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『やはり野に置け蓮華草【上】』 作者: pnp
その日、博麗神社では宴会が催され、普段通り大いに盛り上がっていた。
人間も妖怪も一緒になって酒を飲み交わすそれは、ある意味特異な光景と言える。
幻想郷に住まうほとんどが、この宴会を楽しみにしていた。しかし、別に楽しみでも何でもない者も、確かに幻想郷には存在していた。
酒が飲めない者は、宴会の席にいても楽しくない場合が多いだろうし、こういう賑やかな雰囲気を好まない者もいる。
「いろんな住民と楽しく酒を飲む」というところまで考える事ができない、低級な妖怪や妖精にとってもどうでもいい日である。
そして、個々の理由があって「参加する事ができない」者にとっても、至極どうでもいい日であった。
ただひたすらに酒の飲み比べを続ける者。それを見て囃し立てる者。世間話に花を咲かせている者。
酒が入り涙脆くなって自身の苦労をしゃっくり混じりで語る者と、それを慰める者。歌う者。踊る者。楽器を演奏する者。
それぞれの思う「楽しい宴会」を、それぞれに展開している。
そして、個々の発するそれらが絶妙に調和し、この『宴会』を形作っている。
しかし、本当は皆、個人で騒ぎたいだけなのかもしれないと、毒人形のメディスン・メランコリーは漠然と思った。
宴会と言う特殊な環境と酒の力を借り、日常が隠してきた素の自分を前面に押し出しているのだ。
それとも、宴会と言う特殊な環境と酒の力は、生物の人格を破壊し、新たな人格を形成するのだろうか。
そんな筈はない、とメディスンは思った。
特殊な環境と酒程度で、生物の内に無いモノが簡単に、しかも突然に作られる訳がないと。
目の前でバカ騒ぎしている者達の人格は、元々内に秘めているもので、前述した二つの要素――酒の力と、特殊な環境――に肖り、その枷を外しているのだ。
普段はおとなしい秋の女神が、酒が入った途端やかましくなり、周囲を驚かせていた。
その「やかましさ」は、元々秋の女神が持っているもので、日常で見せないだけのものなのだ。
そういう結論に、メディスンは至った。
その結論に達した途端、メディスンはとても腹が立った。
宴会の席にいる者たちが「素の自分」を見せているのであれば、そいつらが放った彼女を不愉快にした言葉も、「素の言葉」であると言う事になる。
数分前のことである。
メディスンはこの日、永琳に誘われて宴会に参加していた。
人ごみや喧騒をあまり好まない彼女であったが、永琳に強く誘われてしまい、断りきれなくなったのである。
宴会に参加するのは、今日が初めてであった。
事の成り行きに身を任せて、酒と言うものを飲んでみたが、苦いばかりで何も美味くなかった。
酒を飲まねば「つまみ」と呼ばれる食べ物も口にする事ができない。
空腹感と騒がしさが相まって、だんだん彼女をイライラさせていく。
そして極め付けに、泥酔状態の小さな鬼が、彼女にこんな言葉を投げかけた。
「変な毒を出すんじゃないぞ」
――今目の前で、即効性と致死性を兼ね備えた強力な毒を出してこの鬼を殺してやろうかとも思ったが、どうにか堪えた。
鬼は自分を見くびっている、とメディスンは思った。
節度も無く毒を撒き散らすような行為は、もう彼女はしないと決めたのである。それくらい、人形の彼女にだって造作もない事である。
だが、その一言に悪乗りした他の者が、口々に言うのである。
「人形は管理しないとな」
「ちょっと永琳。持ってきた人形の面倒見てなさいよ」
「何考えてるのか分からないし」
放たれた屈辱的な言葉の数々に食って掛かろうとしたが、永琳がそれを止めた。
適当に悪口を言った者を追い払い、メディスンの耳元で囁いた。
「酔っているのよ。許してあげて」
冗談ではない、とメディスンは憤慨した。誹謗、中傷を「酔ってるから」と言う理由で正当化されては堪ったものではない。
それからずっと、先ほどのような『彼女らの今現在の人格は、素であるか否か』と言う思考を巡らせていたのである。
結果、素であるという結論に達し、先ほどの言葉は素の住民の言葉であると言う事になってしまった。
それ故に今、彼女の気分は最低最悪である。
すぐにでも殺してやりたい奴らのバカ騒ぎの中で、空腹に耐えるだけという、新しい拷問のような時間であった。
永琳の誘いに乗ってしまったことを酷く後悔した。
もはや、こんなうるさい場所にいる必要などないと感じたメディスンは、鈴蘭畑に戻ろうと決めた。
「私、帰るね」
永琳に短く告げ、宴会の席を離れる為にさっさと立ち上がる。
永琳が慌てて呼び止めている声や、「もうおかえりか〜」と言うどこぞの酔っ払いの声が聞こえたが、全部無視した。聞けば聞くほど腹が立った。
神社へ上がるための階段を降りて行く。一段降りていく毎に、喧騒は段々と静まっていく。
それでも呆れ返るほど大きな声で騒いでいるようで、楽しそうな声はなかなか耳から離れない。
いっそ耳を塞いで歩こうかなどと考えてみた直後であった。
夜の闇を、木々が一層深くした場所で、何かが動いた。
横を見て歩いていた訳ではないのだが、視界の隅で何かが動けば、大抵の者はそれに気づくことだろう。
「誰かいるの?」
立ち止まって、深い闇に向かって声を掛けてみる。
ガサガサと、草と草が擦れ合う音が鳴る。
深い闇から出てきたのは、やはり闇と同じ色の服を着た者であった。
「こんばんは」
何の気なしに、出てきた者は挨拶をしてきた。
メディスンも会釈と共に挨拶を返した。
「上から来たようだったけど、もうおかえり?」
「うん。つまらなすぎて」
「そう」
「あなたはこんな所で何をしてたの? 宴会、行かないの?」
「行かないの」
「どうして」
「どうしてもよ。厄神だから、嫌がられる事も多いし」
出てきた者は、自らを厄神と呼んだ。
「あなた、神様なんだ」
「鍵山雛と言うの。あなた、名前は?」
「メディスン。メディスン・メランコリー」
「そう。メディスンと言うのね」
やけに身の丈の低い少女をまじまじと凝視する雛。
そして、ふと思いついたようにこう問うた。
「ねえ、もしかしてあなた、人形?」
「うん」
「やっぱり!」
雛が微笑んだ。
そして、胸に手を当てて、囁く。
「私も人形なの」
「雛も? 人形なの!?」
コクリと雛が頷いた。
先ほど宴会で生じた苛々はどこへやら、メディスンは胸の高鳴りを覚えた。
夢にまで見た自分以外の「自我を持つ人形」が、目の前に立っているのだから。
嬉しくなって近づこうとしたが、雛は慌ててそれを拒んだ。
「あ、こっちに来ちゃダメよ」
「え?」
「私の中には厄が含まれてるから。近づくと不幸に見舞われるの」
「そ、そうなの?」
「ええ。だから、あまり近づきすぎちゃダメ」
本当は跳びついて抱き合いたいくらい嬉しい出会いだったのだが、メディスンはそれを断念した。
いくら嬉しくても、不幸になってしまうのは嫌だったからだ。
雛に少し後退するよう言われ、メディスンは数歩後ろへ下がった。
闇と月光が入り混じる場所から、月光ばかりの薄明るい場所へと雛が移動した。
そして、階段に腰を下ろした。メディスンもそれに倣い、同じ段に座る。
ただし、二人の間には一メートル弱の距離がある。
「宴会に参加しないのも、それが原因なの?」
メディスンが問うた。
「それ?」
「うん。近づいちゃいけない、ってやつ」
雛は闇を眺め、うーんと唸った。言葉を選んでいるらしかった。
そして、足元に視線を落とし、こう言った。
「そうかもしれないし、そうではないかもしれない」
「?」
「今のあなたみたいに、少し遠ざかれば厄の影響は受けないの」
「うん」
「でも、それをこの世界の住民すべてが信じてくれていないのよ」
「そうなんだ」
「あるいは、信じきってくれないの。万が一って場合を恐れて。もしも不幸になってしまったらどうしようって不安を、払拭しきれないのね」
メディスンは返事ができなくなってしまった。
あまりよくないことを聞いてしまった気がして、申し訳なさで一杯になっていたのだ。
それでも雛は、視線を足元に向けたまま、淡々と話を続ける。
「だから私が宴会へ行くと、みんな嫌がるのよ。あからさまには嫌がらない人もいれば、隠そうともせずに嫌悪感を剥き出しにしてくる人もいる。でも、それは当然よね。近づくだけで不幸になるような奴がいれば、それは気分がいいものではないでしょう。私が厄神じゃなかったら、きっとみんなと同じことを思うわ」
フフッ、と雛は、微笑みだした。
メディスンは、どうしてここで雛が笑んだのか、理解ができなかった。
自嘲染みた笑みを保ったまま、更にその先を続ける。
「だから、私は宴会に行かないことにしてるの。それが、私もみんなも幸せになれる最善の選択なのだし」
「……分かったよ。分かったから……」
「枯れ木も山の賑わい、と言う言葉があるけど、私は枯れ木にすらなれないの。それにね」
「も、もういいよ!」
メディスンが声を荒げた。
叫ばれて、ようやく雛は押し黙った。
嫌な空気と沈黙が、二人を包み込む。
メディスンは、自身の気遣いの無さを呪った。
雛も、初対面の妖怪に愚痴を零してしまったことを恥じていた。
「近づくと危ないって所は、私も同じようなものだわ」
暫くしてメディスンが口を開いた。
雛が驚いたように、そちらを向く。
「私ねぇ、毒を操れるの」
「毒を?」
「うん。ちょっと肌が荒れる程度の毒から、妖怪を殺すことだってできる毒まで、様々なの。あ、でも安心して。人形に効く毒なんて持ってないから」
「ええ」
「さっきも宴会で、そのことをバカにされたのよ。変な毒を出すなとか、そんな感じでね。それで、頭にきて帰ることにしたの」
「そうなの」
「うん」
そこまで言って、メディスンは再び黙ってしまった。
話は終わりなのか、と言う視線を雛は投げかけてみたが、メディスンは黙って前を向いているばかりで、視線には気付いていないようだった。
二人きりでいるときの沈黙は、あまり快いものではない。
別の話題を雛が思案していると、再びメディスンが喋りだした。
「ねえ、雛」
「ん?」
「宴会、行きたい?」
「どうだろ。……さっき言った通り、かな」
「そっか」
「どうしたの? やっぱり戻りたくなった?」
「いや」
耳を欹ててみると、草木の擦れる音と風の音の合間を縫うように、宴会の騒々しさが耳に入ってくる。
チラリと、横目で雛を見る。
――幻想郷の平穏の為に尽力しているのに、どうしてこんなにかわいそうな目に遭わなくてはならないのだろう。
雛をのけ者にして楽しんでいる奴らが大勢いると思うと、ますますメディスンは腹が立った。
立ち上がり、階段を上りだした。
「メディスン?」
「ちょっと待ってて」
そう告げ、メディスンは宴会の場へと急いだ。
メディスンが出て行った十数分前のうるささを保ったままの宴会場。
永琳が、メディスンが帰ってきたのに気付いた。
「あら、メディスン。おかえり」
「ただいま。でも、どうせすぐ出てくよ」
メディスンは宴会場を見回した。
そして、比較的まともな食べ物が残っている重箱と、酒瓶とジュースとコップを二つ持ち、再び宴会場を後にしようとした。
しかし、
「おいおい毒人形。どこに持って行くんだよ、それ」
霧雨魔理沙が立ちはだかり、メディスンを制止した。
宴会を楽しむ者としては、酒や食べ物が減るのが気に食わないのだろう。
「どこだっていいでしょ。退いて」
メディスンは言った。
しかし、魔理沙は退こうとしない。
「ダメダメ。これはこの宴会のものなんだ。勝手に持ち去るなんて、泥棒だぜ」
「泥棒で結構。放っておいてよ」
「ははは。そうかそうか。だがな、泥棒の現行犯を見過ごすほど、私だって落ちぶれちゃいないぜ?」
「いいぞー魔理沙ー。もっとやれー」
いつの間にかできていた野次馬が、魔理沙を囃し立てる。
あまりの鬱陶しさに、メディスンは強行手段に出た。
観衆の前で乱暴にジュースの蓋を開け、その中に猛烈な勢いで、ありったけの毒を注ぎ込んでやった。
ギョッとする観衆の視線も気にせず、毒をボコボコと注ぎ続ける。
鮮やかなオレンジ色だったジュースが、毒を注ぎ足され、見る見るうちに茶色く変色していく。
酒が見るに耐えない茶色になった所で、コップにそれを注ぎ、ズイと魔理沙に近づけた。
コップの中身からは、その嫌な見た目に反して甘い匂いが漂っている。
「ほら。飲む?」
「い、いや。遠慮しとくぜ」
「そう。それは残念だわ」
そう言うと、フンと鼻を鳴らし、魔理沙の横をスルリと抜け、メディスンは元いた場所目指して階段を下りていった。
雛の元へ向かう途中、ジュースは中身を捨てた。
瓶も捨ててしまうと博麗の巫女がうるさいので、ゴミは自分で持ち帰ることにした。
「雛ー」
名を呼ばれ、雛が後ろを振り返ってみると、重箱と、コップと、酒の入った瓶を持ったメディスンが、階段を下りてきていた。
小さい体でいろいろいっぺんに持って来すぎたらしく、どことなくフラフラしている。
助けてあげたかったが、近づくことができないので、雛は「足元に気をつけて」と声を掛けることくらいしかできなかった。
少しメディスンがバランスを崩す度に、グッと手に力を込めてしまった。
雛の祈りが届いたのか、転ぶことなく、メディスンは宴会場から持ってきたものを地べたに並べることができた。
「これ、宴会から貰ってきたの?」
「貰ったんじゃないよ。持ってきたの」
「よかったの? そんなことして」
「いいって、少しくらい。さあ、雛。飲もう、食べよう」
そう言うとメディスンは、コップに酒を注ぎだした。
酒が並々注がれたコップを、両者手に取る。
「それじゃ、雛」
「うん」
「えーっと、えーっと……。うん、よし。偶然出会えたことを祝って、かんぱーい」
「かんぱーい」
カチャン、と音を立てて、二人は酒を飲んだ。
重箱の中身を二人で突き、酒を飲みながら、いろんな話をした。
さっきみたいな、暗くて重たい話ではない。
小言とか、失敗談とか、思い出とか、そんなものである。
メディスンは生まれて――妖怪となって――大した時間が経っていないので話せる事に限界があったが、雛は違う。
厄神となって幻想郷入りし、過ごしてきた永い時の中で、到底話し尽くせないほど様々な出来事を体験していた。
そんな楽しい話が聞けるのがメディスンは嬉しくて仕方が無かったが、それ以上に、新しい人形の友人ができた事が嬉しかった。
今までメディスンの悩み事を話せる相手と言えば、ずっと一緒にいるスーさんくらいなものであった。
人形にしか分からない感情を話し合える者が増えたのが嬉しかった。
*
永琳は、怒ってどこかへ行ってしまったメディスンの事が気掛かりだった。
幼い彼女は、加減とかそういうものを知らない。
怒ってしまうと、人間の幼子の如く振舞うこともある。
それが、彼女の能力をより恐ろしいものにしてしまう。
駄々をこねる様に毒を撒き散らしたりしたものなら、退治どころではすまない事態となってしまうだろう。
定期的にチラチラと、メディスンが降りて行った階段を見ていると、落ち着かない様子を見かねた魔理沙が近づいてきた。
「どうしたんだよ」
「ええ。メディスンの事が気になって」
「大丈夫だろ、そんなに心配しなくても。本人も人形バカにすんなって、よく言ってるし」
軽く笑いながら魔理沙は永琳の肩を叩いた。
しかし、永琳の不安は払拭しきれない。
「さっき、お酒は不味いから飲めないって言ってたのに、お酒を持って行ってしまったのよ」
「ただの嫌がらせだろ。私たちの酒を奪うことで仕返ししてるつもりなんだよ」
「それだけだといいけど」
言ってはみたものの、やはりメディスンが気掛かりであった。
永琳がメディスンと出会ったのは、幻想郷中の花が咲き乱れる異変の時であった。
鈴蘭畑で過ごしている彼女を鈴仙が見つけたのだ。
妖怪となって日が浅いのも相まってか純粋無垢な性格で、毒のお裾分けなどで会う機会が多く、今では永琳は、メディスンが普通に話をすることができる、数少ない存在となっている。
永琳自身も、初めこそ妖怪化して間もないが故の扱いやすさに目を付けてばかりいたものの、何度も会っていくうちにその感情が変わってきたようだった。
永きに渡って付き合ってきた、鈴仙や輝夜とは全く異なる雰囲気を持つメディスンを気に入ってしまった。
輝夜と築いている主従の関係や、鈴仙との師弟関係とは毛色の違う関係――言うなれば、母子関係のようなものを、永琳は感じていた。
感じていた、と言うより、感じていたかったのかも知れない。
少し偉そうになってしまうが、右も左も分からないメディスンを『護りたい』と言う、母性本能が僅かながら働いていた。
この感情は、姫である輝夜を『護りたい』と言うものとは、また違ったものである。
メディスンは、気が遠くなるほどの年月を生きてきた永琳に訪れた、ちょっとした環境変化の要因であった。
しかし、その小さな変化は、永琳にとってはなかなか大きなことであったらしい。
向上も低下も滞り、変化を忘れてしまった永き生に突如現れたこの小さな妖怪は、永琳の日常にに久方ぶりの変化を生じさせたのである。
暫くは酒で誤魔化していたが、やはり不安は消え去らない。
耐え切れなくなって、永琳がその場に立った。
「どうしたの」
傍にいた輝夜が問う。
「メディスンを探してきます」
「心配性な奴だな」
魔理沙が呆れたような口調で漏らす。
永琳は軽い笑みを返す事でそれに応え、神社の階段へ歩いて行った。
階段は既に、完全に夜の闇に呑まれていた。
これほど暗いと言うのに外灯の類が一つも付いていないのが、いかにもちょっと不親切な博麗神社らしい。
踏み外さないように一段一段、慎重に階段を下っていく。
宴会の賑わいが薄らぎ始めた所で、永琳の向かっている方向から何者かの声が聞こえた。
耳を欹ててみると、それは二人分の声であった。そしてその一つは、彼女の探していた者の声だ。
闇で姿は見えないものの、確かにメディスンの声が聞こえる。とても楽しそうな声だ。
一方メディスンは、話に夢中であるのと、永琳がゆっくりと階段を下りてきていた為、永琳に気付いていないようであった。
声を掛けようと思ったが、折角楽しそうにしているのに水を差すのは悪いと思い、そっとしておくことにした。
静かに踵を返し、宴会場へと戻った。
「あれ、早かったな」
魔理沙が言った。
「思いの外、近くにいたわ。誰かと話し込んでた」
「そっか。なら安心だ。さあ飲め」
もう一度、階段のほうを眺める。
――自分では、ダメだったのだろうか。
胸中に生じたほんの少しばかりの嫉妬心を、永琳は酒で強引に消し去ることにした。
*
翌日、メディスンは鈴蘭畑のど真ん中から、空をジッと見上げていた。
燦々と輝く太陽が眼に眩しかったが、それを耐えられる程、彼女には待ち望んでいる者がいたのだ。
その最中、鈴蘭がカサリと音を立てて揺れた。
空ばかりに気をとられているメディスンは、それに気づくことができなかった。
慌てて近くにいたお供の人形が、メディスンのスカートを引っ張った所で、ようやく彼女は地上の来客に気づくことができた。
「永琳」
「おはよう、メディスン」
鈴蘭畑を掻き分けながら、メディスンが来客に近づく。
「今日も毒? 朝早くからご苦労様だね」
「お互い様じゃない」
そう言いながら永琳が、小瓶をメディスンに手渡した。
そこにメディスンが、彼女の所望する毒を入れてやるのだ。
毒で満たされていく小瓶を眺めながら、永琳が問うた。
「さっき、何をしていたの?」
「雛を待ってる、と言うか探してるの」
「雛? 探してる?」
メディスンがコクリと頷いた。
「昨日、宴会を出て行ってから、ずっと雛と話してたのよ。それで別れ際に、暇があったらいつでも鈴蘭畑に来てねって約束したの!」
「それで、その雛って言う子を待ってるのね」
「そうなの」
「今日会う約束をしたの?」
「してないよ。だから見張っているのよ」
毒で一杯になった小瓶を永琳に手渡すと、メディスンは再び空に視線を戻した。
一日中こうしていて、結局雛が来なかった場合を考えると、永琳は不憫でならなかった。
だが、メディスンは辛抱強く、雛を待ち続けるらしい。
「ずっとそうしているつもり?」
「うん」
「もし、雛と言う子が来なかったら?」
「寂しい。でも我慢する」
「その子のこと、好きなのね」
「うん。大好き」
「そう」
恐らく何を言っても無駄だと感じ、永琳はそれ以上の言及を止めた。
人見知りなメディスンがあっと言う間に慣れ親しんでしまった雛と言う人物が如何なる者なのか少しばかり気になった。
だが永琳は、来るか来ないか定かではない見知らぬ人物を一日中待ち続けられるほど、暇ではない。
不老不死なのだから、ある意味暇と言えばかなり暇なのだが、有限の命を持つ者達の為に、彼女が一日の中でやらなければならないことは沢山ある。
永遠亭に帰って、薬を作らねばならない。
しかし今、彼女の胸中には、異形の想いが宿っていた。
昨晩の延長線上にある、嫉妬心。
その想いは無意識の内に、彼女にこんな質問を言わせていた。
「ねえ、メディスン」
「ん?」
「……私と、雛。どっちが好き?」
言ってすぐ、どうしてこんな馬鹿げた質問をしてしまったのだろうと、永琳は自分自身を恥じた。
メディスンは少しばかりの驚きを含んだ表情を浮かべ、永琳を振り返った。
まさか彼女からこんな質問が投げかけられるとは、思ってもいなかったのだろう。
視線がぶつかる。
永琳の、どこか虚ろな目と、メディスンのキョトンとした目が、お互いの目に映る。
少々の沈黙の後、メディスンは少しだけ微笑み、こう言った。
「比べられないわ」
今度は永琳が驚く番だ。
メディスンは笑みを深くし、こう続けた。
「雛はお人形だし、永琳は人。比べられっこないわ」
「そう、なの」
雛が人形と言うのは、初耳であった。
「でもね」
呆気に取られている永琳に、メディスンは尚も続けた。
「どちらも大好きよ、私は。雛も、永琳も。雛を『好き』なのと永琳を『好き』なのは、違うものなの」
「違うもの?」
「永琳だって、鈴仙を『好き』なのと、お姫様を『好き』なのは、全然違う感情でしょ?」
まさか、生まれて間もない妖怪の少女にここまで言われてしまうとは、永琳は思ってもいなかった。
しかし、彼女は納得もできたし、何より安心した。
雛と言う存在が、これからの彼女らの関係に支障を来たしてしまうのではないかと、少しだけ不安であったのだ。
「それじゃ、私はそろそろ戻るわね」
「うん。がんばってね。薬と毒の扱いには気をつけて」
「私に毒は効かないわよ」
「あら? それはどうかしら」
意地悪っぽく笑うメディスンに、永琳も軽く笑って応えた。
*
厄神、鍵山雛は、いつも通り幻想郷の厄を集めて回っていた。
大きな厄を集める基本的な仕事が一通り片付き、残りの細かく、小さな厄を集める作業に取り掛かろうとしていた時だった。
彼女はふと、鈴蘭畑に住んでいるらしい、昨晩できた新しい友人の事を思い出した。
今いる場所からなら、鈴蘭畑へはそう遠くない距離である。
「行ってみようかしら」
そう思い、彼女は鈴蘭畑目指して飛び出した。
鈴蘭畑へ向かう道中で見かける、小さな厄を集めながら彼女は進む。
普段以上に厄塗れの、穢れた体で友人に会いに行くのは、少しだけ気が引けた。
だが、キレイな体になるよりも先に、メディスンと会いたかった。
彼女なら、厄だらけの自分でも好いてくれると、雛は信じているのだ。
永琳が鈴蘭畑を去って、約三十分後のことであった。
白と青ばかりで彩られた大空に、黒と赤の人影が映った。
それを先に見つけたのは、メディスンのお供の小さな人形であった。
スカートを引っ張り、空のある一点を指差す。
そちらを見たメディスンの目が、目一杯広がった。
「雛!」
メディスンが飛び跳ねながら、ぶんぶんと腕を振る。
雛も軽く手を振ってそれに応えてから、鈴蘭畑の一角に着地した。
鈴蘭を掻き分け、雛のいる場所へと走ってくるメディスンに、雛が慌てて叫んだ。
「メ、メディスン! 近づきすぎちゃダメよ!」
その叫び声でようやく、メディスンは雛の特性を思い出し、急停止した。
減速中に草で足を滑らせ、尻餅をついた。
「大丈夫?」
心配そうに、雛が歩み寄る。それでも一メートル程度の距離が開いている。
「だ、大丈夫大丈夫。それより、ようこそ雛!」
気を取り直し、メディスンが大きく腕を広げ、客人へ歓迎の意を示した。
広大な鈴蘭畑に二人で腰を下ろす。
そして、昨晩と同じような談笑が始まった。
昨晩は興奮してなかなか寝付けなかったとか、来る前に何をしていたかとか、そんな話である。
一通り雑談をしてから、二人は弾幕ごっこで遊び始めた。
最初はじゃれ合う程度に撃ち合っていたが、次第にヒートアップし、挙句の果てにはかなり激しい弾幕ごっこを展開し出した。
しかし、雛は神様であるので、普通の妖怪であるメディスンとは結構な力の差があった。
おまけに彼女は人形なので、毒が効かない。結果、メディスンの能力は封殺されてしまい、激しくなり始めてからは雛の圧勝に終わった。
弾幕ごっこに疲れた二人が、一メートル程度の間隔を空けて、鈴蘭畑に仰向けで寝転んだ。
青い空には雲が浮かんでいて、ゆっくり、ゆっくりと流れている。
時折吹く風の音と、それが鈴蘭を揺する音と、少し乱れた二人の息遣いだけがこの場を支配している。
揺れる花を見て、雛がふと漏らした。
「綺麗な花ね」
仰向けのまま手を伸ばし、雛が鈴蘭をそっと撫でる。
メディスンは起き上がり、同じように花を撫でた。
「うん。それに、毒があるの。だから、ここにはほとんど誰も近づいてこないの」
「誰も?」
メディスンに倣って雛も起き上がり、周囲をぐるりと見回してみた。
言われた通り、自分達以外の生き物の影は見えなかった。
人間、妖怪など愚か、野生動物の姿すら見えない。
視線を元に戻し、問うた。
「寂しかった?」
「少し」
「少し、なの?」
「うん」
「どうして」
「みんな嫌いだったから」
淡々と、雛の質問にメディスンは答えた。
掛ける言葉を探している雛より先に、メディスンが言葉を紡いだ。
「みんな、人形をバカにしているもの。人形は使役されて当然だって思ってるのが悔しいの。自分で動けないからって、所有者が独り善がりな愛を押し付けてくる」
「でも、みんながみんな、そうとも限らないでしょう」
「それはそうだけど」
メディスンは言葉に詰まった。
雛の言う通り、人間や妖怪達は、彼女が思っているほど、人形を蔑んでいる訳でもないのかもしれない。
だがメディスンは、どこかの身勝手な人間にこの鈴蘭畑に捨てられた。そして長い年月を経て妖怪と化した。
その一連の流れは、彼女を人間及び妖怪不信に陥らせるには、十分すぎる出来事だった。
お互いに何も言えず、昨晩と同じ嫌な沈黙が漂う。
どうしてこんな話をしてしまったのだろうと、メディスンは自身を責めた。
だがそれは、同じ人形として、きっと自分の苦しみや葛藤を理解してくれると言う漠然とした安心が呼ぶものであった。
自分の足元見て屈んでいた二人の間に風が吹き抜ける。
それぞれの髪を、服を、リボンを、その風は微かに揺らした。
メディスンの赤いリボンが揺れると同時に、雛はそちらを向いた。
緑が多くを占める視界の片隅で揺らめいた、赤と言う強い色が気になったのだろう。
腑に落ちない、と言ったような、少し不機嫌そうな顔で俯く少女は、とても愛らしかった。
「かわいい」
自然と雛は、そんな言葉を口にしていた。
突然の雛の一言に、メディスンは目を丸くした。
「え?」
「さっきのあなた、とてもかわいかったわ」
「ど、どうしたの、急に」
照れくさそうにしどろもどろするメディスンを眺め、雛は笑んだ。
そして、さてと、と言って立ち上がった。
「そろそろ行かなくちゃ」
「またお仕事?」
「うん。今日はここまで」
「そっか」
雛と遊び始めてどれほどの時間が経ったのかは分からなかったが、メディスンにはほんの一瞬の出来事のように感じられた。
雛自身にとっても、束の間の休息と言った感覚であろう。
「また明日も来てくれる?」
「勿論よ」
「待ってるからね」
「ええ」
そう言うと雛は、そっとお辞儀をし、鈴蘭畑を後にした。
鈴蘭畑には、毒人形だけが取り残された。
*
空を見上げるメディスンを見た数日後、永琳が再び毒を求めて鈴蘭畑に足を運んできた。
そこには、数日前とほぼ代わり映えしない鈴蘭畑があった。
白い花、緑の葉、そよ風、ただひたすら友人を待って空を見上げる人形。
「メディスン」
持っていた傘をすっと差し出し、天から降り注ぐ雨滴からメディスンを護ってやる。
頭上の傘がパラパラと音を立て始めたのと、雨滴の冷たさが和らいだ事に驚いたメディスンが振り返った。
「永琳」
ずぶ濡れのメディスンが、永琳を見上げる。
呆れを含んだ口調で、永琳が問うた。
「こんなに雨が降ってるのに、何をしてるのよ」
「雛を待ってるの」
予想通りの答えに、永琳は軽いため息を付いた。
以前来た時は晴れていたからよかったものの、今日の天気は雨である。
まさか雨宿りもせずに雛を待っているなんてことは無いだろうと永琳は思っていたが、彼女の予想は脆くも打ち破かれた。
「寒いでしょう。永遠亭にいらっしゃい。着替えないと」
「ダメよ。雛を待ってるのに」
そう言うとメディスンは空へと向きなおした。
ある何かへの執着心も、ここまで来れば病的に見えてくる。
生まれて日が浅いが故の、幼稚な行動規範が如実に現れていると永琳は感じた。
「じゃあ、せめてこれを持っていなさい」
永琳はこの幼い毒人形の小さな手に、傘を握らせた。
雨滴は、傘をなくした永琳を容赦なく濡らし始めた。
「永琳が濡れちゃうじゃない。いいよ、返す」
「いいわ。また今度、返してくれれば」
「そう。ありがとう」
メディスンはそう言い、ペコリと頭を下げた。
その後、いつも通り毒を譲渡し、二人は分かれた。
永遠亭にずぶ濡れの永琳が帰還し、鈴仙が驚きの声を上げた。
「師匠! 傘はどうしたんですか!?」
「ああ、ちょっと野暮用でね」
「野暮用って」
野暮用、とは言ってみたが、果たしてこれが野暮用であるかは、永琳はよく分からなかった。
確かにある意味では仕事上の用事ではあったが、もっと別な感情が永琳には芽生えていたことも確かだ。
鈴仙がしつこく追求してくるので、永琳は仕方なく、訳を話した。
「メディスンに貸したのよ」
「貸した?」
「雨の中で突っ立ってたから」
鈴仙は言葉を失った。
どうしてこんなにも、永琳がメディスンに固執しているのか、彼女には少し理解しがたかったのだ。
頻繁に毒を無償で分け与えて貰ってはいるが、何もそこまでしてやる道理があるものだろうか。
着替えてくると言って奥へと向かってしまった、自身の師の背を見つめながら、鈴仙はそう思った。
いっそ問い質してみようと思ったが、相手が相手だ。きっと上手く言い包められてしまうか、茶を濁されてしまうのだろう。
*
まさか雨宿りもせずに自分を待っているなんてことは無いだろうと雛は思っていたが、彼女の予想も脆くも打ち破かれた。
傘を一つ持ったメディスンが、じっと空を見上げて突っ立っているのを、空から見た。
「メディスン!」
雛が急降下する。彼女に気付いたメディスンの表情が一気に明るくなった。
地面に降りると、すぐに駆け寄り、何をしているのだと問うた。相変わらず二人の間には一メートル弱の距離が開く。
「待ってたのよ。来てくれたのね」
さらりとメディスンは言ってのけた。
雨の中で待っていることはないであろうと、元々ここへ寄るつもりはなかった。
だが、いざ鈴蘭畑に来てみると、律儀にメディスンは自分を待っていた。
「その傘は?」
「知り合いもここへ来たから、貸してもらったの」
言ってからメディスンは、雛がずぶ濡れであることに気付いた。
「雛、寒いでしょ? はい、これ」
借り物の傘を雛に差し出す。
「私は大丈夫よ。心配しないで」
「嘘ばっかり。遠慮しなくていいから、さあ」
「ありがとう。でも、本当に大丈夫だから。それに私がそれを使ったら、あなたが濡れてしまうじゃない」
メディスンに差し出された、二人の間の空間を雨滴から護っている傘は、ピクリとも動かない。
雛の目を、じっとメディスンは見据えていた。
しばらくの沈黙の後、こう切り出した。
「じゃあ、一緒に入ろ?」
「……それはできないわ」
メディスンはどうにかして、雛の近くにいたかった。
だが、その点において、雛は頑なだった。
メディスンを不幸にする訳にはいかないと言う、大切な存在への精一杯の気遣いである筈だった。
しかしその気遣いは、幼いメディスンにとって、いつしか歯痒くてじれったい一種の不満でしかなくなっていた。
もっと近くで、もっといろんなことをしたかった。
傘が、鈴蘭の上に落ちた。
俯き、手を握り締めるメディスンが、小さな声で問うた。
降り頻る雨の音にも負けてしまいそうな、本当に小さな声であった。
「どうしてダメなの?」
「前も言ったでしょう。私に近づくと不幸になってしまうの」
「どうして不幸になるの?」
「それは、厄を集めてるからよ」
「どうして厄を集めるの?」
「幻想郷の為。私がやらなくちゃ、みんな平和に暮らしていけないの」
「あなたが厄を集めるのをやめたら、私は雛に近づける?」
雛は、言葉を失った。
返事をしない雛を見上げるメディスンが、問う。
「ねえ」
「――」
「厄集めをやめれば、近づける?」
「何を言って……」
「手を繋げる? 抱き合える? キスできる? 一緒に眠れる? 一日中一緒にいれる? 私が毎晩妄想してる全ての事を解決できる? 私の飢えは満たされる?」
じぃっと、まるで睨むように、メディスンの瞳は雛を捕らえて放さない。
雛は恐怖を覚えた。普段の幼げな姿など、今の彼女からは想像できない。
幼さ故の恐ろしさ、と言うべきなのだろうか。
募り募った不満を爆発させているメディスンが、今この瞬間何を考えているのか、雛には察し難かった。
メディスンが一歩、前進した。
「ねえ、雛。どうなの? 答えて」
その距離が、九十センチに縮んだ。
自己を制御する事すら忘れているのか、毒の霧が溢れ出しはじめた。
彼女の周辺の鈴蘭が見る見るうちに腐り、萎れ、死んでいく。
また一歩、メディスンが前進した。
「ねえ、雛」
「メディスン、落ち着いて」
「私と他大多数、どっちが好き?」
また一歩。
「や、やめなさい!」
雛が叫び、メディスンを制止する。
ピタリと、歩みが止まった。
雨滴が鈴蘭を叩く音ばかりが響く。
俯き、止まってしまったメディスンの動向を、雛は慎重に見守る。
メディスンが顔を上げた。
その顔は、笑っていた。
その笑顔は、曇天の下、ずぶ濡れのまま見せるには、不自然すぎるほどの笑顔であった。
「びっくりした?」
傘を拾いながら、メディスンは言った。
「さっきみたいなの、外界では何て言うんだっけな。最近教えてもらったんだけど」
「そうなの」
「傘、本当にいらない?」
「ええ。本当に大丈夫」
「それじゃ、ここは濡れるから、別の場所に移動しようよ」
メディスンが案内し、二人は雨を凌げる場所へ移動した。
弾幕ごっこができるほど広くは無かったが、雑談をするには申し分ない場所であった。
二人の間には、相変わらず一メートル程度の空間が空く。
雨は止む気配を見せず、夕方まで降り続いた。
「私はそろそろ帰るね」
雛が立ち上がった。
メディスンもそれに倣って立ち上がり、彼女を見送る。
もう一度、傘はいいかと聞いたが、やはり雛は首を横に振った。
去り際、雛は振り返ってこう言った。
「メディスン。私はあなたが大好きなの」
「私もあなたが大好きだよ」
「――大好きだからこそ、分かって欲しいの」
メディスンは首を傾げた。
雛は慎重に言葉を選び、先を続けた。
「この世界が無くては、私もあなたも生きていけない。生きていなければ、こんな感情すら抱けない」
「うん」
「お願い。分かって。そして約束して。もう、我が儘は言わないって」
「我が儘?」
「ここは私達だけの世界じゃないの。分かった?」
「……うん。分かった。もう我が儘言わない」
そう約束すると、雛はその場を後にした。
その日の夜、メディスンは雨音をBGMに、昼間の事を思っていた。
「我が儘、か」
フッ、と、ため息とも自嘲ともつかない息を漏らしてから、メディスンは笑った。
声を上げて。
「ははは。あははははっ! あっはははは! おかしい、おかしすぎるよ雛! あははは!」
とにかく笑い、次第に笑声が止み始め、ため息と同時にそれが完全に止まった。
「手を繋ぐのが、我が儘かぁ」
*
翌日、メディスンは早朝から起き出し、久しぶりに鈴蘭畑から出た。
昨晩、ずっと彼女は雛と自分が幸せになれる方法を考えていた。
その為には、特殊な『世界』が必要だと言う結論が出た。
今の幻想郷には、取り払わなければならない厄が蔓延している。
雛はそれを取り込むことで、幻想郷の平和を維持している。
その厄を集めるが故に、雛の体は厄に穢され、近づくものを不幸にしてしまう性質を作り上げてしまっている。
残念ながら、雛がその課せられた任を遂行する必要がなくなるよう、厄を全てなくすなんて大それたことはできない。
かと言って雛を説得し、厄を集めるのを止めろと言う訳にもいかないし、例えそう言っても恐らく彼女はそれを聞き入れない。
ならば、『厄の無い世界』で生きればいいのではないか、と彼女は考えた。
現存する厄を『無くす』のではなく、そもそも厄が『無い』世界を目指すのだ。
彼女が考える限り、『外界』と呼ばれる人の為の世界が、それに該当する世界であった。
外界にもそれなりに厄は存在するだろうが、恐らくこちら程の脅威は無いだろう、とメディスンは考えた。
仮にあったとしても、雛が外界の人間を救う義理など無い。人間達だって、勝手に忘れた神に、救いを請う権利などないだろう。
大まかな筋道は立った。だが、憶測だけしてすぐに実行に移る程、メディスンも愚かではない。
外界へ行く方法は勿論の事、外界の環境なども熟知しておかなくてはいけない。
だから彼女は、こんなに朝早くから永遠亭へ向かい、飛び出したのだ。
永遠亭には、彼女よりずっと物知りな知り合いがいる。
*
竹林を彷徨っていると、偶然にも因幡てゐに出くわした。
彼女に、永遠亭へと案内してもらうことにした。
「この前、宴会で何かやらかしてたわね」
「何を?」
「大衆面前でジュース一本をおじゃんにしてたじゃない」
「あれはあの魔法使いがいちいち突っかかってくるから悪いのよ。殺そうかと思ったわ」
「怖い怖い」
てゐはくすくす笑った。
永遠亭に着くと、客用の入り口から中へと入った。
「あら、メディスン」
「おはよう」
すぐに目当ての人物である、八意永琳と出会えた。
今日も雛を待って鈴蘭畑で過ごすのだろうとばかり思っていた永琳は、メディスンの来訪をいたく喜んだ。
「今日は一体、どんな用事?」
「たまには外へも出てみないといけないから。それに」
「結局、ここにばかり来るだけなら、どこへ出ていないも同義じゃない?」
後ろを通りかかった鈴仙に呆れた口調でそう言われて言葉を遮られてしまい、メディスンはムッとして鈴仙を睨み付けた。
「鈴仙、そう言う事を言わないの」
なるべくメディスンの気分を損ねたくなかった永琳が口を挟む。
相変わらず師匠はこの子に甘いんだからと、やはり呆れを含んだ口調でそう言い、鈴仙はその場を後にした。
遠ざかっていく鈴仙を不愉快そうに見送り、永琳を向き直した。
「それに、知りたいことがあるの」
「知りたいこと?」
永琳が問い直し、メディスンが頷く。
それにはどれくらいの時間が掛かるかと聞かれ、聞き始めなければ見当がつかないとメディスンは答えておいた。
永琳は、何かと忙しいから、そんなに多くの時間はとれないと言った。
ならば、暇になるまで待つとメディスンは答えた。
永琳の仕事が一段落つくまで、永遠亭の奥で待つことにした。
永遠亭の一室に座り、永琳を待っていると、暇を弄びに来たてゐがやって来た。
「何しにここに来たの?」
「永琳に聞きたいことがあって来ただけよ」
「何を?」
「それは秘密」
「そっか」
これと言ってやることもない為、てゐがメディスンの正面に座った。
暇つぶし程度に、メディスンと雑談を始めた。
「人形なんだよね、あなた」
「そうよ」
「独りでに動く人形そのものはそんなに珍しくもないけど、あなたほど精巧に動く奴は珍しいわ。一体、どんな秘密があるの?」
「毒のお陰よ」
「毒の?」
「スーさんの毒。見せてあげようか?」
胸に手を当てて構え始めたメディスンに、てゐは慌てて手を振り、それを制した。
「いやいや、いいよ。こんな所で毒を撒き散らしたら、鈴仙に何をされるか分かったものじゃない」
そう、と短く答え、メディスンは手を下ろした。
その後、暫く沈黙が続いた。
その静寂の中でてゐは、じっとメディスンを凝視し続けていた。
初めは気にしないように努めていたものん、次第に視線が鬱陶しく感じ始め、メディスンが問うた。
「ねえ。さっきから、ずぅっとこっちを見てるようだけど」
「うん? いや、大したことじゃないよ。気にしないで」
「無理。すごく鬱陶しい」
即答され、てゐは苦笑いした。
「何かあるの? あるなら言って。可能な限り答えてみせるわ」
「永琳様に何の用が?」
「秘密」
またもや即答した。
「可能な限り答えるって言ったじゃん」
「可能な限り答えた結果がこれなのよ。何度聞いてもこれ以上の答えは出てこないわよ」
「それならば質問を変えようかな」
「どうぞ」
「どうして永琳様は、あんなにもあなたを好いているの?」
メディスンは顔を顰めた。
そんな彼女をよそに、てゐはそのまま先を続けた。
「永琳様がこんなにも誰かに執心するなんて、はっきり言って異常なのよ」
「それを私に聞いて解決できると思う? 知る筈ないじゃない」
「いや、絶対何かあるね。ねえ、あなたはどうやってあの永琳様を虜にしたの?」
「そうねえ。強いて言うなら……」
「なら?」
「私の魅力、かな?」
頬に人差し指を付け、努めて可愛らしい笑顔を見せるメディスン。
その迫真の演技に、暫くてゐはポカンとしていたが、次第に手を叩きながら小さく笑い始めた。
「あはは。そりゃ、元お人形は可愛いに決まってるわ」
「そうでしょ」
「なるほど、なるほど。人形としての精巧さも原因か。ってことは永琳様、意外と少女趣味なのね」
一頻り笑い終え、てゐは軽い挨拶をし、部屋を出て行った。
再び寂しくなった部屋の中で、メディスンは大きな大きなため息を付いた。
「早く永琳来ないかなぁ」
喋りたくもない輩と余計な会話を強いられたことが、非常に苛立たしかった。
てゐが部屋を出た数十分後、ようやく永琳が姿を現した。
「お待たせ」
「やっと来た」
「それで、聞きたいことって?」
永琳がメディスンの前に正座する。
「ねえ永琳、外界ってどんな所なの?」
*
緑と白で形成される自然の絨毯の中に、雛が探している人物は見当たらなかった。
小さな人形の少女は、その日、鈴蘭畑にはいなかった。
メディスンにだって、彼女なりの生活と言うものがあるのだし、毎日会えるとは限らないだろうと雛は自分自身に言い聞かせた。
しかし、些細な口論があった次の日にこの調子とくると、不安は増してくる。
メディスンには包み隠さず正しい情報を教え、未然に不幸を誘発してしまうのを防ぎたかった。
無論、それは普通に行える筈のスキンシップを犠牲にしなければならないことも熟知している。
それでも、メディスンが自分の所為で不幸に苛まれるなど、雛にとっては耐え難い苦痛であった。
雛は、厄神だ。多くを望める立場にない。彼女は人を生かし、人は信仰で彼女を生かす。
彼女ばかりが幸福を勝ち取るなど、あってはならない。
故に、真の意味で幸せで楽しい友好関係をメディスンと築き上げていくには、多少の不満は仕方が無いことなのだ。
メディスンのいない鈴蘭畑に用は無かったので、すぐに雛はその場を立ち去り、幻想郷の厄を集める仕事を再開した。
そこらにある厄を取っていると、人里の人間が二人、通りすがった。
見るとその片方は、厄に憑かれていた。
雛がその二人を呼び止め、厄について簡単な説明をし、厄を吸い取った。
目に見えた効果はないのだが、厄神の言う事ならば間違いは無いだろうと、その者はいたく喜んだ。
お礼をする為か、雛に歩み寄る。
いつも通り、雛はそれを制止した。
「近づいてはいけません。不幸になってしまいますよ」
「え?」
「私は厄が憑いている状態ですから」
そう言った途端、その者はまるで恐ろしいものを見るような目を、雛へと向けた。
もう片方の人間も服の裾を引っ張り、早く行こうと促した。
時々ある光景であった。
誰もが雛に近づくことを、そして、雛そのものを恐れた。
言ってしまえば雛は厄の塊なのだ。恐れられても仕方が無い。遥か昔、そう割り切ったはずであった。
だからもう、特別悲しむこともなかろうと思っていた。
しかし、今回は違った。胸が痛いのだ。
厄を集めて回り始めた頃。
河に流され、奇跡的に沈まずに現存し続け、そして神へと昇華したばかりの頃。
あの頃と同じ痛みが、雛を甚振る。
メディスンは、違ったのだ。
彼女は、厄に塗れて穢れきった雛を求めていてくれている。
手を繋ぎたい。抱き合いたい。唇を重ねたい。一緒に眠りたい。
「メディ……」
トントンと、胸を叩き、疼きを消し去ろうと努めた。しかし、無駄だった。
メディスンが彼女を求めるように、彼女もメディスンを求めていた。
昨日のメディスンの言葉が蘇る。
――私と他大多数、どっちが好き?
自分を忌む者達と、自分を好く人形を天秤に掛けた時、掲げられるのはどちらかなど、明白だった。
しかし、それらは質も規模も違う。
この二つの要素は、同じ天秤に掲げられるものではないのだ。
何の障壁も無くメディスンと接する事ができる世界。
そんな夢の世界は、もう幾度となく夢想してきた。
そしてその都度雛は、その世界を壊してしまう。完全に。跡形も無く。完膚なきまでに。
叶うことの無い夢の世界など、あっても苦しいだけでだからである。
破壊された世界が残していくのは、夢の残骸だ。集めて固めれば再び『夢』として再生できる、小さな希望である。
半端な幸福は、不幸を際立てる要因にしかならない。
長き厄神としての生活の中で、雛はそれを学んだ。
だから彼女は、必要以上に誰とも関わらないことにした。裏切られるのは辛いことだからだ。
茨で傷つきながら道を進んでまで、花を摘む必要などない。
だが、メディスンへの道には『茨』がない。
ない筈なのに、彼女に辿り着く道には『茨』以上の障害が散乱している。
そして、その障害を撒き散らしているのは、紛れもなく自分であった。
*
苛立ちばかりが、メディスンを支配していた。
全くと言っていいほどいいことのない一日だったと、何度思い返してみてもそう思った。
てゐとの下らなくてつまらない会話など、まだマシな方であった。
収穫がなかった訳ではない。寧ろ大漁だ。
だが、あまりにもいろいろ知りすぎて、逆に絶望せざるを得なくなってしまった。
第一に、外界は彼女が思っているほど、面白い場所ではないようであった。
まず、幻想郷のような自然はほとんど残っていないらしい。
更に、車と呼ばれる鉄の塊が地でのさばり、飛行機と呼ばれる鉄の塊が空でのさばる。
人間も幻想郷以上に嫌な奴が多いらしく、危ないと感じた生物は何でもかんでも殺してしまう。
食べると美味い生物や、貴重な毛皮などを持つ生物は、一先ず獲れるだけ獲って消費し、頭数が少なくなると慌てて保護を始める。
幻想郷よりもいろんなものが発達しているので、面白い部分もあるらしい。ただし人間に限る、と付け加えられたが。
次に、仮に外界へ逃げると考えた時、その脱出方法が極めて困難なものであるらしい。
そもそも、幻想入りしたものは好き勝手に外界へ出てはいけないらしく、博麗の巫女とスキマ妖怪による厳重な管理がなされている。
この二人が張り巡らせている結界を抜けることなど、普通に考えれば不可能であるとのことだ。
かと言って結界を壊せば幻想郷の崩壊に繋がる。それに、ちょっとやそっとでは、壊すなど愚か、傷をつけることすらできない。
方法としては、『博麗の巫女かスキマ妖怪に頼み込んで出してもらう』しかないと永琳は言った。
頼んだのに断られたら、力ずくで承認してもらう方法もあるが、命の保障はできないと言われてしまった。
つまらないと噂されるような場所に、命がけで飛び込みたくはない。
それに関連した事で、博麗の巫女の戦闘能力についても聞いた。
花の異変の際は、それほど脅威には感じなかったからだ。
これについても、永琳は首を横に振り、「甘く見ないほうがいい」と言うばかりだった。
確かに、幻想郷の妖怪退治を担うような博麗の巫女が、あの程度の実力であるはずがないとメディスンも思っていた。
スキマ妖怪は洒落にならない相手だから、絶対に相手をしないほうがいいと永琳に釘を刺されてしまった。
以上の三つの話で散々絶望させられた挙句、永琳は再びメディスンを宴会に誘ってきた。
行きたくないとメディスンは断ったが、永琳の誘導尋問染みた巧みな話術に翻弄され、結局参加しなくてはいけなくなった。
永遠亭を去る際に、『どうして外界へ出る方法など聞いたのか』と問われた。
特に理由はない、と簡単に答えておいた。
*
つまらない時間が幕を開けてから、一時間程の時間が経ったようにメディスンは思っていた。
しかし実際のところは三十分も経っていない。
宴会はまだ続くし、うるさくなっていくのはこれからだろう。
そう思うとメディスンは、一時的に普通に人形に戻りたくなった。
酔っ払って滑舌が悪いてゐの話す、意味不明な話に適当に相槌を打っていると、境内の一角で小さな歓声が沸いた。
そちらに目を向けてみると、魔法の森に住まう人形師が、人形劇を始めていた。
人間離れした――事実、人形師は人間ではない――その人形操作の技術に、誰もが感嘆している。
それを見てもメディスンは、特に何も感じなかった。
使役されているのは悔しいが、人形師の人形への愛情は感じられたからだ。
頃合を見計らって席を離れたかったが、この日の永琳は妙にメディスンと一緒にいたがった。
好いてくれているのはいいのだが、あまりにも束縛してくると鬱陶しさにもなってくる。
そんな調子で、結局数時間メディスンはそこにいさせられた。
途中、自棄を起こして酒に手を出し始めた。
美味くも何ともないが、飲み進めていく内に意識が朦朧とし始めた。
酒を飲むと眠たくなる、と言うのは事実であったらしいなとメディスンは思った。
眠気と吐き気に耐え切れなくなり、その場へ仰向けに倒れた。
何やら再び宴会場が盛り上がりだしたので、その盛り上がっている方へ視線を向ける。
そこには、ある筈のない人影があった。
一気に酔いも吐き気も眠気も吹っ飛んでしまった。
目を擦る。
夢ではなかった。
「雛……?」
鍵山雛が宴会場に現れていた。
雛は自分から宴会へ参加した訳ではないらしかった。
現に、ほんのりと紅い顔をした博麗の巫女に腕を引っ張られるような形で、来たというより連れて来させられたと言った感じだ。
しかし、メディスンは困惑した。
雛に近づくと、不幸になってしまうのではなかったのだろうか。
それを宴会に参加している者たちが知らない筈が無い。
知っているから、みんな彼女が宴会に参加する事を拒んできたのだから。
よく見ると、雛の大きなスカートに、小さな御札が一枚貼られているのが確認できた。
アレに秘密があるのかもしれないと、メディスンは一目散に博麗の巫女である、霊夢に駆け寄った。
「霊夢!」
「んん? 何」
「どうして雛が宴会に来てるの?」
「いやね、やっぱり人数多い方が楽しいじゃない。偶然、こいつがこの辺りを通ったから、誘ったってだけ」
酔っているせいか、妙に太っ腹であった。
「でも、近づくと不幸になるんじゃ」
「ああ、それね。大丈夫なのよ。これがあるから」
そう言って霊夢は、一枚の御札をメディスンに見せた。
それをメディスンは奪うように取り、凝視した。
「これは?」
「所謂『厄払い』の御札。あいつに憑いてる厄を一時的に無効化できるって訳」
厄払いの札の効果で、雛に憑く厄はどうやら無効化されているらしかった。
しかし雛は、嬉しそうな、しかしどこか困ったような、控えめで微妙な笑みを浮かべていた。
何が嫌なのだろう、とメディスンは遠巻きに見ていて思った。
雛は自分と違い、他者とのコミュニケーションが苦手な訳でもない。
暫く遠方から、雛に群がる奴らが散るのをじっと待った。
そして、ようやく空いた頃に、メディスンは雛の元へ飛んでいった。
「雛!」
メディスンが声を掛けると、雛は驚いた表情をみせた。
「メディスン? 宴会に来ていたのね」
「うん。ねえ、雛。こっちに来てよ。一緒にお話しよう」
今なら大丈夫――。
メディスンが、雛の手をとる。
その瞬間、メディスンは身震いした。
悲願が達成された瞬間でもあった。
遂に、雛と手を繋ぐことができのだ。
「さあ、雛」
「……うん」
宴会に誘ってくれた永琳に、メディスンは感謝した。
感謝の意を込め、三人で話をしながら、宴会を満喫した。
つまらない宴会も、好きな者に囲まれていると、とても輝かしく思えた。
雛がいる宴会なら、何度やったっていい。
メディスンは、心からそう思った。
雛も同じであった。
そもそも彼女は、こういうバカ騒ぎに憧れている一面があった。
それを、大好きなメディスンと過ごせたことが、たまらなく幸せだった。
永琳は、雛が同席したのは若干不本意ではあったものの、メディスンと宴会を楽しめた点は満足だった。
それに、今回、メディスンは心から永琳に感謝している。
それも嬉しかった。
宴会が終わり、境内に誰もいなくなった。
永琳は、酔い潰れた輝夜を鈴仙と一緒に永遠亭へと運ぶ為、帰ってしまった。
メディスンと雛は、一緒に鈴蘭畑に移動した。
厄払いの札の効果が切れるその瞬間まで、二人は一緒にいることに決めたのだ。
「幸せだね」
「ええ。とても」
二人の人形は、名残惜しむように抱き合い、眠った。
その先にある、大きな大きな崖の存在に気付きながらも。
上れば上るほど、落下の衝撃と恐怖は増大していくのを分かっていながらも。
一時的な幸福に身を任せることがいかに愚かしく、絶望を生むかを学びながらも。
*
宴会から三日が経った。
雛はボーっと、空を見上げていた。
あの日から、ほとんど動いていない。動けない。
幸せすぎたのだ。
宴会で騒ぎ、メディスンと眠ったあの日が、幸せすぎた。
絶景を見渡そうと、空から垂れる脆くて細い糸を上り続けた代償が表れてしまったのだ。
『空想の世界』と『現実の世界』のギャップに、雛は耐えることができなかった。
あの一日があまりにも輝かしすぎて、全てがくすんで見えた。
メディスンと手を繋いでしまった、あの瞬間が、鮮明に脳裏に焼き付いてしまって剥がす事ができない。
札の効果さえ切れてしまえば、再び自分は、近づく者全てを不幸に見舞う人形へと成り下がってしまうのは分かっていた。
それでも、彼女は、一時の至福を選んでしまった。
先に待つ絶望の存在に気付いていながら。
メディスンは鈴蘭畑で、自身の軽率さを呪った。
雛は、自分の所為で苦しんでいる。
自分の我が儘を雛に押し付けてしまった。
「雛……ごめんなさい……」
そこにいない最愛の友人へ、メディスンは呟いた。
届くはずも無いその声は、風の音より弱々しかった。
この罪は、何があっても償わなければならない。
メディスンは、決心した。
雛も、そして自分も幸せに生きれる世界を勝ち取ろう、と。
どうして雛ばかりが、幸福になることが不幸になってしまうのだろうか。
幸福と不幸が抱き合わせの世界なんて間違っている。
命を賭した大いなる決意を胸に、メディスンは鈴蘭畑を後にした。
こんにちは。pnpです。
今回は、結構マジメに書いてみています。
いつもはふざけていると言う訳ではないのですが、少なくとも普段より堅めな文章になっているのではないか、と思います。
とにかく『とても長くてシリアスな作品』に挑戦したいと思い、書き始めました。
また、三点リーダーの酷使が気になったので、自分でも書き辛さを感じるくらいに使うのを止めてみました。
上下に分けた理由は、まず、完成後投稿するといつ投稿できるかが分からなくなるからです。
休日やろう、休日やろうって思ってだらだら書いていたら、前回投稿からもう一月経ってしまいました。シリアスって恐ろしいですね。
第二に、盛り上げたい一心。以前もこれやって失敗してしまいましたが、二の舞を踏まないようにがんばります。
そして第三に、『評価待ち』状態に入りたかったからです。(これを分かっていただけると、とても嬉しい)
まさか作品集5で何も投稿できないとは思いませんでした。
因みにこの話の基盤となる物語を考えていたのは、『大自然って恐ろしい』を投稿した頃です。
考えては消え、考えては消えを繰り返している内に、執筆が大幅に遅れてしまいました。
雛×メディスンは私の正義であり、もっと流行るべきだと思っています。
だってあの二人、どことなく似ていませんか? 服装とか、リボンとか。
メディスン×永琳も流行るべきだと思います。こちらは花映塚のEDで少し触れていましたが。
ご観覧ありがとうございました。
どうぞ最期までお付き合い下さい。
---------
>>7さん
誤字の報告に感謝致します。
感想については、上だけについても書いていただけると嬉しいです。
pnp
作品情報
作品集:
6
投稿日時:
2009/11/03 14:09:04
更新日時:
2009/11/04 22:44:55
分類
メディスン
雛
永琳
グロ無
11/4:誤字修正。報告多謝。
雛×メディには私も大いに同感
後編を楽しみに待ってます
後編が楽しみです
続きが楽しみで仕方ない、この二人には幸せになってほしいな
いや、バッドエンドでもいいけどね
永琳のメディに対する愛がちょっと裏付け不足に感じたかなあ
メディ雛パートは可愛くてよかった。続き待ってます
最初から最後まで非常に良かったです。
最後はどうなるのか楽しみだ。
今んところは感想は保留にした方がいいのか?
とりあえず最後の方で「至福」誤字報告→私服
探偵事務所の前編上げた心境ととても良く似ている・・・
一日使って書いた後の進捗を見直して愕然としたり。
シリアスな話は(能力云々で)作りにくい東方でよくぞ・・・
基本ドロドロとかヤンデレとか好物だけど普段から他の人妖に冷遇されてる感のある
この二人には幸せになって欲しいなあ
もしもだけどメディスンが凶行に走った時雛はどうするんだろうかすごく気になる
経験浅い故に一線越えちゃうメディを想像すると…メディの雛への愛情も
人間への憎悪も理解できる分心にクるものがある
続き超楽しみにしてます
>「……私と、雛。どっちが好き?」
こういうこと聞いてくる親戚のおばさんって子供はすごく困るんだよなぁ
いや、永琳がおばさんと言ってるわけじゃn(ry
続きがどうなるか楽しみに待っています。
影の薄いメディと雛をここまで掘り下げた作品はこれが初めてじゃないか?
二人の出会いから絡みまでが無理無く自然過ぎてpnpさんの文才が怖いわ