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『アレ集2』 作者: 蓋の鍋

アレ集2

作品集: 15 投稿日時: 2010/04/29 16:05:57 更新日時: 2010/04/30 01:07:15
1.メディスンの話
2.こーりんの話
3.凄く短い
4.寺子屋の話



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『内 ← 遺影』


 兎に角、外から鈴蘭畑に戻ったメディスン・メランコリーはまず、嘔吐した。
 畑の外になど、やはり行くべきではなかったと後悔したときには既に時遅し、体中に染み渡った腐乱した空気がメディスンの正常な思考回路を狂わせていた。
 外の世界は善意と慈悲と、わけの分からぬ愛憎、妬み、嫉み、エロス、その他諸々etcに満ち溢れていた。
 メディスンにとってそれらはただの毒に過ぎなかったようである。
 毒とは即ち活力。然るに、それらは精神を蝕む悪意としてしか吸収できなかったのだ。
 やはり、自分にはスーさんしかいない。
 いや、スーさんだけ居ればいい。他の者は皆消えるか死ぬかすればいいのだ。
 狂い始めた思考が弾き出した彼女にとっての真理は、幻想郷に住まう者達の死屍累々をこの目で確かめることだった。
 しかし、方法が無い。
 スーさんには気の毒だが、文字通り毒だけでは到底太刀打ちできないような化け物がうじゃうじゃいるのは事実。
 神速の如き飛行能力を有した妖怪や、幻想郷を揺るがさんばかりの霊力を誇る人間、果ては本当に外の世界からやってきた神々。
 対峙せずとも分かる、約束された敗北にメディスンは苦い表情を浮かべた。
 
「ねえ、スーさん。どうしたらいい? どうしたら私達以外の連中を皆殺しにできるかしら」

「そういう相談だったら花なんかより、私に相談した方がいいよ。絶対」

 えっ、と思い顔を上げるが、誰の姿も見当たらない。
 しかし、確かに何者かがこの鈴蘭畑にいるという気配だけは感じていた。
 メディスンの神経が逆立った。

「誰!? 出てきなさいよ! 別にとって喰いやしないから!」

「そんな歯をむき出しにしてそんな事言われても信じられないなぁ」

 ちょうど、声が真後ろからしたのを気取ると、振り向きざまに毒をぶちまけた。
 鈴蘭の白い花弁が粘着質の紫色に揺れる。
 手ごたえは無い。
 何者かの声は相変わらず続いていた。

「物騒だなぁ……まあ、落ち着いてよ。っと」

「あっ」

 左の首筋にチクリとした感触があったかと思うと、急に体中の力が抜けていった。
 視界が白に溶け、まるで刷毛で殴り書きしたような景色が段々と黒に縁取られていく。
 やがて完全に光を奪われ、メディスンの歯車がずれた思考回路がパニック状態を引き起こした。
 それでもやけに聴覚だけは鮮明で、呑気な闖入者の声だけが否応無しに耳に届く。

「ちょっとは落ち着いた?」

「何をしたナニヲした何をををぉぉぉ!!」

「ダメだこりゃ、あはは」

 ジャリジャリ、と不快極まりない音が響く。
 そこでメディスンの意識は完全に途絶えた。

 …………。
 ……。
 …。

 けたたましい金属音でメディスンは目を覚ました。
 嗅いだ事もない異様な臭いも気になるところだったが、何よりその目に映る光景にしばしの間心を奪われた。
 灰色の壁の至る所から伸びた赤や青の紐。ヒト一人収まるのではないかという程巨大な、透明な円筒。そして、そこに満たされた極彩色の液体。
 所々に見受けられる赤茶けた、飛沫の痕。
 いずれもが不気味なものに思えて、メディスンは僅かに身を強張らせた。
 ジャラジャラ、という耳障りな音がした。

「なによこれ」
 
 視線を我が身に下ろすと、金属製の小さな輪が連なったものが体に巻きついていた。
 鎖だった。錆だらけだ。
 改めてメディスンは、自分がベッドに縛り付けられているという状況を把握した。

「ちょっと、なによこれ! 何の真似よ!」

「おっと、やっとお目覚めかな」

 顔面すぐ近くから声がした。
 にもかかわらず、やはり声の主の姿は見えない。薄暗い天井の正方形だけが視界に映るばかりだ。

「なによあんた、化け物? 化け物なの!? それとも幽霊?」

「同族だよ。わたしもあなたと同じ、一妖怪にすぎない」

「姿を消す程度の能力とか? 失礼だわ、人をこんな目に遭わせておいて!」

 メディスンは力の限り体を上下左右に揺すってみた。
 体はビクともしなかった。

「まあまあ、そう慌てない慌てない。別に危害を加えるつもりでここに連れてきたわけじゃないんだから」

「はぁ? 一体私を何処に連れてきたのよ!」

「わたしの部屋だよ」

「帰してよ! 私はあんたなんかに興味無いし、やることがいっぱいあるんだから!」

「だから、そのやることのお手伝いをしてあげるつもりでここに連れてきたんだよ」

 メディスンは相変わらず姿の見えない相手に不信感を抱いたが、その言葉に意識を奪われた。
 自分のやること――幻想郷の皆を亡き者にする――を果たして、理解しているのだろうか。
 もしそうだとしても、

「あんたが私の手伝い? 面白いこと言うのね」

「そう? 別に他の妖怪を皆殺しちゃうっていうなら、そんな難しい事じゃないんだけどね」

「……あんた、何者なの?」

「別にいいじゃないかそんな事どうでも。で、どうするの?」


 …………。
 ……。
 …。


 姿を見えぬ相手から鎖を解いてもらい、一応客間だという所にメディスンは案内された。
 これまた金属の板が幾つも敷かれている上に、ぽつんとソファが一つあるだけの奇妙な部屋だった。

「先に方法から言うと、わたしが手伝うのはあなたの能力の増幅。
 毒を操る能力だったよね? それの影響範囲と効力を爆発的に増大させてあげるから、あとはあなたが能力を行使する」

「何で私の力知ってるの? ……まあ、別にいいけど」

「ただ、この方法にはいくつか抜けがあってね。完全じゃないんだよ」

 言葉の尻に意味ありげな含み笑いがあった。
 しかし、この相手の言う事が本当ならばスーさんとの理想郷を築く事が可能かもしれない。
 メディスンは僅かに早くなった鼓動を御しつつ、先を促した。

「例えば、満月の夜にしか使えないっていうのが、まず一点目かな。
 使おうと思えばできなくもないんだけど、一番効果があるのが満月なんだよ」

「そうなの。で、他には」

「二つ目は、似た相手には通用しないってこと」

「似た相手?」

「そう。例えば、わたしが知ってる中だと、森に住む人形遣いには効かないね。
 すごい似てるんだよね、あなたに。容姿が」

「ああ、そういうことね。なんだ、別にそんな事気にするまでもないじゃない。
 私に似てる奴なんて、その人形遣い? ぐらいだろうし」

「なんでわかるの? 他にもいるかもしれないよ」

「私みたいに可愛い姿の相手、そうそういるわけないじゃない」

 なぜか、間髪入れずに哄笑が響き渡った。
 メディスンは激しく苛立ったが、自分の手助けをしてくれると言っているのだから、多少のことは大目に見ないといけない。
 それに、そんな強力な力が手に入るのだというのならば、この相手も機を伺って手にかけることもできる。
 ここは賢くいくべきだろう。

「……で、他には?」

「これが一番面倒なんだけど、能力を強化した際に副作用が現れるんだよ。
 使用者自身の能力に対して、何らかの副作用が」

「副作用? なによそれ」

「さあ? 使ってみるまで分からないんだよね、それが」

「前例とかあるでしょ。それ使うの、私が初めてじゃないんでしょ? ねえ」

「まあ、ね。
 元々、この方法は一人の男の人間が開発元になってるんだけど。
 その男の能力は、毒電波を操る程度の能力だったんだけど、副作用のせいで頭を破裂して死んじゃったよ」

「なっ……なによそれ!」

「その電波が変異して、ものを温める力が付加されたらしいんだけど。ほら、頭からそんな電波出し続けてたら、当然――」

 急に馬鹿げた話になり、メディスンは鼻白んだ。
 自分が死んでしまっては元も子もない。

「どうしたの? あ、やっぱり怖くなった?」

「な、何を言ってるのよ。別に怖くなったわけじゃないわ、ただ、そんなリスクがあるのに使うなんて馬鹿みたいって思っただけよ」

「怖いんだね」

「怖くないったら!」

「じゃあ、いいじゃない。その副作用だって、もしかしたら更に能力を凶悪なものにするかもしれないよ。
 そうなったらもう、あなたには敵無しだよ? どうせこのまま日和見を決め込んでいたところで、チャンスなんて無いんだから」

 姿こそ見えないが、おそらく相手は口元にいやらしい笑みを浮かべていることだろう。
 しかしながら、相手の言っていることは的を射ているとメディスンは思った。
 あの外で見た魑魅魍魎の名に相応しい連中を相手にするなら、そのくらいのリスクを背負って当然だ。
 まともにやり合っても勝機が見えないのなら、例えそれが危険な手段であったとしても、可能性に賭ける方がまだ分がある。
 
「わかったわ。のるわ、その話」

「そうこなくっちゃ。じゃあ、早速準備に入るとしますか」

 …………。
 ……。
 …。

 そして、満月の晩。
 鈴蘭畑には1つの影と、姿無き影。

「じゃあ、準備はいいかな?」

「いつでも大丈夫よ。……でも、本当にそんな小さなもので」

 メディスンの首には菱形に厚みを持たせたような、青い宝石が取り付けられていた。
 鏡で確認すると鈍い輝きを放っていたが、別段変わったところの無いただの石ころのようにも思われる。

「大丈夫大丈夫。それじゃあ、始めるね」

 メディスンは静かに目を閉じる。
 姿無い協力者の息遣いだけが聞こえる。
 そして数分程経った辺りから、首の付け根が徐々に熱を帯びていることに気がついた。

「熱いわ」

「おっと。成功だ」

 思わず、えっ、と声が出た。

「良かったね。無事に成功して」

「ち、ちょっと待ってよ。えっ、なに、もうおしまい?」

「そうだよ」

「そうだよって……別に、何も変わらないんだけど」

「それは能力を使ってないからだよ。力を行使して初めてその効力がわかるんだから……おっと、やめてやめて、今はやめて」

 虚空から、焦りの色を匂わせた声が響く。
 どうやら、本当に力が強力になったらしい。らしいのだが、メディスンには実感が何一つ無い。
 早くその真実を確かめたく、わずかに力を使おうとした刹那、

「だから、ダメだってば。わたしを殺す気?」

「……そうだ、って言ったらどうする?」

 息を呑む声。
 気を伺う必要は無い。もはやこの瞬間こそが目の前の相手を殺す絶好の機会。

「他の妖怪を殺すのは勝手だけど、わたしはやめておいた方がいいよ? 
 だってほら。まだお礼を貰ってないし」

「何よお礼って?」

「そりゃあ、言うまでも無いことだよ。わたしはあなたに協力してあげた。
 だから、そのお礼にわたしはあなたの体を貰う」

「はっ? 何言ってるのよ」

「最近、生体工学に興味があってね。だから、あなたの体が欲しいんだよ。
 妖怪化して間もない肉体は貴重な研究材料だからね」

 言葉の意味も真意も理解できなかったが、メディスンは一つ決断を下すことにした。
 両手に力を込める。
 その途端、今まで体験したことの無い高揚感と虚無感が同時に体中を駆け巡った。
 
「えっ……うわあぁぁ!!」

 姿無き影の気配が消えた。
 一瞬前まで白に覆われていた鈴蘭達が、今では自身の毒色の紫に姿を変えていた。
 両手を見てみると、粘性の毒液がべったりと指の間にこびりついている。
 
「すごい……」

 視線を上げて見ると、鈴蘭畑どころではなかった。
 見渡す限りの草花が毒々しい紫の輝きに覆われていたのだ。
 メディスンは狂喜する。
 
「やった、やった、やったやったやったやったーーーーーーーーーーっ!!!!」


 手始めに、風見幽香の畑を訪れた。
 一年中咲き誇る向日葵は全滅し、植物特有の青臭い香りが立ち込めている。

「幽香ー、いないのー?」

 ぐるりと辺りを見渡してみたが、畑の主は見当たらない。
 幽香邸に向かう。
 
「入るわよー」

 鍵はかかっていなかった。
 扉を開けた途端、思わず嘔吐してしまいそうな悪臭を鼻を突いた。
 緑色の頭部は二つあった。
 一つは風見幽香、その人。
 そしてもう一つは――

「あははは。二人仲良く死んじゃったのね。良かったわね」

 一糸纏わぬ姿でリグルと幽香は折り重なるようにして絶命していた。
 眼は白に染まり、生前の紅い輝きは無い。
 その代わりに、口と鼻から赤い粘液がコポコポと溢れていた。

「あらやだ。アソコからも血が出てるじゃない」

 メディスンは、ベッドの脇に横倒しになった如雨露を手に取ると、適当に体の一部を突付いた。
 ピクリともしない。本当に死んでいるようだった。

「すごいわ。あの幽香とこの汚らしい虫けらを殺せるなんて。あー、せいせいした」

 メディスンはこの冷たくなった二人を忌み嫌っていた。
 幽香邸を訪ねると、決まって仲睦まじい様子で笑顔を浮かべていたからだ。
 何が楽しくてお茶なんか飲んで、何が楽しくて互いの唇を重ね合わせるのか。
 窓から覗き見するその光景に、メディスンはいつも吐き気を覚えていた。

「仲良かったもんねー。お幸せにね」
 
 しかし、そんな気苦労も最早いらない。
 メディスンは幽香が保管している植物の種コレクションの中から鈴蘭を抜き取ると、幽香邸を後にした。


 
 人里。死屍累々たる光景に心が躍った。
 泡を吹いて絶命している者もいれば、体の穴という穴から血を撒き散らして死んでいる者もいた。

「まるで神様にでもなった気分だわ」

 手にした鈴蘭の種をまいていく。
 死体の山を苗床にし、スーさん一色に染まるのはいつになるだろう。
 わくわくする気分で死臭漂う人里を越える。

 魔法の森にやってきた。
 目的の建物はすぐに見つかった。西洋造りの一軒屋。
 メディスンは少しだけ身構え、その生き残っているであろう人形遣いを亡き者にするべく様子を伺った。
 
「あれ?」

 家を間違えたのだろうか。中には人の姿は無い。
 恐る恐る中に入ってみると、やはり誰もいない。

「いないのー?」

「ひっ!」

 部屋の隅の方から悲鳴にも似た女性の声がした。
 
「だれっ、誰なの!?」

「あ、いた」

 家の主は家の奥で身を縮こまらせて、頭から毛布を被って震えていた。
 メディスンはその光景に少しだけ興ざめしつつも、事が楽に済みそうだと安堵した。
 こんな陰気臭い森に一人で住んでいるくらいだから、魔性のものを人形の如く使役する魔女を想像していたのだが、どうやら事実はメディスンが思い描いたものとは異なっていたようである。
 まるでただの少女のようだった。
 できるだけ優しい声で、しかし零れ出そうな笑みを押さえてメディスンは人形遣いに語りかけた。

「そんなところでなにをしているの? 大丈夫、こっちに来なさいよ」

「あ、貴女誰なの? どうして家にいるのよ」

 姿無き影の言葉を思い出す。
 自身に似ている者には力は効かない。
 メディスンは視線の先で震えた声を上げている少女が、自分と同格にあるという事実に段々と腹が立ってきた。

 ――冗談じゃないわ。こんな女と私が似ているなんてあり得ない。

「ねえ、どうして貴女はそんなに怯えているの?」

「……わ、私見たのよ。魔理沙がね、魔理沙が……いや、いや、いやあぁあぁぁっ!!」

 半狂乱になった女が頭を掻き毟りながら金きり声を上げた。
 魔理沙、と呼ばれた人物の最期でも目撃したのだろうか。

「どうなってるのよ一体……まりさぁ……まりさ……」

「やれやれ。仕方ないわね」

 メディスンは軽く左手に力を込めて、そのまま前へと突き出す。
 グツグツと煮え滾るような奇怪な音と共に、紫色の粘液が人形遣い目掛けて放物線を描いた。
 
「いやぁっ! な、な、なによこれぇぇ」

 完全に取り乱した家の主は、毛布を投げ飛ばして、自身の顔にかかった液体を必死に拭う。
 体に変化は見られない。血の一滴も出ていないし、苦しむ様子も無い。
 どうやら、本当に毒が効かないようだった。
 だが、

「いやああぁぁぁぁぁっっ!!」

 最早、この相手には何の心配もなさそうだとメディスンは結論付けた。
 完璧に頭の箍に亀裂が入っている。相当ショッキングな場面に出くわしたのだろう。
 このまま放っておいても、いずれ発狂して死ぬ。
 メディスンはもう一度手から毒液を放つと、人形遣いの絶叫を背にしながらその場を後にした。

 好奇心でもう一つの邸宅を覗いたが、とても目の当てられる光景ではなかった。

 …………。
 ……。
 …。

 それから妖怪の山、神社と回ってみたが、一人として息のある者はいなかった。
 メディスンは心の底から沸き起こる歓喜に打ち震え、声を上げて笑った。
 耐え難い下卑た空気も無い。あるのは紫色の瘴気とスーさんの苗床として転がっている死体の山だけ。
 ひとしきり哄笑を響かせた後、メディスンは鈴蘭畑へと戻った。

「ただいま、スーさん! 私、やったわ。ついにやったのよ!」

 興奮冷めやらぬ様子で白い花に語りかける。
 鈴蘭の花弁がそれに答えるかのように、夜風にそよそよとその身を揺らしている。
 愛しさが溢れてきた。
 メディスンは思わず、その白に口付けをした。
 
「愛してるわ、スーさん」

 チロチロと舌を出して、花を舐る。ほのかに甘く、舌が痺れる感触が心地よかった。
 ふと、違和感があった。
 何かが焦げる臭いがメディスンの鼻をついた。
 慌てて辺りを見渡すが、火の気は無い。だが、代わりに、

「な……なによこれ」

 鈴蘭畑の一角。
 地面が焦げていた。いや、焦げているというよりかは、まるで何かをそこに撒き散らしたように、鈴蘭ごと地面が融解していた。
 紫煙が上がっている。
 
「まさか……そんな」

 スーさんが死んでいる。
 犯人は誰か。
 メディスンは頭に浮かんだ可能性を否定しつつも、消去法で行くならもうそれしかないと気づいていた。

 ――副作用? まさか、私の力に付加された効果で地面が溶けたとでも言うの?

 ハッとして辺りを見渡すと、近くは鈴蘭畑、遠くでは幽香の畑、そして地平の向こうでは人里から、もくもくと紫煙が立ち昇っていた。
 何と言うことだろう。
 これでは苗床の話ではない。
 虐殺に使った毒液がその戦場を跡形も無く地下へと消し去ろうとしている。
 一番近くで溶けていた地面に駆け寄ると、それがもう地下遥かまで融解が進んでいるのがわかった。
 
「ははっ……なによこれ」

 たしかにおぞましい能力だ。
 相手の神経を侵すだけでなく、その身をも溶かしてしまうのだから。浴びたら最後、まさに必殺の威力だ。
 だが、そんなもの、今や障害が無くなったこの世界では何の役にも立たない。
 せめて、相手を肥料に変えるという力だったら手放しで喜べたのだが。
 メディスンは今も溶けゆく地面の底を覗きながら、スーさんの苗床を考えなくてはならないと嘆息をついたのだった。

 …………。
 ……。
 …。

 三回目の満月。
 ようやく辺り一帯を白一色に染め上げることができたメディスンは、満足そうに頬を緩ませた。
 
「あっ、あっ……すごいわ、すごい。やっと二人っきりになれたのね」

 立ち込める白百合の匂い。
 月の光を浴びたスーさんが幻想的な光の照り返しを作り、まるでメディスンを祝福しているかのようだ。
 夜風に揺れる白い花。
 その白が突然、灰色に変わった。

「きゃあっ! ど、どうしたのスーさん!?」

 事は一瞬だった。
 咲き誇っていた鈴蘭畑があっという間に枯れ花の園と化してしまったのだ。
 萎れる、というよりは病魔に蝕まれた最期に近い。
 
 ――何なの!? いったいどうしたって言うのよ!

 副作用は地面が溶けるだけではなかったのか。
 だから、溶けた畑の一角を隔離して畑を耕し、種を植えてここまで育てた。
 にもかかわらず、目の前には大量のスーさんの亡骸があるばかりだ。

「やっと見つけた」

 背後で声がした。女性のものだ。
 振り返ってみると、やっぱり女が立っていた。
 
「だ、誰よあんた!!」

 金色の髪に、大きな黒いリボン。
 不気味に盛り上がった下腹部には帯状の物で締められている。
 まさか、まだ生き残りがいたのだろうかとメディスンは疑問に思った。
 髪の色が同じだが、とても似ている容姿とは呼べない。

「わたしは黒谷ヤマメ。初めまして」

「し、知らないわよそんな奴! なんで生きてるの、ねえ!」

 掌を向けて一気に毒液を放出した。
 直撃。地味な衣装が毒々しい紫に染め上げられる。

「こんな……こんな気持ち悪いもので皆は殺されたんだ」

 女は何かブツブツと口にしているようではあったが、毒の効力は見られなかった。
 効いていない。しかし、似ているわけでもない。

 ――欠陥品じゃない、これ!

 憎々しげに首に備わった蒼い石を掻き毟る。
 
「ねえ、あなたでしょ? 皆を殺したのは」

「そうよ。それが何か?」

 メディスンの言葉を聞いた女は、目を閉じた。
 それから、突然涙を流し始めた。

「皆ね、あっという間に死んじゃったんだ。痛い、って言う間もなく、本当にあっという間に」

「誰よ、皆って」

 不自然に膨らんだ下腹部に女が手を突っ込んだと思うと、中から何かが出てきた。
 赤い丸いものと、青い丸いもの。
 赤色のリボンが二つに、緑色の大きなリボンが一つ。
 そしてあれは、桶だろうか。角のような尖ったものまである。

「皆、皆死んじゃったんだよ!? ねえ、何でそんな酷いことしたの!?」

「それは遺品か何か? 趣味悪いのね、あんた」

「ふざけないで!!」

「ふざけてるのはソッチでしょ!? あんたでしょ、スーさん殺したの! この人殺し!」

「うるさい! 人殺しはお前だーっ!」

 女の掌から白い棒状のものが飛び出てきた。
 メディスンが反応できる速度ではない。あっという間にそれはメディスンの体に巻きつき、体の自由を奪った。
 棒かと思ったそれはどうやら幾重にも編み上げられた糸だった。

「こんなことしたくないけど、このままじゃ皆が浮かばれない」

「何する気よ……」

「殺す」

 この糸で絞め殺すつもりだろうか。
 その前に毒液で糸を溶かしてしまおうと思った途端、突然胸の奥を刃物で突かれたような激痛が走った。
 ゴポっ、と堰と吐血が一緒に出た。

「ゴボゴポポッ!?」

「貴女の能力、毒なんでしょ? わたしは病気を操るの」

「ゴボポッポッ!!」

 ――病気ですって? なによそれ、私の力に似ているじゃない!

「この病気はね、すぐには死ねないの。体中を激痛が走り、三日の間は休むことなく吐血を続け、最期は干からびて死ぬの」

「ゴプアッ……えほっ、ゲホッ! そ、そんなわけ無いじゃない、こんな血を吐いてるのに」

「貴女、人間じゃないでしょ? そのくらいじゃ死ねないわ」

 ――嫌だ嫌だ! 私はスーさんと一緒に楽園を築くのよ! こんなところで死ぬわけにはいかないの!

 メディスンは慈悲を請うように女を見上げた。
 見て、ゾッとした。女の顔は最早、さっきのそれではない。
 まさに化け物のような八つの瞳が、死んだように生気の無い視線をこちらに投げかけていた。

「貴女が死ぬまでずっと、見ててあげる」

「ゴポポーッ!!」

 メディスンは恐怖で頭がおかしくなりそうだった。
 絶叫しても喉は枯れることなく、奥から溢れてくる血液で潤い、不気味な音を立てるばかり。

「もっと苦しめ! 皆の苦しみを噛み締めて死ね!」

「おっと。そいつは困るよ」

 カタカタと何かが振動する音がして、次の瞬間、八目の化け物の顔は肉塊へ変貌した。
 顔に血の飛沫がかかる。
 この声、

「ゴポポッ!?」

「久しぶり。元気にしてた?」

 姿無き影だった。
 快活に笑うその声に安堵し、全身の力が抜けた。

 ――って、なんで? たしか、私が殺したはずじゃなかったの!?

「今、殺したはずなのに、とか考えたでしょ? 甘いなぁ。
 大殺戮を目論む相手に、どうして手放しで凶器を渡すと思う?」

「ゴポポポっ……」

「対策を講じていたからに決まってるからだよ。あなたには見えないだろうけど、今のわたしは防毒装備はばっちりなんだから。
 それにしても、まさか能力にも類似性が適用されるなんて驚きだったね」

 声の主は感心したように言った。
 困ったものだとメディスンは思ったが、それよりも早くこの化け物が残した厄介な能力をどうにかして欲しいと思った。
 声にならない訴えは、はて、届くのだろうか。

「とりあえず、えいっ」

「ぐっぐっ……」

 急に喉が絞まり、目の前に白い閃光が走った。
 舌が外へ外へと追いやられ、眼球に熱い迸りを感じる。鼻腔の奥に鉄臭い匂いが充満した。

 ――苦しい。苦しい苦しいくるしい!! 助けてっ、やめてやめてやめてやめやめやめっ!! 

「こうしないと吐血しちゃうでしょ。こぼしたら勿体無いからね」

「ぐぅぅ」

「あなたは貴重なサンプルだからね。生きたまま能力増幅を遂げたのは今回が初めてなんだよ!
 うわぁ、わくわくするなぁ。早く工房に戻って部位を分けなくちゃ。
 あっ、大丈夫だよ。ちゃんと鈴蘭も採取したから寂しくないよ。意識も残してあげるね」

「ぅ……っ……」

「どうしたの黙っちゃって? あー、わかった。嬉しいんでしょ、照れてるんでしょ?
 強気なこと言っといて、何気にうぶなんだね。あはは、かわいい」

「………………………………」



 

Fin





---------------------------

『廃品回収』

 香霖堂がサイドビジネスを始めた。今日び、寂れた道具屋一つじゃ男の生計を立てるには心もとない。
 香霖堂の主人、森近霖之助が選んだ新しい仕事とは、

「穿かなくなった下着、着なくなった古着、読まなくなった新聞、巻かなくなったサラシ、邪魔になった……、などございましたら、ちり紙と交換させていただきます!」

 生活の不必要品を利用価値のあるちり紙と交換するものだった。
 元手となるちり紙だが、何を隠そうこれ、ちり紙ではないのである。彼の精液を薄く薄く延ばして精製した、いわばただのたんぱく質なのである。
 何ともボロい商売だが、意外にも人里の者達には好評だった。
 滑らかな肌触りが病みつきになるのだとか。

 霖之助は今日も今日とてリヤカーを牽きながら、村人から要らなくなったガラクタを集める。
 集めたガラクタは持ち帰ってきれいにしたり、必要に応じて改造を施し彼の店の商品として生まれ変わるのである。

「おや、なんだこれは」

 人里の中でも大層な造りの屋敷の前に差し掛かった、その時。
 塀の前に、何冊もの煤けた書物がうず高く積まれていた。
 彼の気を引いたのは、その横で麻縄のようなものでグルグル巻きにされている一人の少女の姿だった。

「おい、君、大丈夫か?」

 返事は無い。
 薄い青色を基調とした長いスカートからは白く細い脚がのぞき、随分と履きならした感のある下駄が引っ掛けてある。
 白い首筋には、汚らしく絡み付いているクセのある青い髪。
 左右の色の違う目は死んだ魚のように空ろで、生気を失った薄い唇からはだらしなく真っ赤な舌がデロリと覗いていた。
 明らかに様子がおかしかった。
 この家のものだろうか、と霖之助は考えを巡らせ、目の前にずっしりと構える日本家屋に目をやる。
 
「君は稗田の家の者なのか?」

 かすかに少女の肩が上下した。かと思いきや、今度はそれが小刻みに揺れだした。

「どうしてそんななりでいるんだい? 何か訳があるなら、僕に話してみないか?」

「……」

 霖之助の問いかけに少女は答えない。
 相変わらず肩は揺れていたが、ただそれだけ。
 どうしたものかと霖之助は困った。このまま放置しても自分には何の関係も無いが、かといって見殺しにするのも後味が悪い。
 とりあえずリヤカーに乗せてどこかの茶店にでも連れて行ってやろうか、と考えたその時だった。
 上等な木で作られた大きな門扉が音も無く開き、中から家の人間が出てきた。
 肩口で切り揃えた薄紫の髪に、これまた上等な着物を着た少女。年の頃は、10代に入ったくらいか、ひょっとしたらもっと幼い。

「稗田阿求と申します」

「僕は森近霖之――」

「何をしているのですか?」

 自己紹介を尋問という形で中断され、霖之助は少し面食らった。

「あ、いや。廃品回収をしていてね、たまたま家の前を通りかかったんだ、そしたら――」

「ああ、貴方がそうでしたか。皆さんから色々と話は聞いていたんですよ、何でも、要らなくなった物を引き取ってくれるそうですね。
 私も丁度要らなくなった品がいくつかあったものですから、お待ちしていたんですよ……ほら、そこに」

 そういって、稗田の娘はこちらを指差した。
 正確にはその少し横、ちょうど朽ち果てた様子の少女が座している辺り。

 ――いや、そうじゃない。

「もうホント、邪魔で邪魔で仕方なかったんです」

 娘は積まれた古い書物の事を言っているようだったが、目線はこの生気の欠けた少女をしっかりと見つめていた。
 何かがおかしい、と霖之助は感じたがあまりにも自然に言うので、少し不気味に思った。
 
「あの、この書物はありがたく頂戴させてもらうけど、その……この子は」

「えっ? どうかなさいましたか?」

「どうかなさいましたかって……君の身内じゃないのかい?」

 霖之助の言葉に稗田の娘の顔から表情が消えた。
 かと思うと、目元だけに笑みを湛えて、

「私の身内にボロ傘なんていませんけど……随分と面白い事を仰るんですね」

 と、意味不明な言葉を口にした。
 いよいよもって、娘のことが気味悪くなった霖之助の手に力が入る。

 ――この子に関わるのはよそう。早いとこ書物を回収して次へ移った方がよさそうだ。

 霖之助はリヤカーから書物の分量に応じたちり紙の束を取り出し、娘に渡そうとした。
 しかし、娘は奇妙な笑みを顔に貼り付けたままでそれを受け取ろうとしない。
 
「ちょっと量が足りないんじゃないですか? ほら、ちゃんとあれも勘定に入れましたか?」

 今度こそ間違いなく娘は青髪の少女を袖口で指した。
 
「だから、彼女は君の――」

 急に霖之助の体がよろめいた。
 青い髪の少女が霖之助の服を掴んでいた。

「……やめて」

 つい今しがたまで生気の欠片も感じられなかった少女の目に光が戻っている。
 弛緩した舌は口中に収納され、もう一度、

「やめて」

 とはっきりとした拒絶を口にした。
 何に対する拒絶なのか、霖之助はその言葉の意味を理解するのに時間がかかった。
 少女は力なく立ち上がり、両手を縄でふさがれているにも関わらず、器用に胴と肩を動かして霖之助の台車へその体を預けた。
 リヤカーが重さで後ろへと傾く。
 間違いなく、人一人の重さであった。娘が口走った「ボロ傘」などと考えるのにはあまりにもかけ離れた重さ。


「何をしているんだ。降りてくれ」

 至極当然、とでも言うかの如く霖之助は抗議の声を上げる。
 どこの世界に生身の少女を廃品として回収する道具屋がいるんだ、と。
 しかし少女はまるで我関せずといった顔でリヤカーから降りようとはしない。他に積まれた廃品の上にミシミシという嫌な音を立てながら横たわっている。
 霖之助は嘆息をつく。

 ――なんだこの家は。頭がおかしい連中ばかりだ。

 もはや構っていられない、と霖之助は呆れ、リヤカーに積まれたちり紙の束を掴む。

「それじゃあ、はい。言われたとおり、この子……この傘の分のちり紙ね」

 いつの間にか娘の顔から笑みは消えていたが、半ば強引に霖之助はちり紙の束を手渡した。
 厄介ごとはこれ以上ごめんだ、とでも言わんばかりにリヤカーの引き手に手をかける。
 それじゃあ、と営業用の笑顔でそう告げると霖之助はリヤカーを発進させた。
 流石に一人分の体重が加わるとそれなりの力が必要だったが、そこは男。踏ん張りを利かせればどうということはない。

 霖之助は背後に少女のすすり泣く声を聞きながら、人里の茶店までやってきた。
 引き手を離すと即座に台が傾き、積み込まれた荷物がごつごつと音を立てる。
 少女は稗田の屋敷を離れてからずっと辛気臭い言葉をぶつぶつを呟きながら泣いていた。

「いつまでそうしているつもりだい?」

「うっぅ……ひっく、えぐっえぐっ……」

 ポロポロと大粒の涙を廃品に落としていく少女の顔を覗き込みながら、霖之助は溜息をつく。
 茶店から店の人間が顔を出した。

「だんごを2つください」

「かしこまりました……えっ」

 店の主人らしい男は霖之助のリヤカーに積まれた物を見て言葉に詰まった。
 「へええっ!?」と頓狂な悲鳴を上げて情けなく尻餅をつく。
 
 ――なんということだ。これじゃあ今の僕は少女をかどわかす人買いじゃないか!

「ち、違うんだこれは……は、廃品、そう廃品なんだ!」

「あ、あんたぁ、大人しそうな顔して酷い事しやがるっ! お、おーい、誰かーっ」

「待ってくれ、誤解だ!」

 主人の声を聞きつけてすぐに人が集まってきた。
 どれも皆、顔に軽蔑の色を浮かべて霖之助に冷たい視線を投げている。
 背中に嫌な汗が流れ落ちるのを感じながら霖之助は少女を見た。相変わらず嗚咽を漏らしながら顔を歪ませている。
 どうしてこんなことになったのだろう、と思い返している内に霖之助は、

「そ、そうだ! み、皆さん聞いてくれ、実はこの子は稗田の――」

 家出少女である、と嘘とも真実とも自身、判別がつかない言い訳を大衆に向けようとした。その時だった。
 ざわめく群衆の中に先ほど見た娘の姿があった。
 
 ――やった! これで誤解が解ける!

 弁明を求めるべく稗田の娘に近づく。
 刹那、娘の悲鳴が耳を劈かんばかりの勢いで発せられ、思わず霖之助は尻餅をついた。
 改めて娘の顔を見やると、目元は潤み頬は赤く染まっている。まるで、泣き腫らしたような顔だった。
 霖之助がつい数刻前に見た表情とは明らかにかけ離れ、それでいてやはりどこかそれが不気味な印象を与えた。
 それにしても、なぜ悲鳴など上げたのだろう。
 理解に苦しむ間もなく娘はこちらの方へ駆け寄ると、霖之助には目もくれず、リヤカーに飛びついた。

「大丈夫ですか、小傘さん! ああ、なんて酷い事を……」

 一瞬、耳を疑った。
 
「もう大丈夫ですからね、今、縄を解きますね」

 どこから出したのか、娘の手にはキラリ光る小刀が握られていた。
 霖之助の目に映るそれは、名のある刀匠が作った業物の中でもとびきり良い一品だった。おそらく稗田の娘の物に相違ない。
 随分と手馴れた扱いで器用に少女に巻かれた麻縄を断ち切ると、娘は小刀を袖口に収めた。
 安堵で顔をクシャクシャに歪めた少女と、額に汗を滲ませて複雑そうな面持ちでいる娘。
 霖之助の目の前で二人は抱擁を交わした。
 猜疑と侮蔑の色に染まっていた群集が一気に色めき立つ。
 
 ――やばい、やばいぞ……!
 
 良かった良かったと口々にする有象無象。
 盛り上がる人の群れが落ち着いたら最後、今度はそれが顔を変えて自分に襲い掛かってくる。霖之助はそう考え、地面につけた腰を浮かせて静かに静かに中心から離れた。
 最早、廃品などどうでも良かった。稗田の娘が何を考えていたのかも、麻縄で巻かれていた少女の経緯も正体も関係ない。
 霖之助は本気で命の危険を感じたからこそ、商売人としてあるまじき行為に躊躇は無かった。
 
「えぐっ、ひっくっひっく……」

「大丈夫大丈夫、大丈夫ですからね」

「……ごめんなさい、ごめん、なさい、ごめんさい」

「むしろ謝るのは私の方です。小傘さんは悪くありません」

「ごめんなさい、ごめんなさいもうしませんもうしませんから、ほんとうに……ぅぅっ」

「……大丈夫ですよ。大丈夫」

「……許して、くれるの?」

「」

 
 霖之助は群集の視界から外れた途端、それまで維持していた低姿勢から起き上がり、力の限り走った。
 がらりとした人里。
 霖之助はひたすら走る。息が続く限り走った。
 そしてようやく里の入り口辺りまで来た。
 
 ――ハァ、ハァ……ここまで……ここまでくれば、もう大丈夫だろう。

 草むらへ疲労困憊した鈍った体を投げ出す。
 青臭い匂いに混じって血なまぐさい香りが漂ってきたが、霖之助はあまり気にならなかった。
 廃品は全て手放してきてしまった。この商売ももう人里では営業できない。
 これからの生活に対しての不安と頭を悩ませることは山のようだったが、こうやって五体満足でいる限り、何とかならないことも無い。
 霖之助は息が整ってきてようやく心の底から安心した。
 
「……ん?」

 伸ばした腕に何かが当たった。
 衣服の丁度袖の辺りに何かがくっついていた。回収した廃品の一部だ。
 指で摘まめるくらいの大きさのそれは、どうやら狂気の群れから逃げ出すときに偶然挟まっていたらしかった。
 
 ――こいつは中々上物じゃないか。運がいいな。

 摘まんだ指先から真っ赤な雫が伝う。
 体を起こし、服に付いた泥を落とした。
 不幸中の幸いという言葉の意味を考えながら、、霖之助はそれを懐にしまった。
 
 

 Fin



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『インタビュー』


「えっ、死んだ時の話が聞きたい?
 あはは、可愛い顔して随分と大胆な事訊くんですね。記者だからしょうがない? 倫理ないなぁ。
 まあ、いいけど。
 わたしが死んだのはえっと……何年前だったかな。おーい、聖ー、ヒジリー岡田ー……ぐhっ」

 …………。
 ……。
 …。

「gっ……えっと、何年前かは今となっては定かじゃないんだけど、とにもかくにもわたしは水難事故で死んだのです。
 溺死だよ、で・き・し。知ってる? 桶一杯分の水でも人間って溺れ死ぬんだよ。
 わたしの場合もっと広大な水量だったわけだけど……ああ、海だよ、海。船に乗ってて、で、その船が沈没したんです。
 逃げ惑う人々、とびかう悲鳴や怒号。耐え切れず割腹してる人もいて、そりゃあすさまじい光景だったなぁ。あなたにも見せてあげたかったよ。
 ……っとと、脱線脱線。
 わたしは単純な死に様だったよ。船と一緒に海に飲まれて、体温奪われて、段々体力が無くなっていって、海水飲んで、苦しくなって……。
 今でも時々夢で見るんだよね、その時のこと。口にした海水の味。頭を鮫に齧られた時の激痛。他にも、」


 Fin



『麻雀寺』


「南無三。一発は12000。裏ドラが……2個のって18000。トビですね」

「あっ、ああっ……」

「また見え見えのホンイツに振って……ぬえ、あんた馬鹿だよ。正体不明の種でもやってんじゃないの?」

「やれやれ、君には呆れたね。どうだろう、封獣ぬえから『放銃ぬえ』に改名してみては」

「ぬえ、お金が払えないのであれば……貴女の曼○に正体不明の種を植えて、新たな入門者を勧誘してくるのです」

 今夜も命蓮寺には牌の音が響く。



Fin





----------------------------


『寺子屋出張』

 
 
「早苗、何なんだこの点数は!」

 その日、守矢神社に神の怒号が響いた。
 赤い数字で「57」と書かれた一枚の答案用紙を手にして仁王立ちになっているのは八坂神奈子。
 その横で、「まあまあ神奈子、落ち着いて」と怒り心頭の神を宥めている、洩矢諏訪子。
 そして、

「別に幻想郷に来てまで、数学を勉強する必要なんて無いじゃないですか」

 神に己の学の貧しさを咎められて、半ば不貞腐れてる現代神こと東風谷早苗。
 守矢神社は今日もにぎやかです。

 
 元々、外の世界にいた頃から神奈子は早苗に対して教育熱心なところがあった。
 曰く、早苗の実母、祖母、更にその母と、代々東風谷の女達を指導してきたのだという。
 もっとも、家事や一般常識という実用的な部門においてではなく、数字という結果で顕著になる学問においてのみ、それは行なわれてきた。
 やはり軍神の気があるようで、気立ての良し悪しよりも絶対的な評価を好むらしい。

「いいか、そういうことを言ってるんじゃない。守矢の巫女として、この点数は無いと言っているんだ」

「……なぜですか? そんな人生において何の役にも立ちそうにも無い事を覚えて、何の得になるというのですか?」

 早苗も早苗で、勉強について一々口を挟んでくる神奈子を疎ましく思っていた。
 自分の将来を思ってのことだろうが、何も幻想郷に来てまでそんなことを言う必要は無いではないか、と。

「役に立つか立たないかは、その時になってみないとわからない」

「じゃあ、いつその時が来るのですか? 明日ですか? 明後日ですか?」

「人の揚げ足をとるんじゃない」 

「別にそんな事してませんけど。ああ、もう。いいじゃないですか、試験はもう無いんですから」

「だから、私がこうして作ってあげてるんじゃないか」

「別に頼んでません」

「ちょっと二人とも! ……いい加減にしなよ、日曜の昼間から。神奈子、早苗の言うとおり、幻想郷じゃテストも無いんだから――」

「お前がそうやって早苗を甘やかすから、早苗が怠けてしまうんだ」

「神奈子はちょっと厳しすぎるんだよ。早苗は年頃の女の子、遊びたい盛りなんだから」

「そういう時期だからこそ、他の子に流されずちゃんと勉強して、立派な大人になって、そして――」

「いい加減にしてください! ……なんなんですか、さっきから聞いてれば。わたしは、別に勉強したり遊びたくてここに来たわけじゃないんですよ!?


 シュンとなる神二人に、苛立たしげに頭をかく早苗。
 別段、変わった風景でもなければ、かといってそうそう収集がつく事態でもない。
 早苗の教育方針は、実母、神1、神2、と昔から二転三転し、その度に当の本人が辟易していた。
 本気で家出も、何度も考えた。
 それでもそうしなかったのは、単純に早苗が彼女達を好いているからに他ならない。

「ごめんね、早苗。私達がこんなんだから、悪い娘になっちゃったんだね」

 しかし、その想いは中々伝わらない。

「なっ、別にグレてなんていませんよ!」

「すまない。もっと私がしっかりみっちり直々に勉強を教えていれば、試験の順位が下から数えた方が早いなどという屈辱的な状況にはならなかったのに」

 あるいは伝わる過程で何か大事な部分が欠如したり歪曲されたりするのかもしれない。

「そんな話、今しなくたっていいじゃないですか!」

「……よし、決めた」

 辛気臭い顔を一転、神奈子がおもむろに立ち上がって何かを決意した様子で、諏訪子に耳打ちをした。
 ふんふん、と神奈子の話に耳を貸していた諏訪子は、時折、ええ、でも、と眉をひそめながらも、最終的には、

「私も賛成だよ」

 と、互いに頷きあって、また腰を下ろした。
 二人の気配に何か嫌な予感がして、早苗の頬は引きつった。

「二人とも、何の話をしているのですか……?」

「早苗、私達は一旦、お前の教育からは身を引く」

「えっ!」

 突然の宣言に耳を疑う早苗。
 だが、次の一言でその疑いは更に早苗を混乱させるのだった。

「明日からお前に家庭教師をつける」


 …………。
 ……。
 …。


 早苗は自室にて、これから起こり得る憂鬱な出来事に頭を悩ませていた。
 よりにもよって、第三者を招いての東風谷早苗教育プロジェクト。
 
「はぁ……」

 そんなにも自身は出来が悪い娘だったのか、と早苗は半ば本気で落ち込んだ。
 たしかに、外の世界にいた頃は神奈子の言うとおり、お世辞にも勉強ができる部類には当てはまらなかった。
 テストの結果が来る日はいつもいつも憂鬱で、神の怒りを回避するために答案を食べたこともあった。
 当然、悪い点数を取れば補習という名の拷問が待っている。神直々の指導が、毎日5時間、延々と続くのだ。
 そんなこともあってか、早苗は幻想郷に行くと決まった時は天にも昇るような嬉しさを味わった。
 教科書の類は、こっちに来る際に全て焼き払った。
 しかしながら、幻想郷に行けばその苦かも解放されるという考えはどうやら甘かったらしい。

「家出しよっかなぁ……」

 あと一時間もすれば、神が頼んだ教育係代行人がやってくる。
 何でも、人里で寺子屋の教師を務めている人格者らしい。
 そんな相手が自分の勉強の世話をしにやってくるのかと思うと、早苗の心に暗澹とした雲がかかるのは当然だった。
 
 程なくして、その人物はやってきた。

「はじめまして。上白沢慧音です」

 その人物は美しい女性だった。同姓の目から見ても、明らかな美人さん。
 青みがかった長い髪を背中にたらし、一礼された。

「は、はじめまして。東風谷早苗です。よろしくお願いします」

 予想外の美人が来たため、早苗は少しだけ戸惑った。
 頭の中で想像していた家庭教師は、スーツ姿に黒ブチの眼鏡をかけた、ギンギンに油の乗った中年男だった。
 そんな風情の男、幻想郷にいるはずもないと後で気づいた。
 
「早苗をよろしくお願いします」

 神二人が、その女性に対して深々と礼をしている姿を見て、早苗は少しだけ申し訳ない気持ちになる。
 
「これが、小学校から高校中退までの早苗の成績票です。何かの参考になればと」

「小学校から高校中退……? ああ、外の世界の寺子屋の話ですか。わざわざありがとうございます。どれどれ……」

 慧音の頬が僅かにピクリと動いたのを見て、神に対する罪悪感は青空の彼方へと一瞬で消えうせた。

 …………。
 ……。
 …。

 早速自室に慧音を招くと、

「それじゃあ、授業を始めるぞ」

 なにやら脇に抱えた風呂敷から、おそらくは教科書であろう書物を取り出し、てきぱきと準備を始めた。
 
(えっ、授業? 家庭教師なのに?)

 授業をするなどとは聞いていなかった。
 家庭教師、という言葉から、おそらく問題集を適当に解いて、分からなかったところを教えてもらうとかそういう事を想像していたのだが、どうやら違う。
 あっという間に慧音の横に、黒板が直立した。手には既に白墨が握られている。

「あ、あの。まさか、本当に授業をするんですか?」

「当たり前じゃないか。そういう目的で、私を呼んだのだろう? 少なくとも、親御さんからはそう伺っているぞ」

(ええぇぇ……なにそれ。意味わからないんですけど!?)

「問題集の分からないところだけ教えてくれるんじゃないんですか?」

「いや。寺子屋で教えている事を早苗にも教えて欲しい、と私は依頼されたのだが。何か見解の齟齬が起きているようだな」

「見解の齟齬っていうか、わたし何も聞かされて無いんですけど」

「そうなのか? ふむ、それは困ったな……」

 大きな胸を強調するかのように、目の前の女教師は腕組みをして唸った。
 しかし、その間、わずか。
 
「ためしに、一度受けてみないか? 楽しいぞ、私の授業は」

「えっ……うーん、そ、そうですね……」

「なっ? 別にそんな大した時間をとるわけでもない。きっと気に入ると思うぞ」

 そう語る二つの目がキラキラと輝いている。
 きっと寺子屋でも教育熱心なのだろう。悪い人ではなさそうだ、と早苗は思った。
 ここで無下に断るのも可哀相だし、せっかくここまで足を運んでくれたのだから、一度くらい授業を受けてみてもいいかもしれない。
 早苗は慧音の提案に頷いた。

「よし。それじゃあ始めるぞ。まずは出席から……東風谷早苗」

「は、はい」

(始めるって、そこから!? えぇぇ……)
 
「どうした? 元気がないぞ。もう一度、東風谷早苗」

「はい!」

「よろしい。やっぱり女子は元気が一番だ」

 悪い人ではないが少し変わった人だ、と早苗の中の慧音に対する人物評価が修正された。
 出席をとった後、授業は淡々と進んでいった。
 人里で教えているくらいだから、自分が外の世界で習ったことなど初等教育くらいしか被らないだろうとタカをくくっていたが、存外、授業の内容は高度だった。
 因数分解、微分、積分、etc。
 というより、早くも授業についていけなくなっていた。
 
「あの、先生、今のところ良くわからなかったのですが」

「うん? どこだ」

「さっきの、教科書57ページの章末問題(3)です」

「どれどれ」

 そういって慧音は早苗の横に来ると、息がかかるほど近くによって丁寧な解説を始めた。
 内容こそわかりやすく噛み砕いてくれてはいたが、この水準で授業が進むのかと思うと早苗は少し不安になってきた。

(お腹痛くなってきた……やだ)

 授業とは言え、生徒は自身一人。
 名指しで指名を受けて回答に臆しても、誰からの糾弾もないだろう。
 そのはずなのに、早苗の神経は確実に外の世界を思い出し、腹部に余計な痛みを与える。
 プレッシャー、という単語がふと鎌首をもたげた。
 
「……で、ここはxを代入して、あとは計算するだけ。理解できたか?」

「はい、とてもわかりやすかったです」

「そうかそうか。……うん? どうした、顔色が悪いぞ」

 流石は教師。生徒の異変をいち早く察知する。
 しかし、その言葉が更に早苗の腹部に重圧を加えることまでは知らなかったようだ。

(嫌な事思い出してきちゃった……ああ、もうやだな)

 クラスメイトのひそひそ声や、嘲笑の眼差しが思い出される。
 
『どうした、東風谷。具合でも悪いのか? トイレに行くか?』

(本当にお腹痛いよ……ううぅ)

 
「大丈夫か、早苗? 先生と一緒に厠に行こう、な?」

「平気です……それより、授業を」

「ダメだ。ほら、行くぞ」

 半ば強引に立たせられた。
 慧音に肩を借り、何だか大仰だなと思いながらも妙な温かさを早苗は感じた。
 流石に中まで付いてこられるのは気恥ずかしいので、慧音を外に待たせて早苗は一人厠へ入る。
 別段、本当にお腹を壊しているわけではない。
 腹痛ももう消えた。
 
「早苗ー、大丈夫かー?」

 馬鹿なんだろうか、あの教師は。
 外から聞こえてくる大声に早苗は耳朶まで真っ赤にして、慌てて外へ出て行った。

 …………。
 ……。
 …。

「授業はこれでおしまいだが……どうだった?」

「あ、はい。とても充実した内容でした。正直……ちょっと難しかったですけど」

「そうか。ふむ……それでは、次回はもっと易しい内容にしよう」

(えっ……次回? もしかして、またやるつもりなの?)

「どうした、そんな驚いた顔をして」

 さも当然といった風情でそう言う慧音に、早苗は言葉を上手く紡げない。
 結局、自身の意志を伝えることなく「次回もよろしくお願いします」と口からついて出た。

「先生に任せておけ。そうだ、いい事を思いついたぞ」

 慧音の口の端が奇妙に歪んだ。それは笑っているようであり、何かを堪えているようにも見える。
 
「次回はもっと楽しく勉強できるぞ」

「はあ」

 慧音を見送り、早苗は早速今日の出来事を神に報告しにいった。


 …………。
 ……。
 …。

 翌週、慧音はまたもや大きな風呂を小脇に抱えてやってきた。

「先生、本日も早苗をよろしくお願いします」

 早苗の部屋につくと、慧音は荷解きをして、中に入っているものを取り出し始めた。
 その中に、ひどく懐古の情を催す一品があることに早苗は目を見張った。

(えっ……ランドセル?)

 それは煤けた赤色の合皮でできたランドセルだった。
 なぜそんなものが幻想郷にあるのかも不思議に思ったが、それより、どうして慧音がそのような物を持参したのか理解できない。

「ん? ああ、これか。これが今回私が用意した秘策だ」

「ランドセル、がですか……?」

「ふふふ、それだけはないぞ……見ろ!」

 そう言って慧音が風呂敷から取り出したのは、純白のブラウスに赤いプリーツスカート、それにリボン。
 何一つ理解できなかった。

「あの……何かの冗談ですか?」

「冗談? 何を言ってるんだ。さっ、早くこれに着替えなさい」

「はぁ?」

 慧音、曰く、

「物事はまず形から、が肝要だ。
 例えば、早苗、お前は何やら外の世界の寺子屋で嫌な目に遭っていたそうじゃないか。
 勉強ができないことがコンプレックスとりなり、高等教育の学び舎で一人孤立しながらも、勉学を続け、やがてそれが悪循環となり心に傷を作った。
 しかし、親御さんに見せてもらった成績票を見る限りだと、初等教育を受けていたころはそれなりに勉強もできた。そうだろう?
 そこで、私は考えた。
 その頃の気持ちになって勉強すれば、より効率良く学習できる上、こないだの様に思い出したくない記憶を掘り起こすことも無い。
 我ながら実に上手い事を考えたと思うのだが、どうだ」

「……」

(やっぱり馬鹿だこの人……でも)
 
 心底呆れながらも、早苗は慧音の言う事に少し興味を抱いた。
 小学生の頃の気持ちになって勉強する、とはつまりどういうことなのだろう。
 単純にコスプレするだけだろうか、いや、そうではあるまい。きっと、小学生ならではの催しも多数用意しているに違いない。
 例えば、寺子屋の生徒達と運動会、秋の遠足、親参加の授業参観。
 早苗の中の懐かしい記憶が慧音の誘いを後押しした。

「……着替えるので、ちょっと外に出ててもらえますか」

「女同士、気にすることもあるまい」

「えっ……まあ、それもそうですね」

 一瞬の逡巡の後、早苗は己の巫女装束に手をかけた。
 衣擦れの音と共に現れたのは、貧乏神社の巫女のサラシとはかけ離れた、少女趣味の入ったフリルのついた下着。
 意外にも、ブラジャー着用は神奈子の勧めだった。曰く、豊胸は後の戦力になる、と。
 慧音の用意した白いブラウスをとろうと、床にかがんだ、ちょうどその時、

「……ふふ」

 慧音が奇妙な声を出しながら、こちらを凝視していることに気がついた。
 思わず、ひっ、と悲鳴を上げそうになった。
 目はギラギラと剣呑な光を宿し、口元はまるで裂いたかのように持ち上がって笑みを作っている。獣のような息遣いと、額から異常な発汗が見受けられた。
 
「早苗はいい子だな」

 様子と一致しない、落ち着いた優しい声。

「な、何がですか?」

「その年で男を知らないなんて、そうそういないからな。えらいぞ」

 顔から火が出るような羞恥を感じ、早苗は目の前の教師から距離をとった。
 どうしてその事を知っているのだろうか。
 そんな疑問を見透かしたかのように、

「匂いで分かるんだ。先生くらいにもなると、生徒の事は何でもわかってしまうんだ」

 慧音が立ち上がった。
 相変わらず声は穏やかだが、容貌はもはや大人の色気立つ美人教師というより、テラテラに脂ぎった男汁を噴出さんばかりの変質者のようななりだった。
 
「あ、あの、先生、ちょっと、」

「大丈夫。先生はわかっているぞ」

「え、ちょっと……やだ!」

 慧音の細くて白い腕が早苗を畳に組み伏せる。とても女性の腕力とは思えないほどの力だ。
 
「そう怖がるな。先生に任せておけば、何もかもが上手くいく」

「やめてくださいっ! ちょっと、なにするんですか――んぐっ!?」

 唇を奪われた。
 目の前に血走った赤い瞳があった。顔に薄い蒼の髪がかかる。
 
(怖いっ、やめて……! だ、だれか、たすけて……神奈子様っ、諏訪子さまっ!)

 接吻は終わらない。
 それどころか、きっと結んだ唇の隙間から唾液にまみれたヌルリとした慧音の舌が今にも口中に侵入しようとしている。
 この女は馬鹿なんかじゃない。真性の変態なんだ。
 悟った時には手遅れで、あっという間に口の中を、まるで別の生き物のように這いずり回る慧音の舌で蹂躙された。
 舌を吸われ、歯茎を舐られ、唇を啄ばまれ。
 
(えぐっ、えぐっ……わ、わたし、もうお嫁にいけないよぉ……!)

「どうした、怖いのか?」

「ひっく、えぐっ……ひ、ひどいです、こんなことするなんて……あんまりです」

「可愛い奴め」

「ひぃっ!」

 慧音の手が早苗の胸に伸びた。
 
「……見てもいいか?」

「らめえぇぇぇぇっ!!」

 守矢神社の、果ては妖怪の山の麓まで届かんばかりの絶叫が響く。
 程なくして、遠くから誰かがこちらに走ってくる足音が聞こえてきた。

「ば、ばかもの! そんな大声を出したらビックリするじゃないか!」

「だってぇ、だってぇ……えぐえぐっ、」

「まったく、しょうがない奴だな」

 慧音が半裸の早苗を抱きしめる。
 慧音は早苗の淡い緑色のクセ毛を指で掬い、すべすべとした背中をさすった。まるで泣き止まない生徒を先生が宥めるが如き光景。
 不思議と、早苗は安心していた。ゾッとする行為に対する嫌悪はあるものの、少なくともこの抱擁には抵抗は無い。
 慧音の長い髪がかかった、ちょうど首筋の辺りから仄かにいい匂いがした。
 
「こら、くすぐったいぞ」

 早苗は気がつくと、そこに鼻をうずめてその薫りを堪能していた。
 味も確かめたくなり、そっと舌を伸ばすと、自身を抱きしめている体が僅かに上下した。

「おいひぃ……」

「馬鹿。なにをしているんだ……まったく、手のかかる生徒だな」

「……小学生なんて、そんなものですよ」

「うん? はは、そうだったな。これは一本とられた」
 
 と。
 障子が勢い良く開かれ、

「慧音、お前はまたっ……!」

 白く長い髪を一束に結わえた、ダサイ服をきた女性が立っていた。
 横には神が二人、心配そうな顔でこちらを伺っている。

「違うぞ、妹紅。これはお前が想像しているような、いかがわしい行為じゃないんだ」

「うるさい!」

 女性のダサイ吊りズボンの模様が、早苗の眼前を掠める。
 ドッと鈍い音がして、慧音が忽然と姿を消した。
 なぜか、涙が溢れてきた。

「う、ううぅ……うわぁぁぁぁん!!」

「ごめんな、ごめんな。依頼の内容をちゃんと確認しておけば、こんな事にはならなかった……!」

「うええぇん、えぐ、ひっくっ、ひっく」

「怖かったよな。大丈夫、大丈夫、もう大丈夫だからな」

「先生……」

 本当の小学生になったかのように、早苗は妹紅と呼ばれた女性の胸を借りて泣きじゃくった。
 そんな二人を、神々は何とも言えない苦虫を噛み潰したような表情でいつまでも眺めていた。


 …………。
 ……。
 …。

 翌週。
 
「神奈子様、諏訪子様、いってきます!」

「ハンカチとちり紙は持ったか? 弁当は?」

「もう神奈子は心配性だな。いってらっしゃい、早苗」

「はい、いってきます!」

 白いブラウスを纏い赤いプリーツスカートを履いた早苗が守矢神社から元気良く飛び立つ。
 学習用具がぎっしり詰まった赤いランドセルを揺らしながら、寺子屋へ向かう。
 今日は記念すべき初登校日。早苗の心臓は高鳴る。

「今日から皆さんと一緒に勉強することになった、東風谷早苗です。よろしくお願いします!」

 


Fin.

 
紫の事、ババアババアって言ってるけど、実際あんなのに誘われたらバカ犬みたいに腰振ること請け合いじゃん。
橙の事、ちぇぇぇぇんとか絶叫してるけど、実際あんなの見たら本当に可愛くて悶絶するだけだろう。
藍様は可愛い。
蓋の鍋
作品情報
作品集:
15
投稿日時:
2010/04/29 16:05:57
更新日時:
2010/04/30 01:07:15
分類
メディスン
こーりん
命連寺
早苗ちゃん
けーね
1. 名無し ■2010/04/30 07:58:33
もうだめだろ、このけーねは
2. 名無し ■2010/04/30 11:52:54
慧音2回目の訪問なんですが、誤字でしょうか。でかい風呂を持って来てます。

ネタだったら大爆笑です(笑)

もこたんかっこいい^^
3. 機玉 ■2010/05/04 00:54:58
どの話も面白かったです
特にメディスンの話は最後の展開が良かったです
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