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『その犬、凶暴につき注意されたし』 作者: 七紙
1
彼は走った。ただひたすらに四足を動かして走った。
彼は転んだ。緩い傾斜を転がる石のように。
主は殺された。天狗に、造作も無く、他愛も無く、なんとも呆気なく殺された。
男が立っていた。
漆を垂らしたような真っ黒な髪。
奈落のように暗い昏い真っ黒な瞳。
卸し立てのように綺麗な真っ黒な服。
端整に作られた若々しい顔とは真逆な老人のようにしわがれた声で言った。
「何がそんなに憎いんだい?」
あいつが憎い。
主を殺したあいつが、主に虚偽を着せて殺したあいつが憎い。
「では君はどうしたい?君の望むものは何だい?」
こいつが何を言ってるのか分からない。だが答えることはできる。
殺してやる。あいつを殺してやる。造作も無く、他愛も無く、だがゆっくりと死を実感させてやる。
男は口を三日月にしながら恍惚に染まった目で震えた。
「良い答えだ」
2
「はぁ…弱ったわねぇ」
鴉天狗、射命丸文は困っていた。記事になりそうなネタが無かったのだ。
最近は妙な異変も起こらず安穏とした日々が恙無く送られている。
「里の方で何か事件でも起きてないかしら?」
文は期待半分に里へ向かったが、案の定これといった事件は無かった。
変わったことと言えば、里の人間が文に向ける視線に恐怖が篭っていることくらいだろうか。
つい一週間前にあんなことがあったのだから無理からぬことだ。
しかし文からすれば何という事はない、些細な出来事。
自分の記事で一人の人間が死んだ。ただそれだけ。
事は一週間ほど前に遡る。
ある男が狩りの最中に誤って天狗に矢を射てしまった。
幸い天狗は身を翻し避けたが、服の端と皮膚を“ほんの少し”裂いてしまった。
天狗はそれを“人間が妖怪狩りを始め、天狗はその最初の犠牲者になった”と新聞で報道した。
もちろん男は反論した。その天狗に頭も下げたし怪我の治療もした。回復力の高い天狗にそんな程度の傷で治療などする必要は無いのだが。
しかしそれでも天狗は態度を変えなかった。記事の内容はある事ない事書かれ、男を精神的に追いやった。
里は天狗の報復を恐れ男を引き渡した。男はそれはそれは凄惨な殺され方だったらしい。
その記事を書いた天狗が射命丸文であり、文々。新聞だった。
(まぁ、やっぱり納得の行くものじゃないわよねぇ)
文の幾許かの良心が里を早急に出るように伝えた。
天狗が空へ飛び立つと、里はまた普段通りの活気に戻った。なんとも日和見な連中だ、と文は心底呆れた。
3
文は方々を飛び回ったが結局大した成果は上げられなかった。
時間は昼を疾うに過ぎ陽も大分傾いている。
「今日はもう帰ろうかしら…おや?」
文の目が下方に何かを捉えた。
降りる。近付く。
それは何かの死骸だった。
肉は削げ骨が露出し贓物の悪臭が辺りを漂っている。
文は吐き気を堪えながらも、これは記事になると直感した。
死骸は大きな力で押し潰され、引き千切られているようだった。
こんな死に方はそうそうするもんじゃない。
「これは特ダネの予感ね…見出しは、そうね…」
木陰の闇がそっと揺らめいた。
「誰!?」
妖怪の類稀なる感性がそうさせたのか、文は身の危機を感じ取った。
沈黙。
沈黙。
沈黙。
自分以外に動くものは無い。しかし自分以外にも誰かいる。
ガサガサ
茂みが動く。文は気を張る。
ガサガサ
茂みが動く。文は待つ。
ガサガサ、ガサ
茂みが動く。何かが出てくる。
それは黒い痩せ細った犬だった。
犬は鼻をすんすんと慣らしながら文に近付く。恐らく後ろの死骸の臭いに釣られて来たのだろう。
現場を荒されては記事に問題が出るかも知れない。そう思って文は犬を追い払おうとした。
「ほら、これは食べて良い物じゃないわよ。あっち行った行った」
しっし、と手で追い返そうとしても犬は近付いてくる。文の手に鼻を近付け臭いを嗅ぐ。じゃれているのか舌を這わせてくる。
ざらざらした感触が、少しだけ心地良い。
「ん、まったく…何か食べ物はあったかしら?」
片方の手で遊ばせておいてもう片方の手でポケットを探る。
バリッ
堅い物を布越しに砕いたような、肉厚の物を無理矢理千切ったような、おおよそ生き物が不快に思う音が響いた。
文は不思議に思い音の出所を探した。それはすぐに見つかった。
自分の手。さっきまで犬と戯れていた手。いつもペンを持ち、時には団扇を持って敵を薙いできた手。
それが無くなる音だった。
「ひ、ひぇえあああああっああああああ!?!」
悲鳴とも奇声ともつかない断末魔。二の腕の半ばまで失ったそれは命の証を綺麗に噴き出している。
「あっあああ!!痛い痛い痛いぃっいいいいい!!!」
その犬はまるで卑下た人間が笑うように、にたりと汚く笑った。
4
博麗神社。幻想郷を守護する博麗の巫女が住む場所。
ここはいつものように喧騒とは無縁に静かだった。
その静寂が一匹の天狗によって砕かれる。
「霊夢さん!霊夢さん霊夢さん!!」
「あー?なによ射命丸じゃない。随分な格好ね」
当代の巫女、博麗霊夢は文の悲惨な状態を“随分な格好”で済ませた。
右腕は半ばまで失われ、服はズタボロに破け所々から血が流れ出ている。あんなに自慢だと言っていた黒髪も今では見る影も無い。
「妖怪です!とんでもない妖怪が出たんですよ!真っ黒で大きくて凄く凶暴なんです!」
「で?」
「でって、襲われたんですよ私!博麗の巫女なら退治するのが普通じゃないですか!」
「じゃあさ、その真っ黒で大きくて凄く凶暴な妖怪は里の人間を襲ったの?」
「は…?」
「そいつが里の人間を襲ったとか幻想郷を恐怖のどん底に陥れたとか、そういうのだったら私も当然動くわ。
でも今のところ被害に遭ってるのは同じ“妖怪”であるあんただけよね?ただの妖怪同士の小競り合いなんて日常茶飯事じゃない」
文はその言葉に憤慨した。仮にも天狗である自分を“ただの”妖怪扱いしたことに少なからず天狗のプライドが反応したからだ。
いや、それより自分の危機を伝える方が先だ。なんとかして彼女をやる気にさせなければ。既に塞がりつつある右腕の損傷を庇いながら文は反論する。
「で、でも、そいつが里を襲う可能性だって…」
「でも今は被害に遭ってない。実害が出てないのに危険かも知れないという憶測で殺されるなんて、あんたも嫌でしょ」
「そんなの!死者が出てからじゃ遅いんですよ!?死者が出れば遺族はきっと霊夢さんを許さないと思います!」
「じゃあそいつに死ねって言うわけ?少なくともまだ何もしてないのに、自分が負けた腹いせで変な事を言い触らされた挙句に殺されろって?」
「負けた腹いせだなんて思ってません!アレは本当に危険なんですってば!」
「あんたにとって危険なんでしょ?まぁ自業自得と思って諦めなさい」
自業自得?文はその言葉を理解しかねた。
「私がいつ何をしたっていうんですか!私は常に清く正しく…」
「先週のアレ、忘れたわけじゃないでしょ」
文は言葉を詰まらせた。
「あ、あれは…仕方がなかったんです!上司の命令で仕方なく…」
「でも書いたのはあんた。誰に命令されようが、最終的に行動に移したのはあんたの意思。
それが天狗の言う崇高な社会ってやつなんでしょ?」
「じゃあ…じゃあ霊夢さんは私に死ねって言うんですか!?」
「死ねとは言わないわ。ただ、あんたら天狗が人間一人をどうとも思ってないように、私も人妖個人をなんとも思ってないだけよ」
「ハッ!そうか!あんた怖いんだ!?天狗の私がここまでやられたんだから、きっと自分も負けると思って怖いんだ!」
文は言葉を翻した。こうなったら形振りなど構ってられない。どうあってもこいつとアレを戦わせなければいけない。
霊夢はふぅ、と溜め息をつき文に向き直る。右手に霊力を込め、渾身の掌底を文の腹部に見舞った。
「うげぇえっ!?げ、うぇぇ…」
胃から吐瀉物を撒き散らしその場に倒れ込む。口内が酸っぱい物で満たされる。
「選ばせて上げる。その真っ黒で大きくて凄く凶暴な妖怪に殺されるか、それとも今ここで私に殺されるか」
あらかた吐き終えると文は霊夢を見上げた。まるで道端の石ころを見るような目で見下ろしてくるこいつは何だ?
気持ち悪い。馴れ馴れしい。私が本気を出せばお前なんて、それこそ文字通り秒殺できるものを。
ずぬり
神社に奇妙な音が響く。
べたり
来た。
どろり
「ひひゃああああああああああああああ!!!!!!!」
文は一目散に逃げ出した。
霊夢から放たれた拳による痛みなど構わず、恐怖に駆り立てられて走った。
道を走った。野原を走った。森を走った。飛ぶことなど疾うに忘れ果て、ただただ走っていた。
行き先も定まらず、あれから逃れるためだけに走り続けた。
転んだ。思い切り勢い良く。体のあちこちが痛い。受身を取り損ねたんだ。
何で?何故転んだ?
木だ。木の根が私の足を掬ったんだ。
たかだか木の分際で天狗の私を転ばせただと。
気持ち悪い。気持ち悪い。
ずるり
辺りにあの音が響く。
来た。あれが来た。
逃げなきゃ。何処でも良いから、とにかく逃げなきゃ。
傷だらけの体を必死に起き上がらせ前を向く。
そしてそこに、それはいた。
文がそれを認識する前から、それはいた。
「あ、ぁ…」
その場にへたりと座り込む。足に力が入らない。
それは舌なめずりをしながら、にたにたと笑いながらやって来る。
「ま、待ってくださいよ…私、あなたに何か気に障る事しましたか…?」
文はこれ以上にない、今まで上司にさえ見せたことのない媚び諂った笑顔で言った。
それは沈黙を守りながらも歩みを止めた。チャンスだ。このまま畳み掛けて油断してるところを逃げれば助かるかも知れない。
「恐らく私とあなたは初対面ですよね?もしかしたら誰かと勘違いなさってるんじゃないんですか?
天狗って意外と個性の無い生き物でして、顔がそっくりの人が四人くらいはいるんですよ」
嘘。
「私は射命丸文と申しまして、見ての通り鴉天狗です。文々。新聞という新聞を発行してる者です。あ、もし良ければ一部どうですか?」
これは本当。
それは無言で聞き入っている。
首を振り、視線が一瞬だけ逸れたその時、文は渾身の力で立ち上がり走り出した。
右足を踏み出し、地面を強く蹴る。腕を大きく振り出し、次の左足が地面を蹴る。
「あれ?」
転んだ。
むしゃむしゃ
何で?
ばりぼり
食べられた。左足があいつに食べられた。
「いぃ…ぎゃああああああああああああああ!!!!!!!」
それは文の言葉などに聞き入ってはいなかった。
ただ無視していただけ。どうやって痛がらせるか考えていただけ。どうやって殺すか考えていただけ。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!」
文は謝った。何度も何度も謝った。自分がこんな事される理由など知らない。しかし謝るしかなかった。
謝ることで許してくれるとは限らない。それでも謝るしかなかった。
「何でもしますから悪い事したなら謝りますからどうか助けてください殺さないでください!」
それは深く裂けた口を更に広げ汚く笑う。
こんなもので済ますものか。
もっと痛がれ。
もっと苦しめ。
更に恐怖しろ。
更に絶望しろ。
そして、死ね。
ばりっぐしゃ
「ひぎゃああああああああああああああ!!!!」
逃げられないように右足も噛み砕く。
傷口から綺麗な桃色の肉と白い骨が見える。肉が外気に触れ薄らと湯気が立ち込める。
その光景が食欲をそそる。早く食べてしまいたい。いや駄目だ。ゆっくり、ゆっくり食べるんだ。
「うぐっ…ひぅ…ぁ、ぁあ…」
あぁ、そういえばこいつは天狗で、空も飛べるんだ。
「そ、それだけは…うぎいいいいいいいああああああああああああ!!!!!!」
べりべり
赤い血が出る。桃色の肉が見える。
ちょっとだけ。ちょっとだけなら大丈夫。
「ぎぅああああああ!!!やだぁ!やめて、食べないでぇ!」
ばりばり
左手を食べる。美味しい。とても美味しい。
駄目だ。もう止まらない。今度は中身だ。
ぶちぶち
「ああああああああああああああ!!!!!!」
牙を丁寧に使って宝箱を開ける。
中にはキラキラ光る宝石がびっしりだ。
太くて長い宝石を引きずり出す。
「あhwl!nq@&jsxt%y$b!?!?!」
天狗は何だかよく分からない声で暴れ回っている。
五月蝿いから顔を踏み付けてやる。爪が顔の肉に食い込んで心地良い。
柳のように細い首に牙を立てる。綺麗な血が噴水みたいに出てくる。
天狗はもう暴れる気配は無いものの、四肢をびくびくと痙攣させている。
さて、今度こそ食事にしよう。美味しそうな宝石をぱくり。
…
…
…
美味しくない。糞の味がする。
これは嫌い。捨ててしまおう。
みちみち、ぶちん
「!!!……!!?!?」
今度はこの丸いのが良い。ぱくり。
ぐっちゃぐっちゃ
これは美味しい。もっと食べたい。もっと食べたい。
あぁそうだ。ご主人様の仇もしなきゃいけないんだ。
でもいいや。今はこれを食べてしまおう。仇を取るのはその後だ。
ぐちゃぐちゃ
びちゃびちゃ
もぐもぐ
ごっくん
ご馳走様でした。
5
それからその犬がどうなったかって?
そんなものは私は知りませんよ。彼の目的は大好きなご主人様の仇を取ることだったんですから。
さて、少し長く話しましたかね。そろそろお暇させて頂きます。
あぁそうだ、忘れるところだった。
いえね、あなたの欲しいものを訊くの忘れてたんですよ。
本当はこれを訊くために来たつもりだったんですけどいやはや、つい舌が回ってしまってこんな時間まで喋ってしまいました。
それであなたの欲しいもの、望むものは何ですか?
ふむふむ。
ほう、それはまた…。
とても良い答えだ。
その犬、凶暴につき注意されたし 終わり
どうしてこうなった。
文ちゃんの可愛さが少しでも出ていれば幸いです。
あとわんこが最後の辺りでご主人様の仇を放棄したのは美味しそうなご飯が目の前にあったからです。
みんなも可愛らしい文ちゃんが目の前にいたら思わず食べちゃうよね!よね!
七紙
作品情報
作品集:
3
投稿日時:
2009/09/06 20:05:25
更新日時:
2009/09/07 05:05:25
分類
射命丸
食事
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/. ノ、i.|i 、、 ヽ
i | ミ.\ヾヽ、___ヾヽヾ |
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'ノ .. i )) '--、_`7 (( , 'i ノノ ヽ
ノ Y `-- " )) ノ ""i ヽ
ノヽ、 ノノ _/ i \
/ヽ ヽヽ、___,;//--'";;" ,/ヽ、 ヾヽ
命乞いが良く似合うキャラNO.1だと思う。
なんという忠犬
文こんなんばっかだなw
文ちゃんおいしかったです(^q^)
文とは大違いだな
かわいいから別にいいけど
しかし霊夢の冷たい物言いにはゾクゾクするなあ……