Deprecated: Function get_magic_quotes_gpc() is deprecated in /home/thewaterducts/www/php/waterducts/neet/req/util.php on line 270
『食』 作者: タダヨシ
空に漂う太陽が昼過ぎに身を置く。
剣の修行を終わらせた私は庭の手入れをしている。
今、自分の手に刀は存在せず、代わりに錆の香がよろめく鋏が握られていた。
逞しい植物の体は毎日大きくなる。それはとても素晴らしい事だ。
感動しても良い程に。
しかし、私は庭師なので日々の仕事としてその感動を無感動な刃で挟み込み、切る。
一瞬、切り離された植物の体は宙を舞う。
ぽとり。
砂利に悲しげな枝と緑を秘める葉が横たわる。
悲劇的な場面。しかし、周りにはその惨劇が安売り市の様にいくつも散らばっていた。
「さて」
もう庭を乱す植物の芽吹きは全て刈り取った。私は地面に倒れているしなやかな枝と輝く葉を見つめ、竹箒を手に取った。
まだ命が宿っている緑を息吹の萎えた灰色の竹が一箇所に掻き集める。
この生きた植物と死んだ植物の挨拶は、身体に心地良い疲労をもたらすまで続いた。
「ふぅ……」
私は掻き集めた緑を塵として処分すると、顔に主張してきた塩辛い水滴を拭った。
しかし、まだ終わりではない。
さっきの竹箒とは別の竹を手に取る。
落ちた枝や葉を取り除くと、必ず砂利が荒れる。
激しい石粒のざわめきを大人しくしなければ。
私は手に持った熊手を動かし、喧嘩をしている地面を撫でた。
優しすぎず、強すぎず、でも、しっかり触れる。
竹の柄とは違う木の爪が石粒達の喧嘩を枯れさせ、仲良くしていく。それに合わせ、地面は恥ずかしそうに平らになっていく。
暫くすると、自分の目に入る砂利は全て行儀良くしていた。
「よし、終わり」
私は庭の手入れに使った道具を縁側の下に片付けると、空に浮かぶ銀色の陽に視線を滑らせる。
もう昼は走ってしまった。だが、夕食を作るのには早過ぎる。
なら、今の私がする事は……
休憩くらいだろう。
いざという時に疲れていては、何か急用があった時や怪しい者を見かけた時に対応できない。
だが、頭の中ではそう思っていても、体は全く休みの姿勢を取ろうとはしなかった。
体が熱気のある霧になって、まだやるべき事があるという風に警告している。
最近ずっとこの調子だ。しかし、何も心当たりは無かった。
「どうしたのかな、私……」
大した意味も無く、声を庭に広めた。当然、その音に対する答えは無かった。
代わりに庭の木々や砂利はいつも通りの姿を私に見せつけた。
いつも通りというのは人間でも、妖怪でも、はたまた自分の様な半人半霊でも安心する要素である。
けれども、近頃の私にはその事が堪え切れない程に苛立たしい。
まるで、何か重要な部分が欠けた芸術品を見ている感覚だった。
だめだ、落ち着かない。
私は痺れにも似た焦りを抱え、庭から目を離す。
どこか、別の所へ行こう。
意味も無く、ただそこらを見て回ろう。
広い白玉楼に自分の踵は寂しく響いた。
私は世界の一部の様な屋敷をただひたすら歩いた。体が疲れに掴まれて止まるまで。
密かに光沢を侍らせる瓦屋根、雲をそのまま貼り付けた障子、畳から溢れる稲藁の香が挨拶をする部屋、そしていつも通りの……
白玉楼の主である幽々子さま。いつでも同じ気質と柔らかさで私を包み込んでくれる。
これらの存在はどれも心の波を治めるには十分な効力があり、すぐに私の焦げ付きを鎮めてくれるはずだった。
しかし、どうした事だろう。
「落ち着かない……」
私の体は未だに不満めいたわがままを吐き出していた。
一体、何が足りないのだろう?
自分の前髪を掌で退かし、困った様に視線を遊ばせた。
木目が流れるまな板、鏡を思わせる包丁、つるつるした皿。
ここはお勝手だ。いつも幽々子さまや自分の食事をお手伝いの幽霊と協力しながら作っている。今、この場所にその幽霊はいない。夕方になったらその姿を見られるだろうが。
まだ夕食には時間があり過ぎる。どう考えても、今この場所に用は無い。
しかし、私の足はお勝手の深くに進んでいた。気付けば食料を納めてある木箱の蓋を取り去っている。
自分の眼は箱の中を触る様に見回した。野菜や肉の間にふよりと白い餅じみた塊が見える。私はその降ったばかりの雪みたいな珠を撫でて、感謝の言葉を送った。
「ふふ、いつもありがとう」
その声を受けた幽霊は恥ずかしそうに半透明の体を揺らした。
これは痛みやすい食材を冷やして、長持ちさせる幽霊だ。
一般的な幻想郷の住民は食料を手に入れた場合、すぐに食べてしまうか、保存用に加工してしまう事が殆どである。よって、食材の鮮度を維持する事に執着する者は殆どいない。
しかし、白玉楼の主である幽々子さまは食材に対する深遠なこだわりを持っているので
『妖夢、食材の鮮度を保てない者は、西行寺家も守れないのよ』
等と自分の理解と忠誠を超越した理論を構築し、食料保存用の幽霊を雇っている。
私はそんな事を想い起こしながら、特定の食材を探し、手に取っていた。
頭は何も考えていなくて、体が勝手に踊っていく。
私は、何をしている?
そんな疑問を自分に向けたが、体はその答えを返さなかった。
暫くして、私の前には濯がれたまな板と包丁、そして先程木箱から取り出した食料があった。
これから、料理を作ろうとしている?
私はこの妙な動きを止めようとした。しかし、手の動きは思考とは反対に意欲的に料理を作り始めていた。
なんで……
私は意味の分からない行動に迷いを感じたが、不思議と悪い気分はしなかった。
だから、私は自分の考えと関係無しの調理劇を鑑賞する事にした。
包丁の手が入った牛肉、水に浸かった『男爵』という芋、くし形になったまるいねぎ、熱い湯で無駄を濯いだ白く細い蒟蒻、食べる者の舌に華を添える調味の水。
私が目にした調理劇の序盤は、材料に対する迅速な下準備だった。
次に、鍋の平らな下腹に無難な火が舞う。さらにその器に黄色がかった油を注ぎ、『男爵』とまるいねぎを優しく、無情に放り込む。火と食材が絡み合うと、空気に乗って味の絡んだ香りが歩き回り、私の鼻に悪戯をする。
あぁ、おいしそう。
そう思いながら鍋へと頭を向ける。中には光る『男爵』と透き通ったまるいねぎがあった。
なんて、きれいなのだろう。
できればずっとその様子を眺めていたかった。しかし、自分の非情な手は意思に反して、その輝く庭に捌かれた肉を入場させた。
牛肉が持つ赤と白の斑点が、二つの野菜の放つ魅力を埋没させていく。その劇的な移り変りは暴力的で、儚さが溢れるものだった。私はそれに揺らぐことの無い、押さえ付けられる印象を感じた。
でも、それすらも一時の煌めきにしか過ぎなかった。
鍋底に貼り付く破壊的な熱が暴れだす。
狡猾な火にそそのかされた牛肉は見る間に赤と白の斑を落とし、やる気の無い茶色へと転職してしまった。
その様子を眺めていた私は滑稽な悲しみを覚えた。それでも、自分の手は何事も無かったみたいに、その悲しみが詰まる器に調味の水と細い蒟蒻を入れた。
少し黄色の通った調理の水は鍋の中を一瞬にして占拠し、今まで火に踊らされた具達を包み込む。糸状の蒟蒻はその凱旋を称えるかの様に、その身をくねってお辞儀を繰り返していた。
私は暫くその水中で繰り広げられる調理劇を鑑賞していた。まるで、鍋の中にもう一つの世界があるみたいだった。だが、その素晴らしい劇を邪魔する訪問者が現れる。
その失礼な訪問者は水に浮いており、灰色の泡めいた衣を羽織っていた。それは私が調理劇を見るのを邪魔するかの様に、ゆるりふらりとよろめいていた。
何と失礼な方だ。
私はその不快な灰色を網じゃくしで掬った。そのままにしておくと調理劇の邪魔になるどころか、完成した料理に不快感を残すから。
不快な灰汁を取り去ると、自分の腕はある調味料を求め始めた。ほんの少しの間、体はその目的を探す為にうろたえていた。やがて、目的の液体が入った瓶を手に取ると、自分の手はそれを鍋へと垂らした。
一瞬、細くて丈夫そうな黒縄が宙に舞った。それからその黒くて塩気のある液体は熱い鍋に拡がって、中の野菜を始めとする食材達に程よい影を落とした。
私はその沸騰しながらも素敵な演劇を見せる器を見つめていた。
あぁ、きれいだ。
もっと、もっと見ていたい。
でも……
分かっていた。このまま見つめているだけでは料理が完成しないという事を。
そうだ、終幕の合図が必要なんだ。
私はもう無意識の動きではなく、自分の意識に動かされた体で調理器具を手に取った。
それは、木の蓋だ。でも、鍋に乗せる蓋ではない。
では、何処に乗せるかといえば……
私は木の蓋を鍋の中身に乗せた。
終劇の合図――落としぶたは見事に熱されている具材達を覆い隠した。
さて、これでもう調理劇はおしまい。
一部の情緒深い時間、私は熱の働きを見た。そして最後に鍋の下腹を温めていた燃える労働者を吹き消した。
ありがとう。そしてご苦労様。
私は調理に協力した火力に礼を言うと、落としぶたを外し、完成した料理を見た。
「そんな、この料理は」
頭の中にある出来事が立ち上がる。
覚えていても、忘れていても、どちらでも良いちっぽけな記憶。
その日の夕食を家事手伝いの幽霊達と作っている時、私の胸は期待に満ちていた。何故なら、新しい料理の作り方を会得したからだ。
幽々子さまは食べる事が大好きだ。
私は笑顔で食事をする幽々子さまが大好きだ。
もし、新しい料理を作ったのであれば、きっと良い笑みをこちらに向けてくれるに違いない。
そう思った私は卓に料理を並べ終わると、胸に確信のある甘みを抱いて、幽々子さまと一緒に夕食の挨拶をした。
「「いただきます!」」
その声が響くと、幽々子さまは箸を指の如く操った。よく動く口は瞼を思わせ、私と幽霊達が作った料理を収めていく。その間、私は自分が作った新しい料理に箸が付けられるのを待っていた。
いつも通りの笑顔で食事をする主の姿も好きだ。しかし、新しい食事に出会って喜ぶ幽々子さまの顔も見てみたかった。
私が食事をしながら主の様子をちろちろと見ていると、ついに自分の作った新しい料理に
幽々子さまの箸が触れる。
朗らかに無駄の無い動きで料理が掴まれて、口の中に落ちた。
いったい、どんな声を漏らすのだろう。
そう思いつつも、私の頭には主の笑顔と喜びの音しか存在しなかった。
しかし、現実は違った。いや、違うどころではなかった。
幽々子さまは笑顔とは反対の表情をして、喜びとは交わらない場所の言葉を出した。
「ごめんなさい、妖夢。これ、私の口に合わないみたいなの」
えっ、なんて?
幽々子さま?
わたしの作ったあたらしい料理の味は?
一瞬、座っていた場所が軟化して、自分の足を沈み込ませているのかと思った。だが、私の足元はいつも通り硬い畳の姿を取っている。
自分が傾いていた。
酔った頭を叩き付けるみたいに現実の声がする。
「この皿、下げてくれない?」
私はその声を耳に入れると反射的に答えた。
「はっ、はいっ! 幽々子さま」
ぎりぎりと軋む胸と頭を抱えながら、主がいらないと言った皿を持つ。立ち上がると、お勝手裏のごみ捨て場に皿の中身を放った。
普段は本当の生ごみしか入らない場所に、きちんとした料理が入っている。
私が幽々子さまの為に作った新しい料理。
もう、これはただのごみだ。
こんなにも、良いにおいがするのに。
とても、すてきな色なのに。
正直に言うと、自分の中は涙色で一杯だった。でも、それは目から滴を落とす程の効力は無かった。その為、心が効率的になるのも早かった。
いけない、自分の食事が冷めてしまう。
そう感じた私はすぐに幽々子さまの元へと戻ろうとした。
だが、体に妙な響きがするのを感じ、足が止まる。
これは、なんだろう?
先程味わった悲しみとよく似ていた。でも、それとはまた別の味がする。
この感覚は?
私はその痺れに問うた。しかし、返答する者はいなかった。
あの日の夕食。新しく作った料理。
私の前には主が嫌った料理が存在していた。
こんなものを作ってどうしろというのか?
そう思考は呟いた。でも、それは紙に書いた落書きの様に薄く、雑だった。
私の手は鍋を持っていた。理由は分からない。
そのまま、お勝手を歩き、離れていく。
目的地は知らない。
ただ、自分の心がこうする事を求めていた。
もう幾つの部屋を見ただろう。脚は重石めいた疲労を引きずりながら、まだ白玉楼の中を歩いていた。その到着点は誰も知らない。
でも、私は何かを探して体を進め続けていた。
一体、いつになったら終わるのか?
私はうっすらと心を陰らせた。だが、見覚えのある部屋を何周かした後、自分はついにその動きを終えた。
今日の昼過ぎに手入れをした庭。
そこには縁側に座り、砂利や植物に優しい視線を注ぐ幽々子さまの姿があった。私は主の柔らかい背中を部屋から覗く様にして立っている。
幽々子さまは浮いている雲を思わせる動きで私の整えた庭を見つめていた。本来、この状態は庭師にとってはとても誇らしい事なのだろう。しかし、今の私にとってはその誇らしさが刈り取るべき植物に思えた。
主の背中に自分の体が大胆かつゆっくりと近づく。しかし、それでも当の本人は気付いていない。私は幽々子さまのすぐ後ろに立つと、何もする訳でもなく体を固めて思った。
きっと、これは何かが起こる予兆なのだ。
私と主に関わる事柄の。
幽々子さまが気付かないうちに早くどこかへ去った方がいい。
自分の頭は有益な演説を発したが、眼はそのまま主の背へと注がれていた。
そうするうちに視線の中のふわりとした帽子は、こちらに赤い渦巻きを見せた。
「あら、妖……」
どたりっ。
私の体が暴れ、幽々子さまは縁側に空を見つめるかたちで倒れていた。
「えっ、妖夢? 何を」
何が起こっているのか分からない自分の主。私も何がなんだか分からない。
倒れている幽々様とその上に身を置いた私。
頭は瞬間的に起きた異常に戸惑う。だが、それもほんの儚い火に過ぎず、自分の心と体は求めているものへと活動を歩んだ。
左の掌が幽々子様の口を撫で、右の掌は鍋の中身に触れる。
それから、口は一方的で虚ろな合図を放つ。
「幽々子さま、お食事の時間ですよ」
これが正常な忠誠の最後の叫びだった。
左指は仕えるべき主のか弱い唇をこじ開ける。そして、右の指は主が嫌いな食べ物を貪欲に掴む。
「ほら、温かいうちに」
右手に囚われた料理が二つの赤い花弁に触れた。
「いただいてください」
私は手に持っている調理物を全て幽々子さまの口に滑り込ませた。
主は一瞬、口の中に入った物が何か分からず、疑問に満ちた眼でこちらを見つめた。しかし、その料理が何なのか味を通して知ったらしく、急に喉を鳴らした。
「けほっ! こほっ、こほ」
口の端は乱暴な音楽を奏でていた。とても耳に触りが良い。
こんなに良い音はどんな楽器でも出す事ができないだろう。
私はもう少しこの華麗な空気の振動を耳に、目に、体の全てに留めたかった。
でも、だめだ。
このままでは、だめだ。
「いけません、幽々子さま。行儀が……」
今まで口を開かせていた指は一旦、その身を幽々子さまから離れた。
「良くないですよ」
両手は薄い赤に縁取られた穴を塞ぐ。
そうすると、出口の無い楽器の音がした。
気だるげな水滴が付いた幽々子さまの体がふくらんだり、縮んだりする。
ふと、幽々子さまの顔に目を向けるといつもの笑顔が曇っている事が分かった。
あぁ、かわいそうに。
自分が、変わってあげたいくらいだ。
でも……
「早く、飲み込んでください」
私は主に冷たい声を提出した。
ごめんなさい、幽々子さま。
だけど、これは幽々子さまの為なのです。
私の中には依然として主に対する忠誠と愛はある。しかし、今ではその二つがねじり合わせた糸の様に混ざり合い、異様なものへと変わっていた。
幽々子さまの口が私の声を受けて動き始めた。崩れてしまいそうな唇越しにその躊躇いがちな料理の運搬が分かる。
掌を通して主が料理を飲み込んでいる事を確認すると、私の体は歓喜の凱歌を奏でる。
自分の内側が熱っぽい粘りに染まっていく。
その白熱する粘着は私の手を、腕を、胸を、脚、そして朧げに残っていた理性めいたものを飲み込んでいった。
目の前には幽々子さまがいる。もう口の中に入れた料理は全て飲み込んだ。
私は赤紫色の髪が目立つ顔の口を開く。その中には白い道具と味を感じ取るための桜色の葉が見えた。
幽々子さまは顔に焦げた苦しみを抱えてこちらを見ていた。そして、喉が音を出すために震えた。
「妖夢、あなたは……」
でも、今の私にそんな事は関係なかった。いや、気にする事さえできなくなっていた。
「えっ? ちょっと、やっ!」
白玉楼の主は驚きの意思を燃え上がらせた。
私が幽々子さまの口に顔を近づけて匂いを吸い込んだから。
「すぅ……」
唇の前で息を取り込んだが、薄い。薄すぎる。
まだ足りない。
もっと、もっと欲しい。
嗅覚の源を幽々子さまの赤い巣に入れる。
そして、私は幽々子さまの口の中で気体を取り込もうと、胸の空気を吐き出した。
「い、やぁ……あ、ぁ」
幽々子さまの声がする。その声は泣きそうな稚児を思わせた。
理性を持っている者ならば、罪悪の念に蹴り飛ばされるだろう。
しかし、今の私にはこの声が暴力的な蜜に感じられ、肺に取り込む気体を無駄に多くさせた。
すぅ。
私の中に幽々子さまの香りが拡がった。
いつも話している時にも漂う上品で、大らかで、優しい香り。
蝶を惑わせ、いつまでも捕らえる危険で魅力的な空気。
これだけでも頭がくらりとする。
しかし、幽々子さまの口に含まれていた甘い刺激はこれだけではなかった。
私の、作った、料理の匂い。
私が、手を、視線を、想いを、ふれたもの。
ほんとうは、あるはずの、ないにおい。
その揺るがし難い事実に、私は暴力的な情動を覚えた。
体の全てが有毒な、しかし魅力的な生物へと変わっていく。
私は幽々子さまから顔を離し、まだ残りの食べ物が入っている鍋を掴んだ。そして、主に自分の一方的で自己中心的な忠誠を口にした。
「幽々子さま、まだありますよ」
その声を聞いた幽々子さまは体を叱られた子供の様に縮ませた。
「幽々子さま、とてもおいしいでしょう?」
その音を耳にしたゆゆこさまはふるえている。
「ゆゆこさま……」
のこさず、ぜんぶたべてください。
私は半ば起き上がったゆゆこさまをまた押し倒した。
口が閉じられる前に右手を赤い実の唇に滑り込ませ、料理を拒否するのを防いだ。そして、左の手で鍋を持ち、その中身を主の口に向かって傾けた。
私の作った料理が口に入る瞬間、ゆゆこさまの顔が見えた。
顔は何故か歪んでいるけど、いつも通りだ。
でも、その目には日常とは別の暗さと泪があった。
私はゆゆこさまの目を見た途端、自分の体を流れる液体全てが心地良い棘になっていく感覚がした。そして、今まで自分が何を求めていたのかを悟った。
ああ、そうか。
わたしの求めていたものはこれだったのか。
わたしはゆゆこさまに忠誠を誓ってもいるし、愛してもいる。
だから、ゆゆこさまの全部を感じて、見てみたかったんだ。
嫌がっているところも、泪をためているところも。
私がそう思うと、鍋の中の料理が転がった。
輝く野菜が、渋い色の肉が、透き通った蒟蒻が、黒みを纏った煮汁がゆゆこさまの口に流れ込んでいく。
ひとつひとつの具を口に入れる度、その顔は曇る。
私はその事をたまらなく刺激的で心地よく思った。
さぁ、ゆゆこさま。もっと顔を曇らせて。
もっと、私に泪をみせてください。
あの日の夕食の時みたいに。
笑顔とは反対の位置の顔を。
私の心と体はとろりとした何かに乗っ取られてしまった。
もう、じぶんが融けてしまいそうだ。
私の視界は白熱する。
あぁ、ゆゆこさま……
わたしの仕えるべき主。
わたしの最もたいせつなひと。
私には、もう幽々子さましか見えない。
急激に燃え上がる炎は、燃え尽きた後、永遠にも等しい後悔を残す。
私は幽々子さまに料理を無理矢理食べさせた後、何をする訳でもなくただその場に置物の如く存在していた。
主を押し倒した姿勢のまま。
私の心は劇的に炎上していた。
正気でなかったとしても、自分が仕えるべき主を押し倒し、嫌いな料理を口にかき込んだ。
これはどう考えても忠誠ではない。むしろ反逆だ。
私はどう責任を取ったら良いのかやら、この後はどうしたら良いのやら、先程行った行為への自責やらで、頭の中はぎちぎちとしていた。
自分が乗っている主に目を向けたが、その視線はここから近いようでどこか遠いところを見つめていた。
ああ、どうしよう。
私がこの生きていて初めて衝突した問題についての鍵を探していると、細い声が耳に刺さった。
「もう、妖夢のばか……」
その声を聞いた私は反射的に幽々子さまから自分の無礼な身を離し、正座をする。
そして、縁側の木目に両手をつけ、頭を落下物の如く下げる。
そう、これは……
「すいませんでした!」
人に謝る動作の最上級。
ちなみに私が謝罪に使うのはこれが初めてだ。使ったとしてもお願い。
一瞬か、それとも白玉楼の植物が全て枯れ果てる時間、私は縁側の戯画じみた板を見つめていた。
正直に言えば、ずっとこのままになっていてほしい。
だって、どう考えても刺さる言葉が降るに違いないから。
幽々子さまが口を開く音がする。
私はこの上なく体を縮ませた。
「でも……」
私は音にじゃりりとした異物感を感じて頭を上げた。
そこにはまだ目に滴を溜めた幽々子さまがいた。こちらを見て、口の端から黄金色の煮汁を零している。その様子はとても不機嫌で、気だるげだった。
「もっと好きになっちゃった」
えっ?
その言葉を耳にした瞬間、私の中に疑問と優しい熱が芽吹いた。
前者は微量、後者は大量だった。
私がその声に揺られていると、幽々子さまが続きを話す。
さっきまで不機嫌だった主の目が、口が、優しい形へと変わっていく。
「妖夢の料理のこと」
その音を聞いた途端、体を走る血が穏やかに甘く燃え上がった。
私の体はさっき幽々子さまを押し倒した時とは別の心地良さに包まれた。
ああ。
わたしがあんなことをしたというのに。
なのに、幽々子さまは……
あぁ、うれしい。
すごく、うれしい。
「だから」
私の温かい主は薄い桜色の唇から声を紡ぐ。
「また、あの料理を作ってくれるかしら?」
体の中に暑いとも冷たいともつかない激情性の物質が雪崩れ込む。
私はまた反射的に主に応えた。
「はいっ! 幽々子さま」
そう言った私の声は不恰好だった。でも、嘘は一つも無くて、鍛え上げたばかりの刀の様に輝いていた。
その声を聞いた白玉楼の主は、緩やかな春みたいに顔を綻ばせた。
私と愛すべき主は見つめ合った。
そして、互いを確認するかの如く瞳を閉じる。
その時の私は何もかもが自由になって、満たされた。
最悪の日に訪れた、最高の喜び。
私が主を押し倒し、これ以上ない無礼を働いた日。
その日から、肉じゃがは幽々子さま大好物になった。
- 作品情報
- 作品集:
- 4
- 投稿日時:
- 2009/10/10 13:34:44
- 更新日時:
- 2009/10/10 22:34:44
- 分類
- 牛薄切り肉(バラ肉)400g
- じゃがいも(男爵)大4個
- 玉ねぎ2個
- しらたき2束
- サラダ油小さじ2
- 煮汁(水4カップ・酒100cc・みりん100cc・砂糖大さじ4)
- しょうゆ100cc
・・・ああ、異常な話の中に混じってるからかえっておかしいのか。
クソ熱い肉じゃがを食べないから別の口や尻に入れて火傷しちゃうあぎゃーってオチかと思ってた
・・・肉じゃがが嫌いだっただと?肉じゃがうまいのにね。
日々そんなことを考えて料理をしているんだろう、と勝手に解釈した
しかし清々しい表現の連続だな
しかしつやっぽい文体だなあ・・・あこがれます。
じゃあもしかしておしry→あれ?
俺がどんだけ毒されてるか分かったような気がする
家庭料理ごときにエロスを感じさせられるとは。。。w