Deprecated : Function get_magic_quotes_gpc() is deprecated in /home/thewaterducts/www/php/waterducts/neet/req/util.php on line 270
『東方下克上「最終話 東方下克上 後編」』 作者: ウナル
――守矢神社――
“反魂玉”。
それは命転の力。
すなわち“裏返る”と言うこと。
天邪鬼。心の反転衝動。
愛には憎悪を。好意には嫌悪を。生には死を。
博麗霊夢への縛りとしてはこれ以上無いものであった。
「つまりは性格が捻れる訳だ」
「随分と適当な物言いだな」
「魔理沙さんみたいですね」
「こら早苗」
「そして捻くれた心には隙が生まれる。完全じゃ無いからだ。人はいずれも持っても完全では無いが、そこには記憶と感情による“理屈”がある。“生き様”とも言って良い。あるいは“真理”。それを無理矢理捻じ曲げたのだから付け入るのは簡単だ。記憶と感情の乖離は弱い心なら簡単に破壊するだけの力を持つ」
妖怪の山。守矢神社の中に集まった魔理沙達は香霖の言葉に耳を傾けている。
十二の瞳に見つめられ、重苦しい空気が居間に流れる。
香霖なりに軽口を叩いてみたけどあまり効果は無い様子だ。
何となく居た堪れなくなって、香霖は湯飲みに手を伸ばす。
お茶のほのかに香ばしい香りを吸い込み、長めの息を吐く。
「玄爺はそれを利用したのだろう。反魂玉によってできた心の隙間。そこに術を押し込み、霊夢の心を支配した。そして……」
従者たちと入念に準備をして、という言葉をあえて香霖は飲み込んだ。
くちびるを舌で舐め、
「そして、“反転地”という結界を改変する術式を編み出した。まったく、大した手際だよ。その後の事は言うまでも無し」
「で、解決法は?」
「簡単明瞭。至極最も。反魂玉を引き抜けば良い」
「それだけ? 謎の呪文を呟くとか、愛し合う者のキスとか……」
「鍋に入れて煮るとか、生贄を捧げるとか?」
「ないない。きっかけが反魂玉にある以上、それを取り除けば綺麗さっぱり術は解ける。いや、霊夢が自力で解くと言うべきだな。キスはただのきっかけだ」
お茶を飲み干し、空の湯飲みが軽い音を立てる。
一息ついた居間はじっとりと濡れるようだ。
水雲を切り裂いて、魔理沙が手をあげる。
「はい先生。肝心の反魂玉はどこにあるのですか?」
「うん良い質問だ。判らない」
香霖はすまし顔で眼鏡の位置を直した。
その言葉にその場に居た全員が香霖をジト目で睨む。
「仕方がないだろう。どこそこに埋め込めとか指定が無いのだから」
「ここまで来てそれはどうかと」
「相手の心でも読めれば良いんだけどな。そこまで高望みはしないぜ。よし、霊夢を押し倒して裸に引ん剥こう。そうすれば万事解決だ」
だらしない笑顔を浮かべ、魔理沙は力強く宣言した。
誰もその意見に反対しなかった。
その様子を見て、魔理沙は自分の意見が案外的外れではない事を初めて理解した。
壁に背を預け香霖の話を聞いていた神奈子は話に区切りがついたのを確認し、静かな声を上げた。
「問題はそれをどうやって行うかという事。敵は強く本陣は果てなく遠い。我々に与えられたのは幾ばくかの武器と稗と粟。味方は少なく援軍も望めない。狂気の軍勢に守られたあの居城をどうやって落とすか」
「随分とまあ弱気になったものね。神奈子も。同じ言葉を諏訪の戦場で聞きたかったわ」
即座に蛙が喰い付いた。こう言う時だけは素早い神様である。
神の間で火花が散る。お互いの額を擦りつけ、三白眼で睨み合う。
その様は蛇と蛙ならぬ、コブラとマングースだ。
「へー、錆びた鉄の輪片手に泣き喚いていた蛙がどの口でそんな事を」
「勝手に話を作らない! そっちこそ、ミシャグジ様をなだめられなくてオロオロしてたくせに!」
「オロオロなんかしていないわよ!」
「いーやしてた! だったら何で私を置いたのよ?」
「まあまあ、神奈子様も諏訪子様も落ち着いて」
年甲斐も無く言い争う神様を早苗が止める。
その様子を見ながら妹紅は口に咥えたタバコを上下に揺らした。
「少なくともこんな状態じゃあ、倒せる敵も倒せねえわな。船頭多くして船山登る。この場合、船頭同士で殺し合ってそうだが」
「うむ。妹紅君はたまに良い事を言うな。バトルロイヤルでもやれば話は簡単だが、それでは本末転倒だ」
「まったくだぜ」
神奈子と諏訪子の頭に魔理沙のチョップが入る。
頭を押さえた二人は上目遣いに魔理沙を睨むが、逆に魔理沙の方が二人をじっと見つめると、神奈子は苛立たしそうにそっぽを向き諏訪子は口を尖らせた。
「議論ってのはお互いの事を認め合って初めて始まるんだぜ? いがみ合って始まるのは戦争だ。兎にも角にも今の私達はこの人数で何とかして霊夢を救わなきゃならない。私はお前らを信じる。お前らは私を信じろ。怨恨も悔いも明日に置いて行く。他に言う事はあるか?」
その言葉に早苗と香霖は小さく頷いた。神奈子と諏訪子は顔を戻し、妹紅はいちいち確認するなよと顔で返した。小傘は曖昧な笑みをした。
それを見て魔理沙はにかっと笑った。
この笑顔に騙され、魔理沙に淡い思いをはせる者は後を絶たない。
だが、ふと気づいて早苗が慌てて口を挟んだ。
「明日にって、まさか?」
「今日中にこの異変を終らせる。今日以外に無い。今日が我らのラッキーデイだ」
不敵な笑み。
どこからそんな自信が湧いてくるのかと問い掛けたくなるほどだ。でも、その笑みが今の早苗達には力強かった。
だが、一人妹紅だけは、窓の外を眺め険しい顔をしていた。
「残念。先手を取られたな」
手に持った紫煙が風に吹かれ、赤い空に吸い込まれていく。
緑にこげ茶に黄土色。赤に黄緑、白い雲。
無数の色の交差する山に、しかし確かに黒い影が迫っていた。
武器の銀が月の光を返し、点々と松明の炎が見える。
長い夜の始まりは近い。
◆◆◆
橙に率いる天狗達は着実に守矢神社を包囲していた。
幻想郷において珍しく天狗は組織体制を取っている。そのためだろうか、彼らは反転地後も比較的混乱を起こす事無く統制を取っていた。
円状に配置された天狗達はじょじょにその半径を狭め、妖怪一匹抜け出さぬよう隙無く監視の目を光られていた。
「鉄壁。見つからずに抜けるのは、まあ厳しいだろうな」
偵察から戻った妹紅は大げさに眉間にシワを寄せ、首を振りながら答える。
魔理沙は軽く眉を潜めた。
「こうなる前に動きたかったぜ」
「愚痴を言っても仕方がねーって。天狗は鼻を高くして待っている」
「でも何故?」
早苗の疑問は最もだった。
早苗の能力を駆使し、神社はともかく魔理沙達の存在は隠しているはずだ。
その上で、あの天狗達の数は妖怪一匹を退治する為にしては些か大仰過ぎる。
「ボク達の足取りを追って来た?」
「何の為にあんたと手を組んだんだ? それなりに慎重に行動してたつもりだがな」
「私達がつけられた? その可能性が一番高いと思います。永遠亭から帰る時は神奈子様と諏訪子様も一緒で――」
「なあ」
魔理沙の中に不安がドロリと零れて来た。
それは腹の底に広がり楕円状に形を作っていく。
やがて、それは魔理沙の腹を越え胃まで届き、最後は口を塞ぎ窒息させる。
それが怖くて、いや、そうならない事を祈って魔理沙は疑問を口にした。
「小傘は何処だ?」
全員が顔を見合わせた。
それから神社の周りを探索したが、小傘は見つからなかった。
こんな状況でかくれんぼもあるまい。状況証拠は揃ってしまった。
魔理沙の祈りは通じなかった。
「成る程、工作員ね。味な真似をしてくれるわ」
「神様を謀るなんて舐めているね」
神奈子と諏訪子が不気味に笑みを作る背後で、早苗は不安に顔を曇らせていた。
今は虫の声しか聞こえない。
皆、苛立ち何の行動も起こせずに居る中、妹紅が立ち上がった。
「ったく、仕様が無いな。オレが何とかするぜ。要は敵の包囲を抜けりゃいいんだろ?」
「良い案でも?」
「ああ。オレにしか出来ねえとっておきだ」
その代わり、と妹紅は続けた。
「この神社を寄越しな。神様」
「「はあ?」」
妹紅の言葉に神奈子達だけで無く魔理沙達も目を丸くした。
天狗達の足音はすぐそこまで迫っていた。
◆◆◆
「それじゃあ、張り切っていってください。五体満足で捕まえるんですよ」
橙のその言葉を皮切りに天狗達の攻勢が始まった。
先陣を切る鴉天狗に、手に手に武器を持った白狼天狗が続く。
守矢の神社はあっと言う間に天狗の波に飲まれて行く。
その数はどれほどだろう。五十か百か。
鳥居をくぐり境内を抜け、神社の中まで侵入してきた。
タンスやちゃぶ台を引っくり返し、押入れを開け、床を引き剥がす。
だが、魔理沙達の姿は無かった。
「どういう事だ?」
「え、あ、いえ、どう言う訳だがさっぱり……」
手を広げて無知を披露する射命丸に椛は拳を叩き込んだ。
理不尽な仕打ちに射命丸はただただ無言で耐えた。
椛は舌打ちし剣で天井を突き刺すが、軽い手ごたえが返って来るばかりだ。
何処か他に隠れるような場所があるのか?
そんな疑問を晴らす為、椛が玄関へと向かおうとした時、
巨大な御柱が神社の回りに降り注いだ。
「何!?」
椛が出口へと走るよりも早く、御柱は神社を隙間無く取り囲んでしまった。
そして、その表面には奇妙な滑りが光を照り返している。
椛が御柱に触れる。
滑りを指に取り、匂いを嗅ぐ。
鼻の奥を突く刺激臭が椛には嗅ぎ取れた。
「油?」
呟いた瞬間、椛の目の前で火花が散った。
火花は油を得て、火へと代わり、焔へと姿を変えた。
巨大な御柱に塗られた油は少量だが、その炎は神社の屋根へと移り、神社全体を炎に包もうとしていた。
「くっ! その柱を押し出せ!」
椛が天狗達に号令を出す。だが、炎を纏った御柱だ。押し出すにはそれなりの力が要る。
天狗達は腰が引けて誰一人御柱に突っ込もうとはしない。
それもまた仕方の無い事。
この状況で誰が炎に身を押し込む愚行に移れるだろうか。
「人は炎を扱える唯一の動物である。故に特別視されここまでの発展を遂げた。だが、炎を恐れる心は動物も人も変わらぬ。身を焼く恐怖から逃れはしない」
突然響いた声に天狗達は辺りを見回す。
と、天井の板が破壊され、そこから一人の少女が身を投げ出す。
「どうやら天狗も一緒みたいだけどな」
「……藤原妹紅。貴方か」
「挨拶だな。客はそっちだろう」
「なら、茶菓子でも出してもらうか」
「残念。一人で全部食べちまった」
妹紅の周りに武器が突きつけられる。剣、槍、矛いずれも人の身を切り裂くには過ぎた凶器だ。
だが、その行為を妹紅は顔中で笑い、その背に巨大な羽を背負う。
背から噴き出した炎に天狗達は武器を構えながらも、一歩後ろへ退いてしまう。
「今更そんな物に恐れるとでも?」
「恐れる。恐れるようになる」
「なら、今はまだ大丈夫だな」
妹紅はタバコを口に咥えようとするが、全体がジリジリと焼け焦げ吸う前にボロボロになってしまった。
なんだよ、と呟き妹紅は灰になったタバコを握りつぶした。
その様子を見ながら、椛は射命丸へ合図を送るタイミングを見計らっていた。
だが、それを見透かしたように妹紅はせせら笑う。
「風で天井や壁を吹き飛ばそうなんて考えない方がいいぞ。燃えた天井が落ちて来てペシャンコだ。仮にうまく吹き飛ばしたとしても急激に空気が入り込むとバックドラフトっつー爆発が起こる。中に居る奴らは一瞬で亡霊に大変身だ」
「そんな話信じるとでも?」
「天狗の家屋は藁で出来ているのな? 日本家屋舐めんなよ」
「仮に真実だとしても、止めない理由は無い」
「ならさっさとやるかい? オレは構わないぜ」
妹紅はボキボキと盛大に指を鳴らし、拳を握る。
その様に椛は忌々しげに吐き捨てる。
「まんまと籠に入ったと言う訳か」
「文字通りデスゲームさ。こっちにはゲームオーバーが無い八百長試合だがな」
天狗達がざわざわと騒ぎ出しているのを見て、妹紅は内心で汗をかいていた。
極限状態では認識力と判断力が鈍る。長々とした口上、相手への脅し、それらは全て火の手を回らせる為の時間稼ぎだ。
敵が混乱している内に事態を取り返しのつかない所まで持っていかねばならない。
天狗達が自分と戦うかとにかく脱出を優先するかで悩んでいる間に、魔理沙達には博麗神社へと向かわせるのだ。
「火の鳥はその身を炎に包ませ、幼鳥として生まれ変わる。
炎は聖なる転生の道。破壊と再生を司る神性。
恐れる事は無い! 今宵幻想郷は聖火に包まれ生まれ変わる!」
肺いっぱいに空気を吸い、まさしく妹紅は爆発したかの如く廊下を駆けた。
その背には不死鳥の翼。その目には恐れおののく天狗の姿。その心には――。
◆◆◆
――妖怪の山――
「神奈子様、よろしかったのですか?」
「神社なら新しく建てれば良い。ヘビの脱皮みたいなもんさね」
「博麗の神社なんか、二回も壊れてるらしいしね」
妖怪の山、無数の木々が立ち並ぶ中を魔理沙達は飛ぶ。
妹紅が稼いでくれた時間を無駄にしないよう、その飛翔は速く正確だ。
背後では幻想郷の空を赤々と照らす神社が見える。
自身の神社が燃やされる苦痛は、二人の神に仕えてきた早苗には痛いほど良く判った。
だがそれでも今は、目的地目指して突き進む以外に無い。
「神社は建て直せても、幻想郷は今しか無いからね」
その言葉が重く圧し掛かる。
自分達にしかできない、失敗の許されない使命。
その自覚は時に自分達を縛る縄となる。
「待て!」
香霖が声を上げる。
右腕を伸ばし、魔理沙達を一旦止める。
「どうした? 雪男でもいたか?」
「似たようなものだ。男ではないが。あれを」
「……あれは?」
木々の隙間から紫色の傘が見える。既に日が落ちているので確認し辛いが、そこから伸びる赤い舌は見間違いようが無い。
「小傘!」
魔理沙は脇目も振らずそちらへ飛んで行ってしまった。
早苗達は一瞬目を見合わせた後、慌ててその後に続く。
小傘は必死の形相で自分の方に突っ込んでくる魔理沙を見て、顔を引きつらせた後慌てて逃げ出した。
だが、その前に御柱に鎮座した神奈子が降りて来た。
巨大な御柱に目の前を塞がれ、小傘は尻餅をついて倒れこんだ。
さらにその背後に木の枝にカエル座りした諏訪子が迫る。
二柱の神は、やはり腹に沸き立つ怒りを湛え、小さな妖怪を取り囲む。
「逃さないわ。貴方の行いは万死に値する。万の極刑を持って償え」
「神への背信行為。子々孫々に続く呪いくらい覚悟しているよね?」
神奈子と諏訪子に前後を塞がれ、小傘はいよいよ泣き出しそうだった。
瞳に涙が注がれ、その透明な縁から溢れ出す。
魔理沙はそれを見て、慌てて神奈子と小傘の間に割って入る。
「待てよ」
「酌量の余地は無いわ」
「裁判場じゃない。話を聞きたい」
魔理沙は腰を落とし、小傘と目線を合わせる。
だが、魔理沙自身どんな顔をして良いのか、頭の引き出しを引っくり返している所だった。
言いたい事は沢山あるのに、それらのピースがまったくうまく合わない。
香霖から貰ったジグソーパズルを完成させて置くんだったと、取りとめもない事が頭の上を掠る。
「あー、小傘」
デートに遅刻した間男のようなマヌケな声を魔理沙が上げた瞬間、パン、と乾いた音が響いた。
魔理沙の左頬が焼けていくのが判る。手加減無しの平手だった。
神奈子と諏訪子が身構える。
小傘は自分自身がした事が信じられない、と言った顔で自分の右手と魔理沙の顔を見合わせ、背後に押し付けられるナイフのような殺意に身を震わせた。
目は泣き出しそうなくせに、口元は歯を剥き出しにして怒りを現し、耳がぴくぴくと動いている。指は白くなるほど強く傘を握り、身体全体は周りを拒絶するように自らを押し付けている。
実にブサイクな様子だった。何一つ、均整の取れた所が見えない。
だが、“本気の姿”とはこういったものなのかもしれないと、魔理沙は頭に霞がかかったまま考えた。
「――しないでよ……」
蚊の鳴く様な声。
だが確かに口にしてしまったそれは、もはや小傘の意志とは違う所で流れ出してしまう。
「軽々しく約束なんかしないでよ!!」
再び、小傘の手が振り上げられた。
だが、それは魔理沙を捉える事無く、空を切ってしまう。
勢い余って小傘はその身を地面へ横たえた。
「あんな顔で約束されて……っ、信じちゃったらどうすればいいのよ!
わちきはゴミじゃない! ちゃんと役に立つし、ここに居る!
バカ魔理沙! 始めから守る気無い約束なんかするなっ!」
しゃくり上げながら、小傘は不器用に息を吸う。
肺が痙攣しているのか、しゃっくりが止まらない。
「人間なんてっ、大ッ嫌いだーーーーーーーーーーーーっ!!」
叫んだ。
叫びながら、小傘はボロボロと涙を流した。
まるで感情に押し出されるように。
童女の様に泣き上げる。
雨の上がった日、人々に忘れられたお化け傘。
人を驚かす事でしか己を保てない歪な妖怪。
「……言いたい放題だな。小娘」
神奈子の冷淡な声が響く。
まるで小傘と反比例するかのような、感情を抜いた声。
地を見下ろす天上の声。
「貴様の気まぐれで幾多の救いの道が断たれた。神聖なる神社は焼け、少女はその命を燃やし尽くそうとしている」
小傘のすぐ横に御柱が突き刺さる。
巨大な重量感は小傘をただの傘に戻すには十分な代物である。
小傘は身動きさえ忘れていた。
「言いたい事は判るけどね。でも、ちょっとばかしタイミングが悪かったね。仕方が無いね」
肩をすくめおどけた様に諏訪子も語る。だが、その目は決して笑ってはいない。
「一度裏切った者は二度を繰り返す。三度目の繰り返しにはもはや蜘蛛の糸すら届かぬ」
「仏の顔は三度まで。残念。私は祟神だ」
「ちょっ、ちょっと待てよ」
「退け。人間。これは児戯ではない」
神奈子の背の御柱が小傘へと狙いを付ける。
諏訪子も鉄の輪を取り出し、グルグルと回転を始める。
二人が本気なのは誰が見ても明らかだった。
香霖が何かを口にしようとするが、言葉をまとめることができず口を動かすに留まった。
「『エクスパンデット・オンバシラ』」
「『洩矢の鉄の輪』」
罪人に落とされるギロチンの如く、それは冷徹な声だった。
覆す事の出来ない審判。神の裁き。
魔理沙は混乱の為にわずかに行動が遅れた。
小傘に向かう光線と巨大な鉄の輪を止めるには、その遅れはあまりにも大きかった。
小傘の目が光に覆われる。
それは何かをする前に驚異的な速度で迫り、思考が脳に届いた段階で避け様の無い距離にあった。
口を軽く開け、阿呆のように呆ける小傘の視界に、緑の髪が踊った。
「結界『クチナワ・クチナ』!!」
早苗が両手を突っ張って、あらん限りの声を上げた。
とぐろを巻く蛇のように張られた結界。
左右から迫る力は押し潰さんとするが、かつて膝だった部位をつきながらも早苗はそれに耐えた。
「早苗!?」
「いっ!?」
神奈子も諏訪子も驚きに我を忘れる。
巫女服の袖が破れつつも、立ち上がる早苗に二人は大きく息を吐いた。
「早苗。何故邪魔をする?」
神奈子が静かに詰問する。
早苗は左手を押さえながらも、気丈に立ち上がった。
その体に手が伸ばされる。だが、小傘は早苗にふれるよりも早くその手を引いてしまった。
「お怒りを静めてください。神奈子様、諏訪子様」
「理由を聞いている」
早苗は沈黙した。
草木の音さえ耳に入らない程の静寂。
時が止まり、夜天の星が輝きを止めた。きっと背後の炎さえ今はその鼓動を忘れているに違いない。
そう思える程の、沈黙。
「私は、裏切り者です」
早苗の言葉に神奈子も諏訪子も、魔理沙も香霖も、小傘も、表情を動かさなかった。
否定も肯定もしなかった。
「だけど、ここに居る」
一言一言を区切るように早苗は言った。
一言一言に思いが蘇る。
「それが理由です」
しばしの沈黙。
神奈子も諏訪子も何も答えない。
早苗もまた、黙って神奈子の顔を見続けた。
小さな溜息。
御柱が畳まれ、鉄の輪は諏訪子の手へと戻って行った。
「面倒みなよ」
諏訪子の言葉が全てだ。
早苗は無言で礼をした。
「あ、あの早苗?」
小傘が早苗に手を伸ばす。
今度は、ちゃんとふれた。
早苗の温度と小傘の温度が混じりあう。少しだけ、早苗の方が温かい。
「小傘さん」
早苗が手を重ねる。
それだけできっと届くと、早苗は思った。
小傘はひどく曖昧な笑みを浮かべた。
目を細めて、口元は引きつくような歪んだ曲線、顔にシワが彫られた。
輝かしいというには弱々しく、醜いというには綺麗過ぎた。
ああそういえば外の世界での事をまだ謝っていないではないかと、今更ながら思い出す。
この事件が終ったら、話をしようと早苗は考える。
でも、守矢神社は燃えてしまったなあ。仕方がない博麗神社で話をしよう。霊夢さんにも紹介したいし、小傘が帰りたいと言うなら紫さんとも話をしておかないと。
そんな事を考えて、早苗は小傘に笑みを返そうとした。
きっとうまくは笑えないだろうと自分自身で思うが、それでも小傘よりは明るい笑みができるはずだ。そう思う。
こんな森の中で、こんな状況で、考えるのは奇妙なほど穏やかな想像が早苗の周囲を駆けた。
そんな一瞬だった。
小傘の右手が飛んだ。
早苗の顔に生温かい液体が掛けられ、ナス色の傘がくるくる回って木の枝に受け止められた。
腕が無くなった小傘自身、何が起こったのか良く判らないと言った顔で、早苗を見つめている。瞬きをすれば全てが元に戻ると信じている。
だが、閃光は二度煌めき、小傘の背に真っ赤で長い線を引いた。
倒れかける小傘に手を伸ばす早苗。
だが、既に手を失ったそれは、取っ掛かりが無く早苗の手を離れていく。
「ふわ〜。話し終わった?」
欠伸をしながら現われたのは二本の尻尾で遊ぶ橙、そしてその背後に影のように立つ藍だった。
「話長いよ〜。折角エサに喰い付いたから面白くなるかなって、思ったのにこんな終わり方? つまんないね」
期待して買った小説が外れだったくらいの気軽さで橙は言った。目の前で右手と背から血を流す小傘など始めから数に入れていないようだった。
「ま、いいや。じゃあ次は直接対決ね。鬼ごっこでもいいけど。それともかくれんぼ?」
「橙、藍。お前ら」
「魔理沙さん」
飛びかかろうとした魔理沙を早苗が制した。
優しく小傘をうつ伏せに横たえ、橙と対峙する。
「小傘さんを」
酷く落ち着いた声だった。
声に気圧されるように魔理沙は小傘へと駆け寄る。香霖もそれに続き、服を破いて右手を縛った。
二人の神は油断無く、乱入者を睨んでいる。
「どうだ香霖?」
「まだなんとかなる。まだ」
小傘を担ぎ、二人は森の中へと移動した。
それを横目で見送った後、早苗は橙へ視線を戻した。
「なぜ? あんな事を?」
「皆の驚く顔が見たくて」
即答だった。
ドッキリと仕掛けた学生のような、そんな気軽な答え。
その瞬間、早苗は理解した。この子はこうなのだと。
「変わってしまったのは心? それとも力?」
「ん? 何を言ってるの?」
「判らないならば、それが答えです」
早苗は神奈子に払い棒を投げ渡した。
それを受け取り、神奈子は眉を潜める。それは諏訪子も一緒だ。
「早苗。あんた」
「ちょっと」
「神奈子様、諏訪子様。お世話になりました。ご恩は亡霊になっても忘れません」
早苗の姿が変わっていく。
牙が生え、爪が伸び、その身を化生へと移して行く。
「早苗。死ぬよ。きっと早苗は死んじゃうよ」
諏訪子の言葉は定型句みたいなものであった。
早苗に届き、その考えを改めるなど始めから諏訪子も思ってはいない。それでも言わずにはいられなかった。早苗の決意を知りたかった。
身を低くし、早苗は橙の顔を上目遣いに睨む。
それを受けて、橙も爪を伸ばす。藍も九本の尻尾を広げる。
「風祝の役職。返上させて頂きます。これからの戦いはただ東風谷早苗という妖怪の私闘です」
早苗がそう言った瞬間、神奈子と諏訪子の中から力が溢れてきた。
逆に早苗からは霧散するように力が抜けていく。いや、元の力に戻ると言った方が良いだろう。
神奈子は払い棒を懐へとしまい、諏訪子と一瞬目を合わせた後、早苗の側を離れた。
「終ったら迎えに来るよ」
「それまで勝手に死んじゃダメだよ?」
「わかりました。命を賭けて」
早苗が二人を睨む。
元・スキマ妖怪の式に浮かぶのは笑みと無。感情を排斥した純粋な色。
「一人で戦うの? それじゃあつまんないよ」
「一人じゃありません」
「へ? どういう事?」
「それを理解できない貴方には、決して負けません」
早苗の周囲が陽炎のように歪んで行く。
揺れる視界の中に見えるのは、かつての守矢神社。
「私が勝つ!!」
「言うね! 来なよ!」
森の中に橙と藍が吸い込まれた。
早苗の能力が展開し、“空間”へと引きずり込んだのだ。
それを見て、神奈子と諏訪子はどこか遥か遠くを仰ぐ。
「格好付けちゃって」
「誰に似たんだろうね」
「私でしょうね」
「私でしょ」
神奈子と諏訪子は小傘の元へと向かった。
既に香霖ができる限りの応急処理を終えており、腕には布が巻かれ黒ずんだ血が滲んでいる。
小傘は薄く目を開けたまま、苦痛に歯を食いしばっていた。
「痛っ! くぅ! ぐぅうぅぅ!」
「大丈夫だ! きっと助けてみせる! お前はもっと人を驚かすんだろ!」
「ここでできる事は全てやった。後は薬や適切な道具が無いと……」
小傘を励ます魔理沙と香霖を見ながら、神奈子は舌打ちをした。
「何にも出来ないわ」
「本当に救いを求める人は神様に祈らない。自分で道を探すよ」
「軍神なんて無力なものね」
「祟神もね」
「戦って」
「呪って」
「でも、本当に必要な時には何も出来ない」
「私らは酷い神様だよ」
苛立ちだけが募る。
小傘も早苗も二人の手を離れた。
森の中で腕を組み、立ち尽くしている時間は無いのだ。
だけど。
どうすることもできずに、時間だけが過ぎて行く。
◆◆◆
――博麗神社前――
博麗神社に向かったのは魔理沙、神奈子、諏訪子の三人だった。
香霖は元々戦闘が不得手な為、小傘を請け負って場を離れた。
「永遠亭に向かってくれ」
魔理沙はそう言った。それが意味する事を香霖も知っていた。
「本気なのかい?」
「私達に任せろ。必ず間に合わせる」
その言葉を信じて、香霖は小傘を担ぎ永遠亭へと向かった。
そして、魔理沙達は博麗神社を視界に捉えるまでの所に来ていた。
しかしながら、その行程は実に静かだ。それが逆に魔理沙達の不安を煽る。
そして、博麗神社の石段をのぞいた時、同時にそこに居座る番人とも出会った。
「待ち人来たる。蛇に蛙に魔女一人。おやおや坊や、迷子かな?」
「こんな所で何をしているんだ?」
「かくかくしかじか。これで伝わったっすね」
「はむはむうまうま」
「ケロケロピョンピョン」
「シャーゲロゲロ」
「ま、聞くまでも無いか」
魔理沙は肩をすくめ八卦炉を取り出す。
神奈子は御柱を装備し、諏訪子は鉄の輪を両手に着飾る。
「はあ。やっぱりやるんすね。面倒は嫌いなんすけど」
それを見て小町は肩にかけた鎌を振り上げる。刃の付いた方を下段に置くという独特の構えで魔理沙に対峙する。
そして、その後ろに立っていた映姫は悔悟棒を口に当てたまま静かに事の成り行きを見守っている。
「引くなら今の内だぜ。怪我して泣いても慰謝料は払わないぜ」
「正当防衛なら人殺ししても罪にならないんっすよ」
「スターダストレヴァリエ!!」
魔理沙が飛び出す。色とりどりの星が放たれ、小町と映姫に迫る。
小町は冷静にそれを鎌で撃ち落して行く。無論、映姫の方へと向かった星も含めてだ。
だが、その間に魔理沙は小町達の上をすり抜け、博麗神社へと向かう。
「悪いな! ちょっと速達でパンチを一発届けなきゃならないんだ」
だが、石段を越えた所で魔理沙は自分の目を疑った。
思わず口を半開きに阿呆のように立ち止まってしまった。
「構わないっすよ。好きなだけ飛んでください」
神社の境内。それがまるで地平線の果てまで続くように広がっていた。
その線の上にゴミのように浮かんでいるのが博麗神社だろうか。その距離は飛んで行ってもそう簡単にたどり着けるものではない。
「お前」
「距離を弄らせて貰ったっす。まあ、三途の川を横断するよりは楽だと思うっすよ」
ああ後、と小町が付け加えた瞬間、魔理沙達の遥か上空を何かが飛んでいった。
白い紙切れのようなそれは幻想郷中に、物理法則を無視した動きで広がっていった。
「玄爺の合図っす。あれが幻想郷中の従者の所に届くっす。さて、彼女らがここに来るまでに向こうに渡れるっすかね? あたいは無理だと思うっすよ。そう言う訳で早々に王手っす。魅せる試合は苦手なんで勘弁っすね」
ぽりぽりと頭を掻いて小町は気の抜けた声でそう言った。
神奈子も諏訪子も空からその様子をうかがい眉を寄せた。
小町の言っていることは実に正しかった。
先ほどの紙切れがかつて玄爺が使った物と同様の術だとすれば、確実に従者達の元へと届くだろう。その上で彼女らがここに来るまでの時間を考えれば、事態は絶望的だ。
「今の内に謝って仲間に入れて貰ったらどうっすか? 仲良く行きましょうよ」
「いや、まだだ!」
魔理沙は天に向け八卦炉を構えた。
強大な魔力がその手に集約していき、七色の輝きを発する。
「な、何を?」
「届けぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっっ!!」
極太のレーザーが幻想郷の空を貫いた。
七色の光塵は雲を抜け、空へと霧散していく。
月まで届きそうな程、それは力強い光で。幻想郷の夜空を虹色に染めた。
魔理沙はそれを見た後、箒に乗り全力で神社へと飛び始めた。
「い、一体何を……?」
そう小町が零した瞬間、光の束が小町に放たれた。
間一髪、映姫がそれを受けたが、その先では神奈子が舌打ちをしていた。
「か、神様が不意打ちなんかしていいんすか?」
「先駆け、不意打ちは戦場の華。大軍による殲滅戦が大輪の向日葵なら、さしずめ百合の花と言ったところ」
「流石、軍神は言う事が違う、ねっ!」
諏訪子も鉄の輪を投げ、攻撃を開始する。小町は鎌でそれを受けたがその重さに額から汗が流れ出る。
「こりゃ、うかうかしてられないっすね」
「勿論。あんたを倒せば道が開けるなら、叩き潰すにやぶさかではない」
「血が騒ぐねえ」
「あはは。物騒な神様っすね。でも、こっちにもおっかない閻魔様の加護があるっすよ。精々足掻かせてもらうっすね」
軍神&祟神VS死神&閻魔。
神社の石段で反転地最大の好カードは切られた。
◆◆◆
魔理沙は疾走する。果てなく広い神社の境内を。
まるで回し車を回すハムスターのような、果てない作業のように感じられた。
身体よ千切れよと、速度を出してもまるで差が詰まっているように感じない。
回し車の中に放り込まれた。それでも、魔理沙飛ぶ以外に術を知らない。
歯を食いしばり一分一秒を飛ぶ事だけに費やした。
――紅魔館――
レミリアとフランの散歩の為に、咲夜は二人の首輪に丈夫なリードを付けた。
無論、犬である二人はその事に抵抗などしない。
一糸纏わぬ姿で夜の幻想郷を四つん這いで徘徊しても、嫌がるどころか逆に喜びにヴァギナを濡らす程になっていた。自分の家にマーキングする事も夜空の下で排便する事もこの数日で慣れてしまった。
かつて普通の魔法使いにした約束などとうに忘れ、ズタズタになった心をこれ以上壊さないように必死に犬を演じた。
「ハッハッハッ!」
「くぅーんくぅーん」
「よしよしよし。さあ、今日は月が綺麗ですよ」
ビニール袋とスコップを持ち、咲夜は玄関を開けようとした。
その時、咲夜の手に一枚の手紙が滑り込んできた。
「玄爺の手紙? 一体何の用ですか?」
散歩の楽しみを損ねられ、咲夜はやや乱暴にそれを開いた。
そこに書いてある文を読み、頭に青筋を立てた。
仕方無く二人を小屋へ戻そうとした時、夜空を虹色の光が貫いた。
「あれは……」
「!?」
「あれって……」
その光を見た瞬間、浅ましく舌を伸ばしていた二人の目に光が戻っていく。
その瞳に映る懐かしい光。それはもう出会えないはずの黒白の魔法使いの物だった。
「っ、事態は思いの外面倒かもしれませんね。さ、お嬢様。妹様。小屋に戻りますよ。私はこれから用事が」
咲夜が二人のリードを引いた瞬間、レミリアとフランはその口を開き、咲夜へと飛びかかった。
手首に噛み付き、両手を振り回して全身に爪を立てる。
「なっ!?」
思いもしない反撃を受けて咲夜は、一瞬混乱した。
力を奪われた二人の抵抗は虚しい。時を止める事すらせずにあっという間に鞭を打たれるだろう。
だが、二人の行動は魔理沙の一分一秒を稼ぐものだった。
――パチュリーの寝室――
人形のようイスに座るパチュリーの体を小悪魔は丁寧に舐め上げる。
耳をはみ、首筋に舌を這わせ、指の間を舐める。
そのわずかな愛撫を小悪魔は3時間以上続けていた。すでにパチュリーの快感は高まり切り、イスに座りながら太ももまで愛液を垂らしていた。
「パチュリー様……。ん」
小悪魔がパチュリーに口付けをする。
パチュリーに抵抗の選択肢は無い。ただ、その一方的な好意を受け止め続けるしかない。
本来ならば、この後は激しい愛撫に移り、パチュリーは何度もオーガズムに達せられるはずだった。
「え?」
だが、窓から異様な光が入ってきたかと思ったら、小悪魔の顔に熱い液体がかかった。
無表情に窓を見ていたパチュリーが涙を流している。
一指も動かせないはずのパチュリーはただ両目から熱い涙を流し、その首にはまったリングまで濡らしていく。
「そんな……、な、な、な、なんで!!」
小悪魔は動揺し、近くにあった本をぶちまけた。
本棚を押し倒し、ベッドのシーツを破る。自分自身の髪の毛を毟り、赤い毛が寝室の床に広がった。
その騒動に巻き込まれ、手紙は本に埋もれていった。
――紅魔館、正門――
ドジをした美鈴はメイド妖精達に「頭を冷やし来なさい」と言われ、全裸で門の前に立たされた。
バケツの水を浴びせられ、赤い髪はしっとりと濡れている。
その目には生気は無く、ただただ妖精達の仕打ちを受け入れる肉塊となっていた。
しかし、空に立ち昇る七色の光を見た時、ふと懐かしい気持ちが蘇った。
「美鈴! 今の光は何なの!?」
「何があったのか報告なさい!」
「これだから愚図で使えない美鈴は!」
妖精達が口々に美鈴を罵倒する。一人が持っていたバケツがぶちまけられ、美鈴は再びドブネズミのように濡れた。
「私は……、」
「は?」
「何よ!」
「言いたい事があるなら、はっきり言いなさいよ!」
小さく呟いた美鈴を妖精達が取り囲む。それはまさしく学校のいじめのそれで、壁を背に美鈴を押し込もうとする。
普段の美鈴ならこの行為を受けただけで縮こまり、謝罪と弁明の言葉をつらつらと述べてしまうだろう。
だが、今の美鈴は違った。
妖精の一人に拳を叩き込み、中国拳法の型を取る。長らく忘れていたそれは、どこまでも自然に取る事ができた。
「なっ!?」
「私は紅美鈴だ!!」
美鈴は全裸のまま、妖精達に向かっていった。
紅魔館から沢山の妖精が手に武器を持ち飛んでくる。だが、美鈴の心に迷いは無い。
――マーガトロイド邸――
人形の精液を全身に浴び、アリスは力無く横たわっていた。
葉巻を吸う上海はその姿を見ながら、下卑た笑みを浮かべる。
「こんどはどうしてやりましょうか?」
「そうだな。いっその事、もうぶっ壊すか? 俺達が入れるくらい穴拡張してさ」
「ホラーイ! そいつはいいですね! アリスの体内を探険ですか!?」
ゲラゲラと笑う人形達を他所にアリスは呆然と空を見上げていた。
何かを意図していた訳では無い。ただ、目線の先に窓があっただけの話だ。
そこに光の柱が現われた。
それは彼女が求め、そして届かなかった者の光だ。
かつて、卑怯で卑劣な自分が唯一守った者の光だ。
その者の声も顔も遠く思い出の彼方だが。会いたいと言う思いはずっと変わらない。
「っ!!」
「な!? この野朗!!」
扉をこじ開け、アリスは家の外へと飛び出した。
だが、すぐに足に人形達が絡みつき、魔法の森の地面に叩きつけられる。
「この野朗! まだ抵抗するか!?」
「放せ! 放せ! 魔理沙がっ! 魔理沙が待ってるのよ!!」
アリスは叫び、光の柱に手を伸ばした。
決して届くはずも無い距離にあるそれはアリスの心にしっかりと届いた。
――守矢神社――
既に妹紅は虫の息だった。
死ぬ事は無いが肉体的精神的疲労は付きまとう。
それでも、妹紅は良く戦ったと賞賛を受けるべきだろう。
神社に突入した天狗の内、5名を殺し、20名余名を負傷させた。獅子奮迅の戦いぶりと言える。
だがそれも過ぎ去り、妹紅は全身を縄で拘束され、天狗の手に落ちた。
守矢神社の火は下火となり、これ以上の抵抗は無理だった。
「……格好悪りい」
「うるさいですね! このっこのっ!」
イモムシのように転がる妹紅に射命丸の足が飛ぶ。その頭を強かに蹴り上げ、脳天から血を吹き出させる。
そのままげしげしと妹紅の体を射命丸は踏みつけ続ける。
その背後で椛の厳しい声が飛ぶ。
「全員整列! すぐに博麗神社へ向かうぞ!!」
「あ、あの? こいつは?」
「文! お前が連れて行け!」
「は、はい!」
重傷の天狗以外は天を駆け、博麗神社へと向かった。
しかし、その途中巨大な光が天を穿った。
椛はそれを見て、顔を蒼白に染めた。慌てた声で天狗達を急き立てる。
それを見て、妹紅は頬に笑みを浮かべた。
――妖怪の山――
「やってくれましたね。正直、かなり痛いですよ」
藍に押さえつけられ、早苗は巨木にその身を打ち据えられていた。
早苗に比べれば軽傷だが、橙も藍も相当に傷を受けていた。橙は耳に大きな傷ができており、胸からも血を流している。致命傷でこそ無いが、相当な深手であることは明らかだ。藍に至ってはすでに左手が使い物にならないほどにボロボロになり、尻尾の何本かは千切れていた。口から血を流していてもそれでも藍の顔に変化は無い。
「ムカつく蛇女。どうやって死にたいですか?」
橙がおどけた口調で聞く。だが、それさえ早苗の耳には入らない。視界が白くぼやけ、耳は詰め物でもしたかのように脳まで音を届けてくれない。
両手は血で染まり、蛇の下半身は肉が千切れ、だらしなく地面に横たえていた。
その体が虹色に染められる。
博麗神社から照らされた光が早苗の体を照らし出したのだ。
それを見て、早苗の視界に色が戻る。
「魔理沙さん……」
「言い残す事でもある? 伝えてあげないけど」
早苗は笑った。
あの時、小傘にしてやれなかった笑みだ。きっといい笑顔だと自分で思う。
「……私の、勝ちです」
橙の腕が振り上げられた。
長く鋭い爪が早苗へと向けられた。
早苗はそれを笑みで受け止めた。
――迷いの竹林――
幾多の妖怪に攻撃を受けながらも香霖はここまで辿りついた。
まだ小傘の温かさは消えていない。
まだ、間に合う。
時折、小傘がうなされた様に何かを呟く。だが、小さなそれは足音や息遣いにかき消され、香霖に届く事は無かった。
そして、竹林の果てから七色の輝きが見えた。
何度も見た彼女のスペル。それはなんとも力強い輝きだった。
――???――
八雲紫は窓の端からその光を見ていた。
七色に輝くそれは確かに自分が送った希望だった。
「遅いわよ。魔理沙……」
紫の口元に数日ぶりの笑みが浮かんだ。
拘束具が軋む音がした。
◆◆◆
――博麗神社、石段――
小町の鎌が諏訪子の輪と重なり、激しい火花を散らす。
諏訪子がそれを弾き反撃しようとするが、一瞬にして小町との距離が離れ、鉄の輪は虚しく空を切る。
「あーうー。予想以上に厄介だね。あの死神の能力」
「それにあの閻魔もね。下手なハッタリはあいつのせいで全て止められるわ」
小町と映姫が取った戦法。それは完全なヒット&アウェイ戦法だった。
小町の能力『距離を操る程度の能力』で自分と相手の距離を完全に掌握し、自分が攻撃する時は距離を縮め、相手が攻撃しようとする時は距離を離し、一方的な戦いを展開した。
さらに映姫の能力『白黒はっきりつける程度の能力』により、相手のフェイントや誘導を阻害し、小町の戦法をより強固にしている。
その上で二人とも相当な実力者である為、二柱の神とはいえ攻め切れずにいた。
二人が戦いの場を広大な境内に移した事により、自由な動きができるようになったのも痛かった。
「仕様が無いね。神奈子」
「何よ」
「ここまで神様が虚仮にされるのもどうかと思うんだ」
「そうね。信仰に関わるわ」
二人の神がお互いの顔を見合わせる。
まるで生き写し。
片や土着神の頂点、片や大和の神々の一柱。
全くもって違うニ柱の神であったがその顔には同じ笑みが浮かんでいた。
「我は洩矢の祟神。呪い、祟り、禁忌を知らしめる者也。
我を恐れよ。我を畏れよ。我を虞よ。
今宵の祟りはちょっと凄いぞ!!」
「我は八坂の軍神。風雨を繰り、豊穣をもたらす者也。
我は蹂躙す。攻め、砕き、再生を導く。
さあ、神遊びの時間よ! 踊りなさい!!」
二人の神が神言を紡ぐ。
言葉は力となり、二人の周囲に巨大な術式を編んでいく。
神域の威光。
それははるか広大に広がった博麗神社さえも照らし出し、その全てを飲み込まんとする。
「『ミシャグジさま』!!」
「『風神様の神徳』!!」
二人が同時に詠唱を締めくくる。
そして、次の瞬間小町も映姫も己が目を疑った。
博麗神社の境内。そこに無数の御柱が延々と建てられていた。まるで死者の墓のごとく陳列するそれは見るものを圧倒する神の威権だ。
そして、その中を走るのは巨大な白蛇だ。その頭の上には諏訪子が立っている。
「神性を召喚したと言うのですか!? なんという無茶を!!」
「無茶では無い!! 洩矢は自然神を束ねる神!! その願いに応じ、神々もまた力を貸す! 洩矢とミシャグジさまの神威を一身に受け、土着神の御霊を知れ!!」
「そして、大和の神々はそれを一つに纏め上げた。日出国。日本。即ち大和!! 天地一切大和の神徳の届かぬ所は無い!!」
白蛇が柱の隙間を疾走する。その動きは巨体に似つかわしくない俊敏なものだ。
さらにその頭上に仁王立つ諏訪子が無数の弾幕を放つ。ミシャグジさまの力を借りているせいか、その威力は先ほどまでとは比べ物にならない速度と威力だ。
「っ!! 映姫様! あたしに掴まって!」
「はいっ!!」
映姫が小町の手を取る。瞬間、小町の居た位置は白蛇の炎によって焦がされた。
後、一歩距離を空けるのが遅れれば、骨ごと溶かされていただろう。
脂汗が全身から吹き出す。
べっとりと汗に濡れた手で映姫の手をぎゅっと握り返す。
「神奈子! 行ったよ!」
「言われずとも!」
「つぅ!!」
一息つく間もなく、周囲に配置された御柱が光を放つ。
無数の弾幕。遥か遠くに離れたと言うのに、一切の衰えを知らぬ攻撃が降り注ぐ。
再び小町は飛んだ。だが、何所まで逃げても御柱と白蛇から逃れる事は出来ない。
まるで釈迦の掌で踊る悟空だ。
祟りの様に、呪いの様に、じりじりと追い詰められていく。
小町の全身はもはや汗の吹き出していない所は無い。荒く息をつき、体力の限界が近いことは誰の目にも明らかだった。
諏訪子の鉄の輪を避けた所で、遂に小町は膝をついてしまった。
「小町!」
「映姫様! ダメっす!!」
言うが遅い。
もはや止められる者は無く、無慈悲な神々の弾幕は小町と映姫を覆い尽くした。
衝撃。重音。爆発。
土煙が晴れた先には重なるように倒れる映姫と小町の姿があった。
それを確認し、神奈子と諏訪子は能力を解除する。
「流石に……、しんどいわ」
「早苗に力を返して貰ったとはいえね。ミシャグジさま、ありがとうございました」
諏訪子が礼をすると、白蛇は体をうねらせ霞のように消えてしまった。
それを見て、諏訪子も神奈子と同様に地面にへたり込んでしまった。
本人達に問い質しても否定するだろうが、今の戦いは本当にギリギリであった。
厚く信仰されていた昔ならともかく、信仰の少ない今ではミシャグジさまを呼び出したり、広大な敷地を御柱で埋め尽くすなど荒唐無稽もいい所なのだ。
それでもそうせざるを得ない所まで二人は追い詰められていた。
死神と閻魔の強さを改めて認識させられた。
いや、強いのはこの二人だろうか。
だが、倒れこむのも束の間。
博麗神社を目指して天狗達が飛翔してきた。
天狗だけではない。レミリアとフランを振り切った咲夜。レイセンとてゐ。リグルなどこの異変を留め様とする者達が集まりつつあった。
「諏訪子。キツイなら休んどけば?」
「冗談。神奈子こそ、もう限界でしょ?」
「そんなはず無いじゃない。私は本気の半分も出していないわ」
「じゃあ、私は本気の半分の半分も出してないね」
お互いに強がりながら神奈子と諏訪子は立ち上がった。
従者の軍勢にもまったく怯む様子を見せない。
神々は再び戦いに身を委ねた。
その背後で小さく動く者が居たが、今の彼女らには気づくことはできなかった。
◆◆◆
――博麗神社、境内――
「私が言うのもなんだが、正々堂々勝負しろ!」
ようやく見えた博麗神社。
だが、そこから無数の弾幕が魔理沙へ向け放たれて来る。
恐らく玄爺であろうその弾幕の主は容赦なく魔理沙へ弾幕を放ってくる。
一方の魔理沙は霊夢が居る為に弾幕を撃ち返す事ができない。
歯を食いしばりながらその弾幕を避けるしか魔理沙にはできないのだ。
だが、それも限界が近づいていた。
早く向かわなければならないと言う圧力と、進めない苛立ちに魔理沙の精神力は限界まで削られつつあった。
同時に全速力で飛んできた為に相当に体力が消費され、移動速度も落ちつつあった。
「痛ッ!」
肩に弾幕が掠る。だが、むしろ魔理沙は強引に体をねじ込み弾幕をすり抜けていく。
レーザーに足を焼かれ、光弾に腹を打ち据えられてもその速度だけは落とさない。
「行っけえーーーーー!!!」
博麗神社が手の届く距離まで近づいた。
懐かしい神社の賽銭箱が鼻の先にある。
手を伸ばす、永遠とも思える距離をついに魔理沙は
「結界『玄冬の巡り』」
「っ!!?」
冷たい声が響き、無数の白雪が魔理沙の周囲を舞った。瞬間、手品のように氷の世界が広がる。
賽銭箱も鈴も全てが白く凍り付き、魔理沙もその中に埋もれてしまった。
「全く。面倒をかけよったわ」
神社の中から玄爺が姿を現す。
爛々と輝く右目も何所か弱々しく、すでに相当な力を消費した事を示していた。
「だが、ようやくこれで何の憂いも無い幻想郷が完成すると言うもの。全ては反転地に乗っ取り世界は改変された」
杖をつき、玄爺は大きく息を吐いた。
遂に悲願が完遂された。全ての理不尽への反撃。虐げられて来た弱者の復讐は叶った。
「これで、これで良い。全ては一巡し、正しいバランスへと戻る。人々が望んだ幻想郷はここに完成される」
玄爺はへたり込むように床へと座った。何処か遠くを見るその目は穏やかだ。
後は他の者がうまくやるだろう。
それが終れば、今一度幻想郷を立て直そう。そう玄爺は決意した。
「悪りいな。そうはさせねえぜ」
突然背後から声をかけられ、玄爺は振り返った。
そこには衣服をボロボロにし、荒い息を吐きつつも、しっかりと腕を振り上げる魔理沙の姿があった。
「な、に」
「釣りはいらねえ! とっとけ!」
魔理沙は思いっきり玄爺の頬を殴りつけた。
少女の拳に吹き飛ばされ、玄爺は境内へと転がった。
その一撃で気を失ったのか、四肢を痙攣させながらも立ち上がる様子は見せない。
「つぅ! はあああああああっ!!」
最初は拳の痛み。その次は充足感の言葉だった。
おぼつかない足取りだが、魔理沙は遂にここまで来た。
「サンキューな。紫」
最後の攻撃が魔理沙へと当たる寸前、スキマが開かれた。
その中に転がり込んでいなければ、魔理沙はあそこで終っていただろう。
どこにいるかも知れぬスキマ妖怪の代わりに月に向かって礼を言い、魔理沙は神社へと入っていった。
幾つかのふすまを開ける。霊夢は以外に早く見つかった。
神社の本殿。数少ない博麗神社の神社らしい部分に霊夢は静かに正座していた。
恐らくは玄爺の命令が無ければ何も出来ないのだろう。虚ろな目で床の木目を見続けている。
「霊夢。白馬の王子様の登場だぜ」
魔理沙の軽口にも霊夢は無反応だ。
本当に息をしているのか疑いたくなるほど今の霊夢には人間らしさが無かった。
「私は有言実行の女。……不可抗力だよな」
少しだらしなく顔を緩め、魔理沙は霊夢へと襲い掛かった。
巫女服を剥き、リボンを解き、さらしをずらし、ドロワーズを脱がす。
はたしてそこまでする必要があるかは不明だが、魔理沙はそこまで徹底して行った。
霊夢のマウントポジションを取り、魔理沙はその全身をまさぐる……ほどの事はせずとも、胸元にはまった赤い玉を見つけ出した。
「これか。全ての元凶は」
その玉は点滅を繰り返し、まるで脈動しているようだった。大きさは鶏の卵よりもやや大きいくらいで片手でも簡単に掴めるだろう。
魔理沙が手を伸ばすと、まるでゼリーの中に手を突っ込むように霊夢の中に右手が沈んでいった。
感嘆しつつも魔理沙はそれを握った。思ったほど硬くは無い。霊夢と同化しているためだろか、グミのような弾力が返ってくる。
そして、魔理沙が思い切り引き抜こうとした時、
「させないっすよ」
魔理沙の首に鎌が当てられた。
それを感じ、魔理沙も身動きを止める。
「最後の最後でお前か」
「意外っすか?」
「まあな」
鎌の持ち主は勿論、〈死神〉小野塚小町だ。
全身から血が流れ、体がゆらゆらと揺れている。
だが、それでも鎌を持つ手には些かの震えも無い。
「あんまり興味無さそうだったからな」
「最初はそうでしたね。でも、色々欲が出てしまったっす」
「そいつはご愁傷様だな」
「手を離せ」
強い口調。警告ではなく命令。そして宣告。
小町の意志は冷たい鎌の刃越しにも魔理沙に伝わってくる。
「なんでだ?」
「届いた想いがあるっす」
「こんな世界でも?」
「こんな世界だからこそ」
小町は自分の腹を擦った。
最後の最後、神の攻撃から自分を守ってくれた映姫の願いは、きっと――。
歪んだ世界にも秩序は生まれるらしい。
「ままならないものだな」
「お互い様っすね」
「助けたい人がいる」
「留まりたい想いがある」
「約束がある」
「願いがある」
「誰かが困る」
「誰かが救われる」
魔理沙と小町の問答。それは映し鏡。
世界は鏡のような物。上と下が入れ替わってもさほど差は無いのかもしれない。
上下左右、反転地。こと世界はかくも無し。
「じゃあ、こうするしかねえわな」
「そうっすね」
一拍分の間。
魔理沙は右手を引き、小町は鎌を振るった。
くるくる回る風車。
反転、反転、反転地。
世界は巡り、事も無し。
相似の世界は幕を閉じる。
◆◆◆
反転地が収まり、幻想郷は少なくとも上辺は元へと戻った。
しかし、失った物は多かった。
玄爺は魔理沙が目を覚ました時にはすでに姿が無かった。霊夢はただ「妖怪は人間に退治されるもの」と答えた。
八雲紫は博麗神社で発見された。その後、「少しやる事がある」と言ってスキマへと消えていった。
紅魔館では咲夜が失踪した。小悪魔は反転地が終ると同時に自害した。パチュリーは魔法具の影響で心を閉ざした。妖精達もレミリアが追い払った為、紅魔館は静寂に包まれるようになった。その中で美鈴の明るさはレミリアとフランを大いに助けた。
白玉楼は再び幽々子の手に戻った。幽々子はひたすら食べた。それこそ白玉楼の全ての食料を食べ尽くした。妖夢の事を幽々子は許した。だが、さらにいじられ方が酷くなったと言う。
永遠亭は阿鼻叫喚に包まれたと言う。輝夜と永琳による粛清は厳しく、レイセンもてゐもその姿を消した。彼女らがどうなっているかは判らない。
妖怪の山は混乱に陥った。特に天狗達の中では再びヒエラルキーが戻った事により、恨みつらみを晴らすリンチが横行した。山の神がそこに介入する事で何とか収集をつけたが、今だ影ではリンチやいびりが続いていると言う。
彼岸では閻魔が入れ替わった。四季映姫・ヤマザナドゥはとある死神と共に失踪した。その為、幻想郷には新しい閻魔が派遣された。
傷跡はしばらく直りそうに無い。
どれくらいで元に戻るかなど誰にも検討が付かない。もしかしたら、もうかつての幻想郷に戻る事は無いのかもしれない。
逆に、案外簡単に戻ってしまうのかもしれない。
あの数日の日々も風化してしまうのかもしれない。
――守矢神社――
「ん〜。苺大福って美味しいね」
「暇なら手伝いなさいよ」
燃え落ちた守矢神社は大分その姿を取り戻しつつあった。
中の家具や小物はともかく、外見は元の神社に戻っていた。
箒で葉を掃きつつ、神奈子は縁側で大福を伸ばす諏訪子に言った。
「私の仕事は終ったもん。ちゃんと洗濯して干して来たよ」
「今日はもう少し気合入れて掃除しなきゃダメでしょう。信仰に関わるわ」
「いいじゃん。天狗とかから大分信仰は集まったし。今日はパーッといこうよ」
「あんたの肴。カエルの干物にするわよ」
「あーうー。それは嫌かな」
神奈子に脅され、しぶしぶと諏訪子は立ち上がった。
ふぅ、と神奈子はため息をつく。
守矢の神社からは幻想郷が一望できる。
緑の木々と青い空。ポツポツと見える里の家屋。
「精が出るわね。差し入れを持ってきてあげたわ。感謝しなさい」
「えへへ、このクッキー私が作ったんだよ。すごいでしょ!」
石段を登って日傘を差したレミリアとフランが現われる。フランの手には透明な袋に入れられたクッキーがある。
そして、それから大分遅れて美鈴が姿を現した。
「お、お嬢様。流石に辛いですよ〜」
「何言ってるの。そのくらい当然よ。メイド長代理」
いつものチャイナ服を着た美鈴は巨大な風呂敷を背負っている。
美鈴が息を荒げながら広げると、そこには優雅なテーブルやティーカップが入っている。
「わざわざここでティータイム?」
「そ。風流でしょ?」
「変な吸血鬼と言っておくわ」
せっせと美鈴はテーブルを組み立てる。日傘立ても完備したそれにティーカップやスプーンを並べていく。そして、綺麗な白磁の皿にクッキーを並べていく。
その様子を見ながら神奈子は小さく聞いた。
「あの魔法使いは?」
「相変わらずよ。ぼんやりと空ばかり見てるわ。心の傷は体のように簡単には治らないみたいね」
「簡単に治るのは貴方達ぐらいだけでしょうけどね」
「本当に色々変わってしまったわ。この私が包丁なんて持つ日が来るなんて」
ふうと息を吐き、レミリアはテーブルへと腰を落とした。魔法瓶から紅茶が注がれ、カップを満たす。
「そっちはどうするの? 新しい巫女でも募集するの?」
「しばらくはいいかな」
「外回りは神奈子の得意分野だしね」
「それよりも家事が大変だわ。結構難しいのね」
「お互い大変みたいね」
神奈子とレミリアは苦笑した。
フランがクッキーを口に放り込んだ。サクサクと軽い音がして砕かれる。今回は比較的うまくいったようだ。
「いよ。珍しいお客さんだな」
次の来客は妹紅と慧音だった。
妹紅は片手に大きな重箱を持っている。
「あー。いい感じに建て直したな」
「誰かさんのお陰でね」
「弁当やるから許せ」
「それは私が作った弁当だ」
「なんだよ慧音。オレにくれるんだろ? なら、誰にあげてもいいじゃねーか」
「私は妹紅に食べてもらう為にその弁当を作ったのだ。それ以外の用途は認めない」
「そうかい。んじゃ、身体で払うか」
「いいわよ。信仰の為に馬車の馬の様に働かせるわ」
「げ」
「とりあえず雑巾掛けでもして貰おうかしら」
しぶしぶと、妹紅は重箱を下ろし、腕まくりをして神社の中へと入っていった。
バケツと雑巾で境内を走る姿は中々様になっていた。
「人里はまだ騒ぎが続いているの?」
「いや。その辺は人間の方が順応性は高いようだ。今では以前の通りだ。まあ、表面上はな」
「そう」
「私を見て前かがみになる奴はまだいるがな。そういう奴は教育的指導を行っている」
こつこつと慧音は自分の頭を突いてみせる。
そして、顔に不敵な笑みを浮かべるのだった。
諏訪子はそれを受けて、笑みを返した。
「《覆水盆にかえらず》。一度起こってしまった事象の影響は、どうあっても受けてしまうわ。この幻想郷でもね」
神奈子と慧音の間にスキマが生まれ、その中から紫が現われた。二匹の式の姿は見えない。
「美味しそうね。一つ頂戴」
「料金前払いよ」
「出世払いにしといて」
そう言って紫はレミリアのクッキーに手を伸ばした。
一口で食べ切り、満足げな笑みを浮かべる。
「今回の事は色々と学ぶべき事が多かったわ。私もまだまだね」
「ふうん。あんたがそう言うなんて珍しいじゃない」
「率直な感想よ。貴方もそうでしょ?」
「さて何のことかしら?」
ウインクをしてレミリアはとぼけた。
それを見て紫も顔を引く。
静かに時は流れていく。
何もかも元には戻らないけど、時の流れだけは平等だ。
そんな時、石段を踏む音が聞こえて来る。
足音は三人分。
それが誰なのか、皆にはもう判っていた。
「お、集まってるな。んじゃ、新入りの紹介だ!」
「お酒はほどほどにね。でもまあ、今日くらいはいいかしら」
「ちょ、ちょっと待ってよ! そんなに引っ張ったら手がもげちゃう! くっついたばかりなんだから!」
日本酒を抱えた巫女は境内に座り、栓を次々抜いていく。
その後も守矢神社は千客万来だった。
人間も妖怪も神も神社へと集まった。
神奈子と諏訪子の音頭で、守矢神社の落成式は盛大に始まった。
その宴は大いに盛り上がった。
ひと時とは言え、悔いも憂いも忘れ騒ぎまくる住人達。
幻想郷が戻って来た、と魔理沙は思った。
終
色々あったこのシリーズも終わりを迎えました。
改めて見ると最終話(後編に至ってはエロすらない)は産廃向けじゃないなーと思いつつ、見てくださる住人の方々が好きです。
この作品を通して色々勉強させて頂きました。
最後はこういう形で終った訳ですが、とある作家さんが言っていた「誰が幸せなら“ハッピーエンド”?」という言葉が脳裏をかすむ訳で。
短編をもっと書いて欲しいとも言われましたが、自分なりの区切りが欲しいので一旦ここで下克上は終了です。
読者の皆様に感謝!!
ウナル
http://blackmanta200.x.fc2.com/
作品情報
作品集:
3
投稿日時:
2009/09/08 13:07:26
更新日時:
2009/09/08 22:07:26
分類
長編
東方下克上
失った物が大きすぎる・・・
産廃っぽくないなんて存在しない。ここに投下された時、その作品は産廃の一部になるのだから。
ウナルさんが、すげー一生懸命SS書いている姿が
目に浮かんでくるような作品だ。
次は式達やうどんげ達へのおしおき編ですね
もう一周してこよう
それにしても天子と衣玖さんは結局どうなったのか…
あと、くっついたのは良かった。
あのままもげてたらすごい不便だったからね。
早苗と萃香が失ったものですかね…
正に幻想郷という世界を救った勇者だったな。本当に乙。
そして早苗さんの魂の安寧を。
(ところで三月精やチルノ、ルーミアらには下克上の影響はあったんだろうか?
リグルは幽香に粉々にされてそうな気がするが。レティは夏眠中で影響なし?)
「悲劇を乗り越えて(失われた物はあろうとも)成り立った幸せ」ってのが、非常に自分好みな展開です
失踪したメンバーや描かれなかったメンバーが気になるのは同意……特に四季様&小町
作者さんの許可が出たなら、補完作品や後日談を勝手に書いちゃうのもアリかも……紅楼夢の原稿が目の前にあるけど
衣玖さんと天子は爪に血のマニキュアが残っただけでイチャイチャしてるんじゃないかなと勝手に妄想
素直になった天子ちゃんと、天子の爪を目にする度に本の少しの罪悪感を感じ、「今度はしっかりお姉さんをしよう」と誓う衣玖さん
やっぱいくてんは良いな
最後のアリスの空気具合に吹いたw
ケース1の頃から読ませていただいてましたが、これで最終話となると感慨深いですね。
魔理沙がかっこいいなぁ…というか、全体的にキャラがかっこいいのが印象的でした(特に最終話)
犠牲者達の安らぎと、幻想郷の平和と、ウナルさんの次回作を祈って、合掌。
最後の早苗さんのがんばりに涙が出る。それにしても、萃香…死んじゃった者は生き返らんのか…。
けーねが無かった事にするのかなとも思ってたが、そこまでハッピーエンドは都合よすぎるか。
全作品読ませていただきましたが、最終話がとくに傑作でした。
これでこのシリーズも最期となると寂しいです。
それにしても魔理沙かっこよすぎる。
合掌
かなすわコンビの活躍に胸躍りました。
早苗さんの冥福を祈ります。
永遠亭に吹き荒れた粛清の嵐を描写すれば産廃らしくなりますね
他の奴ら
橙は死亡だとしても藍はどうなったんだろうな
紫が「少しやる事がある」と言っていたのは
藍の式再構成(再プログラミング)を徹底的にやる事じゃないかな?
うどんげとてゐは…やらかした事が凄まじ過ぎるので
蓬莱の薬を無理やり飲ませて強制不死化→
輝姫がされた事を3倍返し、くらいはされても文句は言えないでしょう。
ヒラのイナバは皆殺しでいなくなるかも。
レミリアが探し出すサイドストーリーを幻視した。
ラストで美鈴の事、レミリアは「メイド長代理」と呼んでいて
「新メイド長」とは呼んでいないんだよな。
>>1 どうしても何も失わないのはご都合主義な気がしてしまいました。
>>2 うす! これからも書きたいものを書いていくっす!
>>3 最終話は色々頭を悩ませましたw
>>4 お仕置き編は今のところ予定に無いです。申し訳ない。
>>5 ここまでやってしまいましたしね。
>>6 そう言ってもらえると書いた甲斐がありました。
>>7 そこら辺、わざと曖昧にしています。てへ
>>8 天子にかかった狂気が抜けたときどうなるのか……。記憶が戻るのか、そのままなのか。
>>9 せっかく魔理沙達が頑張ったのでw
>>10 ハッピーではない。バッドでもない。
>>11 お陰で男前になり過ぎた気がします。フリーの妖怪は下克上の影響を受けづらいと考えていました。
玄爺(発言は霊夢)がアリスや萃香を危険視していた理由ですね。
>>12 補完作品や後日談を書くことは一向に構いません。むしろ、超嬉しいですw
>>13 ラストで登場させようかと思ったのですが、なんかテンポが悪くなりそうで削りましたw
宴会にはちゃんといますよ?w
>>14 紅魚群さんからコメントが!? とても嬉しいです! 次回も頑張ります!
>>15 実は幻想郷にはいくつもの裏技がありキャラクターを殺させてくれません。
早苗や萃香も亡霊になるという手段もあります。でも、それじゃあこの物語には合わないでしょう?
>>16 何か合掌されると自分が死んだみたいな気になりますw
>>17 神奈子諏訪子は好きなキャラなので活躍させてしまいましたw
>>18 永遠亭を描写し過ぎると、ドロドロなエンディングになりそうでしたので……。
その辺は皆さんの脳内補完していただきたいです。
>>19 さて、どうでしょう?
>>20 あ、気づかれたw そのサイドストーリー是非書いていただきたい!
にしても失踪した奴などのおまけ話がみたいなぁ。
カッコいいヤツらや失われたもののあるエンドが好きだ