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『ノーパン』 作者: ガンギマリ
行って来ます、と勢い良く玄関を飛び出したは良いものの、メルランはきっとブラウスのボタンを掛け違えているに違いない。
それを指摘してあげようにも、既に彼女の姿は消え失せ、居間には土曜日の日差しだけが寂しげに差し込んでいるだけだった。
手元の週刊誌を、陽光が照らしている。
何事もなかったかのように再びそれを捲ろうとすると、指先が存外、乾いていた事に気が付く。
部屋が乾燥しているのかしら。
指先を軽く舐め、湿り気を与えると、一人きりの居間でソファーから足を投げ出し、ルナサは再び雑誌を読み耽けようと、ゴシップを目で追い始める。
三百二十頁目は、何やら薄黄色い。蝶が舞う挿し絵。
メルランの外出を見送った時から、彼女の頭の中に週刊誌の情報など、これっぽっちも入ってきやしない。
妙に冷たい陽光が、パジャマ越しに突き刺さる。
週刊誌を乱暴に放り投げると、ルナサはごろりとソファーの上で横になった。
――こんなにも朝早く、妹はボタンを掛ける間も惜しんで何処に向かったのだろうか。
いつもなら、いつもの彼女なら、本当に些細な話だ、と締めくくっていた筈だ。
どうせ新品のトランペットが欲しいのだと、朝一番、楽器屋のショーケースに張り付きに行っただけなのだと、それだけの話。それだけの些細な話の、筈。
なのに何故、こうも妹の姿を意識してしまうのだろうか。
自分はただ、庭先の金木犀に酔わされているだけなのだと、そう思い込みたい。
しかし、心当たりなら一つだけある。
その事実が、ルナサの心を容赦なく締め付け、余計に思いを募らせるばかりだった。
最近のメルランは、妙に色気づいている。
急にめかしこんでみたり、慣れない紅をひいてみたり。彼女は、「女」を意識し始めているのだ。
薄々、感づいてはいた。
しかし、ルナサがそれを口に出す事はなかった。
団欒の時であろうが、ベッドの中だろうが、その事について触れてみる勇気はない。
ただ、毎日のように早朝から出掛ける妹を、白々しく見送る日々が過ぎる。
問いかけた瞬間、今までは見慣れていたメルランの後ろ姿が、跡形もなく崩れ去ってしまうのではないか。
漠然とした想いが、彼女の何気ない頭の片隅にあったのだ。
■ ■ ■
夕食を終え、入浴を済ませると、肌着のままでバルコニーへと足を運ぶ。
秋風が火照った身体には心地良く、ルナサは木製の柵に寄り掛かり、暫く街の灯を眺める事にした。
夜の色は深く、時間と共に、街の灯は徐々に消えてゆく。
今日もまた、妹に触れる事なく夜は過ぎてゆくのだろう。
数え始めてから三軒目の灯りが消えた時辺りから、ルナサの胸中に言い知れぬ虚無感が生まれた。
「女」を意識するという事は、即ち他の男と関係を持っている。そういう事なのだろうか。
例え関係を持ってないにせよ、意中の相手がいる事には間違いないだろう。
メルランが毎朝向かう先は、一体何処なのだろうか。
熱心に楽器屋に通っているというのは、果たして私の都合の良い想像でしかないのだろうか。
現実のメルランは、見知らぬ男の腕に抱かれるが為に、毎朝家を後にしているのだろうか。
空っぽの胸の中に、気休めの煙が欲しい。
父の煙草を拝借しようと、ルナサは踵を返した。
裸足の足裏が板造りの床に触れる度、ぺたぺたと乾いた音がバルコニーに響き渡る。
その音にすら虚しさを覚え、毎朝、メルランが家を後にする瞬間ばかりが尾を引いてしまうばかり。
入浴で乾ききっていない髪を乱暴に掻くと、ルナサは自室へと続く扉に手を掛けた。
キィ、と、独特の軋みをあげて、扉は開く。
「ああ、姉さん。髪とかしてよ」
そこには、彼女にとっての悩みの種が、濡れた癖っ毛を携えて佇んでいた。
■ ■ ■
「勝手に部屋に入らないでよ」
「姉さんの部屋にはバルコニーがあって羨ましい」
だって街の景色を見渡せるし、と、メルランはこれまた一端の女のように微笑んだ。
美貌、とは程遠い。彼女はまだ幼い。
しかし、メルランの何気ない仕草の一つ一つが、ルナサの感情を確実に麻痺させるのだ。
なるべく何も考えないように、癖の強い髪を丁寧にとかしてゆく。
掌に携えた淡い癖毛は、ルナサのよく知るメルランの物だった。
「姉さんに髪をとかして貰うなんて、久しぶりかもしれない」
ルナサにとっては、そうも感じない。
幼い頃はリリカとレイラも交え、よくお互いに髪をとかし合ったものだ。
それすらも、ごく最近の事に感じてしまう。
「そう感じるのは、きっとあなただけよ」
後ろ髪をとかしながら、ルナサは短く言い放ち、それきり黙りこくった。
淡い色の癖毛は、窓から差し込む月光を受け、ほのかに光り輝いている。
外ハネ気味の癖といい、小さな白い肩といい、よく知るメルランの姿なのに、どうしてこんなにも遠く、切なく感じてしまうのだろうか。
ふと、メルランが向かい合っている、自分の化粧台に視線を移す。
きちんと整頓された化粧台。
やはりメルランの化粧台は、口紅やらおしろいやらで賑やかに彩られているのだろう。
最近は彼女の部屋に入る機会も減ってしまったが、大方の予想は付く。
化粧台と同時に脳裏に浮かんだのは、メルランがこの家から去り、いつまでたっても戻ってこないイメージ。
メルランの「ただいま」が消えてしまう瞬間だった。
「ちょっと、どうしたの?」
メルランを後ろから抱き締めると、中途半端にとかした髪に顔をうずめる。
ああ、この匂いもメルランの物だ。と、ルナサは胸中で呟いた。
月の光は淡く、窓の形を床に作り、それきりは沈黙。
虫の音すらも聴こえない、静かな夜が流れ出す。
切り出せないのならば、このまま此処で、妹の記憶を捕まえてしまえば良い。
「暫く」
「え?」
「暫く、このままで居させて」
流れ始めた夜が、完全に溶けてしまうその時まで。
朝にはいなくなってしまうメルランを、ルナサは夜の中に大切に閉じ込めた。
- 作品情報
- 作品集:
- 14
- 投稿日時:
- 2010/04/09 17:59:02
- 更新日時:
- 2010/04/10 02:59:02
- 分類
- 吉井和哉
いい言葉が出てこない。
姉妹かわいいよ姉妹
ていうか
ルナサ切ない…
>>1
同意
感服致しました・・・
創作意欲湧いた気がする。ありがとうございます。
・・・こんな切ない真面目な文章も書けるなんて・・・改めて凄い人と実感。