Deprecated : Function get_magic_quotes_gpc() is deprecated in /home/thewaterducts/www/php/waterducts/neet/req/util.php on line 270
『抜け道のない魔理沙の魔法実験』 作者: サルア
注意:長いよ
─────
霧雨魔理沙は試験用の炉に火を灯すと、器用な指先で実験の経過を書き取っていった。
渡り鳥の羽をつけたペン先が流暢に流れて、次々に魔法用語が記載されていく。雑多な小道具に埋もれた室内に、ペンが紙をかする音だけが響いている。
布巾でインクを拭い取ると、魔理沙は大きく伸びをした。
「…ふぅー。今日はこんなところにしとくか」
凝った肩を二度ほどさすると、コキコキと首が鳴った。
全く若いのに、と魔理沙は苦笑する。魔女の職業病だ。机に座ってばかりいるので自然、腰が曲がる。身体が固くなる。
生憎魔理沙はアウトドア派の魔法使いだったが、熟練するとこれも魔法で治してしまうらしい。
そこまでくると、もう健康なんだかはたしてそうでないのか。
「しかし、これで一歩霊夢に近づけたはずだ。次の弾幕ごっこは見てろよ」
今回の研究テーマは結界についてだ。
紅魔館の魔女から得た協力で、フランドールを閉じ込めている結界の仕組みを提供してもらった。
それと言うのも、かねてより、霊夢にあって自分には何が足りないのか魔理沙はずっと考えていた。
最初の発想は単純なほど良い。結界術であるとあたりをつけた魔理沙は、霊夢や紫とは別のアプローチで結界を自分の魔法に取り込もうとしたわけだ。
疲れきった身体で机の上を整理すると、魔理沙はもう一度大きく息を吐いた。
それにしても眠い。まぶたが重くのしかかる。
今日の実験は危険なものじゃない。片付けも適当でいいだろう。器具の起動スイッチを切って脇にどけていく。
外を見れば昼頃だった。丸一日くらい机に向き合って研究に没頭していたようだ。
よしよし、中々良い集中力だ。さすが私。
カーテンを閉めて、放り込むようにベッドに身体を投げ出して魔理沙の意識は遠くなっていく。
ああそうだ。暖房をつけとかないとな。
右手で八卦炉に魔力を注ぐと、ゆるい熱がオレンジ色の光と共に優しく部屋に放出された。
魔理沙の部屋は器具に囲まれて昼でも真っ暗。
寝息しかしなくなった室内、積み重なった書類の上から紫色をした真四角の装置が落ちた。
床にぶつかり高い音を立てて、結界術の炉が低調な起動音を発し始める。部屋全体を静かに、結界が覆っていく。
その魔力が八卦炉と同調を続けても気付くものは誰もいなかった。
────────
「魔理沙!すごいわ魔理沙!あこがれるわ魔理沙!」
「そうなんだぜ霊夢。やっと私のすごさが分かったのかだぜ」
あ。
「今のあなたに比べたら私なんてゴミ虫、やっぱり才能より努力なのね!」
「いやいや、ははは。霊夢だっていい線いってるんだぜ。ただすこし私より劣ってただけだぜ」
なんだ。
「ありがとう魔理沙!なんて謙虚で心が広いのかしら!」
「大したことないぜ」
なんだか、これ。
「弾幕ごっこでも大勝して、それでも驕らないなんて!なんて魔理沙はすばらしいの!」
「私なんだから当然だぜ」
あ、ああー。
「博麗の巫女の称号はあなたのものよ!次の幻想郷はあなたが引っ張らないとダメだわ!私みたいなクズじゃ!」
「そこまで言われたら仕方ないぜ。霊夢は私の助手にしてやるぜ」
霊夢が涙ながらに感謝した。
「ほんとなの!?ありがとう!ありがとう!」
ああこれ
「あっづぅー……」
魔理沙はベッドから起きた。
眠気はすっかり飛んでいて、軽い頭痛がした。
反射的に額に手をやる。すると、手のひらにじっとりと汗がついていた。
あまりの暑さに、身体に纏わり付いた上掛けを引き剥がす。
なんだこりゃ。夏かね。
「ああ…? …夢か。今、何時だ」
魔理沙は数回かぶりを振る。
「それにしても……」
暑い。
どうしたことだろう。季節はずれの異常な暑さだ。ぽたぽたと滴る汗が肌着にはりついて、気持ちが悪い。
指でいじくると、髪の毛がベタついている。
と、そこまで考えて、暖房を入れていたことを思い出した。
魔理沙は周りを見渡して、八卦炉を探した。
寝る直前は意識が殆どないような状態だった。大方温度の調整を忘れたのだろう。
ぼんやりした頭でそんなことを考えながら見回す。
ベッドから降り立つと、全身が汗まみれなのに気付いた。気分の悪さを感じつつも、明るくオレンジの光を放つ元を探した。
発光していた魔力はすぐに見つかった。どうやら寝相か何かでベッドの下に落ちて潜り込んでたらしい。
横に倒れたそれを魔理沙は引っ張りだした。
「あづっ…!!」
八卦炉に触れた瞬間、手の指を痛みが襲った。
驚いて、見れば、八卦炉の金属部分が熱を持っている。そこに直に触ってしまったため、魔理沙の右手の指先が腫れてしまった。
長時間の使用で八卦炉の魔力が暴走気味らしい。
魔理沙は痛みに顔を歪ませて、右手をそっと掴んでかばう。オレンジ色の光に、魔理沙は悪態をついた。
それにしてもうかつだった。
火傷だからよかったものの、床に落としたものをこのまま放っておけば、床が発火して火事になっていたかもしれない。
すぐに八卦炉の火を落とそう、魔力を流して制御する。
しかし熱は一向に収まらなかった。
「こりゃ完全に故障か…。それにしてもあちぃ。これは香霖に押し付けるとして、とりあえず換気するか」
魔理沙は窓枠に手を押し付けて、力を込める。しかし窓は開かなかった。
「なんだよ、こっちも故障かよ。おいおい冗談じゃないぜ…ったく」
くそ。ついてない。
なら、と思い。傷を冷やすために廊下へ続くドアを開けようとした。
しかし、こちらも魔理沙が何度ドアノブを捻ろうと動かない。
「はぁ…? どうなってるんだ!」
暑さですべる手をしっかりとドアに結びつけ、乱暴にドアへ力をかけた。ここに鍵はかかっていない。
向こう側でつっかかっているものがあると思って、魔理沙は、ドアの前で格闘する。
一分近く粘ったが、扉自体がまるで溶接されたようにビクともしなかった。
寝ているうちに地震が起きて、立て付けが歪んでしまったのだろうか。そんな愚にもつかないことを思った。
それにしても暑さが苛立たしい。
魔理沙は机へ向かうと、とりあえず頭をすっきりさせるために、冷めたコーヒーを一杯口に入れた。
「状況を整理しよう」
魔理沙は椅子に座った。
「なぜか、部屋の扉と窓が閉まってて開かない。外に出られない。今後の方針は、原因の究明と部屋からの脱出だ。以上」
どんな時でも冷静に物事を分析してから行動にあたる。
それが魔理沙さまスタイルってわけだ。
取り合えず外に出て水が飲みたい。あとお腹も減ったし腹ごしらえだ。取り合えず窓が開かない異変の原因解明はあとにして、先に外に出てしまおう。
そしたら研究の成果を見せるために、霊夢のところでも行くかな。
今の時間は……カーテンの外は夜か。よし、行動開始。
魔理沙は様々な脱出経路を試してみた。
本と机を高く積み上げて天上裏へ抜けようとしてみたり、以前荷物の重みで床に空けた穴や、遊び心で作ったベッド下の秘密のリビングへの抜け道を試した。
だが、どこも全く使い物にならない。昨日まではどれもしっかり用を為していたはずだ。
ドアにも開錠の魔法をかけたが、成果はない。他にも、簡単な魔法では効果なかった。
ようやく魔理沙にもすこしの危機感が生まれる。
めんどくさい事態だな、程度の認識ではあったが。
魔理沙は椅子をもって窓際に立った。
「仕方ないな…。この冬は窓がないとつらいんだろうけど…しばらくの我慢だ!」
一人、言って、思い切り窓ガラスに椅子を叩き付けた。
しかし
「嘘だろ!?…っつぅ…!手がしびれた…」
そこには以前と変わらぬ姿のガラスがあった。相変わらずのんきに外の風景を切り取っている。
魔理沙の頭にアリスの言葉がふと蘇った。
彼女は魔理沙宅の落成式にあたってこんなことを言っていた。
『魔理沙。魔法の森は危険だから、家を強固に作っておいたわ。瘴気や毒素、妖怪なんかが入ってくれないように隙間なくキッチリね。大抵の衝撃じゃ壊れないようになっているから、感謝しなさい』
自分の家の建設を手伝ってくれた彼女に、魔理沙は怒鳴った。
「あんのバカ!余計なことしやがって!」
くの字に曲がった身体を起こしてもう一度椅子を叩き付けた。
派手な音だけが鳴って、窓はビクともしない。外枠の部分は堅固に固定されている。
しばらく時間が経った。
冷静になってみれば、この状況は異常だ。
恐らく、誰かが作為的に自分を閉じ込めたのだ。ドアは開かないんじゃなく、縫い付けられたように動かないんだ。
なんの能力だかは知らないが、そんなことができるヤツにも、しそうな動機をもったヤツにも、魔理沙は山ほど心当たりがあった。
だが実際にこんな遠まわしの嫌がらせに打って出るヤツは、少なそうに思えた。
「おい、誰だよ。誰か見てるんだろ。私のこと閉じ込めて…覚えてろよー!」
物だらけの部屋のどこにでもなく魔理沙は叫んだ。
「パチュリーか、アリスか? 悪ふざけはやめろったら!」
大体妖怪ってのは人が嫌がることをやるのが好きな意地の悪い連中なんだ。必ず暴いてやる。
私のことを見て楽しんでるなら、部屋の中に魔法で作った監視用のモニターがあるはずだ。
それを見つけて、やいお前、と怒鳴りつけてやればいい。
部屋の温度が、まだ上がりつつある。オレンジ色に照らされた、山ほどある雑多な道具を見て、魔理沙はうんざりした。
この中から探すのだ。だが、そもそも、ここにあるアイテムを魔理沙は把握し切れていない。見つけてもそれと分かるだろうか。
汗を袖でぬぐい、暑さの元である、制御のきかなくなった八卦炉を、部屋の隅へと蹴った。
仕方なく上着を一枚脱いで、ブラウスだけの姿で魔理沙は部屋をひっくり返していた。
滴り落ちる汗は留まることはなく、その代償として喉の渇きに襲われていた。
途中、解析の魔法を駆使して、ドアが動かない原因を探ってみたが、結果は無意味に終わっている。
「だぁー…!くそ、降参だよ。もういい加減にしてくれよ!」
魔理沙は叫んだ。
物の多い場所から始めた部屋漁りは身体に疲労を強いただけだった。
「なんだよ…。ふざけんな…」
冗談じゃ済まない。
こんなに私を困らせて何が楽しいんだろうか。
先ほどから、ある可能性がチラチラと影を見せて魔理沙を苦しめている。
まだ遠くにあるその恐怖の影は黒いコートをたなびかせていた。それが時間の経過と共に段々近づいてくるのだ。
もし、本当に悪意のある妖怪が、私をここに閉じ込めたんじゃないだろうか。
事実、私はここを出られない。
あまつさえ、それが殺意があるような、食欲に動かされたやつだったとしたら。
魔理沙は消耗して、床に座り込んだ。
探すのを諦めたとき、ふと机の脇に落ちている書類の束、その下に隠れるようにしてぼんやりと魔力が感じられた。
不審に思い、疲れた腕を動かして、紙をどかしていく。
「あ? あ、なんだこれは…あ、はは。まさか…は、あはは!」
魔理沙は、その正体が分かった途端、乾いた笑いを発した。
「そうか。これが原因だったのか。結界術用の炉が、この部屋に結界を張ってたのか!」
道理で、部屋から全く出られないわけだ。
仕切られた一定の空間を完全に閉鎖する程度の結界。魔女が作った結界だけあって、優秀だったわけだ。なんと原因は自分の魔力にあったのだ。
これまでの不安が一気に楽になる。
分かってしまえばあっけない。なんて情けないミスだろう。
魔理沙は自分自身を笑った。焦って損をしてしまった。一人芝居を演じていたわけだ。
安心すると、全身の力が一気に抜けた。
「はぁー…バカらしい。たぶん、床に落ちたときの衝撃で起動ロジックでも入ったんだな」
やっと水が飲める。乾いてしまった唇を腕でこすって、魔理沙のオレンジ色に照らされた顔は高揚した。
阿呆な八卦炉のおかげで暑いことこの上ない。
とっととこっちの炉のスイッチを切って、結界を解除してしまおう。
魔理沙は試験用の炉に手を伸ばした。
「あづ!」
紫電が音と共に発光する。
魔理沙は瞬間的に右手の指を押さえた。
言葉もなく、歯を食いしばってきつく手を締め付ける。
強烈な痛みを抑えるためだった。
ポタポタと血が床に落ちる。
赤い血液は指先から滴っていた。先ほど火傷を負った同じ場所が、まるで爆ぜたように肉が抉れている。
汗に濡れた顔が、さらに冷や汗まで伴った。
「なん…だ…」
床に落ちた試験炉は光を発している。結界の光だった。
だが混乱する頭が考えているのは作動している結界のことではない。痛みがひどく、それどころではなかった。
魔理沙は自分の指をみて、思わず目を背け、声をあげた。
「痛いよ…。くそ、痛い…痛い!」
うずくまって、何度も同じことを繰り返す。
「痛い。痛い。私の指がぁ…」
自然と涙が溢れてくる。
なんでこんな目に合わなきゃいけないんだ。
私は何も悪いことなんてしていないのに。
そんな文句だけが頭に浮かんでは消える。痛みと理不尽な現状が、絶えず頭を殴りつけた。
泣きながら、魔理沙はもだえ続けて床を這いずった。
その間にも暑さは魔理沙の体力を奪っていった。
無理矢理切り取ったシーツの切れ端を、簡易用の包帯として指に巻きつける。床には出血の跡。
ピンクの肉が覗いていたそれを、魔理沙はやさしく保護した。目にはまだ、涙が残っていた。
「傷、残っちゃうかな…」
湿りきった全身と、汚く、涙とゴミで汚れた顔でぽつりと呟いた。
「外…」
窓から見える光景は冬の魔法の森。
いつもとなんら変わらない外と今の異質な状況、それを分けるのはたった一つの薄いガラスだ。
魔理沙はひどい疎外感を感じた。
誰かの助けは期待できない。
そもそも普段、魔理沙の家に人が訪れることなど滅多にない。
霊夢だって隔週で来ればいい方なのは、大抵自分から訪ねに行くからだ。
運が悪ければ一ヶ月は誰も来ない。
今頃皆はどうしているだろうか。
何時ものように、アリスも霊夢のところに集まって遊んでいるんだろうか。
それを想像すると心に黒いものが込み上げてきた。
窓の外を睨みつけて、無意味と知りつつ、ガラスを左手で叩いた。
一度きりの弱音で、汗を拭って魔理沙は立ち上がる。
しかし、原因は分かったんだ。
「もうこうなったらやってやる。絶対に抜け出してやるぜ」
何度も慎重に近づき、魔力を感じ取り、身体を傷つけながら魔理沙は試験炉の分析に挑んだ。
試験炉は結界の核だ。
結界を作り出す装置自体が、結界により守られていないのなら何の意味もない。
八卦炉と試験炉の魔力が互いに意図せず干渉しあって、起動状態を解除するロジックが変わってしまったらしい。
化合する特定物質のように、魔法にだって相性はある。
八卦炉も、試験炉も、いわゆる暴走状態に陥ってしまったと、魔理沙は理解した。
「炉の制御を取り戻せば、すぐにこんなの止めてやる」
室内の温度は尚も上昇を続けている。逃げ出すことのない密室空間で一方的に熱が篭っていった。
部屋の隅にある八卦炉の出力が、上昇を続けている。
隅の隅に八卦炉を置いて、周りを本棚で固めた。
オレンジの光がすぼまり、熱が部屋の隅に寄ることで、すこしは温度の上昇を妨げられる。
「これでよし。あとは…」
紫色に包まれた試験炉を見やる。
結界だ。炉を覆う結界はパチュリーが作り出した魔力の牢獄。
この外側から炉に干渉、魔理沙自身の魔力で親和させて無力化した後、スイッチを切らなければならない。
しかしそれは、下手をすれば試験炉に、より多くの魔力を与えることになる。さらに強固な結界になる可能性もある。
横に倒れた炉を魔理沙は慎重に起き上がらせることから始めた。
触らないように、パチュリーの浮遊の呪文を使って、こぶし大、六角形の不恰好な装置を床に立て直す。
ジクジクと痛む右手を気にしながら、魔法を使うと、より多くの体力が消耗され、集中力が消えそうになる。
「大丈夫だ。私にはできる…冷静に、だ…」
結界に手が当たらないぎりぎりの距離から、魔理沙は試験炉に干渉を始めた。
頭の中に入っている炉の設計図をしっかり握り締め、自分の魔法に侵入を始めた。
淡い光が手の平から放たれる。これが試験炉と魔理沙を繋ぎとめるものだ。
様々な情報が魔理沙の頭を錯綜した。
「あと少しだ…。緊急停止用のロジックを組み込んでおいてよかったわ…」
その時、汗が一粒、魔理沙の髪から零れ落ちた。
自慢の綺麗なブロンドは、垂れ幕のようにしなっている。その先から滴ったそれは、試験炉に落ちると、結界に反発を起こした。
「きゃ」
再び、紫電が走る。
視界に瞬く光に驚いて、一瞬だけ魔理沙の手が揺らいだ。
結界の瀬戸際で作業をしていた両手が、もう一度魔力の障壁に接触する。
「…いっ、ギャ…!」
言葉にならない叫びが上がった。
魔理沙の腕から激しく血が流れた。
手の先の方は殆ど真っ赤になり、暴れたせいで腕を棚にぶつけると、頭が真っ白になる。
形容し難い激痛で、涙が顔を汚していく。
「痛い…いたい!くそ、いたい!」
死んだほうがマシだしだと思うくらい、絶えずひどい刺激が腕を苛む。
意味もない苦しみの声を吐き出し続けた。
頭が混乱して、ようやくしばらく経って、自分が結界に手が触れてしまったんだと気付くことができた。
呼吸を荒げたまま、一旦思考が落ち着くと、激しい怒りが魔理沙に湧き上がってきた。
「この…髪が、邪魔だったのか、ちきしょう」
魔理沙は外の風景を睨みつける。
「あと少しだったのに…。痛いんだよ、くそ、なんで誰も来ないんだよ。そんなに私が嫌いかよ」
なんでだ。
痛いし、暑い。熱が篭って鬱陶しい。
最悪の気分なのも、私のミスじゃない。この髪が邪魔しなければもう出られていた。汗さえ落ちなければ。
「ああぁぁ、ふざけんなよっ!」
怒りで地面を踏むと、振った腕から血が飛ぶ。
そのまま、足元の本をひっつかみ
「お前のせいだ!言う事聞けよ!ぶっ壊れろ、私の結界だろ!」
試験炉へと何度も分厚い本を叩きつける。
材木からできた本は、結界の前に細かく散って行った。
「壊れろ壊れろ壊れろ!」
次はお気に入りの時計が、結界に飲み込まれた。触れるだけで粉々に破砕する。
どんなに物を投げつけてもむなしく霧散していくだけだ。
それに苛立ち、魔理沙は炉を蹴飛ばした。
瞬間、また痛みが走る。足の爪が、捲れ上がったように抉れていた。
「ぐっ…ギャアぁぁぁ!」
痛い。
激痛以外の感覚はとうに消えていた。足全体が切り落とされたみたいに痺れを発する。
まるで言う事を利かない身体が倒れこんだ。
衝撃が身体を襲い、怪我をした右手が床に叩きつけられる。
狭い室内に獣のような悲鳴が響いた。
血だらけのシーツが巻かれた、ゴミ捨て場のクズのような格好で、魔理沙は床にうずくまる。
「ううっ…。くっ、グス…。もう、やだよ、許してよ…」
涙と鼻水だらけの口元から、懺悔に似た言葉が出る。
心はすでにくじけて、何時もの男勝りの口調はなりを潜めていた。
「ひぐっ…、もう、悪いことしないから、お願い…ズッ、ここから出してよ…」
何度も血まみれの腕で顔を擦り、赤く汚れた顔から、ぐずった顔が覗く。
「うぇ…ぐっ。グズっ」
部屋の中の全てが乾き始めていた。
湿気の篭るはずの室内から水分は一気に飛び、部屋に高温の埃が舞う。
それが肌に当たって、火傷の痛みをもたらした。
汗は留まることなく流れ続け、強烈な喉の渇きが絶えず神経を削る。
せめて埃と、オレンジ色の八卦炉の光から逃れるために全身にシーツを被って座る。
その中で、魔理沙は汗をかいて脱ぎ捨てた服にむしゃぶりついていた。わずかな水分が喉に染みる。
シーツが擦れただけ悲鳴をあげたくなる傷と乾きで、ついに魔理沙は痛みにではなく、不安に泣き出した。
「…グスッ。う、うぐぇ……うぇぇ…」
魔理沙は泣いてさらに、顔まわりがグシャグシャになった。
涙を舐め取って落ち着くと、とうに暑さが限界を向かえていた。
急激に衝動が起こる。
「のどが…いだい。水、飲みたい…」
魔理沙は落ち込んだ眼孔で、ぼんやりと自分の机を見る。
「み、水…。ゴーヒー。さっきの、机の上に、のごってる…」
なんとかたどり着いた卓上にはコップが残っていた。しかし暑さのせいで中身は殆ど蒸発していた。
濃く、真っ黒になった液体を見て、魔理沙は目を輝かせた。
「コーヒーだ。コーヒー」
コップの底をまで舐め取って、魔理沙は喉を潤す。泥を飲んでいるかのように、口が黒くなった。
実際、汚泥のようなコーヒーを魔理沙は喜んで飲んだ。強烈な苦さもまるで気にならない。
「ふぅ…おいしい…」
足から流れる血の轍をひきずり、再び魔理沙はシーツの中へ戻っていく。
部屋を真昼のごとく照らす明りは、真夏の太陽のように肌を焼くのだ。
魔法使いの住処は、それ自体が大きな炉と化していた。
「私…このままじゃ、死んじゃうぜ…」
それから半刻もの間、痛みに耐えながら、魔理沙は何もせず蹲っていた。
朦朧とした頭で誰かの助けを、蒸されながらも待っていた。
それは出血と熱気で苛め抜かれた身体の最初で最後の奇跡だった。
全身の汗が蒸発し、一時的に体の熱を奪う。頭が冷めて冴え渡り、普段の情緒を取り戻した。
今後もうこんなチャンスはないと、自分自身で分かる。
「何やってるんだ。私…逃げないといけないんだよ」
瞼の裏に、いつもの日常が映った。
ここで座っているのなら、ただ蒸し焼きになるのを待つだけだ。
「霊夢とだって、まだ決着つけてない。アリスだっていつか追い抜いてやる…。パチュリーの本は、まだ、絶対返してやるもんか」
魔理沙は自分に言い聞かせるように呟いた。ひどくかすれた声だった。
今やそれが魔理沙の心を支えていた。その考えが、魔理沙に力を与えてくれた。
一度、気合を入れなおす。
全身ズタボロ、しかしやるしかない。もうこの機を逃すわけにはいかない。
「いっ……。こりゃ、きついぜ。でも動いてくれよ、私の足…」
出血のひどい足と、結界を蹴るほど血が上っていた頭の両方に魔理沙は嫌悪した。
一度、包帯代わりのシーツをきつく締めなおす。
鋭い痛みが全身に波及した。
「はぁ…。くっ…はぁ」
慎重に、結界を発する試験炉の場所まで歩き出す。
一息ごとに喉が焼けるようだ。空気が乾いている。
炉は一目見ただけで分かった。もう、無理だった。
一度の失敗で、中途半端に結界術が刺激され、完全に魔理沙の制御を離れてしまっている。
止めようのない暴走状態に陥っていた。
その事が、髪の掻き毟りたい衝動を魔理沙に引き起こした。
「…いや、落ち着け。落ち着けよ。まだ、何か…何かが、手があるはずだ」
この結界に穴はあるか。
確かに、ない。元々はフランドールを地下牢に閉じ込めるために作った結界だ。五百年に渡って彼女を拘束した。
欠陥の抜け道などあるはずがない。ではもっと、発想の転換を考えろ。
「何か…」
最初はどうした。私はどうしたんだ。
魔理沙は目を見張った。
「…そうだッ!私は一度、この結界を破ってフランドールに会ってる!」
なら、その時のことを辿ればいい。
魔理沙はついで、思いついた。
ある道具を使って、結界を力ずくで突破できる。
後ろを振り返り、その発想をしっかりと理解した途端、魔理沙は真っ青になった。
「マスター……スパーク」
手にかざして、直接魔力を注ぎ込むことによってしか発射できない魔力砲。
本棚の向こうを覗くと、直視し難い光を発するその中心には、白熱する八卦炉があった。
「やんなきゃ死んじゃう…。やんなきゃ死んじゃうんだよぉ…!」
何重にも布団を体に巻いて、魔理沙は八卦炉の前に立っていた。
熱い。息が苦しい。
ストーブの中心部に似た光と熱が顔にかかっている。
「やだよぉ…」
魔理沙の顔は情けなく、悲痛に歪んだ。
立ち直った心は、辛い現実の前に簡単に膝を折っていた。
これからこの金属の道具を掴んで、魔砲を撃つ必要がある。
だがこのまま蒸し焼きになる未来以上に、それをやったときの自分の手の状態が、簡単に、残酷に想像できた。
表面温度は上昇を続け、待てば待つほど八卦炉の温度はあがると分かっていたが、それでも魔理沙は一歩を踏み出せずにいた。
熱そう。そんなこと考える余地はなかった。
なにしろ、放たれる熱気が全てを物語っている。きっとこれに触れば皮膚が焼け爛れて、指が焦げ落ちる。
魔理沙は嗚咽を洩らした。
「うぐっ…。え、ぐっ……うぇ」
眉が恐怖で歪み、眦が下がって、歯がガチガチと鳴る。
魔理沙は何度も何度も、八卦炉に手をかけては、引っ込めたりを繰り返していた。
手を近づけると、赤々と燃え立つ金属の熱が、傷ついた肌をあぶるように感じられた。
「こんなのないよぉ…」
嫌だ。絶対に触りたくない。
「熱いよぉ…。絶対、こんなの、火傷しちゃうじゃんかぁ…」
魔理沙の顔は嫌悪と絶望に染まっている。
その時、ついに限界を迎えた床から煙が上がり始めた。
「ゲホッ!…ケホッ!」
魔理沙は咳き込んだ。
このままじゃ家ごと燃えて死んじゃう。限界だ。
熱を防げるわけないのに、言い訳程度に巻きつけた、手の包帯が魔理沙の勇気を後押しした。
「ごえんなさい…。助けて…れいむ…。ゆがり…うぐぇ!アリズぅ…」
汚く汚れた顔で、友人の名前を呼んで助けを求める。
ついに魔理沙は、白熱した八卦炉を掴んだ。
「ぎゃああぁぁああ!!!ああッ!!あぁぁッ!!」
小さくて白い魔理沙の手が一気に熱にねぶられた。
少女の可憐で細い手は、一気に水ぶくれで赤く腫れあがる。
掴んだ指から異臭が発した。
「あぎゃ!いっ…づっ…!!がああぁ!」
熱に侵された腕から強烈な激痛が這い上がる。
「いだいぃ…!ぎ、がぎ…いやぁ!いや、いやぁ!」
魔理沙は鼻水だらけの顔を振り回し、目を限界まで見開く。
体中の穴という穴から、ひどく生理的な液体が溢れ出した。
断末魔に似た絶叫を上げて、魔理沙は転げて倒れた。
「ごうりん…!!いだい、いだだいぃ…!あづいよぉ!たすけっ…」
生きたまま体から煙をあげて助けを求めた。
股間から、大量の水分が排出されている。
長いスカートは股の部分を中心にジワリと滲んだ。
自分の体が焼ける臭いがくさい。
「うぎ…やら、なきゃ…。うっ…うぅっ…」
激しく八卦炉を握り締める。
一層強い煙が手から出た。
ピンクの肉が溶けて、骨が見え、指が八卦炉に付着していた。
血は、熱で霧になる。
「マズ…マズタッ…」
魔理沙は、唇を噛み締める。
痛みで殆ど言葉は出ず、頭は真っ白。もはや魔理沙の可愛らしかった容姿は面影もない。
しかし、かろうじて、頭に残った冷静さは魔理沙の財産だった。
これまでの人生で培ってきた、魔法使いの最後の意地と、泣くだけでは解決しないと心の底から理解している性根だった。
窓の外に八卦炉を向けた。這いながら睨みつけた。
外の、いつもと変わらない風景。
そこを煤けてグシャグシャの顔で見つめて、魔理沙は叫んだ。
顔中、どの部分も苦痛で歪みきり、口が裂けるほど開いた絶叫だった。あるいはただの泣き声だったのかもしれない。
だが流しすぎた涙のせいで、瞳だけは綺麗に透き通っていた。
「マズダァー……スパァァァク!!!」
恋符の宣言で、八卦炉から膨大な魔力が飛び出した。
真白い光線が一直線に外へと駆け出す。独特の轟音をもった魔砲が、次々と結界面に衝突して消えていく。
中和され、火花を散らしたスパークが視界を白く染め上げた。
「…うぐっ。うぇっぐ…あぁ!はやぐぅぅ…熱いぃ!」
残り少ない魔力をすべて体中から絞り出す。
八卦炉が軋み、痛みが増大する。
永遠に感じられる一瞬の連続が始まった。
熱いという感覚はすでにない。激しい嫌悪感を伴った刺激が、八卦炉を持った右手から伝導する。
「はやぐしてよ…!あづっ、や…あああ!」
絶え間なく続く苦痛の中でも、魔理沙は正気を保ち続けた。
終わりはあっけないものだった。
最後にはようやく、魔砲の威力に耐え切れず軽い破砕音を立てて、ヒビが入って壊れた。
右手に握った八卦炉がひしゃげた。
白いスパークは止み、床に、八角形の金属が落ちた。
パーツを撒き散らしながら地面を駆けていく。響いた音が、やけに耳に残った。
「……え?」
その向こう側には、いつもと変わらない自室の壁と、窓から切り出される冬空の風景があった。
「あ…」
失敗した。
その事実が分かると、魔理沙の心の淵から、どうしようもない、真っ黒な絶望が沸きあがってきた。
体中に怖気が走る。
暑さで乾燥した全身の肌が、青を通り越して、土色に変色した。
ただただ恐怖が増大する。
死のイメージ。体を一気に包んだそれを前に、魔理沙のか弱い自我は、身を守る術を持たなかった。
「あぁ…う。あぅ……」
魔理沙は呆然とする。両手で自分の体を抱いて座り込んだ。
赤黒い右手。血の通わない左手。
もう何も見たくない。もう何も聞きたくない。
真っ赤な炎の塊が、部屋の真ん中に生まれた。
赤ん坊のように生まれたての光源。その正体は半壊の八卦炉だった。
直視はできなかった。光は今や溶鉱炉のそれに達している。
魔理沙の魔法に多量の魔力を与えられた炉は、ただ温度を上げるべく唸りをあげる。
コボ、コボ、と
八卦炉から、橙色の、液状の何かがあふれ出した。
目が痛い。強い光を発する、マグマのようなものが蛇口の水みたいにこぼれてくる。
明らかにそれは高温だった。
ケロイド状に融解された魔力が木の床に触れると、そこから発火した。
床の板目に沿って、燃えながら迫ってくる。
明るい海が生まれようとしている。
その光景を見た魔理沙は、喉からありったけの声を捻り出した。
「あああああああああああああああ!!」
痛んでた足で床を蹴り付けて、魔理沙は反対側のドアへと駆け出す。
そして、何度もドアを叩いた。
論理的な思考はもう何の意味もなかった。魔理沙の小さな自我は完全に壊れた。
「いやぁぁぁ!やだ、出して、ここから出して!!」
両手の拳を叩きつけるごとに、音だけが鳴った。
「やだあああああ、霊夢!!霊夢!助けて、助けて助けて!」
背後から光が迫って来る。
「だずけてぇぇ!!」
叫びには、木材の焼ける音が答えた。
「出してよぉぉ!!なんでもじまずからぁぁ!お願いだよぉ!」
魔理沙はドアを叩き続ける。
後ろからガラスが割れる音がした。実験器具が炎に煽られて砕ける音だった。
熱気だけで背中が焼けそうに痛い。
「やだ、やだ!!」
ただもう、怖くて、魔理沙は泣いた。
臆面もなく、涙を流して助けを請う。
「ひぃ!?」
振り返ると、融解液がそこまで来ていた。燃え盛る炎で、殆ど何も見えない。
焼けてく天上。室内はまるで地獄。
荷物やベッドの上にとび乗ろうとしたが、すでに炎とマグマに囲まれて、届かない。
ドアを背に、魔理沙は壁際に寄りかかった。
両手を組んで、魔理沙は呟く。
「ああぁ…。あぁぁ…。お母さん…」
燃えながら進む高温の液体に、行き場がなくなっていく。
壁に張り付いたが、足元からついに、あと数センチのところまで追い詰められた。
最後に残された希望は、神頼みくらいだった。
暖炉の中心が、世界中に広がったような明るさ。
魔理沙は目をつぶった。
足に高温の液体が触れた。
ジュウ、という音。
反射的に倒れこみ、魔理沙は顔からに融解液に突っ込んだ。
「………ッ!」
熱すら殆ど逃がさない結界は熱源を溶鉱炉に変えた。
半永久的に温度が上昇を続け、外殻の溶けた八卦炉が純粋な魔力体に変化する。
それでも熱量は増加し続け、結局、結界を分解するほど内部が高熱の空間になって、初めて結界は破壊された。
そのとき中にあったのは、もう判別もつかなくなってドロドロになった何かだけだった。
だって魔理沙が冬は寒いねって言ったから……
サルア
作品情報
作品集:
9
投稿日時:
2009/12/31 07:14:29
更新日時:
2010/01/01 04:37:12
分類
魔理沙いじめ
あったかほんわかストーリー
引き込まれるような面白いお話でした。
パニックぶりがグッドでした
物語の構成がうまくて面白かったです
そんな巨大な超高温物体(=魔理沙の部屋)が通常空間に出現したら、
まず間違いなく爆発的な反応が起きる。つーか爆発する。
つまりアリスも爆発するな。
最初は強気ないつもの魔理沙から、次第に余裕がなくなっていく流れが秀逸
自業自得なのに勝手に他人のせいにしたり、危機が迫るや罵った相手に助けを求めたりする小ささが実に魔理沙らしい
十数年程度しか生きてないゴミクズの器では扱えようもない魔術を、調子に乗って使おうとするからこうなる
どうせ習得できたところで霊夢には勝てっこないのに…やっぱり魔理沙はかわいい
でも、可哀想だよなぁ
ゴミクズの運命は最初から決まっているんだが
ついつい霊夢やアリスが助けに来る展開を希望してしまう。
悪趣味の度が過ぎる…!
私刑!拷問!罵りっ!
どんなコンプレックスからこんな妄想を……!