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『我が大いなる逃走』 作者: nekojita
どうにもやりきれないことが有って幻想郷を抜けて、外の世界に遁走したのは、十年前のことだ。たったの十年。しかしながらこの若い小人物である私には、まったく五十年にも六十年にも感ぜられる長い長い十年であった。
そもそもあの河童を殺したのは、それは誓って私ではない。河城にとりは友人であったし、彼女からは私の魔法に参考になることをたくさん学ぶことができた。ましてや当時の私に殺人願望なんか有った筈が無いし、百歩譲る、仮に有ったとしても、有益な友人であるところの河童にとりをその対象に選択するような動機なんか、私には決して無かったのだ。
河童は、はじめから傷ついて私の家に来た。腹のおおよそ半分が何かでえぐられていた。何に襲われたのかは私も何度か考えたが定かでは無い。とにかく、……雨の夜だった。雨が降っていた。冷たい雨がすべてを濡らす、十一月の夜だった。彼女の方から呼び鈴を鳴らして、ノックして、私がドアを開けた。彼女が訪ねてくるのはそんなに珍しいことじゃなかったから、「よう」なんて言って、体を拭くタオルを取りに一旦戻った。戻ろうとして、ばたんという音に振り返った。
そこまでは何も問題は無かった。当時の私には何もできなかったのだし、仮に私が今のように、治癒魔法をある程度まで習得していたとしても、それでもなす術無く彼女は亡くなっただろう。
その後の自分の心象の移ろいには、今振り返っても理解に苦しむものが有る。否、むしろ理解に苦しむものしかない。きっとこの行動を、衝動を私が理解できる日は永遠にやってこないだろうし、私に理解できないそれが他人に理解できるとも思えない。
清潔なタオルを何枚か使って丁寧に、彼女の流した血と、ついた泥の汚れとを拭き取ると、私はマジックアイテムの並んだ、秘密の地下室にその体を運んだ。この地下室は友人の誰にも、霊夢にもアリスにも存在を知られていない筈だった。
何故そんなことができたのだろう。
表では霊夢やアリス、妖夢、文、紫、パチュリーレミリア咲夜ら旧知と笑いあい、あまつさえ行方不明の、そう、このあたりの心理が全く理解不能なのだ、我らが友、河城にとりの足跡を探したりしながら、それはもう真剣に、にとりが今どこにいるのか突き止めてやろうと本気で探りながら、生きていてくれ、また魔法と機械の話がしたいよと心から祈りながら、もし誰かに殺されたというなら、その犯人を突き止めて仇を取ってやるぞ、と固く決意をしながら、裏、誰にも見られる恐れが無い我が邸宅の地下室では、昼も夜も使って、にとりの死体を分解し、調理もそこそこに、喰らっていたのである。
河童の死肉を。
ばりばりばりと。
味は全く覚えていない。
何週間かかかって……あのころはまだ慣れていなかったしそのくらいかかった……肉はステーキやすき焼き、ハンバーグ、から揚げ、しゃぶしゃぶなんかにして、骨は魔法で焼いて煎餅のようにして、血を薄めては飲み、すっかり食べ終わった頃。
私はほとんど無意識に、捨食捨虫の術を行っていた。無論己の食人趣味を疑ったからである。それまでのしばらくの間私は水と、アリスの作ってくれたパスタ以外は、にとりと調味料以外のものを食べていなかったのだ。食人。食人だって食であるから、捨食によって必要がなくなるのではないか、と、考えたのだ。
考えるとにとりの死に、いや死体に、私が関係していたと発覚しても、にとりは妖怪だ、人間の私は非難されこそすれ、適当に弁解をすれば罰を受けることは無いし、幻想郷を叩き出されることも無いだろう。だがこの趣味が昂じて、霊夢なんかを殺し、食う、そんな衝動が抑えられなくなった日にはどうだ、私はれっきとした人殺しだ。幻想郷さえ受け入れない。
同族殺しなんて倫理にとらわれていたわけでは無い。私の倫理はとうに崩壊していたが、社会的に殺人者になる気は、というかその覚悟、勇気、と言ってもおかしいか、ともかくそれは無かったのだ。臆病というよりは、卑怯者。私は卑怯者だった。
ずっと、捨食捨虫は体の成長を待って、と思っていた。恥ずかしいので人に言った事は無かったが、皆察していたのだろう。そんなわたしが唐突に種族魔法使いになったことを、巷の友人たちは、にとりが消息を絶ったことが関係しているのだろうと噂しあったらしい。つまり、いつやってくるかもわからない不慮の死を恐れたのだと。あの友人の事は、見た目以上に魔理沙には衝撃を与えているようね、なんて、全く的が外れていたが、にとりが関係しているのは事実だったからそれを聞いても私は否定はしなかった。
さて、話は変わるが諸君は死体というものを見たことが有るだろうか。勿論私は有る。今までの話をしていて、見たことがないなんて言ったら盛大な矛盾だ。有る。何度も有る。
死体を見た時に一番印象に残るのは何かわかるか。私は歯だと思う。初めて見た時もそうだったし、今でもそうだ。
死んだ人の歯と、髪の毛、そして爪は、伸びるのだ。
正確には周りの肉がしぼんでしまうために、姿を保つ歯などはそのままで、伸びたように見えるのだが、数日もたてば、これが人相を生前と全く変えるのである。魔法で血を抜き、防腐処理をしていたってそれは同様だ。歯の並びもずいぶんがたがたになり、顔の真ん中で、光って主張をし始める。
腹を切り開いた時、臓器の赤黒い鮮烈、足を通る神経や血管の群れ、そんなものよりも私が衝撃を受けるのが、ただそこに有るだけの、小さな、白い、歯であったのだ。これを知っていたら、死体の目を閉じさせる前に、口を閉じさせた方が利口である。しかし私はそれを知らなかった。従ってしばらく彼女の口は、薄く開いたままだった。顔を見るたびに感じる異様な気味の悪さの正体にも気が付かず、気づいた時にはもう遅く、とにかく私は以来にとりのあの「歯」の幻影に苦しめられた。
人と話して歯を見るたびに、あの亡くなった河童の、薄く開いた口から、ちらと覗いた小さい、薄い、しかし異常なまでに長い歯がかぶさって見え。
それは私の気分を悪くするのと同時に、私の黒く薄暗いあの食欲を、なぜだか増進させたのである。
人型の妖怪が人を好んで食うのは、人体というものが、これは考えれば当然の話なのだが、人体に必要な栄養を全て内包しているからだ。
捨食を取得した魔法使いが、人を食う道理など無い。ならばこの食欲はあの時と同じだ。理解できない、決して理解の及ばないあの食人欲だ。
だから、知り合いの無い所へ行かなければならなかった。
私は、どうにもならない事がどうにもならないが為に、自分の場所から逃げ出したのではなく、どうにもならない事をどうにかするために逃げたのである。まだ建設的と言えなくもない。
しかし……、人里を勘当されて……まああれは家出みたいなものだ。家を飛び出して、今度は幻想郷からも逃げる。
我ながらなんと情けない事だ。立ち向かうことひとつできないのか。
無理だった。真の意味で危険が伴う事を、できる性分では無かった。しかも今回はその危険が、私自身でなく、あの愉快な友人たちに降りかかりうるのだ。捨食という逃走は社会的な私を守るための行為だったが、今度は違う。
……それだけは、誇れることだったかもしれない。
夜だった。
月の無い、星が美しい冬の夜、必要最低限の荷物を持って、箒に跨って誰にも言わずに行こうとしたまさにその時。
「どこへ行くの」
かかったのは、本当に透き通るような声で、私に前の日まで降っていた沫雪を連想させた。
「ちょっとそこまで買い物に……」
「河童が死んだから? いや、違うわね……」
アリスの仕草は芝居がかっていたが、私がそれに腹を立てることは無かった。
「河童を殺したから?」
私はそういう事を出し抜けに言われても、ちっとも動揺しなかった。「何の話だ?」という顔をしてみせることに、成功したと思う。更に、言った。
「何の話だ?」
アリスは無視して続けた。
「あなたが残した証拠は、私が完全に隠滅しておいたわ。雨がすべてを洗い流すなんて、絶対に思っちゃ駄目よ。それどころか服に彼女の髪の毛を付けたまま外に出るなんて最悪。あなたが『次』もやりたいなら、手伝ってあげるわ。うまくやったらいい。もしもあなたが」
アリス・マーガトロイドは続けた。
「全ての河童を気に入らないなら、河童を滅ぼすのを手伝ったっていい。妖怪がいるのが嫌なら、幻想郷中の妖怪をやっつけてしまいましょう。ほら、出ていかないでも、解決できるわ。」
「………そんな」
「それでもここには居られないと、そう言うんだったら、魔理沙、魔界に行きましょう。私は魔界神を継ぐことになっているわ。あなたがそこで何をしたって、何の問題もない」
「アリス」
「そんな高尚な理由ではないよ。私がここを出ていくのも、河童が死んだのも」
別に、彼女を味方と判断したわけではない。どうせ出て行って二度と帰らぬなら、この地の誰に何を知られても同じ事と思ったのである。
「私は、私の知っている人を食べたくないんだ。知らない人ならやぶさかではない。ここにいたら、誰を食べてしまうかわからない。それがいやなんだ。私は、私は人を食べたい。自分と同等の知能を持つ生命を食べてしまうのが、好きなんだと思う。抗えない。これは認める。でも、アリス私は、誰かわからない人を食べたいんだ。だからこの世界にいるのは、私に相応しくない」
それだけ言う。アリスはまだ何か言おうとしていた。口を開いたときに彼女のきれいな歯がちらりと見えたので……。
私は逃げた。そのときの私に出せた最高のスピードで、深い海の底のような夜を飛んだ。それほどまでに、彼女を食ってしまいたくなかったのだろう。何故なのかは、今になって振り返っても、よくわからないが。
それにしても、外の世界のなんと味気ないことか!
私は幻想郷で盗賊でもあったし、もはや何日食事を取らなくても、眠らなくても、何ともない体になっていたから、生きていくのに困ることはなかった。
しかしここでの生活は、地下世界よりも天上世界よりも冥界よりもルナティックだったし、それでいて面白い事は何も無かった。
ある日ふと空を見上げれば、夜空には、雲も無いのに星は見えないのだ。たまに見えたと思えば飛行機のライト。地に光が満ち満ちているためである。生活の証はここではたつきではなく、過剰とも思えるこの文明の明かりなのだ。
かろうじて小さく月が有る。永夜異変で見た月は、あんなに小さかっただろうか。星だって天球に張り付くように、本当に、降ってくるような星空が見られたものであるのに。
これは同じ空なのか。
そんなことを考えると時々愛用の箒に跨って超高空からこの街というやつを見下ろしてみたくなる。
闇の夜にぽつりと浮かぶ普通の魔女一人。特別に姿を見えなくする魔法を何か使ったわけでもないのにまるで気付かれないのは闇夜に溶け込む黒白の衣装のおかげだろうか。いや、たとえ光り輝いていても、彼らは飛行機と思うだろう。なにも思わないかもしれない。
それにしても。思う。嗚呼、かつて私の飛んだ空と、かつて私の飛んだ地と、ここはなんと違うことだ。
眼下に広がる街は赤と緑、青や黄色、ピンク、それに金色の光で溢れ。魔法では無い。この人間たちのネオンという技術が夜をも明るくするのである。
超高層のビル群は血の通わぬ林だ。天に向かい挑戦的に背を突きだす姿。形も相まって、まるでミサイルが向かってくるよう。神にいつ言葉をかき乱されないことか、見ているこっちが不安になる。
都会の喧騒、行き交う幾千幾万の人々、鉄の車。視界の右端、ここから見ると小さなスクランブル大交差点に目をやれば、先刻鈍色の車と、毒々しい真っ赤な色の高級車とが衝突をした様子。男と女が口論をしている。無論恋は関係ない。損得勘定の話だ。
そして東へまっすぐ伸びる道にはそんなことなどまるで興味のないサラリーマン、会社員、企業戦士の群れがある。ある者は家路を急ぎ、ある者は仕事が残っている。飲みに行く者も有る。すれ違う、あるいは並んで歩く、彼らは互いにくだらないことを話さないし、何も、わずかにも関係すらしない。
だがこの道でさえ幻想郷へつながっているのだ。
嗚呼、この道でさえ幻想郷へつながっているのだ。こごしい岩群、広大な平野、娑婆界をへだつる大河、赤い霧の洋館。空を闊歩すれば博麗霊夢と遭遇し、地を踏めば東風谷早苗が軽口を叩く、あの幻想郷の、取るに足らない、草花のにぎやかに咲く春の小道は、きっとこの灰色の、スーツの人間が大勢踏みしめる、自家用車が波のように溢れるこの夜の道とずうっと行った先で通じているのだ。
妖怪の山、地霊殿。冥界。あれらの場所を懐かしく思い出す事は有るけれども、あの土地に住む人々に、友人、親友たちに、今の私は決して会えない。あの友たちのことを、どうでもいいと思えるようになるか、あるいは、私のこの悪癖が消えて無くなってくれるまでは。……この道でさえ幻想郷へつながっているのだ。今はただ、それを噛みしめるだけ。
私は、そういうわけで、諸君の思うほど子供では無い。見た目は15歳くらいだけれど、実際はそれより10年長く生きている。これからも生き続けるだろう。捨虫とはそういう技術のことを言うのだ。この10年で私は何千人かの女を食べたが……。
いや、さすがに覚えていないよ。パンは13枚だけどね。うふふ。……でも、最近になるまで気が付かなかったんだ。日本国には、女の子をデリバリーしてくれる便利なシステムが有ったって事にね。
そこまで話した時、女の一人が逃げようとしたように見えたので、小さい星を投げつけて足を吹き飛ばす。これで立てない。
床が血だらけになったけれどもどうせ自分の部屋ではないし、自分が借りている部屋ですらないから問題ない。
怖がってがたがた震えている子と泡を吹いて気絶してる子はあとに回す。痛い痛いと泣き叫ぶ女が先だ。防音のしっかりしたマンションとはいえ、うるさいから。
一口。
ばりと食って丸のみにしてしまう。いくつか魔術的効果が働いているが列挙する必要はあるまい。女は左手と、下半身だけ残った。もう一口、これで全部食べてしまう。昔と比べるとずいぶん早くなったものだ。
諸君、君たち、怖がることはない。何故なら、怖がっても無駄だからだ。
私は手早く食事を済ませると、部屋の主が帰ってこないうちにバルコニーから箒で飛んで逃げた。
風に吹かれた紙きれのように私は夜に舞ったが、きっと彼らは飛行機か何かとしか思わないのだろう。
作品情報
作品集:
2
投稿日時:
2009/08/04 02:42:35
更新日時:
2009/09/21 20:32:48
分類
魔理沙
食人
似非文学
外界
直接的な表現無いのになんでこんなに衝撃的で感動的なんだ
あんたもっと作品書いてくれ
幻想郷から逃げたら、あとはどこから逃げるというのだろう。現代日本は人の繋がりが気迫だから、逃げる穴がいっぱい…。