくも生き延びた。
そのことに、鈴仙は心の底から安堵し、嬉し涙さえ浮かべていた。
正直な話、未だ殺人鬼の懐の中にいるようなものだが、鈴仙はひたすら悲観的な考えを捨て去ろうとしていた。
この殺人鬼は、“ゲーム”に勝利した者は 生かして返してくれるという、半ば願望じみた希望を抱きながら。
ギ・ギ・ギ・ギ・ギ……
鉄格子の隙間から、針の壁が迫る部屋の様子が見える。
針の先端同士は1メートルの距離まで、近づいており、その中央には人形だけが取り残されていた。
その目には、恐怖も何も映ってはおらず、ただひたすら鈴仙を空ろに眺め続けていた。
じきに、その針は人形を串刺しにするだろう。
あるいは、自らがそんな悲惨な目にあったかも知れぬ光景を見る気にはなれず、鈴仙は踵を返し、這いずりながらその場を後にしようとした。
だが――――
ギ・ギ・ギ……ギ…………ギ………………………………
「……え?」
錆びた鉄が擦れる音が途絶えると共に、針の壁がその動きを止めた。
驚き、目を剥いた鈴仙の視界に、更に信じられない光景が映る。
人形のすぐ後ろにある壁――――つまり、鈴仙が逃げた鉄格子の扉とは反対側の壁の一部が動き、まるで扉のように向こう側に開いた。
「な、なに……これ…………?」
はじめに見たときは、ただの無骨な鉄の壁だと、鈴仙は思っていた。
だが、それはただの壁ではなく、隠し扉だったのだ。
もっとも、その隠し扉の存在に鈴仙が気づかなかったのも無理は無い。
此処に連れて来られた時の恐怖と、迫り来る針壁の脅威に翻弄され、まるで気がつかなかったのだ。
その扉が出口であることは、さすがに鈴仙も悟ることができたが、次に、ふと奇妙な疑問が頭に浮かぶ。
では――――あまりに暗すぎて周囲は何も見えないが――――今、彼女がいる場所は、一体?
コツ、コツ、コツ……
「……え?」
その疑問を解消する間もなく、硬い靴と床がぶつかる足音が聞こえる。
足音は次第に近くなってきており、ほどなくして一人の女性が姿を現した。
「な、え? ……え……?」
鈴仙は、その女に見覚えがあった。
「ど、どういう……」
“そいつ”は、針に服を引っ掛けないように注意深く人形の元まで歩み寄ると、鉄格子越しに見える鈴仙の姿を一瞥する。
そして、鈴仙に置き去りにされた人形を、まるで我が子を抱くように抱えあげた。
鈴仙には、何から何まで、理解することが出来なかった。
なぜ、その場にその女がいるのか?
なぜ、その女は、こんな針だらけの異常な部屋を目の当たりにしてなお、冷静なのか?
あまりに状況が理解できなかったため、鈴仙は助けを呼ぶことも忘れ、目を剥きながらその女を見据えることしか出来なかった。
程なくして、思考が追いついた鈴仙が助けを求めようと口を開こうとした瞬間、人形の冷たい嗄れ声が周囲に響いた。
―――― ゲ ー ム ・ オ ー バ ー ――――
そのまま鈴仙を助けようともせず、彼女の様をゆっくりと眺め続ける“そいつ”の姿を目にして、鈴仙も ようやく気づくことが出来た。
「ま、まさか……!?」
目の前にいる女が、魔理沙や文を殺した犯人だということを。
鈴仙が“そいつ”の名を言う前に、人形の嗄れ声が再び響く。
「 ま た 、“ 仲 間 ” を 見 捨 て て 逃 げ た な 」
キィンッ!
人形の言葉が静寂に残響すると共に、鈴仙の左右から鋭い金属音が響いた。
恐る恐る横を振り向いた鈴仙の目には、幸か不幸か暗闇のヴェールが全てを覆い隠し、何も映らない。
だが、かすかに漏れ込む光に反射する“何か”と、かつて耳にした金属音が、彼女に全てを理解させた。
この部屋の壁一面に、針が突き出ている。
鈴仙の背を ぞっとするような悪寒が包み、その細い首筋に怖気が奔った。
立ち上がることも出来ず、縋りつくように鉄格子を掴んで扉を開こうとしても、それはガコン、ガコン、と小刻みに動くだけでびくともしない。
「ま、さか……」
―――― 君は、かつて仲間を見捨て、一人だけ逃げてきたな? ――――
鈴仙の脳裏に、人形が口にしたはずの言葉が次々と蘇る。
その時点になって、鈴仙は初めてこのゲームのルールを理解した。
―――― 逃げ続けたとしても……いずれは逃げ場がなくなるだけ ――――
そう、逃げ続ければ、いずれは逃げ場がなくなる。
そうなる前に、恐怖に立ち向うことがこのゲームの一つ目のルール。
―――― 自らの業を改め、襲い掛かる恐怖に耐えることだ ――――
ただし、ルールはそれだけではない。
このゲームで最も重要な要素となるものは、『何があっても仲間を見捨てずにいられるか』ということだったのだ。
言うなれば、それは始めに彼女がいた部屋で、人形と共にじっとしているだけでよかったのだ。
針の壁の恐怖に“仲間と共に”耐えていれば、生き延びることができていたのだ。
―――― 私 は お 前 の 仲 間 だ ――――
けれど、鈴仙は仲間を見捨てて逃げた。
その仲間が信用できる者かそうでないかは、“そいつ”にとっては関係ない。
仲間を見捨てて、再び逃げた鈴仙を待つのは――――
ギ・ギ・ギ……!!
閉鎖された部屋に、錆をこそぎ落とすような擦れ音が響き始めた。
おそらく、前の部屋と同じ仕掛けが動き始めたのだろう。
そして、鈴仙には 逃げ場は、もう――――
「いやああああああああぁぁぁぁああああああああぁぁぁっ!!
ゆるしてぇっ! ゆるしてくださいっ、おねがい!! おねがいですからぁぁっ!!」
絶対に助からないという確信が、鈴仙から理性を奪う。
狂ったように鉄格子を揺すりながら、必死で“そいつ”に絶望に満ちた哀願を繰り返し続ける。
「もう逃げないから! もう、絶対に見捨てないからぁぁぁっ!!」
けれど“そいつ”は人形を抱えたまま、冷たい視線を鈴仙に向けるだけだった。
その視線を目にした瞬間、鈴仙は 自分自身に“そいつ”の救いの手が差し伸べられることはないことを悟った。
ぼたぼたと、恐怖に涙を零しながら、鈴仙は“そいつ”に助けを求めることを諦めた。
「くぅっ!!」
ドン、ドンッ!!
鉄格子の扉をこじ開けようと必死で引っ張り、程なくして 今度は拳で扉を破壊しようと、何度も、何度も自分の拳を鉄格子に叩きつける。
だが、常人よりは肉体的に強いとは言え、体重の軽い鈴仙の力では、たとえ その身体が万全の状態であっても鋼鉄の扉を力任せに破壊することなど不可能だ
。
ましてや、文のときと同じく力が完全に封じられている上、両足が傷つき立ち上がる事すら出来ない今、彼女には何一つなすすべはない。
けれど、その行動が意味の無いことと悟りながらも、恐怖に駆られた鈴仙はその行動を止めることが出来なかった。
「うぁぁ……! ああ、あああああっ……!!
た、助けてぇ! たすけてぇぇっ!! だれかああああぁぁぁっ!!」
弾幕を撃ち出そうにも弾の一つすらも出せず、狂気の瞳を“そいつ”に使おうとしても能力は完全に封じ込められている。
そして、あらん限りの声で助けを呼んでも、帰ってくるのは空しい静寂だけ。
自力で逃げることは出来ない。助けの手は何処からも差し伸べられることは無い。そして……もう 逃げ場はどこにもない。
涙と鼻水でグシャグシャにしながら鈴仙は、生まれて初めて、心の底から神に必死で願った。
“生きたい”“死にたくない”……だから、この地獄から助けてください、と。
ギ・ギ・ギ・ギ・ギ……
針の壁がゆっくりと薄暗い闇の中から姿を現し始めた。
「いやぁぁぁっ!! 誰か! たすけてぇぇっ!! 死にたくないっ!! 誰かっ! だれかぁぁぁっ!!」
ドンッ! ドンッ!
壁を叩く力が更に強くなり鈴仙の手の薄皮が剥がれ始めたが、今の彼女にとってはそれすらも気にならなかった。
程なくして、周囲にビキィッ……という乾いた音が響く。
叩きつけている手の骨に罅が入ったのだ。
だが、あるはずの鋭い苦痛も鈴仙の頭には届かず、その行動は止まらない。
ただひたすら、曲がりもしない鉄格子を、骨が折れんばかりに滅茶苦茶に叩きまくることしか出来なかった。
(やだ、やだ やだ やだぁっ!! 死にたくないよぉっ!! やりたいこととか、まだいっぱいあるのに! まだ皆と一緒にいたいのに!!こんなところで――
――)
ザクッ――――!
「っぐぁ!」
あまりの恐怖に、鈴仙は時間すら見失っていたのだろう。
気づけば、針の壁が軽く腕の皮膚に突き刺さっている。
ひっ、と息を呑み、身体を捩らせて背後に逃げようとすると首筋と背に背に鋭い苦痛が走った。
「あ、ああああ……あああああっ…………!」
既に、針の壁によって 自由に動くスペースすらも無くなっていた。
怯えを含んだ震える声を上げる鈴仙の全身に、針の先端が突き立てられ、じわじわとその身を抉ってゆく。
数多の針が、頭や腕の柔肌に、服の上からは、背や胸に突き刺さり、皮膚を滲ませる程度だった赤い血が床に零れて、ぽた、ぽた、と赤い血溜りを作ってゆ
く。
「あぎゃあああ……っ! ぐあああああああああ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ッ!!」
その血の水溜りは、次第に赤い海へと姿を変えつつあった。
鈴仙の苦痛の悲鳴など意にも介さず、無機質な針の壁は、ただ、鈴仙の身を貫いてゆく。
既に、足、腹、胸、腕、頭……全身の至る所の肉を貫き、骨までも擦りつつあった。
ビチャッ、ゴリッ!!
「ひぎぃぃっ!! いだぁ、い! いあ”あ”!! だすげでぇ!! だず、げぎゃああっ!!」
暴れながら、壁を押し戻そうと無駄に足掻き、もがいているうちに、鈴仙の顔が針の山にぶつかった。
「いぎゃあ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”ああぁっ!!」
この世のものとは思えない激しい絶叫と共に、彼女の自慢でもあった赤い両瞳から、透明なガラス体が涙のように流れ落ちる。
何一つ見えない暗闇の中、鈴仙は気を失うことすらも無く、意識を残したまま苦痛に悶え狂っていた。
足を失った直後までは心の底から頼もしかった妖怪ゆえの頑丈さが、今は 逆に鈴仙を死へと逃がさず、ただひたすら苛んでいる。
「いぁ……あぐぅぅっ!! たすけ……げぶっ、げぼぉっ!!」
不意に、猛烈な吐き気を催した鈴仙は口から胃液交じりの血を吐こうとした。
だが、顎にまで針が深く突き刺さっているため、口を開くことが出来ず、呼吸すらも奪われてしまう。
ベキッ……!!
「が……ごぷっ……」
鈴仙の頭から、鈍い音が響いた。
先程まで鈴仙の頭蓋を小突き回していた針が、頭蓋の骨を貫通したのだ。
そのまま、ぐいぐいと頭の内側まで侵入する針に、鈴仙は制止の声を上げることすらも出来ない。
「ぐ、ぷ……ぇ……」
肋骨の隙間をすり抜けた針が心臓まで達し、針の胸肉の隙間から深紅の鮮血が勢いよく零れ始める。
これほどの傷では、もはや、彼女の師匠ですら、完全に治癒することは出来ないだろう。
鈴仙は、既に 死人のような蒼白な表情で血の泡が混じった胃液を口の端から零しながら、ひたすら死を待っていた。
(ど………………し、て………………)
最後に残った数秒間、鈴仙は目を潰される直前まで目にしていた“そいつ”のことを考えていた。
彼女が知る“そいつ”は、これほど残虐な行為をする者ではなかったはずだった。
そんな疑問すらも、脳裏から次第に掻き消えてゆく。
かわりに、鈴仙の脳裏にある光景がよぎった。
かつての月の仲間達とともに、永遠亭の仲間達がそこにいた。
(たすけて、たす……おねが、い……)
心の中で、心の底から、鈴仙は必死に助けを求める。
だが、月の仲間達は、一人の例外なく、恨みがましい視線を鈴仙に向けていた。
永遠亭の仲間達は、『裏切り者の末路などこんなものだ』と言わんばかりに、笑みすらも浮かべ鈴仙をあざ笑っていた。
それは、微かに心に残っていた鈴仙の罪の意識が生んだ幻だったのだろうか?
(ゆ…………る…………し、て…………)
己の業に後悔しながら鈴仙の意識は闇に沈み、そのまま消えていった。
・
・
・
「にとり、いるかしら?」
川のほとりにあるにとりの住む一軒家。
何度か、招待されたことがあるその家に、霊夢は入り口で叫ぶなり扉を開け、断り無く入ってゆく。
「れ、霊夢さん……ノックくらいしなきゃダメですよ」
「気にすること無いわよ」
無作法な行為を早苗は嗜めるも、霊夢は気にせずにずかずかと玄関口の廊下を歩いてゆく。
実際、幻想郷の人間達は一部を除き、良く言えばフレンドリー、悪く言えば無作法な人間が多い。
今は亡き文や魔理沙などは問答無用で博麗神社の中に押しかけてくることが多かった。
例外なのは、新参の早苗をはじめ、冥界の剣士や、人里に住まう半人半獣のように、生真面目な者ばかり。
ゆえに、押しかける側になった霊夢もいちいち挨拶などする気にもならなかった。
ましてや、今は緊急事態と言って良い事態なのだ。
(どうやら、留守みたいね)
早苗と会話を交わしながらも、霊夢は万一に備え周囲を警戒しつつ にとりを探していた。
だが、あまりの気配の無さと、罠も何も気にせずにトコトコと歩き回る早苗に毒気を抜かれ、霊夢は次第に留守なのではと考え始めていた。
「だからですね、霊夢さん! 信仰を得るためには、少しでいいから礼儀正しく――――」
「あー、はいはい」
いつの間にか始まった早苗のお説教に、霊夢は適当な相槌を打ちながら 最後に残った物置の扉を開ける。
中は、暗くて何も見えないが、霊夢は手探りで部屋の入り口にあるはずの照明のスイッチを探し、それを探し当てた。
物置の入り口に陣取っている霊夢の背後で、早苗はなおも“信仰がどーたらこーたら”酔っ払いが管を巻くように霊夢に向かって喋っている。
かすかに香る鉄の臭いに気づかなかったことは、霊夢にとって不覚以外の何者でもなかっただろう。
物置に明かりを灯した瞬間、霊夢の表情が凍りつき、そして――――
「――――ッ!! 見るな、早苗!!」
「え?」
霊夢の鋭い声が響くも、僅かにタイミングが遅かった。
ひょい、と霊夢の背後から居間の中の光景を目にした早苗は、きっと その光景を、一生忘れることは出来なかっただろう。
「――――ッ!! きゃああああああああああああああッ!!」
物置にしては少々広めな その部屋中に、赤いペンキのようなものが塗りつけられてあった。
そして、その中央には青いワンピースを身に着けたであろう少女の身体が横たわっている。
“あろう”というのは、霊夢にも、早苗にも、その少女が誰なのか、わからなかったからだ。
その少女には上半身が無かった。
だが、スカートの裾の辺りにたくさんのポケットがついている青い服には2人とも見覚えがあった。
この家の主の気に入りの服を纏った下半身だけの遺体は、間違いなく――――
そして、この赤い部屋の壁に張り付いている赤いペンキのようなものは――――
「……に、にとり、さん……うぁ、あああっ……」
早苗は、ガタガタと震えたまま、ぺたんと尻餅をついてしまった。
「遅かった……」
霊夢は目をきつく閉じて、呻くように、無念そうに呟く。
そして、その様子を部屋の隅にある机の上に座った不気味な人形が、空ろな視線で眺め続けていた。
To be continued……?
★チルノの裏★
鈴仙の業は、臆病ゆえに仲間を見捨てて逃げ出したこと。
恐怖に耐え切れずに、再び“仲間”を見捨てて逃げ出せば、今度こそ逃げ場を失い、針に全身を貫かれて死ぬ。
なお、作中では書いてないが、実は 鈴仙が逃げ込んだ部屋の扉の鍵は 人形が持っている。
(はじめの部屋にいても、針の壁はギリギリで止まる)
つまり、仲間(人形)を見捨てさえしなければ、生き残ることが出来るゲーム。
ゲームの本質さえ理解してしまえば、精神的にはともかく、肉体的には一切傷つかない難易度easyのゲームだが、
臆病な鈴仙だからこそ、必要以上に針の壁に怯え、それを見逃してしまった。
さて、早苗さんも“自機”となり、異変の解決も本格的に開始となります。
色々と推理された方もいらっしゃいますが、果たして“そいつ”とは何者なのか?
異変を解決しようとする霊夢と早苗の運命や如何に?
そして、次のゲームの被験者は?
★感謝★
葬送夢2&ヒャッハーシリーズで、感想くださった皆さん、ありがとう御座いました。
あと、管理人さん。ここのうpろだにうpした作品を容認していただき、ありがとう御座います。
この場をお借りして、お礼申し上げます。
変態牧師
- 作品情報
- 作品集:
- 1
- 投稿日時:
- 2009/06/25 14:10:21
- 更新日時:
- 2009/06/25 23:10:21
- 分類
- 鈴仙・優曇華院・イナバ
- 残酷グロ
- 拷問
ますます楽しくなってこれからも目が離せません!!次回作も楽しみに待っています!!
>何かの業を持つ者をターゲットにしているのだ。
もしそうならにとりは何故?って思うんですが
あと、にとりの場合は現場に人形が置きっぱなしになっていましたよね?もしかして偽者のジグソウとかがまた・・・?
……あるいは、本当にとりの死体なのか……だな
そしてこれはいい拷問
うーむわからん
勝てねぇなそれだと
過去の罪とかは兎も角、シンプルにSAWのコンセプトを知っていそうな人物と、
一見怪しそうでない人間が犯人の法則から、犯人はあの人と予想
浄瑠璃の鏡が通用しないようならもはやなんとも…
続きに期待させていただきます。
魔理沙、アリス、文、うどんげと共通の面識のある人物は…?
毎回毎回細かな処刑の模写が良すぎてもう・・・・・
ネタ潰しになったら泣くに泣けないから色々は言えないけど、
もし犯人があの人ならこの伏線の貼り方は美しすぎて感動するぜ。
叫び声とかリアルでほんとたまんねぇっす
次回はだれかな?かな?
外の技術持ってこれるの紫か早苗達以外思い浮かばない
にとりは死んだのかな?
前回ラストはおそらくアリスが「これから」殺されただろうに対して今回にとりは「すでに」殺されていた
犯人に殺される描写がなく、上半身のなかったにとり
でもこれも怪しいと見せかけてのミスリードっぽいなぁ
大穴と言えば1、2、3ステージボス辺り(ry
予想:いちいち説教臭いセリフを吐き、外界の知識を持っている。外界の知識なら幻想入りした人間から得ればよい。
道具はこーりんから調達。人間の知恵と妖怪の力…
まさかルーミアが犯人だったとは…(ゴクリ)
の発言からと鈴仙の罪をしってるあたりレイセンや綿月姉妹を想像したが
それでは魔里沙と文を殺した意味がわからないしな
SAW見たことないけどみたらこの作品のヒントになりそう?
殺害自体の実行犯は必ずしも一人ではないねコリャ。
犯人わかんねえ〜w
おもしろいwwww
いや、続編も期待してますよ。
おまけにニトリも死んでるし、ますます展開が楽しみです
自分も犯人像を考えてみたけど…ほとんど語られない鈴仙の過去を知り、本人達にも気付かれず拉致できて、相手の行動や心理を的確に読んで処刑して、そんなことが自由にできる大部屋の持ち主で、文と鈴仙とは見覚えある程度の薄い関係で、そいつ呼ばわりするような目下格orあまり友好的じゃない人で、普段は残酷なことしそうにない、靴を履いた女。
…さっぱり判らん
今回ヒント多過ぎw
霊夢…まあ、ガンガレ
あとはレイセン2号か?
これで大穴だったら笑えるけどw
対抗:某3ボス
考えてみると前回最後、被験者がアリスだと何処にも書いていないのか……!
「私はお前の仲間」発言はゲームのヒントじゃないの?
仲間を見捨てるな、っていうことにかけているとか
夢美教授か?
だがこの出題はうどんの罪をしってないとできないぞ
導入部が8割以上と思われるため、汲み取れるヒントは特に無し。
犯人がどこからチェーンソーを入手したかが謎。(可能性として香霧堂が挙げられる)
第2話
マリサの死亡が霊夢に伝えられる。
誰がどこで遺体を発見したかの描写は無いが、えーりんが直接見たわけではないっぽい?(「現場にこの人形があったそうよ」という発言より)
大掛かりな仕掛けを使用しているため、にとりが重要参考人として挙げられる。
人里にも犠牲者が出ている(えーりん談)が、規模は不明。
テープが大量複製されいたるところに配られた→事件を大々的に知らせ、パニック状態に陥らせるため?
大量複製という点から、にとりの関係性が考えられるが現段階では不明。
犯人が登場するが、射命丸の知っている人物という以外明確な描写は無し。→何のために現れた…?
ラストでアリスと思われる(たまには自分が人形…の部分)女性の殺害直前シーンあり。意図は不明。
第3話
犯人のおぼろげな描写あり(女性・靴(靴音)・うどんげの知り合い・残酷な行為をしそうに無い人物)
「残酷な行為を…」という点から輝夜では無いように思えるが、走馬灯の部分に若干引っかかりあり(永遠亭の仲間達も…の部分)。
ふわっとしたタイプの服を着用(針に服を…の部分)。
ただし、射命丸殺害の犯人と同一人物かは不明。
にとり宅にて死体発見。服装からおそらくにとりのものと思われる。
室内に人形があったことから、一連の事件との同一犯の仕業の可能性あり。
・殺害順
射命丸 or マリサ(ビデオ使用に加え、作中で描写が無いのと複数犯の可能性のため)
↓
うどんげ
・殺害動機
マリサ 霊夢を動かすため…?(彼女を殺せばほぼ間違いなく霊夢が動く)
射命丸 妖怪の山を混乱させる(情報収集を困難にする)ため…?犯人を目撃。
うどんげ 現時点での殺害理由不明。犯人を目撃。
にとり 技術提供を強制(単純に頼んだだけの可能性も)?→用済みと口封じで殺された?(遺体の一部のみ発見)
アリス 「人形」の部分から重要参考人だが、行方・生死ともに不明。にとりと同様の理由で殺害の可能性あり。もしくはオトリとして監禁中?
・殺害方法
まりさ 「霧雨」状の硫酸によって殺害。
射命丸 ロードローラーによって殺害。その模様をビデオテープに「写され(射と写の引っかけ?)」配布される。
うどんげ 針山に突き刺され死亡。鈴仙→針山の引っかけと思われる。
・メモ
早苗→異変解決のため出動(本人談)2人の神は知らない?
永遠亭勢が犯人…?:
うどんげが計画を反対・阻止しそうな反乱分子であるため殺したと考えれば辻褄は合う。が、大元の理由が不明のまま。
早苗が怪しい:
何故あんなところにいたのか?
2人の神が何もアクションを起こさないのはなぜか?
うどんげを殺す理由が見当たらない。
幽霊屋敷勢:
目的等が見当たらない。
スキマ勢:
怪しいが、同じく目的が見当たらない。
何故「惨殺」している?
→おそらく恐怖や怒りを植えつけるため。
何故「過去の罪」をほぼ無理ゲーのような状態で償わせているのか?
→おそらく「殺し」の理由付けが欲しかったから。
何故「人形」を置いた?
→アリスへ疑いの目を向けさせるため?
好きなキャラにこそ惨死してほしいわ
3ではうどんげの素性を知っている人物ってことでかなり犯人が絞り込まれたけど、そろそろ明かされるのかな?