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『合成の誤謬3』 作者: マジックフレークス
「再びこのような席を設けていただき感謝に堪えません」
天狗達と取引をするならば山が雪に閉ざされる前に行わなくてはならないだろう。山道が雪に覆われていては買い取った食糧を里に運び入れる事もままならない。ただでさえ無理なお願いにも等しい交渉条件である、この上天狗達に空輸させるわけにもいくまい。
「とはいえ今回が今年最後の取引となろう。いかなる形で決着するにせよ………な」
取引の交渉に天狗達が用意したのはやはり以前と同じ交易所の応接室。だが顔ぶれは多少異なり、天狗の側は以前と同じ担当の責任者以外にも後ろに2人同席させている。
阿求も知っている射命丸文と、もう1人は見慣れない天狗。文は確か天狗社会の中ではそれ程偉いわけではなかった気がしたがもう1人のほうは上層部の天狗なのだろう、威厳というものが感じられる。
(まあ、山のほとんどの食糧を交換してくれるように頼んでいるのですから当然ですよね)
「そちらはおぬし1人でよいのか? 勝手ではあるがこちらには2人同席してもらう。これほどの取引だ、人里も長が出張ってくると考えていたが……」
「決してこの度の取引を小さく考えているわけではありません。里では私が全ての責任を引き受けて交渉に望む事になっているだけです。この場で合意に至れば明日にでも多くの人を集めて残りの御代を運び入れ、天狗の皆様への多大な感謝と共に有難く引き取りに参る次第です」
「合意……か、以前言っておった条件とやらを変える気は無いのか? 今となっては食料の価格は当時に数倍しておる。我々が貴様の決めた価格で取引に応ずると未だに考えているのか?」
後ろの文の口元が軽く緩んだように感じられた。それに対し文よりも上の立場であろう残りの2人の天狗は真剣な眼差しで阿求を見つめている。まるで彼女の心中を探ろうかというように。
「申し訳ありませんが我々はあの条件以外での取引は出来ないのです。十分な量の食糧が確保できないときは里で集めたお金を再分配して別の方法を取るつもりです。ですがこれだけは御約束いたします、今年一杯は何れの方々と取引するにせよ皆様と同じ条件“例年の10倍額”でしか交渉はしないと。これは私達のために交渉の場と時間を設け、私達の出した条件を吟味していただいた天狗の皆様に対し我々の通す筋と受け取って頂きたく思います。私達は天狗の皆様に損害を与える気など無いのですから」
「我々が保有する食糧の数分の一でも他の者達が行っている取引の市場に売り払えば貴様の提示する一億は得られるのだ。我々に拒否された上では何処の者とてその様な条件の取引には応じるまい。それでもよいと言うのか?」
「致し方ありません。何であれこの条件は私共の都合による我が侭です、天狗の方々が皆さんの考えで以てお断りになる以上私にはこれ以上出来る事は有りません。それにその後で天狗の皆様がお持ちの物をどうされようと、我々にそれをどうこう言う権利など有りはしません故」
交渉している天狗の眉がピクリと動いた。と、同時に後ろにいた天狗が苦虫を噛み潰した様な表情になるのが阿求の場所から良く見えた。文だけはこの場の空気を理解していないのか怪訝な顔をしている。
しかし文には自分以外の天狗の顔は見えていない。文からは阿求と直接話している天狗の背中が見えるだけ、もう1人は文の後背にいるのだから。
「…………」
「…………」
部屋を満たすしばしの沈黙。
「わかった、貴様の言う条件での取引に応じよう。例年の10倍レート、一億円での取引にな」
「ええーーっ!!?」
僅かに肩を落として無念そうに阿求の申し出を受ける。と同時に素っ頓狂な驚愕の声を上げるブン屋。
「なななななんなんでですか!???」
「どうも有り難う御座います」
この場で1人だけ状況を理解していないであろう新聞記者を無視して阿求は取引を成立させた。
鯉のように口をパクパクとさせていた文を無視して両者は契約書を取り交わし、阿求は手付けとして持って来ていた前金の5千万円を天狗達に渡す。
阿求も大きな喜びを顔に表したりなどしないものの美しい微笑をその幼い顔に湛えて天狗達に再度礼を言い、哨戒の天狗を道中の案内と護衛に付けてゆっくりと山を下りていった。
「あああああのあの、せっ説明! 説明していただけ無いでしょうか!? わ、私には何がなんだか。そっ、そうです! なんであんな無茶苦茶な条件での取引を了承したのですか!? ご自分で言ってらしたではないですか、他に売っぱらえば一億くらいはずっと楽に手に入るって!!」
「私は今回の事を上に報告してくる。なに、気にするな。お前の失点ではない」
文と共にいたもう1人の天狗が交渉の天狗の肩に手を当ててそのように言い残し、部屋を出て飛んで行った。
さっきから完全に無視され続けている文もこれには驚きよりも怒りが上回ったようだ。カーッと顔を赤くし、自分よりも上役であるはずの相手を睨みつける。彼はその視線を厄介な仕事を終えた後の脱力した顔で受け止め、さも面倒くさそうに口を開いた。
「何か質問があるのか?」
第一声がこれである。説明も何もこれが山の選択であると言わんばかりに。
「………何故取引を受けたのですか? 以前に仰っていたではないですか、権威を振りかざしたいけ好かない小娘に舐められる心算など無いと。10倍のレートのままではこれを受けないって! それなのにどうしてですか?」
「状況が変わったのだ。受けざるを得なくなった」
文はぎくりとした。何故ならば自分こそが状況を変えようと東奔西走した張本人だから。
そしてその事は彼も知っている。彼も幹部会にも出席していたのだから。
「もしかして私の新聞のせいでしょうか………」
「違う。あの九代目阿礼乙女だ。あやつは最初の交渉の後すぐに河童と五千万の仕事の契約を取り付けている。それも五百万の仕事を普段の10倍の支払いをするという話だ。いや、話じゃあない。あの後すぐに持って来ていた金を渡して全額前払いでとうに済ませているというのだ」
「では受けざるを得なくなったっていうのは……?」
「すでに河童達が多額の取引を、それも通常の仕事に対する報酬の10倍を受け取っている。これがどういうことだか分かるか? 五百万の仕事という事はそのうちで資材を我々から買い付けに来るとしても3〜5割、二百万と言ったところだ。普段なら河童達が受けた仕事のうちでその程度は我々の方に入ってくるという事でもある。下の者が木を切り倒したり穴を掘って採った物を売ることによって天狗にも金が流れる仕組みだ。それは知っているな?」
ゴクリと喉を鳴らしながら小さく頷いた。
「はい、それに……五百万円のうちの二百万円と五千万円のうちの二百万円では全く違います」
「そうだ、我々が彼女の取引を蹴ればこの件に関して我々の得る分と河童達の得る分に大きな開きが出来る。その意味は分かるな? 今まで河童達が仕事を請けるという事はそれ自体我々にも仕事をもたらしていたのだ。河童達が利益のために働く事は我々にも利益を生んでいた。だが奴等だけが大きな利益を手にしていたらどうする? まあ奴等が趣味の機械いじりでもするのに材料を買ってくれるというならばいいがな、他の商人たちと外の物を売買したり里から酒なんかを買う分には当分困らない額を手にするということだ。河童達の側には当面の間新しい仕事を早急に引き受ける必要性が無くなり、結果的に我々の仕事は無くなる。山のバランスが崩れるのだ」
「ぐっ! ならば材料代というのを同じく10倍にして取れば良いではないですか!?」
「本気で言っているのか? 木材にせよ鉄鋼や銅にせよ我々身内の間では量あたりの相場は固定制だ。それなりの理由があって少しずつ上げるというのならばまだしも、そんな事をすれば河童達の怒りを買うという事も分からないのか? ましてやその場合我々は奴等が盟友と位置づけている人間を己の強欲で見限っている形になっているのだ。この上河童達に支払われた仕事料も掠め取ろうなどとすればやつらの我々に対する不信は決定的なものになる。周囲の相場を鑑みて例年の10倍額での取引を提案した人間達と、その人間を切り捨てた我々を比較させるとでも言うのか?」
「でっ、でしたら人里以外と取引をすればいいではないですか!? 外では5倍以上の額で取引されているのですよ。か、仮に一億円という額を稼ぎ出す必要が生じたとしても、人里以外との取引ならば売る分の食糧は何分の一にもなります! これもご自身で仰っていたではないですか」
文は必死になって食い下がった。天狗はこれ見よがしに溜息をつき、何度と無く見せた“そんな事もわからずに首を突っ込んだのか”という顔で文を見据える。
射命丸文は狼狽と怒りと、僅かな恐怖をごちゃ混ぜにしたような感情を表情の下に垣間見せている。
「それは無理だ」
「何故なのですか!?」
「おそらくその様な額の金は人里以外の何処の買い手にも無いからだ。お前は単純な算術で取引が計算できると考えているようだがそれは全く違う。数字の上では幾らでも勘定できても実際には存在しないものというのもある。お前の新聞で言うところの永遠亭と白玉楼が持つ資産以上の“買い”は金銭上存在しない。それとも約束手形での取引でも行うか? それこそ御笑い種だ。そもそも誰一人としてそんな高値では我々の食糧を買い取ろうとはしないし、我々が“売り”に出した瞬間にお前がつり上げたという相場価格は大暴落する」
「…………」
文は絶句し、相手の言う事をゆっくりと反芻する。しかしずっと報道畑で奔放に記事を書いていただけの彼女は、一千年という年月を生きていながら彼の言う事が全く理解できなかった。
この時初めて彼女は思い知ったのだ。自分が主導して操ろうとしていたものの正体を自分自身は全く分かっていなかったことを。
文が黙り込んでしまい話が進まなくなったので不承不承続ける。
「いいか、食糧が異常なまでに高値なのは供給する側が圧倒的に少なく需要が、つまり買う側が奪い合うように高値を出す事を前提としているからだ。お前もそこのところは理解していて記事を作ったのだろう?」
間抜けにも口を半開きにしたまま小さく頷く。
「我々が人里全体を救うる程の大量の食糧を放出するとなれば、いや仮にその数分の一の量であってもそれをすれば一時的に供給が人里を除く分の需要を満たす。あるいは上回る。そんな大口の取引を持ちかけられた商人は必ず冷静に現況を分析する。我々の意図が何処にあるか汲み取ろうとする。そうなれば我々が人里との取引を蹴った事も知れ渡るだろうし、天井知らずに上がり続けた相場が反転下降する事は誰の目にも明らかだ」
「あ、あう………」
「それだけではない。あの小娘はこうも言っていただろう? “何れと取引するにせよ同じ条件、例年の10倍額でしか交渉はしない”と。おそらくあやつは里に戻ればすぐにでも他の商人を集めるなり書簡を送るなりしてこの対応を各所に通達するだろうさ。そして我々にそう言い渡したように“買えないなら買えないでいい”という立場を表明すればそれでお終いだ。相場はその額まで暴落するのは間違いない。食糧を買い漁っていた連中にしても、損が出ても在庫分は全て売り抜けたいに決まっている」
「じゃ、じゃあ阿求さんは最初からそのつもりで………?」
「腹立たしいがそういうことだろう、前回も今回も終始冷静だったからな。それに河童と取引したのは前回の直後、今日にしてもこちらの揺さぶり、つまるところさっきの私の話は元よりブラフだった訳だが………ものともしなかったことから見ても明らかだな。我々に対して保障をするという言葉もむしろその逆、脅迫とも言えるものだ」
文は腰が砕けたようにペタンッと床に座り込んでしまう。
「そんな………私のやってきたことは全て無意味だったのですか? わ、私は山に利益が出ると信じて……」
「この物価の高騰は一時的なもの、少なくとも今年一杯で終わるものだ。いわば水の中で作られた泡の様なもの。お前は水をかき回して沢山の泡を、大きな泡を作り出した。だがどちらにせよ同じ事だ、泡は水面まで上昇したら弾けて消えてしまうのだから」
「………誰に対しても無意味であったのであれば、その方がお前にとってはよいのだがな………」
がっくりと肩を落としゆっくりと山道を歩いて帰って行く新聞記者の背中を見送りながら呟いた。
交渉の成立に里は沸いた。人々は御阿礼の子を讃え、同時に心の中で畏怖した。
翌日には里の男衆が山に後金の五千万円、それも皺くちゃな紙幣や硬貨ばかり残ったそれを運び入れる。交換に里中が今冬をもたせられるだけの食糧を受け取って揚々として帰路についた。
人里と天狗達が取引した情報が幻想郷中に伝わる。最大の買い手が需要を満足させてしまった事が知れ渡った段になり、食糧価格は一気に大暴落した。商人達は永遠亭や白玉楼などの買い手達を自ら尋ねて食糧を売り込んだ。それでも例年の十数倍の値で買い上げさせたところはさすがだろうが、直前まで数十倍の値段で取引していた者達には大損を出した者もいただろう。
以来大口の取引は何処でも無くなった。本格的な冬に入り必需品や嗜好品などの小口の取引、というよりは単に個人が行う買い物がある程度で………。
「…………それはどういうことでしょうか?」
悪魔の狗、紅魔館の完璧で瀟洒な従者十六夜咲夜は里に買い物に来ている。
「今言ったとおりなんだよ。大変申し訳ないんだが、今は里での取引にそういったお金は使えないんだ。だから売るわけにはいかない、許してくれ」
「食糧が取引できないのは知っています。お茶葉も同様に今年はやられてしまったのも知っています。ですが私が欲しいのはお皿ですよ。今年の天候不順には関係ないですし、こちらのお店には沢山並んでいるではないですか?」
「う〜ん、というより今は誰もお金を使わないんだよなぁ。だから俺がそのお金で皿をあんたに売ったとしても、里ン中じゃあ誰もお金での取引に応じてくれないからまるっきり損になっちまうんだよ」
「そんな………」
先日メイド妖精の1人が食事の片付けの途中にお皿を落として割ってしまった。当然叱責されるべきミスなのだが、そのメイドが“おなかが空いて目が回ってしまった”と言い訳したため咲夜はそれ以上追及できなかった。
そんなこんなでお皿を買いに来たのである。
「では何故お店は開いているのです? ここだけじゃありません、他のお店も今年の天候不順に関係の無い商売をなさっているお店は営業しているように見受けられましたよ?」
「ああ、だからウチもそうだけれどお金での売買はしないってだけであって、それ以外で価値が分かりやすいものを持ってきてくれたら物々交換って形で応じるよ。貴金属とか宝石類なんかだったら分かりやすくてありがたいんだが………、小っちゃいやつならまだしもでっかいの持ってこられた日にゃ店中の皿を持っていってもらうことになるな」
そう言って店主はガハハッと笑った。
(ご主人からは悪意は感じられない。そういえば里中のお金を集めて食糧にしたのでしたっけ。でしたら里の中にはお金は残っていませんし、これほど食糧の価格が高騰してしまった以上はその他の物にしてもどういう額で取引すべきか分からない、という事なのでしょう)
「あいにくと今持ち合わせているのはこれくらいなのですが」
そう言って咲夜は銀製のナイフを一本取り出してみせる。スカートの中、太股のナイフホルスターから抜き取ったのだが、僅かに時間を止めていたので見られてはいない。腿が見える事というよりもそんなところに凶器を仕込んでいるのを見られたくなかったのだろう。
「ほう…………こんなのいつも持ち歩いてるの?」
「え、ええ。まあ……」
このように言われてしまうので。
「このナイフは銀製です。実用性はあまり無いですけれどそれなりの価値にはなるのではないでしょうか?」
「そうか、まぁこんなご時勢だからそれっぽいってだけで交換用の物としては使えそうだな、最悪融かして加工する場所に持っていけばいいし」
(それはちょっと可哀想かも)
「ではこれとこれと、あっちのを5枚とそっちのとそれから.........」
「パチュリー様、里でのことについてお嬢様にご報告する事があります。パチュリー様にも同席して頂きたいのですが」
館に帰った咲夜は購入した食器を食器棚に入れてから図書館を訪ねた。
里では結果として用事は果たして帰ってくる事が出来たが、やはり異常な事態である。まして紅魔館は係わり合いが無いと言い切れない以上主への報告は必要だろうとの判断だった。
「……わかったわ、でも良かったら先にここでお話なさい。レミィに報告するのは従者としての貴女の責務だろうけれど、私の助言を求めるというのなら先にあらましは知っておきたいわ。必要ならばここで調べられて手間が省けるのですもの」
「はい、実を言うと里での買い物でお金が使えませんでした。彼らは物々交換で取引しているようなのでとりあえず私のナイフと交換にお皿を買ってきましたが」
「里でお金が使えない? ………例えば何倍もの金額を要求されたとかではなくて? 天狗の新聞には食糧価格が20倍になっているとか書かれていたそうだけれど、その穴埋めでぼったくられたとか」
「いえ、里の中ではお金を使った取引そのものが無くなっているそうです。価値の分かり易い物ならば皆喜んで応じてくれるそうですが………」
しばしパチュリーは思案する。そしておもむろに書棚の中を歩き回り、数冊の本を持って戻ってきた。机の上に広げ、一冊ずつ目当ての項を探していった。
「…………これね。…………ちょっとまずいかもしれないわ、何らかの対応を考えないといけなくなるかもしれない」
「その本は何の本なのでしょうか?」
「これは外の世界での歴史を記録している本と、経済について分析された本よ。もし、この外の世界で起きたことと同じ事が幻想郷で起きようとしているならば、今後の趨勢も同様のものになるかもしれない。今のあなたの報告も含めてかなり似たような状況になっているからその可能性は高いわ」
「一体何が起きているのです?」
動かない大図書館は静かに目を閉じ一呼吸を措いてからゆっくり噛み締めるように言葉を発した。
「あなたの言う状況に合致するのはスタグフレーションと呼ばれる事象。それもかなり悪い、ハイパーインフレーションというものが起きつつあるのかも知れない」
「……ハイパーインフレーション、それは何なのでしょうか?」
耳慣れない単語についつい聞きなおしてしまう。魔女の性格からすれば自分から説明してくれるのだろうが、この件に関しては咲夜も何故だか好奇心とでもいうものが心の奥底に芽生えているためだろう。
「先ずはじめにスタグフレーションというものを説明するわね。一言で表すと品不足を原因とする物価の高騰。必要な量よりも少ない物をめぐって買う側がお金を積み上げる、さらに売る側がそれを見越して買占めを行いそれを加速させる」
「まったく……、どこかで聞いた話ですね」
「でもそれだけだとまだ後者にはなり得ない。実際天狗の新聞にあったように20倍の値段がついていても、あるいはそれからさらに数倍するぐらいでもそうはならないの。なぜならそれは、それだけのお金を出せば“まだ”商売が成り立つということでもあるのだから」
「ではハイパーインフレーションとは……」
「この本によればハイパーインフレーションとは1年間で13000%以上の物価騰貴と書かれているけれど、これは実質的なものではなくてただの数値での線引きよ。実際は100倍どころじゃなくてウン万ウン億倍になる事もある。お金で商売が成り立たなくなる。物価の高騰が早すぎて誰もお金で取引しようとは思わない。それはそうよ、今日払ってもらったお金が数日後にはその半分の価値もなくなってしまうかもしれないのだから」
パチュリーは一冊の本を手にし、索引から目当ての単語を引き当てる。そこに指示されている項はその言葉が本中で最初に登場するかその単語の説明をしている事が多い。
「外の世界でおきたハイパーインフレーションの例も載っているわ。戦いに負けた国が勝った国に土地とそこにあった工場を奪われてしまって物を作れなくなった例。大衆の味方を気取っていた者が国の元首になり、人々を働かせて搾取していた者達を国から追い出す政策を取った。実際そいつらの多くは逃げ出して行ったけれど、実のところその国の農業や工業はほとんどそいつらが牛耳っていてそれを引き継げる者が国内にいなくなってしまった例。どちらも前述したように供給する物が圧倒的に不足してお金が信用されなくなり、ただの紙切れになってしまったの」
「そこで物々交換を?」
「ええ、自分が必要としている物あるいは他のところに持っていっても何らかの物と交換してもらえそうな物と取引するようになってしまう」
「………もしそうだとしたら大変な事です、お嬢様に知らせなければ」
「そうね、もしこれが進行しているとしたならレミィが半年後にお金を返してもらうときにはその価値が無くなっているのかもしれない」
「もしかすると人里は故意にこの状況を招いているのでは? お金の価値を下げて借金を相対的に希釈させているとか……」
ガタタッ ヒュバッ――――――
「「誰!?」」
物音と共に何者かが飛び立つ音がした。
「くっ!」
咲夜は咄嗟に時を止めて音のした方向に走る。誰かが侵入した跡があり、おそらくは書棚の陰で聞き耳を立てていたらしい。咲夜は進入路から外にでて少しばかり追跡したが逃がしてしまった。少しずつ時を止めていても追いつけないとなればかなり速い相手という事だ。
「申し訳ありません、取り逃がしました」
「ハァ……、どうせまた魔理沙でしょう。本を盗みに来て盗み聞き、とんだ大泥棒ね。あの子が聞いても別に問題のなさそうな話題な気もするけれど、商売っ気も無いし」
図書館に忍び込み、かなり速い。とくれば2人とも思い浮かべたのは普通の魔法使い兼サポートジョブでシーフ(サポシ)の魔理沙だった。
「ところで先程のあなたの予想だけれど、そんな事が出来るとは思えないしそんな知識も能力も彼らには無いと思うわ。あるいは来年になったらあっという間に収束しているかもしれない、食糧も含めていつも通りの値段でお金で取引されるようになっているかも」
「そういえばそれほどの異常事態が起きているとは里を歩いてみた限りでは思えませんでした。実際人里内は混乱しているようには見えなかったんです」
「だからハイパーインフレーションというのもただの可能性よ。私が気になったのは里の中でお金での取引が無くなったこと、そしてお金に換わるものでの物々交換が主流になったということ、これらは先の条件を満たしているわ。ただ今のところお金が紙くずになったというわけでは無いみたいだし、今後どうなるかは分からないというのが正直なところね。私自身本に書いてある知識でしか語れないし、向こうとこちらの違いというのもあるかもしれないわ」
「ありがとう御座います、私も大体のことは把握できました。これからお嬢様にもお伝えすることにしましょうか」
パチュリーはもう少し資料の整理と自分で考える時間が欲しいという事で数時間後のティータイムにレミリアをここに呼ぶ事にする。
侵入者は後僅かでもこの部屋に残っていたならば最後に交わした2人の言葉を耳に出来ただろう。
あるいはもっと普通にアポを取るなりしてこの話し合いに参加するとか色々やりようはあった。
咲夜が里で買い物をしている時とほぼ同時刻。
「うぇえ〜!? 里じゃあお金で買い物できないの??」
河城にとりは里から請けた仕事の見積もりと下準備に随行してきた。河童のお偉いさん達と里の人たちが話し合いをしている時暇だったのでお酒を仕入れて帰ろうと酒屋に寄っていたのだ。
「ったりめーだろ、こちとらただでさえ食うに困ってるってのに大事な飯を酒にしちまう野郎なんているわけねーだろうが。そりゃあどぶろくでもなけりゃ今年造り始めた酒を飲めんのは来年以降だしよ、逆に去年の酒は残っちゃいるけどよ…………。来年の分が無いのは分かりきってんだから少しでも取っとくに決まってんだろ! それに金は信用なんねぇ。どうしても欲しいってんならなんか価値あるモンと交換だな」
「そんなのもってきてないよぉ〜」
「じゃあとっととけぇんな、手前らみたいな人の弱みに付け込む妖怪共に飲ませてやる酒なんざウチにはねえんだよ!」
そう言って主人は怒りを露にする。ここが里の中であり相手も妖怪とはいえ少女の姿をしているので容赦なく憤りのはけ口にしてしまったのだろう。
彼らも天狗達から食糧を買うことにより里中が救われるのは知っている。しかしそれは里中の資産を支払った上でのものであった。本来はその10分の1の額でいい筈なのに。
彼のように天狗達に不当な取引をさせられたと受け止める者も多い。だからこの酒屋の主人のように天狗や鬼などの妖怪に酒を卸している者はこう考えた、じゃあ奴等が欲しがる酒も同じくらいの値段にしてやれと。いや、今現在は金すらも信用ならない。物々交換にして奴等に支払った金では売ってやらないとなれば困るだろうと。
「そんなぁ。せっかくこの仕事の報酬で色々買いたい物とか作りたい物とかをリストアップしてたのにぃ〜」
メモ帳を握り締めてがっくりと肩を落としてしまう。彼女の言によればそれは【買いたい物リスト】なのだろうか。
「ん? この仕事って………、お嬢ちゃんもしかして河童か?」
「ひゅい!? あ、あたし河童だよ。ダイジョーブダイジョーブ人間サン盟友ヨ。一度引き受けた仕事はちゃんとやるヨ、私達ボッタクリ違ウ。そりゃ何倍もの報酬もらえるのウレシイネ、でもニンゲンサン困らせるため要求したチガウヨ」
「いやぁ、そいつを早く言ってくんなきゃ困るよ! てっきり喰いモンの値段つり上げたりした腹黒妖怪かと思っちまったぜ。悪い! このとおり、謝るから許してくれよ河童さんよ」
さっきとはうって変わって膝に手を当てて深々としたお辞儀をする主人。
「ほえ?」
「河童さんだってんなら話は違う。いや〜悪いねぇ、せっかく稗田のお家から金払って来てもらってるって言うのにこんな扱いしちまってよ。でも今俺達が金で支払ってもらっても困るのは確かなんだ、来年の収穫が終わるくらいには落ち着くと思うんだが………。それまでは里ン中は物々交換に応じてやってくれよ」
「えっ、ああ。はい」
(そういえば今回は全額前払いで支払われてたんだっけ。でもちゃんと仕事して、その結果人間達が里で食べ物を沢山作れるようになったらちゃんと買い物が出来るようになる。なぁんだ、いつも通りのお仕事とおんなじだ。ちゃんといい物を作ってその成果が出たら報酬がもらえるみたいなもんだもの)
「ちゅーわけで、こいつは俺からのお礼だ! 皆で飲んでくれや」
そう言って主人は蔵の中から1升瓶6本入りのケースを1つ持ってにとりの前に置いた。
「ふぇっ、お礼って? お金ならもう貰っているよ」
「だから今はそれをこっちの都合で使えねぇだろ。でもあんたらには感謝してるしそれじゃあしのびねぇ、ウチも金取られて苦しいとこだがこれだけは用意する。ただで渡しとくから仲間さんで飲んでくれ。それと他ンところも俺みたいにあんたら河童には融通してくれると思うぜ、ま、最初だけな。次からは悪いけどなんか持って来てくれ、河童の細工物や意匠物なら里ン中でも金の代わりに廻せそうだしな」
「…………うん、ありがとう! 私達もお仕事頑張るね!」
「以上の事が私が知りえた情報です。一部ご承知の方も居られるでしょうがすでに里では金銭による取引を拒否しています。我々天狗が酒や何やらを買いに里に降りた時も物々交換を要求され、それが出来ない場合は帰れとまで言われています。奴らが食料の代金として支払った金を使わせないというのです」
射命丸文は並み居る天狗の幹部達の前で力説する。彼らは文を受け入れようとしていた派閥の者達で、この場所は彼らの集会場とも言える場所だ。
天狗の幹部会は大きく分けて2つの派閥に分かれているが、そのどちらも自分の信念や利益により結束し互いにより上を目指している。
「腹立たしい事ですが人間達の思惑通りになれば我々は大損害を受けます。一億円だろうがなんだろうが紙くずになってしまうというのですから」
「お前の言う七曜の魔女の持つ外の世界の書物が指す通りになったとして、どうするかの考えはあるのか?」
いや、互いに上を目指すという事は相手を自分達よりも下に突き落としてしまう方が“楽”なのだ。
「人間達に報復処置を考えるのはこの際後回しにした方がいいと思います。それは私達が山の全権を手中にしてから考えた方がずっとたやすいです。今回の取引で私達は如何程の金銭を食糧の対価として受け取ったのですか?」
「我々はおおよそ半数ずつに分かれて拮抗しておるからな。富も半数ずつの分配だ」
「ならばその富のバランスが崩れたら、我々の持つ富をそのままに彼らの富が消えて無くなったら…………その時は勢力図を一気に塗り替えられるのではないでしょうか?」
周囲の天狗達は互いに目配せをしあったり耳打ちをするなどして文の言葉を吟味する。
「向こうは人間達の意図にも気づいておらず、外界で起きた事象に関する知識もないと思います。今のうちに我々は金銭の代わりになる物、貴金属類などを買い占めておくんです。紙幣や貨幣がゴミ同然になったとき我々の持つ富こそが山を、幻想郷を席巻するんです。状況を理解していない勢力から安く買い集めれば価値も上がるし投資にもなります。そして人間に支払われた銭を後生大事に抱えていた者達は一様に破産する、というわけです」
「買い付ける当てはあるのか?」
「私はそちらのことは専門外ですので……」
「この計画には世俗とは切り離された勢力がよいな。今冬の混乱を詳しくは知らず、かつかなりの量の貴金属類を調達できる勢力だ。心当たりのある者は居ないか?」
この場にいる者皆ある程度予想がついた。条件を満たす勢力が1つだけいる。
「地底か………」
射命丸はどきりとした。地底、そこは忌み嫌われる妖怪達が追い落とされた場所。特にそこを毛嫌いしているのが山の妖怪、天狗と河童であった。
それは彼ら自身がその者達を地底に追いやったこともあるだろう。元より嫌悪感を感じていた相手や、自分達が山を支配するために追放した者達なのだ。
だから彼らが開放された今でも強く拒絶する。それは罪悪感があるから、自分達がした事への報復を恐れているから。何とも身勝手で救いの無い話であるが、互いに不干渉を続ける分にはなんら両者に損得が無いから今まではやってこれた。地底の者達が過去の事を水に流していなければ両勢力には戦争すら有り得た。
「射命丸、お前は行ったことがあるのだろう? 山の神がエネルギー開発で地下を開拓しようとした時に関わっているというのは聞き及んでいる。それに以前お前が発表した新聞に地下妖怪の特集もあった気がしたが」
「え、えっと……。はい、そうです。あ、私の記事を読んで頂けたとは光栄です」
「お前を加えるにあたって調べさせただけだ。前回の失点を取り返すためにもお前が行って来い。首尾良く成功すればここの者はお前を再び歓迎する、受けるか?」
文は前回の件、新聞報道によって相場のつり上げを行うが最終的に目論見が失敗したことにより、熱に浮かされていたような頭に冷水をかけられた様なショックを感じていた。失敗した自分は幹部会から見放されてしまうだろうと、輝かしい未来が閉ざされてしまうように感じていた。
一晩寝て、それでもいいと思えるようになった。また前みたいに新聞を書いていればいいじゃないかと、身の丈に合わない生き方をわざわざ選び取る事もないと。自分のためだけでなく皆のためになる新聞を作って幻想郷中に配る。そういう生き方だっていいだろう、まだ先は長いのだから。
すっきりとした頭で彼女が考え至った事は、とても悔しいという事だった。
人間である阿求にしてやられた事? いや違う。自分が何も知らなかったことだ。何も知らないものを自分の自由に出来るという自身の思い上がり。
「やらせてください、必ずやご期待に添って見せます。再度与えられたこのチャンスをものにし永遠の繁栄を天狗達の手に。いえ私達の手に致して見せましょう」
だから紅魔館の図書館を訪ねた。真摯で謙虚な気持ちになれている今こそ、自重を言い渡されている今こそ勉強をしようと。折角の長い寿命を持つ種族なのだ、正しい知識を持って信頼される新聞を作成するために。
以前魔理沙が進入した経路が修復されずに残っていたのだろう、図書館には穴が開いていてそこから中が覗けた。門番と問答するのも長い廊下を通ってゆくのも面倒だ、文は直接図書館内に入って司書か主に許可を取ろうとした。それだけだ。
でも聞こえてきてしまったのだ。丁度咲夜が入ってきて図書館の主と会話し出した。タイミングを逃してしまった。
仕方なかった。
自分が人間にしてやられたことが急に憎らしくなった。自分の現在の不遇は全て彼らのせいだと、天狗である自分が嘲笑われる事など許せはしないと。
だから彼らと、自らを革新を目的としていると言う派閥の者達と再度接触した。
そして彼らは自分の失敗を許してくれた。実質的には損害が無いからと不問に付してくれた。自分が上に戻れないと感じていた文にはそれだけでも救いとなった。
もう文に気の迷いは無い。安穏とした日々をただ過ごすなどという傾きかけた心は清く正しく修正された。
あとがき
産廃風の重い話にする事を約束していたというのに、3話目にして誰一人として血を流していないというこの体たらく。申し訳ありません。
話を楽しみに待っていると言ってくれるコメントはとても励みになります。ありがとうございます。
自分は幻想郷の事を妄想するときにいっつも考えてしまうんです。河童が機械を作っているというならその材料の鉄や銅はどっから産出しているんだろう?
妖怪が人間よりもずっとお酒に強くて沢山飲むのなら、どうやってそのお酒を作っているのだろう? 原料の穀物や果物はどうしてるんだろう?って
こまけぇこたぁいいんだよと言われればそれまでですが、今回はそれを突き詰めてものを書いてみようという目的も兼ねています。
次回で最終話にする予定なのでご期待頂きたいです。
マジックフレークス
作品情報
作品集:
16
投稿日時:
2010/05/22 13:39:37
更新日時:
2010/05/22 22:39:37
分類
阿求
文
咲夜
パチュリー
にとり
なんかジンバブエドル思い出した
むしろこういう知略戦話の場合はその流れを断ち切るような無駄な流血描写は無い方が個人的には好きです。
次で最終話、どんな着地点に辿り着くかwktkしながらお待ちしております。
最初は人里崩壊モノだと思っていたが、どんどん状況が変わっていくな。
天狗いじめになりそうな予感。
幻想郷は、食糧問題が生命を脅かさないような連中ばかりな上に閉鎖空間で、設定を考えるのが大変そうですねえ。
天狗社会が外の世界の後追いみたいなノリっておもしろいですよね。
謀略、戦術的な話は難度が高いからでしょうか、少ないので毎回とても楽しみにしております。
切った張ったの流血沙汰は勿論好きですが、なんと言いましょうか…
じわじわと圧殺されるように立場が悪くなったりする、精神的流血沙汰は輪をかけて好物です。
単純な暴力には或いは救済の目も在るかも知れませんが、多数決に裏付けられた敵意にはもはや打つ手が…
今の時点ですっげええ面白いし
それに何か危ない空気も漂いだしてるしね
ブン屋涙目フラグが立ちまくってるので楽しみに待ちます。
血を流すのは最後の手段ですな
知略面白いです
次最終回とか残念過ぎる
しかし最終話で一体どうなってしまうのかgkbr
期待です
果たして結末はどうなってしまうのか。
続きがとても気になります!