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『宇佐見蓮子が薬を飲むSS』 作者: 檸檬
「はぁ、疲れたなぁ」
回転椅子の背もたれに体重をあずけて、大きく背伸びをする。
その日も蓮子は徹夜の研究明けだった。
身体はほとんど動かしていない。逆にその分、精神的な疲労がつらかった。
蓮子は学習机の一番上の引き出しの鍵を開けて、中から錠剤の入ったケースを取り出した。
それは市販のビタミン剤ではない。
大学の知り合いから紹介されて手に入れた、薬だった。
蓮子は錠剤を一つだけ手にとって、水道水で胃に流し込んだ。
しばらくすると、暗雲のようにわだかまっていた疲労がみるみる晴れていった。
深呼吸を一回した。
頭の中がスッキリしている。
体は機械のように力強く動く。徹夜の疲労は水に落とした角砂糖のように溶けて無くなっていた。
相変わらず凄い効き目だと、蓮子は素直に関心した。
これは、ある外国の製薬会社が新薬の研究中に偶然開発した薬らしく、麻薬作用があるが副作用は一切無い向精神薬なのだという。
蓮子はこの薬のおかげで、最近は疲れ知らずだった。
「いやぁ、素晴らしいよ宇佐見くん。君のこないだの論文、学会でも相当の話題になってね。学生の作ったものとは思えないと絶賛されたよ」
薬のお陰で研究のほうもはかどった。
なにせ、普通の人間が一日二十四時間のうちの三分の一を睡眠に費やすところを、蓮子は数日に一度仮眠を取れば平気なのだ。
睡眠時間を研究にあてた。しかも、徹夜をいくらしても頭がボーっとすることはない。集中力も恐ろしいほど持続する。比喩的な意味ではなく、本当に蓮子自身が恐怖を感じるほどに薬の効果は高かった。
睡眠をとるのも疲れを感じるからではなく、蓮子自身が「あまり寝ないのも体に悪いかもしれない」と思うから寝ているだけなのだ。その気になれば、半月以上でも起きていられそうだった。
それにしても、近頃は研究の進み具合が実に順調だ。
自信と将来の希望に満ちた毎日は、研究漬けの日々でも楽しく、充実していた。そして、そんな毎日を送ることが蓮子の夢だった。
ふと、「そういえば、三日前から何も食べ物を口に入れていなかったな」と気づく。
お腹も減らないのだ。うっかりすると食事を忘れてしまう。
まあダイエットになるからいいか。そんな風に軽く考えていたが……
「ねえ蓮子……? なんだか痩せたみたいよ。それに顔色も少し悪いかも……」
「ん? ああ、ちょっとダイエットしててね。でも、そろそろご飯食べたいかな。一緒に学食行こうか」
嘘だった。お腹は空いていない。ただ、友人の手前そう言っただけだ。
学食でいつも通りの定食Aセット(洋食セットにケーキが付いてくる)を注文した。二人で机に着いたとき、メリーが暗い口調で切り出した。
「……ひょっとして、変な薬なんかやってないわよね?」
疑いと不安が半々に混合された口調だった。もちろん蓮子は笑って否定した。「何を言ってるのよ。私がそんなことするわけないでしょ」と。実際、誰だって蓮子がそんな物に手を出すとは思わないはずだ。
真面目な上に少々気の弱いメリーのことだ。本当の事を言えばたちまち大騒ぎをしだすだろう。
「そう、ならいいんだけどね。最近、うちの大学でそういう薬が出回ってるって噂なの。もちろん、蓮子は大丈夫だと思うけど……」
「もちろんよ。私は大丈夫だから」
言って定食をかき込む。
味がしなかった。
その後は特に会話もなかった。ケーキは食べずにメリーにあげた。
食事を終えて講義室に向かって歩きながら、蓮子は思った。
大丈夫よ。今の薬学は進歩してるんだし、副作用だって無いって言ってたし、もしやばくなったらその時やめればいいんだし。
授業中、蓮子は無意識のうちに『へいきへいき』と小言をもらし続けていた。周りの人間が不審がるが、蓮子は自分が独り言を呟いていることに気づかない。
学校に薬を持ってきてなかった。おかげで、今少しほしいのに薬を飲めなくて体がイラついている。
結局、蓮子は次の授業をサボって家に帰り、薬を飲んだ。
少し我慢したから、いつも一錠だけのところを二錠飲んだ。
翌日からも、その量が減ることはなかった。
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
最初は三ヶ月に一回、仕送りから生活費を引いたあまりの小遣いで買えていた薬が、最近は半月に一度は買い足さないと間に合わなくなっていた。
量が増えすぎてるな。少し減らさないとな。そう思いながら蓮子はいつも通りの量を口に運んだ。
最近、イラつくことが多い。
研究が思うように進まない。スランプに近い。まるで新しい進展が見えない。
論文の出来が悪いと教授に言われた。落ち込んだ気持ちを紛らわすために薬を飲んだ。
またある時は、一ヶ月かけて組み上げた論証がまるで見等違いであったことが判明してボツになった。貯まったストレスを解消するために薬を飲んだ。
薬以外で何とかストレスを散らせないかと、市販のタバコなんかを試しても見たが、まるで効果はなかった。
「蓮子? ねえ聞いてる?」
「……ん。ごめん。聞いてなかった」
頭がボーっとする。
「もう。蓮子が言ったんじゃない。次の休日に、新しい境界を見に行こうって」
「そうだっけ? うん。いいよ。行こう」
そう言いながら、蓮子は当日どうやってメリーの誘いを断るかを考えていた。
体がだるい。何もしたくない。
薬を飲んでないからだ。
ちょっと量を減らそうと思って、三日前から一錠も飲んでない。
別に、激しい禁断症状なんかは無い。ただ、体がだるくて頭がぼんやりする。集中力がまるで出ない。そのくせ、夜になっても眠れない。進まない研究がますます進まなくなっていた。
「ねえ。提案なんだけど、その日は活動は中止して、病院に行かない?」
「なんで? メリー、どこか悪くしたの?」
「………………こっちの台詞よ……! あなたはっきりいっておかしいわ。まるで酔っぱらったみたいにぼーっとして、体のどこかが悪いのかもしれない」
「酔っ払ったみたいじゃなくて、酔ってるのよ。実は今朝ちょっとお酒を飲んで……」
「お酒で酔った人間がそんな真っ白な顔してるわけないでしょ!? ねえ! 病院に行こう! ね!?」
「いやよ」
出来るわけがない。
病院にいって、血液検査なんて受けてみれば、間違いなく薬のことがばれる。
「蓮子。本当のこと言って? 私、最近あなたがこっそり薬を飲んでるのを知ってる。あれ、絶対普通の薬じゃないでしょ?」
「…………ええ、そうよ」
否定するのは無理がありすぎた。私は素直にそう言った。
「やっぱり…………」
「うん。でも、別に平気よ。ちょっと今は頭がぼーっとしてるけど、三日前から薬は飲んでないわ」
「三日前からって……」
「だから、飲まなくても大丈夫なの。私は中毒じゃないわ。いつでもやめられるわ」
「……本当? それが本当なら、もう薬は二度とやらないで」
「…………なんで?」
「なんで? 麻薬だからよっ! 分かってるの!? あなたが今飲んでる薬は立派な違法麻薬なのっ!」
そんなことないわよ。これは、法律上禁止されてる麻薬とは違っていちおう合法で、しかも副作用だってほとんど無くて。
そんなことを言おうと思った蓮子だが、やめた。結局それ以上の会話は無かった。
とにかく、頭がぼーっとした。
だから、帰って薬を飲んだ。途端に気持ちがしゃっきりした。
次の日、メリーにはこう言った。「薬はやめたわ。ほら見て。私はこんなに元気よ」と。
メリーはあっさり騙された。顔色が良くなった私を見て安心したようだった。
ふと、昔聞いたことを思い出した。
麻薬中毒者は、軽度の中毒者は酔ったようにぼうっとしているが、薬との付き合いが長い重度の中毒者は逆に元気いっぱいに見えて外見からは健常者と区別がつかないそうだ。
ひょっとして、私は中毒者なのだろうか? それも、重いほうの中毒者になっているのだろうか。
考えて、少し鬱な気持ちになった。また薬を飲んだ。
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
蓮子は次第に情緒不安定になっていった。
ほんの少し落ち込んだだけで、頭にドロ水を流し込まれたような酷く重苦しい気分になった。
ちょっとしたミスをして教授に指摘されただけで、自分の人生が終わってしまうような絶望感に襲われた。
打ち消すために、薬を飲んだ。数えていないが、たぶん一度に二十錠ほど、水も使わずに飲み下した。
最近は、すっかり薬と仲良しだった。
三ヶ月が経った。
「蓮子ー? 蓮子。いないの? 今日は冥界の境界を見に行く約束でしょ?」
学生の一人暮らし用のアパート。メリーは蓮子の部屋のドアをノックしていた。
メリーは、もうすっかり薬のことなど忘れていた。
蓮子に「薬をやめて」と言った日から、だいぶ時間が経っていた。
その間、蓮子はまるでいつもと変わらない様子でいた。あの日以降、妙にぼうっとしたりすることもない。顔色が悪くなったり、痩せていたりすることもない。
薬をやめたということが見るからに分かった。だから、安心していた。忘れていた。その日も蓮子と一緒に食べようと思ってサンドイッチを作って持って来ていた。
ドアの鍵が開いていた。
蓮子の部屋に入った。
そして、自分の考えの甘さを思い知らされた。
「蓮子? いるの。いるなら返事くらい…………」
部屋の中には、誰もいない。
ただ、散らかり具合が只事じゃなかった。
パソコン、本、衣服、冷蔵庫の中身、あらゆるものが床にブチまけられていた。
何事だと思っていたときだった。
「メリー……、来たんだ…………」
トイレから蓮子が出てきた。
口のまわりが、真っ黒だった。
違う。
黒いんじゃない。
赤いんだ。
ただ、あまりにも赤すぎて、黒く見えるのだ。
物凄い量の血が、蓮子の口元から着ている服までをべったり汚していた。
「…………れん、こ……? どういう……」
「……ごめんね」
蓮子は全てを話してくれた。
ここ数ヶ月間も、ずっと薬をやめずに飲み続けていた。
量はどんどん増えていった。
次第に胃をやられたらしく、喀血し始めた。
苦痛を紛らわすために新しい薬に手を出した。
新しい薬は錠剤ではなく注射だった。値段は今までの三倍以上だが、効果は素晴らしかった。
そして、副作用も。
やり始めて、たったの五日でこうなってしまったらしい。
顔色は老人のように血の気が失せ、ほお骨が浮いている。目の周りの肌がくぼんで、蓮子の表情は老婆のそれと化していた。
ここ五日、いくら食べても戻してしまっていたそうだ。
「病院行こう……、蓮子……」
なんとか、そう搾り出した。
泣き出してしまいたかった。
蓮子は泣いていた。
どうしようもなく壊れてしまった、自分の手で壊してしまった、自身の体と心を抱いて、涙を流していた。
この上、私まで泣き出したら、誰が蓮子を助けるんだ?
私は、考えうる限りの最良の方法を選択したつもりだった。
病院に行く。
お医者さんに洗いざらい全部話す。
警察にも話が届くだろう。蓮子には刑事罰が処されるかもしれない。少なくとも、もう大学にはいられないだろう。
でも、病院にいってきちんとした医療の施しを受ければ、蓮子の命は助かるかもしれない。また元気な蓮子に戻れるかもしれない。
ならば、それ以外に選択の余地など無い。
「病院に行けば、私、助かるの……?」
「ええ。大丈夫。きっと助かるわ」
「……私、どうなるの?」
「どうもならない。それに、誰がどうなっても私はいままでどおりよ。私は絶対に蓮子を見捨てたりしない」
蓮子は、また泣き出した。
嗚咽に混ざって、小さな声で、「ありがとう」という声が聞こえた。
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
蓮子の部屋のシャワー室は、二人で入るにはやや狭かった。
「蓮子、腕上げて、体も洗うから」
「うん。ありがと、メリー」
裸になった蓮子の体は、目を覆いたくなるほど酷い事になっていた。
血の気の失せた肌色に、あばら骨がびっしり浮いている。
腕と脚は木の枝のように細くなって、乳房は枯れたように張りを失っていた。
髪の毛もボサボサだった。でも、洗ってドライヤーで乾かしてやると、元の綺麗に下りた黒髪に戻った。
「ほら、綺麗になったよ」
私が言うと、蓮子は少しだけ笑って、頷いた。
そして、私と蓮子は、その日のうちに病院の戸を叩いた。
蓮子の部屋から持ってきた薬をお医者さんに渡した。全て正直に話した。
蓮子には、すぐに入院の手続きが取られた。
お見舞いに来てもいいですか? 私がそう聞くと、お医者さんはいつでも来てあげてくださいと言った。
毎日お見舞いに行こうと思った。しかし、しばらくは検査や警察の取調べがあって、家族以外の面接は許可されないとのことだった。
仕方なく、私はしばらくしてから会いに行こうと思った。
ところが……
「え。別の病院に?」
一月ほど経ったある日のこと、病院を訪ねて行くと、蓮子はすでにそこには居ないと言われた。
私は何も聞いていなかった。
別の病院に移されたのだという。
どこの病院ですか? 聞くと、耳にしたことのない住所を教えられた。
調べてみると、京都からだいぶ離れた山奥の住所だった。
電車とバスを乗り継いで、私は蓮子に会いにその場所を訪ねて行った。
病院とは思えない、刑務所のような建物が山の中に姿を現した。
疑うべくもなかった。そこは隔離病棟だった。
患者は、みな動物園の動物のようにガラス張りの個室に閉じ込められていた。
キィキィ鳴き声をあげる患者。手で窓を叩き続けている患者。自分のした排泄物を壁に塗りたくっている患者。様々な病人がそこにいた。
その中に、私の友人の姿もあった。
面接は、ガラス越しにだけ許可された。
しかし、蓮子はすでに人間の言葉をしゃべれなかった。
半開きになった口元からよだれを垂らしながら、虚ろな目で天井を見上げたまま、蓮子は何も話さない。
私は、泣きながら彼女に謝った。
もう二度とそこには行かなかった。
その後、彼女がどうなったのかは分からない。
終
よくある中学生向けの薬物乱用防止ビデオみたいなお話。蓮子かわいいよ蓮子。
檸檬
作品情報
作品集:
2
投稿日時:
2009/08/21 00:27:38
更新日時:
2009/09/14 23:38:26
分類
秘封倶楽部
宇佐見蓮子
中学生向けビデオから都市伝説系のオチへのシフトが鮮やかで怖かったです
脳はデリケートですからね。
お酒とカフェインくらいでがまんがまん。
オチとかも最高ですわ。秘封倶楽部にはあんまり関心なかったけど、これは蓮子かわいいと言わざるを得ない…。
薬。ダメ。ゼッタイ。
88時間のうち8時間睡眠とるだけでよくなるとか
メリーが健気だけど無力でぐっときた
「大学の知り合いから」
「合法ですぐやめられる」
「蓮子は熱心勤勉真面目なタイプ」
「指摘をごまかす」
「うまくいかなくなると量が増える」
「傍から見ると治った瞬間がある」
「最終的に注射の強力なタイプに手をだす」
「お金がなくなる」
王道について完璧に抑えられててリアル過ぎる恐怖。
冗談抜きに教材として使えるレベル。
読んでて胸が締め付けられた
それにしても素晴らしくも恐ろしいssだ…。薬。ダメ。ゼッタイ。
ところで薬の幻覚の中には蟲が大量に見えるとか聞いたことあるけど蓮子はどんな幻覚を見たんだろうか。幻覚を見て狂い踊る蓮子かわいいよれんこ
実は世の中には上手く付き合ってる人がいるんじゃないか、
とか考えてしまう俺がいる。
ボーダーオブライフ。
本当にクスリは手を出したら最期だわ。
多分現実で薬に手を出しちゃうのって蓮子みたいなタイプの人なんだろうなとか思った。
真面目で芯が強い分、薬をやってる自分を正当化しようと勝手な理屈こさえたり。
なんかひどい目にあう蓮子がもっと見たくてしょうがないぞ!
自己責任と言えなくもない、くらいのところでボロボロにされる蓮子がもっと見たい!
俺蓮子大好きなのに!ふしぎ!
ほんとにあるから怖い
素晴らしい作品ですね。
私も蓮子が好きですけど、肉体的にも精神的にも壊されていく蓮子が、もっと見たいです。(*^^)v
改めて薬の怖さを思い知った。
その薬……ヤバイんじゃないの?