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『姫の戯れ』 作者: んh
「こんにちは。私、今度幻想卿に引っ越してきました聖白蓮と申します。はじめまして。」
朗らかな声が響く。麗らかな朝の陽光を体一杯に受けて、声の主は神々しさを一層増していた。
「ようこそいらっしゃいませ、命蓮寺の方ですね。お話は伺っております。」
後ろではお付きの妖怪達が賑やかな声をあげていた。みなこの陽気に中てられたように嬉々としている。
「ほら、貴女達もちゃんと挨拶なさい。」
再びその声が竹林に響く。叱ってはいるが、妖怪達への慈愛に満ちた声であった。
「ささ、奥で姫様が皆様方をお待ちしております。これから案内しますので。」
命蓮寺が蜂の巣をつついたような騒ぎになったのは先日のことであった。雲居一輪が倒れたのだ。
妖怪の病気など、聖が封印される前は滅多にあることではなかった。狼狽する白蓮たちの元へ、里の信者がつれてきたのが竹林に住むという薬師だった。
村の信徒が言うとおり、その薬師はたいそう腕がよく、一通り問診して薬を出すと、たちまち一輪も快方に向かった。なんでも今流行の感染症に疲労が重なってこじらせたらしい。
確かに一輪は聖輦船の騒動を通じて、船の浮上から命蓮寺の建立まで、その後は寺の番として、昼夜問わず気を張り詰めていた。根が真面目な彼女であるし、騒動を起こした新参者という周囲の目もあったろう。
彼女がどれだけ白蓮やその仲間やこの場所を思い、行動していたかは、みな痛いほど理解していた。だからこその皆の慌てっぷりだったのだろう。薬師は逆に看病する側の心労を気にかけたほどであった。
しかし、この騒ぎはそれだけに留まらなかった。それは聖がその問診に来た薬師――八意永琳という人物について詳しく知ることになったからである。
聞くところによれば、なんと彼女は人間、妖怪の区別なく診る上、診察代もとても良心的だというではないか。
白蓮は一輪を診てもらった礼に加えて、彼女の行い、人となりについてもっと聞きたいと願い出たのだ。それは正に「人間と妖怪の平等」という白蓮の理想を体現するものであったから。
永琳によると、彼女が診察を行っているのは、彼女の主人であり、彼女の住む永遠亭という屋敷のお姫様である蓬莱山輝夜の指示によるのだという。
白蓮は是非その輝夜という方にお会いして色々お話がしたい、と永琳に申し込んだ。
永琳も姫様は話好きだし、余り外に出る機会もないから、一輪のための予後の薬を処方するついでに是非、という風に話がまとまってしまった。
薬をもらうために永遠亭を既に一度訪れていたナズーリンはいやな予感がしていた。その訪問が聖のみで終わるとは思えなかったからである。
「いいですね!私も行きます!!」
その予感はあたった。白蓮の遊行を聞いてまず飛びついてきたのが村紗水蜜だった。
「聖が見知らぬ屋敷に赴くとあらば、やはり護衛が必要でしょう!」
「しかしだねムラサ、永遠亭は私も既に訪問しているし、私と聖は薬を取りにいくついでに話に行くだけで…」
「ならば、命蓮寺の徳を相手の方々に見せつけるため総動員で攻め込みましょう!ね、星?」
「わ、私も行くのか?しかし私には色々と任された仕事があるし聖の邪魔になってはいかぬしそれに…」
ああ、御主人も行くのだな…とナズーリンは確信した。聖の一声で話はつくだろう。
「全く…こんなにぞろぞろと…船頭が二人いると船は沈むという言葉を知らんのか、ムラサ船長?」
「大丈夫大丈夫!私がいて船が沈むものですか!」
君は沈めるのが専門だろう、というツッコミをムラサは笑って流した。本当に最近の彼女は楽しそうである。
「ほら、星もそんなかしこまってないで、もっといつもどおりになさいよ。」
「私たちは聖の従者だぞ、ムラサはもっとその自覚をだな…」
ネコ科の御主人は無理矢理背筋を伸ばしていた。着物の裾がよれているぞ御主人。
「またまた〜、聖とデートできて嬉しくてたまらない癖に〜」
「な、な、なにを言ってるんだ…私は聖の信徒としてqあwせdrftgyふじこlp」
頭がパンクした御主人を引きずりつつ一行は玄関をくぐる。
一輪の看病と留守番はぬえに任せることになった。彼女曰く「天下無双の正体不明があちこちに顔を出すわけにはいかない」らしい。最も、一輪の具合はかなりよくなっており、もう雲山も使役できるので、実質看病することがあるのかは疑問だったが。
ますますこの大人数の意味が怪しくなってくるが、だがまあ要するにムラサも御主人も建前ではあんなことを言いながら、実際は聖と一緒にでかけたいという、ただそれだけなのだろう。
一輪の病状が素人目から見てもほとんどもう問題ないことで、彼女たちも一層気兼ねなく外出する気になったのだろう。一輪もそのあたりはよく承知しているようで、病気の自分を残して大勢で出掛けると聞いてもすぐに承知してくれた。
事実今まで長く御主人に側仕えしていて、こんな明るい顔をしているのを見るのはそうないことなのだ。そう考えるとこの大名行列も悪くはないのかもしれない、とナズーリンには思える。
「ムラサ、楽しそうなのはいいが、お土産渡したのか?」
「あ、いけない。忘れてた。」
ムラサは右手に抱えた風呂敷を見つめる。それは、白蓮の提案で朝一番から皆でこしらえたおはぎだった。
「全く、だから言ったではないか。土産を渡しそびれるなどして、命蓮寺が無礼者の集まりと見られたらどうする?」
星は先ほどのお返しとばかり、ムラサに切り込む。
「だ、だって…私こういうの慣れてなくて…客を迎えるのは得意なんだよ、でもさ、こういうのはどうやったらいいかよくわかんないというか…」
先ほどの勢いはどこへやら、ムラサはぎこちなく答える。確かにムラサは白蓮の元へに来たときから外に出ることは少なかった。
「貴女達、何をしているのですか。早く部屋に入りなさい。確かに礼を尽くすのは大事ですが形だけにとらわれてはなりません。相手に真摯に向き合ってつとめを為さねば、善行とて空しいだけです。」
迎えの兎に連れられて白蓮たちが向かったのは、広い屋敷の奥にある、これまたとても広々とした部屋だった。
部屋には何か仰々しい調度品があるわけでも、端と見て判るような贅を凝らした装飾が為されているわけでもなく、ただ人数分の座布団と簡単な茶器があるだけだった。
しかし、部屋の作りを細かく見れば、屋敷の主の趣味が確かなものであろうことは容易に想像できた。
部屋の中で、光と影が現れては消える。古い日本家屋が見せる独特の美しさ。広い部屋はまるでスクリーンのように姿を変える。装飾はそれだけで十分だろう。
その揺らめきの向こうに、薬師と共に噂の姫が座っていた。まるで光り輝く珠のような美少女であった。
「ようこそ永遠亭へ。私が蓬莱山輝夜よ。はじめまして。」
彼女はいっぱい微笑みで客人を迎えた。
輝夜と白蓮の談話は予想以上に盛り上がった。
輝夜が話し好きだというのは確かであった。彼女は白蓮の問いを待つまでもなく、自分の生い立ちについて話した。
曰く、以前大きな“都”の姫であったこと、そこを“やんごとなき”理由で去らねばならなくなったこと、その後この幻想卿で追っ手から逃げるために、永琳と共に身を隠すようにして暮らしていたこと、しかしその危険も去り、今では外と交流を持とうとしていること。
「それで永琳さんは、輝夜さんを追って、一切を捨て都を出たのですね。」
「ええ、姫と私は一蓮托生。ならば都堕ちも同じでなければおかしいでしょう?」
「永琳は莫迦ねぇ。ああごめんなさいね、長々と話してしまって。私たちの話なんて退屈なだけでしょう?」
「いえそんなことはありません!貴女方のお話を聞けたことにいたく感謝しています。こうした話を伺うほど、己の至らなさにますます気付かされます。」
白蓮は、二人が辿ってきた壮絶な生涯にいたく感じ入っている様であった。
「かのような行いをなしている方々とは一体どのような人物であろうかと思っていたのですが、合点しました。真に悪人正機。隘路にあればこそ道を正しく見ることができるのです。」
もう白蓮を留めることはできなかった。自身の生涯について、即ち自身の罪――生に執着したこと、そして妖怪退治をしながら、妖怪の力を得たこと、そしてその結果封印されたことを話した。
それに引き続いて、妖怪と人間の平等についてのいつもの説法が始まった。
ふう、とナズーリンは一つ小さくため息をつく。また、彼女の悪い癖が出た、これで帰りは遅くなるだろうな。
どうも彼女は節に欠けるところがある。とっくに悟りを開いているはずなのに、どこか情に流されてしまう。
御主人もそうなのだ。繰り返し聖には深慮が足りぬ、と私にこぼす癖に、そんな御主人が何よりも聖の虜なのだ。
今も見ろ。
星もムラサも説法をする聖に惹き込まれている。
いつも聖はさながら舞でもしているかのように、恍惚と説法をするのだが、あの御主人の顔を見るに、一緒に舞でもしているようだ。
本来彼女たちは聖の教えを伝え広める立場であるにもかかわらず、その説法に当の自分達が聞き惚れるとは、とナズーリンは閉口するのであった。
最も、ナズーリン自身も、そんな聖の至らなさこそが彼女の魅力であり、人妖問わず惹きつける理由なのだろうということを十分理解していた。一切欠けたところのない物など醜いのだ。
ナズーリンが輝夜に目をやると、彼女も先ほどから頬をほころばせながら、聖の話に耳を傾けているようだった。
「……ああ、永遠亭の方々は、法の光のもとに照らされているようです。たとえお二人がその“都”でいかなる罪を犯したとしても、それは赦される。今のお二人は善行によって贖いの道を進んでいるのですから。」
「ええ、そ―――」
……トタタタタ
輝夜の返事を遮るように、廊下を駆ける音が屋敷に響いた。音から察するに幼い足取りのようだ。姫が会談している最中にこんな音を立てるほど永遠亭のイナバ達も不躾ではない。
「こんにちはー、輝夜さんいる?」
突然障子が開くと、思った通り、銀髪のかわいらしい少女が顔を覗かせる。後ろでは何匹かのイナバが必死に彼女の侵入をとどめようと、その周りを取り囲む管のようなものを引っ張っていた。
「あらこいしちゃん、いらっしゃい。」
「えへへー、また来ちゃった♪」
輝夜と、突然の来客――古明地こいし――は挨拶を交わす。その挨拶にはうちとけた者同士の関係を感じさせた。
「ほらほら、こいしちゃん。今日は別にお客様が来てるのよ。ちゃんと挨拶して。」
永琳がすかさず釘を刺す。こいしはそこでようやく来客者達に気付いた。
「あ、ホントだ。ごめんなさーい。えっと、あの、私、古明地こいしっていいます。どうもはじめまして。」
こいしは帽子を取って、白蓮たちに向かって頭が地面に着くような深い礼をする。どこかたどたどしさの残る挨拶は、かえって白蓮たちをほころばせた。
「ごめんなさいね。この子、放浪癖があるらしくて。それで先日ここをふらっと訪れたのよ。そうしたら話があってしまってね、最近よく会ってるの。」
「そうなのですか。こちらこそはじめまして、こいしちゃん。私は聖白蓮です。」
「 ┌Ў┌х┌ф■励縺ィ╩▓f┌╣┌」
星は、その時輝夜が何かを呟いたような気がした。しかし聞いたこともないような音で、意味はおろか、言葉かもどうかすらわからなかった。
「そうだわ、もうこんな時間だし、それにこいしちゃんも来たことだし、どうかしら皆さん、お昼ご飯食べて行きません?」
気付けば太陽は一番高いところにあった。時が経つのも忘れて話し込んでいたらしい。
「いえ申し訳ありませんわ。」
「お気になさらず。客人をもてなすのは姫のつとめですから。」
輝夜の言葉を聞く前に、永琳は席を立っていた。おそらく準備に向かったのであろう。あんなことを言ったものの、白蓮はまだ永遠亭に留まるつもりだということは、星達にも理解できていた。
「ねぇこいしちゃん?この間話してくれた“あれ”、食事の後に見せてくれないかしら?」
「ん? あぁ、いいよー♪」
こいしと輝夜は頬をほころばせた。
運ばれてきた昼餉は決して贅を凝らしたものではなかったと言えるだろう。しかし一品ごとの細かな作りは、この屋敷の品を感じさせるにやはり十分だった。
おそらく朝採ったのであろう筍は、あえて味つけをせずに素材の新鮮さを大胆に出す一方で、川魚の焼き物は、じっくりと手間を掛け干しと味付けが繰り返され、味を深めていた。
白蓮達は自ずとこの後の趣向というものにも期待を抱かずにはいられなかった。
「さて、昼餉も済んだし、あれを見せて頂こうかしら。」
「さきほどから仰っている、“あれ”とは何なのですか?」
白蓮の問いに輝夜はいたずらっぽく笑う。こいしもまた終始笑顔を絶やさなかった。
「それはね――」
新難題「ミステリウム」
突然スペルカードを切るやいなや、輝夜は青白い光の中に沈んでいった。そしてその光はしなやかに伸びながら星とムラサ、ナズーリンを取り込んだ。強固な光は三人の手足を一瞬のうちに押さえつける。ふいの攻撃に彼女達はなす術もなく動きを封じられてしまった。
「……どういうことでしょうか?」
白蓮は穏やかな表情を変えず、輝夜に問いを投げかける。
「ただの戯れよ。“ここ”ではよくあることだわ。」
輝夜もまた表情を一切変えず、笑って答えた。
「――なるほど、そういうことですか。」
白蓮は呟く。声色は穏やかなままであったが、彼女を包む気質の変化は傍目からみても明らかだった。
超人「聖白蓮」
いざ、名無三――!
刹那の間に輝夜に近づいた白蓮は、強化した右腕で輝夜のこめかみを強かに打ち抜いた。それは“強か”、といった表現では不十分であったかもしれない。
なにしろ輝夜の頭部は粉々に吹っ飛んでしまったのだから。
「え?」
果物が潰れたような音が畳に落ちる中、白蓮は予想外の手応えに思わず動揺する。初撃から白蓮は相手が相応の手練であると踏んでいたし、何かの戯れに誘われていることも明白だったから。しかして今の一撃も相手の力量――その能力――を量る為のものにすぎなかった。
それが相手に致命的すぎる、いや死に至らしめるものになったことへの驚きと後悔が白蓮を締め付ける。もとより殺生を好まぬ彼女にとってそれは赦されぬ行いであった。
それが彼女の一つ目の揺らぎ。
秘術「天文密葬法」
その間隙を縫って、輝夜のはるか後ろから白蓮へ向かって放たれたのは、一筋の強烈な矢であった。その一擲は白蓮の右肩を貫き、後ろにいたナズーリンの脚までも打ち抜いた。強烈な一撃に白蓮は後ろへ吹っ飛ぶ。
「がはっ!!!」
ナズーリンのうめき声も聞こえないほどに、白蓮は混乱していた。隙をつかれたとはいえ、私に反応を許さないほどの、そして強化した自分の体を貫くほどの一撃!
しかも撃ったのはあの薬師である。彼女がどうして…やはり私が家の主を殺めてしまったから?
膨らんだ雑念が白蓮の頭を蝕む。
これが二つ目の揺らぎ。
体勢を立て直そうとしたその時、白蓮は自分のすぐ隣に誰かの気配を感じた。それはさっきまではなかったもの。白蓮は突然のことに警戒を高める。
しかし、そこに立っていたのは、先ほどの無邪気な妖怪少女――こいしだった。そのころころとした笑顔に白蓮は一瞬気を殺がれる。
これが三つ目の精神の揺らぎ。
完全な無である法界で、徹底的に己の業に向き合い、心身を鍛えてきた白蓮にとって、この程度の揺らぎは大海に小石を投げ込んだようなものにすぎなかっただろう。しかし、今彼女の前に立つ妖怪少女にとっては、そのほんのわずかな波紋で全てが事足りるのだ。
そう、無意識を操る程度の能力を持つ古明地こいしにとっては。
「ふっふふ〜ん♪」
「離れて、危ないわ…」
こいしは白蓮に抱きつく。
「いけない!!聖、そいつは危ない!離r――」
その一瞬ムラサは己の錆びた記憶力を後悔した。この平和な、あまりにも満ち足りた生活にすっかり染まってしまったのか。
古明地という名、胸の瞳――以前地底にいたときに聞いていたじゃないか。あの忌むべき力を持った妖怪の話を。
…ペタリ
「……え? 何?」
白蓮は何が起こったのかわからなかった。星やムラサもまた聖の“それ”が理解できなかった。自分たちが囚われていることすら忘れるほどに。
そう、彼女は腰を抜かすとへなへなとこいしの前にへたれ込んでしまった。肩は小刻みに震え、唇は真っ青、あたかもそれは妖怪に追い詰められた哀れな人間のよう。
「――そう、さっきの話で言い忘れてたんだけどね――」
肩を大きくふるわせて白蓮は振り向く。それは矢の飛んできた方から、聞こえるはずのない声が聞こえてきたから。
「私たちが犯した罪ってね、『蓬莱の薬』を作って飲んだことなの。」
ゆらめく陰の向こうには、先ほど頭を潰したはずの、確かに死んだはずの輝夜がそこに立っていた。疵一つない珠のような美しい顔に変わらぬ微笑みをたたえながら。
「だから私はこの通り、死なないのよ。」
う゛ う゛がはっ!!
輝夜の方に完全に気を取られていた聖の後ろから聞こえたのはこの世のものとは思えぬうめき声だった。見ると声の主は先ほど脚を射抜かれたナズーリンだった。
う゛あ゛、あ゛あ゛ ぐ が ぁ゛……
激しく痙攣を起こすやいなや、もうそれは動かなくなった。
「ナズーリン!!おいしっかりしろ!!」
「う、うそ……いやああぁぁぁ!!」
「そうでしたわ」
後ろの妖怪達の悲鳴を切るような冷めた声が、今度は輝夜の更に向こうから聞こえている。腰が抜けて動けない白蓮は、首だけを声のする方々へとせわしく振る。
「私の矢には護衛のために妖怪退治用の強力な毒を塗ってあります。今貴女の肩を射抜いた矢ですわ。」
声の主である八意永琳は、診察結果を伝えるかのように淡々と事実を続ける。
「貴女の場合は身体強化の魔法を使っていますし、特殊な鍛え方をしていますから効きは鈍いでしょうが、それでももって半刻といったところでしょうか。」
今までの騒ぎが嘘のように、部屋の中に静寂が訪れる。しかしそれは一瞬の幕間に過ぎないことは誰もが承知していた。
そして思惑どおりにその静寂は破られた。
「……ゃ、いやだ…、死にたくない…」
輝夜は変わらず笑っていた。
「失礼いたします。」
張りつめた空気を破るかのように障子が開いた。恭しい一礼と共に部屋に入ってきたのは、普段とは似つかわしくないような慇懃さをまとわせた因幡てゐだった。
「お師匠様、言いつけの物をお持ちしました。」
「ご苦労様、てゐ。」
「あら、いいタイミングね」
てゐは小さな薬合子を素早く永琳に差し出すとそのまま部屋を出ようとする。
「因幡、どう?貴女も見ていかない?きっとおもしろいものが見られるわよ。」
輝夜の呼びかけにてゐは思わず振り向いた。こんな風に声をかけてもらえるなんて滅多にないことだったから。
「いえ、遠慮しておきます。姫のそのような楽しそうな顔を拝見できただけで十分ですから。」
一瞬の沈黙ののち、微かに笑みを浮かべながらそれだけ答えたてゐは、一礼を残して足早に部屋を後にした。
「あら、つれないわねあの子ったら。ねぇ永琳。」
「いいじゃない輝夜。はいこれ。確かに間違いないわ。」
永琳はてゐの持ってきた薬合子を、頬を膨らませた輝夜に手渡す。あの子のいうことは正しいのだろうと永琳は思った。
「そういえば永琳、あれはどこいったの?」
「うどんげは里に遣わせました。暫く帰ってこないでしょう。」
「もう、永琳ったら。気が利かないわね!」
それを見越して行かせたのは永琳だった。あの子がこの戯れに向き合うのは辛すぎる。
そもそもこんな場に付き合うことが間違っているのだろう。だが、それでも私は輝夜の喜ぶ顔が見たいのだ。そのためならなんだってする。
輝夜があの女と会うとき以外にこんな顔をするのは幾霜ぶりなのだから。
白蓮は錯乱していた。射抜かれた右肩はずしりとした重みを持っており、自分のものではないようだった。畳に映った光がぬらぬらと彼女に絡みつく。
積み上げた智慧も、鍛え抜いた心身も全く動く気配がなかった。
毒がじわじわと回っているのではないか、自分はもう助からないのだろうか、そんな恐怖が頭の中をぐるぐると巡り、ひどい眩暈が彼女を苛む。ただただ死の恐怖と生への執着がその心を塗りつぶしていた。
しかし何よりも彼女が判らなかったのは、「なぜ自分がこのような雑念に囚われるのか」ということであった。それは彼女からとうに失われた感覚だった。
その白蓮のもとへ、薬合子を手に輝夜がはずむような足取りで近づく。
「…ひっ!」
白蓮は恐怖で思わず身を縮める。輝夜は構わず白蓮に近付くと、先ほどの談話の頃と変わらぬ笑顔を突き出した。
「白蓮さん、怯えない怯えない。ほら、これ。さっき話してた『蓬莱の薬』。一口舐めればあっという間に不老不死よ。」
そういいながら白蓮の目の前で合子を揺らす。まるで催眠術にかけられたように白蓮の視線がそれに吸い込まれる。
「そ、そんな恐ろしいものを…」
「でも白蓮さんだって死にたくなくて死にたくなくて、禁を犯して妖怪の力を得たんでしょ?これも同じようなものよ。大して変わらないわ」
「……っ、わ、私の為したことは、そんっそんな…」
「そんなこと言ってる間に毒回っちゃうわよ?余命幾許も無し。死にたくないよね?」
「ねー♪」
横にいたこいしが声を合わせる。白蓮の唇はわなわなと震えていた。
「ちが…私の…わたしは…そうじゃ…」
「――ねえ白蓮さん。」
輝夜は白蓮の頬を引きよせながら声の調子を変える。その変化に白蓮は声を詰まらせる。
「私はね、貴女を助けたいの。だから不安にならないで。一つだけ私の言うことを聞いてくれたら、この『蓬莱の薬』を差し上げるわ。」
無論白蓮とて様々な法力を会得する中で、その薬が最大の禁忌であり、いかに恐ろしいものであるかは十分理解していた。それに手を出すのは最も重い罪であることを。
確かにかつて私も不死を求めた。だが私は気づいたはずだ。その愚かさに。その罪深さに。だから不老不死への欲などとうに断ったのではないか。
ソウオモッテタダケナンジャナイ?
「……たくない。」
「なぁに?」
「…にたくない。死にたくない。私死にたくないんです。死にたくない。死ぬのは嫌。嫌、嫌なの!」
白蓮は泣き出していた。その表情を独り占めにした輝夜の頬に朱がさしこんだ。
「死んだらもう会えないの……死にたくない死にたくない死ぬのはこわいの…こわい、いゃ……」
「じゃあ――」
輝夜はふるえる白蓮の額にそっと自分の額を沿わせた。黒い瞳に白蓮は取り込まれる。
「一つだけ、私のお願い聞いてくれる?約束よ。」
「もうやめて!!」
それはムラサの絶叫だった。彼女は涙で眼を一杯にしながらあらん限りの声で続ける。
「聖、聖聞いて、聖、ダメだよ、そんなこと言っちゃ、だって聖は悪くないから、大丈夫だから…ね?私たちが一緒だからさ。」
「私なんかじゃよく分かんないけど、聖今辛いんでしょ?苦しいんでしょ?でも大丈夫。私たちがいるから。聖が私たちを救ってくれたように今度は私たちが聖を守るから。だから目を覚まして聖?大丈夫。聖がこんな奴らのいうこと易々と聞くわけがない。聖は強いんだ!!だからしっかりして!!」
「ム、ムラサ…」
白蓮の視線が、輝夜から、薬合子から離れる。そしてそれが自分のものであるかを確認するように、自分の手で自分の太ももを握りしめた。
「あーもう駄目だよぉ聖お姉ちゃん、そんな声に惑わされちゃ〜♪ね、もっと素直になろ?」
こいしはムラサを遮るように白蓮の横に立つと、そっとその頭に手をかざした。彼女が立ち上がることのないように。
「い゛ひぃっ!!ごわいこわいこわいよお!!!やだあぁ死ぬのは怖いのぉしにたくない…」
「あははっ♪ ねぇ?こわい?こわいの?こわいんだ?でもいいんだよ?それは生物としてとてもとても普通のこと。だからその本能にただただ身をゆだねて?」
「いややゃやああああぁぁ!!しにたくないしにたくないよおおぉぉぉ!!」
こいしは再び狂乱した白蓮の頭を褒めるように撫でる。白蓮はよだれと鼻水をまき散らしながら頭を振り回していた。
「あは♪、老いたんだねぇ、身体は醜く、姿は崩れ、力も衰えた。あとは死ぬだけ。喰われるか、土になるか。ほーらどっちがいいかなぁ?」
「いやだいやだいやだぁ、おいてかないでぇ…しんじゃううぅ…しんじゃうよぉしにたくないぃぃっぃ!!」
星は己の為すべきことが思いつかなかった。ナズーリンの亡骸の向こうでは、ムラサが泣きわめきながら一心不乱に聖に呼びかけている。しかしその声がもはや届いていないのは明白だった。
そもそも今の聖に何が起こっているのか、彼女にはとんと判らなかった。おそらくあの妖怪少女が聖に何らかの術をかけたのだろう。それは判る。しかしあの聖を屈服させるほどの術など到底信じられぬことであった。
であれば、あの薬師の言う毒というのもはったりではないのでは……という疑念を否定することができなかった。ゆらゆらと畳を滑る影が星を縛る。
終わりなく廻る思考の中で、星は時間感覚をも失っていた。
白蓮の慟哭はどれだけ続いたのか、やがて彼女はすがるように輝夜に言った。
「聞きます…聞きますなんでも聞きますから。嫌、死ぬのはいやぁ…」
「いい子ね、じゃあねぇ…お願いっていうのは――」
彼女達の心のうねりを舐めるように弄んでいた輝夜はそっと、しかし部屋にいる全ての者の耳に届くように囁く。かつて自らに詰め寄った男達に難題を投げかけた時のように。
その時を待っていたのか、その時が訪れるのを惜しんでいたのか、それは永琳にも判らなかった。
「後ろにいる貴女のお供、どちらか一人殺しなさい。」
「――へ?」
呆けた顔をしてすっとんきょうな声を上げたのは他ならぬ白蓮だった。彼女は目の前のお姫様が言ったことが全く理解できなかった。
「聞こえなかった?後ろにいる二人のうちどちらか、自分で一人選んで殺して。」
がらんどうの部屋の中で、輝夜はゆっくりと、穏やかに繰り返す。もう太陽は空の頂上にはいなかったのだろう、部屋に飛び回る光も少なくなっていた。
「そ…そんなおぞましいこと……そんなことできないぃ…」
「そんなことないでしょう?貴女は自分の命を永らえさせる為に、あるときは妖怪退治といって人をだまし、またあるときは妖怪の味方だと偽って自分の欲を満たした。」
「ちがうぅ…ちがうのぉ…わたしは…そんな…」
「貴女は人と妖の味方をすると言いながらそれぞれを騙し、裏切り続けてきたの。それと同じじゃない?貴女を慕う二人のどちらか一人を裏切って“退治”すれば、貴女は生き永らえることができる。」
「私そんなことしてないぃ…わたしそんなぁ」
「いい加減にしろ!!」
寅丸星の一喝が部屋の空気を引き裂く。彼女は自分の今の立場も先ほどの逡巡も忘れて、輝夜をにらみつける。
「貴女の口から出る言葉には全く正義がない。確かに聖は罪を犯したかもしれない。しかし彼女のその愚かさに気付き、そして今その贖罪としてつとめに励んでいるんだ。いかなる罪であろうと赦されぬなどということはない。聖も先ほど言っていたではないか。貴女ほどの道を辿ってきた人が、なぜそれが分からぬのだ。」
「――ごめんなさいね」
輝夜は星の憤怒を柔らかく受けとめる。珠のような笑顔を崩さずに。
「ずぅーっと生きてるとね、もう生きているのか死んでいるのか分からなくなるほど生きているとね、正義だとか贖いだとかもうなんだか判らなくなるの。」
「貴女の為したことは大罪だぞ!それが判らないというのか!」
「そんな騒ぐことなのかしら。ああでも勘違いしないでね。別に白蓮さんが嫌いとかじゃないのよ?事実お話はとっても楽しかったわ。よい暇つぶしになったもの。『蓬莱の薬』を作った時のように。」
「じゃあなんでよぉ!!なんであたしたちなの?あたし達が罪人だから?赦されないから?」
切り返すように輝夜に噛みついたのはムラサだった。彼女は泣いているのか怒っているのか判らぬような姿で、輝夜をきっと見据える。
「だからね、別にそんなことどうでもいいのよ。ただ、貴女達が来て、こいしちゃんがそこにたまたま来て、こうしたらおもしろそうだと思っただけ。それだけよ。理由なんて何もないわ。」
「あたしもね、瞳を閉ざしてからは無意識の中でずっと生きてるから、そういうのよく分かんないんだ。それは意識界の話だから。だからごめんね♪」
こいしもまた、ころころとした笑顔を絶やすことなく、ぴょこっと謝った。
「――ムラサ」
星は突然ムラサに呼びかける。ただならぬ声色に涙に沈んでいたムラサも思わずそちらを振り向く。
「君はここから逃げろ。あれは話の通じる相手ではない。このままでは…」
「はぁ?何言ってんのよ星。あんた聖をおいて私に逃げろって言ってんの!?」
ムラサの声に怒気が孕む。せきとめるものがない中で鬱屈した感情に炎が灯る。
「そうさ!あんたはいっつもそうなんだ…こっちの気持ちなんか考えないでさ、したり顔で偉そうに…」
「落ち着け、ムラサ、今はそんなことを言っているときでは…」
「うるさい!!大体あんときあんたが毘沙門天様なんかほっぽかして聖助けにきてりゃ聖が封印されることもなかったんだ。あんたは聖より毘沙門天の方が大事なんだろ!!この裏切り者!!」「黙れ舟幽霊!!お前に何が判る!…何が判るというんだ…」
星はそれっきり口を噤んで顔を伏せてしまった。ムラサは星をじっとにらみつけていたが、しばらくするとまた涙の中に沈んでいった。
気がつけば部屋はすっかり薄暗くなっていた。先ほどまでの輝きが嘘のように。そこは全くの暗闇だった。
その地獄の中で、揺るがぬ笑みが白蓮に囁きかける。
「そろそろ決まったかしら?さあどっちにする?」
白蓮はそれに答えなかった。その代わり静かに立ちあがると、何か固いものを噛み続けるように口を動かしながらふらふらと歩き出した。
――シニタクナイシニタクナイシニタクナイシニタクナイシニタクナイシニタクナイシニタクナイシニタクナイシニタクナイ
ぐちゃり
白蓮は何かを踏みつける。それは命蓮寺から持ってきた土産、皆でこさえたあのおはぎだった。白蓮は構わず歩を踏む。おはぎの持ち主の方へ。
「やだ、止めて?お願い、やめてよ聖。ねえ!!私確かにいっぱい悪いことしてきたけど、一生懸命頑張って、償いして、やっとまた一緒に暮らせるようになったんじゃないっ!?」
白蓮は法術を唱える。その手が青白い光に包まれた。
「すごいわねえ、こいしちゃん。あれが無意識を操るってことなの?」
ムラサの方へ向かった白蓮を満足げに見つめながら、輝夜はこいしに声をかける。
「ねえそうでしょう聖!?真面目に生きればいつか赦されるって聖教えてくれたじゃない?」
「簡単だよ。ただ『エロス』を最大限に解放しただけ。」
その光はすさまじい魔力を持った除霊の符だった。舟幽霊など跡形もなく消し飛ばすほどの。
「その『エロス』が死にたくないという欲動だったかしら?」
「そう、だからすごいんだよ。殺すときに『エロス』を解放しながら殺すとね、それはそれはすごい抵抗されるんだ。腕が千切れるまで殴ってきたり、声帯が切れるまで叫んだりしてね。だからゆっくり絞殺してあげるの。少しでも長く恐怖に溺れるように!それがすっごく楽しくて!」
「大丈夫だよ、聖が苦しくても、私たちが一緒にいるから、ねぇ聖目を覚まして?一緒にいよう?」
ムラサにもそれが恐ろしいものであることは、直観的に理解できたのだろう。だがそんなものはどうでもよかった。彼女には聖しか見えていないのだから。
「それをこの間私にやってもらおうとしたら、できないんだもの。がっかりしちゃった。」
「輝夜さん、おかしいんだよ〜」
「だからお願いっ!お願いだよよおおぉぉぉぉぉぉ!!!」
「うーん、そりゃ確かね」
「「あはははは」」
「っく、ひっく…なんで、何で私たちこんな目に遭わなきゃいけないの…?」
白蓮は手をかざした。青白い光がムラサを中心にして陣を描く。
「そう、あと聖お姉ちゃんの場合は、弟さんの死と自分の老いの記憶を抑圧してたからそれも引き出したよ。」
「へえ、弟さんがいたの。それは言ってなかったわね。」
「ただ、エッグ…ただ私は聖と…ックみんなと一緒に暮らしたいだけなのに…ヒック。何でよ!?それすらしちゃいけないっての?」
「きっとすごく悲しかったんだろうね〜〜自我の一番奥に抑圧してあったよ。」
青白い光はその輝きを増しながらムラサを包み込む。星は顔を伏せたまま、もう光の方を見ることはなかった。
「ねぇこいしちゃん相談なんだけどね…」
「ふむふむ」
「ちきちょう……!!畜生!畜生畜生畜生!!!何でさ!?何でだよ!!」
「どう、面白そうだけど、できる?」
「うん、多分大丈夫だよ!!」
輝きが一層強まる。それが終局に近づいていることは誰の目にも明らかだった。
「やだやだやだああああぁぁぁ!!!聖りぃ!!帰ろうよぉ!みんなで帰ろうよ!!やだぁああ聖りぃぃぃ助けてひじ
まばゆい光の中で、声はふつと途絶えた。
う゛ぐっ う゛お゛え゛え゛ぇぇ おげええ っげえぇぇ
ムラサがあった跡に白蓮は吐いた。先ほど皆で食べた昼餉を。筍や魚を。
「ごえんなさぃ、ごめんなさいごめんなさぃ……」
そしてそのままその場にへたれこんだ。吐瀉物と潰れたおはぎにまみれ、同じ言葉を壊れたように繰り返しながら。
先刻まで光が遊んでいた畳の上には、血と汚物と涙がどっぷりと染みこんでいた。
「うーんイマイチねぇ…」
再びの幕間を打ち破ったのは輝夜の一声だった。その顔は相変わらず笑っていたが、どこか翳が差していた。それはこの部屋で初めて見せた顔だった。
色のない、乾いた声で彼女は続ける。
「白蓮さん、殺してくれたのはいいんだけど…もっとじっくり嬲ってくれないと面白くないわ。眩しくてよく見えないし、それにあんな風にあっさり消滅させちゃったらせっかくの悲鳴が台無しじゃない?ねえ?」
「ねー♪」
こちらの妖怪少女は眩しい笑みを絶やさず、輝夜に答えた。
「な、なにを…あなたはなにを…」
「そうだわ!」
白蓮のうめきを押し潰すように、輝夜の顔に再び輝きが戻る。鈍い輝きだった。
「白蓮さん、そっちのもやっちゃってよ。」
輝夜はそう言って視線を星へと投げかけた。
「そん、…もぅ、もうできません…お願いもうゆるしてぇ……」
「何言ってるの?一人も二人もそんなにかわんないでしょ?貴女死んじゃうわよ?」
「ぉぅやだぁ…やらよぅ…」
白蓮にはもうまともな会話ができそうになかった。予想通りの反応に輝夜は満足する。
陰の中からぬうっと白蓮の側に近づいたのはこいしだった。
聖白蓮が顔を上げると、そこは見たことのない世界だった。
それは先ほどまでの地獄とはかけ離れた世界。落ちているのか浮いているのか、溺れているのか飛んでいるのか、上下の感覚すらない世界。
「これは……樹?」
おぼろげに見えたのは大きな樹、根も枝先もかすむほど大きな樹。白い光、穏やかな光。ここは全てが満ち足りたよう。彼我も時間も空間もない世界。
ああそうだ、さっきまでのはきっと悪い夢だったんだ。
白蓮の眼前がまばゆく光る。その光はまるで人のような形をしていて、そしてその輪郭にはどこか見覚えがあって…
「め…命蓮?」
そう、その光の中から現れたのは間違いなく、白蓮の弟、命蓮だった。間違いない、あの柔らかな笑顔、この香り、この腕の感触!!
「命蓮!?命蓮なの?命蓮…会いたかった会いたかったよぉ…」
――久しぶりだね白蓮、いや姉さん。
白蓮は命蓮の腕の中で泣いた。胸に顔を埋めて泣いた。うなされた少女のように。
「……恐い夢を見たの。」
ひとしきり泣きはらした白蓮は命蓮にささやく。
「私がね、死んじゃいそうになるの。」
――それは怖かっただろう。
「それにね、私のことを慕ってくれた妖怪を私が殺しちゃうんだ。」
命蓮は答えない。白蓮はその沈黙に耐えられず弟の顔を見上げる。
――殺生は辛いことだね。でも……
――その妖怪達は姉さんを苦しめてる。きっと姉さんが苦しむのは彼らのせいだ。
「命蓮…あなた何言っているの?」
――妖怪は退治しなくてはいけない。それは人間の理であり、自然の摂理なんだ。姉さんは妖怪達に近づくことで背負うまでもない業を背負ってしまった。
その行いもまた罪なんだよ。
――大丈夫、姉さんには僕がいる。だから安心して、ずっと一緒にいるから。自らの罪を償って僕と一緒に行こう。
「罪を償うって…」
――その妖怪は始末しよう。大丈夫、それは法が照らす道にのっとった行い。それに僕がついてるから。姉さんには僕がいる。
それは異様な光景だった。白蓮は、まるで親にすがる赤子のように、腕の中で丸くなって泣いていた。古明地こいしの腕の中で。
寅丸星は最初、その光景に我が目を失っていた。ムラサの消滅を前に、自分の気が触れたのではないかと。
そう、こいしに向かって囁きかける白蓮の言葉を聞くまでは。
その言葉が星に教えてくれたのだ。白蓮が何を見ているかを、白蓮が何をされているかを。
「起きろ聖っ!!、それは命蓮じゃない!!」
だから叫んだ。あらん限りの声で。彼女に届くように。
「ひじりぃっ!!めをあけろおおぉ!!」
白蓮はこいしと共に立ち上がった。その顔はどこかすっきりしたような、晴れ晴れとした顔をしているように見えた。
彼女はそのままこちらへ近付いてくる。こいしと手を結んで、ゆっくりと。ああ結納のようだな、とあられもない考えが一瞬星の頭をかすめる。
星は白蓮の顔を見上げる、叫びながら、ただ彼女の名前だけを。しかしその眼を見て叫ぶのをやめた。いやもう意味はないと知った。
だって彼女の眼にはもう何も映っていなかったから。
「……すまない…すまなかった聖…」
星はすべてを悟った。自分の命運も、聖の行く末も。だから彼女にできることはもう一つしかなかった。
「私が…いや私達がいれば、聖の悲しみは埋まるのではないかと、聖は喜んでくれるのではないかと、そう思っていたんだ」
白蓮は身体強化の法術を唱えた。異様に肥大した腕が鎌のようにゆっくりと振り上げられる。
「でも、それは傲慢だった…そう私たちでは…」
ゴフッ!
白蓮の右腕が星の頬を捉える。血と歯が吹き飛び、下顎は奇妙な角度でぶら下がっていた。
「ゴファ!私たひではひじひのここおを埋めることはでひなかったんだ…」
ドコオォッ!!
間を与えないまま、膝が脇腹をえぐる。星の体は紙のように舞った。
バキィ!
滑らかな動きで浮き上がった星を地面にたたきつける。内臓はとうに原形をとどめていないだろう。
「しゅあなひひじひ…わはひぃはひぃはやふぅひたひぇにゃかっひゃった…」
「ねえ永琳? ボコオォ! もうとっくに半刻経つんじゃない?」
輝夜はいたずらっぽく永琳に笑いかける。
「それが ブチャァ! どうかして?」
永琳はぶっきらぼうに答える。
「だかりゃひじひ…しぇめへひじひだけでふぉ…」
それでも彼女は言葉を続けた。続けざるを得なかった。聖は倒れた星に馬乗りになって顔を殴り続ける。
「ふふっ、永琳は バキャァッ! 嘘吐きね。」
「…薬を塗ったのは本当よ。 ボキィ!! 精神剤 ドコォ! の一種ね。」
「へぇどんな ドォオンッ!! 効果があるの?」
「 妄執に ブチィッ!! 囚われるのよ。本能を操作された彼女は些細なこ ゴォオンッ!! とすらも自分の死に結びつけたでしょうね。」
「ひじひだけふぇもひひゃふぁひぇひ…
バチャ!!
星の脚が大きく痙攣すると、もうその言葉が続くことはなかった。
「それにあの ドゴォン! 後ろのネズミさんまで ブチャ! 殺しちゃって」
「昼餉に毒を盛れと指示を ビチャァッ!! 出したのは輝夜、あなた グチュゥ!! でしょう?」
白蓮は構わず拳を落とし続ける。顔の形はとうに残っていなかった。
「殺せとは命じて グコオォ!! ないわ。リアリティを出しな グチョォッ!! さい、と言ったのよ。」
永琳は思わずため息をつく。すべて見越した上で私をからかっているのだ。この子の戯れもこうまでいくと度が過ぎる。
「まあでもこいしちゃんの能力が予想以上に強力だったから、取り越し苦労だったかもね。」
輝夜は楽しそうだった。屋敷の中で喜ぶ輝夜。私だけが知っている輝夜。
きっとよい時間つぶしになっただろう。この日の記憶だけで数十年、いや数百年ほどならもつだろうか。
バキャァアッ!!
こいしの手だけが、白蓮を支えていた。
ぱちぱちぱち
拍手の主は輝夜だった。それは小さく、やさしい拍手。誰に向けられたでもない拍手。
「とても満足したわ。ありがとう。」
殴り続ける力すら失せた白蓮は、馬乗りの姿勢のまま視線を宙に漂わせ、何事かつぶやいていた。それは命蓮への戦勝報告だったのか、殺めたものへの懺悔だったのか、輝夜には聞き取れなかった。またその気もなかった。
「さて、湯浴みでもしましょうか。こいしちゃんも一緒に行く?」
「うん、いくー♪」
星の返り血を全身に浴びたこいしは、輝夜の隣ではしゃいでいた。既に輝夜の視線は白蓮になかった。
「あ、そうだ永琳、白蓮さんに例のもの差し上げて?」
「あら、そうでしたわ。」
永琳は白蓮の膝元に薬合子を置く。輝夜はもう部屋を出ていた。
「もう症状はかなりよくなっていますが、一応念のため後3日ほど、食後に丸薬一錠と薬草を煎じて一日二回、服用してください。丸薬はウイルスを殺す薬、薬草は体力を回復させる薬です。あとウイルス性の風邪なので、一緒に住んでいる方々も、予防として丸薬の方を一日一回服用しておいてください。少し多めに出しておきますので。」
永琳は静かにカルテを閉じる。
「では、お大事に。」
こいしは集合的無意識が操作できると信じてる。
んh
- 作品情報
- 作品集:
- 15
- 投稿日時:
- 2010/05/05 11:38:03
- 更新日時:
- 2010/05/05 20:38:03
- 分類
- 永遠亭
- 命蓮寺
- こいし
- 37kb
どぴゅどぴゅ《》
それはそうと、輝夜に永琳。ちょっと面貸してくれるか?
しかし永琳、治療が必要なのはこいしと輝夜じゃないか?
集合的無意識でゼノサーガを思い出すのは私だけでいい