「開けてくれ!会わせてくれ!」
降りしきる雨の中。
私は紅魔館の入り口に立っていた。
傍らに立っているのは、恋人のアリス。
アリスもまた、雨に濡れながら立ち尽くしている。
「開けてくれ!」
強く、扉を叩く。以前までここで門番をしていた妖怪の姿はない。誰もいない紅魔館の扉は、見た目以上に硬く、重い気がする。
ぎぃ・・・
内側から、少し扉が開かれた。
その間から、冷たい瞳がこちらを覗いてくる。
「・・・当館に、何か御用ですか?」
「ここに、パチュリー・ノーレッジという女性がいるだろう!彼女は私たちの大事な人なんだ!会わせてくれ!」
「・・・それは出来かねます」
その者・・・後で分かったことだが、名前を魂魄妖夢というらしい・・は、静かな、しかし毅然とした声で、そういった。
「誰にも会わせないように、という主からの言いつけですので」
「・・・っ」
無理やり入ろうとする。
その手を妖夢はぎゅっと握り締めた。見た目は華奢なのに、そんな見た目からは想像も出来ないほど強い力だった。あまりの痛さに、私は思わずうめき声を漏らしてしまう。
「住居不法侵入ですよ?」
また、冷たい目。
その目を見ていると、分かる。あぁ、この者に、何を言っても無駄だ。自分の定めた仕事に忠実な瞳。意思のある瞳。他人から何を言われても揺るがないものを持っている瞳。
雨はずっと降っている。
私たちの身体だけでなく、心まで濡らしながら。
■ ■■■■
私がパチュリーの現状を知ったのは、社員旅行から帰ってきてしばらくしてのことだった。
いつもどおりの仕事をしていたときに、藍課長と橙係長の声が聞こえてきたのだ。
「いい旅行でしたね」
「美味しいものを食べることができたな」
「あの客のおかげですね」
「あぁ、久々にいい上客だった」
「今はどうしているのですか?」
「もう絞れるだけ絞りとったから、今は・・・」
西行寺金融に、売り飛ばした。
パチュリー・ノーレッジを。
それから数瞬の記憶が、私には無い。
気がついたら、私は職場の床に組み伏せられていた。
冷たい床を頬に感じながら、横を見てみると、橙係長が鼻から血を出して倒れているのが見えた。頬がはれている。目もふさがっている。誰がこんなひどいことをしたのだろう?
ずきん。
私の右手が痛い。まるで、何かを殴ったかのように。ずきん。ずきん。痺れる手を動かして見てみると、拳の皮がめくれて中の肉が見えた。あぁ。そうか。私がやったのか。
「・・・っ」
私を組み伏せているのは、藍課長だった。
力だけでいえば、私のほうが強いはずなのに、私は藍課長を振りほどくことは出来なかった。身体を動かすたびに、その動きに合わせて藍課長も動き、私はどうしても立ちあがることが出来ない。
店内はざわついていた。
無理もない。一介の営業が、係長を殴り飛ばし、その後、課長に食って掛かり・・・そのまま床に組み伏せられているのだから。
藍課長から押さえつけられる。
口が切れて、血が口内を満たしていく。血の味は、鉄の味がした。
そのまま、私はぼぅっとする頭の中で、少しずつ思い出していた。
(パチュリー・ノーレッジ)
(紅魔館)
(西行寺金融)
(破産)
(破滅)
「課長・・・」
「いいか、魔理沙」
課長が私の頭を押さえつける。痛い。痛い。痛い。
「本当に、気がつかなかったのか?」
(・・・ナニヲ?)
「お前の飲んだ酒。お前の食べた食事。お前の泊まったホテル。お前の大事な人と一緒に過ごせた時間。その金は、どこから沸いてきたのか、考えたこともなかったのか?」
(金)
「お前の仕事は何だ?慈善事業か?違うだろう?」
藍課長の言葉は、ゆっくりと、しかし確実に、私の耳に入ってくる。
「私たちは、金を稼がなければならない。生きていくために、金を稼がなくてはいけない。この部屋を見ろ?何人の営業がいる?よく考えろ?みんなに家族がいるんだ。その家族を養っていかなければならないんだ。お前の仕事はなんだ?」
「・・・」
「数字だ。数字をあげなければ、幸せにはなれない。私の仕事はなんだと思う?お前たちが頑張ってとってきた数字を、更に大きな数字に変えて、お前たちを幸せにすることだ」
私は答えない。私は答えることが出来ない。
「旅行は楽しかったか?肉は美味しかったか?酒は喉を潤してくれたか?それは無料じゃない。対価を払っているんだ。お前一人では金を稼げない。もちろん、私一人でも金を稼げない。会社は、全員の力を合わせないと稼げないんだ」
押し付ける力が強くなる。
「遊びじゃないんだ。明日、食っていかなければならないんだ。自分だけならいい。自分だけのことなら、何でも自由にすればいい。だが、自分ひとりだけで生きることは出来ない。私には責任がある」
「・・・」
「お前たちを幸せにする責任が」
(ケレド)
(今、私ハ、幸セデハアリマセン)
(知リ会イヲ不幸ニシテマデ、オ金ヲ稼ガナケレバナラナイノデスカ?)
「今日のことは不問にしてやる」
藍課長の言葉が聞こえてくる。薄れていく意識の中で、橙係長が何か叫んでいるのが聞こえてきた。それを藍課長が制しているのも聞こえてきた。意識が薄れていく。畜生。どうして私はこんなに無力なんだ?どうして?どうして?
そして、私は気を失った。
■ ■■■■
私は、実家にいた。
目の前に座っているのは、私の父親。
私は唾を飲み込んだ。空気が重い。限りなく、空気が重い。息をするのも辛い。息を吐くのも辛い。逃げたい。ここから逃げ出したい。けれど、逃げるわけにはいかない。
「もう一度言ってみろ」
父親の声が聞こえる。しばらくぶりに聞く声は、やはり以前と同じで、親の愛情というものをまったく感じ取ることが出来なかった。
この父親を見返してやりたい。そう思って働いてきた。
この父親のせいで、母さんは死んだんだ。父親が仕事ばかりで、母さんのことをほったらかしにしていたから、母さんは一人で死んだんだ。そう思って働いてきた。
父親のようにはなりたくなかった。
けれど、私は、父親のしてきたことをしてしまった。
父親は、母の放って仕事をしていた。
私は、パチュリーを放って仕事をしていた。
そこに何の違いがある?
「金を、貸してください」
私は、もう一度、言った。
沈黙が流れる。重い。空気が、重い。
パチュリーの今の借金は600万を超えているということだった。600万を返さないと、パチュリーを解放することは出来ないと、あの雨の日、紅魔館の新しい門番である魂魄妖夢はいった。
ならば、600万を用意すれば、パチュリーを助けることは出来るということだ。
あの日。
雨の中。
アリスはいった。
「私ね」
アリスの頬が濡れていたのは、雨に濡れていたからだろうか?
「怖かったの」
「魔理沙が、パチュリーを好きになるんじゃないかって、怖かったの」
「だから、魔理沙の前で、パチュリーの話をしなくなったの」
「私も、パチュリーと連絡をとらなくなったの」
「私が、魔理沙と付き合っているって、パチュリーに怖くて言えなかったの」
「言っていればよかった」
「私が幸せだった間、パチュリーが、こんなことになっているだなんて」
「私がパチュリーと話をしていたら、気づけたはずだもの」
「私のせいだ」
「私が、もっと、ちゃんとしていたら」
「親友の好きな人を、私も好きになっちゃって」
「私が魔理沙を好きにならなければ・・・」
アリスが泣いている。
違う。
泣かせてしまったのは、私のせいだ。私が、パチュリーに先物をすすめなかったら?私がアリスを紹介してもらわなければ?担当が外れたからといって、まったく連絡をとらなくならなければ?どうして連絡を取らなかった?とろうと思えば、とれたはずだ?どうして?パチュリーが私を好いてくれていたって、知っていただろう?その気持ちに応えられないのが分かっていたから・・・怖かったから・・・逃げたんじゃないのか?私は?
「パチュリーを助けよう」
私は、つぶやいた。
アリスも、うなずいた。
600万。
なんとかして、集めよう。
・ ・・
「金を、貸してください」
私は再び、口を開いた。
父親に頭をさげるなんて、絶対に嫌だ。嫌で嫌で、仕方ない。けれど。
600万なんて大金、私は持っていない。私とアリス、二人合わせても、200万ほどのお金しかなかった。
二人でずっと考えた。このお金で、商品先物取引をしようか?とも考えた。先物取引なら、相場がうまく回れば、200万から600万に増やすことも不可能ではない。私は会社の人間だから自分で自分の取引をすることは出来ないのだけれど「なら、私の名義をつかって」とアリスが提案してくれた。
本当にそうしようかとも考えた。二人で責任を持って頑張ろうかとも考えた。しかし。
それには時間がかかる。もしかすると、一ヶ月以上かかるかもしれない。そうすれば、その間、パチュリーはずっと不幸なままだ。
アリスには頼れる身内がいなかった。
父親を見返したくて働きはじめたのだけれど。
金を借りにいくなんて、そんな自分の過去を否定するようなものだけれど。
それが、どうした?
「金を、貸してください。金が、いるんです!」
私は、顔をあげて、父親の姿を見た。
記憶にある父親は、いつも怒っていた。
しかめっ面で、いつも私を見下していた。
父親から愛情を感じたことは無かった。そんな父親が嫌いだった。
「・・・いくらいるんだ?」
久しぶりに見た父親の瞳は、澄んでいた。
「・・・」
「だから、いくらいるんだ?」
「・・・理由は聞かないの?」
「魔理沙」
父親は、笑った。
「私は、お前の、父親だぞ?子供を助けない父親がどこにいる?」
私の記憶の中の父親は、いつも威張っていて、大きくて、すぐに家の中で怒鳴り散らして。
それが、今、私の前で座っている父親は、なんか。
(こんなに小さかったっけ?)
よく考えれば、父親と面と向かって話をしたのは、本当にどれくらいぶりなのだろう。
私は、いつも、自分の頭だけで考えて。
「400万」
「分かった」
父親はそういうと、席を立った。
しばらくして、戻ってくる。
紫色の風呂敷を手にしていた。私の目の前で、畳の上に、その風呂敷を広げる。中には400万はいっていた。
「貸してやる。利子もいらん。期限もいい」
父親はそういった。
「ありが・・・」
私が有難うといおうとした時、父親が手を伸ばした。私を見つめてくる。
「ただし、条件がある」
「何でも言ってくれ」
どんなことを言われようと、私は覚悟を決めていた。何でもする。なんだってする。
そんな私を見て、父親は、笑った。
「時々でいいから、顔を出せ」
「・・・」
「一人で飲む酒は、うまくない」
「・・・」
「お前は知らないかもしれないが、母さんと一緒に、よく晩酌をしていたんだぞ?」
「・・・母さんと?」
「あれはいい女だった」
遠くを見つめる。
「似てきたな」
私を見返す。
「・・・また来るよ」
私は風呂敷を受け取り、立ち上がった。
部屋を出るときに、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、振り返っていった。
「・・・父さん」
■ ■■■■
「このお金は受け取れません」
紅魔館。
白髪の鋭い目をした門番はそういった。
「何故だ!?600万、耳をそろえてもってきたのに!」
私は激高して、そう叫んだ。
この期に及んで、まだ、邪魔をしようとするのか?不法侵入だろうがなんだろうが、通報されようがなんだろうが、もうかまわない。
私は妖夢を無視して館内に入ろうと身を乗り出した。
「もう、いません」
そんな私を止めたのは、妖夢の力ではなく、言葉だった。
「・・・なに?」
「もう一度言います。あなたが会いたがっている、パチュリー・ノーレッジは、もうこの館にはいません」
「・・・どういうことだ?」
「これ以上詳しいことは申し上げられません」
それだけ言うと、妖夢は扉を閉めようとする。私は手を伸ばしてそれをとめた。
「そんな言葉だけで納得できるか!?」
「では、どうすれば納得していただけるのでしょう?」
「それは・・・」
納得できない。
納得できないのだけれど、どうすればいいのかも分からない。
この門番が嘘をついているのかも・・・という疑念は、実は私には無い。
妖夢というこの門番が、嘘をつけない性格であるということを、私は直感で感じ取っていた。理由も何もない。けれど、分かるのだ。
瞳を見ただけで、その意思が伝わってくる。本当に、いないのだ。
ここに、パチュリーは、いないのだ。
「・・・パチュリーは」
悔しくて涙が出てくる。
私は、遅かったのか?
私は、馬鹿だ。どうしようもない、大馬鹿だ。
「では、どこにいるんだ?」
「それも申し上げることは出来ません」
その言葉を最後に、扉は閉められた。
そして、二度と開くことはなかった。
遅かった。
遅かった。
遅かった。
遅かった。
どれだけ魔理沙が後悔しても、もうどうしようもない。
魔理沙はずっと、その場にたたずんでいた。
風だけが吹いていた。
■ ■■■■
日常が戻った。
戻ってくるはずのないと思っていた日常が、戻った。
私はまだ、会社で働いている。いつも通りに朝早く出社して、夜遅くに帰っている。
橙係長が私をにらみつける瞳は鋭いけれど、そんなこと、なんてことはない。
(私が、この会社を変えてやる)
私の中での目的は変わっていた。
私は、幸せになりたい。私一人だけでなく、みんなを幸せにしたい。
今でも、社内でプッシュの声が響いてくる。
この声の先で、またパチュリーのような、不幸になる客が増えてくるのかもしれない。
(それを、変えてやる)
今の私の力は小さい。
今の私では、何も出来ない。
けれど。
「今」出来ないからといって、「これから」出来ないわけではない。
私という先物は、まだまだ伸びるはずだ。自分が伸ばそうと思えば、伸びるはずだ。
自分の限界を決めるのは、自分だ。自分で決めた限界以上には、人は成長することは出来ない・・・ならば。
(私自身を、変えてやる)
私はそう思い、思うだけでなく、行動する。
私は電話を手に取った。
家に帰れば、アリスが待っている。
アリスを幸せにするためにも・・・まだ見ぬ未来の客を幸せにするためにも。
私は、頑張る。
■ ■■■■
株式会社ボーダー商事。
社長室。
魔理沙が決意を持って電話をしていたまさにその時、社長室では社長である八雲紫が、一枚の報告書を持って絶句していた。
まさか。
こんなこと。
信じられない。
「嘘でしょう?」
そういう。
立派な机。立派な椅子。立派な装飾品。
壁にかけられた絵は有名な画家の描いたもので、この絵一枚だけでも売れば数千万の金になる。床もふかふかの絨毯がひいてあり、全て手織りでつくられたこの絨毯ひとつとってみても一財産になる値打ちものだ。
人生の成功者。
そういわれ、自分でもそう信じてきていた紫であったが、今、自分が築き上げてきたものが堅固なものではなく、単なる砂上の楼閣であったのだと気づかされていた。
「嘘ではありません」
紫の前には、二人の女性が立っていた。
そのうちの一人の女性が、言った。
「今まで色々と、あくどいことをしていたみたいですね」
そういうと、その女性は手元にもっていた資料をめくる。
「たとえば・・・この資料・・・名前をいつわって色々な学校の名簿を不当に騙し取っていたようですね・・・リグル・ナイトバグさんという方から訴訟をあげられるかもしれませんよ?自分の名前を勝手に使われた。これは個人情報にひっかかるのではないか?と言われていましたわ」
紫は応えない。黙ったまま、目の前の女をにらみつけている。
「両建て・・・向かい玉・・・あらあら、これって禁止されている取引方法ではありませんか?」
資料をめくる。
「プッシュ営業ですか・・・録音されたらどうするんですか?情報の共有化の難しかった昔ならいざ知らず、今のような情報化社会においてはリスクの高すぎる営業方法ではないですかね?」
資料を閉じる。
「まぁ、いいでしょう」
その女性は笑った。
「私が社長となったあかつきには・・・もっと・・・うまくやりますから」
「くっ・・・」
紫は、目の前の女性をにらみつける。憎しみを持ってにらみつける。しかしその女性は、紫のそんな視線など気にも留めていないようだった。
紫は、その女性の隣に立っていた和服姿の女性に目をやった。
薄青い和服姿のその女性は、手にしていた扇を口元にもってくると、意地が悪そうに笑っている。
「・・・まさか、貴女に裏切られるとは思わなかったわ」
「あらー。裏切るなんてとんでもない」
和服姿の女性は、口元をにたりとゆがめると、見下すような表情で応える。
「最初から、仲間だなんて思っていなかったのだから。それは貴女だってそうでしょう?紫?」
「・・・幽々子」
その女性、西行寺幽々子は、嬉しそうに笑った。
「貴女の株が、全体の40パーセント。私の株が、20パーセント。そうねぇ。私さえ裏切らなかったら、会社を乗っ取られるなんてこと無かったわよねぇ」
「・・・貴女にはずいぶん美味しい思いをさせてあげたはずなんだけど?」
「紫、知っているでしょう?」
幽々子はにやりと微笑んだ。
「私、大食漢なのよ?あれっぽっちじゃ全然足りないわ」
「・・・そそのかしたのは、貴女ね?」
紫は幽々子から目を外すと、目の前に立っている女性に向かって話しかけた。
悔しいが、どうしようもない。
油断していたとしか言いようが無い。
まさか、こちら側に気づかれずに35パーセントもの株をひそかに買占め・・・幽々子を味方につけて20パーセントの株を手にして、合わせて55パーセント・・・会社を乗っ取るのに必要な過半数を超える株を手に入れるものが出てくるとは、夢にも思っていなかった。
「名前は?」
紫は、それだけつぶやいた。
その女性は、応えた。
「私の名前・・・貴女の会社の顧客名簿にも載っているとは思うのだけど・・・」
妖艶な笑み。
魔女の笑み。
「パチュリー・ノーレッジ・・・株式会社ボーダー商事の、新しいオーナーの名前よ、覚えておきなさい」
■ ■■■■
時はさかのぼる。
紅魔館の地下室の中、薄暗く、苔のむすそのじめじめした部屋の中で、パチュリーはうつろな瞳でたたずんでいた。
その手に、薄紅色の、ぶよぶよした肉の塊を持っている。
紅い血が指と指の隙間からこぼれてきている。
血の匂いが部屋中に充満している。
「・・・ごめんね・・・」
パチュリーはその肉の塊を見つめると、そうつぶやいた。
「私の・・・赤ちゃん・・・」
手のひらに置かれたその肉の塊は、胎児だった。
劣悪な環境の中、生まれることの許されなかったその命は、パチュリーの手の中で単なる肉の塊として存在していた。
父親も分からない。
いつ宿したのかも分からない。
性別も分からない。
どんな未来を手に入れることが出来たのかも分からない。
ただ、一つだけ分かることがあるとすれば。
この胎児は、自分の身体の中に、確かに存在していたという事実だけだった。
生まれることの許されなかった存在。
なんの意味があるのだろう?
(意味を)
パチュリーは、目を閉じた。
(私が、与えてあげる)
手を閉じる。
手のひらの中に、胎児を包み込む。
暖かい。
生きていないのに、暖かい。
自分の、生み出すはずだった、命。
(お母さんが)
パチュリーは呪文の詠唱を始める。
ささやき・・・いのり・・・
(あなたの生まれた、意味を与えてあげる)
えいしょう・・・そして・・・ねんじる・・・
光の差し込まない地下室に、光が漏れた。
その光は、パチュリーの手のひらの中からこぼれていた。
柔らかな、暖かい、光。
命の、光。
パチュリーを照らすその光が収まった時。
賢者の石は、精製された。
■ ■■■■
「交渉をしましょう」
汚物と瘴気にまみれた地下室の中で、一糸まとわぬ姿で壁に背も垂れたまま、しかしかつてなかった威厳を持ったたたずまいで、パチュリーは幽々子に対してそういった。
「私がこのまま死ねば」
手には賢者の石を持っている。汚物まみれのこの部屋の中においても、その石は奇跡的な美しさと妖艶さを発している。
「それで、終わり。別にあなたにとってはそれも想定の範囲内かもしれないけれど」
パチュリーは笑った。
その笑顔は、今までの何も知らない無垢な少女の笑いではなかった。世の中の全てを知り終えた、魔女の笑いだった。
「けれど、私は役に立つわよ」
賢者の石をかざす。
全ての英知のそろった石。人類がいつか夢見た石。
「私はあなたに興味はない」
パチュリーは言う。
つい先日まで、自らの主人でもあり、自らを縛り付けていた存在でもあった幽々子に向かって言う。
「私の負債・・・今は600万ほどかしら?そんなもの、今、私がここで自殺してしまえば、私にとっては関係のないものになる」
笑う。
「けれど、貴女にとってみれば、手に入るはずだった600万が入らないことになる・・・それだけで、私が死なないということだけで、貴女にとっては利益があるでしょう?」
パチュリーは賢者の石を撫でた。
「ならば、私を利用しなさい」
地下室の空気はひどい。汚物の匂いで鼻が曲がってしまいそうだ。
「私には、600万以上の価値がある」
賢者の石を手に入れたものには、世の中の英知が集まる。知識は、力だ。知識を利用するものは、単純な力では及びもつかない力を手に入れることが出来る。
パチュリーは、全てを知っていた。
世の中の理を理解していた。
「これは取引よ」
しかも、幽々子にとって分の悪い取引ではない。
「貴女の望みは、こんな小さな金融会社の社長に納まっていることではないでしょう?仲間、という美辞麗句の下で、あごで使われる存在で終わることではないでしょう?」
パチュリーは笑った。
「私なら、変えることが出来る」
パチュリーは立ち上がった。
「私の意見を用いなさい。私を利用しなさい。もちろん、私も貴女を利用させていただくわ。けれど・・・」
光が漏れる。
「貴女のみたこともない景色を、私は見せてあげることが出来るわ」
交渉は、成立した。
■ ■■■■
「あなたの負けよ、紫」
幽々子の言葉を聞いて、紫はがっくりとうなだれた。
「私は貴女を裏切るつもりはなかったのだけど・・・それは貴女を裏切っても私に何の利益もなかったからなのだけど」
社長室に、声が響く。
「もっと大きな利益をもたらしてくれる存在が現れれば、別に貴女の下についている理由はないわね」
「・・・幽々子」
「なに?」
「確かに、私の負けよ」
「そうよ」
「けどね」
紫は、悠然と立っているパチュリーをにらみつけると、言った。
「この魔女をいつまで信じられるの?いつか貴女も裏切られるわよ」
「そんなこと」
からからからと、幽々子は笑った。
「あたりまえじゃない」
「・・・」
「けどね、紫」
目を閉じる。
「そんなこと、どうだっていいの。この人に裏切られるなら、それはそれで、仕方のないことなのよ」
紫は見ていないから。
幽々子は思った。
最初は、利用するつもりだった。
ある程度まで利用したら、賢者の石を奪い取り、あとは捨てるつもりだった。いくら魔女といっても、肉体的には普通の人間と変わらない。妖夢に命じさえすれば、すぐに切り捨てることも可能だろう。
けれど。
パチュリーの行動を見ているうちに、そんな気持ちは雲散霧消してしまった。
(かなわない)
心の底から、そう思った。
こんな思いなど、生きているときも、死んだあとも、経験したことがない。
全てを知った上の行動。
揺るがない意思。
英知。
またたくうちに西行寺金融の業績をあげ、紫に気づかれないうちに株を買占め、さらにはその次の策、またその次の策と手を打っていくパチュリーの姿を見ていくうちに、幽々子はもはや感嘆することさえ忘れていた。
存在が、存在の次元からして違うのだ。
(勝つ、負ける、裏切る、裏切らないの問題ではない)
幽々子は思った。
(そもそも、立っている位置からして違うのだから)
敗北を認める。
こりかたまったその心を認めることは、意外と、気持ちのいいものであった。
こうして、株式会社ボーダー商事の乗っ取りは終了した。
■ ■■■■
夜。
満月が夜の街を照らしている。
太陽の光とは違うその光は、青白くぼぅっとした淡い光になっている。
パチュリーは、とある館の前に立っていた。
不思議なことに、その館の窓は全て板で閉じられていた。外からではなく、中から。まるで、太陽の光が入ってくることを拒むかのように。
門の前に行く。
立派な門だ。
鉄製の巨大な扉が、来るものを拒んでいた。
しかし、本当に拒んでいるのは、その門の前にたたずんでいる一人の妖怪だった。
新緑の色の服に身を包んだその妖怪に向かって、パチュリーは一言つぶやいた。
その妖怪・・・紅美鈴はにこやかに笑うと、手も触れず扉が開いた。
「有難う」
それだけいって、パチュリーは館の中に入る。
後ろで、扉が閉まった。
パチュリーは月の光を背に浴びて歩いていく。
館の前に行く。
パチュリーがその前に行くと、ぎぃ・・・という音を立てて、館の扉が開く。
中には、無数の妖精メイドたちがせわしく動き回っていた。
その妖精たちをかきのけ、パチュリーは歩いていく。
見た目よりも、中はずっと広い。
まるで、空間が捻じ曲げられているかのように。
よく見てみると、妖精メイドたちは忙しそうに動き回っているだけで、なんら生産的な仕事をしていない。むしろ、やらなければならない仕事が増えているだけのように感じる。
それでいいのだろう。
この館の主は、こういう無駄なことが好みなのだから。
歩く。
絨毯は紅い。
その感触をかみ締めながら、歩く。
主の部屋の前に行く。
扉が開く。
瀟洒なメイド長が、そこに立っていた。
一礼をする。
「おかえりなさいませ、パチュリー様」
「有難う、咲夜」
一声かけて、パチュリーは歩いていく。
大きな椅子に、小さな子供が腰掛けていた。
永遠に小さき、夜の王。
大事な大事な、自分の親友。
「ほら、咲夜。私の言ったとおりでしょう?」
紅魔館の主、レミリア・スカーレットは嬉しそうにそういった。
「さすがです、お嬢様」
メイド長の咲夜はそういうと、再び礼をする。
その姿は、嬉しそうだった。
パチュリーは歩く。
レミリアの前につく。
パチュリーは、言った。
「ただいま、レミィ」
レミリアが応えた。
「おかえり!パチェ」
そして、二人は笑いあう。
それは、最高の、笑顔だった。
おわり
貴方は小説もかけたのか?
すげぇ
そして挿絵がどっかで見たことあるかと思ったらwww
そして後書きでフイタ
うらんふさんだったのか!
スゲー
犠牲にしたものも色々多そうだが。
とりあえず幽々子爆発しろ
無理やりパッピーエンドの悪寒。
前半クズ人間のパチュリーがなんで急に別人のようになって
犯されて堕胎した赤子を賢者の石にして取引に使おうと思うのか。
特に好転するようなエピソードもないんで
パチュリーは元から二重人格としか思えませんでした。
人はそんなに簡単には変わらないし
パチュリーは気が狂って自殺が自然でしょう
とラストのオチに感じたことを書きましたが
先物会社のリアリティさや追い詰められていく人間の心理とか
よく書けていて楽しく読ませてもらいました。
力作ありがとうございます。
途中の胸の詰まるような展開…
文も絵もかけるとかあなたは神か
気づかなかった……産廃に期待の新人が来たとばかり……
それにしても、最近の中では断トツに面白い作品だった。久々に続きが気になる作品に出会った。尻窄みすることもなく、最初から最後まで面白かった。いい作品をありがとう
外伝やその後が読みたいと思わせる物足りなさこそがこの作品を引き締めていると思います。
しかし作者がうらんふ氏だったとは……。
上と同じく期待の新人だと疑いませんでしたよw
名前を変えた事には意味があるの?
何故ばらした
まさか本人だったとは…
作品とっても面白かったですよー
作者が好きなキャラをSSのメインに添えてはいけない好例に思えてしまいます
びっくりだった
今まで面白かっただけに最後の最後で裏切られた感じだ。もちろん悪い意味で。
ただ、パチェ復活が不自然に感じてしまうのは仕方がない。
でも、おもしろかった。
スカトロ万歳!
うらんふさんいいぞもっとやれ
魔理沙とアリスが自己の所業を自覚したのも良かった。
きっと裏でレミィが運命操ったんだよ…
あまりにも現実的過ぎるじゃないか。幻想郷のお話なんだから、この位でいい。
最後まで非常に面白かったです
うらんふさんは何でもできますね。もうすごいとしか……
あと最初の頃のパチュリーが可愛くてたまらん。
復活したパチュリーと魔理沙、アリスの三人がこれからどうなるか色々想像出来るのも良い。
レミリアもパチュリーも、無くしたものをそのまま取り戻したわけじゃない
直接的な表現はないが、誰かから色々奪いとって、無くしたものの代わりにしたわけだから・・・
確かに、形は違えどやってることの根本は先物会社と同じなんだよなぁ
なんか一番正しいのは藍課長のような気がしてきた……
「ウチらも商売っすから。被害者?はん、納得ずくの取引っすよ!」
とか言われたら、もうね……
再起したパチェが復讐するのはカタルシスを感じたし話自体は面白かったけど
なんか微妙な気分
それの88巻辺り
全体的に楽しく読むことが出来ました。
次も期待していますb
そしてうらんふさんはなぜここでバラした、あとジャンルの限界はないのか
グレーゾーンに意識的でなおかつベクトルが悪の方向に向いているとか最悪の状況でしょ
こういうところにある「違法」を捌いてこその幸福だと思いながら読ませてもらった