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『リストカッター慧音』 作者: 狂い
夕日が厚く張られた雨雲をわずかに透過しての博麗神社の向こうに落ちていく。灰色がかった空の色は夜に染められその色を濃くする。神社の石畳に湿り気を与える程度だった雨粒は密度を増し、しだいに境内に雨だまりをつくっていった。
「慧音がおかしくなり始めたのは……ごく最近なんだ」
神社の巫女、博麗霊夢の前で正座している藤原妹紅はうつむいたまま
「いや……私がそれに気が付く前から……慧音はもう病んでいたのかもしれない」
ぼそぼそと聞き取りにくい声量で喋り始めた。しきりに右手を動かして包帯の巻かれた左の手首をがさがさと掻いているのに目を奪われていると
「聞いているの、霊夢?」
気力ない声が霊夢の意識を戻す。妹紅は首をかしげ機嫌悪そうな表情で口を半開きにしていた。露出の少ない服装からちらりと見える妹紅の肌は白蝋のようで、目の周辺には青黒いクマが縁取られている。まるで半死人のような妹紅の様子に霊夢は息をのんだ。
ええ聞いているわ、と霊夢は頷くと妹紅は
「……慧音のな……顔が……心なしか疲れてるような……そ、そんな感じがあって……」
乾いた唇からぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。
「最初は歴史の編纂か何かがうまくいってないのかな……そう思ってたの」
「夕刻だったような気がする。寺子屋の授業終わったくらいに慧音の家に遊びに行ったの」
周りの民家の明りは点いてて美味しそうな夕餉のにおいが漂っていた。でも慧音の家だけ真っ暗だった。備え付けの登り窯から煙が出てたから、帰ってきてはいるんだろうなと思って
「慧音いるの?」
呼びかけたけど返事はなかった。慧音の靴は脱ぎ捨ててあったから
「慧音…?」
薄暗かった室内を探してみたら、いた。食卓の暗がりに溶け込むように座ってた。
「……っ! びっくりした……」
あまりにも存在感がなかったから私はすこし息が止まった。
「……慧音?」
呼びかけても虚空を見てるだけ。何度か名前を呼ぶと
「ん……ああ、妹紅か。おかえり……」
「どうしたの? 明りも点けずに」
「……」
慧音は黙って立ち上がり、火の点いていた釜に向かって行った。まな板に置かれた包丁を取って野菜やら茸を切り始めた。私は視界に入っていない様子で、しゃきしゃき、とんとんと野菜とまな板を叩く。感情の無い機械人形が作業してるみたいに等間隔に濡れた音が響いた。
「……ねえ、慧音。何か……あったの?」
私は慧音の隣、台所を背にして問い掛けた。
「すぐに……準備するから。妹紅」
外はもう陽がほとんど落ちて、一層暗闇が濃くなっていた。
「明り点けてくる。見えなくて危ないよ……?」
慧音の手元を見て違和感に気が付いた。私は慧音とまな板を交互に見やる。慧音は包丁を見てなかった。ぶつぶつ何かを呟きながらぼーっと顔を真っ直ぐ上げ包丁動かしていた。えっ、と思った時には
「け、慧音! 血が出てる!」
まな板の野菜は慧音の出血で濡れていた。暗闇だったから気が付かなかった。たらたら流れる指先の血をじっと見た後、慧音はまた包丁を握り直した。
「ばか! ちょ……こっち来て!」
慧音の腕を引っ掴んで作業を止めさせる。応急処置をするため薬箱を引っ掻きまわした。切れ目を入れた柘榴のような真っ赤な血肉が切り口から痛々しく見えていた。包帯を巻き付けている間、慧音は
「……」
何もしゃべらず、虚ろな目で生傷を見詰めていた。
「とりあえず、これで血止めに……慧音」
慧音の左手を抑えながら処置をしていた私はざらりと濡れた布の心地悪い感触を覚えた。くるっと慧音の手首を返す。
「……これ……どうしたの?」
慧音の左の手首に既に血が滲んだ包帯が巻かれていたからだ。
「授業中に……切ったんだ。図工で彫刻刀使ってて、授業中に切ったんだ」
蚊の泣くようなか細い声が返ってきた。茶黒い血が浮いた包帯の様子からきちんと止血出来てない様子がうかがえた。新しい包帯に替えようとそれを解く。私は息をのんだ。生乾きで細長い傷跡が平行に2本も伸びていた。数ミリほどの深さですぱっとナイフのような鋭い刃物で薙いだような感じだった。
「ねえ……」
「……」
私は傷跡に釘付けになった。
「本当に……彫刻刀で切ったの……?」
「……」
慧音は黙って頷いた。
──信じられない。彫刻刀の傷なら抉られたような小さく短い傷になるのでは? それにどうして2本も同じような傷が……?
「妹紅……」
慧音に呼ばれ、はっと我に返る。私は慧音の手首にきつく包帯を巻き始めた。頭に浮かんだ疑念を振り解きたかった。
その翌日、また夕暮れになってから慧音のいる寺子屋に足を運んだ。心配になっていたんだと思う。昇降口に近づくと一人の子供の声が聞こえてきたから、慧音も一緒に教室にいるのかなと思った。
「……う……!! 先生! やめ……や!……痛!!」
歩いていると子供の金切り声が聞こえてきた。私ははっとして誰もいない廊下を駆け出し急いで教室のドアを開けた。
「慧音……? ど、どうしたの…」
慧音の目の前に子供が倒れていた。手首を押さえながら。子供を介抱して私はぎょっとした。押さえている手首からどくどくと血が流れ出していたからだ。のたうちまわりシャツに赤い斑点が付いたが気にもならなかった。むしろ
「あ、ああ……うああ」
膝を落とし体を震わせながらうめく慧音に目をやる。体中が総毛立った。
「おい……慧音……何持ってる……それは」
真っ青な顔色をした慧音が小刀をぎゅっと握りしめていた。鈍く陽を反射している刃には血が付き、慧音の震えに合わせてかくかくと切っ先が震えていた。
「お、終わりだ……わた、私は……教え子をころ」
肩をたらんと下げ脱力しきっている慧音に
「保健室は?! 慧音!!」
私は大声を上げた。泣き喚く子供を抱き上げる。慧音をなんとかして立たせ私たちは保健室に急いだ。
子供の手首に包帯を荒く巻く。子供は憔悴し切っていて先ほどの様子が嘘のように黙りこくっていた。信頼している担任の先生に鋭い刃物で切り付けられたのだ。無理もないと思った。
「大丈夫、絶対治るから」
と子供を安心させようと努めたが、私の両手は強張りかくかく震えていた。慧音が、あの慧音が、あろうことか人間を傷付けるなんて本当に信じられなくてショックだった。人間を守るために大怪我を負ったこともある慧音が
「もう……もこ……っか……だ、だめだ……辛抱……できな……死、死んで……詫び」
歯を割れんばかりに噛みしめ、目を剥いて頭を抱えている。
「慧音……一体何が?」
「わ、私は終わりだ……も、もう人里で生き、生きてはいけない」
「本当に……慧音がやったの……?」
「き、気が付いたら刃物、持って……倒れ……私は、教え子を手に……ご両親に……なんて言えば……きっと殺されてし、死ぬ……」
そこまで聞いて私は目を固く瞑り天を仰いだ。嘘だと、夢魔に陥れられ悪い夢を見ていると自分を思い込ませたかった。
私は慧音に詰め寄り
「慧音、落ち着いて……慧音!!」
両肩を掴み慧音と目線を合わせる。慧音からは大粒の涙がこぼれているのが見えて、胸が張り裂けそうになった。
「深呼吸して慧音……私の言う事を聞いて」
「……妹紅」
何が慧音を凶行に突き動かしたとかどうでも良かった。ぶっちゃけ子供の傷のこともその時は気にならなかった。ただ目の前にいる、取り乱して泣きじゃくっている慧音が本当に不憫で可哀そうだった。だから私は決心を決めた。この窮地から抜け出せるのであれば、慧音の人生に降りかかる厄災を一身に引き受けても構わない。そんな気持ちで私は考えを打ち明かす。
「あの子の歴史を食べるのよ」
虚ろだった慧音の目が突然見開いた。
「え……あ、そ、そんな! 歴史の改ざんを……できるわけが……」
「慧音……もう……そんなこと」
「だ、駄目だ……い、偽りの歴史を興すなんて……許され……」
慧音の唇ががくがくと震え出す。
「でも、やらなきゃ! 慧音は生きていけなくなるっ!!」
私は大声を出して慧音を説得した。慧音の肩に爪が食い込むくらい力を入れて……必死だった。気が付いたら私も泣いていた。慧音を救い出そうと一心不乱だった。慧音から放たれる否定の言葉は髪を振り乱しながら全て拒絶した。
「お願い……うう……慧音……うっく……私の言う通りに……」
私は慧音の胸にすがり付いて離さなかった。離したら慧音を掠め取られてしまう気がしてならなかったからだ。
慧音の家に帰り着くまで私たちは一言も話さなかった。幽鬼のようにふらふらと頭を垂れていた慧音を今でも忘れられない。
結局あの子供には偽の未来を歩ませた。“放課後遊んでいる時に怪我して、慧音先生に手当てしてもらった”と。慧音と止められなかった私が背負うべき、醜く枯れ果てていく未来は石蝋のような虚飾で丹念に塗り固めた。
「真実はね、埋めてしまえば分からないの」
慧音の憂慮をかき消そうと私は慧音に呟く。
「私は永く生きてきたから分かるわ。真実なんて誰にも気が付かれずに塵塚の奥……光の見えない澱に追いやってしまえば歴史には残らない……」
擁護の言葉を並べたが慧音は何も返してこなかった。
家に着くと慧音はばたりと寝室の布団の上に倒れこんでしまった。無理もない。正史を捏造するという慣れない作業を行ったのだ。神経を擦り減らしたのだろう。私もどっと疲れが噴き出してきた。瞼の奥が詰まるような眠気を感じ慧音のそばに座りこんだ。
「私はね……妹紅」
枕に顔を押し付けていた慧音が
「駄目な教師なんだ……あの子にとって私は」
寝返りを打ちながら私に言った。
「あの子の成績があまり芳しくなくて……私はご両親によく誹謗されていた」
「……うん」
「先生の授業は、中身がなく無味乾燥して出来そこないだ。だから子供が理解できないんだと面と向かって罵られた」
「……」
「ショックだった。授業中にあの子たちのグループが板書もせずに大声で騒ぐのは全部私の至らなさのせいだったんだ。私はね、少しでも興味を持ってもらおうと必死になった。課外授業をしようと麓の神社やお寺に片っ端から連絡を取ったりな」
「うん……」
「寝る間も削って準備して……でも駄目だった……出先であの子が粗相を起こして私が彼の頬を張ったんだ。その夜に私の元にご両親が詰め掛けてきた。暴力を振るって子供に怪我をさせたって……胸倉を掴まれて責められた」
「そんな……何も悪くないじゃない……」
私の言葉を無視するように慧音は続けた。
「お母様に何度もぶ、ぶたれた……土下座で謝罪もさせられて」
慧音は震えているようだった。
「お、お父様には……部屋に連れ込まれて脅された。む、無理やり……押し倒されて……」
私は耳を疑った。頭を殴られたように気が遠くなった。何か言葉を出そうとしてぱくぱくと口を開けたが何も出てこなかった。
「里の連中にばらされたくなかったら……と、おか、犯されてる間……」
「もういいよ……」
「何度も、激しくされて訳分からなくなって」
「いいよ! もうやめてよ……!」
「妹紅ぅ……私が駄目教師だから全部悪いんだ、全部全部」
私は慧音の頭を抱いて言葉を止めさせた。慧音の顔を抑え塞ぎ込むように私は口づけをする。
「んん……ん」
舌を絡ませて慧音の温度を感じた。誰よりも高潔な慧音の血の熱さが伝わってくる。頬に慧音の涙が触れ、私は慧音が可哀そうでやるせなくて仕方がなかった。
「私は慧音を守るから。何があっても……もう自分を責めないで」
慧音は私の胸に頭をうずめながら静かな寝息をたてている。時折私の名前を呼び、顔を押し付けてくる。
──絶対……慧音を守るから
私は慧音をぎゅっと抱き締めた。
「慧音も落ち着いたみたいで久々に険の取れた笑顔を見せるようになった。寺子屋でもなんとか上手くいってるんだなとそう思っていた。でも……」
ずっと妹紅の話を聞いてきた霊夢は神社の屋根を叩くような音を聞く。雨が激しく降り始めた。梅雨特有の淀んだぬるい空気が霊夢と妹紅の間に漂う。
「だ、駄目だった」
かちかちと妹紅が歯を鳴らして話を戻した。
「おい……おい、何やってるの!?」
また慧音が自分の手首を切っていた。料理に使う出刃包丁で手首1つの箇所を集中して何度も切っていたみたいだった。出来る限り慧音の家には足を運ぶようにしていた。でも慧音は私の訪問の間を見計らうようにして自傷を繰り返すようになっていた。顔色悪く寝込む慧音を介抱しながら私は決心した。
「病院……行こう」
正直言うと永遠亭の奴らの手は借りたくなかった。永遠亭に隠遁されている月人の蓬莱山輝夜。私はあいつの事を心の底から憎悪している。だからそこの住人とは少なからず確執が存在していた。診療所に慧音を連れて行った時、住人の兎の奴らに好奇と侮蔑のこもった視線を送られたが無視するようにして堪えた。よく来れたものね、と八意永琳に冷めた言葉を掛けられたが
「頼む、慧音を診てやってほしい」
必死に頭を下げた。薬と傷の処置を施してもらい、通院させてもらう約束も取り付け永遠亭を後にした。法外な治療費を要求されたが私にとっては些細なことだった。
──これで少しは良くなる
不吉に笑う永琳に不快感を覚えたが、彼女の処方箋にか細い望みを懸けた。
その希望は安物の鉛筆があっさりと折れるように無価値なごみくずと化した。
「なんで…なんでなの」
また自宅でカットしていた。永遠亭に通院させ始めてそんなに日にちが経たないのに……と困惑とどうしようもない悔しさが私の心を乱す。
「慧音!!」
私は慧音に駆け寄り握ってている包丁を奪って投げ捨てた。硬い板床に落ちて血液の飛沫が散る。
「また! また切って! どうして! 何が慧音に……!」
今回は酷かった。いつものように横一線じゃなくて。手首から肘にかけて真っ直ぐ縦に切り裂かれていた。溢れる血を抑えつけるようにして、やけくそで止血帯と包帯を巻く。涙で手元が見えなかった。半獣の慧音だからまだ平気な訳で、普通の人間なら絶命しているはずだ。
「せ、先生にな」
慧音の紫色の唇から言葉が漏れる。
「永琳先生が教えてくれたんだ」
「はあ…はあはあ」
息切れを抑えきれない。私は慧音の声に耳をこらした。
「横に切るじゃなくて、こうやって縦に切った方が効果抜群よ、って」
「あの藪医者ぁあああ!!」
髪の毛が逆立ち血が沸騰した。慧音に処方された薬瓶が目に入って、思いっきり床に投げつけた。怒り狂う心を抑えられず、永遠亭に火を焚き付けようと駆け出したのだが
「待って」
慧音に引っ張られた
「放してよ慧音!」
慧音の腕を振り解こうとするが
「まだ切りたい」
くらっと足元が歪んだ。遅れて全身に痛みが走る。私は慧音の近くで倒れこんでいた。
「はあはあ、はあはあ」
ぶわっと顔中に汗が噴き出てくる。手首に鈍痛を感じて
「何よこれ……」
見ると私の手首から血がたらたらと垂れ始めていた。見上げると慧音が落とした包丁を拾い付着した血を舐めていた。
「妹紅う……」
慧音が私に抱き付いてくる。背中深くまで腕を巻かれ、まるで大蛇に締め上げられているような錯覚に陥った。力が入らず倒れ込み私は慧音に馬乗りにされた。
「切りたい、誰でもいい」
包丁を片手に破滅的な笑顔を見せる慧音がこの世のものではないほど美しく見えた。
「もっと肉が切れ、け、血管が裂ける感触が欲しいんだ」
「はあ、はあ、はあ、はあ」
慧音の血塗れの指先が私の頬を撫でる。逆光の先に見える慧音は微笑んでいるように見えた。目の奥底がチカチカと鈍く痛む。
「妹紅……」
「はあ、はあ、はあ、はあ」
もう慧音は戻らない。そう悟った。薄い皮膚と筋肉を掻きわけ脂肪と神経を削ぎ、血管をぶつ切りにする破綻した快楽の虜になったのだ。追い込まれた心のひずみ、ストレスを解消する術は一般的には運動、飲酒、セックスなど心身の愉楽に準ずるものだ。でも慧音には
「手首、き、切らせ……」
リストカットが心の静謐と安寧を取り戻す唯一の方法なのだと、直感的に理解する。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
私の心音が異常に高まっているのが分かる。口の中はカラカラに乾く。沢からこんこんと流れ出す流水のような、手首の出血は止まらない。寒気で震えも止まらないのに顔だけ炎をくべられたように熱い。頭の中で浮かぶカタストローフ的な考えが心身に魔を差す。
自由がまだ利く右手で慧音と一緒に包丁を握りしめる。慧音が満面の笑みを浮かべた。
「はあ、はあ! っはっ!……はっ!」
────絶対……慧音を守るから
力を込めて鈍く光る包丁を自分の手首に突き下ろした。
「……っ! んんううっ!! んんん!」
包丁は私の手首を貫通し床板深くまで刺さった。
「んはああ……」
慧音は頬を染め舌をにゅっと突き出しながら嘆息した。ぶるぶると肩を震わせ下半身を痙攣させた。ぐりぐりと包丁を揺り動かされる。骨に当たって出る高音と味わったことのない肉を深くえぐる感触は慧音にとっての性的快楽に変換され彼女を軽い絶頂に導いた。
後悔というか自責の念は起こらなかった。根底にあったのは、これで慧音を救う事ができる。慧音の未来を共にすることができる。契りを破らずに済んだ安堵感。そして、
「んんん、……ああん……慧音ぇ」
慧音に傷口を犬のように舐められ生じている、全身を支配する途方もない肉欲だった。
もう私も戻って来れまい。
輝星さえ呑み込まれるほどの真夜中。人里でただ一つ、仲間外れのようにぽつんと薄明りが点いた慧音の自宅で
「うふ、ふ」
と慧音は私に笑いかけた。
「ふう……ふう……はあはあ」
私は質素でがたつきが酷い木製の椅子に座らされている。献血協力者のように左腕だけ袖をまくられ、白いなめし皮で出来た底の広い腕置きに置かれていた。伸縮性のあるバンドが二の腕、肘、手のひらの3か所に、錆が浮かぶ鉄製の留め具できつく縛っていた。これから行われる慧音と私の営みに、呼吸の荒々しさを抑えることができない。
「いつ見てもお前の肌は月光のような蒼白で美しい」
「……んん……んんぁ……」
慧音の細い指先で吸いつくように手首や手のひらを撫でられ、顔がかっと紅潮する。
「ああ、すごい。ぷくぷくした、け、血管が浮き始めたぞ」
縛りによって腕に血流が溜まり、血管が拡充していく様子を慧音は逐一教えてくる。かり、かりりと手首に浮かんだ血管を爪で引っ掻く。こそばゆさと不快感が左腕に起こり、鳥肌となって手首から左顔面までさっと駆け抜けた。
「辛抱たまらぬ……んちゅう……ちゅうちゅう」
慧音に密集した血管の浮く手首を吸いつかれる。血管だけを吸い取ろうとするような口の吸引と舌の動きに
「ふあああ……!!」
ともどかしい感触を覚えされ顔が仰け反ってしまう。息も絶え絶えで、私もついに我慢できなくなり
「け、慧音ぇ……は、早くう……早くいつもの……」
縛られた手の平をグーパーグーパーと開閉してだらしない声でねだった。
「多情な娘(こ)だな、も、妹紅も」
「はあ、はあ、はあ……!!」
慧音は逆手でいつも使っている、よく砥がれた出刃包丁を構えると
「っつううううぎゃああああひぐぎいいいっ!!!」
私の手首に一気に突き立てた。垂直方向に深々と刺さり、激痛であらん限りの声を上げた。
「ああ! たまらないっ!」
慧音は上擦ったため息を吐く。
「ほら、すごいぞ。き、黄色い脂肪が血でずるずる滑るが……んちゅうちゅう」
「いっ! いっ! っひひっ! ひっくっ!」
少しずつ肘方向に向けて肉を開きながら、慧音はあふれ出る血液とぶよぶよした脂肪を吸い出した。舌で撫でられた剥き出しの神経が疼痛を引き起こし、私の意識を混濁させる。前腕の中ほどまで刃を進ませると名残惜しそうに包丁を引き抜いた。その拍子に鮮血が慧音の顔を濡らしたが慧音は舌をナメクジのように動かして口に入れた。
慧音は身を乗り出してもう一度包丁を握り直した。先ほどの傷と数センチ離れた場所につうっと平行線を引く要領で別の傷をつくろうとする。
「こう等間隔で傷を付けるとな、うまく治癒できずにぐずぐずに腐り落ちて、果てには死に至るらしいぞ」
「あっぐぎぎぎ……」
「え、永琳先生は博識だ。私も見習わねば」
私の前腕には真っ赤な血が流れる深い溝が平行に2つ形成されていた。不良が入れるような安物のタトゥーにそれらは似ていた。
「はっ、はっ、! はっ!」
と息切れが絶えなくなってきた。心臓がどっどっ……と激しく脈打つとそれに合わせて露見した肉や脂肪が蠢動してじゅくじゅくと血が溢れ出させる。酸化が始まって鉄錆のような悪臭が鼻腔につんと入ってきた。
慧音は私の腕を巻くバンドをゆっくりと外した。表情には期待感湧々といった幼い少女のような笑みがあった。わずかな止血の役割をしていた戒めが解かれ傷のある腕に血流が一気に行き渡る。
「あ、うあ、はあ……はあ……!」
今まで以上に血がとめどなく溢れて、腕全体を真っ赤に染めた。真っ白だった腕置きは赤黒く汚れ、酸化して粘度が強くなった血が床に斑点を付ける。指先と足先の感覚がなくなり寒気を感じ始めた。この段階になると痛さが霧散してくる。血を失い過ぎて酸素運搬能力が破たんし、脳が麻痺し始めているのか。体は軽い痙攣を起こし始めて、玉のような汗が額に結ぶ。
「傷口が血で埋もれてしまったぞ……」
慧音が不満そうに私を一瞥した。左腕を見ると赤ペンキをひっくり返したように腕全体が血で染まっていた。
「血が、か、固まってしまうじゃないか妹紅」
「あああ……はあん……あああぇ」
腕を引っ掴むと慧音は長い舌を伸ばして傷口を覆う血を舐め取り始めた。くっくっと喉を鳴らしているのが見えたからそのまま飲み込んでいるらしい。
「うっひ!っひ!」
むずむずした痛痒さに声を抑えられない。慧音は満遍なく舌を動かす。硬化し始めていた血小板は役割を阻害され、裂けた肉の間からまた激しい出血が起こった。慧音は
「うっふ!っふ!」
満足そうに笑った。傷の表面を舌で洗っていた慧音は舌をぴんと伸ばし傷口の端に挿入する。ほじくり返して奥深くまで入れるとスライドさせるように傷の溝の中で往復させる。
「いっきっきき……!」
腕の中心から起こる鈍痛と出血のショックが私の意識をあやふやにする。うめき声を上げる私に笑みを送ると
「さあ、妹紅が好きなのをやってあげるからな」
慧音は私の履き物に指を差し入れ、クリトリスを探し当てる。出血して血が足りないのに私のクリトリスは過剰に充血しぷくっと膨れ上がっていた。
「あ……はああ! そこはだめえ……」
勃起した陰核のすぐ下、私の秘裂に指をあてがった。
「なんだ、妹紅。す、吸われるように指に食い付いてきたぞ」
「あふっ!ふぁあああ……!」
ずちゅずちゅっと秘所を掻き回す音が響く。左腕に致命傷を作られたので、子孫を残そうとする生殖本能が否応なく高められる。感度が異常に良くなった私の秘所の奥まで指を出し入れする。
「け、慧音ぇ……いや……またそれ……本当に……だめ」
再び傷口に舌を挿入された。首を激しく横に振って傷口をごしごし擦りつける。血の筋が浮いた黄土色の脂肪が溝に沿って山をつくる。同時に秘所に突っ込まれた指を子宮口まで触る勢いでがつがつと打ち付ける。
「あっぐっ……! くうああ……あああああ……!」
自分でも信じられないくらい甲高い声が漏れる。
「んっ! んっ! んっ!」
慧音は唇を私の腕に押し付けじゅるじゅると血を吸う。舌先を剥がれた皮膚と真皮の間に滑り込ませぶちぶちと筋肉組織から引き剥がす。麻薬啓発の書籍で見た、中毒患者の皮膚の下を虫が這いまわる様子。私の腕に似たような感じのことが起きていた。私の場合は慧音の舌が皮下を這いまわっているのだが。
「き……きも……」
尋常ではない、人間には味わえないとろけるような恍惚感が脳内を襲い、ついに私は自我を保てなくなった。
「はうあああああ! き、気持ち良いいいいよおお! け、けひねえええええ!!」
魂胆が顔を出したのだ。
「いいい、痛いのにいい!! し、死ぬのにい!! おま○こと生傷ぐっちゃぐちゃになって、おかひくなるうううう!」
あらん限り絶叫を部屋に響かせる。
「そうだ妹紅! お前は、リスカされると血と涎を垂らしながら絶頂する愛い娘だ」
「り、リスカひゅごいい! リスカ慧音ひゅごおお!!」
「やはりお前と私の肌合いは最高なんだ。ぜ、絶対もう死んでも放さない」
「い、イぎい! イきそイぎそ……!」
「私も辛抱たまらない! き、切るよ妹紅切るよ」
慧音は傍らにあった包丁を持ち高く構えると私の手首の中心に全力で突き立てた。筋肉を断ち尺骨を砕いて深々と貫通、鮮血が破裂した水風船のように飛び散った。
「いいいイグっ! イぐううううううううううんん!!」
火花のような閃光が頭脳を駆け巡った。私が知覚できたのはそれが最後だ。グレープフルーツジュースのような濃い小便を撒き散らし、丸まった舌が喉に詰まる。ぐるんと目玉がまぶた奥にひっくり返ったあと、
「妹紅?」
私は激しいひきつけを起こし、そのまま失血死した。
博麗神社に振り付ける雨は勢いを増す。地面に雨粒が跳ね返る音が室内まで聞こえてきた。
霊夢はずっと握り締めていた湯のみを口に持っていくが既に空っぽで乾ききった茶葉がささくれ立って引っついていた。
「霊夢、慧音は悪くないんだ」
雨音にかき消された声を霊夢はなんとか聞き取った。
「慧音の心を壊した原因、さ、里の餓鬼とその親。慧音はあいつらを許し、今も教壇に立っているの」
妹紅は左の手首を掻きながら続けた。
「見上げた奴、そう思うだろう? で、で、でもね」
妹紅のどもりが酷い。
「慧音の心の中は、もう……手首の血管と刃物の切っ先に侵された怪物なの」
妹紅は霊夢と目を合わせようとはしなかった。
「普段は表に出さないけど、わ、私だけにはそ、その怪物を見せてくれるの」
霊夢のこめかみに汗がつっと伝っていく。
「本当にうれしい」
唇を震わせながら妹紅は口角を釣り上げた。
外の石畳に雨だまりをぴちゃぴちゃと歩く小さな音を霊夢の耳が拾う。
「霊夢、よく聞いて。慧音の人格は一転してしまっているの。今までの里の守護者のそれとは違う、もっと得体のしれないものに。お、表に出さないのは、私が慧音を抑え込んでいるから」
外の足音がこちらに近づいてきた。妹紅は荒く呼吸をしながら、
「でも、こう言ってる私も、もう、お、おかしくなって……慧音にね、手首刻まれるのすごい良いの……私が慧音を守ってるんだなっていう充足感と失血の脱力感にまみれて……えへ……へ、変に」
霊夢に望みを託すように言葉を紡いだ
「だから霊夢、もし慧音と私の気が触れて、ひ、人里とか襲うようになる前に、私たちを、こ、こ、殺してでもいいからせ、せき止めて……ほし」
「こんなところにいたのか妹紅」
上白沢慧音が神社の引き戸に手を掛けていた。まだ引き戸を開いていないのですりガラス越しに傘を差した慧音がうっすら見える。
「慧音」
「探したんだぞ、こんな土砂降りにほっつき歩くなんて」
慧音は部屋に入らない。引き戸越しに妹紅と会話していた。
「来て、くれたの? 慧音」
妹紅が立ち上がる。妹紅の青白かった顔色はみるみるうちに紅潮して声も上擦っているようだった。妹紅が引き戸を開けた。霊夢の鼓動が激しく脈打った。
「……妹紅が世話になったな霊夢」
引き戸が開いてしまう前から、慧音の視線はずっと自分に向けられていたのに気が付いたからだ。
あの二人は手遅れだ。放たれた雨粒が雲の上の蒼穹を二度と臨むことができないように、地上を濡らし、腐った汚泥と水たまりを作り出す……九分九厘、彼女たちのタガは外れ歯止めが利かなくなるだろう。この手で数多くの妖怪を殺してきた博麗の巫女の私には分かる。あの二人の瞳は歪で赤黒く爛れていた。お互いの血を混ぜ腐らせたような、獣性剥きだしの魔妖の臭いが私の鼻腔から未だ離れない。
やはりあの二人は紛う方無き妖怪だったのだ。人里の守護者を謳っている慧音だが、根底にはれっきとした獣の血が流れている。教え子に心を極端に割き過ぎて、精神に狂ったゆがみが生じた。それが表情を変え慧音の全身に浸潤したのだ。
妹紅にはまだ真冬の木枝に張り付く枯れ葉のような良心が残っているが、散るのは時間の問題だろう。彼女はもう人間の理を越えている。献身という名目のくだらない死と転生を繰り返し、身も心も妖怪の類に足を踏み入れてしまった。殺しても殺しても、蛆虫が湧くように価値のない生を垂れ流すから余計性質が悪い。
全身の汗が止まらない。
ああ! なぜ私は妹紅の話を聞いてしまったのか! 妹紅の微動だにしなかったあの視線。あれは私の手首だけを注視していたのだ。獲物を見つけた畜生のような目で、汗が伝い血管が浮き出た私の手首をじっと食い入るように見ていた。そして妹紅が帰る時、姿が見えた慧音。慧音もまたすりガラス越しから、引き戸が開くまでずっと私の手首を凝視していた。使用済みの妹紅にはもう飽きたと、未開の処女のような、新鮮な媒介を見つけたと言わんばかりのおぞましい表情で私の手首を見つめていたのだ。
狂い
- 作品情報
- 作品集:
- 17
- 投稿日時:
- 2010/06/29 21:06:25
- 更新日時:
- 2010/07/01 04:10:32
- 分類
- 妹紅
- 慧音
- 刃物
- 流血
- 献身
- 霊夢
- リストカット
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水風船みたいに破裂するんだぜ
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まさに「怒髪天を(ry
・・・考えすぎか
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