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『森近霖之助inリョナゲー的な空間』 作者: 潤

森近霖之助inリョナゲー的な空間

作品集: 10 投稿日時: 2010/01/09 15:44:07 更新日時: 2010/01/10 00:44:07
「…………………………」

眼を覚ました森近霖之助が最初に見たもの
それは変わり果てた自室の姿であった
別段部屋が荒らされていただとか、滅茶苦茶に壊されていたわけではない
寧ろ今の彼にとっては、そちらの方がどれ程よかっただろうか

「これは……肉…………なのか?」

壁も、床も、天井も、箪笥も机も本棚も布団も何もかも、配置はそのままに、それら全ての材質が肉のようなブヨブヨとした何かで作られていた
視界一面が赤い肉色に埋めつくされていると言うのは大層気持ちの悪いもので、霖之助は無意識に自分の口元を押さえていた

「いったい何がどうなっているんだ……」

このような悪趣味な悪戯をするのはどこのどいつだ、と霖之助は自分の知人の顔を思い浮かべてみる
まずこの状況を作れそうだと思い至ったのは八雲紫だったが、これは彼女の嗜好に合わないだろうと首を降る
結局知人連中の仕業ではないと言う結論に至り、ならば次はどうするかを考えだす

「まずは脱出、だな」

変質したこの部屋の間取りが元の部屋と一緒と言うことは、おそらくこの部屋以外の間取りや構造も香霖堂と同じだろうと、霖之助はそう片をつけた

「となれば脱出ルートの構築も容易い。扉までの距離からして勝手口から出るだけだ」

そうと決めたらまず行動を、と霖之助が踏み出した瞬間だった

肉一面だと思われた床の隙間に巧妙に隠されていたモノ――鋭く尖った骨の槍が、勢いよく飛び出し霖之助に襲いかかった
弾丸の如き勢いの槍は霖之助の肛門と陰嚢の中間に突き刺さり、勢いを殺すことなく霖之助の身体を上へ上へと突き昇る
柔らかく弾力のある腸に弾かれる事なく、胃と食道を穿ち、上顎に穴を開ける
そのまま脳を縦断し、終いに頭骨を突き破った
頭からピョコンと骨槍が飛び出た霖之助の姿は、まるで一本角の鬼ようでもあった
が、股間から頭頂までを串刺しにされている為、どちらかと言えば百舌鳥のはやにえと表現した方が適切だった
ともあれ、如何に妖し混じりであろうと脳を貫かれては生きてられない
このようにして森近霖之助はあっさりと死んだのだった







「…………………………」

眼を覚ました森近霖之助が最初に見たもの
それは変わり果てた自室の姿であった
別段部屋が荒らされていただとか、滅茶苦茶に壊されていたわけではない
寧ろ今の彼にとっては、そちらの方がどれ程よかっただろうか

「これは……肉…………なのか?」

壁も、床も、天井も、箪笥も机も本棚も布団も何もかも、配置はそのままに、それら全ての材質が肉のようなブヨブヨとした何かで作られていた
視界一面が赤い肉色に埋めつくされていると言うのは大層気持ちの悪いもので、霖之助は無意識に自分の口元を押さえていた

「いったい何が………………」

言いかけ、そこではたと自分が奇妙な概視感<デジャヴ>を抱いていることに気が付く

「おかしい……この景色、初めて見た筈なのに見覚えがある…………」

その概視感は勿論、そ肉に変わる前の部屋から来るものではない
森近霖之助は自分の部屋が肉だらけになっているこの光景に覚えがあるのだ

「何がなんだかわからないが、とにかく外に――――」

またも、霖之助の言葉と動きが止まる

「なん……だ……?」

霖之助の『勘』が警鐘を打ち鳴らしている
――――このまま扉に向かって歩くのは危険だ
彼の内なる声は、必死にそう叫んでいた
その警告を無視するほど霖之助は愚かではない
ヌ、ヌ、と少しずつ足を前に進ませる
そして半歩ほどの距離に差し掛かった次の瞬間――

「うわぁ!?」

爪先から数センチ先の肉床から、突如として『鋭い何か』が飛び出してきたのだ

「こ、これは…………ほ、骨……? 骨でできた槍、と言うことか……?」

槍が飛び出すのがあと数センチ手前だったら、当たり前だが霖之助の足指は槍に貫かれて縫い止められていただろう
だが問題はそこではない

「なん……だ……? 僕は……これに、恐怖……しているのか」

槍を見つめる霖之助の身体が、微かに震えている
何故だかはわからないが、槍を見ているととても恐ろしく感じる為であった

「……とにかく、直進するのは危険か。なら…………」

目の前の骨槍と同じような罠を警戒し、霖之助は扉までの最短経路を避け、部屋の右端を通り少しずつ扉に近づいていく

だがここで霖之助はミスを犯した
足下の罠を警戒するあまり、自分の背後……具体的に言うなら既に通った背後にある壁の変化に気が付かなかった
霖之助の背後にある肉壁の一部が盛り上がり、丸太ほどの太さと長さをもった触手となったのだ
次に触手の先端から中間程にかけ横に切れ目が入る
そして先端の切れ目からまるで裂けるチーズのように触手が裂けたのだ
それはさながら口を広げた鰐の様で、肉鰐はその狙いをゆっくりと歩く霖之助へと定めた
肉鰐は慎重に、慎重に獲物<霖之助>との距離を計りながら近づき、自分の射程距離事を確信した次の瞬間!

――――バツン

……一瞬の出来事だった
肉鰐は無防備な霖之助の頭上から襲いかかり、目の前に突如現れた肉鰐の上顎に霖之助が驚く間も無く、素早く口を閉じ彼の上半身を『噛み千切った』のだ

上半身を失った霖之助の下半身が、バランスを崩してべちゃりと肉床の上に倒れる
上半身だけで満足したのか、肉鰐の触手はその身体を再び肉壁の中へと潜り込ませていった
肉壁と同じ様に肉床にも『捕食者』が潜んでいたのだろうか
それとも肉床そのものが補食しているのだろうか
肉床が蠢き、霖之助の下半身が徐々に肉の中に沈んでいく
数分後には、霖之助の下半身はすっかり肉床に取り込まれてしまった

こうして森近霖之助は再び死んだ







「…………………………」

眼を覚ました森近霖之助が最初に見たもの
それは変わり果てた自室の姿であった
別段部屋が荒らされていただとか、滅茶苦茶に壊されていたわけではない
寧ろ今の彼にとっては、そちらの方がどれ程よかっただろうか

「…………………………」

壁も、床も、天井も、箪笥も机も本棚も布団も何もかも、配置はそのままに、それら全ての材質が肉のようなブヨブヨとした何かで作られていた
視界一面が赤い肉色に埋めつくされていると言うのは大層気持ちの悪いもので、霖之助は無意識に自分の口元を押さえていた

「…………………………ふぅー」

霖之助は深く息を吐いた
霖之助は自らの身に起こった事を、朧気ながら理解していた

「僕は、死んだ」

自らに確認するかのように、呟く

「これ迄何回死んだかわからないけど、少なくとも一回は確実に死んだ」

目を瞑り、思考の海に身を投げ出す

「僕は死んだ。だけど今、僕は生きている」

何故死んだ筈の自分が生き返ったのか

「蓬莱人にでもなった? 違う、僕は僕だ。そこに変化はない」

ならばこの異質な空間のせいか?

「可能性はある。この空間は明らかに異質だ。結界とも違う、正に異界と呼ぶに相応しい世界だ。何が起きてても不思議じゃない」

不確定ではあるが、蘇生の件に関しては一度保留
次に、これからどうするか

「一つは自力で脱出。もう一つはこれが『異変』である事を信じて、霊夢が解決してくれるのを待つか」

最低一度は死んでいる以上、今の香霖堂の中には何かしらの驚異が潜んでいるのは間違いない
ろくな自衛手段を持たぬ以上、迂濶に動き回って驚異に接触するのは不味い

「なら霊夢を待つか?」

『香霖堂だけに降る雨』の小異変の時も、何となく訪れて何だかんだ言いながらも問題解決をしてくれた霊夢の事だ、この変質した香霖堂にも気づいてどうにかしてくれるだろう

「なら不気味ではあるが、ここで待ってたほ」

霖之助の言葉が止まる
思考の海から帰り、伏せていた視線を上げた先

「壁……」


鼻先数センチ
そんな近くに、壁があった
いつの間にか移動していた?
慌て後ろを振り替える

「壁…………」

後ろにも壁
此方も身体に触れるまであと僅かに迫っている

「壁が……動いてる…………」

ジリジリ、ジリジリと
ほんの僅かずつだが、前後の壁が霖之助に向かって迫りつつあった
壁全体が押し寄せているため、左右には逃げられない

「襖……襖は……!」

前にある壁が霖之助の部屋の壁なら、襖がある筈だ
いや、迫る前までは確かにあった
壁の肉とはまた違う、横に引けそうな肉襖の一画が確かにあったのだ
だがしかし

「ない………………」

襖は無くなっていた
逃げられない
迫る肉壁が霖之助の身体に触れる

「くっ…………」

生温く、粘つく感触が気持ち悪い
前進を止めようと両の手をつっかい棒代わりに突き立てるが、肉壁はそれをズブズブと呑み込んでいく

「あ……ぐ…………」

腕だけでなく、肩、胴、そして頭すら呑み込まれた
左右から押し付けられる肉に呼吸もままならない

「んお゛……お゛お」

くぐもった声をあげる
苦しい
酸素が欲しい
顔にまとわりつく肉を剥がしたいが、手が動かない
酸素が足りない
思考が曖昧になる
意識も薄れて行く
そして

「……………………………………」

再び
否三度、森近霖之助は死亡した







「…………………………」

肉、肉、肉
肉まみれの部屋で、森近霖之助は目覚めた

「窒息……ついでに圧死もか」

朧気に残っている、前回『死んだ』記憶

「その前は……何かからの奇襲を受けた、だったか」

立っているだけで感じる、『ここでじっとしてはいけない』と言う強迫観念に似た『勘』

「真っ直ぐと……右もダメか」

部屋に留まるのも危険だが、外に出るとしてもその二つの道筋はいけない
『勘』がそう訴えていた

「なら左が正解、かな」

部屋の左端を霖之助は小走りする
前回はじっとしている事で罠にかかった
ならば、素早くこの部屋を出なくてはならない
罠を怖れず、前進あるのみと言うわけだ

「…………やはり、これが正解だったか」

左端が正解のルートだと確信した霖之助だが、本当の正解は少し違う
実際は部屋の両端はどちらも安全なのだ
早足で歩けば、だが

罠を怖れ、牛歩の歩みをする者に、肉鰐は容赦なく襲い掛かってくるのである

しかし結果的に霖之助は、何者にも襲われる事なく無事に襖の前に辿り着いた

「……ふぅ」

滑る肉襖に触れる事への生理的嫌悪感を感じながらも、仕方のない事と割り切り開け放つ
出来ることなら襖を開けた先には、いつもの香霖堂の風景が広がっていて欲しかった所だったが…………

「やはり、か」

残念ながら、待ち受けていたのは部屋同様、肉の侵食を受けた香霖堂の廊下があった

「ここから先は、未知の領域と言うことか」

部屋を出た途端、霖之助に危機を知らせていた『勘』が働かなくなったのだ
しかし驚異がなくなったのではなく、寧ろ『これから何があるのかわからない』と戸惑っている様にも(勘だが)感じられたのだ

「このまま、勝手口までの造りが変わっていなければいいんだが……」

そんな不安を抱きつつ、肉廊下をヒタヒタと歩く
何事もなければ、あの角を曲がってすぐ台所に着ける筈
そうしたならば、速やかに勝手口から外に出ればいい
そう思いながら、角を曲がれば……

それは、奇怪な姿の生き物だった
鸚鵡の様な太い嘴、その付け根からから直接人間の脚が生えたような『なにか』
その体色は周囲と同じ『赤』だが、そこに溶け込む事なくくっきりと姿形を見てとれる
背丈は長身の霖之助と同じかそれ以上に大きく、嘴部分には目や鼻などの感覚器官は見当たらない
並みの人間より長く生き、多様な妖怪のいる幻想郷に住む彼とて、こんな生き物は見たことがなかった

「………………」

異形の怪物を前に、声を失ってしまう霖之助
と、怪物が霖之助の方へと近寄ってくるではないか!
それに気付き、霖之助は逃げようとするが、その行動は失敗だったと言わざるをえなかった

怪物は逃げようとする霖之助に気付くと、その後を駝鳥の如き速さで追いかけてくる!

「ぐうぅ!!」

霖之助は必死に逃げたが、怪物は空いていた筈の距離をあっという間に詰め、追い付いてしまった

「があっ!!!」

背中に嘴の一撃を受け、霖之助は倒れ込む
何とか立ち上がろうとするものの、今の一撃で背骨を痛めたのか下半身に力が入らない

「ぎゃっ!!!」

またも降り下ろされる嘴
ほぼ同じ箇所を狙ったそれに、痛みで息ができなくなる
それでもなお、上半身だけ這ってでも逃げようとする霖之助の足を、怪物の脚が踏みつける
それを振りほどこうにも、霖之助の足はまだろくに動かない

「がっ、はっ、ぐっ、うく、うぇっ、んおっ」

ガツン、ガツン、ガツン、と嘴がハンマーのように降り下ろされる度、霖之助の背中に赤い血の花が咲き、肉が飛び落ち、背骨は砕け、やがて中にある肋骨や内臓が見える程の穴が開いた
その穴を見て怪物は、今度は口をガバリと開き舌を覗かせた

「ああ……僕は……食われるのか…………」

嘴でパクリと食われる
そう思った霖之助は、やるなら一思いにやってくれ、と覚悟を決めた
が、その覚悟を嘲笑うかのように、怪物は舌を身体に開いた穴から内側へと差し込み、内臓を弄びだしたのだ

「あ……うぁ………あ」

内臓を舐め回されると言う恐怖に、霖之助の覚悟は硝子の様に砕け散った
震えながらも辛うじて動く両腕で、なんとか逃げようと床を掻くが当然逃げられない

「だす……ぎっ!」

嘴が折れ砕けた背骨に擦れ激痛が走る
早々に気絶してしまい、その間に食われてしまえたのならどれだけ楽だっただろう
しかし残念な事に気絶する事も出来ず絶命するにも至らず、霖之助はただただ内側から喰われていく感覚を甘受するしかなかった

「はー……ひゅー…………」

もう声を出すことも儘ならない
足の感覚だけでなく、徐々に上半身の感覚もなくなってきている
自らの死が近づいているのを悟り、霖之助はとにかく一秒でも早く死ねるように祈り続けた
やがて視界が端から失われていき、世界が完全に闇に包まれたと同時に『今回も』霖之助は死に絶えた







「また……死んだのか……」

五回も繰り返すと、いい加減現状を把握する必要もなくなる
手早く立ち上がり……

「う………………う゛え゛ぇっ」

……同時に、腸を舐め回された感触を思い出し、霖之助は激しく嘔吐した
吐き出される胃液の臭いが、辺りに充満する
その臭気が肉一色のグロテスクな景色とあいまって、余計に霖之助の吐き気を増幅させた

「え゛えぇぇ……はあ゛……はぁ……」

どうにか吐き気も収まり、袖口で乱暴に口元を拭う

「とにかく、早く出ないと……」

出来る事なら一息吐きたい心境だったが、そうもいかなかった
部屋に留まるのも危険だが、廊下とて先程の怪物が徘徊していると考えられる
ならば霖之助が休息を得るためには、何がなんでもこの異界から脱出するしかなかったのだ

前回同様部屋の左端を通って襖を開き、廊下に出る

「あの怪物はどうやって対処すれば良いんだ……」

弾幕少女達と違い、今の霖之助には自衛手段がない
普段なら護身用の道具の一つや二つは持っているが、今は服こそ普段着だが腹の鞄には何も入っていない
香霖堂そのものが侵食されている以上、保管場所を探しても成果はあげられないだろう

「草薙の剣なら或いは…………」

天下を治める程の力を持つ神器なら、無事に残っている可能性はある
しかし直ぐに、草薙の剣は外にある倉庫に保管してあるのを思い出した

「後悔先に立たずと言うが……くそっ」

結局のところ、独力で脱出しなければならない事に変わりはなかった

「…………いつまでも悲観してるわけにはいかないな。今回は最低でも、怪物の行動パターンくらいは把握しておかないと……」

幾度かの死により、これ迄の死の原因を『勘』と言う形で記憶している事は既にわかっている

――前回の怪物は此方に気付く前から動いていた
つまり門番のようにその場で待ち構えてはいないと言うことだ

「問題はヤツの行動可能範囲と、僕が復活した時にヤツの位置情報もリセットされるのか、だ」

怪物が香霖堂全体を徘徊するようなら、それに遭遇しないようなルート構築が必要になる
またその徘徊行動もアトランダムな動きなのか規則的な道筋で移動するのかで対処も変わってくる
そしてもし扉を開けられないようなら、自室や客間等に入ればやり過ごしたり避難場所に出来る

これも重要なのが、霖之助が死亡してから再び目覚めた時怪物が特定の場所に戻され、そこから再び徘徊を開始するのかどうかだ
もし初期位置に戻され、尚且つ一定のルートで移動するようならば、怪物など難なくやり過ごすことが出来る

「……さっきはこの角を曲がった途端にいたんだ」

台所への曲がり角の手前で、霖之助の『勘』が警鐘を鳴らす
この角はT字になっていて、左に行けば風呂と厠があり、右に曲がれば台所がある
霖之助としては、出来る事なら台所から厠までの直進路を往復していて欲しかった

「…………こっちにはいない。向こうは……いた。あいつだ」

慎重に、気付かれないように注意を払いながら角の先を覗く
右手側……即ち台所方面にはおらず、反対の厠側に怪物はいた

「行けるか……? いや、あの位置だと直ぐに反転するだろうから気付かれるか」

怪物は厠側の突き当たりのすぐ手前にいるため、霖之助が台所の扉を開けるまでに気付かれる可能性がある
いくら今まで死んでも甦れていたとは言え、出来るだけ慎重に行くに越したことはなかった
事実怪物は既に反転し、台所側へとのしのし歩いてきている
今の歩みは然したる速さではないが、向こうが霖之助に気付いたときの速度は倍以上になる

「頼む…………そのまま通り過ぎてくれ……!」

T字を直進ではなく右つまり霖之助側に曲がってくる可能性を考慮し、一度自室前まで退避し様子を伺う

数秒後、忘れたくとも忘れられない異形の嘴が見え、右折する事なく真っ直ぐ歩いていった

「……このまま此方に来なかったら……その隙に行こう」

霖之助の願いが通じたのか、十数秒後に再び怪物が戻ってきた時も霖之助の方に来ることも、ましてや気付かれる事もなく、またも真っ直ぐに歩いていった

(今だ……!)

怪物が何をもってして己に気付くのかは判然としないが、とにかくこの機を逃すまいと霖之助は足音を出来るだけ殺して走り、台所の扉の前まで移動
戸を開けると飛び込むかのようにその中に滑り込んだ

「よ……し……! 後は……勝手口から……出る、だ――――」

脱出まであと一歩
そう喜んだ霖之助だったが、膝に手をつき息していた状態から顔をあげた途端、言葉を失い顔からはみるみると血の気が失せていった

「う…………あ………………!」

見渡す限り嘴、嘴、嘴…………
オマケに本来外に繋がる勝手口がある場所には何もない

「は…………はは………………あはははは……………………!」

乾いた笑い
霖之助の存在に気付いたのか、嘴達が一斉に向き直る
虚ろな笑いをしながらも、最期の足掻きに入って来た扉を開け逃げ出そうとし…………
振り返った先にもまた、先程の嘴の怪物がいた

「う…………うわあああああああああああああ!!!!!!」

残念ながら、またも霖之助は死んでしまった







「………………とんだルール違反じゃないか」

六度目の目覚め
霖之助は変質した香霖堂の構造そのものは変わっていないと思っていた
いや思い込んでいた

だがそれは誤りだった
本来扉のある台所には、外に通じるようなものは何一つ見当たらなかった
よく思い出せば、廊下の壁には採光用の窓があったはずなのに、その痕跡もなかった
つまり大まかな構造は同じでも、やはり何かしらの差異があると言うことだ

「………………襲われる、か。久しくなかったけど、これ程に恐ろしいものだったかな」

妖怪の血が混じっている霖之助を襲う妖怪は滅多にいない
成り立ての妖獣や妖蟲などの知能が低い相手に襲われる事もないことはなかったが、それも霖之助が幼い頃の話だ
今は自衛の手段として、そういった者が嫌うような臭いや音を出す道具を携帯して近寄らせないようにしている

そんな霖之助にとって、妖怪……あの怪物も妖怪なのかはわからないが、とにかく襲われるなど本当に久しぶりの事になる
更に言えば、補食されるなど初めての経験だった

「………………現実逃避している場合じゃないか。勝手口が駄目なら、素直に玄関から出よう」

のそのそ起き上がり、部屋の端を歩いて襖の前に行こうとして――――

ばつん

気だるげな歩みでは、肉鰐からは逃れるどころかただの餌に過ぎなかった
これは霖之助が、肉鰐の性質を完全に理解していなかったからこそ至った死であった







「…………………………………………………………」

目覚め、七度目

「っああああああぁぁあッッッッッ!!!」

勢い良く立ち上がり、胸に込み上げる悔しさから地団駄を踏む
しかし柔らかな肉床では憂さ晴らしにならず、寧ろ、踏む度に飛び散る血色の液体が素足や下履きを汚し、余計に不快になるだけだった

「くそっ! いったいなんだって言うんだ!」

肩を怒らせドスドスと早足で襖の前に行き、スパンと開け放つ

「誰の仕業か知らないが、僕が無様に死に行く姿を見て楽しむと言うなら、好きにするがいいさ! だが僕はお前になど屈しない! 必ずここから出ていってみせる!」

廊下に出て、先程までの反対側、即ち玄関のある香霖堂店舗側へと歩みを進める

一刻も早くここから出ていってやる――
そんな思いから、足は自然と歩みから走りに変わる
興奮した思考は注意を散漫させ、常の彼なら気付いたことを見落とさせる
視界の端に何かが『視えた』気がしたが、気のせいだと一段と加速する
店舗への扉を、開けるのも面倒だとばかりに蹴破ろうとして――

そこでようやく、己の身体が動かせない事に気付く

――あれ……?

声をだそうとして、しかし一言も発せられず

ドサリと何かが倒れる音が聞こえた
身体が動かせず、前のめりに倒れそうになり……
今更になって、何故身体が動かせなくなったのかを知った

――あれは……僕の身体…………?

前のめり……いや空中で縦回転をしながら、逆さまになった世界に何故か自分の身体が倒れているのを見つけた
何故か身体に首は付いてなく、変わりに見える切断面らしきものからは、ポンプで送り出されるかのように一定感覚で血が吹き出している

――何故……いつの間に……?

視点が霖之助から見て下(つまり実際は上)にずれる
倒れている身体よりも奥の方に、霖之助がこうなった原因が存在していた

――あれは、糸……なのか?

肉眼でなんとか確認出来るほどの、極細の糸のようななにか
それは肉の壁から飛び出した極細の、且つ超張力・超硬度の筋繊維だった
それはピアノ線を使ったトラップと同様に、高速で突っ込んでくる物体を難なく切断してみせる切れ味を誇り、怒りに我を忘れていた霖之助の首と胴を見事に両断せしめたのだ

――冷静……だったら……
――気づいた……という事……か

罠としては曲がり角の直後に一つだけと、相当分かりやすい配置だ
そしてこちら側の廊下にはこれ以外の罠はなく、しかも位置も霖之助の首の高さにあるため、背の高い霖之助とてしゃがめば充分に回避可能なものだった

――まあ……いいか
――登った血が……良い具合に……抜けてくれ……

……
…………
………………







「ふむ……僕の能力に反応する、という事は見えづらいとはいえ、落ち着いていれば充分気付けたと言うことだ」

八度目の復活後、霖之助は直ぐ様前回の死亡地点へと戻ってきた
霖之助の命を奪った硬糸は、肉でできていながらも道具として認識されるのか、その名称と用途――『獲物の肉体を斬る』――を確認することが出来た

「罠はどうやらこれだけのようだな。となると、問題は店舗内の方か…………」

おそらく外界への脱出口があるだろう、香霖堂の店舗への入り口の前に佇む霖之助
この扉の先に外への出口があるのなら、この中はどれ程の霖之助を殺すための罠が仕掛けられている事だろうか
その罠を越えたとしても、もしかしたら先の台所のように出口などないのかもしれない
そんな最悪の考えが霖之助の頭の中をちらつく

「…………だが、中がどうなっているのかなんて、開けてみないとわからない」

そっと肉扉に手をかける
知らぬうちに、唾をごくりと飲んでいた

「鬼が出るか……蛇が出るか……!」

気合いを込めて押し開いた扉
その先にあったのは、本来の店舗にはなかった肉の壁だった

「これは…………店の方まで、廊下のようになっているのか?」

成る程、目の前の壁と扉側の壁の間には、人ひとりぶんが通れそうなスペースがあり、左右それぞれの突き当たりは曲がり角になっている
……霖之助には無理だったが、もし上から現在の店舗部分を見れば、迷路のように複雑に壁によって仕切られていたのが分かっただろう

「……!? これは………………どういう理屈なのかはわからないが、この中だと視界が悪くなるのか?」

霖之助が迷路内に一歩足を踏み入れた途端、照明が落とされたかのように急に周囲が暗くなり、一メートル程先しか見渡せなくなった
慌て廊下に戻ると、今度は何事もなかったように明かりも視界も元に戻った

「……元々、明かり採りの窓もないのに、充分な視界を確保できていた方がおかしいんだ。今更気にしても仕様がない」

自分に言い聞かせるようにしながら、霖之助は再び迷路に足を踏み入れる
再び暗くなる視界に若干の不安を感じながらも、次にすべき事を考える

「まずは右と左、どちらに進むべきか…………」

自室から廊下に出た時は、左(台所)が外れで右(店舗)が当たり……とは限らないが、とにかく今のところは生きている

「しかし柳の下の鰌、と言う例えもある。今回も右が安全だとは限らない」

ならばどうするか

「……左に行ってみるか」

特に深い意味はない
ただなんとなく、そんな軽い気持ちで霖之助は左の道を選んだ
罠や怪物の存在を警戒しながら、慎重に歩みを進める

「……っと、曲がり角か。まあ、元の店の広さからするとこのくらいが妥当か」

二メートル程進んだところで、右曲がりの角にぶつかった
それを曲がると、一メートルもせずに再び曲がり角
再び右折
三度曲がり角……という事はなく、今度はある程度直接が続いているようだった

「今のところ、先程のような怪物も罠もないか…………ん?」

ふと左側を見ると、一ヵ所だけ壁が途切れている箇所がありその先にも通路が続いている
どうやら三叉路になっているようだった
左に進むか、直進をするか
暫し考え、霖之助は左折を選んだ

「そう単純には行かないだろうが、必ず何処かしらで出口のある方向に進まなければいけないんだ」

左折
また一メートルもしないうちに、分岐路に差し掛かる
今度は十字路、つまり四方向に道が分かれている

「……ここも、出口の方を目指す」

直進
道は暗いが、相変わらず罠も怪物も気配すら感じられない
三叉路を発見
左右に通路は分岐

「そろそろ中央寄りに戻るか」

右折
が、程なく行き止まり

「外れか……仕方ない、戻るか」

くるり、壁に背を向ける
一歩、踏み出しかけ

「――――っかは……!?」

胸部、背部に走る激痛
見下ろす胸
そこからつき出す骨槍
背後からの攻撃
前に出れば槍は抜ける
痛みを覚悟し歩こうとし――しかし叶わない
床から伸びた短骨槍が両足を貫き止めている

「ま…………ず……………………………」

それへの対処を考える間もなく、霖之助の思考が途切れる
横壁から飛び出した骨槍が、霖之助の左耳から右耳までを貫通したのだ
当然、槍は耳と耳の間にある頭部、その中身、即ち脳すらも貫通し破壊していた
胸から槍が突き出した霖之助の亡骸は、まるで一種のオブジェのようであった







九度目

霖之助は迷路の入り口に立ち考える

「……霊夢ならともかく、『勘』だけに頼っていては駄目だ。ここは先達の知恵に倣い、右手の法則を使うとしよう」

右手の法則――
迷路の壁にある切れ目は入口か出口かの二択しかない以上、右手(実際は左手でも構わない)を常に壁に着けながら進んでいけば、最終的に出口に辿り着けると言う、割りと有名な迷路脱出の方法である

「もしかしたら行き止まりの度に罠が仕掛けてあるかもしれないが…………なに、どうせ今は死んでも蘇生が効くんだ。復活した後に、行き止まりと分かった分岐を避けていけばいい」

幸い、これまでの死亡原因地点への『勘』は鈍ることなく、寧ろ鮮明に残っている
正解の道を忘れて二度死に三度死にはしないだろう
そう呟き、入口からすぐ右の壁に手を着き歩き出す

「入口の分岐を右、と……」

数メートル歩き、現れた曲がり角を左に曲がる
そこから更に数メートル
左手側に分岐路を発見

「だが、ここは真っ直ぐ行く」

分岐は霖之助の左
右手の法則を使っている以上、いきなり左折するわけにはいかない
故に直進

分岐から二、三メートル
幸い罠らしきものはなにもない

このルートは当たりか……

そんな考えがチラリと霖之助の脳内を掠める
その思考を嘲笑うかのように、薄闇の中から壁が現れた
正面に壁、左右にも同様に壁、つまりは行き止まり

「今度は、どんな手段(て)で来る……?」

前回のような背後からの一撃を警戒し、壁に向いたままジリジリと後ろに下がる
そんな霖之助の背後、その天井からクリアレッドの『何か』が、でろりと垂れてきた
しかし当然、背を向けている霖之助は気づかない

高い粘性を持ったゲル状のそれ――スライム――は、先端部分を霖之助の頭の高さまで垂れ下がらせ待ち構える

三…………

スライムは直ぐ後ろにいる
しかし霖之助はまだ気づかない

二…………

スライムが先端をパラボラアンテナのように広げ、無用心な獲物に向ける

一…………

漸くスライムの発する粘度の高い水音に気づき、後ろを振り返る霖之助
その先には待ち構えていたスライム

「逃げ…………!」

逃走を試みようとするが、後には壁しかない

抵抗は無意味
半固体半液体のスライムの身体は打撃、斬撃等物理攻撃に滅法強い
有効なのは炎、熱系魔法(或いは炎そのもの)で蒸発させる、冷気で凍結させる等魔術的、もしくは個々の特殊能力による攻撃だが、霖之助にそれ程の魔力も妖力もなく、護身具も持ち合わせがない
正に絶体絶命

………………零

スライムは先程の垂れ下がってくる様からは想像もつかない――宛ら獲物を捕らえるときのサンショウウオのような――早さで、霖之助に襲いかかった

「! モガァ!!」

広がったスライムは、霖之助の顔面、側頭部、後頭部を順に覆っていく
空気を通さぬスライムに顔を塞がれ、以前味わった窒息の恐怖を思い出した霖之助はパニックに陥る
必死にスライムを剥がそうと手をかけるが、不定形のそれは自らの意思で粘度硬度を変えられるのか、手に触れた所だけはヌルヌルに液状化して捉えさせない
また液状化したものの一部は霖之助の口と鼻の中に侵入し、ある程度奥に進んだ途端硬質化し空気を遮断する

圧迫とはまた違う窒息感に、霖之助のパニックは更に加速する
滅茶苦茶に腕を振り回し、少しでもスライムを剥がそうとするがその都度液体化され通じず、どころか更に上から垂れてきたスライムが手足に降り掛かり、即硬質化して動きを封じる

悪夢はまだ続く
頭部を覆っているスライムは、鼻口では満足出来ないのか、なんと眼球と眼窩の隙間から、そして髪の毛の毛穴から霖之助の体内に侵入していく
眼球を、視神経を、毛穴を犯される感覚に吐き気を覚えるが、口内どころか食道……胃すらスライムに塞がれてしまった今の霖之助には嘔吐する自由すら存在しなかった

天井から垂れる……否、最早驟雨となって降り注ぐスライムに、霖之助は完全に取り込まれてしまった
口、鼻、耳、目、肛門、尿道、毛穴、汗腺……身体中のありとあらゆる穴――中には穴でない所も含まれてはいるが――からスライムが侵入し、血管や内臓など内側からも霖之助を満たし犯していく
霖之助にとって幸運だったのは、身体を内外同時に犯される、そのあまりのおぞましさに早々に気を失い、そのまま目覚めることなく絶命出来た事だ

それから半刻もしない後……
スライムに飲み込まれた霖之助の身体は、元の形などわからないほどグズグズに溶かされ、スライムの養分として吸収された







十度目

「前回はこの分岐を真っ直ぐ行って失敗した。なら今回はこの先に行って戻ってきたことにして、左に曲がろう」

前回同様迷路の入口を右に曲がり、角を左に折れ、現れた分岐を今度は左へ曲がる
その後改めて右手を壁に着き、進む
直後に右折角、五歩程直進、左折角を曲がった先に今度は右折角
そこから数歩、またも左折と直進の分岐

「……前回は直進が間違いで左折が正解だった。ならここも左折をするべきか…………」

悩む霖之助
一つ前の安全だった道を取るか、自らすると右手の法則に則って進むか

「…………考えるまでもない。的中率の不安定な勘を捨ててロジックを選んだんだ。僕は余計な事を考えずにロジックに従い進むだけでいい」

迷いを振り切り、霖之助は真っ直ぐ歩む
現れた角を、右折
その直後

「――――ッ!?」

踏み締めるはずの床がない
グラリと傾く身体
地に着いている左足と壁に着いている右手で堪えようと力を込める
が、壁も床も鰻の皮膚のようにヌルヌルと滑り儘ならない、どころか事態は悪化した
遂にはバランスを崩し、霖之助は床に空いた大穴へと墜ちていった

「うああああああああああぁぁ………………!」

真っ暗な闇の中を墜ちていく霖之助

「…………!?」

がそれは長く続かず、程なく柔らかな肉床に叩きつけられた

「っ……ゲホ! ゲホ、ゲホ、ゲホ」

柔らかいとはいえ強かに背中を打ったのだ
思わず咳き込む霖之助

「こ……こは……?」

墜ちてきた上方を見つめるも、どこまでも闇が続くだけ
四方は壁に囲まれ、登ろうにも落下時と同じく滑り、弾力性に富む為拳や足先を壁にめり込ませて無理矢理取っ掛かりを作ることすらできない

「ふむ……槍だの怪物だのの姿はなし。ここからどうやって殺しにかかるつもりだ?」

自力での脱出を早々に諦め、今回の死に方に考えを巡らせる
出来れば痛くも苦しくもないのがいいんだが、などと呟いているあたり、段々と死に対する感覚が麻痺してきているのだろう
と……

――シューーー

「ん? 何の音……これは……!」

床に程近い高さの壁、その四方の壁全てから、何やら緑色のガスのようなものが溢れ出してきている
そのガスは空気より重いのか、まるで水のように床付近に溜まって来ている

「くっ……!」

『苦しみながら死ぬ』パターンだと理解した霖之助は、無駄なあがきとわかりながらも少しでもガスから逃げるため、穴から抜け出そうと壁を登ろうと試みる
だがやはり最初の手掛かり足掛かりを掴む事は出来ず、霖之助を無視してガスは溜まる
最初は爪先程度の高さにしかなかったのが、僅かな時間で霖之助の太もも辺りにまで上ってきている

「っく…………おそらく一分もしない内に、ガスの中に沈むことになるのか……」

回避できない目前に迫る死
正体不明のガス

――――案外、あのガスはあっさり死ねるのかもしれない

そんな考えが霖之助の脳裏を過る
ガスは彼の胸元にまで上がってきている
屈まずとも、腰を曲げるだけで緑の気体の中に顔を沈められた

「……………………」

覚悟を決め、すぅと一息吸い込む

「――! う……あ…………痒……痒……い!」

鼻から入り、喉、肺を侵食するガス
それは霖之助の細やかな期待を無視し、彼の体内を痛めつけだした
真っ先にガスに触れた鼻腔と咽喉は、猛烈な痒さの信号を霖之助の脳に送り出した
遅れてガスが到達した肺では、赤血球に酸素の代わりにガスを乗せ、全身めがけて送り出した
暫しのタイムラグのあと、鼻や喉と同様に痒みだす身体

「アガ……カユ……カユイ……!」

頭皮、額、頬、眼球、耳、鼻腔、口腔、首、咽喉内、胸、背中、肺、心臓、肩、腕、指、掌、臍、腹、腰、陰茎、陰嚢、肛門、大腸、大腿等々……

身体の内外を問わず、ありとあらゆる箇所を痒みに襲われたのだ

「カユイ……カユイ……カユイ……!」

霖之助はひたすらに痒む箇所を掻き続ける
だが身体の外側はまだしも、内側を掻けるわけにもいかない

――脇腹を掻けば首筋が
――大腿を掻けば背中が
――頭を掻けば足の裏が

痒い箇所は全身だと言うのに、一度掻いた箇所も暫くすればまた猛烈に痒みだす
はっきり言って二本の腕しかない霖之助では到底どうにかなる状況ではなかった

「カユイカユイカユイカユイカユイカユイカユイカユイカユイイイィィィ!!!」

全身をバリバリと掻き毟
そんな事を続けていたせいで、皮膚が切れ肉を抉り血管を裂き血が滲み溢れ出てくる始末
身体や服を真っ赤に染めながら、それでも一向に収まらない痒みに、霖之助は身体を掻くのを…………否、爪を立て身体を抉る事を止めない

「アアアアアアアアァァッッ!!!! カユイイイイイイィィィィィ!!!!!!」

やがて、首か、腋か、大腿の内側の付け根か
何処が起点か分からないが、とにかくとうとう動脈まで傷つけてしまい、霖之助は失血死した







「右、左、左、直進……ここまではいい。問題はここから先だ」

十一度目
前回死ぬこととなった三個目の分岐を左に曲がり、次に現れた左折と直進の分岐を、法則に従い直進した霖之助は、角を右に曲がったすぐ先で五番目の分岐に差し掛かっていた

「右折と直進……法則に従うなら右折だ。だが…………」

霖之助の心情としては、一刻も早くここを抜け出したい
そのためには、少しでも出口に近づく=直進を選びたかった
暫し悩み……しかし、ここに来て法則を曲げるわけにはいかないと、そう思い直し霖之助は右折した

「何も行き止まりに辿り着かなくても、ここからじゃ出口には行けそうにないとわかった時点で引き返せばいいんだ……」

直進二歩、曲がり角
左折、直ぐ再び角
右折、直進五歩
分岐、直進と右折

「法則からは外れるが、ここで右折しても出口には辿り着く道はないだろう。なら、直進だ」

分岐を直進、しかし行き止まり

「外れか……だが、これであの分岐は直進するものだと確信が持てた」

出口側に通じる左折分岐がない以上、この道は外れである……
その霖之助の考えは正しい

残念なのは、それを実行するのは次の挑戦になるのだが

「さて、行き止まりに突き当たった以上、死は避けられないだろうが……」

足下、天井、背後……
辺りをキョロキョロと見渡すが、それらしいもの気配が感じられない

「不発……? いや、そうやって油断した時が危ない…………だが、本当に不発なら、分岐に戻る絶好の機会だ」

来た道を引き返そうとする霖之助

――チャ……
――――ヌチャ……

肉床の上を歩く足音
霖之助のもの以外聞こえない筈のそれが、僅かに耳に入る

「また、あの怪物か…………」

二度、怪物に殺された事を思い出し、げんなりとする霖之助

足音は正面、進行方向から聞こえる
ならば、と無駄だとわかりながらも霖之助は、僅かな望み――怪物が気づかず通りすぎる、引き返す事に――賭け、道を引き返し分岐を右に曲がろうとした
だがそれも

――ヌチャ
――ヌチャ

「此方もか……」

新たに聞こえてきた足音
逃げ道は封じられ、観念した霖之助は三叉路の真ん中で死の時を待つ

――ヌチャ
――ヌチャ
――ヌチャ
――ヌ……

「こいつは……」

霖之助の前に現れたのは、嘴の怪物とは違う怪物だった

真っ赤な体色
感情の感じられない双眼
砲丸の様に丸く大きい両手
それを支えるのに充分以上に余りある腕、胸、脚の筋肉

頭部の形状や全体のシルエットを考えると、筋骨逞しいカンガルーと思うのが近いだろう

「……さて、お前はどうやって僕を殺すつもりだい」

半ば自棄になりながら怪物に問いかける
霖之助の問いを理解しているのか、そうでないかはわからないが、正面の怪物が右の腕を振りかぶる
その腕は、霖之助のそれとは比較するのが悲しく、また馬鹿馬鹿しくなる程太く逞しかった
これならば、どこに当たっても致命の一撃となるだろう

「……なるべく、楽に死ねるところにぶちこんでくれ」

剛腕が唸りをあげ、怪物の拳が放たれる
突き出されたのは右のストレート
その一撃は、霖之助の胸板をしっかりと捉えた

まず、拳の当たった周囲がその形に凹む
拳の勢いは止まらず、なお胸板を突き破らんと延びる

次に、あまりの威力に肋骨及び胸骨が内側にへし折れ、肺や胃などの臓器に突き刺さる

「ブヒューーー!!!」

衝撃で肺の中の空気が一気に漏れ出す
何とも間抜けな音だが、本人にその事を恥ずかしがる余裕はない

胸骨を無惨に破壊し、それでもまだ突き進む拳
ここに来て漸く霖之助の身体が殴られた作用により後方に流され出した
拳と言う発射台に載せられ進む霖之助
程なく怪物の腕は伸びきり、霖之助だけが放り出される
加速機から放たれ、しかしその勢いを減じる事なく後方に吹き飛ばされる霖之助
背後にあった壁に叩きつけられる

当たったのは肉の壁、柔らかなそれは衝突の勢いを幾分か吸収するのかと思いきや、壁にめり込んだ霖之助をゴムのような高い反発力をもって弾き返した

行きと同じ……
否、更に加速した状態で剛腕怪物の前に弾き戻された
怪物は既に二撃目を放つ準備を終えている

「…………………………」

人間より頑丈な身体が気絶と即死を許さず、妖怪より軟弱な身体故反撃することは叶わない
されるがままの生き地獄、霖之助は自分の顔面目掛けて放たれた二発目の拳を虚しく見つめていた

放たれた拳、霖之助を捉える
その衝突音は、とても肉と肉同士が立てたものとは思えないほど重く、大きく、危険だった
一撃目の威力に加え、跳ね返ってきた速さを利用した交差法(カウンター)により、二撃目の威力は最初のそれの数倍以上に高められた
当然の事ながら、まず霖之助の眼鏡は粉々に砕け、金属片も硝子片も関係なく顔に突き刺さる
鼻も真正面から叩き潰され、溢れ出た鼻血が口内、咽喉へと逆流
へし折られた上の前歯跡から溢れる血と共に霖之助の口内を満たす
限界以上に後ろに仰け反った頭、ゴキン、と頸椎の折れた音が響いた

(……れで……ほう……さ……る………………)

意識が闇に沈む
霖之助の顔は、グチャグチャに押し潰されながらも、痛みから解放された喜びからか、まるで微笑んでいるかのように穏やかだった






十二度目

前回右折した分岐を直進し、数歩先の角を右折した霖之助は、等間隔に左折分岐が4つある真っ直ぐな通路に辿り着いた

「……位置的に、この分岐の何れかが出口かもしれないな」

霖之助の予想は当たっていた
この4つある分岐の、たった一つだけがこの地獄から抜け出すための出口になっていた

「ここまで来たんだ、出来るなら一度で脱出したい所だが……」

分岐を一つ一つじっくりと見比べてみるが、これ迄の分岐同様、先も見えなければ分岐同士にこれといった差異もない
居住区から来る際に僅かながら風を感じたからと、少しでも空気の流れを感じ取ろうと意識を集中させても、何も感じない

「さて、どうしたものか…………」

そう霖之助が考えていた
その時だった

「!? 光!?」

数歩先すら覚束無い闇の中、それを切り裂くかのように眩い光が分岐の一つ――右折した側から見て手前から二つ目の分岐――から溢れ出してきたのだ
その光は余りにも強く、それまで闇に包まれていた廊下の景色を映し出す程だった
ただ、それでもやはりと言うべきか、 光を放っているもの以外の分岐の先は未だ闇に包まれ、見ることは出来なかった
また光を放っている分岐も、眩しすぎる為に本当に出口なのか――外の景色が広がっているのかを確かめることが出来ない

「どうする…………罠か、出口か」
光を前に、霖之助は思案する
今までの経験からして、この先が素直に出口であるとは限らない
否、寧ろ罠の可能性の方が高い

「ならやめるか?」

だが他の分岐を選ぶにしても、何の特徴もない三つの中から一つを選ばなければならない
そこで新たに悩むより、試しにこの分かりやすい道を選んでもいいのではないか?
だが待て、右手の法則に従うならまずは突き当たり、最奥の分岐を選ぶべきではないか……

そんな風に、行くべきか退くべきか、白黒つけられず悩んでいた霖之助に決断を促すかのように、輝いていた光が徐々にではあるが、弱まりだした
それに気付いた霖之助は慌てる

もしあの光が外に通じている時にのみ光るものだとしたら、光が弱まるのは出口が塞がれつつあるのと同義である
そもそもあの光が発生する理由が時間の経過によるものなのか、それ以外の条件によるものなのかすらわかっていない
そんな状態である以上、この機会を逃せば再び光が現れる、つまり出口が開けるのかすら分からない

そんな思考をしてる間にも、どんどんと光は弱まっていく

「…………もう、迷っている場合ではないか……!」

弱まり、消え行く光を前にし、霖之助は覚悟を決めた

「うおおおおおぉぉっ!!」

似つかわしくない雄叫びを上げながら、駆け出す霖之助
幸い、分岐から光源までの距離はたいして離れておらず、直ぐに光の正体がなんなのかわかった

「おああああああぁぁぁ!!!?」

雄叫びに代わり響き渡る絶叫
障害の全てを吹き飛ばさん勢いで光の中に飛び込もうとした霖之助は、見事に肉壁に身体の前半分を沈めてしまっていた

「ああぁぁぁあぁぁぁ!!! いぐがあぁぁああ!!!!」

光る肉壁に降れた途端、霖之助の身体は凄まじい『熱』に襲われた
と同時に、消えかけていた光も復活し、またも壁全体が真っ白に光輝きだしたのだった

(そ……か……の光…………熱……)

真っ白に輝く光の正体
それは、余りの熱量に白熱化した肉壁から自然と放たれていたものであった
普通なら、それほどの熱を放てば周囲の空気の温度も上昇し、霖之助も異変に気づいただろう
しかし恐ろしい事に、この肉壁は周囲の空気を一切暖める事なく、ただただ自身に触れている森近霖之助だけにその熱を与えている

霖之助の絶叫以外に、ブスブスと言う肉の焼け焦げる音が聞こえてきた
霖之助本人は一刻も早く脱出しようと、肉を掻き分け埋もれた身体を引き抜こうとしていたが、半身どころかほぼ全身が埋まりかけた現状では芋虫のようにもぞもぞと蠢くしかなく
しかも蠢く度に、熱に焼かれ、所々炭化した身体が激痛と言う悲鳴をあげるので、痛みにヒクヒクと震えている様がより憐れさと滑稽さを際立たせていた

「あ……が……はばああぁ……」

肉壁により眼球に直接触れる程押し付けられた眼鏡、そのレンズが溶けだし、眼球を焼く
眼窩を焼く

熱せられた眼鏡の弦が耳を焼く
こめかみを焼く
溶け落ちて首筋を焼く
背中を焼く

押し付けられる熱量から、頭髪に火が着き燃え上がる
美しくきめ細やかな銀糸が橙色の火を放ち、悪臭を放つ

炭化した皮膚がポロポロと剥がれ落ち、その下にあった筋肉を焼き、内臓を沸騰させる

「ぁ……………………ぁ……………………」
霖之助は自身の妖怪混じりと言う事実を心底恨んだ
二桁を越える死を経験し、その度に地獄の苦しみを味わいながらも、その妖怪の血により一思いに楽になれないのだから恨みたくなるのも無理はないが


――ボッ

――ボボッ

――ボボボボボボボ…………

霖之助の身体から火の手が上がる
燃えているのは服ではない
霖之助の体内にある燐等の可燃成分が高熱により発火し、彼の身体を内側からも焼きつくし、遂に表へと出てきたのだ


四半刻程後……
森近霖之助のいた筈の場所には、ただ降り積もったかのような大量の煤が残るのみであった







十三度目

今度は右手の法則に従い、一番奥にある分岐を選択
が、即行き止まりに到達
次の瞬間、脚が床に沈みこみ、壁から映えてきた触手により両の腕も拘束される

「っく……! 放せ! 放せぇっ」

もがき、暴れる霖之助
だがその戒めは解かれない
解かれる筈も無い

ボタリ、ボタリ……
天井から液体が滴り落ちてくる

「っ……!? 服が……!?」

滴る液が霖之助の服に当たる度、しゅうしゅうと音を立てながら服が溶け落ちていく
その様子を見て、霖之助は今回は強酸により身体を溶かされるのかと思ったが、すぐに違和感に気づく

「! 身体は……溶けてない!?」

霖之助の重厚な服、それは容赦なく溶けて行くというのに、その下にある肌には何の変化も現れない

「どういうことだ……なんで、服だけを……」

服はどんどんと面積を減らして行き、今はもう上衣だけでなく下穿きの股間部まで溶かされてしまっていた
女性ではないし、周りに誰もいないから、と秘部が露出したことへの羞恥は感じない……
と言うよりも、命を失う危険がある現状ではそのことに気を回す余裕が無いだけだが

「今は余計なことを考えている場合じゃないか。出来るなら、今の内に脱出を…………っ!」

ビクン、と霖之助の身体が跳ねる
彼の臀部、肛門の辺りに、何かひやりとしたモノが当たった為だ

「なん……っ!?」

自身に触れるモノの正体を見ようと後ろを振り返る
それと同時に、ズン、と肛門から彼の身体の中にナニかが入ってきた

「は……ぅぁ……がっ…………!」

霖之助を内側から蹂躙するもの
それは彼自身の腕ほどもありそうな太さの触手だった
そんなものに身体の内側を蹂躙されては、霖之助としてはたまったものではない

「ぇ……が……ぉぐ………………ぉ……ぉぉ……ゃめ……」

触手はうねうねと腸を駈け上がる
そして胃の数センチ止まると、触手の根元からドクン、ドクンと拍動しながら何かが登りあがってきた
拍動の度に、霖之助の腕程の太さの触手、それが更に二周りほど大きくなりながら登っていく

「ぅえ…………げ……ぉ…………………………………………お゛お゛お゛ぉ……」

ただでさえいっぱいいっぱいだった霖之助の体内を痛めつけながら登ってきたそれは、胃の手前で止まっていた触手の先端からぬろりと吐き出された
球体状のそれが霖之助の体内に吐き出されたのを確認すると、触手は霖之助の身体から出て行き始めた
その際の排泄にも似た感触に、霖之助の股間は痛いほどに張り詰めていた

「お゛ぁ………………は…………は…………は…………」

触手がすべて体外に出て、ようやく一息つけた
が、その安息も長くはもたなかった

「がぼ…………う゛お゛……お゛あ゛お゛ぁあ゛あ゛あ゛あ゛べっ」

霖之助の体内に吐き出された卵形のそれは、彼の体内でボン、と爆発した
その爆裂により、霖之助の腹が大きく膨らむ
が、それもすぐに限界が訪れる
内部からの衝撃に耐え切れなくなった霖之助の肉体が内側から裂け、腹に一本、縦に亀裂が入った

「がぼっ…………………………」

亀裂が、拡がる
鮮血と、爆発により千切れた臓物が内側から弾け飛んだ

「げ………………ぁ…………………………………………」

ガクン、と霖之助の頭が項垂れ落ちる
白目を剥いた霖之助は、既に絶命していた







十四度目

右手の法則により、手前から二つ目の分岐を選択
分岐を曲がり、歩く
歩く
歩く

「……おかしい。いっこうに終わりが見えてこない」

歩く
歩く
歩く

歩いた
歩いた
歩いた

肉の床を血飛沫散らせながらどれだけ歩いただろう
五分?
十分?
三十分?
それとももっと?

「外れの道なら、いい加減行き止まりが出てきてくれてもいいんだけどね……」

歩く
歩く
歩く

立ち止まっても意味はないし、戻るのも億劫だ

だから歩く
歩く
歩く

――ふと、何かが霖之助の頬を撫でた

「………………?」

思わず立ち止まる

今、自分の頬を撫でたもの
あれは風か?

そう思い、目を閉じ、意識を集中させる

「…………………………」

何も感じない
皮膚に触れるもの、耳に聞こえる音など何もなく

「……………………気のせいだったか」

そう言い、半ば諦めながら歩みを進めた瞬間だった

――ひゅうぅ…………

「!!」

風……
皮膚を撫でる空気の感触、耳に聞こえた音
微量、かつ一瞬ではあったが、それは紛れもなく風であった
しかも、その風は霖之助の正面、歩みを進めていたその先から吹いてきているのだ

「出口か……!?」

風が吹いている……
それはこの先が外界と繋がっていると言うこと
そこがこの悪夢のような異世界からの出口になっているのだ
そう考えるだけで霖之助は自然と走り出していた

「はっ……はっ……はっ」

走る
長い長い通路
何処までも暗闇が続き、先の見えない通路をひた走る

「はっ……はっ……はっ」

ふわり、何かが鼻先を擽る
かぎ慣れ、麻痺してしまったこの異世界の臭いとは全く違う、屋外の空気

「はっ……外が……はっ……近い……はっ」

一段、肉を蹴る脚に力が込もる
速度が上がる

やがて…………

「っ……! 光……!」

小さな、点
真っ暗な闇に浮かび上がる、小さな点
それが、霖之助が進む度、速度を上げるのに比例して、ぐんぐんと大きくなる

「っっ…………」

闇になれた眼には眩すぎる光
それ目掛け、瞳を細めながら突き進む

点が円になり、更に広がった円の内側に『風景』が広がる

「外…………外だ!」

求め続けた外への脱出口
二つ前の紛い物とは決定的違う、外の風景
見慣れた……霖之助にとって本当に見慣れた、香霖堂の扉から外を眺めたのと寸分違わぬその光景が、ここから脱出出来る事を訴えていた

だが……いやだからこそ、霖之助は出口の数歩前でピタリと足を止めた

「ここ迄来たからには、この一回で脱出するんだ。おそらく、出口の直前には何かしらの罠が仕掛けられている筈だ。それも、焦って走り抜けようとしたら死ぬ類いのものが」

出口迄の残り数歩、霖之助は最大限罠に注意しながら、ゆっくり慎重に歩みを進める

「四歩……三歩……二歩……」

残り一歩
すぅ、と息を吸い、じりじりと動かす足
その爪先が外界と異界の境界に触れるか触れないか、その時だった

――ヒュ……バクン

「あ……ぁ……ぁ?」

突如として天井から現れた、筒状の化け物
そいつはあっという間に霖之助の額から上の頭頂部を飲み込んだ

「なに……ぴゃ……ぴき」

ぶす、ぶす、ぶす
化け物に飲み込まれた頭に、無数の細く硬い管が突き刺さる
化け物の身体がビクンと収縮すると、頭骨を突き破って脳にまで至った管が、ジュルジュルと霖之助の脳みそを吸い上げていく

「あぇ……ぴぷ……ぽぽぽ……ぽぴゃぁ」

白眼を剥き、舌を突きだし、涎や涙や糞尿をだらしなく撒き散らしながら、霖之助は壊れたテープレコーダーのように奇怪な音を発する

「ぴ、きゃぽ……ぺぺぺ……ぱぺぱぺぱぺぽぴゃききゃぱぁ!」

ジュルジュルと脳を吸われ、最早正常な思考をする事など出来ず、狂った様に…………
否、強制的に狂わされ奇声を上げる事しか許されず

「ぴーーーーーーーーーーーーーーーーーーーぽぱゃぺろょもぷやょれまきぁれぽみゎるぉぱーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ」

――ジュルンッ

一欠片も余すことなく脳を全て吸い付くされ、漸く霖之助は絶命した







「……前回は後少しの所で死んでしまったが、脱出路はわかったんだ。なら、後は如何にしてそこから出ていくかを探れば良い」



そんな訳で十五回目



前回同様慎重に歩き、境界に差し掛かった瞬間後ろに飛び退いてみた
結果

「ピャーーーーーーーープルリパーーペーーモィンユーーーーーーーーーーッ」

飛び退いた先の天井から管の化け物が現れ、前回同様脳を吸いとられて死亡


十六回目


慎重に行くことが間違いだったと、一息に走り抜けてみた
結果

「ピッパッポップッペッミーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ」

やはり境界に足を踏み込んだ瞬間に化け物に取りつかれ死亡


十七回目


姿勢を低くすれば捕まる前に逃げられるのではと、勢いをつけた状態からヘッドスライディングを敢行
結果

「がっ……ひゅ……っか………………」

床から突き出してきた骨槍にまず臍を貫かれ喉を貫かれ眼球を貫かれ串刺しになり死亡


十八回目


予め両手を頭上に掲げておき、化け物に食いつかれるのを防いでみた
結果
霖之助の力では止めることなど出来ずそのまま食い付き、脳みそ吸い取りにより死亡


十九回目


実はまだ試していなかった一番手前の分岐が正解だったのではと考えそちらに進む
分岐に足を踏み入れた瞬間高圧電流を浴びせられ身動きできないまま感電死


二十回目


やはりあの道が正解なんだと思い直す
通路の真ん中を通るのは危険だと考え、左の壁に密着した状態で通ってみる
普通に化け物出現、死亡


二十一回目


右の壁づたいに移動
二十回目同様化け物出現、死亡


二十二回目
二十三回目
二十四回目
二十五回目

死亡
死亡
死亡
死亡


三十八回目
五十四回目
九十七回目
百八回目
二百五十六回目

死亡
死亡
死亡
死亡
死亡

六百六十六回目
千二十四回目
五千回目
八千三百回目
一万六千十七回目

死亡
死亡
死亡
死亡
死亡



「あ……ぅ…………あぁ」

あと一歩という所で幾度も幾度も死に続け、少しずつ磨耗していた霖之助の精神は遂に限界を迎え心折れてしまった
起き上がることもせず、肉布団の上で微かに呻き声をあげるだけ
その内に霖之助を押し潰す肉壁が現れ、何の抵抗もなくそれに飲み込まれ死ぬ

「ぅ…………………………」

一万六千十八回目の死

「ぁー………………」

一万六千十九回目の挑戦
否、既に霖之助に挑戦の意思がない以上、挑戦とは呼べない
単純に蘇生、或いは無意味な復活と言うべきか

(もう、諦めよう)

挫けた心が弱気を呼ぶ

(もうこのまま、大人しく『これ』を受け入れよう)

無限に続く責め苦に怯える心が、恐怖からの解放を望む

(彼らを受け入れよう。彼らと同じになろう)

『ゾンビに殺されるのを怖れるのなら、ゾンビと同じになればいい』
それが霖之助の選択だった

心折れた霖之助の身体が、肉の地面にずぶずぶと沈み込んでいく
だが霖之助は慌てない
これは今までのように自分を悪戯に殺す為でなく、彼らと同じ存在にしてくれる為の行為なのだと本能的に理解したからだった
湖面に沈むかのようにゆっくり、静かに肉に埋もれていく霖之助
その顔は、この異界で目覚めてから始めて見せる、とても穏やかなものだった







(…………心地良い)

(ゆったりと湯船に浸かっているような……)

(暖かな布団に入っているような)

(ずっと……このままでいたい……)

(もう、あの日常に戻れなくともいい……)

(無理に戻ろうとして、罰として与えられる死に怯えるくらいなら……)

(このまま、この心地良さをただただ甘受していたい……)


――――――――!!
――――――――!!

(…………煩い)


――――――!!
――――――!!


(煩いな…………)


『――――せ! ――なせよ、――夢!』


(………………?)


『――鹿! こん――――、準――――しに入――――んて!』


(誰……だ?)


『――って……だって、香霖が…………!!』
『そんな事わかってるわよ! でもね! 見ればわかると思うけどね、これはいつもの異変とは明らかに質が違うの! 異変用の装備を整えてたって危険な状況になってんの!』
『だったら! 尚更やばいだろが! 私らでもやばい状況で、香霖が無事でいられるわけないだろ!?』
『そんなのわかってるって言ってるでしょ!!!』


(魔……理…………沙…………)

(霊…………夢…………)

(二人…………とも………)

(僕は……大丈夫だ……)

(いや、大丈夫じゃ、ないのかもしれない……)

(けど、少なくとも、まだ、生きてる)


『いい!? 今はね、一分一秒だって惜しいの! 霖之助さんを無事に救い出したいなら、お互いにさっさと家に戻って装備整えて、それから突入するの!』
『……………………くそっ! わかった、わかったよ!』


(あぁ、二人とも、行かないでくれ)

(……………………! そうだ、いつまでもこの心地良さに浸っていては駄目だ!)

――ヌチャ

(……よし、身体は動く)

――ズチャ

(? どういう事だ? 僕は自分の部屋にいた筈なんだが……)

――ヌチャ

(まぁ、いいか。迷路の入り口で目覚めたからといって、不都合はない)

――ズチャ

(道順は……しっかり覚えている)

――ヌチャ、ズチャ

(ここでしくじれば、次に目覚めた時には二人ともそれぞれ戻ってしまっているだろう……)

――ヌチャ、ズチャ、ヌチャ

(問題は出口の化け物だが…………)

――ズチャヌチャズチャヌチャズチャヌチャズチャヌチャズチャヌチャ

(…………ええい、ままよ!)

――ズチャ………………!

(ッッッ!)

(やった! 抜けた!)

(はは、やった、やったよ霊夢、魔理沙!)


「――っ!?」
「ひっ!?」


(? どうしたんだい、二人とも……)

(そんな、化け物を見るような目をして……)

(……魔理沙?)

(なぜ、八卦炉を構えているんだい?)

(霊夢?)

(なぜ退魔針を両手に握っているんだい?)


「恋符…………」


(魔理…………やめ………!)


「マスター……スパーク!!!」


(! !!!! !!!!!!!!!!)




















『アェ……ア゛ァ…………ア゛アァ』
「……何なんだよ、この化け物は」
「私が知るわけないでしょ…………」

魔理沙の魔砲により、バラバラに吹き飛んだ『何か』
変異した香霖堂の中から突然出てきたそれは、人の形をした、スライムと肉塊の中間のような存在だった
香霖堂の外壁の現状と同じく真っ赤なそれは、目鼻がない代わりなのか顔に当たる部分に、顔の直径より一回り小さい孔が空いている
発声器官などない筈なのに、顔の孔からは呻き声のようなものが延々と漏れていた

「…………霊夢、やっぱり私はこのまま行くぜ」
「魔理沙……!」
「やばいのは重々承知してる。けど、中に今みたいな『化け物』が彷徨いてるかもしれないなら、これ以上香霖を一人にしておけるかよ」


『僕は妖怪には襲われないから大丈夫だよ』


――最低限の護身術くらい身につけたらどうだ?
過去に魔理沙が言ったその提案に、霖之助は笑って大丈夫だと答えた
事実、危険度の高い無縁塚へ幾度も出向きながら平穏無事に帰ってきてる以上そうだったのだろう
だがそれは『妖怪』相手の話だ
魔理沙にとって、今しがた自分が倒した『化け物』は『妖怪』とは違う存在だと本能的に理解していた
妖怪に襲われない理由、それがこの化け物相手に通用するとは限らない
そうなった時、魔理沙からしてみれば録な自衛手段のない霖之助が化け物と相対して、無事にやり過ごせるだろうか
魔理沙の出した結論はノーであった

「…………アンタの気持ちはわかったわ。けど、絶対に無茶はしないのよ。私も出来るだけ、すぐに戻ってくるから」
「任せろ。その頃には、華麗に香霖を助け出してとっくに脱出してるだろうけどな」

軽口を叩いてはいるものの、魔理沙の表情は普段より固い

『霖之助はとっくに化け物に殺され手遅れになっている』

そんな最悪な想像が、どうしても頭から離れないからだ
それは霊夢も同様だった
だから、お互いの不安を消し飛ばすように霊夢は言った

「そうね。元幻想郷最速のお手並み、見せてもらうわよ。って直接は見れないけどね」
「…………言ったな。よっし! 何がなんでもお前が帰ってくる前に香霖を助け出して見せるからな!」
「そうそう、その調子で頑張ってよね。そうしたら私の仕事は香霖堂の後始末だけで済むんだから」

互いに視線を交わし、ふっと微笑を浮かべる
後はもう言葉はいらない
霊夢は博麗神社へ、魔理沙は香霖堂の中へ

果たして彼女逹は、無事に霖之助を探し出すことは出来るだろうか?
それは貴方逹だけが知っている
リョナゲって楽しいですよね。特にアクション系
といってもアクション苦手なんでえびげんくらいしかクリアしたことないんですが

いやしかし長い。無駄に長い。なんだかんだで年をまたいだ作品になってしまいました
ネタだけは浮かんでくるので困ったものです。さて、次はどれから書こうか……

以下、オマケで作中の迷路の図になります

      入
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  ?   ?   ?  ?
作品情報
作品集:
10
投稿日時:
2010/01/09 15:44:07
更新日時:
2010/01/10 00:44:07
分類
森近霖之助
リョナ
脱出ルート?ありません
1. 名無し ■2010/01/10 09:02:29
素晴らしい…内臓姦が多くてきゅんきゅん来た…
霖之助で触手ものが見れるとは…ふう…もっとやって下さい
2. 名無し ■2010/01/10 11:08:32
霧之助の心を折る迷路か・・・
15回目から霧之助の断末魔が面白い
3. 名無し ■2010/01/10 11:47:06
今までこーりんウザいと思ってたけど、このこーりんは好き
4. ばいす ■2010/01/10 12:21:33
読みやすくてそれほど長さを感じなかった。
殺され方の不快感がすごい伝わってきて、読んでて気分悪くなった
5. 名無し ■2010/01/10 13:42:04
こーりん可愛いよこーりんすごく面白かった
寝起きでいいもの見せてもらったよ


・・・ふぅ
6. おたわ ■2010/01/10 16:39:51
いつの間にか香霖に感情移入してて作中何度も悪寒が走った
引き込まれる様な展開に文章、素敵です
7. 名無し ■2010/01/10 18:52:14
なんというデモノフォビア……
8. 名無し ■2010/01/10 20:01:53
出られなくなって後悔する魔理沙が目に浮かぶ
被害妄想全開になって、これは全部霊夢とこーりんの陰謀で
自分はハメられたとか泣き叫んでそう
9. 彩兎 ■2010/01/10 21:52:39
スライムに嫉妬したのは、生まれて始めてだ。
10. 名無し ■2010/01/11 01:34:44
脳内で場景はサイレントヒル3の病院裏で想像して読んだ
こーりんかわいいよこーりん、まさかこーりんでヌく日がくるとは
11. 名無し ■2010/01/11 03:10:44
早苗でデモノフォビアは想像したことがあるよ。
紅魔館で寄生ジョーカーもいいかも知れん
12. 名無し ■2010/01/11 03:25:13
真っ先にバイドを連想してしまった……
13. 名無し ■2010/01/11 15:09:16
いいねこのゲーム欲しい
14. 名無し ■2010/01/11 18:37:58
まさに世もまつですなぁ
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